2007年6月10日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/油と露の祝福
(詩133:1〜3)

・昔に王らが臣下を選ぶ時、一番最初は試験を受けさせました。文章がどれくらい分かるのか試験を受けさえました。その次には呼んで、見た目がどうなのか、容貌を見ます。最後には、試験ではなく、話をさせます。話をどのようにするのかにしたがって合格、不合格が決まるのです。それで、身言書判という言葉を使うこともありました。話を失敗することもあり、良くすることもあります。ところで、結局は、その人の中心にあることが言葉に出てくるから重要です。
・今日は、ダビデの信仰告白です。ダビデの証しだと見れば良いでしょう。子孫に残されていて、これを持って都に上がりながら賛美をしました。ダビデの証しを見ながら、重要なことを聞かなければなりません。ところで見ると、ダビデの証しの中で、大きい事件を証ししたのではありません。私たちならば、ゴリヤテに勝ったのを証しするでしょう。またダビデは色々な事にたくさんやられました。死ぬ思いの峠をとてもたくさん越えました。そんなことを証しできるのに、しませんでした。また自分は王になって神殿を作る準備をよくしたのですが、それも証しをしませんでした。またダビデは忘れることができないほどの人々がいるのに、その人々を証しできたのですが、しませんでした。
・ダビデはとても忘れられない人物が3人います。その1人が祭司長サムエルでした。サムエルがダビデにした話をダビデはあまり告白しないで胸に抱いていました。またサウル王の息子ヨナタンです。自分が王にならないと思いながらも、ダビデを王位に座らせようとダビデをたくさん考える、そのような人でした。忘れない人です。それで、ダビデが死ぬ時までヨナタンの息子メフィボシェテと食事を共にしました。戦争が起きて問題が起きて、サウルも死んで息子も死にました。そして、王の孫であるメフィボシェテを幼い時、連れて逃げる時に落としたのです。それで、足が使えなくなりました。ところで、ダビデが王になって常にメフィボシェテと食事を共にしました。またダビデが死ぬ時に見れば、遺言をする中でメフィボシェテを話しました。ソロモンに話をする時、メフィボシェテを覚えよと言いました。そのお父さんヨナタンとダビデはとても親しい友人でした。
・またダビデが年を取って王宮に問題が生じました。どれくらい緊急だったのか、裸足で王宮から追い出されて逃げたのです。この時、シムイが呪いもして、他の人はダビデが終わったと思って悪口も言ったりしました。ダビデが警護の人を何人か連れて山の中に隠れていました。死ぬ王を手助けすれば大変なことになります。ところで、ある老人が訪ねてきたのです。そして、場所をもうけ、食べ物、茶碗、水までみな持ってきました。それで、ダビデにきて挨拶をしながら、どれくらい空腹で大変でしょうかと言ったのです。そして、持ってきたものをダビデに与えました。ダビデは自分の生涯に有難い人が多いでしょうが、それを一番有難いと思ったのです。とても難しい時に手助けしてくれました。皆さんも同じように、とても難しい時、だれかが手助けすれば、それは一生忘れないでしょう。皆さんが困難にあっているのに、さらに難しくさせれば、それも忘れません。今、追われて死ぬ王を手助けするということは、大変なことになるのです。
・ところで、ダビデは勝利して王宮に帰りました。その時、ダビデが一番初めてした事が、バルジライ老人を呼んだことです。どれくらい有難かったのか、特別なものではなかったのですが、それをダビデは忘れることができなくて、バルジライ老人を呼んで願いが何かと尋ねました。王であるから、いくらでもできるから尋ねたのです。パシルレ老人はこのように話をしました。何の願いもないと言いました。自分は王様がうまくいって、気楽ならば、それで良いと言ったのです。そして、帰りました。ダビデが死ぬ時、遺言をしました。バルジライ老人を覚えるようにと言いました。そして、その息子を覚えなさいと言いました。その息子の名前がキムハムですが、その息子も覚えなさいと言いました。ダビデが死ぬ時、そのような話をしたのです。
・ところで今日、都に上がりながらダビデが証しした話の中で、こういうものが一つもありません。今日、私たちはここで重要なことを捜し出さなければなりません。ダビデの詩であり、都に上ぼる巡礼者の歌です。ところで、ダビデの詩ですが、人々が神殿に行きながらこの歌を歌ったのです。とても重要です。ここでダビデの証し三つが出てきます。1節、見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。想像もできない証しをしました。格別なことではありません。神様が私を危機の中から救い出されたので、どれくらい感謝かと言わずに、見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろうと言いました。単純に話したのではなく、自らの切実な告白をしたのです。これがダビデの信仰の証しです。
・皆さんは普通に通り過ぎやすいのです。ところで、神様は神様のみことばとされ、このように出てきました。とても重要です。私を手助けした臣下がどれくらい感謝しているかが、ダビデの胸の中にあるのではなくて、神殿で礼拝をささげる人々を見て、なんという楽しさであろう! と言いました。これがダビデが普段に持っていた隠れた信仰です。楽しいと言うのではなく、なんというしあわせ、なんという楽しさであろうと言いました。これがダビデがした告白です。とても重要な話になります。今日、皆さんが答えを受けるのか、受けられないのかと同じことです。今日、皆さんが信仰生活に成功することができるかないかと同じです。だから、とても重要なのです。信仰をなくさせる人がどれほど多いでしょうか。私は幼い時、教会に行って信仰がなくなりました。大変です。私は信仰はなかったのですが、少しあったが教会に行って信仰が落ちてしまいました。やっと心を入れかえて教会に行けば、教会で礼拝をささげて、人々と話をして信仰がみな落ちました。それより怖い罪はありません。ところで、とても重要な部分です。ところで、教会をこの教会、あの教会に副教役者として訓練をたくさん受けました。ところで、本当に変なことです。一度も教会に行って、神様の恵みに感謝すると感じたことがありませんでした。本当に驚くことです。私は幼い時、教会で何をしなければならないのか習いました。それで、牧師になりながら、教会は何をしなければならないのかを学んだのです。人から習ったのではありません。今日、ダビデの告白を見ました。どれくらい重要な告白をしたか分かりません。
・私は信仰生活をしながら三人に会いました。本当に信仰生活をする三人に会いました。名前を明らかにすることはしませんが、ファンという人が釜山にいました。今は釜山にいないのですが、その人はとても信仰生活を良くしていました。いつも伝道をしながら祈るのを見ました。毎度、証しをしました。軍隊に行く時、このように話をしました。軍隊に行って福音を伝え弟子を探して戻ると言ったのです。卒兵で行ったのですが、この人が軍隊でずっと祈りをしたのです。卒兵は思いのままにできないから、お手洗いを行くと言ってお手洗いに入って軍福音化をしたのです。時間があればお手洗いに行って、一日に三回ずつ祈りをしました。それで部隊の中でうわさが立ちました。あまりに手洗いを行くので、胃腸が良くないとうわさが立ちました。ところで、手洗いが祈るのに一番良かったということです。お手洗いで祈ってもみわざが起きます。ある日、隊長が変わったのですが、とても聖霊充満した長老でした。牧師がほとんど伝道を知らないのに、ある日、本当に伝道をしようとする軍の牧師がきました。それで軍でみわざが起き始めたのです。
・この人がテコンドーの選手だったのですが、後にテコンドー師範として招請されました。それで、軍部隊の中に福音運動がとても起きたのです。特別なものではありません。釜山で蓮山洞にいた時、私が少しの間、訪ねて行って話をしてみました。私はその人と話をすれば、一時間がすぐ過ぎてしまいました。何か話をよくするのではなくて、神様が自分とともにしたことを話したのです。自分がテコンドー体育館を一つ引き受けたということでした。引き受けた時は、一番、会員が少なかったのですが、今は一番多いということでした。一度も、会員募集をしたことがないということです。それでは何をしたのか、終わった後に必要な子どもたちを集めて聖書も教えて、祈りもしたのでした。珠算学院を一つ引き受けたが、これも三倍に増えたのでした。これが問題ではありません。神様が自分と共にされることを話したのです。私は10分の話をしただけだと思っていたのですが、一時間が過ぎていました。それで、その時に時間が遅くなったから行かなければならないと言うと、自分が話をよくして申し訳ないと言うのでした。少しの間の話をしたが力が生まれました。一時間を話したのですが、すばらしい力が生まれました。伝道をすべきだとの気がしたのです。一般信徒なのにです。この人が私に教えたのでもなくて、聖書勉強を私に学ぶのに、私が行って少しの間メッセージをするのに、証しの中でそのような気がしたのです。ある人は10分だけの話をしても信仰がみな落ちます。皆さんがやっと信仰生活をしようと教会をきたのに、執事に会って話をすれば信仰がみな落ちるのです。それほど悪いことはありません。教会にくれば信仰が生じなければなりません。
・そして、私がソンという宣教師に会いました。本当に信仰が良い人でした。私はその人を見ながら本当に神様が生きておられるということを感じました。昔には銀行で勤務をすれば、すごかったのです。銀行で昇進して、高い地位に上がりました。家で友人が祝って、大騷ぎが起こりました。教会でも祝うと言っていました。ところで、この人がどれくらい信仰が良かったのか、悩んだのです。「私は大学に通っていた時、金ジュンゴン博士に恵みを受けて宣教師に行くことにしたが、いつ出て行けば良いのか、老いて出て行かなければならないのか、ほろびて出て行くべきなのか、一番うまくいった時に出て行かなければならない」その話を聞いて本当に信仰の人だと思いました。その時、私が副牧師だった時でしたが、私に祈りの課題を出してくれました。祈りの課題の中で一番最初が、宣教に行って運転をしなければならないから、一ケ月中に運転免許を取るようにしてくださいということでした。それで私は、それはだめだと言いました。私は運転試験を2回落ちました。筆記はそのまま通ったのですが、実技はすぐ落ちました。今は分かりませんが、昔には難しくて2回も落ちたのです。チョ牧師は11回落ちました。その時は、落ちれば紙にシールを貼りました。前後に付けてありました。ある時、裏道で教会に車を運転して行って、交通巡査に捕えられたのです。それで、前後で付けたのを見せたところ、警察が見て笑ったそうです。その程度だということです。それで1ケ月後には絶対にだめだと言いました。しかし、本当に合格をしてきました。どのように合格したのかと尋ねました。ところで、この人は私がだめだと言ったら、言葉がどれくらい重要なのか、このように言いました。できると言いました。それでどうなるのか尋ねたところ、自分が時間が一ケ月しかないことを神様がよくご存じだと言いました。格別な言葉ではありません。自分が時間が一ケ月しかないことを神様がよくご存じだと言ったのです。それと共に、できると言いました。私がそれで衝撃は受けながら、それでもだめだろうと考えたのです。その時は合格をすれば1週間後に免許証が出てきたのですが、本当に合格してきました。それで、どのように合格をしたのか尋ねたところ、試験を受けた時、警官がそばに乗ったのですが、その警官が自分と親しい後輩だったそうです。それで私が不正をしたのか尋ねたところ、不正をする人ではありませんでした。その警官がそばで、あらかじめどのようにしなければならないのか知らせてくれたと言いました。
・宣教地域に行って、手紙を一つ送ってきたのですが、私はそれを読んでどれくらい恵みを受けたのか分かりません。そのように重要な人に会うようになりました。共に会えば伝道をしに行ったり、休暇で帰ってくれば、一緒に行くこともしました。国際市場に事業をしている執事が1人いました。弁当を持ってきていました。私は事業する人が弁当を持ってきたのを初めて見ました。ところで、なぜ弁当を持ってきたのか見たところ、食堂を行き来するのが時間がかかるということでした。それで、事務室で弁当をはやく食べて、国際市場を一回り回るということでした。伝道をする人が多いと言いました。一時間程度歩き回れば、伝道をするのに多くの実があると言いました。さらに恐ろしいのは、一時間伝道をするのに市場調査ができると言ったのです。一般信徒なのに、自分の家に帰ったところ、伝道をして実を結んだ人々がきて聖書勉強をしていました。私はその三人に会いながら、人生にすばらしい変化が起きたのです。
・誰に会うのかがどれくらい重要なのか、兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。ダビデが単に告白したのではありません。ダビデがサムエルに会ったということは、重要な話を聞いたのです。サムエルが契約の箱の話をしたということは、エジプトに対する話をしたということです。またダビデが契約の箱の話を聞いて祈りを始めました。こういう重要な信仰を持った人々が集まって、話をするのです。これよりさらに重要なことはありません。皆さんが核心で参考にすべきなのは、ひとまず3つのことを体験しなければなりません。私は聖書を見て現場に行って、人々がサタンに捕えられているということを感じました。それを体験したのです。一般の他の教会で信徒を奪われると、私にサタンの話をすると言うのですが、それは現場を行ってみなかったので、そのように言うのです。未信者100%がサタンのしもべの役割をしています。未信者が崇める宗教が全部偶像崇拝です。この部分を知らなければ、いくら伝道をしても実が起きません。伝道ができないということは、みなだめだということです。モーセがそれを見て、アブラハムがそれを見て、ダビデがそれを見ました。それで、ダビデが神殿を作ろうと祈りをしたのです。
・二番目が何でしょうか。血のいけにえです。羊の血を塗った日、イスラエル民族が解放されて出た、キリストの血によって、皆さんのすべての問題は解決されます。私はここで神様が自らの自尊心をかけたということを見ました。それを見た人たちの集いです。すごいのです。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。これがすべてです。皆さんが二人だけに会って、礼拝をささげても、この事実を見た人、体験した人々が会って集まれば、すばらしいみわざが起きます。今すべての人々が、サタンの勢力に捕えられているんだな、血の契約でなければなることがないな、神様がご自身をかけて作られた作品が人間と天使なのに、これらが堕落してしまったのです。神様がこの契約にすべての自尊心をみなかけられました。これをダビデが分かったのです。これを知っている人たちが集まって礼拝する所に、神様の驚くべきみわざが始まります。ダビデが神殿、契約の箱を思ったということは、昔の話を皆知っているという話になります。それで、これが通じる人々が集まったのです。聖霊の働きの中で通じる人々が集まりました。どれくらい感謝なことでしょうか。
・私は三人に会ったより、今さらに重要な人々に会っています。私たちのタラッパンの中には、何の話もなく本当に福音を伝えるために祈って伝道する人々がいます。今日、皆さんがこの重要な祝福、出会いに成功することを希望します。そして、さらに重要なのは、こういう人にならなければなりません。だれでも皆さんに会って祈る心ができて、皆さんに会って福音の驚きを味わって、皆さんに会って伝道する心ができれば、それより大きい祝福はありません。もし、そのことができる人がいるならば、神様は全てを皆与えられます。これがダビデが最初にした証しです。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
・二番目の告白は2節にしました。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。ダビデが多くのことを証ししたのではなく、アロンの頭に油を注がれたのが、えりにまで流れて、つま先まで降りて行くようだと言いました。この話は、何の話なのでしょうか。霊的な祝福、ダビデがそれを証ししたのです。油を注がれた祝福です。キリストという言葉は、油を注がれた者ということです。祭司、王、預言者が油を注がれました。Iヨハネ2:20-27を見れば、聖霊が聖霊ですべての信徒に油を注いだと言われています。この祝福を味わうのです。それで簡単に話せば、礼拝の祝福です。だから講壇の祝福を言うのです。ダビデがこれを証ししたのです。神殿に上がったのですが、アロンの頭に注いだ油が、えりを流れてつま先まで降りて行くようなのです。このようにダビデが告白をしました。どれくらい神様がダビデに重要な恵みをくださったのか、私たちがこの恵みを受けなければなりません。
・三番目の証しです。3節です。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。シオンの山々におりるヘルモンの露ににているという言葉は、肉的な祝福を言います。だから、油を注がれたということは霊的な祝福で、露という言葉は、露を吸って木がみな育つから、肉的な祝福を話すのです。この肉的な祝福が神殿に降り立って、シオンの山に臨むのと同じです。今日、皆さんがこれを回復することを希望します。皆さんが教会にきて礼拝をする中に、本当に福音を持った人との出会い、働きが起きます。本当に伝道する人との出会いが本当に重要です。本当に祈る人との出会いです。これが祝福の中の祝福です。これは人を差別しろという言葉ではなく、人を区別しなければならないのです。皆さんが今から信仰に成功できる3つのことが出てきたのですが、本当に福音を持った人との出会いです。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。皆さんが本当に宣教する人に会う時、その祝福はものすごいのです。これをのがしてはいけません。皆さんが教会の中に多くの人がいても、本当に祈る人、本当に福音を持った人、本当に伝道をする人の出会いがすべての祝福です。このようにすれば、執事、長老すべての方たちが関係なく、事業にみわざが起きます。シオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。この3つの証しですが、一つでまとめられます。
皆さんが聖日に教会にきて恵みを受けて、聖日に福音を持った人に会って、聖日に祈る人に会うという時、あのアロンの油がしたたるように祝福を受けます。シオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。この契約を捕まえていれば答えがきます。皆さんがこの契約を捕まえて本当に祈っていれば、3つの答えがきます。
・その最初が何かというと、皆さんが小さいことを誠実にしていたら、そこで唯一性の答えがきます。だから、小さいことを誠実にしているのに、そこで唯一性の答えがきたのです。何の話なのでしょうか。ダビデが羊を飼っていたのですが、神様が獅子に勝って、王に勝つ答えがきたのです。これが神様がくださった答えです。人が与えることとは違います。ダビデが石を投げることをしたのですが、これでゴリヤテに勝ちました。ゴリヤテに勝ったら、全世界に主のうわさが立ちました。これを唯一性の答えと言います。
・すると、その次にくる答えが、皆さんが本当に福音にあって礼拝の祝福を受ければ、出会いの祝福ができるのです。ここにいるレムナントにお願いします。皆さんが福音にあって教会にきて祈る人、福音を持った人、伝道する人の祝福を味わえば、出会いの祝福がきます。それでレムナントは、必ず記憶しなければならないのです。本当に不思議です。聖霊の導きを受けられなかった人を見れば、出会いの祝福を度々のがすのです。なぜか出会っても信仰がない人に会って、チームの働きをして共に崩れてしまうのです。本当に不思議に思います。私は外国から牧師がくれば、正しくなっている人々は、不思議にも出会いをとても良くします。だめな人々は、検索も骨を折るのに、霊がすごいのか、会って共にほろびるのです。皆さんが福音の中にとどまるということは、とても重要な言葉です。レムナントが福音の中にとどまって礼拝の祝福を受けているのに唯一性の答えがくるのです。戦うこともしなかったのに、征服の場に行っています。驚くことです。競争もしなかったのに、成功の場に来ています。私たちは求めていなかったのに、答えの場にいます。この祝福を受けて味わうように願います。これが本当に祝福なのです。私たちは未信者と戦えないし、戦う時間もありません。未信者と競争すれば負けます。必ず銘記しなければなりません。神様がくださった答えが先に来ていなければなりません。それで、今日、この祝福を回復するように願います。
・皆さんが礼拝が本当に重要ですが、礼拝にきて本当に祈る人との出会い、本当に伝道する人との出会い、この祝福を味わっていれば、アロンの油が頭からつま先まで注がれるのと同じでしょう。シオンの山々におりるヘルモンの露にも似ているでしょう。どれくらい重要な話でしょうか。出会いの答えの祝福がきます。ダビデが重要な人生に出会いの祝福がきました。皆さんもそうなることを希望します。それで、レムナントを見れば、福音の中になければ、思い切り勉強をしておいておかしな人に会うのです。レムナントが思い切り祈って家庭で教育も確かに受けて、結婚する時はおかしな人に会うのです。そうしたら、ひどい失敗がきます。それで、福音の中でも本当に福音を持って成功した人々に会わなければなりません。この時から答えがくるのです。この時から何が来るのでしょうか。その時から契約的祝福が始まります。あなたは、恵みを受けなさいではなく、祝福の根源になる。神様がくださった答えを受けてこそ、祝福の根源になるはずです。あなたによって。代表的な祝福です。国々が祝福されるようになります。時代的な祝福です。あなたの種によって。記念碑的な祝福。あなたに敵対できる者はいない。不可抗力的な祝福。この時から来るのです。だから、のがしてはいけません。皆さんが今日そのまま通り過ぎやすいから、詳しく聞いてください。
・教会の中で一番しなければならないことが2つあります。皆さんが教会の中で、本当に神様に祈って答えを受けるのです。それと共にそのような人々に会うのです。これがすべてです。これが全部です。必ず会っても祈りをしない人に会って崩れるのです。必ず失敗をするのですが、これが全部です。私は三人に会ったのですが、一生の答えを受けました。私は忘れません。今でもその人々のために祈ります。その人々が今でもずっと勝利をしています。それで、最初がこれです。これを持って教会にきて、祈りの答えを受けるとても重要な部分になります。その次に教会になぜ来るのでしょうか。二番目の祝福です。天から注がれる油の祝福を受けるのが教会です。それが簡単に話せば聖霊充満です。皆さんが聖霊充満を求めて今日だけ祈っても驚くべきみわざが起きます。主よ、私に神様のみことばを通して聖霊充満を与えて下さい。やさしいのです。皆さんが献金をする時も、主よ、私に経済に聖霊充満を与えて下さい。賛美をする時、私に聖霊充満して、この賛美によって全てが回復するようにして下さい。これが礼拝です。どれくらいすごいことでしょうか。皆さんはこの席で礼拝をしているのに、シオンの山々におりるヘルモンの露が皆さんにおります。この祝福を受けるのです。それで、行ってみれば他の人は見られなかったが答えが来るのですが、これを唯一性と言うのです。どのように石を持ってゴリヤテに勝つのでしょうか。唯一性の答えです。どのように、末っ子が育ってイスラエルの王になるのでしょうか、唯一性の答えです。ダビデがどれくらい祈ったのでしょうか、神殿を作ろうというので国民が献金を持ってきました。とてもたくさん持ってきて、ダビデがもうそれ位で持って来なくて良いと広告しました。私たちもインマヌエルの広告はそのような広告がいつも出てこなければなりません。する広告があれば、長老がいつも出てきて「皆さん献金をもうしないくても良いです」こういう広告が出てこなければなりません。また会計の長老が出てきて会計報告をする時、ひとまずあいさつからあまり荷が重いので、献金はやめてくださいという話が出なければなりません。ダビデがそのような証しをしました。それも神様がくださったものだと言いました。私たちがしたのではなく、神様がくださったものを持ってしたと言ったのです。
・私たちは、ダビデに学ぶことがとても多いのです。皆さんが今日、シオンの山々におりるヘルモンの露を神様がくだされば、皆さんの事業には唯一の答えがきます。この祝福を受けて出て行ったら、皆さんに出会いの祝福がきます。出会いは私たちの好きなようにできず、神様がなさらなければなりません。ある人は、道行きながらも死ぬので、出会いの祝福を神様が与えてくださらなければならないのです。ある人はまったく一度もデパートを行かなかったのに、初めて行った日にデパートが崩れてしまったのでした。神様が祝福を与えなければなりません。ある人は、一生に飛行機に初めて乗ったのに、その時、飛行機が落ちてしまったのです。ある人は、車に乗ってソウル見物に行って、よりによってその日、聖水大橋が落ちて死にました。どのように人間の思いのままにできるのでしょうか、神様が祝福されなければなりません。皆さんに契約的な祝福を回復して、世界を生かしなさいということが神様の計画です。今日から聖日に、この祝福を受けることを希望します。聖霊充満は、どのように受けるのか尋ねる人がいます。そのまま受けるのです。そのまま受けるのです。体験することなのでしょうか。体験するのは違っているのです。生かすのは霊で、肉は無益だと言われました。聖霊は体験すると、そのように体験するのではありません。今日、聖日のみことばを聞いて確信がくるのですが、それが聖霊の体験です。私が昨夜に毎時間ダビデのメッセージを置いて祈りました。神様がこの祝福をもうインマヌエルとすべてのタラッパンにくださるでしょう。伝道者の集いです。長老、執事は世界で唯一の福音を持った者たちの集いです。そうすれば、答えがきます。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。ダビデは王宮より、これがより良かったのです。すごいのです。王宮で王をするより、ここにいるのがより良かいと言いました。神殿に上がるのがより良いと言ったのです。ダビデが王宮において、とても良いと告白したことは一度もありません。それで今日、恵みを受けているのに、神様はアロンに注がれた油を皆さんの子孫代々、つま先まで与えられます。皆さんは今日のみことばを捕まえているのに、神様はヘルモンの露を皆さんの事業、シオン山におりるようだと言われました。この祝福を回復するように願います。聖霊充満は簡単なのです。皆さんが普段の時も聖霊充満を求めて祈ればみわざが起きます。皆さんが聖霊充満を求めて祈れば、癒されるみわざが起きます。
・驚くことです。私はこれをメッセージの時ごとに体験します。昔に私は説教準備をする時、本をたくさん見ました。今はほとんど見ません。見ないのが良いということではありません。さらに重要なことがあるのです。これを置いて祈りをするのです。一人で静かに祈りをすれば、神様が確かに答えをくださいます。それに対する確信がくるのです。このメッセージをいえば、神様が成就をさせてくださるのです。驚くことです。金ハンシク牧師の教会に奇跡が起こったのですが、行ってみたらと理由がありました。行ってみたら、この方が私が行く時ごとに説教したことを持っていました。「先生がこのように説教をされましたが、この答えを見て下さい。」その時、私は悟りました。すべての信徒が伝道の隊列、この隊列にいるならば、同じように答えを受けます。今日、皆さんが信じる時、神様は義と認められると言われました。アブラハムが信じる時、義と認められたのです。皆さんまちがいなく信仰の人、伝道者だから、信じる時、油と露の祝福をおろすということです。聖霊充満を受ければ、体験が起きることもあります。ひょっとして皆さんの中で聖霊充満した時、祈りをよくして聖霊充満が起きて倒れることもあるでしょう。間違いではありません。明らかなのは、神様が必要だからなさったのでしょう。聖霊充満を受けて倒れたとすれば、確かに脳に異常があるのです。ある人は、聖霊充満を受けたら、痰が上がってくると言うのですが、それは首に問題があるのです。ある人は、聖霊充満を受けたら、腹から熱が出たと言うのですが、腸に問題があるのです。ある人は聖霊充満を受けたら震えると言うのですが、中風の気があるのです。絶対に間違っているのではありません。しかし、最も重要な聖霊充満を受ければ確信が与えられます。それを捕まえるのが礼拝で、それを伝えるのが説教です。それで今日、皆さんがこの祝福を捕まえなければなりません。
・教会に行って礼拝をする時、最も重要なのは何でしょうか。私が本当に祈ることです。そして、本当に祈る人に会うことです。見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。これがすべてです。それで、今日、皆さんが礼拝をする時、神様は聖霊の油を注いで、驚くことが行われます。また、神様が露をおろしてくださり、シオン山におりたように、皆さんの家庭、産業におりるということです。その後に重要なみことばが出ています。「主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」そこにとは、どこなのでしょうか。皆さんが今日、みことば受けているこの場所に、主が命じられるのです。すなわち永遠のいのちです。永遠な祝福といのちが、この時、神様が命令を下すということです。とても重要です。軍隊は隊長が命令すれば良いのです。王が命令を下せば良いのです。社長が命令を下せば良いのです。ところで、ここは主が命令を下されるのです。今日、主が主の祝福で皆さんに命令を下され、天使に命令を下されます。「彼らを祝福しなさい。」この時から答えの門が開かれるのです。今日、この祝福を回復することをイエスの御名でお祈りします。だから、別に集まる時間もありません。皆さんが礼拝をささげながら解決しなければならないのです。分かるでしょうか。別に集まるのも良いのですが、今、礼拝をささげながら解決しなければなりません。だから、今から賛美をする時、主の霊が私に臨んで下さいと賛美をしなければなりません。
・みことばを聞く時は、神様が私に祝福を命令されるそのメッセージをくださいと言わなければなりません。献金をする時ごとに、四つの祈りをしなければなりません。私たちの子孫と私が十分の一献金で教会を生かすようにさせて下さい。世界宣教するほど、祝福して下さい。教会堂を作って、暗やみの文化を変える程、祝福して下さい。あちこちにRUTCを立てて、未来を変えられるように祝福して下さい。長老や執事が、代表祈りをする時は、心の底から一緒に、神様にもですが、祈る人のために祈りをするそれが聖霊充満です。礼拝の時、それだけしたのに、行ってみれば答えが来ています。行ってみれば答えが来ているのです。それでは、皆さんが行く所ごとに会う人が祝福になることができます。いよいよ聖書にくださろうとする契約的祝福が、皆さんに回復し始めます。ダビデがこの祝福を受けたのです。今日、契約で堅く捕まえることを希望します。皆さんが今までいくら難しく生きていても、今、この契約を捕まえれば答えになるのです。
・また2部礼拝の時、重要なみことばをお分ちしますが、今日、皆さんがこの契約から捕まえれば、この瞬間は特別なものではないのですが、答えが来ていて、ずっと来ます。私は賛美をする時、とても祈りをよくします。賛美をしながら祈りをするのです。ところで、驚くことが起きます。皆さんが献金をそのままするのに、献金をしながら祈りをしてみてください。私は切実に祈ります。献金を出して切実に祈るのです。私と私たちの子孫を通して神様が経済祝福をしてくださって、教会を生かすようにしてください。これよりより大きい祝福はありません。この時、神様がそこで何を命じられるのか、祝福を命じられます。祝福を神様が命令しなければならないのです。神様が皆さんの家庭に祝福を命令されます。今日、まさに祝福を、祝福を命令されるのです。この祝福を回復するように、イエスの御名でお祈りします。これが皆さんの歌になることをイエスの御名でお祈りします。祈ります。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、主の民を祝福する時間になるようにしてくださったことを感謝します。今日、私たちはこの場に座っていますが、主の民の家庭に、シオンの山々におりるヘルモンの露を命令して下さい。今日、私たちすべての信徒にアロンの油で祝福して下さい。それで、今日礼拝する時間が最も重要で、祝福に満ちた時間になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/福音手紙九回目の出会い-祈りは霊的な科学だ
(ルカ11:5-13,18:1-8)

・九回目の出会い、祈りは霊的な科学だと言われています。祈りは科学なのですが、霊的な科学と言いました。祈りはまちがいなく答えられるためです。なぜ答えられないのでしょうか。まず、皆さんが五つのことを知っていなければなりません。悪い牧師は福音のほか教会を復興させるために伝道をします。それでは、無知な信徒が何も知らずに熱心に走るのです。このようになれば、重要なことを発見できません。伝道もできず、答えも受けられません。
・皆さんが本当に福音を伝えようとすれば、いくつかのことを発見します。それが創世記1:2、創世記3章を見れば、大きい事件があったのです。サタンが天からすでに落ちて堕落していました。これが事件を繰り広げたのですが、それが創世記3章の事件です。神様が血の契約を与えられました。神様がモーセに犠牲のいけにえをささげに行きなさいと言われました。そのおっしゃられる時になさった話があります。私がイスラエル民族に行って何と話せば良いのでしょうか。その時、神様がおっしゃって、主自らある者が話したと言いなさいと言われました。ここに神様の存在自体、全てをみなかけられたのです。皆さん家を今でもサタンが滅亡させようとして、過去にはやられていました。
・伝道するとは思わない人々が私を攻撃したる時、柳光洙牧師はなぜサタンの話をするかと言いました。未信者100%がここに捕えられているのです。偶像崇拝する人、皆がここに捕えられています。ところで、なぜ話をしないのでしょうか。ここに、この部分を発見しなければならず、その時からみわざが起きるのです。ここに神様はご自分の全てのものをみなかけられたのです。それが伝道です。この時から神様のみことばが成就し始めます。伝道をうわべで見るからであって、全部、サタンに捕えられています。私たちのレムナントが記憶しなければなりません。この時からみことばが成就し始めます。
・二番目です。私たちに答えが出てくることがあります。それでは祈りは何でしょうか。このように答えが出てきます。神様は私たちの目に見えません。皆さんが聖霊が私と一緒におられることを知るようになります。Iコリント3:16に神様の聖霊があなたがたの中にとどまられると言われています。それで、キリストが神様が私の主人になられれば、その時からみわざが起きるのです。神様が聖霊で私とともにおられるなら、心配する必要がありません。恐れがきても大丈夫です。問題がきても大丈夫です。人々は、問題くれば恐れをなすのですが、問題が来ても大丈夫です。レムナントは問題に恐れないように。間違ったことははやく悟れば良くて、その他のことは恐れをなす必要はありません。なぜでしょうか。神様の聖霊が私とともにおられるためです。これを味わうのが祈りです。何の話なのか知っているでしょうか。これを味わえるならば、祈らなくてもかまいません。これ味わうのが祈りであるためです。聖霊が目に見えなく私と完ぺきに共におられるということです。少しも心配する必要がありません。間違ったら悔い改めすれば良くて、心配する必要はありません。
・この時から神様が働かれ始めます。自分の固執が強く、自分の主張が強い人は、祈りにどうしても答えを受けられません。なぜならば、そのような人々は説教も聞かなくて、牧師の話も聞かないで、親の話も聞かないのです。そのような人がいます。いくら祈ってもだめです。祈りはなぜするのでしょうか。聖霊の導きを受けるためです。私たちは、しばしば自分の性質のとおりにしようとします。聖霊の導きを受ければ良いのです。聖霊の導きを受けるのが祈りです。皆さんが聖霊の導きを受けられるならば、祈らなくてもかまいません。聖霊の導きを受けるのが祈りであるためです。体質自体が聖霊の導きをよく受けられない人がいるのですが、いつも困難にあいます。聖霊の導きを受けていれば、思わず答えられた成功の場に来ています。求めなくても、答えられています。今から一番悩まなければならないのが、私がどのように聖霊の導きを受けるのかです。これは悩みでなく祝福を受けることです。皆さんは片っ端から話すのですが、それだけ区分してもみわざが起きます。皆さんは言葉も考えてみることもせず無条件にしますが、若干、区分するだけでも大丈夫です。
・長老の中にも重要なことをする時必ず尋ねる人々がいます。それは聖霊の導きを受けるのです。皆さんが戦うこともしなかったのに、成功の場に来ています。私が戦うこともしなかったのに征服の場に来ています。これが聖霊の導きです。これをすることが祈りです。祈りを全くしなくても神様がいつも私とともにおられることを味わったら祈ることと同じです。聖霊の導きを受けられなかった人々が聖霊の導きを受ければ、今から勝利するのです。大部分の人々がこの導きを受けられません。性質どおりにして、おもに受けられないのです。大部分の人々が聖霊の導きを受けられない理由が、性格の差もあるでしょうが、この部分に少しだけ導きを受ければ良いのに受けないのです。
・祈りはなぜするのでしょうか。今日、皆さんが聖日に聖霊充満が何か分かれば力が現れます。使徒の働きに現れた7つの力が現れるのです。皆さんが今は聖霊充満をずっと受ければ実が起きます。愛、喜び、平安。神様の愛を体験すれば本当に喜びが生まれます。皆さんが今週、どこかに行って、神様のみわざが起きたとすれば、神様の愛を体験したとすれば、すべての問題が解決されます。今週に大きい答えを受けて、神様の働きならば、みな解決されたのです。そんなにだめなのが問題で、皆さんが聖霊の導きを受けて、聖霊充満を受ければそうなります。そこでくるのが喜びと平安です。その時からは他の人のために、寛容、親切、善意です。誠実、柔和、自制。この3つがとても重要です。この3つのことをしようとここに座っているのです。祈りをなぜするのでしょうか。この事実を味わって導かれるためです。
・神様の力で世の中に勝つためです。もしこれができ人は、祈らなくてもかまいません。これができれば、聖書を絶対に見なくてもかまいません。どうせ今まで見ていないでしょうが、ずっと見なくてもかまわないのです。聖書を見る目的がこれであるためです。少し導きを受ければみわざが起きます。皆さんがここにいる人はとても立派ですが、導きを受けない人がいます。またある人は良くするのですが、決定的な瞬間に導きを受けない場合があるのです。これがすべてです。今から心配する必要がなく、私とともにおられる神様に任せれば良いのです。未信者は知らない言葉です。恐れることもありません。聖霊が共におられるためです。今から迷う時も、聖霊の導きを受けるためにすれば良いのです。なぜ神様のみことばを詳しく聞くのでしょうか。聖霊の導きを受けるためです。聖霊充満を少しだけ体験すればみわざが起きます。
・私はおもにメッセージ準備をする時にします。自分自ら捜し出さなければなりません。私はおもにメッセージ準備する時、聖霊充満を体験して祈ります。皆さん自ら決められます。このようにすれば答えがきます。唯一性の答えが来るのです。この祝福を受けるように願います。他の人がみなだめだと言うのにできるようになります。どのように石を投げてゴリヤテに勝ったのでしょうか。こうしたことが行われるのです。どのように他の国の奴隷に行って、総理になったのでしょうか。想像もできないことです。ヨセフが総理になることができたならば、ポティファルがそのようにしたでしょうか。ヨセフが総理になることが分かっていたならば、ポティファルの妻がヨセフを監獄に入れたでしょうか。兄らが後ほどヨセフを見ても分かりませんでした。総理になると考えもできなかったためです。人を見て、家族なのに見れば分かるのではないでしょうか。ある日、私が道を行くのにある人に会いました。その人も私を静かに見つめて、私もその人を静かに見つめていました。誰かと考えました。互いに分かって見て握手をしたのですが、その人は40年前に私たちのそばに住んでいた人でした。40年前に知っていた人に会ったのですが、その人も私を分かって見ていました。40年前であるから今、年を取ったのに、幼い時に十代の時の姿が残っていました。ヨセフの兄は、ヨセフの前にきても分かりませんでした。なぜでしょうか。総理になるとは想像もできなかったためです。私は聖書を探してみました。ヨセフが総理になる時、ポティファルの妻は何をしていたか記録にはありませんでした。ポティファルは軍隊の長官です。ヨセフは強大な総理です。大変なことになりました。だから、皆さんが答えを受けるのに、だれが皆さんに勝てるでしょうか。レムナントは心配しないように。皆さんが答えを受けるので、答えを受けるのに何が恐れることがあるでしょうか。年をとった人々も、今から聖霊の導きを受ければ良いのです。皆さんの体質がよく受けられないでしょうが、少しだけ受ければ働きが起きます。
・前はいつも敵だけに会ったのですが、この時からは出会いの祝福がきます。前はおかしな人々だけ会ったのに、それから出会いの祝福がくるのです。この時から出てくるのが契約的祝福です。これが分かります。この言葉が分かります。しばらくあとで分かりました。アブラハム、あなたは祝福の根源になると言われたことを後ほど分かったのです。あなたによってという言葉を後ほど分かりました。いよいよ知るようになったのです。この答えを受ければ、分かるようになります。神様の祝福が皆さんに必ずあるようになることを希望します。これをのがしてはいけないのです。この時から当然、来るものがあります。この時から、人生の改革が起きます。その以前には起きません。答えを受けるので、この時から聖霊が働かれるから、改革になります。この時から3つの征服が起きるのです。この時からRUTCが何か理解できます。この時から、しないでくれとしてもOMCとなります。それでOMCは強調しなくてもかまいません。なるようになっています。今から答え受けたとすれば、なるようになっているのです。答えを受けられなければ、いくら話してもなりません。
・五番目です。皆さんが今は実際にこの契約を捕まえて祈り始めなければなりません。祈りの中で一番良い祈りは黙想の祈りです。課題も必要ありません。祈りの課題の中で最も良い課題が聖霊充満です。学生たちは必ず夜でも朝でも深く黙想する時間が必要です。それでこそ頭が発展します。皆さんが聖霊にあって深く黙想すれば、他の人より数十倍に頭が良くなります。黙想だけでもみわざが起きるのに、そこに聖霊充満を求めて黙想をしたのです。それで一番良い祈りが、時間を決めずに良い時間にする定刻祈りです。最も良い時間にするのです。夜間の体質なら夜に、明け方の体質は朝に、することがない人は昼間にすれば良いのです。すれば良いのです。実際にすれば良いのです。五つをのがしてはいけません。完全にほろびた人も今からこのようにすれば良いのです。ある日、なっているなということが分かれば良いのです。今までいつもほろびた人も、このように始めれば良いのです。先祖の時からいつも貧しかった人々も、このように始めれば良いのです。私は昼夜なしに病気で痛いという人もこのように始めれば良いのです。
・間違いありません。鍵がこれです。聖霊が、神様が皆さんとともにおられるのです。ひとまず心配から捨てましょう。恐れることがありません。どのようにしなければならないのでしょうか。聖霊の導きを受ければ良いのです。これが祝福の道しるべです。聖霊が私とともにおられれば、小さい体験すれば良いのです。これが出発です。これが聖霊充満です。確信が来れば、それが聖霊充満で、みことばを聞く時、確信が来る、それが聖霊充満です。それが続いたら、ものすごい実が起きます。のがさないように望みます。
・未信者はどのように答えが来るのでしょうか。それから分からなければなりません。結論から下します。未信者は悪魔に仕えるのだから、ずっと祈るのが呪いを求めて訴えるのです。結論。それで後ほどだめになるのです。水をくんでおいて祈るのに、息子をほろびるようにしてくれとずっと祈るのです。ある日、ほろびます。確認してみてください。哀れです。それで、はやく伝道して悟るようにさせなければなりません。どのように未信者が答えが来るのでしょうか。すべての宗教は祈りの行為があります。これがまさにほろびることなのです。皆さんは救われたので大丈夫ですが、未信者が自分の子どもの名を連ねておいて、祈って占い師を訪ねて行ってすることが、みなほろびることなのです。皆さんの名前を掲げてずっと祈れば、答えがきます。親が祈るのに、悪霊が働くのです。それで呪いを受けるのです。サタン、悪霊は、本来、呪いしかくれません。殺人強盗が手助けするのは、手助けするのではありません。皆さんを殺そうとする強盗がしばらく手助けするのは、手助けするのではありません。ある時は、動物にお辞儀をするのに答えがきます。動物にお辞儀をするのにも、答えがくるのです。石、木にお辞儀をするのにも答えがきます。何の事なのでしょうか。これがまさに悪霊の働きです。だまされないように望みます。ある時は、紙に描いておいて祈っても答えがきます。これがみな悪霊の働きです。箱に入れて回すのですが、これも悪霊の働きです。どんな神が箱の中に入るのでしょうか。どんな神様が真っ黒な仏壇の中に入るのでしょうか。それでも働きが起きるというのですが、それがまさに悪霊の働きです。
・「牧師先生、どこかの国では新聞で見ると、マリヤさんが汗を流しています」と言うのですが、それがまさに悪霊の働きです。石が汗を流して何をするのでしょうか。狂っているので、石が汗を流すので、それで祈るのが変なのです。全部だまされることです。それで、ある特殊な宗教団体の指導者に能力あると言うのですが、大変なことになります。能力が現れます。それは誰もができます。皆さんが今から山に登って水の下に座って、ご飯を一食だけ食べて三年だけいたら、能力が現れます。それが悪霊の働きです。能力は現れるのに、おかしなことをして通うようになります。能力は現れるのに、自分は狂ってしまいます。哀れです。未信者は祈れば無条件に答えを受けます。違った祈りも答えられます。違った答えです。未信者は、良くても悪くても、まず目的だけ成し遂げれば良いから、答え受けるようですが、失敗するのです。未信者も答えられます。違った答えです。悪霊をおがむのに答えられるのです。呪いが来る答えです。違った祈りも答えられます。違った答えです。必ず記憶しなければなりません。
・神様の子どもが祈れば、神様は3つの方式で答えられます。神様の子どもであるから記憶しなければなりません。直ちに来る答えがあります。あるものは答えが来ないのですが、それも答えです。必要ないものは与えられません。ある時は、より良いのをしばらくしてからくださいます。それで、神様の子どもは、必ず祈れば答えられるのです。どんな人が、神様の答えを受けられるのでしょうか。悪霊があたえる答えではなく、神様がくださる答えを受けなければなりません。神様の子どもは、神様がくださる答えを受けられるのです。それで、救われたということは、普通の話ではありません。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神様の子どもになる特権を与えられた。それでイエスの御名で祈れば答えられます。皆さんがイエスの御名を使えば、すばらしいことが行われます。答えがこないようでも正確にくるようになっています。皆さんが間違ったことを悟って悔い改めれば、直ちに答えがきます。神様はみこころを変えられませんが、ある場合は変えられます。皆さんが悔い改めれば、みこころを元に戻されるのです。
・今は信仰で祈る者に答えられます。どんな信仰を言うのでしょうか。神様は必ず答える力がある神様です。今日、読みました。友人がパンあると思ってきて、しばしば出せというのに上げないでしょうか。ずっと門を叩くのに。それでは神様が子どもに良いものを聖霊で贈り物でくださらないでしょうか。私が尹ソンフン牧師の家にパンがあると思っているのに、とてもおいしいものなのに一人で食べて、くれません。私がそれを分かったとします。夜十二時過ぎに門を叩きながら、パンをくれと言います。くれないはずがありません。パンがあるためです。みな横になって寝ていて、面倒でも、与えなければなりません。あるものと思ってきたのです。それで上げなければ、かたき同志となるでしょう。神様があなたがた信じる者に聖霊でプレゼントをくださらないでしょうか。門が穴が空くようにたたいても、パンがなければ受けられません。皆さんがハンマーを持ってきて、門をみな壊してもパンがなければもらえません。何の話なのか分かるでしょうか。その信仰を言います。神様はなさることができます。わかったでしょうか。その信仰を言います。皆さんは神様の子どもです。
・そして、失望せずに最後までしてください。最後までしましょう。ルカ18章にたとえを言われています。最後までこの女が裁判長に付いて回りました。裁判を正しくしてくれと付いて回るので、この裁判官が悩みができたのです。何の悩みでしょうか。この女が力があったのでしょうか。違います。突然、この女が力ができたのでしょうか。違います。この裁判官が恥ずかしくなったのです。さらに重要なことがあります。この女の目を見ると、絶対にあきらめそうでない。これが怖いのです。皆さんが本当に信仰を回復すれば、神様が働かれます。何の話なのか知っていますか。最後の時、信じる者を見るだろうか、信仰を見るだろうか。必ず答えられます。皆さんが、あきらめてしまうのです。ある場合には、あらかじめあきらめています。私がうつわ準備されていることも知らずに、祈ってあきらめます。とても重要です。聖霊が考え、心、知恵をくださるので、答えを受けられます。ピリピ4:6に何も心配しないでと言われました。人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれますと言われました。
・神様の子どもは、祈る時、注意すべきことがいくつかあります。私の思いどおりではなく、神様の思い通りにしなければなりません。私の計画のとおりでなく、神様の大きい計画のとおりしなければなりません。ある人は、自分が計画を立ててしようとするのです。信者は祈りの答えがくればしなさい。そうすれば正確です。私の環境でなく、神様の隠れた計画があります。怨みを晴らす心でせずに、許す心でしなければなりません。ある人は、敵をおいて祈ります。それは、わめくことであって、祈るのではありません。誰かをおいて呪うのは祈ることではないのです。神様のみこころに従順にする気持ちで祈らなければなりません。
・祈りは科学です。祈りは正確な霊的科学です。祈れば聖霊のみわざが起きます。どれくらい科学なのでしょうか。目に見えることだけが科学でなく、見えないものも科学です。皆さんが今ここに座って、アーメンと言うのに、聖霊が働かれます。皆さんに聖霊が働かれれば、悪霊が縛られるようになっています。聖霊が臨んだのに、どのように悪霊がいることができるでしょうか。皆さんの家に聖霊が働くのに、悪霊はそこから逃げるでしょう。皆さんが祈れば、神様が主の天使を動員して、今でも皆さんが行かない所まで働かれます。私たちはこの時から環境が変わり始めるのです。祈っているのに環境が変わります。レムナント1人が軍隊に行くと挨拶しにきたので、軍隊に行って伝道する必要はないと言いました。行って祈っていれば環境が変わります。この時、神様が答えの人を送られるのです。特に答えているのに、答えの人を送られます。正確です。アブラハムが人を接待したが天使を接待したのです。エリヤが祈っているのに、神様が主の天使を送って、水とパンを与えて力を得るようにされました。エリシャが祈っているのに、神様は火の馬と火の戦車を動員させられました。ヒゼキヤ王が祈っていた時、どんなことが行われたのでしょうか。心配する必要はありません。
・祈りは霊的な科学です。これが祈りです。これをのがしてはいけないのです。ほろびた人も、今からこのようにしましょう。今、私がサタンにだまされたんだなあ。多くの教会がタラッパンで信徒をたくさん奪われるからと悪口を言うのに、サタンのことを話すとそのように言いました。しかし、聖書には今でもサタンは働くと言われています。これのために問題がきたのです。サタンがきて、アダムとエバを倒して、今でも問題は起きます。それで、十字架の力でなくてはだめです。私たちは十字架の力を味わえなかったのです。今から味わえば良いのです。なぜなら、神様が自尊心をここにみなかけられました。答えを受けなければなりません。それで、今からキリストを味わうということは、聖霊が働かれるようになっています。今までみな滅びたようでも、今から聖霊の導きを受けるためにもがいても、みわざが起きます。聖霊の導きを受けるために悩みするだけでもみわざが起きます。悩みが何でしょうか。聖霊の体験を少しだけすれば、力が現れます。どれくらい驚くことでしょうか。それでは、このように答えがきます。この時から、そんなにだめだった改革と征服ができるようになるのです。実際に祈りましょう。祈りの中で一番良い祈りが黙想祈りです。祈りをどのようにするかと言うのですが、することもありません。そのまま黙想しながら聖霊充満すれば良いのです。私の唇のすべての言葉と、私の心の黙想が、主で充満することを望みますと言いました。幸いな人は、主の教えを夜昼に黙想する者だと言われました。だから、代表祈りをする時は、事実、負担になるでしょうが、一人ですることは負担になることもありません。代表祈りをする時は、言葉も正しくしなければならないのですが、一人でする時は、そのまま黙想すれば良いのです。ある人は、祈りを書いてすることについていろいろ言うのですが、私は書いた方が良いと思います。でたらめに話すより、書いて読むほうが良いでしょう。そして正確に祈ろうとするなら、書いて、タイトルを見てするのが正確なのです。ところで、一人でする祈りは、書く必要もなくて、勝手気ままにしても何の関係もありません。人の前でする祈りはあるものは区分しなければならないのですが、一人でする祈りは何をしてもかまいません。それで祈りの課題の中で一番良いのが聖霊充満です。それだけしたのにみわざが起きます。祈りはこのように完ぺきな科学です。
・最後に結論を出します。祈りで全てのものを活用しましょう。これが鍵です。祈りで全てのものをみなできるのです。ある時は苦しく答えが来ないようですが、振り返れば正確に来ています。皆さんが祈りで聖霊の働きを体験することができます。皆さんが祈りで全世界に主の使い、天使を派遣する祝福を味わえます。皆さんが祈りで、すべての暗やみの勢力をみなうち砕くことができます。だから、祈りで全てのことができるのです。この祝福を回復するようになるように願います。
・祈りは霊的な科学です。皆さん、レムナント七人は孤独でした。それを祈りの祝福に変えたのです。皆さんが、ある時は、孤独でないといって、すべての問題が解決されるのではありません。レムナントが外国に出て勉強するのが、ある時は苦しくて孤独な時もあります。この時、一番良いのが祈りです。レムナントや信徒が困難にあえば、苦しい時があります。このような時、最も良いのが祈りです。すぐ答えが来ないからといってあせる必要がありません。正確にきます。あるものは直ちに来るものがありますが、神様は悪霊ではないので、違ったものを祈ってもくださいません。それも答えです。無応答も答えです。今日、祈りの奥義、祈りのこの五つはとても重要です。ソウル、蔚山の聖徒たちが見えないから分からないのですが、うとうとする人も、これを確かに知って寝なければなりません。間違いありません。それで、祈りは科学なのです。すべての心配は主に任せてしまいましょう。心配しないでと言われませんでした。心配は祈りの課題にしなさい、心配があるのにどのようにしないかと言うでしょうが、それを祈りの課題にしなさいということです。答える神様と共に一週間、大きい勝利があることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。私たちに祈りの祝福を与えて下さったことを感謝します。祈りですべての世界を征服するようにさせて下さい。祈りで私を生かすようにさせて下さい。聖霊の導きを受ける人生になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン