2006年9月24日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/海外にある家庭が受ける答え
(出エジプト2:1〜10)

■すべての家族に神様の祝福があるように願います。地域に行ってみれば、地域したがってとても違うことを感じます。ソウルに行けば、集会前に人々がみな来ています。釜山にも席がなくて、礼拝時間に席がないので、困難しています。それで、人々が席を取るために、前もって先に来ています。大邱や光州の方に行ってみれば、ぴったり合うように来ます。大田に行ってみると、いつでも遅く来ます。メッセージしている途中に入ってくる方々も多くいます。「確かに忠清道は、遅れることは遅れるんだな。」という思いになります。ある人は、みな終わって帰る時に来る人々もいます。私が蔚山に来てみると、慶尚道の雰囲気でなく、ソウル、釜山で起きる、そのような熱い雰囲気を感じられます。また、継続してキャンプをして、長老と働き人が教会たちのために祈っているから、神様が答えられていると思います。今、多くの役員をたてるために訓練しているのですが、多くの働き人が立てられるように願います。人生、宗教、文化改革という単語は、大きい単語です。それで、皆さんの信仰も大きくしなければなりません。それで、蔚山を生かさなければならないのです。それで、蔚山を生かす代表的な祝福を受けるようになります。同じ恵みがソウルと釜山、全国で、衛星で礼拝する教会にあふれ出るようになるでしょう。
■目に見えないサタンは、どのようにすれば皆さんを倒せるかをよく知っています。どのようにすれば、皆さんが滅びるのかをよく知っているのです。それが何か分かるでしょうか。それが不信仰です。皆さんを不信仰で追い立てていきます。教会には二種類の人がいます。しばしば信仰を叫びながら、雲をつかむように行く人と、とても実力と実を整えながら不信仰に陥るようにさせる人々です。それで、神様の力が必要なくなるのです。人間は発展していくから、ずっとそちら側に行くようになっています。結局は、不信仰に引っ張って行くのです。これがサタンの戦略です。それで、教会史では3つの目に見えない戦いが続いてきました。信仰と行いです。この戦いを継続してきたのです。行いを主張して出てきたのがパリサイ教会です。反対に、信仰を主張したのが初代教会です。あまりに雲をつかむようだから、また行いを主張したのが中世教会です。そのうちで、ただ義人は信仰によって生きると主張したのが改革教会です。このようにずっと目に見えない戦いを継続してきました。これがサタンの戦略です。このようにして不信仰を入れるのです。もう一つの戦いは福音と律法です。この人はとても行いがめちゃくちゃだからと、どうしても律法だと主張するのと、あれこれ律法をしてみてもだめだから、福音でなければならないという主張。この戦いです。
■代表的な例で、パリサイ教会は完全に律法です。だから、初代教会は完全信仰だと出てきたのです。そのような主張でだれが作ったのか、また弁解して中世教会が完全律法で出てきたのです。私たちが行いをいくら良くしても、救われることができるか。あなたがいくら大きなことをしたといって、救われることができるか。私たちはものすごく大きい罪人なので、私たちは信仰で、福音で救われる。こういう戦いが続いたのです。また片方では、教会の指導を中心に、教役者か一般信徒かという戦いを継続しました。一般信徒は聖書も読むな、教役者がみな処理するといったのがカトリックです。また反対になる意見は、一般信徒が中心だと出てきたのが長老教です。それでは、教会が世の中に傾く。だめだ。監督を中心にすべきと出てきたのがメソジストです。このように、あのように、あまりに戦うから、戦わないようにしようという側がホーリネスです。このような形で、どんどん出てきました。これが、すべてサタンがあたえる戦略です。
■そのようにして、皆さんを創世記1:2の中に入れるのです。絶対に成功することができません。暗闇、空虚、混とんの中に皆さんを入れるのが目的です。そんなことがあるのでしょうか。イスラエルが奴隷、捕虜、属国になったのが証拠です。教会の中でも、世の中で勇気のある果敢な人を集めてユダヤ人教育法を聞いたら、みなほれるでしょう。しかし、その人々はほろびました。しかも、私たちが信仰を叫びながら、毎日祈って世を去っていた人々はみな貧しかったのです。こういうサタンの戦略にだまされてはいけません。契約を正しく知らなければならないのです。サタンは創世記1:2の時に戻そうとするのです。皆さんは思い切り生きたのに、何もない空虚の中に‥これが何でしょうか。私がよく暮らしたか、よく暮らしていないのか。私が信仰生活を良くしたのか、できなかったか。今、私たち教会が正しいのか、正しくないのか、という混とんの中に入れてしまって、結局は前が見えない暗闇の中に追い込むのです。それがサタンの目的です。ひょっとして、新しい家族がおられるならば、人々を尊敬して愛さなければなりませんが、不信仰は絶対にしないように、皆さんが信仰の前に立たなければなりません。教会は仕事も多いのですが、それより重要なのが信仰の中に立つことです。皆さんは多くの人々の論も哲学も必要ですが、結局、神様のなかでしなければなりません。これがとても重要です。こういう戦いの中で、皆さんはだまされてはなりません。
■私はたくさん見ました。私がとても尊敬した長老でした。簡単に話せば「あの人は法なしでも生きられる。」と言われるほどでした。印象もとても良かったのです。この方が奥さんについて教会に行ったのです。教会堂は通うならば、信者になるではないでしょうか。教会は少したてば、執事をさせてくれるから、執事にもなりました。そして、教会では少しだけ仕事をすれば大丈夫だと思われます。この人は、あまりにも印象が良くて、仕事もがんばったので、投票して長老になりました。ところが、教会では当然のことでしょう。試みにまきこまれるようになったのです。人間の理論が良いことのようですが、こういう試みにまきこまれるならば抜け出せません。それで、皆さんがいくら正しい言葉でも、不信仰で人を殺すのです。教会が不信仰にまきこまれてしまったのです。ものすごく試みにあいました。この長老はとても優しい方なのに、こういう試みの中で苦しめられるから、人がすることではないのです。これがサタンの目的です。これが何で教会でしょうか。そうするうちに、試みの途中で倒れてしまいました。とても困難にあうから、病気になってしまったのです。突然に、力もなくなって、そうしたところ、すべてのからだに癌が広がってしまったのです。病気になろうか、ならないかという時には、ストレスを受ければ病気になってしまいます。風邪を引くか、引かないかという時に、どこででも寝れば、風邪をひくことと同じです。結局、その長老が死ぬ病気になってしまったのです。それで、死ぬ前に行ってみなければならないと行ってみたのですが、大変そうでした。ところで、この人が変わったことが一つありました。それまでは、いつも教会がどうだという一般的な信仰人であったのに、死ぬ前に行ってみたら、本当に神様を見上げる信仰に変わっていたのです。それが、神様の目標ではないでしょうか。「長老さん、この病気になる前に、このようにならなければならなかったのに」という言葉を言えなくて出てきました。人が完全に信仰になっていたのです。神様の目標がそれです。私たちが、今、信仰生活の中で、神様の祝福を受けて生きたいと望むでしょう。
■私が初めて伝道師で行った教会は、執事一人がどれくらい賢いのか、お話が多かったのです。個人的に会えば、本当に良いのですが、教会の雰囲気を変にする人でした。それで、いつも心配になりました。幸いなのか、不幸なのか、50代でもない学校の先生だったのに、癌になりました。あまりにも親しかったので、一度行ってみたのです。私が学校伝道する時、その方がたくさん手助けしてくれたのです。ところで、病気が問題ではありません。病気はある程度続けば死にそうになるのですが、それが問題ではありません。私たちの人生は、4年生きても、40年生きても、足りないから問題ではありません。その人を見ながら一つ感じたことは、人が変わったということです。それが神様の目標ではないでしょうか。その荒かった口が静かになりました。その賢い口が謙虚になりました。常に自信満々だった目が、神様を見つめる目に集中しました。神様に。普段の時、そのように生きなければならないのです。癌になってから悟るので残念なのです。信仰生活を良くすることは何でしょうか。それです。問題にあって神様を探すのも良いのですが、問題がくる前に探すのがより良いのです。
■息子がお父さんに「先週に、とても感謝なことが起こりました。交通事故があって、私と一緒に車に乗った人々は皆死んだのですが、私は足だけ折れて生き残りました。それで、神様にとても感謝しています。」と言ったところ、父が言うという言葉が「私はもっと感謝する。」息子は「お父さんも何か事故がおきましたか?」と尋ねました。「私は何の事故もなかったので、さらに感謝する。」と答えたのです。何かおもしろい話ではないでしょうか。私たちを見れば、必ずそのような形で感謝するのです。
■今日、私たちはモーセを見ながら多くのことを学ばなければなりません。イスラエルの民が完全に奴隷になりました。男の子はみな殺せ。そして、イスラエル民族を絶滅させようという状況です。この時、神様がモーセという人を用いられたのです。信仰生活がどれくらい重要なのかを見ましょう。完全、絶望だけが残りました。これ以上、方法がなくなったのです。そこまで行ってはいけないのに、なってしまったのです。私たちの人間は、そこまで行ってはいけないのに、行くようになるのです。結局は、イスラエル民族は奴隷で、完全に絶望の状態に陥ってしまいました。この時、神様がモーセを呼ばれて、レムナントを呼ばれたのです。この祝福を分からなければなりません。皆さんがこの祝福を分からなければなりません。
■どのように生きてこそ、神様の前に正しく答えを受けられるようになるのでしょうか。最初です。モーセは創世記・出エジプト・レビ記・民数記・申命記(モーセ五書)を記録した弟子です。その聖書五巻を見れば、モーセは福音を正確に知っていたということが分かります。これが勝利の道です。私は6・25(朝鮮戦争)に会って、4・19(学生中心の民主革命)、5・16(軍事政変)など、国に困難が多かったのです。そして、私の家があった村に火事が起きました。これでとても難しく貧しく暮らしていたのですが、私の父は福音がなかった人だったので、苦労したのです。それで、結局、勝つことができなくて亡くなりました。それでは、我が家がどうなるでしょうか。貧しい時代に事故、戦争、火災、どのように生きられるでしょうか?私がこういう話をするのは、二回目ですが、したくない話です。それで、私は貧しいのが嫌いなのです。私の父が亡くなったのですが、人は死ねば棺に入れます。どれだけ難しかったのか、その棺を買うお金がないくらいでした。今でもそれが私には傷で残っています。それで貧しくて怠ける人が嫌いなのです。なぜなら、幼い時、それを見てきたためです。それで、棺なしで葬式をしました。他の人ではなく、私の父の話です。それで、大きく自尊心に傷を受けたのです。父と一緒に暮らしていた時は、困難がなかったのですが、そのような困難にあったので、いくら幼くても私たちが崩れ始めたのでした。それで私が崩れ始めました。幼い時、福音を聞くことができなくて、レムナント教育も受けられなかったし、教会では勇気のある果敢な人がとても多くていつも戦う姿だけ見て育ちました。何かの理論とお話が多いこと、私はそれだけ見たので、私は信仰を学んだことがなかったのです。
■幼い時、そうではなかったでしょうか。人々はありふれたことというでしょうが、育っている子どもたちには、ものすごい影響力が及ぼされます。だから、完全に私が崩れてしまったのです。人並でない人が崩れれば、もっと深刻に崩れます。どれだけ崩れたかというと、町内では「あの子とは遊ぶな」と言われるほどでした。それで、本当に子どもたちが私とは遊ばなかったのです。最後まで遊んだ人がチョ・ウンテク牧師でした。それで、私は何の希望もなくなったのです。ところが、全部、すべてが私に合わなかったのです。人々がする言葉が、私には合いませんでした。優しくなければならない。優しくする力がないのに、成功しなければならない。成功する力がありませんでした。申し訳ないのですが、仏教教理とは私とは合いません。罪を犯すとおり受けて、徳を積んだとおり受けると言うのですが、私は徳を積んだことが一つもありません。そして、天理教これはさらに合いません。町中を歩き回りながら善行をすべきだと言うのですが、善行をする時間も力もありませんでした。孔子の話は本当に合いません。誠実に生きよと言われるのですが、誠実に生きる力がありませんでした。簡単に話せば、霊的問題に捕われたのです。
■私がどのようにできるでしょうか。私は、私と最も合うものを発見したのです。聖書で。わたしがあなたを赦します。あなたの罪を赦すためにキリストを送る。私はそれが合ったのです。あなたの運命を変えてあげる。あなたを捕まえているサタンの手から、あなたを救い出すということです。それが私と合ったのです。皆さんは分かりませんが、私はそれが合ったのです。すでにかなり以前から、キリストを送られると言われていました。私たちの運命、家系の霊的問題、どれくらい隠しているでしょうか。それを解決できないということです。神様がキリストを送って十字架でみななくしてくださると言われました。私はそれが合ったのです。私は福音を受けて泣きました。「こういうものがあったんだなあ。」私は新しい力を得たのです。それも、神様が本当に力を与えて下さったのです。それだけしたのですが、今まで神様がどれほど多くの祝福をくださったか分かりません。皆さんが見る時には何でもないでしょうが、私には奇跡です。子どもを十人産む人には、一人程度は何でもないでしょうが、何代も子どもを産めない人には1人がとても貴重なように、私にはとても重要なのです。本来、賢くて立派な人々には特別なことではなくても、私にはこの福音があまりにも恵みになりました。この福音を伝えなければならない。私のように学生たちが育って崩れる前に、幼い時に言ってあげなければならない。
■私はその目が開いたのです。教会が集まってつまらない言葉、正しい言葉、言葉でみな倒すのに、福音で根をおろすようにしてあげなければならない。なぜ、そんなに優秀な人が多いのか、教会の中でとても話が多いのです。教会の中で福音の根をおろすようにしてあげなければならない。当然しなければならない考えをしたのですが、それだけでも神様が祝福されたのです。むしろ、他の人を手助けするようにさせてくださったのです。私は以前は、一人で食べて生きるのを悩んだ者でした。どのようにすれば子どもを育てて、良く暮らせるかを悩んだ者でした。ひょっとして生きていく中に家も一軒あるだろうか。子どもたちはどのように食べさせて生きたら良いのかを悩んだ者でした。神様は、霊的問題に勝って人々を生かすこの祝福に導き出されました。創世記3:15。イエス様が来られて、皆さんの家系と皆さんを完全に捕まえている暗闇を倒される。これをだれが記録したのでしょうか? モーセです。それなら知っているはずです。箱舟の中に入れば生きる。モーセが羊の血を塗って出て行きなさい。過越の羊の血。これをモーセが記録したのです。だから、当然、モーセを通して十の奇跡が起こったのです。荒野に奇跡が起こりました。これが私たちが受けなければならない祝福の最初のことです。モーセはこういう人です。だまされずに契約を捕まえて、神様の答えを受けなければなりません。みな正しいように見えますが、そうではありません。結局、イスラエル民族が奴隷になりました。
■私たちの人生がそうなるということです。それではいけないのです。だまされるのです。それで、神様が私たちにご飯をよく食べて良く暮らすために、このように大きい契約をくださったのではありません。
■二番目です。モーセはどんな人なのでしょうか? 皆さんと全く同じです。皆さんが受ける祝福と全く同じだということです。神様の計画の中に完全に入っている人です。どのように、このようなことが行われたのでしょうか。産婆が男の子をみな殺したのですが、モーセは殺せなかったのです。どのように、こういう事がありえるでしょうか。お母さんがカゴに入れて川に流すのに、流されるままに流れます。ハンドルがあって、運転手がいないのに、それがどのように流されて王女が入浴する所に入ったのでしょうか。王女が見て、ヘブル人の子どもだと分かっても、どうしてかわいそうな気がしたのでしょうか。その子を連れていって、自分の子どもにしました。そして、モーセを産んだお母さんを乳母としたのです。どのように、そんなことが行われたのでしょうか。モーセは幼い時、お母さんの祈りを受けながら王宮で最も安全に育ったのです。
■このモーセが80才になりました。イスラエル民族を連れて出て行く。完全な神様の計画です。神様の3つの計画です。モーセが40年の間、ヘスフェリオという大学に行ってエジプトで育ちました。世の中の知識をよく勉強して、情報も知ったのです。技能も優れていなければなりません。言うまでもありません。神様の計画です。ところで、それだけではだめです。神様はモーセを40年間、ミデヤンの荒野に引き出されました。何を話すのでしょうか。霊的知識が必要なのです。神様を体験しなければなりません。いよいよホレブ山で神様の力を体験するようになりました。そして、何と言われたでしょうか。あなたの履物を脱ぎなさい。ホレブ山での事です。履物とは何でしょうか。今は、履物をお金を出していくらでも買って履くのですが、その時は履物は完全に身分を象徴することでした。ひとまず、奴隷は履物がなくて、階級にしたがって履物を履いたのです。今は、民主主義時代ですが、身分にしたがって履物がみな違ったのです。あなたがいる場で履物を脱ぎなさい。何の意味なのでしょうか? あなたの身分を変えろという言葉です。あなたは、あなたの履物を履いて思いのままに通っていたが、今は履物を脱ぎなさい。奴隷を言うのです。今まで人間の奴隷、サタンの奴隷であったが、今はわたしの働きを引き受けなさいという意味です。その後に40年間、モーセは使命を果たし始めました。
■ここでの特徴が80才の時、召されたということです。80才の時、召されたということは、年齢が重要なのではありません。モーセが80年間、持っていた情念。それが成就され始めたのです。皆さんがここに座ったのが何だと思っているでしょうか。皆さんの家系、個人、子ども、未来にすべての答えを持った場所にならなければならないということです。ツエ一本を持って行きました。持っているものが何もなくてもかまわないのです。ツエ一本をもって奇跡を起こしました。他の見方をすれば、話にならない内容です。結局は、今日、私たちが神様の契約、力ということは、私たちの頭では分からないことも多いのです。私たちの頭で分かったら信じようとすれば、聖書をほとんどみな取り出さなければなりません。処女降誕、奇跡、みな取り出してしまえば何もなくなるでしょう。神様の重要な働きは、私たちの頭の中にだけあるのではありません。皆さんが蔚山を生かして、慶尚南道を生かせる、本当に祝福を受けた教会として、神様の力で武装しなければならないのです。この祝福を、私たちの蔚山とすべてのインマヌエル、タラッパン家族が受けるように願います。どうして、モーセが用いられたのでしょうか。
■三番目です。今日の結論が何でしょうか。主の御名をモーセが一番たくさん呼んだのですが、その他に呼んだ人がいます。誰でしょうか? イスラエル民族ではありません。事件が起きるやいなや、モーセの次に主の御名を呼んだ人がいます。誰でしょうか? パロ王です。パロ王が、何度も主を呼びました。あなたの神、主に話して、この事をなくしてくれ。何度も話しました。エジプトの国全体に主の御名が宣べ伝えられたのです。何でしょうか? 宣教です。神様は宣教するためにモーセを用いられたのです。今日、私たちの海外で暮らしている家庭が受ける答えというタイトルですが、この答えをよく見なければなりません。海外に出て行ってはいけない人がいます。皆さんの専攻とは合わない時には、海外に出て行ってはなりません。福音の根を下ろしていない人は海外に出て行ってはいけません。確認してみましょう。隠しているのですが、百人ならば百人ともみな崩れます。福音がなければということです。
■私が知っている一人は、ものすごい家を買って、ものすごくお金を持って行ったのですが、完全にほろびてしまいました。韓国に帰って来ることもできずにいます。だから、必ず記憶してください。今回、私達の子どもたちと孫たちをみな呼び返しました。なぜなら、この福音の根をおろすようにして送り出そうとしています。今、海外にいらっしゃる方々はどんな方々でしょうか。まさに、この3つのことを悟らなければなりません。福音に根を下ろせば、そちらがとても祝福の場となります。そこが宣教の場で、世界化の場です。これが海外にいる人々の祝福であり、祈らなければならない理由です。結局、宣教をしないから、イスラエル民族は奴隷になりました。結局、そちらに行って宣教するようになったのです。それで、私たちの蔚山とインマヌエルの家族が、あらかじめ悟って、神様の祝福を受けるのです。今日、新しい祝福と答えがみことばを通して起きるように願います。
■ここで、どんな結論が出てくるのでしょうか。神様が私たちに向かった完ぺきな計画を持っておられます。皆さんのために持っておられるのです。神様がヨセフを通して起こされた事、モーセの事が、他の見方をすれば事件と見えるかも知れませんが、完ぺきな計画です。それで、方法が今から福音の中にだけ入れば完全に未来が保障されるのです。どれくらい簡単でしょうか。この多くの事件が出エジプト3:18中に入ったら、みな解決され始めます。どれくらい簡単でしょうか。皆さんが福音の中に入れば、皆さんの子ども、未来、過去の問題まで全部、土台になります。この一つが結論です。皆さんが福音の中に入ってしまえば、過去も全部、土台になります。それで、私がかなり健康です。幼い時に山に住んでいたからです。それも祝福です。私たちが火事に会ったから、山に国家が私たちを連れて行きました。山の空地を削って連れて行って、少しの間いなさいと告げたのです。米軍の部隊で火事が起こったので、米国で補償するから、補償する時まで待てと言われたのです。しかし、待っていたら、どんどんその村ができてしまいました。私の父がそこで亡くなったのです。そうなったのです。そうするから、人々がたまに行く登山を私は一日に何度もしたのです。だから、神様がそれも祝福で、どれくらい強硬に作って下さったか分かりません。
■前にもいつも話したのですが、途中でそのように父が亡くなったから、どれくらい難しいでしょうか。それで、自尊心もあって、お金も使うこともせず、他の人は見ずに勉強だけしたのです。だから、正しく食べることもできず大きくなりませんでした。これも世界福音化に必要なことで、とても感謝なことです。そして、ある時はたくさん食べることもできるでしょうが、少しだけ食べても大丈夫なように、からだ管理が簡単にうまくいくのです。世界福音化の中で、適切になるように全部、計画の中にありました。福音の中にだけ入ってしまえば、過去、現在、未来までみな神様の祝福の門になります。絶対に失望することも、失敗しないように、この契約を捕まえるように願います。色々な環境、事にだまされないように願います。立派な人々は、歴史をよく分かるでしょう。
■聖書はなぜ与えられたのでしょうか。歴史を見なさいと与えられたのです。聖書は何を話すのでしょうか。あなたがいくら賢くても、福音の根をおろさないとこのようになるということを説明したのです。あなたがいくら成功しても、福音の中にいなければ、暗闇の勢力に勝てないということです。どれくらい簡単な話なのでしょうか。パウロをこのように話しました。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」ものすごい実力を持っていたパウロがそのように言いました。私がこの福音を知ったら、私が自慢した全てのものをちりあくただと感じる。今、多くの信徒と主のしもべが、パウロが持って遊んだちりあくたをたたえて戦っているのではないでしょうか。今、政治家が持って遊んで捨てたものを持って、主のしもべが持ってくよくよしているではないでしょうか。それがすごいことだと思っているのです。勉強でびりの学生たちが、世の中のことはちりあくただと言ってはいけません。外に出て行って、仕事もできなくて、ご飯も食べられないのに、世の中ことはちりあくただと言えば、それは精神病の人が言うことです。ちょっと持っている人が、世の中のものが最高だと思うのは失敗することです。私たちは、蔚山をみな持ったとしても、それはちりあくたに過ぎません。皆さんが最善を尽くして勝利したとしても、それはちりあくたに過ぎないのです。神様の福音の驚くべき祝福があります。これを味わうように願います。今日から皆さんに、真に重要な答えの門が開かれるように願います。それで一言で要約すれば、たくさん聞く話でなく、初めて聞く話と思ってください。私が本当に福音の中に入ったら、すべての問題は解決されます。それで、皆さんにはモーセに起きた奇跡が起きることになるでしょう。特に海外にいる家族とレムナントに、この祝福があることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、私たちのレムナントを通した多くの祝福を、聖書を通して悟るようにしてくださり、特に家庭に祝福を悟る重要な時間をなるようにさせて下さい。私たちが真の神様がくださる知恵で新しい人生を始めるようにさせて下さい。インマヌエルの家族を祝福されて、蔚山に特別に神様が働いて下さい。今日、みことば聞くすべての方に神様のみことばが臨むようにさせてください。福音を力を分からないようにするすべての暗闇がイエスの御名で砕かれるように。今日、この時間以後に、答えの最高の日が継続される祝福を味わうことができるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/聖書にある教会の祝福
(使徒1:12〜14)

■今日、聖書にある教会の祝福というタイトルで特別にメッセージを見ましょう。聖書を私たちにくださったことは、そのまま見てしなさいということです。それでは、聖書にある教会がどんなものであり、その教会の祝福がどんなものでしょうか? これを見る前に先に考えなければならないことがあります。私たちの信徒が、いくつか誤解していることがあります。それは、教会でみことばを受けて、教会生活と世の中が違うということです。もちろん本質も違って、目的も違います。しかし、それはうわべで見るからなのです。詳しく見つめれば、問題は全く同じです。私たちは誤解をしているから、外で信仰生活を力があるようにできないのです。知らないからであって、未信者がよく暮らしているようでも、霊的にはとても難しいのです。文化が違うだけであって、みな全く同じです。ヨーロッパの人々が、韓国の人々は犬を食べると悪口をよく言います。自分たちは、他のいろんなものを食べているのに、私たちを見て何かと言います。その人々は、かたつむりのような変なものもみな食べるのです。
■初期に、英国の有名な大学を卒業した青年1人が訓練を受けにきていました。3ヶ月間、私の家にいました。ある時、勧士さんが自分の家に食事の準備をして、私を招待して、色々な人を招待してくれました。その時、その英国の友人も連れて行ったのです。問題は、その勧士がボシンタン(犬のスープ)を作ったのです。ボシンタンを牛肉からスープを煮たように、とてもおいしく作っていました。その友人を連れて行って、今日は犬を食べるということは言いませんでした。それで一緒に食べたのです。とてもおいしいと言いながら、一杯と半分を食べました。なぜなら、その前に、私と共に運動して登山したので、お腹がすいていたのでした。お腹がすいているので、韓国人も英国人も全く同じでした。帰る時も話をしませんでした。別れて10年程になっていますが、会えば話すつもりです。「あの時、とてもおいしく君が一杯食べて、さらに半分おかわりして食べたのがまさに犬の肉であった」と。みな全く同じで、米国も韓国も霊的問題はみな全く同じです。全部みな全く同じなのです。
■また私たちはこのように考えます。神様のみことばと現実が違うということです。違います。それは全部うわべを見たのです。皆さんが神様のみことばが世の中に行けば成就します。皆さんが「そうだ。本当に合うんだな。」と感じてこそ、信仰生活が正しくなされているのです。新聞を見たら、今、みことばがそのまま成就しています。そのように見えてこそ、信仰生活を正しくしているのです。また私たちは錯覚をします。「私はできない。」また、ある人は「私はできる。」このような形でしばしば誤解をするのです。これは誰がする話なのかというと、未信者がする話です。救われなかった者がする話です。私たちはできる、できないではありません。神様の計画ならば間違いないのです。未信者も勇気のある果敢な人は、天のみこころについて占いをするのに、私たちがそのような話をできないのではないでしょうか。これは基準を私に置いたのです。私が力がなければ神様ができないでしょうか? 私がいなければ、みなないことなのでしょうか? そうではありません。すべての基準を私に置いては困ります。それで、牧師が牧会を良くすることは、自分に基準をおかないことです。役員が教会にきて献身を一番良くする方法は、基準を自分に置かないことです。神様は箱の中にいる創価学会のようなものではありません。神様は霊で全世界を統治しておられ、今でも悪霊の勢力を縛られる神様です。しかし、誤解をしてしまうのです。誤解をしては答えを得られません。
■皆さんは心配があるのでしょうか? 皆さんの一番の心配は何でしょうか? 教会にきて信仰生活をほどほどにしてみようとすると、心配ができるのでしょうか? 多分、話をしなくても一番心配するのは、みなお金でしょう。これが心配になります。教会で長老の顔を見れば、お金の心配がいっぱいあるように見えます。ところで、私も以前にはそうでした。私は目さえあければ、お金のことが心配になりました。お金があってこそ、暮らして食べられるでしょう。しかし、福音を分かってからは、それはなくなりました。ある日、私はこれを悟ったのです。神様は信者でも未信者でも、節度がある人に経済祝福をくださいます。無条件に与えようとされるのではありません。正しい節度がある人です。皆さんは重要な物を誰に任せるでしょうか? それを保管できる人に任せるでしょう。お金は信者、未信者が一緒に使うことだから、お金一つ見れば人が分かります。ある人はお金だけ見れば、とてもケチになります。それをケチな人間と言います。お金を見るとジャラジャラ使う人がいます。それは、まさに大げさなだけの非現実的な人です。お金を見れば、巧みにだます人がいます。それが、まさに詐欺師のような人です。お金を見ればすべて分かります。なぜなら、信者、未信者、一緒に使うことだから、お金を見ればすぐ分かるのです。皆さんがお金を使っても、正しく使えば祝福されます。そして、お金を儲けることを考えずに、規模を先にそろえれば、お金は来るようになっています。経済はだれが与えられるのでしょうか。明らかに神様がくださいます。
■国際市場に有名な中華料理店がありました。有名でした。お金をとてもたくさん儲けたのです。この人が年をとったので、他の人に売りました。売って受理する間に、保険を解除して、保険に入らない状態でした。その間に、火事が起こったのです。完全にほろびてしまいました。人の家まで焼いてしまって大変でした。人がほろびるのは、自分の意向でなく、神様の心であるので、自分の心ではないから思いのままにできません。そして、お金は信者、未信者が一緒に使うように作られたことだから、本当に不思議なのです。それで、普通、お金を見れば、その人の未来が分かります。ある人は、教会でお金を使っても気分が悪い人がいます。教会の中で、誰かを救済したり、誰かを手助けしたりする時、相手が力が出るようにさせてあげなければなりません。教会で、何かと気分を悪くして与えれば、気に障ります。それで、とても衝撃を受けて、傷を受けて教会に来ない人もいます。
■私たちのタラッパンに行事を行えば、一般の新聞社から20〜30人ずつ来ます。ところで、だいたい私たちのメンバーが、その人々を嫌って、にらみます。言わば、この人たちが少し取材してお金を取りにきたように見えるので、ちょっとにらんで、出て行けと言いたいのでした。私が呼んで何度か話をしました。「愚かだね。あれは1〜2万円くらいにしかならないでしょう。2万円で20人ならば、40万円にしかならないが、40万円で気持ち良く、あたかも親類を見るようにして見せなさい。それが全部、口になるのだ。」新聞社の局長、社長は全部、口になります。気分を悪くさせれば、もらっておきながらも悪口を言いながら書きます。人がお金を使うのを見れば、その人の未来と人格をみな分かります。
■昔に村の王様が変わりました。パーティーをしたのです。乞食がきました。村の王様が、乞食を尊敬をすることができなかったのです。それで、村の王様が普通に話をしました。「はやくあれは、はやくご飯を食べさせて出せ。」それで乞食が無視されたのです。もらえるものをみな食べたけれど、悪口を言いました。悪いうわさを立てたのです。「今回、村の王様の家に行ってみたら、家にいろんな宝石があって、床は金で敷かれていた」と嘘をついたのです。ところで、新しい王様がきました。パーティーをしたら、乞食が先に来てのさばったのです。寒いので、そこにいずに中に入って来なさいと言ったのです。そして、乞食に暖かいご飯も与えて、お金も与えて送りなさいと言いました。この乞食が同じご飯を食べても、感動を受けたのです。行って良い話だけしました。同じお金を使うのにも、他人の気持ちを良くする人がいて、悪くする人がいます。それで、私たちに規模がなければ、神様が経済祝福をされないようになっています。本当に私が価値ある所に使ったら、神様は祝福されるようになっています。この教会が福音を伝える教会に間違いないならば、私たちが神様の前に使うのは最も尊いことが最も尊いことになるのです。
■より重要なことは、ピリピ4章19節を見ながら、そうだと思いました。全能な神様が、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。本当に必要なことに間違いないのでしょうか? 本当に神様の計画に間違いないのでしょうか? それなら、するのです。して死ぬとしても、神様の計画に合えばするのです。神様の計画でなければ、しなければ良いのです。これが重要なのです。そして、私たちが無条件に大きく出してはいけません。また無条件ではいけません。神様が祝福されるには、神様が必要なことをくださるのです。人も必要な人にならなければならないのですが、私たちが神様の前で必要なことをする時、みわざが起きます。それで、神様が願われることならば確かになるのです。鳥を見つめて飛行機を考えた人もいます。釜の蓋が動くものを見て蒸気機関車を考えた人もいます。リンゴが落ちるのを見て、地に引っぱる万有引力の法則があると考えた人もいます。だから、私たちが神様の前で本当に必要なことをすれば、神様が答えられるようになっているのです。
■さらに重要なのは、教会が信仰で一つになれば奇跡が起こります。それで、経済の祝福を受けなければなりません。信仰で一つになってしまえば、それに合わせて起きる答えがものすごいのです。イスラエルの民が奴隷だったのですが、一つになったので、エジプトを倒す奇跡が起こりました。マルコのタラッパンが貧しく集まったのですが、一つになって集まったのでみわざが起きたのです。例をあげてみましょう。私が昨日、新聞を見ました。パキスタンの人々がソウルにたくさん集まっています。韓国では外国の人々に月給を5〜7万円だけ与えれば良いのです。それで、パキスタンの人々を使いました。黒人の人々が労働をして、苦労をものすごくしています。その人々が集まって祈り場を作ったのですが、ソウルにだけ60ヶ所を作ったのです。月給5万円をもらっている中で集めて、自分たちの誠意を合わせて、イスラムの祈り場を60箇所作ったのです。私たちの神様の子どもが力を合わせれば、できないことはありません。
■皆さんは普通に考えるかも知れませんが、今、本当にサタンの宗教がたくさん起きています。全世界に散った、神様も知らずにキリストに反対する統一教徒が献金をして、世界最高の神殿を作っています。マフィアが集まってラスベガスの砂地でラスベガスを作りました。私たちが神様の恵みのなかで一つになれば、答えがくる前にみわざが起きます。記憶しなければなりません。こういうものができないのに、いくらみことばを受けても、私が何かを誤解しているのに、みことばを受けて良いでしょうか? 私が規模もなく生きるのに、どのように経済の祝福がくるでしょうか? 確かにお金は神様がくださるのです。何が問題になるのでしょうか? 私たちが本当に問題を見る目が違ってしまったのです。私は皆さんを見ると恵みになりますが、昔には通いながら見ても、このようなことを見ながら通う人を見ることはできませんでした。教会の中に多くの人々が仕事をして、この地位、あの地位にいることはあります。それが何の問題になるでしょうか? そんなことをとても問題とみなしているのです。それが何の問題になるでしょうか? 長老の中で、銃を持って人を威嚇しながら長老をする人はいません。ちょっと足りなければ、次にして、次に足りなければ直してするのです。それは何も問題になることではありません。私たちがこうしている時、外では暗闇の宗教が火のように起きています。この問題を見る目が全くないのです。皆さんならば、答えを与えるでしょうか? 皆さんが神様のならば、そのような人々に答えられるでしょうか?
■私たちの教団ではないのですが、牧師が地位争いを激しくしているのですが、その間に、エホバの証人は1年に3回ずつ回っています。問題を見間違ったということは、答えも見間違うということです。いくら祈りをしてもだめです。本当に恵みで生きているのです。飢えて死ぬので、恵みで生きているだけで、このように祝福をみなのがしているのです。問題を正しく見なければなりません。私たちが教会で何をするか、こういうことは問題になりません。会計をだれがして、執事をだれがする、こういうものは問題にならないのです。だれが会長をして、書記をしても、問題になりません。何の問題にもならないことは問題として、本当に問題になるのは真っ暗で知らずにいるのです。老会で書記、会長をすることは重要ではありません。他の教団は、それに命をかけていますが、それに命をかける価値があるのでしょうか? そうしている時に、大韓民国はムダン(霊媒師)が学校を作って、全国民を占い師にしています。今100万の会員を確保して宗教登録をすると言っています。全く問題意識がないのです。だから、少しだけ問題が何か分かっても、答えを受けるのです。
■神様は良い神様だから、私たちに答えをくださろうとするのに、うつわだけ準備されれば、いくらでも答えてくださいます。本当です。全く立派でなくても、私は、神様、学生たちと人々が伝道を知らずにいるので、説明をしますと言ったのですが、答えを受けました。外では救われる人々がたくさんいながら、さまよっているのに、教会は全く方法も知らずにさまよって、本当に問題を見られなければ本当に答えが得られません。そして、ここで失敗をするのです。時々見れば、問題を正しく見る人々は、全部、答えを受けています。私が金ジュンゴン博士を尊敬する理由は、その方は大学現場に、工場現場に、全世界に伝道運動をという話をしながら涙を流されたのです。それで、私は私たちの前の世代で韓国が産んだ湖南出身の最大の伝道者だと思っています。なぜなら、問題を正しく見ることができるためです。それで、大学を生かさなければなりません。大学に入って、福音でさまよっている人を生かすのが心にあることであって、信徒が移動すると戦っているのです。その方がこのように話しました。信徒一人が何かの株式のように、自分が伝道しなくて、自分のもののようにしていると言われました。
■私たちがやさしい話で、問題だけ正しく見ても、答えはくるようになっています。本論に入ります。本当に聖書にある教会の祝福は何でしょうか。今日、マルコのタラッパンの重要な人々が集まりました。この人たちは、すでに主は生ける神の御子キリストですと告白した人々です。この人たちは、すでにすべての問題の答えをみな得ました。キリストが来られました。神様の国、聖霊の働き、答えをみな得たのです。これ以上、問題になることがありません。この人たちが集まった場所でした。それで答えが起きたのです。7つの重要な答えが起きました。この祝福を皆さんが味わわなければなりません。この方たちが知らずに7つの重要な答えを受けました。それが何かというと、聖霊のみわざが起きたのです。使徒の働き2章1〜6節を見ると、風のような、火のような聖霊のみわざが起きました。聖霊の働きは、牧師なら受ける、そのようなことではありません。牧師は、朝の祈りに起きて、訪問して..聖霊充満をいつも受けます。皆さんは、直ちに外に出て食べて生きるべきなのに、どれくらい大変でしょうか。牧師は、そのまま祈って、そのようなことが多いのですが、長老、執事は、出て行けばどれくらい仕事が多いでしょうか。前に長老とどこかへ行ったのですが、聖日にもずっと電話がかかってきました。直ちに礼拝を終わってでかければ、明日から自動車を売らなければならないから落ち着いていられません。聖霊の力がなくてはできないのです。それで、聖霊で働くと言われたのです。この力がどれくらい強いかというと、風のような、火のような聖霊が働くと言われました。
■皆さんが少しだけ静かな時間をあけて、一度だけ祈りをすれば、すばらしいことが行われます。皆さんが本当に夜明けに起きて、そうでなければ、皆さんが最も良い時間に、聖霊の働きの充満を求めて少しだけすれば、驚くべき答えが起きます。単純な伝道ではなくて、神様が祝福の門をあけられなければならないのです。2章9〜11節に15ヶ国の門が開きました。神様の力が働けば、門が開かれます。単純な伝道の門ではなく、事業の門、すべての人の門がみな開かれるのです。皆さんが心配せずにこの契約を捕まえていれば、神様が門をあけて下さいます。こうすれば、どんなことが行われるのでしょうか。そのまま説教を聞くと思っていたのですが、このみことばがそのまま成就します。2章14〜21節。ヨエルが預言したみことばが、そのまま成就しました。これより大きな祝福はありません。牧師は何をする人なのでしょうか? 自分の説教をしてはいけなくて、神様のみことばをそのまま伝達するのです。
■皆さんは誰でしょうか? 神様のみことばを受けて行ったのですが、そのまま成就する祝福の中に生きるのです。これは止めることができないのです。この祝福、これが教会です。それで、こういう重要なことが分かれば、答えを受けるしかありません。取っていくことができません。数多くの弟子たちが隠されていて、41節に見ると3000人も起きました。この教会の中で、準備だけできていれば、神様が弟子を送られます。蔚山には多くの弟子がいます。どの教会に送るか、神様の御手にあります。それが答えです。確かに弟子がいます。私がこの貴重なお金を誰に任せるでしょうか? それは私の心次第ですが、しかし条件があります。このお金を保管できる人でなければなりません。そうすれば良いのです。それなら、果たして神様が蔚山の中にいる弟子を隠して置いておられるのですが、どこに任せられるでしょうか? そのために、神学も不十分に、牧師が信徒を取っていくと戦うのですが、信徒は取っていったりすることではありません。弟子は完全に神様の御手にあります。もし、この人が弟子を育てる人ならば、他の人が失敗をしても神様が会うようにされます。もし弟子を育てる人でなければ、弟子が近く行けば神様が目を防いでしまわれます。
■初期に私が本を作る時間もなくて、力もなかったので、コピーして聖書勉強をしていました。コピーをして来てくださいと言うと、ある子は紙をくしゃくしゃにして持って行きました。ある子は、お願いすれば、その紙を本の中に入れて持って行きました。次に果たして誰に任せるでしょうか? 尋ねる必要もありません。神様が最も貴重だと思われる弟子を、どの教会に任せられるでしょうか? 集まってとんでもないことを言う教会に任せられるでしょうか? 毎日、座って信徒のうわさだけしているのに、そちらに弟子を任せられるでしょうか? それが復興にならない原因です。インマヌエル蔚山教会に来たところ、本当にみことばが悟られる、福音が悟れて力が出る、長老、執事を見ると本当に人生に答えが出る、それが良くて、私もこれから信仰生活を正しくしなければならないな、このようならば神様が伝道をしなくても送ってくださるようになっています。ある人は知らずに失敗をしても入ってくることで、ある人はお手洗いに来てもイエス様を信じる人がいます。だから、弟子は誰の手にあるのでしょうか? 神様の絶対主権的な御手にあるから、心配する必要がありません。そんなに防いだのに3000人が起きました。私たちが異端だということを言われ、伝道するのが難しいこともありますが、初代教会は異端だと寃罪をこうむっていました。初代教会は、異端の寃罪をこうむって、事業も正しく出来ないようにされて、捕まえて行っていました。それでも、3000人の弟子が起きたのです。
■私たちは、みことばと現実が合わないと思うのですが、いよいよ現場に変化が起き始めました。2章46〜47節、毎日神殿で、毎日家で数千年の間、成されなかった宣教がアンテオケを通して起き始めたのです。みわざが起きなければなりません。それでインマヌエル教会の皆さんが1人を送っても、宣教らしい宣教をしましょう。貴重な宣教献金をささげる時、そのまませずに宣教を知ってささげれば、アンテオケ教会を見れば世界中が飢謹になっても、そちらは祝福されました。いよいよ神様のOnenessの中で共同体を成し遂げたのです。ローマ16章です。これが教会が受けた基本7つです。皆さんが考えてみて、ここに邪魔になることはしなければ良いのです。ここに祝福されることを見て動けば、みな答えられます。初代教会は、みわざが起きました。当然のことです。
■私が足りないのに、12坪から始まったのに、みわざがずっと起きたのです。私は幸いに、これをするようになった理由が、他のことをあまりにも知らなくて、することがなかったので、これをしたのです。私は、少し無知です。それで、他のことができる頭がないのです。習ったことがあってこそ、他のことをするのですが、頭を使う頭がありません。それで福音を受けたら、どれくらい良かったか、聖書にあるとおりに答えがきたのです。私がもしハーバードやソウル大を出たら、知っていることが多くて複雑だったでしょうが、それほど知っていることがありませんでした。それで引き出すことがなくて、すぐに入ってきたのです。悪魔だけ出ていって、そのまま入ってきてみわざが起きたのです。どれくらい感謝なのかわかりません。これがたいしたものでないと思ったところ、時間が経つほどみわざが起きます。私は今、大統領よりも幸せです。私は大統領を訪ねて行ったことがありませんが、大統領は、なる時ごとに私を訪ねてきました。今でもくるという人々が多いのです。もちろん、理由を知っています。私は訪ねて行く理由がありません。国会議員は、苦労して尊敬しますが、その方たちに私が助けを受ける理由がありません。釜山インマヌエル教会が、このまま行けば何万名が集まるようになるので、釜山に影響を与えられます。それで、皆さんはうつわを大きくして、契約をとらえて蔚山を動かすほどの教会をとらえて祈りをしましょう。ある日、事件が起きて答えがきます。そのまま答えがくるのですが、これは誰が見ても神様のみこころだということが分かります。
■この祝福を持って、教会の中でどのようにするのでしょうか? 皆さんが教会の中で味わう祝福2つだけ記憶すれば良いのです。たくさん記憶することもありません。イエス様がマタイの福音書5章を見れば、多くの群衆が弟子と一緒にイエス様に従ったと言われています。教会には群れがいて、弟子がいます。これだけ参考にすれば良いのです。教会は群れが弟子に変わったりもするから、このように応用すれば良いのです。皆さんが何をして、だれがどうだから、長老がどうだからと言うこともありません。教会には群れがいて、弟子がいます。イエス様が群れで病気を直すように見られたのですが、実際に救われた人が弟子です。イエス様が十字架を負われる時、群れはみな逃げたのですが、弟子は残りました。このマルコのタラッパンに群れが集まったのではなく、弟子が集まりました。それで、いらない99%は特に必要がありません。群れと弟子があるのです。賢くて立派で、それはその人の事情で、神様がご覧になるのには、群れと弟子がいます。
■昔に見れば、大人たちが集まって何かをしていました。何をするかと行ったところ、踊っていました。私たちは見物しに行くと、子どもたちは行けと言われました。分かってみたら、薬売りでした。子どもたちは、お金がないというので、あっちに行けと言われたのです。この人たちの目標は、踊りではなくて薬です。一度は、海雲台に行ったのですが、人々がとても集まっていました。男2人が音楽をしていたのですが、ものすごく上手にしていました。興味を引くように音楽をかけておいて、1人は大太鼓、1人は小太鼓を打っていました。しばらく立って見ていたのです。思わず力が出てきました。ところで、二人がするのを見ていたら、すっかり酔ってしていたのです。小太鼓を打つ人を見たら、目をとじて酔って打っていました。そして何をする人なのか見たところ、飴売りでした。その人々の目的は飴だったのです。飴を売るのに、興味を引くようにしていたのです。私たちがさっと見れば小太鼓を打つことだけ見えるのですが、飴を売っていたのです。私たちはあれこれするように見えるのですが、弟子を探さなければなりません。弟子が教会に集まり始めれば、みわざが始まります。この弟子は7つの答えを受けるから、なるしかありません。
■一度は大阪に行きました。米国人1人が立っていました。この人がどれくらい日本語が上手だったか、堪能でした。もちろん、英語もして、日本語もしていました。ところで、人がますます集まってきました。歌も驚くほどにしました。そして見ていたら、ギターを弾きました。そして後には太鼓を背負っていました。前にはベルを置いていました。そのそばにはハーモニカを持ってきていました。一人でギターを弾いて、ハーモニカを吹いて、太鼓をたたいていたのです。一人でがんばるのに、本当に上手だったのです。それで、見ていたら、CDを売っていました。それで見ながら、CDを売るためにあの実力をつけるのだなあと思いました。教会の中は簡単です。皆さんがいくら立派なことをした、何か作った、作れなかった、これは教会ではありません。がんばってするのは私たちの事情で、神様には重要ではありません。それでは、教会の外ではどのようにするのでしょうか?
■教会の外にある祝福があります。これは三つです。今日から伝道も気を遣わなくても良いです。伝道はその次にことです。皆さんが行く所ごとに、神様の国が臨むようにしましょう。これだけ味わえば良いのです。40日間、説明されました。神様の国という言葉は、聖霊が皆さんとともにおられるから、行く所ごとに聖霊のみわざが起きるようになっているのです。これを少しだけ祈れば、行く所ごとに反対にサタンが縛られるようになっています。これを神様の国と言います。表に出す必要もありません。そのまま静かにすれば良いのです。救われた者であることが確実だから、少しだけ心の底から祈りをしていれば、神様の国が臨みます。この時、目に見えなく主の天使を送って下さると言われました。不思議なことが行われます。これは目に見えないことです。一般の人々は知りません。ところで、イエス様はこのようにおっしゃられました。これをしなくては何もできないと言われたのです。マタイの福音書12章に、「強い者を縛らないで、どのようにその家の家財を奪い取れますか。しかし、聖霊が臨めば神様の国が臨む。」となっています。これを体験してみたでしょうか? 私は体験してみました。
■この間、ソウルで説教をした時、軍隊の話をしました。防衛です。そして、現場を行った時ごとに伝道現場に行って体験をしました。少しだけ祈って、しっかりすれば、神様の国が臨みます。この時から答えがくるのです。1番になろうとしなくても、答えを受ければ付いてきます。答えを受ければ、戦わなくても勝ちます。皆さんの子どもが受けなければならない祝福がこれなら、皆さんがこの祝福を受けなければなりません。これはしっかりして、アーメンを言わなければなりません。皆さんの子どもが答えを受ければ、戦わないで勝てます。この時から何ができるのでしょうか? 今は教会の中の弟子も重要ですが、現場弟子ができるのです。このことをするということです。神様の大きい祝福、これが教会が受ける祝福です。成功するほかはありません。
■前に私が説教で何度か話をしました。軍では下の人が上の人に伝道するのが難しいのです。また、裁判官を見れば、地位が高い人を下の人が伝道するのは難しいのです。祈っていました。そして、確信がきたのです。それが神様の国が臨むことです。それで、お手伝いをして、テープを贈り物にしたのです。ところで、この方がテープを贈り物にもらって、聞いて衝撃を受けたのです。それで、自分がその家にまで行ってメッセージをしました。弟子になったのです。そのような程度ではありません。この地域の最高の検事長であった方がカトリックだったのですが、メッセージを受けて答えを得ました。今はある重要な地域に行きました。今回、レムナント大会に家族を全部連れてきて恵みを受けていました。そして、そのように学のある人が、純真にとても恵みで、答えになると言いながら、とても感謝すると言いました。その人が世の中の言葉で話せば、偉い人々です。法系統にとても長い実力がある親分なのですが、その人が福音を受けたのです。どうなるでしょうか? これが教会です。強大な権力をもっていたコルネリオが福音を受けました。無視できない事業家ガイオが福音を受けました。他は必要ないと、弟子になりました。他のものはいくらしても後ほど違うのですが、弟子になってしまえば終わりです。こういう弟子が蔚山に集まったら、慶尚南道は生かされるしかなくて、この都市は生かされるしかありません。結論です。他は必要ありません。メッセージを思い切り聞いても、考えが変わらなければ、そのままです。考えだけ変えれば良いのです。私をはじめとして、年をとった方たちは、全部6.25(朝鮮戦争)の世代です。考えを変えなければなりません。変質するのではなくて、考えが変化しなければならないのです。それなら、答えがきます。伝道合宿を行けば、遺書を書くのですが、遺書を書いておいて、思い切り泣いて帰ったらまたそのままなのです。この前、宣教大会の時、宣教師に考えを変えなさいと言いました。
■私がどのようにすれば..こういう考えを変えれば、みわざが起きます。人が考えを変えてしまえば、全部変わります。それで、私たちの考えだけ変われば良いので、ピリピ4章7節に神様の平安があなたたちの心と思いを守られると言われています。すべてのこと中に神様の計画があります。ローマ8章28節に、全てを働かせて益とされると言われました。皆さんがこの恵みを受けて、弟子の道を歩いていけば、全く違ったことに行くことも、反対の人までも神様の計画があるのです。皆さんが弟子の道に静かに歩いていっていれば、事業をして、何をしても、反対の人も神様の祝福を受けます。例をあげてみます。ヨセフが行く道に、すべての反対者が役に立ちました。3番目です。皆さんが今日がとても重要な未来の土台になります。「ある日、蔚山に世界を生かす教会が立った。その教会がどんな教会なのか、インマヌエル蔚山教会だ。どのようにして、大きくなったのか?どのようにそのような祝福を受けたのか?」その開始が今日です。私が35坪から始まったのではありません。12坪から開始をしました。12坪から始まりながら、どのように考えたと思いますか? これから世界福音化の弟子が起きた時、話される場所だ、家がなくて小さい家に入りました。これから世界福音化になった時、証しできる家だ。多くの問題がきても、これから世界福音化を話せる証しだ。何も恐れる必要がありません。神様が今でも聖霊で私たちとともにおられます。間違いありません。こうしていれば、教会の中に答えがきます。答えが来ることが明らかだから、皆さんは確かにうつわを準備だけすれば良いのです。これが考えを変えたのです。確かにこの教会に人々が集まってくるでしょう。うつわを準備だけすれば良いのです。
■うつわを準備しなければ、神様が送られません。待っておられるのです。大きい湖を作っておけば、魚が大きいのがきます。水がみな腐ったちょっとして小川には、大きい魚は来ません。ひょっとして来ても、霊的問題があって、死ぬ時になった魚でしょう。正しい魚は、深くて大きい湖で泳ぎます。祝福を受けるのが確実だから、うつわ準備をしなければなりません。そのように、考えも変えなければならないのです。私たちは、たとえ蔚山にいても、世界を生かせます。たとえ蔚山ではありません。蔚山がすごいところなのです。私がこの間と今回きたのですが、また変わりました。ものすごく変わりました。今、蔚山は、急速に変わっています。だから今、蔚山で世界福音化運動をする神様のどれくらい大きい計画があるでしょうか? 当然、神様の祝福を受ける皆さんになるように願います。一つだけ考えましょう。神様が皆さんにくださる神様の国。丸ごと合わせて神様の国。この祝福が行く所ごとに成就されることをイエス様の御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。永遠な契約になるようにさせて下さい。真に聖霊のなかで勝利する新しい力を与えて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン