2006年8月20日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/最高の霊的祝福が準備された人
(I列王19:19〜21)

■今日のタイトルは、最高の霊的祝福が準備された人です。もしタイトルが、皆さんと合わないとしてもよいのです。「私には何の力もないのに、何で最高の祝福が備えられた人なのか」ここで私たちの信仰生活の混乱が始まります。自分自身を過大評価してもだめですが、あまりに過小評価してもだめです。そして、私たちは基準を全部、自分自身に置くのですが、私たちは神様に基準をおかなければなりません。モーセにイスラエル民族を連れて出て行くように言われたので、モーセはできないと言いました。もちろん、判断は良くできました。しかし、間違った話をしたのです。できないと言ったのです。ぱっと見れば、私たちは信仰生活をそのような形でします。神様は、皆さんを祝福されようと、みな準備されたのですが、私たちは知らないのです。
■また、私の基準で考えてのがすのです。事実は、神様は皆さんに最高の祝福を準備されたにもかかわらず、私たちはとても私と関係なく、単なる説教を一度聞くのだと思いやすいのです。しかし、こういう部分を正しくわかった人がいます。聖書を見れば、ヨセフやダビデのような人物は初めからわかりました。そのうちの1人を選んだらエリシャです。エリシャを見ながら新しい力を得なければなりません。単純な力ではなく、神様がくださる力です。
■インターネットのサイトで、一番人気がある2つが、淫乱サイトと占いのサイトです。それを見ながら「そのようなことだろう」という気がしました。これからどうなるのか気になるから、占いをするのです。もしこれからの事が分かったら、ずっと成功するようになります。そうではないから、占いをする所に行ったり、そのようなサイトがあるから行くのです。新聞にも占いを宣伝することがたくさん出ていて、また今週の運勢が出ています。ところが、その欄に思わず目がいくのです。私は寅年なので、そちら側に注目してしまいます。そうするうちに、よいことが書かれていたら、気持ちも良いのです。人ならば誰もが、そのような心理が少しずつあるのではないかと思います。しかし、その程度ではなく、想像以上に、知識人が占いをたくさんします。特に、政治家たちがたくさん占うということです。付いて回る霊媒師がいるほどです。その日の服やネクタイまで決めてくれるということです。特に、大きい事業をする方達の中で、そのような方が多いということです。不安だからです。理解はできます。しかし、ずっとそのようにしていたら、困難の中に行くようになります。
■さらにクリスチャンまでも、これからの事を不安に思って、信仰が弱い人はこっそり隠れてサングラスをかけて占い師を訪ねて行ったりもするのです。そうでなければ、信仰が良いという人は、それまではできないので、預言する賜物がある人々を訪ねて行って未来を尋ねるということです。人ならば誰にでもありえる関心です。私もそのような経験が一度あります。ある教会で教育伝道師をしていて、止めることになりました。しかし、信仰の良い勧士一人が、私を良く見たのか、止めるということなので、自分の家にきて食事を一度ごちそうしたいと言いました。そうですかと食事をしに行ったのです。行ってみたら、家も大きくて、簡単に話せば金持ちの家でした。しかし、行ってみたら、知らない人々がたくさんいたのです。私が知っている人もいたのですが、知らない人々がはるかに多かったのです。ところで食事もする前に丸く囲んで座りました。囲んで座れば、私たちの信徒は礼拝をささげるのですが、そのような形態で囲んで座ったのです。それで「私に礼拝を導けということなのか」と思いつつ、そのまま座っていました。その時、周囲を見回すと、そのうちに特別な女性が1人座っていました。
■言わばこの人が、預言をする人だったのです。そうするうちに私が色々と雰囲気をつかみはじめました。この勧士は、この女をしばしば呼んで、このようにするのだなあということが分かりました。多分、その日が来る日であったので、私にも合わせて来てくださいと言ったようでした。それで、内心、色々な考えが多く浮かびました。「この方は信仰生活を良くすると思っていたが、ちょっと違うな…」と考えました。今、信徒が恵みを受けることができなくて、そのような形でする人々がたくさんいるようです。言わば、学校で勉強が良くできなければ、課外授業をするようにです。そのように考えていたら、勧士がその女性を挨拶させてくれました。その方は、私たちの韓国と世界的に有名な預言者だと言うのでした。良い話をちょっと動員して、私を紹介してくれました。そして祈りが始まったのです。この方が、ひとりひとりの頭上に手をのせて話をしました。「今からあなたはどうなることで…」このような形でぴったり占いがするようにしたのです。大胆に話していました。そのように回って、私の順番がきました。この方が、幸いに私の頭には手をのせないで、私の手を握りました。そして、全くためらう事なくそのまま話したのです。これから、この伝道師は大きい働き人になるだろう。特別、気分が悪い話ではありませんでした。しかし、その後が問題でした。来年にはソウルに行く。完全、占いのやり方、そのままでした。ソウルに2年いたあとで米国に行く。そして、過ぎて行きました。私がここに占いにきたことなのかと、何か戸惑いました。そして、食事をして別れたのです。ところ、帰りながら静かに考えてみたら、色々な考えが行き来したのです。ソウルに行く……のか。頭に残らなくて良いのに、頭に残っているのです。米国に行のか…。大きい悪い話ではないのですが、頭の中に残っているのです。しかし、2年過ぎても、私はソウルに行くことはなく、3年が過ぎても、米国に行くことはありませんでした。ある面では、私が米国に行かないのが良かったのです。米国に行ったら、勉強はほどほどにして、英語は良くできても、この伝道運動はできなかったでしょう。しかし、本当に人というのは不思議です。事がうまく行かなければ、思い出すのです。ソウルに行かなければならないのに、ここにいるから、そんなことではないかと思うこともしました。人には、うまく行かないことが多くあるでしょう。私は、以前には、だめなことが多いほどでなく、まったくだめでした。だから、事がうまく行かなければ、私が米国を行かなければならないのではないかという気がしたのです。私はソウルにも米国にも行かずに牧師になったのですが、とにかく、この占いが、それだけ影響を与えるのです。
■しかし、今は確かに話せます。私たちが信仰生活を正しくすれば、神様のみこころを知るようになって、未来が見られます。それで占い師を訪ねて行く必要がありません。そして、そのような話を聞く必要もないのです。なぜなら、私に明らかな答えがあるから。皆さんに明らかな答えがくれば、そのような必要はないでしょう。それで、私はそれを確信するほどでなく、聖書にある人はみなそうだったのです。聖書にある神様のみこころは何でしょうか。私たちは簡単に知ることができます。神様の第1のみこころは、私たちの運命を変えろということです。占いは、みな運命を当てることなのですが、運命を変えろということです。だから、私たちが逆に知っているのです。神様の第1のみこころは、皆さんがどんなことをするかではなく、運命を変えろということです。本当にイエスを信じる方々は、有名な占い師を訪ねて行ってみたら、卦が出てきません。統計で作る占いなら出てくるでしょうが、実際に悪霊につかれた人は、見る瞬間、出てきません。それから、神様のみこころは、私たちに霊的な目が開くことを望まれるのです。
■神様の子どもなのに困難がきたのでしょうか。心配する必要はありません。それは、土台になるでしょう。子どもの問題で心配しているのでしょうか。それが重要な祈りの証しになるでしょう。ひょっとして、困難を受けているならば、正しく目だけあけてしまえば証しになります。そして、神様のみこころは、私たちの信徒が受けた祝福が何かを分かることを望まれます。それも知らずに、これから私がどうしなければならないというような話を継続すれば、ずっと違うのです。聖書には記録されています。どんなに立派であっても、未信者はなぜほろびるのでしょうか。私たちが立派で伝道しに行くのではなく、私たちより立派な人々なのに、ほろびるから私たちが行って福音を伝えるのです。聖書には、真の祝福が何であり、どのようにしなければならないのかが記録されています。それで、これを知るようになるのです。それなら、このように終わってしまえば、とても漠然とするのですが、今日、私たちはどのようにすれば私がこういう祝福を知って、未来も知ることができるのでしょうか。聖書で3大人物を選べと言われたら、誰を選ぶでしょうか? これは私の話でなく、多くの神学者の話です。最初はモーセです。それで、イエス様の変化の山でも、モーセが現れたほどです。
■二番目の人物はエリヤです。それで、イエス様が変化の山におられた時、モーセとエリヤが一緒にいたのです。そして、1人をさらに選べと言われたら、新約時代のパウロです。この3人の人物は、とても重要な人物です。私と皆さんが学ぶことが多い人物です。そのうち、エリシャはエリヤの弟子です。今日、この人を見ながら、私たちはどのように未来を生きくべきかに対する答えを得なければなりません。多分、必ず記憶しなければならないでしょう。エリシャを見ながら聖書三ヵ所を参考にしましょう。その最初を今日、読みました。I列王19:19〜21を読みました。少し心が面倒でも、考えなければなりません。エリヤが死にそうになった状態で、ホレブ山で神様の大きいメッセージを受けました。この時、エリシャが呼ばれた記録です。よくご存知でしょう。悪い王が現れて偽りの預言者をみな手助けして、本当の預言者はみな殺したのです。どうして、このようなこともあるかというでしょうが、サタンが働けば、そのようなことがありえます。悪い王が現れて、正しい人は皆死んで、悪い人をみなたてるのです。このようにできるのでしょうか。それで、私たちは指導者のために祈らなければなりません。戦争は銃でなく、人が戦争するのです。だから、指導者1人だけ狂ってしまえば、戦争をするのです。だから、アハブ王が悪霊につかれて、正しい人は無条件にみな殺したのです。そのうちの正しい預言者の代表がエリヤでしょう。王が命令をくだしました。エリヤを殺せと。だから、エリヤは逃げたのです。遠く逃げて行く時に、えにしだの木の下に倒れました。その時のエリヤの祈りです。神様、私を呼んで行って下さい。人はとても困難にあえば、そのようになります。これ以上できないと言いました。その有名なエリヤも失望したのです。その時、神様がどのようにされたのでしょうか。誰にも分からないように、主の使いを送って、エリヤに主の使いを送り、エリヤに力を与えられました。40日40夜を歩いていくようにされたのです。そのようにして到着したところがホレブ山です。そのホレブ山で、エリヤが祈っていたら、神様がメッセージを与えられました。恐れてはならない。わたしが王を変える。そして、このようにする。それと共に7000人の弟子がいる。エリシャを捜し出せ。そのようにおっしゃられたのです。その時に、エリシャを訪ねて行ったのですが、エリシャが今日、先生について行く場面です。言わば、一番困難にあっていたエリヤに、使命をもってついて行ったのです。それが今日の本文の最初です。
■ここで、今日、皆さんが勝ち取らなければならない重要なことは何でしょうか。聖霊の導きです。このエリヤが、聖霊の導きをとても確かに受けたのです。これが重要です。それなら今日、皆さんが未来をよく分かろうとするなら、聖霊の導きを確かに受けなければなりません。簡単に話せば、神様の導きを受ければ、神様の計画を分かるのではないのでしょうか。今日の本文だけ見たら、エリヤが聖霊の導きを確かに受けました。この単語が、すべての聖徒と私が捕まえなければならない最初の単語です。私は率直に告白します。昔に信仰生活をして教役者生活をするのに答えが来なかったのです。祈りの答えが来なければどうなるでしょうか。何でも難しかったのです。お金もなくて、何もなかったのです。また、教会でそのように言えば、信仰がないようになるから、それで表情には出さずにずっと通っていました。教役者が教会で率直であるべきなのですが、「私は祈りの答えもなく、この頃、狂いそうです。」と話せば、信徒は試みにあうでしょうし、とにかく、答えがなくて、私の胸の中で「私は何も良くならないな、私はこのように貧しいのだな」という考えが頭の中に入ってきました。そして、良く暮らしている人々を見れば、人の話のようで、こういう私が何で子どもたちを指導できるでしょうか。教役者の時、そうでした。どこかへ行って話す所もなかったのです。
■全く答えにならなかったのですが、ある日私が悟ったのです。「私が事実は、神様の導きを受けられずにいるのではないのか。聖霊の導きを受けられずにいるのではないのか」こういう考えになりました。私がどのようにすれば、聖霊の導きを受けるかという気がして、私は祈るべきだという気がしたのです。それで、時間を定めて祈りをしました。ところが、これが良くできません。お金がかかることでも、大変なことでもないのですが、これができませんでした。まごまごしていたら、3日くらいさっと過ぎ去ってしまいます。食べるのは、逃さずにしながら、祈りはすぐに過ぎ去るので、できません。本当に変でした。それで、皆さんが祈りができないことが理解できます。そうするうちに、こう考えました。私が祈りの時間が、一番幸せな時間になるべきなのに、この時間がこのように骨を折るようなら、これが何の祈りか、という気がして、悟ったのです。「祈りは、することでなく、私を神様にささげることだ。祈りは神様を味わうことだ。祈りは聖霊充満を味わうことだ。」これが悟れて、その時から答えがき始めたのです。祈りを少ししたのですが、答えがき始めました。いつも抜けながらしたのにです。だから、少しだけ祈ったのに答えがくるので、それからは重要な答えがき始めました。
■私は出て行って伝道して、人を生かす勇気がありませんでした。昔の話です。そのような時間もありませんでした。それで、伝道しに通う人々を見れば少しうらやましかったり、私とは合わないと思いました。性格がそうです。人の家に行って、イエスを信じなさいと話す性格になれません。それで、伝道するのが一番難しいことでした。そして、道を行く時に伝道するのは難しいのでした。ですから、今でも国会議員よりもさらに尊敬する人がいます。バスの中に入ってきて物を売る人々です。揺れるバスの中で宣伝をするのに、いろいろなものが全部入っています。「本当は何千円のものだけど、たったの千円で! 千円というのも多いから、たった2百円で! 2百円も面倒だから百円で! 」こう言いながら売るのですが、それほど買う人もいません。そして、買ってもらえないと、またすべてを片づけて、おりる時はバスの運転手に挨拶しておりるのです。すごいように見えます。私は、あの商売はできません。ひとまず恥ずかしくてできません。それで、どこかへ行って伝道するのと、私の体質が合わないのです。それで、私が知っている人に、私が行く所に福音が分かるようにお手伝いをすべきだという気がしたのです。そのまま言うことはいやなので、準備をしました。それが、自分の生き方に変化をもたらしたのです。
■これを神様がそのように喜ばれるとは思いませんでした。とても困難を受けている人に、その人に合うテープを持ってきて、その人に必要な説教の文章を選んであげることもしました。そして、お客さんに会いに行く時、必要な神様のみことばを準備しました。そのような生活を送り始めたのです。これがどういうことでしょうか。ある日から、みことばが成就し始めたのです。どれだけ成就するかというと、単に説教したのですが、その中に神様のみこころが含まれていました。その時から私が力を得たのです。それからは、本格的に祈り始めて、どんな場合にも定刻祈りはするしかない立場になりました。それだから、神様の計画が続けて見え始めたのです。これが難しいことではなく、また時間がかかるものでもありません。今から皆さんは救われた人であることが確実だから、少しだけ時間を作って幸せな時間を味わえば良いのです。それが祈りです。聖日にきて説教だけ正しく聞いてもかまいません。そして、会う人を少しだけ手助けすれば良いのです。
■私がよく知っている裁判官一人がいます。この方は、目上の人に伝道するのが難しかったのです。多分、二人とも今も説教を聞いているでしょう。私の説教テープの「救いの道」を準備しました。あえて上司に渡せなくて、ポケットに入れていたということです。一度は報告をしに行ったら、先輩の顔がとても良くないのです。それで、そんな話もなかなかできないのに、挨拶して何か少しからだが良くないのですかと尋ねました。大丈夫だと言うので、その時、テープを渡したということです。これは、私が部長さんに差し上げようと準備したのですが、時間がなくて差し上げられなかったのですが、一度、聞いてみてくださいと言いながら渡しました。事実、とても難しいことではありません。そして、その人がわざわざくれたので、何をくれたのかと思って、その場でテープを聞いたのです。どの程度働きが起きたかというと、その方がその日の午前のスケジュールを取り消したのです。何度も聞いて、その裁判官を呼びました。行ったところ「これは何のテープなのか、この人が誰なのか。また、どうしてこのように私の問題をよく知っているのか。君がひょっとして話をしたからではないのか。私の家の問題がそのままある。」と告白したのです。この程度になれば、福音を伝えられるでしょう。それで、この方が福音を伝えたのです。だから、自分よりはるかに上の雲の上のような先輩なのに、この方がお願いがあると言いました。自分の家に一度きて、君が私の家族を集めて、この話をしてくれないかと言われました。タラッパンとは、他のことでしょうか。これがタラッパンです。謙虚にメッセージを伝えたのですが、家族、みんなが涙の海になりました。今、その方が私たちのタラッパンをする教会で、近所の近い教会に通っておられます。今、私のメッセージを聞いています。会う時ごとに、有難いと挨拶されます。だから、その家がどうなるでしょうか。それで、人間的にこの偉い人が、下の人々を昇進させます。神様がこのことをどれくらい喜ばれるでしょうか。
■私はこの三つをしたのですが、聖霊の導きがずっと起きました。率直な話で、私のように整頓ができない人間にも、神様のみことばが悟れ始めたのです。それだけしたのですが、メッセージ、戦略みな悟れて、神様のみことばを手伝いをするようになりました。だから、私が話したことでなく、神様のみことばを持ってお手伝いしているのです。どれくらい驚くべきことでしょうか。それで、今まで起きた答えで、本当に私と自分自身の力に合わない祝福がどれくらい現れたでしょう。どのように自殺しようとしていた人が、神様のみことばを聞いて心が立ち直れるのでしょうか。ある人は恨みが重なって、自分の親を殺すという子どもが、聖書勉強して、それを悔い改めました。多分、軍で事故を起こした人も、確かに霊的問題がある人です。だから、そのなかでだれかが福音だけ伝えてあげても生き返るのに、それを聞けないからではないでしょうか。正しい福音を持ったということが、最高の愛国です。それ以上の愛国はありません。教会で子どもたちを集めて何かをするより、答えを正しく与えてしまえば生き返ります。こういう祝福を受けた人物がエリシャです。
■二番目です。今日、読まなかったのですが、U列王2章で、よくご存知でしょう。最後までついて行きました。エリヤに最後までついて行ったのです。知っている所でしょう。ギルガルからベテルに、ベテルからエリコに、エリコからヨルダンにずっとついて行きました。行って何と言ったでしょうか。先生の倍の霊を私に与えて下さい。それは何の話でしょうか。聖霊充満を私に与えて下さいということです。これが皆さんが今日二番目に捕まえる単語です。皆さんは救われた人であることが確実だから、聖霊の導きずっと受ければ勝利します。皆さんが会社、職場の中で人を生かそうとするなら、力があるべきなのですが、聖霊充満を私に与えて下さい。それがエリシャが私たちに見せた二番目の奥義です。聖霊充満を5分だけ祈りましょう。皆さんは福音を持ったので、してみましょう。ある人は、自分の行動や習慣をどのように直そうかとするのですが、単に聖霊充満を求めて5分だけ祈りましょう。それで、今日、皆さんが捕まえなければならない二番目の単語が、私の職業、状態を神様はご存知です。それで、私の状態に合う聖霊充満を捜し出しましょう。それなら、力が現れます。自分の家に合う聖霊充満を捜し出しましょう。皆さんの職分があるでしょう。職分に合う聖霊充満を捜し出しましょう。私に合う聖霊充満。年齢が高い方々は、本当に聖霊充満を求めて祈らなければなりません。それでこそ、病気も皆さんを触ることができないのです。今はそうではありません。私たちの孫がご飯を食べるのに、手を組んで今日も私たちの糧をくださいという賛美をしてご飯食べるのを見ました。可愛いでしょう。それが聖霊充満です。そうでしょう。しかし、食事時間に、私たちのファン牧師が立ち上がった、今日も私たちの糧をくださいという賛美を歌うと考えてみてください。それは聖霊充満でなくコメディです。だから自分に合う聖霊充満を見つけようということです。私は時間を定めておいて、メッセージと皆さんと世界福音化を置いて祈ります。そして、残りは安らかに思い出せるまま、ずっと課題を置いて祈ります。それ以上は、私がすることがありません。それが聖霊充満です。それなら、神様の答えは継続してきます。それ以上は、私たちはできません。皆さんが職場で重要なことをしながら、神様、私に聖霊充満を与えて下さいと祈ってみましょう。神様の力を私に与えて下さい。他の人を生かせるように力を与えて下さい。それではないでしょうか。そのように祈れば良いのです。それなら、聖霊の驚くべき働きは起きます。ですから、エリシャが最後まで付いてきながら聖霊充満してくださいと言ったのです。これが私たちが受ける祝福です。のがしてはいけません。聖霊の導き、聖霊充満が出てきました。
■三番目です。U列王6:8〜23です。そこに何が出てくるでしょうか。皆さんがよく知っている本文です。そこで、エリシャが祈っていたのですが、どのように祝福されたでしょうか。敵軍が攻め込むことまでも、すべて分かるのです。これが何の話でしょうか。敵軍が来ることをあらかじめ知って、その敵をみな防いだのです。これは何を話すことなのでしょうか。これを知って、アラム軍隊が攻め込んできました。しかし、神様が天の軍隊を動員してエリシャを守られました。知っている本文でしょう。これを何と言うのでしょうか。聖霊の賜物を持って、私たちは世の中に行って仕事をするのです。聖霊充満が続けば、賜物が出てきます。賜物は区分されます。一般の賜物があります。そうでなければ特別な賜物があります。また、何か見えて、預言もする霊的な賜物があります。どれが良いでしょうか。みんな同じです。こういう神様がくださる賜物を持ってするのです。賜物を英語で言うと、giftとか、talentとも言います。技能です。神様がくださった技能を持って行くのです。神様がくださったこの三つが、一般、霊的、特別賜物がエリシャにはありました。これが、今日、皆さんが受ける祝福です。私は問題がある人を見る時、問題も多いけれど、違うように見ます。「あの人は、神様の大きい祝福を受ける人だ。」
■皆さんの子どもが、信仰生活を間違ったら、祝福しましょう。なぜなら、そのような人物が後ほど大きいうつわになりうるからです。だから、聖霊が働かれたら、できないことがありません。今日、エリシャを見ながら、私と皆さんの信仰生活の最も重要なことは、聖霊の導きだけ受ければ、私たちは失敗しないのです。聖霊の導きを受ければ、神様の計画の中に入るしかありません。どのように受けるかを説明しました。そして、聖霊充満を受ければ、人を生かせる祝福を受けます。それが続く時、聖霊の賜物が現れるのです。だから、この祝福が皆さんが受ける祝福です。今日、この契約を捕まえて、祈り始めるように願います。今日のタイトルが、最高の霊的祝福が準備された人です。エリシャのことです。なぜでしょうか。一番難しい時期に召命を受けたのです。最後までついて行きながら聖霊充満をくださいと言いました。何の話でしょうか。最高に重要な時期に時刻表を捕まえたのです。アラム軍隊を防いだということは、最高に重要な使命であるRUTC運動をしていたということです。この祝福を神様が皆さんにくださろうとされるのです。
■神様が皆さんに望まれることは何でしょうか。失敗せずに聖霊の導きを受けなさい。世の中で苦しみにあっていずに、聖霊充満を受けなさい。弱い限界のあるあなたの方法でなく、神様が与えられる賜物でしなさい。これよりさらに重要な神様のみこころはありません。残りは、応用すれば良いのですが、これが一番重要な祝福です。これを持ってレムナント運動、RUTC運動をした人がエリシャです。皆さんが知っている通り、神様がエリシャにどのようにされたでしょうか。天の火の馬と火の戦車を動員されました。信じるように願います。目に見えないけれど、皆さんの後に天の火の馬と火の戦車を動員されるでしょう。いくらおかしな人々が多くても、私たちは福音を伝える国だから、神様が天の火の馬と火の戦車を動員されるでしょう。聖書は確かにおっしゃっています。福音を持った義人10人だけいても、この国はほろびないと言われました。皆さんの中で真に福音を持って人を生かす人がいるならば、皆さんが行く所に神様は天の火の馬と火の戦車を動員されるでしょう。本当です。それで、こういう結論が出てきます。モーセがすごいのではなく、答え受けるしかないのです。そのような結論ではないでしょうか。ヨセフがものすごいというよりは、それしか方法がないではないでしょうか。当然の祝福です。これを悟らなければなりません。
■皆さんに立派になりなさい、すごくなりなさいという言葉ではありません。もちろん、立派な場合も、すごいこともあるのですが、基準はそれではありません。神様の最も重要な契約を持っているから、神様が皆さんが行く所ごとに天の軍隊を動員されるでしょう。信じるように願います。この中にいれば答えを受けるので、入っていないなら、入ってくれば良いのです。今日の2部の時、レムナントにはもう少し具体的に話すつもりですが、今は大人たちが捕まえなければならない単語です。とても聖霊の導きを受けないからであって、聖霊の導きを受けたら、私たちは答えを受けるしかありません。皆さんを通じて会社も職場も他の人も生かされるということです。聖霊充満です。私たちの小さな頭脳や力でするのではありません。神様がくださる賜物をもって。なぜそんなに重要なのでしょうか。エリシャの使命と召命を見ましょう。どれくらい重要でしょうか。私は皆さんがそうだと思います。私の話は、皆さんにする説得でも慰めでもありません。私は皆さんを見る時、そうだと思っています。なぜなら、皆さんがこの祝福を持って、皆さんの現場を生かさなければならず、皆さん1人が福音を受けて、この祝福を正しく味わったら、公務員も軍隊も警察も、会議員も生かされます。信じさえすればよいのです。皆さんの力でなく、聖霊で働かれるためです。この聖霊は神様の霊だから、創造の祝福が起きます。今日、この祝福を必ず回復するようになるように、主の御名で祝福します。それで、今日、皆さんがこの力を持って新しく始める本当の答え受ける生活が始まるように、イエスの御名でお祈りします。皆さんのゆえに、家庭、職場、現場が生かされることを確信します。

<<契約の祈り>>
神様に心より感謝いたします。今日のメッセージを絶対にのがさないようにさせて下さい。新しい力を得るようにさせて下さい。新しく始めるようにさせて下さり、神様の力で力を得るようにさせて下さい。神様の賜物で現場を生かすようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン