2007年10月07日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/息のあるものはみな、主をほめたたえよ
(詩150:1〜6)

■ 3年に渡って、詩篇を読みました。1週に一つずつ読んだので3年かかったわけです。詩篇を終わりながら何を捕まえなければならないのでしょうか。これが祈りの答え受ける、受けられないという違いが生じるのです。神様のみことばを見る時、何かを捕まえなければなりません。このように長く150篇の詩篇を見たのですが、何を捕まえなければならないのでしょうか。皆さんの各々立場は違うでしょうが、今日は賛美をよく捕まえなければなりません。
■本人に申し訳ないのですが、ある放送で歌手ではなく一般の人々が歌大会するのを見ました。偶然に見たのです。正確にどの放送局かわかりません。人気賞、大賞を選んだのですが、この大賞に選ばれた人が私たちの教会の執事でした。不思議に思って最後まで見ました。名前を話さないから心配しないように。歌が上手でした。大賞程度だから、歌は上手だったのです。大賞になれば賞をもらって、アンコールで歌うのですが、もう一度、聞いてみても上手だという気がしました。多分、今日皆さんも見たでしょう。顔もハンサムで、歌も上手で、とても立派な方です。一つ私がおかしく思うことがありました。その方が教会で賛美するより恵みを受けているように見えたのです。その部分には、本人の心は分からないのですが、私が見るにはそうでした。賛美を正しく回復するということは、とても重要なのです。
■皆さんがおわかりの通り、賛美する時、どんなことが起きたでしょうか。ダビデは賛美した時、悪霊が離れました。Iサムエル16:23に出てきます。本当に賛美を回復すれば悪霊が離れます。詩22:3を見ると、賛美を住まいとされる主と言われています。それでは、賛美を正しくすれば、多くの答えを受けることになるということです。詩篇43:5には、「なぜ、おまえは絶望しているのか。」と言っています。「なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。」と言います。その言葉は、賛美を正しく回復すれば、失望することにも勝てるということです。詩108篇で、ダビデはこのように話しました。「私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。」と言いました。その言葉は、ダビデが祈りの答えをたくさん受けたのですが、心に定めて賛美したということになります。だから、ダビデが多くの詩を作って賛美をしました。私たちは、そこまでできなくても、賛美を回復しなければなりません。使徒16:19〜31を見れば、パウロが監獄で賛美して奇跡が起こりました。このように見る時、神様は賛美を回復した人を大きくなるように用いられました。王の中で最高の王のダビデが賛美の人でした。今まであった伝道者の中で最高の伝道者がパウロであったのですが、そのパウロが賛美の人でした。監獄で賛美をして奇跡が起こるほどでした。宗教改革者マルティン・ルターは、作曲をするほどでした。皆さんが歌う賛美の中「神はわがやぐら、わが強き盾」というのは、ルターが作った賛美です。高神大学があります。その学校出身です。私たちが毎日礼拝をささげます。礼拝をささげた後、終わりにはこの賛美を歌います。「神はわがやぐら、わが強き盾」とルターの賛美を歌うのです。そして見れば、ムーディー、ウエスレイなど大きい伝道者が賛美が上手で活用しました。クロスビーのような目が見えない人が、賛美で多くの人を変化させました。大部分の人々は賛美を回復することができずにいます。
■私は現代音楽をする人々を静かに見ながら、このように感じました。あくまでも私の感じです。現代音楽を歌う人々を静かに見れば、少し世の中のための歌のようだと感じました。声楽をする人々はまた感じが違います。声楽の人は熱心に歌います。私の感じでは、声楽をする人々は、歌のための歌をするようだと感じました。それでは、私たちが何のために歌うのでしょうか。本当に神様の栄光のために歌うのが賛美です。そうだとすれば、すごいのです。今日、私たちは賛美をどのように回復するのでしょうか。今日の答えを受けるように願います。学生たちもそうで、大人たちも、伝道者も、本当に賛美を回復する時間にならなければなりません。賛美する時、聖霊が働かれて、悪霊が離れて奇跡が起こったのですが、私たちがその賛美を回復しなければならないのです。少し年をとっている方々も良い賛美集を買って聞くように望みます。また、皆さん自ら賛美が上手になり得る時刻表を作ってみるのも良いだろうという気がします。その以前に、必ず分からなければならないものを今日、理解しなければなりません。どのように賛美を回復するのでしょうか。いくつかで理解しなければなりません。
■最初です。ひとまず知って賛美をしなければなりません。本来、賛美は天国から始まったのです。天国で始まって、天使が賛美したのです。その話は、賛美は天の祝福を味わう道になります。一番初めの歌の賛美が天国で始まりました。エゼキエル28:13を見れば、悪魔の話をしながら堕落する前に天使であった時、タンバリンと笛を担当したということです。その話は、賛美をしたということです。その賛美を回復するのです。それならすごいのです。今日、知って賛美する時、多くの病気も離れて、霊的に解決されるそのような祝福があるでしょう。エゼキエル28:17に、この天使が高慢になって堕落したのですが、それが悪魔です。黙示12章を見ると、天から天使が多くの群れを率いて降りてきて堕落したのですが、ひどい混乱を起こしたのです。天から追い出されながら、エペソ2:2に空中の権威をつかんだと言われています。それと共に、創世記3章で、家庭を攻撃したのですが、アダムとエバを倒しました。創世記6章で、社会に入って、社会を倒しました。創世記11章で、国家、政治など力ある人々を倒しました。ところで、悪魔が人を倒すのに、歌で倒すのです。それでは、世の中の歌を歌ってはいけないのでしょうか。そんな話ではありません。分かっては、いなければなりません。目を開いて見れば、全世界を歌で倒しています。私たちは知って賛美しなければならないのです。昔にエルビス・プレスリーという歌手がいました。この人が歌で米国と全世界に影響をおよぼしたのです。ある人は、20世紀の音楽を変えたと評しています。記録を見れば、ヨーロッパに公演に行く前に、来るなとヨーロッパの人々がデモをしました。黒人の歌を持ってきて、わが国にまき散らすので、やめさせようとデモをしたということです。この人がほとんど薬を飲んで40才になる前に死にました。全世界の多くの人々、特に女性が自殺をしました。いまだに、エルビス・プレスリーからの影響はとても大きいのです。歌一つが全世界の青少年をすべて倒します。
■マイケル・ジャクソンを見て下さい。公式的なのかは分からないのですが、ある新聞を見たら、一週間に二回ずつ悪霊につかれた者を呼んで降霊術をするということです。今、この人は精神が変になっています。前回に米国へ行った時、ニュースでマイケル・ジャクソンが子どもを高いビルディングから投げるまねをしていました。この人が音楽で全世界をつかんだのです。韓国にも来ました。私たちの韓国にきた時、警護員だけで300人がつきました。人気がすごくて、ホテル全体をみな予約しました。公演一度して行くのに、そのように人々が集まったのです。あまりにも大騒ぎをして、私も見ました。本当に上手です。だから、若者たちをみなひきつけるのです。韓国だけそうだと思ったところ、米国も放送にも出てきます。ところで、理解ができないのは、歌手が出てきて顔を悪霊の顔に塗って歌うのです。少しの間見た間、歌を歌う間、学生たちが気絶します。ある学生は、歌手が歌を歌うのに私たちの韓国は比較になりません。わあわあ泣く学生もいます。人がどれほど多く集まったか、倒れた子どもたちを連れ出して行くのに、ベッドに乗せて持ち出しました。私が見る瞬間でも、5人が過ぎ去りました。本当に普通の問題ではありません。目をよく開けて見れば、歌で全世界を荒らしています。
■韓国のあちこちにナイトクラブがあります。水原で泊まっていたら、ナイトクラブが地下にありました。私が知っているのでは、明け方2、3時までずっと音がしています。音がするのに、大騷ぎしていました。窓から見ると、下でけんかしていました。けんかすることもあります。そのナイトクラブから、若い女性が大量に出てきました。いくら人々が多くても、あの女の人たちは、眠りもせずに夜通しあのようにしているのでしょう。ナイトクラブがそこにだけあるのではないでしょう。あちこちにあります。あちこちで眠らずに大騒ぎをしているのです。先進国の子どもたちは勉強をするということです。ハーバードで勉強する学生たちは、4時間寝れば私たちは死へ行く道だと覚悟して勉強をするのに、私たちの子どもたちは、集まって夜通しそのように遊んでいるのです。一度は放送にも出ていました。女の人が男を付けてくれとお金も与えてお願いをするのです。老いたおばさんは、古物なのでそうだとしても、若い子たちがそのようにするのです。古物だと言ったら申し訳ないのですが、老いれば古物になります。そのような人がお金を与えても遊んでみるといえば、少し同情しますが、若い正常な人々が紹介をしてくれと言うのです。私がさっと見ても、全地域で精神が狂った人々は総集合をしているようです。そのように全国が夜にギラギラしているということです。それが遊ぶということではなく、全国が夜ごとそのようにしているのです。このように、歌で青少年も殺して、おばさんも、おじさんもみな殺すのです。賛美が何か分からなければなりません。世の中の歌を歌うのをやめようということではありません。私たちが世の中の歌を歌わないのでしょうか。良いのが多いのです。私が秘書がいるようになる以前には、世の中の歌を持ち歩きながらひそかに聞いていました。私たちの秘書が車を運転するので、私が体面もあってしません。チョ・ウンテク牧師の車の中を見ると、とても心苦しいことがありました。流行した歌はみな集めてありました。罪を犯すことなのでしょうか。そのようなレベルで話すのではありません。霊的な目を開いて見れば、サタンは堕落した天使で、音楽担当でした。すべての音楽と世界を暗やみに追いやっています。知って賛美をしなければなりません。悪魔に奪われた、天使がしていた歌を私たちに与えられたのです。それが私たちが悟らなければならない最初です。
■二番目です。福音を悟って、福音を味わう者の賛美は世界を動かせます。問題はそれです。本当に福音を知って賛美をすれば、天の門を動かせるのです。それを心に切実に祈りながらしなければなりません。皆さんが本当に福音を持った人が賛美をすれば、暗やみ勢力は砕かれます。事実、福音を持った伝道師が家に帰って賛美だけしても、暗やみの勢力は逃げます。本当に賛美する時、神様が働かれるので、奇跡が起きます。これをはやく回復しなければならないのです。ご存知でしょうが、経験ができなかったでしょう。すばらしいのです。初期に東三第一教会だった時、思い出すかも知れませんが、聖歌隊が遊びに行きました。その時、ピクニックに行こうといってミルヤンに行きました。ミルヤンのある川岸に行ったのですが、そのそばがムダン(霊媒師)がグッ(降霊術)する所でした。私たちの聖歌隊員が、単に食事だけしていたのですが、そばでグッ(降霊術)ができませんでした。グッ(降霊術)をする人がグッ(降霊術)ができないのは深刻なことであるから、私たちを訪ねてきました。この方が率直に、ここはグッ(降霊術)をする所だと話しました。どこからきたのか知らないが、皆さんがいるのでグッ(降霊術)にならないと言ったのです。グッ(降霊術)にならないという言葉は何の話なのかと尋ねたところ、神の霊がこなければならないのに、こないということでした。私が内心、くるはずがないと思いました。そのまま私たちは最後まで行かずにいました。そこで食事の仕度をして、みなしたのです。その人々は、結局、そのまま帰っていきました。その時、私たちの聖歌隊員が聖霊充満を受けていたのでしょうか。そうでもありません。賛美するということは、ものすごいのです。もし聖歌隊なしで説教してください。説教が良くできません。とても礼拝がうまくいく日が聖歌隊がうまくいく日です。これほど、聖歌隊の皆さんが重要で賛美が重要なのです。
■賛美を福音を持った人が本当に知って賛美すれば、神様のみわざが起きます。今日、皆さんがこの賛美を回復するように願います。聖歌隊員の皆さんが、今日、賛美がどれくらい重要なことか胸の中で記憶しなければなりません。今、世界福音化に先に立っている教会に皆さんが賛美するということはインターネットに出て行くのです。全世界が揺れます。実力があまりないとしても、皆さんが福音を持っているから皆さんの賛美が行く所に霊的に暗やみの勢力は砕かれるようになっています。こういう霊的な事実を知らなければならないのです。どれくらい重要なのでしょうか。
■詩150篇には何となっているのでしょうか。今日、三番目に記憶しなければなりません。誰に賛美するのでしょうか。「ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。」誰を賛美するのでしょうか。神様を賛美するのです。私たちが世の中で歌を歌う時、楽しみもあるでしょうが、そのような程度でなく神様を賛美するのです。人々が酒に酔って歌うこともあります。それよりさらに重要な神様をほめたたえよと言われました。例えば、酒を飲んでいくら気持ち良く歌っても、暗やみの勢力は震えません。いくらうれしく歌を歌っても、暗やみ勢力は皆さんと皆さんの家を出ません。暗やみの勢力は賛美する時だけ崩れるのです。なぜならば、神様に賛美するためです。どこででしょうか。神の聖所で。全てのものが聖所ですが、特に教会で。賛美を歌う時にのがすことがあるのですが、賛美をする時、一番多くの祈りをしなければなりません。目に見えない賛美の中では、霊的にものすごいことが行われるのです。賛美する理由が何でしょうか。「御力の大空で、神をほめたたえよ。」2節を見ると「その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。」世の中で、私たちのいのちを治められる者は、どれくらいいるのでしょうか。そのすぐれた偉大さをほめたたえると言われています。方法も出てきました。どのように賛美するのでしょうか。「角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。」すべてほめたたえよということです。「息のあるものはみな、主をほめたたえよ」この事実だけ分かれば、全てのものが賛美する事となります。
■私はこのように考えました。午後の礼拝の時は、すべての信徒が楽器をみな持ってきて、神様をほめたたえれば良いと。私が一度は、初期の頃に、ロシアの大きい教会に招かれて集会に行きました。行ってみて、確かに音楽のレベルが高いと理解しました。私が講壇に立ったのですが、大きい教会に信徒がずらっと座っていました。ところで、2階が作ってありました。そこで聖歌隊がみな座っていたのです。私が見ると500人になるほどでした。恐ろしいのは、100名ずつ5チームが座っていたのです。服を少し違うように着て座っていました。指揮者が5人でした。これだけでも、私たちとレベルが違います。私が説教する前に賛美を2度しました。そして、説教した後、賛美を二つしたのです。レベルが高かったのです。残りも2チームがしました。終る時ぐらいに、また一チームがしました。最後には、高齢の人が出てきて5チームが共に賛美をしました。すごかったのです。私たちが考えを直す必要があります。連合してするのに、上手にしていると考えました。「息があるものはみな、主をほめたたえよ」「すべての楽器でほめたたえよ」それで、私たちは専門家だけせずに、子どもたちにたくさん教えて、たくさん出て楽器を扱う必要があります。パイオルリル、チェロだけするというのではなく、ハーモニカもすれば良いでしょう。昔に育った人は木魚をたたきながら賛美して、できないことが何があるのでしょうか。真心ならば、ハイヒールを脱いでたたいてもかまいません。関係ありません。真心ならば、このように主をほめたたえても良いでしょう。すべての息がある者は主をほめたたえよ。当然の話です。すべての息がある人が賛美を奪われたのです。全世界が賛美は奪われて歌だけ残って、世の中が崩れているのです。
■私は昔に賛美を歌うのに、恵みを受けて大きい力になりました。一度は金チャンイン牧師が集会に来られました。その方が、私がいた教会で集会をして、私はお手伝いをしたのですが、この方が賛美が上手でした。一度、説教する中で、こういう話をしました。年も召しておられました。私は無知であり、肺病もあって、自分は何も出来なかったということでした。自分は神様の恵みで牧会もして伝道もしたということです。言わば、その証しです。この方が賛美を途中で歌いました。その時、歌った賛美が昔の賛美40番の「輝く日をあおぐ時」とその賛美を歌ったのです。歌手のようでした。どれくらい賛美が上手かわかりません。その多くの賛美の中で、私がその時、賛美が良いと思ったのです。一度は教会の働きをしながら、つまらないことが多くて、けんかも多かったのです。私は教会の働きをしながら、伝道師の時、気落ちして力が抜けるので、部屋で学生たちが集まって賛美したのですが、クロスビーの賛美をしました。その時446番を歌ったのです。「岩なるイエスはわが身をみもとに引き上げ。裂け目の中にやすけくかくまいたまえり」と賛美するのに、私が私が気をおとす理由がないと思いました。御怒りは過ぎゆくべし、わが身の隠れ家、岩なる主が守ってくださっているのに気をおとす理由がありません。このように、世の中で40、446番の賛美をしたのに、とても役に立ったのです。私は皆さんに証しします。なかなか私が賛美が回復しなかったのです。賛美が回復できないから、賛美が良いのか悪いかわかりませんでした。どうなったことなのか、普段は、率直に流行歌がより良かったのです。それが青年の時、学生の時でなく、牧師の時でした。私が率直に、賛美が回復しなかったのです。このように良い賛美が回復しないから、礼拝をささげる時は仕方ないのですが、普通の問題ではなかったのです。集会に通いながらも−集会講師ではないでしょうか−賛美歌よりは、その時に流行している流行歌が良かったのです。一度は、アンドン集会に行くのに、霧がたちこめていました。この時「霧」の歌を歌うべきで「もろびとこぞりて、迎えまつれ」は合いませんでした。田舎の道を行くのに、その時、ナ・フンアの「コスモス」のような歌が似合うので、よるべなきわが身というような賛美歌は、私には合いませんでした。それで、私は賛美に対する恵みを受けることができなかったのです。そういえば、その前には、事実、答えを受けても、受けられなかったようです。ところで知ってみたら、私だけそうなのではなく、他の牧師もそうでした。前に話したように、さらに恐ろしいのは私たちの教会の勧士と遊びに行った時のことです。勧士が「私たちは、いつも賛美を歌っているので、今日は流行歌だけ歌ってはいけないでしょうか」と言うので、どうぞと言いました。ところで、私たちの勧士がとても上手なのを見たのです。この方たちが、このようだと見えてもすごかったのです。どれくらい上手にするのかわかりません。イ・ドンヒ勧士が、どれくらい上手に歌うか、笑わせて気絶するところでした。やはり、その方たちも、歌を歌う顔を見ると、徹夜祈祷会の時より、はるかに幸せな顔で歌っていました。結局、私と同じだということです。賛美が回復できなかったのです。そのようなある日、正しく定刻祈り、定刻礼拝を回復しました。その時、この賛美を歌うのに、どれくらい恵みになるのかわかりません。良い時間を作っておいてメッセージも見て神様を賛美するのに、そこにある世の中の歌が合うでしょうか。ところで、一人で車に乗って行きながら定刻祈りをするのに、キム・チャンイン牧師が歌った「輝く日をあおぐとき」を歌うのに、どれくらい合うのかわかりません。その時、私に来る恵みがどれくらい大きいかわかりません。このように賛美が回復したのです。そのたためか、その時から今まで多くの答えを今まで受けました。詩150篇にもなる長いみことばを終わらせながら、今朝、このように考えました。
■今週には、私が本を一冊買わなければならない。賛美歌の解説集を一つ買わなければならない。ということです。前に何冊かあったのですが、みな図書館に出してしまって賛美を一度に一曲ずつこの賛美をだれが作って、なぜ作ったのか、この歌詞はなぜこのようにしたのか勉強しながら歌わなければならないと考えました。賛美のさらに深い恵みの中で、賛美を歌うべきだということも考えました。そのように考えたのです。それと共に、礼拝の時、賛美がどれくらい重要でしょうか。私は今まで礼拝時間に賛美歌を見なくて、単に賛美をしていました。今日は賛美を見つけて歌ってみました。見つけなくても歌えるのですが、見つけました。そばでだれかがベースを歌うので、一緒にしながら歌いました。だから賛美を回復しましょう。皆さん賛美を少し回復しても、どんなことが行われるのでしょうか。奇跡が起こります。皆さんにある霊的な病気が治ります。それこそ、パウロに起きた神様のみわざが起きるようになるのです。この祝福をすべての聖徒が、今日、回復するようになることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。賛美を回復するようにさせて下さり、それでダビデのように賛美する時間にすべての暗やみが離れるようにして下さい。霊肉ともに治るみわざが起きるようにさせて下さい。パウロが行く所ごとに、神様のみわざが起きたように、賛美が回復するようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/サタンはどんな存在なのか?
(ヨハネ17:11-12)

■ 7回目の出会いです。どのように始めなければならないのでしょうか。本にある部分ではなく、特別に強調しなければならない部分があります。サタンはどんな存在なのでしょうか。今日、皆さんがここに座っている時間が、とても貴重な時間になることができます。そうでなければ、単に過ぎ行く時間にもなります。私が何日か前にTVを見たのですが、新しい会社が一つできました。何の会社なのかと見たところ、冷蔵庫を清掃する会社でした。これからお金を儲けるでしょう。ほとんどのおばさんたちが、今、知らずにいるのですが、冷蔵庫の中に虫が最も多いのです。各種の病原菌が冷蔵庫の中でも生きているということの証拠を見せました。少なくとも何ヶ月かに一回ずつは冷蔵庫の中を洗って消毒をしなければなりません。その後にも、紫外線消毒をしなければなりません。そのようにしてこそ、食べ物を良く食べられると言っていました。皆さんは今、3年ほどしていないでしょう。その中に、病原菌がうようよいるのに、その証拠を見せてくれました。それで、それを清掃する会社を作ったのです。だいぶお金を儲けるだろうと思いました。
■神様は頭が重要だから、頭に骨があるようにされました。なぜなら、これよりさらに重要な部分がないからです。私が幼い時、一度倒れたのですが、私はケガをしませんでした。医師が言う言葉で、生まれつき頭が固いということでした。頭骸骨が頭の中をかばっています。また、私たちのからだにも、中に重要な部分は骨で覆っています。からだの中で重要な部分は、入らないように鉄条網のように防いであります。目玉も重要だから、この位置にあります。もし頬の側にあったら、何かあるたびに突かれたでしょう。そして、できるなら、あたっても大丈夫なように中にあります。そして、汗や水が流れるために眉毛を作ってあります。そして、目玉の中に虫が入ってくる時に防ぐまつげもあります。皆さんが耳の中に虫が入れば、頭が痛いから、皆さんが耳の清掃をとてもあまりしてはいけないので、それが虫を入って来ることができないように盾の役割をしています。この話が何の話なのかというと、重要な部分は見られない部分にあるのです。聖書も全く同じです。ヘブル11:1-3に、信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものですと言われています。聖書には、目に見えないことをさらに重要に考えています。聖書だけでなく、何でも目に見えないことがさらに重要です。皆さんの髪の毛よりさらに重要なのが皆さんの精神です。だから、神様は何でも見えないものをさらに重要に思われるのです。ところで、目に見えないのですが、聖書はそれが実状と言っています。それで、目に見えることが本物のように見えるのですが、目に見えることは、事実は虚像なのです。どれがさらに重要なのでしょうか。目に見えないことが、さらに重要です。それで、ここに座っているのです。未信者は、目に見えることだけ知って、目に見えないことは知りません。虚像だけ知っているのです。それで、熱心に生きたのですが、後ほど無駄なことになるのです。ところで、人々は知らないのですが、信徒は目に見えないことのために目に見えることを投資するのです。未信者は、逆に目に見える価値がないことのために目に見られないことを犠牲にします。このように違うのです。
■それで、皆さんが礼拝をささげる時ごとに記憶しなければならないことがあります。目に見えなく皆さんがこの席に座って、福音の中にいれば、聖霊が働かれます。聖霊が皆さんにともにおられるから、皆さんが祈れば、多くの天の軍隊、天使が動員されます。人々が見えないからよく信じないのです。これが本物なのに、人々は本物をよく信じないで、にせ物をよく信じるのです。皆さんが祈りをよくするほど、神様が聖霊の働きで天使が動員されるのです。反対に、同時に皆さんが天国に行く時まで、サタンはいつも皆さんを邪魔しようとします。それと共に、悪霊をたくさん働かせるのです。聖霊が天使を動かすように、サタンが悪霊をたくさん動かします。このことが同時に行われているのです。とても重要です。それで人々が知らないからであって、皆さんが一日に定刻祈りを3回だけすれば終わります。皆さんが礼拝時間に正しく賛美で祈りましょう。私は賛美をしながら中で祈りをとてもよくします。なぜなら、最もこういう時間にこういうことが行われるからです。それでは、これがどれくらいすごいものなのでしょうか。未信者のようにせずに、じっとしていても答えがきます。これを知って、サタンは未信者を完全に掌握するでしょうが、皆さんは掌握できず、いつも付いて回っているのです。皆さんをほろびるようにするために、いつも付いて回っています。そうです。掌握することは、できません。ところで、未信者は完全に掌握してしまったのです。それで、皆さんには勝つことができず、いつも付いて回りながら隙間を利用するのです。悪魔に機会を与えないようにしなさい。あなたたちの心配を捨てなさい。あなたたちの心配を主に任せてしまいなさい。悪魔はほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っていますと言われています。これを分からなければなりません。そうすれば、聖日には皆さんが一日中この契約を捕まえて祈れば、六日間の答えをみな受けるのです。信じることを希望します。今日、信徒が全部うわべでだけ信じていて、救済して、何かをしているのですが、それはそれほど重要なのではなく、これがさらに重要です。皆さんが礼拝をしている間に、こうしたことが行われているから、祈りだけすれば良いという言葉がそれで出てきた言葉です。救われた皆さんが不信仰に陥る時ごとにサタンが活動するのです。人間主義を使わないという言葉が、使う時ごとにサタンが活動するのです。それでこの2つのことが常にあるのです。私はこういうものは嫌いだと考えれば、今日、死ねば終わるでしょう。生きている以上、最後まで攻撃されます。
■それでは、どのように開始をしなければならないのでしょうか。簡単な答えが出てきます。信仰生活をとても成功する方法が何でしょうか。今日、皆さんがよくわかって礼拝する間に答えを受けることを希望します。信仰生活をよくする人々、勝利する人々の話をします。パウロがこのように話しました。私たちの戦いは血肉ではありません。私たちの戦いは一つしかないのですが、悪魔との戦いです。パウロが話しました。何の話なのか分かるでしょうか。皆さんが弱い時ごとに、サタンがどんどん攻撃して入ってくるから、今は私たちの戦いは血肉ではなくて、悪魔との戦いなのです。この悪魔は空中の権威をつかんでいます。なぜ政治家のために祈るべきなのでしょうか。主権を動かしているからです。何のために、指導者のために祈るべきなのでしょうか。悪魔が指導者を動かすからです。そして、なぜ偶像を防ぐべきか、各種宗教を悪魔が動かすからです。そして、私たちはこれとの戦いなのです。簡単なのです。パウロが話をしました。他の戦いでなく、血肉でなく、サタンとの戦いです。信仰が良いペテロは、こういう話をしました。Iペテロ5:7-8に何と言っているでしょうか。心配を神様にゆだねなさい。身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。ペテロがこういう話をしました。ヤコブ4:7、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、逃げ去るだろう。ヤコブがそのような話をしました。
■それでは、この事実を皆さんが分かったら、今日、新しい家族や使命者が何を悟るべきなのでしょうか。なぜ祈るべきなのでしょうか。私たちが不信仰に陥らないという理由が何でしょうか。サタンが同じように活動をしているからです。ところで、なぜ戦うべきなのでしょうか。このサタンが、皆さんの家系、家族、未信者、世の中を完全に掌握しているからです。よく見て下さい。未信者を掌握しています。ヨハネ8:44にあなたがたの父である悪魔と言われています。これだから、未信者がさらに多いのです。それで私たちはこの戦いだけすれば勝利するのです。Uコリント4:4-5を見ましょう。これが世の神で、世の中の人々は先ずはうまくいくように見えるのですが、サタンが世の中を掌握しているのです。なぜ未信者がさらにうまくいくのかと尋ねます。ヨハネ16:11-14に、世の支配者だと言われています。うまくいくように見えるのですが、それで滅亡させるのです。サタンは一言で滅亡させる存在です。それで、私たちはこれと戦いだけすれば勝てるのです。信徒にも策略を使います。何の策略を使うのでしょうか。文化の中に入り込むのです。サタンが文化の中に入り込むから、やられるしかありません。宗教の中でも入り込んできます。ある時は、どこに入ってくるのでしょうか。教会の中に入り込んできます。「サタンの話をするな!」教会の中に入り込んでくるのです。このように怖い存在なのに、教会で話しができないようにさせます。話しをできないようにしなくても、すれば嫌います。本当に変です。
■今日、皆さんが信仰生活を始めながら、この部分から知って開始をすれば、すばらしい答えです。今日、この時間に、まさに皆さんがこの祝福の大きいみわざが起きることを希望します。今日、この時間に、皆さんの個人、家系にあった暗やみの勢力が完全に崩れることを希望します。
■どのように勝てるのでしょうか。最初です。サタンが誰かから分からなければなりません。サタンに勝とうとするのに、いったい目に見えないサタンは何でしょうか。サタンが目に見えれば説明が簡単です。目に見えないから説明が難しいのです。ところで、聖書は初めから最後まで話をしています。私たちの教会が伝道運動が起きて、全国、世界にみわざが起きるので、なぜ柳牧師はサタンの話をするかと言われました。本当に変です。聖書にサタンの話が出てこない部分は4章しかありません。創世記1、2章にはありません。そして、3章からずっと出てきます。人間を完全に滅亡させました。皆さんの家を倒して、完全にほろびるようにさせるのです。そして、地獄まで行くようにします。イエス様が再臨すれば、地獄にサタンも行かなければなりません。黙示録の最後の章である21、22章にはありません。死の話であるからで、その他にはあります。それで、私がこの話をすると悪霊派とか、そのような話をします。だから本当に変です。時々、教会の中に泥棒が入ってきます。だから、祈る時、カバンも用心しなければなりません。この頃、本当にそうです。私がこの話をするのに、皆さんがそうだ用心しなければならないと考えるでしょう。ところで、教会に度々泥棒が入ってくるといえば、その話を聞いて気持ちがものすごく悪い人がいるでしょう。その人は誰でしょうか。手を上げてみてください。それがまさに泥棒です。手を上げないでしょう。泥棒が座っていれば、どうして分かるのかと気分が悪くて震えます。それで、前に泥棒4人をつかまえました。カメラを回して、見て4人をつかまえました。その後から現れません。どこへ行ってもカバンに気を付けようと話せば、泥棒でも気分が悪いことで、普通の人は良い話だと思うでしょう。
■私たちの戦いは、これだと言えばアーメンという言葉が出なければならないのに、何の話かと言いながら気分が悪くなれば、おかしな人々です。教会もおかしな教会があります。なぜ度々この言葉だけ言うのかと尋ねます。それでは、サタンが聞いた時、何と言うのでしょうか。喜ぶでしょう。自分の悪口を言わないでくれとするから良いのです。このサタンは、絶対に敵であり、皆さんの家を完全に倒すのです。目に見えなく、皆さんの子どもまで完全に滅亡させます。各種の犯罪、麻薬に完全にはまるようにさせます。精神を狂うようにさせて、いろいろなことをみなするのです。いったいサタンとは誰でしょうか。黙示録12:1-9を見ると、天から落ちた天使、堕落した天使と言われています。これがサタンです。だから、聖書に確かに堕落した天使と言われています。悪魔とも言われ、サタンだと言われます。これが堕落をしたので、どうなるのでしょうか。天使だと飛び回っていたのに堕落したので、だからどうなるのでしょうか。実力はテコンドー8段なのに、堕落をすればどうなるのでしょうか。これが問題なのです。実力はテコンドー8段なのに、精神が狂ってしまえば変です。力があるのに堕落しました。このようにして、この世に大きい混乱を起こしたのです。今朝、話をしたのですが、エゼキエル28:13で音楽を担当した天使です。この天使が高慢になって、堕落したのです。それで追い出されました。さらに恐ろしいのは、このサタンが創世記3:1に、人より先にいました。待っていてアダムとエバを攻撃したのです。そして聖書を見て下さい。使徒の働き13:10を見れば、悪霊を働かせます。本当に怖い存在です。
■これがサタンです。それで、これと戦わなければならないのです。恐ろしいのは、私たちに戦う権威を与えられたのです。それで、今日から会えばこの祈りをしてみてください。本当に答えがくるでしょう。皆さんが祈らなくても、サタンの戦略だと感じるだけでも逃げます。皆さんが詐欺師に会った時、詐欺師だと考えるだけでも感づきます。サタンがこういう存在です。おもにすることが何かというと、いろんな特別な悪いことをみなしますあ、おもな業務があります。おもに見れば、滅亡させることをすべてするのですが、おもな業務があるのです。創世記3章を見ると、人間と家庭を倒します。創世記6章に、人間と社会を倒します。創世記11章に、バベルの塔を築くように、人間の政治、経済を倒すのです。これがサタンのおもな業務です。それで、皆さんの家、皆さんが属している現場、政治、経済を倒します。サタンは方法をどのように使うのでしょうか。いつでも偶像、宗教、律法、教会を常に利用します。偶像、宗教が悪いことではないのですが、みな利用をして、教会をも利用します。それと共にルカ8:12に、みことばを奪っていってしまいます。道端に落ちた種を鳥が食べてしまうと言われています。皆さんが神様のみことばを聞けないように取っていくのです。
■それで、皆さんが礼拝をささげる時間がとても重要なのです。皆さんが少し疲れるでしょうが、みことばだけ福音のなかでよく聞いてしまえば勝利します。悪魔がみことばを奪っていってしまうのです。それが方法です。それと共に、他のものはみな大丈夫です。福音を正しく悟れないようにします。これが方法です。それで、イスラエルが捕虜になって奴隷になりました。これが途方もない力があるのです。方法もすごいのですが、力がすごいのです。それでだまされるのです。あえてマタイの福音書4章を見ると、イエス様に挑戦をしました。どれくらい力がすごいでしょうか。そして見ると、皆さんに最後まで付いて回ります。特に見れば、エペソ6:13-16に最後まで皆さんが福音を聞けないように付いて回ります。力のわざを行ったりもするのです。Uテサロニケ2:9に、力のわざを行ったりもすると言われています。こうしながらだまされるのです。どれくらい力があるのか、偽装する術を使います。聖書をよく見て下さい。Uコリント11:14に光の天使として現れると言われました。このようにして、皆さんを倒そうとするのです。これがサタンがおもにすることで、方法です。ところで、黙示録2:10,3:9にサタンの会衆と言われています。サタンの会衆ならば、何でしょうか。サタンの会衆のようならば組織があります。目に見えなく組織があるのです。だから、どれくらいすごいのでしょうか。これと戦いなさい。皆さんで、とうてい聞き取れない人もいるでしょうが、わかれば答えの大きい門が開かれます。答えになる前に、皆さんがわかれば祈りに大きい力が生まれます。それでは、本当に祈りが始まるのですが、何かを求めなくても答えがきます。これを知らなければ、皆さんがいくら物質、成功しても、捕えられてしまいます。これを分かれば、祈りが何か分かるしかありません。サタンは、会衆、組織を持っています。それで、多分、皆さんの後にも付いて回る組織があるでしょう。ヨンド・インマヌエル担当組織もあるでしょう。組織、サタンの会衆。これをどのように倒すのでしょうか。
■勝つ方法です。最初は何でしょうか。Iヨハネ3:8神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。悪魔のしわざがこういうものをいうのですが、これを滅ぼそうとされるのです。イエス様がおっしゃるのに、これをなくさなくては何もできないということです。勘違いせずに、少しだけ祈っていれば答えがきます。皆さんの使命が大きいのです。皆さんの家系にあるすべての偶像勢力、暗やみの勢力、全部うち砕いてしまう祝福があることを希望します。ヨハネ17:12を今日読みました。イエスの御名で、主の御名。何で勝てるのでしょうか。イエスの御名で。それで今日、ヨハネ17:12に、イエスの御名は神様の御名だと言われています。信じることを希望します。それで、皆さんが今は霊的な目が開かれ始めるのです。ところで、さらに恐ろしいのは、皆さんにこの権威が与えられたのです。ルカ10:19に蛇とさそりを踏みつけ、敵のすべての力を制御する権威を与えられたと言われています。マルコ3:15に、あなたがたを呼んだのは、悪霊を追い出す権威を持たせるためだと言われています。だから、何の力も必要なくて、イエスの御名で誰でもできるのです。それで、今日、悟りさえすればよいのです。今、これが我が家にある霊的な問題だな。これが今サタンの戦略だな。イエスの御名で。その御名で勝つ権威を与えられました。
■マルコ16:15-20に、わたしの名前で悪霊を追い出しなさいと言われました。新しい家族に必ず話をすべきです。これが開始です。これが目に見えないので、そのために聖書みことばを分かるようにしてあげなければならないのです。今日、礼拝をささげる人が祈る時ごとに、この事実を記憶しなければなりません。なぜこの権威を持って戦うべきなのでしょうか。ひとまず皆さんが先に理解をしなければなりません。これが目に見えないのですが、大きなことが行われるのです。皆さんの考えがあるでしょう。考えは誰でもあります。ところで、皆さんには習慣があります。誰でもあります。ところで、ここにサタンが働くのです。こうすれば、どんなことが行われるのでしょうか。深刻な問題が出てきます。このようになって、それからは、問題が出てくるのです。例えば、家族どうし集まって、花札で賭けを一度したとすれば悪いことではありません。一度は、昔に私たちのおいが我が家に来ました。ところで、うちの子と一緒にカード遊びをしたのです。カード遊びをするのに、私が私たちのおいを見たら、カードをどれくらいよくつかむのか、小さいのにきちんとつかんでいました。それで、一度は母親がきたので、家で花札をたくさんするのかと尋ねたところ、どうしてそれが分かるのかと驚いたのです。それが悪いのではありません。名節(韓国固有の盆・正月)の時、家族どうし集まって花札をしようと言えば悪いのではありません。ところで、お金さえできれば持って行って花札をする人がいます。それを霊的な問題と言うのですが、サタンにしっかりと捕えられるのです。こういう段階にいる人がいます。この時、皆さんがイエスの御名で戦わなければならないのです。
■それで、皆さんが霊的な祈りをすれば、後ほどには勝利するようになります。今日、この答えを皆さんが必ず受けることを希望します。それで、イエス様がマタイの福音書12:28-30に、すべての敵を縛り上げなくては、家具を取り出すことができないと言われたのです。それでレムナントは、記憶しなければなりません。皆さんが考え、習慣を持っていて、ある日、サタンに捕えられるのです。それで、大きい問題に捕えられます。ある学生は、友人と知らずに麻薬をしました。一度は、自ら感じがあったでしょう。この時、下手するとだれが分かるでしょうか、目に見えないサタンに捕えられるのです。このように捕えられてしまえば、とうてい切れません。それで、霊的な大きい問題に陥るのです。それで、私たちの戦いは血肉に対するものではなく、天にある暗やみの勢力との戦いなのです。どれくらい簡単なのでしょうか。イエスの御名で祈れば良いのです。今日、家に帰る時、電気を消そうとするなら、スイッチだけおろせば良いのです。そして、つける時は、上げれば良いでしょう。大きい力が必要なく、単に上げれば良いのです。皆さんがイエスの御名を知って祈れば、暗やみの勢力は崩れ始めます。驚くことです。初めにヨンドに来たら、全部、偶像を拝んでいました。行くこともできなかったのです。講堂で朝の祈りの時、すべてのヨンドの地域にある暗やみの勢力はイエスの御名で崩れるようにと祈りました。釜山市内で偶像崇拝を一番よくする地域、すべての悪霊らは、イエスの御名で離れるように、その祈りだけしたがみわざが起きたのです。
■今日、皆さんがこの契約をつかむことを希望します。こういう存在があるんだな、すべき一番最初の戦いが、この存在との戦いだな。多くの未信者は知らないのですが、聖書にだけあります。ところで、クリスチャンも、後ほど完全にほろびて悟るのですが、その時は遅いのです。麻薬のようなものをすれば、後には悪霊が見えるのに、その時には遅いのです。霊的な問題に深く陥れば、後ほどおかしな声も聞こえるのですが、その時は遅いのです。人が誰でも苦しい時は死にたいと考えることもあるでしょう。それではなくて、サタンに捕えられれば、その時からは死ぬのが願いになるのです。これがどれくらい怖いことなのでしょうか。それで、レムナントに、皆さんの考え、習慣の良くないことを少しずつ直していけという言葉がその話です。それで、ただイエス・キリストの名前で。この名前でなされない事はありません。今日、皆さんが暗やみの勢力に勝利して、すべての家、現場、みな生かすことを希望します。皆さんがこの部分を変だと思ったり、変に使ったりせずに、霊的な目を開いて使うことを希望します。それで、この部分は目によく見えない部分だから奥義なのです。奥義をどのようにするのでしょうか。奥義は隠します。お金を出しに行けば、領収書が出てきます。それでは、それを見られない所に捨てなければならないのですが、どこにでも開いて出てくるのでしょうか。だから、こういうものを皆さんは、少しも素振りを見せる必要がなく、霊的に祈りをすれば勝利するようになっています。私が一番初めに伝道運動を始めた時です。伝道運動を始めたのですが、私は初めには知りませんでした。そのままにせ物で伝道するので知らなかったのですが、後ほど見ると、未信者が全部、偶像崇拝をしていました。私はその時になって、イエスを信じて何十年ぶりに、聖書のみことばになぜイエス様がこの話をしたのかがわかったのです。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。私はこういう話があることも知りませんでした。ところで、現場に行って未信者を詳しく見たら、全部ここに陥っていました。その時になって、わたしの名で悪霊を追い出す権威を与えるために呼んだと言われたのが分かったのです。それで、力を受ける必要もなくイエスの御名で。このように言われたのですが、悟るだけだったのに、伝道に火がつきました。だから皆さんも今日、悟って祈りをしさえすれば、答えで大きいみわざが起きます。行く所ごとに全部、ここに陥っています。そのようなある日のことでした。今現在、多くの世界教会が霊的な問題に陥っています。それと共に、ある日、私たちは家系、家庭、個人にこういう問題があるのです。これを置いて祈りをするだけで、皆さんには大きい勝利、答えが与えられるようになります。新しい家族に必ず教えなければならず、皆さんが祈りの契約で捕まえなければなりません。今日から定刻祈りの時間にこの祈りをして、完全に勝利するようになることをイエス様の御名でお祈りします。皆さんが定刻祈りの時間に、皆さんの問題だけでなく、周囲に起きる暗やみの勢力をうち砕く祈りをするだけでも伝道の門が開かれます。今から答えの門が開かれる祝福の時間になることをイエス様の御名でお祈りします。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。今から霊的な奥義を味わう時間になるようにさせて下さい。私たちの戦いが血肉の戦いではなくて、霊的な戦いであることを今日発見するようにさせて下さい。今日、教会に座っているのですが、すべての所に天の軍隊を送って下さい。この時間に天の門を開け、全てのことに神様のみわざが起きることを祈ります。私たちの家系、私たちのレムナントを触る暗やみの勢力が、イエスの御名で縛られるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン