2009年12月13日 聖日礼拝  場所:インマヌエル教会


1部:燭台
(出エジプト記25:31-40)


☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲外国に出るレムナントに必ず言う話
@全てのものを全部、神様の祝福にしなさい。
Aすべての人を神様の祝福にしなさい。
Bすべてのことを神様の祝福にしなさい。
なぜならそのようにしなければ勝利できない。
▲幕屋の中に常に使われたこと2つ-供えのパン、燭台、なぜともしびを照らしなさいと言われたのか。創世記1:3、創世記60:1-2、ヨハネ1:11節の光を言う。とても重要なのは暗いからともしびを24時照らしなさい。創世記3章の事件以後、すべての人間に霊的問題の暗やみが3つの方向で(精神、からだ、生活)現れた。これのためにしきりに困難にあうから、神様が光を送られると言われたのだ。
▲ともしびを照らしなさいということは、何の話なのか。
1.個人に光が照らす瞬間、働きが起きる。
▲すべての信徒は幕屋の中に入ってきて、光で暗やみに勝って癒されなさいということだ。
(1)私が今日、神様の前に私の個人が不信仰を出しておく瞬間、そこには光が照らされるのだ(アン・サリバン、クロスビー、ソン・ミョンヒ、三浦綾子)
(2)モーセ-ある日、神様のみことばを聞いて自分を、不信仰を下ろした。この時、モーセに光が照らされた。
(3)アブラハム、ヒゼキヤが不信仰を神様の前に下ろす時、光が照らされる働きが起きた。
(4)私が困難を受けた時ごとに神様の前にこの不信仰を下ろした。その時、神様が光を照らして下さった。この時から私が確信が生まれて、伝道運動をしながら今まで確信ができた。
▲ですから、燭台のともしびをいつも照らしておいて、毎日、光のところに出てきなさい。
2.この光が他の人に伝えられるようにしなさい。
▲そうすれば、それまでにあった働きを悟るようになる。霊的問題に苦しめられる数多くの人にこの光を伝えなさい。
(1)この時、出エジプトのみわざが何かを知るようになる。
(2)この時、荒野の奇跡が何かを知るようになる。
(3)この時、なぜ紅海、ヨルダン川が分かれてエリコを倒したのか。
この光を放つのだ。
3.この光を世の中に照らしなさい
(1)ヨシュア、カレブ、遊女ラハブのような人が起きる。世界史が変わることが行われる。
(2)この光が世の中を照らすから、暗やみの勢力が目に見えなくみな崩れてしまう。
*結論
(1)神様が燭台を24時照らしなさいと言われたのは、火は消すなということだ。ところで、光は夜に必要だ。
▲聖書を見れば、夜に神様の働きが成された(エジプトの長子を打つ時、ヒゼキヤ王の祈りでアッシリヤ軍隊18万 5千を滅ぼされる時、パウロが暴風に会って祈る時)
(2)リンカーン大統領-南北戦争で言うのに、神様が我が方に立っているのを忘れるな。私たちが神様方に立っているのを確認しろ。それでは勝利するだろう。
(3)ルーズベルト大統領-言うのに、心の中にある恐怖心の他には恐れることがない。神様が私たちとともにおられるので、私たちは恐れる必要がない。
(4)ロバート・シュラー荒くて難しい時間は、決して永遠に持続しない。それを忍耐した者は永遠だ。
▲今日、この光の契約を握りなさい。そうすれば、暗やみは逃げる。本当にこの祝福を受けるようになることをイエス様の御名で祈ります。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲私たちのレムナントが何人かずつ外国に出ます。もし私に挨拶しにくれば、私は必ずいくつかの話をしてあげます。もしか連結することがあれば、連結してあげます。
@全てのものを神様の祝福にしなさい。行ってみれば、葛藤もあって、困難もあって、危機もあります。それを全部、祝福にしなさい。レムナント7人がそうです。そのようにしようとすれば、重要なことが見られます。
Aすべての人を神様の祝福にしなさい。ヨセフはポティファルの妻まで祝福の人にしました。
Bそして、すべてのことを神様の祝福にしなさい。
そのように必ず話をしてあげます。なぜなら、そのようにしなければ勝利できないためです。
▲今、私たちは重要な出エジプト記を読んでいっています。今、幕屋を作って中心にイスラエル民族が移動をしているのです。その中で、この前は供えのパンの話が出てきました。
▲幕屋の中にいつもあるものが2つあります。みな常にあるのですが、常に使われること2つがあります。その一つが供えのパンです。食べなければならないから。その中の一つが燭台です。七つの燭台でともしびをいつも照らしなさい。とても重要な言葉です。なぜ照らしなさいと言われるのでしょうか。
▲ある老人が道に迷いました。年もとっていて、からだが良くありません。ところで道に迷ったのです。どうなっているのか、一人で散歩をしたのか、そうなったのです。年をとった人は、風邪にかかっても危険です。そのように道をさ迷っているのに、すべての人々がそのまま過ぎ去るのでした。ところで、ある若い人が、この車を止めると、どこへ行かれるのかと尋ねました。それで道を探しているのによくわからない。どこを探しているのですか。どこどこを探すのに、よく分からない。気が動転していて、からだも良くなかったためかわからなかったのです。この人が、わざわざその人を乗せてあげたのです。近くまで行って、自分は行かなければならないからとおろしたのです。この人が見たら、交通費もなかったのです。交通費も少しあげました。この老人がとてもありがたく思ったのです。この方の顔を詳しく見て、とても感謝しますと言いました。車両番号まで見て覚えて、感謝すると言ったのです。小さいことだったのですが、このおじいさんはとても感謝したのです。そして別れました。このおじいさんが誰だったでしょうか。全世界で最高の金持ちのフューズという人だったのです。昔の人です。米国の人なのに、その時、財産1位でした。この方が遺言状を残しました。この人、この人を探して、私の個人財産16分の1を与えなさい。すでにその方は財産がすでに社会に還元されてすることができないのに、個人が持っている財産の中で16分の1を与えなさい。とても昔なのですが、その当時に16分の1をもらったのですが、五千億をもらいました。今で話せば5兆です。この方がそれを受けようとしてしたのではなかったのですが、たんにその困っているおじいさんを見て手助けしただけなのに。実際にあった事で、全世界を沸きかえらせました。
▲この光というのは人に最も必要ないのちを与えるのです。それくらいのことで5兆も与えるのかと思うでしょうが、その人自身には最も貴重なことでした。少し失敗して、年をとっているのに、道に迷って死ぬところだったが、自分を助けたので自分にはとても大切なのです。
▲光を照らしなさいということは、創世記1章3節のその光を言います。イザヤ60章1節に、起きて光を放ちなさい、その光を言います。この光はイエス・キリストを言うのですが、ヨハネ1章11節に、光として来られました。とても重要なのはこのともしびを24時照らしなさい。なぜ照らすのでしょうか。これが重要なのです。なぜ光を照らすのでしょうか。光を照らす理由は一つしかありません。暗いから。暗いから光を照らすのです。
▲この暗やみというのがとても重要ですが、私たちに来ているのです。それで創世記3章の事件以後に、すべての人間にみなきました。ところで、救われた私たちもまだ残っています。ですから、この光をずっと照らしなさい。とても重要な話です。私たちの中にある暗はみをなくせば、すばらしい祝福になって、残せばそれのためにほろびます。この暗やみを、私たちは霊的問題と話します。ハーバード大学やオックスフォード大学が良い大学ですが、この部分だけは説明できないのです。
▲ハーバード大学にメッケンという教授がいます。この方は、韓国学を専攻した教授です。韓国学をどのくらい上手にしたかというと、韓国語を私と同じように話します。それでハーバード大学に行った時、その方の研究室を訪問してみました。びっくりしたのです。韓国に対する本をみな持って置いてありました。ところで恐ろしいのは、私よりさらに多くの深いことを持っていました。韓国の高句麗、百済、新羅時代に働きが起きたことみな置いてありました。それで研究室もかなり大きくて良かったのです。私が今世界で一番良いというハーバード大学を訪問したのです。それも韓国学を専攻した教授研究室を訪問しました。私が尋ねることもせず話して、その教授に座ってくださいと言いました。そこでとても重要な核心、福音を伝えたのです。なぜ人間に苦しみが来るのか。このように立派な学校が多いのに、なぜ人間はどんどん難しくなるのか。そこに対する福音を紙を置いて絵を描きながら説明しました。この方がとても感謝する、本当にありがとう。私がこれを初めて聞いた。そのように話をしました。話をしているのに私がどうも感じが少し礼を尽くすための言葉でした。あぁ、わからないんだな。それは仕方がありません。その方がわざわざそうなのではなくて、私が説明をよくできなかったのでもなくて、聞いたのですが、その有名な教授がわからなかったのです。暗やみということは怖いことだな。ですから、次に会えばまた説明するつもりです。ある日、メモがあったので見たら、メッケン教授がガンで病院に入院中というメモが私に届きました。
▲暗やみ、霊的問題が創世記1章2節に見れば、暗やみ、混沌と言われています。その暗やみを言うのです。神様がそこに光を送られると言われました。その方がイエス・キリストですが、その光を幕屋の中にいつもつけていなさい。とても重要なのです。それで皆さんがとても他の人を簡単に評価する必要もなくて、気をおとす必要もありません。
▲なぜならば、創世記3章の事件以後に、霊的問題、暗やみは3つの方向で現れるからです。
@ある人には精神的に現れます。それで、精神が狂って、ゆううつで、苦しめられるようになるのです。それでは、私はなぜこのように不幸だろうかと考えます。そんなことはなくても、
Aどんな人には体で現れます。体に現れて障害になったり、何の理由なく、からだに障害ができて、不便な問題が生ずるのです。
B私たちは見て、あの人なぜあのようなのかと思いますが、ある人には生活に現れます。これがさらに怖いのです。生活に入ってきて、不思議に私が熱心に生きたけれど、しきりに問題がくるのです。また経済問題、こういうものがきて、私をずっと困らせるのです。これが霊的問題です。生きていて、貧しいのが霊的問題なのでしょうか。そういうことではないのですが、人が貧困にとても苦しめられるのです。これは霊的問題です。私がとても勉強もして、することをすべてしたのですが、力がなくてとても難しい、これが全部、霊的問題です。このような形で食い込んでくるのです。ある人は、お金もよくもうけて、よく暮らしているようですが、また、他の側に人生に問題が入ってきて、しばしば困難に会うのです。
▲それでイエス様が神様が光を送られると言われたのです。無駄に神様が何もすることなくじっとしている私たちに、イエスを送るからイエスを信じろ救いを受けろ、そのようなみことばを無駄にしはしないということです。
▲それでは今日、皆さんが重要な答えを得るべきなのですが、ここにともしびを照らしなさいというのは、何の話なのでしょうか。すべての信徒は幕屋の中に入ってきて、個人が光で暗やみに勝って癒されなさいということです。ところでこれが治療する方法がどうなるのでしょうか。私が光をどのように受けて、暗やみをどのようになくすのでしょうか。これが難しいのです。ある人は難しいから、どこかへ行って祈りを受けたり、ある人はおかしなこともしてみたり、そのようにします。
▲どのようにすべきでしょうか。それで、とても答えはやさしいところにあるのです。そして方法もとてもやさしいところにあります。今日、皆さんがこの時間に最も短い時間に、そうでなければ、ある日、最も短い時間にできます。そうでなければ、助けも必要なく、一人で、ある日、静かな時間にできます。そのともしびを言います。それが何でしょうか。とてもやさしいところにあるのに、人々は知らずにいるのです。

1. 個人に光が照らす瞬間、みわざが起きます。
(1)私が今日、神様の前に私の個人が不信仰を出しておく瞬間、そこには光が照らされるのです。とてもやさしいのです。簡単なのですが、人々はよく知らずにいます。
▲例をあげれば、アン・サリバンを見てください。精神的に問題がきました。ある日、神様のみことばを握ったのです。この人が光の近くに出て行ったのです。なぜならば、全てのものに感謝したのです。この程度になろうとするなら、すばらしいのです。私は霊的に難しいのに救われて感謝します。私は神様の子どもになるようにされたことを感謝します。これは特別なものではありません。小さいことの中に感謝を捜し出したのです。ところで、不思議なことが行われました。それは難しいことではないのです。ある方が説教する話を聞いて感謝をするのに、何でも感謝するのです。それが何の癒しになるでしょうか。何でも感謝するのです。ところで、ある日、自分自身に光が照らして入ってきたのです。この人が自分の精神がさっと澄みながら癒されました。その時からは患者ではなくて、その病院で先生として一生を過ごしました。それでヘレン・ケラーのような人を作り出したのです。
▲クロスビー知っているでしょう。自分のお母さんに尋ねました。お母さん、なぜ他の人は目を開いて見るのに、なぜ私は見られませんか。話す言葉がないでしょう。なぜ他の人は目を開いてみな見るのに、私だけ見られないのですか。このように話すのに、おばあさんが返事をしたが具体的にできなかったのです。お母さんが返事をとても良くしたのです。さらに重要なことをあなたは見なければならない。あなたは本当にさらに重要なことを見なければならない。あなたは、神様の恵みと神様の祝福が何か、福音が何か、これを見なければならない。これを話したのですが、それが答えになるでしょうか。ところでクロスビーが考えたのです。その恵みを握って神様の前に祈りました。その口から何の祈りが出てきたのでしょうか。神様、それでは、私はこれ以上、目で見る必要がありません。私はこのままが良いです。ところで、この人に光が照らされたのです。この光が照らされたのですが、世界を生かす光が照らされたのでした。暗やみを癒すという言葉は、すでに光が来ているから、救われたので、不信仰だけ捨てる瞬間に多くの働きが起きます。とてもやさしいのです。本当に一度してみてください。
▲私は、ソン・ミョンヒという女性の詩を見ながらたくさん考えました。私たちはとても人を見つめれば悪い人です。ひょっとして見たでしょうか。脳性マヒを病んで、抱えているのに今でもそうです。話をしようとすれば正しく出てきません。歌も歌えません。座っているのにも、まっすぐに座れないで、からだをいつも動かしていなければなりません。そして文を書こうとすれば書けません。手が震えて。そのような女性が恵みを受けて何と話したのでしょうか。神様は本当に公平です。なぜでしょうか。私は健康がない。私は持ったものもない。ところで、神様は健康な人が知らないことを私に与えられた。そして、持っているものが多い人々が持てないことを私に与えられた。私はそれを持っている。真に神様は公平な神様だな。そのように文を書けない体で書いたのです。その人が嘘をついたのでしょうか。自分のありのままを書きました。そこに光が照らしたのです。一時、その人の文が全国、世界を動かしました。光が照らされるということは、とても重要な言葉です。
▲私は一時は笑いました。「道ありき」「この土の器をも」という本を書いた三浦綾子という女性がいます。とても私の心に合わない文を書いていました。私は日本で一番貧しい男に会ったが、それを感謝する。それが私とは合わない言葉です。あまりにお金がなくて、小さい家を日本で崩れていく家を見つけたが、神様に感謝する。なぜなら、私たちをこのように仲むつまじく小さい家から始まるようにされた神様に感謝する。私は台所で仕事をして、夫はお手洗いに座っているのにも私たちは深い対話ができる。家がとても小さいから。それを神様に心より感謝する。私はそれを読みながら狂ったんだなあ。それが何で感謝なことなのか。ところが、その女性は日本と世界を動かしたのです。
▲光が照らすという、これはすばらしい言葉です。この瞬間が重要です。私は神様の前で不信仰をおく時、起きる救われた者が受ける光はすばらしいのです。どれくらい私の周囲に不信仰が多いのか、ぎゅっと積もったのが不信仰です。成功しなければならなくて、お金がなければならなくて、上手にしなければならなくて、全部、こういうものでぎっしり埋まっています。
▲どのようにすべきでしょうか。神様の前に、この祈りを2ヶ月なのか3ケ月しました。神様、私は本当に名誉も必要なくて、お金も必要ありません。そして他のものも必要ありません。神様、私に本当に福音を思いきり伝えられる教会に私を導いてください。それを神様の前に出しました。ところで、本当に神様が光を照らされたのです。どんな答え受けたのか分かるでしょうか。釜山に来るようになったのですが、今まで完全に福音運動だけでよい教会です。そうするうちに皆さんに会ったのです。私は今、衛星で礼拝する教会とインターネットでメッセージを聞く方々と多くの重要な年上の方々に会いました。
▲あるとき、ソウルにきて釜山に戻って行くのに、釜山に飛行機が着陸しました。その着陸をするのに、しながらこういうことを考えました。本当に家が多いな。上から見たら、マッチ箱のような家がずらっとありました。大きい建物、小さい建物が同じように見えたのです。そのとき、私が神様の前になげく祈りをしたのです。神様、このように家が多いのに、なぜわざわざ私だけ家がないのですか。どうして、私だけ教会堂の建物がないのですか。あのようにも家が多いのに、私はなぜないのですか。私が不平ではなくて、そのような気がしたのです。神様、私が本当に祈らなければなりません。こういう気がしたのです。それだけしたのですが、神様が光を照らされました。今現在、釜山の教会が普通に見えるかもしれませんが、大韓民国では、そのように位置が良くて大きい土地はありません。科学的に分析してみてください。そこに今、土地をみな買いました。ところで、その位置が大韓民国でも教会堂の場でそれほど良いところはないのです。
(2)多くの信仰生活する中で聖書を詳しく見てください。モーセがこの光を持っているのにも味わえなかったのです。ある日、このモーセが神様みことば聞いて自分を下ろしたのです。これまであった不信仰を下ろしたのです。ところで、それでモーセに光が照らされたのです。驚くことです。これは何の助けも必要なくて、大きい努力も必要なくて、とても重要な時間です。
▲皆さんの不信仰を出しせば、神様が光を照らされて、その時から暗やみが崩れるようになっているのです。暗やみは簡単に光が入ってくる瞬間になくなります。今日、ここであかりを消して、いくら大声で叫んでも、この暗やみは出て行きません。いくら力ある者がきて話しても、出て行きません。あかりを消して大統領がきて話しても出て行きません。ところで、暗やみはとても簡単です。光が入ってくれば、すぐに出て行きます。このように体験しなければならないのです。どれくらいやさしいでしょうか。
▲とても私が困難を受けていた時、その時ごとに祈りの答えを受けたのがこれです。どんな場合も答えられません。難しい時ごとに、この契約を握って答えられました。神様の前に、神様、私が本当に不信仰を出します、神様がなくして下さい。これが何でもないようでも光が照らすということはすばらしいのです。この時から、私が確信ができたのです。それで伝道運動しながら今まで確信ができました。教会の中に初めに来てみたら、問題がどれほど多かったでしょうか。その時、私が祈ったのです。神様、私とは関係ありません。私はこの方たちを生かさなければならない者であって、私とは関係ありません。どれくらいやさしいでしょうか。人々が暗やみの中に陥るのです。これを握る瞬間に働きが起きるのです。私は人が足りないのか、教会に行って試みにあう、私はそれは理解できません。
▲教会に来て、グループが多くて争う、私は理解できません。それでは、暗やみからは絶対に抜け出せません。そのように死ぬのでしょうか。そうする理由がありません。なぜそのように死ぬのでしょうか。ところで、人々が大部分、暗やみの中に陥るのです。あなたは、燭台のともしびをいつも照らしておいて、毎日、光に出てきなさい。このような話を度々して申し訳ないのですが、私が釜山で始めた時、教会の中に困難が多かったのです。本当に教会の信徒の話をしないからであって、教役者一人がとても教会を難しくさせて、私を難しくさせました。なぜならば、私が行く前にいた人です。多分、自分が開拓をいっしょにしようとしたようですが、それが思い通りできなかったのでしょう。とても立派な人でした。私が見る時には。ところで、とても賢くて、とても動機が多くて、とてもはやい人でした。度々、教会の後から問題を作ったのです。ですから、その優しいインマヌエル重職者にはいけないことだったのです。私は簡単に答えました。私とは関係がないことだ。それは神様がなさることだ。私がもしそこにだまされたら、また暗やみに陥ったでしょう。神様がきれいに処理されました。心配する必要はありません。
▲私たちはしばしば暗やみの中に入って、暗やみを握っています。それでは一生そうしていて、死ななければなりません。これはハーバードで理解できない言葉です。これはオックスフォードでは理解できないことです。分かる話ならば、何のために神様がみことばをくださるのでしょうか。聖書を読めという理由がありません。主の光、栄光があなたの上に臨んでいる。マタイ5章に光になりなさいではなく、あなたは光だと。そのために、皆さんが少しだけ不信仰だけ下ろせば、何でもないようですが、すぐに光が照らしてくるみわざが始まるのです。
(3)事実、アブラハムがよく信じるように見られたのですが、不信仰な人でした。カルデヤのウルを離れなさい。離れないのです。わたしがあなたに世界を征服する土地を与える。信じられないのです。あなたの父の家を捨てなさい。信じられないのです。事実、それでおいを連れて出たのです。信じないで...これが問題になるのです。事実、神様があなたに息子を与える、それが信じられないのです。それでイシュマエルを産みました。それが今でも問題を起こして、他の国の人々をつかまえて殺して、世界問題を起こす、その先祖です。
▲ところで、どれくらい簡単なのか聖書を読んでみてください。ロトがアブラハムを離れた後にとなっています。何の話なのでしょうか。アブラハムが信仰を選択して不信仰を抜き取ったその時間に...どんなことが行われたのでしょうか。光が照らされたのです。
▲光が照らすという言葉は、すばらしい言葉です。体験をしてみるべきで、その時から信仰生活になって、信徒になるのです。その時から外でした人間的なことを教会でしなくなるのです。する必要がありません。私は普通、教会員たちが、長老と牧師と敵のように戦うのですが、私はその人々が本当に救われたのかと尋ねたいのです。だから救いに対して、まったく見物することもできないのです。
▲今夜にも不信仰を倒せば、神様は光を照らされます。これが信じられなければ、聖書66巻を初めから覆ってしまわなければなりません。ところでこれは最も速い速度です。直ちに働きが起きます。この祝福を受けなければなりません。
(4)ヒゼキヤ王がエジプトにも頼って、物質にも頼って、自分の実力にも頼ったのですが、だめだったのです。その日の夜に神殿に入って神様の前にひざまずいたのです。聖書に、その日の夜に主の使いがとなっています。この祝福を本当に味わうように願います。
(5)それで私は30年前もする間に答えを受けたのが、いつでしょうか。不信仰を抜いた時、神様が光を照らされました。真の大いなる幸せです。私のように足りない人がどのようにその恵みを受けたのかわかりません。いつも私が話をして申し訳ないのですが、本当に良い人なので、名前もむやみに話すのですが、開拓を始めようと人生を始めた瞬間です。チョ・ウンテク牧師がこれぐらいの紙を持ってきて、釜山市内の教会の空いたところの名簿を書いてきたのです。この友人がどのくらい賢いのかというと、その空の教会の実力者の名前まで書いてありました。私は2つのことが気にくわなかったのです。私がこのように就職するために教会をこのようにすべきなのか。はたして教会に実力者がいるべきなのか。私がこのように必ず就職をすべきなのか。紙をもらった時は一理あると思ったのですが、神様の前に祈って、その紙をたたんで捨てました。神様、私は牧師にならなくても良いです。神様が導かれる教会に私を導いてください。本当にそう祈りました。そう祈りながら泣いたのです。私は背景もなくて、お金もなくて。本当に神様が福音を伝えられる教会に私を導いてください。このように祈ったのですが、12坪の部屋だったその教会でパク・ウンギュ長老が私に連絡をされました。本当に会っても信仰を話しました。多くの方が履歴書を出したというので、それではその方にしてくださいと言いました。その方たちにして、その方がみんな行かないと言う時、私を呼んでください。これで長老と私は対話が始まったのです。行くやいなや、その教会で私たちは助けも切って、神様の前に祈り始めたのです。全く持っているものがなかったのですが、神様の力を信じて開始をしました。今まで神様が導いてくださいました。大変申し訳ないのですが、一度も失敗を与えなくて答えを与えられました。
▲ともしびをいつも照らしていなさいということは、皆さんが行ってその光を受けて暗やみに勝ち抜けということです。

2.この光が他の人に伝えられるようにしなさい。
▲二番目です。この光が他の人に伝えられるようにしなさいということです。そうすれば、どうなるのでしょうか。光が他の人に伝えられれば、それまであった働きを悟るようになるのです。
▲今回、アメリカへ行ったところ、ある人がこういう報告をしました。私たちはミュージカルをするのにお金がなくてこうするのに、仏教で今回ニューヨークで20億円をかけてミュージカルを準備しています。それも私たちがするぴったりその時間に。不思議なことです。私たちがしようとするその時期に、仏教が入ってきて20億円を投資してミュージカルを作っているのです。私たちは2億円を投資して作るのに、この人たちは、20億円を投資して作ります。それも、私たちはお金を少しずつ集めて作るのに、ある仏教信者ひとりが10億円を出したということです。この10億円を出した人が霊的問題がきて、今回、私たちのメンバーに会ってイエスを受け入れました。もう少し早ければよかったのに・・・畑は必ずあります。私たちが目をあけられないからであって、ぎっしり埋まっています。霊的問題に苦しめられる人がどれほど多いでしょうか。彼らに光を伝えなさいということです。ところで、私が光を体験すれば伝達することができるのです。
(1)この時、出エジプトの働きが何かを知るようになります。
(2)この時、荒野の奇跡が何かを知るようになります。
(3)この時、なぜ紅海が分かれたのか理由を知るようになって、なぜヨルダン川が分かれたのか、神様がなぜエリコを倒されたのでしょうか。この光を言うのです。その光を最も幕屋の中間に燭台を作っておきなさい。

3.この光を世の中に照らしなさい。
▲そして三番目、この光を世の中に照らしなさい。この光を暗やみの中に照らせばどうなるのでしょうか。
(1)ヨシュア、カレブは大丈夫ですが、ラハブのような人物が起きます。とてもいやしく生きていた遊女ラハブがこの光を受けたのです。遊女ラハブのゆえに歴史が変わることが行われました。こういうことが行われます。遊女ラハブがヨシュア、カレブを隠してくれたのです。これは世界史が変わることが行われます。その程度ではありません。
(2)この光が世の中を照らすので、どうなるでしょうか。暗やみの勢力がみな崩れてしまうのです。目に見えなく。この光が照らせば、暗やみの勢力が崩れてしまいます。それで、はやく2千ヶ所に首都圏にみことば運動を開けば、暗やみの勢力が自然に崩れてしまいます。
▲どのように崩れたのでしょうか。エリコの城壁はどうなったでしょうか。行ってみたら1人もいません。みな崩れてしまったのです。エリコの城壁を回っているのに上から石を投げれば良いのではないでしょうか。石を投げる人がいません。それまでに光のニュースを聞いて、心がしなえてしまったのです。心がしなえたということは、医学的にどうなるのでしょうか。医者に尋ねました。心がしなえると、どうなるのでしょうか。心がしなえると歩けないということです。光のニュースを聞いて、暗やみの勢力が崩れるのに、エリコの城壁の中にいた将軍の心がしなえてしまいました。その程度ではありません。七つの部族が住んでいるカナンの地の指導者の心がしなえたのです。それで、ヨシュア、カレブが何と話したでしょうか。今がチャンスだ。彼らの指導者はみな逃げてしまった。彼らの町は空いている。今、行けば良い。彼らは私たちの餌食だ。よく見たのです。
▲これが光の祝福です。この祝福は味わって死ななければならないのではないでしょうか。ですから、この光を皆さんが見れば、その時からはみな生かすのです。

*結論
(1)神様が燭台を24時作りなさい。何の話でしょうか。火を消すなということです。教会の火を消してはなりません。
▲ところで、明かりを24時つけるが、火はいつ必要なのでしょうか。夜に必要です。昼間には事実、必要ありません。これがとても重要な言葉です。聖書を見れば、霊的にもそうで、実際的にもそうで、夜に神様の働きがなされたのです。エジプトの長子を打ったその時間がいつでしょうか。夜です。
▲U列王19章35節で、ヒゼキヤ王がアッシリヤ軍18万 5千に勝った時がいつでしょうか。夜です。
▲パウロが暴風に会いました。聖書はこのように記録しています。その日の夜に。パウロが祈っている時です。主の使いが。パウロにきて話しました。パウロ、恐れてはならない。あなたはカイザルの前に立たなければならない。これが夜に成された事件です。
▲本当に気をおとさずに、一度だけしてみてください。救われた者だから、本当に信仰を握って一度だけしてみてください。ところで、だまされてはなりません。すぐ答えが来ないようですが、振り返ったら正確にきます。私が神様の前に暗やみを打ち砕く祈りをしたのですが、突然、天井が開いてお金が降ってきたでしょうか。違います。神様は世界福音化する経済を与えられました。私が暗やみを打ち砕くその日の夜に、祈っていたら身長が5cm伸びたでしょうか。あまりに苦労して、1cm減ってしまいました。それでは、どうなったでしょうか。私は世界を通える歩幅を神様が作ってくださいました。頼むから信徒の皆さん、だまされてはなりません。神様の子どもです。他の人にこれくらい喜びを与えても生き返るのですが...
▲私はこの祈りまでしています。神様、私がひょっとして動機があれば捨ててください。それまで祈ります。神様、私がRUTC作るのに、これがひょっとして動機ならば動機を捨てるようにしてください。悟らせてください。はやく許可がおりるのに、出ない理由は、ひょっとして考えることがあるということではないでしょうか。実際には、RUTCをする時、他の考えがたくさんありました。神様だけ分かる、何かがありました。内心、こいつら、私にあんなことをして、いまに見ていろ。こういう考えがありました。それを悔い改めたのです。どれくらい私が悪い奴でしょうか。皆さんの誠意を集めて、神様の前に最も大切なものを作るのに、そこに動機が入っても良いでしょうか。私は皆さんの報告を受けるのに、本当にすごいのです。こういう難しい中に、RUTCを一番多く出した教会がインマヌエルソウル教会です。考える以上に一番多く出したところが。よく言われるのに、現金が重要なでしょう。約束はだれもができるでしょう。約束はやさしいのです。私がいのちをかける、言うのはやさしいでしょう。いのちをかけます、これはやさしいのです。1億出す、難しいでしょう。いのちがもっと重要なのに、いのちをかけるのは、やさしいのです。なぜでしょうか。それは掛け売りだからです。ところが、1億出すのは現金です。私はインマヌエルソウル教会は、貧しい人ばかりが集まったと思ったのですが、世界で一番たくさん出しました。それでも落札するのにも、力を合わせて献金を決定したのですが、ほとんど問題なく、みな終わらせたのです。それでも、びくともしないでいる人なのに、少し動けば働きが起きるでしょう。報告を受けたのですが、本当にすごいのです。家も自分の家ではなく、人の家を借りているのに、RUTC献金を世界で一番よくしました。そのまま終わるでしょうか!
(2)リンカーン
▲リンカーンを知っているでしょう。大工の息子です。彼が持っていたものは一つしかありません。福音。9歳でお母さんが死にました。その人が勉強したのは、1年しかありません。正式に学校で勉強を1年しかしなかったのです。その人が祈りながら独学で弁護士になって、大統領までなりました。彼は南北戦争で、このように話したのです。神様が我が方に立っていることを信じるな。私たちが神様の方に立っているかを確認しなさい。リンカーンが言ったことです。神様が共におられるのに、私たちが神様の方に立っているのか、それだけ確認しろ、それでは勝利するでしょう。
(3)ルーズベルト
▲ルーズベルトという人は、小児麻痺であり、からだも不自由でした。この人が大統領になったのです。その人が残した業績は大きいです。その人はこのように話しました。心の中にある恐怖以外には恐れることは何もない。私たちが持っている恐怖心、それが怖いのです。神様が私たちとともにおられるので、恐ろしいことはありません。
(4)ロバート・シュラー
▲ロバート・シュラーという人がこういう話をしました。荒くて難しい時間は、決して永遠に続かない。それを忍耐する者は永遠に継続する。
▲私たちは本当に光、この契約を握らなければなりません。それでは、どれくらい簡単でしょうか。皆さんの中にあるやみが逃げます。私たちがいつもやみを尋ね歩いて、いつもやみを呼ぶのです。光だけ入れば、やみは逃げるようになっています。私は今日、皆さんを教えようと出てきた者ではありません。皆さんに説教が上手で説明をするということではありません。本当に体験したので証人で出てきたのです。全世界の神様の民に証人として立ちました。この祝福を本当に受けるようにイエスの御名で祈ります。

(祈り)
神様に感謝します。私たちに光をくださった神様に感謝します。もう暗やみを追い出す働きが始まるようにさせてください。私たちの個人にある暗やみが崩れるようにしてください。家庭にある暗やみが逃げるようにしてください。現場にあるすべての暗やみが消えるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



2部:妨げになるもの、つまずきになるものを置かないようにしなさい
(ローマ14:13-23)


☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲私たちの信仰生活において一番重要なのだ。皆さんが持っている主張があるが、これが年をとるほど変わらない。ところで、それが間違ったものなら、どうするのか。それでは、私と私たちの次世代に普通のことが来るのではない。
▲今日の本文を見れば、ひとことで水準が出てくる。皆さんがいくらもがいても、水準、色によって答えを受ける。
(1)生活(ユダヤ人)-イエス・キリストを言いながらも、生活側に土台をおいた人。私はレムナントにこのように言いたい。成功して、そして、ちりあくただと感じろ。成功しようとせずに、成功する人になりなさい。お金をもうけようとせずに、お金をもうける人になりなさい。それで生活を一番上手にする人々がユダヤ人だ。
(2)マタイ16:13-20、人々がわたしのことをだれだと言うのか。エレミヤ、エリヤ、バプテスマのヨハネ、預言者(宗教)。これがみな正しいが、違うのだ。
(3)使徒11:1-18、初代教会の重職者が、まだ昔のユダヤ人法の体質が残っていて、なぜ異邦人の家に行って食事をしたのかとペテロに是非を論じた。
(4)使徒21:9,12、預言をして幻を見る娘4人が、パウロを見て預言するのに、エルサレムに行けば捕えられるから行ってはならないと言った。ところでパウロは行かなければならない。
(5)律法-イエスというのに、実際には律法に陥って...律法に陥れば、毎日、試みにあって、試みを受けて、試みを与えて...
(6)仕事-ある人は、ただ仕事。そうしたら人間主義をずっと使う。
(7)今日の本文は、じめじめした試みだ。それを意地汚い型
▲妨げになるもの、つまずきになるものが前にあれば、車が進めない。それで重要な契約を握らなければならない。使徒1:1、使徒1:3、使徒1:8、マタイ16:16、これが福音の重要な本質だ。
1.答えを受けようとするなら私の水準を下ろしなさい
(1)Iコリント1:18-31、神様がない者を選んで、ある者を恥ずかしめられた。皆さんが受ける救いと祝福が神様の御手にある。人が与えるのではなくて、神様の御手にある。
(2)Iコリント2:1-12、人間がいくら知恵があっても、神様より優れているだろうか。人間がいのちを思いどおりにできるのだろうか。神様は全てをご存知だ。あなたがたは神様から来た霊を受けた。この祝福を分かるようにさせるためだ。
(3)I コリント3:1-3、成長した信仰、霊に属した人だと。
▲記憶しなければならない。私を下ろしたということは、私が弱くなったのではなく、すばらしいことを見たことだ。
2.神様の祝福を受ける基準
(1)ローマ1:16、福音はギリシヤ人、ユダヤ人を生かす神様の力
(2)ローマ8:31-39、神様を信じる者、救われた者は絶対にほろびない。ほろぼす者はいない。神様の御手から奪っていく者はない。
(3)ローマ16:25-27、世々にわたって長い間、隠して、今、現わしたのだ
3.新しい水準に行きなさい
(1)ピリピ1:9-10、問題がきたら真にすぐれたことを見分けなさい(ヨセフ)
(2)ピリピ2:1-11、どんな苦難も勝利することができる。理由はキリストが苦しまれたが、完全勝利された。
(3)ピリピ3:1-20、天にある報いを...
(4)ピリピ4:1-13、困難、かん難の中にあっても良い。私は私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。
*結論-うつわ準備
▲この時から重要なうつわを準備するのだ。できないではなく、できるのだ。神様が私たちとともにおられるから...主がヨセフとともにおられたので...主がダビデとともにおられたため...私たちは少しの事にも感謝を感じなければならない。皆さんが新しい祝福を受ける新しい恵みをけることをイエスの御名で祈ります。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲私の弟子の中で1人が大学を入るとおかしくなりました。遠い以前の話です。本当に着実な子でした。残念なのは、私がその時、福音を知らなかったので、福音を正しく教えられなかったのですが、それでも信仰生活は上手でした。ある日、ソウルに行って、その子が変わってしまったのです。礼拝もささげません。教会にくることはきたのですが、そのまま座っていました。変なので、どうしたのと尋ねたところ、そのままじっとしていました。それで、すみに呼んで話してみたら、衝撃的な話をするのです。初めには、私に祈りができないと言いました。そうしたところ、少しあとでする話が自分は神様が信じられないと言いました。それで話をあれこれしたのですが、少ししたら理解できない話をするのです。北朝鮮が私たちを南侵したのではないということです。それで、あなたはその時に生まれていたのか。私はその時に生まれたと話しました。ところが、韓国が北侵略したと言うのです。この子がいくら説明してもだめだったのです。私たちが知らなくてそうだということです。そして、私たちの韓国が生きる道は一つしかないということでした。何かというと、金日成主席の精神で(主体思想)統一しなければならないと言いました。それで、どうしたのと尋ねたところ、私が知らないからだということでした。どんなに、いくら説明してもだめでした。
▲皆さんが今日の本文を読んだのですが、どう思いますか。今、私たちの信仰生活において、ある面では一番重要なものだと見なければなりません。皆さんが今、持っている主張があります。ところで、これが年ととるほど変わらないのです。もしそれが違っているなら、どうするのでしょうか。私が持っている主張が変わらないのに違っているのなら…それでは、私と私たちの次世代に通常の問題がくるのではありません。しかし、私たちはこれを普通だと思っています。私の主張が違えば、私にも問題がくるのですが、次世代にも問題がきます。これが通常の問題ではないのです。
▲私が昔にこういう話をしました。年齢50歳を越えれば大変だと言ったところ、50歳を越える牧師が全部失望しました。私たちは今、50歳を越えたが、どうすれば良いかと言ったのです。それは何の話でしょうか。50歳を越えたら変わらないということです。もし50歳を越えたのに、変えられるならば、これはみわざが起きるのです。
▲私はキム・ジュンゴン博士を尊敬する理由が、亡くなる前に会ったのですが、こういう話をされました。私はどんな若い人に会っても、そのような話を聞いたことはありません。年をとって、もうすぐ亡くなる時になった方が、私を見て切実にお願いされるのです。他のもの絶対にせずに、今、タラッパンでは伝道だけしてくださいと言われたのです。他はみな希望がないから伝道だけしてくださいということでした。それと共に言われたのが、今、全世界にアフリカをはじめとして、飢え死にする国が多いということです。その国の人材を弟子としてください。一ケ月に五千円あれば良いのです。それで、はやくその人材を弟子として、勉強もさせてあげながら福音を伝えろということでした。少しだけ待てば、その人々が宣教師になるということです。私もその内容を知らないことではありません。その話をこの年をとった方がするということ自体が、驚くことです。この方は年をとっていましたが、年よりではないのです。皆さんが私がする話が何の話なのか理解できるでしょう。
▲私が尊敬する教授が一人おられるのに、この方も見ればいつも神様の祝福を受けていました。私と親しかったために、家に一度遊びに行ったのです。この方の特徴が目がちょっと良くなかったのです。それで、普段の時に使うメガネを見れば、目玉の大きさが違うように見えるほどの眼鏡をかけていました。それだけ目が良くないのです。ところで、私が家に行ったらメガネ三つをかけて勉強をしていたのです。その時の年齢が80歳近かったのです。勉強をするのに、本来使うメガネ一つをかけて、また見えないから中に一つをさらに入れていました。それでは二つでしょう。その上に丸い拡大鏡を手に持っていました。皆さん、このようにしてまで勉強するでしょうか。多分、私でもしないでしょう。メガネを本来かけるのを見れば、とても目が良くなくて、目玉が変に見えるのに、その上にもう一つかけて、拡大鏡を持っていました。さらに驚くべき事実は、何の勉強をするのかと尋ねたら、ギリシヤ語の勉強をしているということでした。とても驚いて、長老、ギリシヤ語の勉強をなぜするのですかと尋ねました。ギリシヤ語は、神学校に行けば新約聖書を読むために牧師になる人々だけ勉強します。ところで、そのギリシヤ語がどれくらい難しいのか、若い人々もやっと通過するくらいです。それで、私がギリシヤ語がどれくらい難しいのか分かるでしょう。ところで、この方がギリシヤ語勉強をしようと本を見ておられたのです。それで、ギリシヤ語の勉強をなぜするのですかと尋ねたところ、聖書勉強を少ししようとしたら、原語を読まなければならないでしょう。それで、ギリシヤ語をしてこそ、原語を見られるから勉強をするということでした。年齢80歳でした。その時、感じたことがあります。こういう部分が違うんだな。この方は全く老いた方ではないな。この方は年だけ80であって、完全に20代のような方だな…そんなことを感じることができました。ですから、その方のそばには多くの証拠がくるのです。それを老いたと言わずに、熟したと言うのです。
▲今日の本文を見れば何が出てくるでしょうか。一言で、水準です。皆さんがいくらもがいても水準によって答えを受けます。いくらもがいても、水準の色にしたがって神様は答えをくださいます。それで、私は水準を見れば、その人をほとんど分かります。この人は、これから大きい祝福を受けるだろう、これからちょっと難しいだろうということを、水準を見れば分かります。それならば、私たちは今この部分に対することがどれくらい重要でしょうか。
(1)生活(ユダヤ人)
▲信仰の色、水準は、自分も知らない間にどこかに属しています。皆さんが一度どこか確認してみてください。どこか知らず、イエス・キリストを言うのですが、生活側にとても基準をおいている人がいます。これが悪いということではありません。私の色と水準がどこに土台になっているのかが、とても重要です。基準を生活側にたくさん置いている人がいます。皆さんが当然、そのようにしなければならないのですが、皆さんがこの部分を注意しなければならないのです。
▲私はレムナントにそのように教えたいのです。成功して、そして、ちりあくただと感じなさい。私はそのように言いたいのです。当然、成功して、しかし、それはちりあくたです。成功しようとせずに、成功する人になりなさい。お金をもうけようとせずに、お金をもうけられる人になりなさい。私はそのように教えたいのです。ですから、生活を一番よくした人々がユダヤ人です。
▲それで、皆さん中で人生を元気に暮らしている人は感謝です。しかし、福音の重要なことを悟らなければなりません。これを悟れなければ、毎日、教会にきて試みにあいます。私たちの教会もそのような方が一人いました。教会に来てみたら、めちゃくちゃなのに、それだけみな書いて、私にずっと話して、結局、教会を止めました。それが正しいのですが、違うのです。皆さんがあるときは、何かを流すこともあるでしょうが、それをみな書いて持ってきました。ゴミをちょっと捨てて行くな。それまでみな書いてきました。福音が最高なのに、どうして、インマヌエルソウル教会の教会信徒は、ゴミを捨てて行きますか。それとともに書いて出したのです。そして、どうして車をそのように変に駐車するのですか。みな正しい言葉です。それで、まったく私はこの教会に通えません。なぜこのように席がないのですか。何かというと、生活側にとても色をおいた人です。なぜだまされるというと、それが正しいためです。しかし、本当に福音はそれでもありません。
▲それで、私たちのレムナントは、当然、成功しなければならないのですが、この程度はちりあくたに過ぎないのです。パウロがそうでした。
(2)マタイ16:13-20
▲マタイ16:13-20を見てください。人々がわたしをだれと言いますか。
1)エレミヤのようだと言います。
2)違います。エリヤのようだと言います。
3)違います。バプテスマのヨハネのようだと言います。
4)また、ある人は預言者のようだと言います。
▲これはみな正しいのですが、違っているのです。皆さんが祈りの答えを受けるのにとても重要なのです。ですから、皆さんが最後に滅びるのか、成功するかに関係があります。とても重要なのです。ところで、人々がこのように信じているのです。
▲私の知っている親戚ひとりは、教会に通っていたのですが、通わなくなりました。なぜ通わないかと尋ねました。私たちの教会にでも来るべきで、なぜ教会に通わないのですか。それでも教会に行かないと言いました。長く信じた人です。長く信じて按手執事までしていました。なぜ行かないかと尋ねたら、返事があきれることでした。牧師が車をとても良いのを乗って通うから、気分が悪くて行かないということでした。正しい言葉です。自分は自転車に乗って通っています。なぜなら学校先生なので、学校の前に家があるからです。それで車が必要なくて自転車に乗って通っています。ところで、この人が自分も知らずに思想がどうなっているかというと、教会の信徒は苦労して、牧師は苦労しなければならず、難しく暮らさなければならないことが頭に入っているからです。
▲しかも、ある人はエリヤのように、信仰生活をするなら火を受けなければならないと言います。どのように火を受けないで信仰生活をするのかと言うのです。しかし、必ず受ける必要はありません。来る火は切る必要はないのですが、来ないことを探す必要はありません。これがみな違った信仰生活だということです。今、年をとっている方々は、よく考えてみなければなりません。私の話だと聞かずに、神様の御声で聞かなければなりません。そうでなければ、これが皆さんの人生にとても重要なことを左右します。
▲どうして、こんなことができるでしょうか。と言いながら、他人の間違いぱっと書いて話します。バプテスマのヨハネのように。そのとおりです。バプテスマのヨハネが王が間違ったのを話して死にました。ところで、こういうものでもないのです。
▲また、ある人は信仰生活をするのに、どのように女が講壇に上がれるのかと言います。なぜ上がれないのでしょうか。女が上がれば、神様が試みにあうのでしょうか。このように頭自体が宗教に固まっている人がいます。皆さんが知らないからであって、そのような人がとても多いのです。
▲アメリカに住む牧師1人が、私を乗せて行くのに、途中で車のエンジンが止まってしまいました。車を一台買ってください。どうして、エンジンが消える車に乗って通うのですかと私が言いました。お金がそんなにないのですかと尋ねたところ、今、この車が17年目になったということです。その時、買った時も中古を買ったということでした。中古を買って17年乗って通うので、教会信徒がとても恵みを受けるということでした。私たちの牧師は、中古車に17年も乗って通うと言って、とてもりっぱなしもべだと言うのです。
▲このように何か私たちの信仰の色が本当に困ります。今、私たちの重職者がたくさん立って、祝福の門が目の前に来ているのに、皆さんの色が固まっていれば祝福を見ることができないということです。
(3)使徒11:1-18(昔のこと)
▲また、どんなことがあるのでしょうか。使徒11:1-18、初代教会の重職者です。なぜコルネリオの家に行ったかと言います。話になるでしょうか。なぜコルネリオの家に行って食事したのか。これが何の話なのでしょうか。昔、ユダヤ人の法では異邦人の家に行ってはならなかったのです。これが何かというと、皆さんが今、笑っていますが、皆さんも昔のことをそのままを持って、しきりに生きていくから、新しい祝福をみなのがすのです。
(4)使徒21:9-12
▲信仰生活はとても重要な色がたくさんあります。皆さんが見て検討しなければなりません。そんなに熱心に信じるのに、だめになるのです。考えてみてください。そんなに熱心に信じるのに…いや熱心に信じれば良いと思っています。ところで、熱心に信じないでも、よく悟ってしまえばすばらしいことが開かれるのです。使徒21:9-12です。
▲私の友人一人が断食をしに山に登りました。断食をして祈っていると、そこで礼拝をささげるでしょう。向うを見たら、伴奏するお嬢さんが伴奏をしているのに、とても上手だったそうです。それで、自分は何かの思いがあって断食をしながら祈っているのに、祈りを何日かしていたら、このお嬢さんが自分を訪ねてきたということです。そうしたところ、ひざまずいたそうです。それで伝道師が驚いて、だれですかと尋ねました。見たら伴奏するお嬢さんだったのです。それで、どういうことですかと尋ねたら、自分が昨夜に祈って幻を見たということでした。啓示を見たが、神様があなたと私と結婚しろと言われました。それも12月25日の日。司式は院長がして、日は12月25日の日。そして午後2時です。ですから、この伝道師がとてもあきれて、だれがそう言ったのですか。啓示を見たということでした。どこで見ましたか。昨夜に祈って見ました。それで、伝道師が簡単に答えました。私は結婚して、子どもが二人います。信仰生活をこのようにする人がいるのです。
▲使徒21:9-12に、信仰がとても良い人が出てきました。4人の娘がいたのですが、その中で預言する人がいるのに幻を見たのです。皆さん何の話なのかご存知でしょうか。聖書をちょっと読むべきで…まったく読まないから、この部分が何の話かわからないようです。ここを見れば、ピリポの娘4名が出てくるのですが、祈りをよくして、預言をする娘がいます。その人が何と話すのでしょうか。パウロを見て預言したのですが、あなたがエルサレムに行けば捕えられるから行くな。これが問題です。パウロは行かなければならないか、行ってはならないのでしょういか。行かなければなりません。そうではないでしょうか。このように幻を見ると言いながら、誤って信仰生活をする人が多いのです。このように信仰生活する人が本当に多いのです。皆さんがよく見て、信仰生活を正しくしなければなりません。
▲この間、英国の大予言者チームが私たちの教会に訪ねてきました。予言する人なのですが、幻を見たので来たということです。このタラッパン運動はこれから世界的な運動になるということでした。その人の話では、アメリカの大統領が衝撃を受けるほど、働きが起きるということでした。そうでしょう。その話を聞いた時、もちろん気持ちは悪くありませんでした。そうしたところ、いっしょに手を握ってしようと言うのでした。それはできないと断りました。そのような形で信仰生活をする人がいます。
(5)律法(試み)
▲私たちは、またいつも信仰生活をしながらイエスと言うのに、実際は律法に陥っています。皆さんが律法に陥れば、大変なことになります。毎日、試みにあって、試みを与えて、試みを受けます。これが律法です。教会に通いながら、毎日、試みを与えて、試みを受けて、試みにあいます。今日1部の説教は重要です。それでは、暗やみの中であるから大変なことになるのです。ところで、想像以上にこういう人が多いのです。毎日、試みを受けて、試みを与えて、試みにあって、試みを分かちあって…そうするうちに試みが合わせて…いやなぜそうでしょうか。こういう人が多いのです。だから皆さんが少しだけ目を開いてしまえば、そのまま座っても答えを受けるのに、このようにするから、いくらがんばっても効果がないのです。
(6)仕事-人間主義
▲また、ある人はただ仕事、仕事です。仕事はもちろんしなければなりません。しかし、これも重要なのではありません。皆さんが教会にきて、仕事をたくさんしないからといって、あまり気をおとす必要はありません。かと言って、駐車場の管理もしないで行く必要はありません。これが応用できなくて、いつもここに陥るのです。こうするから、訓練になって、世の中でも人間主義をそのまま使うのです。このように信仰生活をすれば損です。
(7)意地汚い型
▲今日の本文は何でしょうか。じめじめといろいろなことを持って試みにあって話して、食べることを持って食べれば良い、だめだと言うのです。それを意地汚い型と言います。何を人が理解すれば良いでしょうに、それを持って正しい、正しくない、そうしながら、毎日、試みにあいます。今日の本文がそれです。今日、この意地汚い型を説明しようと、前にこのように多くの話をしたのです。
▲今、私の孫が成長しているのですが、この子たちをどのように教育させるのか考えています。例えば、ワインを飲めば良いのか、だめなのか。それを教育させるべきなのに、今日の本文がこれです。なぜ、そんなことを飲むのか。飲んではいけない。また片方は、飲んでも良い、こう言いながら戦うのです。とてもたくさん飲んでしまいます。ですから、とてもたくさん飲めば良いのか、新しい家族が試みにあったらどうするかという、こういう話です。
▲だから私たちはこの福音の水準の色によってみわざが起きるのですが、それで今日のタイトルをこのように、妨げになるもの、つまずきになるものを置かないようにしなさい。妨げるものが前にあれば、車が進むことができないでしょう。今、私たちのチャン・ポンス長老が仁川大橋を作ったのですが、その上に大きな岩を持って置けば、行けるでしょうか。私が仁川大橋を作って、私が大統領に表彰されたとして、自分の車を間に止めておけば、行けるでしょうか。ですから、こういうものが障害物になって、祝福を受けられないことを知らずに、人々は神様が私に答えないと勘違いするのです。想像以上に、このように固執しているのが、子孫にまで影響が行くのです。それでいて、なぜそうかわからないのです。
▲それで私たちは重要な契約を握らなければなりません。
@使徒1:1、テオピロ。私が前の書で...それは、イエスがキリストだ。それを信じなさい。
A使徒1:3,8節を見ると、待ちなさい。
B使徒1:8を見ると、全世界の人を生かしなさい。これが福音の重要な本質です。
Cマタイ16:16、あなたは生ける神の御子キリストです。人々がイエス様に対して話した時、あなたがたはわたしをだれだと言いますか。あなたは生ける神の御子キリストです。
▲皆さんの教会の仕事は、そんなにたくさんしなくてもかまいません。皆さんが信仰の色だけ正しければ、ずっと答えがきます。私が今現在、お金がないから、教会に献金をたくさんしないからといって、私が祝福を受けられないのでしょうか。そうなのではありません。皆さんが信仰の色が正しければ、いつかは経済の祝福も必要ならば与えられます。ある人は、教会に出てきて熱心に仕事をすべきだと思っているのですが、そのようにしなくても良いのです。皆さんが信仰の色だけ正しければ、神様の働きは起きるようになっています。

1.私の水準をおろしなさい
▲それで、最初です。パウロが話すのですが、全体を見ながら、私たちは簡単に悟らなければなりません。今日から答えを受けるためには私の水準をおろしなさい。私の水準をおろしなさい。なぜでしょうか。聖書をよく見てください。
(1)Iコリント1:18-31
(2)I コリント2:1-12
(3)Iコリント3:1-3(成長した信仰、霊に属した人)
▲記憶しなければなりません。ここに何か話が出るのか分かるでしょうか。神様がない者を選んで、ある者を恥ずかしめられました。よく聞いてください。それでは、ないのがよいということではありません。神様が無知な者を呼んで、博識な者を恥ずかしめられました。その話は無知だということではありません。重要なのは、最後にあります。皆さんが受ける救いと祝福が、神様の御手にあるということです。人が与えるのではなくて、神様がくださるのです。
▲そしてIコリント2章には何となっているのでしょうか。人間がいくら知恵があっても神様より優れているのでしょうか。人間が力がいくらあっても、自分のいのちを思いどおりにできるでしょうか。人間がいくら勉強をよくしても、全世界の全てのものをみな知ることはできるのでしょうか。神様は全てのものをご存じです。それで、Iコリント2:12が重要です。あなたがたは、神様に属した霊を受けたのです。あなたがたは、世の霊を受けたのではなく、神様からの霊を受けました。この祝福を分かるようにするためです。それで私の水準を先に下ろせということです。
▲そして、Iコリント3:1-3に何となっているのでしょうか。これを成長した信仰と言われています。成長した信仰は、食べ物も消化できる、幼い子どもの信仰でなく、成長した信仰です。これを霊に属した人です。皆さんが自分を下ろしたということは、自分が弱くなったことでなく、すばらしいことを見たということです。

2.神様の祝福を受ける基準
▲その時から二番目に、神様の基準が皆さんが受ける祝福です。
(1)ローマ1:16
▲それで、ローマ1:16、福音がどの程度の水準なのでしょうか。福音はギリシヤ人やユダヤ人を生かす神様の力となるのです。
(2)ローマ8:31-39
▲あきらめてはなりません。神様の水準に合わせなさい。神様を信じる者、救われた者は絶対にほろびません。信じるように願います。祈るように願います。その理由は、ほろびるようにする者はいないからです。神様の御手から皆さんを取っていく力がある者はいません。ですから、神様の基準です。
(3)ローマ16:25-27
▲そして、ローマ16:25-27、世々にわたって長い間、隠されていて、今、現わされたのです。神様が与えられる大きい力を皆さんが新しく受けるように願います。

3.新しい水準に行きなさい
▲三番目です。今は、それでは私のことを下ろしてしまうのではありません。新しい水準に行くのです。この祝福は、ピリピ人への手紙に一番よく現れています。
(1)ピリピ1:9-10
▲今日からしなさい。今しなさい。真にすぐれたものを見分けなさい。分かるでしょう。皆さんに問題がきたとすれば、真にすぐれたものを見分けなさい。ここに神様の大きい働きが始まります。何の話なのでしょうか。
▲一つだけ例をあげてみます。ヨセフが奴隷に売られました。私が兄に復讐する。私が生き残る。どれが正しいのでしょうか。ところで、ヨセフはそうではありませんでした。これは神様が私をエジプトに送られるところだ。これが真にすぐれたことです。わかるでしょうか。今からしなさい。皆さんが礼拝を終えて出て行くのに、だれかが車を防いでおいたとしましょう。いったい何をするかと戦ってはなりません。釜山で、ある人はそのように戦って、教会に出てこない人がいます。もし、それなら考えなさい。これは神様が私にはやく行くなというサインだな。はやく行って、まっすぐ行ってしまうことがあります。こう思えば安らかです。そして祈りが出てきます。そうでしょう。皆さんに大きい困難がきたとすれば、神様が私にダビデが受けた祝福を受けろということだなと思いなさい。これは新しい水準です。皆さんがこのような時、本当に答えがきます。なぜでしょうか。福音の中にいるためです。私たちの教会はすることが多いということは、神様が私たちにする祝福が多いということです。ですから契約を握りなさい。
(2)ピリピ2:1-11
▲そして何でしょうか。ピリピ2:1-11、どんな苦難も勝利することができます。理由は、キリストが苦しめられたのですが、キリストは完全に勝利されました。
(3)ピリピ3:1-20
▲本当に水準が違うのです。ピリピ3章です。私たちは世の中にあるものを願いません。すでにそれは私たちに来ているのです。多くの人々は、人がほめるのが好きなのですが、私たちはすでにそんなことはみな受けて、天にある報いを受けるのです。
(4)ピリピ4:10-13
▲ピリピ4:10-13です。私は困難にあっても良い。私は患難の中にいても良い。私は私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。この間、胎嬰児部の時に話したのですが、若い主婦は、しっかりしなければなりません。真の幸せが何か知らないのです。嫁入りする前には自分が何か王女になると思ったのでしょう。こういう錯覚をして嫁入りするのです。結婚をすれば、王子が来ると思ったでしょう。10日過ぎれば夢が崩れて、1年すれば夢は完全に消えます。気をつけてください。難しい暮らしでも、充実した暮らしで祈りながら、それを持って献金して貯蓄するそれが幸せです。ご存知でしょうか。その後に真の答えがくるのです。その後に真の祝福がきます。その真の祝福が、まさに神様が願われる時、私ができるのです。ですから、今、女性が変です。家に座って難しく生きるということは、本当に良くないと思っています。それで、外に出て行って、歩き回るのがとても良いものだと思っています。家に子どもたちが心配をかけるのに、それを本当に難しいと思っています。そして、夫が帰ってきて、お金を多く使ったとか、少なく使ったとか言うので、そのようなのにそれを真の不幸なことだと思っているのです。そして、他人の男があなたはこのように生きる人ではないと話します。ところで、そそのかされていると知らないのです。このように話せば、女は100の100人みな乗せられます。そして、男がきれいといえば本物だと思って、睡眠もよく寝られないのです。特にソウルが激しいのです。釜山やチョルラドは、ちょっと田舎なので、あまりしないのですが、ソウルは歩き回っています。タクシー運転手が私に話しました。社長、今、ソウルの女は正常ではありません。みな狂って歩き回っているということです。それで、私が狂わずに、歩き回る道があると話しました。それがなんですか。教会に送りなさい。教会に行けば、そのように狂いません。今、教会でなく通う女はほとんど狂いました。それでやたら歩き回るのです。それが基本です。それでも、教会に通う人々は狂って通ってみてもキャンプです。人々が何かを知らないのです。これで、本当に幸せが何かも知らずにいます。ですからこれが通常の問題ではありません。
▲私は貧しさに処する方法も分かる。私は富むことに処する方法も分かる。私は私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。この時、神様が祝福を一度に注がれるのです。

*結論-うつわ準備
▲皆さんこの時から、重要なうつわを準備するのです。できるではありません。なっていくのです。なぜそうでしょうか。神様が私たちとともにおられるからです。すべての人がヨセフを難しくさせたのですが、主がヨセフとともにおられたので、すべての人がダビデを利用したのですが、主がダビデとともにおられたので、すべての人が釜山で伝道する時、私を難しくさせようとしたのですが、神様が私たちとともにおられたので、難しいことがありません。私たちは小さいことにも感謝を感じながらしなければなりません。
▲実際にあったことですが、日本にある重要な人が結婚式に行ったのです。結婚式に行ったのですが、冬だったので、コートを脱いで預けて中に入ったのです。ところで、女子職員がコートをもらって、洋服掛けにかけるのに、ボタンが一つ落ちたのです。それが特別なことではないでしょう。皆さんも知っている内容ですが、この女子職員がボタンが落ちたのをわざわざ探して付けてあげたのです。ところで、普通の人々ならば、お願いしてもしてくれません。我を忘れて忙しくて時間がないだけでなく、ボタンを探すことも大変です。ある人はあっても、ないと言うのに、それをわざわざ探して付けてあげました。どれくらい小さなことでしょうか。ところで、この方がとても感動したのです。そして、このお嬢さんがとても気に入ったのです。見たら人がとても正しい。このように小さいことです。それで、後ほどこのお嬢さんを嫁にしたのです。その方は、日本で有名な会社の会長です。その女はボタンをよく付けてあげて出世しました。嫁に行ってみたら家が千億の家です。ボタン一つよく付けただけですが、それが単純なボタンでしょうか。違います。それがボタンではありません。
▲皆さんが今日も明日も現場の中には祝福がたくさん敷かれています。皆さんが新しい祝福を受ける新しい恵みを受けことをイエスの御名で祈ります。祈ります。

(祈り)
神様に感謝します。新しい週になるようにしてください。新しい日になるようにしてください。すべての人を祝福してください。すべての事件を祝福になるようにしてください。神様がともにおられる祝福を味わうようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)