2007年5月27日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/ダビデのために
(詩132:1〜18)
■イスラエルの最高の王ダビデに関するみことばを今日も聞いてみなければなりません。 ■インマヌエル教会も20年目に成っています。一人で個人的に申し訳ないと思ったことが3度ありました。夜明けに起きたのですが、とても疲れていて、朝の祈り会に行きたくなかったのです。このような時は、寝ていれば良いという気がしました。私一人思ったことですが、朝の祈りはだれが作ったのか、このような時は、そのまま寝ていれば良いのにと考えたのです。尹ソンフン伝道師や他のところに連絡が取れませんでした。それで、しかたなく朝の祈りに出たのですが、その日によって人が満杯でした。地下だったのですが、ぎっしり埋まっていたのです。その時、こういう気がしました。どうして、この人たちが来たのだろうか、この人たちも疲れているのに、どのようにきて切に祈っているのか、その時、私の気持ちに神様の民はこのようなのだなと考えたことがありました。 ■もう一度は、月曜日だったのですが、集会もして、行事もあって、とても疲れていました。その日によって、教会で刑務所伝道に行く日だったのです。私の気持ちは、とても行きたくなかったのです。自分たちどうし行けば良いので、なぜ私を引っ張っていこうとすると私一人思っていました。それでも、突然、連絡が取れないから、どうにもならなくて行ったのです。その日、殺人犯に会いました。夫婦げんかをしたが、あまり争わなかったのに、奥さんが死んだということです。この人が食べることもせずいました。真っ赤な名札を付けていたのです。番号で付けていました。真っ赤な番号は殺人犯です。この人が自殺しようと考えていたのですが、その日、受け入れたのです。その日、車に乗って帰りながらこう考えました。私は本当に悪い奴だ、今日、私が行かなかったなら、どうなるところだったかと考えました。そのような経験があります。本当に申し訳ないと考えました。 ■信徒を見れば、社会で仕事をして、教会で献金をするのを見れば、不思議に思えて、神様の民でなければできないことだと思います。もう一度、申し訳ないことがありました。牧師は聖日に説教を準備します。ある面では、家族が手助けしなければなりません。度々そばで世の中の話をすれば説教をとても邪魔することになります。その日に、よりによって私がけんかをしたのです。どれくらい腹が立ったか、月曜日ならばあまりしなかったのに、聖日だったので、さらに腹が立ちました。それほど大したことでもなかったのですが、けんかになって、私の本来の副専攻だったことを生かして悪口をいっぱい言ったのです。本来の専攻ではないのですが、悪口は副専攻でした。誰にも分からないように、そのようにして、何もなかったように教会にきました。執事ならば、教会に来なければ良いでしょうが、私は来ないわけにいきません。長老も見つけられるから、来なければならないでしょう。執事は一回くらい抜けても見つけられないのですが、私は説教をしなければなりません。講壇に上がってくる時まで狂いそうな心境でした。講壇に上がってきて、座って祈りました。その日によって信徒がとてもたくさんきていました。こういう奴の説教を聞こうと、このようにたくさん来ているのだなあと思ったのです。その時、祈りが出てきました。この信徒たちがどれくらい難しいだろうか、世の中で大変な目にあって教会に礼拝をささげに来たのです。この中には夫が迫害するのにも耐えて教会に出てくる女の聖徒がいるでしょう。そのような気がしたのです。だから説教の序論が変わりました。それまでなら、説教に力を入れていたのに、その日は力を抜いて、「皆さん、どれくらい苦労が多いでしょうか」と始めたのです。ところで、不思議に、その日によって私がした説教の中で、一番、恵みなる説教をしたのでした。内心、けんかも大丈夫だなと思いました。申し訳ないと考えました。人だから、そのようなことがあるのです。 ■ダビデを見ながら、ダビデも同じ人なのに、ダビデはどのようにこういう信仰生活をしたのかということに対すること以前に、いくつか考えなければならないことがあります。今日の本文に入る前に考えるべきことが3つあります。 ■最初が何でしょうか。皆さんが誰か、私が誰かを考えなければなりません。これがあい昧なのです。私が執事や長老や牧師でしょう。私が誰でしょうか。私は神様の子どもで、インマヌエル教会の信徒でしょう。私はタラッパンで世界福音化をする教会の伝道者だと言うでしょう。みな正しい言葉ですが、違うのです。今日、皆さんが思っているそれが私です。それをのがしてはいけません。問題がきた、良いことがきた、どんな考えをするのでしょうか。それが私です。今日、皆さんが貴重な時間にここに座っているのですが、何の意味なく座っているならば、それが私です。意味がない私です。今日、礼拝をささげにきたのに、私がここに命をかけられる時間だと思っている、それがまさに私です。そうではないでしょうか。これが重要です。今日、最初に捕まえなければならない今日と私の考えです。私たちは時々、何をしなければならないかと思うのですが、今日が重要なのです。私たちは、だれが何と言っても私が重要です。ダビデはこれをのがさなかったのです。それで、それに対する説明をしようとするなら聖書にとても多いから、ダビデでだけ説明をします。 ■ダビデの幼い時期は羊を飼いながら、祈りながら、文章を書きながら、賛美しながら過ごしました。これがすべてでした。それがダビデです。それが祝福されたダビデです。私は昔に休みの宿題の中で、日記を書いて来なさいと言われたら、書くことがありませんでした。何を書かなければならないか分かりませんでした。ご飯を食べて寝て遊んだのですが、それでも、毎日、寝て遊んだと書くことはできませんでした。休みは一ケ月が越えてあるのですが、すぐ過ぎ去ります。日記の宿題を書いて出さなければならないのに、一ケ月以上、日記の宿題をしませんでした。私の母と向かい合って座って、一ケ月分を作り出しました。叔父の家に行ったといって、色々な話を加えて合わせました。そうして、完ぺきにして提出しました。ところで、6年の時、チェ・ジュンファンという先生がおられたのですが、国語の勉強が良くできる方だったようです。ある人が、一日一日自分の生活を記録して残したのですが、これが世界を動かした作品になったと言われました。自分の文章も書いて、自分が見たのも書いたそうですが、後にそれが大きい作品になったということです。その話をこの先生がどれくらいおもしろくしたか、私が聞いた時に、共感したのです。それが、日記だと気がしました。幼い子どもたちが、それだけ悟っても良いでしょう。 ■私たちの信仰生活は、何をするかではなく、私たちが神様を信じる子どもだから、することはありません。ダビデが祈って、文章を書いて、賛美して、羊を飼うことを最高にがんばったのです。それです。今日。いろいろ複雑な中で、問題が多いのですが、私の考えが重要です。私たちは救われたので、これ以上、することもなく、それがすべてです。 ■ダビデが少年時代を迎えました。サムエルに会って、メッセージを聞いたのです。私たちのレムナントにこれが重要です。皆さんの教会の牧師先生を通して皆さんがメッセージを聞くように、ダビデがサムエルを通してメッセージを聞いたのです。そのような中に、イスラエル民族がぶるぶる震えて、恐れをなす大きいゴリヤテ将軍が現れました。40日間、イスラエルを侮辱するのに、出てくる人がなかったのです。ところで、聖書を見れば、6ギュビト半となっています。正確かは分かりませんが、6ギュビト半ならば、私が計算してみたら3cm足りない3mでした。ゴリヤテの身長は297cmだということです。K-1選手のチェ・ホンマンでも相手になりません。以前、我が家に来ていた英国人の身長が197cmでした。私が上をしばらく見つめました。297cmはものすごく大きい身長です。鎧の重さを計算したところ50Kg程度です。槍もあるのですが、槍の穂先だけで3Kgでした。だからどれくらい怖かったでしょうか。その程度ならば、声がどれくらい大きかったでしょうか。その程度ならば、口はどれくらい大きかったでしょうか。こういう人がエラの谷で大声を出したのです。イスラエル民族が全部恐れたのですが、その時、ダビデが現れました。確信したのです。今日、神様がゴリヤテを私の手に渡されたと確信したのです。死ぬか、生きるかは関係なかったのです。これがダビデでした。信仰生活をする方々やレムナントは、重要な瞬間がきた時、死ぬ、生きるは問題ではありません。私たちの学生たちが司法勉強をしたり、医師の国家試験の勉強をする時も、人の話は聞かずに、死んでも生きても、問題でなく、そのまま受けるのです。それが信仰生活です。 ■ダビデが成功した青年時代、サウル王が殺そうとしました。この時は逃げ回りながら祝福をみな受けたのです。文章も多く書きました。ダビデが逃げ回りながら、恵みを受けるので、忠臣がついてきて、みな準備ができていったのです。ダビデが王になるやいなや胸に抱いたのが神殿建築の準備です。ダビデの老年期は、さらに素晴らしかったのです。年を取った時、アブシャロムによる謀反が起きて、臣下が反発をしても、国の未来に対する準備をしました。だから、今日の本文に4度も「ダビデのために」と言われているのです。 ■これが信仰生活です。皆さんがどれくらい難しい中をきたのでしょうか。皆さんがどれくらい人々の葛藤中で教会にきたのでしょうか。家庭が完ぺきならば良いでしょうが、問題があります。こういうもので、神様の前にきたのです。皆さんの今日と考えがとても重要です。今日、皆さんに最高の祝福の日になることをイエス様の御名でお祈りします。 ■本文に入る前に、二番目です。ダビデがそれで満足したのではありません。いくら愚かでも、祈る中にこの時代が、どんな時代かを見たのです。私たちがその程度は見なければなりません。私たちが大きく知識はなくても、時代がこのように行くんだなという程度は見なければなりません。それでこそ、正しく答えを受けます。私たちが修士、博士ではなくても、時代がこのように行っているんだな、この程度は理解しなければなりません。そのために、ダビデがペリシテのために苦しめられて、攻撃された時、ゴリヤテと戦ったのです。これを知識や知恵だと色々と話します。その話をつくそうとするなら時間がありませんが、私たちもその程度はなられなければなりません。 ■さらに重要なのが、三番目です。私たちは今日も重要で、時代を見るのも重要ですが、さらに重要なことが、神様と私だけ分かる契約がなければならないのです。これが重要です。最初、二番目がなければだめで、それらがありながら神様と私だけ特別に持った契約がなければなりません。私たちのレムナントは、これを持って外に出て行かなければならず、大人たちは話す必要もありません。これがなければ、風によってあちこち揺れて、誰がこの話をすればこれが正しくて、あの話をすればあの話が正しいと言うのです。レムナント七人がみな神様との特別な契約がありました。今まで本当に祈りの答えを受けた者にはあったのです。ですから、皆さんがどれくらい祝福の席に座っているのでしょうか。 ■皆さんがさらによく知っているでしょうが、鄭周永氏、李秉x氏の前に、韓国の財閥の中で、イム・サンオク氏がいます。映画も出てきて、本もあります。私は本を読みました。韓国の初めての財閥です。さっと読んでみたら、本当に映画みたいな話でした。貧しくて、高麗人参を売る店で仕事をしながら韓国高麗人参を中国に売る手伝いをしていました。女の人はそうではないのですが、男の人は歩き回りながら酒を飲んで遊びます。一緒に行ったイム・サンオク氏の友人が、そばで行って遊ぼうと言ったのです。知らなくて、ついて行ったら、歓楽街に行ったのです。生まれて初めて行ったので、怖がって行かないと言うのに、友人が大丈夫だと言ったので、入るようになったのです。入ってみたら、ある幼くてきれい女の子がいたのですが、怖くてぶるぶる震えていました。どうしたのと尋ねたところ、お父さんがギャンブル好きなので、自分の娘を風俗街に売られたということでした。その子が来た初日であったので、恐れていたのです。イム・サンオク氏がそれを見て、いくらで売られてきたかと尋ねました。私たちの国のお金で巨額で売られてきたのでした。この人が高麗人参を売ったお金を見たら、そのお金があったので、それで支払ってその子を返してやったのです。どれくらい感謝したでしょうか。それが初めてで、最後でした。その子に名前を書いたのです。その女の子が有難くて、名前を尋ねたので知らせたのでした。世の中で2人だけ分かる話になりました。韓国にきて社長に話をしたところ、狂った奴だと会社で直ちに追い出されました。かわいそうな女がいてお金を皆上げたといったところ嘘だと言われたのです。このように何もなしで追い出されました。歳月が過ぎて、誰かが訪ねてきたのですが、前のその女が人を送って探していたのでした。この少女が世的な祝福を受けて、香港、中国で最高の財閥夫人になったのでした。夫にいつも韓国のイム・サンオクという人について話したのです。夫がこの人を探してきなさいと言ったのでした。韓国の貧しい時期に、この人がお金をたくさん儲けるようになったのです。 ■私たちが重要な人とよく通じてもそうなります。とても重要な人と共に契約がうまくいっていても、そうなるのです。本当に私たちの生命を治める神様との特別な秘密があるならば、すばらしい事になるのです。その3つが今日の本文の中に出てきます。どの程度なのか、今日の本文を見ましょう。 ■ダビデが他の人は知らない神様と持った契約があったのですが、契約、契約の箱、神殿が最初です。詩132:1-9です。サムエルに聞いた話です。指導者サムエルに聞いた話なのですが、それを胸に抱いたのです。どの程度なのか見ましょう。3節に「私は決して、わが家の天幕にはいりません。私のために備えられた寝床にも上がりません。」となっています。この神殿を作る前に、契約の箱を持って行く前に、私の寝床で寝られないと言いました。この程度ならば、止められない人です。私たちは教会が、みなゆがんでも私たちは良いところで暮らしています。ところで、ダビデは私の寝床に上がらないと言いました。4節には「私の目に眠りを与えません。私のまぶたにまどろみをも。」と言いました。寝られないのです。ダビデがどんな人でしょうか。私が見るには、本当に答えを受ける人です。5節に「私が主のために、一つの場所を見いだし、ヤコブの全能者のために、御住まいを見いだすまでは。」となっています。この時はまだ、契約の箱を見つけることができなかったのです。6節に「今や、私たちはエフラテでそれを聞き、ヤアルの野で、それを見いだした。」と言いました。ダビデは、普通の人ではありません。主の契約の箱が捨てられているのを捜し出したのです。ギルアデで見つけました。6節にその名が知らされてきたのです。ヤアルの野で見つけたのでした。7節から「さあ、主の住まいに行き、主の足台のもとにひれ伏そう。主よ。立ち上がってください。あなたの安息の場所に、おはいりください。あなたと、あなたの御力の箱も。あなたの祭司たちは、義を身にまとい、あなたの聖徒たちは、喜び歌いますように。」 ■このダビデが持っていたことを子孫が今、話をするのです。ぱっと見ればダビデの信仰が良いように見られるのですが、目を正しく開けたのです。この時、この時代に誰も持てなかった契約をダビデは神様と持っていたのでした。この時代に伝道者、牧師、宣教師、神学校、教会が多くあります。正しい福音運動が途切れていくこの時、皆さんがその契約だけ捕まえても勝利するということです。伝道しに通わないでも、皆さんがいる所で、死んでいく人に話すだけでもかまわないのです。「あなたがたは、光と塩だ」と言われました。伝道は変えなければなりません。光でいつも明らかにして、死んでいく人に会えば塩を与えるのです。それが伝道の基本です。ギデオンの時代には「片手にたいまつ、片手にラッパ」です。たいまつを持っていて重要な時間にラッパを吹くのです。皆さん、会社の中で伝道しようとしないでください。それは伝道するとは思わない人がそのようにするのです。光であって、死んでいく人に答えを与えるのです。伝道するのを知らない人々が、駅でも騒いで、おかしな声を出したりしています。 ■この教会に赴任して来たときに、何人かが集まっていました。釜山駅と公園で伝道をしていました。良いと言いました。それは私が作ったことではありませんでした。来た時にすでにしていたことです。それで、一緒に行ったり手助けすることもしました。それは伝道ではありません。本当に伝道は聖書では、そうなっていません。弟子がぱっと敷かれるのです。それで暗やみの中に光を照らしていて、死んでいく者が現れれば話すのです。こういう伝道者が作り出す教会が出てきたら、神様は静かにおられません。なぜ役員をたくさん立てようとしているのでしょうか。全地域に弟子を敷かなければならないからです。ダビデがどれくらい悟ったのか、私が寝床に上がって寝られないと言いました。主の契約の箱が今、どこにあるかも分からないのに、私が王宮で寝ていられるかと言ったのです。耐えていて、王になるやいなや命令を下して契約の箱を捜し出せと言いました。どのように、この人が祝福を受けられないでしょうか。祝福を受ける、受けないという問題ではありません。私たちは何か信仰生活で正しい何かを持っているならば、神様が働かれるようになっています。学生たちも騒ぎながら伝道しなければならないという負担を感じる必要はありません。釜山駅、大邱駅で伝道する人々を見ながら、服でも清潔なのを着て出るようにと神様に祈りました。伝道するのも良いのですが、精神もおかしな人がいいかげんなことを言っているのを見て、私が恥ずかしかったのです。神様にちょっとなくしてくださいと祈りました。 ■光を照らしていて、死んでいく人を見たら、塩を与えるべきで、ムダン(霊媒師)のように、どこにでも塩をばらまいてはいけないのです。たいまつ上げていて、必要ならばラッパを吹くべきで、いつでも吹くと人々に混乱を与えます。軍隊に行けば、朝の起床ラッパを吹きます。寝る時に吹きます。非常時にもラッパを吹きます。ところが、時間関係なくいつも吹けば、軍人がどのように軍人生活をするのでしょうか。韓国の教会がそうなのです。いつも、かまわずラッパを吹くようです。吹かない人も多いから幸いです。しかし、伝道はそのようなものではありません。ダビデを見て下さい。祭司が多いのですが、これをのがしていたのです。もちろん、その答えを得た人々が暗やみの地域にキャンプも行って、するのです。しかし、基本的になっていく伝道は、それではありません。ダビデが契約の箱を見いだす前には寝られませんでした。これが伝えられて、子孫が歌を歌っているのです。 ■二番目です。ダビデが神様と、どんな特別なものがあったのでしょうか。10-12節です。10節に「あなたのしもべダビデのために、あなたに油そそがれた者の顔を、うしろへ向けないでください。」といって、11節に「主はダビデに誓われた。それは、主が取り消すことのない真理である。「あなたの身から出る子をあなたの位に着かせよう。」12節に「もし、あなたの子らが、わたしの契約と、わたしの教えるさとしを守るなら、彼らの子らもまた、とこしえにあなたの位に着くであろう。」何でしょうか。サムエルがダビデに油を注いだその祝福をダビデは大事に保管していたのです。絶対に揺れませんでした。揺れる理由がありません。これが信仰生活です。皆さんが捕まえなければならない信仰生活です。皆さんは霊的にキリストの油を注がれた者です。ダビデはそれに対する確信がありました。それで、油を注がれたサウル王を尊敬したのです。皆さんが今、救われた者の祝福を知っているならば、揺れる理由がなく、ここからみな出てきます。 ■もう一つありました。詩132:13-18節です。シオンの祝福です。13節に主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。」ここには3つがあります。礼拝の祝福、教会の祝福ということです。子孫の祝福、これから多くの民が行って礼拝をささげて恵み受けるシオンの祝福を話すのです。これがダビデと神様との秘密です。信仰生活がこのようになったら、他の人が分からない唯一の答えが来ることになります。 ■今日、皆さんが今からこの契約を捜し出さなければなりません。今日が何の日なのでしょうか。私が今どんな考えをしているのか。それも重要ですが、さらに重要なのは、時代を見ることで、それよりさらに重要なのは神様との契約です。今日一日だけ祈っても良いでしょう。神様がなぜ私を救われたのでしょうか。なぜ私を牧師と宣教師として、主のしもべとして、長老として立てられたのか質問する時、答えが出てきます。さらに重要なのは、あまりに牧師と宣教師が多いのですが、その中になぜ私がいるのか、教会ごとに長老が多いのに、なぜ私が長老なのか質問する時、答えがくるでしょう。 ■私が神学校を卒業した日、私のそばに私のほか621人がいました。私まで含めると622人でした。私はその時このように考えました。「本当に神学生が多い、私が通う学校でなくとも神学校が地方にも、外国にもある。このように牧師が多くて、どうするのか、教会は牧師しかいなくなるだろう」と思ったのです。この時私が悟ったのです。私がなぜ牧師にならなければならないか、このように立派な方々が多いのに、このようにすごい方々が多いが、なぜ私がならなければならないのか。ところで、なぜ教会は減少して、世界教会は門を閉めて、信徒は減っているのか。その時、私が神様と私がすばらしい恵みを受ける祝福の契約の時間になったのです。神様に聖徒たちに福音が何で、伝道が何かを説明すると言いました。私の教会、他人の教会でもなくて、みな伝道だけのために生きていると告白しました。もし私に教会を与えられたら、伝道だけする教会、福音を正しく知る教会を作ると言ったのです。神様と私の契約でした。誰でもできることですが、私はそうしたのです。ところで、神様は本当に答えられました。いくら弱くても大丈夫です。神様が働かれれば、ならないことがありません。 ■ダビデのために。後日、皆さんの次の世代が皆さんを見つめて、私たちの親を見て、福音とはこういうものだなということを悟れなければなりません。私たちの後輩が、私たちに立派だというのも良いのですが、さらに重要なのが、これが福音だなということを知らせなければならないのです。皆さんの孫たちが成功して、これが福音だなと悟れなければなりません。 ■今日の本文の3つと結論を出します。今日、ダビデのように神様のみことばと祈りの答えの真の希望を持つよう願います。必ず答えられます。みことばは成就して、祈りは答えられるから、真の希望を持たなければなりません。あるのです。私たちの教会やタラッパンする教会は、伝道をするのでどれくらい良い条件でしょうか。希望を持ちましょう。昨日、大邱に行って話しました。大邱には良いレムナントがたくさん起きています。だから皆さんが祝福を受けました。一つ、心の中で感謝したのは、海外に出てみれば実を結んでいる学生たちを見れば、大邱の学生たちが多くて、インマヌエルの学生たちが多いのです。神様が私たちを祝福されるのです。言葉には出しませんが、とても立派な人物がたくさん起きています。人間的なことのようで自慢はしないのですが、今、皆さん子ども、私たちの教会にとても良い人物が多いのです。どれくらい感謝するか分かりません。 ■ 3年前にフィリピンに集会に行きました。小学校3年なら幼いでしょう。その子が、本当にかわいくて賢かったのです。私がどの道に入ってくるということをあらかじめ知っていました。私が一般的な門から入らないのですが、そこで待っていたのです。小学校3年のかわいい生徒が立っていました。私に挨拶をして、私にサインをしてくださいと言いました。良いといってしてあげたところ、自分は大邱からきたが、タラッパン教会ではないがここフィリピンにきて福音を悟ったということでした。立派な医者になるつもりですと言いながら、自分のサインをして、持って行ってくださいと言いました。普通の子どもではありませんでした。白い紙に「イ・インソン」と書いて私に渡してくれました。私が子どもが可愛かったので、覚えていたのです。3年過ぎたので6年です。この子がメールを送ってきました。ひょっとして私を覚えていますかとしながら送ってきました。私が返事を送りながら、あなたがその時くれたサインを持っている、本当にかわいいレムナントだと覚えていると送ったのです。その子が言う言葉が、韓国に戻ってタラッパンする教会に通っていないから、メッセージが入ってこないで信仰生活にならないということでした。6年が言う言葉です。その程度ならば大きい人物です。はやくメッセージを探しにインターネットに入りなさい。メッセージをのがしてはならないと書き送りました。直ちに返事がきて、ありがとうございます、うちの母さんはメール送り方を知らないのに、牧師先生はやはり違いますねと来ました。このように賢い子どもたちが多いのです。いくらでも祝福があって、希望もあるのに、希望ないことだけ捕まえていてはだめなのです。ある人は、100%サウル王のように聖霊の導きを受けないのです。 ■どんな結論が、二番目に出てくるのでしょうか。今日を祝福にしなさい。それが福音です。未来を備えなさい。高齢な人々が、私たちに何の未来があるかと言うのですが、そうではありません。高齢な人々がじっとしていれば霊的問題がそのままきます。それは本当に知らないことです。訓練は高齢な人が一番たくさん受けなければなりません。人々はよく知らないのです。私が年をとっていると言うのですが、それはよく知らなくて言う言葉です。福音の中に入ってこなければ、年を召した人は一生、霊的問題がみな集まってあらわれるようになります。昔と同じでなくなります。からだも老いて、いろいろなくなるので昔のようではありません。しかし、ダビデは年をとってもっと上手くやりました。これが神様のみことばと福音の力です。この契約を捕まえられなければなりません。 ■それで、今日が祝福の日にならなければならないのです。皆さんの考えがまさに皆さんです。そうだと見る時、神様との特別契約だけ捕まえれば、その時からみわざが始まります。この祝福をすべての家族、今、衛星で礼拝するすべての教会にあるようになることを願います。のがしてはいけません。今、インターネットで礼拝をささげるすべてのレムナントに、そのまま適用するように願います。皆さんがさまようかもしれませんが、今日がすべてです。皆さんが揺れる時も今日がすべてです。今、私が何を考えているか、それが私です。それをいつも記憶しなければなりません。そして、問題がきた時、気をおとさずに時代を見ましょう。そして、ダビデのように神様との特別契約、契約の秘密を捕まえましょう。そうすれば良いのです。それで皆さんが祈るのが全部答えに連結するようになります。皆さんは祝福を受けた神様の民です。今日、最高の祝福を味わう日なることをイエスの御名でお祈りします。 <契約の祈り> 神様に感謝します。私たちに契約の恵みを与えてくださったことを感謝します。ダビデにくださった祝福を私たちも探して味わうようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン 2部/福音手紙八回目の出会い-
神様の力はいつ現れるのか (マタイ28:18-20)
■特にレムナントが世界を生かす聖歌隊になるように願います。2部礼拝ですから、多くの楽器と人々が参加をしてもかまわないと思います。時々は太鼓もたたいて、ラッパも吹かなければなりません。このように、いろいろ多くの人々を入れて賛美をしなければなりません。 ■ 8回目の出会いです。神様の力はいつ現れるのか。重要です。神様の力で現れるのですが、いつ力が現れるのでしょうか。まず、皆さんには、いくつかの悩みがあるでしょう。神様の力であれ、何であれ、今、勉強ができない人がいます。本当に心配になるでしょう。そして、神様の力を事実、信じるのですが、今、大人たちが一番悩むのがお金です。神様の力を信じるのにお金がありません。こういう部分が事実、悩みになります。また、私たちは神様の力も信じて、恵みも受けて、福音もよく分かるのに、人間の葛藤がとても多いのです。こういう問題が出てきます。これは基本的なことであるために、皆さんは、はやく方向を定めなければなりません。私たちの学生たちは勉強をする時、誠実で細かくしなければなりません。よくしようとせずに、細かくしなければならないのです。そして、誠実にしなければなりません。学校の勉強が問題ではなく、後ほど卒業しても関係があるのです。こういう人であってこそ成功できます。学校の勉強が問題ではなくて、人生の勉強をしなければなりません。皆さんがもし学校で誠実に細密に勉強をすれば、点数が低くても先生が認めてくださるでしょう。また、低いはずがありません。かん養に指導者学校ができて、一番最初に始めたのが歩くことでした。その理由があります。初めから最後まで歩けば、歩いた後に目に見えないで、すばらしいことが解決します。歩いて絶対に途中で止めずに最後まで歩かなければなりません。それを誠実と言うのです。このような時、健康にもなりますが、皆さんの霊的な問題がたくさん解決されます。霊的な問題を持った人の最初の特徴が、初めから最後までできないことです。そして、学校に通っても、ずっと通えません。学校で他の見方をすれば、優等賞よりさらに重要なのが皆勤賞です。優等賞は霊的な問題があってもできるのですが、皆勤賞はできません。レムナントが細かくすれば学業もでき始めます。皆さんが会話の勉強のようなものも、無条件に欲を出さずに細かくすれば、できるようになる日がきます。 ■この前にソウルで司法試験を受ける学生たちが集まりました。司法試験を受けるので、私が判事一人を呼んだのです。ところで、判事が色々な本をたくさん読まないでと言いました。そのような人はほとんど落ちるということでした。みな似ているので、一つだけ集中的に読みなさいと言いました。その人が勝つと言われたのです。私はその考えが一理あると思います。あたふた、やたら読めばむしろ頭に入りません。勉強ができない学生であるほど、落ち着いて一つを深くすれば安定します。悩んであっちこっち揺れれば、さらに損するのです。それで皆さんがこういう部分は、学校の勉強でなくとも人生の勉強とも関係があるのです。 ■どの程度すれば良いのでしょうか。皆さんが細かく誠実にしていれば、ここで唯一性が出てくるのです。そうしてこそ、目に見えなくお金、力ができるのです。レムナントが必ず記憶をしなければなりません。皆さんが正しくして唯一性が出てくれば、経済もみな付いてきます。今でも人の前でも重要ですが、神様の前で唯一性あるように祈りをすると、このように出てきます。人の葛藤が本当に多いでしょう。しかし、ここには確かに神様の計画があります。なぜなら、いくら足りない人も神様が計画があるから、計画があるのです。単に葛藤がくるのは合わないだけです。昔に一緒に住んだ弟がいるのですが家でけんかをしていました。他人だったのですが、兄、弟と呼ぶほど家族のように過ごしていたのです。本当に優しい人でした。ところで、妻をめとったのですが、とてもきれいな女性を妻をめとったのです。ところで、二人がけんかをして問題が起きるようになりました。私が見るのには、二人とも悪い人ではなかったのですが、合わないからでした。その人は誠実な女性を連れてくれば良かったのに、とてもきれいな女性を連れてきたのです。その女性も、格好良い男性に会えば幸せだったのですが、とても優しい男に会ったので幸せではなかったのです。合わないだけです。それで、毎日、葛藤だけ起きたのです。これが笑い事ではなくて、事実がそうなのです。どのようにするでしょうか。皆さんが夫と合わないでけんかになるのです。夫が悪くて、私が悪いこともあるのですが、合わないからけんかをします。私が知っている国会議員の奥さんがいるのですが、この人は夫が国会議員なのに、しばしば家に問題がきました。それで、私がその人はリヤカーを引いて商売をする人に会えば良かったのに、とても優秀な人に会ったので苦労をすると思いました。「それが何の話なのか」と言うでしょうが、それが話になるのです。それでこそ、神様の計画を発見できるのです。皆さんが思う良い奥さんに会えば良いでしょうが、それが合わない、ところで、それが神様の計画なのです。皆さんがどこへ行ってぴったり合えば良いのですが、合わないので葛藤がきます。職場、勉強がよく合えば問題がないのに、よく合いません。ここに神様の大きい計画が入っているのです。それで、私たちすべての信徒、レムナントが物静かに着実に始めることを希望します。 ■神様の力がいつ現れるかを言う以前に、まずしなければならないことがあります。まず、私たちは基本が良くできるべきで、7つのことを銘記しなければなりません。なぜなら基本がうまくいかれなければならないためです。本来、人間は神様のかたちに創造されて、神様とともにいて安らぐように創造されたのです。本来、人間は神様と会うようになっています。だから、これができなくて基本的に問題になるのです。神様は、確かにおられるのに知らないから問題になります。それで、メッセージを聞く人の中では、とても実力がある人もいるでしょうが、神様を知らないから問題になるのです。だれが何と言っても、人間は動物と違っているのが、神様を分かるようにされたことです。それで、これになっていないので、神様の力が現れる、現れないという以前に、問題が生じるのです。子どもが生まれれば、お母さんの母乳を飲むべきなのに、乳を飲めなければ、どうなるのでしょうか。直ちに問題がきます。子どもが生まれるやいなや、お母さんの乳を飲むべきなのに、飲めなければ直ちに問題が生じるのです。人間は神様とともにいて、神様を知るべきなのに知らないから問題がくるのです。生まれてすぐの子どもがお母さんが知らないなら、実際に問題がくるでしょう。そして、人間は神様に会えないので度々もがくのです。 ■なぜそうなったのでしょうか。創世記3章で、悪魔のためにかたちが暗くなって、その霊が死んだ状態になったからです。必ず知っていなければなりません。人間は神様に会うべきなのに、本来の人間はそのように作られたのに、悪魔のために暗やみの中に陥ってしまったのです。この時から、失敗、死、苦しみが休む間もなく入ってきました。いくら幸になろうとしても、幸せもなく、苦しみがずっと入ってきたのです。それで、この世で旅人の人生を歩んで、天国、地獄に行く結果になったのです。だから、この世で思い切り苦労をして地獄に行くのです。 ■それで、神様がどのようにされたのでしょうか。神様は人間に神様のかたちを回復させるために、神様のかたちを持って敵に勝つために、この世に来られました。人間がこのように陥ったので、神様が人間を救い出そうとキリストを送られたのです。このキリストは神様であり人です。そうしてこそ、悪魔のしわざを滅ぼせるからです。人のからだを着たのですが、実際には神様です。そうしてこそキリストです。それで、悪魔のしわざを滅ぼしてしまいました。それで事実上、イエス様を受け入れればすべての問題が解決されたのです。先週に話をしたように、チョ・スンヒ(銃で殺人をした人)が本当に受け入れをしたとすれば救われています。弱さがあってもイエスを受け入れた人は事実上、すべての問題が終わったのです。今日、すべての心配をみな捨てることを希望します。このために、しばしば引っかかるのです。精神病患者は、心配がとても多いのです。しなくても済むのに一日中心配しています。自分も知らずに、度々そのようにするのです。精神病までならなくても、未信者は度々心配が生じます。それで、聖書勉強をする途中、皆さん自身から恵みを受けなければなりません。確かにすべての問題が解決されました。今日、皆さんの心配を神様に任せることを希望します。そこで真の感謝が出てこなければなりません。そこで終わりではなくて、神様の重要な計画が発見できます。これから先にできなければなりません。本当に神様が私とともにおられるから心配を任せてもかまわないのです。私に起きた問題も感謝なことなのです。ある面では問題でもないこともあります。私が間違っておいて問題と言うのですが、問題ではないこともあります。ある面では、私が錯覚をしておいて問題だと言うこともあります。ある時は、自分が誤ちをしておいて問題と言うのですが、それはすぐ解決できます。明らかな事実は、本来、人間を解放するためにキリストを送られたのですから、イエスを受け入れれば、すべての問題が解決されてしまうのです。これから信じなければなりません。それで、皆さんの牧会、事業、学業を全部、神様に任せることを希望します。任せたのと、任せていないのは、天と地の差があります。聖霊のみわざが起きる、起きないという途方もない違いが生じるのです。こうすれば霊的な目が開き始めます。 ■二番目です。それからは、私を生かさなければなりません。他の人が問題ではなくて、私を生かすべきなのですが、今から先週に話した通り、ひとまず三つ戦いを始めなければなりません。私自身との戦いです。他の人との戦いではありません。ヨハネ8:32あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。神様がものすごいものを与えられました。今からは私の環境を主に任せて、神様の計画を発見しなければなりません。これが自分自身との戦いで勝つことです。私の思いより、正常な神様のみこころを探さなければなりません。それは何でもないようですが、解決し始めます。皆さんが自分の考え通りについて行くのですが、全部、神様のみこころについて行けば何の問題になることがありません。 ■三番目です。私たちは自分の計画より、神様の計画が完全だということを信頼すれば良いのです。私たちは知らないからですが、全部、自分の考えを持っています。大邱に行けば大邱の人の考え、釜山は釜山の人の考え、ソウルはソウルの考え、みんなこれを持っているから、私自身から神様に任せればみわざが起きます。ある時、TVで見ました。英国にある学校について出てきたのですが、男子学生もいて、女子学生もいました。それぞれ自分たちで勉強をしていたのです。男子学生が座って本も見て、話もして、ある人は歌も歌っていました。ところで、女子学生の一人が服を脱いで、池に裸で入って、池の中で水泳をしたのです。私は衝撃を受けたのですが、その学生たちは、何の衝撃も受けずに自分たちがすることをしていました。それで、すごいと考えました。考えが私たちとは違うのです。私たちは考えが一つに固まっています。韓国の人だったら、大騷ぎが起こっていたでしょう。子どもたちは、隠れて見て、大騷ぎが起こったでしょう。考えがとても違うのでした。ある時、日本に行って、日本で夕方に一般の人々が行く銭湯に行きました。1000円ずつ取っていました。昔、1000円ならば10000ウォンです。ところで、私たちの韓国では男女互いに違った側に行きます。そして、カウンターが真ん中にあって、若い人が見るのに両側をみな見ていました。驚くべき事実は、私は当惑したのですが、この人たちは、全く当惑していなかったのです。さらに笑わせるのは、銭湯の中に女の人が行き来していたのです。その女の人は、掃除をする人だったのですが、全部、普通に考えていたのですが、私だけ震えていました。私がレベルが低いのか高いのか分かりませんでした。そのおばさんは、銭湯のおばさんなのに、おじさんが変に思うこともなくそのまま行き来していました。私たちが考えがとても固まっているのか、まだ分かりません。私がレベルが低いのか、日本が低いのか高いのか。私が14-15日間、ロシアを旅行しながら伝道をしました。空港に問題が生じて飛行機が飛ばず、一日中いました。いつ飛ぶかも分からなかったので、座って一日中待っていました。ほとんど丸一日いました。そうしていたら、空港の真ん中に男女がいたのですが、ロシアの人のようでした。私が詳しく計算をしてみたのです。キスを3時間していました。本当にすごかったのです。他の人が見ようが見まいが、3時間していました。ところで、周辺の人々は誰も見なくて、度々見る人は私だけしかいませんでした。結局は、私がレベルが低いのでした。 ■私がこの話をする理由が何でしょうか。私たちはすでに上手にしようがしまいが、すでに考えが固まって神様の計画も見る時間がありません。自分と戦うこともありません。それで、自分の固執、自分の考えをそのまま持っているのです。間違っている、正しいということではなく、このようにしています。なぜなら、聖書勉強を始める時は始める前に人々がほとんどこのようになっているので、少しだけ変えてもみわざが起きます。そして、私自身を完全に主に任せられるならば、完全なみわざが起きるのです。真理はイエス・キリストであり、その方は聖なる方で、その方とともにいる聖なる生き方は、私を完全に自由にするのです。そうしてこそ、暗やみの中から完全に解放されるのです。確かに本来の人間を回復しようと、神様はキリストを送られました。ところで、私たちは私自身に縛られているから、少しだけ解いてしまっても多くのことが見られます。そうしてこそ、サタンとの戦いになるのです。私の力ではだめですが、イエス・キリストの力でできます。そして、私たちはできませんが、勝てる神様の子どもになる特権を与えられました。イエス様が天と地のすべての権威を持って私たちとともにおられると言われました。 ■詳しく見ましょう。全部みな来ているのに、答えが来なければ、私たちが何か心配に縛られているのです。それで少しだけ目を開けば良いのです。考えに縛られているのです。そして、サタンにだまされています。主の権威の前では悪霊も従います。完全に震えるしかありません。私たちはだまされてはいけないのです。イエス様が来られた理由は、悪魔のしわざを滅ぼすためです。イエス様が来られた目的の中一つが、悪魔のしわざを滅ぼすことです。そして、私たちには祈りができる、答えを受けられる権威、力を与えるために呼んだと言われています。このように私たちは開始をすれば良いのです。それと共に、世の中と戦わなければなりません。世の中とどのように戦うのでしょうか。簡単です。世の中を生きていく間に、そのまま戦うのではなくて、神様の霊がともにおられます。それでヨハネ14:16に聖霊が永遠にともにおられます。それで、信仰生活を良くしているということは、聖霊の導きを受ければみわざが起き始めるのです。ヨハネ14:26-27に、聖霊が全てのことを思い出せるようにすると言われました。職場に行って、イエスを信じるしるしを出せということではありません。皆さんは目に見えなく聖霊の導きを受けているためです。Iヨハネ2:2-27に油を注いで、全てのことを悟るようにすると言われています。これが世の中に皆さんが生きていっているけれど、受けた祝福です。そして、マタイ22:28に、そうなるとまさに神様の国が臨むと言われました。 ■今日、昼間に話をしました。学生たちが学校に行ったら伝道すると考えてはなりません。私たちの教会は一番伝道が良くするのに、どういうことなのかと考えることもあるでしょう。これから先にしなさいということです。これからしていれば、不思議な力がある者になるようになっています。皆さんがこの奥義を持っていれば、世の中で勝つようになっています。そうしたら、その時になって伝道をすれば良いのです。そうでなければ、私が勝つこともできないのに、どのように伝道するのでしょうか。聖霊が臨んで、悪魔の国が縛られれば神様の国が臨んだのです。証拠ができてこそ証人になります。力を受けるようになります。それでは、証人になるでしょう。この三つが開始にならなければなりません。この話は神様の祝福が完全に来ているということです。 ■今日から皆さんに最も良くないのも神様に任せて感謝することを希望します。どのように感謝になるのでしょうか。そちらに神様の計画があるのです。そうすれば、発見できます。すでに終わったので、私を生かさなければなりません。私のすべての考え、固執が、昔のことに陥らずに私たちは新しい恵みを受けなければならないのです。すでにサタンに勝つ権威を与えられたので、だまされてはなりません。世の中の人々と分離したり、戦うのではなくて、一緒にいながら完全に答えを受けた人なのです。それで、軍隊に行っても、やたら伝道しようとすればおかしな人になります。軍隊に行ったら、軍隊生活を良くしなければなりません。そうすれば、答えの門が開かれます。そうすれば、その時は伝道をしないでくれとしてもするのです。学校に通えば、学校生活を良くするのです。そうすれば、まちがいなく答えがきます。学校生活を良くすることは、このようにするのです。皆さんのレベルではなくて、すばらしい答えを持っていればくるようになっています。レムナントや新しい信者は、必ず銘記しなければなりません。この時から神様の力が現れるのです。神様の子どもになったので、原罪が解決される瞬間から、すでに祝福は開始しました。それで、皆さん自身が犯す罪を解決するその時に力が現れます。簡単に話せば、皆さんの誤りです。すでに神様の祝福がみな来ているから、皆さんが自分の誤りを悟り始める時に力が現れ始めるのです。原罪の解決は根本問題の解決で、自分が犯す罪の解決は力の現場の問題の解決になるのです。苦難、迫害、病気、挫折の中で神様の計画を発見しなければなりません。この時、力が現れます。皆さんが座っていることが簡単な時間のように見えるのですが、答えは大きいのです。私たちはこの契約を東三洞でつかんだのですが、働きは世界で起きました。レムナントは羊飼いのようにこの席でつかんだのですが、後ほど答えは重ね重ね現れます。神様の力はそのように現れるようになっているのです。私の人生の中で神様の目的を発見すれば、それがまさに力で始まります。皆さんがいる所に神様を発見して、自分が処す場所で神様の大きいみこころを見いださなければなりません。私がいる現場です。 ■本文をよく見ることを希望します。原罪問題が解決されたので、すぐに祝福は始まりました。私が自分が犯す罪の解決をする時に、神様が大きい答えで働かれるのです。皆さんが今は問題がきた時、挫折の中で神様の計画を発見するのです。皆さんの人生の中で神様の目的を発見するのです。これは重要な答えになります。皆さんの重要な現場に神様のみこころを発見するのです。確かに現場に神様のみこころがあります。このようにしておいて、皆さんが祈る時は、力が現れ始めるのです。やさしい、とても簡単に始まります。そして他の体質では勝利できないのですが、イエス・キリストは完全だから、イエス・キリストで満足すればその時からは完全なみわざが始まります。「それが何の話なのか」と言うかもしれませんが、私はそのように考えます。国会議員はそのように考えないといっても、私はそのように考えます。しかし、結局は、私の話が正しいでしょう。キリストは完全だから、これが満足できる時、国会、現場、政治、すべての部分にみわざが起きるのです。やさしい、とても小さいところで力が現れます。皆さんが大きい論文を書いて現れるのではなくて、小さいことで神様のみわざが始まって現れるのです。 ■それでは、今までの出会いを8回をしたのですが、整理をいくつかできるでしょう。どんな整理ができるのでしょうか。人間に最も幸せなことは何でしょうか。神様が私たちとともにおられることです。最高の幸せです。その次には何が整理できるでしょうか。 ■二番目のことが整理できます。私たちは宗教人でなく、クリスチャンにならなければなりません。こういう答えが出てきます。私たちは宗教人ではないのですが、教会に通うのが問題ではなく、クリスチャンになるのです。 ■三番目です。この部分に唯一性を分かる時、唯一性の答えが来るようになります。そして、神様、キリストが皆さんが主人になる時、この時からみわざが始まります。先週まで私たちは整理をできるでしょう。今日は何でしょうか。ここで何が感じられるのでしょうか。共に勉強をしてくる中に、皆さんがこの内容がみなするならば何が感じられるのでしょうか。簡単に感じられることが一つあるでしょう。ものすごい祝福が来ているのに、分かってみれば私が知らずにいるのです。私の問題だけ考えて悟れば良いのです。こういう言葉です。私の心配はしなくても済むのに、度々するようになっています。事実は、自分自身だけ少し悟ってしまえば良いのに、悟れないでいて、小さいところでのがしているのです。ところで、少しだけ悟りの中で、神様の答えは大きい力で開始します。昨日、夜に私がTVを見ました。皆さんがよく知っているレーナ・マリアがいました。ところで、この女の人は腕が両方ありません。足も一本しかありません。片方があるのですが、左側は少し短くて、左側だけあります。ところで、びっくりした点が、その状態で水泳のメダルを4ケも取ったのです。それで、私は腕と脚があってこそ可能だと思ったのに、足一本だけでも水泳をするのだと考えました。率直な話で、私は正常な腕と脚が二本ずつあるのに、水泳をできないから、うらやましかったのです。ところで、この人は一本でメダルも取ったのです。そして、歌を歌って世界的な歌手になりました。韓国まできました。普通の人は行ってみることもできない芸術の殿堂で歌を歌ったのです。足が一本しかありません。ところで、これ一本で、ご飯もして、みなするのです。同じ普通の部屋のビンのようなものを足をもってみな取り出していました。そして、恐ろしいのはふたも足でみな開いていたのです。できないことがありませんでした。それは、ことでもなくて運転もしてみなしていました。一番うれしい時が、運転をして通う時だと言っていました。自分は障害者だから不便な点がないと言っていました。それと共に40番の賛美「輝く日をあおぐ時」を歌っていました。私がそれを見ながら、もちろん、その人が障害者だから勝たなければならないと考えたのでしょうが、根本的にそれではないと考えました。実際に、あの人がどれくらい神様の恵みの中で喜びを味わっていて、どのように足一本でどのように暮らしているのと考えます。ところで、普通の人よりはるかに元気に暮らしているのです。 ■私がそれを見ながら、本当にこれくらい人が信仰がどれくらい重要なのか分かりました。レムナントは、それと共にいくつかのことを考えなければなりません。皆さんが見る場所を祈りながら歩いていってみましょう。皆さんには大変で、歩いて足も痛くなるでしょうが、これがとても健康に役に立つのです。伝道ということを考えながら歩いてみましょう。それと共に、いくつか悟らなければならないことがあります。今、レーナ・マリアのように多くの努力をしろという言葉ではありません。皆さんが信仰生活をしながら、肉体的な部分に多くの癒しが起きます。今日から神様の恵みを完全に捕まえて、皆さん人生の中には霊的な癒しが起きます。 ■今日、私と皆さんとメッセージを聞くすべての方の周囲にある暗やみが全部崩れることを希望します。神様は今でも力で働いておられます。学問が必要ないということではないのですが、それを超越して、神様は働いておられます。肉体の癒しを言います。今日、このメッセージを通して三つの答え、肉体の癒し。今日のメッセージを通して私たちに霊的な癒し。神様の力が現れるため現場の癒し。この3つが皆さんことになるように願います。本当に信じることを希望します。皆さんが神様の力を信じる瞬間に肉体も癒されます。医者たちはよく知りません。皆さんが契約を捕まえて喜びで味わって、祈って歩きながら大変だと考えずに一生健康を回復すると考えながら歩きましょう。私は走ることが起これば、運動することが起こったと考えます。それで、皆さんが信仰生活に祈りが完全に肉体の癒しになる答え。私たちはこのようにたくさんだまされているのです。 ■今日、メッセージを捕まえて霊的な部分が癒されるように、今日、全国、世界のインマヌエルが神様のみことばを聞くため現場が癒されるみわざが起きることを希望します。なぜでしょうか。これのほかは、私たちができません。肉体の病も医師を無視しなさいという話ではなく、とても人間的にせずに、本当の力を得なければなりません。科学的、医学的な助けも受けなければならないのですが、皆さんが本当に力を得る時、肉体の癒しも起きます。さらに重要なのは、皆さんが分かるように、知らずに多くの霊的な問題が神様のみことば聞く中に癒されるのです。それで力を受けます。いつ現れるのでしょうか。私たちが自分自身にある多くのことを少しだけ変えてしまえば、力で働かれるようになっています。こういう力の時間になることを希望します。今日、真に病気にかかった者、肉体的に病気にかかった者が癒されることをイエス様の御名でお祈りします。今日メッセージを聞くすべての人々に、知らなく入っている癌、不治の病がイエス様の御名で崩れるようになることを希望します。ものすごく大きい祝福です。皆さんの現場に神様の力が現れて、現場が癒されることを希望します。皆さん個人と家系にあるすべての問題が崩れるようになることを、イエス様の御名でお祈りします。これが8回目の出会いです。皆さんが常にこの契約を捕まえなければなりません。今日、癒される力の時間になることを祈ります。今日は各々隣の人のために祈って、自分自身のために祈って、安らかに手を握ってもかまわなくて、胸に手をおいて思案してもかまいません。重要な祈りをすべきですが、3つの病気が癒されるようにしてくださいと祈るように願います。本当に信じることを希望します。肉体の病気がイエスの御名で崩れることを祈るように願います。霊的な病気がキリストの御名で崩れるようになるように。私たちの中に環境が神様の力で癒されるように。1-2分間だけ祈りましょう。 <契約の祈り> 神様に感謝します。今日、昼間に祝福の時間になるようにして下さい。悪い霊が離れる時間になるようにして下さい。今日、病気が離れる時間になるようにして下さい。すべての弱い病気が崩れる時間になるようにして下さい。霊的な病気が崩れる時間になるようにして下さい。私たちの環境が治り、貧困が退き、すべての不信仰が退き、私たちの環境が癒される力の時間になるようにして下さい。神様の力を味わう答えの時間に、信仰の時間に、最高の時間になるように働いて下さい。私たちの聖徒をつかんでいるすべての病気は、イエスの御名に離れるように、霊的な病気、また色々な家系の病気、個人の病気がイエスの権威ある御名の前で癒されるように。真に私たちの環境の中にあるすべての暗やみがイエスの御名で崩れるようにして下さい。私たちの聖徒の中にあるすべての病気、すべての悪いものなど、すべての弱い病気が、イエス・キリストの御名で命じる、今この時間に離れるように。家系と個人にある霊的な問題は、イエスの御名に離れるように。現場に全世界にある暗やみの文化が、イエス様の御名で崩れるように。今日、神様、私たちが真の力を受ける時間になるようにさせて下さい。癒される時間になるようにさせて下さい。神様の力が私たちに必要です。神様の力で私たちに暗い部分が全部、踏まれるようにして下さい。私たちの覆われた目が開かれるようにして下さい。不信仰と暗やみの霧が晴れるようにして下さい。すべての病気、弱さが離れるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン |