2008年10月19日 インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
1部:イエスの復活に対する科学的理解
(ヨハネ20:1-10)
☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆ 序論 ▲地球上に戦争が1万 6千回起きたというのに、その中に最もあきれる事件2つがある (1)何の罪がないイエス様を十字架に処刑した事件だ。 (2)さらに驚くべき事件は、このイエス様がまたよみがえられた。 1)1節を見れば墓に石がとりのけてあった 2)5節に、のぞいて見たら、死体を包んでいた亜麻布だけあって人がいないのだ 3)それで、入ってみたら、亜麻布は人を包んだそのままあったのに、人だけいないのだ(7節) 4)その時になって、弟子も見て、よみがえられることはよみがえったのだなあ(8節)。ところが、9節を見れば、まだ彼らはみことばを悟ることができなかったと言われている。 ▲今日、私たちはイエス様の復活に対して正確に理解しなければならない。 1.イエス様の復活は歴史的証拠がある。 (1)ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け-これは、ポンテオ・ピラト総督のときの歴史的証拠を言うのだ。 (2)6つの原則(いつ、どこで、だれが、何を、どのように、なぜ?) によって起きた事件だ。 (3)そして、アリマタヤのヨセフという人が証人だ(自分の墓) (4)復活をまず最初に見た人-見張っていた兵士たち (5)ユダヤ人の反応(弁解)-盗難説、幻想説、気絶説 ▲むしろ、この三つはイエス様の復活を反証するのだ。盗難説(墓に死体がないという証拠)、幻想説(見た人がいるという証拠)、気絶説(生きているという証拠) 2.イエス様の復活は聖書的証拠がある。 ▲イエス様の復活は、二番目特徴が、聖書的証拠がある。 (1)預言されている事件だ。 1)ホセア13:14、死からあがなう。 2)イザヤ25:8,死を永遠に滅ぼすようにされる。 3)イザヤ53:10、身代りのいけにえとしてささげられるようになる。 4)Iコリント15:3-5,聖書のとおり死んで、聖書のとおりよみがえられる。 (2)さらに驚くことは本人が話された。 ▲わたしが3日後によみがえる。あらかじめ話された。 3.復活以後の証拠 ▲さらに恐ろしいのは復活以後の証拠だ。 (1)信じる者にだけ現れたのだ。これがまた鍵だ。 (2)それとともに、また驚くことが、イエスの御名を呼ぶ所ごとにみわざが起きた(ヨハネ14:14、ヨハネ14:15-16、ヨハネ16:24)-聖霊の導き、聖霊働き (3)使徒1:8、聖霊に満たされる驚くべきみわざが起きて (3)イスラエル全体にイエスの御名を呼ぶ所ごとにみわざが起きて (4)後にはローマ全体にますます大きくなって、イエスの御名を呼ぶ所ごとに驚くべきみわざが起きた。 (5)中世時代にイエスの御名を呼ぶ所ごとに驚くべきみわざが起きた。10人の皇帝、ヒットラー、共産主義が防ぐことができなかった。 4.イエス復活は何を意味するのか-キリストという証拠 ▲どんな名前でも暗やみの勢力は退かない。いくら占って、私を捕まえても、キリストの名前を握れば終わる。皆さんが本当に福音を知って聖霊の導きを受ければ、無条件に働きが起きるようになっている。 (1)Iコリント15:45節に記録されたこと、初めての人アダムは生きた霊になったように、最後のアダムは生かす霊になったので (2)Iコリント15:46節に、しかし、先には霊の人ではなく肉の人であったが、その次は霊の人だ (3)Iコリント15:47節に、初めての人は地から出たので地に属する者ではあるが、二番目の人は天から出られたのだ ▲当然、復活しなければならないのだ。聖書に約束された。メシヤが1人来るが、その方は復活するだろう。だれでもキリストだと言うと、どうするのか。それで聖書にあらかじめ約束した。たくさん起きることであるから、本物という証拠は十字架で死んで復活する。あらかじめ預言された。驚くことだ。 5.復活の初めての実 (1)Iコリント15:20、イエス様の復活は初めての実だとなっている。これが何の話なのか。皆さんも後ほど復活して天国、地獄に行くようになっている。そこに対する初めての実ということだ。その復活は、時空を越える復活だ。その初めての実として復活された。 (2)Iテサロニケ4:15-16、地球最後の日には、死者が先に起きるといって、その後で私たちの生き残った者らも彼らと共に雲の中に引き上げて、空中で主に会うようにされるだろう。そうして私たちがいつも主とともにいると言われた。 (3)Iコリント15:49節に、私たちが地に属した者の形を着たように、また天に属した形を着るだろう 6.結論 ▲イエス様の復活は、どういうことなのか。イエス様の復活がなぜ重要なのか。 (1)今、皆さんがイエス・キリストの御名で祈れば、確かに聖霊で働かれる。 (2)イエス・キリストの御名で祈れば、暗やみの権威は崩れて (3)イエス・キリストの御名で祈れば、確かに天の門が開かれて、主のみ使いが働くようになっている。 ▲今日、皆さんがイエス様の復活を持ってすべての問題が解決されることを望む。問題がきた時は3つのことを思いなさい。 @キリストの苦難、キリストの苦難ぐらい大きい苦難はない。人類のすべての苦難を担われた苦難、皆さんの苦難は終わったのだ。 A今現実を正確に見なければならない。今、キリストが復活されて、聖霊で一緒におられる。 B未来は何か。復活された主の力で未来を見るのだ。この時、聖霊に満たされるみわざが起きる。復活された主が、私たちとともに働かれれば、聖霊に満たされる答えをくださる。イエス様の復活は科学だ。皆さんが今日、この契約を握って新しく始めることを望む。皆さんに神様の霊的な働きが起きる驚くべき祝福があることをイエスの御名で祈ります。祈ります。 (祈り) 神様に感謝します。今日、特にまた開拓の聖日に私たちが献金をするようになりました。多くの開拓現場に復活の主の働きが起きるようにして下さい。だめだと思う人々に、復活の主の働きが起きるようにして下さい。イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン (The end) ☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆ 序論 ▲今日は、まるで復活聖日のようです。これは私の誤りではなく、聖書を読み続ける中に順序がこのようになったのです。事実は、キリストが復活されたので、聖日は毎回復活聖日です。本来、土曜日を安息日として守るのが正しいのです。しかし、イエス様が土曜日の安息日の後、聖日に復活されたので、これを記念して聖日に礼拝をささげるようになりました。 ▲今日、イエス様の復活について科学的な理解をしなければなりません。ある家で事故がおきました。家族が3人が同時に死んだのです。三人の棺を横に並べて葬式をしなければなりませんでした。皆さんの家族の中で、1人が死んでも悲しいことでしょう。それも事故で死んだら、とても悲しいでしょう。事故で三人が死んで、棺を3つも置いて、最後の葬儀礼拝をささげる中で、説教者がヨハン・ウェスレイ牧師でした。ヨハン・ウェスレイ牧師が、このように説教をされたということです。今日、家族は家族の3人を失った中で2つのことを選択することができる。最初。神様を恨む。そのようにするか…….二番目。神様を恐れる。どちらを選択するのか、このように説教をしたということです。 ▲私たちには時々、あきれることが起こる時があります。地球上に戦争だけでも六千回起きたということです。その中で最もあきれる事件が二つがあります。 (1)何かというと、何の誤りもない人を十字架に処刑したというイエス様の十字架処刑事件です。他人のものを盗んだこともなくて、人を困らせたこともないのに、惨めに十字架に釘づけられました。それが地球上で最も惨めな事件でした。ジュリアス・シーザーという人が、三十三ヵ所、刃物に突かれて死にました。しかし、それは理由があります。政治的な問題で、反対派によって殺されたのです。どれくらい勇敢な軍人だったか、その事件を予測したのですが、そちらに行って、彼を陰謀するものが、彼を中に置いて刃物で刺して殺したのです。しかし、彼はどれくらい強い人なのか、三十二回突かれたが、倒れませんでした。最後の時、自分の友人が背を向けているので、友人を呼んだところ、その友人が彼を刺した三十三回目に、シーザーが倒れたのです。あきらめたのです。それは、政治的な複合的な理由で殺されたのです。イエス様は、そのような場合でもなくて、何の政治的関係も何の理由もないのに、惨めに十字架に釘づけられて殺されたのです。ユダヤ人が、教会の信徒を奪われるかという、そのような小さいねたみと恐れによって、そのような惨めな死にあったのでした。彼がメシヤであるということを知らずに、少し人が集まっていくことに恐れを感じた宗教人が、十字架に釘づけるようにしたのでした。自分たちと違った教理を教えるという理由です。ユダヤ人は、律法と行いで救われると話して、イエス様はわたしを信じることによって救われると話されました。その言葉が正しいと思う人々が増えたから、イエス様を異端に追い立てて惨めに十字架に釘づけたのでした。それで、映画と本に関する多くの歴史的な資料が出てきました。 (2)さらに驚くべき事件があります。このイエス様がよみがえられたのです。これは普通の事件ではありません。 ▲今日1節に見ると、石がとりのけてあったとなっています。アリマタヤのヨセフの墓を借りたので、その石は1人をとりのけられる石ではありません。マグダラのマリヤが一番初めに行ってみたのですが、その石は女が動かせる石ではありません。大きい石なので、男が何人かでとりのけてこそ動くようになる石です。さらに恐ろしいのは、死体を包んだ亜麻布だけがあって人がいなかったのです。その時、この女が走って行って弟子を見て話しました。本当にだれかが死体を盗み出したのか、人がいません。それで、きてみたら、この亜麻布を頭とからだにも包んでいたのですが、包んだそのままあって、人がいないのです。頭に巻いた亜麻布とからだに巻いた亜麻布がそのままあったのです。だれかが死体をスプーンでかいて出したのでしょうか。その時に、弟子たちが、ア!イエス様はよみがえられた。とにかく、死体がないから亜麻布を包んだままなくいなったとすれば、だれかが盗み出したと思うのですが、亜麻布はそのままあって、からだだけないのでした。まったく理解できないのですが、その時になって、弟子も人であるから、よみがえることよみがえられたのだなあと思ったのです。面白いことに、9節に見れば、まだみことばを悟ることができなかったとなっています。 ▲今日、私たちはイエス様に復活に対して正確に理解しなければなりません。 1.イエス様の復活は歴史的証拠があります ▲最初に、イエス様の復活は歴史的な証拠があります (1)ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け...この話は、ピラトが総督の時にあったという歴史的証拠を言います。 (2)6つの原則によって起きた事件です。いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どうして、これは6つの原則によって起きた事件で、仕上げされた事件です。 (3)そして、アリマタヤのヨセフという人が証人です。なぜならば、自分の墓を提供したためです。だれも否めないことです。 (4)ところで、恐ろしいのはイエス様の復活をまず最初に見たのは、マグダラのマリヤではなく、イエス様の復活を一番最初に見たのは弟子でもなくて、だれでしょうか。見張っていた兵士たちが見ました。突然、防いでいた石から光が出てきて、それとともに石が動いて、イエス様が出てきたら、皆さんはどうでしょうか。皆さんが真っ暗なところに行って、人に会っても背筋が寒くなるでしょう。私は夜明けに登山しているときに死んだ人を見たことがあります。気絶しそうでした。死んだ人が何か力があるのではないのですが、私は倒れるところでした。皆さん、死んだ人がむくっと立ち上がって出てきたら、普通の事件でありません。このように出てきたので、見張っていたユダヤ人とローマの兵士が卒倒したのです。これで、その人々が復活の初めての証人です。走って行って、簡単に話せば国家機関に報告しました。よみがえった。だれが。イエスが本当によみがえった。だから、大変なことになったと、そこを見張っていた兵士にお金を与えたのでした。話すなと、国家のために安保のために話すな。そちらを見張っていた兵士に巨額のお金を与えながら口をふさごうとしたのですが、お金を与えたということまで、うわさが立ってしまったのです。 (5)それで、ユダヤ人が弁解し始めたのです。私たちが、うとうとしている間に弟子がイエスを盗み出した。私たちがしばらく明け方の眠りを誘う、その時間に盗み出しという話ではありません。兵士が何人も見張っていて、同時に眠るということが可能なことなのでしょうか。どんな人でも、死体を盗もうとするなら、解いて行くので、死体をかき出していくことは可能なことでしょうか。この次は次の聖日に説教する内容ですが、イエス様が復活されて何人かの人に現れられたのです。この人々が言うのに、見た人があって、会った人がいる。これにユダヤ人が作り出した二番目の話が幻想です。 ▲前の死体を盗み出したということは盗難説、二番目に話すのが幻想説です。ところで、いろいろな人に現れ始めたのです。だから、嘘で勝つことができないことになったのでした。その時になって、ユダヤ人が言うことが、しっかりと殺さなかったんだなあ。目覚めたんだなあ、このようにユダヤ人が話をしました。前の二つは嘘で、あまり殺さなかったというこの話は告白です。それを気絶説と言います。 ▲ところで、この三つは、イエス様の復活を反証することです。その人々は防ごうとしたのですが、むしろそれが証拠になりました。死体がなくなったのです。盗み出したということは、墓に死体がないということです。イエス様を見た人は、幻想を見たということは、イエス様を見た人がいるということです。そして、気絶したという言葉は、死ななかったという証拠で、生きているという証拠です。このようにして、あちこちに広まってしまったのです。それで、イスラエルとローマに騒乱が起きて、こうしたことが行われた中で驚くべきことに、全世界に急速に広まったのでした。 2.イエス様の復活は聖書的証拠があります。 ▲イエス様の復活は、二番目の特徴があります。聖書的証拠があるのです (1)預言されている事件です。 1)ホセア13章14節に、よみの力から解き放つ 2)イザヤ25章8節に、死を永遠に滅ぼすようになる 3)イザヤ53章10節には、罪過のためのいえにえとしてささげられるようになる 4)Iコリント15章3-5節には、聖書のとおり死んで、聖書のとおりよみがえられた (2)さらに驚くことは、本人が話されました。わたしは3日後によみがえります。死んだがよみがえったといっても驚くことなのに、あらかじめ話までして、いくら宗教がいくら科学が否認しようとしても、否めないのです。 3.復活以後の証拠 (1)さらに恐ろしいのは、三番目で、復活以後の証拠です。信じる者にだけ現れたのです。これが鍵です。これは来週に話します。 (2)それとともに、驚くことは、ヨハネ14章14節に、イエスの御名を呼ぶ所ごとにみわざが起きる、ヨハネ14章15-16節、イエスの御名を呼ぶ所ごとに恐ろしく聖霊が導かれることが行われました。 (3)さらに驚くことは、イエスの御名で集まったところ、マルコのタラッパンに聖霊に満たされる驚くべきみわざが起きました(使徒1:8)。 (4)不思議に、いくら防ごうとしても、イエスの御名を呼ぶ所ごとにイスラエル全体にみわざが起きました。 (5)後ほどローマが防ごうとしました。このキリスト教が、なぜこのように大きくなるのか。以前に、私たちが知らずに手助けしたんだなあと、ユダヤ人が異端と言ったが、防がなければならないんだな、なぜこのように大きくなるのかということです。イエスの御名を呼ぶ所ごとに、驚くべきみわざが起き始めました。まったく理解できなかったでしょう。 (6)中世時代にきて、イエスの御名、福音を回復する所ごとに驚くべきみわざが起きました。復活以後に確実な証拠で、十人の皇帝が起きたが防げなかったのです。いったい何でしょうか。ある方は、文章を書いて、いったいイエスキリストが誰か、ヒットラーが防ごうと多くの方法を動員したが防げなかったのです。共産主義が防ごうと、いろいろなことをつくしたのですが、防ぐことができませんでした。共産主義は、まだまともな精神状態でなく、食物に毒を入れても、何の良心の呵責もありません。牛肉を食べて狂牛病になった人はだれもいないのですが、中国の食べ物に毒があるのに、なぜロウソクを持ってデモをしないのでしょうか。北朝鮮で核の威嚇をするのに、なぜロウソクのデモをしないのでしょうか。ろうそくが売れ切れたのかなと思っています。本当に不思議なことであって、まだ良心の呵責なく、何でもします。それが共産主義思想です。教会をなくそうと、いろいろなことをしたのですが、結局、共産主義がなくなりました。驚くことです。これからどんなことが行われるのか、科学では理解できないのです。 4.イエス復活は何を意味するのでしょうか-キリストという証拠 ▲四番目です。イエスの復活は何を意味するのでしょうか。イエスがキリストという証拠です。私は仏教が違っているとは思いません。人間の苦難のために、俗世を離れて本当にユニフォームを着て、髪を剃って本当に普通の方々ではありません。それが違っているということではありません。私たちが尊敬しなければならない理由です。しかし、キリストではありません。明らかな事実、証拠があります。どんな名前でも、暗やみの勢力は離れません。いくら立派な人も、占って、日を守らなければならないのですが、キリストの御名を握ればみな終わります。皆さんが本当に福音を知っていながら、聖霊の導きを受けないからであって、聖霊の導きを受ければ、無条件に働きが起きるようになっています。 (1)Iコリント15:45こういうみことばがあります。最初のアダムは生きる霊でしたが、イエス様は生かす霊です。 (2)46節に、アダムと私たちは肉に属する者で、二番目に来るイエス様は天に属した者だ (3)47節にアダムと私たちは地に属した者で、キリストは天に属した者ではないかと言われています。当然、復活しなければならないのです。聖書に約束されています。キリストが1人来られるが、その方は死から復活されるだろう。驚くことではないでしょうか。 ▲だれでもキリストだと言えば、どうでしょうか。ある日、チョ・ギポン執事が、キリストになるべきだと言ったら、何と言うのでしょうか。自分の弟子を何人か連れて通えば、どのようにするのでしょうか。そのような人がたくさん起きたでしょう。私がメシヤだと出てくるのに、どのようにするのでしょうか。それで、聖書にあらかじめ約束して、たくさん起きるので、本当にメシヤ、キリストの証拠が一つあって、十字架で死んで復活する。これは聖書で作ったことではなく、あらかじめ預言されたことです。驚くことです。 5.復活の初めての実 (1)Iコリント15:20、五番目、イエス様の復活は初めての実だと言われています。 ▲これは何の話か、後ほど皆さんも、人間も復活して、地獄と天国に行くようになるのですが、その復活の初めての実なのです。後ほど死んでも、死ななくても、みなよみがえって天国と地獄に完全に行くと言われているでしょう。そこに対する初めての復活、初めての実。それで、その復活は時空を超越した復活です。それで、ある人には現れて、ある人には現れないということで、天国に行ってだれかと必ず会おうということではありまえん。そのようなことを超越してしまう復活です。ある人は、夫が5人なのに誰と会うべきかと言うのですが、そのようなことはありません。超越した復活、そのような復活ではなくて、完ぺきな体で天国に行ける体で復活するのです。それとともに、すべての所にともにおられる霊でイエス様が復活されました。 ▲初めての実、これはとても科学的なことです。これは作られた話ではなくて、とても科学的な話です。人間のたましいは、なくなりません。前世に何だったというのは、完全に悪霊のいたずらです。今、話をよく聞けば、何かになって、よく聞かなければネズミになって、それはとんでもないことです。たいてい話がよく通じない人がいれば、前世に牛だったかと、この話が信じられるけれども、そのようなことはありません。たましいは変わったり、絶対そうではないのです。それで初めての実で復活されました。 (2)Iテサロニケ4:15-16後ほどイエス様が最後に来られる時には、死者が先に起きると言われています。その時まで生きている者は死なないで変化すると言われました。そこに対する初めての実です。科学が少し発展すれば分かるようになるでしょうが、私たちは何次元かの世界をよく知りません。 (3)それでIコリント15:49私たちも天に属す者の形を着るようになるのです。 6.結論 ▲結論を結びます。イエス様の復活がどうしたということか、イエス様の復活がなぜ重要なのでしょうか。 (1)今、皆さんがイエス・ キリストの御名で祈れば、確かに聖霊が働かれます。 (2)イエスの御名で祈れば、確かに暗やみの勢力は崩れます。 (3)イエス・キリストの御名で祈れば、確かに天の門が開いて、主の天使が働くようになっています。驚くべき事実です。 ▲イエス様の復活を持って、全てが回復するように願います。 ▲おもに皆さんの問題は何でしょうか普通4つでしょう。 @経済問題-普通、迫ってくるのが経済問題、こうしたことが一番多いでしょう。問題がきた時、おもに三つのことを考えなければなりません。キリストの苦難、キリストの苦難ぐらい大きいことはありません。人類のすべての苦難を担われました。皆さんの苦難は終わったのです。それでは、二番目のことを考えなければなりません。今、現実を正確に見なければなりません。今、聖霊がキリストが復活されたので、皆さんと共におられるのです。その次に未来です。未来のことを正しく見る時、復活された主の力で、その信仰で見るのです。この時、聖霊に満たされる働きが起きます。これは何の話でしょうか。ある牧師が牧会しても、牧会になりませんでした。牧会にならないから、工事現場に行って仕事をして、それと共にそちらでみことば運動したのです。私は牧師だ、私の苦難はキリストが終わらせたのではないか。そして、今、ここに神様のが計画あることではないのか。なぜ私を貧しくさせられたのか。神様の計画があるのではないか。主は復活して力で働かれるのではないのか。工事現場で仕事をしながら聖書勉強をし始めてよく見たのです。これが広がり始めて、そのようにして、ものすごいみわざが起きたのです。教会が作られ始めて、二千ケ地域に教会が広がり始ました。誰でしょうか。その方がまさにチョック・スミス牧師です。生きています。その教会がまさにカルバリー(Calvary)教会です。私たちが経済問題がくれば無条件に気をおとしてしまうのですが、十字架で終わらせたと言われているでしょう。そして復活された主の力で働かれるというのに、最も重要な現実を見る目が違っているのです。 A子どもの問題-私たちはおもに、子どもの問題で心配しないでしょうか。ところで、人々はしばしば違うように見ています。キリストとして終わらせて復活された主が、新しく働かれるというのに、しばしば違うように見るのです。アウグスティヌスという人が14歳にしかならないのに、どんどん堕落して、もめ事を起こして通ったので、多くの人が話すのに、あなたの息子はだめだ、祈りをよくしなければならないということでした。それも間違った言葉です。二つともみな違った言葉です。モニカというお母さんが狂いそうな状況でした。あなた息子はこれでだめで、また、ある人は祈りをよくしなければならない、祈りをどのようによくしなければならないのでしょうか。ところで、アンブロスという監督が正確に話しました。あなたの息子はほろびたのではない。神様の計画を成し遂げるだけだ。あなたの考えを変えなさい。そうして祈りなさい。これが答えです。ある日聖霊が働けば、息子に覆っていた霧のようなものがなくなったのでした。私がなぜそのようにしたのか、このくらい手をかみちぎるほどでした。私がなぜこのようにしたのか、それで正しく立ったのが、アウグスティヌスです。私たちはしばしば違うように考えます。 ▲今はエリートだけが集まるのですが、昔にはちょっと失敗した子どもたちがいました。自分たちどうしで、自分は失敗したと思っていたのです。今はかん養の学校には誰もが入ることはできません。今は、エリートだけ入れます。これからも、学校ができたり、外国に一流校に連結させるために祈っている中です。初期には、勉強もしなくて家も出てきた子どもたちが多かったのです。その時は1部礼拝を釜山でして、ソウルに上がる時、私があまりにも苦しくて、飛行機に乗せて話していきました。その時は、この3つのことを話したのです。キリストが十字架で、あなたのすべての失敗、呪い、家系を終わらせた。そして、本当に祈れば復活された主が聖霊で満たして働かれると約束された。今日のあなたの問題が問題ではなくて、あなたは勇気があるだけだ。家を出たくて出てきたことだけで、学校に行きたくないから行かなかっただけだ。私は怖くなってできなかった。教会に行きたくないがお母さんのために、しかたなく行った。あなたは希望があるのだ。今からはじめなさい。子どもたちがその話を聞くと、本当に希望を持ったのです。それで、さらに希望を与えて、検定試験は合格するのが目的だから、そのまま行きなさい。そのまま勉強するようにして、そのまま行きさえすればよい。そして1年に一個ずつだけ受かっても、十年ならば終わるのではないのか。あなたが世界で頭一番が悪いと思って、一年に一個ずつだけすれば良い。年齢が十何歳しかならないので、二十何歳まですれば良いことで、その時になって大学に行けばよいので、なぜしないのか。そして、私たちの韓国の試験はやさしくて答えが4ケの中の一つだ。心配するな。複雑で長く書いたのがまたあって、それが答えでもある。到底出来なければ、鉛筆を回してしなさい60点だけとれば合格だ。それができないのか 大学に入るのがどれくらいやさしいのか。私たちが幼い時には大学がなかったが、今は互いに来てくれと言うのではないか。どこにでも行けば良い。それで、韓国で来てくれという所がなければ、あなたの体質が国際的な体質らしいから、世界へ出て行きなさい。そうすれば良くないのか。ただその話をしたのでした。復活のキリストを伝えてみなさい。十字架であなたの問題を終わらせた。あなたが呪われることはない。終えてしまったのです。あなたは失敗したように見えるが違う。過程をかけて行くだけだ。両親もそうで、先生もそうで、しばしば違った話をするのです。それではますます難しくなるのです。それでも、生き返ってくるのでしょうか。キリストが生かされるので、ただ時間がかかります。 B家庭問題-私たちは、おもに家庭問題、そのようなことがありますが大丈夫です。皆さんが問題が来ても大丈夫です。神様はそれを直す力があります。絶対に暗やみは皆さんを触れないでしょう。そうではないでしょうか。神様の大きい計画を成し遂げる過程であるだけなのに、私たちは気をおとして、むやみに話していないでしょうか。また、レムナントが失敗したら、話をむやみにしないでしょうか。過ぎていく過程なので大丈夫です。一度は私たちの息子が高校生の時、自分の母親とけんかをして何か一つ壊したのです。ものすごく怒られました。女は話せば怒るようになります。私の息子が大変なことになった。パパが帰ってきたら大変だと、家に帰ってみたら何かが壊れていました。家に帰って、私の息子に頭にくれば壊すだろうが、高いものは壊すなと言ったのでした。私は今でもそのように考えています。 ▲これから、多くの過程をたどりながら、私たちのレムナントは世界福音化に用いられるでしょう。復活された主は、そのような力があるのです。 C健康問題-それでは、私たちの健康問題があるでしょう。医師の助け受けなければならないのですが、最も重要なのは、聖霊の満たされなさいという言葉ではないでしょうか。どんどん現実を違うように見るので、経済問題がどんどんくるのです。問題は、導きを受けられなければ、正確に見なければなりません。神様が私に健康問題や経済問題を与えられたということは、底辺から新しく始めなさいというサインなのに、小さいことがあれば働きが起きることなのに、私たちはしばしば何か大きいことがないかと見回すので、より大きい問題がくるのです。いくらでもあります。 ▲よく考えてみてください。聖書にあるタラッパン戦略は、皆さんの事業も職場も全く同じです。私ならば、そのようにします。例えば、バイオリンをします。釜山全国を歩き回りながら、ただで教えます。そして、弟子になるくらいの人物を選びます。全国に選ぶのです。あなたはこれから正しくなるから、正しく勉強しなさい。その子にはお金をもらって教えて、収入もあって、伝道もできるのです。私ならば、そのようにします。もし、声学でも、ただで声学を教えます。その中でお金出すほどの人物が出てきます。これも同じです。 ▲復活された主が、私たちとともに働かれれば、聖霊の満たしで答えをくださいます。イエス様の復活は科学です。この契約を握って新しく始めることを望みます。皆さんに神様の聖霊の働きと驚くべき祝福があることを希望します。 (祈り) 神様に感謝します。今日、開拓聖日にまた献金するようになりました。多くの開拓の現場に、復活の主のみわざが起きるようにしてください。だめだと思う人々に、復活の主の働きが起きるようにしてください。イエス様の御名でお祈りします。アーメン (The end) 2部:たましいのフォーラム
(使徒1:12-26)
☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆ 序論 ▲今日、献身礼拝のタイトルはたましいのフォーラムだ。フォーラムとは何か。通じることだ。私たちが何が通じるかがとても重要だ。神様が願う重要な道が通じなければならない。 ▲だれがなんと言っても、みことばが成就する、その道にいる人が最高の祝福を受ける(使徒1:12-26)。マルコの屋上の間に集まったように見えるが、みことばが成就する所に集まったのだ。異端とは何か。違った道で立派なのが異端だ。初代教会が異端ではなくて、パリサイ人たちが異端だ。どれくらい立派な道で違っていたか...それが異端だ。今、とても重要な道に立ったのだ。 ▲どのように、この道に入れるのか 1.当然の道(当然性) ▲当然、答えられる道にいてこそ、当然、答えを受ける。 (1)使徒1:1、イエスがキリストだ!ここで答えがきてこそ揺れない。 (2)使徒1:3、環境を越えたのを見て神様の国と言う。 (3)使徒1:8、私たちは体験も重要だが、私を越えなければならない。それを聖霊の満たし ▲これを待て!そうすれば、当然、答えがくる。皆さんが学業がここから力が出てきてこそ、その時から疲れなくて、ずっとみわざが起きる。ところで、違うところで度々探すから問題がくる。 ▲これが、初代教会で起きた当然の道だ。 2.必然的な道 ▲皆さんがただ聖霊があなたがたの上に臨めば、あなたがたは力を受け、地の果てまでわたしの証人になります.... (1)傷-聖霊内住(Iコリント3:16、あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。聖霊の内住)これを信じるのだ。 (2)考え-聖霊の導き(ヨハネ14:16-17、聖霊の導きを受ければ、ある日ぴったり必要なことが見えるようになる)この献身をしなければならない。 (3)祈り-聖霊の満たし(この2つのことを握って祈るのが聖霊の満たしだ) 1)私-この時、私に必要なことが見られる。私が苦難を受けると思ったが、これが神様の計画だ。レムナント7人。 2)現場-ある日、現場に必要なことが見られる。 3)時代-いよいよ一時代が見え始める。 3.絶対的な道 (1)時刻表-神様は確かに時刻表を持っておられる。聖書全体に敷かれている地教会が時刻表だ。この時代を開こうというのだ。 (2)道しるべ-必ず神様の道しるべがある。マルコの屋上の間、アンテオケが道しるべだ。マケドニヤへ、ローマへ、道しるべだ。 (3)永遠-神様の永遠な時刻表がある。ローマ16:25-27、世々にわたって長い間、隠されていたことが見え始める。 ▲この3つを一生忘れてしまってはならない。これを持っていれば、考えるだけでも働きが起きる。 4.結論 (1)祈り-これを握って静かに祈りだけするのに、働きが起きる。これを握って祈れば、最も偉大な時間になる。これを持ってスケジュールを組み始めれば最も働きが起きる。これが献身だ。 (2)献身-この時から重要な献身が出てくる。神様と通じる奥義5つが出てくる。 1)祈りの課題が通じる。 2)伝道の方向が通じる。 3)裏面契約-私はこれで神様に仕えなければならない、裏面契約が通じた(家主、保護者、同労者...) 4)メッセージ-メッセージが通じ始める。 5)目標-すべての栄光を神様に...このように通じるのだ。 (3)たましいのフォーラム-皆さんが訓練をずっと受けて、メッセージをずっと受けていれば、皆さんのたましいの中に根をおろすようになる。神様のみことばがたましいの中に働く時...みことばがたましいの中に入って行く時、その時から働きが起きる。 ▲皆さんがこのように(1-3番)入ってしまえば、皆さんのたましいの中にみことばが根を下ろしてしまう。それが献身の中の献身だ。とても重要なのがたましいのフォーラムだ。 ▲問題がきても、だれがいくら攻撃してもイエスはキリスト!これからを見なさい。イエスはキリスト!これを味わっていれば神様の国!この時から神様は私たちに聖霊の満たしをくださる。私がどのようにすれば、神様の導きを受けるのか。こうすれば、無条件に勝利する。神様が絶対的に作っておかれた時刻表、道しるべがある。そうすれば、結果的に永遠の中に入るようになる。この時から、奥義が見え始める。ほろびることはできない。今日からこの契約を握って勝利するように願う。 ▲私たちが答えがきた時は、必ず神様に感謝しよう。そして、その時、必ず考えなければならないことがある。私はこのように福音を受けて、神様の恵みを受けるのに、この福音を受けられなかった人々もある。その小さい考えなのに、すばらしい働きが起きる。これが献身の中の献身だ。私はこのように感謝することが多いが、とても困難を受ける人も今いる。今、とても難しい中で死んでいく人もいる。それを思うのだ。それが献身の中の献身だ。皆さんはほろびないことが、確実だ。それでは福音を知らずに苦労する人々に、この福音を与えるのが当然のことだ。それが献身だ。不幸な人々に福音と共に彼らを助けるのが献身だ。皆さんが、この席に座っていることがどれくらい感謝なのかを分からなければならない。今、とても難しい人々が暗いところで涙を流しているということを分からなければならない。皆さん、今日、神様がくださる真の幸せな恵みがあふれ出なければならない。あなたは真に幸せな人です! (The end) ☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆ 序論 ▲今日、私たちの献身礼拝のタイトルは、たましいのフォーラムです。フォーラムとは何でしょうか。通じることです。何が通じるのかが重要で、神様が願われる重要な道が通じなければなりません。今日、お昼の時、堂会員(重職者)と弁当を持って会議をしました。堂会室が完全に変わりました。堂会室に黒板もあって、テーブルもあって、長老が座った椅子は全部、折り畳み椅子です。長老が直接、伝道企画をしたのですが、私が見たら、もうできているようです。多分、地球上で宗教改革以後に初めてのできごとでしょう。長老が直接、伝道現場を置いて企画して、役員も選んでいました。私が見るのに、時刻表がきたようです。 ▲だれがなんと言っても、みことばが成就する道にいる人が最高に祝福を受けた人です。マルコの屋上の間に集まったように見られるのですが、みことばが成就する、とても重要な道にいたのです。やはり、私たちの釜山は、伝道運動が始まったところで、重要なことが起きると信じます。一度体験してみるように願います。聖書にある本物の答えを体験しなければなりません。私はお金がある人がうらやましくありません。お金がたくさんあるからでしょうか。それは違います。やさしい話で、教会にみわざが起きれば、お金はいくらでもあります。立派な人、それほどうらやましくありません。無知な人よりましだということであって、違った道に賢いのは、頭が痛くて、異端は何かというと違った道で賢いのが異端です。初代教会が異端ではなくて、パリサイ人が異端です。どれくらい賢いのか、違った道でさらに怖いのは、違った道にいるのを知らずに、賢いと思って、賢くないのに賢いと思うのが、それがさらに怖いことなのです。とても重要な道に立つのです。私たちの献身したすべての方が、この道にどのように立つことができるのでしょうか。とても重要です。簡単に申し上げます。私たちの長老を迎えて、とてもうれしくてメッセージを簡単に与えました。もう一度、よく聞かなければなりません。 1.当然の道(当然性) ▲神様が準備しておかれた当然の道に入ってこそ答えを受けます。これを当然性と言います。当然、答えを受ける道にいてこそ、答えを受けるのですが、当然、答えを受ける道でないのに、どのようにするのでしょうか。これがキリスト教会のものすごい失敗で、誤った選択をするのです。当然の選択とは何でしょうか。 (1)使徒1:1、イエスがキリストだ、ここで答えがきてこそ揺れません。いくら博識な人でも、外から来る答えは、暗やみの勢力と関連しているから、ある日、揺れるようになります。環境にしばしば恐れるようになるので、聖書は必要ない本になります。 (2)使徒1:3、環境を越えたことを神様の国 (3)使徒1:8、私たちは体験も重要ですが、私を越えなければなりません。それを聖霊の満たし。 ▲これを待ちなさい。当然、答えがきます。必ず理解しなければなりません。年をとった方は、心配する必要がありません。キリストで満たされるようにして、神様の国、聖霊に満たしてください。皆さんの事業がここから答えがきてこそ揺れないのです。皆さんの学業がここから力を得てこそ、疲れなくてずっとみわざが起きるのです。 ▲ところで、違ったところでずっと探すので問題がくるのです。優先される時があります。未信者もできます。偶像崇拝する者もできます。後ほど問題になるのが問題です。これをしなくても大統領になることも、財閥になることもあります。しかし、なっただけ問題がくるのです。後ほどみなほろびるだけです。ここから出発しなければなりません。当然の道で。今日、献身礼拝に参加する皆さんの家に、神様の国が臨むようになることを願います。私たちの重職者の事業に聖霊のみわざが起きるようになることを願います。そうです。これが初代教会に起きた当然の道です。 2.必然的な道 ▲二番目どんな道に行くべきでしょうか。どんな道でフォーラムにできるべきでしょうか。神様が準備された必ず必然的な道があって、この道に行かなければならないのです。皆さんがただ聖霊があながたの上に臨めば、あなたがたは力を受けて地の果てまで証人になります。 (1)傷-聖霊内住(Iコリント3:16) ▲皆さんは普通、過去の傷を持っています。そうでない人々もありますが、そのような人々は、とても重要な答えを受けます。想像以上に牧師も傷をたくさん持っています。こういう部分はとても問題になります。それで、Iコリント3章16節に、あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。これを信じるのです。 (2)考え-聖霊の導き(ヨハネ14:16-17) ▲そして、大部分の人々が全部、自分の考えのとおりにします。ヨハネ14章16-17節に、聖霊が導かれます。そうすれば、ある日、必要なことが見えるようになります。このように献身しなければなりません。 (3)祈り-聖霊の満たし ▲この2つのことを(前の(1)、(2)番)握って祈るのが聖霊の満たしです。この2つの中の一つを抜けば、絶対に聖霊に満たされません。聖霊の導きを受ける人が祈れば、聖霊に満たされるようになります。 1)この時、私に必要なことを見ることができます。私が苦難を受けていると思ったのですが、これが神様の計画だ。レムナント7人です。これが道です。皆さん、この道で献身をしなければなりません。 2)ある日、現場に必要なことが見えるようになります。前は、足のきかない者を見てもわからなかったのですが、今、見たら私にあることをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名前で歩きなさい。 3)いよいよ一時代が見え始めます。こういう答えがくるしかなく、この道に献身すれば。皆さん難しくありません。ただイエスキリストの御名で祈れば、この答がくるようになっているのです。 3.絶対的な道 ▲三番目です。絶対的な道が見えるようになります。この時から絶対的な答えがくるのです。今、韓国、世界の多くの重職者が、この道の外にいるから、ずっと苦労するのです。 (1)時刻表 ▲神様は明らかに時刻表を持っておられます。時刻表がどこでしょうか。マルコの屋上の間から始まって、聖書全体に敷かれている地域にある地教会。これが時刻表です。この時代を開きましょう。この時に、絶対的な答えがきます。それで、重職者から立ち上がって、この祝福を受け始めなければならないのです。驚くことが行われます。この祝福をのがして、違ったところで受けようとするので問題になるのです。じっとしていても始まります。 (2)道しるべ ▲必ず神様の道しるべがあります。マルコの屋上の間。これが道しるべです。アンテオケ。道しるべです。のがしてはなりません。マケドニヤへ。ローマへ。道しるべです。これを見た人は、無条件にみわざが起きます。 (3)永遠な時刻表 ▲神様の永遠な時刻表があります。後ほどこれが見えるようになります。ローマ16:25-27、世々にわたって隠してられたのが、いまや現れられた。 ▲この3つです。一生忘れてはいけません。 4.結論 (1)祈り-これだけ(上の(1)-(3)番)を持っていれば、皆さんが静かに考えるだけでもみわざが起きます。皆さんがこれを握って静かに祈るだけでも働きは起きます。見るように願います。 ▲神様が当然、準備された道、神様が準備しておかれた、必ず必要な準備された道、誰も防ぐことができない絶対的な道。これは年齢も知識も関係ありません。当然、答えがきます。必ずくるのです。誰も防止できない絶対的にきます。これを握って祈れば、最も偉大な時間になります。皆さんがこれを持ってスケジュールを組み始めれば、最もみわざが起きます。 (2)献身-これが献身です。この時から、皆さんは重要な献身が出てくるのです。 ▲神様と通じる奥義五つが出てきます。五つとは何でしょうか。 1)祈りの課題が通じます。皆さんと全国、世界にいる牧師と重職者と弟子の祈りの課題が通じます。 2)伝道の方向が通じます。慶尚道のある地域では、牧師が重職者を立てようとするので、教会で立てさせないようにするのです。理解できます。立派な人を立てようということです。確かに正しい言葉です。立派な人を立てよう、その話です。正しい言葉です。ところが、一つのことを見られなかったのです。現場を見たことがありません。ものすごく待っているのです。神様の目はそこにあります。災いの中で死んでいく人がいっぱいなのです。それを見られないで、どのように献身するのでしょうか。ですから、日が進むにつれ難しくなって、子孫も難しくなるのです。そして、教会を恨み、神様を恨みます。子孫がほろびた後、心の中で神様を恨むのです。完全に違った道に立っておいて。ですから、伝道方向が通じなければなりません。 ▲今日も報告が入ってきました。コチャンで復興しているという報告が入ってきました。教役者をさらに送ってくださいと、そちらに重職者から先に立てるからです。今でもドイツでレムナントが最終コンクールに出ています。そちらにも重職者を先に立てました。聖書を見てください。それで、私たちの教会に福音を悟った長老700人が起きて、釜山でみことば運動を開く日。釜山の暗やみお勢力は崩れます。私たちは資格がなくて…誰が資格があるとか、ないとか話すのでしょうか。重職者を立てて、エリコを回りましょう。回りさえすればよいのです。これから私たちの重職者が、現場を見通して回りましょう。回りさえすればよいのです。エリコを押せとしは言われませんでした。回りなさい。偵察に行くだけでよいのに、行くこともせずに話すのです。行ってみてください。行ってきて、とんでもない話をします。私たちは怖くて行けないと…全部うわべだけ見つめたのです。 ▲これが通じなければなりません。私たちの教会とタラッパン家族、すべての海外にいる家族が通じる日。神様は働かれるようになっています。皆さんの問題を神様はご存知です。この人たちが、これを悟ったから。何が見られるのでしょうか。 3)私はこれで神様に仕えるべきだという裏面契約が通じたのです。そうだ、私は家主で。私は保護者で。私は同労者で。このように出てこなければなりません。 4)メッセージが通じなければなりません。通じる献身をしなければなりません。パーティーをしても、皿洗いができる人がいるべきで、そうでなければ邪魔になります。ですから。重要なことが通じなければなりません。 ▲神様が当然祝福される道に立っていてこそ受けるのです。違った道で、どのように受けるでしょうか。神様が必要とされる道に立っていなければなりません。未信者も信じる神様を、私たちは神様の子どもなのに、私たちは神様が絶対的に立てられた道に立っていなければなりません。そうすれば、皆さんは祈りだけしたのに、世界を動かし始めるのです。その時から、皆さんの献身は神様の奥義が通じます。これが献身です。献身とは何でしょうか。 5)目標が通じるのです。すべての栄光を神様に。このように通じるのです。皆さん、今日、神様の祝福を受けるように願います。 (3)たましいのフォーラム-三番目、いつからみわざが始まるのでしょうか。たましいのフォーラムだとなっています。皆さんが訓練をずっと受けて、祈りを継続していれば、これが皆さんのたましいの中に根をおろすのです。この時からみわざが始まるのです。神様のみことばがたましいの中に働く時... ▲前科20犯とは、刑務所に20回入って出たということです。刑務所にいくら出入りしても変わりません。そちらの刑務所から、他の刑務所に行くのに、ある人がそばで福音を伝えたのです。このみことばがこの人に入ったのです。みことばがたましいの中に入ったのです。その時からみわざが起きました。皆さんで、はやく答えられない人々、家族、子どもたちは、心配する必要がありません。みことばがたましいの中にあれば、働きが起きるようになります。この時から驚くことが起きるのです。キム・イクドゥという人を見てください。その人に長老がみことばを伝えた後、みことばが入ったのです。その時からこの人が変わって、韓国を揺るがす復興師になりました。 ▲それでフォーラムの中で本当のフォーラムは何でしょうか。たましいのフォーラムです。皆さんにこれがある時、神様のみことばが出てくるようになるのです。今日から本当に答えを受ける祝福があることを希望します。私たちがタラッパンに集まります。イエスはキリスト。そのとおりです。定刻祈りをすれば答えられます。定刻祈りをして、答えられなければ定時礼拝をしなさい。ところで、答えが来ないのです。長い時間でもなくて、1時間みことばを伝えて聞きました。それとともに礼拝から出てきながら不信仰の話をします。どれが本物なのでしょうか。その人のたましいから出たのはどれでしょうか。出てくる時、こっそり投げたその不信仰が、その人の本物です。これが怖いのです。その人の生涯を左右します。怖いのです。 ▲皆さんがこのように入って、ばら撒けば、私たちのレムナントが当然、必然的な、絶対的な道に立ってしまえば、皆さんのたましいの中にみことばの根がおりるのです。いくら攻撃しても大丈夫です。これが献身です。 ▲皆さんの献身の中の献身は何でしょうか。献金も献身です。とても重要なたましいのフォーラムです。尋ねます。長老が講壇で祈ります。全能なる神様。偉大な神様と言いながら祈るのです。どれくらい信仰が良いかわかりません。堂会に入って度々心配します。どちらがその人の本当でしょうか。祈りより、心配したことが本当です。それをたましいのフォーラムと言うのです。講壇で牧師が説教します。神様は全知全能で、紅海を分けて、ヨルダンも分けて........そのように説教して、人間主義を使います。どれが本物なのでしょうか。後にことが、その人が思う本物です。皆さんが少しだけみことばのみわざがたましいに起きても、大きいみわざが起きます。今日、皆さん真の献身が始まるように願います。 ▲キリスト。本当にそれを握って祈れば、問題がきたら、イエスはキリスト! そうでしょう。だれがいくら攻撃しても、イエスはキリスト。私たちの教会をなくそうとどれくらい攻撃されたかわかりません。関係ありません。イエスはキリスト。これを味わっていれば神様の国。この時から神様は私たちに聖霊に満たしてくださいます。皆さんがいくら無知でも、私がどうすれば神様の導きを受けるかと考えれば、無条件に勝利します。のがしてはいけないのです。神様が絶対的に作っておかれた道しるべ。時刻表です。結果的に、これに入るようになります。ほろびることができません。この時から奥義が見え始めます。それがローマ16章の人々にある献身でした。今日、皆さんがこの契約を握って勝利するように願います。まちがいなく働きが起きます。 ▲私がすることは一つしかありません。必ずするように願います。私たちが答えがきた時は、必ず神様に感謝しなければなりません。そうです。答えがきた時、神様に感謝しなければならないのです。そして、その時、必ず思わなければならないことがあります。私は、このように福音を受けて、神様の恵みを受けるのに、この福音を受けられなかった人々もある。その小さい考えがすばらしいみわざが起きるのです。これが献身の中の献身です。私はこのように神様に感謝することが多いが、とても困難にあっている人もいる。今、とても難しい中で死んでいく人もいる。それを考えなければなりません。それが献身の中の献身です。これだけよく悟れば、答えがずっと起きます。感謝を知らなければ、あるものも奪われます。私はこれを持って驚くべき体験をよくしました。 ▲一度はクァンジュに行った時のことです。ホテルから出て食事をしました。おいしい食事をしながら、感謝したのです。昼夜働きながら、健康もくださって、食べ物もくださって、どれくらい感謝でしょうか。ところで、私に食べ物を持ってくる人が奥の部屋で電話を受けて泣いていたのです。何の内容なのか、通話を聞いたら、子どもの学費がないようでした。それで、こう考えました。神様、私はこのように幸せだが、あの人はあのように大変です。今日、神様がなぜあの人に会うようにされたのでしょうか。おばさんを呼びました。なぜ泣いているのですか。子どもの学費がないのですかと尋ねました。少し足りないと返事をしました。どれくらい足りませんか。たくさん足りないと返事をしました。それでいくら足りないのかと尋ねたら、十万円ほどのお金が足りないと話をしまいた。そのおばさんがいない時、ポケットを探ってみたら十二万円ほどのお金が出てきたのです。おばさんにあげました。これを持って学費に使いなさいと言いました。初めて見た人でした。おばさんは私を見ながら、がたがたと震えていました。本当ですかと尋ねたのです。私は神様に受けた祝福がどれほど多いでしょうか。幸いなのは、この女性が、オーナーが見ても誤解しないほど、ものすごくぶさいくな人でした。見つめるのも負担になって、見ないであげたのでした。みなあげたら、交通費がなくなりました。出てきた時とは違い、帰る時、なぜこのように道が遠いのかと思ったのですが、しかし、しんどくなくて、神様の恵みに感謝したのでした。 ▲ある時は、集会に行ったところ、あるおばさんが訪ねてきました。牧師先生、私が数十年間、病気だったのですが、福音を聞いてイエス様のゆえに良くなりました。それで、とても感謝で、牧師先生が通いながらおなかがすいてはいけないから、何か買ってくださいと言いながら、古い封筒をくれました。感謝ですと言ってもらったのです。静かにそのお金を見て、おばあさんのような方が何千円くらいかを入れたのだろうと思っていました。ところで、そうではなく小切手でした。小切手だが色が変でした。金額を見たら、一千万円を越えるお金でした。そうだとわかったら、祈りでもしてあげるべきだったのにと思いました。封筒が古かったのですが、封筒の中が問題でしょう。ポケットに入れて祈りました。その時、考えが浮び上がったのです。私たちの教会の信徒は、どれくらい難しいだろうか。私はこのようにお腹がいっぱいだが、その時、ちょうど教会に借金が一千万円くらいあったので、教会に出しました。ところで、どれくらい感謝だったでしょうか ▲ある時は、ある方が牧師先生、世界福音化しているのに、絶対に疲れてはいけないと言いながらくださったお金が、何千万円にもなったのです。その時、静かに祈っていたら、土地を買って、教会に借金があったのです。その時、また、本部が難しかったのです。教会が難しくて本部が難しいのに、私が使えるお金ではなかったのです。本部と教会に出しました。タイミングに合わせて、どれくらい感謝したでしょう。静かに歳月がすぎて考えてみたら、私たちの教会の信徒が、外から持ってくるから献金をしないようでした。それで、神様に祈りました。私が度々持ってくるから。献金をしないのです。どうしましょうか。祈ったところ、この頃、あんまりもらうことはなくなりました。 ▲なぜこういう話をするのでしょうか。私たちは必ず献身の中の献身が何でしょうか。私は福音を受けてどれくらい幸せなのでしょうか。皆さんが100%、200%、間違っても、絶対にほろびないことを確信します。それでは福音を知らずに苦労する人々に、この福音を与えるのが当然のことでしょう。それが献身です。私はとても感謝して幸せだが、他の人が不幸ならば、彼らに福音と共に彼らを助けるのが献身です。 ▲皆さん教会員全員が心から参加するようになれば、一ケ月に一万ウォン(千円)で食べて生きる人が、全世界に約10億人を越えています。それが宣教と献身です。私たちの教会でパク長老がカレンという難しい地域に行ってずっと宣教されています。ところで、私たちのパク・ウォンギュ長老が、その大変なところで10年宣教しているのです。そこの人々は、他の人から助けを受けて暮らす人々です。いよいよ何年か前に、この方たちが決定を下したのです。その難しい方たちが、他の教団から助け与えるのを受けない。私たちが数年見てきたが、本当に心から福音をあたえる所はタラッパンであるから。私たちはタラッパンだけする。難民が飢え死ぬ、その人々が助けを受けない、タラッパンだけ来てくださいと言ったのです。それで、タラッパンのすべての福音を伝えるものなどを学校でそのまま使っています。その人々がそのように告白したのです。パク・ウォンギュ長老が年をとっていますが、そちらでは英雄です。拍手を受けています。その人々が1ケ月間食べるのが一万ウォン(千円)しかなりません。 ▲皆さんが献身が何か分からなければなりません。献身の中の献身が、今日、皆さんがこの席に座ったのがどれくらい感謝かということを分からなければならないのです。とても難しい人々が暗いところで涙を流しているということを分からなければなりません。皆さん、今日、神様が与えられる大きい恵みがあふれ出ることをイエスの御名で祈ります。あなたは真に幸せな人です。祈ります。 (祈り) 神様に感謝します。私たちに献身することができるように、恵みを与えられたことを感謝します。私たちの中心に、神様に感謝する献身になるようにして下さい。この世にはあまりにも困難を受ける人が多いのです。彼らに福音をあげて、彼らを愛することができる献身ができるようにさせてくださいイエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン (The end) |