2008年2月24日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部:わたしだ。恐れることはない
(ヨハネ6:16-21)
☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆ 序論 ▲わたしだ。恐れることはない!-恐れの要素をなくそう。 (1)世の中には、絶えず死、病気、経済、恐れが迫ってくる。 (2)未信者は恐れるしかない。 ▲運命に縛られていて、ローマ8:15奴隷の霊を受けた状態で、ヨハネ8:44悪魔に属しているためだ。 (3)神様の子どもは何も恐れることがない。 ▲人間の生死禍福を神様が治めておられるためだ。ヨセフ、モーセとヨシュア、ダビデ、エリシャとエリヤ、初代教会とパウロがこの事実を確かに知っていた。 1.過ぎ行く風のためにも恐れる弱い人間 ▲人間は弱い。特別なものではないのに、やたら恐れる時が多い。 2.マルコ6:49、幽霊なのか?-恐れずに主に任せなさい。 (1)マルコ6:49、恐れに震えている弟子たち (2)Iヨハネ4:18-19、恐れには刑罰が従う。 (3)ヨブ3:25、ヨブが常に普段の時に恐れていた事が襲ってきた。 ▲聖書には恐れてはならない。Iペテロ5:7-8節を見れば、あなたがたの心配を主に任せてしまいなさい。皆さんが恐れて震えれば、悪魔はそれを利用するのだ。キリストが、わたしだ。恐れることはない! 3.マタイ14:31、小さい信仰-キリストで答えを得て力を得なければならない ▲皆さんが無駄に恐れれば、理性も薄くなり、病気になるようになる。ここにサタンが攻撃する。 ▲それで、イエス様がわたしだ。恐れることはない-わたしがキリストであり、わたしがあなたとともにいrので恐れるな。私たちはキリストによって答えを得て、力を得なければならない。 4.結論-いくつかの答えが出てくる。 (1)私たちが備える信仰が重要だ。 ▲重職者を立てる理由-大きい働き、レムナントの土台対応。恐れの要素をなくすだけのものをあらかじめ備えなさい。霊的な力(聖霊充満、神様の国)をあらかじめ得なさい。 1)ヘブル10:38-39、恐れ退き、不信仰に陥ってはならない。信仰のバランスが崩れれば災いが度々入ってくる。 2)箴言1:7、神様を畏れなければ、恐れに襲われる。 3)マタイ27:25、福音の根を下ろさなければ、人生の最後の時に災いに襲われる。 ▲皆さんがあらかじめ今日も聖霊充満を受けて、恐れの要素をうち破ってしまう祝福を受けるように願う。 (2)結論的に神様の子どもは死も恐れなかった。 ▲共産主義にも、250年のローマ暴政にも勝てた。 (3)水の上を歩かれたイエス様-イエスがキリスト、イエスが神様、イエスが神様の息子だという話だ。その方が、わたしだ。恐れることはない! (4)それでキリストが、わたしだ。恐れることはない。 ▲Iペテロ5:7-8(心配は主に任せろ)、ピリピ4:6-7(何も心配せずに主に祈りなさい) ▲すべての問題は祝福だ。何も心配せずに感謝をもって神様に祈りなさい。神様が皆さんを守られるだろう。 (The end) ☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆ 序論 ▲イエス様が恐れる弟子に、わたしだ。恐れることはないと言われました。 -何年か前に見たら、夫婦が公園に座って見物しているのに、おかしな人がきて殺したのです。何の理由もありませんでした。精神がおかしなならず者でした。問題は、残された子どもたちです。この子どもたちが、お父さんお母さんが共に死んだので、どれくらい恐ろしいでしょうか。叔母、親戚がきて世話してあげるのに、その子どもたちがまだ家にいると言いました。自分たちどうしで暮らすと言ったのです。新聞にあった記事です。両親に会いたい時、どうするのかと記者が尋ねたら、方法がないので、服のにおいをかいだりするということでした。どれくらい恐ろしくて孤独でしょうか。 -精神がおかしな人が大邱の地下鉄に火を付けたのですが、そこでも多くの人が死にました。今でも、娘は自分のお母さんが死んだのに、しばしば携帯電話をかけるということです。お父さんがお母さんは電話を受けることができないと言っても、しばしばかけるそうです。どれくらい残念なことでしょうか。今週も見たら、ヘリコプターが墜落して軍人7人が死ぬ事件がありました。残念なのは、結婚して数ヶ月しかなっていない、そのような人もいたのです。小さい幼い子どもをおいて母親が死にました。その子どもたちが、どれくらい恐ろしくて孤独でしょうか。 (1)世の中には、このように絶えず病気、経済、死の恐れが迫ってきています。ところで、私たちが行って恐れないでと言っても聞かないでしょう。皆さんがおかしなことをしながら、恐れてはならないと言っても通じるでしょうか。病院に横になっても可能性がある人々に恐れないでと言ってこそ、力になりますが、死ぬのが確実なのに、恐れないでと言えば、さらに恐ろしくなります。 ▲今日の本文の聖書をよく見てください。単純に恐れるなという話ではありません。イエス様がわたしだ。恐れることはないと言われました。これが重要なみことばです。神様のみことばは、重要な部分をよく理解しなければならないから、各々が理解したら、このようにもあのようにもできるでしょう。私たちを見て、恐れるなと言われるから、恐れがなくなるのではありません。今日の本文の強いメッセージは、恐れの要素をなくしなさいということです。そうではないでしょうか。事業が恐ろしいのにが、恐れないでと言われたからといって、恐ろしくなくなるでしょうか。恐ろしくなければならない、その要素をなくさなければならないのであって、私の一人で恐ろしくないと言っても恐ろしくなくなるでしょうか。イエス様が、わたしだ。恐れることはないと言われました。とても重要なみことばです。 (2)未信者は恐れなければなりません。 ▲自分の力のとおりに生きて死ななければなりません。だから、恐ろしくなるしかありません。男性はボクシングを見るのが好きです。女性は見ない人が多いでしょう。だから、女性は、男性がボクシングを見るのを理解できません。打って殴るのを見ていて、その上にK1が出てきたら殴るだけではなく、蹴ったりもします。こういうものを放送で見せれば、男たちが座って見ています。なぜ見るのでしょうか。それを見ながら感じたことがあります。そばで何か話して応援します。いくらそばで騒いでも、一人で戦わなければならないのです。私が戦えなければ負けるのです。いくらそばでコーチがああしなさい、こうしなさいと言っても、私が戦えなければ死にます。まるで未信者がそのようです。運命から抜け出せません。それが未信者です。救われたということは、運命から抜け出したということです。そんな話も含まれます。神様の子どもになるのですが、元々、滅びの運命から抜け出したということです。 ▲ローマ8:15には、明らかにこのようにおっしゃっています。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、と言われました。その話は、未信者は恐れる奴隷の霊を受けたということです。だから怖くないはずがないのです。 ▲ヨハネ8:44に、あなたがたの父である悪魔と言われ、そこに属していると言われました。だから怖くないはずがありません。未信者は、困難にあえばいろいろなことをします。不安だからです。 (3)神様の子どもは恐れる必要がありません。 ▲なぜでしょうか。人間の生死、災い、祝福は、神様が治めておられるのが確実なためです。私と皆さんの生まれて死ぬ日を、神様が決めておられるのが確実だから、私たちは恐れる必要はありません。 ▲重要な契約をつかんでいるヨセフは恐れませんでした。これは、単に恐れないのではなく、恐れに勝てる何かを持っていたのです。それを今日、捜し出さなければなりません。神様が私たちとともにおられるのに、何かつかんだものがなければ、恐ろしいではないでしょうか。それが信仰生活に重要なものでしょうか。ヨセフは、どの程度の確信あったかというと、奴隷に行っても、監獄に行っても揺れませんでした。その話は、信仰生活を良くしたということにもなりますが、その話ではありません。ヨセフはすでに恐れの要素をなくせる何かを持っていたのです。神様の子どもはそれがあります。それを持たなければなりません。 ▲モーセがヨシュアにした話が何でしょうか。恐れてはならない。おののいてはならない。雄々しくあれ。こういうことばを継続しました。その言葉は、あなたが行く道に恐ろしいこともあるということです。驚くほどのことが起こります。全くそんなことがないのに、恐れるな、そのように言う訳がありません。皆さんの子どもが学校に行くのに車に気をつけなさいと言います。車が多いためです。子どもが学校に行くのに、牛を用心しなさいとは言いません。行くときに、船に用心しなさいとは言いません。車に気をつけなさいと言うのは、車がたくさん通っているから言うのです。その時に、モーセがヨシュアに恐れるな、おののくな、強くあれと8、9回強調しました。その話は、恐れることがあるということです。その時、単に恐れないといっては答えになりません。わたしとともにおられたように、主があなたとともにおられる。これが通じたのです。ヨシュアは、モーセに付いて回りながら、主のみわざがどうか確かに知っていました。だから恐れないでと言ったのです。 ▲これが私たちが捕まえなければならない重要なことであって、対策もなく、恐れないでとは言いません。勉強は絶対しないのに、恐れるな。運動選手が練習もしなくて出て行って走りながら、恐れないでと言えば、死にます。そんな話ではありません。 ▲聖書で神様が恐れるなと言われるのは、とても重要なみことばです。積極的な考え方を教える人々のように、頑張りなさい、それもある程度なりますが、そんな話ではありません。私がどんな場合にも勝つべきで、という話でもありません。ダビデが全く恐れない時は理由がありました。どの程度、ダビデが確信したのでしょうか。たとえ親が私を捨てても、主は私を捨てない。それに対する証拠を持っていたのです。だから、ダビデは、どんな困難もよく勝って、恐れ自体に勝つことができたのです。恐れるほどの要素をあらかじめ崩したのです。あらかじめ把握していました。怖くなることがありません。主は私の羊飼い。私は乏しいことがありませんと、ダビデが自信をもって話しました。サウル王に話したのです。主は獅子と熊の爪から私を救われました。あの割礼を受けることができない者から私を救ってくださるでしょうと、信じると話しました。何か持っていたのです。これが恐れに勝つのです。正しく勝つことであって、無理に恐れてないで良いでしょうか。 ▲私たちが大声を上げると、恐ろしくないでしょうか。私たち幼い時6.25(朝鮮戦争)以後、どれくらい難しく暮らしたでしょうか。お手洗いが遠くにありました。くみ取り式です。ところで電気はないので、まっ暗です。私たちは集まれば悪霊の話をよくしました。子どもたちがくれば、悪霊がいてお手洗いに隠れていて出てくるという話をよくします。幼い時、寝ていてお腹が痛くなりました。一回は、私の弟を起こしました。付いてきたのです。何の力もない弟が付いてくるのにも力が湧きました。寝て夢を見たら、戦争が起きる夢だったのですが、お腹が痛かったのです。弟を起こしたのですが、寒い日に感づいて起きなかったのです。少しつつけば泣く奴が、つねっても起きませんでした。感づいて行かないのです。緊急なのは私です。私の母は、男になって何をそんなにするのかと言うから、しかたなく一人で行ったのです。電気なくて、風が吹いて、まっ暗で寒かったのです。本当に怖かったのです。この恐ろしさをなくそうと大声で叫びながら行きました。怖かったので、童謡を歌いながら行ったのです。さらに怖くなりました。お手洗いのドアを開いて入るのに、どれくらい怖かったのか分かりません。とても怖くて、お腹が痛いのがなくなりました。歌を歌いながら、大声で叫ぶと恐ろしくないのでしょうか。だから、ダビデが恐れに勝ったということは、それ自体を知っていたということです。 ▲聖書にエリシャのような人を見てください。エリヤが一番困難にあっていた時、死刑宣告、指名手配を受けた時、エリヤに付いて行きました。 ▲だから、初代教会を見て下さい。パウロを見て下さい。何かを持っていたのです。 ▲今日私たちは恐れているのに、恐れるなということではなく、恐れの要素をなくす、わたしだ。恐れることはないという契約を握らなければなりません。私たちは先に考えなければならないことがあります。 1.過ぎ行く風のためにも恐れる弱い人間 ▲今日の本文を見ると、人間はみな弱いのです。過ぎ去れる風にもぶるぶる震えます。そこは60フィート離れている山の中にあるのに、突然、風が吹きつけたりもします。私たちはどんなものも見れば、特別なものではないのに恐れるのです。そういう時がとても多いのです。 2.マルコ6:49,幽霊なのか-恐れずに主に任せなさい。 ▲マルコ6章を見れば、同じ記録が出てきます。 (1)マルコ6:49節に、弟子たちがイエス様が歩いて来られるのを見て幽霊だと言いました。なぜ幽霊と言ったのでしょうか。単にとても怖くなって、冗談で言ったのでしょうか、冗談も余裕がある時に言うのであって、今、怖くなって震えているのに、そこで冗談を言うことはできません。 ▲なぜ幽霊と言ったのでしょうか。この話は今でも同じです。霊媒師が立ち返ってイエスを信じれば、悪霊がたくさん困らせます。恐ろしがる必要はありません。皆さんはキリストに会った神様の子どもだから、攻撃されればされるほど有益です。悪い霊が知っています。しばしば恐ろしいから、刺激するのですが、勝つことはできません。皆さんの中で霊的問題で苦しめられる方がいます。恐れる必要はありません。本当に恐れる時、おきることがどれほど多いでしょうか。 (2)Iヨハネ4:18〜19に見ると、恐れには刑罰が従う。 (3)ヨブ3:25を見ると、ヨブが常に普段に恐れていた事が襲って来たのです。面白いことです。ヨブ書を読んでみたでしょう。悪魔がヨブを試みました。ヨブが普段にいつも恐れたことをしたのです。 ▲それで聖書は恐れないでと言われたのです。Iペテロ5:7〜8に、あなたがたの心配を主に任せてしまいなさいと言われた後、何と言ったでしょうかあなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っていますと言われました。恐れて震えれば、悪魔が存在していて、かかってくるのです。 ▲怖いことが起こるので、悪霊、幽霊のようだと表現しました。キリストが、わたしだ。恐れることはないと言われたのです。 3.マタイ14:31,小さい信仰-キリストで答えを得て力を得なさい。 ▲私たちはこうしたことに恐れができます。後ほどマタイ14章にも記録されています。ペテロが見て、イエス様、私もそのようにしてしたいと言ったのです。イエス様が、来なさいと言われたのですが、自分は落ちるから、イエス様が、信仰がない者よ、なぜ疑うのかと言われながら引き上げられる場面が出てきます。 ▲私たちはこのように恐れる時、問題がしばしばできて、そこに陥るのです。私たちが一般的に運動をしても、恐れてしまうとだめです。皆さんがどうしようもなく恐れれば、理性も薄くなります。実際、恐れに捕われれば病気にもなります。良心に呵責が多くて、押さえられれば病気になります。さらに重要なのは、サタンがそこを攻撃するのです。だから心配しないでと言われて、その話をされたのです。そんなに信仰が良いヨブに、サタンが試みたのですが、ヨブがずっと心配していたことを仕かけてきたと言われています。私たちの人間は、このように弱いのです。だから、イエス様がわたしだ。恐れることはないと言われたのです。これがとても重要な言葉です。わたしだ。恐れることはない。それが何の話なのでしょうか。わたしはキリストであり、わたしがあなたとともにいるので、恐れることはないと言われたのは、とても科学的な言葉です。 ▲私たちはキリストによって、本当に答えを得て、力を得なければならないのです。 3.結論-いくつかの答えが出てきます。 ▲ここにいくつかの答えが出てきます。弟子がいつも一回は起きる暴風、それのために、そのように恐れたのです。ここで何を言うのでしょうか。 (1)あらかじめ備える信仰が重要です。 ▲それでこそ、恐れの根源をなくせます。一回は、波も打つでしょう。しかし、イエス様が行くようにされるので、危険なのではありません。あらかじめ確実な信仰を備えていなければならないのです。皆さんが信仰を備えれば、恐れの要素をたくさんなくせます。今回もソウルの崇礼門に火事が起こって、全国、世界に大騷ぎが起きました。色々な話が多くあります。理由があったのでしょう。一番最後に、担当者が予算がないと言いました。私はそのように考えません。あらかじめ備えなかったからです。私たちはあらかじめ備えなくて崩れることが多いのです。レムナントは、外に出て行く時、ダビデのように、レムナント7人のように、あらかじめ備えて出て行かなければなりません。何の対応もしないで出て行けば恐ろしいのです。弟子が、イエス様に付いて行く時は波も打つことがあるということをあらかじめ備えるべきで、それを置いて不信仰な者のように揺れれば、どうするのでしょうか。 ▲私は睡眠を深くする方法があります。普通、年をとれば、ほとんど見れば、いびきをかきます。女性も年をとると、みないびきをかきます。子どもたちも疲れれば、いびきをかくのですが、子どもたちは可愛いのです。ところで、女性がいびきをかくと変です。男性も見れば、ほとんどいびきをかきます。このように話す私もたくさんいびきをかきます。いびきをかく段階は三段階です。自分ははっきりといびきをかくのに、知らずにいる人です。次は自分が分かる段階です。後ほどには深刻で、あまり眠れない段階です。ほとんどみないびきをかきます。ある人はひどくいびきをかき、大きい音でいびきをかく人もいます。一度は徳平(トクピョン)にチョ・ウンテク牧師と一緒に泊まるようになったのですが、びっくりしました。鼻をトゥルルン、トゥルルンといびきをかけば、リズムがあるのに、そのようではなく、トゥルルン、コクと止まります。とても驚いて寝ている所に行ってみたのです。死んだのだと思ったのです。トゥルルンとして、止まるのです。命が断たれる時、そのようになります。行ってみるのでフ〜息が出てきました。これを何度もするので、深刻なように思いました。解かってみれば、人々はみないびきをかきます。私の場合は、ホテルに入れば加湿器をつけておきます。結局、水分不足です。ガラスが曇るほどつけておきます。そうすれば、短くても深い眠りで寝られるのです。他の人は分からないのですが、私はそうです。 ▲ある時、日本に行きました。お手洗いのドアを開けて、シャワーをつけました。熱い水が出てきたら、水蒸気がこもります。日本の消防署が水蒸気を感知して部屋を訪ねてきました。私は本当に驚いたのです。韓国にはそのようなことは、永遠にありません。とても驚いたのです。水蒸気がこもっているので、消防署から、もしかしたらと思って訪ねて来たのです。それでは、火事が起こった、どれくらいはやく来るでしょうか。びっくりしました。施設を作るのにもどれくらい誠意をもってしているか分かりません。私が分かることでは、私たちの国民はついて行くのに50年でなく、100年ももっとかかるのではないかと思います。あくまでも推測ですが、500年はもっとかかるように思います。 ▲私たちがあらかじめ備えないで崩れることがどれほど多いでしょうか。今、私たちの教会が世界福音化するために重職者を立てるのは、多くの理由があります。大きい働きをするための対応です。本当にレムナントを置いて土台をつくる対応をしているのです。あちこちに神様が与えられた力を受ける弟子たちが起きてこそ、教会になるのです。教会堂は問題になりません。皆さんの職場のあちこちに神様の国が臨まなければならないのです。何の話なのか知っているでしょうか。だから、私たちが少し準備しても、人が生かされます。だから利川(イチョン)でも火事が起こった時、少しだけ見回しても、そんなことがなかったはずです。それはそれとして、私たちのレムナントが外に出て行く時、霊的準備をしないで行けば、いたずらにやられてしまうようになります。特別なものではないのに、うろたえるのです。一回は波が打ってこそ、海が生きるのではないでしょうか。それまでも恐れるのです。それで、あらかじめ私たちは恐れの要素をなくすほどの備える信仰が必要なのです。 ▲二番目は何でしょうか。幽霊なのか、この話は大きな意味がある単語です。皆さんと私が一番しなければならないことが、霊的な力をあらかじめ得なければならないのです。それで、イエス様が聖霊充満を与えると言われました。無条件に恐れないで、ではなく、わたしだ。恐れることはないと言われました。イエス様がわたしだ。恐れることはないと言われたのです。この契約を本当につかまなければなりません。 ▲今日からすべての重職者、すべてのレムナントが、神様の国、わたしがキリストだ。恐れることはない。本当に答えがきます。わたしだ。恐れることはない。この証拠があってこそ、私たちが恐れにも勝って、問題にも勝てるのです。ペテロが不信仰になりました。不信仰になれば、崩れます。 ▲3つには信徒でも、災いがやってきます。 1)ヘブル10:25〜39を見れば、恐れ退くなと言われました。後に退かないでと言われたのです。バランスが崩れて、信仰がどんどん崩れれば、災いがやってきます。それが不信仰です。 2)箴言1:7を見れば、主を恐れるのが知識の根本だと言われています。神様を恐れるのではなく、神様を恐れる心がなければ、私たちは災いにあってしまうのです。 3)マタイ27:25を見れば、イスラエルの結果を話しました。皆さんが福音の根を下ろさなければ、人生の最後に困難がきます。そのまま過ぎ行く話ではありません。 ▲だから、私たちは神様が与えられる力、わたしだ。恐れることはない。あらかじめ今日も聖霊充満を受けて、恐れの要素を砕いてしまう祝福があることをイエスの御名でお祈りします。 (2)神様の子どもは結論的に死も恐れません。 ▲その力を神様がくださいます。神様の子どもは死も恐れません。共産主義にも勝てたし、日帝の神社参拝にも勝てたし、神様の子どもは250年ローマ暴政にも勝つことができました。 (3)今日、聖書は私たちにイエス様が水の上で歩いて来られたと言っています。 ▲どう思いますか。解釈する必要はありません。水の上を歩かれたと記録されています。イエスがキリストだというみことばです。イエスが神様ということです。イエスが神様の息子だということです。その方が、皆さんに、わたしだ。恐れることはないと言われました。実験してみたことがありますか。私が神様の子どもで、イエス・キリストがどなたなのかといことです。 ▲私は今でも3度、今、思っても恥ずかしいことがあります。 -ある死んでいく子どもが病院でだめだからと言われたので、家に連れて帰ったのですが、イエスを信じると言ったのです。その家に行って福音を伝えてげて、礼拝をささげてきました。ところで、私がその子を見て、祈って起きなさいその話ではありません。なぜならば、ひょっとして起きないのではないかと思ったからでした。それで、私はその子をそのまま置いて、礼拝だけささげてきたのです。出てくるのに、こういう気がしました。出てくるのに、この子はまちがいなく暗やみの勢力に捕えられたんだなあ、こういう気がしたのです。私の心の内で祈りました。この子を捕まえている暗やみの勢力は、イエスの御名で離れるように。本当に心でしたのです。ところで不死害なことが行われたのです。明らかに福音病院でだめだからといって連れて出た子どもだったのですが、その日夜に完全に奇跡が起こったのです。驚くことです。本当に私は何でもないのですが、キリストの力がものすごいのだなと思いました。 -一度は、教会開拓をはじめたばかりで、復興している時に、朝の水曜礼拝を準備していたら電話がきたのです。牧師先生、私の家にきてくださいと言うのでした。なぜかと聞いたところ、普通なら電話もしないのですが、うちの子がとても変だと言ったのです。行ってみると、女の子が精神が完全に狂っていました。いつからかと聞いたところ、突然、3日前からだと言いました。大したことはなくて大丈夫と思っていたのですが、どんどん激しくなったので、連絡をしたと言いました。見たら完全に回っていました。以前はそうでなかったのですが、話しをしても恥ずかしがっていた子どもがそうなったのです。私が見て、座りなさいと言って手を握って話をしました。しばらく話して悪霊が二つ入ってきたが、一つは自分を手助けして、一つは自分を困らせると言いました。礼拝をささげようと言ったところ、賛美を歌って話して騒いだのです。それで、イエス・キリストを受け入れる祈りをさせたのです。頭に手をのせて祈りました。そして、礼拝を終えたのです。良くなったのか、静かにならなければならないのに、さらに発作を起こしました。静かになりませんでした。私の心の中に、こういう気がしたのです。ある人は、悪霊を追い出したのに、私はなぜ出て行かないのだろうという気がしたのです。ところで、少しいたら、わめいて、とうていだめでした。それで、私がはやく行かなければならないと思ったのです。言い訳して、水曜礼拝の準備しに行くといって出てきました。帰ってくるのに自尊心が傷ついたのです。あれがイエスの御名で主のしもべが祈ったら気絶をしたのか、良くなったのか、何かなければならないのに、もっとひどくなったのです。その時でした。このように考えました。私は確かにイエスの御名で祈った、その姉妹をつかんでいる悪霊が明らかならば、イエスの御名を聞いたのではないのか。イエスの御名は、偉大な御名であることが確実で、神様がその祈りをお聞きになっただろう。良くなる、良くならないは、私の責任でなく神様の責任だという気がしたのです。そして、出たところ気持ちが楽になりました。少ししたら、連絡がきたのですが、私はうれしい知らせが来たと思ったのに、牧師先生、どのようにしましょうかと言うので、私がびっくりしてなぜかと尋ねたところ、今はものすごく怒鳴って大変なことになっていると言いました。病院に連れていくべきだと言いたかったのですが、その時、私の中から、思わずもう少しあとで行ってみなさいと言いました。それは予測でも、預言でも、自尊心でもありません。思わず出てきたのです。もう少しあとで行きなさいと言いました。礼拝が開始して、行く時、働きが起きたのです。悪霊が言う言葉が、私はとうていこの家にいることができないと言ったのです。執事の話です。私を困らせるからいることができない、柳光洙牧師がなぜ私を困らせるのかと言った後、,この女の子が倒れたのですが、その後ですっかり癒されました。驚くことです。私はできないのに、イエス・キリストの御名がどれくらい偉大な御名なのか、私たちが救いのものすごい働きの中にいながらも、よく知らずにいるのです。 -今、私たちの教会にいるのですが、ソウルにきたところ、ある女の執事が、車椅子に乗って付いて回っていました。集会一度も欠かさず、車椅子に乗って通っていました。行き過ぎて見たのですが、祈りをしてくだしと言ったのでした。その時、私がナザレのイエス・キリストの御名で起きて歩けと言わなければならないのに、ペテロもしたのですが、私がなぜできないでしょうか。ところで、そのような心に絶対になりませんでした。この執事に、神様がいつかは立てられるだろうと言ったのです。そんな話は誰でもします。明らかに、神様が立ててくださるはずだと言いました。それから後に背を向けたのですが、これは違ったかなという気がしました。それは、みんなができるでしょう。立てなくても、立てても、それだけの話です。その時、私がまた祈ったのです。私はなぜこうしているのか。本当に主イエス・キリストの御名で働いて下さい。私の短い祈りだったのですが、神様に祈ったのです。ところで、不思議なことが行われました。少しあとで、その執事が歩いて私の事務室にきたのです。どうして良くなったのかと聞いたところ、そのまま良くなったと言いました。そのような記憶があります。 (4)わたしだ。恐れることはない。普通のことではありません。 ▲心配するのに、してはならないということではありません。Iペテロ5章に、あなたがたの思い煩いを主に任せてしまいなさい。心配があるのに、どうして心配しないでしょうか。心配を主に任せてしまいましょう。 ▲パウロもピリピ4:6〜7に、心配せずに、それで祈りなさい。これが私たちにくださった驚くべき祝福です。実際、私たち幼い時、村にネズミが行ったり来たりしました。猫がネズミをつかまえるのを見たことがありますか。レムナントは見たことはないでしょう。ネズミが穴から出て食べているのに、猫が前に立ちます。そうしたら、簡単にネズミが穴に入れば良いんのです。穴に入れば、猫が共に行けません。ところが、ネズミが猫が立つので身動きできなくなるのです。不思議に見えました。猫がそろそろ行って手で刺激します。ネズミが何秒間で、ネズミがどれくらい固まったのか、そのままひっくり返るのです。何度かそのまま、ごろごろしたら、くわえて行きます。あのように瞬発力あるネズミも、おじけづくと、あのようになるのだなと思いました。 ▲私たちは神様の子どもであり、死も恐れない神様の子どもなのに、恐れに捕えられれば、色々な問題に捕えられます。 ▲すべての問題は祝福です。その理由。私は多くの問題に会いながら20の伝道戦略を発見しました。私は多くの失望を与えた人のゆえに、レムナントという単語を見つけだしたのです。大きい答えを問題の中で探しました。私はものすごい全世界の教会が崩れることを見ながらOMCという単語を見つけ出したのです。問題は祝福です。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 (祈り) 神様、私たちとともにおられるので、ありがとうございます。神様の驚くべき証人として立てて下さい。その証拠が私自身に先にあるようにして下さい。恐れの要素をなくす神様の力を、今日、持って行かせて下さい。今日、この時間に私たちの職場、産業、家庭に神様の国が臨みますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン (The end) 2部:神様が必ず用いられる働き人
(マタイ16:13-20)
☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆ 序論 ▲私たちが本当に祈り答え受ければ全てのものが変わる。私が祈りの答えがき始めた時がいつか?証拠をしっかりと握った。信仰生活に、これがとても重要だ。 (1)伝12:11、みことばがよく打ち込まれた釘のようになる時、答えが始まる。 (2)イザヤ22:20-24、そのよく打ち込まれた釘の上に神様のすべての栄光がかかる。 (3)Uペテロ2:6、今でもそのみことばがずっと成就する。それなら皆さんがどのように証拠を握るのか?が重要だ。 ▲私が握った証拠-信徒が福音を味わっていないな、牧師が伝道を知らずに苦しんでいるな!私は福音運動、伝道運動だけして死のう! と証拠を握って祈った。どうなったのか?他まで答えがきた。祈らないものも答えがきた。 ▲明らかな証拠3つをつかもう。 1.マタイ16:13,歴史的証拠 ▲聖書にはいくら成功して強大でも、神様の契約がなければ滅びた。 (1)エジプト(ものすごい建築をしたエジプト)、バビロン(その当時に領収書をやり取りして、ハムラビ法典を作っていた。今のイラクだ)、ペルシャ(ペルシャ、今のイランだ)、ペリシテ(今、パレスチナ難民)、ローマ-偶像崇拝と福音ない国は必ず滅びた。 (2)イスラエルの国-世界で最も優れたイスラエルの国が滅亡 (3)多くの英雄-結局は1人ももれなく失敗した。 ▲それで福音運動をしなければならないのだな! とはっきりと捕まえた。 2.マタイ16:14、教会史の証拠 ▲人々がわたしを誰だと言うか? (1)バプテスマのヨハネ-社会運動で知られた人 (2)エリヤ-力のわざを行って神秘主義をした人 (3)エレミヤ-涙の預言者、博愛主義 (4)預言者-宗教 ▲これでみなほろびた。教会にこういう要素があるが、これが教会の本質ではない。神様がなければほろびる、教会に通っても福音を悟れなければほろびる。ここに対する証拠を捕まえた。 3.マタイ16:16、永遠な証拠 ▲あなたがたは、わたしを誰だと言うのか? (1)キリスト-油を注がれたということだ。 (2)真の祭司、真の預言者、真の王だ。 (3)Iペテロ2:9、皆さんを王、預言者、祭司として呼ばれた。 ▲皆さんがメッセージを聞く時、自分の契約として証拠を捕まえなさい。 4.結論-どんなメッセージの証拠を捕まえるべきか? (1)職分をもって証拠をつかみなさい。 1)牧師、教役者-伝道と弟子 2)重職者-一つの地域、一つの国を生かそうと呼ばれたのだなあ! 3)一般信徒-家系を生かそうと呼ばれたのだなあ! (2)講壇メッセージを持って証拠をつかみなさい。 ▲ここで20の伝道戦略がみな出てきた。 (3)お知らせを持って証拠をつかみなさい。 1)レムナントとRUTC-私はここにすべての人生をかける。 2)OMC-当然、私が祈りの答えを受けて、子孫の土台を作るのだ。証拠つかんだ時だけ答えがきた(ヘブル11章) ▲その時、こういう答えがくる。 (1)岩(18節)-この岩の上にわたしの教会をたてます。 (2)権威(18節)-ハデスの力が絶対に勝つことができないだろう。 (3)鍵(19節)-わたしがあなたに天国の鍵を与えます。 ▲説教を聞く時、メッセージだけ聞くのではなく、神様が与えられる証拠を捕まえよう。職分を果たそうとせずに、神様が与えられる証拠を捕まえよう。講壇のお知らせでも神様の証拠を捕まえよう。こういう驚くべき答えを今日から回復する祝福があることを希望する。 (The end) ☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆ 序論 ▲マタイ16章は、重要な基礎メッセージです。一番最初に人に会えば、誰にでもこのメッセージを伝えます。信徒、未信者、使命者でも、関係なく、このメッセージを伝えます。タイトルが、神様が必ず用いられる働き人です。 ▲小学校1〜2年の時ぐらいのとても幼い時、道を行きながらお金を拾いました。確かな記憶はないのですが、その当時、最も高い貨幣でした。価値でいうと今の1万円程度はしたでしょう。お金の色が少し違ったのです。そのようなお金を道で拾ったのです。気持ちがとても良かったのです。それで店に行って、そのお金で菓子を買いました。菓子を買ったら、小銭をたくさんくれました。その小銭をズボンのポケットの両側にいっぱい入れました。気持ちがとても良くて、ずっとそのお金で買って食べたのです。何日間か買って食べたら、ご飯を食べられませんでした。勘が鋭い母が、なぜご飯を食べないのかと尋ねました。ご飯がおいしくないと言って、言い逃れました。言い終わったら、突然立ち上がって、私のズボン側に行ったのです。ズボンを探したら、お金が出てきました。お金がどこから出たかと尋ねたのですが、私は拾ったと話をしました。どこで拾ったかとまた尋ねたので、どこどこで拾って、何々を買って食べたと話しました。その後に母にひどく叱られて、お金をみな奪われてしまいました。明らかなのは、お金を拾った時、気持ちがとても良かったのです。 ▲一度は、信仰生活の中で、さまよった青年の時にあった事です。山に一度上がったことがあります。友人1人と年をとっている人と3人が一緒に山に登りました。山で見れば、チリ紙を捨てて集めておく所があります。そのすみを見たら、カバンがあったのです。カバンが新しいもののようでした。行ってカバンを見たら、中に何かが入っていました。開けてみたら、多額のお金が半分ほどあったのです。そのようなお金を映画でも見たのですが、気持ちが変な感じになりました。今ならば、警察署に持って行ったのですが、その当時には、震える手でお金を3名で分けました。それで一度、お金を思い切り使ったことがあります。 ▲私がなぜこういう話をするかというと、私たちが祈りの答えを受ければ、全てのものが変わるのです。どのようにすれば、本当に祈りの答えを受けるのでしょうか。私たちが救われたのですが、祈りの答えを受けなければならないでしょう。私たちはもう救われる必要はありません。すでに私たちは救われたためです。そして、私たちは天国に行こうと努力する必要もなく、自動で天国に行きます。問題は祈りの答えです。イエス様が弟子たちに質問されたように、救われたがイエス様に弟子が質問したのです。私たちはどのようにすれば、祈りの答えを受けることができるのですか。今、私たちが祈りの答えを受け始めたら、すべての部分が変わり始めます。牧師が祈りの答えを受けたら、各地域をすべてを生かすはずです。 ▲私は信仰生活しながら、ほとんど祈りの答えがなかったのですが、神様の存在に対しても悩んだことがありました。ある日から、祈りの答えがき始めたのです。それがいつからかというと、証拠を握った時からです。信仰生活で、証拠を握るのがとても重要です。アブラハムがいくら祈っても答えがなかったのですが、証拠を握った時、変わりました。この時から答えがき始めるのです。 (1)伝道の書12章11節のように、神様みことばはよく打ち込まれた釘のように握れば、証拠があるから、みわざが起きます。 (2)イザヤ22章20節〜24節を見れば、よく打ち込まれた釘の上にイスラエルの栄光がかかると言われました。 (3)Uペテロ2章6節を見れば、昔に記録されたみことばですが、今でも成就しているとなっています。 ▲それなら、どのように証拠を捕まえるかが重要です。ある日、私が信仰生活しながら知るようになりました。教会に通う方々の大多数が、祈りの答えを受けられずにいるということを知るようになったのです。それで、その方たちが、福音をよく知らずにいるんだなということを知るようになりました。そして、外に出てきてみたら、長老、執事がほとんど祈りの答えを受けられないで、伝道ができなくて迷っていたのです。その後に、牧師に会ったのですが、牧師の大多数が伝道を知らずにいました。それで、私が証拠を握ったのです。説明をしなければならないと思ったのです。説明するのに、他は必要なくて、どの程度、握ったかというと、他を祈らないで、ただこの祈りだけをしたのです。それで、どのようになったかと言えば、他の答えまで受けました。祈らないものも、答えられました。その時から答えがあふれたのです。今は、タラッパンメンバーが良い人で整理されています。初期の時は、変な方々が多くて、答えがあふれるから、そこによだれを流す人がとても多かったのです。それで、私はいつも福音を伝えられないで、よだれをふく働きさえしました。大部分の信徒が福音を味わっていません。そうするうちに外に出て行ってみたら、力を使えなくなっていました。そして、ものすごい多くの牧師が伝道を知らずに苦労をしているのも見ました。それなら、私はただこれだけして生きると思ったのです。それを証拠で握りました。その時からみわざが始まったのです。 ▲皆さんが私と同じようになりなさいということではありません。証拠を握りなさいということです。アブラハムが神様を熱心に信じたのでうが、おいを送り出した後からみわざが起きました。何の話かというと、握ったということです。ハンナがいくら祈っても答えられませんでした。ある日、答えの門が開いたのです。何を握ったのでしょうか。証拠を握りました。ナジル人という答えを握ったのです。皆さんも、今はみことば聞くのも重要で、記録するのも重要ですが、証拠を握らなければなりません。 ▲明らかな証拠三つを握らなければなりません。 1.マタイ16:13、歴史的証拠 ▲マタイの福音書16章13節に、イエスがピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき...と記録されています。私たちは確かに聖書に現れた歴史的証拠を持っていなければなりません。 (1)聖書では何となっているのでしょうか、いくら成功しても、いくら強大でも、神様の契約がなければ滅びるとなっています。この証拠を見つけたのです。 ▲昔に、私たちがわらじを履いて通っていた時に、ものすごい建築をしたエジプトを見れば、聖書にあるとおり滅びました。バビロンを見れば、ものすごい強大国でした。その当時に領収書をやり取りした国です。今でも裁判官が勉強すれば、ハムラビ法典を勉強します。それがバビロンから出たのです。バビロンが今のイラクです。完全に滅びました。聖書に記録したそのまま滅びました。偶像崇拝と福音がない国は絶対にほろびるしかありません。ここに確実な証拠を握ったのです。ペルシャは、強大な国でした。今のイランです。皆、ほろびました。その当時に、ペリシテはすばらしい国でした。今のパレスチナ難民です。一つももれなくみなほろびました。その当時に強大だったローマも同じです。 (2)今日、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき...となっています。世界で最も優れたイスラエルの国が最も滅びたのです。歴史的な証拠を見なければなりません。 (3)今、多くの英雄、結局は1人ももれなく失敗しました。 ▲それで福音運動をしなければならないと考えたのです。 2.マタイ16:14、教会史の証拠 ▲二番目です。今、教会史の証拠を握らなければなりません。マタイ16章14節を見れば、人々がわたしをだれだと言っていますか。 (1)バプテスマのヨハネのようだと言います。 (2)エリヤのようだと言います。 (3)エレミヤのようだと言います。 (4)その次に預言者のようだと言いますと言いました。 ▲その当時に、社会の腐敗を語って死んだ人がバプテスマのヨハネでした。とても社会運動でイスラエルに知られた人物でした。エリヤはとても力のあるわざを行いました。神秘主義で有名でした。エレミヤはとても涙の預言者です。博愛主義で有名でした。「預言者の一人だと言います」という言葉は、宗教だと思ったのです。それでほろびたのです。教会にこういう要素があるのですが、これは教会ではありません。 ▲これを普通に見れば、区分ができません。だから放送で教会を攻撃するのですが、それは知らずに攻撃するのです。正しい言葉を言っているのですが、それが正しい言葉なのかどうか区分できないのです。教会は誤ったことを話せるのですが、本質ではありません。教会がすることではないのです。教会は力のわざも話すのですが、神秘主義をする所ではありません。教会は救済もしますが、それが目的ではありません。教会は宗教ではないのです。それで、すべての教会史の宗教人が滅びたのです。 ▲これに対する証拠を私が握ったのです。神様なしでは結局みなほろびます。教会に通っても、福音を悟れなければほろびます。永遠な証拠です。 3.マタイ16:16、永遠な証拠 ▲あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。あなたは生ける神の御子キリストです! (1)このキリストという言葉は、皆さんはご存知でしょう。油を注がれたということです。 (2)イエス様は単なる祭司ではなくて、真の祭司、預言者、真の王ということです。この問題をみな解決されました。ここに対する証拠を握らなければなりません。 (3)そして、Iペテロ2章9節に、皆さんを王、預言者、祭司として呼ばれました。この部分は大きい証拠です。 ▲重要なのは、イエス様が言われた...という言葉が4回が出てきています。また20節には戒められた...と言われています。何の話なのでしょうか。言われた、戒められた...という言葉が4回も出てきたのですが、皆さんが今日、メッセージを聞く瞬間に、契約、証拠を握らなければなりません。それが答えられるようになります。そのまま聞くのではなく、自分に与えられた証拠を捕まえましょう。自分の契約で証拠を握るその時から、みわざが起きます。今日、説教を聞く時でも、いつでもメッセージをお聞きになる時、証拠を握りましょう。 4.結論-どんなメッセージの証拠を握るべきなのでしょうか。 ▲どんなメッセージの証拠を握るべきでしょうか。 (1)職分を持って証拠を握りましょう。 ▲牧師、教役者がいます。皆さんは他を握る必要はありません。伝道と弟子。このメッセージだけ握れば良いのです。そうすれば、ここに対する証拠がずっと出てきます。 ▲多くの重職者が立って、これからも立つでしょう。重職者とは何でしょうか。一つの地域と一つの国。これを証拠で握った時、答えがきます。アブラハムが神様のみことばを信じた時、義と認められたと言われています。その契約を証拠で握った時、答えがきました。 ▲新しい家族もいます。契約の証拠を捕まえましょう。神様は私を家系を生かすために、王、預言者、祭司で来られたんだなあ。これを契約で握りましょう。答えが来始めます。とても重要な部分です。契約だけ正しく証拠で握れば良いのです。私たちがみことばをずっと聞くのに、私に与えられた証拠があります。これを握れば良いのです。 (2)講壇メッセージを持って証拠を握りましょう。 ▲私はある日、伝道メッセージを聞きながら、証拠を握りました。伝道はするのではありません。このように悟ったのです。伝道とは何でしょうか。神様の国が臨むようにすることです。このように悟りました。その証拠を握ったので、答えがきたのですが、タラッパンです。このタラッパンで会う人々に、私が受けた証拠を説明するのです。チームの働きです。この神様の国が皆さんの生活の中に臨まなければなりません。ミッションホームです。神様の国が皆さんの職場に臨まなければなりません。専門の働きです。神様の国が地域に現れなければなりません。これが私たちの重職者の方らが引き受ける地教会です。これをどのようにすれば私が体験することができるのでしょうか。合宿訓練。どのようにすれば持続することができるのでしょうか。システムです。どのようにすれば、子孫に渡すことができるのでしょうか。まさに未来です。このように20がそのまま答えがきました。証拠を握るように願います。 ▲なぜ神様がこういうみことばをくださったのでしょうか。証拠を握れば、その時から答えがきます。皆さんがお知らせも聞きます。証拠を握りましょう。イエス様がそれを質問して握るようにされました。あなたは生ける神の御子キリストです! と告白する時、それを証拠に、あなたはペテロです。この岩の上にわたしの教会を立てます...と言われました。この証拠を握らなければ、教会に来たらお知らせも多くて、献金も多くて複雑です。正しく捕まえなければならないのです。皆さんが信仰生活を正しくするならば、みことばだけ捕まえれば、この答えが来るようになっています。 (3)お知らせを持って証拠を握りましょう。 ▲お知らせを聞いてみてください。レムナントとRUTCをどのように握っていますか。お知らせで聞いてはいけません。みことばを説教で聞いてはいけないのです。イエスが言われた、イエスが戒められた...と言われています。とても重要です。それは、イエス様と通じる証拠を握るということです。 ▲私は率直に、この言葉を聞き取れない牧師は牧師でないと見ています。本当に神様の人ならば、レムナントと、レムナントを育てる場所に対して当然、わからなければなりません。まだ外国を見たら、ほとんどわかっていないようです。これをわかって証拠で握れば、すぐに答えが始まります。皆さんが今日、証拠を握ることを望みます。私はこのことのために、すべての人生をかけると証拠を握ったのです。他は必要ありません。そのように握ったのです。教会堂は確かに与えられるのですが、なくても大丈夫です。RUTCが立てられなければなりません。これが所々に立てられ、全世界の文化を変えなければならないのです。これ聞き取れない人は人でもありません。今回、米国に行って牧師を集めてそのように言いました。レムナントとRUTCを聞き取れない人は、人間として見られません。便器と見えます。そのまま食べるだけ、食べて必要がないのです。便器が他にあるのでしょうか。文字で話せば、人ふん製造機です。何の価値があるのでしょうか。この言葉がわからなければ、地球と関係ないから離れなさいと言いました。それほど重要です。 ▲説教が出てくる時、証拠を握りましょう。何の話なのか分かるでしょうか。その時からみわざが起きます。教会でお知らせがたくさん出るのですが、その中で神様の証拠を握りましょう。ここにイスラエルのすべての栄光がかかります。 ▲聖書を見ましょう。アブラハムからすべて悟る時まで苦労をして、後に知るようになりました。三つが出てきます。遅く悟った人。思い切り苦労して悟りました。 ▲はじめて来られた一般信徒は、証拠を握ることを望みます。私のひとりのために、家系のすべての呪いが切られるように。私のひとりのために、家系と職場に神様の光が臨むようになるのです。神様が私を呼ばれたのは、私の1人のためにすべての暗やみの光が切られるのです。これをメッセージでなく、証拠として握りましょう。イエス様が知識を質問するのではなくて、証拠を確認されたのです。何の話なのか分かるでしょうか。 ▲人々がわたしをだれだと言いますかと尋ねて、あなたがたは、わたしをだれだと言いますかと尋ねられました。その時、あなたは生きておられる神の御子キリストですと告白しました。この時、バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。皆さんの職分をもって証拠を握り、講壇を通じて証拠を握り、起きることを通して証拠を握ることを望みます。そうすれば、みわざが起きます。 ▲この頃、RUTC放送が出ているのですが、これはメディア戦争です。金額に関係なく、みんな一緒に祈りを始めなければなりません。考えてみてください。OMC。当然、私が祈りの答えを受けて、子孫の土台を作るのです。出てくる全てのもの中に証拠を握りましょう。その時だけ答えられます。聖書を詳しく見て下さい。昼間に眠りが誘われることもあるでしょう。今、眠りから覚めてわからなければなりません。証拠を握る時、答えが来ました。ヘブル11章、旧約の人物を見れば、証拠を持った証人でした。数えきれない程、多くの説教を聞いたのですが、答えが来ないのですが、私がある日、証拠を握ったのですが、答えがきました。神様が私を立てられたのは、大きい働きをしなさいということでなく、福音運動を正しくしなさいということでした。これを早く悟った人は初めから答えがきました。ヨセフとダビデがそうです。ヨセフやダビデが揺れなかった理由は、証拠を堅くつかんだためです。今日から答えが始まる日になることを希望します。 ▲釜山に昔に女性の家という服屋がありました。当時に大きなみわざが起きました。自分が買って服屋をするのは、単純に服を売るのではありません。この服を買いに来る人々に真の幸福を伝えるのです。それを証拠でつかんだのですが、そこの職員がみな使命者になりました。釜山のある方が長老になりました。長老である自分が答えを受ければ、教会を生かせるという証拠を握ったのです。本当にみわざが起きました。 ▲皆さんが今は、皆さんの家系全体を見てメッセージ聞きながら、証拠を握ることを望みます。 ▲その時、こういう答えがきます。 (1)あなたは岩です。この岩の上にわたしの教会を立てます....岩は一般の石とは違います。絶対に揺れません。 (2)二番目、ハデスの門が絶対に勝つことができないと言われました。 (3)わたしがあなたに天国の鍵を与えます。地で結べば天で結ばれ、地で解けば天で解かれます。 ▲午後に話して理解できないこともあるのですが、これは祈りの答えを受けるのにとても重要です。メッセージを聞く時、説教で聞かずに、神様が与えられるみことばとして聞きましょう。皆さんに職分が与えられた時、職分を果たそうとせずに、神様が私に与えられた証拠があるので、それを握らなければなりません。講壇から出るメッセージ、お知らせでも、神様の証拠を握らなければなりません。私は必ず捜し出します。その時から答えがくるのです。例をあげると、レムナントが出てくれば、私はそれでどのようにするべきか証拠を捜し出します。それを言ってあげるのが説教です。そうでなければ、説教する資格はありません。その証拠を持って行けば他の人に証人で立つようになります。 ▲こういう驚くべき答えを皆さんが今日、回復する祝福があることをイエスの御名でお祈りします。必ず証拠を握って、講壇と連結されれば、その時からは答えが来るみわざが起きます。今週に皆さんに正確な答えがくるようになります。新しい力を得る週になることをイエス・キリストの御名でお祈りします。 (祈り) 神様に感謝します。今日、私に与えられた神様の証拠を探す貴重な時間にならせて下さい。それで真の答えを見て、力を得るしかない自分が証人になるようにして下さい。私たちの産業が証拠になるようにして下さい。私たちの現場が証拠になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン (The end) |