2007年10月14日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/ことばが人となって
(ヨハネ1:1〜14)

■時々、私たちはこう考えます。神様が本当におられるのか。ある未信者は神様がいるのかと言います。また、神様がいるなら、なぜこのようなことが起きるのかと質問したりもします。伝道師の時、ある信徒の家庭で起きたことです。若い執事が子ども三人を育てていました。子ども三人、みな小学生でした。この方は、職業が車で他の人の荷物を積み出す職業でした。それで、夫人はいませんでした。病院にいたのです。末っ子を産んで、精神異常になって、病院に長い間、入院しているということでした。まったく家に帰ってくることができないほどでした。この方は、子どもたちも育てて、病院にお金を使っていました。そのようなある日、名節(韓国固有の盆・正月)が過ぎた次の日でした。誰かがきて、全羅道(チョルラド)に引っ越しをするので、荷物を積んで行けるかと尋ねたのです。子どもたちの話を聞いてみれば、お父さんがお母さんの病院費も出すべきだから、行ってくると言ったのでした。自分の車に荷物をのせて、その人を乗せて全羅道(チョルラド)側に行ったのです。突然、犬が飛び出して来たので、本能的に避けようとしたのですが、前から来る車と正面衝突をしました。だから、その現場で執事は死にました。もちろん、誤りを問い詰めれば執事の誤りです。私は、このような気がしたのです。神様がおられるなら、そのようなことがあるのだろうか。私が伝道師なのに、そのように考えました。あの子たちはどうするのだろうか。お母さんも精神病院にいるのに、あの幼い子らをどのように育てるのだろうか。率直にそのように考えました。他の人も話はしなかったのですが、そのように考えたでしょう。
■確かに神様が生きておられて、私たちのいのちを治めておられると言われているのですが、あの執事が亡くなれば、あの子たちはどのようにするのでしょうか。米国に行ったところ、ある長老が、このように話しました。自分のお父さんも牧師で、自分も長老なのに、神様がおられるなら、なぜこのようになるのかと尋ねたのです。それと共に、自分の苦労したことを話しました。信仰とは反対に、神様に対する恨みでぎっしり埋まっていました。本当に不思議なことでした。ちょっと見ても人は善良だと見えました。現在も、信仰生活を良くしています。神様がおられると、このようなこともあるかという質問は、事実、生き長らえていたら誰でもする質問です。
■聖書を詳しく見てください。イスラエルはいつも困難にあいました。なぜ神様の民が、いつも困難にあうのでしょうか。おわかりの通り、今でも教育や経済すべての面に優れていたのですが、一番苦労を多くしました。21世紀に入って、苦しみがもっと深刻になっています。20、21世紀の難しい病気であるガン、麻薬、精神病、エイズで多くの人々が死んでいっています。その中の多くの病気が精神病です。正確であるのかは分かりませんが、国家でただで治療しろという所が70ケもあるということです。それは、すでにいっぱいになっていて、病院でも精神病者を治療する病院がたくさんあります。治療も受けられなくて、助けも受けられなくて、路上に歩き回る精神病患者が一万五千人にもなるということです。精神まで狂ってはいないのですが、表に出なくうつ病になった人がさらに多いのです。ある人は、精神的な問題で罪を犯した場合があります。方向を変えて、自殺して、あきらめて、自虐する人もいます。ある人は、精神が健康でなくて、ずっと堕落します。いったい、なぜそうなっているのでしょうか。成功した人を見ると、成功していると思ったのに、そうでもありません。
■私は米国を通いながら、いつも感じることがあります。真に底力がある国です。簡単に見られる国ではないということを、行きながらずっと感じます。9.11事件(アメリカ同時多発テロ事件)が起きて、かなり経ちました。韓国は、あらましするはずなのに、今でも調べて検査するのに、9.11事件が起きたその時と同じようにするのです。私が見るのに、米国と韓国は別のものです。韓国は、法的にどうかして、新聞、ニュースに出て、その時が過ぎれば止めます。米国に入る時ごとに9.11事件が起きたその週のように、同じようにするのです。米国は、こういうものに優れていると思います。日本に行くと、いつも感じます。その人たちが信徒であろうが、なかろうが、誠実だと感じるのです。その人たちは、偽りが少なくて誠実だと考えられます。韓国の人々は、あらまし大げさに言います。日本の人は、そうではないということをますます感じます。私はいつも話していますが、日本のホテルは、いくら良くないところでもふとんに臭いはありません。それは技術の差ではなく、誠実さの差です。ある面で、文化の差ではありません。経営の差でなく、その下で仕事をする人々の誠実さの差です。日本に行く時ごとに感じるのですが、何でも大切にしています。普通、韓国の人々家に行って冷蔵庫をあけてみてください。ある面では、ごみ箱です。
■日本の食堂に行って、話はできないのですが、メニューを見て注文できます。一人で店の前に食べ物の形を見て選択して、それをくれと言えば良いのです。日本語を知らないから、店員に出てきてと言って、指で指して注文するのです。うつわも小さいのです。韓国食堂に行けば、お膳を一つ整えます。食べ物も少しずつ入れられています。初めにご飯を食べて、おかずがなければならないのに、黄色いたくわんをくれます。丸いきれ二つでなく、半分のきれ2つです。二口食べればなくなります。食べて、さらにくれと言いました。追加でくれるのに、冷蔵庫のドアもそっと開いて、黄色たくわんがビニールに包んでおいてありました。それを取り出して、ビニールをはがします。黄色いダイコン、それが何かすごい宝石を扱うようにするのです。二切れ切って与くれます。すぐ食べてしまうのです。またくれと言いました。それで、私たちならば、より多くくれるはずですが、また同じ形でくれます。ご飯は一杯食べなければならないのに、そうなのです。話をすることができれば、さらにくれと言うのですが、そうすることもできません。女の人が、そのうつわを受け取りながら笑いました。そうしたところ、一個より多くくれたのです。これが日本なのかと思いました。黄色いたくわんも、どれくらい大切に扱うのかわかりません。その人が主人でもなくて、仕事をする人なのに、そうなのです。それで、日本が発展するのかと思います。集会の時、共に食事をしない理由は、時間を惜しむためです。ホテルのすぐ前に、チョン・ウンジュ牧師と食事しに行きました。私は知っていて、ご飯とおかずを調節して食べました。チョン・ウンジュ牧師は、すぐみな食べてなくなってしまいました。言葉を知らなくて、くれと言うこともできなくて、醤油をかけて混ぜて食べていました。それと共に、6.25(朝鮮戦争)の時、貧しかった時に醤油をかけて混ぜてから初めてだと言いました。醤油もおいしいから、そのまま食べてくださいと言いました。みな食べ物も合わせて食べなければならないと言いました。そのように、大切にする国が日本です。
■それでも、日本、米国に精神病患者が多いのです。そのように発展して良い国なのに、韓国より多いようです。子どもたちが、やや下手すると麻薬に陥って、日本で見れば、子どもたちが路上に出てきて寝ている場合が多いのです。一般的に誠実で成功したように見られるのですが、年を取るほど虚しくなり、ある時は、合宿訓練を受けにきたのに、長官出身なのに訓練費がないのです。このように年を取るほど虚しくなるのです。そのような程度ではありません。私たちはよく知らない話です。今回もTVや雑誌に出てきていたそうです。ハンサムで立派な人が、自分に来た霊的な問題をとうてい理解できなくて、どうすることもできないのです。こういうものを、どのように解釈するのでしょうか。とても苦しめられて、難しいから、ある芸能人は隠れて自殺します。こういうものは、科学的、医学的には、どのように解釈しなければならないのでしょうか。いくら自分がしないとしても、だめな問題がきます。このように考えることもできない占い師を訪ねて行って、霊を受けて、ムダン(霊媒師)になるのです。こういう人がかなり多いのです。
■こういう問題をみなどのようにするのでしょうか。聖書はその理由と解答を明らかにしています。神様のみことばをよく読んで信じなければならない理由が、解答を明らかにしているためです。いくつかのことを正確に明らかにしています。必ず心に入れて祈らなければなりません。私たちより先に存在する強い存在があったのです。創世記1:2に見ると、アダム、エバ以前に、暗やみ、混とん、空虚がありました。創世記3章を見れば、人類の先祖アダムとエバの話が出てきます。アダム、エバが幸せな人生を始めました。あたかも、待っていたというように悪魔が近づいて来たのです。それも、蛇を利用して入ってきて、全く分からなかったのです。蛇は知恵があって、美しい動物でしたが、それを利用して入ってきたのです。アダム、エバを完全に倒しました。聖書にだけ記録されています。昔の話だと思っていたのです。
■黙示12章には、より一層、細かく明らかにされています。天国から堕落した天使が多くの群れを率いて降りてきました。聖書には、世界中をごちゃごちゃにすると言われています。なぜ神様が防げないのでしょうか。そのように質問する人もいます。皆さんに尋ねてみれば良いでしょう。神様はそのように祝福されるのに、私たちはなぜこのようにしているのでしょうか。同じ言葉です。神様は天使と人間にだけ自由意志を与えられたのです。植物には自由意志を与えられませんでした。動物にも与えられませんでした。霊的自由意志を持てる唯一の存在が人間であり、天使なのに、これが堕落したのです。エゼキエル28:13を見れば、天国で賛美を担当した天使でした。それで賛美が重要なのです。そのためか、全地球を歌で倒します。全世界の青少年を歌でつかんでいます。韓国のあちこちにナイトクラブで歌で若者たちをつかんでいます。全地域を歌でつかんでいます。17節に、高慢になって堕落したと言われています。私たちは全く知らずにいるのですが、聖書に記録されています。エペソ2:2に、追い出されて空中の権威をつかんだと言われています。これが、この世に降りてきたのですが、どれくらい力があるでしょうか。Uコリント4:4〜5を見ると、世の神と言われています。それで未信者が成功するように見られるのですが、後ほど問題がくるのです。ヨハネ16章には、世の支配者と言われています。Uコリント11:14には、光の天使に変装すると言われています。世の中で美しくて良いのがとても多いのですが、柳先生はあまりに否定的ではないかと話すほど、光の天使に変装します。牧師もだまされるほどです。福音でなくとも、教会ですることがとても多いというほどです。このように、サタンは宗教人をつかんでいます。ある面では、善行をする者をつかんでいます。祝福しなければならないということです。成功者をつかんえ、天才をつかんでいます。英雄を攻撃します。実際に、一般の人々を掌握しているのです。
■それで、創世記3章で、家庭を倒しました。聖書を詳しく見れば、創世記6章で、社会を倒しました。解かってみれば、ものすごい活動をしているのです。エペソ6:12を見ると、主権をつかんでいます。それで、国家のために祈らなければならないのです。例えば、政治自体で牛を神様で法に定めたので、どれくらいサタンの働きでしょうか。国家政策自体がイスラムなので、戦わなければなりません。ある面で、エペソ6:12を見れば権力者をつかんでいます。政治家のために祈らなければなりません。サタンが権力がある人をつかんでいます。今まで歴史にあった事を見てください。権力者ひとりがサタンに捕えられれば、戦争を起こします。極めて個人的であることを維持させるために、戦争を起こして国がだめになります。人気が落ちて、自分の体制が維持できなければ、戦争を起こします。そして、天にある悪霊と言われています。宗教をつかんでいるのです。やみの中のことと言われています。犯罪と堕落の中でサタンがつかんでいます。エペソ6:13に見ると、最後になって倒すのです。いったい、この目に見えない悪魔は何をするのでしょうか。滅ぼすのが目的です。聖書にだけ記録されています。霊媒師や占い師を手助けするようにして、最後に完全に倒すのです。エペソ6:16に見ると、隠れて火矢を撃つと言われています。こういう暗やみの勢力を神様はそのまま置いておかれませんでした。
■最後に記憶しなければならないことがあります。神様は初めから自由意志を誤って使った人間を救うために、道を開いて下さったのです。聖書にとても重要な箇所が出てきます。創世記3:15に、女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。この言葉を普通の人がどのようにわかるでしょうか。男の子孫ではありません。女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。宗教人も、牧師もわかりません。出エジプト3:18に犠牲のいけにえをささげに行きなさいと言われています。その言葉は、血のささげ物をささげに行きなさいということです。あなた個人、家系、文化、暗やみに勝つために、十字架の血のささげ物をささげに行きなさいと言われたのです。今回、聖書を新しく翻訳しなおしました。仕方なく、一緒に使うので使っていますが、私たちが検討してみたのです。幸い、間違った部分はありません。しかし、とても弱く翻訳したところが多いのです。翻訳した牧師が誰なのかが重要です。その人が、どれだけ伝道を分かるかが重要なのです。福音をどれくらい深く分かっているのかが重要です。ところで、この人が昔の聖書で「犠牲のいけにえ」とあったのを抜いて「ささげ物」をささげに行くとしています。あくまでも私の感じですが、翻訳者が誰なのか知りませんが、犠牲のいけにえという単語をどれくらい知っていたのでしょうか。もちろん、その翻訳が間違っているのではありません。聖書にとても重要な答えを与えられたのです。
■さらに具体的に話しています。イザヤ7:14に、処女がみごもって男の子を産む。絶対に人間はメシヤになれないので、処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと呼ばれると言われました。重要な答えが出てきたのです。それでペテロの告白がすごいのです。「あなたは生ける神の御子キリストです」Iヨハネ3:8に「神様の息子が現れられたのは、悪魔のしわざをうち壊すためです」今日、ヨハネ1:14に、ことばが人となったと言われています。そのみことばは、神様が人のからだを着て来られたということです。今でも、私たちがみことばを受けるので、神様に会えます。肉体を着たということは、肉体も救われることができるということです。かなり以前から約束されました。
■これを知らずに信仰生活するなら、宗教生活や偶像崇拝することと全く同じです。この話しを分からなければなりません。私が熱心に信じたのに、なぜこうなっているのか。熱心さを追求するなら、仏教がさらに熱心です。仏教は朝の祈りをしに行く時、起きて入浴してから行きます。明け方祈りする時、入浴して来るでしょうか。歯磨きでもしてくれば幸いでしょう。熱心さなら、仏教がもっと熱心です。明らかな話は、救われない人や、教会に通いながら福音を知らない人は、偶像崇拝する人とみな同じなのです。これを知らずに、困難が来たら、なぜ来たのかと言います。少し信仰が良い人が悟るのに、私が何か罪を犯したのかと律法的に悟ります。まったく信仰がない人は神様がいるのかと言います。全く暗やみの勢力にだまされて、何の誤りもないのにと言うのです。自分が犯す罪は皆さんの誤りですが、原罪は皆さんの誤りでもありません。何の誤りもなく、家に霊的問題がくるのです。こういう偶像崇拝と霊的問題のために起きる時から精神が狂うのに、誰を恨むのでしょうか。
■今日、重要な答えが与えられています。聖書勉強を一番良くするのがイスラエルです。それに対する答えです。聖書勉強が重要なことではなく、みことばがすなわち神様なのです。だから宗教生活を一番良くする人がユダヤ人です。今日の4節に、宗教生活でなくいのちを与えるために来られたと言われています。絶対にやみの中からは、出てくることはできません。キリストを神様が送られたのは、光で来られたのです。そのように説明されています。みことばがすなわち神様であり、みことばが肉を着てこの世に来られました。このように答えを与えられました。
■今日、どのように私たちが証拠を得るのでしょうか。12節に答えが出てきています。受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった。3つです。受け入れた人々。イエス様を分かったとすれば、私の救い主として受け入れますとすれば、実際、霊的問題に苦しめられる人はすぐ分かります。信仰告白すれば、目に見えなく、霊的にすばらしいことが起きます。長い間、皆さんの家を暗くさせたことが一瞬で離れます。してみてください。証拠があります。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。ある人は、イエス様を受け入れたら、関係なしに病気が治ったということです。前回、霊媒師が告白したのを見たでしょう。とてもからだが痛いのに、病院に行っても、何の異常もありません。どのように解釈するのでしょうか。本当に痛いのに。薬剤師、医者の方々は、どのように解釈されるでしょうか。とても痛くてご飯も食べられなくなっていたのですが、いくら検査をしても異常がなくて、点滴だけ受けてきたということでした。さらに痛くなった時に、ある霊媒師が訪ねてきたのです。普通の問題ではないから、霊を受けなければならないと言われたそうです。それでグッ(降霊術)をしたのです。直ちに良くなるように見えたのですが、また問題がきたのです。この方が十何年か苦労しました。夫も理解できなくて、子どもも理解できなくて、両親も理解できません。医者も理解できなくて、誰も理解できなかったのです。そうする中に、ある人が福音を伝えたのです。その通りだという答えがきたということでした。それでイエスを救い主として受け入れたのです。聖書に預言された万王の王である主イエス・キリストを、私の救い主として受け入れますと言ったのです。その方の表現ですが、あたかも嘘のように、私が痛かったということが嘘のように解放されたのですが、その時からこの方が伝道者になったのです。こういう人がとても多いということです。
■受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々に。受け入れという言葉と、肉を着てという話と、聖霊内住とは、関係がある言葉です。イエス様が来られる前、旧約には受け入れという言葉は少なかったのです。旧約聖書にはいくら読んでみても、聖霊の働きという言葉はあっても、聖霊内住という言葉はありません。神様が送られたキリストが来られた後に、聖霊内住という言葉が出てきたのです。それで、聖霊が内住されれば、私はどうなるのでしょうか。身分が変わります。それで子どもになる特権を与えられたのです。受け入れて、その名を信じる者には、神様の子どもになる特権を与えられました。子どもとは何でしょうか。神様の子どもになる身分が変わるのです。その祝福を味わいさえすればよいのです。その程度ではありません。子どもになる特権を与えられました。これが、ヨハネ1:1〜14までの本文です。
■皆さんの信仰生活で、これを実際に味わわなければならないでしょう。それが重要です。イエス様がこのようにおっしゃられました。誰でも幼い子どものようにならなければ、天国に入ることができないと言われました。何の話なのでしょうか。子ども。これは子どものようにということです。幼い子どものようだという言葉と、子どものようにとは違う言葉です。英語にも、とても幼いという時は「childish」と言います。子どものようだというのは「childlike」と言うのです。子どものようにという言葉は、そのままそうだという言葉です。皆さんが神様の子どもであるから、この部分をそのままそうだと見る必要があります。本当に信仰を持っていくら身分、学識が高くて、経歴が多くても、神様の子どもです。一度だけでもみわざが起きます。実際です。
■ことばが人となったということは、みことばが重要だということです。みことば黙想、祈り、暗唱もすれば、働きが起きます。私は福音に関する聖書箇所を30個暗唱しました。働きが起きたのです。ほとんど神様のみことばに対してよく味わえずにいます。神様のみことばを、とても大人のように神様の前で信じているのです。そうではなく、子どものように。神様の子どものように。神様の前で、とても大人っぽく信じるのではなく、神様の子どものように。このみことばを捕まえてみるのです。とても重要な働きが起きます。神様のみことばが、本当に生きているみことばなのでしょうか。
■このみことばを捕まえて祈ってみれば分かります。私たちが祈る時、上手にすべきでしょうか。違います。そのまま神様の子どものように祈れば良いのです。ある方が50才ぐらいでイエスを信じるようになりました。世の中経験も多い方です。私たちの教会でイエスを信じるようになったのです。とても良くて、家族を集めて食事時間に祈ろうと言いました。祈らなくてはと「神様、ありがとうございます。私たちがイエスを信じて神様の子どもなったことをありがとうございます」としたが考えが出なかったのです。「私たちの家族、みなイエスをよく信じるようにさせて下さい、今、食事時間なので、食べて健康にして下さい」この方が、初めてした祈りでした。終わりが問題です。最後は習慣的に、イエス様の御名によってお祈りしますと言うので卯が、この方がそれを知らないので、終わりが言えなかったのです。この方が静かに考えて「終わり」と言いました。食事したのです。神様がその人の祈りを聞かれたでしょうか、聞かれなかったでしょうか。私は、その人が方式も知らずに、イエス様の御名で祈るということを知らなかったのですが、その人がむしろイエス様の名前で祈りますと流ちょうに話す人より、神様がその祈りをお聞きになると思います。私たちが出てきて、全能な神様と古今東西の古語をみな使ってしなくても良いのです。そのまま祈れば良いのです。私の孫が私に会っておもちゃを買ってと言うと、私は買います。そうすれば良いので、私の孫がきて、世界福音化の総裁よ、インマヌエル教会の堂会長よ、私にプレゼントを下さいと言う必要はありません。そのままプレゼントと言えば、終わりです。そのまま祈ってみましょう。神様の子どもらしく、みことばを捕まえて祈ってみましょう。
■とても重要なことがあります。本当に一人でイエスの御名の権威を使ってみてください。ある面で、人の前でする必要はありません。皆さんが最も困難な目にあう部分は何でしょうか。それが解かってみれば、その背後が暗やみの組織であるのです。皆さんの家系をそのように表に出ずに難しくさせるのを追跡して研究してみれば、それがまさに神様ではなく、サタンのしわざです。その時、祈ってみてください。私たちに権威を与えられました。ナザレのイエス・キリストの御名で命じる、すべての暗やみの勢力は縛られるように。心より信仰で祈ってみてください。本当に霊的に驚くことが行われます。実際にみなのがしたのです。受け入れる祈りは初めて信じる時することですが、いつもできます。キリストが私の事業の主人になって下さい。いつもしてみましょう。私の仕事場に主が主人となって下さい。サウルはこのように話しました。私がイスラエルの王だと言ったのです。ダビデは私の王である主よと言いました。違うのです。祈りが違います。だから、ダビデがどれほど多くの答えを受けたのかわかりません。
■実際に、この祝福を味わわなければなりません。私の人生に、神様が主人になって下さい。主人とは何でしょうか。好きなようにすることが主人です。皆さんは、好きなようにできるのでしょうか。できないでしょう。好きなようにできるならば、どれくらい良いでしょうか。よく暮らす家に生まれて、両親の人格が良い家に生まれて、私の気持ちのとおりなったら、とても暑い時ではなく春に生まれて、よく暮らして、私が生きたい時まで、およそ125才まで生きて、することをしつくして秋ぐらいに行くのです。どれくらい良いでしょうか。そうできるでしょうか。私はもっと生きたいのに、神様は来なさいとおっしゃいます。私の気持ちのとおりにはなりません。だから、私の主人は誰でなければならないのでしょうか。主人は好きなようにするだけでなく、することができるのです。私たちの人生を責任を負える方が神様です。私の主人になって下さい。働きが起きます。実際に、祝福を味わわなければなりません。
■私たちは、クリスチャンが実際にはのがしていることが心配です。この頃、放送でずっと教会の悪口を言っています。MBC、KBS、SBSの三番組でずっと攻撃しています。教会は、なぜお金が多いのに、税金を出さないかと言っていました。昨日SBSでは、路傍伝道に対してずっと攻撃していました。その方たちのあやまちではありません。残念です。実際と本質をみなのがしたのです。福音も知らないのに、路上で伝道すると騒ぐので、キリスト教の恥さらしをしているのです。福音を知らない人が何の伝道をするのでしょうか。福音、伝道を知らないのに、気違いのように騒ぐのです。そのまま一般の人々や放送程度ならば、少し精神異常の人が、ストレスを発散しているのなと分かれば良いのに、クリスチャンだと話すのです。さらに笑わせるのは、キリスト教の指導者である牧師をインタビューしていました。返事を聞くと、キリスト教が誤って教えるからだと、キリスト教だけ救いあるように教えるからだと言っていました。すべての宗教は同じです。しかし、いのちは違うのです。すべての宗教は同じですが、救いは唯一です。すべての病院は同じです。しかし、その人が生きるか死ぬかは、唯一です。だからとても複雑なことが集まってめちゃくちゃです。それで、私たちは神様がくださった答え、証拠を捕まえて、正しい証人として立たなければなりません。今日、実際に聖日だけでも、みことばを捕まえる日になることを望みます。祈りで捕まえられます。ことばが人となったように、神様が今日、私にみことばが時代的な答えで働くように祈ります。とにかく、皆さんを滅ぼそうとする存在は終わったので、そこにだまされずに、イエスの御名で勝てる権威を使いましょう。受け入れた人々、キリストを主人にむかえた者は驚くことが起きます。私は何の事も起きなかったのですが、霊的には見えなく、さらに重要なことが起きました。私は1、2回ではなく、多くの経験がありました。ある家に子どもが病んで死んでいくのに、イエスを信じるといって私は福音だけ伝えてきたのです。家族がイエス様だけ受け入れたのですが、その家にみわざが起きました。それを証しして、自慢したのですが、それが問題ではありません。神様が送られたキリストによって、霊的なすべての問題が実際にみな解決されたのです。それでは、どのようにすれば良いのでしょうか。万王の王であるキリストが、皆さんを救おうと人となってこの世に来られて十字架で勝利されたのです。それなら、私の人生、事業、家庭の主人はキリストです。そうすれば、勝利します。カナン婚姻の祭りの時、イエス様が主人として働かれる時、奇跡が起こりました。難しい話で、理解できない言葉かもしれません。努力すべきで、主人がキリストなのかと思うかもしれません。その話ではありません。皆さんの人生に最も重要な部分の責任を負う主人として神様が主人なのです。全てをみな責任を負われます。
■銭湯に行ってみたことがあるでしょう。貴重品は主人に預けてください。主人に預けないものは、責任を負いません。主人に預けたものは、主人が責任を負います。私たち幼い時にも銭湯に書かれていました。私たちの本当に責任を負う神様が、皆さんの全ての主人になられます。今日、この祝福を実際に味わうように願います。火を受けなければならないのではありません。そのまま簡単に信じれば良いのです。ある宣教師が実際、証しをしました。宣教地で、子どもが死んでいくのに、誰もいない時、手を握って祈ったということです。この子を通して福音を遮って、神様の栄光を遮ろうとする暗やみの勢力は、イエスの御名で離れるように。一度祈ったのですが、その次の日、子どもが生き返ったのです。勘違いするのはすばらしい体験をしなければならないと思うのですが、単に今日祈れば良いのです。誰かが祈りをお願いしたら、どうするのでしょうか。それで行って山に行かなければならないのでしょうか。違います。軍人が祈りを頼みました。軍部隊の中で重要なことがあるので、祈りをお願いすると秘書を通して伝えてきました。私が飛行機から降り立って行く道に秘書が報告をしました。どのようにすべきでしょうか。私は行きながらその場で祈りました。その話を聞いて、すぐに神様が栄光を受けて下さい、神様がその方を通して主の御名が宣べ伝えられるようにして下さい、すべての暗やみ、すべての呪い、すべての事故は、イエスの御名で崩れますように。これ以上する必要はありません。神様がお聞きになります。そうすれば良いのです。長くしなければならないと思うのですが、宗教的習慣で錯覚です。多くの功徳をたてなければならないと思うのですが、降りてくる宗教的習慣の違った考えです。信じる瞬間、受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神様の子どもになる特権を与えられたのです。今日、回復する日になることをイエスの御名でお祈りします。今日、すべての祝福を受けるように、イエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。1秒だけでも働かれる神様が、私たちを呼ばれたので感謝します。今日一日だけ祈っても、暗やみに勝てる権威を与えられたことを感謝します。今日、礼拝時間にみことばを捕まえて祈るだけでも、現場を生かせる恵みを与えられたことを感謝します。今日、礼拝する間、私たちが対話する間、祈りの答えと主の権威が現れるようにして下さい。重要な方々がこの席に座っています。レムナントを生かす方たちが、この席に座っています。神様の前に重要なことをしなければならない人々が、この席に座りました。神様が現場に天の軍隊を派遣して下さい。今、この時間にみことばが成就するようにして下さい。今、この時間に聖霊が働いて下さい。今、この時間に天の門をあけて主の軍隊を送ってくださり、神様の計画が成就されるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/キリストが中心にならなければならない理由
(Iコリント3:1-9)

■ 20年前に、釜山で35坪程度の地下にいた時でした。信徒が伝道をとても難しく考えていたのです。それで、水曜日に私が家で文章を書きました。書いて、コピーしたのです。それを持って教会に何人かを連れて読んであげました。行って読んであげるだけだと言いました。それが福音の手紙です。継続しようとしたのですが、だいたい10回程度した後に、他のみわざが起きたので止めました。ところで、この福音の手紙が、今、中国でも一番たくさん見ているそうです。また、他の人々が話をするのに、北朝鮮にも入っているということです。初めには、違うように考えました。福音の手紙を私が書いたのですが、本当によく書いていると考えました。そのように考えて、錯覚だったことをすぐ悟りました。神様が、福音がどれくらい重要だから、私のような人が適当に部屋の中で書いたものを、こんなにも神様が貴重に見てくださったのかという考えをするようになりました。そのように考えて福音の手紙を読んでみたら、粗末な点がとても多かったのです。それで、その当時に、福音の手紙を読んであげながら補充説明した部分があります。それを今、一つずつしていっています。本来、7回目の出会いを見れば、どのように始めなければならないかです。先週には、開始をしようとするのに、私たちの敵を分からなければならないと言いました。今日、どのように開始をしなければならないのかを見れば、私たちにはそれぞれ考えが違うために、神様のみことばをよく見なければなりません。
■私は神様のみことばを聞いたり、話したりしようとする時は、神様がなさる歴史的な背景を考えます。そうすれば、正しく理解できて伝達がやさしいのです。神様がどんな意味でこのみことばを与えられたのか、今、私たちはどのようにこれを理解して説明しなければならないのかを考えれば良いのです。それが皆さんがみことばを聞く中心です。私は賛美する時は、こう考えます。本来、賛美は地にあったことではなくて、天国で始まったのです。天使が集まって主をほめたたえていました。それが本来の賛美です。それをこの人たちが、代行するのです。皆さんがそのように考えながら画面に出てくる聖歌隊を見て下さい。本当にそうではなくても、美しいと見えます。賛美をする間は、ということです。ところで、この天使が堕落をして賛美を盗み出したのです。そして、歌を持って全世界を倒しているのです。ところで、その重要な賛美を聖歌隊が代ってしているのです。すごいのです。それが、聖歌隊員が賛美をする時、私が思う祈りです。そして、定刻祈りの時はしないのですが、献金をする時にする祈りがあります。献金をささげる時ごとに、私は4つの祈りをします。皆さんはどのように考えるかも分かりませんが、私はこのように考えます。私と私たちの家系が出す十分の一献金で教会が生かされるようにして下さい。私と私たちの子孫を通して地域文化を変える教会が建築されるようにして下さい。私は必ずそのように祈ります。私たちの家系と教会を通して、代々RUTCが立つようにして下さい。世界宣教の門が開くようにして下さい。ところで、同じ祈りをするのに、する時ごとに切実になります。ある時は、私が戦慄が感じられるくらいになります。皆さんが献金に対する色々なことをするでしょうが、私はこのように、私の家系と私の子孫を通して永遠に4つのことがあるようにして下さいと祈ります。
■私の母が教えてくれたのです。私の母は、とても質素でお金を使わない人でした。私の母は、いつでも売れ残った、捨てる直前のものを買ってきて私たちに食べさせました。そうすれば、価格が遥かに安いのです。捨てる直前のものを価格を安くしておいしく食べさせるには、相当な専門性がなければなりません。ところで、私の母は、一度も十分の一献金をしなかったことはありません。そんなに自分のためには使わない人が、教会建築、宣教などには、いつでも隠れてしていました。私はそれを見て育ったのです。ある時は、残念でした。少し使えば良いのに、あまりに献身だけしたのです。ところで、私はそれがどれくらい大きいことなのかを時間が過ぎながら分かったのです。目に見える部分だけを持っても知ることができて、感じられます。どの程度、神様が奇跡を起こされたのかというと、本当に医者の方々には申し訳ないのですが、私たちの家族はひとりも病気になりませんでした。奇跡ではないでしょうか。それが信仰生活を良くしたということではなく、そんなことがあるのでしょうか。そのようなことがあるはずがありません。人は誰でも一度は病気になるはずなのに、病気になりませんでした。私は事実、年齢が60くらいになっています。神様が私の髪の毛も白くされていません。この頭は染めた頭ではないのです。前にも話をしたのですが、歯も一本も虫歯ではありません。それでも、熱心に磨くのでもありません。目も小さいものも全部見えます。だから、この話は神様が特別に保護してくださったということです。そして、どれだけ祝福してくださったでしょうか。伝道を始めた時、気づきました。人がものすごく集まって、資料がたくさん作られて、経済的に良くなるということを分かったのです。幸いに、私たちの教会でよく手助けしてくれました。これら全部の収入は、1円も私が手を付けないで、教会が手を付けないで、団体に与えて伝道するようにしました。良くしたではないでしょうか。それでも、私たちの教会がそんなに貧しいことはありません。神様が経済祝福をしてくださって、接待をよくして与えようとするのですが、困難にあったことはありません。私は私の母の信仰生活を見ながら、神様は生きておられて、細かくしてくださることが分かったのです。
■それなら、私たちの信仰生活を、これからは、どのように始めれば良いのかということですが、先週には、暗やみ勢力と戦うことでしたが、今日は私たちの中心をどこに置かなければならないのかを分からなければなりません。必ず必要です。私たちが仕事をする時も、中心が必要です。私たちが何かの問題に出会ったとしても中心が必要です。私たちが肉体に健康を維持するのにも中心が必要です。すべて同じです。それで、私たちは何を話すべきなのでしょうか。キリストが中心にならなければなりません。それにならなければならない理由です。
■皆さんが、信仰生活が良くしようとするなら、たくさんあるでしょうが、直ちに私たちの前に見えるのが何でしょうか。直ちに見えるのは、神様ではなくて人です。直ちに人が見えるのですが、神様が見えるのではありません。ここで皆さんが失敗をしやすいのです。人がいくら上手にしても、それを見て信仰生活をするのではありません。その方を祝福して用いられる神様に感謝するのであって、そのためにするのではないのです。また、そうすれば人のために試みにあいます。それがよくできないのです。ここに座っていた、画面が出てきました。私たちの教会の教役者のひとりが車を運転していて、他人の車にぶつかりました。車がぶつかれば、お互いにいざこざが起きます。それで、いざこざがあって相手方が教役者に、この人は酒を飲んだのかと尋ねました。ところで、私たちの教役者が昔に飲んでいたが、やめたと言いました。ところで、尋ねたこの人が、言わばアルコール中毒者でした。どのようにやめたのかと尋ねたのです。この人は、酒の病気になった人でした。イエス・キリストを救い主として受け入れればやめられると言ったのです。それで、本当に受け入れをしました。そして、この人が本当にやめたのでした。単なる酒飲みでなくて、中毒者だったのに、やめました。家族はもちろん、周囲の人々も衝撃を受けたのです。これで、その人が教会に来ました。教会に来たのですが、顔がお酒をたくさん飲むような顔でした。ところで、今は恵みを受けて顔も変わりました。この席に座っていました。
■それで、私たちが信仰生活をするのに、神様は人を通してなさるのですが、そこで、神様がなさることをよく見なければなりません。ある財閥の娘が、タラッパンでイエス様を受け入れました。お父さんが、その事実を知ったのです。そのお父さんがこの話をしました。他のものはみな良くても、イエスは信じないでくれと言いました。それで理由を尋ねたところ、今まで自分に詐欺を働いた人々は、全部、イエス様を信じる人々だったと言いました。この人が見間違ったのです。その人が詐欺を働いたのであって、イエス様が詐欺を働けと指示をしたのではありません。皆さんがしばしば信仰生活を、人を見てして誤ってしまいます。ある人は、長老が何でそうなのかと考える人々もあります。ところで、私はそのように考えません。「長老であるから、あれくらいなのか」何の話でしょうか。信徒がなぜあんな状態なのかと言うのですが、信徒だからその程度であって、そうでなければめちゃくちゃなのです。私たちは、しばしば人を見て誤って理解をします。
■キリストが中心にならなければならない理由を説明しているのです。聖書はなぜ神様のみことばなのでしょうか。これから説明をすべきです。聖書はなぜ神様のみことばなのか、これから説明をすべきです。聖書は、なぜ神様のみことばなのか。神様が預言者に与えたのをだれが分かるのでしょうか。聖書が神様のみことばである証拠があります。今でも正確に成就しているのです。これが最も答えの中の答えです。それで、ローマ15:4、Iコリント10:11、Uペテロ2:6にあるのですが、記録されたみことばが今でも終わりの日のために神様がくださったのです。この答えを与えれば良いのです。それで、みことば中心に行きましょう。そうすれば、勝利します。今から皆さんがみことば中心に行ってしまえば勝利します。そして、いくつか答えなければなりません。教会に通って止めた理由は何か。この質問です。さらに重要な質問は何でしょうか。私の周囲を見ると、教会に通う人々がめちゃくちゃなのに、なぜそうなのだろうか。教会を通っても、答えも受けられないのに、なぜそのようなかと質問をするのです。質問をしなくても、そのような考えをします。教会に通う人々が、なぜこのように滅びるのかと尋ねるのです。その答えがなければなりません。
■私が副教役者だった時、私が教える学生が、私にこういう質問をしました。釜山、ヤンサンで起きたことです。夜通し信徒がバスに乗って行って徹夜祈りをしました。徹夜祈りをしてきて、雨がたくさん降ってバスが水に落ちてみな死んだのです。聖日に教会に行ったところ学生が質問をしました。夜通し徹夜祈りをして水に落ちて死んだが、なぜそうなのかと尋ねたのです。学生たちがそのような質問をするのは当然です。それで、その学生にこのように話しました。私は知らない、しかし、その人々がなぜ死んだのかは神様だけご存知だ。私がそのように返事をしてしまったのですが、その学生が返事が適正でないから、度々あれこれ尋ねました。必ず記憶をしなければなりません。偶像崇拝をする人や、宗教を持った人や、福音なしで教会に通う人は全く同じです。だから、人々は知らずに教会に熱心に通うので、どうしたのと言うのですが、全く同じです。根本的に、福音をよく知らずに教会に通う人や、宗教を持った人や、偶像崇拝をする人は同じです。だから新しく信仰生活をする人々は、ほとんどこの話が何の話かわかりません。それで、説明をすべきなのです。信仰生活を良くするという言葉は何の話なのか。信仰生活を良くするという言葉は、神様がくださったこの祝福、福音をずっと味わって根をおろすということです。これが信仰生活を良くすることなのです。そして、救われたのがどれくらい感謝か、信仰生活を良くするのは、本当に神様の導きを受けることです。これは必ず教えなければなりません。
■そして三番目には、信仰生活を良くするのは、中心の中でキリストを主として、キリスト中心に信仰生活をすれば勝利するのです。これが先に説明されなければなりません。どんな理由でそうなのでしょうか。皆さんの信仰生活にどんな証拠を与えられたのでしょうか。重要な証拠を与えられました。今日1部礼拝で、とても重要だから記憶しなければなりません。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもになる特権をお与えになった。すでにイエス様を救い主として受け入れる時に、呪いの中から完全に解放されたのです。すでにイエス様を救い主として受け入れる時に、神様の子どもになる身分に変わったのです。子どもになる特権をお与えになったと言われました。ところで、私たちの信仰生活の重要な部分は、私たちの中心がキリストの中心にならなければなりません。これが何の話なのでしょうか。絵で説明します。これを椅子としましょう。いったい救われなかった人は、どんな状態なのでしょうか。これが救われなかった未信者です。救われなかった人は、救いと関係がありません。だから、運命の中に閉じ込められています。聖書、ヨハネ福音8:44節に話しています。未信者は運命の中心にサタンが主人です。そして、自分はしもべ役割をしています。だから、職業、技能に関係なく困難にあうのです。これを知らずに私は信仰生活をがんばったのに、私はなぜこうなのかと言うことがあるのです。私が教会にどれくらい献金をよくした、寺にどれくらい献金をよくしたのにと言います。あの人は祈りをどれくらいよくしたか、なのに答えがなぜ来ないかと言うのですが、成ることがありません。
■これが未信者状態です。だからサタンに捕えられて死ぬしかありません。ところで、イエスを信じるのにもなぜだめなのでしょうか。これは中心が問題です。イエス様を信じるのに、主人は自分自身です。だから、サタンが攻撃を自分にするのです。しかし、自分とイエス様だけ変えてしまえば、攻撃しても効果がありません。私はキリストの中にあって、キリストが私の中心にあれば、どんな暗やみの勢力も、皆さんを触ることができないのです。理解しなければなりません。とても重要です。皆さんの事業が、このようになれば、どんな暗やみも攻撃できません。どんな団体も、皆さんを倒すことはできません。私は30年伝道をしたのですが、とても多くの妨害を受けて、寃罪をこうむって異端の濡れ衣も着せられたのですが、一度も負けたことはありません。これが今日、皆さんが信仰生活をする時、必ず教えなければならない重要な部分です。長老の事業に主人がキリストになってしまえば、誰も倒せません。運命とは関係なくなってしまったのです。皆さんを囲んでいる暗やみの勢力とは関係なくなりました。いくら世の中が強くても、攻撃をしても、中心がキリストだから倒せません。これを悟った人がパウロです。それでパウロが何と言ったのでしょうか。全てのものをちりあくただと感じたのです。
■この言葉が、とても皆さんの中で信仰生活を始める人々に重要な言葉です。事業、勉強をするなという話ではなく、皆さんの人生の主人がキリストなのです。今から考えを変えなければなりません。職業が何でしょうか。今から皆さんがおもな仕事と副業を変えなければなりません。私たちのおもな仕事は何でしょうか。世界福音化です。それをするために、神様が私に医者をさせるのです。米国のカーター大統領がそうでした。大統領になって言った言葉です。神様が私に大統領になるようにされたのは、神様の栄光と福音のためにする。私のおもな仕事は福音を伝えることで、私の故郷の教会の聖日学校の教師をすることだ。そこにしばらく大統領で副業を持ったのだ。すごい言葉です。この話が正しい言葉です。私たちはこの部分だけなってしまえば、絶対に失敗しません。ところで、私たちは何も知らずに教会を通うのに、なぜこうなのか、祈り、献金、奉仕をどれくらいよくしたのに、なぜこうなのかと考えるのです。今日、皆さんがこの祝福を本当に回復することを希望します。それでは、この時からどのように主人になるのでしょうか。捨てることがいくつかあります。そして、反対に見つけだすことが、いくつかあるのです。この祝福を持続しようとすれば、捨てるものがあって、見つけることがいくつかあります。
■ある長老が、こういう話をしました。信徒の中で、とても困難な目にあう人が、家に大きい問題が生じてさまよっていたのです。それで、とても難しいからあっちこっち通いました。とてもすごいという牧師を見つけたところ、お金を要求されたのです。それで、その長老が残念で、福音を聞かせてあげたところ、力を得て訓練も受けたという残念な証しをしました。そのような人々が本当に多いのです。何を捨てるべきなのでしょうか。聖書は私たちに多くの話をするのですが、パウロが最も重要な話をしました。私たちはすでにサタンのしもべではないから、これを完全に捨てたのです。ところで、しばしば陥ってしまいます。私たちは終わった神様の子どもです。昔の考え、傷は全部、捨てるべきです。私たちは新しい人として力を受けました。昔に持っていた動機を全部、捨てなければなりません。だから、子どもたちが恵みを受ける理由が、大人たちはあまり捨てないためです。私たちは全部、捨てるべきです。滅びるしかない、不信仰の暗やみの勢力を捨てるべきです。動機だけ捨ててしまえば良いのです。この動機一つがどれくらい目を暗くするのかわかりません。
■この時から来る答えがガラテヤ2:20です。私がキリストとともに十字架につけられたので、今は私が生きているのではなく、私の中のキリストが生きておられるのです。この時から新しい答えが来るのです。ピリピ3章、キリストに発見されることを望みます。キリストが主人なのに、何が発見されるのでしょうか。キリストが皆さんに1分だけ祝福されれば、人が100年することより良いのです。昔に滅びなければならなかった皆さんではありません。昔に、教会だけ来て帰る宗教人ではないのです。昔に教会に行って律法生活をした、そのような宗教人が神様の子どもになりました。キリストに発見されることを望むという言葉は、普通の秘密の話ではありません。イエス様がバルテマイに一言、言われたので、バルテマイが起きました。イエス様が死んだ人の葬儀場で死んだ人を生かされました。コロサイ2:2-3に、キリストの中にすべての秘密、宝が隠されていると言われました。ところで、なぜ聖書にこういうみことばがあるのでしょうか。皆さんを見れば、ほとんどみな過去のことに捕えられています。ある人は、昔に苦労したことを言いながら泣くのですが、すでに終わってしまったので、泣くこともありません。それは、まだ抜け出せないで、そのようにするのです。ある人が相談をするのに、昔にそのまま陥っているのですが、終わったのです。それが何の話なのでしょうか。エジプトで暮らしていた奴隷根性をそのまま持っているのです。それは、終わらせなければなりません。そのうちで動機を一番に動機を捨てなければなりません。動機を捨てていれば、神様が本当に恵みをくださいます。動機がそれぞれ違うのですが、捨てなければなりません。それで、時々、牧師、宣教師が答えを受けられない理由が、動機が多いからです。動機を捨てなければなりません。
■副教役者が一番失敗をよくする部分が、未来の心配をするのですが、それも捨てましょう。牧師の一番の心配は何でしょうか。動機を捨ててしまえば、みわざが起きます。そのまま神様は皆さんに最高の祝福を備えられています。今回、日本に行って21人の役員(長老、按手執事、勧士)を立てたのですが、本当にうれしいことでした。初めて日本人を長老に立てました。それが初めてになってはいけないのですが、初めてでした。私がどれくらいうれしかったか、今は日本にも役員が立てられて、教会が答えを受け始めると考えました。それも初めて女性の長老を立てました。悪いことではありません。これからも、本当に伝道弟子を集めて、本当に伝道をする人がいれば女でも立てるでしょう。聖書のプリスカのような人物がいれば、長老に立てるでしょう。率直に、教会で女性が多いのでしょうか、男性が多いのでしょうか。祈りを男性がよくするのでしょうか、女性がよくするのでしょうか。話しも男性がよく聞くのでしょうか、女性がよく聞くのでしょうか。女性は、お話が多いから、はるかによく聞きます。立てられないこともありません。今回、女性の長老を立てたのですが、確かに話はちょっと多かったのです。雰囲気は、はるかに良いのです。ところで、今回、とても笑わせる話しを聞いたのですが、私が初めて聞いたメッセージでした。挨拶をしながら言う言葉が、牧師先生が説教をしながら動機を捨てろと言われた。これからは動機をみな捨てる。そのようにだけ言えば良いのですが、花札の賭博も、捨てたら良いと言いました。私は何の話かわからなかったのですが、知っている人は、皆さんのようにみな笑いました。誤って捨てれば、他の人まで全部、死ぬ。私は何の話なのかと思ったのですが、皆さんの1/3が笑ったのですが、1/3は花札の賭博を知っているということです。日本の人々に、この話をしたところ100%が笑いました。だから、私たちが必要ないことを捨ててしまえば、大きい答えがくるのです。あなたがたの心配を主にゆだねなさい。あなたたちの心配を出してしまいなさい。何も心配してはなりません。
■その後が重要です。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。必ず教えなければなりません。今は重要な、手に入れるべきことがあります。見出すこと。神様の計画が何かです。これは見つけ出さなければなりません。神様の計画を見つけ出せば、誰でも答えを受けます。ヨセフが信仰が良いのではありません。神様の計画を見つけ出したのです。それなら、当然、答えを受けます。私はモーセが信仰が良いとは思いません。モーセは神様の計画の中にいるので、勝利するしかありません。タラッパンとインマヌエルの家族が伝道する人、宣教する人に間違いないなら、神様は全てを満たしてくださいます。これは偶然でなく、必然的です。誰も奪っていけないのです。絶対的です。
■これから、インマヌエルとタラッパン家族に役員がたくさん立てば、あちこちに伝道弟子が集まるでしょう。それで、聖書にある正しい伝道をするのです。福音も知らずに、家ごとに歩き回りながらあちこちで騒ぐのは正しい伝道ではありません。私がいる現場で、忠誠、奉仕、。祝福が起きるようにするのが伝道です。ここで祈りの答えを受けた人々の特徴があります。他の人は知らない神様との特別な裏面契約があるのです。これは違います。聖書を詳しく見ましょう。神様との特別契約を探しましょう。多分、キム・スヨンさんがバイオリンで演奏をするでしょう。ひょっとして皆さんはよく見ていないでしょうが、今回、放送局3社がみなくっついてインタビューをしようとするほどの優れたレムナントです。さっき少しの間会ってメッセージを与えました。もしこれを捕まえてしまえば、すばらしいみわざが起きます。他の人はみなしていないのに、ヨセフは神様とこの契約を捕まえていました。だめなはずがありません。他の人はみな知らないのに、ダビデは持っていたのです。だから、この部分を皆さんが捜し出さなければなりません。この時、来るのが何でしょうか。契約的祝福です。新しく信じる人だけでなく、信仰生活に勝利する人々は、これを教えなければなりません。ひとまず絶対にほろびてはならないから、キリストが中心にならなければなりません。私の過去、傷、呪い、失敗を全部、捨てるのです。神様との計画、特別な契約を捜し出すのです。
■皆さんに本当に大きい祝福があることを希望します。皆さんの中心により重要なことが変わります。信仰の中心にしたがって信仰が変わるのです。心の中心にしたがって何がなるのか変わります。皆さんの人生の中心にしたがって人生が変わります。中心が変わってこそ、変わり始めるのです。学生たちは、祈り、キリストの中で福音中心で勉強をしてこそ正しく立てます。それで、賛美をする時も見れば、この中心が正しく捕えられれば賛美が変わります。今週に皆さんが新しく答えを受けるべきなのですが、問題は、どこで受けるのかと考えることです。今です。今、皆さんがみことばを受けているのですが、皆さんの事業、仕事場、学校、現場に神様は聖霊で働かれます。信じることを望みます。皆さんが正しい契約を捕まえる時、神様は天の軍隊を今、派遣されます。それでは行って答えだけ確認すれば良いのです。今回、日本に行って多くの答え、祝福を確認してきました。また、次の場所に行って祝福を確認すれば良いのです。この祝福が皆さんのことになることをイエスの御名でお祈りします。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。今日一日が千日より貴重な日になりますように。特に、レムナントのために祈ります。外国にいるレムナントに大きい恵みをより増して下さい。今、RUTCに参加した個人、教会に、100年の祝福を操り上げて与えて下さい。またRUTCのために、レムナントのためにOMCが集まっています。先に立った長老とコ・ジンオプ長老と多くの主のしもべに、神様が天の祝福を注ぎ込んで下さい。また、レムナントのために多くの準備をしている金ソンジン長老、ハン・ドンフン長老、大事な長老に特別な恵みをより増して下さい。米国でレムナントを育てているチェ・ギュソン長老、ユン・ハンチョル長老に特別な天の祝福を注ぎ込んで下さい。それで、韓国と未来を生かす重要なレムナントを育てるようにして下さい。今日、賛美で助けるキム・スヨンさんに神様が天の祝福と福音の奥義を知らせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン