2007年9月16日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部/契約の神様
(詩147:1〜20)
■ある長老が証しをしました。幼い時から自分は教会に通っていた信徒だったということです。しかし、一度も祈ってみたことがないと言いました。世の中に出て行って祈らなければならない立場でなく、努力しなければならないためだということです。その方は祈らなかったのに、とても成功したのです。自分は社会生活をがんばって、信仰生活をしなかったのに、神様が将軍にしてくださったということでした。そして、この方は長官もしたのです。そのようなある日、重要な事故が起きたということです。一次で死刑宣告を受けたということです。その時、この方が初めて祈ったということです。その人のお母さんがそれまでは、まったく自分が長官いなった時も来なかったのに、刑務所にいたら来たそうです。一言だけ言って帰ったということでした。あなたが神様の恵みを受ける機会だと話したということです。その言葉が自分に初めてあたってきたということです。それで、本当に祈りを始めました。今まで自分が成功したことは、みな神様の恵みだったのに、知らなかったと悔い改めたということです。刑務所でどれくらい祈りをよくしたのか、本当に奇跡が起こりました。国家機密だから話をすることができない程の重要な事件が起きたのでした。その方がその事件のために解放されて回復したのでした。今は長老として、証しをして伝道だけしています。今日、詩篇147篇を見ると、神様の御手に全てがあるとなっています。ここに見ると、2節から、主はエルサレムを建てイスラエルの追い散らされた者を集める。主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。8節に神は雲で天をおおい、地のために雨を備え、また、山々に草を生えさせとなっています。9節に獣に、また、鳴く烏の子に食物を与える方と言われました。17節に主は氷をパンくずのように投げつけると言わています。神様は風も吹くようにすることができるのです。そのみことばです。 ■いったい詩篇147篇は、何の詩なのでしょうか。イスラエル民族がバビロンの捕虜から戻った後に、ハレルヤソングで礼拝の時、歌ったということです。皆さんに一番必要なことはお金ではありません。まず神様の力を体験すれば、そのお金はその次のことになります。今、人間に一番必要なことは、本当に神様が共におられるという恵みが必要なのです。ところで、人々がこれを悟れないで苦難の中で悟るのです。それが残念です。イスラエル民族が悟れないで、捕虜なって死ぬような苦しみにあって、その時になってやっと悟ったのです。本当にこれが問題です。あらかじめ悟れば良いということです。 ■お金をいくら集めておいても、皆さんのことになりません。それを知っている人が子孫を育てて、献金もして、宣教もするのです。皆さんがいくら仕事を熱心にしても、ご飯を一日に三回以上食べるのは難しいのです。私は四回食べます。お腹がすいているためです。ほとんど、それ以上食べるのは難しいでしょう。人々が、すごく儲けたら、たくさん食べると思うのですが、たくさん食べてみても、肉だけが増えて特別なことでもありません。大部分の人生を少し暮らしてみた方々は、そのような経験があるでしょう。神様の恵みではなければ、良くありません。それが人間です。 ■私が、ある長老が農場をする所に行ってみました。その方は木も植えて、動物も育てていました。行ってみたら、豚がたくさんいました。豚を育てるのを見てびっくり驚いたのです。豚が水を飲むのに、単に飲むのではなく、水道の蛇口から水を出します。世の中が発展したので、豚も発展しているようで、びっくり驚いたのです。どのように飲むのかと思って、行ってみたら、押せば水が出てくるようになっていました。豚が押しながら水を飲むのでした。長老に、どのようにあの豚が押せば水が出てくるかが分かるのかと尋ねました。冗談を言われると、長老が言ったことばが、豚は食べることには天才だということです。水を飲んで鼻を離せば水が止まるということを分かって行動していました。それを見ながら、豚も時代について発展をするんだなと思ったのです。 ■以前、私の家には犬がたくさんいました。犬がどれだけ賢いでしょうか。私は犬が嫌いです。放しておくてと汚らしくて、毛も飛んで嫌いです。可愛い犬1、2匹なら良いのですが、それを放しておくと汚らしいのです。一時、私の家の広場に犬が五匹、七匹いました。それに子を産むので、さらに多くなって、私の家が最悪の状態になったのです。私が祈りをしたのです。定刻に祈る時、あの犬をなくしてくださいと祈るほどでした。騒々しかったのです。犬がどれくらい賢いのか、私が犬を嫌うことが分かります。私が行くと、犬が尻尾を隠して小屋にみな入りました。私の娘は犬が好きだと知っていて、娘がくれば犬がみな出てきました。さらに恐ろしいのは、靴音を聞いても分かるのでした。門に入ってくる前に、どのように誰なのか分かるのでしょうか。私の靴音を聞いて犬は小屋にみな入りました。これくらい犬が賢いのです。 ■私は今まで数十年、信仰生活したのですが、犬と豚が礼拝を行うのを見たことがありません。いくら優れた動物も礼拝をささげられないのです。人間だけが神様を知るようになっているのです。確かに神様が与えられる答えを受ける人は違います。皆さんが受けなければならない祝福の中で、一番重要なのがこれです。神様が本当に私とともにおられるのだな、この祝福を受ける人は確かに違います。その人は人を見る目も違って、お金見る目も違って、話すことも違って、関心も違って、みな違うのです。 ■この体験ができなければ、未信者と全く同じです。聖書を見れば、神様の恵みを悟った人が三種類ありました。大きい困難にあった後に必ず悟る人がいます。80年、苦労してモーセが悟りました。数十年、苦労してアブラハムが悟ったのです。21年、苦労してヤコブが悟りました。ところで、ある人は、神様のみことばを聞いてすぐに悟りました。ヨセフ、ダビデのような人です。そのように困難にあっても、悟れない人がいます。仕方ありません。 ■今日、皆さんが聖書のみことばを見ながら、いくつかの教訓を必ず捜し出さなければなりません。今日、イスラエル民族が捕虜から戻って歌った歌です。バビロンの捕囚から戻った時です。今日、皆さんが大きい祝福を受ける時間なのですが、神様のみことばの中で、この教訓3つを捜し出さなければなりません。これを捜し出せなければ、神様のみことばをたくさんのがすようになります。人間でも対話をする時、話が通じてこそ多くことを得ることができます。人どうし話しても、話が通じる人がいます。私が重要なことを合うように祈って、重要なことを要請をしたりもします。一軒に暮らす兄弟も、話が通じる兄弟がいます。神様のみことばをわかってこそ、みわざが起きるのです。今日、この本文の中で大きい教訓3つが何でしょうか。 ■全国にいる家族が、このみことばを聞きながら、みことばの祝福を受けるようになることを望みます。蔚山に来てみたら、多くのことが変わったようです。蔚山は、来る時ごとに大いに変わります。前に見たら、席も空いていたのですが、席も満杯になって人々の雰囲気も恵みを受ける雰囲気です。また、皆さんが土地も買ったというのですが、人がしたことでなく、お金があっても買うのではありません。今、大韓民国で70%が土地なくて建物なくてさ迷っています。多分、皆さんが建築もするようになれば、さらに多くの働きが始まるでしょう。皆さんが多くの祝福を受けたのですが、皆さんがみことばをよく捕まえて、より大きい力を得なければなりません。 ■最初の教訓が何でしょうか。神様を分かれなければ、誰でも失敗してしまいます。その証拠が、イスラエル民族を引き連れて行ったバビロンです。知っておられるでしょうが、そこに対する証拠を確かに捕まえて、恵みを受けなければなりません。イスラエル民族がエジプト、ペリシテ、バビロン、ローマに捕まって行きました。エジプトは今、どうなのでしょうか。今のエジプトです。どうなったでしょうか。イスラエル民族を困らせたペリシテはどうなったでしょうか。今、その辺境で戦争を起こして、土地も占められずにいるパレスチナです。神様を信じないで神様に対抗したバビロンは、今のイラクです。神様に対抗して強大な力を自慢したペルシャはどこの国でしょうか。今のイランです。その国が全部、おかしくなりました。偶像崇拝を最もよくするようにさせたインド、タイなどの国が今どうなのでしょうか。私たちは確実な証拠があります。神様はいないと70年間、話した共産主義は今どうなのでしょうか。皆さんが行ってみたでしょうが、みじめなほどです。確実な証拠があるのです。神様を知らなくては、どんな人間も幸せになれません。みな嘘をつくのです。 ■米国大統領出身の人々が、ほとんどうつ病になって苦しめられるということです。私は直接、見たのではなく、インターネットに出ていました。米国の前職大統領を過ごした人々が、このようにうつ病になって、苦しんでいるということです。そうでしょう。年を取っている人は知っているでしょう。とても有名だったマリリン・モンローのような人が、なぜ薬を飲んで死んだのでしょうか。皆さんがそんなに好きなお金、マリリン・モンローはいくらでも持っていました。皆さんは、みなお金が好きです。マリリン・モンローは、一度、広告に出るのに、皆さんが一生もうけるお金を受け取っていました。映画に一度出演すれば、一生、食べていくことができました。その程度の人気女優なのに、なぜ死んだのでしょうか。突然死んで、病院で解剖してみたところ、お腹の中に睡眠剤がいっぱい入っていました。まだ答えがありません。自殺をしたのか、だれかがたくさん飲ませて殺したのか、まだ分かりません。明らかなのは、幸福なく、霊的な問題に苦しめられていたのです。 ■ 20世紀を揺さぶったエルビス・プレスリーという歌手を見てください。20世紀音楽を変えた人です。記録を見れば、エルビス・プレスリーが、ヨーロッパに行くと、ヨーロッパの人々がデモをしたということです。来ないでくれということです。みな変えるためです。ヨーロッパで黒人音楽をする人だから、来ないでくれと言ったということです。だから、その人の人気、背景、お金、力はものすごかったのです。なぜその人が40才くらいで薬を飲んで死んだのでしょうか。韓国にマイケル・ジャクソンが来た時、警護だけで300人がついていました。新羅ホテル全体をみな借りたのです。どこの国の大統領がきても、そのようにできません。だから、どれくらいすごい人でしょうか。ところで、前回、米国でニュースを見たのですが、一日中、子どもを抱いて高いアパートから投げようとして、警察がきて大騷ぎが起こりました。簡単に話せば、精神が狂ったのです。どんな場合も神様に会わなくては、幸せになれません。 ■必ず記憶してください。年を取るほど、皆さんが神様の恵みを受けなくては、正しく生きられません。それが今日の本文があたえる最初の教訓です。なぜそうでしょうか。創世記3章に縛られているためです。いくら立派な人も、未信者状態6つから抜け出せないようになっています。それが聖書が語る教訓です。皆さんが今日、神様が与えられる力で、新しい力を得るように願います。神様が与えられる力を得るようになれば、確かに変わります。ある牧師が牧会ができませんでした。牧会を止めて、そのまま歩き回ったのです。ある会社で仕事をしたのですが、ある人が困難にあって聖書を説明したということです。この人が聖書を学ぼうとして、その時、悟ったのです。このようにみことばを聞こうとする人々がいるのに、私は今、ここで何をしているのか。それで、みことば運動を始めたのですが、どんどんみわざが起きました。今、世界で大きい教会を動かしているチャック・スミス牧師です。その方が牧師になったのですが、神様の恵みを受けられずにいたので、しばしば困難の中にいたあとで悟ったのです。 ■二番目の教訓です。なぜイスラエルは捕虜になったのでしょうか。私たちが悟らなければならない部分です。重要な部分です。神様がアブラハムにあの美しい土地に行きなさい、わたしがあなたとともにいるから、あの美しい土地に行けとおっしゃったのです。ところで、行ってみたらどうでしょうか。イスラエルの土地は、江原道、京畿道ほどです。どれくらい小さい国でしょうか。韓国よりさらに小さいのです。そこで何をするのでしょうか。その上に山が70%です。残り30%だけ使える土地だということです。それも土地を耕せば、使える土地があまりありません。その当時、土地が出てくれば油が出てくるので使えなかったのです。そのうえに、南に行けばエジプトがあって、地中海のそばからペリシテが攻めて来ました。上からはアッシリヤがあって、ものすごいバビロンがずっと攻めて降りてくるのです。東方ヨルダンを越えればアラビアがずっと攻撃してきます。下に降りて行けば死海、皆、死んだ土地です。イスラエルが生きる方法がありません。どのように、神様がそこにイスラエル民族を集めておかれたのでしょうか。 ■ここで皆さんが二番目のことをつかまなければなりません。イスラエル民族が神様の恵みを受ければ、それがすべて道になるのです。イスラエル民族が神様の恵みを受けられなければ、両四方の強いものが全部敵になるのです。イスラエル民族が神様の恵みを受けられなければ奴隷になるのです。クリスチャンが恵みを受けられなければ、みじめになります。牧師が教会が復興しなくて、恵みを受けられなければ、牧師くらい変なものはありません。イスラエル民族が恵みを受ければ、全部、エジプトが道で、バビロンが道になります。全部、道になるのです。今日、皆さんが恵みを受ければ、全部、道になります。恵みを受けられなければ、両四方のものが全部みな難しくさせるのです。奴隷になるのです。神様が与えられる大きい恵みをレムナントも全部、受けるようになることを望みます。 ■バビロンの奴隷になりました。今は違うと思うのでしょうか。今は、もっとひどいのです。奴隷となります。ある人は、奴隷になってギャンブルに陥りました。それが霊的な問題です。抜け出せないのです。神様の恵みを受けることによってのみ抜け出せます。ある学生たちは、単にゲームをするのではなく、ゲームにはまって抜け出せないのです。今でも神様の恵みを受けて抜け出すべきで、そこ陥って死ぬのです。私が知っている執事は、三日、四日ずつ酒を飲みます。そのような人は初めて見ました。血を吐くほど飲むのです。そして悔い改めて、また、そのようにします。自分の思いどおりにはなりません。奴隷になったのです。なぜイスラエル民族が奴隷になったのか、理解しなければなりません。 ■信徒が神様の恵みを体験するようになれば、驚くことが行われます。皆さんが今から何も心配しなくても良いのです。主がヨセフとともにおられました。だれが防げるでしょうか。皆さんが問題を解決することが心配になるのではなく、恵みを受ければ解決されます。どこにいても大丈夫です。今日、皆さんが持っている心配、悩み、言い訳をみな捨てることを望みます。刑務所にヨセフが行ったのですが、そこにみわざが起きました。勝つ者はいません。恵みを受ければ良いのです。今日、皆さんが答えを受けるのに、誰も皆さんを防げることはできません。ダビデは、主は私の羊飼い。私は乏しいことはありませんと言いました。パウロは告白して、四方から囲まれても大丈夫だと言いました。それで何の心配もせず、聖日、平日に恵み受けることが重要です。 ■もし皆さんが一人で一日に一度でも祈ったら成功します。本当に神様の前に一日に一度だけ祈りができるならば成功するのです。このやさしいことをしません。本当に不思議なことです。本当に、今から学生たちも朝早く起きましょう。遅く起きれば頭がバカになります。早く起きて勉強して運動すれば、少し祈れば答え受けます。だから、恵みを受ければ、私たちの周囲に何も問題になることがありません。 ■三番目です。なぜイスラエル民族が捕虜になって行ってバビロンから出るようになったのでしょうか。人間には怖い障壁が3つあります。その障壁の中一つが一般の人々が分からないサタンの勢力です。これが人間を押し倒そうとするのです。今でも表に出なく、皆さんをずっと攻撃します。その次の一つが、原罪、自分の犯す罪、みな合わせてどんどん呪いの中で陥ります。また運命を変えられないのです。それで、この三つを解決した単語がキリストです。いつ解放されて出たのでしょうか。この単語を捕まえる時ごとに解放されて出ました。それで、皆さんが聖書箇所四つだけ分かれば聖書を皆知っていることになります。聖書をたくさん読まなくても、重要な聖書四節があります。よく知っているでしょう。創世記3:15。女の子孫が蛇の頭を踏み砕くと言われました。この言葉が普通の話ではありません。原罪を解決したということです。二番目に、出エジプト3:18です。羊の血を塗る日、エジプトから解放されました。皆さんが悟れば、イエス・キリストの血によってすべての呪いから解放されて出るでしょう。バビロンからいつ出てきたのでしょうか。イザヤ7:14です。処女が身ごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名づける。それが福音です。ローマにいつ勝ったのでしょうか。あなたは生ける神の御子キリストです。マタイ16:16です。私はこの聖書箇所四つだけ分かれば、聖書を完全に分かったのだと思います。 ■この3つの教訓がとても重要です。今日、単なる賛美ではありません。147篇は、イスラエル民族が神様に栄光を帰すハレルヤの詩です。私たちがなぜ伝道するのでしょうか。神様に会わなくては、どんな人間もほろびるしかありません。私たちが恵みを受けられなければ、私たちの周囲は全部、問題になります。今日皆さんが恵みを受ければ、全部、道になります。恵みを受けられなければ、祝福を受けたのに分かりません。残念なことです。私にどれだけの祝福が来ているのか分からないのです。また分かっても、私と関係がないのです。 ■私は伝道運動を30年しながら、他の困難はないのですが、一つがあります。今、伝道運動をしているのです、初めに人々がたくさん集まりました。どれくらい、みわざが起きたでしょうか。私は伝道して人々が救われて、これが重要だと思ったのです。ところで、私の周囲の人々の大部分がそうではありませんでした。私は知らなかったのですが、人々が集まるので収入がものすごかったのです。大部分、そこに関心があったのでした。それで人々が失敗するんだなと思いました。また、人々はそこにだけ関心があるのです。このけんかを止めさせるのが私の仕事でした。けんかをするので、けんかを止めさせました。私がしたことは、それしかありません。変です。どれくらい大きい祝福なのかも知らないのです。今後の悩みも一つしかありません。皆さんが静かにいても、皆さんの教会は働きが起きるようになっています。タラッパンには、これからレムナントが起きて、すばらしいみわざが起きるようになっています。どのようにするのかではありません。これからものすごく働きが起きた時が問題なのです。私はそれを祈っています。これから人材も、経済も起きるのですが、その時になればどのようにするのでしょうか。その時になれば、霊的な目が暗い人々は、お金、ポジションしか知らないでしょう。神様の恵みを受けられなければ、祝福をものすごく受けても知らないのです。 ■私はある日の朝に、運動に行ってきてある女性を見ました。汗を流しながらふく時間もないのです。運動靴をはいていました。朝に牛乳を配達していました。この方が汗をどれくらい流してもふきません。それでも歌を歌いながら行くのです。私が聞いてみたら、賛美を歌っていました。賛美を歌いながら牛乳を配達していました。その人を見る時、皆さんよりはるかに幸せな女性です。皆さんが朝に起きて牛乳配達をするのでしょうか。感謝もありません。どれくらい祝福を受けたのかも知りません。私たちはほとんど祝福ものがしているのです。イスラエル民族がこれを知らないから奴隷となったのです。そのまま聞かずに、皆さんの家の問題をどのように解決するのでしょうか。今日、一言で良いのです。皆さんの個人問題をどのように解決するのでしょうか。単純に記録されたみことばでなく、皆さんの家に入ってくる問題をどのように解決するのでしょうか。今でも呪いとサタン、暗やみの勢力はずっと入っているから、福音でだけ終わることができます。聖書箇所四個だけ分かれば、聖書をすべて知ったのです。今日一日だけでも、この契約を捕まえて祈ってみることを望みます。ものすごいことが行われます。 ■イスラエル民族がバビロンから戻るのに、どんなことが行われたのでしょうか。皆さんがいくら困難の中にいても、契約を捕まえていれば、ある日、時刻表がくるのに誰も防げられません。メディヤ・ペルシャの連合軍が起きてバビロンを打ちました。その人の中にクロス王がいます。この人がイスラエル民族をみな帰るようにさせました。本当に不思議です。イスラエル民族は帰って神殿を建築しろと言ったのです。信じていた人でもなかったのですが、なぜその人がそのような話をしたのでしょうか。ハガイ預言者は、主が働かれれば、天と地と海と国々が揺り動かされると言いました。ゼカリヤは、力でも権力でもできないことを主の霊によってと言いました。エゼキエルは、神様のみことばが臨むので死んだ屍のような乾いた骨が生き返って軍隊になったと話しました。 ■今日、皆さんが本当に神様の恵みを受ければ、とても簡単に皆さんの現場がみな生き返ります。この祝福を皆さんが本当に回復することを希望します。とてもやさしいのです。祈りだけすれば良いのです。今日、この契約を捕まえて祈りだけすれば良いのです。とても短いのです。私がとても信仰がなかった時、こういう祈りをしました。私は信仰がなくて、幼い時、だれも福音も教えてくれないでさまようようになりました。私が完全にほろびるようになったのです。その時、私がこのように祈りました。神様、私も神様を分かるようにしてくださいと祈りました。難しい祈りではありません。神様が確かに生きておられるのに、神様が私に恵みを与えて下さいと祈りました。事実、この祈りを汝矣島教会の見物に行ってしたのです。汝矣島教会が良い悪い以前に、私がそこに見物に行きました。教会がどれくらいけんかして、いらない問題に陥ったのか、汝矣島の大きい教会に見物に行きました。月曜日に行ったのです。ところで、初めて見たのです。人々が月曜日なのに、すみずみに集まって祈るのに、なぜ来たのかと言ったら、区域別にきて祈っていました。私たちは純福音の悪口だけしていました。この方たちが集まって証しもしていました。特別なことではなかったのですが、私が神様の前で祈りをしたのです。神様、いったい私たちの教会は何をしているのでしょうか、あの人たちは、月曜日から祈るのに、神様、私に神様を分かるようにしてくださいと祈ったのです。私にも神様が分かる証拠を求めて祈りました。その祈りが格別なことではありません。しかし、神様がその祈りに答えられたのです。皆さんの小さな祈りに神様は答えられます。皆さんが契約を捕まえて、みことばを捕まえてする祈りは、簡単な祈りなのに、永遠な答えに変わるのです。今日、短い時間に、すべての世界、私たちの家族が回復することを望みます。 ■副教役者の時期でした。神様に祈ったのです。私が福音を分かるようにさせてくださいと言いました。どれくらい簡単な祈りでしょうか。福音を分かるようにさせてくださいと簡単に祈ったのですが、福音運動の働きが今まで答えで来ています。難しかった副教役者時代に私が祈ったのです。皆さんがみことばを捕まえて、福音の契約を捕まえてする小さい祈りは、多くのことをする必要はありません。今日、少しの間、祈るのにも神様は答えられるのです。神様、私は他の教会ではなく、思いきり福音を伝えられる教会に送って下さいと祈りました。私が福音を伝えられる教会に送ってくださいというとても簡単な祈りでした。みことばを捕まえて。そう祈ったのですが、神様は今まで福音を伝える所にだけ送られます。伝道運動を始めようとしたら、私が大きい困難にあいました。その時、私が定刻祈りを始めたのです。その時、神様の恵みを体験しました。神様が私とともにおられて、私に答えられるという確信がきたのです。どれくらい簡単でしょうか。その時、その祈りが今まで答えられています。 ■今日、皆さんは3つのことを捕まえれば答えられます。今日の詩篇147篇の背景を見ながら、全世界の家族らが契約3つを捕まえれば答えを受けられます。3つを見ながら、どんな答えが出てくるのでしょうか。神様、私が福音にあって勝利するようにさせて下さい。二番目に、神様を知らない多くの信徒が恵みを受けられるように神様が働いて下さい。今、福音知らない人々がとても多いのです。福音を宣べ伝えることができるように、私に働いて下さい。この祈りだけしたのに、答えが起きます。それで、今日、大事な聖日に短い時間に集まったのですが、皆さんの生涯に最も重要な祝福の時間になるように願います。 ■前科20犯の人が、刑務所だけ行ったり来たりしていました。その人が告白したのです。自分はいくら刑務所のなかで教育を受けても変化しなかったが、刑務所を移す時に、誰かに福音を聞いたということです。不思議にも自分がずっと押されていた問題が解決されたということです。これが福音の力です。今日、皆さんがこの契約を捕まえて、皆さんが先に答えを受けなければなりません。皆さんだけ答えを受ければ、蔚山はいくらでも生かせます。それで、今は信仰も実際に育てて、心も育てなければならないのです。ソウル・インマヌエルでは今回、役員320人を立てます。私が長老にお願いをしました。私たちには、重要な時刻表がきたのです。それこそ大赦免、大統合の大きい道に行くでしょう。なぜならば、皆さんの生涯にただ一度しかないのです。多くの働き人を立てて、首都圏全域で攻略するのです。そうしてこそ、福音運動が起きます。この方達が、聖霊の導きを受けて、働き人をたくさん立てるようになりました。蔚山にも、多くの働き人を立てるように願います。祝福を受けようとするなら、祝福体質にならなければなりません。成功しようとするなら、成功者の体質にならなければならないのです。祝福を受ける体質ではないのに、祝福を受けることができるでしょうか。皆さんが神様の恵みを受けようとするなら簡単です。すでに救われた人であるから、祝福を受ける体質にだけなれば良いのです。皆さんが蔚山のすべての教会の体質を変える程の働きのために契約を捕まえて始めましょう。世界福音化しようとするなら、世界福音化の体質にならなければなりません。 ■私はソウル、蔚山、釜山、大邱、光州を行ったり来たりします。私には何もありません。外国に行く時もそのまま行きます。秘書とスケジュール組んだ通りに行くのです。行って伝道してきます。一度は、ソウルで空港に行って、インチョンに行ったのですが、およそ70人が空港にいました。何かをしているようだったのですが、ある牧師が外国に行くのに、信徒が70人が出てきていました。本来、不法です。他の人に被害を与えることです。挨拶をしに出てきていたのです。本当に恥ずかしかったのです。そこで、何日かあとで会うのに、私たちがまた会えるようにと言いながら、一斉にお祈りをしていました。少しの間、行って来ることなのに、みんなハンカチを出して涙をふいていました。それで、いつ世界福音化するのでしょうか。体質が変わらなければなりません。単に外国に行ってくるのは、町内を行ったり来たりするのと同じです。 ■皆さんは、蔚山を見通して、神様の祝福の時刻表がきたので、蔚山の体質を変える教会を作らなければなりません。皆さんが神様の契約を捕まえて、祝福を受ける体質にだけなれば、神様はそのうつわに注ぎ込まれます。すべてのメッセージの結論、神様の恵みを受ければ良いのです。それで、みな終わります。詩147篇の結論が、神様の恵みを賛美しようということです。履き物がない、カバンがないと複雑に話をする必要はありません。単にお金がないと言えば良いのです。しばしば複雑にする必要はありません。この話、あの話をする必要はありません。単に神様の恵みだけ受ければ終わりです。皆さんにある問題は何でしょうか。しばしば言い訳して、話せば終わりになりません。神様の恵みを受ければ終わるのです。皆さんの家庭問題、会社問題、経済問題があるのでしょうか。いくら話して、いくら戦っても解決できません。皆さんが本当に神様の恵みを受けて、神様の祝福が臨めば終わるのです。 ■皆さんは信じるのか信じないかも分かりませんが、神様は、皆さんを一分だけ祝福されれば、人が100年祝福することより良いのです。イエス様が行って、死者の前に歩みを止められたのですが、死者が生き返りました。皆さんが知っている通り、38年間も病人だった人が、イエス様が過ぎ去られる時、イエス様が命令されたので起きてしまいました。今日、私たちの命を治められる神様が、皆さんの教会と蔚山を祝福されれば、神様は全てことをして、起こしてくださいます。今、この礼拝時間には、米国でもインターネットでメッセージを皆聞いています。絶対にのがしてはいけません。皆さんが神様の恵みを受けてこそ生きるのです。神様た与えられる力を得てこそ生きるのです。これを遮るものを破るのがキリストです。この契約のみことばを捕まえて祈り始めれば、まちがいなく、明日とあさっては変わるみわざが起きます。他のことを捕まえて苦労せずに、今日、契約を捕まえて答えを受けるように願います。そうすれば、残っている時刻表は、確かに変わります。今日一日しばらく祈って、神様が与えられる新しい力を受ける、すべての信徒になることをイエスの御名でお祈りします。 <<契約の祈り>> 神様に感謝します。今日、バビロンから戻ったイスラエルの民の詩が私たちの賛美になるようにさせて下さい。今日、真に神様が与えられる力を得る日になるようにして下さい。この祝福を防ぐ暗やみの勢力を、イエスの御名で折って下さい。私たちを怠惰で弱く、不信仰にさせるサタンの勢力を、主イエスの御名で縛って下さい。蔚山福音化を防ぐ偶像と、すべての不信仰が、主イエスの権威ある御名の前に崩れるようにして下さい。私たちの家系、私たちの家庭に食い込む暗やみ、滅びの勢力が、イエスの御名の前に縛られるようにして下さい。私たちの個人が恵みを受けることができなくさせる、すべての暗やみがイエスの御名の前に崩れる時間になるようにして下さい。私たちの残った生涯に、答えを受ける祝福の時刻表になるようにして下さい。バビロン捕囚から戻って、主にレルヤと栄光を帰したように、私たちにその恵みが臨む日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン 2部/神様と通じる完ぺきな道3つ
(Iコリント2:10)
■世界的な賛美でした。なぜなら、今、世界の人々が皆さんが上手にすること、迷っているのをインターネットで皆聞いています。1部の時はおられたのですが、金長老が医師ですが、2部ではおられるように見えないのですが、私に6ヶ月前より顔が良いと見えると言われました。顔だけ良くなったのではなく、からだから肉もたくさん落ちました。以前にはボタンもかけられなかったのですが、運動もよくして、みな落としたので、ボタンもかけられるので、少しすればお腹に筋肉が見えるようになるでしょう。 ■なぜこういう話をするのでしょうか。慶尚道に来てみれば、顔が違うのです。ひとまずやつれた顔です。顔から良くしてこそ、世界福音化となります。慶尚道の人は、ソウルに行けば見て分かります。ソウルに上がってきたのに、やつれた顔ならば、慶尚道でなければ釜山です。そのような、あなたの顔はなんだと尋ねたら、言うべきことがないのですが。私もどれくらいやつれているかというと、ソウルで写真を撮ったのに、笑いなさいと1時間、説教を受けました。新聞に載っている写真は、何年か前に撮ったものですが、1時間は少しそうで、40分間教育を受けながら笑ってくださいと言われたのですが、これ以上、笑えませんでした。それで、その時、私がやつれた顔だと感じたのです。先週に、昼食を食べようと座ったら、孫娘が私に気分良くないことがあるのか尋ねました。それでないと言ったところ、そのように見えると言われました。それで、すばやくお手洗いに行って顔を見ながら悔い改めました。 ■私たちの顔も心も変わってこそ、世界福音化ができるのです。なぜ変えられないのでしょうか。私たちは、事実は、心配をすべきことをしなくて、しなくて良いことはするのです。教会をどのように作るのか、これからどのようにしなければならないのか、こういう部分は心配をしなくても良いのです。私たちはこの道だけついて行けば、それは付いてくるのです。神様は完全だから、私たちはこの道だけ行けば良いのです。新しく信じる人も同じで、長く信じる人も同じです。聖書を見れば、一番多く使っている言葉が、心配するなということです。回数は365回出てきていますが、影響力は聖書全体にあります。この話は何も心配しないという言葉ではありません。イエス様がパウロを見て何も心配しないでと言われたのは、今、監獄の中にいること、こういうものを何も心配するなということです。聖書も見れば、祈りもするなという祈りがあります。マタイの福音書6:32を見れば、これ、あれをくれという心配はしないでと言われています。なぜなら、神様がすべて知っておられるためです。むしろ、マタイの福音書6:33を見れば、これを持って祈りなさいと言われました。あなたがたは、まず、神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、全てのことを加えて与えられると言われました。私たちは神様をよく信じるようでも、事実はよく信じられなくなっているのです。私が釜山に行った時も、初めから話をしました。神様は私たちが訓練させられる訓練場を完全に準備されたのです。間違いありません。私たちはこれだけ良く行けば良くて、心配をする必要はありません。今日以後に、皆さんはそのような心配をすべてなくすことを希望します。どのようにすれば、信徒が献金をよくするか、この道に行けば、それもみな出てくるようになっています。今、ソウルには2000人程度が来るので、席が足りず、講壇上にも上がっています。そうしたら、事実は心配にもなるでしょう。しかし、確かに神様は準備しておかれました。ところで、神様の道は単なる道、誰もが行く道ではなく、奥義なのです。そうだとすれば、今日、皆さんがこの道をどうやって行くかということがとても重要です。 ■最初に、私たちが始める秘密の道が別にあるのです。信仰生活は開始が違ってしまえば、何でも開始が違ってしまえば、ずっと違います。私たちは開始を違うようにしておいて、しきりに心配をするのです。それでは、さらに損です。さらにだめになるようになっています。それで、多くの信徒が、信仰生活を長くして、仕事もよくしても、信仰は育たないのです。ある面では、教会にはじめてきた人が信仰がより良いのです。それで教会にはじめてきた人が、初めには良くて恵みを受けて、信仰がより良いのです。教会に少し通った人が、むしろさらに信仰がありません。答えを受けられない習慣になって、信じることがなくて、しばしば心配をして、献金も初めにはよくして教会に長く通う人はいくらもしません。教会にはじめてきた人は、知らずに1万円ずつ出します。長く通った人は、感づいて千円ずつしたりします。不思議に信仰生活をすれば、役員がさらに信仰が良くあるべきなのに、さらに心配が多いのです。女性より心配が多い人々が、教役者です。皆さんよりさらに心配が多い人が牧師夫人です。牧師夫人よりさらに心配が多い人が牧師です。どんどん上がるほど心配なくいるべきなのに、さらに多いのです。それで、私たちはこれを正しくしなければなりません。 ■それでは、聖書箇所をいくつか、よく見なければなりません。マタイの福音書13:34-35に、こういう話があります。かくされたことを表わすために比喩を語られたと言われています。また13章13-14を見れば、ある人は比喩で説明をしても悟ることができないと言われています。ルカ福音8:10を見れば、重要なみことばが出てきます。神様が悟ることができないようにするために比喩を使われたと言われています。これは、何の話なのでしょうか。悟るようにするために、私たちは比喩を使うのに、ある場合は神様が悟れないようにするために比喩を使われると言われました。この話を皆さんがすばやくよくわからなければなりません。これが信仰生活の開始において最も重要なのです。聞き取れないのに、どのように開始をするのでしょうか。これを初めてする人も分かるのに、ある人は長い人でも聞き取れないのです。それで、神様が比喩を使われるのに、悟るための比喩は理解できるのに、悟れないようにするための比喩と言われました。 ■これが何の話なのでしょうか。すばやく皆さんがキャッチをしなければなりません。もしイエス様が王宮に来たとすれば、どうなるのでしょうか。王宮の王の息子できた、そうすれば、今、話す政治屋、パリサイ人、詐欺師がみなつきます。それで神様が隠されたのです。どこに送ったのか、大工の家に送られました。それで、それも馬小屋で生まれるようにされたのです。これが神様の方法です。だから、足りない者がみなだまされたのです。それで、悟れないようにするために、その人々は悟ってはいけないから、比喩を持って他の事を作られました。私たちはこの奥義を知っている人は、大事に保管して、だまされるのではありません。他の人はだまされるのです。信仰生活の最も出発が何か、神様が持っておられる奥義を私が大事に保管することです。これが信仰生活の開始です。 ■レムナント7人を見ましょう。これを大事に保管していました。それで、ダビデ、ヨセフが全く揺れない理由が、神様の奥義を大事に保管していたからです。そうでなければ、どうなるのか、だまされるようになります。だれがだまされたのでしょうか。パリサイ人がだまされたのです。何で大工の息子がメシヤになることができるだろうか、パリサイ人がどのようにしたでしょうか。あの乞食のようなタラッパンに集まった者が、どのように教会になることができるだろうか。だまされたのです。神様が悟れないようにさせられたのです。皆さんが信仰生活に最も重要な部分がこの部分です。私たちがしばしば、だまされるのです。祈りもしばしば違うようにします。神様が、皆ご存じなのに、しばしばくれと言います。その話は、幼い子どもがお金を使う力もないのに、しばしばくれと言うことです。この教会、皆さんの信仰が、蔚山福音化をするほどの準備だけなれば、じっとしていても神様が一度に注がれるようになるのです。そのような準備ができないのに、しばしば皆さんが断食をすれば、はらわたが絡まるだけです。それで、ひょっとして神様が死ぬかと思って、少し与えられる答えを、答えだと思ってはいけません。今、クリスチャンが、全部そのようにしています。事実を知って見れば、心配することが別にあります。私が神様の恵みの中にいるのか、いないかを心配すべきなのに、私が何を食べるのか、どのようにするのか、こういうものを心配すれば、完全に未信者です。私が本当に神様の祝福の中にいるのか、いないのかを心配すべきなのに、しばしば他のものを心配するのです。だからパリサイ人がだまされてしまったのです。どのようにメシヤが大工の家から来ることができようか。どのように、主のしもべをガリラヤから呼べるのか。ソウル大を出て、ハーバードを出た人を呼ぶべきで、どのようにガリラヤの人々を呼べるのか。イエス様の公生涯3年間に、病人も癒されたのですが、その人々も結局だまされたのです。イエス様が十字架を担われる時、みな逃げてしまいました。言わば、とても重要な部分をのがしたのです。信仰生活のまず最初の開始はこれです。皆さん自身にだまされてはいけないのです。蔚山にいる私たちがお金もなくて、力もなくて、何もないのにどのようにすることができるのか。これはだまされることです。イエス様がおっしゃるのに、わたしの教会をわたしが立てます。そのためにギリシャ語の原文にわたしの教会をわたしが直接たてると出ています。ところで、私たちはしばしばだまされるのです。だから、簡単に話せば、悟れないように神様がだましてしまったのです。出世しようとくっつくパリサイ人を悟らせて良いのでしょうか。無条件に食べようと付いて回るガリラヤの人々を悟らせて良いでしょうか。病気だけ癒される奇跡が起これば、医師も必要ないのですが、そのような人を悟らせて良いのでしょうか。250年間、ローマがキリスト教をなくそうと攻撃したのです。勘違いしたのです。だまされたのです。だから、真理を悟れなかったのです。 ■信仰生活で、皆さんが誰なのかをだまされるとすれば、一番重要な部分が神様が皆さんを呼ばれた時、どのように呼ばれたのでしょうか。これです。教会にきてこのように話す人がいて、教会にきて人物がないというのにだまされたのです。教会は小さく見えても、無尽蔵に多くの背景があります。ある教会学の博士が、教会で教育をこのようにして良いのか尋ねました。その通りですと言いましたが、しかし、それではありません。日帝時代に神社参拝をした時、すべての宗教が全部みなしたのですが、福音を持った人々はしませんでした。その何人かが日本に勝ったのです。日本の人々がだまされて、押せば良いと思ったのです。福音を持った皆さんが、何もないように見えるのですが、すべて持っているのです。むしろ、パウロは私が何も持ったものがないが、全てのものを持った者だと言いました。私はむしろ私が弱い時、神様の力が現れるということです。誰がこの話をわかるでしょうか。どの政治家がわかるでしょうか。それで、私は弱さ一つしか自慢することがないと言いました。どのように、この話をわかるのでしょうか。話がますます難しくなるようですが、私は不思議に話を上手にできずに、やさしい話を難しくする体質なのです。ひょっとして、新しい人がいれば、よくわからなければなりません。皆さんのそばに見える試み、人の話にだまされるなという話です。教会にきてすべての人を理解して、受け入れなければならないのですが、その話に基準をおくなということです。 ■簡単に話せば、神様と皆さんとの奥義を持っていなければなりません。この時から答えが始まるのです。すばらしいことが起こってしまいます。Iコリント1:18に、パウロは滅びる者には十字架のことばは、おろかに見えると言いました。救われた私たちには、神様の力になるということです。だまされずないことを希望します。何の心配もしなくても良いのです。Iコリント3:1-2に何と言われているのでしょうか。私たちの信仰が子どものようでなければ、答えを受けられないのです。答えを受ける心配をする必要がありません。考えてみましょう。幼い幼稚園生が、お父さんに百円だけくださいと言えば与えられます。歩みもやっと歩く子どもがお金がいれば、50円だけくださいと言えばコインがあれば与えれば良いのです。幼稚園生が幼稚園に行くのに1億円ずつあたえる狂った親がどこにいるでしょうか。幼稚園生に1億ずつ与えれば、下手すると、この子は死にます。神様も同じです。私たちが色々な心配をしなくても、信仰だけ正しくして、神様の奥義だけ知っていれば、神様は一度に注がれるようになっています。この祝福を回復することを希望します。神様は方法で奥義を持っておられます。神様と皆さんと通じる開始の奥義がなければならず、方法の奥義がなければなりません。神様がどのように皆さんに現れるのでしょうか。方法が一つしかありません。神様が見えるのは偶像で、神様ではありません。手で作るのは偶像であって、神様ではないのです。仏像は人が作ったことであって神様ではありません。 ■神様は私たちに、方法としてみことばで臨むようにされたのです。それで、皆さんが他のことを心配せずにみことばを捕まえましょう。創世記1:1-13を見れば、神様はみことばで天地を創造されたのです。人の話とは違い、皆さんが神様のみことばを正しく聞く時に驚くことが行われます。ヨハネ1章に、神様がすなわちみことばで肉を着て来られたと言われています。イザヤ40:8主であるわたしのことばは、永遠に立つと言われました。ヘブル4:12神様のみことばは生きて力があります。たましい、霊、骨髄を分けるのです。この話は、皆さんが永遠に生きてみことばを受ける時、肉体も生かされるという言葉です。医師の助けを受けなければならないのですが、それよりさらに重要なのは、先に皆さんが霊的な力を得なければならないのです。伝道12:11神様のみことばはよく打ち込まれた釘のように打ち込まれれば、生かされるようになります。それで、イザヤ22:23-25を見ると、このよく打ち込まれたクギの上にイスラエルのすべての栄光がかかると言われています。どんな人に神様がみことばを与えられるのでしょうか。この救いの奥義の感激がある者です。こういう人には、神様が成就するみことばを与えられます。他のものも感謝をしなければならないことが多いのですが、救いの感激がある人がいます。 ■クロスビーはどれくらい救いの感激があったのか、目が見えなくなった時、目を開いてくださいと神様に祈りました。恵みを受けた後に、目が開かれないようにしてくださいと祈ったのです。今、これで充分だと言いました。自分が目を開いて見たら神様を見たいと言いました。止められません。私の行く道、すべていくように、イエスが導かれるので、その愛がどんなに大きいのか話ですることはできない。二つの目を正常に開いていた人がサングラスをかけて歌ったのではありません。目が見えない人が歌った歌です。考えてみてください。私の行く道をすべていくようにイエスが導かれるよ。クロスビーの歌です。私の命である主の前に進みます。驚くべき救い主、イエス、主よ。真の力を与えられます。干からびた土地を終日歩いていっても、私は疲れません。私が危険な所に行く時には、大きい岩に隠して、主の御手で覆われます。この程度なってしまえば、事実は終わってしまったのです。どうして、この程度の信仰があれば、暗やみが皆さんを触れるでしょうか。悪魔も刺激するだけのことはあってこそ、刺激するので、誰でも刺激するのでしょうか。昔に、女子学生を見れば、今はしないのですが、私たちが幼かった時、ゴム飛びをよくしていました。ゴムひもをくくってすることですが、私たちが刃物で切ってしまえば、ある子は座って泣く子もいました。ある子は切ってしまえば、そのままつないでしました。それでは、特別におもしろくありません。ある子は切れば続いてすれば良いのに、座って泣いたのです。それがおもしろくてしました。犬が蔚山を通る時、どこにでもおしっこをしません。においをかいでみて、大丈夫だと思ったら、その時に足を上げます。悪魔が誰でも刺激するのではありません。こういう人は触れません。 ■神様の子どもになったことを、あまりにも感謝します。呪いの中で死ぬしかなくて、運命の中に陥った私を救い出して下さったことをとても感謝します。皆さんはもう占う必要もなくて、グッ(降霊術)やお祓いをする必要もなくて、何もする必要がなく、完全に解放されてしまったのです。今から神様が願われる、この道だけついて行きさえすれば、みわざが起きるのです。どれくらい感謝でしょうか。だから、これがある人に神様がみことばを与えられるのです。霊的な目がある人です。目とは、知識の目、霊的な目がなければなりません。肉体の目には見えないのですが、今、サタンがすることが見られないでしょうか。女子学生がインターネットをして、大人たちに会って性関係を持ちます。ところで、この子たちではなく、これぐらいの学生たちがするのです。それがサタンがすることだと考えられないでしょうか。それ一つだけでも、そのようにします。何のために家を売ってギャンブルをして、みな奪われて自殺をするのでしょうか。こういう人が、どのようにしているのかではなくて、米国に行けば一杯います。だから、皆さんの家を倒すために、悪魔はずっと攻撃しています。こういう目が開いた人に契約、みことばを成就させられるのです。今から皆さんは、講壇のメッセージを捕まえて、もし6日間祈りができるならば、すべての変化がみな起きます。 ■名前は話しません。ある勧士が、メッセージを聞いて、毎朝そのメッセージを繰り返して聞いて祈りをしました。どれくらいみわざが起きたでしょうか、未信者を伝道して神学院にだけ30人登録をさせました。自分の教会の礼拝をささげて座っている中に、未信者で救われて来た人が50人を越えました。その人はタラッパンする教会ではありません。ある日、牧師が呼んだのです。勧士はいくら見ても何かがある、私が教えることもしない伝道方法もあって、確かに何かがある、どこで習ったのか尋ねたところ、勧士が許してくださいと話をしたのです。自分は牧師がおっしゃるとおりにしてきたが、牧師先生をだましたことがないが、一つがあると言いました。事実は、タラッパンに行って伝道を学んでいると言ったのです。講壇でそのようにタラッパンを悪口を言った牧師が、声を低くしながら、タラッパンは異端ではないからしなさいと言ったのでした。ただ、しても、表には出さないでくれと言ったのです。 ■韓国で先週に見たら、一番有名な牧師ひとりが、新聞に韓国キリスト教100周年に汚点を残した。それはタラッパンを異端にした。タラッパンのメンバーでもないのですが、そのように書いていました。韓国の100年の汚点だと言いました。それで悔い改めなさいと新聞に出していました。神様のみことばを通して働くから、みことばを正しく捕まえればみわざが起きるのです。今日から難しくないので、体験することを望みます。今日からレムナントは、祈りの手帳にすべての自らの日記を書きましょう。祈りの手帳の隅に、それを集めましょう。それで、おとなになってもそれを集めましょう。大人たちもみなしましょう。皆さんの手帳に他の人を伝道したことを全部書きましょう。それが何でもないようでも、私が朴牧師に初めて会った時、数年もいつ会ったかを知らないのです。書き込むべきでした。私がこのような形です。それで悟って書いています。そして、今日インマヌエル蔚山に着たと書きませんでした。メッセージは何をしたと書かなかったのです。それを数年あとで見たら、このような形で自分のメモを残して多くの研究をした人がエジソンなのですが、エジソンの部屋には、3400冊のノートを残したということでした。神様はみことばで働かれます。この奥義を持った者に働かれるのです。二番目の方法です。神様は答えをくださるのですが、私たちに何で与えられるのでしょうか。キリストで答えを与えられます。なぜなら、サタン、罪、私たちの運命を変えることができないから、キリストを通して変えてしまわれたのです。それで、私と皆さんの詰まった壁を押し倒してしまわれたのです。それで、皆さんがキリストの御名を知って使う時、すばらしいことが行われます。これが奥義です。神様は私たちに、どんな方法でなさるのでしょうか。祈りはなぜするのでしょうか。祈りをする理由は一つしかありません。何かをくださいではなく、聖霊の働きです。聖霊が皆さんとともにおられるから、それを聖霊内住といって、私たちは真の感謝がずっと出てこなければなりません。聖霊の導きを受けるのが祈りです。聖霊の導きを受けようとするなら、自分をなくすのが最も早いのです。信仰生活が上手な人は、立派な人は自己主張が強いのですが、本当に立派な人は自己主張がありません。そうです。外に出て行っても、産業が上手な人は自己主張が強いのですが、本当に企業家になろうとするなら、自己主張がありません。僧侶でも、高僧は口数が少ないのです。いつでも平の僧侶が話が多いので、高僧は口数が少ないのです。そうです。それで、牧師で一番悪いのが、まさに教会を自分思いのままにする牧師です。それはとても悪い牧師です。一番悪い長老が、教会を自分の思いのままにする長老です。それはとても悪い長老です。聖霊の導きを後ほど受けられないのです。 ■信仰生活に最も良いのは、聖霊の導きを受けることです。そして、私たちは力がなければなりません。聖霊充満です。これが神様の奥義です。みことばを通して、神様を説明されます。キリストを通して、全てのものを解決されます。聖霊を通して、私たちに力を与えられるのです。神様の前に立てば、皆が罪人ですが、新しくなれるのです。神様前に立てば、いくら弱い人も完全な人になります。なぜでしょうか。神様は完全なためです。キリストの前に立てば、誰でも許されます。聖霊の中にとどまれば、誰でも力を受けられます。これが神様の方法です。神様の奥義です。これを持って勝利することをイエスの御名で祝福します。こうすれば、答えがみな来ます。今は結論的な奥義がいくつかあります。これはとても重要です。結論を出さなければならない奥義です。使徒の働き1:1テオピロよ。私が前の書で、この話はイエスがキリストなのに、その方が来られたということです。イエス様が十字架にかかられた時、復活することを約束されました。十字架にかかって死にながら、完了したと言われました。少し残ったではなく、みな成し遂げられたのです。それでは、今、皆さんにある問題は問題ではなく、その問題を真っすぐ見つめればみわざが起きるようになっています。 ■結論が出たのです。使徒の働き1:3神様の国です。皆さんが行く所ごとに神様の国が臨めば、暗やみは自ずから崩れるようになっています。これが奥義です。一般の人々は知りません。いくら立派でも、政治家たちは神様の奥義を知りません。その人々が知らないから、しばしば話も違うようにするのです。むしろ相手方を非難しないなら、点数が上がるのに、相手方を非難して点数が降りて行くのです。リンカーンを見て下さい。相手方を非難しないで、あの人たちのほうが立派なのが確実だ、経歴で見て私が低い。私がなぜ大統領に出馬したのか、私は幼い時、神様が大統領になって奴隷を解放しろとの命令を受けてガラテヤ3:28を捕まえて今まできたと言いました。みわざが起きたのです。私たちは行く所ごとに、皆さんの奥義が何か、神様の国を臨むところに焦点を合わせれば良いのです。神様の国はどのように臨むのでしょうか。聖霊が目に見えなく臨んでしまえば、それが神様の国です。ものすごい祝福を受けたのです。これが今、皆さんが持たなければならない神様がくださった奥義、道です。これをしていれば、少しだけしていれば、答えが来るのですが、どんな答えが来るのでしょうか。この契約を持っていて味わってだけいれば、皆さんがそんなにしなかったのに、答えの座にいます。 ■レムナントは、記憶しなければなりません。皆さんは学校の勉強をしながら、この力を持って奥義を持っていれば、ある日見れば、答えに座に来ています。奴隷の座に行くと思っていたのに、総理の座に行っています。追われて通っていると思ったのに、王の座に行っています。それがダビデです。皆さんが今はそんなに競争をして、苦闘しているのに、成功の座に来ています。戦うこともしなかったのに征服の座に。これが信徒が受ける祝福です。これがレムナントが受ける祝福です。レムナントは心配せずに目を開きましょう。行ってみれば答えが来ています。みな来ています。これが神様の子どもが持った祝福です。皆さんが行ってみれば成功の座に来ています。ある日、時刻表が過ぎれば征服の座に来ています。この祝福が皆さんのことです。何も心配せずに、心配することが別にあります。Iコリント1:18に滅びる者は十字架のことばがおろかに見えます。私はなぜこのように十字架の救いの感激がないかを心配しなければなりません。それで神様はないものを選んで、あるものを恥ずかしめたと言われたのです。聖書をよく見ましょう。Iコリント2:1-14世の中に優れた者はどこにいるのでしょうか。神様より優れているのでしょうか。世の中に議論家はどこにいるのでしょうか。神様より知恵があるのでしょうか。ところで、神様が聖霊であなたがたとともにおられます。だから恐れる必要がないのです。神様からの霊を受けたので、今は受けた恵みが充満することを悟りなさい。Iコリント3:1-3私たちが幼い子どものように争って、ねたんでいれば、どのように成長した者のことを得ることができるでしょうか。私たちが小さなことに試みを受けていれば、消化力がないのに、どのように食べ物を食べることができるでしょうか。子どもがすぐ生まれたら、乳を与えるべきで、すぐにスルメを与えればどうなるでしょうか。それでは死にます。子どもが生まれれば離乳食を食べるべきで、すぐにタマゴを食べさせることは、しないでしょう。私たちが毎日、試みにあうので、小さい子どものように大きいうつわをみなのがすのです。 ■それと共にIコリント3:16あなたがたが神様の神殿であることと、神様の聖霊があなたがたの中にとどまっておられることを知らないか。前に一度、組織暴力の副親分が訪ねてきました。ひざまずいて訪ねてきたのです。少し見たら、酒のにおいがして飲んだのか尋ねたところ、飲んだと言いました。牧師先生に会うためにきたと言いました。それで、なぜきたのか尋ねたところ、これは牧師先生が必ず聞いてくれなければならないと言いました。それで、できれば聞こうと言いました。ある執事がきて、自分にイエス様を受け入れさせたということでした。その時から、酒も飲めないし、けんかもできないので、また抜いて行ってくれと言ったのです。本当です。私が表現をこのようにしたが、元のとおりにしてくれと言ったのです。それが元のとおりに成ることはできません。あなたはもう滅びることもできなくて、この聖霊はいつまでおられるのかというと、永遠におられるのです。それで、はやく恵みを受ける道しかないのです。組織暴力のようなものをするな、それはしてみても何の希望もない。しきりに霊的な問題だけ起きるので、何の希望もない。あなたがたが神様の神殿であることと、神様の聖霊があなたがたの中にとどまっておられるのを知らないのか。確実です。これを神様の国と言います。国という言葉は、どのような話なのか分かるでしょうか。国ということは、国土がなければなりません。そして、民がいるべきです。そして、指導者がなければなりません。そして、兵力がなければなりません。聖霊が臨めば、神様の国が臨むのですが、この時にものすごいことが行われるのです。神様の国が臨んだということは、まさに聖霊が皆さんと共におられるという言葉です。 ■神様の国が臨んだということは、皆さんが行く所ごとに神様の天使がみな動員されます。神様が皆さんに聖霊で働かれたということです。未信者には目に見えなく、悪霊が付いて回っています。皆さんが知らないからであって、聖霊が常に皆さんを付いて回りながら助けてくださるのです。行く前に神様が主の天使を送って働かれます。皆さんが行く所ごとに暗やみの勢力がみなうち砕かれます。これを神様の国と言うのです。皆さんがすることは一つしかありません。何もすることがないのです。皆さんが信仰生活を上手にするために、何もすることがないのです。一つだけ良くすれば良いのです。考えだけ変えれば良いのです。さっき1部礼拝の時に話をしました。体質だけ変えれば良いのです。皆さんがいくら蔚山で難しくしているといっても、体質だけ変えれば蔚山を生かせます。ところで、蔚山のレベルならば、蔚山を生かせません。蔚山のレベルでは、蔚山を生かせないのです。皆さんは今、神様の大きい祝福を持って行く所ごとに話をたくさんしなくても、神様の国が臨むようになっています。大きく伝道する必要もありません。しなくても聖霊が臨むようになっているのです。ここで、信仰生活の方法があるのに、捜し出しさえすればよいのです。行ってみれば静かに答えが来ています。この目が皆さんに開くことを希望します。牧師先生、答えはなくて、問題が来ているのにどのようにしますか。ヨセフが監獄の中に行ったのですが、それが答えでした。そのようなこともあります。ひょっとして皆さん中に今、難しいことが起きているのでしょうか。それが途方もない祝福に変わります。皆さんの家に来た問題が、土台になることができるのです。私に力を与えて下さる方にあって私はどんなことでもできるのです。この祝福が皆さんのことです。今日から味わうようになることを希望します。あなたは重要な人です。お互いににらまずに、正しく見て話しましょう。横から見れば、にらむようだから正面から見ましょう。あなたは重要な人です。祈ります。 <契約の祈り> 神様、神様の民を呼んでくださったことを感謝します。今日、この契約を絶対にのがさないように勝利する者がなるようにさせて下さい。神様の奥義を持った者として立つようにさせて下さい。たとえ大変で難しい世の中を生きていても、神様の奥義を持って彼らを生かす祝福を味わうようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン |