2007年1月7日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/聖徒はどこから始めるべきか
(詩119:145〜152)

・2007年一年が始まりました。今年も多くの答えを受ける年になるように願います。私たちは感謝することも多いのですが、困難にあう時もあって、うれしくて楽しい時もあるのですが、苦しい時もあります。神様が私たちに救いの次にくださった大きい贈り物が祈りです。今日のタイトルにある通り、一年の聖徒の開始はどこからすべきでしょうか。祈りで一年を始めなければなりません。
・どのように祈るか、なぜ祈りの答えにならないかというのが問題です。本当に祈りの答えを受けようとするなら、何を祈るのかそれが重要です。それで、昨年に人生改革、宗教改革、文化改革、3つの改革を話しました。人生改革されなければ、運命が変わりません。祈っても答えを受けることができないのです。信仰生活は難しいものではありません。イエス様が「わたしについて来なさい」と言われました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と言われました。イエス様が最後になさったみことばが「わたしは世の終わりまで、いつもあながたとともにいます」でした。それなら、とてもやさしいことではないでしょうか。ところで、私たちがこの部分がならないために、人生、宗教、文化改革がならないのです。
・私が釜山で伝道運動をした時、とても多くの実が結ばれる時がありました。牧師がたくさん伝道運動に参加して、聖霊充満して福音が確実な働き人が私を手助けしてくれました。私たちの団体に、仕事をほとんど全部するほどがんばって、他の人が招くほど祈りもがんばる働き人でした。それで、私たちは「本当に感謝だ」と思っていたのです。ところが、ある日、事件が起こったのです。完全に別の人になりました。考えること、話すこと、全部、未信者状態でした。それで「このように福音というのはやさしいことなのに、あのようになるのか」と思いました。
・大部分のクリスチャンに会ってみれば、昔に受けた傷を全部持って生きています。それがどれくらい怖いことかを知らずにいるのです。人生改革を行っても、運命が変わらないのです。とてもがんばるから、問題が生じます。ある人は、神様の計画でないことをとてもがんばって、若くして病気にかかって死んでしまいました。本当に怖いことだと思いました。人生改革というのが福音のなかで最もやさしいことなのです。
・ソウルにきた時も同じです。ソウルで仕事をするのに見たら、勇気のある果敢な人も多くて、動作もはやくてがんばって働きも起きました。「やはりソウルは違うんだな。」と思いました。ところで、しばしば問題を起こして、あちこち借金も作って変になったのです。がまんして祈ったのですが、だめなように見えました。後には、集会に行ったら、借金取りが私に付いてきたのです。とても驚いて、何かと聞いたところ、お金を出せと言いました。何で金を出せと言うのかと言ったら、教会である人が全くお金を返さないと言うのでした。その人は聖霊充満して、いつも断食の祈りもする人でした。それで、私がだめに思って「なぜ他の人に問題を与えて、お金の問題を作るのか。してはならない」と言いました。すると、本性を表わして、精神病者のように行動したのです。その人には神様が全くありませんでした。
・救われた、福音を受けたということは、簡単に神様の子どもになったことです。それがなぜ難しいのでしょうか。祈れば答えを受けます。今年は変に難しくせずに、神様の祝福を捕まえて祈りながら答えを受けるように願います。いくら頭が優れても問題になります。後には、子どもが学校にも通えないほどほろびました。世の中の人々が、そんなことをどのように思うでしょうか。
・人生改革という言葉は、重要な言葉です。私が真の福音を聞きながら運命が変わりました。教会を初代教会のように回復してこそ、世の中を生かせます。初代教会は、この祝福を受けて確かに現場を生かしました。福音を伝えようとする初代教会を、異端にして、集まらないようにさせました。今のように民主主義でもなく、法を定めたら、それに従わなければならなかったのです。ところが、初代教会はタラッパン、ミッションホームを通して現場に入って、現場を生かしました。後には、現場で重要な人々が祈りの答えを受けて、神様の子どもになりました。
・皆さんの中で、教会に問題が生じたら教会にくるでしょうか。ユダヤ人が初代教会を異端だと決めて、すべての経済を封鎖して、初代教会に通えば職場からも追い出されました。ところで不思議なことが行われました。初代教会に色々な所から集まって献金をして世界宣教をしたのです。初代教会をみな防いだのですが、どのように生き残って勝利したのでしょうか。今回、私がメッセージをしたのですが、神様は未来に対する経済を別に持っておられるのです。一時、米国が世界福音化していた時、神様は米国を最も祝福されました。神様は世界福音化に対する経済を別に持っておられることが明らかで、祝福を別に持っておられます。
・初代教会が全世界で一つになりました。外国に行ってみてください。皆さんの子ども達が崩れないように連結されています。私は私たちの子どもがワシントンに行った時、ワシントンにいる長老、牧師が韓国からくる子どもたちを捕まえていました。これがONENESSだなと思いました。初代教会は、このようにして文化を征服したのです。間違いない事実です。私たちはどのように始めれば良いのでしょうか。
・2007年もどのように祈るべきでしょうか。いくつかのことを必ず銘記して、祈りの答えを受ける一年になるように願います。今まで祈りの答えをたくさん受けたでしょうが、特別に2007年も答えが備えられているでしょう。
・最初です。なぜ捕虜になったのでしょうか。これを分かることが重要です。詩篇119篇は、捕虜になって歌った詩です。172節まであってとても長いのです。みことばが主題なのですが、イスラエル民族が祈るのも重要ですが、なぜ神様の民が捕虜になったかがさらに重要です。必ず記憶しなければなりません。世の中の人々が理解できない言葉と、理解できない部分が聖書には多くあります。信者も知らない部分が多いのです。ところで、聖書にはサタンという存在が出てくるのですが、サタンという存在はただ一つだけを防ぎます。地球を混乱させるサタンの勢力は、皆さんが成功しても大丈夫で、教会堂を作っても大丈夫で、みな大丈夫なのですが、ただ一つだけを防ぎます。それは何でしょうか。いのちである福音を知らないようにさせるのです。これが捕虜になった原因です。全部、すべて知るようにさせるのですが、福音一つだけは知らないようにさせます。良い働き人が仕事をみなしても、福音一つ知らなければ未信者と全く同じで、他の宗教と全く同じです。これがサタンの戦略で、イスラエル民族がだまされたのです。
・羊の血を塗るという話をモーセが記録したのですが、約24代後に悟りました。そして、千年が流れる間、イスラエル民族は捕虜に変わっていたのです。みことば中心を福音中心になるべきなのに、これをみなのがすのです。聖書勉強をいくらしても仕方がありません。誰か手紙を送った時には、その手紙にしたい話があるのに、それをのがしたのです。それでは、手紙を送って、読んでも無用です。その文体と文字をいくら研究しても仕方がありません。残念なことに、みことばが伝えられてきて、福音は抜いてしまったのです。これだから、霊的問題がきて、災いが押し寄せるのです。これが今日の地球上の問題と教会の問題です。この契約を悟って祈れば、まちがいなく答えを受けます。イスラエル民族が失敗する理由は、これしかありませんでした。この言葉をわかって、皆さんの子ども達にも、福音が何か説明しなければなりません。
・米国から来た姉妹は通訳が上手です。本当に大切です。通訳すれば全世界に出て行きます。また私たちの執事が手話をして、韓国でだけ30万の聾唖者がわかります。どれくらい大切な方達でしょうか。それで、私があの方達にお土産をあげましょう。私の車をあげようと言います。それで、気持ち良く車に乗って通います。尊い方々であるから、家もわが家をあげますと言います。気持ちが良いでしょう。そして、私の通帳も一つ持って行きなさいと言います。それではどうなるでしょうか。全部、あげたのです。そうしておいて、私が一つだけ要求すれば良いのです。あなたの命を出しなさい。そのようにするでしょうか。みなもらっても、命を与えれば終わりです。皆もらっても、一つだけなければ後ほど問題がくるのです。
・この一つが何でもないように見えても、神様の子どもではないから、いつも未信者のように迷って暮らさなければなりません。ここで問題がきたのです。この部分を深く理解するほど、祈りの答えは大きく開かれます。この部分にならなければ、運命が変わる、変わらないという以前に、福音を知らないから変えられないのです。目に見えないように運命が変わらなかったために、いくらもがいてもだめなのです。未信者は、運命が何か調べてみようと占いをしに行くでしょう。このように、イスラエル民族がこの部分をのがしたのです。
・二番目のことはさらに重要です。神様がイスラエル民族がバビロンに捕虜になるのを防ぐことができなかったということでしょうか。違います。神様が重要な話をされました。「先の事どもを思い出すな。わたしが新しい事を行う。」この言葉は何の話なのでしょうか。皆さんが祈るのに最も重要な最初が福音であるなら、二番目は神様の計画があるということです。皆さんに問題があるようでも、そこには神様の計画があります。今現在、皆さんに困難が来ているように見えても、神様の計画が入っています。「先の事どもを思い出すな。わたしが新しい事を行う。」これがさらに重要です。この契約を捕まえた人を通して解放されて出る神様の祝福を受けました。
・先の事どもを思い出すなと言われたのですが、どのように思い出さないことがあるでしょうか。エルサレム神殿が燃えたのに、それを忘れてしまうことができるでしょうか。ゼデキヤ王が国民が見る前で手足に手錠をかけられて、馬に縛られて引きずられて行って、国民も引きずられて行ったのです。どのように忘れてしまうことができるでしょうか。先の事どもを思い出すなという言葉は、その傷の中にずっと陥っていないでということでう。「わたしは荒野に道を、荒地に川を設けるように、わたしが新しい事を行う」と言われました。今年、神様の新しい計画を見なければならず、見るようになるでしょう。祈りの答えを受けるとても重要な部分です。
・イスラエル民族が捕虜になっているのに、おかしな事件が起きました。ある日、クロスという王が起きてバビロンを倒してしまったのです。全く関係がない人だったのに、バビロンを倒して、イスラエルを解放させました。それと共に行ったのが、「帰って神殿を建てなさい。イスラエルの民は全部みな帰れ」と言いました。とうてい倒すことができないバビロンを倒して、神様はイスラエルを救い出されたのです。それよりさらに重要なことが何でしょうか。「処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」「起きよ。光を放て」光だけ放てば、闇からみな戻るようになっています。さらに重要な計画は、イスラエルが解放されて出ることではなく、レムナントを起こして契約をみな回復しなさいということです。このように何人かが祈り始めたのですが、奇跡が起こりました。祈りをどう思っていますか。福音を本当に持った神様の子どもが祈れば答えられます。今年、この祈りが始まるように願います。
・詩篇119篇149節には、このように記録されています。「あなたの恵みによって私の声を聞いてください。主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください。」となっています。145節には「私は心を尽くして呼びました。」と言われました。また146節には「私はあなたを呼びました」147節には「私は夜明け前に起きて叫び求めます」特に148節には「私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。と記録されています。ここに、単に祈ったということでなく、叫んだという言葉が出ます。これが何の話なのでしょうか。本当に祈れば答えを受けるということです。皆さんが福音をのがさないで本当に祈れば、答えられるということです。
・詩篇142篇は、ダビデの祈りです。ダビデが逃げて洞窟の中に隠れていて、敵軍がダビデをつかまえるために囲んでいた時です。外で軍人がダビデを探していた時、ダビデはどのようにしたでしょうか。軍人が洞窟の外で「ここにダビデがいるかもしれない。入ってみよう。」と言いました。すると、他の軍人が「違う。こちらは入るのが難しい。」と言いました。それでも、軍人が入ろうとしたら、クモの巣が張っていたので、そのまま帰りました。そのなかでダビデがどれだけ神様に祈ったでしょうか。それが詩篇142篇です。皆さんが心より祈れば、答えられるということが、叫んだという意味です。祈ったということと、叫んだという意味は違います。とても重要なことに会った時、福音を持った子どもが福音を捕まえて神様の前に本当に祈ったということです。叫んだということを3度、4度、繰り返しています。急に悪化することに出会ったり、重要なことに会えば、神様だけを見上げて祈るべきだということです。
・人が水に落ちれば、どのようにするでしょうか。大声で叫ばなければなりません。力いっぱい大声を張り上げて、助けてくれと言わなければなりません。それでこそ、誰かが過ぎ去って、聞いて助けてくれるでしょう。水に落ちた人が静かに助けてと言えば、どのように聞いて助けられるでしょうか。しかし、食堂や喫茶店でお客さんに会った時は、大きく話さないで静かに話さなければなりません。叫んだということは、とても重要な言葉です。
・ヒゼキヤ王は王になってすぐ、偶像を全部なくしました。そして、「もう私たちはバビロンに、アッシリヤに貢ぎ物を捧げない。」と言ったのです。当然の話です。そうしたら、アッシリヤが18万 5千人の軍隊を連れて攻めて来ました。イスラエルは、京畿道、江原道を合わせたくらいの大きさの小さい国です。そちらに18万 5千が攻め込めばどうなるでしょうか。ですから、ヒゼキヤ王が緊急事態に陥ったのです。「私が失敗をしたんだなあ。」と思って使節を送って「間違っていた。殺さないでほしい」と言いました。それでも、アッシリヤはイスラエルをなくして王を殺そうとしたのです。どれくらい緊急だったか、ヒゼキヤ王が金銀を集めて持って行ったのです。アッシリヤは戦争をしにきているのに、それが通じるでしょうか。その日の夜にヒゼキヤ王がそれを持って神殿に行って切に祈ったのです。神様の奇跡が起こったのですが、U列王記19枚35節に神様が主の天使を送ってアッシリヤ軍18万 5千人を打ったと記録されています。福音を持った皆さんが本当に祈れば答えられるでしょう。
・叫ぶという言葉は、そのまま祈るという言葉にもなりますが、色々な言葉が含まれています。私たちが犬に行って何かをくれと言えば良いでしょうか。叫ぶという言葉は、相手がそれを与えられる相手だということです。聖書を見れば、友人の家にパンがあるのに、友人がパンをくれと言いながら門を叩きます。たたくのも友人も問題でなく、この友人のその家にパンがあるのを知っていることがさらに重要です。お金がない人の所に行って、いくらお金を貸してくれと言っても貸せません。神様に叫んだということは、神様は祈りに答えられる創造主なる神様だということです。今年一年、大きい祈りの答えが始まるように願います。
・どのようにすれば、祈りの答えを受けるのでしょうか。福音にあって、私の人生、宗教、文化を変えて、私を発見するのです。二番目は、なぜバビロンまで神様が連れて行かれたのでしょうか。福音にあってバビロンを福音化すべきなのにできなかったので、神様がそちらに行かされたのです。はやく悟らなければなりません。福音を持った神様の子どもであるために、皆さんが答えを受ければ、皆さんの周囲は全部変化します。叫ぶという言葉は、声だけ大きく出すということでなく、神様にだけ祈るということです。マタイの福音書6章5節から7節に、神様は「祈りの答えを受けようとするなら、祈る時に人に見られようと祈らずに、奥の部屋に入って祈りなさい。その祈りに神様が答えられるだろう」と言われています。これが何の話なのでしょうか。祈りは神様にすれば良いのです。私たちはおもに祈る時、人を意識してします。長老が講壇に上がって神様に向かって祈れば、必ず答えを受けます。
・今からいくら苦しいことがあっても神様に祈るべきです。私たちは友人にも、家族にも話せないことがあります。神様に祈れば答えを受けます。隠れた所で神様に叫んで祈る者に、神様は答えられると確かに約束されました。今日の本文を見ながらのがさずに、2007年一年を祈りで始めて答えを受けなければなりません。なぜ捕虜になったのでしょうか。私が福音にあって運命が変わらなかったからです。力がすごい神様が、どうしてイスラエル民族をバビロンまで引っ張って行かれたのでしょうか。この目を早く開けなければなりません。世界を生かすべきなのに生かさないから神様がそちらから始められたのです。
・これが二番目に捕まえなければならない契約です。それでこそ、レムナントが生き返ります。いくら難しい環境でも、この2つの契約と福音がある人が叫んで祈れば、神様は答えられます。今日、皆さんの祈りを神様がお聞きになるでしょう。私は伝道運動をずっとして、皆さんと共に来ながら多くの祈りの答えを受けました。ところで、全部、福音にあって神様の前でした祈りは答えられたのです。
・「私がこれからどうしたら良いのか分からない」という時がありましました。あまりも荷が重くて難しい時でした。一ケ月ぐらい夜明けに神様の前で祈ったのです。本当に私の心を注ぎだして祈りました。「神様。確かに生きておられて聖霊で働かれる神様は、私を本当にすべてご存じでしょう。世の中の人々は知らないでしょうが、すべての人々の命を治める神様が私をご存知ではないでしょうか。私には何の背景もお金もありません。神様が私の背景で財産で力です。私を福音を伝えられるように導いて下さい。」これが私の率直な祈りでした。この祈りを一ケ月もしなかったのに、連絡がきました。それが釜山インマヌエル教会です。その時から、神様が引続き答えられたのです。福音にあって神様の前で心をささげる祈りをすれば、すべて答えを受けます。
・ところで、教会に行ってみると、世の中でそれほど小さい教会は初めて見たのです。12坪のとても小さい教会でした。木のようなものを持ってきておいて講壇だと言っていました。私がいくら体が小さくても、どうしてこういう教会に送られたのかと思いました。礼拝も聖日にだけ使える場所でした。朝の祈りも、水曜礼拝も違ったところでしなければならなかったのです。そのような中で、ソウルで以前に親しかった長老が神学をして牧師になって訪ねて来られました。祈りながら私を訪ねてきたと言いながら、私は影島にいるべき人ではないと言って、ソウルに来なさいと言われました。自分が教会もみな作っておいて、家と乗用車も準備して迎えに来たと言われたのです。私は今、家もなく、教会も12坪の教会にいたので、心が揺れました。「来るならもっと早く来るべきで、すでに教会でしているのに」と思ったのです。短い時間に神様に祈りをしました。「神様、本当にこの道で間違いないのですか。私は招請されて開始したのですが、教会が小さいからと、置いておいてソウルに行かなければなりませんか。」それは違いました。それで断ったのです。すると、この方が答えを受けてきたから、ソウルに来て下さいと言ったのです。私も答えを受けたので、そのまま帰ってくださいと言いました。その時、もしソウルに行ったら、どうなるところだったでしょうか。商売人でもなくて、どれくらいおかしな人になったでしょうか。神様がここまで上がってくるように、釜山インマヌエル教会から始めて全国、世界弟子を集めて、答え門をずっと開いてくださっています。そのような中に危機に会いました。とうてい、どうしようもできない危機に会ったのです。
・その時、神様の前で祈りました。「神様、私は福音を伝える神様の子どもです。私はこの福音を知らない人に話さなければならない伝道者です。神様が私をよくご存知だから、良い道に導いて下さい。」と言いました。その時から今現在インマヌエル中心に多くの弟子が起きています。こうしたことが引続き起きるのです。それで神様は、福音の中にある人々の隠れた祈りをお聞きになる神様なのです。叫べという言葉は、神様の前に訴えなさいという言葉です。「神様だけながめて祈りなさい。そうすれば、わたしが力ある御手をあげてあなたの敵を砕く」と言われました。これが皆さんの2007年の開始になるように願います。
・皆さんは神様の子どもであるために、何も心配しないでこの契約を捕まえて行けば、神様の答えを受けます。明け方前に叫んだと言われています。神様は信じる者の祈り、福音を持った者の祈りを一つも落とさないで答えられる神様です。本当に祈るように願います。なぜ祈らないのでしょうか。答えられること知らずに、答えられないと信じるからしないのです。なぜ祈るのでしょうか。答えられると確かに信じるためです。この体験をしなければなりません。2007年、神様が答えられる体験を皆さんの家庭、個人、事業、職場に起きることをイエスの御名でお祈りします。今日から答えの門が1年間、ずっと開かれることを、祝福の現場で味わうことをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。世界福音化しなければならない神様の民が集まりました。主のしもべに祈ることができる特権をくださったことを感謝します。何人かの祈りの人が捕虜時代に叫んだ時、神様が解放の門をあけてくださったように、主のしもべに門をあけて下さい。2007年度には、新しい事を行われる神様の奥義を見るようにさせて下さい。今まで答えられた神様が、聖徒ひとりひとりの頭上に手を置いて祝福して下さい。私たちの役員とすべての使命者の頭上に、神様の力ある御手をあげて祝福して下さい。現場にいる神様の子どもに弟子の祝福を与えて下さい。聖歌隊をはじめとする、すべての隠れている奉仕者に、神様の恵みがあふれるようにして下さい。2007年、今年の祈りの力を得る祝福の一年になると確信します。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/聖徒の開始−叫ぶ祈り
(詩119:145〜152)

・今日の本文に3度も叫ぶ祈りという言葉が出ています。祈りを普通に考える人もいますが、祈りを叫ぶ祈りとなっています。捕虜になった時にした祈りです。この理由を知るようになれば、問題なく答えを受けるようになっています。なぜイスラエル民族が捕虜になったのでしょうか。先に歴史を見なければなりません。多くの人々が理解できないこともある部分ですが、分かれば答えを受けます。
・神様が一番最初にアダムという人を創造されました。それで神様の国まで行くように準備されたのです。これが一般の人間の歴史です。そして、途中に英雄も現れて、多くの発展を繰り返しました。それで、とても発展をして、今は私たちが驚くほど発展しました。ところで、このように発展をしているのに、どんどん人間は幸せにならないで問題は深刻化してきました。それで、認めようが、認めまいが、聖書で事実を明らかにしています。サタンという存在が存在している内容を聖書だけで明らかにしているのです。見えることができないので、科学者が理解をすることもできなくて研究をすることもできません。いつこれが現れたのかは誰も知りません。しかし、聖書に黙示録12章を見れば、記録が出てきています。唯一、正確に昔の蛇、天から堕落したと出ています。エゼキエル28章やイザヤ14章のようなところでは比喩を使って説明したのですが、ここでは直接に話したのです。それで多くの神学者が賛美を担当した天使だと同意しています。その天使が堕落してサタンになったということを大部分が共感しています。
・ところで、実際にサタンがものすごいことをやり始めたのです。アダムが造られる前から、すでにいたのです。アダムが生きていく間にできたのではなく、アダムがいる前からすでにあったのです。明らかなのは、アダムとエバを倒そうときました。それで徹底的に人間を滅ぼしたのです。それで繰り広げた事件が創世記3:1-20節の事件です。実際に15節以後を見れば、この世に生きる間に信じる人々を除いては呪われる中で生きるようになると言われています。ここに対する説明はすべてできません。エペソ6:12にサタンが活動している内容が出てきます。ここに「主権」と出てきます。それで時々、強大国を起こすのです。そのようにして偶像を強調して崩れたりもします。そして「力」とも出てきます。力という言葉は、権力を持った人のことを言います。皆さんが深刻に考えなければならないのは、祈らなければならないのです。今、権力者などと指導者の心の中に悪いサタンが入れば何をするか分かりません。皆さんが家を作って、工場を作って、子どもを育てたのが一度にみな崩れるのです。これから化学武器や核兵器のようなもので、戦争が起きれば私たちはすべて身体障害者になってしまいます。確かにサタンが主権と力を動かすと言われました。それで本当に祈らなければならないのです。韓国は特に祈りをしなければなりません。
・今、地球上で分けられている、話にならない所が韓国しかありません。地球上でありえないのが、私たちの南北関係です。みんな対話できるのに、韓国だけこうなっているのです。そして見れば、今、いろいろな問題があるのですが、皆さんもよく分かるでしょう。今、アジアで、地球上で最高に多くの乞食が北朝鮮から出て全世界をさ迷っているのです。よく食べて寝て生きるのに、乞食をする理由はありません。ものすごく深刻です。これを持っても、今、左派、右派だと言いながら戦っているのです。これは完全に精神病です。通常の問題ではありません。ところで、学生たちから学校では霊的な教育を受ける時間がなくて、歴史の勉強をずっとしているので、このようになるのです。そして、暗やみの支配者たちと言われています。それで、犯罪集団を作るのです。そして、天にいる悪の霊がおかしな宗教を作り出して、偶像も作って、それで人をどんどん追い立てて滅亡させるのです。皆さんの家に入って、可能ならば滅ぼそうとしています。これがサタンがすることです。聖書にだけあります。他の本では、こういう話は出て来ません。
・それで科学者が「今、サタンがいるのか」と言います。それでは科学が一番発達したところが米国です。20世紀に100人の中で70%が米国から出たのですが、米国に最も影響を与えるのがニューエイジです。本も気をつけて読まなければなりません。今、ニューエイジが本を作って全世界に広めています。本来、その人々は悪霊につかれた霊媒師です。それで全世界を表に出ないように家でもどこでも入っているのです。それでおもに音楽側に入って、子どもたちも揺さぶっています。それで聖歌隊をすることは、普通の祝福を受けるのではありません。知らずにする人もいますが、本来、サタンが賛美をしていたのが堕落をしたのです。
・地球上では音がしてくる音がほとんど音楽が70%なのに、未信者が完全に掌握しています。そして、青少年をはじめとして既成世代まで、全部、音楽でひきつけたのです。それで良い点もたくさんあるのですが、現在はこういう影響を与えています。これの目標が神様の事を分かるからあがくのです。いつ終わるのでしょうか。地獄は悪魔を完全に閉じるために作られたのです。聖書を見れば最後の日、イエス様が再臨して来られて、その時、審判されて悪魔を完全に閉じ込めてしまうと言われました。地獄が作られたのは、当然のことです。永遠な存在だから閉じ込めるのです。こういう記録の話が聖書に出てきているのに、人間にはひどい問題が起きています。そして、各種の病気とおかしな病気にかかり、最も多く起こす精神病を誘発させるのです。それと共に家に入り込んでいます。それで、この部分を祈らなければならないのです。それで、もし音楽をする人々が正しく福音を受けたということは、とても用いられるのです。ですから、教会は聖歌隊が一番重要だと見なければなりません。
・皆さんが本当に祈って恵みを受けて力を得なければなりません。そうでなければ、時間が過ぎれば音楽をする人々の困難を分かるように、そのように崩れます。ある時は、米国やヨーロッパでは麻薬もしなければならないと教えるのです。皆さんの子どもたちが留学に行って混乱します。みながするので、麻薬もしなければならないと教えるのです。ある時は、学校で教授が「麻薬をせずに、どのように音楽が出てくるのか」と言いながら麻薬を教えるのです。それと共に、一言で全世界が暗闇の中に陥ってしまいました。それで、一番最初にくださったのが福音です。創世記3:15に、女の子孫がきて、あなたがたを救うと言うべきなのに、さらに正確な話で「女の子孫が蛇の頭を踏み砕く」と言われました。これは信じるだけでみわざが起きます。
・霊的なことは目に見えないから、何かをするのではなくて、信じるだけなのにみわざが起きるのです。それで、この部分が理解できれば、聖書の多くの部分が理解できます。信じれば救いを受けるという言葉が、この事実を信じれば、このようにならないという言葉です。ただ信仰で救われるという理解できないお話が多いのですが、この事実は信仰でなることであって、違うものではできないということです。驚くべきことに、数千年が過ぎるのに、まただまされて福音をのがしたのです。福音をのがしたということは、全部、ここにそのまま陥ってしまったということです。それでモーセという人物が現れて出エジプト3:18、羊の血のいけにえの話が出てきたのです。何でもないように解放されるみわざが起きました。こういうことを、千年を過ぎる間に、また忘れてしまったのです。この時、現れた単語が、処女がみごもって男の子を産む、その名をインマヌエルと呼ばれるということです。この時に作られた詩が詩篇119篇です。この時、みことばを捕まえていつも覚えた詩が詩篇119篇です。この部分をこのまま見る時、何が理解できるでしょうか。本当に皆さんが3つのことが理解できれば、なぜしばしば聖書には福音を強調するのでしょうか。理解できるでしょう。これを正しく捕まえなければ勝てません。今日、皆さんがこれを悟るだけでも、皆さんの周囲にみわざが起きるでしょう。
・皆さんの年齢は、どうでしょうか。それぞれ年齢があるでしょう。皆さんの家にみな背景があるでしょう。ある人は、40-50年捕まえられている暗闇の勢力があるのに、これはイエスの権威のほかは崩せません。それで、福音を正しく捕まえなければならないのです。福音を正しく捕まえなければならない理由が出てきました。時間が経てばますます、これは全てがあるということを知るようになります。時間が経てば、ますます福音の中にいれば、ほとんどの問題がみな消えるのです。
・私たちが教会生活をしたり、長老と共に仕事をすれば感じることがあります。特別な人々が特別な問題をみな起こします。ところで、それを分かってみれば、結局は、この部分を恵みで見れば良いのに、それができないからなのです。それで、ここに生きていく間に、人を生かすのが伝道で、この霊的な問題が広がる前に全世界を生かすのが宣教です。この3つのことを理解できるのです。この3つのことは、よく知っている言葉ではなくて、とても重要な話になります。伝道をしに行くという程度ではなくて、皆さんのために行く現場に暗闇の勢力は砕かれるようになっています。ところで、暗闇の勢力が全世界を霊的に暗くさせているから、それで私たちは宣教に対する単語を捕まえなければならないのです。それで、私はこの頃、このような祈りをしています。皆さんも祈らなければなりません。
・全世界には、おかしな政治家たちが多いのです。その中にサタンが入れば、いろいろなことがみな起きます。それで全世界を暗くさせるのです。ここからすべての祝福が出てくるしかありません。レムナントと皆さんが悟らなければならないことは「それでは、これに神様が勝てないか?」ということです。違います。それで、この3つのために、結局はだめだから災いと戦争がきたのです。結局は、戦場でバビロンの捕虜になって、主が説明されたのです。それは、神様が必ず福音と伝道宣教をされるということです。それで、この話を皆さんが分かってしまえば、答えの大きい門が開かれます。
・エジプトに宣教をしたとすれば、エジプトに捕虜、奴隷で行くことがありません。バビロンに福音が入れば、光が照らすから、バビロンに捕虜で入ることはなかったのです。奴隷で行ってもみわざが起きます。それで、神様がこのことを必ずなさるのです。今年は皆さんが多くの苦労をせずに神様がくださる答えを受けることを希望します。それで、これを悟るようになれば、答えを受けるしかありません。答えを受ける方法が他にもっとあるでしょうか。この契約を一時代に皆さんが分かるように、モーセ、ヨシュア、カレブのようなチームが捕まえたのですが、どうなったでしょうか。同じように今、皆さんの事業、教会に起きるでしょう。大きい奇跡を願うのではなく、神様の正しい答えが起きるでしょう。それで今日、バビロンが捕虜になっておきたことです。当然、何となっているでしょうか。
・イザヤ40章に、ただ主を待ち望む者は力を得ると言われています。イザヤ43:18-21に、神様が新しい事を行うと言われました。イザヤ60章に、光を中心にすべての民が戻るようになるはずだと言われています。すべての民のために旗を揚げなさい。当然のことです。それで、初代教会になって、どれくらい重要だったでしょうか。イエス様が水一杯も報いを失わないと言われました。このことがどれだけ重要なのか、水一杯も報いを失わないと言われたのです。知識人、政治家、科学者が知らない間に、暗闇の勢力は全世界を掌握したから、それを生かすのが宣教です。私たちの民族も霊的な問題でどんどん暗くなるから、そこに光を照らすことが伝道なので、これをすることで、すべての答えを当然受けるしかありません。イエス様が復活をされても「すべての民族に行きなさい」という話をされました。今日2007年度に、皆さんがこの祝福を回復するようになることを希望します。
・私は幼い時から教会に通っていたのですが、よく知りませんでした。そして、幼い時は、聖書をそんなに重要だと考えたことがありません。聖書は神様のみことばだ、この程度であって、聖書が大切だと考えたことがありませんでした。少し恵みを受けて聖書のみことばが重要だということを分かりました。ところで、伝道の現場を行ってみたら、完全に聖書にあるとおりに暗闇に陥っていたのです。どれくらい陥っていたか、目に見えるところ、聞くところ、ない所がないほどでした。それで皆さんが正しい福音だけ持てば、みな離れて行きます。問題は正しい福音なのか違っているのかが問題であって、正しい福音さえ持てば、みな解決され始めます。そうすれば、自然に伝道と宣教の答えがくるしかありません。これが回復にしたのが、バビロンから戻る神様の働きでした。2007年度に皆さんはこの答えが必ずあるようになることを希望します。
・私があまりにも苦しくて、伝道現場に行ってみたら、イエスを信じる人々がほとんどみな救いが何かも知らなかったのです。祈りももちろんで、救われたということが何かも知りません。ところで、現場に入って救いを少し強調をしたところ「柳光洙牧師は救い派だ。」といううわさが立ちました。少し入ってみたら、人々が全部実際に見つめれば未信者100%がここに陥っています。それで少しずつ教会がうわさが「悪霊論」といううわさが立ちました。そのような話が重要なのではありません。間違いない事実です。今、全世界を掌握していて、今でも皆さんの家を攻撃しています。間違いありません。それで、福音ではなくては、私たちが勝てません。それで福音を持って伝道、宣教は自然に出て来るのです。この契約を捕まえている時、神様がくださる答えは、ほとんど私たちが知っている内容です。
・今年、この祝福を受けるためにいくつかの結論を下さなければなりません。皆さんは何かをする以前に、神様の子どもです。必ず記憶しなければなりません。皆さんがハンサムであっても、ぶさいくであっても、イエスを信じて救われた人の中には聖霊がおられます。いつ出て行かれるでしょうか。罪を犯す時、離れるのでしょうか。この聖霊がいつ出て行かれるのでしょうか。救われた者の中の聖霊は永遠に離れないと言われました。それで、私たちはほろびないだけでなく、他の方法がありません。この聖霊は、皆さんの責任を持って導かれます。そして、力を与えると言われました。この祝福を持って出発をすれば良いのです。世の中には多くのことがあるでしょうが、皆さんがこういう奥義を持って、皆さんの中に聖霊がおられるから、聖霊の導きを受けて、神様が与えられる力を受けて、世の中を生かすようになるのです。
・レムナントにお願いします。このようにして世の中に出て行ったのに、世の中にはこういうものが目に見えません。それで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさいと言われました。こういう部分は秘密に持って行くのです。この部分は変わる部分ではないから、この部分を持って入れば、世の中を変化させられます。しかし、レムナントの話は聖徒たちが考えなければなりません。皆さんの考えはものすごく祝福を受けたので、考えはとても高いところになければなりません。しかし、皆さんの心は低いところになければなりません。この中から大いに適切な生き方が出てきます。考えはとても低く、心が高ければ困るようになります。考えはとても冷徹で、心はとても暖かくなければなりません。想像以上に信徒が外に出て行けば、とても区分ができないのです。自分がおもに何をすべきか、他の人はどのようにすべきかとても区分ができないのです。レムナントは世界福音化をしなければならない祝福を持っているのに、外に出て行ってこれができなければ押されてしまいます。
・主観ということは何でしょうか。私が何かを持っていることです。しかし、客観ということは、他の人が理解できなければなりません。他の人が理解できない行動を継続すれば、それは噛み合わないのです。そして、レムナントは専門性を持たなければならないのですが、とても合理的でなければなりません。専門性を持つのは、自分自身の個人の実力ですが、多くの前後、左右を考えることができる合理性を持っていなければなりません。ところで、想像以上に、人は足りないことがあるのですが、教会通う人々はこれがだめなのです。とても客観性もありません。そして、ある人を見れば、とても合理性がある場合もあります。私たちは途方もない祝福を受けたのに、外に出て行ってこれがならなければ、外に出て行って脱落してしまいます。それで、レムナントと聖徒たちは記憶をしなければならなく、特にレムナントはしなければなりません。とても自らの考えは正しいのに、とても客観性がなければ通じません。想像以上に多いのです。さっき恵み深い賛美をしました。私たちが迫害を受ければ祝福があるという歌詞がありました。
・広安里のそばを見ればアパートが立ち並んでいます。おばさんたちが集まって、アパートの部屋で何日間も異言をしていて、告発されました。変に何棟何号でカエルを育てるように、カエルの声がしたのでした。ところでそれは本当に客観性がないことで、神様のみこころではありません。他の人が眠るのもさまたげて、他の部屋でケロケロと言うことが、神様のみこころでしょうか。そのようにすれば非難されます。もちろん、神様の必要にしたがって、そのようにすることもあるでしょうが、あまりにクリスチャンがそのようなことを知らないでいてはいけません。
・前にお隣りの女の執事の話をしたでしょう。この女の人は祈りをすれば時間がなくなります。夜にもドアを閉めて祈るのに、誰がきてもまったく時間がなくなります。朝の祈りに行って祈りの火がついて、家にも帰らなかったのです。夫はイエス様を信じていなかったのですが、朝ご飯を出してこそ会社に行けるのに、執事が帰って来なかったのです。ところで、人はやけくそになればおかしくなります。この男の人がおかしな人のようになって、その女の人を半殺しにしました。それで、町内の人々がやっと止めたのです。そして、その男の人も自分が腹が立って、仕事もしないで行ってしまいました。それで、祈りもそのようにしてはいけません。そして、声を出しながら「主よ。私が迫害を受けます。」と言いながら祈りをしたのですが、その時、私がいくら信仰がなかったとしても、それは迫害ではないと思っていました。そんなことを区分をできなくて信仰生活をすれば困ります。
・私たちは、今、途方もない祝福を持っています。それで、先週に話したように、皆さんはどんな人かというアイデンティティーを持っていなければなりません。まちがいなく皆さんを通して福音が宣べ伝えられるようになっています。それで、それを持って祈るのです。こういうものを見る時、祈りには2種類があります。身分的な祈りがあります。私が神様の子どもだから、当然、祈りをするのです。「全知全能の」という難しい言葉は、子どもだからみな必要がありません。
・そのような祈りがあるかと思えば、権威的な祈りがあります。神様の子どもになる特権を与えられたと言われました。それで、この祈りを契約で捕まえて、今年は勝利しなければなりません。皆さんの家系に長い間ある暗闇の勢力が、イエスの御名で崩れるようになることを希望します。それが、権威の祈りです。私たちは神様の子どもだから、神様に何でも祈ることができます。それで、こういう歴史的背景を分かれば、福音が何か、伝道宣教が何なのかが分かります。「水一杯も報いを失いません」今でも、信じる者でも、皆さんを飲み込もうとずっと攻撃します。Iペテロ5:7-8に信じる者に攻撃をすると言われました。それで、あなたたちの心配を主に任せてしまい、謹んで目を覚ましていなさいと言われました。
・あなたたちの敵である悪魔は、今でも食い尽くすべき者を探し求めながら歩き回っていますと言われました。これが最後まで信じる者も触ろうと攻撃するのです。恐れたり、不信仰になれば、ここに攻撃されるのです。それで、エペソ6:12に「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」と言いました。それでイエス様が一番最初に弟子たちを呼ばれた時も、マルコ3:14に、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであったと言われました。
・よく応用をすれば祈りに大きい答えが与えられます。少しだけ考えてもかまいません。私が初めて影島に行った時「影島は完全に偶像の町だな。」と感じました。ところで、定刻の祈りを少しだけしたのに、みわざが起きました。皆さんが少しだけこの部分を知っていれば良いのです。それでも科学を無視しろという言葉は絶対に違います。その背後にある、聖書にだけ明らかにしている奥義を、皆さんが捕まえなければならないのです。今年は必ず皆さんに大きい答え、皆さんの事業に驚くべき証拠が起きるようになります。勝利する一年が始まることをイエスの御名によってお祈りします。今年は必ず霊的に勝利です。そばの人に挨拶しましょう。私たちの家系に霊的な祝福があることを、本当にイエス様の御名で祈ることを希望します。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。今日、重要なことを回復する日になるようにさせて下さい。イスラエル民族が捕虜の時に叫んで祈った祈りをお聞きになった神様が、今日、主の民の祈りを聞いて、新しい開始があるようにさせて下さい。聖書にだけある事実を正確に発見する信仰の目を開くようにさせて下さい。目に見えないように全世界を掌握している不信仰と暗闇が完全にうち砕かれる時間になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン