2007年2月18日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/世の中で最も重要な時間
(詩121:1〜8)

・若い人々がどんどん出て行くから、この頃、田舎では学校を閉鎖しているということです。そうしたら、田舎の教会も共に困難にあいます。ところで、田舎の教会でたくさん集まる日があります。その日が、まさに名節(韓国固有の盆・正月)だということです。親に会うために子ども達が田舎に帰るためです。釜山では、あまり分からないのですが、ソウルには田舎の人が多いのか、空席がたくさん見えます。普通、私が壇上に座って見てみたら、満杯なのに、今日、見たら、赤いシートが見えたり聖歌隊にも空席があります。今日、詩篇121篇は有名な詩です。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。」と言われています。「私の助けは、天地を造られた主から来る。」それで、今日のタイトルを世の中で最も重要な時間にしました。
・世の中には、良いことがたくさんあります。私たちが服を良いものを買って着ても気持ちが良いでしょう。また、自動車の良いものを買っても、気持ちが良くて、家の良いものを買ったら、気持ちが良いでしょう。しかし、そんなことは少しの間だけです。ある方は顔をきれいにしたら気持ちが良いので、いつも整形しました。それでもそれも少しの間で老いてしまいます。全部、みな過ぎ行くものです。ところで、本当に良いのは、どのようなものでしょうか。この世で最も良いのは、どのようなものでしょうか。詩篇の記者が書いた本文を見れば、よく現れています。
・ところで、詩篇はほとんどダビデが書いたり、ダビデが影響を与えました。それでは、ダビデを調べてみなければならないでしょう。ダビデは幼い時に福音を分かりました。これより重要なことはありません。それで、祈って大きい力を得ました。神様が自分をなぜ立てられ、これから何になるのかも分かったのです。これより重要なことはありません。皆さんの子ども達が一番良いことがたくさんあるでしょうが、これより良いことはありません。大部分のクリスチャンが、この部分を知らずに出て行くのです。ほとんどみなそうだと見れば良いでしょう。福音の中にある力がどれくらい大きいかを知って祈りの力があれば良いのに、それなしで出て行くのです。
・ダビデはこれを分かりました。ダビデは幼い時から詩を多く書いて、賛美をよくしました。そして、ダビデは、この力を持って挑戦しました。そうするうちにゴリヤテに勝ったのです。今、私たちの信徒が記憶しなければならない部分が、私たちは挑戦する時、福音の外でするのです。ですから、未信者と戦って負けたり、しばしば困難に会います。最も重要なことをのがしたのです。私たちが福音を悟って、神様がくださった力が幼い時から私たちにあるならば、それより重要なことはありません。私たちは、すでに事実か、そうではないのかを問い詰める必要はありません。すでに事実であるから、最も良いことなのです。それを知って行くから、私が何をしなければならないのかを知るようになったのです。「イスラエルが今、ペリシテに困難にあっているのだな。」ダビデがそれを置いていつも祈って挑戦しました。そうするうちにゴリヤテに勝ったのです。皆さんがおわかりの通り、生きていたら、敵もいて、困難も多いでしょう。ライバルもいて、敵もいます。これをまさにダビデは福音の力で、祈りの力でみな勝ちました。これより重要なことはありません。
・ダビデが祈って、このことに最も重要な契約を守る神殿を作る準備をしました。これよりより良いことはありません。今日、皆さんが全部、この力を必ず得るようになることを希望します。確かに「イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」と告げられています。もちろん、皆さんも経験と知識を持っているでしょう。それが悪いということではなく、最も重要なことを持っていなければならないのです。皆さんの子ども達を外に送って、海外にも送ります。その時、皆さんの子どもが何を持って行けば一番良いのでしょうか。多くのことがあるべきですが、絶対に揺れないで、ほろびない契約がなければなりません。これよりさらに重要なことはありません。私たちはもう世の中に向かって挑戦すべきなのですが、神様がくださった力を持って挑戦しなければならないのです。
・皆さんが外に出て行けば困難が多くあります。これをダビデのように祈りながら「主は私の羊飼い」と告白する力を持っていなければなりません。王になってからは、生涯で最も重要なことをしました。契約の箱を迎える神殿を作らなければならないな。これは祝福程度ではなくて、ダビデに重要な契約を悟るようにされたのです。これよりさらに重要な契約はありません。
・私は学校に通っていた時、勉強ができない方ではありませんでした。良くできるグループに入っていて、できない方ではなくて、私の親も無知ではありませんでした。しかし、生きている中で、多くの困難が私に迫ってきたのです。貧しくなって、父が亡くなったから困難になって、6・25(朝鮮)戦争も起きて、韓国が難しい時でした。そのように困難が全部積もったのです。そうするうちに見たら、私の場合は、私も知らない間にどんどん崩れてしまいました。何が重要かわからなかったのです。教会に行っても信仰がなくて、しきりに他のものだけ見ました。「長老は何であんな状態なのか」こういうものだけが見えて「うちの母は、ずっと祈っているが、祈ってみても何の意味があるのか。」こういうものだけを見ていたのです。それで、私は親について教会に行ってを礼拝をささげていたいのですが、かなり難しかったのです。多分、ここにも家族に付いてきている方々はとても大変でしょう。理解できます。大変ならば、おやすみになるように願います。
・私は教会に行って、いつも落書きをしていました。誰かが見ればメモをしていると思えたでしょうが、落書きをしていたのです。おもに私が何をたくさん描いたかというと、人の顔をたくさん描いていました。私が今でも絵を描く中で人の顔はよく描けます。今、私たちの教会の長老は祈りを簡単しますが、その時は祈りも長くしました。長老が出てきて祈れば、私は終わらないのかと思って、目を十回以上も開いて見ていました。賛美を歌うのに、一番いやなのが5番まである歌でした。本当につまらなかったのです。この信仰生活がこのようになるから、どうなるでしょうか。私も知らない間にめちゃくちゃになりました。
・さらに重要なのは、私は最も重要なことをのがしていたのです。親が変なのではなくて、私たちの周囲が環境がみな難しかったのですが、勉強ができなかったことでもなく、色々な中で最も重要なことを幼い時から知らずに生きていたのです。親について当然、教会に行かなければならなかったためです。そのような中で、重要なことを知らずに生きていました。ところで不思議です。少しできる頭はあったのに、だめだから、さらに崩れたのです。皆さんの子どもの中に頭が良くても環境が良くなければ、さらに崩れるでしょう。それはそうで、私がおかしな状態になりました。
・そのようなある日のことでした。私が道を歩いていたら、電柱に何か貼ってありました。復興会をしていたのです。復興会も必要です。復興会をしていたのですが、講師の名前を見たらシン・ヒョンキュン牧師でした。時間もあってので、行ってみたのです。人が一杯いました。つまらなければ、出て行けば良いので、後ろの席に座っていました。ひとまず生まれて初めて、おもしろいと感じたのです。この方が、かなりおもしろかったのです。それで、私も共に笑っていました。説教しながら、笑わせたり、いろいろするのですが、どれくらい笑わせるかというと、礼拝の途中で賛美歌を歌っていました。信徒は拍手して、牧師が高く飛びあがりながら賛美をしていました。太った体で高く飛び上がっていたのです。そうするうちに、一回、止めたのです。「私がなぜ飛ぶのか? やせるために飛ぶ。」と笑わせながら説教したのです。時計を見ながら、初めてはやく終わらなければ良いと思いました。復興会が一週間あったのに、知らずに途中から参加して、残った3日みな参加しました。
・神様を信じるべきだという考えに初めてなりました。それだけだったのですが、変化が起きたのです。それで教会に行って信仰生活を始めました。教会の中に入ってみたら、問題がとても多かったのです。教会は戦って、葛藤することがとても多かったのです。その時は、また悩みました。「私はどのようにすべきか。」このようにしたのに、神様が私に福音を分かるようにして下さったのです。その時から、本当に答えが来始めて、多くの人を生かすことが行われました。いよいよ私が牧師になって、伝道していたら、私の家に電話がきました。あのシン・ヒョンキュン牧師でした。「柳先生が私たちの教会きて復興会をしてくださいますか。」夢のようでした。その教会に行って復興会をしました。復興会をしながら、食事時間に牧師先生に話しました。とても昔の30年前に、牧師先生がそのようにされたことを話したのです。その一つ分かったのに、神様が答えられたのでした。私たちは勉強もしなければなりません。職場も通わなければなりません。それが違うということではありません。最も重要なのが何でしょうか。詩篇の記者が話したように、ダビデが話したように、神様が私とともにおられるということです。そして、この福音を正確に分かる祝福がどれくらい重要かわかりません。それなら、この祝福を私たちがどのように味わうことができるのでしょうか。
・詩篇121篇の最初を見ると「都上りの歌」となっています。それなら、今日、皆さんが礼拝する時間が第一の重要な時間にならなければなりません。そして一番重要な時間です。どうしてでしょうか。今日、詩篇121篇1節2節見ると「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」と言われています。ここに見ると、「主から来る」と言われています。私たちが福音、いのちを持った人が礼拝する時、インマヌエルの祝福が臨むということです。それで、私たちの長老、新しい家族は、礼拝に勝利するように願います。皆さんが救われたということは最も重要ないのちを持ったということです。皆さんが神様の子どもになったということは、すばらしい言葉です。それなら、祝福がどこからくるのでしょうか。天地を造られた主から来るのです。これがまさにインマヌエルの祝福を言うのです。ここに見ると、天地を造られた、この話は創造の力です。皆さんが今日、本当に今日の礼拝に勝利すれば、創造の力の働きが起きるでしょう。
・スヨンロ教会にチョン・スクジャという執事がおられます。その方が、牧師に許可してもらって、私たちの教会にきて伝道訓練を数ヶ月間受けて行きました。その方が自分がイエス信じるようになったのを証しをされました。間違って2階から落ちたということです。それで病院に行って、緊急な治療を受けてきたそうです。入院して出てきたのですが、その時から起きられなかったということでした。どれくらい力がなかったかというと、さじを持つ力もなかったということです。それで、電話がかかってきても、電話を受けられませんでした。受話器を持ち上げる力がなかったためです。夫が夕方に仕事をしてきて、食事の仕度をして、食べさせてくれれば、やっと食べていたのでした。神経が死んだのか、病院ではどうすることもできないと言われたのです。ところが、不思議なことが起きたのです。電話のベルが鳴ったということです。大変だから、やっと取ったのですが、友人から電話がきたということでした。
・友人が、教会に行こうと言いました。それで「私は今、受話器をとる力もない。教会には行けない。」と告げたところ、友人が訪ねてきたということでした。それが時刻表になったのです。その友人がきて、ヨハネの福音書1章12節を読んでくれたということです。光が来られたのですが「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」たいしたことではないでしょう。それをまねして言ったということです。そして、祈ったのですが、不思議なことが起きたのです。起きて動けるので、自分自身も驚いて夫も驚いたのです。いったい、このようなことがあるのかと驚いたのです。たいしたことではないのですが、からだが良くなって、家族、みんなが驚きました。その時からイエスを信じて教会に通って、伝道をし始めたのです。
・どうしてそんなことができるのでしょうか。ヒブル4章12節を見れば、みことばは生きていて力があると言われています。「私は、なぜみことば受けるのに、何も起きないのでしょうか。牧師先生、私はなぜみことば聞くのに、なぜ病気が癒されないのですか。」私はそのように考えません。礼拝に成功しなければならないとみことばを捕まえたのですが、全世界が起きました。その人がからだが良くなった程度ではありません。皆さんの肉体的に表に現れなければ、霊的にはより大きいみわざが起きたのです。今日、旧正月に礼拝する皆さん個人、家庭の背後ですべての死んだことがみな起きるように願います。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。この祝福が都上りで、神殿に上がって、みことばを受ける時、私は時間がないから、いつもこのように祈っています。「神様、説教を通して、自分の話ではなく、神様のみことばが出て行くようにして下さい。福音が宣べ伝えられて、私たちの聖徒たちが生き返るようにさせて下さい。私たちの聖徒たちが時間がないから一週間に一度、礼拝を行うことで、全てが解決されるようにさせて下さい。」生き返るのです。ですから、私たちが信仰がないからであって、信じる時、聖霊が働かれるのです。
・ところで、前にこのような話をしたことがあります。使徒の働きを説教をするのに、1章と2章と3章、このようにしていきました。釜山ではじめたばかりの時です。使徒の働き3章を説教をしようとしたら、説教のタイトルを週報にのせなければなりません。その日が木曜日だったのです。金曜日までにタイトルを出さなければなりませんでした。その前の週まで使徒の働き2章の働きを説教していました。釜山にはチャガルチ市場という所があるのですが、そこを通り過ぎていました。足のきかない者が歌を流して下にゴムの台に乗ってはって行くのを見ました。「足のきかない者が行くんだな。」とそのまま過ぎ去ったのですが、少しして見たら、また通り過ぎました。足のきかない者が3人も過ぎ去ったのです。多分、その日が足のきかない者協会集まる日だったようです。ところで、他の人は負担にならないのに、私には負担になりました。次の聖日、説教のタイトルが足のきかない者が起きるということでした。皆さんは、そのような体験はないでしょうか。とても負担になったのです。足のきかない者は、はやく行けないので、少しずつゆっくり行きました。
・それが問題でなく、私はとうてい、行って「ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい。」と言う勇気が出なかったのです。信仰がないことではないでしょうか。ペテロはしたでしょう。「金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名前で歩きなさい。」そうではなかったでしょうか。私はそのような勇気がとうてい出なかったのです。足のきかない者が、はやく過ぎ去ったら良いという気がしていました。問題はそれではなかったのです。聖日に、何を説教すべきでしょうか。私が足のきかない者3人を見たのですが、そのまま戻ってそれで説教を始めるべきでしょうか。元々、私は勇気がありません。これをどのように説教をすべきか、説教のタイトルを送っておいて悩み始めました。3章を抜いてすることもできなかったのです。説教して3章を抜いてしまえば、信徒が変に思うではないでしょうか。一人であれこれ思い悩みました。
・その時、頭の中に金イクドゥ牧師のことを思い出したのです。金イクドゥ牧師が伝道師の時、神学校に行く時に、足のきかない者を見たのです。ところで、この人はすごいのです。足のきかない者のそばに行ったのでした。その程度の勇気はなければならないのですが、金イクドゥ牧師が伝道師の時、足のきかない者のそばに行って「私は、今日、この人を立て起こさなければならない。ところで、起きなければどうするか。」そのような気がしたということです。起きなければ、どうせ元々なので、してみなければならないと思ったそうです。それで、金イクドゥ牧師が足のきかない者を連れて、人いない所に行ったのです。それでも、本当にすごいと思います。そして、聖書にあるとおりに話したのです。「私を見なさい。金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい。」そして、聖書を見れば、立て起こしたとなっています。金イクドゥ牧師は、昔にはやくざだったので、力も強いから、つかんで引っぱったのでした。足のきかない者が起きるどころか、足のきかない者の腕が抜けてしまったのです。それで、死にそうだと大声を出したのです。とてもうろたえた、金イクドゥ牧師が、そのまま置いて逃げたのでした。逃げるにしても、元のように戻して行かなければならないのに、そのまま逃げたのでした。
・それを思い出しました。ところが、私は勇気が出なかったのです。通訳する人が、あまりに笑って通訳ができないようです。ところで、私がその日、悟ったことがあります。足のきかない者をなぜ立て起こしたのでしょうか。神殿の美しの門に座っていたのです。地球ができて初めてナザレのイエスの名前が宣言される日でした。そうだ、できると思いました。私はその本文をそのまま説教しました。足のきかない者も立ち上がることもでき、死者も、霊的に崩れた者もみな起きられるのです。神様の力で崩れた皆さんの家庭も個人も起きることができます。これよりさらに貴重なことはありません。皆さん個人も立ち上がることができます。私はその契約を捕まえました。それで説教したのでした。私たちが礼拝時間に受ける祝福がどれくらい大きいでしょうか。
・「私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」「私は山に向かって目を上げる。」イスラエルも韓国のように70%が山です。ロシアのようなところは山がありません。ロシアに行ってみたことがある人は知っているでしょうが、一日中走っても山がありません。ここにロシアの方がおられれば、この部分が理解できないでしょう。多分、ロシアで聖書が書かれたとすれば、私は野原に向かって目をあげると言ったでしょう。この言葉の意味は何でしょうか。私たちがとても堪え難いことにあえば、天を見つめます。忙しい時は知らないのですが、とても重要なことに会えば天を見つめます。私が山に向かって目を上げる。この話は、本当に神様の祝福は上から降りてくる力だということです。この祝福を受ける時間が礼拝の時間です。皆さんは福音を持っているためです。こういう神様の祝福を今から礼拝の時ごとに受けるように願います。
・二番目です。3節から7節までこういうみことばがあります。「イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。」皆さんがいくら弱くても、救われた神様の子どもならば、神様は最後まで守られます。人ではないから、まどろむことも、眠ることもありません。6節には「昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。」この話は、難しい世の中でも保護して下さるということです。7節には「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。」世の中の人々は知らないのですが、サタンの勢力からあなたを完全に守られるという言葉です。この祝福をいつ味わうのでしょうか。礼拝する時間に、都に上る時に受けるということです。皆さんが本当に体験してみるように願います。皆さんが聖日に礼拝をささげに来られる時ごとに「私は今日、神様から最高の恵みを受ける。私の人生の残った重要なことを神様の力でするようになる。」と思いましょう。なぜでしょうか。皆さんは神様の子どもだからです。イスラエルを守る者はと言われました。
・三番目です。8節にこういうみことばがあります。「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」イスラエルを守られる方は、あなたを行くにも帰るにも、とこしえに守られるのです。おばさんたちが洗濯の場所で洗濯をしていたのですが、一人のおばさんが走って行きました。子どもの乳を飲ませる時間だったので、子どもが泣く声が聞こえたのです。それが母親の力です。ですから、赤ん坊が乳を飲まさなければならないのに、泣くようだと感じたのです。他の人は知らないのに、子どもを育てる親は、子どもが何をするのかすべて知っています。小さい子どもが歩き回るのを親はみな見ているのです。ひょっとして、人は失敗して、見ることができないかも知れませんが、神様は私たちを守られる神様です。救われた皆さんを守る神様は、まどろむことも眠ることもなく、行くにも帰るにも、とこしえに守られるのです。行くにも帰るにもとこしえにという言葉は、インマヌエルの祝福を実際に味わうようにされるということです。皆さんを見て、他の人が祝福を知るようになります。それを伝道と言います。皆さんを見て、他の多くの文化、他の国が生きるようになります。これを宣教と言うのです。
・私たちが礼拝の時だけこういう祝福を受けるのでしょうか。今から、皆さんは礼拝をささげた後に、五つのことをいつも確信して確認しなければなりません。これが結論です。今から五つのことを確信して、確認しなければならないのです。最初です。Iヨハネ5章1節から13節に「私は神様の子どもだ。私はキリストによって救われた。」ここに対する確信がなければなりません。神様の子どもなのに確信がなくてはいけないのでしょうか。私たちが確信がなければ、今でも存在する暗闇の勢力が触るのです。Iペテロ5章7、8節を見れば「あなたたちの思いわずらいを主にゆだねなさい。」それと共に「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔」と言われています。悪魔は確かに存在しています。全世界の文化を掌握しました。これが皆さんをだまして触ってくるのです。ところで「私は神様の子どもだ。」証拠は何でしょうか。信仰生活が良くできるからではありません。証拠は何でしょうか。
・キリストを分かる者は神様の子どもだと言われました。「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」「誰でも主の名を呼ぶ者は救われます」神様がキリストを送って約束されたのですが、その名を信じる者は永遠のいのちを得ました。確信がなければなりません。私たちがすることができないから、サタンの手から私たちを救い出された方がキリストです。これをいつも確認しなければならないのです。私たちは神様の子どもになれません。それでキリストを送られたのです。それでいつも確認しなければなりません。このような時、すばらしい答えがくるのです。このような時、皆さんの周囲の暗闇の勢力はみな崩れるようになっています。
・二番目の確信と確認です。ヨハネの福音書14章14節、祈りの答えです。皆さんは神様の子どもであるために、祈りの答えを受けられるのです。確認してみましょう。今までどれほど多くの答えを受けたのでしょうか。これからも、答えが来るのではないでしょうか。確信して確認しなければなりません。地下で始まった私たちの教会を今まで神様が多くの答えを与えられました。あの釜山で12坪で福音を捕まえて始めたのですが、全世界にレムナントが起きたのです。ですから、確認してみなければなりません。確かに祈りは答えられます。私が10年前にレムナントという単語を捕まえたのですが、全世界にレムナントが起きました。二番目の確信が何でしょうか。神様の子どもは祈りの答えを受けるのです。いつ最も大きい祝福を受けるのでしょうか。礼拝する時です。二、三人がわたしの名前で集まれば、わたしも彼らの中にいます。
・三番目の確信、そして確認しなければならないことです。Iコリント10章13節。勝利の確信です。試みられる時、恐れてはならないと言われました。耐えられる試練だけ与えられて、それも避ける道をくださり、勝利するようにされるのです。皆さんが今、少し失敗したように見える人もいるでしょうが、勝利します。なぜでしょうか。神様の子どもであるためです。そうしてこそ、他の人を生かせるのです。それで、耐えられる試練を与えて、それも避ける道を与えて、よく勝つようにされます。問題があっても恐れないようにしましょう。神様は勝利するようにされます。パウロが監獄に入った時も、驚くべきみわざが起きました。それで、パウロが監獄に閉じ込められたのではなく、監獄がパウロに捕えられたと言われました。皆さんが病気になっても死にません。病気になったと言わずに、病気が皆さん手で捕えられたのです。解決することができます。問題に陥ったと言わずに、問題を捕まえたのです。必ず勝利するようにされます。そして、今まで確認してみましょう。聖書の教会史を確認してみましょう。困難にあうように見えたのですが、みな勝利しました。ダビデが追い出されたように見えたのですが、勝利したのです。ヨセフが奴隷に行くように見えたのですが、それは勝利の道に行くことでした。私が福音運動をしながら、多くの難しい迫害にあったことは損をすることだと思ったのですが、全部、勝利の道でした。勝利の確信と確認です。
・四番目の確信です。皆さんが受ける呪いをみな十字架に釘づけられました。マルコの福音書10章45節、Iヨハネ1章9節。私たちのすべての呪いを十字架に釘づけられました。確認してみましょう。私たちは罪を許されることはできません。ある人はこのように教えます。「悔い改めてこそ許される。」と告げます。違うのです。犯人が捕えられて、ごめんなさいと言えば許されるのでしょうか。他人のお金を詐欺をして、ごめんなさいと言えば家に帰ることができるのでしょうか。悔い改めるからといって許されるのではありません。被害者が許してくれなければなりません。そうではないでしょうか。「かわいそうな人だから、お金は返していりません。なかったことにしましょう。合意してあげましょう。」と言われたら、出て来ることができます。それが許されたことです。私たちの誤りを神様が許されれば、許されるのです。ある学生が私にメールで質問をしました。ある伝道師の説教を聞いたら、私たちは義人になったと言われるが、罪を犯してはいけないのに、どのようにしなければなりませんか。罪を犯したことはどのようにするのですか。簡単に説明します。
・キリストが十字架にかかられたことによって、皆さんの原罪を永遠になくされました。サタンの子どもの中にいたのを、完全に抜き出されました。皆さんの家に降りてこなければならない運命、呪いを終わらされたのです。それを原罪と言います。私たちは小さい失敗や犯罪を行うことがあります。それを自犯罪と言います。それはIヨハネ1章9節に、神様に祈れば許されると言われています。小さい子どもが間違いをして、パパ、ママにごめんなさいと言います。皆さんの孫がごめんなさいと手を合わせて言うのに、許さないでしょうか。次にまたそのようにしても赦すでしょう。自犯罪は、地獄に行くことではありません。原罪のために地獄に行くのです。ですから終わったのです。
・五番目に確信して確認しなければならないことです。箴言3章5節、6節、マタイの福音書28章20節。「わたしが世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。」今でも目に見えなく聖霊で皆さんを導かれ、働かれるから、礼拝に勝利するのです。礼拝が終わって皆さんが普段の生活をする時、五つのことは確信しなければなりません。私はキリストによって神様の子どもになりました。それが聖書の主題です。確認してみましょう。そして、神様の子どもは祈りの答えを受けます。確認してみましょう。今まで。そして、神様の子どもはどんな困難にあっても勝利します。確認してみましょう。すべての呪いから解放させられました。そして導かれると言われたのです。これは未信者は知らない話です。未信者が霊的にだいぶ困難を受けながらも知らない話です。来週に話してみようとしているのですが、暗闇の文化が覆われるのにも知らずにいます。どれくらい恵みが深いメッセージでしょうか。「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。」4節から「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」この祝福が皆さんのものなのです。この祝福を永遠に味わうようになることをイエスの御名で祝福します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。私たちが前は神様も知らなくて霊的なことも知りませんでした。福音を分かるようにされ、神様の子どもにしてくださったことを感謝します。今は五つの確信と確認をして、現場を生かすようにさせて下さい。私たちの未来が生き返るようにして下さい。この契約をくださった神様に感謝をしながら、新しい力を得る日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/世の中を生かしに行く訓練場
(詩121:1〜8)

・恵み深い賛美をして下さってありがとうございます。私が釜山にいた時のことですが、教会に有名な音楽家5人が来られました。本当に歌が上手だったのです。しかし、不思議に私だけではなく、恵みになりませんでした。その次の週に私たちの学生たちが賛美の発表会をしたのですが、それがむしろ恵みになりました。なぜそうでしょうか。特に私たちのレムナント、レムナントを教える指導者は、必ず重要なことを捕まえなければなりません。今日、都上りの歌だとみことばを分かち合っているのですが、都、神殿は、世の中を生かしにでかける訓練場です。今、釜山では影島橋のすぐそばに100階の建物を立てる計画をして作っています。多分、ロッテで作るようです。聞く話しでは、その上に100階を作るということです。今、何年間か工事をしています。しかし、一階も上を作っていません。下に工事をしているのです。上に100階をたてようとするなら、下にどれくらい掘らなければならないでしょうか。
・私が、今、その話をしようとしています。私たちが建物を立てます。1階、2階、層数がたくさんなるでしょう。窓も作って、たくさん高くできます。問題はこれです。この下の基礎が全くだめな状態で高くするようになれば、高くなったほど問題がきます。それが問題です。Iコリント3:11を見れば、キリストが土台だと言われています。釜山でもアパートが崩れて使えないようになったところがあります。他の理由ではなくて、基礎ができていなかったのです。この基礎ができなければ、大変なことになるのです。ある方が私に用心深くきておっしゃられました。これは絶対に悪口を言うのではありません。絶対に不満でなく、絶対に牧師に告げ口するのではありませんと言ったので、話してみてくださいと言いました。今、私たちのタラッパンで外国人の働きをよくしています。しかし、初期の頃の訓練がされていない牧師や教役者が、全く福音の話をしないということです。いくら話してもしないのです。あまりにも苦しくて、福音の手紙と以前にあったメッセージを持って外国人の働きをしたところ、外国の人たちが衝撃を受けたのでした。どのように、こういうメッセージがあるのか、どのように福音を話すのかということでした。その人に付いて回りながら、しようと言うのでした。その方は、ここにもいなければならず、各地域に教会があります。教役者が一般信徒が向こう見ずにそこまでするのかと防ぐということでした。教役者でもないのに、なぜあなたが来て、そのようにするのかと言われたそうです。
・これは、何を話すのでしょうか。これがすなわち、基礎が強固でないということです。この話は、普通の話ではありません。基礎を堅くするためにタラッパンができたのです。タラッパンが何かと尋ねられれば、基礎を堅くすることです。基礎を堅くしないで、どんどん高くするから問題がくるのです。神様がなぜタラッパンを許されたのでしょうか。なぜ神様がタラッパンを作って、レムナント運動するようにされたのでしょうか。事実上、なぜ地球上で他の人がしたがらないことをなぜするのでしょうか。基礎を堅くしようとするのです。それで私が祈る中に来週からは基礎をしようと思っています。以前、私が初期に現場に行ってしたメッセージ、それをしようと思っています。なぜ救われるべきで、なぜ福音を分からなければならないか。いったい伝道とは何か。そして、いったい信徒が受けた祝福をどのように味わえるのか。祈りとは何か。それを4週間した後に、福音の手紙をするつもりです。皆さんが一冊ずつ持ってきて勉強しようと思っています。そのような中に、私たちは癒されることも行われるでしょう。
・この言葉を一番わかるのが難しい人々が神学者たちです。この頃、自殺する人々がたくさん増えています。今回、また一つ事件がありました。表面には全く現れません。さらに、前に自殺した人は教会に通った人でした。家族が礼拝をささげに行った間に自殺したのです。教会にあまり来ないから、家族がそのまま置いていたのでしょう。自殺は腹が立つからするのではありません。自殺はがっかりしてするのではありません。絶対的に何かに捕えられなければなりません。初めの段階がうつ病です。うつ病になれば、簡単に話せば、サタンに完全に捕えられるのです。これからそのような人々がたくさんいるようになるでしょう。それで、教会に通う時、初めに基礎からならなければならないのです。それでも、することがたくさんないのでしょうか。たくさんあります。今、私たちのタラッパンで勇気のある果敢な人だけ集めたら集まるでしょう。とても賢い方々だけ集めても、それでもパリサイ人より賢くないでしょう。ユダヤ人よりは賢くありません。ユダヤ人は世界を掌握しました。今現在もユダヤ人が世界を掌握しています。ところで、基礎がならなかったのです。これをはやく捕まえなければなりません。
・もしこれが根をおろさないようなら、教会は存在する理由がありません。勇気のある果敢な人を集めるのが目的ならば、ハーバードに送れば良くて、ソウル大に送れば良くて、教会に来る必要はありません。それはいくらでも必要なことだから、違ったところでも習えます。今、ずっと自殺者も増えているのですが、基礎のところから来るのです。これからどんどん深刻化するでしょう。そして、自殺する人はまだ大丈夫です。他人を殺すのが問題です。ある人は自殺してしまうのに、いっそそれは優しい方です。自分は死なずに、他の人を殺そうとする人がいます。これが結局は全部、精神病です。聖書にだけ答えを与えているのですが、福音に根を下ろさなければ絶対、解決されません。知らずに、基礎ができないから宗教生活をするのです。それでは福音でないことなら、一般の宗教も同じです。それではマタイ12:44-45を見ると、七つの悪霊が七倍でさらに入ってきます。まちがいなくそうなりました。一万円のお祓いをすれば、後には五万円のお祓いをしなければなりません。また大丈夫だったとしても、その次は十万円のお祓いをしなければならないのです。したら、その時は大丈夫ですが、次には百万円のをしなければなりません。ある時は、お祓いを一回するのに、何千万円というのもあります。
・私たちのタラッパンにムダン(霊媒師)がきて、私に相談をしてきました。牧師先生、私はムダン(霊媒師)で苦労して、イエスを信じて受け入れたがとても良い。3千万円のお祓いの話が入ってきたのですが、一回してから教会に入ればどうかと尋ねました。私たちの教会出てきているので、私がしないでくれと言いました。どんどん上がるのです。本当に人々は愚かです。これだから、どんどん問題くるのです。どれくらい哀れなのでしょうか。このようにして犯罪も起きて、基礎がならないから、どんどん問題が起きるのです。未信者は知らなくてそうです。それで、福音を伝えなさいと言うのです。未信者は全く聞けなく、見えないので、どんどんこのような形で死ぬのです。それで私たちが最も注意しなければならないことが、牧師、役員の子ども達は自分が福音をよく分かると思うことです。しかし、とても注意しなければなりません。なぜならば、この基礎の部分がならないこともあるのです。この基礎、土台がしっかりしなければなりません。建物が高くなっても、崩れない土台固めをしなければならないのです。人々は知らずに、どうして牧師の子どもがああなるのかと言います。全く基礎にならない状態で上のものだけ継続したからです。役員も同じで、これをとても注意しなければなりません。実際、ここに教役者たくさんいますが、この現場で、基礎の部分、霊的問題をたくさん見ない人は知りません。ですから、人は明らかに病気で死ぬのに、病気がきても分からないのです。
・私の健康をチェックする医師が1人います。その方がこういう話をされました。良い医師はたくさんいます。良い薬もたくさんあります。この頃は良い食べ物もたくさんあります。ところで、良い医師は、そうではないということです。その人に必要な時、正確なチェックをした方が良い医師だ。良い薬は、その人が必要で飲む、その薬が良い薬だ。良い食べ物は、今、私のからだに必要で食べなければならない食べ物が良い食べ物だ。私は正しいと思いました。ある方は一日にビタミンを十二粒ずつ飲めと言うのですが、そうではありません。必要に従ってしなければならないのです。その話を聞いたので、信頼するようになりました。確かに問題は来るので、55〜65才まで、からだ管理を良くするならば健康に仕事ができると言われました。私たちは確かに病気は来ているのに知らずにいるのです。霊的な病気も同じです。病気にかかれば死ねば良いのですが、霊的な病気は終わらないで継続されて行くのです。
・ですから、クリスチャンが揺れて問題がくるのです。基礎が強固でないためです。それで来週から一ヶ月間、私たちのレムナントたちのために基礎をするつもりです。それが終った後には、福音の手紙を持ってレムナントとレムナントを教える皆さんと一緒にするつもりです。この木がいくら大きくてよく育っても、根が腐ってしまえば死にます。ですから、表面で正常な木であっても、根が死ねば実際に死んでしまうのです。目に見えないように土に覆われているので、知らないのです。私たちはこの基礎の部分をキリストで土台を作るのです。あなたはペテロです。この岩の上にわたしの教会を立てます。私たちのレムナントは必ず記憶しなければなりません。教会で今、これから何を持って出て行くべきなのでしょうか。
・神様がくださる救いの力を持って出て行くのです。それが今日の1,2節です。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」ここに重要なみことばがたくさん出ています。私が山に向かって目を上げる。私たちは何を見ることができるべきなのでしょうか。私の助けは、天地を造られた主から来るということです。これが救いの力を言うのです。これを味わって出て行ったら、確かに違います。全世界には、多くの牧師、宣教師が散らばっています。基礎から強固になってこそ、働きが起きるのです。これから私たちのレムナントがどうなるのか確信します。基礎が強固だから、これから世界を掌握するようになるでしょう。それで、創造主なる神様の、天地を造られた主からです。この助けは、単なる助けではなくて、天地を造られた主から来る助けです。絶対に失敗しません。皆さん、この祝福と味わうようになるように願います。
・その次に、何をして出て行かなければならないのでしょうか。今日の4-7節を見ると、世の中の勝つ力です。これを今日、得るのです。教会で。それが4-7節です。みことばを通して得るのです。4節に見ると「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」なぜなら、聖霊でおられる神様だから、まどろむことも、眠ることもないのです。救われた者に、今でも聖霊で働いておられます。皆さんが今日、聖霊充満を受けて、癒される祝福があるように願います。「主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。」世の中に起きるたくさんの威嚇や危機、そこから神様が救い出して下さるのです。この力を持って出て行かなければならないでしょう。特に、長老、役員、副教役者は、神様が与えられる力を得るように願います。
・そして7節に「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。」特に霊的にサタンに勝つ力を与えられました。こういう力を全部、教会で受けるのです。こういう力を今日、礼拝をささげる時、受けるのです。みことば通じてみな受けるのです。間違いありません。それでは、この力が皆さんの事業、職場にそのまま臨むようになります。これが都上りの祝福です。8節を見れば「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」今は単なることではなく、今年、私たちの三つの征服が出てきたのですが、征服の力を神様がくださるのです。あなたの行くにも帰るにも、今よりとこしえまで。私たちは現場征服が福音の目的ではありません。現場を生かさなければならないのです。経済が福音の目的ではありません。しかし、この中に陥った者を生かさなければなりません。文化が私たちの目的ではありません。この中に陥った者を生かさなければなりません。これが神様が共にされる祝福です。こういう力がどこから来るのでしょうか。私が山に向かって目を上げる。私の力がどこからくるのでしょうか。私の助けは天地を造られた主から来る。私たちのレムナントとレムナントを指導される方たちは、この答えを確かに持って出て行かれなければなりません。この力を得ることができる重要な方法を持って行かなければなりません。
・この力を得ることができる重要な方法がいくつあります。このことをしようとするなら、確信からなければなりません。確信ということは、聖書の根拠を正しく知っているということです。今まで一度も間違ったことがない神様のみことばの中に根拠があります。Iヨハネ5:11-13に、皆さんを神様の子どもだと確かにおっしゃっています。他のことばを聞かずに、感動、感激は救いの根拠ではありません。聖書に、信じる者は神様の子どもになると言われています。ある教団では、火を受けなければならないと言うのですが、受ける必要はありません。それは後ほど来たら受けて、来なければ受けなければ良いのです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。それも聖書によって受けるのです。ある時は、神様の目的よって受けます。私の友人1人は、教会に行くやいなや火を受けたのですが、今、教会に通っていません。その時に受けた火が何の火かわからないのですが、とにかく受けたのでした。
・涙を流して悔い改めろと教える教団もありますが、違うのです。皆さんがいくら泣いても救われません。泣くと救われるのだったら、泣き虫は全部、救われるでしょう。明らかな根拠があります。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。神様の御子イエス・キリスト、その事実が信じられる者は救われるのです。絶対に変わりません。聖霊ではなくては、キリストを主と認められないのです。Iコリント12:3。皆さん、確実だから確信を持たれなければなりません。そのような人には、確かに祈れば、答えが与えられると約束されました。ここに対する確信を持っていなければなりません。特に私たちのレムナントが逃してはなりません。
・Iコリント10:13、皆さんが神様の子どもであることが確実ならば、問題がきても勝てます。そうです。私が前に幼い時のことを話したではないでしょうか。私の家があったのですが、6.25(朝鮮戦争)のためにあちこち孤児院が多くありました。私たちは孤児でなかっただけでも幸いでした。ところで、孤児の中で悪い子ども達が多くいました。私が家に帰る道が、山側へ行く道しかなかったのです。そこに隠れていて、私が過ぎ去ればいじわるをして奪っていきました。もちろん、他の子ども達にもそのようにしていたのでしょう。それで、私は怖くなったのです。新しいカバンを買ったのですが、刃物で切られました。普通、家に帰って子ども達はそのような話をしないのですが、幼い時、かなり心配になったのです。私が静かに知恵を思いついたのです。
・私より3才上のいとこがいたのですが、今でもけんかが強いのですが、その時の特技がけんかでした。その兄に話したのです。心配するな。どこの場所まで言いました。家に帰る道に、私のいとこが、そのドングリの木ある所に隠れていたのです。そういつらがまた私を捕まえました。その時、私のいとこが出てきて半殺しの目にあわせたのです。かわいそうな子ども達だったのですが、その時は、どれくらい気がすっきりしたか分かりません。思い切り殴って、またしたら、その子たちを抹殺すると言いました。その時から、子ども達が私を見たら逃げたのです。私がその時、いとこ一人だけいても、このように力になるんだなと思いました。いとこがドングリ木の下に隠れていても働きが起きるのです。聖霊が私とともにおられるのです。私は神様の子どもです。それなら、問題がきても勝てます。耐えられる試練だけ与えられると言われました。確かにそう言われました。マルコ10:45に皆さんの原罪をなくしたと言われています。Iヨハネ1:9に、それでも私たちは罪を犯さないでしょうか。自犯罪は、祈れば神様が許してくださると言われました。箴言3:5-6を見ると、私たち信じる者を最後まで導かれるのです。マタイ28:20に、わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。これをずっと確認してみましょう。神様のみことばを持って、事件を持って、また現場を見ながら。そうすれば、すばらしい答え、働きが起きます。
・今は三つの戦いをするように願います。私たち自身とも戦う、霊的戦いです。皆さんがこの確信を持って少しだけすれば良いのです。皆さんが今日から少しだけすれば良いのです。定刻祈りです。定刻祈りということは、皆さんが一日に一度以上は神様が与えられる大きい力を得れば、みな解決されるということです。本当にこの祝福を受けなければなりません。皆さんのすべての問題がすべて逃げるようになります。戦う方法です。皆さんが一日一回以上は力を得なければなりません。誰も手助けしないでも大丈夫です。してみましょう。力を得なければなりません。皆さんの問題をみな置いておいて、そのまましてみましょう。働きが起きます。それで聖霊充満の方法は人ごとに違います。ある人は大きく声を出すのですが、それも大丈夫です。ある人は、長い時間、祈るのですが、それも大丈夫です。ある人は夜遅く祈ります。それも大丈夫です。
・ある人は、一食ずつ断食してします。大丈夫です。ある人は賛美して、神様に深く祈ります。大丈夫です。してみましょう。皆さんは、神様の子どもであることが確実だから、勝てる力があります。私の場合は、全く声を出さずに、呼吸を深くしながら祈ります。とても神様が力を与えて下さいます。皆さんが今は、現場に通いながら思い出せること、目に浮かぶことをいつでも祈りましょう。確かに働きが起きます。このように、皆さんが戦いで勝利するのです。こういう祝福を、私たちは教会で神様がくださるから、持って出て行って勝利するようになるのです。神様がくださる祝福があふれ出るように願います。
・ピリピ3:1-20です。今は人生を新しく変えるのです。前は違ったのですが、最高の知識を私たちは捕まえました。キリストを分かる知識が最もすばらしいことです。私たちのレムナントが必ずこの祝福を持って出て行かなければなりません。そして行って、そのまま味わえば良いのです。確信です。そうすれば、確認できます。そうすれば、この祝福を私のものにすれば良いのです。そうすれば、最高の目標ができます。キリストの手で捕えられた、それをつかもうと走って行くのです。そうすれば、最高の報いが目に見えます。上から呼ばれた報いのために。私たちの国籍は天にあります。最高の背景です。万物を服従させるほどの御名、最高の権威です。これを皆さんが知るようになります。レムナントがこれを持って出て行ったら勝利するのです。これはレムナントだけではありません。皆さんがこの祝福を持って出て行かなければなりません。それで完全に答えを受ける祝福を味わうようになるのです。来週から準備をして基礎をしようとしています。神様が本当に用いられる働き人は、どんな働き人なのか。伝道すれば、なぜ祝福を受けるのか。いったい救われた者の祝福はどんなものなのか。私たちは、どんな方法で世界征服をするのか、こういう基礎をして福音の手紙をするつもりです。2部の時ごとに、私たちのレムナントに神様の大きい祝福が臨んで、皆さんに証拠が起きるように願います。新しい力を得るようにイエスの御名でお祈りします。祈ります。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。新しい力を得る時間になるようにさせて下さい。それこそ、今週、新しい恵みが臨む週になるようにさせて下さい。言葉だけで聞いた福音が、真に私たちの目の前に迫ってくる働きを見るようにさせて下さい。聖書に記録された福音が、実際に働く力を見るようにさせて下さい。説明でだけ聞いた福音が、私たちの事業に臨むようにさせて下さい。聞くだけだった福音が、私たちの家系、家庭、個人に霊的問題が解決される働きに変わるようにさせて下さい。そして、会で説教だけで聞いた福音が、私たちの事業場に現れて、証拠で立つようにさせて下さい。この週に癒される時間になるように祈ります。私たちの家系が癒されるようにして下さい。私の霊的問題が癒されるようにして下さい。私の不信仰が癒されるようにして下さい。すべての呪いがイエスの御名で退くようにして下さい。すべての病気がイエスの御名で離れるようにして下さい。すべての悪い霊がイエスの権威の前に崩れるようにして下さい。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン