2009年4月26日 聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :


1部:前で行われ、後ろで守られる主
(出エジプト14:19-20)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲前で行われ、後ろで守られる主!どんな方式でそのようにされるのか。皆さんが今日、本当に答えを受けなければならない。
(1)多くの宗教もあって、祈れば答えを受けるのに、どういうことなのか。ところで、なぜ聖書にはしてはならないと言われたのか。それが、まさに悪霊の働きであるためだ。それで、ひとまず目の前では働きが起きる。後ほどにはどうなるだろうか。(法事-Iコリント10:20)多くの人が祈って宗教生活するのが間違っているのではない。すばらしいみわざが起きるのに、後ほど問題になる。悪霊の助けを受けるから...皆さんが強盗殺人や泥棒の助けをずっと受ければ後ほど問題が起きる。
(2)イエス様が弟子に一番たくさん説明されたのが何か。
▲世界福音化よりさらに多く説明されたことある。ヨハネ14章、16章、17章、助け主聖霊で働かれるはずだと言われた。これが鍵だ。そして、最後に離れる前になさったみことばが、ただ聖霊があなたがたの上に臨むとき、力を受けて地のはてまでわたしの証人になります。
▲それで、聖霊の内住、導き、満たしは重要な言葉だ。神様が働かれる方法は一つしかない。旧約には、みことばで、みことば受ける時、聖霊で...聖霊が私に働いて下さい!キリストの聖霊が遠くにいる子どもに、今、働いて下さい!これが祈りだ。これを正しく感じるのが聖霊の満たしだ。聖霊の内住、それでほろびることがない。変に他の道に行けば良くならない。聖霊の内住。信仰生活とは何か。聖霊の導き。今でも目に見えなく聖霊で働いておられる。
(3)主の聖霊が働けば、ただ一つの事が行われる。
▲19節だ。イスラエルの陣の前を進んでいた神の御使いは、移って、彼らのあとを進んだ...前後から...今日、皆さんが神様のみことばを受けて、聖霊の感動を受ける瞬間に、主の御使いは前を...信じるように願う。これが事実ならば、心配する必要もない(ヘブル1:14、ダニエル、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ、ペテロ)
▲いつこのようなことがおきるのか。いつ特別な働きが起きるのか
1.神様のみことばが成就する時刻表の中にいる時
▲モーセは、今、イスラエル民族を連れて出てカナンの地に入らなければならない。それで、神様のみことば正しく握る時、聖霊が働かれる。神様は主の使いを必要なところに送って、主の働きを成し遂げられる。
(1)当然のこと-それでモーセ、ダビデ、ヨセフに起きた働きは当然のことだ。
(2)紅海が分かれたことは、私たちが見る時には奇跡であって,
(3)神様がご覧になる時は奇跡ではない。(蟻のたとえ)
2.時代的な契約の中にある神様の要請を握る時
(1)簡単に話せば、必要なこと、(2)必ず未来になること、(3)時代的要請を握ったのだ。
▲それで私たちが働きをする時ごとに、これが神様が願われることに間違いないのか。どんなことが神様のみこころなのか。
3.神様のみこころに合えば行動する時
(1)紅海、ヨルダン-信仰を持って入る時、働き
(2)聖書は、あなたの信仰のとおりなるように。
(3)荒野で信仰がない人はみんな死んだ。
4.結論-皆さん個人に、これからどんなことが起きるのだろうか。
(1)21節、26節-モーセの杖を通して神様の奇跡。皆さんの手に持っている小さいことでも、神様が働いてしまうと、このようなことが行われる。
(2)28節-付いてきたエジプトの兵士が、みなその紅海の中に葬られた。この聖霊の働きを体験してしまえば、皆さんの敵が全部、縛られてしまう。
(3)30-31節を見れば、信仰が生まれないだろうか。それが神様の目標だ。どんな信仰なのか。
1)荒野-これから荒野の道を歩いていくべきなので、十分に勝てる信仰。
2)カナン征服-これからカナンを征服するべきなので、十分にできる力がなければならないから、その信仰。
3)世界福音化-これから、メシヤを送る地で世界福音化をしなければならない。その信仰ができなければならない。
▲聖霊が働けば、主の使いを前後に送られる。いつか。みことばの中にいる時、時代的要請の中にいる時、そのみことば握って行動する時...皆さんが持った小さな杖が世界を動かすようになる。皆さんを困らせた敵が縛られるようになる。皆さんが新しい力を得るようになる。この証拠を握りなさい。今日、皆さんの力で行わずに、この祝福を受けなさい。目に見えない主の聖霊が、完ぺきに満たして働いてくださり、病気も離れるようにしてください。すべての所に主の使いを派遣してください。この祝福を味わうようになることをイエス様の御名で祝福します。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲前で行われ、後ろで守られる主。どんな方式でそのようにされるのでしょうか。皆さんは今日、本当に答えを受けなければなりません。
▲この頃、ニュースにずっと出てきています。前職大統領とお金に関連した問題がニュースに出てきています。パク・ヨンチャ氏という方が、お金を与えたが受けたということです。私たちの秘書が報告しました。その方はキョンサンナムド、キムヘ、チャンユに大きい家を持っているということです。その真上にタラッパンで祈っているミッションホームがあるということです。その家にいつもきて、騒々しいと反対したということです。ですから、私たちのメンバーが、腹が立つから、あの人ほろびると言ったそうです。ところで、その家に専属のムダン(霊媒師)を連れているということです。たくさん考えさせられます。
▲インマヌエル・ソウル教会は、そばに6000人を越えて入れる教会を落札しました。私たちの長老が苦労を多くされているようです。このようにお金を作って準備をしたのですが、そばで困難を与えるようです。本来、落札したら多くの話が出ます。その中で、国会議員が介入しているようです。それも不法にそうなっているから、第1金融圏で約束したお金を貸してくれないのです。4月までに出すと言ったお金を出してくれません。私が直接電話をしなかったけれど、国会の偉い方に連絡をしたが、便りがありません。ファン牧師が報告するのに、便りがないということです。それで、私が思うのに、それではあちらが損なのに、と思いました。今、私たちの教会の説教は100ヶ所で衛星で一緒に礼拝していて、大韓民国で最も大きい衛星です。チョ・ヨンギ牧師が衛星で説教するのは、30ヶ所です。現在、私たちの教会は100ヶ所で共にしています。私が1部説教をすると、海外で3000ヶ所でメッセージを聞こうと入ってきています。そして、RUTC放送を通して多ければ10000ヶ所、少なければ5000ヶ所メッセージが出て行っています。そんなことを知らなければ、自分たちの損です。色々な定刻祈りの時、祈りをよくしました。これからどんなことが起きるのか、これからを見る必要があります。突然、支障が生じるからです。あちこちで大きな困難を長老が受けているようで、このような時、祈りを合わせて良い機会として、また霊的な戦いに勝利をしなければなりません。
▲いったいそれでは多くの宗教もあるのですが、宗教は違っているのでしょうか。多くの宗教が祈っているのですが、答えがあるでしょう。そのように尋ねられて、私たちは正確な答えを知っていなければなりません。一度、私が35坪の地下にいた時、前に垂れ幕がありました。入口に立って執事が週報もくれて、立っているのに、前に垂れ幕が付けてあったのです。書いてあることがすごかったのです。どんな病気でも直せます、場所はどこ。時間はいつ。治療者はどこかの僧侶。病気の人は行くでしょう。何の病気でも直すというのに、それを私たちの按手執事が見て、あれは正しいのでしょうかと尋ねました。正しいから付けておいたのでしょうと答えました。可能ですか。可能だ。どうして可能ですか。ある方が何かの形を作って、お辞儀をして祈っていたがみわざが起きました。ある方が深刻な病気になってムダン(霊媒師)に、グッ(お祓い)をしてもらって、明らかに完全に良くなった。それではそのようにすれば良いでしょうと人々がたくさん話をします。
▲それでは、なぜ聖書には、そのようなことはしてはならないと言われたのでしょうか。それが聖書で最も重要な答えです。確かに皆さんが宗教生活をして、お祓いをして、祈って法事をすれば、みわざが起きるのですが、それが悪霊の働きです。それで、ひとまずみわざが起きるのですが、後ほどどうなるでしょうか。それが問題で、力が現れるようになっています。聖書を見れば、とてもたくさん強調しています。未信者は、拝みます。法事をしなければ、問題が来るのでしょうか。来ます。それでは、法事をすれば、イエスを信じる人々は、法事をしないのに、どうするのでしょうか。法事をしなければ、大変なことになるのに、法事をしなさいとは何の話なのでしょうか。Iコリント10:20節におっしゃっています。拝むのは悪霊にすることです。皆さんの両親が法事で来るのではなくて、皆さんの両親を装った悪霊が来るのです。怖いのです。皆さんのおじいさんをまねをした悪霊が来るのです。それで、日だけ間違っても、家を難しくさせるのです。人々が多くの祈りをして宗教生活するのが間違ったことでない、大きなみわざが起きます。後ほど問題になるのです。悪霊の助けを受けるので後ほど問題になります。皆さんが強盗殺人や泥棒の助けを受けたら、後ほど問題になるのではないでしょうか。
▲イエス様が最も多くおっしゃって説明されたことが何でしょうか。その説明は、世界福音化でなく、それよりよく言われたことがあります。イエス様が初めから、終わりにはさらによく言われたみことばがあります。最も最後には強調されました。それが何か、それを分かれば、祈りの答えを受けられます。イエス様が弟子に最後に強調されました。このようにおっしゃられたのです。あなたがたは、心を騒がせてはなりません。神様を信じて、心配しないように。わたしを信じて、心配しないように。天国が備えられているので心配しないように。そして本論をおっしゃられました。これが重要です。わたしが行けば、あなたがたに助け主聖霊が臨むが、これがカギです。助け主聖霊があなたがたに臨まれて、あなたがたとともに、あなたがたを導くだろう。ヨハネ14章、16章、17章、ずっと強調されました。17章を見れば、この聖霊のいのちの水は、川のようにあふれ出るようになるだろう。イエス様が復活された後に、最も最初に言われたみことばが、聖霊を受けなさい。イエス様が最後に離れる時になさった約束、聖霊に満たされれば、力を受けて地の果てまで証人になります。
▲それでは、2つの答えが出てきます。石にお辞儀をしてもかまいません。これが悪霊の働きで、救われた人は聖霊の働き。何の話なのか分かるでしょう。イエス様が強調されたのがこれです。聖霊に満たされなさい。それで、聖霊が皆さんの前に、救われた者の中にあるから、それを味わうのが重要な祈りです。また礼拝をささげる理由は一つしかありません。聖霊に導かれる最も重要な時間だから、礼拝をささげるのです。皆さんが特別祈る理由も、聖霊に満たされるから、特別祈りをするのです。それで聖霊の内住、導き、満たしはとても重要な言葉です。これが重要です。
▲今日、礼拝時間の前に、ファン牧師がみな同じく礼拝のために祈りましょうと話をしました。その時、何の祈りをしたでしょうか。大部分がじっとしていたでしょう。目を開いて見たら、じっとしているようでした。牧師先生が祈ろうと言うのに、堂会長の牧師が目を開いていてよいのでしょうか。祈りは目を開いてしてもかまいません。必ず閉じてしろという法則はない、そのような気がしました。この方たちが、何を祈ったのだろうか。そうでなければ、そのままだいたい牧師先生の説教のために、あらまし祈ったりじっとしていたのでしょうか。これが何で重要だと思うでしょうが、私たちは実際に祈るというのに、何かをよく知らずにいるのです。
▲私たちのファン牧師がその話をされた時、私は何の祈りをしたでしょうか。神様は働く方法が一つしかなくて、旧約にはみことばで、みことば受ける時、聖霊で...3年間、人のからだを着て来られて、十字架にかかれました。なぜでしょうか。人のからだでなければ十字架にかかることができないからです。キリスト。そのキリストの御名を呼んで祈る者に今、聖霊で...それなら簡単でしょう。聖霊が私に働いてください。主の聖霊が、キリストの霊が、私の考えを掌握してください。キリストの聖霊が、私の痛いところを癒してください。キリストの聖霊が、私の五臓六腑を治療してください。キリストの聖霊が、今、私の産業体に働いてください。これが祈りです。キリストの聖霊が遠くにいる私の子どもに働いてください。これが祈りです。
▲これを正しく感じることが、聖霊の満たし。私は救われておいても、知らずにいるのに、どうしてほろびないのでしょうか。聖霊の内住。皆さん、それでほろびられないのです。聖霊が皆さんの中にいらっしゃるためです。変に他の道に行けばうまくできない聖霊の内住。それなら、信仰生活は何でしょうか。聖霊の導き。それがすべてです。神様は目に見えないために、今でも働いておられます。これが全部です。今日とても重要な本文がここにあります。主の聖霊が働けば、どんなことが行われるのでしょうか。ただ一つの事が行われます。19節です。出14:19節イスラエルの陣営の前を進んでいた、神様の何でしょうか。イスラエルの陣営の前を進んでいた神様の使いが、移って、彼らの後そ進んだ。前後で。今日、皆さんが神様のみことばを受けて聖霊の感動がある瞬間に主の使いは前に。信じるように願います。これよりさらに重要なことはありません。皆さんの後から、前を導き、後から守り、これが聖霊の最も重要な部分です。主の聖霊が、皆さんと一緒におられるから、主の使いが目に、皆さんの後から...ですからどれくらい重要なことでしょうか。これが信仰生活の最も重要な部分です。
▲今日、紅海を渡ることに決断した理由。紅海が分かれる直前、今まで起きたことですが、簡単に今日、一度、祈ってみることを望みます。時間を定めて、主の聖霊が、キリストの霊、主の霊、まったく同じ言葉です。この聖霊が私に働いてください。してみるように願います。時間を定めて、深く、ガンの人々も祈ってみることを望みます。主の聖霊が働いてください。継続してみるように願います。答えが出てきます。この時、最も具体的なことが行われるのですが、どんなことが行われるかというと、主の使いを前に送られます。そして、皆さんの後から働かれるのです。重要です。
▲これが事実ならば、ものすごいことです。ところで事実なのです。これが事実ならば、心配する必要はありません。ところで、皆さんは度々心配するのです。これが事実ならば、祈りとはすばらしいことなのです。
▲主の聖霊が皆さんに働かれる時は、主の御使いが必ず動員されるようになっています。なぜでしょうか。神様の動きにおいて、天使はお使いです。ヘブル1:14皆さんが行く所に目に見られない主の使いが、お手伝いをします。
▲前に私が話しました。実際的に、不思議なことがありました。アフリカ地域に宣教師が宣教をするのに、昼間には暑くて動くことができなにので、おもに勤務を夜にするということです。それで、夜に日が沈む時、宣教師がその地域の官公庁に1ケ月の生活費をもらって帰る瞬間だったということです。木陰に座って飲み物一杯を飲んでいたら、強盗二人が迫ってきて、そのような場合が多いのです。そのまま宣教師が与えたということです。何かされるかと思ったのですが、強盗二人は、取って行ったということです。ある意味、それで良かったのですが、今月、苦労するだろう思ったということです。家に帰ってきて、深夜になったのですが、この強盗がまた訪ねてきたということです。お金を取っていけば良いのに、夜に訪ねてくるのでどれくらい怖かったかでしょうか。そうしたところ、入ってくると顔が違っていました。宣教師先生、とても申し訳ありません。二人がひざまずいたということです。それで、どうして来たのか。私たちを許してくれと言ったのでした。その時、宣教師がどうしたのかと尋ねたら、ひとまず赦しから、はやくしてくれと言いました。許してあげるから、それではもうイエスを信じろと言って、信じることにして、この強盗二人が教会の信徒に変わったのでした。ところで、宣教師は理解ができなかったということです。突然に、お金を盗み出した人々がお金を持ってきて、許してくれと言いながら教会の信徒になったので、さらに怖いことをしようとするのか、そのように考えたということです。さらに不思議に思ったので、尋ねたということです。どうしてかと、不思議で尋ねたら、告白したということです。その金を奪って行くのに、ずっと銃を取った軍人10人が付いてきて、狂いそうだったということです。そのお金をまた戻したら、付いてこなかったということです。そのような事があるのか、私はそのような事をしたことがなくて、させたこともないのに、宣教師が本当に不思議で理解できなかったということです。いつ理解できたのでしょうか。韓国に帰ってきて、宣教報告をし終えた後に、理解できたということです。同じ時間に、この宣教師のために構成された宣教チームが、その10人が祈る時間だったということです。ぴったりその時間と一致するということでした。その時になって、宣教師が、このことだったのかと、強盗がした話が理解できたのでした。私はその事実を偽りだと思いません。見間違ったこととも思いません。それで何かを知っている人は祈るのです。
▲聖書に重要なところごとに現れています。ダニエルが獅子の穴に入った時、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが火の中で入った時、ペテロが監獄に閉じ込められた時、一般の人々は知らないのですが、目に見えなく神様が主の使いを送って、彼らを保護して守ることが行われました。私はその宣教師の証しが、単なる証しではないと思います。皆さんが今日、聖霊が共にする働きを信じて祈る瞬間に、今でも御使いを前に送られるのは、間違いありません。
▲一度は以前に一緒にした長老がおっしゃられました。この方は公務員で、とても忙しい方です。選挙の時には、より一層、忙しい方です。食事も立って食べて、タクシーの中でネクタイを締めるほど忙しくて、その時が休みの時なのに、奥様が見てだめだと見えたということです。この奥さんが、私の夫は、とても苦労するという気がしたということです。それで、子どもたちを起こしたということです。起きなさい、いくら休みでも、起きてお父さんのために祈って、あんな苦労していて病気にでもなれば、どうするのか。10回呼んでも起きない子どもたちが、その時は一度に起きたということです。それで共に祈ったということです。ところで、不思議なことが起きて、少し後で電話がきたのでした。お前、大変なことになるところだった。車に乗って行く時、他の車とタクシーの事故がおきたが、運転手も死んで、相手も死んだが、一人で生きていて、一ケ所もケガしていないということでした。それを見て、神様がちょうどその時間に、これが果たして偶然でしょうか。皆さんが祈る時に起きる、ものすごいことがあるのです。
▲以前に私の娘も、アメリカで車に乗って行くのに、トラックがぶつかってきたのです。子どもは、どこもケガしなかったけれど気絶したのでした。相手が見て、さらに驚いたのです。車を使えないほどだったので、廃車しました。私たちは一般の人々が知らない多いことがあります。聖書は明らかにおっしゃっています。主の聖霊が、皆さんと共におられれば、霊的にすばらしいことが起きます。今日、その祝福を受けるように願います。
▲特に、今日の本文に見ると、いつこういうみわざが起きたのでしょうか。聖霊はいつも私たちと共におられるのですが、いつ特別なみわざが起きたのでしょうか。

1.神様のみことばが成就する時刻表の中にいる時
▲神様のみことばが成就する時刻表にいる時です。神様のみことばが成就する時刻表の中にいる時、今、モーセはイスラエル民族を連れて出なければなりません。それが神様のみことばで、カナンの地に入らなければならないのです。それで、神様のみことばを正しく握った時、その時、聖霊が働きます。その時、神様は必要なところに主の使いを送って、神様の働きを確かに成し遂げられるのです。それでモーセに起きた奇跡は奇跡ではありません。
(1)当然のことです。私はそのように見ています。ヨセフが信仰生活をよくした、私はそのように見ません。当然のことが起きたのです。モーセが行く道に、ダビデが行く道に、みわざがたくさん起きました。当然のことです。なぜでしょうか。神様のみことばが成就する時刻表。私たちの教会が本当に福音を伝える伝道する教会ならば、皆さんが行く所ごとに聖霊が働かれるでしょう。
(2)紅海が分かれて、私たちが見る時は奇跡であって
(3)神様がご覧になる時は奇跡ではありません。
▲今はアスファルトですが、昔にはアスファルトがない地面が多かったのです。大人たちはよく知っているでしょう。ところで、その地面を見れば、穴があって蟻の巣でした。蟻がご飯つぶ一つを発見すれば、蟻が三十匹もついて引っ張っていきます。非常に長いもやしがあれば、数十匹がついて引っ張っていくのです。引いて穴に入れます。それが、ものすごい食糧だから、何日も食べて生きるのです。ところで、私が見る時はたいしたものではありません。ご飯つぶ一つ、もやし、それがすごいのでしょうか。私が、もしもやしを蟻の巣の入口に持って行って置いたとすれば、どうなるでしょうか。私が米粒をつかんで、蟻の巣の入口に持ってきたら、蟻が何と言うのでしょうか。全能者の手が現れたと言うでしょう。それと共に、私たちの一月分の食糧をつかんで置いてくれた。その重くて大きいもやしを置いてくれたと言うでしょう。蟻に記者がいるならば、奇跡が起こったと大騒ぎをしたでしょう。私がそれを見る時は何でもありません。神様が私たちをご覧になる時は、何でもないのです。神様が紅海を分ける。地球をひっくり返すということは、格別なことでもありません。
▲以前に、私の娘が学校に入る前に、私が家に帰ったら悩んでいました。どうしたのかと尋ねたら、ママがリンゴを二つくれて、一つはお兄さんにあげなさいと言ったが、食べてみて、みんな食べてしまったということでした。それが大きい悩みだったのです。だますこともできなくて、吐いて出すこともできなくて、それで、私がかわいい手を握って行って、店に行ってリンゴを一袋買いました。ですから、そのリンゴを持って、私を見つめる目が、パパはすごい。このように見ていました。ところで、リンゴいくつかは、いくらしません。幼い子どもが見る時は、すごいことであって、大人たちが見る時、リンゴの一袋何百円がすごいのでしょうか。神様がご覧いなる時は、紅海を分けて、国を滅亡させて、国を建てることは簡単なことです。今日、皆さんが主のみことばだけ握れば、まちがいなくそのようなことが行われるのです。

2.時代的な契約の中にある神様の要請を握る時
▲二番目、いつこういうみわざが起きるのでしょうか。イスラエル民族が行く道に時代的な契約の中にある神様の要請、これを握ったのです。
(1)簡単に話せば、必要なことを握りました。
(2)必ず未来になることを握ったのです。
(3)簡単に話せば、時代的要請を握ったのです。そうでしょう。
▲それで私たちはあることをする時、神様が願われることに間違いないのかを見るべきです。釜山で教会を準備するのに、二つが出てきました。私たちの都合に合う小さい土地が出てきて、とても大変な今の土地が出てきたのです。どれを選択するかというのは、私たちの手にかかっていました。ところで、今いるそちらは、3500坪を買ったのですが、それを買おうとするなら何億円がなければなりませんでした。天理教のそばの土地は、すでに私たちが買っていました。ところで、作るには何億円が要ります。何が神様のみこころでしょうか。簡単です。私たちは訓練をしなければならなくて、合宿訓練をしなければなりません。その時は核心に全国世界の弟子が集まっていました。簡単なのです。それで、私たちは山の今の土地を高いところを選択しました。そちらで今までどれほど多くのみわざが起きたでしょうか。イスラエル民族が今、カナンの地に行きます。それは神様のみこころです。私たちはむちゃくちゃにするのではありません。神様のみこころならば、皆さんが走り込めば奇跡が起こるのです。

3.神様のみこころに合えば行動する時
▲三番目、いつ起きたのでしょうか。行動する時、神様のみこころならば、行動する時、神様のみこころでなければ行動する必要はありません。私たちの前でも、国家と社会に行動をする時、神様のみこころならば私たちが行動する時、みわざが起きます。
(1)神様が紅海を分けて行けと言われません。紅海に入った時、神様はヨルダン川を分けて入りなさいと言われず、ヨルダン川に入った時、ヨルダン川を分けて入れと言われたら、誰が入れないでしょうか。信仰が必要ありません。
(2)あなたの信仰のとおりになるようにという言葉は、普通の言葉ではありません。
(3)荒野を行きながら、信仰がない人々は、みな死にました。皆さんの教会も、信仰生活も、事業も、この契約を握れば良いのです。
▲神様のみこころがありますが、過ぎながら、今でも後悔する2つのことがあります。ヨンドに行ったところ、大きい山が一つあって、高くなくて低い山がありました。私は伝道しようとずっと通ったのですが、あれを買ってはどうかと考えたのです。それで地主を見たところ、前国会議員でした。それで売るかと尋ねたらすぐ買えと言いました。どれくらい大きい土地なのかと言ったら、使えない土地なのに、二千万円くらいだせば買える土地でした。私が見るのに、大丈夫だと考えたのです。ところで、教会の信徒の専門家たちが集まったのですが、全部反対したのです。建築する専門担当者が反対しました。その土地は使えない土地だ。国会議員、誰の土地なのに、長い間、緑地とされているので、それは絶対に許可されない。それは、どんな場合も許可が出ない。その人が国会議員の時も力がある時も許可されなかったということです。それで買わなかったのです。落ちたのか、二年後にアパートが入りました。あまり専門家の話を聞いてもだめです。今、それを買ったとすればものすごかったのです。それを半分を売っても、正しく座ったまま文化センターを作れたでしょう。もう一つ悔やまれることがあって、結構、長くなりました。チョンアンにハンナラ党が研修院を売り出しました。とても良かったのです。そちらに学校と訓練場を作ればどれくらい良いでしょうか。その当時、どれくらい難しいかわからなくても10億円くらいで出ていました。それを買えば良いでしょうに、十億がどれくらい大きいと見えたのか、その時、買わずにいて後悔しています。もちろん神様の計画があります。そのような考えもしました。結局は、私たちに必ず必要なことではなかったのでしょう。
▲私たちが今日、契約を握って祈る時、皆さんにどんな祝福があるが想像を超越する霊的な祝福があります。

4.結論-個人に、これからどんなことが起きるのでしょうか。
▲結論を結びます。皆さん個人にこれからどんなことが起きるでしょうか。今日、私たちは紅海が分かれたのを見ながら見つけ出さなければなりません。
(1)今日、すべては読まなかったのですが、21-26節に紅海に向かってモーセが手を上げるのに、紅海が分かれ始めたのです。それは、何の話なのでしょうか。モーセは何も持っていなくて、杖一本持っていました。この杖が以前は、羊飼いをした杖だったのですが、その杖が海も分けて、石から水が出てくるようにもさせて、驚くことが行われたのです。皆さんの手に持っているものが小さいことのようであっても、神様が働かれると、このようなことが行われるのです。これを皆さんが個人が受ける答えです。
(2)二番目に紅海が分かれながら、どんなことが行われたでしょうか。付いてきたエジプト人が全部、紅海で葬られてしまいました。皆さんがこの恵みを受ければ、契約を握れば、皆さんを邪魔するすべての暗やみの勢力がみな終わってしまいます。皆さんが聖霊の働きを体験してしまえば、皆さんの敵が全部、縛られてしまいます。間違いありません。14:21-31節にこのように記録されています。こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。
(3)31節に、イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。信仰が生まれないでしょうか。それが神様の目標です。紅海を分けるのが目標ではなく、信仰を植え付けようとされるのです。何の信仰でしょうか。これから荒野の道を歩いていかなければなりません。十分に信じられる信仰、どんな信仰なのでしょうか。これからカナンを征服しなければならないのです。十分にできる力がなければならないから、その信仰を持ちなさい。これからメシヤを送られる地で、世界福音化をしなければならない、その信仰ができたのです。
▲皆さんは、今日、初めから最後までメッセージをよく握らなければなりません。聖霊が働けば、神様は主の使いを前後に先に送られます。いつでしょうか、みことばの中にいる時...いつでしょうか。時代的な要請の中にいる時...いつでしょうか。そのみことば握って行動する時...皆さんが持った小さい杖が世界を動かすようになります。皆さんを困らせた敵が縛られるようになります。皆さんは新しい力を得るようになります。間違いなく、この契約を握りましょう。私は証拠がたくさんあります。話はしませんが、伝道するのに私を困らせる人々が多くいました。一度も弁解したり、対抗したり、尋ねたりしませんでした。申し訳ないのですが、大部分、神様が彼らを呼んでいかれました。釜山で12坪から始まって、35坪から3500坪、一万評に同じようにずっと働いてこられました。私たちはソウルにきて行くところもなかったのですが、宣教センターを与えられました。私たちの神学生が行く所がなかったのですが、神様は大きい神学大学をくださって、他の教団よりはるかにはやい復興をするようにされました。もういよいよ世界を動かす宣教センターをRUTCを神様が私たちにくださったのです。その中で、皆さんがこの席に座っているのです。
▲今日、皆さんの力で行わずに、この祝福を受けるように願います。目に見えない聖霊が、完ぺきに皆さんに満たして働いてくださり、病気も離れるようにしてください。すべての所に主の使いを派遣してください。この祝福を今日、味わうようになることをイエス様の御名で祈ります。

(祈り)
神様に感謝します。霊的な祝福を今日、回復する時間になるようにしてください。神様がくださる答えを正確に待つ信仰を与えてください。今日、霊的事実、科学的なことを握る時間になるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



2部:誇るべきことと誇るべきではないこと
(ローマ2:17-29)


☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
(1)現場にいる人々
1)気落ちした者(堕落者)-前に教会通ってみた、前に通ったが今は通わない
2)教会員のために試みに会ったという人
3)教会に来て試みにあったことがとても多い、それで通いたくないという人
4)重職者も試みにあう人が多い
5)牧師-本当に福音をもって教会を愛するという方々を、たくさん感じることができなかった。
(2)本文-それしか仕方がない理由。よく信じるように見られる。
1)17節-律法を頼りながら神様を自慢する。
2)18節-律法知識を持って、神様のみこころを探す(19)
3)他の人を簡単に非難して批判、他の人は教えるのに自分自身は教えられない。
4)律法を誇り-みことばをたくさん知って、たくさん覚えて、たくさん守って...
5)割礼を誇り(26-27),
6)ユダヤ人を誇り(28)、私たちの教団が最高だと...
▲この六種類の特徴が-全部、肉的である。実際には何の価値もない。
▲今日、皆さんが重要なメッセージ3つを握って行かなければならない。
1.人間の義(誇り)では絶対に暗やみ勢力に勝てない(マタイ16:13-20)
(1)世論
1)エリヤ-神秘主義
2)エレミヤ-博愛主義者
3)バプテスマのヨハネ-社会主義者
4)預言者-宗教
▲この四つの要素がある。しかし、本質ではない。みな正しいが、霊的問題だけは解決できない。全部、肉的である。
(2)あなたがたはわたしをだれだと言いますか-キリスト
▲キリスト-霊的問題、悪魔のしわざ、のろいと災いの解決。神様に会う道
1)岩-皆さんの人生と信仰は岩のようになる。
2)ハデスの力が絶対にあなたに勝つことができない。
3)天国の鍵を与えます。
2.確信
(1)救いの確信(Iヨハネ5:11-13)-キリストが何の話なのか信じられれば救われたのだ。
(2)祈りの答えの確信(ヨハネ16:24)
(3)罪の許し(マルコ10:45)-イエス様がすべての暗やみ、呪いを終わらせてしまわれた。
(4)勝利(Iコリント10:13)-困難がきても勝利の確信
(5)導き(マタイ28:18-20)-わたしが世の終わりまでいつもともにいます
3.失敗-また倒れればどのようにするのか
(1)ローマ7:24-25、私には神様の恵みが必要だな!
(2)Iコリント15:1-10、私が私になったこと、これから生きていくのが神様の恵み
(3)Uコリント12:1-10、自分のからだの病気のためにパウロが深く祈り。これから受ける恵みがとても大きいから神様が少しの間...
4.結論-決断を下すこと
(1)Iコリント3:16、聖霊の内住を味わおう
(2)ヨハネ14:16-17、聖霊の導きを受けるように祝福された存在だ。
(3)使徒1:8、聖霊に満たされるように神様が備えられた存在だ。
▲これを誇って、この祝福持って世界福音化するのだ。それで真の感謝が出てこなければならない。そうでなければ奪われる。この祝福を持って、そのまま勝利することをイエス様の御名で祈ります。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲2部礼拝はローマ人への手紙を通して神学的なもの、教理的なもの、聖書で深いことを調べようと思います。必要ならばタラッパンの初期のメッセージを、可能ならばしようと思います。もちろん、それは私が好きなようにはならず、神様がさせてくださらなければならないのです。皆さんは昔にしたことをしてくださいと言う方が多いのです。いくらしようとしても、皆さんが昔の人ではなくて、たくさん学んだ方なので、そのメッセージが出てこないのです。
▲前回、フィリピンに行った時、国会議長、警察庁の長官が来られました。そこでメッセージをしてくれと言われたのですが、その時は、自然に初期のメッセージが出てきました。メッセージでは嘘をつけません。1、2部、2度の礼拝をささげるのですが、同じ内容で礼拝をささげようとしても、私はできませんでした。帰ることもせず、同じ人が座っているのに、状況が違うのに、同じはずがありえません。朝には皆さんが顔を洗ってから、いくらも経たなくて、目を覚ましていますが、今は眠たいでしょう。とにかく、可能ならばローマ人の手紙を持って探してみようと思います。
▲今日の本文は誇るべきことと誇るべきではないこと。誇るという言葉は、自分の中にあることなので、とても重要です。
▲私はこういう人をたくさん見ました。以前、教会に通ってみたと言う人。言わば気落ちした人です。私は前に教会に通ったが、今は通わない。堕落者と言えるでしょう。こういう人々が結構います。また、ある人はこういう人がいます。教会に通わない人の中で見れば、教会の信徒のゆえに試みにあった。そのような人が結構います。教会に通う人のために試みにあった。ある重要な財閥の家族に伝道したのですが、恵みを受けました。そのお父さんに話したところ、びっくりしながら、絶対に教会には行くな。なぜそうかというと、今まで私に大きな詐欺を働いた奴は、全部、長老か、そうでなければ執事だったということです。その人の言葉がみな正しいと見ることはできません。しかし、その人は、そのように話したということです。また、私たちの実力あるレムナントが福音を受けたのですが、両親が信じません。そのお父さんもとても成功した方なのに、この方も言うのが、教会の信徒は正しい人でないからと絶対に反対したということです。今は、私の妻の両親はよく信じていますが、昔に私の妻の父が教会には行かないと言いました。理由が何かというと、私の妻の父が大切にしていた革の手袋を執事が盗み出したということでした。それも一緒に仕事をする職場で、私の妻の父は、嘘をつく人ではありません。執事が盗み出したのは確実です。ですから、教会には行かないと言っていました。また、こういう人が多いのです。教会にきて試みにあう事がとても多い。通いたくない。こういう人が多いのです。私はたくさん見ました。長い間、信仰生活をしたのですが、ほとんどの外で気をおとしていたり、教会の信徒のゆえに教会に通わない人もいるのですが、教会の中にいる人も揺れる人がいっぱいです。これが事実ではないでしょうか。私は幼い時、見たのです。そして見れば教会の中を詳しく見れば、重職者も試みに会っている人が多かったのです。重職者は、教会を生かさなければならない方なのに、そういう方々が試みにあっている方々が多いのです。争う方々が多かったのです。こういう部分が事実なのに、それでよいのでしょうか。そして、私は皆さんに会う前まで、今まで牧師だけたくさん会いました。そのような方々が、本当にあの方は本当に福音を持って教会を愛するんだな、このように感じることができませんでした。前に話したように、一度は釜山で女性の勧士を連れて遊びに行きました。私は驚いたのです。ひとまず、私のところに来ました。来て、こっそり話しました。今まで賛美をとてもたくさん歌ったから、今日は遊ぶので、賛美を歌わないで世の中の歌だけ歌えばどうでしょうかと言ったのです。良いですよ。それで、次々、出てきたのですが、私は率直に、衝撃を受けたのです。本当に上手でした。上手なことに衝撃を受けたのではなく、静かに歌を歌う顔を見たのです。教会で賛美する時、その幸せな顔ではなかったのです。衝撃を受けました。それで、さらに衝撃を受けた理由があります。その姿を見ながら、もしかしたら私と同じだろうと思ったのです。私も昔に本当に祈りの力を知らない時は、賛美と祈りに対する魅力を知りませんでした。
▲今日、皆さんが本文を静かに見れば、それしか仕方がない理由が出てきます。ユダヤ人がよく信じたのですが、なぜ滅びたのでしょうか。時代時代ごとに、キリスト教は何の力もありません。なぜそうなったのでしょうか。この頃は、もっと世界教会が揺れているのですが、なぜそうでしょうか。私たちは教会堂のために祈っているのですが、そのようなことを作ってはいけません。
▲それに対して今日の本文にパウロが指摘します。驚くべきことに、あまりにも全く同じです。よく信じるように見られます。今日どのように出てきたのか見てみましょう。17節には、律法に頼って神様を誇る。いやどれくらいよく信じるように見られるでしょうか。律法に頼って、神様を誇るのです。あなたたちは違っているが、私はこのようにして神様の恵みを受けていると誇るのです。また18節にはなんでしょうか。神様のみこころを見つけるのも、福音ではなくて律法知識を持って神様のみこころを見つけるのです。今、大部分がそうです。聖書を詳しく見てもそうで、今でもそうです。そうしておいて、盲人の案内人だと話しています。律法に頼って神様を誇って、律法の知識で神様のみこころを発見するのに、どのように霊が暗い盲人の案内人をするのでしょうか。それと共に今日の本文に出てきました。他の人を簡単に非難して批判します。それなら、あなたはなぜそのような事をするのかということです。今日、その話です。簡単に、人を批判して、それと共に自分はなぜそのような罪を犯すのですか。そして、他の人を教えるのに、自分は教えられません。そして、今日、ここを見れば律法を誇ります。私たちはみことばをこのようにたくさん知って、みことばをたくさん覚えて、みことばをたくさん守ったと言います。今日、すべては読んでいませんが、26-27節に割礼を誇ります。話になるでしょうか。割礼を誇るのです。今日、何と同じかというと、今日、私が特別によく信じる人だと、賜物を受けて誇ります。そして、ユダヤ人であることを誇るのです。28節を見れば出てきます。これが何の関係があるのでしょうか。ある教会は、私たちの教団が最高だと言います。私たちの教団がトップの教団だと言うのです。事実、話にもならないことです。こうするから、ずっとこういうことが起こるしかありません。
▲6つのことを本文から抜き出しましたが、本文の6つの特徴は何でしょうか。神様を信じる皆さんが見る時、違った話の特徴が何でしょうか。ユダヤ人であるから、ユダヤ人を誇って、割礼を受けたことを誇って、律法をよく守っていることを誇って、他の人の誤った点を批判して、そして、知識があって、そして、神様の律法を握っているから多くの証拠があるから誇って、この特徴が何でしょうか。全部、肉的なのです。だから、実際には何の価値もありません。
▲今日、皆さんが重要なメッセージを3つ握って行かなければなりません。

1.人間の義(誇り)では、絶対に暗やみの勢力に勝てません。
▲人間の義では、人間の誇りでは、絶対に暗やみの勢力に勝てません。勝てないではなく、絶対に勝てません。皆さんに迫ってくる霊的な問題に絶対に勝つことができないから、福音を与えられたのです。
▲イエス様が一番最初になさったみことばが何でしょうか。皆さんがこれを知らなければ、開始になりません。イエス様がこの質問をして、ペテロが答えた時、本当の話をされました。イエス様が病気も直して、救済もして、みなした後で尋ねられたのです。ところで、ほとんど違った返事をしたのですが、ペテロが良い返事をしました。この時から、イエス様が十字架にかかられると、これからの重要な話をされたのです。今日、皆さんがここに対する確信がなくては、暗やみに勝てません。
(1)人々がわたしをだれだと言いますか。おもに世論です。
▲人々が何と言うのか。ですから、何と答えるのでしょうか。イエス様を見て、エリヤのようだと言います。イエス様を見て、おもな報告はエレミヤのようだと言います。おもに、ある人はバプテスマのヨハネのようだと言います。ある人は、イエス様を見て預言者のようだと言います。この四つの要素があります。しかし、本質ではありません。これは通常の話ではなくて、皆さんが見る時、とても重要な言葉です。不思議に私はイエスをよく信じて教会に熱心に通うのに、なぜだめかということです。これを見つけ出さなければなりません。
▲皆さん、少しでも福音よりはエリヤのような神秘主義があれば、不思議に答えが正確に来ません。ところで、これを人々が分からなくて、これをよく信じることだと教える人もいます。私は驚いたのです。これになる人々を見れば、霊的問題があって、苦しくて行く人々が多いのです。牧師先生、何を言われているのでしょうかと言わずに、眠たいでしょうが、よく聞かなければなりません。人々はこのようになれば、不思議に問題が解決しません。ところで恐ろしいのは、知識人の中でこちらに行っている人々が多いのです。驚くことです。知識人の中でしっかりしているように見える人々が、このように礼拝をささげながら、つまらなくて喧嘩する所に行かなければならないのです。教会史的に、いくら起きてもみな崩れました。こういう人が相当多いのです。ところで、今まで韓国の最高の人々、財閥夫人と検察総長のロビー事件が起きたでしょう。問題になるから、話をしないわけにいかず、高い服をいつ与えたか、どこで与えたか、問うようになったのです。そのことに、私もびっくりしました。贈り物にコート与えたそうですが、それをどこで与えたかということです。新聞を見ていないのでしょうか。ハレルヤ祈梼院でした。本当に、「あっ」と思いました。ハレルヤ祈梼院が誤っているということではありません。行ったのが悪いということでもありません。しばしば行くのに、そこで会おうと与えたのでしょう。この方たちは、そのようなところに行くんだな。酒場で与えたと言えば、一杯ずつするんだな、このように知ることができます。幸いに、ハレルヤ祈梼院は何をする所でしょうか。神秘主義する所です。教会で礼拝をささげるのが安らかでなくて、特別塾の授業を受けなければならないということです。塾の授業を受ける時は、自分のキャラクターによって受けます。牧師先生、それでは、ハレルヤ祈梼院が誤っているということですか。それはよくわかりません。ひとまず、2つのこと気に入りません。無条件に人を爪でひっかくということは、ちょっと考えてみなければなりません。祈祷院の女の方の顔が、全く願う理想型ではありません。その他はよくわかりません。
▲エレミヤのようだと言います。こういう信仰生活をする時、エレミヤはおもに何をしたのでしょうか。とても涙たくさん流して、苦しむ預言者でした。博愛主義者。キリスト教は、よく聞かなければなりません。ここにたくさん学んでいる方々もいます。博愛主義思想がないことではありません。ところで、博愛主義はキリスト教の福音の本質ではありません。こちらへ行っている人々が違っているということではありません。明らかなのは、私の本当に根本的な霊的な問題は解決しません。これのために。牧師先生、それが何のことばですか。皆さんは賢いから、よくわかるように願います。私が知っている親戚の中で、よく暮らしている方がいます。信仰生活をよくする方です。我が家でこのように話をします。私は教会に行きたくない。なぜか、教会に行けば試みにあう。なぜですか。今回、牧師先生が車の良いものを買ったが、試みにあって行けない。何は話なのかわかりました。それで尋ねたのです。あなたは車はないのか。ある。あなたはなぜ車に
乗って通うのか。たんに車がなければならない。職場も近いのに、自転車に乗って通ったらどうなのかと話をしてあげました。私が分かることでは、あなたの教会の牧師は、全国にたくさん通う方だと思う。それでは、重職者であるあなたがしっかりして、たくさん通う方はたくさん通っても大丈夫な車を買いなさい。ちょっと危険なところに通う方であるから、強固な車を買ってさしあげなさい。そして、あなたは職場がすぐ家の前にあるので、軽自動車に変えなさい。その思想がどこから出てきたかというと、ここから出てきたのです。指導者は貧しくなければならず、困難を受けなければならず、それが恵みになる。こういう思想です。本当に良い言葉です。必ずそうなのではありません。釜山市内で、チェ・ヨンヒ牧師を知っているでしょう。牧師先生は、いつも冬にも黒いぞうりを履いて通っていました。教会の信徒が、それゆえに、どれくらい尊敬するのか分かりません。尊敬することではありません。しもやけになります。こういう思想が、すべて博愛主義から出ることです。そして、医師の中の1人が、とても影響力ある部分が青年たちを集めて講義よくするのに、キリストが弱いのです。しかし、青年たちが動きます。私が見る時には博愛主義者です。普通の影響ではありません。チャン・キリョ博士がそうです。とても立派な方です。ところで、博愛主義者なのです。博愛主義自体が誤っているということではありません。どんな場合も、暗やみには勝てません。
▲バプテスマのヨハネのようだと言いました。バプテスマのヨハネは、最後に罪を指摘して死んだ、社会主義者です。そのように見ることもできます。ある面では、教会は国家が間違った時、話すこともできるでしょう。それは本質ではないのです。
▲預言者のようだと言います。教会が宗教なのですが、宗教主義者ではないのです。ここはソウルです。水準が高いカンナム、トゴクトン、テチドンのレベルが高い人々です。これがわからなければ、大変なことになります。
▲みな正しいのですが、霊的問題だけは解決しません。これは、全部、ここに値する言葉です。霊的な目が開かれてわからなければなりません。全部、正しい言葉なのに、肉的な話です。霊的なことを肉的に体験するのが神秘主義です。肉的なことを節制するのが博愛主義です。私たちは肉的なことに挑戦して戦う、これが全部、こういう社会主義です。イエス様が残念だったのです。
(2)あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。だれも返事できませんでした。すると、ペテロが、あなたは生ける神の御子キリストです。
▲人間は神様に会えません。その神様を説明しに来られた方で、生きておられる神様の御子です。その話です。バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。あなたは頭が良いなと言うべきなのに、幸いです。バルヨナ・シモン、あなたの教派はどこか。そのように尋ねられたのではありません。バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。私たちはこういうことを悟れないで、つまらないことを持って争うのです。つまらないことに時間をみな送ります。想像以上に多いのです。牧師、長老、多くの教会の信徒が、損をすることに時間みな過ごします。バプテスマを与えようとするなら、水に浸けなければならない。違う。大丈夫だ。水を振りかけてもかまわない。そんなことで争います。教会の信徒は混乱するのです。正しく信じようとすれば、水に浸けなければならない。違う。ペテロは、一日に三千回バプテスマを与えたのに、どのように浸けるのか。振りかけた。コルネリオの家に、どこに池があるだろうか。振りかけた。違う。それでも、水に入らなければならない。その人々は、バプテスマ・ヨハネと読みません。浸礼ヨハネだと読みます。そんなことで争うのです。正確に尋ねましょう。バプテスマを受けなければ救われないのでしょうか。一方の強盗が、私たちには罪があって死ぬが、あなたは罪がないのに死にます。主がパラダイスに入られる時、私を思い出してください。その時、イエス様がバプテスマを受けたのか、受けなかったのかと尋ねませんでした。教派はどこか。水に入ったか、振りまいたのか。尋ねられませんでした。ただ、あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。キリストを正しく知れば、すぐに救われるのです。水に百回浸かっても、キリストを知らないなら、服だけ濡れるので、何の効果もありません。情けないことです。教会の信徒が惑わされてきたのですが、時間みな過ごしてしまいます。そうならば、時間がたつほど霊的問題がきて、時間がたつほど、なることがありません。
▲あなたは、生ける神の御子キリストです。バルヨナ・シモンあなたは幸いです。
▲あなたは岩です。あなたの信仰の上にわたしの教会を立てます。ここに教会をたてると言われていますが、わたしの教会をわたしが立てると、原文にはなっています。原文には、わたしの教会をわたしが立てる。皆さんがこの告白をしてしまえば、皆さんの人生と信仰は岩のようになるでしょう。
▲そして、ハデスの力があなたに勝つことができない。原文の意味には、そのようになっています。ハデスの力は、絶対にあなたに勝つことができません。
▲わたしがあなたに天国の鍵を与えます。地で解けば、天でも解かれます。ものすごい祝福を、こういうことをみな抜いて、毎日....パウロが苦しくて、パリサイ人を見て言う言葉です。どのように、信じるのですか。割礼を受けたことまで誇るのです。ある時には、どこまで言うのでしょうか。イエスを信じても、割礼を受けなかった人は救われないと出てきたのでした。人間が霊的なことを知らずに、肉的なものだけしていると、このようになります。これで終わるのではありません。

2.確信
▲今日、確信を持つように願います。なぜ確信を持たなければならないのでしょうか。病気もおもに目が覚めている時より、うとうとする時にかかります。本当です。肉的にもそうです。風邪も、寝て起きてかかることが多いので、走ってかかることはあまりありません。人間は寝る時が問題です。そして、うとうとする時が問題なのです。霊的にも同じです。霊的にうとうとしていれば、悪魔が飛びかかってきます。皆さんに、あえてどのように勝てるでしょうか。うとうとする時です。どのように勝てるでしょうか。揺れる時。軍隊行ってみなさい。北朝鮮の近く歩哨に立つ時、うとうとすれば死ぬ。すべて持っているのに、あなたは岩です。みんなもらったのに、確信がないのです。それでは、今から確信がなくなっていっても救われているのですが、悪魔が最後の時、触るのです。スリは、どこにでもしません。私のような人はしません。私は一度もやられたことはありません。何か眠たい人にスリをするのですが、犬もどこにでもおしっこをしません。清潔な部屋におしっこはしません。何か陰気なところにするのです。奥まっていたところで足を上げます。悪魔が誰でも触るのではありません。救いの祝福をみな受けたのに、揺れる時に触るのです。揺れてはいけません。
▲何に対する確信なのでしょうか。
(1)私は救われたのか、救われていないのか分からない。私は体験もなくて、私は救われた体験がない。こういう人が多いのです。私は救われたのかもしれませんが、体験がありません。ある人は神様に会ったと言うのですが、私は体験がなくて...それがにせ物です。神様に会ったという人はにせ物です。行って会うのでしょうか。そのようなことを教える教会があるのですが、それは誤っているのです。会えません。さ迷うのが正常です。牧師先生、私は体験がありません。体験することはありません。ある人は、教会に行ってイエス信じた後、涙を流す人もいるのですが、それは泣き虫なので、何にも関係がありません。牧師先生、ある人はイエスを信じてぶるぶる震える人がいたのに、私は何もありません。心配しないでください。ぶるぶる震える人は、中風の気があるからです。また証拠は、これです。証拠は一つしかありません。御子がある者にはいのちがあって、御子がない者にはいのちがない。これが何の話でしょうか。イエス・キリストがいる者は救われたのです。だまされるなと出ています。皆さんがキリストが何の話なのか信じられれば、救われたのです。キリストが何かを分かってこそ、キリストが必要ですが、イエスがキリストとして来られたんだなあと分かるようになります。
(2)この時から、二番目の確信がくるのです。それからは、この確信があるだけ、祈りの答えの確信が与えられます。ヨハネ16:24、わたしの名で求めなさい。そうすれば受けるでしょう。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものになるためです。
(3)この時から皆さんの過去、すべての暗やみ、みな終わったことを知るようになります。マルコ10:45皆さんの呪いをイエス様はみな終えてしまわれました。そこに留まっていてはなりません。ところで、みな留まっているのです。私はお金もなくて、力もない。留まっている必要はありません。貧困の呪いが終わってしまったのです。挑戦しなさい。この契約を握って、なぜか終わってしまったからです。何のために、過去に陥っているのでしょうか。終わったのです。すべての呪いを十字架に釘づけてしまったのです。困難がきます。
(4)勝利する確信があります。Iコリント10:13神様は耐えられるほどの試みを与えられるのです。その試みも避ける道をくださいます。十分に越えることができます。記憶しなさい。大きい試みがきた。大きい人物です。小さい試みがきた。小さい人物です。じめじめした試みがきた。じめじめした人物です。大きい問題が押しかけた。それは大きいことが残っているのです。必ず勝利させてくださいます。
(5)そして、皆さんを世の終わりまで導かれます。マタイ28:20わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。

3.失敗-また倒れればどうするのでしょうか。
▲三番目です。それでも、一回、倒れる時はどのようにするのでしょうか。倒れます。そうしておいて、また倒れれば、どのようにするのでしょうか。私たちのレムナントも失敗することがあります。とても、しばしばするでしょう。あります。このような時、どうするのでしょうか。
(1)ローマ7:24-25パウロが話しました。私たちはおもに、みっともない時、嘘をつきます。嘘は言わなくても、良いことだけ話します。パウロがこういう証しをしました。私はなぜこうなのでしょうか。なぜ私の中に二人がいるのでしょうか。私は神様の思い通り生きたいのに、なぜそうなのでしょうか。私は本当に神様のみこころを行いたいのに、悪が出てくるのです。こういう話をすることができるでしょうか。パウロが言いました。それで何と言ったでしょうか。キリストをくださった神様に感謝します。皆さんが失敗をした時も、悟らなければならないことは何でしょうか。キリストの恵みでなければ、私はできることがない。それで新しい力を得るようになるのです。このようになるために、神様がキリストを送って、私を救われたのだなあ。
(2)Iコリント15:1-10私は罪人の中の罪人だな。しかし、私が私になったことは、恵みを受けたこと、これから生きていくのが神様の恵みだな。私は神様の救いを受けたのに、からだが病んでいるのです。子どものためにそのように祈るのに、病気も良くならなくて、問題解決もできません。
(3)Uコリント12:1-10パウロがこれのために深い祈りをしたのです。これからパウロが受ける恵みが、ものすごく大きいから、神様が少しの間、これが皆さんが受けた祝福です。それで、私の義を誇ることはありません。億万の罪悪の中で死んでいた私を、神様が救い出されたのです。それは、何の話でしょうか。これからも、どんな状況がきても滅びないということです。今までしてきたのが神様の恵みです。それが何の話でしょうか。これから私たちが行く道に、険悪な歳月生きていく道に、神様が恵みをくださるのです。それなら、聖書よく見ましょう。

4.結論-決断を下すこと
▲最後に出さなければならない決断があります。
(1)最初です。聖霊が皆さんの中にいらっしゃいます。これを味わいましょう。他のことはありません。聖霊が皆さんの中にあるから、他のことはだめです。ほろびる資格がないのです。ないのに、度々ほろびようとすれば、殴られるのです。皆さんの運命は神様の祝福を受けなければならない運命なのに、度々受けないとするので殴られるのです。言葉をはやくわからなければなりません。皆さんは救われた子どもだから、いくらもがいてもだめです。神様の恵みの中で祝福を受けてこそできるのです。神様の子ども。
(2)ヨハネ14:16-17皆さんは聖霊の導きを受けるように祝福された存在です。
(3)聖霊に満たされるように、神様が備えておかれた存在です。
▲これを自慢して、この祝福を持って世界福音化するのです。それで真の感謝が出てこなければなりません。自分の周囲に感謝するだけのことはあるのにも、しない人が多いのです。それでは奪われるのです。私たちがどれくらい感謝することが多いでしょうか。なぜか、今、これをもって失敗しているといっても、今、勝利するのです。この祝福を持ってそのまま勝利することをイエス様の御名前で祈ります。そばの人を見て祝福しましょう。あなたは普通の人ではありません。うとうとしている人は目を覚まして話してください。あなたは最高の祝福の人です。
(祈り)
神様に感謝します。私たちにくださった契約をのがさないで新しく始める祝福をください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)