2008年8月24日 インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部:わたしはすでに世に勝ったのです
(ヨハネ16:25-33)
☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆ 序論 ▲人々はずっと発展するのに、苦しみもずっと発展している。なぜそうなのだろうか?聖書にだけ理由を明らかにしている。 (1)神様のみことばである聖書にだけ、人間がなぜほろびるのか? (2)サタンが何か? これを聖書にだけ明らかにしている。 (3)初めから最後まで、なぜ神様はキリストを送られようとしたのか? ▲私はそれを知るようになって、答えを受け始めた。私たちが答えを受けるとすれば、確かに変わる。 ▲今日、主がこのようにおっしゃられた.. 1.かん難があるので恐れてはならない(勇敢でありなさい) ▲なぜ世の中には、困難と問題が度々来るのか?聖書にだけ明らかにしている。 (1)マタイ24章-最後の時に、地震、飢謹、戦争、かん難がくると言われた。しかし、すべての民族に福音が宣べ伝えられた後に、終わりが来る。今日、イエス様は皆さんに、かん難の日に大胆であれ! 恐れるな! (2)マタイ25章-最後の時に、でたらめな教会が起きて迫害するだろう。 (3)Uテモテ3章-終わりの日に苦しみの時がくるだろう。 (4)ヨハネ黙示録-最後の時、起きることをおっしゃって、この預言のみことばを読む者、聞く者、守る者が幸いだと言われた。 ▲七つの教会に現れたイエス様の姿 1)黙示2:1、七つの星を握って、燭台の間を通われる。 2)黙示2:8、初めてで終わり、死から復活された人が言われた 3)黙示2:12、両刃の剣を持った人が言われた 4)黙示2:18、燃える炎のような目、足は光る真鍮のような人が言われた 5)黙示3:1、七つの霊と七つの星を握っておられる。 6)黙示3:7、ダビデの鍵を持たれた人が、開けば閉じる者はなく、閉じれば開く者がない。その方が教会と一緒におられる。あなたとともにいる。どんなかん難、問題がきても、恐れるな 7)黙示3:14、創造の根本である人が言われる... ▲どんなかん難がきても、契約を握ったあなたたちは恐れてはならない。 2.わたしは世に勝った (1)Uコリント4:4-5、人を滅ぼすサタンをうち破ったということだ。 ▲ヨハネ16:11、世の支配者、黙示12:1-9サタンがもたらす霊的混乱 (2)Iヨハネ3:8には神様の息子が現れられたのは、悪魔のしわざを滅ぼすため (3)創世記3:15節には、女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。 ▲イエス様がなさったこのみことばが分かるその日から答えを受け始めた。恐れてはならない! そして、世の中を恐れるな! わたしは世の勝ったのです。 3.勝つ権威を与えられたので恐れてはならない(26節) (1)初めから与えられた権威(マタイ10:1、マルコ3:14-15) ▲信じる者に、すぐに神様の子どもになる特権が与えられた。マタイ10:1、弟子を呼ぶやいなや、この権威を与えられ、マルコ3:14-15呼ぶやいなや勝つ権威を与えられた。 (2)インマヌエル-わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます! (3)霊的問題を持った者も恐れてはならない。ものすごい権威を与えられた。 4.結論 ▲どのように、私の人生、事業、学業にみわざが起きるのか? ひとまず、いくつかのことを変えれば良い。 (1)いくつか変えること-私たちが何から変えなければならないのか? 1)考えから変えなければならない-神様はより大きいことを備えておられ、皆さんの道をご存知で導いておられる。 2)問題を見る目も変えなければならない-エレミヤ33:3理解を越えた大いなることあなたに見せよう。 3)試みにあう信徒-回復しなければならないこと(私→ 神様の恵み、答え→ 神様の願い、仕事→ 神様の計画、祝福→ 神様の契約、人間の愛→ 神様の愛) (2)重要な奥義-今日から霊的戦いを始めなさい。 1)詩23:1節にダビデが主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません.... 2)私の足りなさ、誤り-恐れるのをやめて大胆に。 3)なぜこのようにしばしば強調するのか? ▲Iペテロ5:7節に、あなたがたの思い煩いを主にゆだねなさい。 Iペテロ5:8、悪魔は思い煩っている者を探して機会を利用しようとする。 ▲Iヨハネ4:18、あなたが恐れるそこに刑罰が臨むと言われた。 ▲ヨブ3:25、自分が常に恐れることに引っかかったのだ。 ▲大胆に! わたしは世に勝ったのです! そして、今は自ら神様があなたたちを愛するようになる。わたしがあなたがたに子どもになる特権を与えた。世の中で信仰生活する方が高慢になる必要はないが、恐れる必要はない。私たちのレムナントが外に出て行って、むやみにする必要はないが、恐れてはならない。大胆で!わたしは世に勝ったのです! 私はレムナントに話す。落ち込んではならない。死がきても恐れてはならない。レムナントは神様の子どもだ、21世紀の主役だ。大胆で! かん難が来るから大胆に。わたしが世に勝ったのです。この暗やみ勢力は皆さんに勝つことができないということを知って、心配、試みに陥った時だけ触る。何の心配もせずに、契約を握って待てば良い。定刻祈りの時、深く祈れば良い。大胆に、わたしが世に勝ったのです! 皆さんが新しい力を得る主の約束を堅く握る日になることを祈ります。 (祈り) 神様に感謝します。世の中はますます難しくなるのに、主は大胆でありなさいとみことばを与えられたことを感謝します。わたしが世に勝ちました。主がくださった契約を握るようにして下さい。私たちの聖徒が、どんな場合も気をおとさないように力を与えて下さい。世の中で謙虚で、大胆な力を与えて下さい。今日、神様が与えられる真の力を得る霊的な祝福の日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン (The end) ☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆ 序論 ▲全てのものをご存知であるイエス様が、勇敢でありなさい。わたしは世に勝ったのです...と言われました。 ▲ある食堂に行ったのですが、先にきて食事をしている人々がいました。その方たちが食事をしながら話をしていたのです。クリスチャンのようでした。教会と、また、神様の話をするのを見て、信徒であることは明らかでした。どれくらい話が長いのか、先に食事を終わらせて行く時にも話をしていました。ところで、私がそのまま出て来ることはできなかったのです。問題は、食堂で他の人もいて、主人もいて、たくさんいるのに、教会の話をしていたのです。それも、良くない話をしていました。それも苦しいからではなく、ただ、単に話しをしていたのです。話しながら、教会がこうだから祈らなければということでもなくて、この人、あの人に対して話していました。もちろん、その人々が食堂に行く時、必ず教会の悪口をするようにして下さいと祈ったのではないようでした。その人々の水準です。他の見方をすれば、クリスチャンの水準です。それで、出てきながらこっそり話をしたのです。申し訳ないが、私はある教会の牧師だと言いました。あなた方がする話を、この食堂の主人やお客さんが聞けば、どう思うでしょうか。福音をよく知らなくても、防いではいけないと思うと言いました。その時、初めてすまないという表情になりました。私は出てきながら、どうしようもない状況だと考えました。 ▲私たちが本当に神様の答えを受けられなければ、そのようになります。私が昔、信仰生活をしていた時、みことばと現実が合わなかったのです。その時、そうなるのです。聖書には全能な神様なのに、私はできることがありませんでした。説教を聞けば、神様は奇跡の神様なのに、私の現実ではできることがなかったのです。私はそのような歳月を本当に多く送ったのですが、耐えられたのは、大部分の人々がそうだったためです。そうではない信徒がいれば、行って習ったでしょうが、ただ同じように暮らしていました。ある日、私が少し福音を知るようになったのです。本当に神様がみことばを成就されることを知るようになったのです。その程度でなく、それからは問題がくれば祝福だと考えるようになりました。信じる皆さんに問題がくれば、その後には多くの祝福があると思わなければなりません。 ▲人々はずっと発展して、苦しみもずっと発展します。その理由が何でしょうか。それは、聖書だけで明らかにしています。私が研究することでは、他の本にはありません。 (1)神様のみことばである聖書にだけ、なぜ人間がほろびるのかに対する説明があります。 (2)そして、聖書にだけあります。サタンが何か。それを聖書だけで明らかにしています。 (3)そして、聖書にだけあるのです。初めから最後まで、神様はなぜキリストを送られようとしたのかについて... ▲それを分かって、私は祝福を受け始めました。前は本当に知らなかったのです。ほろびます。以前には、ほろびているということも知りませんでした。ある日、知るようになったのですが、聖書で答えを明らかにしていました。その時から事実、答えがき始めたのです。ある時は、不思議に思えることもありました。どのように神様が私たちがみことばを受けたのを、同じように答えられるのだろうか。それで変わるのです。今日、キリストが終わりの日に向かった信徒に与えられたメッセージです。私たちはこの契約を握って答えを受ける祝福を味わわなければなりません。皆さんが確かに答えを受ければ変わります。最も大きい問題は、私には答えがないのに、奉仕と説教をするのが難しいのです。一番難しいのは、私は答えを受けられないのに捜し出して説教をするということは難しいのです。それより、もう少し難しいのは重職者です。答えを受けることができないのに、重要なことをしようとすれば、並大抵のことではありません。1年は可能です。ところで、10年や一生するなら、どうなるでしょうか。私たちが答えを受ければ変わるのです。 ▲今日、神様から世の中のどこでも受けられない答えを受けたとすれば、どうなるのでしょうか。それを信仰者で成功した人は感じたのです。 1.かん難があるので、恐れてはならない ▲今日、主がかん難に会っても、勇敢でありなさい(恐れてはならない)と言われました。事実は、聖書で明らかにしています。みな良い世の中を作るというのに違います。言わば、問題を見る目が正確でなければならないのに、聖書は明らかにしています。なぜ、世の中にはこのようなことが起きるのでしょうか。聖書では預言しています。 (1)マタイの福音書24章を見れば、最後の時にこういうことが起きるはずだと言いながら、まず最初に預言したのが、エルサレム神殿が石の上に石一つ残ることができないと言われました。だから、ユダヤ人がイエス様に狂ったと言ったのです。なぜこれが崩れるのか。石の上に石一つ残っていないというのは、完全に崩れるということです。そして、回復しないことを約束されました。それでユダヤ人が腹を立てたのです。なぜそうなのかと、悟らなければならないのに怒ったのです。AD70年頃、エルサレム神殿は崩れました。イエス様がおっしゃってから約30年後に起きたことです。その神殿が崩れたがのですが、ものすごい事件が世界的に起きました。皆さんはよく知っているでしょう。中世時代は教会時代です。中世時代の法王は、王よりも偉かったのです。強大な力を持ってその神殿を回復しようとしたのですが、できませんでした。中世教会が、どれくらい力が強かったでしょうか。それでも回復できませんでした。それのために十字軍が戦争もしたのですが、今でもできずに嘆きの壁になっています。イエス様は一つ一つ飢謹、戦争など大騒ぎが起きると預言されました。しかし、すべての民族に福音が宣べ伝えられた後に終わりが来ると言われました。今日、イエス様はかん難の日に勇敢でありなさい。恐れてはなりません。イエス様がそのようにおっしゃられたのです。それで、皆さんは恐れる必要がないのです。 (2)マタイの福音書25章が、さらに重要です。でたらめな教会が起きて迫害をします。教会の中に羊とヤギが別にいます。それで、タラントを埋めて置いたエリートの例をあげました。教会があちこちで起きるのに、灯火は持っているけれど、油がない例をあげられました。 (3)それで、パウロはUテモテ3章に、終わりの日には苦しみの時がくると言いました。その程度ではありません。 (4)とても重要な困難がくる時、ヨハネに最後の時、起きる事を見せられました。 ▲しかし、預言のみことばを聞く者、読む者、守る者は幸いだと言われました。それと共に7つの教会を見せながら、恐れる必要がないことを教えられました。恐れをなせば、肉体から問題がきます。今回のオリンピックを見ても、少し緊張すれば、重量挙げは、数キログラムも上げることができません。私たちはそれだけ、大胆であるのと、恐れるのとは差があるのです。そして、まだ活動しているサタンは、恐れて心配して問題が起きる皆さんを触るのです。 ▲かん難が起きるならば、恐れるなと、7つの教会を説明されたのですが、イエス様が現れられた姿が重要です。 ▲黙示録2章に、7つの星を握って、燭台の間を通われます。それでヨハネ、恐れてはなりません。ヨハネが完全に死の島に島流しになって死ぬことになったのです。怖いことでした。イエス様を信じると、そのような時代がありました。福音を伝えるという理由で、パトモスに島流しになったのです。夜になれば、波の音と風の音。その時、イエス様が見せたのがヨハネの黙示録です。復活されたキリストが7つの星を握って、燭台の間を通われるのです。福音を持った主のしもべを握って、信徒を見て回っておられるのです。とうていローマの人々は分からなかったが、結局、ローマが崩れたのでした。あの気違いの話しは何か、どこへ行って、主のしもべを握って通うということか。黙示録2章8節には、初めであり終わりで、死から復活された人が言われる。黙示録2章12節には、両刃の剣を持った人が言われる。何の話なのでしょうか。恐れてはならない。そのような程度ではありません。燃える炎のような目、足は真鍮のような人が言われる。黙示録3章1節には、7つの霊と7つの星を握っておられます。今でも全く目に見えなく、霊的にキリストが7つの霊と天使を握っておられます。天使を動員して、3章7節には、ダビデの鍵を持たれ、開けば閉じる者はなく、閉じれば開く者はいない。その方が教会とあなたとともにおられる。ヨハネ、恐れてはならない。この話を、ヨハネが理解したのでした。恐れてはなりません。どんな問題とかん難がきても恐れてはなりません。3章14節には、創造の根本である人が言われる。 ▲かん難の日が迫ってきます。聖書はそのように言います。ある宗教はパラダイスを作るのですが、聖書は終わりの日には苦しみの時が来ると言いました。それで、契約を握ったあなたたちは恐れてはなりません。 2.わたしは世に勝ったのです ▲そして、二番目に、わたしは世に勝ったのです。恐れてはなりません。勇敢でありなさい。世の中が敵なのでしょうか。違います。普通の人が聞き取れません。 (1)Uコリント4章4節- 5節に、まったく目に見えず、人々を滅ぼすサタンをうち砕かれました。ヨハネ16章11節に、世の支配者。とうてい一般の人々が理解できないことを説明しています。そのために問題がくるのです。黙示録12章には霊的混乱が起きると言われました。 (2)Iヨハネ3章8節には、悪魔にしわざを打ち壊しに来られたと。 (3)創世記3章15節には、蛇の頭を踏み砕くために来られたのです。処女マリヤより生まれ。女の子孫が蛇の頭、サタンの頭を踏み砕かれたのです。 ▲ある両親が米国で号泣していました。韓国でお金を集めて米国にきました。米国で死ぬ思いをして、仕事をして、子どもを育てました。米国に来て、20年くらいに後に分かったのです。時々、行き来したていたのですが、一人息子が精神病で麻薬中毒者になってしまっていたのです。この方がとても気落ちして、なぜここにきたのか分からないと言っていました。目に見えないように全国、世界に、学校に麻薬が入ってしまっています。それを売る人々は何の考えもありません。単に売れば良いのです。2、3年前には、麻薬を商売する人々が第1麻薬市場を韓国としたと言われています。なぜでしょうか。私はいくら考えても、これがサタンの戦略です。大韓民国の国民70〜80%が偶像崇拝をしています。道も気をつけて通らなければなりません。 精神病院が満杯になっていて、外に歩き回る人だけでも16000人です。私はいくら考えてもサタンの戦略だと思います。教会が戦うのもサタンの戦略です。分かれば勝ちます。神様の息子が来られたのは、サタンのしわざをうち壊すためです。創世記3章15節、女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。勇敢でありなさい。わたしは世に勝ったのです。私は昔にこの言葉を理解できなかったのですが、これをわかった後に答えがき始めました。私は教会だけ行ったり来たりする宗教人なので大変でした。聖書を学んで、賛美することがすべてでした。どれくらい大変かわかりません。私は幼い時、絵はよく分からないが、人の顔はよく描きました。無理に両親について教会に行ったので、週報にいつも牧師先生の顔を描いていたので、今でも顔はよく描けます。だから答えを受けられるでしょうか。私は教会に行くと、常に時計を見ました。そして、終われば、すばやくどこかへ行って、どれくらい大変だったのかわかりません。それでほろびたのです。それからある日、イエス様のみことばが分かり始めたのです。かん難が近づくから恐れてはなりません。そして、世の中を恐れてはなりません。わたしは世に勝ったのです。 3.勝つ権威を与えるので恐れてはならない(26節) ▲三番目で26節には「その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。」これは何の話なのでしょうか。私は知らずにいたのです。信じる皆さんに、今は、勝つ権威も与えられました。キリストが暗やみの勢力をうち破られ、この権威を皆さんに与えられたのです。大部分の人々が誤解します。私もそうでした。とてもがんばって、よく信じなければならないのかと思っていますが、そうではありません。牧師や復興師で説明をよくできる方がいますが、その牧師が力のしもべだと書いてあったのですが、声も変で、40日断食祈祷3回だと書かれていました。しかし、私にはできません。私は3日だけ断食しても、精神が一進一退して、私はとうていできないんだなとだまされたのです。しかし、聖書にはそうなっていません。 (1)聖書には、神様の子どもになる特権を与えられたと言われています。それで、私もできるでしょう。大部分の人々が、熱心によく信じて、また、男の人も教会に来る、そのように誤解したのです。みことばを握れば良いのに、そのようにがんばれば、神様が嫌われます。男の人は外で仕事を賢くすべきで、教会に来ていて良いのでしょうか。 ▲マタイの福音書10章には、弟子を呼ぶやいなや、力と権威を与えられました。してみてください。本当に答えが来始めます。そうです。私は神様の子どもなのです。 ▲マルコ3章14、15節に、わたしがあなたがたとともにいて、悪霊に勝つ権威を与えます。悪霊は見えないから分かりません。悪霊は、見られないのに分かるのです。どのように、正常な男の人が、小さな子どもを性的に暴行して殺せるでしょうか。それが、悪霊が入ったということです。隠れて他人の婦女子を殺して、それが悪霊が入ったのです。結婚をしたのに、奥さんがお金を持っていなくなります。ところが、家に帰ってくると、とても優しくて、このように優しい奥さんが、なぜおなくなるのか分からなかったのです。後ほど知ってみると、ギャンブルをしていました。結婚する前からしていて、直せないでいたのです。それで、家で花札を少しするというのではなく、ほろびるほどになっていたのです。そのような人々が一杯います。この頃、大学生と青年たちが外に出てきて遊んでいます。そのような人々が、後には耐えられないようになることもあります。私たちが遊んで踊ることを言うのではありません。世の中に霊的問題にあうほど、簡単なのは勝つ権威を与えられたのです。 (2)わたしが世の終わりまで、あなたがたとともにいます。 (3)皆さんの中で、私は霊的問題があると考えるなら、絶対に他の方法をするのではなく、祈りましょう。変な方法を使ってはなりません。みことばを握って定刻祈りをしましょう。正しい薬剤師に尋ねてみてください。これを飲んで一気に直るという薬剤師は、無条件に悪いのです。からだの状態と全体を見て、少しずつしなければならず、どのように、急に良くなるでしょうか。 ▲霊的なことも同じです。私たちにものすごい権威を与えられました。今日、イエス様がおっしゃるのに、かん難の時に勇敢でありなさい。問題が起きることもあるけれど、勇敢でありなさい。今までは、わたしがが世に勝ったのです。今は、神様がご自身があなたがたを愛して、あなたがたと共におられ、働かれるでしょう。先週には、わたしが行けば、助け主聖霊が来られる。同じようなものです。今日、皆さんが同じように答えを受けることを希望します。 4.結論 ▲どのように、私の家庭と学業に勝利するのでしょうか。 (1)いくつか変えること ▲いくかのことを分からなければなりません。ある日は、釜山からレムナントがやってきました。部屋をとって泊まるのに、子どもたちが何か食べたくないかと思って、スーパーで子どもたちが食べられるお菓子と飲み物を買ったのです。たくさん買っても、三万ウォンほどでそれほどでもないと考えたのです。十万ウォンの小切手を持っていたので出したところ、おばさんが、小切手はだめだいと言うので、ソウルで小切手がだめだとはどうしたことかと言いました。すると、小切手は信用できないからだめだと言いました。その人が、小切手が使えるかどうかということではなく、語り口も人を気分が悪くする語り口で、見た目も気分が悪くなりました。負担になったのです。それで、だめなのにどうしようもないでしょう。それで、両替してくると言いました。それで、買ったのを置いておいてくださいと言うのに、返事もなかったのです。それで、ホテルに行って両替して帰ってきたら、買って入れていた袋がなくなっていました。それで、尋ねたら、みな元の位置の戻したと言うのでした。確かにそのまま置いておいてくださいと言ったのに。それで、また買ったのです。そして、計算をしました。人が変だったのです。けんかをすることもできませんでした。それで、計算して出てくるのに、ある人がきて、おばさんを見て、ああ、執事さん、久しぶりですと言ったのです。それで二人とも執事だということです。頭にきてしばらく立っていました。話そうとしたのですが、二人が難しいと言っていました。難しくならざるをえないだろうと思ったのですが、とても頭にきて話すところでした。顔と語り口を直しなさいと。それから、祈りの答えが来ないと話していました。本当に残念だったのです。 ▲私たちが、考えから変えなければなりません。神様は、私たちにより大きいことを備えておられます。神様は、皆さんの道をさらによく知っておられるのです。聖霊で働かれる神様は、全てを知っておられます。力も無尽蔵です。 ▲私たちが問題を見る目も変えなければなりません。エレミヤが大きい困難にあった時、わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。それが信徒の目です。 ▲信仰生活しながら試みにあう人々が多いのです。そんなことはありません。私は信仰告白をしました。神様の恵みで。多くの方が信仰生活するのにさびしくて、そんなことがなぜ必要なのでしょうか。それは見間違ったのです。私はいくら考えても、神様の恵みです。多くの方が答えを受けた、そのように話します。それよりさらに重要な神様の願い。多くの方らが仕事のために試みにあいます。それよりさらに重要な神様の計画と契約を分からなければなりません。私たちは神様の愛を分からなければならないのです。その時から本当に答えがきます。救われて、神様の子どもで、教役者なのに、答えがなくて霊的戦いをしました。恐ろしく答えがきたのです。 (2)今日から霊的戦いをしましょう。霊的戦いは目に見えない戦いです。時々、失敗する人々がいます。どこかに出て行って、悪霊、サタンと言えば、誤解を受けます。いくらそれでも、家に帰って舅に、お父さんは悪魔が入った人のようだと、事実はそうであっても、そのように話してはいけないのです。嫁が姑にそのように言っても良いのでしょうか。これは奥義です。女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。かん難の日に恐れずに、勇敢でありなさい。わたしは世に勝ったのです。すべて奥義です。この霊的奥義を味わうのに、みわざが起きました。本当に答えを受けることを望みます。 ▲ダビデが、主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。これは、文芸コンテストのために書いた詩ではありません。それは、いのちがかかっていた時に書いた詩です。そのような神様は本当に祝福されました。 ▲皆さん今日、この祝福を回復することを望みます。皆さんの足りなさと他の人の問題、足りなさは悟って、他の人の問題は許せば良いのです。 ▲来る問題を恐れてはなりません。わたしは世に勝ったのです。なぜこのように強調をするのでしょうか。これが重要です。Iペテロ5章7節-8節に、あなたがたの思い煩いを主にゆだねなさい。あなたたちの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべき者を探し求めながら、歩き回っています。これを信じている人に向かって話されました。つかんで、食い尽くそうとして探しているのですが、勝つことはできないので、心配におちいる時に触るのです。それではどうなるのでしょうか。からだの中にガン細胞があっても問題になるのに、それではどうなるのでしょうか。心配を主にゆだねてしまいましょう。だから心配する人を探しまわっているのです。私たちは昔には、広場にもネズミが走っていました。それで、ネズミをたくさん見たのです。猫がネズミをつかむのを見ました。猫が飛び降りて、ネズミが穴に入れば良いのに、猫を見る瞬間に止まってしまったのです。ネズミの穴に入ればできないのに、猫が目の前に降りてくれば立ってじっとしていました。ゆっくりと行きます。そして、猫が足の爪ですっと触ったら、ネズミがからだが固まったままへひっくり返るのです。そして、ネズミがやられてしまうのです。聖書でずっと強調をしています。ヨブ3章25節、いつも心配する、そこをやられるのです。それで、悪魔がそれを持って働きます。自分の息子に対する心配で、やられてしまいました。 ▲勇敢でありなさい。世に勝ったのです。今は、神様自らがあなたがたを愛するようになりました。ご自身が、あなたがたに権威を与えてくださったのです。別の見方をすれば、うぬぼれて高慢だと見えるかもしれませんが、そうではありません。恐れる必要がないのです。私たちのレムナントが、むやみにする必要はないのですが、恐れる必要はありません。勇敢でありなさい。 ▲私はレムナントに、落ち込んではならないと言います。レムナントは、できないことはない神様の子ども、21Cの主役です。わたしは世に勝ったのです。この暗やみの勢力は、その瞬間にだけ触るのです。その他には、触れません。犬も、どこにでもおしっこをしません。ちょっと、においがして、汚らしくて、かけてもまわないだろうという気がする時、足を上げるのです。今でも悪魔は揺れる時に触るのです。霊媒師をしていて戻ったとすれば、契約を握って祈りましょう。深く入りましょう。勇敢でありなさい。わたしは世に勝ったのです。皆さんが新しい力を得る日になることを望みます。 (祈り) 神様に感謝します。世の中はますます難しくなるのに、主は勇敢でありなさいとみことばを与えてくださったことを感謝します。わたしは世に勝ったのです。主がくださった契約を握るようにさせてください。私たちの聖徒が、どんな場合も気をおとさないように力を与えて下さい。世の中で、謙虚であり、大胆な力を与えてください。今日、神様が与えられる真の力を得る、霊的な祝福の日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン (The end) 2部:三種類の使命者
(使徒6:1-7))
☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆ 序論 ▲今日、聖書に三種類の人を見ながら答えを捜し出さなければならない。いてもいなくてもよい人、いてはいけない人、必要な人がいる。今日の本文に見れば、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ...このように重要な地位に選ばれて、名前もなく行く人がいる。ニコラオは大きな問題を起こした。そして、ステパノ、ピリポ、こういう人は今でも影響を与えている人だ。このように三種類の人が本文に出てきた。 ▲私たちが本当に、どのように出発しなければならないのか? 1.先に見ることがある。 (1)3つを先に体験しなければならない。特に私たちのレムナントは... 1)福音-みことばを詳しく聞きながら、あぁ、本当に福音がこういうものだな! と感じなければならない。 2)祈り-そして、祈れるならば終わったのだ。 3)伝道者-伝道をするのでなく、言葉で神様の働きが起きる伝道者に会うのだ。現場で実際に本当に伝道の働き起きるのを見なければならない。 ▲この3つを神様の働き!これを味わって世の中に出て行かなければならない。 (2)24時-定刻祈り(黙想) 1)レムナントは朝早く起きて30分黙想(メッセージ一つ聞いて) 2)ダビデ-一番良くやったことが黙想 3)詩1篇-幸いな人はみことばを黙想する者 ▲この時から、私たちにくれた24時という祝福を味わうようになる。レムナントは朝早く起きて定刻祈り(黙想)の中で... (3)私がしている小さな仕事の中で- 20の戦略が全部見えなければならない。 ▲神様が私とともにおられることが体験できてしまえば、その時からは怖くなることがない。 2.持続することが出てくる (1)信仰充満-霊的なことを見て、何もないことから始まらなければならないから... (2)知恵充満-教会は色々な種類の人、色々なお話があって、サタンが攻撃して来るために (3)聖霊充満-私たちは限界が来るために (4)ほめられる者-客観性がなければならない。 3.終わりをあらかじめ見て出て行くのだ。 (1)使徒6:7-みことばがますます広がっていき、弟子、祭司の群れも服従。これが静かに起きるみことばの力だ。これが神様の目標だ。 (2)出エジプト3:16,奇跡が起こる前に先にすべての長老に話しなさい。すべてのイスラエルの民が羊の血を塗る話を聞いた時、奇跡が起こった。 (3)ヨシュア3:1-3、先につかさが起きて、あちこちに神様のみことばが全体に広がった後に、ヨルダンが分かれる奇跡が起こった。 (4)重職者、産業人、レムナント時代が起きなければならない理由 1)そうすれば起きる問題を防げる。 2)この時、伝道の働きが起きる。 3)この時、真の宣教になる(使徒13:1) 4.結論-みことばと祈りの働き(使徒6:4) (1)伝道者の出会い-私の生涯で最も大きい祝福は伝道する者に会ったことだ。 (2)今からレムナントは祈りなさい。 1)本当に福音を持ったエリートに会わせて下さい。 2)本当に福音を持った産業人に会わせて下さい。 3)本当に福音を持ったレムナントに会わせて下さい。 ▲これを全部みな合わせて一言で-神様は24時皆さんに答えておられる。レムナントは1番から体験しなさい(ダニエル6:10、使徒16:11-13、使徒16:19-30)必ず回復するように願う。特に私たちのレムナントが新しい力を得る祝福があるようになることをイエスの御名で祈ります。 (The end) ☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆ 序論 ▲いつか集会をし終えたが、チョ・ウンテク牧師が報告することがあると訪ねてきました。そして、言うのが、今まであった集会の中で一番良かったと言いました。どの部分が一番良かったのかと尋ねたら、はやく終わって良かったということでした。今日、皆さんを見たら、それを思い出しました。 ▲それでも、今日、皆さんメッセージをよく聞けば祈りの答えを受けるのに役に立つでしょう。それ以前に、皆さんがいくつか考えなければならない部分があります。 ▲私は、幼い時から教会を通ったので、礼拝をいつもささげていました。伝道師の時なのですが、今まで心に残っていることがあります。女学生が1人きたのですが、礼拝に出席しないで行くのでした。聖日ごとにそのようにするので、変でした。見ると中学生くらいなのに、私が案内すると、礼拝堂の後にいて毎週きては祈って行くのでした。変だから、一度尋ねなければならないと思っていました。ある日、見たら座っていました。座って礼拝をささげながら涙をふいていたのです。それで、私が礼拝が終わってわざわざ尋ねたのです。なぜ礼拝をささげる時ごとに座らないで、後にいたあとで行くのかと。一度は、献金封筒をたたんで私に渡して行きました。十分の一献金と書かれていました。さらに変ではないでしょうか。なぜこの子が礼拝をささげないで行くかということです。会って話してみて分かりました。その話を聞いて、多くのことを悟ったのです。お父さん、お母さんがみな亡くなったということでした。自分はバスターミナルで清掃をするということです。妹たちを学校に行かせなければならないから、自分は行けないということです。それで、ターミナルで一番近い教会に行ったのですが、そこが私がいた教会でした。そちらも、かなり時間がかかったのです。それで、お手洗いに行くといっては飛んできていたのです。ですから、礼拝をささげられないで、少しの間祈って行くのでした。臨時職だから、休む日もなかったのですが、ちょうど私と話したその日は休むようになったのです。礼拝をささげながら泣くのを見て、私は本当に申し訳なく思いました。私はその時間までも、その学生に会う前までは、礼拝がこのように重要だとは考えることができなかったのです。その子が泣くのを見て、恥ずかしかったのです。 ▲ロシアの門が開くやいなや集会に行ったところ、おじいさんが訪ねてきて手を握って泣くのでした。イエス信じるという理由で監獄に20年いたということです。このように解放されて、集会に参加するようになるので、今、死んでも良いと言っていました。 ▲話を聞いてみて、今でも私たちよりさらによく信じる人々が北朝鮮にいるということです。隠れて礼拝をするということです。 ▲私はそのような話を聞きながら恥ずかしかったのです。皆さんの中で、何か大きいことがないか、おもしろいことがないか、特別なことがないか、こういうことも重要ですが、それよりさらに重要なのは、平凡な中で捜し出すのがさらに重要なのです。それが成功者の特徴です。同じ状況の中で、私たちは見られないのに、詩人は詩を書きます。同じ状況の中で小説家は作品を作り出すのです。同じように礼拝をささげるのに、クロスビーのような人は賛美を1万個以上を作りました。同じように羊を飼うのに、ダビデのような人は成功しました。それで遊びに行く人もおもしろいことをたくさん探す人が、交通事故の日、確率が一番多いということです。それで、私の息子が新婚旅行に行く時にその話をしてやりました。本人は記憶しているかどうかわかりませんが、おもしろいことを探さずに、小さいこと、細かいこと、それを見てきなさいと言いました。それで交通事故が、遊びに行く時一番たくさん起きるでしょう。浮き立っているということです。 ▲私たちが礼拝をささげる中でも、すばらしい神様の祝福を、感謝を捜し出すべきです。 ▲今日、聖書で三種類の人を持って答えを捜し出さなければなりません。実際に見れば、私が見る時、ああいう人間は、なぜいるのかという人がいたました。比較的、助けにならない人がいるでしょう。あんな人ははやく行けば良いのにと思っても、はやく行かないのです。そのような場合はないでしょうか。ある人は、いてもいなくてもよいと思え、ある人はいてはいけない人もいて、また、ある人を見れば必要な人もいます。 ▲大人たちは用心しなければならないことが、あるレムナントがとても苦しくて私に手紙を送ってきました。とても苦しくて耐えることができなくて、私に手紙を書いたのですが、手紙の中で説教する時、話さないとくださいと書いて手紙を送ってきました。狂いそうだということです。いったい、うちのお父さん、お母さんは、口は完全に福音なのに、家に帰ると完全に律法だということでした。そして使命を強調するのに、自分にはとても圧迫して強調をするのに、両親自身は粋のとおりということです。それで私が答えました。理解しなさい。それが既成世代だ。簡単に体質が変わらないでいるからだ。理解しろと話してあげました。それで、幼い時から訓練しなさいと言うのではないでしょうか。両親を変えようとせずに、あなたが受け入れてあげなさい。それがレムナント7人が歩いてきた道だと話してあげました。 またある学生は、牧師の娘なのに、母親のために狂いそうだという手紙を書いてきました。2ヶ月なのか、お母さんが米国に行って働きをしたが、お父さんと家にいたら、2ヶ月間、家が平和だったということです。そうなると頭が痛いでしょう。 ▲この世を見れば、必要ない人々を呼んで行かれたらよいのに、行くこともありません。私は聖書を見ながら理由が分かりました。神様は機会を与えられるのです。そして、私たちが間違う時ごとに罰を下せば皆が死ぬようになります。 ▲さらに重要なのは、今日の本文を見れば、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナのように、重要な地位に選ばれて、名前もなく行く人もいます。そして、ニコラオ、この人は大きな問題を起こした人です。そして、ステパノ、ピリポ、こういう人々は今でも影響を与えている人です。このように三種類の人が本文に出てきました。 ▲レムナントに必ずお願いしたいのは、私たちが本当にどのように出発しなければならないのか、そして、貴重な宣教師も共に参加されていますが、どのように出発しなければならないのでしょうか。私たちが今、7人の重職者を見ながら必ず記憶しなければなりません。 1.先に見ること ▲先に必ず見ることがあります。これは必ず先に見なければなりません。 (1)3つのことを体験しなければなりません。 ▲特にレムナントは、みことばは詳しく聞きながら、今から福音とはこういうものだな、これが感じられなければならないのです。単に聞くのも良いのですが、聞きながら、福音とはものすごいことだなということが感じられなければなりません。私が本当に少ししか悟っていないのだ、ということは、悟れなかったということではありません。パウロは私が自慢したことで悟れなかった。それをちりあくただと感じる、こう言うほどでした。そして、皆さんが祈りができるならば終わったのです。おとなも同じです。レムナントはさらに重要です。レムナントが福音を悟って、祈れるならば終わったのです。それと共に、レムナントが行く道にとても重要なことを見なければなりません。伝道をするのではありません。伝道をするのではなく、本当に神様の働きを見る伝道者に会うのです。皆さんが牧師と私と一緒に通えということではなく、現場で実際に本当に伝道の働きが起きるのを見なければなりません。この時から事は始まるのです。これがレムナントとすべての信徒に最も重要なことです。これは伝道するという言葉ではありません。この3つのことを見て、神様の働きだな、神様がこのように私に細かく働かれるのだな、これを見なければならないのです。 ▲私が説教の時、何度か話しました。私は幼い時から教会に行きました。ところで、私は他のもことを上手にはできないのに、雰囲気を察することはよくできました。そして、勇気はありませんでした。顔色を見て、適当にしたのです。それで、表情なしで遊んでいる(何もしていない)人は、私とちょっと合いません。私はとても顔色を見て損をする時が多いのです。ところで、私が多くの牧師先生の説教を聞いたのですが、牧師先生が伝道の話をよくしました。私はどのように感じたかというと、あの方は教会を復興させようと努力されているんだな、このように感じたのです。もちろんそれが悪いのではありません。教会は復興しなければならないのです。ところで、あの方が教会を復興させるために、とても努めておられるんだなあと思うことを感じたのです。すべての人を通して私はそのように感じました。そのようなある日、私が一般信徒を見ながら、本当に福音を伝えようとする人を見たのです。それは、とても小さいことなのですが、ものすごい聖霊の働きがどんどん迫ってきたのです。恵みの中の恵みでした。 ▲レムナントが勉強すること以前に、本当に福音が何であり、祈りの力が何かを知って、この部分を分かったら事実は終わったのです。初代教会の7人の重職者がこれを見たのです。だから、命をかけて出て行ったのです。これは騒ぎながら伝道をした、しない、それでなく、とても重要な言葉です。私たちが話さなくても、感じるものがあるではないでしょうか。この人が私に伝道を強調したことではないのですが、その人を見ると、本当に福音を持っているんだなと感じることがありました。これがとても重要です。それで、レムナントに、ひょっとしてと思って、しばしばキャンプをさせるのです。神様の働きを見るために、ものすごいことが行われるのです。 ▲このようになって、レムナントが外に出て行けば、祈りの力があるからどんなことにあっても勝つのです。皆さんがこの味を知らずに出て行けば、外に世の中の風がさっと吹くので、とうてい処理できないのが正常です。これをもって教会に長く通いながら職分を引き受ければ、苦労が多いのです。それまでは大丈夫でしょう。全くこの味を知らずに神学校を卒業して牧師にまでなれば、これが人が狂うことです。仕事にならないのです。今回、神学生たちにお願いすることですが、必ずこれを見なければなりません。これを知らない人はいないでしょう。見なければならないのです。これを見れば、ポジションも必要ありません。そのまま起きるようになっています。ですから、これもだめな状態で宣教まで出て行くようになれば、銃も使えないながら外国に戦争が起きていくことになります。これがすべてです。緊急に見ようとせずに、本当にこれを見た時に、神様が本当に私とともにおられるのだな。この感じは言葉では表現できません。 (2)この時から、私たちにくださった24時という祝福を味わうようになります。ここで、レムナントが記憶しなければならないことが、定刻祈りだけ捜し出せば24時答えを味わうのと全く同じなのです。 ▲レムナントは朝少し早く起きて、みことばを握って30分以上黙想しましょう。皆さんが10分だけ見ても働きが起きるのに30分ということは、少しの間メッセージ一つ聞いて10分間黙想しなさいということです。私に少し霊的問題があるという人は深く入りましょう。 ▲ダビデがこれを一番上手にしました。幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ...レムナントが祝福を受けられなければ、悪者のように頭を使いながら食事をして生きなければなりません。それはみじめなのです。傲慢な者と一緒に座って機嫌を取りながら、おかゆでも食べて生きなければなりません。それは、とてもみじめなのです。本当に祝福を受けた人は、主のみことばを黙想しながら世界を征服するのです。 ▲医学的にも証しされました。人が静かに黙想する時に起きる影響を科学的に証しされました。聖書にはすでに記録されています。これは、とても重要なことです。もし皆さんがこれをしなければ、皆さんがいいかげんにするならば、テープやCDを聞く時間がないから、必要ないでしょう。皆さんが少しだけ早く起きてこれをすれば、生活全体がみな変わり始めるのです。 (3)それと共に、今は皆さんがしている少しの仕事、そこで20の戦略が全部見えなければならないのです。 ▲これが先です。私が事務室に座って幹事をしているのに、20の戦略が全部見えなければなりません。ダビデが羊を飼っているのに、王になって、神殿を作ることまで見ました。私たちが何かをよくするのも重要ですが、これが先に見なければならないのです。神様が皆さんとともにおられることを体験すれば、その時からは怖くなることがありません。レムナントと重職者は、必ずこのようでなければなりません。 2.持続すること ▲二番目です。このようになれば持続することが出てきます。当然、持続にするようになるでしょう。 (1)信仰充満と言われています。なぜ信仰充満なのでしょうか。霊的なことを見なければならないためです。さらに重要なのは、教会は何もないところから始めるから、信仰充満でなければなりません。何もないように見られるために、信仰充満した人でなければなりません。それで、少しだけ記憶しましょう。 (2)知恵充満した人を立てましょう。教会はいろいろな種類の人がきて、いろいろな話があるから、知恵がなければなりません。さらに重要なのは、サタンが攻撃して来るために知恵がなければならないのです。 (3)そして、私たちは限界が来るために聖霊充満しなければなりません。皆さんが少しだけ祈れば起きます。 (4)そして、評判のよい者を選びなさい。評判がよいというのは、福音がない人にも言えるでしょうが、この話は、客観性がある人だということです。皆さんがいくら信仰が良くても、客観性がなければ、評判はよくなくて、非難されるでしょう。 ▲こういう人を重職者として選びなさい。初代教会の世界を変化させた人々が全部この祝福を持っていたのです。 3.終わりをあらかじめ見て出て行くのです ▲三番目です。使徒6:7節に結果が出てきました。私たちは終わりをあらかじめ見て出て行くのです。 (1)使徒6:7節にこういうみことばが出てきました。みことばがますます広まっていき。このために私たちが伝道運動をするのです。そのように防ぐのに、弟子の数がとても多くなって、祭司の群れも服従しました。これが静かに起きるみことばの力です。これが神様の目標です。これを見て私たちが行くのです。こうすれば、答えはまちがいなく起きるようになっています。聖書をよく見ましょう。 (2)出エジプト3:16節に奇跡が起こる前に、長老に行って話しなさい。この話は、イスラエルのすべての民が羊の血を塗る話を聞いた時、奇跡が起こったということです。長老1人がみことば運動を行い始めたのですが、全地域に広がったのです。そこは奇跡が起こるのです。重要ですが、国会議員は聞き取れない話です。ものすごい働きが起きるのです。 (3)ヨシュア3:1〜3節を見れば、ヨルダンを渡る前につかさたちに話しなさい。つかさたちが起きて、あちこちに通いながら話しなさい。神様のみことばが全体に広がった後に、ヨルダンが分かれる奇跡が起こりました。こういう働きがずっと起きたのです。このみことばを悟ることができない時ごとに問題がきました。その時ごとに奴隷に、捕虜に、属国になりました。祈らなければなりません。 (4)なぜ私たちは今、重職者時代を開くのでしょうか。聖書を見ましょう。なぜ産業人時代を開くのでしょうか。聖書を見ましょう。何のためにレムナント時代を開くのでしょうか。聖書を見ましょう。聖書には、重職者から先に起きて、産業人が先に答えを受けて、レムナント会堂で先にみわざが起きました。理由があります。そうすれば、問題を防げるのです。起きている多くの問題を防げます。メッセージで話すにはそうですが、今、統一教で127ケ国を掌握しました。全部、これが起きたのです。そして今、今回、引続き放送でも教会に対する問題を扱っています。重職者の方が立って、一つの地域を見回るだけでも働きが起きます。そのまま置いておくので、そのような問題が起きるのです。それで重職者の皆さんがどれくらい重要かを理解しなければなりません。それはそれで、伝道を見ましょう。初代教会は必ず重職者が起きて、答えを受けて、レムナントを立てて、産業人が起きました。さらに重要なのは宣教です。今日、長老と集いをしたのですが、長老は互いに祈りが通じなければならないから、必ず参加しなければなりません。もし、インマヌエル教会から出るすべての予算を私がすべて持って行って計算すればどうなるのでしょうか。それは精神病です。使うのも私が皆知って使えばどうなるのでしょうか。もし。ところで、今、ほとんど全世界の宣教地域がそうなのです。あまりにも小さいから問題にならないのですが、だから世界福音化にならないのです。 ▲今、この重職者と産業人、レムナントが宣教地域で先に立たなければなりません。それで宣教を本当にする方は、これを心に置かなければなりません。それで、あなたがたは、行って、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさいということは、教会化させなさいということです。ひょっとして皆さんに必要なみことばではないかもしれませんが、影響は必ず行くようになっているのです。それで、私が今、悩んでいることが、これから残っている宣教大会で、これを説明するのが本当に大変なのです。 ▲使徒13章に、宣教師が派遣されるのに、重職者と産業人を連れて出て行きました。それでは連れて出て行く人がないから限界が来るのではないでしょうか。これを知って、パウロが行って先に立てたのです。これを弟子訓練と言います。パウロが立てた地域教会は、一つも崩れないでみな起きました。今、私が見るには、宣教現場も伝道現場のように危機です。これで、今、重職者をあちこちにたくさん立てて、宣教、伝道現場に植えようとするのです。驚くべきことに、初代教会はこれをみな見ていました。こうすれば、まちがいなく答えがきます。 ▲今日、レムナント、宣教師もきていて、重職者もいますが、初代教会がどのように世界を征服したのでしょうか。これを先に見たのです。これを見たので、問題がきても答えがあるから怖くなる必要がなかったのです。それだから力があります。レムナントが、これを持って出て行かなければならないのです。直ちにならなくても、これを静かに捜し出せば、まちがいなく働きが起きます。これがなってこそ、これが分かるのです。当然持続しなければならないことだから。これのほかはできません。行ってみれば、何もだめに見られるのに、信仰の目がなしでは成ることができません。あらゆる種類の人がみな来ているのが教会なのに、知恵なしではすることができません。私たちは時間上、未信者よりはるかに不利ですが、聖霊充満の奥義なしではだめになっています。それで、皆さんが世界福音化しなければならないのですが、評判がよい人を選びなさい。それと共に、これを見渡すのです。この時、答えが来る程度でなく、皆さんに先に神様が働かれるようになっています。 4.結論 ▲こういう結論が出てきます。使徒1:4節に、使徒がみことばと祈りに専念したと出てきます。この話は、使徒だけがしたということではありません。みことばと祈りが正しく働き起きるように。 (1)私の生涯で、最も祝福受けたのが伝道する人に会ったことです。これが最も祝福でした。また最も悲しいのが何だったかというと、教会が全てのものをみなのがしているということが最も残念なのです。 (2)今からレムナントは祈らなければなりません。本当に福音を持ったエリートに会わせて下さい。レムナントが世界を征服しなければならない祈りの課題です。本当に福音を持った産業人に会わせて下さい。そして、本当に福音を持ったレムナントに会わせて下さい。これより大きい祝福はありません。このとおりに始めれば良いのです。 ▲これを全部すべて合わせて一言で終えることができます。神様は24時、皆さんに答えておられます。とてもやさしくて簡単です。これをなぜしないのかわかりません。皆さんがもし一日に5分だけみことばを握って祈っても、まちがいなく働きが起きます。私が米国に私たちの息子、娘を送りながら話しました。一日に5分だけ祈れば無条件に働きが起きる。5分が長ければ3分だけすれば働きが起きる。あまりにも、あなたは祈らない体質であるから10秒でよい。それでは合わせれば30秒だ。それも投資しなかったのです。だから、24時間がどこにみな逃げたのか分かりません。福音を持った皆さんが少しだけ味わえば、働きが起きるようになっています。レムナントはこの体験からしましょう。神様が生きておられて、今でも正確にみことばで働いておられるんだな。神様は世界を征服されるために、今でも聖霊で働いておられるんだな。私たちがもう勉強して、熱心に技術を磨いて、学問をする理由はここにあるんだな。これが祈りながらみな出てきます。この祝福を回復するように願います。少しだけしてみるならば、これは誰も取っていく人はいません。明日、朝に起きる時、時間を合わせて運動して、準備して、祈る時間を作って起きれば良いのです。ところで、誰も防ぎません。皆さんが夜明けに起きて祈ってみれば、普通、怠ける人が多いから訪ねてくる人はいません。夜明けに起きて勉強して、準備して、祈ってみれば邪魔する人はほとんどいません。電話も来ません。夜明けに訪ねてくるのは悪魔しかいません。寝ろと言います。このように良い祝福をなぜしないのかわかりません。これを取っていく人はいないでしょう。本当に定刻祈りで癒されて、みなできるのです。理解が良くできませんか。 ▲ダニエルが模範的に公務員生活をしながら、一日に3度ひざまずいたのですが、地球がひっくりかえるみわざが起きました。本当に霊的問題があるのでしょうか。Iコリント10:1〜10節のパウロのように、深いところに入りましょう。人を訪ねて行く必要もありません。神様が深く入るのです。信仰をまっすぐ行かなければなりません。按手を受ける必要もありません。キリストの契約を握って、神様に深く入らなければならないのです。終わったのです。あなたは王である祭司です。福音を持った教会が旧約、新約、福音、宗教の区分もできないのです。按手を受ける必要もなくて、受けない必要もありません。皆さんを按手した人が霊的問題があれば、どのようにするのでしょうか。確認みなしてみたのでしょうか。私は教役者を使う時も、特別な霊的な経験をした人々はさせないでくれと言います。正常に勉強して、正常に育て、正常に福音を悟った人を立てなければなりません。特別な経験をして、毎日、ハアハアと息をして、学生をとらえてすればどのようにするのでしょうか。 ▲使徒16:11〜13節を見ると、パウロが祈り場に行く時...このようにしても働きが起きるでしょう。使徒16:19〜40節にその日の夜に監獄で祈って...これが全てのものの開始で、終わりです。それで、勉強を皆さんの力で行うこともできるのですが、この力の中で勉強をしてみましょう。牧師先生は、なぜ牧会問題が来るかというと、この中で説教準備すれば良いのに、説教準備しておいて神様に助けてくれと言うからだめなのです。皆さんがこの祝福をいつも味わいながら、この中で仕事が始まって、祈りが、勉強が始まれば、ものすごいみわざが始まります。必ず回復するように願います。レムナントは、新しい力を得る祝福があるようにイエスの御名でお祈りします。 (祈り) 神様に感謝します。今日、新しい力を得るようにさせて下さい。ひょっとして、霊的が病気があれば、癒されますように。契約を握って祈って、私たちの大きい困難も神様の祝福に変わるようにさせて下さい。特にレムナントに神様が与えられる力を得る重要な時間を過ごすことを祈ります。全国世界にいるレムナントに、今、神様が聖霊で働いて下さい。私たちすべての宣教師に神様が新しい力を与えて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン (The end) |