2009年5月17日 聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :


1部:主の栄光を見る
(出エジプト記16:1-12)


☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲苦難を受けているイスラエルに主の栄光を見る。
(1)イスラエルの民がとても貧しくて食べることがない状況がきた。この話は、最も基本的なことがないということになる。こうするからつぶやきが5回も出てきて(2節)、エジプトに帰ろうとエジプトを慕って(3節)、モーセとアロンを恨んで神様を恨んだ(8節)。
(2)この時、モーセが神様があなたがたに食べ物をくださるだろう(8節)
(3)ここに二種類の人が出てきた。
▲貧しさに陥って死んだ人々(恨んで荒野で死んだ)、貧困に勝った人々(全部成功、カナンの地に入る大きい祝福を味わった)
▲今日、ここに主の栄光を見ることになる。これが何の話なのか。
1.つぶやかずに祈りなさい。
(1)祈りを見なければならない。
▲母の祈りを通してすべての困難をみな通過するのを見た。
(2)私も悟った後で祈りを味わうようになって,
(3)祈りを伝えるようになった。
▲つぶやかずに、祈りなさい。本当に祈れば、答えられる(詩142篇、ダビデの祈り)皆さん、本当に祈ってみたのか。貧しさが迫ってくればつぶやかずに、困難が迫ってくれば、これを解決してみようと人の前でせずに、本当に祈ってみなさい。主の栄光が見るようになる。
2.欲張らずに感謝しなさい
▲主の祈りにも、日用の糧を与えてくださいと祈りなさい。それは、神様の民が食べ物を心配するな。欲を働かせるな。主の栄光を見るようになる。
3.さらに重要なこと-安息日を守りなさい。
(1)つぶやかずに、礼拝に成功しなさいという言葉だ。
(2)神様が与えられる力を得なさい。
(3)主が与えられる未来を握りなさい。
▲礼拝をささげる中に、これが私の答えだな!見つけなければならない。神様が私を未来に向かって、これをくださるんだな!見つけなければならない。これを尋ねること自体が答えだ。それを見つけること自体が信仰生活だ。答えを見つける礼拝がどれくらい重要かわからない(新しい村研修院の教授、イ・ジング長老、連合鉄鋼チョン・デスン執事の証し)皆さんが本当に力を得るということは、会社も住かされて、みな生かされるのだ。
4.結論-あなたがたは主の栄光を見るだろう。
(1)エジプトから救われた者は絶対にほろびないで荒野を通過するようになる(12節)
▲皆さんが気をおとさずに祈ってみなさい。主だと思うだろう。
(2)必ずカナンの地を回復するようになる。
▲この契約の箱が行く所ごとに働きが起きた。ヨルダンが分かれて、エリコが崩れて...カナンの地を見るようになる。
(3)今はメシヤに会うようになる。
▲カナンの地にメシヤを送って、メシヤに会うようになる。
▲夫のために悩むな。神様に祈れば良い。主の栄光を見るようになる(ローマ8:32、エペソ1:3-5、ローマ16:25-27、ヨハネ15:16、ローマ8:31-39、創世前に私を呼ばれた。奪う者はない-運命、サタンの権威、地獄の権威は完全に終わってしまった)
▲成功者と失敗者の差は何か。小さいことに対する感謝と満足がない。感謝を見ないのだ。しかし、成功者は小さいことにも感謝がある。
▲貧しいと、問題がきたと、気をおとすな。本当に神様に祈れ。荒野を行く間にどのように問題がないだろうか。世の中を生きていく間にどうして気楽に行くことができようか。しかし、神様は変わりません。今日、皆さんがこの祝福を受けて、永遠に次世代にまであるようになることをイエス様の御名で祝福します。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲苦しみにあっているイスラエルに、主の栄光を見る。あなたがたは、主の栄光を見ると言いました。
▲先週、KBS放送を見たら、実際にある家庭に対することを見せていました。皆が残念に思う心で見たでしょう。お父さんが病気になって、仕事ができなくなりました。病院に行くお金もありません。ですから、難しいのです。ところで、お母さんが病気になったのです。病院に行って手術をしなければならない、こういうことが行われました。息子二人がいるのですが、高校生なのに、自分たちがアルバイトをしていました。お母さんに会いたいが、お母さんが退院すべきなのに、退院させるお金もありません。この子たちが借りに通ったのです。そして、普通の子どもたちならば勉強もしないのに、大学に行こうと昼間にアルバイトをしていました。アルバイをした後、夕方には塾に行くべきなのに、時間が合わないで、時間を合わせてもがく子どもたちを見ながら、すごいという気がしました。ところで、この子が力が抜けたのに、両親の前では絶対に力が抜けていない姿を見せるのです。そんなことを見ながら、どのようにあのようなこともあるのか。どれくらい難しいだろうか。あの子が神様を知らないでしょうに、どのように困難を勝ち抜くかのと考えて、手助けしたいという気がしました。
▲そのように難しい中でも、家庭のために事を成して、みなしています。皆さんは、貧しさのために苦労してみたことがあるでしょうか。とてもとても貧しくて。それは普通の苦しみではありません。
(1)今日の本文にある通り、とても貧しくて食べることがない状況がきたのです。
▲食べることがないということは、最も基本的なことがないということです。こうだ、ああだという以前に、食べ物がないということは、人間の最も基本的な権限が剥奪されることです。こういう困難にあってみたことがありますか。
▲私は幼い時にそのようなことがありました。私の父が早く亡くなったのですが、とても大きい困難がきました。なぜか名節(韓国固有の盆・正月)に亡くなりました。名節(韓国固有の盆・正月)に亡くなったので、隣人が来ません。親戚が何人かきて、教会の信徒がきて。人が病気になれば、そうなります。死ぬ日も思いのままにできません。とても難しかったので、葬式をするのも難しかったのです。私はその時じっとしていました。幼いから。どうしようもありませんでした。私が6年、中学校1年の年でした。とてもあきれてじっとしていました。町の大人たちが私を見て、何と言ったかというと、あの子は人情がないと言われました。どうして、お父さんが死んだのに泣くこともないのかと言われたのです。内心、大人たちが分別がないと思いました。必ず泣いてこそ泣くのではありません。私は幼い時、あきれてじっとしていました。それと共に、どれくらい困難が継続されたのかわかりません。家長ひとりが崩れれば、そうなります。とても難しかったのです。ほとんどみな、耐えて越えました。
▲今日、イスラエル民族が食べるものがないから、今日の本文を短く読んだのですが、つぶやきという単語が5回も出てきました。その程度でなく、エジプトを慕いました。エジプトでまた動き始めたら良い、エジプトでご飯は食べなかったのか。食べ物がなくて、ずっとお腹がすいていればそうなります。モーセも恨んで、神様も恨んだのです。
(2)この時、今日、モーセが神様のみことばを与えるのです。あなたたちが神様に食べる肉とご飯をくださるだろう。
▲神様があなたをエジプトから導き出されなかったのか。今日13-14節を見たら、神様がうずらとマナを送って食べるようにされました。記録を調べてみると、うずらとマナは今でも可能だということです。今でも時期によって、うずらが飛んできたり飛んで行ったりもするということです。今でも特別なところでは、マナは見られるということです。どれだけ正確な記録なのか分からないのですが、英国の有名な学者、ウィリアム・パークレイという人がそのように記録しました。そのようなことがあるでしょう。神様がその時間にうずらとマナを集めて、イスラエルが食べるようにされたのです。荒野の道が終る時まで...
(3)ここに二種類の人が出てきました。
▲とても貧しくて、難しくて、貧しさに陥って死んだ人々は、ほとんどみな恨んで事実上、荒野でみんな死にました。貧しさに勝った人は全部成功しました。貧しさに勝った人々は、カナンの地に入る大きい祝福を味わうようになったのです。
▲私は神様に本当に感謝します。最も重要な時期に、貧しさを通過したのですが、貧しさに陥らなかったのが神様の恵みです。大部分の子どもたちは陥っていました。私はお小遣を一つも使いませんでした。まったく使うつもりがなかったのです。全く表に出ないように食べていませんでした。それでも、貧しさに陥らなかったのです。本当に幸いな神様の恵みです。そのせいで、胃とか、身長とかが、全部、標準になりました。今でも健康維持するには便利です。お金に目が見えなくならないこと、神様の祝福です。そうかと言って物質に粗末なのではありません。神様がこういう困難をみな通過するようにされたのです。
▲今日、神様がくださるみことばをよく握らなければなりません。こういう困難の中で、神様がおっしゃるのに、あなたがたは主の栄光を見るようになる。夕方にはエジプトから連れ出されたことを知るようになり、朝には栄光を見るようになる。夕方には肉を食べて、朝にはパンを食べるようになる。さらに重要なのは、雲の中で主の栄光を見るようになる。あなたがたは、わたしが主であることを知るようになる。こうしながら、とても重要なみことばを与えられました。皆さんが、貧しかったり、困難にあうこともあるでしょう。そのようなレムナントもいるでしょう。私たちのレムナントは、さらに苦しいこともあるでしょう。親の下で育たなければならないから、環境がよくなければ、さらに苦しいこともあるでしょう。
▲今日、主の栄光を見るようになる。つぶやいたことに対して叱責されませんでしたが、2度も主の栄光を見るようになる。これが何のみことばなのでしょうか。ここには重要なみことばが入っています。

1.つぶやかずに祈りなさい
▲うずらとマナを食べるようになるので、つぶやかずに祈りなさい。皆さん、本当に祈ってみたことがありますか。
(1)祈りを見なければなりません。
▲私は祈りを見ました。祈りを見なければなりません。皆さんの実力がハーバード大学やソウル大学より劣ることもあるでしょう。しかし、その方たちより重要なこともあります。それがなぜでしょうか。基本的なことを見せられます。いくらハーバード大学に行って勉強しても、基本的なことを見せることができないのに、皆さんは見せられるのです。ソウル大学で優秀に勉強して、実力はあるのに、基本的なことを見せられません。私は基本的なことを見ました。私の母が、昼間に仕事を始めました。なぜなら、私たちを勉強させて生活しなければならないから。そして、私が知っているのでは、一日も欠かさず祈りました。それを見ました。それが簡単なことでしょうか。私の母は、それが簡単だったのです。昼間に一日中仕事をしてきて、私たちに食事させて、服を準備して、そばの教会に行って夜中祈っていました。それを一日も欠かさずに。そのような困難を耐えることができなくて、私が揺れて堕落するから、私を置いて一日も欠かさず祈りました。実際にひざまずいてどれくらい祈ったのか、両膝に真っ青なアザができたのです。それですべての困難をみな通過しました。私はそれを見たのです。
(2)分別がない時は知らなかったのですが、私が神様の恵みを受けてからは、私も祈りの奥義を味わうようになりました。
(3)そして、祈りを伝えることができました。
▲つぶやかずに祈りなさい。神様の栄光を見るようになるので、本当に祈りなさい。そのみことばです。本当に祈ってみたことがありますか。本当に祈れば答えがきます。本当に祈りとは何でしょうか。例えば、代表祈りも本当に祈りでしょう。集まった時に祈るのも本当の祈りでしょう。ところで、今日は、その話ではありません。本当に祈れば、答えを受けます。
▲私は詩142篇を見ながらダビデの祈りを見ました。詩篇142篇は、ダビデがどこで祈りながら書いたかというと、洞窟の中に隠れていたときに王が殺しに探してきたのです。悪霊につかれた悪いサウル王が、ダビデを殺そうと軍隊何千名を連れて来たのです。悪い臣下は、ダビデを殺さなければならないと話します。大統領を数年するのにもへつらう人がいるのに、王になれば一生です。もし、サウル王が死んでダビデが王になれば、普通の問題が起きるのではありません。ある人は反対するのです。それにしても、悪霊につかれた人に、ダビデを殺さなければならない理由を説明するから、サウルが軍隊を引いて殺しにきたのです。ダビデがとても緊急して、洞窟の中に逃げました。洞窟の中に逃げたのですが、洞窟の入口に軍人が来たのです。洞窟の入口にサウル王がきて探ています。その時、ダビデは何をしたでしょうか。本当に祈りをしました。外である軍人が、ダビデがここに逃げて来ているかもしれないと言いました。その時、ダビデの心はどうだったでしょうか。人は死にたくないでしょうが、死が迫ってくれば不安です。まっ暗な夜に死ぬようになればどうでしょうか。入口で軍人がここにダビデが入っただろう。そばの人が入ってみよう。こういう話をしているところです。その時、1人が入っていないと言いました。どうして分かるのか。見たら、洞窟の前にクモの巣があったのです。これは入っていないということです。そうだな。こういう瞬間です。ダビデが入って隠れている瞬間に、クモがクモの巣をはったのです。これでダビデが生き伸びたのですが、そのなかで祈った内容が、詩篇142篇です。内容を見る以前に、文章を書くために書いたのではありません。ダビデは洞窟のなかで本当に祈りをしたのです。神様の前で本当に切実に祈りました。働きが起きます。
▲私は祈りを見たので神様の働きが分かります。本当に祈ってみたことがあるでしょうか。貧困が迫ってきて、困難な目にあえば、つぶやかずに本当に祈ってみてください。困難がどんどん迫ってくるのに、人の前で解決しようとせずに、神様に本当に祈ってみてください。私はそれを知らずに母が愚かだと言いました。考えてみてください。寝るべきで、寝ることもせず祈るのは愚かなのです。そして、問題が起きれば解決するべきで、見えることもない神様に祈るのかと思いました。本当に愚かで哀れで純真だと思ったのです。祈るからできるのか。お母さんに何の良いことがあるから祈るのかと言いました。安らかに眠るべきで、毎日祈って、人の苦労もして。神様が生きておられるならば、祈りに答えられるのではないか。祈りの答えが一つもないのではないかということです。私たちの叔母も、そばにいて、姉さん、あの人間のためには祈らないで...と言いました。本当に一日も欠かさず。ところで、驚くことが起き始めたのです。ある日、私に働きが起き始めたのです。とうてい分かりません。ある日、私が気がしっかりしたのです。しようとしたのではありません。私は入る体質ではなくて、ずっと出て行く体質です。ある日、気がしっかりするのに、私が狂っていると思いました。なぜこんなのだろうか...という気がしたのです。これが祈りの答えです。絶対に祈らなければ、それが可能なはずがありません。このようにして、私が決断を下したのです。教会に行かなければならない。それで教会に行ったら、ひとまず私の母は母ですが、町の人が衝撃を受けました。町の人々が見て、神様は本当にいると言いました。その人々は信じないから、おられるという言葉は、おられたり、おられなかったりするということです。
▲皆さんが祈りをご存知でしょうか。本当に祈ってみてください。つぶやかずに祈ってください。主の栄光を見るようになります。本当にうずらが飛んできて、マナができるから、今は欲を出してやたらとってくるのです。

2.欲張らずに感謝しなさい
▲欲張らずに感謝しなさい。主の祈りにも、日用の糧を今日も与えてください...と祈りなさいと言われています。一日、食べ物を一日ぐらいだけ求めて祈れということなのでしょうか。仕事をして、米一升を買ってきて食べて、明日また一升買えという言葉でしょうか。その話ではありません。神様の民が食べ物を心配するなということです。いくらよく食べても、一度に10日分は食べられないので心配しないで。皆さんがいくらお腹が大きくても、一日に一食しか食べられません。欲を働かせるな。主の栄光を見るようになる。

3.さらに重要なこと-安息日を守りなさい
▲マナとうずらを話しながら、何の話をされたのでしょうか。他の日は一日だけおさめて、六日目は二日分をおさめなさい。そして、とても重要な安息日を守りなさい。これがあたえるメッセージは何でしょうか。
(1)神様の民は心配せずに、つぶやかずに礼拝に成功しなさい。皆さんが礼拝に成功しなければなりません。
(2)必ず礼拝に成功するべきなのですが、神様が与えられる力を得なさい。
(3)主がくださる未来を握りなさい。
▲今日、礼拝をささげる中に、必ず、これが私の答えだな!...ということを捜し出さなければなりません。神様が私の未来に向かって下さることを探さなければなりません。もし探せなければどうなるのでしょうか。神様が私にくださった答えを探せば良いのに、探せなければ。関係ありません。今日、神様が私にくださる答えが何かと尋ねること自体が答えです。無理に探すのではありません。それを探すこと自体が答えです。今日、私が礼拝する中に神様が与えられる答えを探す。神様が与えられる力を得る。神様が本当に悟りをくださって、神様の未来を握る。これ自体が祈りです。これ自体が祝福です。握れないでも大丈夫です。いつも握って、いつも答えを受ければ、それも頭が痛いでしょう。答えもとてもたくさん受けるから忙しいでしょう。私は若い時、とてもたくさん遊んだので、今、神様が答えを一気にくださって、とても忙しいのです。なぜこのように他の人は忙しくなくて、私は忙しくしているのですかと祈れば、神様が心の中に、とても若い時にたくさん遊んだからだと言われます。
▲答えを探す礼拝がどれくらい重要でしょうか。イスラエルの民は食べることを心配するのですが、神様はそれを心配しないように。主の栄光を見るようになる。
▲私が知っている長老1人は、私が伝道師のときに、会った方ですが、祈りが何かというと、この方がチョルラドから釜山に引っ越してきたのですが、小学校しか出ませんでした。中学、高校は勉強して、検定試験を受けたのです。この方の祈りの課題が三個ありました。神様、私の弟、子どもたちは、勉強を正しくさせるように力を与えてください。この人の祈りです。私が職場の中にある人々を助けて、その方たちが私のために神様が分かるように私に力を与えてください。三番目の祈りが想像を超越することでした。神様、私に聖日を守れるようにしてください。今はおかしな話でしょう。しかし、その時、会社は最初の週と三週目だけ休んだのです。韓国が難しくて、二週目、四週目は仕事をしなければならなかったのです。ところで、この方の祈りの課題が、神様、私に聖日をみな守れるように力を与えてください。これが簡単ではありません。ところで、答えがきたのです。その会社に1ケ月に一度、煙突清掃をしなければなりませんでした。お金を出して掃除をさせるのに、しないと言われたのです。煙突清掃を一度すれば1ケ月間、においがするのでした。からだに害になるのに、誰がしようとするでしょうか。ところで、これを長老が執事の時だったのですが、自分から申し出たのです。煙突清掃は毎月、私がする。お金をくれなくても良い。会社のためにします。条件が一つある。聖日の日、二週目、四週目も休ませてください。そして、煙突清掃するお金はくれなくてもよい。社長があきれたのです。他の要求でもなくて、二週目、四週目を休んで何をするのかと聞いたところ、重要な話をしたのです。「私は聖日に教会を行かなければなりません。聖日に教会に行って神様に礼拝をささげて、子どもたちを教えなければなりません。それが私の願いです」社長が見るのに、願いも願いのようではなくて、それで良いと、そのようにしなさいと言ったのです。ところで、この方に神様がどれだけ働かれたでしょうか。大統領が直接呼んで、新しい村研修院の教授をさせたのでした。どれだけ答えを受けたのか分かるでしょう。会社の中で起きた証拠を持って、朴正煕大統領が直接呼んで、どのようにあなたがこのようなことがおきたのか。堂々と話しました。私は神様を信じる者です。それしかありません。良くやったこともなくて、当然しなければならないことをして、神様を信じて、神様を信じる者です。朴正煕大統領がとても感動して、新しい村研修院に行って指導者が集まるのに講義をしてくれと言ったのでした。神様の話だけせずに、継続して講義しなさい。長老になったが、さらにがんばったのです。本当にすごいのです。
▲私がいた教会で執事1人を見ました。この方が、連合鉄鋼という所に就職をしに行きました。その方は私の説教を聞いて笑っているでしょう。この方が車を整備する人を募集するのに、何百人が応募したのです。面接がありました。面接するのに、社長やみなが座って尋ねました。ひょっとして、言いたいことはあるのか。この執事が不思議な話をしたのです。私は願いはなくて、聖日4度だけ休むようにしてください。社長がどうしてか。私が教会に行かなければなりません。落ちるでしょう。面接しに来た人が、そのように言っても良いでしょうか。ですから、そばの常務なのか、専務なのか、いや仕事をしに来た人が教会ですか。私たちの会社に執事、長老がいるのに、そんな話をしないのに、あなたはどうしてそう言うのかと聞いたところ、執事が謙虚に、その方たちは信仰が良いからですが、私は信仰が弱くて欠かしてはだめなのです。分かったと、出て行きなさいと言われました。落ちたでしょう。ところで、社長が言った言葉です。この執事が出てくるときに聞こえたのです。社長がした話です。あの人は、良い人のようだ。あの人は本当にイエスを信じるようだ。今いる執事は、みなにせ物で、あの人がイエス信じるようだ。社長の気に入れば良いのです。合格通知がきました。出勤しなさいと。自分一人、聖日4度みな休んで仕事をしたのです。この人が違うのです。20人が仕事をしたより違いました。20人が仕事をしたようでした。後ほど会社の中で、どれくらい人気を得たのか、人々がけんかをすれば、この人に尋ねてみました。そうしていたら、会社の中に職員が一人きたが毎日、酒を飲んでおかしなことをしていました。この人を手助けしたのです。手助けして、メッセージを話してあげました。ある日、この人が教会に付いてきました。きて、見たら、完全に酒飲みでした。どれくらい酒を飲んだのか、顔もみな赤くなっていました。この人に福音を伝えて、祈ってあげて。変化が始まったのです。ある日、洋服を着て、教会にきたが、人が顔も変わっていました。そのようなある日、社長が呼んだのです。社長が手を握って、とても有難いと言いながら涙を流したそうです。社長にどうしましたかと聞いたところ、事実はあの酒飲みが自分の弟だということでした。恥ずかしくて、弟という話はしなくて、仕事させたがその子が変わった。今は堂々と弟だと話せる。とてもありがとう。どのようにして変えたのか。教会に行って、福音を聞いて救われれば、神様の子どもになって変わります。この人を通じて起きた実と伝道はものすごく大きいのです。
▲聖日に力を得るのは、事実、会社、国家みな生かされるのです。

4.結論-主の栄光を見る
▲あなたがたは、主の栄光を見る。これが何の話なのでしょうか。
(1)エジプトから救われた者は、絶対ほろびないで荒野を通過するようになります。12節に、あなたがたが、わたしを主であることを知るようになる。気をおとさずに、本当に祈ってみなさい。私は科学的に見て、事実通り見た者です。
▲私は親が祈るのを見て、多くの祈りの証人を見ました。事実は、私が少し祈ったのに、神様が答えてくださったのです。主の栄光を見るということは、普通の話ではありません。
(2)必ずカナンの地を回復するようになります。
▲主の栄光を見るようになります。契約の箱が行く所ごとに働きが起きました。契約の箱がヨルダンに入るから、ヨルダン川が分かれて、エリコが崩れて、神様の働きが起きました。カナンの地を見るようになります。
(3)さらに重要なのは何でしょうか。今はメシヤに会うようになります。
▲カナンの地。カナンの地が重要なのでなく、そこにメシヤを送るが、会うようになるだろう。
▲ひょっとして、夫、子どものために悩んでいるかもしれませんが、する必要ありません。悩んでおられた悩みが、不信仰になって、さらに霊的な問題になります。神様に祈れば良いのです。神様に祈れば、必ず主の栄光を見るようになります。ローマ8:32。キリストをあなたがたにくださった方が、他のものをくださらないことがあるでしょうか。これが何の話なのでしょうか。皆さんを創世前に備えられました。皆さんの子ども、家庭、事業、みな含まれています。さらに重要なのは、皆さんの仕事を世々にわたって長い間、選択されたのです。ヨハネ15:16あなたがたがわたしを呼んだのでなく、わたしがあなたがたを呼んだ。ある人は知らずに教会にきました。ある人は、家族について来ました。友人について来ました。親戚について来ました。そのように見られるでしょうが、そうではありません。わたしがあなたがたを呼んだ。方法が、人を通したことだけで、わたしがあなたがたを呼んだ。ローマ8章には、絶対にあなたがたを奪い取る者はない。運命、サタンの権威、地獄の権威、災いは完全に終わってしまいました。あなたがたは、主の栄光を見る。
▲失敗者と成功者の差が何か分かるでしょうか。失敗者は小さい現実に、小さいことに対する満足と感謝がありません。しかし、成功者は感謝があります。私が昔に重要な方を少しばかり助けてあげました。たくさんではなく、少しです。ところで、この方は私に会いさえすれば、その話をします。申し訳なくて、言わないくださいと言っても、とても感謝するのです。一度、少しばかり助けてあげたのです。ところで、クリスマスカード送る時ごとにそれを書いてくれます。そして、私が申し訳ないほどです。この方が成功したのです。成功者の特徴です。特別のことでもないことで感謝すると言います。ある人は、感謝がありません。両親にも感謝がなくて。感謝を見られないのです。これが失敗者の特徴です。
▲イスラエル民族がエジプトから出ました。一度も、問題が解決できないことがないのに、度々つぶやくのです。一気に死ねば困るから、神様が一名ずつ呼んでいかれたのです。一気に死ねば良いのですが、それでは噂になります。神様の民が出てきて、みんな死んだと。これも一人ずつ呼んで行くので時間がかかったのですが、40年です。それが違っているのでなく、葬式の時刻表です。神様の新しい恵みを受けた人を握ってカナンの地に入ったのです。神様が祝福をすべてくださっているのにだまされるのです。
▲貧困についてどう思いますか。本当に祈らなければなりません。神様の恵みがどれくらい大きいでしょうか。母のことを話すのは恥ずかしい話ですが、見たのがそれしかないから。一度も祈りを欠かさなかったのですが、驚くことは十分の一をあらかじめ分けていました。私にはお小遣を一度もくれないのに、十分の一献金は取り分けていました。あらかじめ分けておかないと使うから。すこししわがいったお金はアイロンをかけました。そのまますれば良いのに、私にはお金もくれないのに、十分の一献金はするのか。何の関係なしで、そのままみなしていました。驚くことです。教会建築することが起これば、よい生活をしている人は献金できないのに、私の母は貯蓄して献金しました。小さい頃に見たのです。隣の執事は市場に行けばたくさん買ってきました。私の母は、いつも少し買ってくるだけでした。市場が閉じる時、買っていかないから捨てる直前のものがあります。とても専門性が必要です。いつでもそういうのを買ってきました。そういうのを買ってきて、十分に私たちを食べさせてくれました。普通の執事は、ふろ敷包で何個かずつ買ってきました。教会に問題できて、献金する時、その執事はしないのに、私の母はしました。どうしようもない習慣で、信仰です。死ぬ時までそのように祈っていました。後ほど亡くなる前に見たら、病院に人がいません。そばの教会に祈りに行っていました。若い時、あまりにも苦労したので、一回ずつ会えば私がお小遣をあげました。後ほど亡くなってから見たら、それをみな集めてありました。うちの兄弟がすべて持って行きました。私は証拠を見たのです。神様が私たちをどれだけ祝福されたでしょうか。霊的なことをみな抜いて、肉的な話をしてみます。神様がどれだけ祝福されたでしょうか。一度も病気になりませんでした。私のような人だけいれば、チョ・キボム長老(医者)は飢え死にます。神様がこのように保護されるのです。そのような程度ではありません。
▲私たちのタラッパンの伝道運動をどれくらい祝福されるでしょうか。この答えが終わりがありません。皆さんの祈りがどれくらい重要なのか、ご存知でなければなりません。父母の祈りが何でもないように見られるのですが、どれくらい重要でしょうか。私の子どもはだめそうだと他の人がみなあきらめても、母の祈りは無駄になりません。私はそれを見たのです。貧しいと落胆しないように。本当に神様に祈りましょう。問題がきたと落胆しないように。本当に神様に祈りましょう。今日、その本文のみことばです。荒野を行く間、なぜいろいろな問題がないでしょうか。どのように世の中生きていくのに安らかに行くでしょうか。しかし、重要なのは神様は変わりません。皆さんが今日、この祝福を受けて、次世代にまで永遠にあることをイエスの御名で祈ります。
(祈り)
神様に感謝いたします。主の栄光を見る信仰を与えてください。この祝福が私たちの次世代に伝えられるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



2部:望みえないときに望みを抱いて信じました
(ローマ4:17-25)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲今日のタイトルを見れば、望みえないときに望みを抱いて信じました。これが何の話なのか知って、祈りの答えを受けなければならない。
(1)祈りは完全に霊的な科学だ。
▲私たちが祈る時、神様が聖霊で働き、天国の背景、御使いを送られる。誰も防げない。反対に、地獄、サタンもなくなる存在ではない。私たちのたましいもなくなる存在ではない。
(2)ヘブル11:1-3信仰は願っていることがらの実像、目に見えないことの証拠
(3)ローマ4:18、望みえないこと(見えないこと)を望んだと言われた。そして、信仰というのは、神様の働きを言う。
▲それではいつ神様が答えをくださるのか
1.福音が完全に回復する時
▲今まで教会史を見よう。福音が回復する時、その中にいる人、教会、時代、個人は答えを受けた。
(1)完全回復ということは、どのような話なのか
1)モーセが契約の血(400年)、イザヤ7:14(800年)、マタイ16:16(700年)-ところで神様がどんな人を用いられるのか。この福音がなくなって行くんだな!このように見る方法を知っている人が福音の完全回復だ。私がこの中に招かれたのだなあ!これが本物ならば、働きが始まる。答えくるしかない。
(2)他のものは時間が過ぎれば全部、損だ。何の答えもない。
(3)福音がなくなって弱くなる時ごとにサタンの攻撃が始まった。
▲この程度で知っている人は福音を悟った人だ。答えがくる。
(4)アブラハムの証拠(ローマ4:3,9)-信仰で救われた。割礼、勉強、成功、お金をもうけることは基礎で、基本だ。その上に福音だ。これを悟った者に働きが起きる。
(5)神様が皆さんを、これを伝える飛脚(郵便配達人)として呼ばれた。
2.死者も生かされ、ない者をあるように呼んだことを信じる者(17節)
(1)アブラハムは信仰で神様の前に進んだ。
(2)Iコリント1:18-31、Iコリント2:1-12、神様の力を信じる信仰をいう。神様のみわざが重要だ。
3.望みえない中に信じる信仰(18節)
(1)旧約の奇跡を見よう。すでに望みえない中で望んで信じる信仰を言う。これは、確信を発見して行動する時、働きが起きる。神様の計画が確実ならば、その時から行動する時、神様が働かれる。
(2)新約の奇跡-足のきかない者を直しておいて歩いていけと言われたのでなく、ナザレのイエス・キリストの名で起きろ!と言った。
(3)21世紀を見通して祈って出て行けば、神様が答えの門を開けられるだろう。
4.結論-どのように答えを受けるのか(ローマ4:24-25)
(1)私も同じようにこの答えを受けられる。
▲なぜか。聖霊は今でも働いておられるから...
(2)私たちはアブラハムより、もっと大きい祝福も受けられる。
(3)ルカ18:1-8、神様は私たちを生かして殺せる。神様の計画を知って最後まですれば働きが起きる。
(4)エペソ6:18、いつでも聖霊にあって祈りなさい。Iテサロニケ5:17、絶えず祈りなさい。
▲どのように祈りの答えを受けられるのか。普段の時、祈りなさい。それと共に24時決まった祈りをする。そういう中で、多くの悟り、答えがたくさんくる。それで世界福音化の祝福を実際に私が先に味わうのだ。今日から健康も回復して、答えも回復する祝福があることを希望する。今日、祈りの答えを受ける祝福が始まることをイエス様の御名で祝福します。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲重職者時代に私たちの重職者が力を得るように願います。世の中は簡単でないために、皆さんが力を得られなければなりません。私たちのレムナントも力を得てこそ、勉強を正しくできます。皆さんがすべて明日から現場に行けば簡単でないために、皆さんが力がなければなりません。ある時は、多くの人々に役に立つが、ある時はみな私を難しくさせることもあります。皆さんが力がなくてはいけません。特に、私たちの重職者は力がなければなりません。力があろうとすれば、祈りの答えを受けなければならないのです。
▲今日、祈りの答え受ける奥義をローマ人への手紙を見ながら探してみなければなりません。私が釜山にきて説教すれば、ちょっと良い理由が一つあります。初期の時から一緒にした証人がいるから説教しやすいのです。私がきて伝道して、イエスを信じて重職者になった人がここにたくさん座っておられます。そして、私と初めから始めて、伝道運動して、今まで多くの実を見る方もおられます。初めに私がここにきた時、名前がトムサム第一教会でした。それで私はトムサム洞で一番大きいようだと思ってきたのです。ところで、来てみたら、世界で一番小さい教会でした。35坪は大きいことで、その以前には12坪でした。そうだったのですが、今は神様が多くの答えを与えられました。ソウルにも見ればセンターがあって、RUTCが立っています。私が一番初めにソウルに行って集会したところが、イエウォン教会、昔のカンソロ教会でした。集会をみな終えてソウル駅に行ったのですが、チョン牧師がソウル駅まで付いてきました。その時、その方が私にこういう話をしました。あまりにも侮辱的だったから忘れません。こういう話をしました。牧師先生、私がこういう話をすれば失礼ですが、一言いわなければならないということでした。それで、なんですかと聞きました。メッセージを聞いてみたら、とても良いが、メッセージちょっと傷つかないようにしてください、と言いました。それが何の話ですかと尋ねました。洋服が、それがなんですか。洋服をちょっと良いものを着なさいということでした。分かりました。私が言いました。そして、これがなんですかと、私が万年筆を三個外側のポケットにさしていました。ところで、みな抜いて、内ポケットにさしてくれたのでした。ここにさしてくださいと言いながら。チョン牧師は、冗談も上手なことで、私を初めて見たが、そのように言いました。そして、ちょっと福音に傷つけずに、洋服何着かを着て通ってくださいと言いました。よく分かったと言いました。完全に自分が見ても、田舎者の表示が出ていたのでした。ところで、今は私が飛行機にたくさん乗る人の中のひとりです。今は、どの程度かというと、ソウル空港に私たちの秘書が下ろせば、私がおりれば、そのおりるのを見て、切符を用意する人がいます。勘が良い職員です。私がぴったりおりれば、すでに用意しています。それで私が行けばすぐくれます。クァンジュ空港にも行けば、私が行くのを見て、あらかじめ切ってくれます。なぜでしょうか。非常に多く乗るから。それで普通、飛行機に乗れば、スチュワーデスが挨拶すれば、ほとんど旧知です。ほとんどみな知っている人です。非常に多く乗るからです。
このように、神様が今まで導いてくださいました。ソウル・インマヌエル教会が百何人で始めたのですが、今は3千人教会の信徒が礼拝をささげています。そして、6千3百人座れる教会堂を落札しました。そして、RUTC献金もソウルが全国、世界教会の中に1位です。今回、レムナントのホームステイをしようとしたら、その申請も170何個で、今、インマヌエル・ソウル教会が1位です。このように多くの使命者が集まる祝福を見ています。
▲今日のタイトルを見れば、望みえないときに望みを抱いて信じました。これが何の話なのか知って、私たちは祈りの答えを受けなければなりません。望みえないのに、望みを抱いて信じました。
▲序論-私たちは先に答えを受ける前に、それ以前のことを先に知らなければなりません。
(1)霊的科学、聖霊、天国、天使、地獄-サタン、たましい
▲今日、先に知らなければならないことは、祈りは完全に霊的な科学です。祈りは私たちがする時、神様が聖霊で働かれるから、これはとても科学的です。そして、私たちの天国という背景は誰も防げるのではない科学的であるために、ものすごいのです。そして、皆さんが祈る時、天国から主の御使いを送られるのは、誰も人が防げることができません。反対に、地獄やサタンもなくなる存在ではありません。重要なのは、私たちのたましいもなくなる存在ではないのです。そのために、皆さんが祈るということは、とても重要なのです。それで、今日、いつも聞いているでしょうが、今日も新しい答えを受ける契約をつかまなければなりません。ですから、私が他のところ行って説教すれば分からないのですが、ここにきてすることは、私が証人ではないでしょうか。皆さんみな証人が座っておられます。本当に私たちは何もないところから始めました。ところで、ヨンドだけではなくて、全世界でも一番多くの弟子を立て起こしました。私たちは貧しくて力もないように見られるのですが、ソウルに行って、ソウルで私たちは多くの祝福を受けて、今、弟子が起きています。私が考えても信じられません。ソウル市内中心に私たちの宣教センターがあります。そんなことも誰もができないのです。どれだけ私たちのタラッパンメンバーがすごいのかというと、RUTC献金が終わった人はまたするようにしてくれと申請しています。私たちは祈りの答えを受ける奥義を、今日、先に理解しなければなりません。
(2)ヘブル11:1-3、願っていること-実像、見えないこと-証拠
▲ヘブル11:1-3に見ると、信仰は願っていることの実像だと言われています。目に見えないことの証拠なのです。それで虚像ではなくて実像です。詳しく見ましょう。見ることができないものなのに証拠があるのです。これが私たちの祈る奥義です。
(3)ローマ4:18
1)望えないこと-見えないこと
▲今日ローマ4:18には、こういうみことばがあります。望みえないことと言われています。私たちが望みえないということは、見られないことを言います。
2)望むこと-霊的世界
▲そしてそれと共に、望みえないことを望みを抱くと言われています。これがまさに私たちはこの霊的世界を分かるから、これを望みを抱くのです。
3)信仰-神様の働き
▲これを望みを抱いて信じるということは、神様の働きを言います。これは未信者は知らないだけでなく、救われた者もよく知らないこともあります。
▲それでは、今日、皆さんが祈りの答えを受けなければなりませんが、どんな人に答えをくださるのでしょうか。そして、結論では、私はそれではどのようにしなければならないでしょうか。こういうものをとらえて祈り始めて、答えを受けるように願います。

1.福音が完全に回復する時
▲今日、ローマ人への手紙では、とても重要な核が福音なのですが、いつ神様がこの祈りの答えをくださるのかというと、福音が完全に回復する時、こういう働きが起きます。今までの教会史を一度、見てください。福音が回復する時、その中にいる人や、その時代や教会と個人は答えを受けました。
(1)完全回復
▲ここに完全回復ということが何の話なのでしょうか。完全回復という言葉が分かるでしょうか。この完全回復という言葉は、簡単に分かる言葉ではありません。私たちがどのように福音を完全に回復するのでしょうか。しかし一つだけ分かれば良いのです。モーセが契約の血を塗れば出てくることができました。この話をしたことは4百年ぶりです。モーセが答えを受けるでしょうか、受けられないでしょうか。受けるしかないのです。ですから、目を開いてみなさい。モーセがこの中に入ったのです。処女が身ごもって男の子を産む。この言葉をイザヤがしたのですが、そして、捕虜から戻ることが行われたのですが、これが8百年ぶりです。そして、ペテロが、あなたは生ける神の御子キリストです。この告白が7百年ぶりです。この言葉をわかったのです。ところで、皆さんどんな人を神様が用いて答えられるのでしょうか。この福音が本当になくなっていくな、でもこれを正しくしなければならない。この人が完全回復というのです。ある人は、こう言います。何の話をするのですか。みな福音を伝えているのに。教会はみな全く同じで、何をそのように言うのですか。このように話す人がいます。それは神様がご覧になる時は、違った言葉です。サタンが見る時は正しい言葉です。何の話なのか分かるでしょうか。
▲皆さん、これがとても重要な言葉なのです。私がこの中に重職者に招かれたのだなあ。これが本物ならば、この時からみわざが始まります。私がこれのために招かれたのだなあ。私がこれのために教役者になったんだなあ。そうでない人は、みなにせ物です。ですから答えにならないのです。何の話なのか分かるでしょうか。今、パウロがローマ人への手紙を書くのに、この話です。福音が完全に回復した、この契約を握って、今、パウロが書いたのです。答えがくるしかありません。
(2)他のもの-損
▲他のものは、時間が過ぎれば全部、損です。何の答もありません。
(3)サタンの攻撃
▲そして記憶しなければなりません。他のものは分かりませんが、福音がなくなる時、弱くなる時ごとにサタンの攻撃が始まるのです。
▲この程度知っている人は、福音を悟った人です。こういう人は答えがくるのです。それで、こういう人が牧師だとすれば、牧会は働きが起きるのです。皆さん、みな答えを受けるように願います。今日、考え一つだけぴったり変えれば、みわざが起きます。電話線をコンピュータの線にさせば良いでしょうか。コンピュータ、TVの線みな違うのに、それをどこにでもさせば良いでしょうか。私たちがこの契約を握る時、みわざが起き始めるのです。
(4)アブラハム(ローマ4:3,9)
▲それとともに、今日、聖書に何と話したのでしょうか。今日、アブラハムに対する話が出ました。今日、聖書にアブラハムの話が出ました。アブラハムが何で救われたのでしょうか。信仰で救われました。今、パウロがそれを尋ねるのです。イエスを信じる信仰を否定するユダヤ人、あなたたちの先祖アブラハムが何で救われたのか。今、それを尋ねるのです。信仰で救われました。そして、聖書に重要な話が出ました。アブラハムが信じた時、義とみなされたたのです。とても重要な言葉です。それを今、説明したのです。ところで、皆さんは特別関係ない質問です。ユダヤ人に尋ねたのです。アブラハムが信仰で救われたその時に、割礼を受けたていたか、受けていなかったか、これを尋ねました。ですから、ユダヤ人が、その時、受けていなかったと言うでしょう。それを見なさい。なぜ、割礼を主張するのですか。その話です。これが、皆さんと関係ない言葉です。しかし、関係あるのです。福音でなく他のものを主張する人は、絶対に本当に答えを受けられません。
▲勉強は何でしょうか。それは基本で基礎です。そうでしょう。はやく考え変えなければなりません。成功は何でしょうか。私たちの目標ではありません。それは基本です。私がものすごく金を儲けるのでしょうか。それは、私たちの目標ではありません。それは、基礎で、基本です。そしてその上に福音です。これを悟った者にみわざが起きます。それで、多くの重職者の方が、長い間の経験があるから、それがうまくできなくなるのです。悟りさえすれば、神様の驚くべき働きが始まります。今日、ローマ4:3に、信じた時、神様が義とみなされたのです。9節に、信じる時、義とみなされました。皆さんはこの事実を信じる時、神様は義とみなされるのです。
(5)飛脚
▲そして、重要なこと一つ。皆さんはこれを伝えるために、飛脚として呼ばれたのです。飛脚を知っていますか。この頃は郵便局ですが、昔は飛脚。これはとても重要なのです。今、この人があのチェジュドで、今、死刑を受ける日になりました。この女性が王に反抗して、チェジュドに島流しされたということです。それでは、死ぬ日が決められています。その日になれば、その地方長官が薬鉢(毒薬)を持って行きます。飲めば死ぬのです。ところで、よく見たら、罪がなかったのです。中間に見たら、何の罪もなくて良い人でした。それでは命令を下します。はやく解いて戻るようにさせなさい。それを持って行く人が飛脚です。何の話なのか分かるでしょうか。皆さんが福音をこの程度で悟ってしまえば、皆さんにみわざが起きるしかありません。することもありません。信じるように願います。信じる時、義とみなされるのです。ですから、この飛脚が行かないでしまえば、死ななければなりません。私たちはこういう驚くべき祝福が、福音が完全に回復する時、皆さんに答えられ始めます。

2.死者も生かされ、ない者をあるように呼んだことを信じる者(17節)
▲今日、二番目に何となっているのでしょうか。死者も生かしながら、ない者をあるように呼ばれる。それを信じる者です。死者も生かされます。誰がでしょうか。神様が。いや死者を生かせるのでしょうか。これが何のことでしょうか。死者を生かしたことがあるのでしょうか。何度かあります。ラザロのような場合。ところで、皆さんが死んでも生き返るのでしょうか。年齢80歳で心配をかけて死んだのに、また生き返れば頭が痛いでしょう。この話は何の話でしょうか。神様は死者も生かせるのです。この力を信じる者。愚かに、子どものように、神様は死者を生かす、その信仰を言うのではありません。人がちょっと老いて、何の分別力もなくて、神様は死者も生かす、そのような信仰を言うのではありません。神様の力は、死者も生かせると信じる者。今日17節を見ると、ない者をあるように。ないのに、あるふりをしても良いのでしょうか。それは詐欺師です。そのような人を神様が用いられるのでしょうか。これが何の話なのでしょうか。死者も生かされることを信じて、ない者をあるように呼ぶ者を信じる、その信仰を話しているということです。もちろん、アブラハムの信仰を話したのです。ない者がどのようにある者のようにするのでしょうか。これは何の話なのでしょうか。王が国務総理を呼ぶということです。それでは、その国務総理は、今は何もありません。しかし、ある者のように行くでしょう。そうではないでしょうか。国務総理として呼ばれたので。私が国務総理になって、王宮に入る時は、すでにあることです。何もないのですが。もし、王が長官で代行として呼べば、私が何も今ないがあるのです。神様が皆さんを呼ぶ時、そうです。
(1)アブラハム
▲それで、アブラハムが何もない人だったのですが、神様がアブラハムを呼ばれた時、この信仰で生きたのではなかったでしょうか。自分の息子イサクをささげれば、死者の中から生かすことを信じなかったでしょうか。
(2)Iコリント1:18-31(神様の力)、Iコリント2:1-12
▲Iコリント1:18-31に何となっているのでしょうか。ない者を読んで、ある者を恥ずかしめる。何のことでしょうか。ある者が恥ずかしくなるのでしょうか。神様がない者を用いられるのでしょうか。無知な者を呼んで、博識な者を恥ずかしめる。何の神様の趣味がそうなのでしょうか。神様は勉強がよくできる人を嫌うのでしょうか。その話ではありません。これは何の話なのでしょうか。本当に人を生かして、皆さんが生きる力は、人の力でなく神様の力で行うということです。それで、Iコリント2:1-12にも見れば、人間がいくら優れても、神様ぐらい優れるでしょうか。これが神様の力の信仰を言います。
▲もし、もしということは、ないという意味ですが、もし私がソウル大学を首席卒業をした。もし。そして、行政高等試験を合格した。そして、ハーバードに行ってきた。すごいでしょう。ソウル大首席、行政高等試験、ハーバード。そして、私が本当にそうだったということではなくて、もし長官になりました。それで、やめてインマヌエル教会の牧師をするということなら、どうなるでしょうか。そして、人が多く集まるでしょう。そして、ソウルにもたくさん集まるでしょう。それでは、まちがいなく皆さんの心の中で、何と言うでしょうか。何にも言わないでしょうが、心の底では、やはりソウル大。そうでしょう。ハーバードは違うよ。あの方がハーバード出てきたといったのに、やはり頭が違うのだ。それが悪いという言葉ではありません。確かにそうなります。私はハーバードを出なかったのですが、見物はしました。ソウル大学も通っていませんが、行ってみました。ですから、重要な学校には通っていないということです。ところで、皆さんがおわかりの通り、できたのもそうです。ところで、今まで伝道運動しながら、みわざがたくさん起きました。それでは、愚かな人でも悟ることがあります。何を悟るのでしょうか。神様の働きだ。そのように悟れるでしょう。それが重要で、その話です。皆さんが生きていって、これから答えを受けるのは神様の働きです。

3.望みえない中に信じる信仰(18節)
▲そして今日、三番目に出てきました。望みえないことの中で信じたのです。どんな信仰なのかというと、望みえない中で信じたのです。
(1)旧約の奇跡
▲皆さん旧約の奇跡を見てみてください。神様がエジプトをみなたたき壊して出てきなさいと言われたら、誰が出て来られないでしょうか。すでに望えない中で、すでにそれを知って信じる信仰を言います。この話は確信を発見して行動すると、神様の働きが始まるのです。神様の計画を確かに発見して行動する時は、働きが起きるようになっています。紅海を分けて行けと言われたら、誰が行けないでしょうか。紅海が分かれなかったが行けと言われました。それで入ろうとする時、みわざが起きたのです。皆さんが人生を変えることを望みます。神様の計画が確実ならば、その時から行動を始める時、神様が働かれます。
(2)新約の奇跡
▲新約にも多いのです。足のきかない者にナザレのイエスの名で起きなさい、そうでなければならないことでしょう。いや足を直しておいて歩いてみなさい、このようでなければならないでしょう。ところで、起きろと言いました。ナザレのイエス名で起きなさい。ところで、私たちはそのような力がないでしょう。私も一度は、ソウルに行ったら、車椅子に乗ってすべての集会にみな付いて回る人がいました。ひどく雨が降る日もきたのです。それで、私がその人に言いました。私が行ってペテロのように、私を見なさい。このようでなければならないことではないでしょうか。ナザレのイエスの名で起きて歩け。このようでなければならないでしょう。その言葉がとうてい出てきません。なぜなら、起きないように思えて。私の心で、起きないようだ。ところで、このような気がしたのです。この人が本当に信仰があれば、信仰で自分ができるだろう。私はそれを手助けできる。そのような気がしたのです。それで私がその執事に言いました。あきらめずに祈りなさい。神様があなたに力を与えてくださるでしょう。それは私の真実です。ところで、ある日、本当に起きてきたのです。私がどれくらい驚いたのか、幽霊が入ってくるのかと思いました。立って、入ってきたのです。それで、どのように起きたのですか。本当に祈ったら、神様が力を与えてくださいました。ですから、私たちは聖書にも見れば神様が答えをあらかじめくれるのがあって、私たちが契約を握って行動する時くださる答えがあります。
(3)21C
▲これから、21世紀を見通して、皆さんが祈っていけば、神様の計画が明らかならば、神様は答えの門をあけられるでしょう。この祝福を私たちすべてのレムナントと重職者が受けるようになるように願います。

4.結論-どのように答えを受けるのでしょうか
(1)私も答え
▲結論を結びます。最初です。今日24節25節に見ると、私たちも同じ答えを受けられます。簡単に話せば、私もこの答えも同じように受けられる、その話です。ですから、私たちも同じ答えを受けられるのです。なぜでしょうか。聖霊は今でも働いておられるから。目に見られないように、神様の聖霊は今でも働くから、同じように答えを受けられます。ある時は、アブラハムよりもっと大きい答えを受けられます。アブラハムは、遠く来ていないことを見て信じました。私たちは初代教会より、もっと大きい答えを受けられます。
(2)ルカ18:1-8
▲記憶しなさい。ルカ18:1-8。イエス様がたとえを話されました。ここはとても重要な話が二つが入っています。イエス様が説明されました。悪い裁判官が裁判を違うようにしました。その未亡人をくやしい思いにさせたのです。それで、この未亡人が行って話したのです。裁判を正しくしてください。聞き入れるでしょうか。何の力もない女がきて、裁判正しくしてくださいと言えば。聞いてくれないでしょう。ところで、この女が最後までついて行くのです。お客さんに会っているのに行って、裁判を正しくしてくださいと。どうなるのでしょうか。その判事が大変なことになったのです。息子、娘が結婚式をするのに、現れて、裁判を正しくしてください。判事に悩みができたのです。何のためでしょうか。この女に力ができたのではありません。この女が、突然、力が強くなったのではありません。この判事が見ると、悩みができたのです。なぜでしょうか。これがあきらめる女ではないからです。これが悩みです。ここは2つの意味が入っています。神様が悪い裁判官でしょうか。なぜその女が判事を訪ねて行ったのでしょうか。判決する力があるから。なぜ、私たちが神様に祈るのでしょうか。神様は私たちを生かして殺せるからです。それが最初です。二番目は何でしょうか。神様の計画を知って最後まですれば働きが起きます。
(3)エペソ6:18、Iテサロニケ5:17、24時
▲皆さんが今は祈りの答えを受けるように願います。聖書に見ると、こういうみことばがあります。エペソ6:18に見ると、いつでも聖霊にあって祈りなさい。Iテサロニケ5:17には、絶えず祈りなさい。どのようにこのようにできるのでしょうか。
▲前のことはみな忘れてしまっても良いのです。皆さんがイエスを信じる人であるのが確実だから、どのように祈りの答えを受けられるでしょうか。
▲私は3つを体験しました。幼い時、さっき1部の時説教した通り、とても困難にあったのですが、その時は私の母の祈りで...それで、皆さんの祈りが重要です。私の母は、一日も欠かさず夕方に祈りました。他の人はテレビを見て遊ぶ時、私の母は祈っていました。他のおばさんたちを見れば歩き回る時、私の母はいつでも祈っていました。同じはずがありません。また私は見たのですが、他のおばさんたちは酒を飲んで歩き回る時、私の母は祈っていました。あるおばさんたちを見たら、他人の男と歩き回っていたのですが、私の母は、いつでも教会で祈っていました。同じはずがありません。幼い時は、親の祈りで私が多くの祝福を体験しました。それが私が体験した1段階です。二番目は、皆さんが共に祈ったことで私は恵みを受けました。初めに開拓を始めたが、見たら、夕方におばあさんたちが集まって祈っていました。私が勘違いしたのです。このおばあさんに何の力があるのか。そのように勘違いしました。私がスヨンロ教会に復興会をしてきてさらに勘違いしました。そこに行くと、完全にメッセージを聞いて、若い人々とお金が多そうな人々が、とても恵みを受けるのに、どうしてこういう町があるのかとおもいました。場所も良いところは良いので、なぜこうなのかと、驚いたのです。スヨンロ教会に集会をし終えたが、恵みを受けて月曜日ごとに私が講義をしました。終わったら、食事を接待するとおばさんたちが並んでいました。それで、あまりにも行こうといって、食事しに行ったのですが、私たちの教役者と数人行ったのです。特別に準備してきたのではないのに、お願いしに来て、帰って食事接待したのですが、その場でお金何十万円を取り出していました。この町はすごいと思いました。私たちのヨンドに戻ってきたら、会費千円を出さないと争っているのに...それで、私が言葉には出さなかったのですが、心の底から、これでできるのかと思いました。私が来たけれど、場所を誤ったなあと思ったのです。スヨンロ、ミルラクトン、ヘウンデ、こういうところでこそできるのに、なぜトムサム洞に神様が私を送られたのかと思ったのです。人がお餅を売るにしても、よい場所を取らなければならないでしょう。そのような考えに本当になったのです。なぜかその週にニュースが出たのです。一番TV視聴料と税金を出さないところがトムサム洞のヨンドだと。それで、おばあさんが集まって、毎日、願いが他ではなく、秋に柳先生とピクニックに行くということでした。私の心の中で、それでできるのかと思ったのでした。ところで、ある日、私がその考えを変えました。教会を通り過ぎるときに見たら、夜に明かりがついていたので入ってみたのです。その地下のにおいがしているところで、この勧士のおばあさんが集まって、私のために祈って、世界福音化のために祈っていたのでした。私がその時、完全に考えを変えました。国会議員を集めれば、私のためにあのように祈るでしょうか。祈りが何かを分かったら。ソウルにある教会はタレントだけ百人だというのに、タレントを連れてくれば夜中に祈るでしょうか。今日、教会にミス慶尚南道(キョンサンナムド)一人が出てきました。ミスコリアを集めれば私のために祈るでしょうか。このおばあさんたちの祈りがどれくらい力があるでしょうか。全世界に申し訳ないが、スヨンロ教会よりはるかに大きい影響が現れました。そして、私が感じたことがあります。
▲全世界に福音化が起きるのに、結局は、皆さんが祈らなければならないのですが、私が祈らなければならないということです。24時。このように祈れば働きが起きます。
▲私は他の人がしないこと2つをしています。それが何かというと、普段の時、常に呼吸を長くします。なぜでしょうか。この呼吸を長くすることが、とても健康に良いからです。亀は1分に呼吸を3度します。それで5百年生きます。私も5百歳生きる可能性があります。犬は1分に25回します。忙しい時は40回程度します。犬は長く生きても20年です。皆さんが普通、1分に16回ないし20回、23回、ぴったりその間にします。それで呼吸は決まっているのです。速くしたらはやく死にます。ですから私は呼吸が健康法です。常にほとんど24時、毎日、長くします。それと共に、24時、私が決まった祈りを継続しています。それで、そのようにする中で、多くの悟り、答えなど、多くのことがきました。それで、この世界福音化の祝福を実際に私が先に味わうのです。このようにすれば、まちがいなく皆さんに答えがきます。
▲今日から健康も回復して、答えも回復する祝福があることを希望します。わからないことと思って、次にまた言います。皆さんが悟る時まで私が話します。天国に行く時まで継続します。今日、祈りの答えを受ける祝福が始まることをイエス様の御名で祝福します。祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。今日、祈り回復、健康回復、霊的な回復が起きるようにしてください。24時神様の祝福を受ける力を回復させてください。私たちすべての重職者に、新しい力を与えてください。レムナントに、新しい力を与えてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)