2008年8月31日 インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:自分のために祈っておられるイエス・キリスト
(ヨハネ17:1-5)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
(1)最もみじめな時-貧困がきて、迫害と危機が迫ってきて、大きい事件が起きて、かん難と死が迫ってくる時
(2)この時、イエス様が公生涯で最後に言われたみことばが、あなたがたはかん難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしは世の勝ったのです。
(3)そして、イエス様が十字架で処刑される前に最後になさったことがあるが、それが祈りだ。
▲本論-それなら、イエス様の祈りは、どんな特徴を持っているのか?
1.イエス様が最も危機に会われた時、最後に祈られた。
▲イエス様は普段の時に、いつでも最善を尽くしておられたが、重要なことはいつでも神様に祈られた。皆さんが最善を尽くして、いのちをかけてしなければならないが、いつでも神様の前に立たなければならない。
(1)信仰の英雄とレムナント7人の特徴だ。
▲ヨセフ、信仰生活に成功した人は、いつも主を見上げていた。クリスチャンは、最善を尽くさなければならないが、小さいこと、大きいことを持って主の前に立つべき。
(2)大きい意味-人に頼ってはならない。
▲いくら努力しても重要なことでは、人の努力でだめなことがある。重要なことには、人に頼ってはならない。
(3)祈りは全てのものに勝てる。
▲ダビデ、ヒゼキヤ王
▲イエス様が最も重要な時間にされたことが何か?祈りだったという事実!私たちが、多くの宣教師、一般信徒が最善を尽くさなければならないが、本当に重要なのは神様の御手にある。
2.最も危機の時、最も偉大な祈りをされた。
(1)イエス様の祈り-最も危機の時なのに最も偉大な祈りをされた。
1)1節-死が迫ってきたが、わたしの時が迫ってきたと言われた、これは開始をいう。
2)2節-すべての人に永遠のいのちを与えるために、わたしに権威を与えて下さったことを感謝する。
3)5節-この話は、あらゆることがみな終わったということで、全てのものが完成したということだ。
(2)レムナント7人-難しい時、最も重要なことを捜し出した。
(3)私が難しい時、最も重要なことを発見した。
3.イエス様の普段の時にささげた祈り
▲イエス様は、危機が突然に来たから祈られたのではない。とても重要なのは、イエス様は普段の時に祈っておられた(マルコ1:35、ヨハネ6:15)祈りが何か知らない人は、祈りが愚かに見えるが、祈りが何か知っている人は最も重要な時間だ。
(1)天と地のすべての権威、天国の鍵
▲天と地のすべての権威をわたしが持った。祈りは天の門をあける鍵で、地にあるすべての暗やみをうち破る鍵だ
(2)過去、今日、未来を、全部、見抜けるのが祈りだ。
(3)座ったまま、すべての世界を動かせるのが祈りだ。
4.結論-必ず答えられる祈り
(1)世界福音化と私を救われた神様のその道しるべの中で祈れば、確かに答えられる。
(2)神様の前で-人の前ではなく、神様の前で祈れば、無条件に答えられる。
(3)真実の前で-そして福音を持った皆さんと私が、神様の前での真実の祈りは確かに答えられる。
▲それで、イエス様がエルサレムを離れずに父の約束を待ちなさい。とても重要なのが、福音にあって、そして、神様の前で真実に祈れば、必ず答えられる。この力を得なければならない。
▲定刻祈りは、すべてのリズムがみな回復する。祈る表示を全く出さずにするのが定刻祈りだ。皆さんが職場生活をしながら、勉強をしながら、最も力を得られるのが定刻祈りだ。これを一度回復してみなさい。みな回復する。
▲聖書に最も多くある約束が祈りの答えだ。そして、族長に最も多くされた約束が、わたしがあなたとともにいます。イエス様が一番最初になさったみことばが、わたしがあなたがたとともにいる。最後になさったみことばが、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。福音を持った者が祈れるならば、全てのものは終わるのだ。私たちのレムナントが外に出て行くのに、福音を持って祈りができるならば、全てのものを生かせる。危機きた時、祈り、普段の時の祈り、それで一番最初に訪ねてくるのが霊的な力だ。知力もできて、健康もきて、そうすれば、経済力はついてくるようになる。この四つがなれば、最後に自然につくのが人材だ。この力を必ず得なければならない。
▲全てのもの、ものすごいものは、備えられているので、見られないのは私のゆえだ。ところで、定刻は、その時間だけ私がなくなる時間だ。それを持って世界征服するのだ(ガラテヤ2:20)。これくらい、神様が準備しておいて待っておられることだ。すべての宣教師、重職者、レムナント、皆さんが力を得るように、イエスの御名で祈ります。
(祈り)
神様に心より感謝します。神様が私たちとともにおられることを体験させてください。歩みごとに神様が私たちとともにおられることを未信者が見て、彼らを生かせるように祝福してください。教会が多くの非難を受けるのでなく、教会が私たちの民族社会生かす場所であることを知らせてください。今日、神様が上から与えられる力を得る祝福の日になることを祈ります。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲12次宣教大会に参加されたすべての宣教師を心より歓迎します。私たちの信徒は、最高の機会だと思って受け入れて、祈らなければなりません。夏に大きい大会を10ケくらいしました。私たちの宣教大会は、その中の最後の夏の集会です。そのように見る時、とても重要な時間になります。世界に散った宣教師が集まって、共に祈ってメッセージも受けて、重要な意味も探す時間です。
▲このような時に、神様のみことばを見るようになりましたが、本文はイエス様がご自身のために祈られる内容です。カーネギーという人はお金だけあれば人生の問題70%は解決される...と話しました。ある程度、道理にかなった言葉です。しかし、お金をたくさん持ったソロモンは、お金を慕う者は、お金を得ても満足することがない。その財産は満足を与えられない...と話しました。
▲どうしようが、私たちに貧困が来たら、とてもみじめになります。そこに助ける者がいないならば、より一層、難しくなります。そこに私が能力があるならば良いのに、能力までないと思ったら、より一層みじめになります。それよりさらに難しいのは、迫害と危機が迫ってくることです。それよりもっと大きい困難は、大きい事件が起きて、かん難が起きて死が迫ってくることでしょう。
▲この時、イエス様が最後になさったみことばです。あなたがたは、かん難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしは世に勝ったのです。勝つつもりではなく、勝ちましたと言われました。これが、イエス様が公生涯で最後になさったみことばであり、弟子訓練の最後の場面です。勇敢でありなさい。
▲そして、イエス様が公生涯を終える前、十字架で処刑される前に最後になさったことがあります。それが何でしょうか。祈りです。それなら、今日、私たちはイエス様の祈りを見ながら、重要ないくつかのことを必ず捜し出さなければなりません。

1.イエス様が最も危機に会われた時、最後に祈られました。
▲イエス様の祈りは、どんな特徴を持っているのでしょうか。いつでも最善を尽くされたイエス様は、重要なことを必ず神様に祈られました。この話は、私たちにとても重要な話になります。皆さんが最善を尽くして、いのちをかけてしなければならないのですが、いつでも神様の前に立たなければなりません。皆さんに多くの誤解されることがあるのでしょうか。人どうしで誤解されたり、葛藤、ひょっとしたら、家族の間でそのようなことがあるのでしょうか。解くことは簡単です。神様の前に立てば良いのです。神様に尋ねてみましょう。皆さんの良心に最も正確な返事を神様はしてくださり、これが最もはやく答えられます。しかし、イエス様はそのような祈りされたのではありません。この時、どのようにしなければならないのでしょうか。私たちが神様の前に立つということは、信徒だけができることです。
▲一時、米国教会が復興した時に出てきた本があります。ある牧師がした説教ですが、この説教が米国全地を回って、韓国に越えてきました。ずいぶん前の話です。説教のタイトルがIn His step(主の足跡に従って)です。牧師が、この時、神様ならばどのようにされるだろうか。この時にイエス様ならば、どのようにされるだろうか。それが信仰生活だ。このように説教されたのです。あるお嬢さんが、この礼拝をささげて、男の人に会いに行こうとしたら、みことばより男の人のことだけ思い出しました。その時、説教を聞きながら、今、神様は私をどのように見ておられるのだろうかという考えをするようになったのです。私が今、礼拝をささげると言いながら、礼拝には関心なくて、男の人の考えだけである私を、神様はどう思われるのだろうか。今、私が会いに行く男の人は、イエス様も神様も信じない人なのに、神様ならばどのようにされるのだろうか。こういう気がした後に、礼拝を終えてその男の人に会いに行って、話したのです。もうこれ以上、あなたに会うことができないと言いました。どうしたというは男の人の質問に、神様ならばどうするかと話したのです。男の人は何の話をするのかと言ったのですが、女性が説教の内容を説明したところ、男の人は簡単に答えたのです。それでは、私も教会に行けばよいことではないかと言いながら教会に来たのですが、恵みを受けるようになったのでした。こういうことなどの話も載っています。
▲新聞に広告を出す編集長が新聞を見ていました。新聞の広告を見ながら、その説教を聞いて、神様ならばどのようにするだろうか。こういう酒場や風俗街に行けと広告を出されるだろうか。こう考えて、そのような広告を抜いてしまったのです。だから、新聞社で大騷ぎが起こったのです。直ちに社長から連絡がきたので、自分が広告を抜いたと言いました。それで、なぜ抜いたのかと聞いたところ、神様なら、このような広告をのせるかと尋ねてみたのでした。社長は広告費がなければどのように新聞社ができるか、編集長が狂ったと思ったのです。だから、編集長が少し待ってくれと言って、米国全域で良いことや、とても重要なことをした人、証しがある人々の話をいっぱい出したのです。想像以上に、前より多くの新聞が売れました。私たちが、このように質問しても、多くの答えが来るということになります。
▲今日、イエス様は、そのような程度ではありません。本当に皆さんが重要なことを控えて、どのようにしなければならないのでしょうか。
(1)信仰の英雄とレムナント7人の特徴がこれです。
▲ヨセフを例にあげます。ポティファルの家で最善を尽くす最高のしもべだったのですが、それを見たのではありません。主を見上げました。これです。ヨセフが監獄でも、それを見たのではなく、主を見上げて、総理になっても、それが問題ではなかったのです。主を見上げました。信仰生活に成功した人々は、みなそうです。私たちクリスチャンが、必ず必要とする重要なメッセージです。皆さんが最善を尽くさなければならないのですが、結局は、大変なこと、小さいこと、すべてを持って主の前に立たなければなりません。これが祈りです。
(2)ここで大きい意味は何でしょうか。いくら努力しても、重要なことには、人ができないことがあるのです。本当に祈りの答えを受けるには、人に頼ってはなりません。こういう話になります。
▲時々、小学校の時から大学まで、とても勉強がよくできた人々や、司法勉強を受けて合格して国家で公務員を仕事を良くしている人々。そのように、りっぱな人々が、ある日、だれかがお金何百万円を持って来たのをこっそりともらい、見つけられて大騷ぎが起こる場合を見ました。それが人に頼って、そうなったのです。これは未信者にも適用されるのです。神様だけながめて働きさえすれば良いのに、私がお金がちょっとできればと思って、誰かによく見せるべきだ、としているうちにそうなったのです。ある重要な人は、財産が何十億円あるのに、お金を一千万円をもらおうとして、見つけられて自殺した人もいます。イエス様が最も重要な時刻表をおいて神様に祈られました。必ず記憶しなければなりません。
(3)ダビデ王の場合は、最善を尽くして勝利したのですが、いつも神様の前で祈りの奥義を持った人であったのを...
▲皆さんもおわかりの通りヒゼキヤ王は、立派な王です。王になるやいなや、したことがあります。すべての偶像をみな破壊して、すべてのイスラエルの民は主に立ち返るようにと命令したのです。そして、今までアッシリヤに税金を出していたが、税金を出す理由ないから出すなと言いました。いつもアッシリヤが恐ろしくて税金を出していたのですが、王になるやいなや、出さないと言いました。私たちがなぜアッシリヤに税金を出すのかと言ったのです。ところが、大騷ぎが起こったのでした。アッシリヤが18万5千人の軍隊を引き連れてきたのでした。イスラエルの人々は外国に出ている人々までみな合わせも1500万くらいしかならない小さい国なのに、そこに18万 5千人の軍隊を連れて来たので、イスラエルをなくすという意味です。この時、ヒゼキヤ王がうろたえたのでした。これで私たちの先祖が税金を出したんだなあ...と分かるようになって、悟るようになったのです。このようにして、少しの間ですが、揺れ始めたのでした。このように、人を送りました。和解を要請して、謝罪もしました。しかし、その使節を殺したアッシリヤの前に、ヒゼキヤは金銀財宝を集めて送ってみたりもしました。神殿と王宮についている金をはがして送ったとなっています。しかし、ますます難しくなりました。それで、ヒゼキヤ王がまた頭を使ったのです。私たちは普段の時も上手にしなければならないのですが、重要な困難がくれば神様の前に立たないで、人の前に立とうとするのです。祈りの答えの原理の中で、普段の時は最善を尽くしつつ、すべてのことを持って神様の前に立たなければなりません。普段の時は信仰があるものと思ったのですが、問題がきたら、ヒゼキヤ王がこのようになってしまいました。後にはヒゼキヤ王が頭を使って、エジプトに要請をしたのです。強大国が競い合って、イスラエルの国は完全戦場になったのです。おじけづくと思ったのに、アッシリヤ王はおまえは葦のようなエジプトを頼るのかと言いました。どれくらい強大なアッシリヤなのか、エジプトを見て葦のようだと言ったのです。軍隊18万 5千人が幾重にも囲んでいるので、ヒゼキヤ王がその時、下した決断です。そのときは、方法もありませんでした。ヒゼキヤ王が戦争しようといわれた文書を持って神殿に向かったのです。その日の夜にヒゼキヤ王が命をかけて祈り始めたのです。一度もこういう祈りの体験をしてみたことがなかったのでした。神様の前にいのちをかけて祈りました。大部分の人々が祈り答えの体験がありません。本当に祈れば良いという事実を知らずにいるのです。ヒゼキヤ王は、神様ご自身にすがり始めたのでした。最初からこうであるべきだったのです。これが神様が願われることです。勉強するなということではありません。勉強は最善を尽くすのですが、神様の前に立ってしなさいということです。牧会も宣教も同じです。神様の前に立ってするのです。これがとても重要です。だれが何と言っても、神様の前に立った者が霊的な力を得られるのです。どんな方法と理論もみな正しいのですが、間違っています。神様の前に立つ時、神様が与えられる力を得られるのです。ヒゼキヤ王がどのように祈ったのでしょうか。生きるか死ぬかで、自分は王です。責任も大きいのです。その日の夜、ヒゼキヤがどのように祈ったのか知ることが出来るでしょう。その日の夜に驚くことが行われて、U列王19:35、その夜に...ヒゼキヤ王が祈っていた、その時間に... その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた...どのようにこういう事があるでしょうか。歴史では、アッシリヤの人々が伝染病になって死んだとされていますが、どうしようが、一度に18万 5千人もの兵士が死んだことは事実です。1人が生き残りました。だれが生き残ったのでしょうか。アッシリヤ軍を率いていた、セナケリブだけ生き残ったのです。来て、神様をものすごく侮辱したのですが、その人だけ生き残って、他の兵士は皆死にました。なぜその人は生かされたのでしょうか。考えてみたのですが、簡単です。死体を見物しなさいと。そして、逃げて先祖の王の墓の前でひざまずいて号泣しました。その時、悪い臣下が刃物で刺して殺したのです。ヒゼキヤ王の祈りです。普通、多くの方がこういう部分を体験することができずにいます。イエス様が最も重要な時間にされたことが祈りだったという事実。イエス様がそんなに重要な時間に、弟子に説得や未来に起きることを話して措置を取られたのではなく、祈られたのでした。
▲韓国でも長老、牧師が集まって本当に祈ったことがありました。他の時はにせ物の祈りだと言うことではありません。戦争が起きて、みな奪われて釜山だけ残ったことがあったでしょう。UN会議で韓国を手助けしなければならないのか、やめなければならないかを決める会議がありました。この時は、会長と総務も関係なかったのです。どこの老会が強大なのか、だれが会費を多く出したのか関係ありませんでした。この時、総会長がだれかということも重要ではありませんでした。私が知っていることでは、初めて牧師、長老様本当に祈ったのです。そうしたら、奇跡が起こりました。そこに集まった国家の中で、一つの国家だけ反対しても手助けできなかったのです。反対する国がありました。会議をしにくるのに、その国の大使の車が故障したのでした。それで、連合国が韓国を助けることができたのです。私たちの多くの宣教師と一般信徒は、全てのことに最善を尽くさなければならないのですが、本当に重要なのは、神様の御手の中にあるのです。

2.最も危機の時、最も偉大な祈りをされました
▲イエス様の祈りの特徴2番目です。
(1)今日の祈り内容を見ると、最も危機の時ですが、最も偉大な祈りをされました。
▲父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください...
これは開始を言います。
▲すべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです....
▲そして、三番目には、5節に、今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください...これは、全てのものがみな完成されて終わったということです。イエス様が最も困難を受けた時に、最も重要な祈りをされました。このみことばをよく理解できるでしょうか。
(2)レムナント7人を見てください。難しい時、最も難しいことを捜し出しました。これが祈りの答えを受けるとても重要な一つの理由となります。
(3)私個人的には、足りないから困難にたくさん会いました。しかし、そのたびにとても重要なことを発見したのです。だからどれくらい感謝かわかりません。私は幼い時、死ぬ目に何度かあったのですが、なぜそうだったのかは分かりません。火だけで3回、会いました。それで、火という時、私には意味が格別です。道を通りながらも、火の用心のポスターを見ても、そのとおりだという気がします。それで、いつでもホテルに行けば、もしかして火事になった時は、どのように出ていくべきなのか確認してから寝ます。人々は、あらまし見なくて寝るのに、皆さんも火だけでも3回程度経験してみればそうなります。そして、ある時は、有り得ないことが起きたのですが、これが全部、神様の計画だったのです。メッセージを悟ったのですが、どれほど多くの役に立っているか分かりません。中間中間に話せない困難さえも、その時ごとに重要なことを悟ることができました。

3.イエス様の普段の時にささげた祈り
▲イエス様が私たちに教えられたことは、とても重要な部分を私たちに説明して下さいました。さらに重要な教えは三番目です。イエス様が危機が突然きて祈られたのではありません。イエス様は、普段の時に祈られたのです。それで、重要なことが出てきた時は、重要な計画を握られたのです。
▲私が20代の時、私たちの牧師が外国に行くと、一週間だけ朝の祈りを頼まれました。分かりましたと言ったのですが、教会と家が遠くて、明け方4時に出発しなければなりませんでした。そして、朝の祈りを終えたら、私が朝に行く塾に行って、学校へ行って、授業が終われば勉強して、仕事も少しして家に帰りました。死ぬ程、大変でした。座っているのに眠くなって、3日目くらいから気が変になるほどでした。五目日ぐらいなった日は、聖書を持って歩いていて電柱にぶつかりました。明け方によく眠るある方が牧師になりました。牧会が何かも知らないながら言う言葉が、明け方祈りだけなければ、牧会は楽なのに…いったい、朝の祈りはだれが先にし始めたのでしょうか。マルコ1:35にイエス様がされたのでした。そして、ヨハネ6:15に、重要な時も常に祈られました。祈りが何かわからない人には、祈りが最も愚かに見られるのですが、何か知っている人には、一番重要な時間なのです。
(1)天と地のすべての権威をわたしには与えられました。天国の鍵をあなたに与えます....だから、天の門を開ける鍵なのです。
▲率直に、私がある日、それを知るようになったのです。その時から祈りの答えを受けました。それでは恐れる必要がありません。むしろ高慢になるかと思い、用心すべきですが、恐れる必要はありません。祈りが何か分かる日、私たちは何も必要なこともありません。天の門を開ける鍵です。この祈りが何なのでしょうか。地の暗やみを打ち砕く権威です。ものすごいことが行われます。そのような程度ではありません。
(2)過去、現在、未来を全部、突き抜けて見ることができるのです。神様が私たちにすばらしい祝福を与えられました。
(3)座ったまま、すべての世界を動かせるのが祈りです。だから、私たちすべての聖徒と家族、宣教師は、この力をより大きく受けるように願います。
▲私はおわかりの通り、神学校に通いながら見たのです。詳しく見たら、全部、私より良い人々であったし、私が一番貧しいようでした。そして、伝道師には背景が少しずつあったのですが、私は背景もありませんでした。だからお願いする所も助けてもらう所もなかったのです。不思議に私はそうでした。ある日、私が福音を分かりながら、神様に祈らなければならない、聖書にあるこの力を得られなければ私はできない...こう思ったのです。その時は、定刻祈りを悟れなかったので、朝の祈りを始めました。神様、私は背景がありません。お金もありません...背景がある人が背景がないと言うと、謙虚に見られるかも知れませんが、私のような場合は、本当になかったために涙が出てきました。神様、私に他のものは必要なくて、伝道だけ思いきりできる教会を下さい。どこでも関係なくて、神様が行きなさい言われたら行くから、思いきり伝道ができる教会を与えて下さい...それを明け方ごとに祈りました。出てきながら考えるのに、それでも田舎はだめですと付け加えながら祈りました。そのような祈りをしたのですが、神様が送ってくださった教会が釜山にあるインマヌエル教会です。赴任して来てみたら12坪でした。私が見た世界で一番小さい教会でした。35坪は、その後に行った所です。行ってみたら、さらに難しかったのです。今のように人がいたのでもなく、経済があったのでもありませんでした。
▲どれくらい難しいのか、その時、始めたのが朝昼夕に定刻祈りを始めたのです。神様、世界福音化することができるように力を与えて下さい...ところで、神様はいくらもしなかったのに答えを与えられました。福音を悟ってこの味わうので、少し高慢なのではないかという気がするほど確信が与えられました。イエス様が一番最後に教えて、されたことが祈りです。

4.結論-必ず答えられる祈り
▲私が知っていることでは、祈りは、いくつか参考にすれば必ず答えられことがあります。
(1)世界福音化と私を救われた神様の道しるべの中で祈れば確かに答えられます。
(2)そして人の前ではなく、神様の前で祈れば、無条件に答えられます。私たちは、しばしば人の前で祈るようになるのですが、そうではなく神様の前で。福音を持った皆さんと私が、神様の前で真実ならば、神様は確かに答えられます。それで、イエス様がエルサレムを離れずに父の約束を待ちなさいと言われたのです。とても重要なのが福音の中でです。
(3)そして、神様の前で私たちが真実に祈れば、すべての祈りを答えられる神様です。
▲この力を得なければなりません。今日、イエス様がご自分のために祈られたのですが、肉体を持った人はみな祈らなければなりません。それで、ある日、定刻祈りがどれくらい大変なのか、して、またできず、して、またできなかったのです。忙しくて、遊んで、寝て、忘れてしまうようになりました。しかし、それでも大丈夫です。ある日、整理できるようになりました。朝や夜に、あるいは昼間に良い時間で祈るのに、リズムができたから、この時から本当に何かが変わり始めました。レムナントに度々話すのが、リズムだけできるようになれば、どこへ行こうが生き残れるのです。それをイエス様が教えられたのです。イエス様は福音伝道だけ教えられたのではなく、本人が直接祈りながら教えられました。それで、皆さんが朝起きて余裕あるように祈ってみましょう。そして、夜に寝る時、祈ってみましょう。そして、時間を決めずに昼間に最も良い時間に祈ってみましょう。本当に事が起きます。仕事の中で私が神様をながめられるようになるのです。一日、三回するようになればそうです。前にも証ししたでしょう。あるとき、我が家の電話料が20〜30万円ほどが請求されました。電話料がそのように請求されるから、電話機が故障したと大騒ぎしたのです。しかし、実際に電話料と電話機は関係がありません。それで、電話費の請求書を教会に持って行かないようにと言いました。その犯人は、私の息子でした。私はすぐ感づいたのです。当時、愛していた女性が外国にいたのです。長くもしていません。寝る前に、昼間に、寝て少ししたのでしょう。そのように節制しながらしたのに、そのようにかかったのです。ところで、電話を一日に3回ずつしたのが問題ではありません。心がすっかりそちらへ行っていたのです。それが重要なのです。その話をしたところ、息子が言う言葉が、今はお金をもらっても、できないと言いました。定刻祈りは、すべてのリズムが回復するのです。私が体験することでは、断食祈りよりさらに力があるのが定刻祈りです。非正常的にせずに、最も正常にできるのが定刻祈りです。イエス様がされました。夜明けに、夜に、昼間に群集を避けてされたのです。祈るのを全く表に見せずにするのが定刻祈りです。皆さんが職場生活をしたり、勉強しながら、全く時間を浪費しないで最も大きい力を得られるのが定刻祈りです。これをしてみてください。みな回復します。
▲聖書に一番たくさん約束されたのが、祈りは答えられるということです。聖書に信仰の先祖を見てください。わたしがあなたとともいる...体験するところが、その道しかありません。イエス様が弟子を呼んで、一番最初になさったみことばが、わたしがあなたがたを呼んだのは、あなたがたとともにいるためだ...イエス様が、一番最後になさったみことばも、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます...どのように一緒にいるということなのでしょうか。核心の時、話しました。黙示録を見ると、一番心に届くのが、七つの星を捕まえて燭台の間で通っておられます。主のしもべらを握って、信徒1人1人を治められるのです。より一層、心にあたってくるのが、ダビデの鍵を持たれた方が、開けば閉じる者はなく、閉じれば開ける者はいない。キリストが皆さんの生涯の門をあけているのに、だれが防げるのでしょうか。万王の王であるキリストが門を閉めるのに、だれが妨害できるかということです。また、見ると七つの霊と七つの星をつかんでいると言われています。宣教師は、記憶しなければなりません。七つの霊。ある方は聖霊と解釈して、ある方は天使だと解釈しました。二つとも関係はありません。私たちの宣教師が動く所ごとに、確かに聖霊が働いて、完全に主の天使を備えて神様の計画を成し遂げられるのです。
▲私が経験することでは、リズムが生き返って、礼拝も回復します。これが回復すれば、常時祈りも回復します。みな回復するのです。時間がかかることもありません。朝にも、どうせ起きなければならないから、起きてすれば良くて、寝る時、皆さんが明日のスケジュールと祈りの時間を含んでしても良いのです。考えてみてください。人に会うこと、行かなければならない所、みな計画を立てるのに、神様のことだけはいつも計画をたてないでいるのです。だから、答えを受けられないことではないでしょうか。いろいろなことをすべてするのではないでしょうか。夜に花札で賭け事をして、スポーツ、ドラマみな見て、祈りだけしないのではないでしょうか。昼間には、いろいろな心配、あの話、この話、ない話、ある話、みんなして、祈りだけしないのではないでしょうか。そして、重要なのは、霊的問題を持っている方は、一番直せる方法が定刻祈りなのです。定刻祈りで、深く入るのです。それが最も安全な癒しです。
▲神様がくださったことを正しく捜し出さなければなりません。これをイエス様が教えられたのです。私は確かに皆さんに確信を持ってお話することができるのは、福音を持った者が祈りができるならば、全てのものは終わるのです。私たちのレムナントが外に出て行けば、福音をもっていて、祈りができるならば、全てのものを生かせます。私たちの宣教師が、本当にこの力を回復したら、神様の前で立つという言葉が何の話なのか分かるようになります。いくら危機がきても、神様の計画が何か知るようになるでしょう。そして、普段の時に、多くの仕事より神様の前に立つのがどれくらい重要かを知るようになるでしょう。
▲こうすれば、一番最初に訪ねてくるのが霊的な力です。それが何でしょうか。人が理解するのは難しいのです。そして、考えも力ができます。これができてこそ、健康も与えられるのです。そして、この3つのことがくれば、付いてくるのが経済力です。四つがなれば、自然につくのは人材です。それで、この力を必ず得なければなりません。
▲どれくらいやさしいでしょうか。本当に福音を握ってすれば、体質をなくそうとする必要もありません。気性が短期な体質がなくなるのでしょうか。なくなりません。定刻祈りを回復すれば性質が緊急なことでなく、速くなるのです。性質がのろい人にはいくら話してもだめなのですが、ところで定刻祈りを回復すれば、のろいのではなく正確になってしまいます。ある場合では、皆さんの体質、キャラクターは変わりません。
定刻祈りする時だけ効果があるのです。それで私はこういう結論が出ました。全てのものは備えられているのに、ものすごいことが見られないのは私のゆえだ。定刻祈りする、その時間だけが、私がなくなる時間です。それだけ持っても、世界を征服することができます。それで、ガラテヤ2:20の程度の水準になれば、終わるのです。
▲それでこれくらい神様が皆さんに答えられようと準備して待っておられるのです。すべての宣教師と重職者、レムナントが、力を得るように、イエスの御名でお祈りします。

(祈り)
神様に心より感謝します。神様が私たちとともにおられることを体験させてください。歩みごとに神様が私たちと一緒におられることを未信者が見て、彼らを生かせるように祝福してください。教会が多くの非難を受けるのでなく、教会が私たちの民族、社会を生かす場所であることを知らせて下さい。今日、神様が上から与えられる力を得る祝福の日になることを祈ります。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)




2部:死を恐れない者
(使徒7:54-60)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲皆さんが必ず答え受けようとするなら、いのちをかける価値があることを捜し出そう。伝道、レムナントは、いのちをかける価値がある単語だ。
▲先に考えて過ぎて行かなければならないことがある。
(1)未信者-自分も知らないのに主人はサタンだ。だからいくらもがいても、成功してもだめなのだ。それで、聖書が言う話が、サタンが主人になった海賊船から抜け出しなさいということだ。
(2)救われたが、私が主人-イエスを信じて救われたが、主人が私になれば、ずっとサタンの攻撃を受けるようになる。
(3)キリストが主人になった人-それでは、サタンがいくら攻撃をしようとしても、することができない。そうすれば、多くの人を生かす答えの門が開くようになる。
▲もう皆さんはこの救いの船にのって全世界を生かすのだ。今から皆さんは、いのちをかける価値がある祝福の人を捜し出すことをお祈りする。
▲序論-本当に救われた人と真の伝道者は見る目が違う。
(1)迫害、困難、失敗、死が迫ってきた時、終わりだと思うが、しかし、福音を持った者と伝道の目を正しく開けた人はこれが開始だ。
(2)歴史と教会史と聖書を見る目が違う。
(3)一度ももれなく迫害を受けたので恐れるな。勇敢でありなさい。わたしは世に勝ったとイエス様がおっしゃられた。
▲どのようにステパノが死を恐れなかったのか?
1.信仰生活にいのちをかけるほどの価値があるのを見た。
(1)重要な希望を見た人-重要な天国の希望を見た。
1)使徒1:1,3,8節を味わった人だ。
2)使徒2:1-47節に聖霊の働きを味わった人だ。
3)使徒3:1-2,足のきかない者を立て起こした光景を見た人だ。
4)使徒4:12,29-31,危険の中で聖霊充満を味わった教会の人だ。
5)使徒5:1-11,アナニヤ、サッピラ事件の時、味わった人だ
(2)聖霊充満(55節)
▲本当にいのちをかけるほどの価値があることを発見すれば神様が聖霊充満をくださる。
(3)天の門(56節)が開かれた。
2.ステパノはさらに重要なことを見た。
(1)人間は一度だけしか死なないのに、今、これが私がしなければならない重要な使命だというのを見た。
(2)イスラエルが滅びるしかはない歴史を知っているのに、そこに重要なことを見て,
(3)イスラエルの未来に対するメッセージを与えたが、重要なことを知っていた。
3.さらに重要なこと-ステパノが死んだ後に残ったこと
(1)使徒9:-15,福音のために困難を受ければ、その後に起きるものすごく重要なことが残っている。ステパノが死んだ後にパウロという人物が生まれた..皆さんは異邦人と王たちを生かす祝福を持って呼ばれた宣教師だ。
(2)使徒11:19,ステパノの迫害によって...世界を生かす教会が一つできたがアンテオケ教会ができた。
(3)Iコリント15:1-10,私が知らずに教会を迫害したと言った。パウロの使命を深く与えた人がステパノだ。
4.結論
(1)今からいのちをかけても良いことを捜し出そう。そうすれば、答えられる。
(2)神様が最高で関心を持っておられることを捜し出そう。
1)レムナント7人,
2)レムナント7人を育てる人
3)ここに本当に福音を伝える伝道者
▲神様が最も関心がある現場-人を生かす伝道現場、宣教現場、人を生かすレムナントを育てる現場...神様が最高の関心を持っておられる現場、その祝福の中に皆さんがいることを本当に信じるように、イエスの御名で祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。今日、神様が一番関心を持たれた現場にいるようにされたことを感謝します。私たちがいのちをかけるほどの価値があることを見つけるようにさせて下さい。その仕事をするようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲初代教会の最初の殉教者ステパノの話です。初代教会は、ステパノをはじめとして重要な弟子が死を恐れませんでした。この話は、私たちとも関係があります。一番言いやすい言葉が、いのちをかけるという言葉です。女子学生と男子学生が会ってみたら、いのちをかけると言いながら、3ケ月後に別れるたりします。この言葉が一番やさしい言葉なのです。ところで、これが分かってみれば、とても重要な言葉になります。いのちをかけると言うのと、1億を献金することの中で、どちらがやさしいでしょうか。計算上、問い詰めれば、1億を出すのが死ぬことよりはより良いのですが、死ぬのがはるかに言いやすいのです。誰もが言える言葉です。なぜなら、無知な話で言えば、1億は現金ですが、いのちをかけるのは今すぐには払わなくても良いからです。
▲ところで、皆さんがここで重要なことを捜し出さなければなりません。年を取るほど、そのようにしなければならないのです。牧師であるほど、そのようにしなければなりません。いのちをかけてもかまわないほどの事を捜し出さなければなりません。そのようなものでなければ、しないほど良いのです。また、いのちをかけるほどの価値あることを捜し出すのが、重要なことになります。レムナントがこれから仕事をする時、また、結婚する時も、いのちをかけるほどの価値ある人を探さなければなりません。それが、簡単なことではないのですが、重要なことなのです。それで、必ず答えられようとするなら、いのちをかける価値があることを捜し出しましょう。それで、伝道、レムナント、こういう単語は、いのちをかける価値がある単語です。ステパノがその中のひとりなのです。
▲今日、この話をする前に、いくつかの考えと通り過ぎなければならないことがあります。何年か前に、釜山に来る前に、ヤンサンという所があるのに、多分、金曜日だったか、雨がたくさん降る日に牧師と信徒たちが祈りを終えてバスに30〜40人くらい乗っていました。普段の道だったのですが、水がたくさんあったのに、知らずに行ったのでした。行く途中で、滑り落ちたのか、水の中にはまってしまったのです。30人余りが全部、死にました。その時、私が伝道師だったのですが、学生が私に尋ねました。伝道師先生、本当に変ですね、夜通し祈って出てきたのに、なぜ水にはまって死ぬのですかと。神様の前に殺してくれと祈ったのではないでしょうに、どうしてそんなになったのかと。神様が生きておられれば、そのような事があるのでしょうかと尋ねました。尋ねるだけのことはあることです。私がこのように答えました。私は分からない。死んだのは確実だ。人間のいのちを治めておられる方が、神様であることも確実だ。それ以上は、私はよく分からない。また今、死んだといって、必ず間違っていることでもない。私達が知らないことであるためだ。明らかなのは、私たちはこういうものと関係なく生きていっているということだ。ところで、私たちが記憶しなければならないことは、何かがあるということです。私はこのように行こうとしたのに、しばしばあのように行く場合があります。また、ある人はより良い道に行くこともあります。こんなにまで祝福されるとは思わなかったのに、単に生きていたら神様の恵みで、こんなにまで祝福された、こういう人もいます。ところで、そんなこととは関係なく、私たちは熱心に生きています。しかし、聖書はおっしゃっているのです。皆さんの背後に聖霊が目に見えなく導いておられると。間違いありません。そして、未信者の背後には聖書に言うのに、サタンがその人を運命で捕まえて導くと確かに記録されています。それなら、とても重要なことになります。それなら、皆さんは信仰生活がとても重要になるのです。今日も、若い人材、外国に行く青年たち、選手たち、こういう人々が私に少しの間、挨拶して行きました。熱心に生きなければならないのですが、とても重要な部分が残っているのです。また、ある人は、何の誤りもなく困難な目にあっています。前に話したことがあります。お隣りの人なのに、埠頭の道を歩いていたら、何かが飛んできて頭に当たって、その場で死んだのでした。魚を入れて氷を満たした固い木の箱に当たったのですが、私たちの予想では、だれかが船から魚を盗み出そうと、外に捨てておいたのを持っていこうと投げたと考えられるのですが、人が死んだので、私がそうだったと出てくる人がいなかったのです。まだ見つかりません。何の補償も受けられないで、尋ねる人もいませんでした。私が思うことに、本当にだめなことでした。どうして、よりによって道を行く時に、魚の箱にあたって、自分が作ったのでもなくて、注意するから良くなることでもないのです。しかし、明らかなことがいつくかあります。
(1)未信者-私が絵を描きます。椅子があるとします。多くの未信者は、キリストを知りません。ある人は必要ないと言います。なくてもよく生きることができると言います。ところが、自分も知らずにいる重要な真理は、主人はサタンだということです。私はここ(椅子の下)にいます。いくらもがいても、だめなのです。だから、成功してもだめなのです。もし絵で言うならば、このサタンが仕事をすれば、船が人を殺す海賊船で、船長がサタンだということです。船に乗った人がいます。この人がいくら優しくても、仕方がありません。それで善行ではで救われないと言うのです。とても良心的でも関係がありません。海賊船に乗って、殺して奪い取る人は、いくら良心的でも関係がありません。とても勤勉ならば、さらに問題です。私たちは今、これを知らずにいるのです。根本的に人間がサタンの権威の下で手下の役割をしているのを知らないから、私が正しく生きているのに、教会に熱心に通っているのに、みことば守ったのに、なぜこういうことがあるのかと言うのです。知らないからです。このサタンの船に乗った人は、良心的なほど、さらに悪い人になります。良心的にするので、とても船長の話をよく聞くので、盗みがむしろさらにうまいのです。だから、ある日、この海賊船のように崩れるしかありません。人々は、これを知らずにいます。聖書が言うことがこれです。ここから抜け出しなさいということです。だから、皆さんがいくら熱心に生きても、海賊船に乗っている以上は、船長がサタンなので、そこで一緒に死ぬしかないのです。
(2)救援されたが私が主人-二番目の絵を見れば,イエス信じて救われて、サタンとは関係がありません。終わってしまったのです。このサタンの代りにキリストの十字架で救われました。絵で簡単に理解できます。ところが、主人が私なのです。ずっと攻撃を受けます。この救いの船に乗ることは乗ったのですが、船長が私になってはいけないのになってしまって、ずっと問題がくるのです。

(3)キリストが主人になった人-私たちは救われた神様の子どもであるために、心の中にキリストが主人にならなければなりません。そうすれば、サタンがいくら攻撃しようとしても、することができないのです。私はここ(椅子の下)にいるのです。そうすれば、多くの人を生かす答えの門が開かれるようになるのです。今日、皆さんはこの祝福がどれくらい大きいのでしょうか。この救いの船で全世界を生かすのです。なぜでしょうか。神様が、今はキリストを送られたので、この道でなければ、救いを得ることがないから、いのちをかけることができるのです。宣教師がなぜ重要なのでしょうか。この道以外は、方法がないから重要なのです。これを今、悟った人々が集まったのが初代教会です。このように、皆さんと関係がある部分なのです。今から皆さんは、いのちをかける価値がある祝福の人生を捜し出すことをイエスの御名で祝福します。
▲本文を少しの間、見ながら、なぜ、そのように価値があるのかを簡単に見なければなりません。本当に救われた人と真の伝道者は、見る目が違います。何の目が違っているのでしょうか。
(1)迫害がきました。そして、多くの困難がきたのです。初代教会がそうだったのではないでしょうか。簡単に話せば、死が迫ってきた、こうすれば終わりだと思います。しかし、福音を持った者と伝道の目を正しく開けた人は、これが開始だったのです。
▲宣教師は記憶しなければなりません。いつでも福音運動が起きれば反対が起きました。それでは、免職させてすれば終わりだと思うのですが、それが開始です。このように違いが生じるのです。年をとったら終わりだと思うのですが、福音を持った人には開始です。何も心配する必要がありません。これが違うのです。福音がない人々は失敗すれば終わりですが、神様の子どもは、この時からが開始です。初代教会の本当の復興運動は、ステパノが死んでから始まりました。神様の祝福があるように願います。それで、私が年をとっている人々に頑張れと言うので、ある勧士は朝起きてプッシャプ(push-up)をするということです。ある勧士は、私が200回すると言ったので、自分も200回するといって倒れたということです。私の場合は、数年間、毎日しているからできるので、少しずつしなければなりません。今から始めなければなりません。前に金剛山(クムガンサン)に行った時、あるおばあさんの勧士は、私と同じように上がって降りてきました。私が驚いて尋ねたら、牧師先生のメッセージを聞いて、ずっと運動をしているのでそうなったということでした。皆さんが失敗したと思ったら、今から開始です。モーセが言うのが、私はできないと言いました。開始なのに。エリヤに開始もする前に、自分は終わりだと言いました。今、宣教師がまだ開始もしなかったのに、もうメッセージの基礎を投げたが、私はできないと言いました。今日、皆さんが神様が与えられる新しい開始、大きい力を得るように願います。迫害と失敗と死が開始です。重職者も、全部、新しく始めることを望みます。前に話したでしょう。このメッセージを聞いて、あるおばあさんが新しく開始をしようと、明け方ごとに起きて走ったのです。走って70才を越えたおじいさんに会って結婚をしました。ところで、そのおじいさんが死んで10億円を残したのです。嫁入りして、10億円残って、伝道しやすいでしょう。この頃、町中のおばあさんがみな走っているということです。走りながら、ひょっとしておじいさんが付いてくるかと思って、振り返っているということです。どうであれ、皆さんが正しく始めなければなりません。
(2)歴史、教会史、聖書を見る目が違います。本当に福音を持った人は見る目が違うのです。
(3)一度もかかさず、迫害を受けたので、恐れてはなりません。それで死を恐れなかったのです。それで、勇敢でありなさい。わたしは世に勝ったのですとイエス様が話されました。
▲どのようにステパノは死ねたのでしょうか。とても重要です。

1.信仰生活にいのちをかけるほどの価値あるのを見たのです。
▲最初です。このステパノが信仰生活にとてもいのちをかけるほどの価値があるのを見たのです。私がある国の金持ちの墓に行ってみました。生きている人の墓に行ってみたのです。驚きました。この人は、先祖の時からよく暮らしている金持ちでした。この人が教会に行ったり来たりして福音を受けたのです。福音を受けて、合宿訓練を受けました。それ以後に、ずっと伝道をします。この方には何かがあります。高齢ですが、自分が死ぬ家をみな準備しておいたのです。死ねばここに埋められると言いながら、家のようなお墓を作っていました。そして、そのそばには自分が死んだ後に見せる、自分が生きてきた人生の歴史が記録されていました。ところで、感謝なことには、片側には、福音を受けて自分が恵みを受けたことを書いて作ってありました。完全に邸宅、王宮を作ってあったのです。私が感じたのが、この方がはやく死にたいという顔でした。ここに行きたいので。
(1)人が本当に天国の希望を見れば、それより大きいのではないでしょうか。このステパノは、普通の人ではなく、とても重要な希望を見た人です。使徒1:1〜3、8節、この契約を味わった人です。使徒2:47節、聖霊のみわざが何か味わった人です。使徒3章に、誰も起こすこともできない足のきかない者を立てる光景を知っている人です。使徒4章、危険の中で聖霊充満の力を受けた教会を味わった人です。使徒5章、アナニヤとサッピラ事件の時、全ての神様の働きを見た人です。これで重職者に選ばれた人です。これを味わっても充分でしょう。だから恐れる必要がないのです。もし死が確実ならば死ねます。多分、皆さんもそうなるでしょう。皆さんも、もし死ぬ日が確実だ、これが神様のみこころならば力が生じるでしょう。しかし、救われなかった人は怖くなるのです。この価値があるのを見たのです。ステパノが法廷に立ちました。単なる法廷ではなく、死刑宣告をおろす法廷です。死刑宣告をおろして、その場で殺されるのです。その時に、最後の尋問をする時に、ステパノがした返事です。言葉をやんわりとしたとすれば、警告を受けて家に帰ることもできました。ステパノが話す時、少し触らないようにしても、そうできたのです。完全に、ステパノが旧約全体を話しました。旧約全体にいつでも福音がない人が、福音がある人を困らせたことを話しました。その場で石で打って殺したのです。その事件です。
(2)今日、使徒7:55節にこのようになっています。しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、となっています。皆さんが本当にいのちをかける価値あるのを発見すれば、神様が聖霊で満たしてくださるのです。
(2)56節を見ましょう。こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」これを見るようになったのです。天の門が開いたのです。こういうものを見たので、いのちをかけられる人になれるのです。ところで、60節には、そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。聖書は死んだではなく、眠りについたと言いました。

2.ステパノはさらに重要なことを見ました。
▲どのようにステパノが死を覚悟できたのでしょうか。さらに重要なことを見たのです。このように天の門が開いて、神様がともにおられることだけを見たのではなく、さらに重要なことを見ました。多分、皆さんもそうなるでしょう。
(1)これを見るようになれば。人間には、一度しか死なないのに、これが重要なことで、しなければならない使命だと見たのです。ひょっとして年をとっている方々も、信仰生活をするのに死を恐れる必要はありません。神様は救われた者の死を無条件に守られます。
(2)さらに重要なことを見ました。イスラエルが滅びるしかない歴史を知っていました。そこで、重要なことを話して死んだのです。
(3)イスラエルの未来をよく知って、そこに対するメッセージを与えたので、さらに重要なことを見ました。

3.さらに重要なこと-ステパノが死んだ後、残ったこと
▲とても重要なのは、ステパノ自身が知らないことが残っていたのです。福音を持っている皆さんが、福音のために困難を受ければ、その後に起きるものすごく重要なことが残っています。ステパノが知らなかったのです。
(1)皆さんがおわかりの通り、ステパノが死んだ後、使徒9:1〜15パウロという人物が生まれました。後ほど話が出たのですが、ステパノが死刑を受けた時、証人がいなければなりません。一番最初に石で打つ人がいれば、その次に後ろからついて並んで打つのです。死刑させる過程です。上着を脱いで石で打つということです。そのまま打ってもかまわないのですが、聖なる行為だと思っているためです。石を一番最初に殴って倒れれば、囲んだ人がみな投げるのです。石を持って打つ時、上着を脱いで打つのに、上着を持つ人がいます。法律で、一番最初に石を上げた人が誰と記録されていて、石を打つ時、服を受けもつ人も記録されるのですが、服を受けもつ人が証人です。それが法律で記録されます。それで、ステパノが死ぬ時、一番最初に石を投げた人がいるでしょう。その人が最初の証人で、服を受けもった人が二番目の証人です。その時、服を受けもった人がパウロでした。ステパノが石に打たれて死ぬ時、パウロが証人でそばに立っていたのです。パウロは立派な人です。その光景を見たのです。ステパノの姿を見ました。ステパノが聖霊充満した姿を見て、祈る姿も見て、死ぬ姿も見たのです。そうしていたら、事が起きたのです。このことが行われたのです。ステパノを殺して、パウロがステパノのような人をつかまえに行くところに起きました。夜に道を通り過ぎるのに、だれかが皆さんの名前を呼ぶと考えてみてください。私は呼ばれたこともないのに、見て驚いたことがあります。夜明けに登山をしに上がるのに、だれかが座っていたのです。死んでいました。見た瞬間、全身が変になりました。髪の毛が逆立つという言葉を、その時、体験しました。それで、背を向けて走ろうとしたのに、走れませんでした。死体が何の力もなくて、話もできないのに、やっと気を引き締めて走ったのでした。ところで、行くのに、だれかが呼んだと考えてみてください。サウロが現場にいた人なのに、行く時に、声が聞こえたのです。サウロ、パウロの名前は、パウロでもあり、サウロでもあります。イスラエルの人々は普通、名前が三個あります。同じ名前です。誰にも聞こえないのに、パウロにだけ聞こえたのです。光が照らしたのでした。ひざまずいてパウロが尋ねました。ヘブル人の習慣のとおり、ひざまずいて、主よ、どなたですかと尋ねたのです。その時、何と答えられたのでしょうか。わたしはイエスだではなく、わたしはあなたが迫害するイエスだと言われました。ステパノとイエスを信じる人を迫害していたのですが、それがまさにイエスを迫害したことなのです。わたしは、あなたが迫害するイエスだ。そこで、パウロが完全にひざまずいたのです。あなたは異邦人と多くの国の王たちの前に立つ、選ばれたうつわだ。皆さん、宣教師がこのように呼ばれたのです。残りみな、捨てれば良いのです。大統領になれば、大統領の仕事をするように、皆さんはものすごい王たちを生かすほどの祝福を持って呼ばれた宣教師なのです。
(2)使徒11:19、それで終わったのではありません。ステパノの迫害によって。ステパノのゆえに教会が一つできたのですが、世界を生かすアンテオケ教会ができたのでした。どれくらい驚くことでしょうか。ステパノも知らないことです。
(3)Iコリント15:1〜10節にパウロが告白しました。私は使徒の中で一番小さい者で、知らずに教会を迫害した。その時、パウロが誰を思ったでしょうか。私が考えるのには、ステパノです。ところで、パウロの使命をさらに深くさせて与えた人が誰でしょうか。ステパノです。今日、この契約を堅く握って、祝福を受けるように願います。

4.結論
(1)今から宣教師とすべての重職者とすべてのレムナントは、いのちをかけても良いことを捜し出しましょう。そうすれば、答えられます。
(2)二番目です。神様が最高に関心を持っておられることを捜し出しましょう。今日、ここ56節を見れば、こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」右に立っておられるということは、この箇所の他にはありません。神様の右の御座に座っているとなっていますが、立っていたということはありません。
▲神様の最高の関心がどこにあるのでしょうか。
1)レムナント7人,
2)レムナント7人を育てる人です。尋ねる必要もありません。ヨセフの周囲に、モーセの周囲にいる人、これがすべてです。皆さんの残った人生に、この祝福を受けなければなりません。ただ一度生きるのですが、神様が最も関心があること、いのちをかけてもよいほどのことを探すのです。
3)ここに本当に福音を伝える伝道者
▲今回、韓国がオリンピックで歴代上一番成績が良かったということです。その中でも一番良かったことを選んだら、ほとんどみな野球を選びました。9戦9勝で金メダルを取ったのです。本当にすごかったのです。野球が上手な国、米国にも勝って、私たちより実力が10倍もある日本にも勝って、キューバにも勝ちました。それで韓国全体、全世界に大騷ぎが起こったのです。その時、私はTVで見ていました。後ほど、韓国の優勝が決定された時、どうしたでしょうか。放送を見たでしょう。監督をはじめとして、韓国の人をはじめとして、みんな!立っていました。座っていた人は、私しかいませんでした。ある人は立ってぴょんと、びっくりして飛び上がる人もいて、立って泣く人もいました。それは何を話すのでしょうか。最高の関心です。
▲イエス様が宣教師の皆さんの伝道の足取りに立って。レムナントを育てる長老と重職者のすべての歩みを立って、ながめておられます。レムナントが動く所に、神様は主の御使いを送って、立って天の門を開けて見守られるのです。確実です。それで、この契約を宣教師が握って出発しなければなりません。私は幸いに、他のものは知らないのですが、これを握って出発したのです。
▲釜山で、インマヌエル教会で、最初に始めた時、私がそうでした。初日、私がした説教の本文が使徒27:24節でした。パウロ。恐れてはなりません。カイザルの前に立たなければなりません。これを話しました。そして、長老に話したのです。私たちはすべての助けを受けるのをみなやめて、今から宣教師を助けていこうと言ったのです。はじめから。今の状態は関係ありません。神様が最高に関心がある所。人を生かす伝道現場と宣教現場。人を生かすレムナントを育てる現場。私はこれを見ました。それで、今までどれほど多くの祝福が来ているでしょうか。その時、私と共に動いた長老が、70才を越えて今、引退後に宣教師として出て行っています。今ここにきておられるパク長老です。それも、一番難しいところに行っています。難民が行く所に長老が行って10年目になります。神様が最高の関心を持っておられるのです。その祝福の中に皆さんがいることを本当に信じるようにイエスの御名でお祈りします。最後にレムナントを育てる長老、勧士、重職者、本当に神様の永遠な祝福があるでしょう。そして、宣教師の皆さん、本当に神様が与えられる新しい力を得る機会になることをイエスの御名でお祈りします。
(祈り)
神様に感謝いたします。今日、神様が一番関心を持っておられる現場にいるようにしてくださったことを感謝いたします。もう私たちがいのちをかけるほどの価値があることを見つけるようにさせて下さい。その仕事をするようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)