2008年6月1日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:神のわざがこの人に現れるためです
(ヨハネ9:1-12)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
(1)今日の本文の盲人→ 運命に陥る。
1)何によっても解決することができない運命(生まれた時から...)
2)教会も手助けできない(弟子は誰の罪のためですか?パリサイ人らは目を直したと非難した)
3)親もどうにもできない。
(2)簡単に話せば運命とは何か?
▲私が私をどうしようもない状態をいう。
▲ところで、今日の本文に実際に私たちの運命を変える話が出ている。運命が変わらない以上、何もだめだ。私の運命がサタンの手に、呪いの中に陥っているので、何もできなくて、変えることもできない。
▲ところで、それをはっきりと変える方法だ。どのように、私の運命を変えられるのか?
1.苦しみの中でより良い神様の計画を捕まえる時(3節)
(1)私たちが大きい苦しみ、困難がきたとすれば、これが親の罪か、私の罪か? 親の罪だとすれば重ね重ね恨まなければならず、私の罪だとすれば恐ろしくて気落ちして...この二つは解決策ではない。
▲この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです(3節)
(2)レムナント7人を見よう。
▲苦しみがきたが、まさにここに神様の驚くべき計画が入っていて、神様の驚くべき祝福の計画がある。神様は完ぺきな計画を準備しておかれて苦しみを与えられる。救われた人に困難は神様の祝福の機会だ。
(3)聖書を見れば、ほとんど大きい苦しみの中で神様の計画を....
▲神様の計画を捕まえる瞬間に運命が変わってしまった。
2.キリストに会った時、キリストが働かれる時、運命が変わる。
(1)本文-イエス様が唾を塗って泥、塗って付けて下さった。そして、シロアムに行って洗いなさい。科学的な方法も必要だ。医師を探すのは聖書的だ。
(2)ここで重要な3つをのがしてはいけない。
1)イエスがキリストだ!
2)イエス・キリストがキリストになる時、みことばがみことばになる時、福音が福音になる時、働きが起きる。
3)キリストが私の主人になる時、働きが起きる。
▲運命を変えられるキリスト。皆さんの事業がイエスがキリストという証拠を持った事業、キリストがキリストになる事業、キリストが主人になる事業、運命が変わる。
3.キリストの証人になる時
(1)証人になる時-より大きい運命に変わってしまう。
▲盲人が証人としてイエス様について行った。
(2)キリストの証人として
▲皆さん事業を証人の事業に、皆さんの仕事を証人の仕事に、地の果てまで証人になります。
3.結論-当時の状況と本文の教訓
(1)恐れてはならない-いくら困難と苦しみがあっても、おそれてはならない。
(2)神様が作られたすべての問題の解決であるキリストを堅く握りなさい。
(3)挑戦しなさい-神様の良い計画があるから挑戦しなさい。
1)10倍に仕事をしなさい-経済の祝福がくる。
2)伝道-神様が答えが与えられるだけ、伝道しよう。
3)RUTC-そしてレムナント大きくしよう。RUTCにいのちをかけて挑戦するのだ。
▲目を開いたのも重要だが、神様の子どもに、運命が変わってしまった。皆さんが今日、運命が変わる日になることを希望する。この祝福が皆さんことのために契約で堅く握るように願う。今日、礼拝をささげる皆さんと共に礼拝をささげる全世界に、神様の働きが起きるようになることを希望する。
(祈り)
神様に感謝します。私たちの運命を変えて下さった神様に感謝します。実際に私たちの目の前に迫ってくるすべての運命が変わるようにして下さい。苦しみが祝福に変わるようにして下さい。キリストによって盲人となった私たちの状態が目が開くようにして下さい。乞食であった私たちが証人として生きるようにして下さい。この契約を握って挑戦する人生が始まるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲今日の本文にはある盲人が出てきます。とても難しい目にあっている人です。昔、私たち青年が、野外に遊びに行きました。目隠しをして行くゲームをしました。1人を信じて手を握って行きます。それをしてみたら、おもしろいのです。私もしてみたら不安でした。ひょっとして、この人がいたずらで変なところに連れて行くのではないだろうか。それをすれば、人の性格がみな出てくるようになります。ついて行ってみれば、上がる時より降りてくる時がさらに大変です。ある人は怖くなって、おかしなフォームで降りてきて笑うことも1つのゲームなのに、ある青年はよく上がっておりてくるので見たところ、少し見えるように目を隠していたということです。誰でもよく見えなければ不安です。日本では障害者学科に通う人は、必須で3月間は車椅子に乗って行かなければならないということです。実際に乗ってみてこそ分かるから3ケ月間、乗ってみるようにするということです。皆さんが知っているヘレン・ケラー、彼女は3日だけ見たいと言いました。目を開いて3日間見れば何をするでしょうか。一日、友人を見たい。一日、友人の姿を見たい。二番目には、博物館に行きたい。何があるのか見たい。三日目は、ニューヨークの通りに行ってみたいと言ったということです。盲人ならば、そのような願いがあるということです。クロスビーもそのような祈りをしました。私はイエス信じるから何も必要ないと、ダビデのように何の問題もないと言わなければならないのに、誰も尋ねなかったのですが、目は開かなくても良いと言いました。その話は、苦しいということです。
(1)今日の盲人は、生まれながらだということです。それで、もの乞いをしていたのですが、それを運命と言います。誰も解決できないのです。
▲誰かが手助けするようでも、誰も手助けできません。教会も手助けできません。弟子が盲人の罪は、自分の罪か親の罪かと言いましたし、パリサイ人は、安息日に癒したからと非難するほどでした。親も、どうにもできないのです。
(2)簡単に運命とは何でしょうか。私が私をどうしようもない状態を言うことです。
▲私ではどうしようもないのです。私が幼い時、6.25(朝鮮戦争)の時、火災が起きたのですが、どうしようもありませんでした。私たちが仕損じたのではないのですが、話題になったのですが、それが運命と言います。私の父親が幼い時に亡くなったのですが、これは解決できる方法がありません。そのようなことなど、私たちには多くの困難とどうしようもない状態があるのです。
▲それなら、どのようにすべきなのでしょうか。本文に私たちの運命を変えるメッセージがあります。必ずなることなので、堅く握らなければなりません。答えを受けたくないでしょうか。私たちの運命をどのように変えるのでしょうか。ひょっとして皆さんの中で、とても難しいならば、どのようにするのでしょうか。私たちの家庭にある難しい問題をどのように変えるのでしょうか。明らかなのは、私たちが変えてこそ生きることができるのですが、どのようにするのでしょうか。他のことは努力でできますが、これは変えることができません。私の運命がサタンの手にあるのに、どうしようもできないのです。そうでなければ、私の運命が呪い中で変えられないのですが、確かに変える方法があります。私の話でなく、本文のみことばで、私が体験したことです。自信を持ってお話することができる部分は、そのとおりであったためです。

1.より良い神様の計画を握る時(3節)
(1)最初です。私たちが困難の中にいる時、親の罪なのか、私の罪かと言う時、親の罪だと言えば、重ね重ね恨んで、私の罪だといえば恐ろしくて気落ちします。皆さんが持っている苦しみ、呪い、そして、全てが叱責されれば、解決されるのではありません。親のせいならば、より大きい問題がきます。
▲それで今日、答えを与えられたのです。親の罪でもなくて、その人の罪でもなくて、神様のわざがなされるためだと3節に出てきました。これを私たちは握らなければなりません。
(2)レムナント7人を見ましょう。
▲皆さんが、もしか奴隷に行ったとします。それまでは大丈夫でしょう。またほろびて監獄に行けば、ほろびたのです。ヨセフが監獄に行ったということは、ほろびたのです。この時、人々が崩れるのです。それで刑務所にいる人は、長くいれば病気になります。ところで、ヨセフはこの運命をひっくり返しました。まさに、ここに神様の計画と驚くべき祝福があるのです。皆さんは神様を誤解しているのですが、神様は皆さんを呪って未信者を呪う方ではありません。未信者は呪い下にいるのです。神様の趣味が、呪いをくだすことではありません。神様は未信者も祝福することを希望しておられ、幸いに生きることを望んでおられるのです。ところが、サタンにだまされたので、残念で伝道をしなさいと言われるのです。ヨセフが確信しました。私たちは2種類の考え方をします。もう私はあの女(ポティファルの妻)のせいでほろびた。弁解する余地はない。強大な軍隊長官が閉じ込めたので、希望がないな。もうほろびたんだなあとすれば、その言葉にふさわしい不安が継続してきたでしょう。ヨセフはそうでなくて、神様の計画だと、祝福が入っていると思ったのですが、これが運命と呪いをひっくり返したのです。
▲イエス様が直接おっしゃられました。神様のわざがこの人にあらわれるためです。親でも、私でもない、神様のわざを現わすためだと、万王の王である方がおっしゃられたのです。それで良い神様なのです。賛美もします。本当に良い私の神様。皆さんは間違って苦しみが来るようですが、神様は悟るようにもされ、答えを与えられました。モーセが王宮から出て隠れているということは、とても不安なことなのに、ある日、悟ったのです。イスラエル民族を連れて出て行きなさい。初めにはできないと言ったのですが、つえ一つで大きい力が起きたのです。ダビデを見てください。誰かがずっと困らせれば、どうなのでしょうか。私は映画を見ました。ある狂った女が家族を困らせた映画でした。ところで、ダビデは王が勢力を持って困らせたのです。しかし、ダビデはここに神様の驚くべき計画がある。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。死の陰の谷を歩いても恐ろしくない。神様は良い計画を持っておられる。苦しみのようだが良い計画です。皆さんとは違います。友だちを困らせれば、これから見ていろと言いながら悪い計画を持ってするけれど。神様は良い計画を持っておられるのです。それで、私たちが人を信じないで神様を信じるのです。
▲ところで、驚くべき時刻表があります。ある長官がヨセフのおかげで出て行くことができました。ヨセフが苦しかったという証拠で、その長官が出て行く時、思いだしてくだいと言ったのです。それで、創世記40章には、その長官がヨセフを忘れたとありますが、それが神様の計画です。もし呼び出したとします。それでは、よくしてみても下っ端の仕事につくしかなかったので、忘れてしまったのです。ところで、おわかりの通り王が夢を見て、悪夢に苦しめられました。高級公務員、博士、呪術師みな死刑だと命令を下したのです。皆さんがここに座っておられるのですが、殺されるとなれば、気が引き締まります。RUTC献金1千万円ずつしないならば殺すとすれば、みなするでしょう。伝道しなければ2月中に確かに殺すと言えばするでしょう。王が殺すというので、その時になって思い出したのです。ヨセフ!!!私の夢を専門的に解釈したヨセフ!!!驚くべきこの完ぺきな計画をくださろうと、苦しみを与えられたのです。
▲神様がなさろうとする計画があるので、盲人が苦しみにあったのです。私が苦しみに会っても、神様がなさろうとする計画があるということです。それからなってこそ、みわざが起きます。皆さんに問題がくれば、未信者は滅びの計画ですが、信徒には祝福の計画だということです。
(3)聖書を見れば、ほとんど大きい苦しみの中で神様の計画を....
▲聖書のほとんどみなが大きい苦しみの中で神様の計画を発見しました。死ぬ事でひとりの運命が変わったのです。火の中に入れば神様が助けられ、たとえそうでなくても、火の中で入るつもりだと言ったのですが、神様は、その人の運命を変えられました。ダビデとダニエルがそのようにしました。私はこれを握ったのです。なぜ私たちの村に火事が起きて、なぜ私たちの時代に韓国動乱(朝鮮戦争)が起きて、父親が早く亡くなって、釜山でこの運動をするようにされたのか。この中に驚くべき神様の計画があるのです。釜山から始まったことは、答えはやさしかったのです。12坪の地下で35人でも福音は始められます。私を呼ばれた理由も、あのように角張っているという人も福音ならば良いことを説明するためです。ヨセフの運命と盲人の運命が変えられました。イエス様がおっしゃったのに運命が変わったのです。

2.キリストに会った時、キリストが働かれる時、運命が変わる(5-12節)
▲二番目です。この運命はキリストが働かれる時、運命が変わります。
(1)光として来られました。そして科学的です。唾で土を、そして目が悪い人を見てシロアムに行きなさい。ちょっと変です。目でも洗ってあげずに、そのまま泥を付けて行きなさいと言われたのです。医師も科学的です。神様は医師ルカを用いられました。そのために、イエス様が唾と土を目に付けられたのです。全能なキリストが、すぐに目を開けと言えたのに、そうされたのです。
(2)ここで、とても重要なこと三つがあります。
1)イエスがキリストだ。
2)イエスキリストがキリストになる時だ。
みことばがみことばになる時、働きが起きて、福音が福音になる時に起きます。私が私らしい時、聖歌隊が聖歌隊らしい時、キリストがキリストになる時、みわざが起きます。
3)そして、キリストが私の主人になる時、私の運命を変えられる方がキリストです。皆さんの事業が、イエスがキリストという証拠の事業、キリストが主人になる事業、こうしたことに盲人が会ったのです。

3.キリストの証人になる時
▲三番目です。もし盲人が有難いと言って、家に帰ればどうするのでしょうか。北朝鮮は盲人が一つの村に1千名いるということです。それで米国の医師がうそをついて入ってきて治療をしたら、千名でした。手術をして目をみな開いたのです。そんなに簡単なわけですが、治療をできないが目を開いたのでした。常識的な人ならばお医者さんありがとうございますとしなければなりません。正常な人ならば、先生感謝しますと言わなければならないのに、金正日(キム・ジョンイル)に行って感謝しますと言うそうです。これが普通の問題ではありません。常識なのに、一回ぐらいはありがとうございますと言わなければならないのに...
(1)イエス様が病気を直されたのですが、すごいことなのに、盲人がそのまま行ってはいけなくて、証人でついて行ったのですが、これがより大きい答えをもたらしたのです。
▲私は火事にあった民だった時、イエス様を信じて、その中でイエス信じる私の家を変えられました。私は副教役者の時期に、ご飯のためにがんばったのですが、証人で立とうとした時、祝福して下さいました。私たちは12坪で35人から始めても運命を変えました。証人として立った時です。私は初めから今まで証人です。大きな持っているものがなかったのですが、私たちは証人です。私は一度驚いたのが、復興会をしようと言ったら、牧師先生のみことば聞けば良いこと話をしました。神様が運命をひっくり返されたのです。
(2)皆さんの仕事を証人で。地の果てまで証人になります。ユダヤ人の迫害がすごかったのですが、これに勝ったのです。

4.結論-当時の状況と本文の教訓
▲結論を結びます。ユダヤ人が、イエス様を殺そうとして、親と盲人を脅迫したということです。
(1)恐れてはなりません。恐れる人はユダヤ人です。何で非難したのでしょうか。安息日に仕事をさせて、目を開くようにするのか。しばらくしたら、滅ぼされるユダヤ人が恐れなければならないのです。ユダヤ人は多くの言葉と文章で多くの人を殺しました。少なくとも10台までほろびたので、盲人は恐れることがありません。イエス様がわたしについて来なさいと言われたためです。ユダヤ人は言葉で多くの人を殺しました。それで、冗談でクリスチャンは死んでも、水に沈めば口は浮かび上がると言われます。私はそのように考えません。ユダヤ人は死ねば、からだは浮かび上がっても、口は浮かび上がりません。サバを探してサバに話さなければならないのです。口が生きるということがユダヤ人です。自分の殺した人に対しては、何か話さずに、安息日の日に仕事をしたと何かと言います。幼い時、悪夢に苦しめられることもあるので、教師たちがよく対処をしなければなりません。イエスを信じればみな終わったのです。きても大丈夫で、来るほど良いのです。霊媒師が何百名が立ち返ったのですが、だまされてはなりません。40年、30年、悪霊に仕えたので、悪霊はもともとだます者です。イエスを信じる人にも訪ねてきます。そして聖霊充満を受けて、戦いましょう。関係なく、くるほど益なのです。数十年、ムダン(霊媒師)したのですが、悪霊がじっとしているはずがなくて、神様は静かにおられる理由がありません。ここに長老が寺に行ってやすんでも、何ともありません。重職者、教役者、グッ(降霊術)するところで3日間寝ても、何ともありません。恐れてはなりません。
(2)そして神様がお作りになったすべての問題の解決者であるキリストを堅く捕まえなければなりません。この人が治って、行かなければならないのに証人として立ちました。皆さんが恐れずに証人として立ちましょう。
(3)神様の良い計画があるから挑戦しましょう。
▲私は信仰生活しながらいくつかのことを挑戦しました。韓国と家庭が貧しくて嫌でした。それで覚悟をしたのです。レムナントと青年たちは、覚悟しなければなりません。私は他の人に比べて10倍に仕事をする。量が出来なければ質で、質が出来なければ量で走る。今でも、そのようにしています。12坪から始めた時、30ヶ所でしました。昔には1部ソウル、2部釜山でしていました。1部ソウルとまた走って上がってきて、2部は釜山で、衛星だけなかったら、3部は日本、4部は夜に香港に行こうとしていました。仕事は不十分にしながら、給上げてくれとデモをしたら良くないです。日本の使い捨ての歯ブラシを使ってみてください。本当に良いものです。モーテル行って見てみてください。本当に清潔です。それで仕事を他の人の10倍にするつもりでいれば、金持ちになってお金もついてきます。ある怠ける人が、私たちは貧しいが、柳牧師は良いホテルにおやすみになるようだと言います。365日、外にいるので、安いホテルなら虫にくわれて死んでしまいます。お金の節約のために、秘書は他の所に行ってしまいます。あなたたちは、虫もかまないのかと尋ねたところ、虫が怖くてかまないと言います。もちろん、浪費したり、浮き立ってもいけません。少なくともレムナントが仕事をする時、主人が月給を与えるのが申し訳ないと言うくらいにならなければなりません。これを与えるのが惜しいと考えらたら終わったのです。月給百万円を与えても申し訳ない、もっと多くあげなければならないけれど、とならなければなりません。問題だけ起こして10万円与えるのも惜しいと言われたら、後ほどほろびます。挑戦しましょう。教会の仕事でも、どの仕事でも挑戦しましょう。
▲二番目の挑戦は伝道でした。私は神様が答えられる分、伝道する。
▲三番目、レムナントを育ててRUTCに対して挑戦しました。私の生涯をみなかけるのです。全てのものをRUTCに集中させるのです。挑戦です。単にするのではありません。
▲恐れる必要がありません。滅びることをユダヤ人が恐れなければなりません。むしろ盲人は、キリストによってものすごい祝福を受けました。運命が変わったのです。盲人と乞食が目を開いたのも重要ですが、神様の子どもに変わったのです。皆さんが今日、運命が変わる日になることを望みます。そうなることで、この祝福が皆さんのこととなるように、契約として堅く握ることを希望して、ソウル、蔚山(ウルサン)、衛星で100ヶ所以上ある教会、神様の働きがあることを希望します。またRUTC放送と数千ヶ所のインターネットでメッセージ受ける全世界に神様の働きが起きることを希望します。

(祈り)
神様に感謝します。私たちの運命を変えて下さった神様に感謝します。実際に私たち目の前に迫ってくるすべての運命が変わるようにして下さい。苦しみが祝福に変わるようにして下さい。キリストによって盲人だった私たちの状態が目が開く時間になるようにして下さい。乞食であった私たちが証人に変わるようにして下さい。また、この契約を握って挑戦する人生が始まるようにして下さい。主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



2部:神様の前にささげる価値のある人生
(ピリピ3:12-14)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲神様にささげる価値ある人生-黙想の部分がとても重要だ。私が一番嫌う人、3種類がある。
(1)そのまま希望なくした人、あきらめた人
(2)時間があれば試みにあう人
(3)祈りの答えを受けられない人-祈りの答えを受けられない信徒、牧師はどうなるか?違った考えを継続するようになる。このように怖いことはない。祈りの答えを受ければ正確な考えをするようになる。
▲今日、どのようにすれば祈りの答えを受けて価値ある生活を送るのだろうか?これは答えを捜し出さなければならない。個人的にパウロがピリピ書で最も話を良くした。
1.ピリピ1章-事件
▲すべての事件をどのようにしなければならないのか?すべての小さいこと、大きいことをどのようにしなければならないのか?
(1)祈りの課題-すばらしい祈りの答えと祈りの課題を捜し出した。
(2)みことば-ここで神様のみことばを捜し出した。
(3)伝道-伝道の驚くべきみわざが起きた。
▲それでパウロが言うのに、親衛隊のなかで起きた働きによって...監獄に入ったと分かったところ、この三つの事が起きた。ところで、すばらしいことに、みことばは今でも成就している。それで占う必要がない(Iコリント10:11、Uペテロ2:6)小さいことにも、大きいことにも、これを(みことば、祈り、伝道)探すのだ。これをみことばと同行するというのだ。
2.ピリピ2章-苦難
▲苦難はまさにその時間に神様の祝福が成される時間だ。
(1)レムナント7人が苦難に会う時間は、神様が祝福する時間だ。
(2)初代教会が苦難に会う時間は、まさに答えの時間だ。
(3)教会史の学者が証明した。
▲この告白をパウロがした。キリストが苦難にあわなかったのか?それで苦難に会うことは大丈夫だ。その方が主の主、万王の王として立たなかったのか?
3.ピリピ3章-中心
▲結局は、皆さんの中心に何があるかが重要だ。
(1)成功-私は今まで自慢したこと、成功したことを全部ちりあくたに感じる。私たちのレムナントは、成功することを望む。そして、成功程度はちりあくただと感じなければならない。なぜか?それより、もっと大きいことがあるから...
▲キリストを知る知識が最もすばらしい知識だな!私は、もうキリストなかで発見されることを望む。
(2)キリストの御手-すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもない。キリストの御手にある、それをつかみに行く。神様の計画の中にある、それを探しに行く。神様の御手にある、それを求めて行く。
(3)上に召してくださる神の栄冠-神様の祝福は地で上がってくるのでなく上からくる。
(4)国籍-そして、私たちの国籍は天にある。
▲これがパウロの中心だ。皆さんがこのようになれば祈りの答えを受け始める。
4.ピリピ4章-環境に対することが出てくる。
(1)和睦- 1-4節に見れば、一致してください。
(2)心配、感謝- 6-7節、何も思い煩わず、感謝をもって祈りなさい。そうすれば、神様があなたの心と思いを守られる。
(3)どんなことでもできるのです-私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです
5.結論-決断、数種類。
(1)ピリピ1:20-22、生きていても死んでも...
(2)ピリピ2:6、キリストが低くなられた。私たちも低くなれる。
(3)ピリピ3:8,世の中のものはちりあくただと感じた。
(4)ピリピ4:13、私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです!
▲皆さんの中でからだが良くない人、問題に会った人は黙想もすべきだが、深い祈りをしなさい(Uコリント12:1-10)イエスを信じる人が深い祈りに入れば、多くの暗やみが崩れる。パウロは癒されなかったのに、世界を征服した。皆さんにこういう答えが今日、今週にあることを希望する。
(祈り)
神様に感謝します。答えを受けるパウロの奥義を、今日、みことばで見るようにされたことを感謝します。真の答えが始まるようにして下さい。新しい力を与えて下さい。新しい恵みを下さい。祈る間に神様が天の門を開けられたように、今日、黙示録にある驚くべきみわざが起きるようにして下さい。ダニエルが祈る時に、天使を先に送られたように、まさに今、働いて下さい。すべての不信仰を今、縛って下さい。初代教会が祈る時間に、ペテロの牢屋の門を開けられた主よ、今、その天使を送ってすべての閉じられた門を開いて下さい。アッシリヤ軍隊18万 5千を滅ぼされた主よ、今、その天使を送って下さい。癒す光を照らして、病気になった者に働いて下さい。私たちのレムナントに働いて下さい。福音を防ぐ組織を倒して下さい。真の答えを味わう開始になることを祈ります。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲レムナントのみなさん、お疲れさまです。本来、午後にはそのようにしなければなりません。これから午後には楽器も動員して、眠りを覚まさなければなりません。礼拝時間にうとうとする人が成功したことを見たことはありません。過去に事故を起こしたり、これから起こす人でしょう。
▲黙想-子どもたちとレムナントが習わなければならないことがあります。レムナントを見ると、幼いレムナントに集中力がないようです。一日に10分だけ黙想すれば、すばらしいことができます。両親がほとんど教えないのですが、5、10分座って賛美を聞いたり黙想するのは、とても役に立ちます。医学的に証しされました。脳も数十倍に発展します。そのような訓練をよくさせないようですが、重要です。ダビデが一番良くしました。私の場合は、定刻祈りをする中に深みある黙想する時間が一日に1,2時間になります。レムナントらがしてみれば発展します。必ずメッセージを聞いて祈ることより、さらに重要だと思います。詩篇1篇に、幸いな人は、みことばを昼も夜も黙想する者だと言われています。私の口の言葉も重要ですが、私の心の多くの黙想が主に通じることを望むと言われています。神様にささげる価値ある人生が、今日のタイトルですが、黙想という部分がとても重要です。
▲私が一番嫌う人、三種類があります。
(1)私は希望を失った人、あきらめた人を嫌います。悪い人より、もっと悪い人です。なぜならば、道を通り過ぎて見れば、車を運転して行く時、美女、ハンサムは用心して行きます。自分が美人だと思うためです。車も良い車を運転して行くと、用心します。自分の車が良い車だと思うためです。タクシーに乗っても、重要な人はタクシーが危険ならば用心しろと言います。市内に複雑なところに行けば、あき缶をのせて通う人がいます。私たちの車が行くのにも、そのまま突っ込んできます。警笛を鳴らしても見ることもありません。何の話なのでしょうか。ぶつけるなら、ぶつかれということです。人生をあきらめた人です。人生をあきらめた人は、教会でもおかしなことをします。人生をあきらめた人は兄にも立ち向かいます。人生をあきらめた人はお父さんも殴ります。そのような人は、師匠にも立ち向かいます。これはほろびて人生をあきらめたのです。そのような人を一番嫌います。
(2)その次は、たえず試みに会う人です。用心深いのです。いつ試みにあうかもしれないので、会うことができます。そのような人がいます。試みにあうことが何があるでしょうか。
(3)そして、祈りの答えを受けられない人、信徒、牧師は違った考えをしています。このように怖いことはありません。祈りの答えを受ければ、正確に考えるのに、皆さんもそうなります。祈りの答えを受けられなければ、違った考えをするようになるのです。それが最も悪いのです。
▲今日、どのようにすれば祈りの答えを受けられるのでしょうか。個人的に、パウロがピリピで最も話を良くしています。エペソ人への手紙、ガラテヤ人への手紙は教会に送って、ピリピ人への手紙は、個人に送る手紙で、とても重要な話をしました。簡単にお話するつもりですが、皆さんが1、2部礼拝に続き重職者は可能ならば、礼拝する中で賛美、祈り、みことばを聞く時、黙想しながらすれば、すばらしい答えがきます。何時間かだけ黙想して、主を見上げて祈っていれば、ものすごいことが起きます。多分、そのような体験をよくできなかったでしょう。それを体験してこそ、この礼拝が重要だということを知るようになるのです。これをダビデが分かりました。私は王宮にいるより神殿にいた方が良いと言いました。ものすごいみわざが起きました。
▲皆さんがどのようにすれば祈りの答えを受けて、価値ある生活を送るのか、答えを捜し出さなければなりません。

1.ピリピ1章-事件
▲ピリピ1章です。すべての事件、大小のでき事を、どのようにしなければならないのでしょうか。パウロが監獄に入りました。ここで何を捜し出したのでしょうか。
(1)祈りの課題-すばらしい祈りの答えと祈りの課題を捜し出しました。
(2)みことば-ここで神様のみことばを捜し出したのです。
(3)伝道-ここに伝道の驚くべきみわざが起きました。
▲これが1章です。長老が集まった時に講義したのですが、この部分がとても重要です。こうすれば驚くべきことが起こります。簡単ですが、答えはとても大きく起きます。パウロが告白しました。親衛隊で起きた働きによると言いました。投獄されたと分かったが、3つの事が行われました。パウロが監獄に捕らえられたのではなく、監獄がパウロに捕えられたということです。病気になった人は、病気になったのではなく、病気が皆さんに捕えられたのです。問題に会ったのではなく、問題が皆さんの手に捕えられたのです。これがパウロの告白です。これが信仰、祈りの答えを受ける方法です。これを見つけられなければ、とても苦しみに会ってから見つけることになります。毎日バスにぶつかって、タクシーにぶつかって、自転車にぶつかっていなければなりません。このようにしたが、どんなことが行われるのでしょうか。簡単ですが、神様の創造のみことばが皆さんの事業に、個人に、学業に起きるのです。これしかしなかったのですが、エゼキエルが谷間でみことば聞いて、乾いた骨が軍隊になったように、生き返るのです。今日、この場で、みことばと祈りの課題と伝道が何か見つけさえすれば、聖霊は働くようになっています。わかるでしょうか。このみことばを集中的に握れば、天と地と海と国々が揺り動かされるでしょう。万軍の主の御告げ。皆さんがここに座っているのですが、外では振動が起きるのです。
▲私はそれを体験しました。私達で礼拝したのですが、レムナントが数十ヶ国で起きるように揺り動かされるのです。今日、私たちの長老の事業の場、レムナントらの現場、すべての聖徒の現場に、神様の答えが起きる、振動が起きるみわざが起きることを望みます。これが最初です。
▲ところで、みことばは驚くべきことに、今でも成就しているのです。それで占いに行く必要がありません。昔に記録されたみことばが、今、そのまま働いています。Iコリント10:11です。昔に記録されたみことばなのに、終わりの時のために記録されたみことばだというのが、Uペテロ2:6です。これが最初です。祈りの答えを受ける最初です。これが細かくなるほど良いのです。小さいことにもこれを探します。大きいことが起これば大きいことを探すのです。わかるでしょうか。それがすべてです。これが、みことばと同行するということなのです。みことば同行とは何でしょうか。イスラエルの人のように、みことばをポケットに入れて通えば、それがみことば同行なのでしょうか。これが同行です。これを一番上手にする人がパウロです。だからみわざが起きたのです。

2.ピリピ2章-苦難
▲ピリピ2章です。苦難。苦難はまさにその時間に神様の祝福が成される時間です。皆さんが福音を持っているならば...
(1)レムナント7人が苦難にあう時間は、神様が祝福される時間です。これをパウロが悟りました。キリストが苦難にあって万王の王になられました。私たちが苦難にあうのも同じです。
(2)皆さんがおわかりの通り、初代教会が苦難にあう時間は、まさに答えの時間です。苦難にあっているのでしょうか。モーセがミデヤンの荒野にひざまずいていた時、その時間が最も良い時間でした。神様がご覧になった時の話です。モーセはその時間に苦労しているのに、神様はその時間に祝福で作業されました。モーセは私がどこへ行かなければならないかについて祈っていたのですが、神様は世界をひっくり返す出エジプトエジプトの作業をされたのです。ある面では、主にあって、福音にあってさびしく歩く、その時間が祝福の歩みなのかもしれません。皆さんが何か、自分のために、人のために、家族のために、苦難にあったら、皆さん個人に最も祝福の時間であることもあります。
(3)教会史の学者が証明しました。
▲この告白をパウロがしたのです。キリストが苦難に会わなかったのか。それで苦難に会うのは大丈夫です。彼が主の主、万王の王として立たなかったでしょうか。この告白をしました。祈りの答えを受ける奥義です。とても重要です。長老が何週かだけしてみれば、証しがとてもたくさん起きます。率直に、証しが起きて、絶妙の答えがくれば、話さざるをえません。人が祝福をとても受ければ、話さざるをえません。パウロはとてもうれしくて、話さざるをえなかったのです。反対に、祈りの答えを受けられない人は、とても悲しくて、内側が大変で、話せません。それが、そういうことです。パウロがとても感謝したのです。

3.ピリピ3章-中心
▲ピリピ3章です。結局は、皆さんの中心に何があるのかが重要です。パウロが自分の中心にあることを話しました。とても重要な話です。何と言ったのでしょうか。
(1)成功-私は今まで自慢したことを全部、ちりあくただと感じる。世の中の人々がとても成功したのですが、それをちりあくたと感じたのです。成功もできない人が私は成功をちりあくただと感じると話すのは話になりません。私たちのレムナントは成功することを望みます。成功程度はちりあくただと感じなければならないのです。なぜでしょうか。それより、もっと大きいことがあります。それと共に、重要な話をしました。キリストを知る知識が、最もすばらしい知識だな。私はもうキリストに発見されることを望む。発見されたが、何をまた発見するのでしょうか。キリストの働き、キリストに発見されることを望む。キリストにあって、発見されることを望む。これがパウロの中心です。
(2)キリストの御手-何と言ったのでしょうか。すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもない。キリストの御手にあるそれをつかみに行く。神様の計画の中にあるそれを探しに行く。神様の御手にあるそれを訪ねて行く。パウロの告白です。
(3) 上に召してくださる神の栄冠-地のことをみな受けたので、上から召された神の栄冠のために行くと言いました。神様の祝福は上から降りてくるのです。
(4)国籍-天の国籍を持っていると言いました。普通の話しではありません。私たちが動くのですが、天から保護されるのです。タリバンに捕えられた人々が韓国の国籍がある人だったので、韓国の人がいのちをかけて取り戻しました。タリバンに捕えられた人々をおいて米国に助けてくれと言ったところ、立場が困ると言ったのです。もし捕えられていた人が米国人だったら話さなくてもきます。今回、大統領と政府が良くやったことが、最善を尽くして取り戻したのです。なぜでしょうか。大韓民国の市民、国民であるから、大韓民国で責任を負わなければならないのです。私たちの国籍は天にあります。皆さんが動く所ごとに天の軍隊が行って、動員されるのです。そうでしょうか。これを中心に持たなければなりません。
▲これがパウロの中心です。このようになれば、祈りの答えを受け始めます。

4.ピリピ4章-環境
▲祈りの答えを受ける四番目の奥義がピリピ4章です。環境です。環境に対して3つのことが出てきます。
(1)和睦-ピリピ4:1〜4節を見れば、一致してくださいと出ています。ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。
(2)心配、感謝-そして、ピリピ4:4〜7節に、いつも喜びなさい。何も心配せずに祈りなさい。何も心配せずにすべてのことに感謝をもって神様に申し上げなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安があなたがたの心を思いを守ってくれます。
(3)それと共に、三番目の話をしました。私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。皆さんが本当にこの告白をし終えれば働きが起きます。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
▲ここまでの余裕がない人もいるでしょう。皆さんが本当にこのように始めたら、すぐに答えられ始めます。大部分の人が、このように生きて来ていません。神様がみことばを成就しておられたのですが、みことばと全く関係なしで行っているのです。神様は皆さんに答えておられたのですが、それと関係なく、全く別の道を行きました。神様は、すべての祝福をのせて伝道で働いておられたのですが、違ったことを考えるので合わないのです。私は約束します。皆さんが1番の3つを数ヶ月だけするだけでも、全てのものが変わります。難しくもありません。今日終えて何をするのでしょうか。まさに1番の3つを考えれば良いのです。誰に会うのでしょうか。1番の3つを思えば良いのです。すぐには死なないでしょう。食事もするのではないでしょうか。1番の3つを思えば良いのです。また死ぬ時もこれを思えば良いのです。これがすべてです。これが神様が働きする道しるべであり、通路です。そうすれば、私たちが間違って来る苦難以外は、全部、祝福です。皆さんが間違って苦難に会うような、それも神様は祝福にされます。ものすごいものを持ったのです。最も最高の知識を。神様の御手にある最高計画を。上からおりる最高の祝福を。誰も防止できない最高の権威を。私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。この答えを受けるようになることを希望します。

4.結論-決断、数種類
▲結論を結びます。ピリピ1章〜4章までは、信仰に関する決断、何種類が出てきます。
(1)ピリピ1:20〜22節でパウロは告白しました。生きるにしても、死ぬにしても...生きようではなく、生きるにしても、死ぬにしても。こうすれば止められません。助けて下さい、それでこそ(話しになるのですが)生きるにしても、死ぬにしても。強盗が入ってきたが、助けて下さいと言えば、金を出せ! こう言えるでしょう。ところで、強盗が入ってきて、刃物を持っているのに、いらっしゃいませ。はやく非常につらくてたまらなくして下さい!と言えば、強盗が本当に真っ青になって逃げるでしょう。
▲生きるにしても、死ぬにしても...これがパウロの信仰です。生きるにしても、死ぬにしても、キリストのすばらしさが現れれば良い。問題ないのです。こういう人を止められないのです。勝手に生きるいうことではありません。本当にこのように生きながら、生きるにしても、死ぬにしても。
(2)二番目の聖書箇所です。ピリピ2:6、キリストがご自分を無にして、仕える者の姿をとられました。それで、私たちも低くなれるのです。
(3)ピリピ3:8世の中の人々が、つかんで、はがして、戦って引き伸ばす、それをパウロはちりあくただと感じたのです。これは力ある自信を持っているためです。皆さんが答えを受ければ、他の人が戦う、それをちりあくただと感じます。
(4)ピリピ4:13、私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。
▲皆さんの中でからだが良くない人、また、問題に会った人、こういう人は黙想もすべきですが、深い祈りをしなさい。課題も持たないで。深い祈りの特徴がUコリント12:1〜10のパウロです。何かをくださいと言ったのではありません。霊的に深い祈りをしました。この時、天の門が開いて、ものすごい答えが起きたのです。このような時、病気になった人は、癒されるみわざが起きます。未信者でも、深く何かをする人々は、ガンも直すことができると自信を持っているでしょう。イエスを信じる人が聖霊の働きで何ができないでしょうか。深い祈りに入れば、皆さんの多くの暗やみの問題が崩れ始めます。パウロは癒されなかったのに、これで世界を征服しました。こういう答えが今日、今週にあるようになることを希望します。残った時間も礼拝する中に大きい癒しの祝福の時間を過ごすことをイエスの御名でお祈りします。

(祈り)
神様に感謝します。答えを受けるパウロの奥義を、今日、みことばで見るようにされたことを感謝します。真の答えが始まるようにして下さい。新しい力を与えて下さい。新しい恵みを下さい。祈る間に、神様が天の門を開かれたように、今日、黙示録にある驚くべき答えの働きが起きるようにして下さい。ダニエルが祈る間に主の天使を先に送られたように、まさに今、働いて下さい。すべての不信仰を、今、縛って下さい。初代教会が祈る時間に、ペテロの牢屋の門を開かれた主よ。今、その天使を送って、すべての閉じられた門を開いて下さい。アッシリヤ軍18万5千を倒された主よ。今、その天使を送ってすべての不信仰、暗やみの組織を倒して下さい。癒す光を照らして、病気になった者に働いて下さい。レムナントに働いて下さい。福音を防ぐ組織を神様が倒して下さい。真の答えを味わう開始になることを祈ります。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)