2006年6月11日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/問題は機会です
(使徒11:19〜30)
■ある青年が、ノーマンV.ピルという博士を訪ねて行ってこういう話をしたということです。問題がなく、安らかな場所はないかと言いました。すると、ノーマンV.ピル博士が、共同墓地に行ってみなさいと話したということです。死ねば、問題がないでしょう。ある人は、人生は荒れている海を進むことと同じだと言いました。このように話して、船も描いたりしました。ショーペンハウアーという人は、本来人間は生まれなかったら良かったが、生まれたこと自体が苦痛だ、生まれたら可能な限り、早く死ぬのが良いと話しました。それで、ショーペンハウアーの思想のために自殺した人々が多いのです。多くの人々が自殺しました。以前に話したように、ショーペンハウアーは82才で死にました。それも、長生きしようと冷水摩擦をしていて死んだのです。とにかく、ショーペンハウアーが見たのは、正しく見たようです。 ■問題はどこから始まったかというと、正確に話せば、黙示12章を見れば、暗闇の勢力ができてから始まったのです。それで生じた事件が、創世記3章、6章とずっと起きたのです。未信者は、問題がくるしかないのです。お金と関係なく迫ってくる運命を避けることはできません。いつまで続くのでしょうか。永遠です。これをどのようにするのでしょうか。私たちは今、多くの問題がきたりする事もあり、今、持っていたりもします。それでは、どのようにしなければならないのでしょうか。ひとまず、私たちは人が問題にあってみれば、その人のうつわや過去、未来がすべて分かります。良い時はよく分かりませんが、問題が生ずれば、この人はよく習った人だな、習えなかったんだなあということがすべて分かるのです。将来が難しいだろうということは、私たちが問題にあってみれば分かります。同じように、演習をしている時は分からないのですが、戦争が起きれば、その時に立派な軍人、将軍が分かります。単に船に乗って行けば分かりませんが、暴風に会えば、有能な船長や、そのような人々は違うのです。それで、とても賢明な夫人も、家庭に問題がくれば分かるということです。今日、私たちはこの問題をどのようにしなければならないのでしょうか。どのように理解して、解決しなければならないのでしょうか。とても重要なことです。なぜなら、皆さんは問題を持って教会にくることもあるからです。ある人は、教会にくるべきなのに問題に陥って来ることができない人々もいます。 ■私がこういう経験をしたことがあります。牧師は聖日が一番鋭敏です。なぜなら説教をしなければならないから鋭敏になっているのです。ある時は、土曜日の夜に祈らずに夜中TVを見て座っていることがあります。それで、奥様が悪口を言うのです。祈りもせずに、夜中TV見ていると悪口を言います。それは何かが捕えられなかった時に、そのようにするのです。私が聖書の箇所は分かるのに、これを私がどのようにしなければならないのか捕えられない時、TVも見て歩き回ったりするのです。どうしても、私のような場合は、説教をよくしているし、皆さんが良い信徒であるから、安らかにできますが、普通はとても鋭敏になります。それで、誰かが何か違う話をするのにも鋭敏になります。そして、知らないから家内が文句を言います。また耐えれば良いのですが、これが腹が立つのです。怒ればそちらで耐えれば良いのに、また怒ります。これで、二人で磨きあげた昔の悪口の実力を発揮して勝負するのです。その時は、狂いそうだと思いました。その時、私に来る切実な心があります。教会に行きたくない。このような時は、教会に行かずに、家にじっとしているか、海に行って風に当たりに行くべきで、説教をしに、嘘をつきに行かなければならないのがいやなのです。その時、こういう気がしました。一般信者は、どれくらい難しいだろうか。その人たちは、一週間苦しめられて教会に来るのに、どれくらい難しいだろうか。牧師である私もこうなのに、一般信者の家庭で、どれくらい問題が多いかということです。夫婦間の葛藤がないはずもなく、家庭に問題がなくなることもできません。本当に難しいという気がしました。その人たちが教会にくるということは、ある面では真に難しいことなのです。だから考えが変わりました。私が信徒に行って力を与えるべきだ。その日は、説教の序論が変わったのです。前と同じならば、優秀な人ようにして、銃を出し、刃物を出すはずなのに、序論で皆さん、どれくらいご苦労が多いですか。皆さんが難しい世の中で、苦しみがどれほど多いですか。このように慰めるメッセージが出るのでした。しかし、その日、神様が本当に大きい恵みを与えてくださいました。帰りながら考えるのに、けんかもするだけのことはあるんだなということでした。このように、私たちは多くの問題を抱いて教会にきて外側の生活をします。どのようにしなければならないのでしょうか。もちろん、専門家たちのお話がたくさんあるでしょうが、私は聖書を見ながら、このようにしなければならないと考えます。 ■最初です。私たちは、どんな確信を持たなければならないのでしょうか。神様の子どもは、すでに霊的根本問題で神様が解放させられました。確かに解放させられたのです。ここに対する確信が必要です。皆さんに困難がくるようでも、確かに神様は暗闇の勢力から解放させられました。これが最初です。これは未信者は知らない話でしょうが、皆さんは知ることができる話です。ヨブという人が病気にかかって、経済問題がきて、多くの問題がきました。よく耐えたところ2倍に祝福されました。よく耐え抜いたから2倍に祝福を受けた、私はこのように思っていました。ところで、聖書を見れば、そうではありません。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフをいくら殺そうとしても殺せなかったのです。創世記の話です。なぜでしょうか。神様の子どもは、根本問題から解放されたのです。確かに皆さんは暗闇から出ました。明らかです。今、困難があるようでも、皆さんは確かに呪い、サタンの勢力から抜け出したということです。すでにキリストが十字架で私たちが受ける呪いをみな解決したと聖書では話しています。ここに対する回復が最も早くなければなりません。すでに終わってしまったのですが、私たちはずっと誤解して勘違いするのです。出エジプト記とは何でしょうか。エジプトの地で契約の民が住んでいたが、いくら殺そうとしても殺せなかったということです。レビ記、民数記、申命記とは何でしょうか。荒野を行く間、どんな問題も神様の民に勝つことができなかったということです。ヨシュア、士師記、ルツ記とは何でしょうか。カナンの地に入ったのですが、七部族三十一人の王が待っていても、イスラエルをなくすことができませんでした。その後には、I、U列王記、I、U歴代とは何でしょうか。バビロンが捕虜にして契約の民をみな殺そうとしたが、そのようにできなかったのです。新約聖書とは何でしょうか。そこに対する証拠ではないでしょうか。ヨハネの黙示録とは何でしょうか。この世にいくら霊的問題が深刻にきても、神様の子どもは失敗しないということです。皆さんは恐れる必要がありません。本当に確信を持たなければならないのです。 ■ジョン・カルヴィンという人がいます。とても賢い人物です。カトリックとプロテスタントが戦った時、現れた人物です。カトリックがずっと聖書のとおりしなくて、問題がきたのです。この時、福音を伝える者が出てきたので、異端だと決めたのです。これで、全世界に問題が来てしまいました。その時に、原稿なしで出てきて、古代の文書と聖書を引用しながら、三時間半、語った人がいました。ジョン・カルヴィンという人です。ジョン・カルヴィンのゆえに、全世界が生かされるようになりました。27才の時、キリスト教綱要というものすごい大作を作り出した人です。そのジョン・カルヴィンが、聖書に対して五つに要約をしたのですが、一番最後にした言葉が何でしょうか。神様の子どもはほろびないだけでなく、勝つ者もいない。ジョン・カルヴィンがおろした聖書の結論です。運命、呪い、地獄、サタン、未信者状態から完全に解放されてしまったのです。それならば、それで良いのに、何のために確信を持てと言うのでしょうか。皆さんがここに対する確信がなければ、私たちも知らずに生きている暗闇の勢力は、皆さんをずっと刺激するということです。Iペテロ5:7〜8に、あなたたちに思い煩いを主に任せてしまいなさい。心配を捨てろと言われずに、心配を主に任せなさい。心配を捨てれば訪ねてきます。心配を捨てるのではなく、主に任せなさいと言われました。これがとても重要な言葉です。皆さんの心配を今日、神様に任せるように願います。皆さんが持っている不安、神様に任せるように願います。不思議に解決され始めます。皆さんが多分、この時、最も正確な答えがくるということを体験するようになるのです。 ■そして、その後の言葉は何でしょうか。あなたたちの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべき者を探していると言われています。Iヨハネ4:18〜19にも、恐れるなと書いてあり、ヤコブ4:7にも、悪魔に立ち向かいなさいとあります。この確信がなければ、ずっと触られます。確かに悪魔は存在していると聖書は話しています。今、韓国に百万人のムダン(霊媒師)を作り出した悪霊はいると聖書は話しているのです。全世界をひきつけた悪霊宗教、ニューエイジ運動を作り出したのですが、その悪い霊がいると聖書は確かに話しています。皆さんに問題がきた時、この確信がなければ揺れるのです。そして、問題の中に陥って、とても損害をこうむるのです。皆さんここに対する確信を持つように願います。 ■日本に行ったところ、金テジン牧師がりんごを持ってきました。これが何のりんごかと尋ねました。先生の話を聞いて、りんご一つに日本語で感謝すると書いて、もう一つはとても悪口を付けたということです。その人の話ですが、3〜7日過ぎたら、一個はみな腐ってしまったということです。本当に不思議なことです。りんごが言葉がわかるのでしょうか。その字だけ付けておいたのに、みな腐ってしまったのです。私たち人間は、霊的な存在だから、神様が私たちの全てを解決されたのですが、揺れればやられてしまうのです。皆さんは、根本問題から完全に解放されたという事実を主の御名で祝福します。 ■二番目です。私たちは何を記憶しなければならないのでしょうか。だまされてはなりません。私たちは99%が自分が作り出したところでだまされています。はやく気を引き締めなければなりません。私たちは問題ではないのに、自分が作っておいて陥る人がどれほど多いかわかりません。聖書に見れば、皆さんが知っているように、イサクの息子エサウを見てください。その祝福の家で、自分がねたんで問題を作って、そのようにしました。最高の祝福を受けたヨセフの兄たちを見ましょう。ヤコブの息子ではないでしょうか。じっとしていてもかまわないのに、自ら問題を作って自分たちが崩れたのです。言うべきことがありません。サウル王を見てください。サウル王はイスラエルの初代の王です。国を堅くたてる後継者になる婿もできました。堅く祈る祭司サムエルもいました。どれくらい感謝すべきことでしょうか。どこでも感謝することです。しかし、どこでも不安なのです。'ダビデが王になればどのようにするのか。' 'サムエルが私を祝福しないのではないか。'自ら作り出したのです。私たちは自ら作って陥る問題がとても多い。 ■あまり詳しくは言いませんが、今、問題が大きく起きている韓国の大きい教会がずっとニュースに出てきて、新聞にも問題が出ています。大きい牧会する牧師がじっとしていても良いのに、問題を自分が作っているのです。じっとしていれば尊敬されるはずなのに、奥様を高い地位につけようと作戦を使っています。じっとしていても良いのに、息子を成功させようとずっとそのようにしています。これがずっと問題がくるのです。人間は、自分自ら作り出した問題が99%です。私たちは、これをはやくキャッチしなければなりません。私たちは根本霊的問題から抜け出しました。そして、私たちは今、ほとんどだめなように見える問題99%は、私が作り出したのです。だまされてはなりません。これを悟らなければ、ずっと苦しみがくるのです。問題でもないのを私が問題に作っているのです。多分、こういう部分を理解したら、教会の中で牧師、多くの一般信者が多くの祝福を今日、回復するようになるでしょう。 ■昨日、新聞を見たら、本当におもしろいという気がしました。私たちの韓国が今、サッカーのために大騷ぎをしています。私たちの韓国選手は、とにかく私たちを出場させてください。今でもゲームに出て行けば、だれが主戦で出るかを互いに競争します。しかし、トーゴの選手たちは、お金を多くくれと言います。それでは、私たちはできないと文句を言って、監督が出て行ってしまいました。私が内心、おもしろいと思って見ました。私たちがこういうチームと戦って負けたら、家に帰れないでしょう。こういうお金ばかりの人たちと戦って、負けるということはないでしょう。昨日の新聞を見ながら勝つという確信がきました。こういうものに負けた、それが神様のみこころだとすれば、言うべきことがないのです。普通、外国に行ってみると、だめな国々を見れば、自ら問題を作っていっています。私たちが見れば、ほとんど問題を自ら作っています。だから、私が自らどん底をずっと作るのです。私が自ら地獄をずっと作ります。こういう人がとても多いのです。これは救う方法がありません。どれくらい神様の祝福を私たちが受けたことが多いでしょうか。 ■最初には何でしょうか。私たちが確信しなければならない部分ですが、はやくだまされずに悟らなければなりません。私たちが自ら作って陥る問題がどれほど多いかわかりません。私はあちこち行くから、とても忙しいのです。また、貴重な方々にも、忙しくて、あまり暖かくあいさつができないのです。ある時には、ある人は誤解して、柳先生は冷たいと言います。そうではありません。私が情け深くて、軟らかい人間です。私がどれだけ情け深いかというと、食堂に行けばお客さんが多い時があります。そうすれば、あちこちで呼ぶでしょう。仕事をする人々を見れば、あまりに大変です。私たちの秘書が、おかずをさらに持って来させようとすれば、これだけ食べて行こうと言って、やめなさいと言います。一度は、ある所に行ったのですが、食堂に一人で、秘書なしで入ったのです。スープを持って来ませんでした。とても忙しくて、忘れてしまったのです。私がどれだけ優しい人かというと、そのまま置いておきました。どれくらい忙しいから、そうするのかと思って。しかし、その人が後ほど発見したのです。仕事をする人がスープを持ってこなかったのかと尋ねました。それなら、言ってくれるべきで、失敗をしたと言いました。私はすでにご飯をみな食べていました。お金はもらえないと言いました。大丈夫だから払うと言ったのです。これくらい優しいということを証明するために言っています。私は、ある程度ならば、他の人が失敗しても言いません。失敗ことはあるでしょう。そして、私がタラッパンを何十年してくる間に、ある程度ならば、誤りは覆ってあげます。そのようなことがあります。あまりにもお話にならないこと、話をしても継続すれば、その時、腹が立つのですが、あまり怒りません。それほど優しいということを認めてくださるように願います。その話ではなく、私たちは、それだけとてもお話にならないことを作り出して話しているのです。ほとんどの問題は、自分自身が作り出しています。ほとんど問題は、自らが作り出すのです。私の自らがどん底に陥れば仕方ないのです。今日、皆さんがだまされないことをイエスの御名でお祈りします。私たちの体質のために、ずっとだまされるのです。私たちは環境のためにだまされます。私が自らできないと思うのです。イスラエル民族を連れて出て行けと言われたので、モーセが自分ができないと言いました。わたしがあなたとともにいると約束されたのです。しかし、私たちはずっと私はできないと言います。普通、問題は本人がみな作るのです。 ■三番目に記憶しなければなりません。本当に問題が来ることがあります。機会です。そうです。私たちは、すでに霊的根本問題から抜け出したので、関係ありません。ところで、本当に問題がきます。確かに機会です。問題は確かに何があるのでしょうか。答えがあるでしょう。錠には確かに鍵があります。だから、事実、本当に問題きたら、それは祝福です。今日、皆さんが本文をよく見る前に、聖書全体をしばらく考えてみるように願います。レムナント7人に来た問題を見ましょう。ヨセフに深刻な問題がきました。これはヨセフが作った問題でもなくて、失敗でもありません。機会です。ヨセフが家を出たように見えるのですが、それは成功できる機会です。ヨセフが監獄に行ったように見えるのですが、それが人物に会う機会です。モーセは、エジプトで苦労したように見えるのですが、それがエジプト文化を学ぶ機会でした。全部、機会でした。本当に神様の子どもに問題がきたら、それは、祝福の土台であり、機会があるのです。必ず銘記しなければなりません。最初のことが何でしょうか。私たちはすでに根本霊的問題で抜け出してしまいました。皆さんは何も心配することがありません。運命から抜け出したのです。さらに用心して悟らなければならないことは、だまされてはならないのですが、私たちが問題を作っておいて陥るのです。そうでなければ、本当に問題きたら、それは機会です。恐れをなす必要はありません。本当に問題がきたとすれば。 ■初代教会で、どんなことが行われたのでしょうか。皆さんが福音を伝える団体ごとに、いつでも汚名を少しの間、着せられます。そのために用心する人々が多いのです。ひょっとして変だ、異端だ、このようにすれば困るからです。おもに見れば、公務員たちが表情をたくさん見ます。歴史を見れば、いつでも伝道運動する団体は、少しの間、寃罪を受けます。一度も欠かさず、そうです。どのようにするのでしょうか。法で禁止されています。皆さんのようならば、どのようにするでしょうか。マルコのタラッパンに行ってはいけないと法で禁止したのです。もし、イエス・キリストを宣べ伝えれば、拘束されます。そうしておいて、また再犯する場合は、死刑にされます。海外に出て行ってキリストを伝える場合、拘束令状なしで、すぐに行って殺されます。初代教会の時は、このようでした。皆さんはどのようにするでしょうか。こういう状況なら、皆さんの何人がここに座っているでしょうか。分かりません。分からないのですが、私の考えで、適当なことにすねるような人は、皆去っていったでしょう。ものすごい事件です。ところで、そうではありません。それが何か分かるでしょうか。本当に弟子を集める道でした。120〜3千名が起きました。初代教会が大きい困難にあったと思ったのですが、迫害が起きて大騷ぎが起きました。今日の使徒11:19に見ると、ステパノの迫害によってと言われています。神様の民に、本当に問題が来れば、それは大きい祝福の機会であることを信じるように願います。そのようにして立てた教会が、アンテオケ教会です。すごいのです。このようにして、世界宣教の門が開いたのです。皆さんが、この席に座ったのも、人間的に話せばアンテオケ教会のためにここに座ったのです。神様がどれくらい祝福されたのか、主の御手が彼らとともにされたので。少しも恐れないことは、皆さんが神様の子どもなのに、危機が来れば主の御手がともにされるのです。 ■ 23節に主の恵みが見えて。恵みとは何でしょうか。恵みということは、最も簡単な単語で言えば、タダ(無料)ということです。それは、何の話なのかというと、必ず死ぬべきなのに死ななかったということです。必ずほろびるしかはない状況であったのに、ほろびなかったのです。それを恵みと言います。26節に、弟子の大きい群れが集まりました。今日見たとおり、28〜30節を見ると、世界中が飢饉になったのに、そちらは経済祝福を受けました。これがアンテオケ教会です。今日、皆さんの前に問題が来た場合、はやく3つのことを見なければなりません。恐れる必要はありません。すでに、運命、呪い、すべての暗闇から抜け出してしまいました。二番目に記憶しなければならないことが何でしょうか。私が自ら今、作って悩んでいるのでしょうか。はやくだまされないで、抜け出さなければなりません。しかし、本当に問題がきたとすれば、機会です。本当に問題がきたら、祝福の土台になるのです。一度も欠かさずにそうです。今まで、非真理が真理に勝ったことはただの一度もありませんでした。今まで神様を反対する思想が、神様に勝ったことは、ただの一度もありません。神は死んだと話した共産主義が70年後に完全に崩れました。一度も勝ったことがありません。恐れる必要がないのです。私たちが神様の子であるから、神様の恵みの中にいれば、すべての問題は全部機会に、土台に、祝福になるでしょう。 ■私がもしどん底に陥れば、どうなるでしょうか。エレミヤのようになるでしょう。勝利しました。私がもし、獅子の穴に入ればどうなるでしょうか。ダニエルのようになるでしょう。私がもし火の中で入れば、どうなるのでしょうか。シャデラク、メシャク、アベデネゴのようになるでしょう。私がもし監獄に入ればどうなるでしょうか。パウロのようになるでしょう。私がもしおかしな夫人と会えばどうなるのでしょうか。ホセアのようになるでしょう。私がおかしな男に会えばどうなるのでしょうか。神様の子どもなので、アビガエルのようになるのです。アビガエルとは誰なのか分かるでしょうか。本当におかしな男に会って、苦労して、その男が死んでダビデに嫁にきた女性です。問題になることがありません。なぜでしょうか。私たちは何を持ったかが重要なのです。確かに持っている者と持っていない者は違います。それで、学生たちが休みの時になったら、重要な本をたくさん読みましょう。頭にある人とない人は差がたくさん出ます。私たちが持っているなら、他の人から認められなくても、さびしくありません。なぜか、持っているからです。皆さんは確かに福音、神様の祝福、未来、契約、すべて持っているから揺れる必要がないということです。ペテロが何と話したのでしょうか。前はぶるぶる震えたのですが、ペテロが金銀は私にはないが、私にあることをあなたにあげようと言いました。私にあることをあなたに与える。これが普通の話になりません。私にあることをあげよう。ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい。皆さんは絶対にほろびることができないキリストを持っている人です。慰めではなく、確実な約束です。大部分、だめな人は自らだまされているのです。そこから、はやく抜け出して、契約を捕まえるように願います。持たない人は与えられません。持っていないのに、どのように与えるのでしょうか。 ■私が、この間にも説明したでしょう。私には、今、お金があります。あげることができます。(通訳者に柳先生の持っているお金を渡して)説明しようと、メッセージ中にお金を(通訳者に)あげるから、出て行ったお金が多いのです。あるからです。あげるのは、難しくありません。私がこれをあげたといって飢え死ぬでしょうか。まだあります。もう少し多くあげることもできます。ちょっと惜しいから。本来、通訳をすれば祝福も受けて、お金も儲けるのです。あるのを与えるのに難しいのでしょうか。ところで、ないことを与えようとするなら不可能なのです。だから、あるものを与えて、私が持っている神様の祝福を言うことは、全く難しくありません。皆さんの中にある神様の祝福が、どれくらい大きいと思うのでしょうか。じっとしていても、働きが起きます。これを静かに味わわなければなりません。これを共に味わうことができなければなりません。これを味わうのが教会です。それで、愛国の中の愛国が、信仰生活を正しくすれば良いのです。説教する時、光ってはいけないからはずしていますが、指輪の良いものを持っています。家内がくれたものですが、外国へ行く時だけはめています。はめていたら、水を飲む時も、指輪をはめた手でカップを持ち上げるのです。知らないからであって、私の時計、これは普通の時計ではありません。あまり良く分からないようです。タラッパンで唯一、その価値を知っているのはチョン・ウンジュ牧師だけです。見て、普通の時計ではありませんねと言います。プレゼントされたと言いました。たいしたものではないと言ったのです。私がまたチョン・ウンジュ先生に見えるように時計を自慢しました。この前に、私に、時計を取り替えましょうと言いました。私が内心、目は良いなと思いました。あるものを自慢するのは、何も苦労して泣くこともありません。私は、時計をローレックスの良いものがあったのですが、カン・ホイン牧師にあげました。カン・ホイン牧師が、ぶるぶる震えました。持って行きなさいと言いました。私があげたのには、理由があります。一度は、私のところにきて、袖をずっとおろすのです。話しながら、袖をつかんでおろすのです。何かと思って見たところ、ローレックスをはめていました。それで、恥ずかしくてずっと袖で隠すようなので、時計を一つ買ったのかと尋ねました。違います、にせ物だと言いました。伝道者がにせ物をつけていて良いのか、いっそ安いのをつけなさい。ということで、私がローレックスをあげたのです。私には、たくさんあるので、一つあげても、どうでしょうか。それで、カン・ホイン牧師がよくつけて通っています。あるのを与えるのに、何が難しいでしょうか。 ■私たちが神様の祝福を受けました。全く困難がありません。もし、私がどん底に陥ったら、エレミヤのようになるのです。もし私たちがそのようなことがないほうが良いけれど、監獄に行ったら、パウロのようになるのです。パウロは告白するのに、私に力を与えて下さる方にあって、どんなことでもできるのです。それが、神様の祝福です。今日、皆さんが必ず回復することを希望します。それで、問題がくれば笑わなければなりません。祝福が来るのだな、と思えば良いのです。この話は、私の話でなくヤコブに見れば、色々な試みに会ったら喜びなさい、神様があなたたちを欠けたところがない者にしようとされているのです。また、少し困難を受けている人がいれば、私たちが学生たちは、特にそうでなければなりません。私たちのレムナントに困難きたら、訓練だと思いましょう。ハンマーの木の柄を作るのに、おじいさんと孫が山に登ったのですが、木で良いものがあるのに、どんどん上がっていくのです。おじいさん、あの木は良くないのですか。おじいさんは、違うと言いました。また少し行く時、良い木があるのに、あれはどうかと言いました。てっぺんに上がったのですが、それほどきれいでもないのに、これが良いと言うのでした。孫が、なぜ良くないのに、それを選んだのか不思議で尋ねました。良いハンマーの柄にしようとするなら、風にも吹かれ、雨にも打たれ、暴風にも合って、そのような木でなければならないのです。下にある良い木は、見た目は良くても、何の使い道もない木だということでした。孫がわかったのです。皆さん、今日、必ず記憶するように希望します。どんな問題も、皆さんに勝てません。皆さん自らが作った錯覚の中にいるならば、はやく抜け出してしまわなければなりません。すべての問題が、皆さんに祝福になることをイエスの御名でお祈りします。一度だけ、心より隣の人を祝福しましょう。'あなたは祝福の人です。' <<契約の祈り>> 神様に感謝します。私たちに問題をくださる神様は、答えをくださるだろうと信じます。私たちの周囲に起きるいろいろな問題が、全部、祝福になるようにして下さい。私たちが勘違いしないように、だまされないようにさせて下さい。今週も、大きい答えを受ける祝福の日になると信じます。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン |