2006年8月6日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/祈る親の役割
(Iサムエル1:9〜18)

■聖書には救いの次に祈りの祝福が約束されています。もし祈りの答えがないならば色々な問題が多いでしょう。難しいことができれば未信者のようにさまよって堕落しなければならないでしょう。幸いに、聖書には祈りの答えを最も多く約束されています。もし、私たちが祈りができないならば、人にみな話さなければなりません。しかし、人は祈りの答えを言うことができないだけでなく、問題が大きくなるだけです。皆さん中にあることを人に話したら、問題にだけなるのですが、解決しません。祈りができるということは、どれくらい重要なことか分かりません。創世記12章に、神様が初めてアブラハムに「あなたの名は祝福となる(祝福の源)」創世記22章にはイサクをささげた後で「あなたを大いに祝福する。そして敵の門を勝ち取るようになる。あなたの子孫によって国々が、すべての民が祝福されるようになる。」このように約束されました。またヤコブにも「あなたの名をヤコブとせずに、イスラエルとしなさい」そのように約束を与えられました。
■最も困難を受けたヨセフに、神様は最も良い答えを備えられました。年をとってできないと思っていたモーセに「わたしは主である。わたしがあなたとともにいる。民に話しなさい、主がおっしゃられたと言いなさい。わたしがあなたに証拠を与える。」'そのように約束されました。だから、そのまま成就したのです。ヨシュアにも同じようにおっしゃられました。「わたしがモーセと共にいたように、わたしはあなたとともにいる。」他の人はわからなくても、ヨシュアは一緒に通っていたので分かるのです。モーセにみわざが起きた時、そのそばにヨシュアがいました。それで説明する必要もなく、簡単に「モーセとともにいたように、あなたとともにいる」と言われたのでした。強くあれ。雄々しくあれ。わたしがあなたとともにいる。こういう約束で、聖書はぎっしり埋まっています。申28章を見れば、この契約をもって行けば、入っても出てきても、畑も、うつわも祝福されるようになると言われました。サムエルの祈りは一言も地に落ちなかったと言われています。祈りの答えの約束が聖書に最も多くあるのです。私は今とても困難の中にいます。神様はこのようにおっしゃられました。わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたの知らない理解を越えた大いなることをあなたに告げよう。その前には何と言われたでしょうか? エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていた時に、最高の困難の中でのことです。その時、聖書はこのように記録しています。「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」
■聖書には、すばらしい祈りの答えが約束されています。とても堪え難い状況にいたイザヤに、神様はこのようにおっしゃられました。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。驚かないで。わたしがあなたの神だ。わたしが真にあなたを助ける。わたしが真に義の手であなたをつかむ。ところで、本当にそのようなことが行われました。その程度ではありません。見張り人になりなさい。昼の間も、夜の間も祈りなさい。わたしがあなたに答えよう。聖書で救いの次に約束されたのが祈りの答えの約束です。とても多くあります。私たちには資格がありません。それで、イエス様がわたしの名で求めれば、何でも答えられるようになると言われたのです。わたしの名で祈れば、わたしが行う。わたしの名で祈れば、あなたに真の喜びができ、聖霊があなたのともにおられる。イエス様が最後にも、このように祈られました。エルサレムを離れずに、父の約束を待ちなさい。それは、祈りなさいということです。聖霊充満を受ければ力を受けるようになる。そして、地の果てまで証人になる。聖書はこのように祈りの答えに対する約束がとても多いのです。死を目の前に置かれたパウロに、神様はその日の夜に主の使いを送られて、「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。」とおっしゃられました。
■皆さんは、福音の使命を果たさなければならないので、恐れてはなりません。私たちに、ある時には色々な病気や事故がおこって、危険にあって心配になることがあります。スズメ一匹も神様の許しなしには落ちることはありません。神様は野の草も養われます。だから祈りなさい。エルサレムを離れずに父が約束されたことを待ちなさい。聖書に一番多くある約束です。ところで、ハンナはいくら祈っても答えが来なかったのです。この話は答えられない祈りもあるということです。ヤコブ4:3に結論が出ていて、肉体的に祈りを間違ったら、祈りに答えられません。例えば、神様、私にあの人間を殺させて下さい。私に力を与えて下さいということは、答えられません。強盗をして回りながら、神様、私に健康を与えて下さい。とすれば、誤った祈りではないでしょうか。しばしば歩き回りながら、手こずらせる人は、いっそ病気なのがより良いでしょう。神様、私を病気にして下さい。ということがむしろ良い祈りです。男の人も、いつも揺れながら歩き回る人は、お金を儲けられないのがはるかに幸いです。その状態でお金を儲ければ大変なことが起きます。このような形で、間違って誤った祈りをするのです。
■イエス様も祈りの答えがない祈りに対していくつかおっしゃいました。マタイ5章を見ると、そんなに祈りの答えがお好きな神様も祈りに答えられないことがあると言われています。マタイ5:24に見ると、兄弟と仲直りしてから礼拝しなさい。それは、何の話なのでしょうか。皆さん心の中に憎しみがぎっしり埋まって祈っているならば、それはうめき声であって、祈りではないのです。ある人は恨みがぎっしり埋まって祈っています。教会の中でも、お互いがけんかをしながら祈っています。福音を伝える教会はそんなことはないのですが、今、教会はたくさんけんかをしています。教会がけんかをあまりにするので、警察が止めに来る場合も多いのです。普通、牧師が集まって役員会や諸職会、老会の総会をする時を見れば怖くなるほどです。行ってみれば雰囲気ですでに戦雲が漂っています。これで礼拝をささげれば、答えられません。もう一つ話されました。マタイ6:32に、神様は皆さんに答えをすべて下さったのですが、異邦人のように祈るのです。それが答えられるでしょうか。マタイ6:31に神様がそれをご存じないでしょうか。イエス様がおっしゃいました。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから答えられない祈りもあるのです。
■もう一つおっしゃいました。マタイ7章です。自分の傷はものすごく大きいのに、他人の小さいちりで試みにあって悪口を言って祈ってみてもだめなのです。そのような人々が多いのです。自分の誤りは絶対に話しません。他人の誤りだけを話すのです。イエス様はそのような祈りには祈りの答えがないと言われました。だから、祈りの答えがないこともあるのです。ハンナがそんなに祈りをよくしたけれど、ずっと間違った祈りをしていたのです。もう私たちクリスチャンのレベルをちょっと高めなければなりません。何かをしばしばくださいと言う祈り、それほど与えたのに、また出せとのそのような祈りではないでしょうか。だから、祈りの内容が未信者が見る時にはおかしいのです。そのように与えたのに「下さい。」と言っています。そのように与えれば、もう良いのに、どれくらいさらにくれということでしょうか。私たちが受けた祝福を静かに考えてみれば、味わうことがとても多いのに、置いておいて、また出せと言うのです。祝福をものすごく与えられたのに、それは管理もせずに、いつも出せと言います。暮らしがよくない人々が、物や食べ物を買っておいたのにずっと買います。この家はお金が豊かに暮らしているのか、そうではないのかは、家で冷蔵庫だけ見ても分かります。良く暮らしていない人や、あまり学んでいない人々は表に現れます。あるのにもかかわらず、ずっと買ってきて入れておくのです。
■信仰生活もそのようにします。無条件に出せと言うのです。ハンナがいつもそのように祈っていました。神様、なぜ私は子どもがなくて、あの女には子どもがいて、このような形で毎日祈っていました。だから、答えられません。ある日、ハンナに答えがきたのです。重要な答えが与えられました。答えられる祈りがあります。簡単に話せば、神様の計画を本当に発見するようになる祈りの答えの門が開いたのです。イエス様も、新約聖書で何でも答えられるという言葉を5回されました。わたしの名で祈れば何でも答える。ただ条件4つがある。あなたがたの中にみことばがあるならば、何でも求めなさい。ヨハネ5:14に、神様のみこころついて何でも求めなさい。兄弟を愛して理解して許したとすれば、みことばをみな守ったことだから、そのようにしておいて祈ってみなさい。何でも答えられる。わたしの名で福音を持った人々が二、三人集まって祈ったら何でも答える。これは、私たちが最初に考えなければならない序論です。祈りは確かに答えられます。失望せずに祈るように願います。私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。人が研究したより、神様がくださる答えを受けてしまえば比較できません。神様が皆さんを祝福されれば、人が集めたこととは比較になりません。だから、私たちは祈りの祝福をいつも回復しなければならないのです。
■今日の課題が「祈る親の役割」ですが、どんな祈りが大きい働きを成し遂げるか、今日、私たちが二番目に考えなければならないことは、親はどんな祈りをしなければならないかということです。とても重要です。私がどんな祈りをしてこそ、家庭が生かされて、私が答えを受けるのでしょうか。私がどんな祈りをしてこそ、夫も子どもも救い出せるのでしょうか。これがどれくらい重要でしょうか。私がいったいどんな祈りをしてこそ、人を生かして、伝道することができるのでしょうか。
■祈りが確かに答えられるのが最初の条件ならば、私たちはどんな祈りをすべきなのでしょうか。とても重要です。それが今日、二番目のことになります。トレイ博士が旅行中に友人の家に行きました。家族を見ながら、牧師だから家族礼拝をささげましょうと言ったのです。みんなが集まったのですが、1人だけ来ませんでした。それで、その人が誰かと尋ねたところ、その家で仕事をする家政婦だけれど、あの人は礼拝をささげないと言うということでした。それで、しかたなく礼拝をささげました。トレイ博士が行きながら、その女の人にこういう話をしました。「私が贈り物を一つ差し上げます。今夜から1分だけ祈ってみて下さい。神様、私は誰ですか?と祈ってみて下さい。」家政婦は、それが何で贈り物なのかと簡単に考えました。ところで、静かに夜に横になって一人で考えてみたら、その牧師の言葉を思い出しました。神様、私は誰ですか?すると、何の声も聞こえないで心の底から「あなたは家政婦だ。」また、神様、私は誰ですか?と尋ねたら、おかしな答えがずっと出てきたのです。あなたは夫もなくて、子どももなくて、お金もないというような、事実だが不思議な答えが出てきたのです。その次の日の夜にもまた思い出して、その祈りをしました。後ほには、とても悲しくなったのです。それで夜通し泣いて、目がぷっくりとはれるほどでした。その家政婦の主人である友人が見たら、人が変になっていくのでした。
■帰り道にトレイ博士がまたその家に立ち寄りました。またそのおばさんに博士はこういう話をしたのです。「私が贈り物をもう一つ差し上げます。」すると家政婦は、贈り物は必要ないと言いました。良い贈り物だと言ったのです。「今夜から2分だけ祈って下さい。1分は私は誰ですか?と尋ねて、その次は神様はどなたですか?と祈って下さい」特別なことではなかったのですが、この女の人は夜に本当にひざまずいて祈り始めたのです。私は誰ですか? あなたはどなたですか? 簡単な話ですが、真実に祈って、トレイ博士の話が胸の中に入ってきたのです。どういうことなのか、その家政婦に変化が起きました。人に変化が起きれば、驚くことが行われます。不思議に神様が信じたくなったのです。それで、その日の夜に神様に祈りました。この人に変化が起きたのです。不思議に力ができるのです。そして、礼拝をささげるのに、とても良いのです。福音を聞くのでとても良いのでした。これが変化です。誰も知らない変化が自分自身に起きるのです。想像もできない力ができるのです。それで、この人が賛美も出てきて、皿洗いも清掃も力をもってするのでした。結局、この人はトレイ博士についていく伝道者になりました。元々、歌をちょっと上手にできる人だったので、賛美を学びました。そして、全世界の人々に向かって賛美をしたのです。このように人が変わったのです。
■このように、みことばを聞く時、福音を聞いて私に起きる変化があります。この時から開始です。どんなことが変化するかというと、その時から祈りの力が現れるのです。そのままきて、説教でも聞いて行かなければならないというのでは、変化が起きません。みことばを静かに聞く時、私も知らない間に、私と関係なく、何か私に変化が起きることがあります。福音がとても良い。みことばがとても良い。他の人は知らないのですが、このみことばを聞いてみたら完全に答えです。神様が生きておられるんだな。このようにならなければなりません。こういう変化が起きたのです。前はハンナがいつも恨んで、なぜ私は子どもがないのか、こういう家庭かと不平を言っていました。ある日、自分に変化が起きたのです。「神様、私は子どもは必要ありません。私が育てようとすることでもありません。ナジル人を与えて下さい。」祈りが違います。これが最も良い祈りです。祈りが何かを知っていなければなりません。みことばを聞く中に、何か知らずみことばを詳しく聞いて、神様の前に恵み受ける時、私を変化させる力が現れます。そうではなくては、どの場合も夫、子ども、隣を生かすことはできません。
■私が知っている女執事一人は、人物も良くて一流大学を出ました。大学で本当に福音を受けたのです。信じられないほどです。福音を受けたので、とてもうれしかったのです。それが少しの間の感情であることもあるのですが、本当にうれしかったのです。私が見ても信じられませんでした。その時、私が感じたことがありました。「福音を受けると、このようになるんだな。」とてもきれい人です。ところで、自分がきれいということを知らないのです。とても福音が良いということです。そして、とても勉強が良くできます。そして、一流大学を出たのです。しかし、自分が一流大学を出たという事実さえも知りません。それを忘れてしまったということではなく、関係ないということです。この福音がとても良いということです。これだから、この人の周囲の人々が生き返り始めました。人が福音を受けると、このようになるということを見ました。普通の女の人を見て下さい。いくら醜くても、自分にきれいと言われたら喜びます。皆さんは美人です。米国に行くと女の人が本当にものすごくふくよかな人がいっぱいいます。一度はエレベーターに男女が乗ったのですが、男性はハンサムだったのですが、女性はエレベーターの半分を占めていました。女の人が服を一つ買って着たのか、男がその服を見ながら'Oh〜beautiful'と言いました。聞いて、女の人はうれしくて、エレベーターを揺らして笑いました。女の人は十人中九人は道を行く時、鏡があれば見ます。見ないようでもみな見ているのです。
■ところで、この人は本当に良い人なのに、全く自分自身を知りません。夫も大学で会いました。夫が一緒に福音を受けた人です。だから、どれくらい幸せかわかりません。しかし、この夫が揺れ始めたのです。夫が歩き回って、変に家にも帰って来なくて、言い訳しながら出て行ったりしました。この大学で福音も受けて、しっかりした人なのに、そうだったのです。ところが、この女の人が全く揺れなかったのです。そのようなことはあるということです。男の人は、瞬間、そのようなことがあるということです。自分がよくしなければならなかったのに申し訳ないと言いました。どのように、こういう人がありえるでしょうか。そして、大丈夫だということでした。この夫がこの女の人を見ながら違うということを見たのです。人がいくら変に生きていても、自分に感じられることがあります。いよいよ、この夫が、神様が共にいる女性であることを見るようになったのです。私がこのように生きていてはいけないということを感じたのです。この夫も本来しっかりした人だったので、本来の信仰が回復して、どれくらい信仰生活を良くしているか、今でも長老なって多くの宣教をしています。
■祈りは方法ではありません。ある日、ハンナが変わってしまいました。私一人が生き返れば、みな生き返るのです。何も問題になることがありません。今日、ある留学に行った実力ある姉妹が、私に挨拶をしにきたが顔が思い出せませんでした。分かってみたところ、そうではなかったのです。この姉妹がとても恵みを受けて顔が変わってしまったのです。前は確かにゆがんだ印象だったのに、完全に違った人になってしまっていました。少しの間、私との対話の中でも恵みを受けた人、変化を受けた人々は、どこが違うかといえば、普通、恥ずかしくて礼を尽くしてするのに、そんなことなく自分の証しを本当にするのです。福音を持った皆さんは救われたので、みことばを聞く中に何か変化が起きます。この時からみわざが起きるのです。それで、みことばをよく聞くのです。みことば聞く時、何か知らず、ある日、働きが起きます。それで、私が本人には失礼のようだったのですが、話しました。とても顔が変わって、見ても分からないと言いました。すると、そばに立っていた金チャンヒョク牧師も、完全に変わったと言いました。それだけ人が神様の恵みを受けて変化すれば、その時から驚くべき働きが続くのです。他の人を変化させます。
■今回、レムナント集会の時、たくさん集まって、神様がずっと私たちを祝福される中で、私たちは多くの恵みを受けました。集会をみな終えて金曜日の夜に宿舎に帰ってきたのですが、私の孫がいました。もうかなり大きくなったのか、重要な質問をしました。私が灯りをつけた所に行ったら、「メッセージの準備ですか?」と尋ねました。そうだといったところ「おじいさん、そのメッセージはどのように語るのですか?」と言うので、実際に何と答えたら良いのかも分からないから、まごまごしていたら、衝撃的な質問をしました。「それは、みな嘘ではないでしょうね?」と言うのです。私も私の家内も衝撃を受けて、じっとしていました。ちょっと突かれるような気がしないわけではなかったのです。それで「何で嘘のようだと言うのか?」と尋ねたところ、幸いに「おじいさんは、メッセージをする時、おばあさんを変なふうに言ったでしょう。それはメッセージではないでしょう。」しまったと思いました。チャンスがきたというように、おばあさんはそばで「その通りでしょ。福音だけ伝えなければね〜」それで、私がしまったというより、幸いだとも思いました。その話を聞いて考えてみたら、私たちが事実は恵みを受けられないで言うことは嘘だらけです。小さい子どもがした話ですが、私たちが事実、恵みを受けられないで言うことは嘘です。私たちが恵みを受ければ、どれくらいうれしい祝福が出てくるでしょうか。ハンナが今まではいつも未信者式に祈っていたのです。いつも宗教人式に祈っていたのです。私たちはどのように祈らなければならないのでしょうか。福音を持った者のインマヌエルの祈りが私たちに始まらなければなりません。ハンナがした祈りが、いよいよこのように始まったのです。皆さんは今日からそのように祈りましょう。
■「本当に聖霊が、私とともにおられる聖霊が働いて下さい。」ある日、皆さんは変化するみわざが起きます。「私の周囲にある長く続いた暗闇の勢力をうち砕いて下さい。私が行く前に主の使いを送って、主が栄光を受けられるようにして下さい」皆さんがこの祈りをすれば、ある日、皆さんに驚くべき力ができます。そうすれば、他の人が分かります。「私たちの社長がこの頃、変わった。素晴らしい。」私たちが突然に変わることもできるのですが、このように確かに分かります。40年間、エホバの証人をした男が私を訪ねてきました。私に告白したのです。イエスがキリストであることが確実です。私は今からエホバの証人を止めてイエスを信じます。それでどのように悟ったのかと尋ねました。「本当に不思議なことに、私に心配をかけた私の妻が、イエスを信じて、あのように変わるのを見たら、私もイエスを信じなければならない。」簡単に話せば、自分の妻に変化が起きたのです。ところで、直ちに力ができたり、そんなことではないのですが、確かに何かが変わったのです。
■ハンナの祈りはまさにこの祈りが始まったのです。すると悟ったことしょう。1人が国家も生かします。ナジル人を与えて下さい。子どもが問題ではありません。今、霊力、知力をそろえた指導者ナジル人を与えて下さい。そして、何と祈ったのでしょうか。今はレムナント運動が起きるように、自分の子どもを完全に神殿にささげました。これが私たちが子どもたちを生かして、子孫を生かす祈りです。私たちに子どもがいる、いないということは問題ではありません。この答えを受けてこそ、他の人を生かせるのです。今日、皆さんにこういう祝福が全部、回復する貴重な日になるように願います。ハンナはどんな祈りをしたのでしょうか。本当にくださいという祈りではなく、神様の恵みを味わう祈りが始まったのです。それが家庭も生かして、社会も国家もみな生かしました。だから、神様が正しい祈りの課題を与えられたのです。ナジル人。その次は何でしょうか。RUTC、レムナント。このサムエルがミツパでレムナントを起こす運動をしたのです。こういう答えがき始めました。今日、皆さんは人生に驚くべき変化が始まる祝福があるように願います。このみことば聞いて、少しだけ祈れば、ある日、変化がきます。自殺しようとしていたサンダーシングが神様のみことば聞いた瞬間、自分の力ではなく、変化したのです。刑務所に20回以上も入った人が、そんなに変化しなかったのに、ある日、福音を聞いて、自分の力と関係なく、自分に変化が起きました。この福音の力はものすごいのです。アウグスティヌスは、放蕩者ではなかったでしょうか。
■ある日、福音を聞いて、みことばを聞いたのに、自分に変化が起きたのです。アウグスティヌスは、地面をたたきながら悔い改めたと言われているでしょう。ある日、やくざの金イクドゥに、神様のみことば、福音が入ったが変化が起きたのです。私たちにもそんなことが起きました。ある日、福音とみことばと祈りがとても良い時がきます。そうすれば、その1人を通してすべての人がみな生き返るのです。もちろん、私たちが感情的にすることではなく、本当に神様の前での話です。息子は必ず軍隊に送らなければなりません。軍隊に行けば、全部、変わります。孝行息子となるのです。私の息子も、軍隊に送ったら、手紙がきたのですが、お父さん、お母さんとしながら、完全に道理がわかった孝行息子になりました。それで、軍隊は良いところだな、絶対に送るべきだという気がしたのです。私が大統領ならば、女の人もみな送ると考えたりもしました。それで、とても子どもが孝行息子になっていたのですが、除隊すると、また変わりました。それでも、大丈夫です。ところで、私が話すのはそのように受けるのにもみわざが起きるのです。なぜか、一度本当に良いと恵まれると、1万年もみわざが起きます。説教を聞いて真の神様の恵みに感謝するとだけ感じても、ものすごいみわざが起きるのです。もし揺れないならば、世界も変化させて、敵も変化させるだけでなく、揺れることだけなければ、私たちすべての家系も変えられます。一度だけ恵みを受けるのに、みわざが起きるのです。最後の話を結びます。今でも祈れば答えが来るのでしょうか? 今でも祈れば、同じ答えが起きるのでしょうか。起きます。祈れば、どんなことが起きるのでしょうか?
■私は祈りを科学だと言いました。皆さんが祈れば、霊的な科学が先に起きます。一般の人々や、医者はよく知りません。祈れば、霊的に確かに事件が広まっています。皆さんが信仰で祈る瞬間、確かに聖霊が働かれます。聖霊が働かれれば、暗闇の勢力は崩れるようになっています。皆さんはこの場で祈っているのですが、主は主の使いを送って、先立って確かに仕事をしておられます。信じる時。なぜなら、信仰があるのか、ないかを神様がご存知で、サタンも分かるのです。そうすれば、確かに肉体の変化も起きます。そうすれば、健康にもなって、環境も変わって、働きが起きます。祈りは科学です。黙示8:3〜5に、今でも皆さんが祈ることを、一つものがさずに天使が送られて、お手伝いをしてくれているのです。今でも答えがきます。私は体験しました。私は見たのです。今でも福音にあって祈れば勝利します。イエス様がこのようにおっしゃられました。
■ルカ11:5〜13に重要な話をされました。友人の家にパンがあると知っていて、友人の家のドアを叩いたら、開いてくれないだろうか。確かに友人の家にパンがあるものと思って、お腹が空いているのでたたくのに、じっとしているでしょうか? イエス様の説明です。ここで重要な話は何でしょうか。確かに友人の家にはパンがあるということです。そして、友人だから拒否できないということです。あなたが神様の子どもで、神様は全能者なのに、祈れば答えられないでしょうか。どんな親が、子どもが魚をくださいと言うのに、蛇を与えるだろうか。卵を食べたいというのに、さそりを与えて痛くさせるだろうか。それと共に、こういう話をされました。まして、あなたたちの天の神様が、祈る者に聖霊を贈り物としてくださらないでしょうか。祈る時には、驚くことが行われます。聖霊が働かれるのです。イエス様がまた一つ比喩を上げられました。
■ルカ18章に悪い裁判官が間違った裁判をして、くやしい思いをした女が、ずっと話せば聞き入れないだろうか? 死ぬ時までずっと話すのに、聞き入れないだろうか。ここにも継続したので聞き入れるということではありません。重要なことが含まれているのです。裁判する権限がある裁判長です。訴える資格が本人にあるためです。それで、ずっと訴えるのに聞き入れないでしょうか? 神様が悪い裁判官なのでしょうか? それと共に、何と言われたでしょうか。神様があなたの願いを聞き入れないだろうか? 人の子がくる時、信仰が見られるだろうか? 確かに福音のなかでする祈りは答えられます。私は聖書の中に起きる奇跡を見ながら、そうだと思いました。あれは奇跡ではなく、来るしかない答えです。確かにイスラエル民族はカナンの地に行かなければなりません。しかし、紅海が防いでいます。当然、奇跡が起こらなければならないのです。皆さんは、世界福音化して、レムナントを育てるべきなのに、私たちには力がないから、神様は答えられるしかないのです。失望せずに、神様の計画を捕まえて祈るように願います。神様の計画ならば、いくら足りない人でも答えられます。私たちはとても失望することが多いのです。
■私は福音を悟りながら、祈りに答えられる神様の恵みをとてもたくさん受けました。昔になげきながら、なぜ私たちは貧しいかと思って、話はしなかったのですが、事実、失望していることを表には出さなかったのですが、葛藤も多くて雰囲気に弱かったのです。神様がない雰囲気が多いのです。そして、信仰人が持つ祝福や力、この粋を全く知らずに、そのままそのように生きていました。ある日、神様の恵みで福音を理解したのです。福音を理解したのですが、私も気づかない内に信仰がきました。祈れば良い。こういう信仰ができたのです。それで、何の背景もなかったのですが、祈りを開始しました。神様は、どのように答えられたでしょうか。皆さんとインマヌエル教会に会うようにされました。私は、この神様の契約を捕まえてずっと祈ったのです。私たちの集いごとに神様が祝福されて、世界福音化の組織が敷かれていきつつあります。レムナントを置いて定刻の祈りを継続しました。定刻の祈りだけでなく、いつでも祈りました。今、世界にレムナントが起きています。起きるのが問題ではありません。本当に、福音のなかで福音を味わい始めたのです。
■外国でさまよった学生が道を行くときに、レムナントという服を着ている人を発見したのです。とてもうれしかったのです。あまりに難しくて、がっかりして揺れる状況だったのです。こういうものをだれが分かるでしょうか。親が分かるでしょうか。とても孤独で、揺れて苦しかったのです。そして、信仰生活も勉強も何もかもだめになっていました。ところが、教会はタラッパンをする教会もなくて、教会に行っても教会はいつもけんかをしていました。死にそうだったのですが、ある人がTシャツを着て行くのにREMNANTと書いてあったのです。走って行ったということです。レムナントかと尋ねたということです。そうだと言うので、自分もレムナントだと言いながら、それなら自分たちで集まって聖書勉強を始めて、神様が働かれたのです。こういうレムナントが起きています。可能ならば、レムナントはTシャツを着て歩きましょう。それでこそ、失望して揺れている人々が起きます。そんなに変化がだめだった人が、外国で一人で孤独でいたあとで福音を聞いて変化したのです。
■なぜ福音が良いのか分かるでしょうか? 普段の時には聞かないのですが、軍隊に行ってみると、軍隊はとても違います。そのような時、だれかが福音を伝えてあげれば生かされます。このような時、軍隊で違う言葉を言う牧師は、半殺しにしてもまた殺して、3回さらに砕かれなければなりません。それで、牧師が困難にあうのです。やられないように見えるのですが、みな貧しくて老いて、行く所もなくなるのが、そうだからです。それで、聖徒たちが狂いそうになって、出て行けと追い出したりするのです。それが全部、神様の御手です。考えてみてください。切迫した瞬間に、刑務所にきて座っているのに、何を言わなければならないのでしょうか。性格な福音です。軍や海外に行って揺れているのに、どれくらい苦しいでしょうか。このような時、正確な福音です。そうすれば、その人が生きることが問題でなく、変化が起きます。神様のみことばは生きていて運動力があります。皆さんが気落ちしなくても良いのです。背景がなくてもかまいません。神様が私たちの背景です。だれも手助けしなくても良いのです。神様が私の力です。私はそれを私の信条として生きてきました。神様が私の力で、背景で、私の全てです。私たちがたとえ今、何人かが始めたのですが、多くの祈りの人々が集まりました。驚くべきことに、全世界に隠れた弟子が、このメッセージを聞いてみな起きています。揺れません。福音は揺れるのではありません。それで、私たちが人どうし無事に過ごして誘惑して、教会に連れてくるのではありません。only福音!
■最後に、皆さんの中の親は、子どものことを一度考えてみましょう。いつかは皆さんの子どもが親を離れて、海外や他の地域で行って、一人で立たなければなりません。そうなる日がくる前に、私たちの子どもに正確な福音を伝えてやらなければならないのです。そして、祈りの答えの奥義を伝えなければなりません。そのように出て行ってこそ揺れないのです。そうすれば、ずっと勝利します。一人の女性の祈りが全世界を変化させました。皆さんひとりの祈りが世界を変化させます。何でもないように見られるのですが、少し祈ってみことば伝えるのがどれくらい大きいことか分かりません。
■一度は私たちの勧士が公園で祈梼院をしていました。そこに行ったら、片方のすみにある男がいました。私は行って単に福音を伝えたのです。ところで、序論が必要なく、福音を伝えたのにずっと涙を流したのです。イエス様を受け入れる祈りをするのに、その時になって分かりました。祈るために手を握ったら、手がなかったのです。とても申し訳なくて、もう一方の手を握ったのです。それで握手をして祈りをするのに、何か持っていることを感じました。ともに祈りました。した後に本人が話したのです。とても失望した状態で、自殺しようと薬を持って座っていたのでした。
■私たちは、単に行って、祈って伝えたことのようですが、これが世界を変化させるすばらしい神様の計画が入っているのです。今日、皆さんが、祈りに新しい力を得るとても大きく変化する祝福が今日から始まることをイエスの御名でお祈りします。皆さんの祈りは、皆さんの子どもと周囲を生かすようになります。
<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。私たちに福音の力で変化する祝福を与えて下さい。他の人に、家庭に、職場に、この変化の力が現れるようにして下さい。新しい祈りが始まるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン