2007年6月24日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/主をほめたたえる理由
(詩135:1〜21)
■昔、伝道しに通っていた時、病院に行きました。そこに学生が1人いました。その病院で癌になった人がいました。肉がみななくなって、骨だけ残っていました。27才でした。何の癌かと尋ねたら、胃ガンだと言いました。とても大変な状態かと尋ねたところ、しんどいということでした。目は生きていました。からだを見たら、完全に終わった状態でした。福音を伝えました。真剣に聞いていました。イエス様を救い主として受け入れるかと尋ねたところ、今まで神様を信じなかったのに、今、癌になって信じるというのは申し訳ないと答えました。今、病気になった状態で、良くないのではないかと言いました。良心は良いが、救いは受けられないと言いました。簡単に話せば精神力がすごい人だったのです。自分が死ぬ覚悟をしているということでした。今まで信じないで自分が病気になって神様を信じるのは、良くないと思うと言いました。そのようにして、何日かあとで伝道するメンバーが訪問しに行ったのですが、その人はいませんでした。死んだと考えられます。 ■今日、見たら、主をほめたたえよと言われています。主をほめたたえる理由は、何でしょうか。私たちの真の祝福とすべての命は神様の御手にあります。ある人はげんこつがどれくらい強いかは分かりませんが、げんこつを信じろと言うのですが、その人も神様が呼んで行かれます。私たちの運命と全てが天にあることを、すべての知識人が認めています。普通、神様に対して4種類の人に分けられます。最後まで神様を信じないという人がいます。こういう人がいます。教会に行く人の悪口を言って、呪って、神様を信じない人がいます。ちょっとひどく言う人がいます。普通、そのような人は困難にあいます。 ■ナポレオンは記録を見れば、イエス様以外で、人としては、一番多くの記録を残しました。フランスの学者が集まって調べて決めたのです。世界が集まるのには、年度を統一をしなければならなく、日本は日本のものを使い、韓国は韓国のものを使うので、どのように私たちが会えるでしょうか。何年何月何日を定めなければ、会うことができないのに、だめです。それで正式資料によって調査をしたのです。最も多くの影響を及ぼした人を探しました。その中で信仰と関係なく、イエス・キリストが出てきました。2007年という言葉は、イエス様がこの世に来られて2007年になったということです。そのように決定しました。未信者も一緒に科学的根拠でしたのです。 ■私は2位は釈迦だと思っていたのですが、ナポレオンでした。イエス様の次に影響、資料、本を残したのが、ナポレオンです。どれくらいナポレオンがすごかったのか、自分の辞書には不可能という言葉はないと言いました。こういうナポレオンも最後に島に島流しされた時は、嘆いたのです。それまでは、神様を信じると言わなかったのですが、あの海の水は人間が流した涙だと言いました。どれくらい大変だったでしょうか、山から吹く風は人間のため息だと言ったのです。その程度に表現しました。正式に、神様は死んだと話した者がいます。普通の人が話せば、精神病者だと言うのですが、とても勉強をよくした学者だったニーチェが神様は死んだと言いました。その人は教会に通った人でした。さらに恐ろしいのは、彼は牧師息子でした。神学校で勉強したこともありました。この人は時代を動かす学者になったのですが、神様は死んだと言いました。不思議なことに、ニーチェは若くして精神が狂いました。精神病院で死んだのです。 ■ 70年間、神様はないと話した者がいます。それが共産主義です。神様はない、神様がどこにいるのかと言いました。共産主義は敵だという以前に、とてもかわいそうな思想です。教会に熱心に通う人には神様もいないのに、宗教細胞が多いと言います。何でも肉体的なものだけ話をするのです。70年が過ぎたのですが、共産主義は完全にほろびました。理由を問わず完全にほろびました。どれくらい高慢だったのか、神様がどこにいるのと言いました。それが共産主義です。神様もいないのにあのバカがと言ったのです。どれくらい発展をしたのか、ロシアに行ってみれば200年前にエスカレーターがありました。今、がたがた震える、それが200年前にあったものです。どれくらいほろびたのか、それを直せないということでした。ものすごい公園を作ったのですが、噴水の水の噴き出し口10ケ中の7ケが故障していました。しかし、直す予算がないのです。道端にあった電話ボックスを見れば、ほとんど故障していました。直せる経済力がないのでした。ほとんどクリスチャンが入って助けました。その人たちは神様はいないと言ったのですが、神様を信じる人々が入って手助けしたのです。今でもそうです。まだ多くの後遺症を残しています。ロシア側にドアが開いたので、ロシアの女性が全世界に売春婦で散って大騒ぎをしています。自分たち口で認めているのです。昨年、国家でそのような発表をしました。とても多くの女性が全世界に散って売春をすると言いました。神様がないと話したその人々が、完全にほろびたのですが、どれくらいほろびたかというと、今は、自分たちがなにをすべきかを知りません。これ以上、話さなくてもご存知でしょう。神様がないと言います。自信満々に神様は死んだと言います。こういう人が多いのです。特別にそのような人々がいるのですが、とても問題がきます。 ■二番目の種類の人がいます。大きい苦難の中で悟る人がいます。おもに3つで悟ります。人々は一番苦しいのが自分が病気になることのようです。病気になった時、悟ります。その時、悟るのは幸いです。死ぬ病気にかかるので、人間に希望がなくなります。家族も手助けすることができなくて、医師もできないと言います。自分としては何の助けを受けることができないという判断をされた時、その時、初めて神様を見上げるのです。こういう人が多いのです。ある面では幸いです。残念なのは、そのように病気になっても神様に会えない人々がいるのです。そうでなければ、大きい事故が起きて、これがなぜこうなのかと言うのです。日本に地震がきて各教会が復興したということです。なぜか日本に地震がおきて、建物がみな崩れたのですが、不思議にも一つだけ崩れなかったのです。その村に教会と小さい神学校があったのですが、それだけは崩れませんでした。それで日本の宣教師が話すのに、教会に日本人がきたということでした。何週かきて止めたそうですが、その人々が教会に出て来たのです。人は、おもに刑務所に行けば苦しいから、そこで神様に会う場合があります。聖書を見れば、遅く悟る人がいます。苦労して悟るのですが、ある面では幸いです。とにかく悟ったからということです。 ■しかし三番目に聖書を見たり、現実的にも見る時、初めから神様をよく信じる人がいます。代表的に、レムナント7人です。どんな困難がきても揺れないで成功した人物がヨセフ、ダビデです。聖書を見れば、神様をよく信じる人々は困難がきてもよく勝ち抜きました。困難がきても問題にならなかったのです。困難のために成功したのです。神様を信じる人です。それだけではありません。今、結論的に見る時、今まで本当に優れた学者は神様を信じる人です。すぐに終わるのではなく、永遠になくならない作品を作った人は神様を信じる人です。音楽も不滅の音楽を残した人は神様を信じる人です。絵も本当に正しく描いた人は神様を信じる人です。その人々の特徴が、ほとんどなくならない作品を作り出すということです。エジソン、アインシュタインという人もみな神様を信じる人です。結論的に、神様を信じる国がよく暮らします。結論がそうです。だいたい信じても、よく信じても、神様を信じる国がよく暮らしています。偶像崇拝した国や、人は、生きられません。タイ、インドに行ってみれば、目もあてられないほどです。タイはバンコク、パタヤくらいは発展したところで、その他に行ってみれば見ることもできません。家を水の上に作っています。近く行ってみれば水から悪臭が出ています。その上に家を建てています。悪臭が出る、その水でぞうきん洗って、入浴して、みなするのです。本当に理解ができないほどです。朝になれば、道端に僧侶が歩き回っています。何百人も通います。朝の托鉢するのです。それを手助けすることを最も祝福だと思うと言っていました。その人々が2つの自慢の種があるということです。息子が僧侶になることと、娘が嫁入りせずに、売春婦になって最後まで両親を養うことだということです。タイを非難するのではなく、実際にそうなのです。だから、偶像崇拝をしている国ごとに想像もできないことが起きます。偶像崇拝を一番よくする国がネパールです。世界で精神病者が一番多いのです。台湾は路地ごとに偶像があります。子どもたちを10人集めて夜によく寝られなくて苦しめられる人々は手をあげてくださいと言うと、4人は手をあげます。統計に出てきました。日本には、一軒に1人は精神病患者だと統計に出てきたのです。日本は教会は見えなくて偶像がいっぱいあります。日本の集会の時、新聞で見ました。日本語は分かりませんが、漢字を見ればだいたいは分かります。日本の人々は80%が人と目を合わせられないということです。自分たちの新聞に載っていました。うつと不安のためです。本当に神様を信じるということがどれくらい大きい祝福なのか、知っていなければなりません。 ■四番目に記憶しなければなりません。イスラエル民族がなぜ滅びたのでしょうか。教会に通う人がなぜ滅びたのか、質問しなければなりません。教会に通う人々は、特別なことはないのに、教会に通う人がなぜああなのか。私たちの親戚が集まればイエスを信じる人々が一番貧しいが、あれはなぜああしているか。教会通う人々が思い切りイエスを信じてなぜ失敗するのか。こういう質問が出てくるでしょう。 ■四番目に正しく記憶しなければなりません。福音を正しく知って神様を信じる人のことを言います。それが135篇4節を見れば出てきます。「まことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、イスラエルを選んで、ご自分の宝とされた。」8節に「主はエジプトの初子を人から獣に至るまで打たれた。エジプトよ。おまえのまっただ中に、主はしるしと奇蹟を送られた。パロとそのすべてのしもべらに。」これは何の話なのでしょうか。イスラエル民族がエジプトから出た話をしたのです。なぜイスラエルは失敗したのでしょうか。イスラエル民族は、これが民族運動だと思ったのです。それで失敗したのです。民族運動が含まれているのでうが、そうではありません。福音を与えられたのですが、福音を知らなくて生きたイスラエル民族が奴隷になりました。福音を悟る日、出てくるようになりました。明らかな契約で捕まえられなければなりません。時間が過ぎた後に、あの人たちは、神様を信じる者で、本当に祝福されたのだなと分かるようになります。さらに重要なのは、15節に「異邦の民の偶像は、銀や金で、人の手のわざです。」そんなことを信じて救われるでしょうか。手で作ったもの、金持ちの人は金で作って、お金がない人は木で作ったのに、どうして神様なのでしょうか。木で作ったものは色が変わるとペイントを塗って、それが倒れるかと思ってクギ打ちをしておきます。イザヤ40章に出てきます。それがどうして神様なのでしょうか。それが神様だと信じる愚かな悪魔に捕えられた者ではないかということです。ところで、その人々はそのようにしていて、答えはなぜ来るのでしょうか。水を汲んでおいて祈るのに、答えはなぜ来るのでしょうか。それが悪霊の働きです。これを悟って祈る神様の民は必ず答えを受けます。祝福を受けるように願います。福音が何で、偶像が何か分かれば良いのです。 ■同じように礼拝をささげているけれど、新しい希望教会のチョ・ウンテク牧師は、私と一緒に偶像をものすごく壊しました。教会も通っていなかったのですが、心には信仰がありました。一度は、偶像が置いてある所に入って完全に撲殺してきました。ほおも殴ったのに、声も出せないのにそれが神様なのでしょうか。ある人は箱をおいて、くるくると回すのですが、それが神様なのでしょうか。町内を騒々しく、南無妙法蓮華経と言うのですが、それが神様なのでしょうか。それがまさに悪霊の働きです。人がみな作ったのです。16節に「口があっても語れず、目があっても見えません。」17節に「耳があっても聞こえず、また、その口には息がありません。」18節に「これを造る者もこれに信頼する者もみな、これと同じです。」と言われています。だから、重要な恵みで悟ったのです。単に教会に通うので問題がくるのです。あの人は長老なのに、なぜあのようになったのか。福音を知らずに教会に通ったのです。家に呪いが入ってきたのは、サタンの働きを知らずに信仰生活をするのです。本文が重要なみことばです。この契約をつかんで祈ったら、いくら困難の中にいても、時間がたつほど答えがきます。皆さんが今、難しいように見えても、時間がたつほど答えがくるのです。神様がいないと言った者は、時間がたつほど困難がきます。私は神様を信じないで、自分自身を信じて、私のげんこつを信じるという者も、時間がたつほど困難がきます。ある人は事業が上手なのに、妻が教会行くから迫害すると、事業が時間がたつと後ほどみなほろびるのです。その理由を分からなければなりません。今日、貴重な祝福で契約を捕まえなければなりません。 ■それなら、本当にどのように答えを受けられるのでしょうか。ソウル大学になぜ行こうとするのでしょうか。どうしても成功する可能性が多いからです。何のために司法勉強をするのでしょうか。成功する可能性が少しあるからです。しないものより可能性があります。何のために留学まで行って勉強をするのでしょうか。成功する可能性が多いからするのです。それなら、聖書にものすごい祝福があるのに、それをのがしてはいけません。今日、ここに読んだ本文の中で「主をほめたたえよ」という言葉が出ます。七回出てきます。今日1節から21節まで読んだのですが、「ほめたたえよ」という言葉が七回も出ました。皆さんがこのみことば捕まえて信仰生活を少しだけすれば、答えを受けます。ほめたたえるという言葉は、何の話なのでしょうか。心に感謝することを言います。心の真の感謝を言うのです。短い時間ですが、記憶しなければなりません。何を感謝しなければならないのでしょうか。重要な部分があるのですが、感謝も色々なものがあります。救いに対する感謝です。9節にあります。「エジプトよ。おまえのまっただ中に、主はしるしと奇蹟を送られた。パロとそのすべてのしもべらに。」15節に「異邦の民の偶像は、銀や金で、人の手のわざです。」救いの祝福の中に、ものすごいものが入っています。これに対する感謝がずっと出てきたら、すごいのです。 ■皆さんの感謝の中で一番の最初のことが私が救われた神様の子どもだということです。皆さんが道を通り過ぎて、困難を受ける時、手助けすれば感謝ですと言います。ロシアで、ある学生が空港で引っかかったのですが、100ドルがなくて出られなくなっていました。この学生が出られなくなっていたのです。私が100ドルをあげました。この人が出てきながら私に10回もさらに感謝ですと言いました。電話番号を書けば返すと言ったのですが、大丈夫だと言いました。時々、振り返りながら感謝しますと言いました。重い荷物を持って行く時、誰か手助けすれば感謝しますと言います。皆さんの家が滅びる呪いを完全になくしてくださったのに、どうして感謝ではないでしょうか。皆さんの子どもたちは、福音の中でものすごい祝福を受けるようになるのに、どれくらい感謝することなのでしょうか。皆さんの子どもたちは、いくらよく育てても、霊的に一度攻撃されればほろびます。そこから、完全に解放されたのに、どれくらい感謝しているでしょうか。 ■まだ私の友人は精神療養院にいます。何十年目です。その友人はソウル大を出て、ハーバード大学を奨学生で行きました。イエスを信じることを無視したのです。しかし、模範生でした。教会にきても模範生だったので、信仰があるのかないのかよく分かりませんでした。米国に行って勉強して問題がきたのです。その時、狂ってしまったのですが、まだ病院にいます。怖いのです。暗やみが一度攻撃すると、抜けられないのです。実力もあって、性格も良いがやられてしまったのです。まだ病院にいます。今でも家族が難しいのにお金を持って行かなければなりません。だから皆さんの子どもが暗やみに一度攻撃されれば、永遠に行ってしまうのに、絶対にそんなことがない、そのような祝福を受けたのです。未信者は法事や先祖供養、お祓いをしないと直ちに問題がきます。私たちがどれくらい祝福を受けたのでしょうか。ある検事に伝道した時、検事が車一台買ったのに、奥さんがお祓いをすると言うので、知識人だから恥ずかしいと言いました。夜通し奥さんが、事故がおきたらどうするかと、お祓いをしなければならないと言ったのです。それで、夜中、悩んだということです。奥さんが、豚の頭を置いてお祓いをしなければならないからといって、夜に紙に豚の頭を描いて貼ってお辞儀をして行ったということです。 ■この程度に不安に思っているのです。皆さんはここから完全に解放されたので、感謝するほどではありません。これを悟った時、二番目に神様が私と一緒におられることを知るようになります。この時、また感謝が出てくるのです。4節を見ましょう。「まことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、イスラエルを選んで、ご自分の宝とされた。」皆さんは経験がないのでしょうか。未信者は法事をしなければ、直ちに問題がきます。悪霊が困らせるのです。イエスを信じる瞬間、そのようなことは終わったのです。何の問題もありません。証拠がどれほど多くあるでしょうか。未信者に証しすることは、いくらでもあります。神様を信じるということをどれくらい感謝しているでしょうか。インマヌエルの感謝をした後、何が出てくるのでしょうか。 ■ 7節に「主は地の果てから、雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。」これは何の話なのでしょうか。何でもないことにも感謝するのです。小さいことにも感謝するのです。稲妻が光るのも感謝して、太陽が毎日出る、それも感謝するのです。月を毎日見るのも神様に感謝するようになります。道を行く時に木の森を見ても感謝することになるのです。このようにすれば、健康が回復します。医師が証明しました。感謝ぐらい健康に良いものはありません。失敗する者の特徴があります。感謝を知らないのです。精神病患者の特徴も感謝を知らないことです。災いにあう者の特徴も、感謝を知らずに不信仰をして恨みます。他人の話をして恨むのです。このように時間を過ごします。失敗者の特徴です。なぜほめたたえたのか、この祝福を回復するように願います。 ■二番目です。ほめたたえよという意味が5、6節にこのようになっています。「まことに、私は知る。主は大いなる方、私たちの主はすべての神々にまさっておられる。主は望むところをことごとく行なわれる。天で、地で、海で、またすべての淵で。」このような話は何でしょうか。最初は感謝で、二番目に一人でいる時、信仰告白と祈りと味わうことです。これがとても重要です。一人でいる時、祈りができて、感謝して、味わって、賛美することが重要なのです。皆さんが個人礼拝を回復するように願います。そうすれば、みことばを体験できます。説教をいくら聞いても個人礼拝を回復しなければ関係がありません。個人礼拝の時、賛美してみましょう。個人礼拝の時、一人で祈ること、小さいことなのに答えはすばらしいのです。私は率直に個人礼拝知らない時は賛美を知りませんでした。昔に車を運転して行くと「麦畑」というポップソングが似合って、「よるべなきわれは」という賛美は似合いません。海に行って波の音を聞きながら「波の声が聞こえる」というポピュラーを聞くので、「悪魔と戦え」という賛美は合いません。私は賛美が合いませんでした。昔に、そうだったのです。ところで、個人礼拝を回復したところ賛美が私と合うようになりました。特別のことではありません。小さいことにどれくらい大きい答えを受けるのか分かりません。私は初めて教会にきて驚きました。私たちの勧士たちの願いが遊びに行くことでした。そのまま自分たちどうし行けば良いのですが、柳先生をお連れするのが願いだと言いました。それで一度は聞き入れて行きました。車に乗って行くのに、勧士の一人がきてバスの中では流行歌を歌ってはいけないかと言いました。私が内心、同じ気持ちだなと思って、そのようにしなさいと言いました。それが問題ではありません。私は驚いたのです。本当に上手でした。人には見せないようにしていたが、本当に上手だったので驚きました。特に、尹ドンヒ勧士はすばらしかったのです。敬けんに見える人でしたが、教会でも聖霊充満すると思えたのですが、どれくらいよく遊ぶのか分かりません。私がそれを話そうとするのではありません。この方たちが教会で賛美を歌う時の顔と、バスの中で流行歌を歌う時の顔を比較してみたら、流行歌を歌う時の姿がさらに恵みに満ちていました。教会で賛美を歌う時、しかめっ面をします。ある人々は4節まであると不満を言って祈ります。このように歌えなく、そのような状態で歌えないで、いつ賛美するのでしょうか。聖歌隊は、やむを得ずしなければならないのですが、私は賛美が回復しなかったのです。しかし、私が個人礼拝が回復した時、賛美が回復しました。神様の前にみことばをつかんで黙想するのに、そこで流行歌は私と合いません。その時、賛美を何でも歌うと合うのです。個人的に祈れるとすばらしいみわざが起きるのです。こうすれば答えがきます。他の人が知らない答えがくるのです。神様が私と一緒におられることを感じます。それを続ければ、他の人は受けられない唯一性の答えがきます。これが続くのが聖霊充満で、聖霊充満が継続されれば、世界変化が起きるのです。このように簡単なことなのに、のがしているのです。7回も主をほめたたえよと言いました。 ■三番目です。主をほめたたえよという意味は何でしょうか。2節に「主の家で仕え、私たちの神の家の大庭で仕える者よ。」と言われています。3節に「主の御名にほめ歌を歌え」何の意味なのでしょうか。公の礼拝で、神殿で得る祝福を言います。真の感謝が出てきて個人的な祝福を味わうようになれば、その次には礼拝が全部答えられます。この個人が答えを味わえば、教会にきて礼拝をささげるのに、1節に見ると「ハレルヤ。主の御名をほめたたえよ。ほめたたえよ。主のしもべたち。」と言われました。それでは、主のしもべと皆さんが献身することが、答えと全部関係があるのです。19節に「イスラエルの家よ。主をほめたたえよ。アロンの家よ。主をほめたたえよ。」と言われています。これは共に味わう祝福です。教会で一緒に働きをするのに、どれくらい祝福になるのか連結します。21節に「ほむべきかな。主。シオンにて。エルサレムに住む方。ハレルヤ。」と言われました。このようになれば、礼拝の順序が祝福を味わう順序です。私が賛美する時間は、神様がに栄光を帰して、聖霊が臨む時間です。主のしもべが代表的に祈るのは、神様が必ず答えて祝福される時間です。私たちがささげ物をするのは、経済の祝福を受ける時間です。説教を聞く時間は成就する神様のみことばを捕まえる時間です。このように答えがきます。難しくなくて、やさしいのです。負担にならず、どれくらいやさしいでしょうか。 ■必ずこのようにしなければならないかと尋ねることもあるでしょう。しなくてもかまいません。今までしなかったのに、なぜしなければならないのでしょうか。必ずこのように感謝を捜し出して、祈ってしなければならないのでしょうか。しなかったのに、なぜしなければならないのでしょうか。理由は一つしかありません。私と皆さんはいくら恵み受けても直ちに不信仰になります。それで、するのです。思い切り恵み受けても、話してまた不信仰になります。だから、少しだけでも答えを受けます。普通、いくら信仰生活を良くしているようでも、私たちの体質に行きます。それで、真の感謝を捜し出して、一人で真の祝福を味わえば、教会で答えを発見するのです。これが主をほめたたえる理由です。 ■結論を結びます。聖書66巻を根拠にして、皆さんにお約束できます。これを幸いに味わうように願います。今からしてみてください。メッセージを捕まえて一度だけ祈ってもかまいません。先週のメッセージが何なのかが分かります。みな覚える必要はなくて、一つだけ捕まえて祈ってもみわざが起きるのです。私は先週詩篇134篇で、主のしもべが夜に火を消さないでいたんだなあ、私たちも主のしもべが昼夜なく、主のしもべたちのために祈らなければならないと思ったのです。私はその契約を捕まえて私たちの聖徒個人と家庭に神様が力を与えられるように祈りました。それを一度したのに詩134篇は忘れないでいます。皆さんは一度もそれをしなかったでしょう。もし、これで一週間祈れば、すばらしいことが行われます。テープを買って繰り返してメッセージを聞いて礼拝したら、本当にみわざが起きます。私たちの教会にはたくさんいますが、伝道運動がずっと起きる人がいます。とても伝道をよくして、実がずっと起きます。夫の事業もうまくいって、子どももうまくいって本当に止まることがありません。それがすべてではないのですが、何か神様の働きが見えます。私がそのご主人に会って尋ねたのです。そうしたら、そのご主人が証しをしました。家内は聖日に行って牧師先生のテープをたくさん買ってきて伝道をするということでした。その程度でなく、一週間にずっとメッセージをつけておいて祈るということです。だから実が多いのです。皆さんが集まる時間がどれくらい貴重かわかりません。そのようにしなくても、メッセージ少しだけ捕まえて祈ればみわざが起きるのです。この祝福を楽しんでみることを望みます。そうでなければ、明日から忙しければ、今日だけ捕まえて祈ってもかまいません。私が真の感謝を回復しなければならないな、病気にかかる前に、老いる前に、力を得なければならない。一人で恵みを受けましょう。礼拝時間、聖日におきることは答えと祝福のうつわということを記憶しなければなりません。 ■最後にお約束することがあります。本当に問題を解決できる道があります。本当に答えを受けられます。どのようにすれば良いのでしょうか。どのように私が答えを受けるのでしょうか。教会堂も作って、RUTCも作らなければならないのに、どのようにみなできるのでしょうか。全世界の征服をどのようにするのでしょうか。簡単な方法があります。最も皆さんがうれしくて平安な気持ちで、24時間祈りを味わいましょう。神様は24時間、火を灯して皆さんに答えておられているのです。市内に行ってみれば24時間マーケットがあります。そこでいつも物を買うのではありません。しかしマーケットは24時間開けています。米国でも韓国でも24時間マーケットがない町は死んだ町です。24時間マーケットがある町が高い町です。神様は私たちに24時間答えておられるので、24時間安らいで祈りを味わうことを望みます。皆さんしてみましょう。何でもないのですが、すばらしいみわざが起きます。顔を洗いながらも、祈りの祝福を味わうのです。私のすべての霊と肉に健康を回復させて下さい。祈れます。食堂に座っても祈れます。どれくらい重要な時間なのでしょうか。私の中に病気になっていることがあれば、この食べ物を食べて癒されるように。全部祈りです。それも大変するのではなく、安らぎをもってすれば良いのです。そうすれば、皆さんにすばらしいことが起きます。一番最初にくるのが健康です。その次に現場に行ってみれば答えが来ています。神様は24時間答えられるのです。それで、主にほめ歌を歌え、ほめたたえよと言われています。皆さん、どんな問題でもこの契約を捕まえれば解決されるでしょう。今日一日でもすばらしい力を得る祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。一日中、神様のみことばを味わって、健康も回復することを希望します。一日中、神様の祝福を味わって、皆さんの問題が解決されることをイエスの御名でお祈りします。 <<契約の祈り>> 神様に感謝します。主をほめたたえます。心より感謝します。私たちの個人が一人でいる時間にも、ものすごい祝福を味わうようにさせて下さい。今日一日中礼拝する間、神様の恵みがすべての聖徒にあふれ出ますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン 2部/福音手紙十回目の出会い−祈ればなぜいやされるのか
(マタイ4:14〜17)
■今日は献身礼拝でもあります。教会生活をしてみると、やや下手すると、することも多くて、献金することも多くて、お知らせも多いでしょう。やや下手すると試みにあいます。ところで、試みにあう人は、その上に信仰が大丈夫である人で、ある人は全く聞かなくて知らないふりをして通り過ぎるのです。ところで、これが祝福になるようにする道があります。献身が何なのかを分かれば良いのです。献身が何かわからなければ、違うようにするようになります。とても重要です。牧師先生は、どんなことが献身なのでしょうか。牧師と教役者が多いのですが、どのように献身するのが良くすることなのでしょうか。牧師、教役者、全部同じようなものなのですが、どのように献身するのが良いのでしょうか。それを知らなければ困ります。それで、牧師先生は、神様の民に、どのようにすれば神様のみことばをよく伝達するかが献身です。それで、私がしようとすること、私の目的のとおりするのではなくて、どのようにすれば、この人々に神様のみことばのみことばがよく伝えられるか、この献身をすることが重要です。他のことをみな良くしても、これが良くできなければ、良くできないのです。それが献身です。献身すること、この部分をみなのがせば、みなのがすのです。 ■将来は、このようにしようと思っています。昨年はレムナントの集いをして1万人くらいでした。ある日、また何万人か集まるでしょう。それで、レムナントの集いをあちこちに移してするのです。今回はワシントン、今回はボストン、このようにどんどん動くのです。それでは10万人ぐらい集まれば、どのようにするのでしょうか。レムナントが一地域に10万人が集まることは可能です。今、フィリピンに30万人集まります。公園で格別なことではないことするのに30万人が集まります。それではどうなるのでしょうか。一般の団体、国家でもニュースの種となります。今年はタラッパンでレムナントの集いがワシントンである。こうすれば米国の警察がワシントンに総出動をしなければなりません。今年はモルモンのチームがたくさん集まっているその地域に行く。このようにしていくのです。何の話なのか分かるでしょう。これがタウン集会です。ところで、今年、タウン集会をするというので、昨年に1万人が登録をしたのに、今年は五千人が登録しました。それで、なぜそうなのかと聞いたところ、どうせ柳先生の顔を見られないのでインターネットで見るということでした。私がそれで今回、インターネットで出さないようにと指示をしました。色々な所、タウンで説教をするのに、どこで柳先生がするのか尋ねる人が多いのです。これが何の話なのかしたところ、これからタウン集会を持って世界文化を変えようとする、ものすごい神様の計画を見られなかったことなのです。そうなると、皆さんの献身がいつも違った献身になります。苦労だけして違った献身になるのです。それで、今回、強く主張しました。はやく締め切りなさいと言いました。一週間さらに延長しろということを、はやく締め切りなさいと言ったのです。今年少なく集まったとしても、レムナントを教育させなければなりません。レムナントは、どんな状況でもついていかなければなりません。それで福音教育ですが、私の胸中に、レムナントはどこへ行っても死なないと思います。それを教育させようとするのです。レムナントは言い訳がありません。レムナントは砂漠に行っても生き残ります。それを私が目標にするのです。それと共に、レムナントが動く所ごとに伝道運動が起きます。それに気づくのが献身です。だから、すでに皆さんがよく知らずに行っているのです。それで来年には、より大きくタウン集会をして、レムナント・タウン集会を動かす所ごとに大きなみわざが起きるのです。昨年にも光州でレムナントが集まる時、光州にいる警察が全部総出動されました。今後もレムナントらが何十万人が集まれば、これがニュースの種となります。 ■米国でブロードウェーに行ってみました。ミュージカルをするのに、私が入ってみたら一杯になっていました。ところで、少し私たちが遅く行ったのです。およそ1分くらい遅く行ったのです。駐車をすると1分程度遅れたのですが、1分遅れたと私たちを別に待てと言われました。それで私たちが学校に通っていた時、遅くきて罰を受けるように立たされました。そして後ほど配置をさせました。そのブロードウェー劇場が一杯になっていました。そこは、お金も高いのです。同じミュージカルを10年間しています。内容も同じ、レ・ミゼラブルを10年間していました。今、私たちがレムナントが頂上に立つ時まで私が押すのです。私たちのレムナントが英国、米国こういう大きいところでレムナント・ミュージカル団として招かれる時まで押すのです。不可能ではありません。今すでに音楽、芸能の部分の天才が集まっています。今回も、音楽のレベルが、他の未信者が、レベルが高いと評価しました。そのまま皆さんが今、賛美をしているのですが、皆さんが賛美をすれば、座っている人は知りません。それで、だいたい恵み深くすれば良いでしょう。それで、聖歌隊の練習をする時も、争いもせず、だいたい恵み深くすれば良いのです。ところで、音楽専門家は聞けば分かります。それで音楽の専門家たちが今私たちのミュージカルチームが出て行けば分かるのです。それで1年一回をずっと押しているのです。皆さんが今することが多いのですが、どのように献身するべきでしょうか。チケットを一枚買えば良いのです。これが今、世界の音楽界をひっくり返す献身です。何の話なのか分かるでしょうか。ところで、すでに今、契約の旅程は昨年にした、という話を聞きます。まだこういうレベルなのです。それで、祈りの答えをこれで受けるのかと思われるので、皆さんが今まで生きているのが恵みです。 ■人は、献身か何か分からなければなりません。そして、皆さんが今、世界宣教をしています。皆さんが一つの国に祈りの課題をおいて参加すれば良いのです。行かなくてもかまわないのです。皆さんが祈りで参加すれば、それが宣教です。皆さんを今、アフリカに連れて行けば暑くて死んでしまうでしょう。それで、そこまで行かずに祈りで助ければ、それが宣教に参加することです。そうするうちに、祈りの課題として、我が家で宣教師1人を派遣する程、神様が祝福を与えて下さい! ということが祈りの課題になって、神様が願われる祈りとなるのです。全く難しくありません。献身が何か分からなければなりません。献身が何かわからなければ困ります。私たちはこれから役員をたくさん立てようとしています。何のために立てるのでしょうか。役員の献身とは何でしょうか。3つだけできれば良いのです。一つの地域で伝道弟子を集められる人。それが聖書にあることです。一つの地域でレムナントを集めて文化運動ができるほどの教会施設。そして、他の人、教会に助けを受けるのではなくて、本教会の宣教を助けられる経済力を集められる場所。それになれば、役員になることができます。それが献身です。何の話なのか分かるでしょうか。地域に伝道がなるようにするのです。他人に助けを受けようとするのではなくて、宣教をするようにしようと教会を押すのです。そこで、皆さんがレムナントを集めて文化の働きをするのです。それが献身です。それが聖書に出てくる献身です。それを知らない献身、違った献身は、いくらしても効果がありません。今、大部分の多くの教役者や役員が、地教会が何かわからないのです。もし、皆さんのような地教会があれば、私たちのようにこういう宣教運動をすれば滅びてしまいます。地教会を1万カ所2万カ所を立てておいて伝道運動が起きてこそ世界宣教になるのに、1万カ所、2万カ所で助けてくれと言えば、どのように世界宣教になるのでしょうか。なっても、ならなくても、私が役員ならば、このようにするでしょう。一つの地域で、とても重要な地域に入っていくでしょう。そこで、祈りの答えを受けられる弟子を集めるのです。そこで、なぜ地教会を作るべきなのでしょうか。平日にレムナントを生かせる文化の働きを作らなければなりません。それで、祈りの答えを受けた私たちの間で集まって、力を集めて、本教会が世界宣教をするように押すのです。どれくらい素晴らしいでしょうか。こういう場所が1万カ所あれば大きなみわざが起きます。これが献身です。だから、献身が何か分からなければなりません。一般の人々も私たちが生活する中で必ず必要があるのに、それをするのが献身です。それで、皆さんがこれをするのに健康が必要です。今日、神様が皆さんに健康の祝福を与えられるように願います。 ■皆さんが何もしなくて、一生懸命にお金を集めたが、病気になれば終わりです。皆さんが病気にならなかったのが、どれくらい祝福なのかを分からなければなりません。神様が皆さんに健康をくださるように望みます。全羅道にいる牧師が、肝臓が良くなくて手術をすべきなのに、お金が千二百万円かかるということでした。だからお金がなければできないのです。皆さんがいくらがんばっても、健康が良くなくて捨ててはいけないのです。皆さんがいくら出世をしても、健康が良くなくて病気になれば、何の効果もありません。皆さんが献身をしようとしても、健康が必要です。今日、皆さんで病気になった者は、癒される祝福があることを希望します。祈ればなぜいやされるのでしょうか。これよりさらに重要なことがあります。皆さんが本当に神様に祈れば病気になる前に、あらかじめ病気に勝てる力を神様がくださいます。聖書には、癒しが約束されています。主にさわった者は、みな癒されたとなっています。マルコ福音6章56節。マタイの福音書8章17節には、私たちの弱さを担って、病気を担われたと言われています。今日、病気になっている人は癒されるように、健康な者は病気にかからない祝福があることを希望します。イザヤ53章5節に、私たちの弱さを癒すのに、彼の打ち傷によって私たちが癒されたと言われています。それで、皆さんに神様の計画はありえるのですが、病気は神様のみこころではありません。病気は神様の計画を成し遂げられるだけであって、それ自体が神様のみこころではありません。神様のみこころは、皆さんが健康に生きることです。神様のみこころは、皆さんが病気の中で生きずに勝利するように願われています。 ■それでは、病の原因はどこからくるのでしょうか。もちろん、私たちが過労、失敗、伝染、自然的なこともあります。しかし、私たちはこういうものを言うのではなくて、聖書で明らかにしている重要な3つの原因があります。私たちが老いて病気にかかるということをいうのではなくて、聖書に重要な原因三つがあるのです。最初は一番初めに病気が罪によってきました。今でもそうです。先祖の罪、原罪、これのために私たちに病気になってきたのです。一番初めに原罪のために病気になってきました。創世記3章のために入ってきたことが確実です。そして、両親が偶像崇拝をよくする家は、霊的な問題もきて、病気がたくさんきます。そして、一般的な自然的な病気もあるのですが、聖書を見れば、悪魔、悪霊がもたらす病気も確かにあります。マルコの福音書5章に、おもに精神を狂うようにさせます。また、心に病気をもたらします。環境を変にさせたりもします。おもに神経のような精神側に病気をたくさんもたらすのです。そして、Iコリント12章を見ると、神様のみこころがある病気もあると言われています。これはさらに重要なのです。神様のみこころを捜し出さなければなりません。このように、病気は私たちに重要なことを持ってきたりもします。このような時、誤った癒しをすればどうなるのでしょうか。より大きい問題がきます。医師と薬剤師から助けを受けなければなりません。ところが、無条件にこれだけに依存してはいけないのです。なぜなら、原罪と霊的な問題から来る病気もあるのに、無条件に薬だけ頼ってはいけないのです。ここに医師、薬剤師がいるなら、分からなければならないことですが、人には肉的な病気が先にきたのではなく霊的な病気が先にきました。最初の医師がこういう話をしました。医師が霊的なことを知らずに肉体的なものだけ癒すのが最も大きい失敗だと話しました。とてもこれだけ依存してはいけないのです。ある人は、これをとても無視する人もいます。今回の機会に話すのですが、良いからと、あまりに何でもかんでも飲まずに、医師が言うとおりにしてください。 ■私の場合には、医師が言うとおりにします。朝は何を飲み、何の薬はいつ飲むのか決まっています。それで秘書が作って持ってきます。ぴったり合わせてくれます。ところで、ある人は、ビタミンを一握り握って飲みます。そして、韓国の人々はからだに良いならば無条件に食べます。私が知っている牧師ひとりは、健康だったのですが、中国から持ってくる薬が良いから飲んで、すぐに倒れて1ケ月で肝硬変で倒れて死にました。韓国の人は良いといえば何でもみな食べます。良いといえば何でもいろいろなことをみなします。それで、世界に出て行けば飛び交う言葉が韓国の人が過ぎ去れば、生き残るものがないということです。町中に入ってきたら、酒場を作って動物をみな捕まえて食べます。レベルが高くならなければなりません。それで、ある牧師が私を見て、ある所へ行けば血を抜く所があると言うのですが、行かないでいます。無条件に行って抜いてはいけないのです。今回、私が少し忙しかったのですが、木曜日は一般信徒夫婦セミナーがありました。その講義をするために夜に出発をしました。木曜日に講義をしてソウルにきて、また講義をしなければならず、私が水曜日の夜に到着をしたのですが、時間が一時間残っていました。それで、秘書にこれから釣りに行こうと言いました。そうしたら、その日、私の生涯で一番大きいものを釣りました。インターネットに載せてあります。ものすごく大きかったのです。ところで、そばの人々が一日中釣っていたのに、大きいものが釣れないと見て、神経も使わないで行ってしまいました。それを釣ったのですが、どれくらい大きいのか、上げることができないからすくい上げなければなりませんでした。それで、伝道師が降りてきて捕まえたのですが、針が指にささってしまって抜いたのです。つり上げたら、どれくらい大きいのか、魚は釣る人がおもしろいでしょうか、見る人がおもしろいでしょうか。してみたことはありませんか。釣る人がおもしろいのです。ところで、釣った人が興奮するのでしょうか。見る人が興奮するのでしょうか。見る人が興奮するのです。それで、私が釣ったのに、そばで興奮して大騷ぎが起こりました。それで、それをつかんで持って行こうと入れ物に入れたのですが、どれくらい大きかったのか入りませんでした。それで、全部、写真を撮って、秘書も全部、自分が釣ったように写真を撮りました。ところで、その良いものを釣って、私が専門的にチェックするために医者に電話をしました。もちろん秘書が電話をしたのです。牧師先生がものすごく大きい魚を釣ったが、それを食べてもかまわないのかと尋ねたのです。食べてはいけないと言われたら、他の人に与えるべきだったのですが、幸いにも、医師が食べてもかまわないと言いました。それで、煮て食べたのです。からだに良いのです。それでも、それも医者に尋ねて食べました。皆さんがとても医師を無視すれば、それは無知な人です。可能ならば、医師、薬剤師が話すにとおりに食べてください。科学的にそのようにしなければならないのです。 ■しかし、信仰もみな捨てて、ただ薬だけ探すのはやめようということです。私たちは霊的な問題があるのに肉体だけ見つめて行ってはいけないのです。そこで解決しないから、おかしな宗教、迷信、グッ(降霊術)で解決しようとすれば、さらに困難がきます。ひとまず治療されること以前に、癒しの順序から記憶しなければなりません。まず霊的な癒しが必要です。皆さん必ず記憶しなければなりません。病院にいるすべての人も、医師の話をよく聞いて、霊的な癒しを先にしなければならないのです。医師、薬剤師も良くて正しい薬を供給するのですが、霊的な力を先に与えなければなりません。そして、憎しみ、ねたみ、各種の罪に陥っていれば解決しません。これをみな抜け出さなければなりません。それと共に、私たちに環境がどれくらい重要なのか、これから解決しなければなりません。皆さんの家が偶像崇拝、不和、けんかをしているのに、こういう病気が癒されません。こういうものを整理した後に、その時から正しい物理治療をしなければならないのです。これが順序です。私たちは癒された後にも、信仰の行為が重要です。なぜか、信仰ということは、ものすごい結果をもたらすからです。そして、私たちは本当に神様の前で感謝しなければなりません。私たちは神様の子どもになっただけでも、感謝ですが、霊的にものすごい祝福を受けたのです。そして、私たちは証人の生活を送っているのです。 ■今日、ここで皆さんは重要な結論を出さなければなりません。祈ればなぜ病気が癒されるのでしょうか。重要な理由です。祈りをするのに、どうして病気が癒されるのでしょうか。肉体的な治療もしなければならないのですが、祈る時、重要なことが起きる理由があります。皆さんが祈るようになる時、すばらしい聖霊充満が起きるから、霊的な存在がすばらしい働きを起こすようになるのです。皆さんが霊的な力を得て祈るようになれば、ものすごい霊的な部分に癒しが起きるのです。それで祈ればみわざが起きるのです。そして祈れば実際に悪霊が離れます。すべての病気はみな悪霊につかれた病気という訳には行かないのですが、すべての病気は創世記3章から来たことが確実です。それで、医師、患者も用心しなければならないことが、医術のとおりですが、霊的な部分から先に解決しなければならないのです。ところで、時々、霊的な問題から来る不思議な病があります。こういうものは、祈る瞬間にすぐにみわざが起きます。そのような場合がとても多いのです。おもに精神が狂った人々を見れば、突然に精神が狂う人々は、イエスを受け入れれば、解決されてしまいます。皆さんが聖霊充満を受ける時は、すばらしいことが行われるのです。皆さんが聖霊充満を受ければ、たましいが生き返って、肉体が生き返るから、すばらしいみわざが起きます。私たちがとても驚いてしまえば、どうなるのでしょうか。皆さんがとても驚けば、心臓とかの重要な部分が衝撃を受けるのです。皆さんがとても恐ろしければ、神経にひどい衝撃を受けます。反対に、皆さんがとても感謝してうれしいことが起これば、どうなるのでしょうか。皆さんが力が生まれることが起こればどうなるのでしょうか。それと同じように、たましい、肉体にすばらしい力が現れるようになります。それで、霊的な力ができれば、ここから五つの力が現れるようになるのです。今日、皆さんは他のものはみな医師の話を聞いて、一つ体験をすれば良いのです。皆さんがイエス・キリストの御名で何の力も必要なく信じる者は、ナザレのイエスの名前で答えられるようになっています。皆さんが定刻祈りの時間に、家系にとても重要な部分をイエスの名前で祈れば、それが答えになったり、重要なみわざが起きます。 ■私は昔に断食祈祷をよくしなければならないと思ったが違います。今日からイエスの御名でしてみてください。皆さんの病気にかかった部分があれば、イエスの御名ですべての病気は癒されるように。皆さんの家系に流れる霊的な問題は、イエスの御名で崩れるように。すべての弱さはイエスの御名で癒されるように。確かにみわざが起きます。霊的な存在は、皆さんの信仰を分かるから、皆さんが信じる時にみわざが起きるのです。皆さんがイエスの御名で健康を回復する体験をするように願います。皆さんがイエス・キリストの御名で、皆さんの家系、個人にある霊的な問題が全部崩れるようになるように願います。皆さんが定刻祈りの時、イエスの御名で霊的戦いをするようになれば、必ずみわざが起きるようになっています。信じることを希望します。必ずみわざが起きるようになっています。私が影島にきてずっと回りながら、イエスの御名で我が家の上にムダン(霊媒師)の家があったのですあ、イエスの御名で祈りました。まちがいなく、みわざが起きるようになっています。私たちが受ける祝福、権威がどれくらい大きいかわからないのでしょうか。昔に湖南地域に復興集会に行くようになったのですが、昼間に行って時間があったので、一度、川岸を歩くようになりました。ある人がグッ(降霊術)をしていました。男1人を座らせておいて、グッ(降霊術)をするのに、長くしてとても具体的でした。ひとまず、この男を置いておいて、女がしばらく音楽をかけて声を出しながら走っていました。それで、私が見ていて、あのようにすればみわざが起きると思いました。そして、刃物を取り出して刀の舞いを踊りました。男を刺すのではなくて、ひくようにしばらくしていたのです。私は静かに見ていたのです。その時、何人か私たちのチームといました。突然、この女が私たちの方にきたのです。そして、なぜここにいるのかと尋ねたのです。それで、なぜかと尋ねました。すると、その女が私たちがここにいるので霊が来ないと言いました。そして、違う所に行ってくれと言ったのです。来るはずがありません。それで、私たちはすることしているので、あなた方が違う所に行けと言いました。この人たちは、霊を受ける場所があるのです。それで、私が一緒にいる牧師に行かずに最後までいようと言ったのです。 ■皆さんは、イエスを信じる人が受ける祝福がどれくらい大きいかわからないでしょう。ものすごいのです。ナザレのイエス様の御名で権威を与えられました。今日、皆さんが回復して使うことを希望します。定刻祈りの時、祈るように願います。定刻祈りの時、霊的な戦いすれば、すばらしいことが行われます。それで、祈れば病気も癒されるのです。 ■結論を結びます。皆さんが今から重要な3つの発見を継続しなければなりません。何を発見すべきでしょうか。皆さんが礼拝をささげる時ごとに、すべてのことがある時ごとに、すべての事件がある時ごとに、発見しなければならないことが一つあります。神様の働きです。これが目に見えないことですが、これを発見しなければならないのです。今、全世界のレムナントと共に一般信徒宣教会が集まっているこの席で何を発見するべきでしょうか。今、地球上で国会議員が集まったより、この時間が重要な時間です。その人々が見る時は何の話かわからないが、確実です。なぜなら、いつでもここに聖霊が働かれるのです。これをいつも発見しなければなりません。そして、みことばの体験をしなければなりません。みことば体験が重要です。皆さんは直接起きたことはないでしょうが、直接でなくても、必ず伝道運動が起きる部分を体験しなければなりません。これを聖霊充満と言うのです。皆さんが今からこの三つの発見だけ継続すれば、聖霊充満するみわざが起きるので、勝利します。これを一人でいる時、定刻祈りに連結させましょう。今日1部の時に話したでしょう。この2つを持って皆さんが聖日礼拝に連結をさせましょう。まちがいなくみわざが起きます。皆さんが今まで献身が何か知って、神様の前に新しい力のみわざが始まります。今日、病気が全部、いやされるようになることを希望します。私は昔に錯覚をしました。祈りをたくさんすれば癒されるのではなく、信じればすぐに癒されます。なぜイエスの御名で祈るのかと錯覚をするのですが、体験をしてみてください。確かにきます。それで、ヨハネの福音書14:10わたしの名で何でも祈れば答えると言われました。金銀は私にないが、私があるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名で起きて歩きなさい。それで、祈りは私が神様に向かうのも祈りですが、権威を使うのも祈りです。皆さんが定刻祈りをする時、経済も、皆さんにあるすべての貧困はイエスの御名で縛られるように。 ■定刻祈りをしてみてください。答えがくるようになっています。私は昔にだまされました。信じる人々が違った話をしたので、だまされたのです。山に行って祈りをして賜物をもらうものだと思っていました。それは他の話です。それは、それを持って専門的に働きをする賜物を言うのです。すべての信者に祈りをすれば答えを受けるようにされました。またある副牧師が自分が力を受けたのを証ししたのですが、信仰ができるのではなくて悩みが生じました。40日断食祈祷を2回したと言いました。私は40日祈りを2回といえば絶対に生きられないと思ったのです。私は最高に長いのが3日だったのですが、3日食べずにお腹がすいて死ぬと思いました。神様の考えは出ないでラーメンの考えだけ出ました。それでだまされて断食祈祷する所に行ったのです。名前は言いませんが、この人は有名な牧師でした。断食祈祷をしてまたするということでした。それで略歴に40日断食祈祷2回した人と出ていました。どれくらい祈りをよくしたのか、声も非常に低くてすごかったのです。それで、以前に私が仕えていた牧師とその人が祈りに行ったのです。なぜなら、私たちの担任牧師がだまされて一度してみるといって行ったのです。見たところ部屋の後にキムチのスープを一つ置いてありました。それで何かと尋ねたのです。それで、何かと尋ねたところ、健康のために断食はするが、キムチのスープを飲みながらすると言いました。それで、キムチのスープを飲みながらすれば500日もできると思いました。それは、栄養がものすごく多いのです。ところで、聖書を見ると違います。私たちが聖書を見ないのです。聖書を見るとマタイの福音書10章1節に、初めから弟子に権威を与えると言われています。初めから、わたしがあなたがたに悪霊を追い出し、病気を癒す権威を与えると言われています。マルコ福音3章15節に、悪霊を追い出す権威を与えると言われています。それを見て、私が神様の子どもなので、それが正しいと思ったのです。これで全く体験がなかったのですが、みわざが起きました。誰でも祈りの答えを受けられるのです。 ■今日、この体験が始まる祈りの答えの大きい奥義が起きるように願います。今日、その中に皆さんのからだにあるすべての病気に勝てる祈りが始まることを希望します。お祈りします。皆さんの胸に手をあてるように願います。難しいことは一つもありません。これは信じると大声で叫ぶ必要もないのです。皆さんが重要なことを置いて祈ることを希望します。今日は2つだけ祈ります。私にある病気、私にある知らない病気まで私たちの家庭にある問題、すべての暗やみはイエスの御名に癒されるようにして下さい。これが最初の祈りで、もう一つは、本当に宣教する家庭になるように、宣教する事業がなるように神様が祝福して下さい。一般信徒宣教会に参加して、宣教する家庭を子孫代々、この祝福を味わうようにさせて下さい。特に病気、すべての呪いはイエスの御名で離れるように、この祈りをすれば良いのです。共に心の底から、あるいは安らかに1分間祈りましょう。 <契約の祈り> 全能なる神様、今日、インマヌエル家族とタラッパン家族と全世界にある使命者が、万王の王なる主イエス・キリストの御名で救われて、今日この祈りに参加するようになりました。私たちに正しい信仰を与えてください。私たちの確信もでもなく、私たちの体験でもなく、私たちの力でもなく、ただイエスの御名で神様の子どもとなった者の祝福を回復する時間になるようにさせて下さい。ナザレのイエスの御名にすべての病気が癒されるようにして下さい。家系の問題がイエス様の御名で解決されるようにさせて下さい。医術も必要ですが、医術でできない霊的な問題がイエスの御名で癒されますように。宣教するほど、主のしもべの家庭を祝福してくださり、世界宣教するほど事業を祝福してください。世界宣教するほど、子どもを祝福して下さい。神様に感謝します。今日、世界宣教の門が開く当然の祝福の門を与えて下さい。私たちの家系の問題が私の個人の問題が、イエスの御名で癒されますように。私達が知ることができない病気、すべての悪いことはイエスの御名に癒されますように。私たちのレムナントと私たちの子孫を刺激する暗やみはイエスの御名で縛られますように。信仰の目を開かないようにする、すべての暗やみがイエスの御名に離れるように。福音を防ぐすべての組織、すべての団体はイエスの御名で崩れるように。今日、神様に栄光をささげる大きい力を得る日になるようにさえて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン |