2006年7月16日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/出バビロンの主役
(イザヤ40:27〜31)


■なぜイスラエルがバビロンの捕虜になったのでしょうか。遠い理由があります。そして、近い理由があります。原因、近因と言えるでしょう。遠い理由、近い理由です。イスラエルが捕虜になったのには、さらに重要な隠れた理由があります。これは私たちの人生と同じです。私たちに問題があるのは、いつでも遠い理由があって、近い理由があって、さらに隠された理由があるのです。イスラエル民族がバビロンの捕虜になったのには、遠い理由はヒゼキヤ王の失敗でした。ヒゼキヤ王がアッシリヤ軍の18万5千と戦って勝ったことがあります。病気になって死にそうになった時、生き返ったこともあります。この二つだけでも、どれくらい大きい恵みでしょうか。国が強くて富んでいました。今のように各国の指導者が集まるようになったのです。その時、みんなが感心して尋ねたのです。その時、ヒゼキヤ王が失敗をしました。神様の恵みで私は病気がよくなったと話さなければならないのに、他のことをしました。各国の指導者を武器庫に連れて行ったのです。これがイスラエルの力だ。そして、宝石と宝物を集めたところに連れて行きました。これがイスラエルの力だ。神殿に連れて行きました。神殿に行って礼拝をささげたのではなく、神殿の物、聖なる物を見せながら、これが私たちのイスラエルの宝だと言いました。そのうちの大部分の指導者は、うらやましがったのです。歴史を見れば、遺跡物や昔の宝物をとても重要視します。皆さんが知っているように、中国の蒋介石総統が台湾に越えてくる時、船にみな積んでもって来たのです。私が直接行ってみたのですが、ファリョン渓谷を越えてトンネルを突き抜けて来たのでした。台湾の人々はよく知っているでしょう。その大きい船、何隻にも宝物を積んで行くのに、中国から銃を撃ったり火を放てば倒せました。その時、中国の指導者が防いだということです。なぜなら、あいつら殺そうとして宝物を海に沈めてしまう場合があるので、殺さないでくれと言いました。いつかは私たちが取り戻すだろう。これくらい遺物を重要視します。ところで、この愚かなヒゼキヤ王が神様の恵みを説明しなければならなかったのに、それを話したのです。
■歳月がたくさん流れて、バビロンが攻め込んできたのでした。最も早く奪ったのが神殿の物でした。このようなことが行われたのです。これが遠い理由です。近い理由は何でしょうか。その当時は、ゼデキヤ王だったのですが、この王がとても無能でした。これが近い理由です。バビロンにも誤りがあるのですが、イスラエルが無能だったから捕えられるようになったのです。それよりさらに重要な理由があります。イスラエル民族がバビロンに捕虜になって行ったということは、単純な捕虜でなく、長い間の隠された背景があるのです。これがさらに怖いのです。皆さんが信仰生活する時にも、そうです。私たちの子ども、夫、妻がなぜああするのかと言ってなげいたりもします。単純なことではありません。長い間かかってそうなったのです。それが問題です。単純に失敗したのではなく、長い間のことがあるのです。見れば、あちこちで詐欺を働く人々がいます。長い間のことがあるのです。どうしたのかというと、幼い時から育ちながら、お金をぼんぼんと使うことを学んだのですが、年をとったら、そのようにしてはいけないのです。すぐにだますのです。会社のお金もだまして、友人のお金もだまします。ある時には、教会もだまします。献金もだまします。一日でなったことではありません。長く積み重なったのです。それで、お母さんが重要だということが何かというと、子どもたちが家庭教育を受けられないで行き来することが長くなれば、これから生活するのが大変なのです。私は、お父さんやお母さん二人のうち1人は絶対に家にいなければならないと思います。これをわからなければ、とても無知な人です。家に子どもたちが帰ってきて誰もいなければ、おとなでも子どもでも、正しい情緒になります。お母さんを見てください。子どもたちが、入学試験を受ける時、その寒い中に外に出て家に帰らずに立って待っています。それがお母さんです。寒い時に、子どもたちが試験を受けるのに、寒いが外に立って待っています。そのようなものがあるのと、ないのが、とても違いが生じるのです。結果が現れて、現在、難しいこともあります。私たちのレムナントを教育させろという理由がここにあるのです。
■今、私たちの韓国では、子どもを産まないので大騒ぎをしています。これが教育の誤りです。私たちが幼い時、子どもを産まないようにずっと教育させたのです。長老は分かるでしょう。予備軍の訓練を受けに行けば、子どもを産まない手術すれば訓練を受けないようにしてもらえたりしました。ある家には、息子を産もうとずっと子どもを産むので、標語まで付けたのです。'息子、娘、区分せずに2人だけ産んで、よく育てよう。'その時、受けた長い間の教育が、今、働きを起こしているのです。怖いのです。今、タラッパンが訓練を継続しています。これが怖いのです。ある日、世界がひっくり返るのです。誰も止めることができません。皆さんが子どもたちを教育させるのも、積まれていて、ある日、問題が起きます。イスラエルが捕虜になったのは、突然になったのではありません。はっきり調べれば、ヒゼキヤ王のせいでもありません。はっきり調べれば、ゼデキヤ王の無能ゆえでもありません。正確に話せば、イスラエルの長い間の理由です。私たちが、これをよく知っていなければなりません。それでは、どのようにしなければならないのでしょうか。この時、神様が出バビロンの働きを起こされるのに、とても重要なみことばを与えられました。どれだけ重く話されたでしょうか。イザヤ、エゼキエル、エレミヤ、ダニエル、小預言書の全部が、ここに関係しているのです。その中で、イザヤ書によく現れています。今でも同じです。私たちに来ている問題をどのように解決するのでしょうか。私のこの無能さは、どのように解決するのでしょうか。私の家庭問題をどのように解決するのでしょうか。同じことです。これから私はどのように世の中で勝利して生きることができるのでしょうか。簡単に話せば、私がどのようにすれば良いのでしょうか。これではないですか。解決策があるのでしょうか。あるので、神様がおっしゃられたのです。これが重要です。私は、イザヤ書を見ながら、五つのことを悟りました。もちろん、人それぞれによって、もっとあるかもしれません。私が見たら、五つくらいの重要な答えが出てきたのです。
■最初のことです。イザヤが祈る中に、霊的な目が開かれました。イザヤが深く祈る中に、皆さんが知っているように、天使が現れて六つの翼で目と足があり飛んでいる場面が出てきます。その時、イザヤがなげきながら話しました。なぜイスラエルがこのように滅ぼされたのでしょうかと尋ねました。そこで、神様がびっくりするような返事をされました。さらに滅びるだろう。それでは、どうなるのでしょうか。三分の一が滅びたが、残りも滅びると言われました。それでは、事実は大変なことになったではないでしょうか。その時、神様がおっしゃられました。切り株は残るようになる。この目が開かれたのです。それで、私たちがレムナントという単語をつかんだのです。みな滅ぼされてなくなっても、切り株はなくならない。正確に話をすれば、子どもたちだけがレムナントではありません。生き残る信仰を持った者がレムナントです。私たちの教会の勧士が言うのに、私たちは老いたレムナントだと言うのですが、勧士がレムナントです。信仰をもって契約を持った者は絶対に死にません。彼らがレムナントです。その切り株から新芽が出るから、私達が子どもを見てレムナントという単語を使ったのです。もし切り株の木に新芽が出ないならば、何の意味もないではないでしょうか。新芽の子どもの家ということで、レムナントの子どもの家と言うのです。しかし、この話を根本的に問い詰めるなら、根を言うのです。木こりがきていくら切り倒しても、根を抜いて行くことはできません。バビロンがきて燃やしてしまったのです。しかし、切り株は切れなかったのです。これが怖いメッセージです。切り株は残っている。そこから新しく始まるということです。信仰を最後まで持った者は生き残ります。このメッセージをいつ与えられたのでしょうか。イザヤが霊的な目が開かれた時です。それなら、私と皆さんも霊的な力を得て霊的な目を開く時、解決され始めるのです。皆さんがどこへ行っても、7つの祝福を受けたことを記憶して祈れば働きが起きます。一般の人々は知りません。不思議に科学者もこれはよく知らないのです。とても優れた学者もこれはよく知りません。医者たちも、この部分をよく知らないのです。信じる者が行く所に聖霊が働くという事実をよく知らないのです。皆さんが祈る所に天の軍隊が動員されるという事実をよく知らないのです。今日、そのようなことがイザヤに起きたのです。イザヤ6章を読んでみれば、天使が翼で飛びながら唱和する姿が出てきます。信じる者が祈る瞬間ごとに、暗闇の勢力が砕かれる事実を未信者はよく知らないのです。この目から開かれなければなりません。それでは、皆さんはうろたえていずに、捕まえていれば答えられ始めます。私たちが事業、健康に問題がくれば、うろたえます。とても、うまくいかない時、気をおとすのです。私もそのような経験をしました。とてもだめだから、思わず変に押さえられるのです。ある時は、私たちが病気になったり、刑務所に行ったり、このようになれば混乱します。この時、整えなければならない精神がこれです。霊的な目を開けて、霊的な力を回復しなければならないのです。これがまず最初です。この時、悟ったことが何なのかというと、木をみな切っても、切り株は残るのです。これは怖い言葉です。バビロンにみな負けても、切り株は残るのです。皆さんにどんなことが起きても、信仰の根は揺れないということです。この目が開かれたのです。
■そして、二番目の目が開き始めたのです。イザヤ7:14処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名づける。何でしょうか。福音に根をおろし始めることです。皆さんの問題解決の最も重要なことが何でしょうか。福音に根をおろすことです。なぜタラッパンは継続して福音を強調するのでしょうか。パリサイ人のようにならないために。中世教会のようにならないために。なぜタラッパンと柳光洙牧師はずっと福音を強調するのでしょうか。現代教会のように、教会は通うのですが、伝道もできなくて、福音に無力な者ならないために。さらに重要なこと。皆さんの家系と個人にある霊的問題を解決するために。さらに重要なこと。皆さんの未来のために。皆さんの家系にあると、そのとおりに死にます。福音に根を下ろさなければ大変なことになるのです。それで聖書は福音をずっと強調したのです。時々、何か夢を見るでしょうか。礼拝をささげる夢を見たりもします。しかし、おもに夢を見る時、十回中にしばしば出てくるのは、幼い時皆さんが通った道、こういうものが出てくるでしょう。これはどういうことでしょうか。私たちが過去から抜け出すことができないということになります。霊的に全く同じです。方法が一つしかないのです。福音に根をおろすことです。この時、神様がおっしゃられました。なぜイスラエルがこのようになったのか。福音に根をおろせなかったということです。その時、あなたたちは今から力をつけなさい、このように言わなければならないのに、処女がみごもって、男の子を産むという、とんでもないことを言われました。しかし、本当に悟れば、これが答えです。その名をインマヌエルと名づける。これを回復しなければならないのです。その次に何をすべきでしょうか。勝利の道があるのです。
■みことばに根をおろし始めることです。今日、読んだ本文です。イザヤ40章、全部みな読まなければならないのですが、今日は、後半部を読みました。前半に何となっているでしょうか。神様がこのようにおっしゃられたのです。イスラエルよ。高い山のてっぺんに上がって話しなさい。何をでしょうか。草は枯れ、花はしぼむ、しかし、主のみことばは永遠に立つと話しなさい。それを叫んで話しなさい。もう一つ話しなさい。人間が作った偶像は神様ではないと話しなさい。それで、彼らにみことばを伝えなさい。それと共に、なさった話です。イスラエルよ、ヤコブよ、あなたは知らなかったのか。聞くことができなかったのか。今まで、みことばを受けた国は治めるようになりました。聞くことができなかったのか。本当に信じる者は勝利しました。知らなかったのか。今まで世界を動かした英雄は、神様の子どもです。聞くことができなかったのか。ヒットラー、ナポレオンのような英雄もいますが、神様を信じない人々です。世の中を乱れさせました。私たちが使う電気のエジソン、アインシュタイン、こういう人々はみな神様の人でした。あなたは知らなかったのか、聞くことができなかったのか。全能なる主。地の果てまで創造した方、疲れることもない方、力に限界がないお方。少年も倒れて、若い男も倒れるが、主を待ち望む者は新しい力を得る。このようにみことばに根をおろすようにしなさい。皆さんが今からでも、そのようにすれば勝利します。
■これで終わるのではありません。2つのことをさらに命令されました。イスラエル民族は戻ったら、神殿を作りなさい。イザヤ60:9にも、わたしの家を栄華を極めるようにする。いったいそれがなぜそうなのでしょうか。神様がイスラエル民族に苦しみから抜け出すだけでいることを希望されないのです。神様は、イスラエルの民の考えを高めてくださっているのです。霊的問題に陥らずに出てこいという程度ではなく、今は世界を生かす神殿を建築しなさい。霊的問題、過去から抜け出さなければならないのですが、さらに新しいことを捕まえなければなりません。大部分の人々が過去からも抜け出せないでいます。過去から抜け出したら、もう新しいものを捕まえなければなりません。一段階、イスラエル民族を高めてくださるのです。ここでみわざが始まるのです。神殿を建築しなさい。これが四番目のメッセージです。私はこれを見ながら、そうだと思いました。私たちが暗闇の中で陥っている以上はできません。何の話なのでしょうか。幼い時、ナポレオンが学校で弁当でパンを包んでくるのに、見たら真っ黒なパンを包んできていました。先生が尋ねたのです。そのパンはとても貧しい人々が食べるのだ。としかし、あなたの家は貧しい家ではないのに、なぜ黒パンを食べるのかと尋ねたのです。他の子どもたちは食べないパンを、貧しい人々食べるパンをナポレオンが食べていたのです。先生が気になるではないでしょうか。しかし、ナポレオンの返事が驚くことでした。自分はわざわざ食べているということでした。どうしてなのか、味もまずくて栄養もないものをなぜ食べるのか。その当時貧しい人だけが黒パンを食べたのではなく、軍人も黒パンを食べていたということです。ナポレオンがいう言葉が、私は立派な軍人になるために、今から黒パンを食べると言ったのです。その話を聞いて先生が記憶していたのですが、本当に英雄になったのです。イスラエル民族が奴隷になっただけでなく、捕虜になった根性でいずに、神殿を作って世界生かす準備をすべきだという言葉です。皆さんがいつも疑い、不信仰、過去にだけいれば、いつもそのままです。ちょっともらって食べることはできるのですが、いつもそのままです。まず就職して食べることはできるでしょうが、変わりません。夫によく会って、よく食べられるでしょうが、実際にはそのままです。それで、奴隷、捕虜になった状態でいずに、イスラエル神殿を建築しなさい。神様がイザヤ60章を見れば、全世界から集められると言われました。これで終わるのではありません。
■もう一つ、最後の命令をされました。イザヤ60:62を見ましょう。レムナントを集めなさい。レムナントを生かしなさい。レムナント運動、切り株ではなくて、全世界のレムナントを生かしなさい。この言葉が、何の話なのでしょうか。今は、イスラエル民族の考えを広げなさい。人生の幅を広げなさい。皆さん、自分が軟弱だといって自分の信仰を軟弱にせずに、人生の幅を広げましょう。なぜでしょうか。あなたたちは、奴隷ではないということです。イスラエル民族は捕虜になる民ではありません。皆さんは、もうこれ以上、悪魔のしもべではないのです。皆さんは、悪魔に捕虜になった者ではありません。皆さんは、祈れば答えられる神様の子どもです。それなら、考えを高めて、考えを広げましょう。ライトという兄弟が、鳥が飛んで行くのを見て飛行機を考えつきました。それで結局、飛行機が飛ぶようになったのです。皆さんが知っているように、スティーブンソンという人は、ご飯を沸けば釜の蓋が持ち上がります。その動きのパワーを見ながら、蒸気機関車を考えついたのです。少しじっと見つめて見たのですが、多くのことが出てきたのです。正確に話せば、蒸気機関車は家政婦が作り出さなければなりません。なぜなら、家政婦がその動きを一番たくさん見ていたからです。しかし、スティーブンソンが作り出しました。だから、私たちが考えを高めて広げることが、どれくらい重要かわかりません。
■神様はおっしゃいます。私たちが軟弱ですが、どのようにするのでしょうか。この考えを、どのように変えるかが重要です。私は何もできないというのです。そうでなければ、反対に高慢で、私は何でもできる、この二つが問題です。私はできない。私はできる。これが問題なのです。どのようにできるのでしょうか。無知なのに、どのようにできるのかということです。聖書に何とおっしゃられたのでしょうか。聖書は、そのような意味ではありません。聖書は私たちができる、できないという言葉ではありません。何とおっしゃるのでしょうか。わたしが新しい事を行う。神様が、わたしが新しい事を行う。以前の事を思い出すな。傷の中に陥るな。霊的問題に陥るな。わたしが新しい事を行う。神様がおっしゃるのに、砂漠に水を流すようにする。神様がすると言われたのです。しかも、何とおっしゃったのでしょうか。イザヤ60章に、わたし主が時になれば成し遂げる。それで、あなたがたが小さい者だといっても千を成し遂げるだろう。あなたがたが弱い者でも、強国を成し遂げるだろう。それは、わたし主がする。これが正確な答えです。今日から私はできる、できない、こう言うのではありません。どこに行っても、いいかげんにできると騒ぐのは高慢です。また、できないと話すのは気をおとしているのです。それは不信仰です。不信仰と高慢は、レベルが同じようなものです。なぜなら、根が神様に置いたのではなく、自分に置いたことだから、同じようなものです。神様がすると言われたのです。神様を信じない人は知らない言葉です。神様を信じる人は分かる言葉です。神様がなさいます。神様がどこにいるのかと話す、その人の命も神様が治めておられます。神様がいないと話す共産主義も、神様が倒されました。これが答えです。神様がエゼキエルに尋ねられました。エゼキエル、この乾いた骨は生きるのか。その時、何と言ったでしょうか。主よ、主がなさいます。これが答えです。だから、どれくらい重要なのでしょうか。
■結論を結びます。皆さんの中で、とても困難を受けている人はいないでしょうか。そうでなければ、混乱に陥っている人はいないでしょうか。とても困難にあえば、混乱に陥ったりもします。私はどの道に行くべきか分からないという人もいます。そして、問題が押し寄せて、この問題をどのように解かなければならないのか分からないという人もいます。最初です。最悪の状態、最も低いところから始めましょう。そうすれば良いのです。少しも見せかけだけでしてはいけません。最も低いところから、最も高い場に走って行きましょう。私が見るのにお、おじさん、おばさんたちが塾に英語を習いに通うというのですが、それでできる人は1人もいません。英語塾に申し訳ないのですが、しないよりはましです。本当にしようとするなら、幼稚園のことからしましょう。幼稚園の子どもたちが持って遊ぶものがあります。それもしなくて、跳び越えて行こうとしてはいけないのです。ママ、パパという単語を知らないのに、おじいさんを説明しようとすればできるでしょうか。英語ができない人は、幼稚園の勉強をしましょう。それはすぐ習えます。なぜなら、最も近い幼稚な言葉から習からです。私の孫娘がこう言います。もう韓国語ができるので、あれ、おかしいね。叔母さんがおじいさんにパパと言うよ。おかしいね。もう悟ったのです。叔母が、なぜおじいさんにパパと言うのかな。自分にとっては不思議に思ったのです。なぜなら、この人とあの人を別々に知っているのが、つながるので不思議なのです。その子の兄さんが、それも知らないのか、僕は知っていると言いました。この子は少し分析できているのです。小さい子は、幼い時から、低いことから習います。
■エステルが通訳を単にしているのではありません。ある日、韓国語を勉強したからしているのではないのです。幼い時から英語と韓国語を一緒に話していました。おばあさんが教えたのです。おばあさんが韓国語をずっと教えたのです。だから、韓国語はほとんど完ぺきに習ってきました。韓国語と英語が完ぺきでこそ、通訳ができるのです。人生も同じです。皆さんが最悪の状態に行ったと思って、底辺から始めるのです。底辺にいなさいということではありません。底辺から最高の座に上がりましょう。いつもこういう姿勢でなければなりません。仕事も少しいい加減にすれば、結局、問題がきます。いつも下から新しくしましょう。清掃をしても、いい加減にしてしまえば、してもしなくても同じです。しないほうがましです。私たちは気をおとすことがありません。死がきたら、死ぬ思えば良いのです。私が滅びたら、どうするのでしょうか。それでは、滅びれば良いのです。悩んではなりません。それなら死ぬのでしょうか。違います。絶対にそうではありません。未信者も生かす神様が、皆さんをそのまま置いておかれません。ずっと私たちがいい加減にしようとするとそうなるのです。それではずっと違います。イスラエル民族に、捕虜になったその状態から新しく始めなさいとおっしゃったのです。いつもそのようにすれば、皆さんはいつでも勝利します。いつも低い所でじっとしているのではありません。一番低いところから、一番高いところに向かって走るのです。もう一つ何でしょうか。皆さんでとても気落ちした人はいないでしょうか。みことばをしっかりと捕まえましょう。主を待ち望む者は新しい力を得る。このような時、聖書は何とおっしゃられるのでしょうか。これをしっかりとつかみましょう。このような時、信仰の人はどのようにしたのでしょうか。このように捕まえるのです。
■そして、さらに重要なことが三番目です。次に備えられたものがあります。ある人が、こういう話をしました。幸福は不幸という仮面をかぶって現れる。それなのに、皆さんは、その後の祝福を知らずに揺れて気をおとすのです。神様はイスラエルを通して、ものすごい神様の祝福を備えられたのです。私は今週も、神様がどれだけみことばを成就しておられるかということを確認しました。米国の産業人大会に行ってきました。昔には、何十人ずつ集まっていたのですが、今回は何百人が集まっていました。それは、米国全域にもみことば運動が起きているということです。米国から戻って、レムナントがしているミュージカルを見てきました。ある程度、考えていたのですが、これほどだとは思っていませんでした。私たちのレムナントが、そのような実力を持っているということが驚くほどです。予想はしていました。私たちの教会で指揮をして米国に行ったイ・テウォン執事がこういう話をしました。イ・テウォン執事の場合は、蔚山で指揮をしていたのですが、オーケストラの指揮は、誰もがすることではありません。私が行ったら、こういう話をしました。どれだけ曲がよく作られているかというと、適当な人が曲の音を出せないほどよく作られていると言いました。自分がきてみて、専門にしている人々を呼んで一緒に3日間、練習したということです。イ執事の話では、正しく音を出した人々が集まったら、その時にやっと音になるということでした。それだけよく作られたということです。そして、未信者と一緒に組んで仕事をして、未信者が感動を受けたのでした。ところで、そちらに来た他の未信者が見て、最高の感動受けるのが何かというと、このレムナントたちが、ものすごく難しくて疲れているのに、恵みを受けて全く揺れないということです。私は心の底からこう思いました。世の中に出て行っても、あのようにすれば良い。どんな問題が来ても大丈夫だ。イスラエル民族を捕虜から救い出される神様によって。今日、皆さんがこの契約を捕まえて、本当に祈りの答えを受けることを希望します。整理します。
■最初に、霊的な目を開いて、霊的なことを回復しましょう。福音に根をおろしましょう。福音を正しく捕まえましょう。そして、みことばを捕まえましょう。このまま座り込んでいずに、これからは、神殿とレムナント運動で立ち上がりましょう。立ち上がれば、神様が満たされます。詩81篇にも、そう言われています。あなたの口を広く開けよ。わたしが満たそう。私たちが口を広く開いてこそ、神様が満たされるとおっしゃられました。こういう話があります。昔、有名な野球選手にある人が尋ねたということです。どうして、あなたはそのようにホームランをたくさん飛ばしたのか。簡単に話しました。打てば良い。そのとおりです。打たなければ、ホームランが出ません。いくらうまく打つ人も、打たないでは出ません。まして、皆さんは神様の子どもです。私たちの教会とタラッパン運動が何かわからないでしょうか。今日、この力、祝福を回復する貴重な日になることをイエスの御名でお祈りします。昔の事を思い出すな。わたしが新しい事を行う。この祝福を堅く捕まえる貴重な日になることをイエスの御名によってお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、新しい日になるようにさせて下さい。霊的に困難を受ける者たちが、力を得る日になるようにして下さい。揺れずに、世の中で生きる間に、契約を正しく捕まえる貴重な日になるようにして下さい。特に私たちのレムナントを祝福して下さい。肉体的に生きる世の中の人々を見て揺れないようにさせて下さい。命と滅びが何かを知らずに走っていく人々を見ながら、さまよわないようにさせて下さい。私たちのレムナントに堂々とした信仰を与えて、勝利するようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

<レムナント教師献身礼拝>
2部/私に似た学生たち(Iコリント4:1〜2)

■ある時、外国から荷物を持って韓国に入ってきた時のことです。タクシー運転手が名刺を一枚くれました。上を見たら、お手伝いをさえてくださるなら最善を尽くすという内容が入っていました。その後には、聖書箇所が書かれていました。私たちがすでに荷物を持って来ていたので、他のタクシー運転手は出てくることもなかったのに、この人は自分が出てきて荷物を積みました。ホテルに到着したら、自分が荷物をみな下ろしました。その人を見ながら、とても気持ちが良かったのです。普通、タクシー運転手は怒って顔を見ることも面倒な時があります。それを見ながら、同じ運転手でも祝福を受ける人は違うということが分かりました。
■今日、教師献身礼拝なのですが、教師の方たちが何をしなければならないのかという以前に、いくつかのことを記憶しなければなりません。教師だけでなく、すべての聖徒が記憶しなければならない最初です。私を成功させなければなりません。それが何のことでしょうか? 教師をするのに、教師をせずに、私が最も祝福を受けて、私が恵みを受ける、私を成功を受ける場にしなければなりません。駐車場の担当委員がいます。単に駐車を案内する人になってはいけません。私がここで一番祝福を受けて伝える人にならなければならないのです。何でもそうです。ここで聖歌隊を単にしてはいけません。それは、誰もがすることができます。私がこの場を最も大きい祝福を味わう場にしなければならないのです。私はまだ理解できません。専門家ではないためか、私に聖歌隊をしなさいと言われたら、私はこのようにします。教会の中で、とても賢い子どもたちを集めて長期的に楽器を教えます。お金を受け取ることは別にして、受けないことと別にします。何年後かには、礼拝の助けになるメンバーが形成されるでしょう。そして、私が恵みを受けたメッセージを簡単に説明すれば、メンバーがとても恵みを受けるでしょう。そうなると、最高の祝福の場になるでしょう。神様が願われるのはそれです。それで、皆さんは、聖書を詳しく見てください。ダビデが羊飼いをしながら、最高の祝福を受けました。レムナントと私たちのクリスチャンがのがしてはならないのです。羊を飼っているのに、単に飼うこともできます。ところで、そこで最高の祝福を受けました。ところで、これを子どもたち教えている先生が知らなければ、大変なことになるのです。他の人は、そのまま過ぎ去れば良いのですが、子どもたちを教えている人だけは責任が従います。人々はありふれたこととして考えます。最も祝福された場です。
■私たちが建物をよく作る人を見て建築家と言います。しかし、建築をするのに、しばしばおかしなことをする人には、土方の人だと言います。それはその人の行為にかかっているのです。私が会ってみた建築する人、十人中九人は土方でした。しながら必ずごまかすのです。鉄筋がなぜ入ってこそ良いのかも知らないのです。必ずごまかして、いつでもお金をやり取りすることでけんかになります。一人で仕事をしないために、他の人を呼んで一緒にするのに、その一緒に仕事をする人々にお金をよく上げないのです。そして、必ず最後には心配をかけます。それで内心、土方だと思っています。ところでソウルにある教会で建物を作ったのですが、三星で作ったということです。ところで、初めて契約のとおり作って仕損じて、誤って作ったことを知って、社長が直接、訪ねてきて謝って金を受け取らないで、建物をまた建ててくれたということです。私たちはそのような人々を見て建築家と言うのです。それで皆さんがこういう部分でとても重要です。私たちが影響を与えるのと、でしゃばることは違います。どこかへ行ってでしゃばると非難されます。ところで、静かにいながら影響を与える人と、でしゃばる人は違うのです。謙虚な人と無知な人は違うのと同じです。
■それで、私たちの教師たちは必ず記憶しましょう。私たちのレムナントを教える教師たちは記憶しなければなりません。私が教会学校を引き受けたと考えれば、大きい錯覚です。私を最も成功させて、最も恵みを受ける現場です。私も副教役者をしてみました。神様が恵みを与えられました。副教役者をしながら考えたのです。人間的に'私がここで成功できなければ成功できない。私がここで神様の働きを知らなければ、次にも知らないのだ。'そのように考えました。世の中の言葉で,'私がここで成功させられなければ、その次はできない。どんな困難も私と関係ない。私はここで成功してこそ、次を生きることができる。'そのとおりです。だから教師がなぜそのようにすべきなのでしょうか? 他の人はそのまま過ぎ去っても、教師は子どもたちに影響を及ぼします。子どもたちは、必ず私に似るためです。もし私に似ないならば、とても影響がない教師です。子どもたちが私に似るべきなのに、似ないという言葉は、私は教師をしなくても良いという言葉です。確かに似るようになっています。これがなぜ重要かというと、一生を左右する運命的な開始になるからです。
■前にも話しました。私達の子どもたちが教会学校をするのに、教師がいつも変わったのです。これは子どもたちにとても悪いことを教えるのです。それで、子どもたちがいつのまにか、誤って習うのです。それより悪い罪はありません。私が見る時、こういう気がしました。'本当に私たちの息子はだめだ。親もいつも歩き回っているのに、教会の先生もそうで'一生に重要な運命的開始になるのです。それが永遠に続きます。これを知って、私たちの教師が'私が最も祝福の現場から始まる、私が最も祝福の現場にいる。'と思わなければなりません。ダビデは王になる前に、その祝福を牧場で受けました。それで、こういう祝福が私たちのレムナントに伝えられることを望みます。それでは、今日の本文にある通り、どんな影響を与えるべきなのでしょうか? これが重要です。神様はどんな影響を与えるように希望されるのでしょうか? 私たちの教師たちは、この契約を捕まえるだけでも良いでしょう。やさしい話で、皆さんの子どもが、友人や先生に会ったとします。ところで、この先生が変なのです。それでは、どんな結果が出てくるでしょうか? それでは明らかな結果が出てきます。皆さんの子どもは貴重ではないでしょうか? 子どもは、一人、二人ずつ生まれて育てるのに尊いのです。こういう子どもたちが教師に会ったのです。ところで、この教師がとてもあきれる人でした。どうなるのでしょうか? 不安です。それでは、皆さんの子どもが外に出て行きました。ある方に会ったが、とても実力あって、うつわに整っていて、完全福音の人だとします。どうなるでしょうか? 簡単な話です。しかし、とても重要な話なのです。だから、レムナントを教える先生ほど重要な人はいません。
■さらに重要なのは何でしょうか。今日の本文にあった通り三つをそろえましょう。最初です。'人私たちを、キリストのしもべ' この話は、英雄も持てないキリストの奥義を教えるという言葉です。子どもたちが教会にいたあとで卒業すれば、キリストが誰なのかを分かるようにさせる唯一な方々が皆さんです。この福音であるキリストを理解して信じて味わうようにさせるということは、とても重要なのです。それで、今日、教師がこの契約を捕まえなければなりません。ほとんどみなが教会に出てきてみたのですが、キリストを聞けないように見えました。
■前に話したでしょう。12年間も朴正煕大統領は、教会に通いました。だから、牧師、伝道師、教師たちが悪い人々なのです。未来に大統領になるほど、勇気のある果敢な人に、キリストを説明しなかったのです。どれくらい悪い人々でしょうか。それより悪いことはありません。それで、皆さんはキリストのしもべだということです。それを教えるのです。それを教えるために、人格もそろえて準備もするのです。分かってみれば、皆さんほど重要な人はいません。キリストといえば、すでに知っているでしょう? しかし、皆さんがどんな色で持っているのかがとても重要です。特別に神秘主義をする人を教師にしないということが、それで言うことです。子どもをそのようにしてしまいます。
■皆さんが過去に特別に経験したことを教えてはいけません。子どもたちは、正常に教えなければならないのです。いろいろなことがあって、恵みを受けてこういう人になったという内容は、正しいかも知れませんが、子どもたちには、それほど重要なことではありません。可能ならば、レムナントは正常に育って、福音を分かるようにさせなければなりません。それで、キリストを分かるようにしなければならないのです。韓国では、長老も大統領をしました。その方たちが、どのようにしなければならないのでしょうか。政治もしてみなするでしょう。そのうちで重要な人々を呼び集めておいて話すべきなのです。'あなたが長官になって私が大統領になったのは、キリストのためだ。'こういう奥義が告白されるべきでした。だから、こういう人物を作る人が教師なのです。
■二番目は、神の奥義の管理者だと考えなさい。この言葉は、普通の話ではありません。奥義とは何でしょうか? 皆さんは今晩に食事するでしょう? それは奥義ではありません。公衆電話はいくらかかるのでしょうか? 知っている、知らなかった、それは奥義ではありません。奥義とは何でしょうか? 他の人は知らないのに、約束した人々だけで分かることです。それを持っていなければならないのです。キリストのしもべで、神様の奥義の管理者だと考えなさい。どんな奥義でしょうか? 聖書に記録された、神様と通じる契約的な祝福が伝えられなければならないのです。聖書にとても重要な内容、三つの解放が何かを教えてあげなければなりません。聖書でとても重要なレムナント、あなたたちがレムナントだという事実を教えてあげなければなりません。これを持っていなければならないのです。
■三番目に、管理者には、忠実であることが要求されます。忠実という言葉は、信仰、事実という言葉も含まれています。この目だけ開ければ良いのです。私が学校に通っている時でした。小学校5年の時だったと思います。その担任の先生が、話をしばしば問い詰めるのです。その影響を私が受けました。小学校の時はみな教えます。しかし、この人は国語専攻なのか、単語を持って、このようにあのように説明したのです。それが私に影響を与えたのです。それで単語を細かく調べるようになりました。だから、先生が誰なのかが、どれくらい重要でしょうか。その先生が今でも思い出せます。私たち幼い時、歌を見れば、'友だちよ。出てきなさい、月を取りに行こう。竿を持って、塔を持って山に行こう。山に上がって「ムトン」に乗って、竿で月を取って塔に入れよう'と歌う歌で、'「ムトン」に乗って'とは何かと尋ねたのです。そこで、分かる子どもが誰もいませんでした。しかし、その先生が笑わせることには、自分も知らないと言いました。それがまだ私が覚えています。後ほど、おとなになって分かりました。ムトンに乗るという言葉は、肩車に乗るということです。月が高いから、肩車をしてもらって竿で取るという言葉です。このように、先生がいろいろ問い詰めることを習ったのです。それで、先生が教会で皆さんが少しだけ細かく教えれば、大きい人物が出てきます。テキストをどのようにすべきかと、線を引いて覚えて行かずに、子どもたちと本当に対話することを準備して行きましょう。しかし、今、大部分の教師たちが、どれだけ愚かなことを言うかというと、テキストはどのように活用するのかと尋ねるのです。そのようになってはいけません。テキストは消化して、子どもたちとそこに合う対話をすべきなのです。
■私は一度、副教役者の時、幼稚部を引き受けました。どのように幼稚部をするのでしょうか? ある教役者は踊って遊ぶのを上手にするのに、私はできませんでした。2〜3年、引き受けていました。それで、静かに考えてみたのです。子どもたちにどのように説明するか? 聖書の本を読むのが問題でなく、聖書は私の心に入ってきて伝えられなければならないのに、テキストを持って子どもたちをどのように教えるのか。それでずっと研究したのです。それで、一度は、ポケットからリンゴを取り出して見せました。だから、幼稚部の子どもたちが騒いでみな見たのです。 それで'このリンゴは、どこかの工場で作ったか?'と尋ねました。だから、子ども達が同じように頭を横に振りました。工場で作ったのではないということです。それで、木に自然にできるのですが、神様がお作りになったのです。それで、りんごを半分に分けて種を取り出しました。見せながらリンゴを分けて、種を見せたので、どれくらい具体的な説明でしょうか? ところで、ある種は地に落ちて、人々が踏んだり車が過ぎ去ってしまってなくなる。また、ある種は鳥がきて取って行ってしまった。ある種はイバラの道に落ちてトゲに突かれて死んだ。ある種はとても根が浅くて死んだ。また、ある種は良い地に落ちて木になって実が出た。それで出てきたリンゴです。そのように、神様のみことばも全く同じだ。ひとまず、子どもたちは、最初に捕まえられれば話を聞くから、簡単にメッセージが入るようになるのです。
■一度は、幼稚部の夏聖書学校を3日間どのようにするか? と家に帰って、どうも何でもメッセージとなります。うちの子を見ました。息子にご飯を食べろと言うと、ご飯を食べませんでした。なぜ食べないのか、というと、おもしろい番組があるということでした。それでは、テレビを消せと言いました。そうしたら、それを見ようとご飯を1分で食べようとしたのです。そのように食べれば健康に良くないから、見ながら食べなさいと言いました。だから目をテレビに釘付けにして見ていました。それが私にはヒントになりました。子どもたちは、テレビが好きで、子どもが出てくる番組が好きなんだな。夏聖書学校はこのようにすれば良い。それでテレビボックスを作り出したのです。それで、その中で説教しました。だから、子どもたちがどれくらい喜ぶかわかりません。それで、子どもたちを呼び出して、その中で歌を歌えと言ったら、子どもたちがテレビの中で歌も歌いました。だから、少しだけ考えても、子どもたちによく伝達することができるのです。皆さんが銘記しなければなりません。
■今、教師をするということは、どのように福音を宣べ伝えるのかが重要なのです。3つのことが伝えられなければなりません。本当に皆さんのために福音キャラクター、これが祈りだということが分かる祈りキャラクター、そして、とても重要な成功キャラクターが伝えられなければなりません。成功した人には、特徴があります。成功キャラクターを持っています。それが、幼い時から植えられるのです。失敗する人は、必ず失敗キャラクターを持っています。こういう祝福が、社会でも教えられない、それが伝えられるのです。'キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。管理者には、忠実であることが要求されます。'この忠実は、無条件な忠実ではありません。事実を含んだ事実です。それで教会で小さくしてもかまわないのです。皆さんがテキストを教える時、福音と祈りについて教える時、少しだけ子どもたちに問い詰めてやっても、子どもたちは開かれます。それで、無条件に教えるのではなく、これが何かと質問だけ始めてもかまいません。そして、自然を利用しても、いくらでもメッセージできます。
■それで、私が子どもたちを引き受けた時は、土曜日になれば、明日この子どもたちに何を持って行って、何から話すのかをいつも研究しました。なぜでしょうか。みことばが伝えられなければならないためです。それで、子どもたちにみことばさえ入れば生かされます。福音さえ入れば、確かに世界を動かします。問題は入らないことです。入るようにだけすれば良いのです。結論を結びます。胸の中に置かなければなりません。ここに座った子どもたちは、未来に大統領も、事業家も、教師もいる。それを胸の中に置いて教えなければなりません。まちがいなく、未来に重要な方々がここに座っている。それで、銘記しなければならないのです。もしも、それは「必ず」とも言えるでしょうが、この子どもたちに福音でない他のものが先に入ってしまえば、それを抜き取って変えるのに、ものすごい問題が起きます。皆さんが教える子どもたちの中に福音が先に入ってしまえば、この子どもたちは、確かに成功します。必ず記憶しなければなりません。それで、幼い時に何が入るのかがどれくらい重要かわかりません。
■私は幼い時から教会に通ったのですが、不幸にも福音を聞けませんでした。真に残念なことです。数多くの伝道師に会ったのですが、私に福音を説明する人がいませんでした。どれくらい、でたらめにしたのか、教師で私の心の中に残る教師がありません。そのうちに記憶に残る伝道師2人がいます。1人は名前は思い出せないのですが、ニックネームがお話の袋です。出てきて話をどれくらい上手にするのか、私たちは話を聞こうとありったけの力を込めました。話だけ上手にしても子どもたちは耳を傾けます。それでも、福音は残りませんでした。そして、一番記憶に残る伝道師は、牧師になって年をとって昨年亡くなったということです。少し感激はありました。私が集会に行ったら、その方が訪ねてきました。幼い時、私を教えた伝道師だったのですが、牧師になったので、どれくらい感激になるでしょうか。ところで、その方も'私の頭の中にあの方は真に歌をよく教える。'ということは残っているのに、福音は思い出せません。その方に学んだ歌が今でも思い出せます。熊3匹がいて、こういう曲を学びました。連続ドラマでソン・へギョが歌った歌詞です。しかし、こういうものだけいっぱい記憶に残っているのですが、福音は一つも記憶に残っていませんでした。これが小さい苦労ではありません。
■幸いに27才の時、私が福音を知るようになりました。この子どもたちが、今、福音が分かったということは、間違いありません。皆さんが、今の間だけでもみことばだけ植え付ければ生かされるのです。それで、皆さんが重要だというのは、言うまでもありません。幼い時、とても貧しい家で育った人がいました。ところで、誰かある先生がみことばと福音を正しく伝えてあげたのです。本人に告白でそう言ったのですが、9才の時、イエス様を受け入れて祈ったら、聖霊充満が臨んだとなっています。9才の時から福音を知って祈ったが、自分はすばらしい恵みを受けたということです。小さい子どもが。この子どもがとても背景もなかったのですが、世界を動かす人になりました。誰でしょうか。'ムーディー'です。とても家庭環境が良くなくて勉強をできなかったのです。家がとても貧しくて良い環境で育つことはできなかったのです。
■皆さんもおわかりの通り、ムーディーは、学がなかったので、本来の職業は靴磨き、靴を作る人でした。本当に幸いなことがあったのです。その教師がこの子に福音を正しく伝えたのでした。それで、福音を受けたが本人ムーディーの話では、自分は9才の時、聖霊充満を受けたとなっています。これが世界を動かしたのです。今までシカゴで始まった、米国でのムーディー運動ほど強い運動はありません。今まで米国が産んだ大統領の人物の中でムーディーくらいに影響を与えた人はいないというほどです。警察が総動員されてもだめなことを、ムーディーが説教したら、集会の現場に銃が何十丁ずつ出てきたとなっています。それを持ち歩いて事故を起こそうとしていた人々が、ムーディーの説教を聞いて感動を受けておいて行ったのです。ムーディー運動が米国だけで終わったのでなく、ヨーロッパに渡っていって世界を動かしました。誰かがレムナントに福音を正しく宣べ伝える、そのことがそのように大きい実を作り出したのです。私たちの教師たちは必ず記憶するように願います。
■本文を、もう一度見ましょう。Iコリント4章をもう一度見れば,'私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。'ここに、考えなさいという言葉がありますが、これが重要です。子どもたちがメッセージを聞くのも重要ですが、聞きながら悟るのがさらに重要です。直接、聞くのも重要ですが、感じることがさらに重要です。子どもたちが教会にきて'とても重要だ'と感じることがとても重要なのです。'教会は特別なことはないな。'このように感じたら、大きな問題がきます。それで、キリスト、神様の奥義は正確ですが、'考えなさい'と言われたのです。教師たちがこの契約を捕まえられるように願います。もう一度結論を結びます。教師たちは、明日を持っているのですが、最も重要なのは今日です。教師たちは、色々な所が必要ですが、最も必要なのは今日の現場です。ここだけでキリストを味わえば、未来も全てがやってきます。前に話しました。
■ある方が子どもたちに聖書を教えながら福音を伝えたのです。一生しました。そして、歳月が流れて、年をとってほとんど引退する時になったのです。そのような、ある日のことです。大統領から直接、手紙が来たのです。会いたいということでした。大統領が、どのように私を知っているのか。大統領の招きを受けて行きました。行ったところ、接待をしながら話をしました。幼い時、子ども4人が先生から福音を聞いて、このように祈った。今まで。ところで、そのうちの1人が大統領になったのです。それで、福音を教えた先生を招いたのです。皆さんが知っている方でしょう。米国のフーバーという大統領です。この方が福音を受けたのがとても感謝で、胸の中にいつも持っていて、成功した後に先生を呼ぶ、その内容は、私たちも同じ祝福があるということです。
■これが、私たちのレムナントを教える教師の働きです。それで、全世界にいるレムナントの教師たち。今日から新しく神様の祝福を味わう現場があるように願います。一週間の間、勝利するようにイエスの御名によってお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、この時間がまさに祝福の時間になるようにして下さい。私たちの教師に最も良いことをくださったので、毎日、新しい恵みをより増して下さい。夏に疲れないように力を与えて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン