2006年10月8日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/契約の情念を持ったダビデ
(Iサムエル17:31〜40)

■アフリカが最も難しい時に、宣教した人が多くいますが、そのうちにリビングストンという人がいました。家族が宣教して、みんな死ぬほど、難しい時でした。奥さんは病気になって死んで、自分自身も病気になりました。そうするうちに、しばらく英国に出てきて休暇を過ごして治療をしたのです。英国の老会でこのような話をしたということです。「年もとって、これまで苦労をよくされたので、今は休まれではどうでしょうか。安らかに過ごせるようにしますから、もうアフリカに行かないで下さい。」その時、リビングストンは、このような話をしたということです。「とても難しい地域であるから、知らない人が行けば100%死ぬようになっています。それで、私たちの家族はみんな死んで私だけが残っているのです。それで、私が行くべきなのです。」そして、またアフリカに帰りました。そのようなある日、年をとっていたのですが、滝の水の下で祈りをしていたということです。同労者で、後継者である人が、いくら待っても祈りを終わらせないので、近くに行ってみたところ死んでいたということです。
■皆さんが今日、家に帰って練習をしてみれば分かると思いますが、座っていて寝れば、倒れるようになっています。しかし、この方は死んだのに倒れないで祈っていた形、そのままいたとすれば、その方が死ぬ前にどんな心でいたのかを知ることができます。どれくらい切に祈っていたのか、倒れることもせず祈っていたそのまま死んだのでした。後に多くの人々がこのように表現しました。それこそ暗い暗闇地域のアフリカの開拓者ということです。未信者もそのように話します。またはアフリカの父だと言われています。どうして、その人がそのようなことができたのでしょうか。今日、私たちはレムナントを見ながら、祈りを整理していく途中です。家庭で困難にあう時には、どのようにすべきか。それはヨセフです。また、海外にはなぜ出て行くべきで、なぜ出て行ってはいけないのか。それはモーセを通してみことばを聞きました。また、先週には、サムエルとハンナを通して最後までずっと祈れば、神様が計画を分かるようにされます。その時から、答えが来るのです。
■今日、リビングストンの話を何故したのでしょうか。私たちが祈りの答えを受けるためには、一つを捕まえるべき単語があるのです。そのような困難と複雑な状況の中で、ダビデはどのようにして祈りの答えを受けて信仰生活を良くしたのかということに対する答えです。その答えだけよく捕まえても、そのまま答えられるでしょう。私たちはものすごいことをすれば良いと思うのですが、そうではありません。また、皆さんがものすごく神様に献身すれば、良い信仰だと思うのですが、必ずそうでもありません。それ以前に、本当に神様の祈りの答えを受けようとするなら、どのようにしなければならないのでしょうか。このダビデが持った重要な課題が今日、出ています。ダビデは契約的な情念を捕まえていました。この部分を今日のみことば聞きながら、事件を通して悟れば、本当に答えが来ます。ちょっと簡単に話をすれば、契約のなかで正しく分別がある人だということです。私たちが生活をしていれば、分別がない子どもと住むことはできても、分別がない大人と住むことは本当に大変です。失敗をしたか問題が生ずれば解決することはできます。職場生活をしたり、生きていく時、まったく水準が低い話にならない人と一緒にいれば、大変です。本人は絶対にそうだと思わないのですが、他の人が大変なのです。とても分別がなくて、レベルも低い人が職場の中に1人いれば、上から下までみな苦労します。本人だけが知らないのです。
■ダビデ時代がそうでした。とても人々が考えもなくて、分別がなかった時代でした。少し悟ったのが契約的な情念です。信仰生活はそんなに難しくありません。不必要に難しくして、骨を折るようにする必要はありません。聖書にはそのようにはなっていません。疲れて重荷を負っている人は、わたしのところに来なさいと言われました。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。わたしについて来なさい。わたしがあなたがたを人間を捕る漁師にしてあげようと言いました。男1人がとても分別がなくて、レベルが低ければ本当に難しいのです。子ども達がうちのお父さんが足りないと話して回ることは、大変なことです。一番苦労する人は奥さんです。反対に、奥さんにとても分別がなくて、とてもレベルが低ければ、家族みんなが大変です。それで、私たちが考えを正しくするということが、答えをみな受けることなのです。考えを正せば、その時から答えが与えられます。これよりもう少し深くなったことを情念と言います。注意しなければならないことは、情念は誰でもすべてが持っているのです。これが問題なのです。違った情念や、福音でない情念は、必ず皆さんに被害を与えます。それで、とても危険を与えるのです。サウル王は、その情念が精神を狂わせました。こういう部分を見れば、聖書を見れば体験することができます。
■私が知っている執事一人は、死ぬ時、ずっと北朝鮮の話だけして死にました。訪問しに行ったら、北朝鮮の話だけ継続してしました。なぜなら、息子、娘を北朝鮮にみな置いてきたのですが、この方がそれが情念になっていて、死ぬ時になってそれが忘れられないで、そのようになったのです。間違っているのではないのですが、それが福音に大きい益になることではありません。それで、この人が病気になりました。とても注意しなければならないでしょう。それで契約的な情念。ダビデ時代を知っているでしょう。状況を知っているでしょう。ここに契約的な情念を持った人がダビデです。これだけ持っても本当に答えがきます。
■それなら、ダビデはこの難しい時に、どんな契約的な情念を持ったのでしょうか。ほとんどみなが世の中が好きで、名誉やお金に目が見えなくなっています。本当に神様を信じる者がいなかったのです。それで、それがダビデの情念になりました。私は私の力なる主、私は主を愛します。主は私のやぐら、盾、主は私の羊飼い、私は乏しいことはありません。そのような言葉は何でもない言葉のようですが、皆さんが最も失敗する時がいつか分かりますか。神様がいるのか、いったい神様がいるなら、このようなことがあるのかという質問をする時です。最も危険な時です。そして、最も力が抜ける時がいつでしょうか。人を通して神様が信じられなくなったり、人が神様を信じないように見える時です。最も力が出る時がいつでしょうか。「神様が私とともにおられるんだな。」という時です。皆さんを通して、神様が共におられることが感じられる時が最も力が出る時です。それでダビデはその情念を持って詩78篇で主を見上げました。それほど難しいことではありません。ところで、王になっても詩5篇を見れば、夜明けに祈りをしに出て行くことが見られます。
■神様を信じれば問題がみな解決されるのに信じないのです。実際に神様を信じません。事に出会えば信じないのです。こういう事が情念になるほど、ダビデはたくさん困難な目にあいました。サウル王を実際に見たら、神様を信じないのです。ゴリヤテを倒して戻ったら、女たちがサウルは千を打ち、ダビデは万を打ったと言いました。そうしたら、本当に神様を信じる人のならば、そうだと言ったでしょう。本当に我が国を生かす指導者が現れたようだと言わなければならないのではないでしょうか。しかし、聖書にはそうなっていません。「サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って」と言われています。非常に怒ることでもないのに、そうなったのです。その時からダビデを殺そうとしたのです。ダビデが見る時には、神様を信じる者がいなかったのです。それがダビデの情念でした。私の力になる主よ。私は主を愛します。逃げ回りながらも、主は私の羊飼い。私は乏しいことはありませんと告白しました。とても重要な言葉です。この一言を持っても、今日から答えを受けられます。ダビデ王は国々の前で主が生きておられることを証しすると言いました。一番良い祈りです。それがダビデの情念になったのです。教会に通っていて止める人々を見れば、教会を通して試みにあう人がかなり多いのです。どれくらいくやしいことでしょうか。皆さんに会った後、神様が生きておられるという気がすべきなのに、皆さんを見たら、神様がいないように感じられることぐらい悪いことはありません。そこに対してダビデは契約的な情念を持っていました。神様が私とともにおられることを自分は知っているから、これを証しすべきだという情念を持っていたのです。考えがあるならば、分別がなければならず、情念がなければならないのです。情念がない民を見ると、米国は全部、麻薬にみな溺れて死んでいます。単なる情念ではなく、契約的な情念がなければなりません。
■私はダビデを見ながら少し分かります。私が一度、仕事があってホテルにいたのですが、ホテルの向かいの窓にだれか男が立っていて、私の部屋を注目していました。それも、そのまま立っているのではなく、からだを隠して、頭だけ出して見ていたのです。自分は隠れていたのですが、あかりのために全部見えたのです。私の部屋を狙っているのに間違いありませんでした。それで行って帰るのをずっと見ていたのです。だから逃げてしまいました。そして、明け方2時にしばらく寝ていたら、電話がきました。いきなり電話をとると「牧師先生、そちらに行きます。」と言いました。語り口を聞いたら、光州の人でした。私は光州で止まっていたのです。誰ですかと尋ねたところ、牧師先生にしばらく会わなければなければならないと言いました。時計を見たら、明け方2時だったので、寝ているのに、何なのかと思って誰かとずっと尋ねました。牧師先生、私は誰々です。名前まで話しながら、急な事のように、すぐにそちらに行くと言いました。
■思わずそうですかと言ったのですが、夜にだれが来るのかとフロントに連絡をしたのです。ちょうどエレベーターがはやく降りて来なかったので、その人がエレベーターの前で待っていたそうです。それで、フロントの人が尋ねたのです。牧師先生は、あなたのことを知らないというのになぜきたのですか、誰ですかと尋ねたのです。その時も、エレベーターが降りて来なかったそうです。そうしたら、逃げたということです。その時から眠れなくなりました。次の日に集会をすべきなのに、ひょっとして窓から入って来ないだろうかと思ったりしました。だれがしているのかと思いました。その時、ダビデを考えてみたのです。何千人もの兵士が王の命令によって、自分を殺そうと追いかけてくるのに、どれくらい不安だったでしょうか。ダビデは、この危機の時、主を見上げるしかなかったのです。それで自分の人生の情念になりました。
■私も30年伝道しながら多くの人々との出会いを経験しました。自分の利益、損害で、気分が悪くて腹が立てば、神様がいなくなります。私はそれでたくさん困難な目にあいました。それで私はやり返しませんでした。なぜかというと、私までそうではいけないためです。私まで神様を信じなければ、どうなるでしょうか。人は完全に急変します。他の人になってしまうのです。そんなに聖霊充満して、ハレルヤといつも言っていた人が、まさに他の人になります。幸いに、その人たちの特徴はみなほろびることですが、それでも、人はそのように変わるとは考えられません。神様を信じる人がいないのです。だからダビデが見る時には、どれくらい切実だったか分かりません。皆さん、情念にならなければなりません。私たちのレムナントと皆さんが外に出て行って神様が生きておられることを証拠する、そのような証人に対して情念を持たなければならないのです。そのような程度ではありません。何を着て、何を食べて生きるのかが問題ではなく、国がほろびているのです。そこに対する情念がありません。
■国がほろびているのです。今、ペリシテが攻めてきて、何度か攻撃して、今、また攻撃をしてきたのです。何の情念もありません。考えもないのです。全部、恐れをなして震えています。ダビデが持った情念です。そのようにできるか。その時、ダビデは羊を飼っていました。しかし、国が危機に陥ったら、全部、恐れをなしてみな逃げる考えに追われていたのです。だから、王が言うのに、あのゴリヤテと戦う人さえいれば、財産の半分を与えて、税金を免除して、婿とするというのにも出て来ません。おわかりの通り、その時、ダビデがお手伝いに行ったのです。ダビデが勇気を出したり、蛮勇を振るったのではありません。冒険を一度しようということではありません。明らかな契約を持って行ったのです。兄たちに確かに話しました。ゴリヤテと戦うと。分別も考えもない兄たちが言う言葉が、お前は元々、幼い時から高慢だったと叱責したのです。サウル王の前に立ちました。
■そこで、言った言葉です。私が父の家の羊を飼っていて一匹もなくしたことがなく、主は私を獅子の歯と足指の爪から救い出して下さった。これが普通の話になりません。まして、神様があの割礼を受けることができない者、神様を侮辱する者の手から救い出して下さることを信じると話しました。直ちに走って行って、何と話したのでしょうか? とても驚く話をしました。お前は剣と槍と投げやりを持って向かってくるが、私はお前が侮辱する主の御名でお前に立ち向かう。今日、イスラエルに主なる神が生きておられることを証しする。ダビデが言った言葉です。命は剣にあるのではなく、主の御手にあることを証しする。今日、主がお前の首を私の手に与えられた。前にも話したのですが、とても高尚に話しました。
■簡単に話せば、お前は今日死んだということです。国を乱れさせて、人を殺そうとして主を侮辱するお前は今日、死んだということです。詩人なので、詩的に表現しました。そこでゴリヤテの首をはねました。そして、完全に勝利したことを私たちはよく知っているでしょう。単純なことでなく、ダビデが持った契約的な情念です。そのような程度ではありません。ダビデがもう一つの情念があります。契約的な情念。それが何でしょうか? 昔に奴隷になって帰ってきた時、神様がくださった契約の箱。その契約の箱がエリの家にあった時、サムエルがそのそばで寝ていました。ダビデが幼い時、ペリシテに契約の箱を奪われて恥ずかしめを受けたことがありました。その契約の箱が戻った事件をダビデは知っていたのです。サムエルが、ある日きて王になると話をした時、その話をみなしたでしょう。ダビデが心に抱いたのです。他の人はみな自分が食べて生きることだけ考えていたのですが、ダビデはそのような程度ではありません。一段階上で、契約を情念で抱いたのです。王なるやいなや、ダビデの町にその契約の箱を移しました。契約の箱を移した時、とてもうれしくて、ダビデが踊ったということです。そして、神殿を作る準備をしました。私たちは良い家とベッドで寝るのに、契約の箱を迎える家がなくて良いだろうか。ダビデが祈りの答えを受けたのは、考えが本当に正しかったためです。それだけでも答えが与えられます。後には、神殿を作った時、お金がとてもたくさん集まったから、持ってくるなと広告を出したほどです。そして、何と言ったでしょうか? これも神様がくださるのではないか。私たちがささげる献金も神様が与えられるからささげるのではないのか。このようにして神殿を作る準備を完全に終えたのです。
■私たちは、ダビデが持った契約的な情念が皆さんの中にあるならば、確かに色々な面で答えの門が開かれます。門が開く以前に、人が違うのです。それ以前に、教会が違います。それが重要です。そうではないでしょうか。国家を本当に愛する人は違います。普通の人々に会えば違います。警察、とても高位の幹部と、単なる一般警官は違います。単なる警官は、お金を少し与えると、それはいけないのに言いながら受け取ります。そして、とても高級の警察官は国家観があります。軍人も将校を見れば、頭で策を講じるのですが、とても高級な将軍を見れば違います。卒兵はいつも除隊する考えに追われています。どのように同じでしょうか。同じ人、場所に一緒にいるといっても違うのです。この契約的情念を持っていなければなりません。単なる情念を持っていてはいけないのです。契約的な情念です。そうなれば、いくつかの特徴が出てきます。ダビデは一人で羊を飼っている時に、詩を書いて、賛美もして、作曲もみなしました。後ほどレムナントたちのために特別に話しますが、契約的な情念を持った人は、個人の時間を味わうのが違います。契約的な情念を持った人は本当に真の勇気も持てます。ゴリヤテの前に立った時、私が死ぬ、生きるということを計算しませんでした。そして、待つ事もでき、耐えることもできます。サウル王がそのように困らせるのにも、最後まで耐えました。この契約的な情念を持った人は、神様が何を喜ばれるのかを知っていました。それで、その時代的な神殿を準備して、神様に栄光を帰したのです。
■そしてさらに驚くべきなのは、人と事件を見る目も違います。どういうことなのでしょうか。年を取ったら、だれが王になるかという問題が上がってきます。当然なことなのですが、次に王になれば一生するから王になって気楽に生きようとするのは当然の話ではないでしょうか。それで、自分の息子アブシャロムが反乱を起こしたのです。その時、ダビデはどのようにしたでしょうか。人が違います。戦いになれば、息子を殺さなければならないから、裸足で逃げたのです。裸足で逃亡しながらダビデがした話があります。急いで逃げながらしたお願いを見て本当に私は驚きました。「アブシャロムを絶対に殺してはならない」反乱を起こした自分の息子を殺さないでくれと言いました。しかし、アブシャロムは殺されてしまいました。ダビデは本当にみじめだったのです。逃げるのに、履き物を履く時間もなく、裸足で逃げました。その時、シムイという人が現れました。シムイは、サウル側の人でした。もうダビデは終わったと思って、呪って悪口を言ったのです。まだ王なのに、悪口を全部すべて動員して毒舌をはきました。その時、ダビデのそばにアビシャイという将軍がいました。将軍はみな戦いが良くできる人がします。この将軍がそれを見てとても腹が立って「直ちにあいつの首を打つ。」と言いました。
■その時、ダビデは「何か関係があるのか。静かに置いておきなさい。あれは主なる神様がさせられるから、しているのであるから、心配するな」と告げました。すでに目が違います。皆さんならば、そのようにするでしょうか。それにしても、頭にきて死にそうなのに、直ちに首をはねるでしょう。私なら、力もない人が王を見て悪口を言うから、怒りが出たが、加速化するあいつの首を直ちにはねろと言うでしょう。しかし、ダビデは私のからだから生まれた子どももそのようなのに、ましてシムイは当然ではないのか。主なる神様が私のくやしさと苦痛をもって、私をあわれんで恵みを与えて下さると言いました。ダビデは完全に勝利して戻ってきたのです。契約的な情念を持った人は違います。少し極端な話です。契約的な情念を持った人は、じっとしていても答えを受けます。この契約的な情念がなければ、仕事をよくするといっても、良いことではありません。信仰生活は難しいのではありません。神様の契約を捕まえて本当に恵みを受けるように願います。皆さんがみことば捕まえて祈りで参加すれば良いので、無理にする必要はありません。ある教会では、仕事をよくすれば良い信仰人だと言うのですが、聖書にはそうなっていません。ものすごい功労をたてれば、良い信仰のように思う教会もあるのですが、聖書にはそうなっていないのです。たとえ時間がなくて、一週間に一度礼拝をささげても、神様の契約的な情念を持った人は、行く所ごとに答えを受けます。難しくありません。
■私の場合には、私たちが立派で大きい人物だとか、そうではありません。私は6.25(朝鮮戦争)時代に暮らしていたので、韓国が本当に貧しかった記憶があります。それが情念になりました。私たちの民族がとても貧しく食べて暮らしていました。米国から持ってきた救済品を分けて着ているほどでした。それでも、うちの父は少しより良い方でした。外で大人たちが救済品を互いにたくさん持とうと戦ったりしたのです。それで、幼い時よく知らずに見物していたら、ほとんど殴る人ではなかったのですが、私のほおを殴りました。そんなこと見てはならないと言いながらです。その時は何の話かわかりませんでした。どれくらいみじめだったでしょうか。戦争が起きて他人の古着をさらに着ようと戦ったりしたのです。そこに対する情念がないならば、それは精神病者ではないでしょうか。それを見ながら、私たちが無能で、神様なくてはこのようになるしかはないのを見ました。それが何が難しいのでしょうか。そして私は教会生活をしました。教会の中があまりにも複雑でした。話もとても多くて、全く福音がありませんでした。私はそれを見たのです。私はそれが情念になりました。教会は福音を正しく知って伝える所です。福音と救いに関係ない人々が集まって騒々しくしていたのです。
■幼い時からそれを見ていました。それで、神様、この福音を全世界に伝えなければならないでしょうという契約を捕まえたのですが、神様が答えを与えられたのです。そして、外に出てみて、さらに驚いたのです。それで、私は皆さんと伝道運動のために集まる方々がどれくらい大切かわかりません。皆さんは見ていないから、よく知らないでしょう。私にはとても大切です。皆さんが今日、この契約的な情念を捕まえていれば、じっとしていても答えがきます。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。事実なのに、この話しを聞く必要があるでしょうか。
■皆さんがこの契約を捕まえる時にこそ、みわざが起きます。聖霊は皆さんが信じる時こそ、驚くほど働かれるということです。なぜでしょうか。まだ地球の終末までは、暗闇の勢力とサタンが皆さんにチョロチョロ付いて回ります。皆さんが勝つことができないということを知って、付いて回ります。皆さんがあまり信仰生活を熱心にしなくても、救われた者と知って触れないのです。少しの間でも不信仰しないかと思って、その時、触ろうと少しの間だけでも気をおとして信仰が落ちる時に触ろうと付いて回っています。それで、この契約を捕まえるのです。私は昔にいくらみことばを聞いて礼拝をささげても、幸せではありませんでした。しかし、とても簡単だったのですが、答えがありました。私は神様のみことばを捕まえて安らかに一週間考えながら祈ってみました。驚くことが行われたのです。それだけしたというのにです。
■そして、他の人にどのように伝道するのかという以前に、相手について知って祈って福音を伝える準備をしていたら、神様は驚くべき答えを与えられました。この契約を持ってだけいれば良いのです。不必要に、どのように伝道しなければならないのか悩む必要はありません。相手に対するスケジュールを持っていなければならないのです。職場の中に福音を伝える人がいるならば、その人に対して祈りだけしていても、門が開かれます。それだけ持っても良いのです。今日、私たちは何を持って信仰生活するのに答えを受けることができるのでしょうか? ダビデのように契約的な情念を私たちの心に持っていなければなりません。
■私はRUTCは契約的な情念です。まだ私たちのレムナントの中で教育ができず、共産主義がより良いと思う子どもたちが多いのです。教育ができないからです。それで、学生たちを集めて韓国のおもな敵が誰かと尋ねてみたら、10人が7人が米国だと書きました。まだそんなことを着実に教育させているのです。教会が起きなければなりません。これが情念にならなければなりません。私たちが韓民族が共に統一するのは当然ですが、共産主義思想ではだめです。どのように、共産主義思想を持って、韓国を統一することができるでしょうか。そこに今、参加する人々が学校の先生が半分です。これくらい教育がだめになっているのです。それで、私はレムナント教育をさせなければならないと思います。本当にレムナント教育をさせなければなりません。それしかないのです。着実に共産思想を植えて、今、韓国を見て下さい。本当に福音とは完全に反対になる思想が植えられています。皆さんの子どもたちをそのように教えてはいけません。私たちの民族と日本、世界は本来同じ種族です。それで一緒に生きなければなりません。ユダヤ人のように、私たちの民族だけ、これだから殴られて死ぬのです。北朝鮮が今、私たちの民族だけだと言っているので、アジアで一番、貧しくなりました。グローバル時代に合わない思想でいるのです。
■神様が一番初めにアブラハムを呼んで、あなたによって国々が祝福されると言われました。皆さんの子どもが外に出て行って、入ってはいけない考えがたくさん入って育っています。RUTCを作って変えなければなりません。その中に福音を植えて、神様のみことばを植え付けなければ、大変なことになります。ところで、教会が福音がないのが情念ですかと言います。福音がないという言葉がよく聞こえないのではいけません。本当に、孝行息子は親孝行をしておいても不孝者だと話します。そうではないでしょうか? しかし、にせ物は、何もしていないのに、自分がよくできないことが何があるのかと言います。親が私にしたことが何かと言います。これが本当に不孝者です。本当に愛国者は国家のために多くのことをしておいても、私は国家のためにしたことがあまりないと言います。全く同じです。本当に福音を持った人は、私たちの教会が福音がなくてこのように問題がきたといってこそ正しい言葉です。なぜ福音がないのか?タラッパンにだけ福音があるのか?このような形でひっくり返してつかむのです。あなたにだけ福音があるのか?このような形です。その話ではありません。本当に福音を愛したら、福音の前に私たちが足りないことを認めなければなりません。私はそれが最高の情念です。皆さんが福音だけ捕まえたら生かされます。私たちの民族が生きる道がその道しかないのです。私たちの民族が物質で、共産主義で生きるということでなく、福音で生き返らなければならないのです。全世界が福音で生き返ります。これが皆さんの情念にならなければなりません。契約的な情念です。
■私は能力があるないが関係なく、皆さんにそのまま対しているのではありません。神様が首都圏に福音運動を少しでもしなさいと私と皆さんに会うようにされたのです。それならばすべてです。それなら、皆さんはこれからこの契約だけ捕まえれば、ダビデが受けた答えをそのまま受けるようになります。今日、ダビデが受けた答えを私たちのインマヌエルとすべてのタラッパンの家族が受けるように、イエスの御名でお祈りします。このメッセージがよく整理できないこともあります。祈りの答えを受けるように整理されるべきなのに、よく整理できないこともあります。本当に祈りの答えを受けて、今日このメッセージを捕まえて六日の間祈るべきなのに、どのようにこの契約を正しく捕まえるのでしょうか。その話が他の話ではありません。
■今、クリスチャンと外の多くの人々が、神様の答えをみな受けなければならないのに、みなのがしてとんでもないこと捕まえているのです。そこに対する祈りをするように願います。神様はダビデにくださった答えを皆さんにくださるでしょう。この祝福を皆さんと皆さんの子ども達にあるようになることをイエスの御名によって祝福します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今日、契約的な情念を捕まえる時間になるようにさせて下さい。私たちの考えが真に正しくなる時間にさせて下さい。私たちの民族が正しく考える祝福を下さい。そして、すべての民族が生き返り福音で生きるように働いて下さい。今日、私たちが契約的な情念を悟るダビデのように勝利する神様の人々になると信じます。今週六日間に、大きい答えを受ける週になると信じます。今日、この時間に主が聖霊で働いて下さい。今、この時間に聖霊の力で按手して下さい。病気になった者が治る時間にして下さい。各種の不治の病がイエスの御名で崩れる時間になるようにして下さい。すべての悪い霊、病気がイエスの御名で離れる時間になるようにして下さい。私たちの霊的な病気が、主イエスの御名で解決される時間になるようにして下さい。私たちの職場現場に暗闇がイエスの御名の前に離れる時間になるようにさせて下さい。それで真の祝福を味わう証人になることを祈ります。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/レムナントが持たなければならない契約的な情念
(Iサムエル17:31〜40)

■皆さんレムナントが外に出て行った時、人が一番難しいのです。特にどんな人が難しいかというと、サウル王のように少し精神が狂っているのに、表に出ない人です。王もしているのに、霊的な問題がある人の話です。こういう人がかなり多いのです。そこにまた引っかかって、とても問題に会います。そして、ダビデはこういう試練にとてもたくさん会いました。とうてい解決できないこういう慢性的な問題に会うようになったのです。ところで、重要なのは、神様が皆さんをどのように「用いられるのか」が重要です。人々の中には、しばらく用いられる人がいます。そして、適当に用いられる人もいます。しかし、神様が正しくダビデのように持続して、大きい人物として用いられる人がいるのです。皆さんは問題や試みに会った時、どのようにするかが重要です。事実上、問題がきた時は必ず答えがあります。そして、試みはほとんどみな置いておけば過ぎ去ります。試みのような、こういうものはほとんどみな過ぎ去るから、私たちが更新できる良い機会です。
■皆さんが慢性的な問題に会った時、倒れなければ祝福されます。こういう場合があります。結婚をしたのですが、男に問題がある。そんなことは、ある面でやさしいのです。とうていだめな人がいます。サウル王がここに属します。問題もあって、試みもありますが、サウル王は直せない人です。ダビデがこれをよく乗り越えたのです。それで、ダビデはイスラエルの王中で最高の王として用いられるようになりました。特に私たちのレムナントは、ここでいくつかのことを必ず記憶しなければなりません。ダビデはどのように答えを受けたのでしょうか? 私たちは今、大きい答えをどのように受けるかという以前に、ダビデには重要なことが一つあったのです。これはレムナントが必ず持たなければならない部分です。ダビデは成功できるキャラクターを持っていました。これは、レムナントの時にそろえなければずっと困難にあいます。ダビデは契約の人だったのですが、それ以前に成功できるキャラクターを持っていました。
■ひとまず、ダビデはとても謙虚でした。どの程度謙虚だったかというと、一度もサウル王を非難したり、難しくさせなかったのです。その一方で、ダビデは大胆でした。レムナントは記憶しなければなりません。謙虚ながらも、大胆でした。そして、ダビデはとても良い習慣を持っていました。これがどれくらい重要かわかりません。もちろん、大人たちにも重要ですが、レムナントには、言うまでもなく重要です。それと共に、ダビデは未来を見るすばらしい目がありました。この話は幼い時に、すでに指導者に対することをそろえたという意味です。レムナントは、指導者の本をたくさん読んでみなければなりません。心に何が含まれているかが、とても重要です。それと共に、羊一匹なくさないで、お手伝いをする時はすばらしい経済の規律も持っていました。王になった時も経済的に成功しました。これが福音の中でのダビデのキャラクターでした。
■大人たちも記憶しなければなりません。本当に大きく用いられることは、他人の話をしません。レムナントが必ず記憶しなければなりません。未信者も本当に大きい人物は、他人の弱点のようなものを言いません。それは、普通、小さい人物がすることです。ダビデは大きい人物でした。ところで、おかしなことがあります。ダビデだけそうなのではなく、レムナント7人が全部そうでした。その話は、今でもそうだということです。今、普通の人を見れば、他人の話を簡単にして、他人の話をしばしば違うようにします。しかし、レムナント7人はそうではありませんでした。これが大きい人物の条件です。レムナントは、大きい人物にならなければなりません。小さいサイダーのふたのようなものがどれくらい入れられるのでしょうか。大きい人物にならなければなりません。これは私たちの教会は大きい教会になるために、大人たちも記憶しなければならないことです。適当にして行くのならば知りませんが、神様に正しく用いられようとするなら、確かに違います。
■ヨセフの場合は、監獄の中に行きながら、他人のことを話しませんでした。すごいのです。それが真の謙そんです。私たちは謙そんといえば、無条件に力をみな抜いて通うと思っているのですが、それは謙そんではありません。本当に、どれくらいこの人がすばらしい人だったでしょうか。私なら話をしたでしょう。ダビデを見れば、その大きい困難の中で逃げ回りながらも、サウル王のことをだれかが悪口を言えば、違うと言いました。サウル王を殺す機会が何度かあったのですが、わざわざダビデはサウルを保護しました。その一方で、本当に自分の命を惜しまないで重要な時は大胆でした。これが特徴です。それと共に、時間ができたら、ダビデを見れば、皆さんが時間ができる時が本当に重要ですが、ダビデは文章を書きました。そして時間があれば祈って賛美をしました。これが違ったのです。
■そして、ダビデは祈れば出てくるのですが、遠く見通していました。その一方で、羊一匹なくさないというとても充実した働き人として育ちました。その一方で、イスラエルを生かしたのです。レムナントが必要なことです。それで、普通の人は、お金をどのようにするかを見ればだいたいわかります。霊的な問題は色々な種類がありますが、この問題は少し人に被害を与えることがあります。習慣が酒を飲む習慣ならば、酒をずっと飲んで死ねば関係がないのですが、このお金の習慣は人に被害を与えるのです。皆さんは普通に思うでしょうが、イスラエルの国では羊を飼う時、みな羊を飼うので、みんなが出て来るのではありません。我が家の羊、アキコの家の羊、そして、牧師先生の家の羊がいれば、一緒にして私が一度見張って、一回ずつ交代して見張るのです。そうすれば、夜にみな出てくる必要がありません。ところで、そのうちに悪い人がいます。羊を取って食べる時、自分のものを取って食べないで、他人のものを取って食べるのです。おろそかにして、見失ったりもします。ダビデは、羊一匹なくしませんでした。
■いくら神様の祝福があふれても、この部分ができなければ、うつわができないのです。それで、うつわを大きく、大きい人物でずっと用いられるように準備をしなければなりません。そして、インマヌエル教会も、ソウルには礼拝堂もないがのですが、大きい人物で、大きいうつわで始めなければなりません。こういうキャラクターを持っていました。それと共にどんな答えを味わったのでしょうか? 今からレムナントが味わうでしょう。何を味わうかがとても重要です。個人の時間です。福音を持ったレムナントは、個人の時間をよく味わわなければなりません。詩篇78:70〜72を見れば、ダビデがどのようにしたのかが分かります。羊を飼いながら、すでに詩、文章、作詞、作曲をみなしていました。そして、すでに空いている時間にすばらしい戦闘の技能をそろえたのです。レムナントは、事実は福音を受けたので、今日のメッセージを受けたことを捕まえて一週間の中で一日だけ祈ってもみわざが起きます。何も難しくもないのですが、こういうものをのがすのです。事実、メッセージを聞いたことを整理だけしても、みわざが起きます。それで、ダビデは羊を飼って、空いている時間に賛美して、祈って、文章を書きました。それで空いている時間がとても重要なのです。
■昨年、少しの間、チームと秘書と休暇に行ってきました。秘書が私を休ませてあげると言いながら、静かなところに私を置いてくれたのです。とても静かで何もありませんでした。そして、よい所にお連れしますと言って、日本のすみに連れて行ってくれたのですが、誰もいませんでした。さらに良いようにと休ませてさしあげますと言いながら、自分たちどうしで遊びに行きました。退屈で一人ですることがなかったのです。外に出て行っても、言葉も通じないし、山の中に置かれたので、することがなく、運動をすることもなくて、何もありませんでした。ずっと行ってみると海がありました。海をしばらく見つめて、時間がこれで二日もあるのに、どのようにしなければならないのかと思ったのです。ソウル市内には、ドアをあけて出て行けば食べるものもありますが、そこにはなかったので、一人でいたので懐かしく思ったりしました。その時です。私がメッセージをする時だけ祈りをするのではなくて、休む時も祈りを正しくしてみようと思いました。
■そのように祈って、その日、私があっという間に書いたのです。「レムナントよ。目覚めよ」それをそこで皆さんが大変だと思うでしょうが、4番まで作詞しました。その理由が、時間がちょっと多かったので、4番まで書いたのです。ところが、私が見てもよく書けたのです。そして、曲を頼んだ時、全く名前を明らかにしないで、いくつかの曲をつけて持ってきた時も、誰なのか知らずに聞きました。わざわざ秘書にだれが作ったと話さずに、曲を持って来て下さいと言いました。それで、そのうちでこれが良いように思えるのを選んだのです。選んで見たら、チョン・ジンウクが作ったものでした。すなわち、私が音楽を聞く耳も少しあるということです。ダビデが空いている時間に賛美して文章を書いたということが、普通の祝福ではないということを感じました。それでレムナントよ、目覚めよというこの賛美が出てくるのを、一番最初に聞いた時、変な感じでした。歌う人と聞く人とみな違うでしょうが、私はまた違いました。なぜなら、これを私が海辺で一人で作詞して作ったのを歌うので、気持ちが本当に違ったのです。私はダビデの心を少し理解できました。
■ダビデが詩篇の半分ほどを書いたのです。ダビデは賛美をする時、サウル王が癒されて、悪霊が離れる程、音楽が上手でした。福音を持った者の音楽はそうです。もし聖歌隊がなければ礼拝になりません。これなしで、ぼうぜんと見つめて、説教が終わって家に帰ってしまえば変です。私が普通、伝道集会をしてみると、そのままするのと、賛美してするのは、違います。それで、いくら大変でも使命を持っていなければなりません。それだけ賛美が重要なのです。皆さんはそのままする賛美でしょうが、福音を持った者の賛美は、暗闇の勢力が逃げるのです。必ずレムナントはこのようにしましょう。空いている時間を成功させましょう。どうせ皆さんは福音の中にあるから、大きい人物で用いられるのか、しばらく用いられるかです。皆さんは、福音を持って祝福された人が確実だから、二つの中の一つです。しばらく用いられるのか、適当に用いられるのか、正しく用いられるのかです。そのためには、成功できるキャラクターからそろえなければなりません。その時からは、この祝福が来ます。
■ダビデが次にどのようにしたのでしょうか。幼い時、少年時代にすでに専門性をそろえていました。レムナントは、すぐ答えを受けようとせずに、専門性をそろえなければなりません。すぐに成功しようとしないように。すぐ成功しようとするのではなく、専門性をそろえましょう。色々な問題を持って揺れずに、レムナントは専門性を持ちましょう。どの程度、専門性を持ったのでしょうか。学生たちは尋ねます。私の気質は何か、タラントは何か、これからどのようにすべきかと尋ねます。こういう質問もする必要がありません。皆さんがもし本を読んでも、本を一冊正しく読みましょう。そうすれば良いのです。皆さんが旅行に行っても、メモ紙を持って正しく旅行に行きましょう。また、だれかがお手伝いをさせたら、お手伝いを正しくしましょう。それを専門性と言います。何も難しいことがありません。聖歌隊をすれば、私の自ら聖歌隊を正しくするのです。教師をすれば、教師を正しくするのです。それが専門性です。それで羊一匹なくさなくて、獅子と戦ったのです。どれくらいすごいものでしょうか。これが何でもないことだと思ったのですが、ゴリヤテに勝ちました。専門性が、ある日、事件が起きれば専門化となります。何でもないのですが、そうなるのです。簡単に話せば、石を一つ投げて成功したのです。このようになります。それで、レムナントは専門性をそろえることを銘記しなければなりません。専門化になるので世界化になり、世界化になるので福音化になります。
■ダビデの三番目のことです。ダビデは遠く見通して時刻表を見ました。レムナントは、時刻表を見て耐える時もなくてはなりません。これがとても重要です。レムナントは、多くの困難が来ても、待つ方法も分からなければならないのです。この時、すべての答えが備えられます。Iサムエル18:7〜8が問題です。サウルが千を打ち、ダビデは万を打った、ここでサウル王がおかしくなったのです。サウル王によって死ぬような思いにさせられる目に5回会いました。そして、後には逃げて入った所が敵軍の中でした。それで、ペリシテの人が話したのです。あの人が、まさに我が国の将軍ゴリヤテを破ったダビデだ。サウル王に追われてここまできた。いつかは王になるだろう。あの人が王になれば、私たちのペリシテが不利だ。逃げて来たのが、私たちのペリシテにきたので、まさに捕らえたのと同じだから殺そうと言いました。ダビデが隣の部屋で聞いたのです。その時、ダビデはよだれを垂れ流して、狂ったまねをしたのです。どれくらい演技が上手だったのか、その人々が本当に狂ったと思ったのです。それで狂ったと思って、殺さずに送りだしました。こういう部分を見る時、ダビデはものすごい困難を体験しながら待ったのです。この時、皆さんがおわかりの通り、王になることができるすべての準備を神様がみなされたのです。いくら難しくても、待つ方法を分からなければなりません。それと共に、祈れば答えがくるのですが、ダビデは神様が最も喜ばれる願いが何かを初めから知って、最後まで捕まえたのです。一つは、正しく捕まえなければなりません。神様が本当に喜ばれることが何か、これ一つだけ捕まえれば成功します。
■私は本当に正しい伝道を神様が喜ばれることを分かりました。今まで困難にあったことが何もないのに、一つ困難にあったことがあります。とてもみわざがたくさん起きて、祝福されたことが起こったのです。ところが、それを見て、錯覚をする人が多くて、そのために苦労をしたのです。全く苦労することがありません。レムナントは記憶しなければなりません。神様が本当に希望されることが何か、それを捕まえましょう。それで作ったのが神殿の準備です。ダビデ時代にはそれが一番重要でした。レムナントは、このように味わえば良いのです。皆さんが少しだけ努力すれば良いのです。なぜなら、他の人があまりにもしないから、少しだけ努力すれば良いのです。学生たちは本格的に遊ぶから、少しだけ個人の時間を正しくそろえて、専門性をそろえれば成功します。
■ダビデはどんなことを味わったのでしょうか。すべての事件、困難、特にそのうちで自分に対する非難、それを神様の御声でメッセージで受けました。これが重要です。説教は講壇から聞くのがあって、違ったところ現場で聞くものがあります。説教は講壇から出る説教と、現場から出るメッセージと合わされてこそ、正しくみわざが起きます。ナタン預言者が指摘する時も、神様の御声として聞きました。反乱が起きて、悪口を聞いても、神様の御声で聞きました。この話は、ダビデは全てをそのようにしたということです。こういうメッセージを正確に聞かなければなりません。少しうつわが小さい人々は、悪口を言えば誤解して、気落ちします。大人たちは皆知っているでしょうが、レムナントは知らないこともあります。2部の時、黒板を準備をさせたのは、レムナントに説明を可能ならば良くしようとしたのです。書いてみれば、皆さんが写して書き取ればより良いでしょう。それで、眠くなるも少しは目が覚めるでしょう。
■ところで、とても重要なのです。レムナントがダビデのように契約の情念をどのように捕まえなければならないのでしょうか。このように味わえば、皆さんはじっとしていても勝利します。さらに重要な奥義があります。これがまさにダビデが今日1部の時、話した契約の情念を持っていたのです。他の人は、全部、日和見主義で動く時、ダビデはどんな契約を捕まえたのかというと、インマヌエルの契約を捕まえました。他の人は、全部、小さい利益のために大きいことをのがしたのです。「小貪大失」と言います。小さいものをむさぼって、大きいのをみなのがすのです。ダビデはそれを見たのではありません。国家を生かす大きいビジョンを契約でつかみました。偶像がものすごく栄えていました。この時、ダビデは神殿の情念を捕まえたのです。
■皆さんが少しだけ捕まえてもかまいません。「私がどうして、このようなことをするのか」と感じれば、捕まえられなかったのです。そのように考えなければなりません。先週、話をしたように、パキスタン、イスラムが、少ない月給を集めてソウルに60ヶ所祈り場を作りました。もちろん、サタンが助けたのですが、全世界で文鮮明を崇める人々が力を合わせて、世界最大の神殿を今、作っています。少しの間ですが、偶像が起きています。私たちは神様の神殿を作って、この霊的な問題を防がなければならないのです。これを契約的情念で捕まえなければなりません。そうすれば、答えを受けるしかありません。レムナントが、どんな契約の情念を捕まえるべきなのでしょうか。レムナントはいるのですが、福音を持った成功者がいません。成功者はいるのに、福音がなくてほろびるのです。福音を持った者はいるのに、成功者がいません。これをレムナントが契約の情念で捕まえなければなりません。ダビデは神様と世の中を一緒に知っていました。ダビデは信仰もあって、実力もありました。この2つのことをそろえていたのです。ダビデは神様も知って、世の中も知っていました。このようにして、神様の情念をダビデは抱いていたのです。ダビデの話は、総合してみれば、親が私を捨てても主は私を捨てない。主は私の羊飼いだから、私は乏しいことがない。こういうものを契約的情念で捕まえたのです。奪われてしまった契約の箱を取り戻してきたが、神殿を作る。ゴリヤテが現れた時、その精神を持ったのです。必ず答えになります。
■私が1部の時の話しをしました。私のような者が答えを受けるのを見れば、誰でも答えを受けられます。皆さんは知りませんが、私には何の背景もありませんでした。幼い時から手助けする人もなくて、助けにもならず、何もありませんでした。それで、昔に放棄して生きていました。釜山で良いものもなくて、私はだめだと思いました。ある日、私が福音を知って「違う。神様が私とともにおられれば、怖いことがない。すべての人と一緒に行かなければならないが、信仰の人は一人もできる。孤立無援の将軍はいないが、信仰の中ではある。寄り添う丘がなければ立つことができないとしても、信仰の中ではある。」と、私は色々な考えを変えたのです。他の人はお金がなくてできないと言うのですが、信仰の中ではできると、本当に何もなしで開始をしました。そうしたら、神様が答えをくださって、,他の人に被害を与えず、私たちは助けを受けずに今まで生きてきました。韓国、世界で最も他の人の助けを受けなくて伝道を良くする団体です。レムナントのために最も力を与えている団体です。どれくらい感謝しているでしょうか。私たちのレムナントが、その契約的な情念を胸に大事に保管しなければなりません。
■先週に話をしました。皆さんが福音のなかで主のしもべ、両親、皆さんの先輩と師匠、その人々の胸の中に皆さんがなければなりません。成功した人と成功したレムナントは、三つの胸の中にあります。両親の胸の中に本当に真のメッセージで含まれています。主のしもべの心にあります。祈る主のしもべの胸の中に重要なレムナントが含まれているのです。外に出て行けば、師匠、指導者、先輩の胸の中に含まれていなければなりません。
■今は悪いことで強いのではなく、神様の重要な契約を心に入れなければならないのです。そうすれば、うろたえずに、ある日、みわざが起きます。私はこれを知らなかったのです。これは私の失敗でした。私は伝道をするのに、このように神様が喜ばれて祝福されることを知りませんでした。それで、今、考えれば少し後悔しています。私が分かったならば、わざわざ隣の教会とか良くしたはずなのに、私は考えることができなかったのです。私は伝道をするのに、韓国と世界に強い逆風が起きることを考えることができなかったのです。しかし、ダビデはそのような面で本当に立派な人でした。ダビデはとても謙虚でした。
■私はその時、こういう部分に少し弱かったのです。ある人が妨害したり、迫害をすれば「勉強もできない者達が...」昔に勉強もできなくて、いつもおかしなことだけした子どもたちが、あいつらなんだ。「伝道の伝の字も知らないながら...」と言いました。表面では言わずに、心の中でしたのです。それが誤りでした。ダビデは初めから最後まで謙虚でした。このようにすべきでした。私たちの聖徒たちが、この祝福を受けて、レムナントがこの祝福を必ず受けなければなりません。間違いありません。大きい祝福がくれば、うろたえることがあります。皆さんに起きる答えを、ダビデのようにあらかじめキャラクターを準備して、人生を準備しなければならないのです。こういう祝福がレムナントに全部あるようになることをイエス様の御名でお祈りします。話を終える前に。事が起こる、瞬間瞬間で味わえば良いのです。そうすれば、大きい答えに変わります。私は瞬間であったのに、答えでこのように大きいことを知らなかったのです。
■私が下手すると、大変なことになるところでした。一番困難にあっていた時、神様に「神様、私は本当に背景がありません。背景も必要がありません。神様が私の背景になることを祈ります。」と祈りました。伝道する教会に送ってくださいと祈ったのです。12坪の釜山インマヌエル教会に送られました。その時から、伝道をしました。その小さい祈りに。ところで、また錯覚をしたのです。行ってみたら12坪が何かと思いました。自分たちの間で思い切りして、復興して得たのが35坪でした。それもまた錯覚でした。そうしていたのですが、ソウルでは大きい教会をみな作って、私に来なさいと言ってきたのです。その時、また錯覚をするところでした。「違う。私は神様の前で聖徒と祈りの答えを受けてきて約束をした。神様がソウルの背景より、もっと大きい背景であるから私はここでします。」行っていたら大変なことになるところでした。その時から伝道運動が起き始めたのです。
■そのような中に、聖徒たち何人かが集まって、ソウルでみことば運動を始めようと言いました。たくさん考えて祈りをしました。私たちは、このように瞬間瞬間的に、この祝福を味わえば、答えはとても大きいことで来ます。気落ちすることが起きます。本当におかしな家庭、おかしな両親、おかしな夫、妻が本当に多いのです。このような時、またのがすのです。このような時、最も重要な祝福が備えられていることを分かれば良いのです。それが味わう方法です。そのようにして、直ちに迫ってくる祝福をのがさずに味わうようになることをイエス様の御名でお祈りします。

<契約の祈り>
祈ります。私たちのレムナントを祝福して下さい。ダビデの祈りの答えの奥義を私たちの聖徒が必ず味わうようにさせて下さい。歩みごとにこの祝福を回復することを祈ります。事件ごとにこの祝福を回復するようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン