2010年3月21日 聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 講師:柳光洙牧師
第1部:手と足を洗いなさい
(出エジプト記30:17-21)
〓要約資料〓 →序論 ▲私たちが今、荒野の道を行くのに、私たちがなぜこのように困難が多いかとユダヤ人が話した。それは、すでにその人には開始が違ったのだ。荒野の道を歩いていくには困難があるしかない。ここで私たちは神様が与えられる力を得て、神様の計画を探そうと言わなければならない。ところで開始、考えが違う。違った道を熱心にますます損だ。それで開始をいつも正さなければならない。私たちは困難も来ることがある。教会も、個人にも困難が来て、痛いこともある。開始を正しくしなければならない。神様が私に神様の力を体験しなさいというサインだ。皆さんが開始を正しくしながら、少しだけ定刻で祈ればTopに上がるようになっている。皆さんが一日に5分だけでも神様の前にみな下ろして神様、私を聖霊で満たしてください!それだけでも良い。それを聖書には黙想、霊的な交わりと言われている。これを体験しなければならない。私たちが神様の力をどれだけ理解するかにしたがって、多くのことが変わる。 ▲今日のタイトルは、手と足を洗いなさい。どのように理解すべきなのか。3つで契約を握らなければならない。 1.救われた者が最も答えをはやく受ける道 (1)私を振り返って祈りを始めるのだ。私をはやく悟るのだ。 ▲病がいつたくさん来るのか。恐ろしくて、心配して、不安な時、おもにたくさんくる。 1)Iペテロ5:7-8、悪魔は皆さんが心配する時、攻撃する。 2)ヨブ3:25、ヨブが心配する時、悪魔が攻撃した。 3)ヨシュア1:1-9、恐れてはならない、大胆でありなさい 4)イザヤ41:10、恐れてはならない。大胆で。わたしが力ある手であなたとともにいる。 ▲皆さんが今日、神様のみことばの前で私の部分を悟りさえすれば、最も速く答えがくる。 (2)放蕩息子が家を出て行った。飢え死ぬようになった。その時、放蕩息子が悟った。私がお父さんころに帰らなければならない。その瞬間、すべての問題が解決される。 (3)私の生涯にこうしたこと、ああしたことがあった。神様の前で私を悟った時、多くの答えを与えられた。 2.救われた者がみことば成就を正確に味わう道 (1)ヨハネ13:10、イエス様が公生涯を終える最後の時に弟子を座らせておいて弟子の足を洗ってくださった。 (2)Iヨハネ1:9、皆さんが罪を告白すれば、神様はすべてを赦して答えてくださると言われた。 ▲神様の前に私を正しく立て直してしまえば、すぐに答えが始まる。私たちはすでに救われたので、私たちの小さい失敗を神様の前に告白する時ごとに、神様は許してみことばが成就する。 3.イエス様は一段階さらに飛び越えて救われた者がより大きい祝福、大きい奇跡を成し遂げる道 (1)イエス様が足を洗って下さりながら、あなたがたもこのようにしなさい。 (2)互いにしもべの役をしなさい。 (3)相手の手足を洗ってあげるしもべになりなさい。相手の罪を洗ってあげるしもべの役をしなさい。この時、神様の大きい奇跡と大きい祝福を見るようになる。人を本当に助けて祈る人がいる。こういう人が重要な答えがくる。 4.結論-なぜ神様がこの命令を下されたのか ▲荒野を行きながら、これから受ける大きい答えがあるためだ。 (1)荒野を行く間、三つの祭りの祝福を正しく受けなさい。 ▲過越-救い、五旬節-勝利、収穫祭-天国まで導き (2)これから契約の箱が行く所ごとに人が生き返って力が現れるだろう(ヨルダン、エリコ、太陽と月が止まる) ▲この祝福を受けるために、いらない苦労をせずに手足を洗いなさい。そして礼拝しなさい。 (3)これから幕屋中心に大きい恵みを受けなさい。 ▲皆さんが一日に10分だけ神様に向かって私に聖霊を満たしてくださいと求めて祈ったらそれが最高の祈りだ。今日一日だけみことば受けながら、一つだけ祈ってみなさい。神様が聖霊で私に働いてください!そして、私の手足を洗うようにしてください!本当に神様が私に聖霊で働いてください!そうすれば、六日間、答えが正確にくるようになっている。それよりさらに重要なのは、皆さんが祈りの祝福の中で毎日、生活がなるならば、神様が正確に祝福されるようになっている。この祝福を本当に回復する祝福の日になるように、イエス様の御名で祈ります。 (The end) 〓録音資料〓 →序論 ▲今日の本文には「手と足を洗いなさい」という命令が出てきます。聖書にはすばやく過ぎ去る言葉のように見られるのですが、とてもみな真理のみことばが多く入っています。例をあげれば、聖書に見ればぶどうの木の話がたくさん出ます。ところで私たちのからだに最も助けを与えるのがぶどうだと判明しました。また、聖書には見ればいちじくの話も出てきます。それを清潔に食べれば、最もからだに良い果物の中の一つだと判明しました。聖書には、すぐ過ぎ行く話のように見られるのですが、私たちが詳しく見れば、生きる道がたくさんあります。その中で今日、見ると「手と足を洗いなさい」という話が出ています。女の方々がおもに男の方より多く病気になります。ある医師が私に話をしてくれました。女の方々はハイヒールを履くから、常にからだが曲がっているということです。それで、均衡を事実上脊椎がとっているから、曲がっていては病気にならざるをえません。それで、話を聞いて「そうだ。エバがハイヒールを履いただろうか」それで、昔の人々は何百年ずつ長く生きました。アダム、エバがふくよかなベッドで寝たでしょうか。そのまま石の上に寝たでしょう。 ▲それで聖書にある自然に戻れば、みな健康なことですが、私たちがみな作って病気になっているのです。幼い子どもたちが育つ時もそうで、私たちに健康を最も維持できるのが手を洗うことだと言われています。普通、中学生以下の子どもたちが手をしばしば洗わなければならないという話をわかるでしょうか。一度は見ると、孫が歯磨きをするのに10秒でして出てきました。しろというからするのです。今日、見たら「手と足を洗いなさい」と出ています。ところで、今日、見るからちょっと深刻に話をしています。この手と足を洗って死なないためだと出ています。そうだとすれば、とても重要なメッセージであることを確認できるでしょう。 ▲また今日は、ドイツからユ・ビョンヒ長老が皆さんの承認を受けるために来ておられます。また、日本から三人が来られました。到着してないようですが、アトランタでまた承認されるために来られる長老がいるようです。その名簿を皆さんが今日見て祈りながら投票をしてください。 ▲私は重職者の方に、また今全世界にある重職者の方に、必ず差し上げたいことばがあります。私の感じで見れば、信徒に会ってみれば、何がうまくできなくなっています。事業も見ればうまくできなくなっていて、何がうまくできなくなっているのです。ところで、その部分は、いうのが大変です。また言ってあげることも大変です。何かがうまくできないようです。そのような方々が本当に多いということを感じました。何かがうまくいかないのだな。最も具体的に突き詰めれば、事業も良くできず、良くならないようです。私は皆さんのそこに対して今、明確に契約が聖書にあるので、契約を握るように願います。ひとまず開始を福音で正しくしなければなりません。それは難しいことではありません。それが何の話なのでしょうか。 ▲私たちが今、荒野を歩いていくのになぜこういう困難が多いのか。ユダヤ人がそのように話しました。それはすでに開始が違っているのです。その人には。荒野を歩いて行く所は困難があるしかありません。荒野を歩いて行く所は、困難があるしかないのです。ここで私たちは神様が与えられる力を受けて、神様の計画を見つけ出そうと言わなければならないのではないでしょうか。なぜ水がないのか。荒野を歩いて行くならば水がないこともあるでしょう。そこにすでに傷を受け、葛藤します。これが違っているのです。これはいくら祈っても、礼拝をささげてもだめなのです。開始が違っているのです。正しくしようとするなら、どのようにすべきでしょうか。危機に会ったとします。危機に会いさえすれば恨みます。こうするから、カナンの地には行けないのです。正しく始めれば、どのようにすべきでしょうか。私たちがカナンの地まで行くことができないとしても、私たちは行かなければなりません。それが開始が正しいのです。私たちがもし紅海海にはまって死ぬ場合があっても、私たちは行かなければならない。私たちはもう二度と私たちの子孫をエジプトの奴隷にできない。そのようにしてこそ、それが正しい開始です。 ▲ところで、大部分の人々を見れば、開始が、考えが違います。いくら祈りをよくしても、考えが違ってはいけないのです。皆さんがいくら熱心に行っても、違う道を熱心に行けば、行くだけ損です。難しくありません。 ▲皆さんは救われた神様の子どもです。この時代に呼ばれた重職者です。この時代に神様が確かに伝道しなさいと祝福を受けるために呼ばれた神様の人です。それなら瞬間ごとに、事がいろいろ起きます。それではその時ごとに開始を違うようにすれば、祈りしてもしなくても同じになってしまいます。それで、開始をいつも正しくしなければなりません。例をあげればエジプトから出ます。当然、出て行かなければならない。それが正しい開始です。モーセが初めに出て行けないと言いました。それは違った開始です。イスラエル民族が出てくるから、紅海がふさがりました。紅海を渡ろうが溺れ死のうが、二つのうちの一つをしなければなりません。それが正しい開始です。紅海を渡りました。神様は奇跡を起こして、イスラエル民族を救い出されました。時々、こういうこと、ああいうことが起きます。常に開始が違うから、私たちはいつも無気力です。信徒を見れば、開始がいつも違います。イ・ソンフン牧師があんなふうで良いのか。そうですが。試みにあいます。葛藤が生じます。私たちは常にそのように始めます。私たちがイ・ソンフン牧師のために祈らなければならない。神様が私に祈れと言われているサインだな。私がこの話しを聞くようになったのは、祈らなければならない理由があるんだな。神様が私にこういう対話を持つようにされたのは、神様の前に深く祈れというサインだな。イ・ソンフン牧師が悪いということではなく、例えばそうだということです。 ▲このように信徒は、開始をいつも違うようにします。それで、神様を見て答えを与えられないのは、どうしてかと言います。私たちには困難もあります。教会も困難が来ます。個人にも困難があります。病気になることもあります。開始を正しくしなければなりません。私がからだが良くない。神様が私に神様の力を体験しろとのサインではないのか。死ぬこと、生きるということは神様に任せて、神様の力を体験しろとのサインではないのか。この時まで祈りをせずに生きてきたので、もう祈りを正しくしてみろというサインではないのか。このようにいつでも開始を正しくしなければなりません。それでは何でもみなそうです。 ▲私が昔に開拓を始めた時は、夜明けに運転もして、中間に通ってみなしていました。なぜでしょうか。その時、そのようにしなければならなかったからです。それが開始がそうならなければなりません。地下35坪でとても騒ぐから、そばに人々がきてとても訴えたのです。とても騒々しいと。なぜこの教会このように騒々しいのかと、周囲の人々が訴えてきました。その人たちが見たら、そうでした。申し訳ありません。人がくるのをどのようにするのでしょうか。人がくるから騒々しいでしょう。だれも来なければ騒々しくないでしょう。山の中に行けば静かでしょう。ところで、来るのにどうするのでしょうか。あの人たちがきて、力を受けて、あの人たちが来て、ほろびた人が生き返って、病気だった人がいやされて、だから騒々しいことではないのでしょうか。理解してください。これから私たちが大きい土地を買って作っていくでしょう。その時まで待ってください。待てなかったら引っ越ししてください。それと共に、重要な話をしました。私たちの教会は多くの人々が伝道運動するから騒々しくならざるをえません。それをあなたが理解するのが私たちを手助けすることです。そして、見てください。今、多くのさまよっている子どもたちが神様を知って、さまよわずに戻り始めています。とても苦しめられた霊媒師がイエス様を知っていやされ始めています。どう思いますか。その人に弁解するふりをしながら福音をみな話したのです。 ▲皆さんが開始を正しくしながら、少しだけ定刻祈りをすれば良いのです。それではトップ(Top)に上がるようになります。不思議に説明するのが難しいのです。皆さんがあらゆる分野のトップにのぼってこそ、物事がなるのです。力も私がトップにのぼってこそ、他の人をリードできて、手助けできるのですが、すべての面でみなそうです。ところで、大部分の人々がその部分をのがしているのです。ところで、このやさしいことを重職者の方がたくさんのがしているのです。 ▲私たちは祈る時、どのようにするのでしょうか。神様、これもください、あれもください、とにかくそのように祈ります。それも祈りです。ところで、私はその祈りはしなくてもよいと思います。もちろん、それも祈りです。神様、私の事業をこのようにしてくださいと、祈ります。それも祈りです。しかし、自分の個人の考えでは私が見た聖書は、その祈りはしなくてもよいのです。それでは何の祈りを言うのでしょうか。皆さんがもし一日に5分ずつ3度だけ全てのものみな忘れてしまい、神様の前に「私を聖霊で満たしてください」皆さんそれを継続できるならば、すばらしいことが行われます。それを聖書には黙想だと表現しています。パウロはそれをすばらしい霊的な交わりだと言いました。これをのがすのです。もし学生たちが静かな時間にみことばを握って十分だけ黙想することができるなら、皆さん知能はものすごく発展するでしょう。 ▲ですから、大部分のクリスチャンがこれをのがしているのです。未信者でもなくて神様の子どもなのに。ところで、これが1年過ぎて、2年過ぎて、3年すぎれば私が力がありません。私が力もなくて不思議に無気力になるのです。その上に霊的問題まできます。勝てないのです。今、話したこれだけ記憶すれば、みな解決されます。 ▲この体験をすることを聖霊の満たしと言います。この力を持ったのをイエス様がおっしゃる「力を受けるようになる」ということです。どの程度受けるようになるのでしょうか。地の果てまで証人になる。それで皆さんが本当に祈りということが代表祈りもあって色々なものがあります。それも祈りです。率直な話で、長老が代表祈りをするようになれば神様も神様ですが、人を多く意識します。出て行って上手にしなければならなくて、こういう気がするでしょう。それは正常な人です。人の家に祈りに行って祈る時「私が何と祈らなければならないのか」こう思うでしょう。それが誤っているということではありません。今、私が皆さんに話そうとする内容は、その内容ではありません。私が本当に神様の前で立つ時間が5分だけするならば、それを一日に3回だけしても働きが起きます。霊的な働きはすばらしいものがあります。これを私たちすべての重職者、すべてのレムナントが回復しなければなりません。間違いありません。 ▲それでレムナント7人が何がよくできたのでしょうか。これが上手でした。もし皆さんがダビデに会えるならば、ダビデが何と話すでしょうか。多くの技術を学ばなければならない。そのように言わないでしょう。ダビデが最後の時、ソロモンにこのように話しました。あなたは男らしくなりなさい。そして、努力して主を知りなさい。そのように告白しました。もしこの場にヨセフを呼んできたら、ヨセフは何と話すでしょうか。私がこのようにしたところ総理になって、私がこのようにしたところ農作業ができて、その話をしないでしょう。自分が神様とともにいながら味わった奥義を話すでしょう。もし飛行機が行くのに飛行機はエンジンが二つがあるとします。この飛行機が行くとき、二個があるのに一個のエンジンが消えることもあります。それでは死ぬでしょう。エンジンが一つが消えれば自動にこちらへ行くということです。病院で手術するのに見れば電気の動力が別にあります。手術するのに電気が消えればどうするでしょうか。それではそれを備えて、直ちに電気が稼動するように作ってあります。私たちが神様の力をどれだけ理解するかにしたがって、多くのことが変わります。私たちすべての重職者がこの祝福を受けることを希望します。神様がこれになるように、今、荒野に引っ張っていっているのです。 ▲この中でしばらく今週に参考にしなければならないメッセージが出てきました。手と足を洗いなさい。どのように理解すべきでしょうか。きれいにしろという言葉ではないのでしょうか。ところで、この話がその話にならなくて、とても重要なことが多く入っています。三つで契約を握らなければなりません。とても重要です。 1.救われた者が最も答えをはやく受ける道 ▲救われた者が最も答えをはやく受ける道は何でしょうか。断食ではありません。救われた者が祈りの答えをはやく受ける方法は何でしょうか。それは多くの奉仕ではありません。救われた者が最も神様の答えをはやく受ける方法は何でしょうか。 (1)私を振り返って、きれいにすることです。それが最も答えがはやくきます。 ▲他の人を見る必要がなくて、最も速い方法です。断食しなくてもよいのです。皆さんが山に行って祈らなくてもよいのです。これが答えが最もはやくくるのです。それでは、私の誤りをつかんで捜し出して、ある人に私の誤りを捜し出してもらわなければならないのでしょうか。それでもありません。私をはやく悟ることです。 ▲神様がヨナにこのように命令されました。ニネベに行きなさい。ところで、行かずに逃げました。逃げたのに答えがきました。その時は船がない時代なのに、ちょうど行ったら、船がありました。その船に乗って逃げたのです。神様のものすごい命令を破って逃げました。ところで、不思議なことが行われました。神様が大風を追い立てて船を攻撃されたのです。それで船が揺れてみんなが死にそうになりました。いくらもがいてもだめなのです。船に乗った人々が自分たちの神を呼んでいろいろなことをしてもだめなのです。ヨナを捜し出したのです。それでヨナを捜し出して水に投げ込みました。波は直ちに解決されました。私たちには多くの意味を与えることです。 ▲それで信仰生活で恐れて罪悪感に捕われて、この話ではありません。今、神様がその話をされるのでしょうか。皆さんが罪悪感に捕われて、毎日押さえられて生きて、その話ではありません。私たちを正しく悟って、私たちをきれいにすれば、すばらしい答えがき始めるのです。 ▲病がおもにいつ来るのでしょうか。私たちが恐ろしかったり、心配が生じて不安な時、このような時たくさんきます。それでは、私たちはどのようにするのでしょうか。私が誤ったものがあれば不安です。 ▲それでIペテロ5章7-8節を見ると、悪魔は皆さんが心配する時、攻撃してきます。ヨブ3章25節に見ると、悪魔が試みたのが、ヨブがぴったり心配した、それを選んで試みました。それでヨシュア1章1-9節に見ると、恐れてはならない。大胆でありなさい。八回、九回話しました。イザヤ41章10節を見ると、恐れてはならない。大胆で。わたしがあなたとともにいる。わたしが力ある手であなたとともにいる。この部分に、私たちは間違って解釈することがあります。あなたの誤りが何で、私の誤りが何で、みな引き出しておいてこのような形で理解する人がいます。正しくしようとするなら大変です。変に教える団体があります。すべての罪をみな引き出しておいてこそ許される。このように教えるところがあります。それで物事がなるのでしょうか。このみことばは、そのようなみことばではありません。皆さんが今日、神様のみことばの前で私の部分を悟りさえすれば、最も速い答えがきます。 (2)放蕩息子が家を出て行きました。いくらもがいても乞食になってしまいました。後には食べるものがなくて死にそうになりました。ちょうど飢饉になりました。だめなのです。飢え死にそうになったのです。その時に放蕩息子が悟りました。私がお父さんのところに帰らなければならない。私が今ずっといくら通ってもこういうことでは死にそうだな。私のお父さんには食べ物がたくさんあるのに、私がここで飢えて死んでよいだろうか。私がお父さんころに帰らなければならない。私がお父さんころに帰れば、お父さんが私をしもべでも使ってくれるだろう。私があえて息子の役割はできないが、私をしもべでは使ってくれるだろう。それで帰りました。その瞬間にすべての問題が解決されたのです。私たちは手と足を洗えという言葉が難しい話ではありません。 (3)私がこのように何度かいろいろな事にあいました。伝道運動をしようと始めようとしたとき、問題が起きました。そのとき、私が悟ったことがあります。そのとき、神様の前で悟りました。神様、私がとても福音に対することは知っているのですが、私がとても高慢な人間です。神様が私を本当に用いられようとするなら、こういう事がなければならないですね。私は謙虚に神様の前に福音を伝えます。私が悟ったのです。ところで、神様がそのとき、一番多くの答えを今まで与えてくださいました。真に重要なことが、私たちにどれほど多いでしょうか。私たちの教会と団体を見て非難する人がいました。それと私とは関係がありません。そのとき、私が神様の前に立ったのです。神様、本当にこのような時はどのようにしなければなりませんか。それで、いくつか私に答えが出てきました。伝道しようとすれば、そのような声を聞くこともある。そのままあなたの誤りがあれば直しなさい。そして福音は大胆に伝えなさい。特別、大きい困難ではない。悟りました。私はこの契約を握って多くの大きい答えを受けました。 ▲ここで手と足を洗えという言葉はとても重要な言葉です。ところで、これで終わっていません。さらに重要なメッセージがまた出てきました。イエス様がこの部分を解釈されたのです。 2.救われた者がみことば成就を正確に味わう道 ▲二番目で握らなければならない神様の契約です。そのまま手と足を洗うと終わるのではなくて、これをイエス様がされたのです。 (1)イエス様がほとんど公生涯を終わられる最後のときです。突然に、弟子をみな集めてイエス様が変なことをされたように思えました。それが何でしょうか。弟子を座らせておいては、全部、たらいに水をいれて足を洗ってくださったのです。それは奴隷がすることです。ですから弟子が、ペテロはだめですと言いました。そのように言ったとき、イエス様があなたの足を洗わなければ私と関係がない。このように話されました。ですからペテロがいうのに、それでは入浴をさせてください。そのとき、ヨハネ13章10節に、イエス様が重要な話をされました。すでに救われたから入浴はする必要がなくて、手と足だけ洗えば良い。皆さんは救われた神様の子どもだから、手と足だけ洗えば良いのです。イエス様が話されたのですが、とても重要な話です。 (2)Iヨハネ1章9節を見ると、皆さんが罪を告白すれば、神様はすべてのことを赦して答えられると約束されました。それで二番目に何でしょうか。神様のみことばが最も成就する時刻表は何でしょうか。皆さんは救われたので滅びることはできません。神様の前に出てきて、私が間違ったことを神様の前に告白すれば、神様は許して答えられると言われました。そのような意味を持っているのです。そのような意味に発展していきます。手と足を洗いなさいということは、普通の話ではありません。それで、私たちはこの部分に対して肉的にもちろん考えることができます。Iヨハネ1章9節は、原罪を言うのではありません。私たちの小さい罪を告白すれば神様はみな許してくださいます。この時ごとに神様のみことばが成就するのです。 ▲皆さんが自分自身を振り返りながら、自分自らを神様の前に立てる時、最も大きい答えがはやくきます。皆さんが紛争、けんかの中で最もはやく解決しようとするなら、私の問題を捜し出せば最もはやく解決されます。夫婦、家庭たくさんあります。本当に祈りの答えを受けるには相手ではありません。神様の前に私を正しく立て直してしまえば、すぐに答えが始まります。私たちはすでに救われたので、皆さん小さな失敗もたくさんあるのですが、それを神様の前に告白する時ごとに、神様は許して、みことばが成就することが行われるのです。すばらしいことです。だれかが事件を起こしたキム・キルテのような人に、こういう自分が悟れる部分を話をしなかったのです。じっとしている女を呼んで行って、数十人を殺したカン・ホスン、チョ・ドゥスン、こういう人々が育ちながら、そのように育ったのです。これが習慣になったのです。これは何でもないようでも、神様のみことばをたくさん読むことより最もはやく成就させるのが何でしょうか。私の誤りを神様に告白することです。ものすごい祈りをせずにも、神様の前に私をきよくささげれば、最もみことばがはやく成就して、答えがはやくくるのです。荒野を行く中に神様がくださる契約で約束です。 3.イエス様は一段階さらに飛び越えて救われた者がより大きい祝福、大きい奇跡を成し遂げる道 ▲三番目ですイエス様はこれを一段階さらに飛び越えられました。 (1)足をみな洗ってくださって、イエス様がこのようにおっしゃられました。あなたたちもこのようにしなさい。 (2)イエス様が言われた後に「互いに仕えあいなさい」ここにとても重要な答えが入っています。相手の手と足を洗ってあげる奴隷になりなさい。相手の罪を洗ってあげる奴隷の役をしなさい。この時、神様の大きい奇跡と神様の大きい祝福を見るようになります。 ▲普通、見れば、仕事をする時、あの人はこれから必ず失敗するだろう、あの人は必ず成功するだろう。違いが生じてきます。しばしば他の人を恨んで、家族を恨んで、夫を恨んでこういう人々は必ず失敗します。それは失敗するしかありません。そのような細胞が作られるのです。仕方ありません。ところで見れば、そのようにまでではないのですが、必ず見れば人を害する言葉をいう人が多いのです。その人は必ず失敗します。ある日、深刻な問題がくるのです。 (3)ところで見れば、必ず人を本当に助けて祈る人がいます。こういう人に重要な答えがきます。 ▲私が知っている方ひとりは、そのまま特別な意味なく、人々がいる時、この人に対して良くないことを話します。大きい目的があるのではありません。大きい目的ではないのですが、そのまま話をするのです。ところで、この人はとても傷を受けます。その人を通じて。それではどのようになるでしょうか。傷つけばそのままいます。ところで、この人がある日、大きな危機に置かれるようになりました。この事業が崩れて、刑務所に行くようになった状況です。ところで、だれかひとりが許してあげれば良いのです。ひとりが許してあげれば良いのですが、後ほど知ったところ、その人がまさにこの人だったのです。この人は何の損害もないのに、許してあげれば良いのに、この人を許してあげませんでした。この人は、完全にほろびてしまいました。人は本当に絶妙です。そんなことも行われます。私は教会をたくさんたどりながら副教役者生活をしてきました。それと共に多くの方も見ました。ところで私はこの教会くる前にいた教会がドンソン教会です。私はその教会にいながら、一番たくさん祝福を受けました。その教会にいながら、伝道現場に行って、多くの現場を前にも行ったのですが、霊的問題を持った人が何だというのを見るようになりました。私はそれまでまったく行かなかったムダン(霊媒師)の村に入ったのですが、その時、そこにいた時に入ったのです。私は事実、未信者状態をその時、分かりました。だから、どれくらい大きい祝福を受けたでしょうか。私が教会生活しているなかで、仕えた牧師先生がいます。私が見るには、その方はとても頭が良い方で、うつわが大きい方でした。そして、とても説教も上手にして、私が見る時はすばらしい方でした。ところで、教会が伝道しない、そのような教会でした。ですから牧師が大きいことでもない、小さい失敗をしたのです。ところで見たら、ほとんどこの牧師の悪口を言って裏切ってみな背を向けたのでした。ほとんどみな見たら、副教役者までもそうでした。それで、私が副教役者を集めました。私たちが教会のために祈らなければならないのではないのか。私たちがこのようにしていて良いのか。長老もそうで、教会に少し問題が出てきて弱点が出てくれば、全部みな背を向けて、全部みな悪口を言って、それでほろびるのです。それで、私はそのように考えませんでした。あの方がとても立派な方なのにだれかが支えることができないのだ。私の誤りだ。こういう気がしたのです。それで、副教役者全部を私が招集して、夜ごとに祈ろうと言いました。それで、1ケ月祈ったことがありました。そうだったのですが、問題は神様が解決されるでしょう。ところで、私は中心でそうだったのです。ところで、過ぎて見たら、神様はその時、私を最も祝福されました。どれくらい祝福を受けたでしょうか。その後に会ったのですが、出会いも神様がなさるのではないでしょうか。その後に会ったのですが、皆さんに会って、この教会をするようになりました。私はその後にも見たら、とても出会いの祝福がたくさん開かれ、世界福音化が成されるのです。 4.結論-なぜ神様がこの命令を下されたのでしょうか。 ▲なぜ神様はこの命令を下されたのでしょうか。私たちが特別なものでもないと見られるのに、なぜ手と足を洗えと言われるのでしょうか。なぜそうでしょうか。荒野で握る大きい答えがあるためです。これが問題ではなくて、荒野を行きながら、これから受ける答えが大きいことがあるから下された命令です。今日、皆さんよくわかって、大きい答え受けられるように願います。 (1)荒野を行く間、神様が三つの祭りを与えられたのですが、この祝福を正しく受けなさいということです。羊の血を塗った日、エジプトから出るようになりました。これが何の話なのでしょうか。過越祭です。荒野を行く間にみんな死ぬと思ったのですが、荒野を行く間に勝利しました。五旬節です。神様は契約の民を最後まで天国まで導くというサインです。収穫祭です。こういう契約を正しく回復しなさい。それで手と足を洗いなさい。そうすれば、すばらしい礼拝になるでしょう。手と足を洗う礼拝をささげなさい。私たちは何でもないことのようですが、私たちは普通だと思っています。しかし、これが最も重要です。韓国にいるすべての教会が、この部分を最も普通に見るのですが、神様は最も重く見られました。神様はみな準備しておいて、最後に言われたみことばです。前にみな話しました。このようにさせて、あのようにさせて、服はどのように作って、みなしておいて、今は手と足を洗いなさい。なぜそうなのでしょうか。より大きい契約が残っているからです。これから契約の箱が行く所ごとに神様の働きが起きて、人が生き返るようになります。 (2)契約の箱が行く所にどんなことが行われたのでしょうか。ヨルダンが分かれました。契約の箱が行く所にエリコが崩れました。契約の箱が行く道に太陽と月が止める働きも起きました。この祝福を受けるために、いらない苦労せずに手と足を洗いなさい。そして礼拝しなさい。どれくらい重要な話でしょうか。 (3)そしてさらに重要なのが何でしょうか。これから幕屋中心に大きい恵みを受けなさい。これが、これからカナンの地に入る大きい聖戦になるでしょう。 ▲私は神様に会う前には福音、キリストが分かる前には本当に多くの困難がありました。ところで、神様を私が分かってからは、本当に神様が私にくださる恵みを知るようになりました。私は幼い時、いくつかのことを見ました。行くところごとに貧しいということを見ました。貧困、教会も行くと貧しくて、家に帰っても貧しくて。私が幼い時、見たのです。幼い時、多くの貧困、それは無能で付いてきます。この無能なことを見たのです。私はそこに対して決断を下しました。私が神様に祈って、神様に答えを受けて、本当に貧困と無能を福音で十分になくせます。私がそこに陥りませんでした。手と足を洗ったのです。手と足を洗いなさい。大部分の人々を見ればお金、お金、お金。そこに陥ったのです。もちろんお金は正確でなければなりません。それと別の話です。これがみな問題です。皆さんが手と足を洗って礼拝しなければなりません。手と足を洗わなければならないのです。ですから、霊的にすばらしい意味を持っているのです。ところで、大部分の人が不平不満という泥の中にそのまま陥るのです。大部分の人々が、貧困、無能、お金、こういう問題の中に陥ります。神様が今日、手と足を洗って礼拝すれば、神様はあなたが死なないようになり、驚くべき働きが起きるようになります。私は神様が分かって、手と足をみな洗いました。とても私たちの背景は難しいことが多かったのです。教会を私がここにくる前まで六つの教会を経ました。教役者生活を長くしてみたら、このようになりました。 -私は私たちの第一に始めた教会が母教会なのですが、とても貧しい教会でした。伝道運動が全く起きませんでした。私はそのときに、契約をぴったり握りました。私が本当に神様の前に祈って、力ある神様の人で生きなければならない。本当に福音伝道だけ悟れば良いのに、私は福音だけ知って伝えて、人を生かすつもりという契約を握りました。それを本当に握ったのです。それが手と足を洗うことです。そのまま陥らずに恐れをなさずに、契約をしっかりと握らなければなりません。今でも本能的にとても人が無気力で無能なのが嫌いです。お金をだましたり、お金をケチにすればとても嫌いです。他人のことだと言いながらお金をくすねる人を見れば、とても嫌いです。そのまま本能的に幼い時にそうだったので。とてもやつれて貧しくて、お金、お金、お金という人を見れば気分が悪いのです。それも傷なのかわかりませんが、とにかく私がそうです。人がちょっと素晴らしくもうけて、素晴らしく使うべきで、毎日それでは普通の霊的問題ではありません。 -二番目の教会を行ったところ、その牧師はとても人の顔色を見たのです。私はその時、習いました。人の顔色を見ずに、神様の顔色を見なければならない。全部、私に教える教師たちが契約です。私がぴったり握ったのです。 -その次に、三番目の教会に行ったところ、この教会はまた牧師が自分の思いどおりにしていました。長老と何でも、思いのままにみな切り捨てます。不思議な方でした。そこで習ったことがあります。主のしもべは、長老と信徒に仕える者として呼ばれました。もし私と重職者の意見が合わないならば私は重職者の意見について行く。その時、習った契約です。それで、私はそこでそのような汚いところで手と足を洗ったのです。 -その次に行った教会が四番目の教会でした。ところで、四番目に教会に行く前に行った教会は、とても金持ち、エリートが暮らしていた所でした。本格的にけんかをしました。たくさん学んだ人々がたくさん学んだから、けんかもとても上手にします。けんかする人が集まってするのですが、戦いもどれくらい組織的に上手にしたでしょうか。たくさん学んだ方々です。ところで祈りの答えを一つも受けられないのです。次世代はみなほろびてさまよっていました。私はそこで習ったことがそれです。教会では、ただみことば運動、福音運動、伝道運動だけしなければならないということだな。私はあんな汚いところから抜けて、私の手と足を洗わなければならない。本当です。この全部の学習が祝福です。 -その次に行った教会は、無条件に寝る教会でした。不思議な教会です。復興しようが、しまいが、無条件おやすみになるところでした。その時、私が習いました。神様が私たちをご覧になって、寝ていたら良いだろうか。肉体の睡眠は分からないが、霊的に寝てはいけません。それで私がそれを学びました。 -それで行ったところが、ここにくる前に副牧師最後にしたその教会です。ここにはまた韓国で噂になるほどけんかをする教会でした。教会がそうだったのです。その時、私が習いました。主のしもべを尊重して、油注がれたしもべを尊重して、人を尊重しなければならないのだな。神様の人を尊重しなければなりません。私はそれを習いました。そして契約をしっかりと握ったのです。 ▲その汚い泥水に手と足が陥ってはいけません。どのように家庭の主婦が土がついたものでご飯をよそうでしょうか。あえて私たちが神様の子どもで、神様の祝福の人なのに、そのような泥水を塗って持ってはだめです。洗いなさい。ところで驚くことです。その時、経験したものが、みんな答えでくるのです。愚かな私が、私が生きてきたと思ったところ、知ったところ神様がすべて知っておられて導いって来られたのでした。私たちがどれくらい愚かなのか、単に私たちが生きているのだと思っています。私が一生を送って、伝道を長くしてみて見たら、すべてみな神様が導かれたのです。ですから2つのことが出てきました。本当に感謝です。もう一つは何でしょうか。申し訳ない。神様が伝道者を祝福して誤ったことは許してくださって。それが感じられました。本当に申し訳なく思います。 ▲私たちの全国、世界レムナントは祈りを学ぶことを望みます。今日の本文の中で説教に中で、習うことを希望します。何でしょうか。開始を正しくしなければなりません。レムナントは、どんな場合でも、不平不満、気をおとさずに開始を正しくしましょう。貧しくなったのでしょうか。事業がうまくいかないのでしょうか。一番底辺で正しく始めろということではないでしょうか。人を通して裏切られたのでしょうか。今は私が人間関係と世渡りを正しくしなさいということではないでしょうか。ですから、開始を正しくしなければなりません。私がからだが良くないのでしょうか。神様がもう残った人生に祈りながら、健康管理しなさいというサインではないのでしょうか。ですから家庭に問題があるのでしょうか。レムナントは、これから結婚、こういうものに対して正しく祈れとの神様のサインではないのでしょうか。開始を正しくしなければなりません。そして、本論は何でしょうか。泥水に陥らないということです。手と足を洗いなさいということです。イスラエルの風習を話したように見られるのですが、神様はとても重要なことを話されました。 ▲そして何でしょうか。祈りを正しく習いなさい。皆さんが本当に一日に5分、10分だけ神様に向かって黙想できるならば力が現れます。やさしいのです。皆さんが一日に10分だけ他の祈りの課題は必要ありません。神様に向かって、私に神様が聖霊で働いてくださいと祈れるならば、働きが起きます。それが最高の祈りです。ある学者がこういう話をしました。30秒間だけ何の考えもなくいられるならば、奇跡が起こるのに、そのようなことがはありえないということです。30秒間、何の考えもなくいられるのでしょうか。それが不可能です。ところで30秒間だけ私が黙想できるならば、奇跡が起こるということです。そのことをどのようにするのでしょうか。どのように考えが出ないのでしょうか。ある面で見れば、不可能な話です。ところで、聖書にはそうなっていません。皆さんが一日に10分、20分、30分だけ、本当に神様に聖霊に満たされることと力を求めて祈れば、あらゆる分野に新しい働きが起きます。 ▲神様の人々であるすべての重職者と、レムナントと、すべての信徒が、今日、礼拝する中に実験してみてください。今日一日だけみことば受けながら、一つだけ祈りなさい。神様が聖霊で私に働いてください。そして、私の手と足を洗うようにしてください。本当に神様、私に聖霊で働いてください。それでは驚くことが行われるのですが、六日間、答えが正確にくるようになっています。それよりさらに重要なのは、皆さんがこの祈りの祝福の中で、毎日生きているなら、神様が正確に働かれるようになっています。私が分かることでは、皆さんが少しだけ良い時間を作っておいて神様の前に祈れば、答えは神様がみななさるようになっています。この祝福を本当に回復するようになることをイエスの御名で祈ります。 (祈り) 神様、今日、祝福の日になるようにしてください。今日、私たちの幕屋中心に生きる開始になるようにしてください。真に礼拝をささげられる手と足を洗う日になるようにしてください。神様がくださる答えを受ける手と足を洗う日になるようにしてください。それで、神様の霊的な体験を現場で多くの人を生かす証拠で起きるようにしてください。今日一日礼拝する中に、みことばが成就する日になることを祈ります。今日、礼拝する中に、病気がいやされる力の働きも起きるようにしてください。今日一日中、礼拝する中に、霊的いやしが起きるようにしてください。新しく任職される長老に天の大きい祝福を注いでください。本人が多いの人にあかしできる新しい力を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン. (The end) 第2部:ヘロデオンとナルキソの家の人
(ローマ16:11)
〓要約資料〓 →序論 ▲今日、皆さんが一つだけ記憶するように願う。「主にあって...」この話はキリスト中にあるということだ。救われていない人々は、船の主人がサタンになっているから、ずっと問題がくるのだ。それで、主にある者は運命、すべての暗やみから解放されたので、主人が変わったのだ。 ▲それでは主にあって、何を持っているのか。ローマ16章の人々が知っていたことは何か。 1.イエス様が公生涯3年間したことを知っていた。 (1)キリスト-公生涯3年間、三つのことを説明して見せられた。 1)マルコ10:45、人間が受けなければならない呪いを十字架で全部解決-祭司 2)ヨハネ14:6、わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。神様に行く道-預言者 3)Iヨハネ3:8、悪魔のしわざを滅ぼされた。 (2)この中ににある祝福を捜し出すのだ(マタイ13章) ▲皆さんの持っている信仰がいくら、種、からし種、パン種のようでも、大きい木になって広がるようになる。真珠を持っていることで、大きい宝の畑を発見したのだ。これから皆さんが受ける答えがそうだ。 2.イエス様が復活してくださったみことばを握った。 (1)あなたとともにいる。 1)すべての国の人々を弟子としに通う時(マタイ28章) 2)わたしの名で癒して、みことばであなたとともにいる(マルコ16章) 3)使徒1:8、目に見えないように聖霊であなたとともいいる。 (2)使徒1:1すべての問題を解決した鍵を与えた。この鍵だけ持っていれば良い。そうすれば、使徒1:3、神の国が臨むようになる。それでは、皆さんに力が現れるようになる(使徒1:8) 3.皆さんにどんな祝福をくださったのか-次世代と子どもに祝福 (1)刻印-本人も知らず入って刻印されたことが重要だ。 (2)刻印されたことを癒すことができるのは福音しかない。 (3)なぜ訓練を受けるようにするのか。刻印されたのを変えようと... 4.結論-どのようにこの答えを私が味わえるのか ▲この答えを味わうのが祈りだ。祈りはどのようにすべきなのか。 (1)レムナント7人を見よう 1)創世記39:2、主がヨセフとともにおられた 2)詩78:70-72、羊飼いでありながら、この祝福を味わった。 ▲少しだけ神様に向かって集中すれば、とても大きな働きが起きる。 (2)創世記13:18、アブラハムが神様の前に祭壇をきずき始めた。 ▲出3:18-20、モーセがホレブ山で神様の力を体験した。皆さんが一日に10分だけホレブ山に行きなさい。 ▲ダニエル3:8-24、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ-たとえそうでなくても...普段の時に祈りの祝福を味わっていた。 ▲ダニエル6:10-22、ダニエルが獅子の穴に入った時-ダニエルは普段の時に祈りの力を信じていた。これだけ見つければ良い。これが使徒1:8 (3)自分がする一番良い方法でしなさい。 ▲エレミヤ33:3叫んでも良い。マルコ1:35イエス様も夜明けに山に登って祈られた。使徒12:1-25、夜に祈り。方法は皆さん自らすれば良い。ダビデは賛美で深く祈った。クロスビーも賛美で... ▲皆さんが一日に一度だけ幸せな時間を持とう。一日に一度だけ力の時間を持とう。その人々がローマ16章の人々だ。そうすれば、答えがくるようになっている。 ▲私はいつも3つのことをする。@運動 A健康(呼吸) Bそれと共に祈る。このようにするのに、本当に神様の働きと答えが起きる。皆さんがこの祝福を回復することを望む。ものすごい力が出てくる。祈りは霊的な力だが、科学だ。私の基準はなくなって、神様の基準が私に臨むことを聖霊の満たしと言う(ガラテヤ2:20)。この経験を一日に5分するだけでも、皆さんは大成功をするようになる。今年はこの祝福を必ず体験するようになることをイエス様の御名で祈ります。 (The end) 〓録音資料〓 →序論 ▲今日、皆さんが一つだけ記憶されるように願います。ローマ16:11を見れば、私の同国人ヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちにもよろしくとなっています。名前を知らなくてもかまいません。英語の単語を覚えることも大変でしょうが、覚えないでもかまいません。 ▲ところで皆さんが必ず一つ記憶しなければならないことがあります。ここに今「主にあって」と言われています。この話は、キリストの中にあるということです。この言葉を正しくわからなければなりません。皆さんが、キリストの中にあるという言葉はどんなことでしょうか。ここにこのように船があります。窓もあります。船に乗った人がいます。ところで、この船が何の船かというと、強盗が乗っている海賊船です。泥棒が乗っている海賊船です。それでは、この海賊船は悪いことをするでしょう。それでは、この海賊船に乗っている船員はどうなるでしょうか。仕方なく悪いことをしなければなりません。なぜなら親分のためにです。中に親分がいます。それではこの船員がとても熱心に仕事をすれば良いでしょうか。この人がとても優しければ良いでしょうか。私たちは多くの人々が優しくなければならなくて、がんばらなければならないと言います。もちろんそうです。さらに重要なのは、どんな船に乗っているかが重要です。しかし、そのように教える人がいます。正しい言葉なのですが、どんな船に乗って優しくすべきでしょうか。皆さん、こういう話は一般信徒がよく知らないのですが、牧師、神学者がよく理解をしなければなりません。そのように教える所が多いのです。海賊船に乗っている人がとても優しい。それなら、それはさらに悪い奴です。なぜならとても、優しいから言葉をよく聞いて、盗みがさらにうまくいくからです。それで、海賊船に乗っている奴が優しいならば、さらに悪い奴なのです。いっそ海賊船に乗った奴が言葉を聞かないのがより良いのです。いつも朝寝坊者して、嘘をつくべきで、盗みが良くできないでしょう。救われていない人々は船の主人がサタンになっているから、とても問題がきます。よく食べて良く暮らすように見られるのですが、ずっと後ほど問題がきます。 ▲それで主の中にある者は、ここで運命が完全に変わってしまうのです。海賊船が救いの船になります。救いの船に乗ったのです。他の人を生かしに通います。この変わったことを見て、主の中にある者と言います。この救いでは名前はとても重要なキリスト号です。これがキリストの中にあるのです。この船に乗りました。ここにサタンがある必要はありません。神様が主人です。イエス様が主人です。普通の話ではありません。皆さんはキリストの中にある日から、すべての暗やみからは解放されるということです。先週にも話しました。キリストの中にあるその日から皆さんは運命からも解放されます。そして、どのようになるかというと、前に絵を見なかったのでしょうか。主人がとても変わる瞬間です。 ▲前には私の主人がサタンであったため、私はそこで奴隷の役割をしていました。そしてキリストは私と関係なかったのです。いつも難しかったのです。難しくなるしかありません。自分の思うとおりになりません。 私たちはよく悪口を言います。キム・キルテを殺せと言います。狂ったのではありません。精神は正常です。そして、今でも頭を使っています。そうでなかったといって、したといったりします。狂った人ではありません。女子学生、女たち20人を殺したやつらが、みなこういう状態です。他の人、未信者は知りませんが、正確に聖書的に話せば、サタンに捕えられた状態です。そして、はなはだしきは同じ言葉です。悪霊につかれた者です。ですから、霊媒師たちが、悪霊につかれたので悪霊が主人ではないでしょうか。悪霊が主人ではないのですが、主な役割をするのです。それでこれを持って神学者が悪いと話すのです。柳光洙牧師はイエス様が十字架で死んだのはサタンのために死んだと言うと。しかし、そのように言ったことはありません。この重要なことを持ってそのように言うのはとても悪い奴です。これが人に主人の役割をするのです。人間が悪いことしようとするのではありません。ある時は、しないと思うのに行くのです。悪霊が主人なので、そうなるのです。皆さんがここから解放されてしまったのです。それで、イエスを信じる信仰によって、この暗やみとサタンと関係なくなってしまいました。これがキリストの中にいる者ということです。 ▲ところで、大部分の人々が、どのように生きているかというと、信仰生活をするとは思わなくて、私が主人です。私が処理するのです。私ががんばっています。がんばっても、私ががんばるのです。大部分、このように生きていっています。そして、キリストは主人になるべきなのに主人ではありません。このように信仰生活をする人が多いのです。自分の固執のとおり自分の思いどおりです。なぜなら、私が主人であるためです。ですからやたら攻撃を受けます。負けることはないけれど、攻撃を受けて、ずっと困難にあうのです。皆さんが本当に祝福を受けようとするなら、キリストが主人にならなければなりません。私はキリストのなかで生活を送ったのです。これを主の中にある者だと言います。すばらしい祝福です。これが皆さんが受けた途方もない祝福です。 ▲それでは、主のなかで何を持っている者なのでしょうか。これが重要です。この中にいるのに、何もなければだめです。この救いの船に乗ったが、救いの船内に何もありません。どうなるでしょうか。救いの船に乗ったが、誤ったものがあります。それではだめでしょう。多分、ずいぶん昔なので、チョ牧師が覚えているかどうかわかりませんが、ずいぶん前のことです。二人で忙しい渦中に聖日にみな終えて月曜日に島に行くことにしたのです。その時、多分、今は道ができているでしょう。カドク島に行くことにしました。そのようなところに行く前に、明日行かなければならないから。海にテントを張っていました。テントを張ったらお腹がすいたのです。聖日を終えて行って、真っ暗な夜であったし、次の日、月曜日に行かなければならなかったのです。少しいたら、船が一艘きました。それで何があるのかと見たところ魚を釣って入ってきたのでした。それで魚を売ってくれと言いました。すると、分かったというと、お金は少ししか上げなかったのですが、魚をたくさんくれました。夜に月の光に魚をあらまし食べました。問題は朝日が昇ったのですが、私たちが魚を買って洗った海水が完全に腐った下水だったのです。すみにテントを張っていたのですが、夜に見たら水がきれいに見えたのです。夜に見れば水がきらきらするでしょう。そのままそれをそこで洗って食べていました。そのようにして、カドク島に行きました。行くやいなや、チョ・ウンテク牧師がノックダウンしました。これで宿舎を一つとったのですが、一日中、横になっていました。私に行こうということはできなくて、ずっと横になっていました。どれくらい大変だったでしょうか。同じように食べたが私は大丈夫でした。それで私は外に通うべきなのに、一人で通うことはできなくて、前に横になっていました。それで、痛くて何もできなかったことを思い出します。私たちは今食べ物を誤って食べても問題がくるのです。 ▲そして、人はどこで生まれたのかにしたがって変わります。私はタイのようなところに行って驚きました。フィリピンの中に行っても驚きました。フィリピンに行って海辺に行って食事をしようとしたのですが、食事ができなかったのです。海水が完全にみな腐って上がってきていました。それまでは大丈夫です。そこの川に行けば、そこで洗濯して、そこで食べて、すべてしています。これが私は理解できません。その水に入って、ぞうきんを洗って、くつしたを洗って、入浴してみなします。そして出てくる時、水を汲んで出てくるのです。あのようにして、どのように生きているのかという気がします。そのような国が多いのです。ですから、人がどこで生まれて、どこにいるかがどれくらい重要でしょうか。キリストの中にある、この話はとても祝福を受けたことです。どんなものを持っているのかということです。 ▲ローマ16章の人たちが知っているのが何でしょうか。 1.イエス様が公生涯3年間したのを知っていました。 ▲イエス様が公生涯3年間になさったことがあるでしょう。これを知っていたのです。イエス様が公生涯3年間に三つのことをおっしゃられました。とても重要です。 (1)その単語をキリストと言います。 ▲皆さんが必ず分かるべきではないでしょうか。イエス様が3年間に、これを説明して見せられたのです。キリストという言葉は何の話なのでしょうか。 1)マルコ10:45皆さんと私が受けなければならない呪いを全部十字架で解決されました。これを祭司と言います。キリストが十字架を負われることによって、皆さんが受けなければならないすべての罪を全部解決してしまわれました。どうしてキリストが解決されるのでしょうか。なぜなら、人間は創世記3章の問題を解決できないからです。創世記3章の問題を完全につかんで解決されました。それで、この単語をキリストと言います。それだけではありません。 2)ヨハネ14:6わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。神様私たちが行ける道を開く預言者です。私たちは行くことができません。皆さんこの祝福を受ければ、聖霊が働かれるようになっています。 3)Iヨハネ3:8に神様の息子が来られたことは悪魔のしわざを打ちこわすためです。 ▲これをイエス様が3年の公生涯の間、教えられたのです。これを皆さんが持っているのです。それで、この事実を、この祝福を捜し出すのに、この中にすばらしいことが入っています。 (2)ここにもうイエス様が公生涯マタイ13章に説明を一番よくされました。 ▲皆さんが必ず記憶しなければなりません。皆さんが小さい種一つを植えたように見えるのですが、大きい実を結ぶようになります。皆さんの信仰がいくら小さくても、からし種も木となります。それで、気をおとしたり、信仰生活どのようにしなければならないのか気を遣うことがありません。この契約を握って見てください。皆さんが本当に答えを受けなければならないのではないでしょうか。皆さんが持っている信仰が目に見えないように見られるのですが、イエス様に比べて、パン種のように見られるが、ぱっと広がるようになっています。皆さん信仰が目に見えないように見られるのですが、後には貴重な真珠のようになるのです。これをイエス様が説明されました。皆さん見るには、皆さんは苦労する人のように見られるのですが、大きい宝の畑を発見したのです。 ▲これがイエス様が3年間おっしゃられた要旨です。どれだけ祝福を受けるのでしょうか。ヘロデオン。弟子の中でヘロデオン、この人はヘロデ王、とても悪いヘロデ王の家系です。この人が弟子になったのです。想像もできないことが行われたのです。ナルキソはだれでしょうか。ナルキソは、クラウディオ皇帝の秘書がナルキソです。そこの家の人であるから家族です。こうしたことが起きたのです。この福音は、どれだけ力があるかというと、入って行くとこういうことが行われます。これから皆さんが受けた答えがそうであることで、受ける答えもそうです。 ▲今日から記憶してください。必ず握って記憶してください。 2.イエス様が復活してくださったみことばを握りました ▲イエス様が復活してくださったみことばがあります。これを握った人々です。それでは、皆さんもそのようにすれば良いのです。イエス様が復活して何とおっしゃったのでしょうか。 (1)目に全く見えないが、あなたとともにいる。そのとき、マタイ28章に、すべての国の人々を弟子としに通うとき、あなたとともにいます。わたしの名でマルコ16章を見ると、いやすため、みことばであなたとともにいます。使徒1:8、目に全く見えないのですが、聖霊でともにいる。これが約束です。それでこれを持っている人々です。今日よく見て、皆さんがどのように答えを受けるのか見てください。そして何を与えられたのでしょうか。少しだけ考えれば良いのです。 (2)使徒1:1すべての問題を解決した鍵を与えられました。皆さんがこの鍵だけ持っていれば良いのです。持っていれば使徒1:3神の国が臨むようになります。そうすれば、皆さんに力が現れます。これを約束されました。これを実際に初代教会が受けたのです。 3.皆さんにどんな祝福をくださったのでしょうか ▲さらに重要なのは、今は皆さんにどんな祝福をくださったのでしょうか。この契約を持っていれば、主イエスを信じなさい、そうすれば、あなたとあなたの家族が救われます。皆さんの次世代と子どもです。間違いありません。この約束を握ってください。今日、皆さんがイエス様の公生涯3年間、活動されたとき、最高の約束です。これを持った人をキリストの中にある人だと言います。皆さんがこれを味わうようになります。復活してくださった約束ですが、そのまま成就します。そして、すべての国の人々まで含まれるのです。皆さんの子どもまで含まれます。 ▲とても重要な単語が二つがあります。皆さんの子どもたちに、レムナントに一番重要なのが何でしょうか。 (1)本人も知らず何かが入って刻印されれば、いつか知らず人を殺しておかしなことをできる考えが刻印されたのです。これが怖いのです。ギャンブルをしないと思うのに、刻印されています。盗んではいけないと思いながら刻印されています。怖いのです。私は運命から抜け出したいのですが、刻印されています。 (2)この刻印されたことをいやすことができる薬は一つしかありません。その薬が福音です。 (3)ところで、なぜ訓練を受けるようにするのでしょうか。これが重要です。訓練された刻印されたことを変えなければなりません。それで、ある時は余裕あるように待って、ある時は耐えたりもします。私たちのレムナントも、少しだけこの契約を握れば良いのです。 4.結論-どのようにこの答えを私が味わえるのでしょうか ▲それでは、今日ひとりももれなく、どのようにこの答えを私が味わえるのでしょうか。この答えを味わうのが祈りではないでしょうか。祈りはどのようにすべきでしょうか。 (1)皆さん祈る時にレムナント7人を見てください。皆さんが今から一日に10分だけ、この時間を持っても良いのです。レムナント7人がどのようにしたのでしょうか。とても困難がくる時も関係ありません。創世記39:2を見ると、主がヨセフとともにおられました。レムナント7人の中で2人だけ例をあげてみます。ダビデがよくやったことが何かと見ると、詩78:70〜72に羊飼いでありながら、この祝福を味わい始めたのです。これだけ握れば良いのです。さっき1部礼拝の時少しの間の話したのですが、祈りで一番重要なのは何でしょうか。今日からしてください。勉強はよくすれば良くできるのではありません。勉強は何が必要なのでしょうか。集中が必要です。祈りが一つの集中力です。少しだけ神様に向かって皆さんがこの祈りをするようになれば、ものすごく大きなみわざが起きます。その他に答えを受けた人々を見てください。 (2)アブラハムが、いくらもがいてもだめなのに、創世記13:18に祭壇を築きはじめました。 ▲皆さんが答えを受けるように願います。一日に一度だけこの時間を持っていれば、ある日この答えが来てしまいます。何も恐れることもなくて、心配する必要もありません。皆さんはすでに救いの船に乗ったのでこの祝福を探して味わいさえすればよいのです。これが皆さんが持ったものです。簡単に話せば、神様がくださったのです。ところで、これを知らずにクリスチャンも答えを受けられないで歩き回っているのではないでしょうか。全世界の重職者が、一日に10分だけこの時間を持ってください。これを大変だと思うのではありません。とても安らかです。皆さんが10分の間だけ拷問を受けることでもなくて、10分の間だけ幸せな考えをしなさいということです。皆さん一日に10分だけとても幸せな考えをしてください。祈りです。みわざが起きます。なぜなら、すでに来ているためです。今、私たち第2の使命者である総会神学生もいます。皆さんが一日に一度だけこの恵みを味わっていても、ある日、働きが起きるですが、私の目に見えるようになり始めます。よく心に刻んでください。 ▲80年間、もがいてもだめだったのに、出3:18〜20を見たら、モーセがホレブ山で神様の力を体験しました。モーセがこの祝福が来ていること知らなかったのです。分かったのですが、味わえませんでした。ある日、これを見えるようになりはじめたのです。皆さんが一日に10分だけホレブ山に行ってください。やさしいか、難しいでしょうか。一日に一度だけこの祝福を受けてください。世の中で人々がこれをしないのです。救われた皆さんが、これだけすれば、高齢でも関係ありません。80歳のモーセに働きが起きました。 ▲ダニエル3:8〜20を知っているでしょう。私たちが火の中に入れば主が助けられるでしょう。ところで重要な話は、たとえそうでなくてもという言葉です。火に入って死ねば、神様がおられないのでしょうか。違います。この人らが火の中に入って生き返ってきました。神様が生きておられると思うのでしょうか。その話ではありません。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが普段の時に、この祝福を味わっていたのです。皆さんが一日に一度だけ祈りながら幸せな考えをすれば、からだも心もいやされ始めます。これがどれくらい大きい祝福でしょうか。 ▲ダニエル6:10〜22を知っているでしょう。ダニエルを陰謀によって獅子の穴に入れて処刑したのです。しかたなくダニエルが獅子の穴の死刑を受けるようになったのですが、獅子の穴に入る時に王がどのように言ったでしょうか。その時の王の名がダリヨスです。このダリヨス王が何と言ったでしょうか。しかたなく法の通り死刑をしなければなりません。残念で言ったことは何だったでしょう。ダニエル、あなたがいつも仕えている神様があなたを救われるだろう。それは、王がダニエルが常にこの祈る祝福を知っていたということです。 ▲これを今日見つけ出さなければなりません。このようなとき、どのようにすべきでしょうか。あのようなときは、どのようにしなければなりませんか。それもありますが、普段の時に、毎日のように一日に一回ずつ健康、力、祝福、信仰、希望これを一日に一度だけ祈りでしっかりと握りましょう。そうすれば、皆さんが運命が変わった主の中にある者というものを知るようになるでしょう。十字架に釘づけられたのですから、私たちが少しでも味わって行くべきで、そのまま行ってはいけないのではないでしょうか。ある人は、救われ神様の子どもが一生さまよって歩き回って答え受けられないで、そのように死ぬ人が多いのです。これはものすごい祝福です。皆さん1人のゆえに、すべての運命はみな変わるようになります。皆さん1人のゆえに、現場にこのようなことが行われます。皆さん1人のゆえに、必ず皆さんの次世代とレムナントに、こういうことが起きるのです。驚くことが行われます。ですから、一つだけしなさいと、これだけしてみてください。勉強もこの中で。その翌日、その時の法律で24時間の獅子の穴で死ななければ助けるということなので、王が朝早く行ったのです。その時、何と言ったでしょうか。いと高き神のしもべダニエル。あなたがいつも仕える神様があなたを救い出してくれたのか。死んでいたら声が出なかったであろうに、中から、王よと言いながらダニエルの声がしました。王様、永遠に生きられますように。ダニエルが生きていたのです。それが問題ではありません。獅子の穴で殺されるはずが生きていた。それが問題ではないのです。ダニエルは、普段の時にこの力を味わっていたのです。これを私たちのレムナントが必ず見つけ出さなければなりません。そして、皆さんも見つけなければならないのです。これだけ見つければ、もう答えもきて、事業もこのようでなければならないかではありません。ずっと何かが来ます。 ▲これを使徒1:8、ただあなたがたは力を受けて地の果てまで証人になります。最後にもう一つ言います。 (3)このように味わうのに、自分がすることに一番良い方法でしなさい。 ▲必ずしてください。私は教会に行ってとても大声を出して祈らなければならない。大丈夫です。エレミヤ33:3皆さんこれをしてみてください。一日に一度だけしてみてください。みわざが起きます。私は山に行って祈ってはいけませんか。大丈夫です。上がって倒れることだけはやめなさい。マルコ1:35イエス様も夜明けに山に行って祈られました。朝の祈りをしたくないある牧師が朝の祈りをどいつがしたかと言いました。イエス様が作られたのです。使徒12章を見ると、夜に。それも大丈夫です。皆さんが方法は皆さん自らすれば良いのです。またダビデは賛美で。賛美で深く祈りました。クロスビーも賛美で。 ▲皆さんが一日に一度だけ幸せな時間を送りましょう。一日に一度だけ力の時間を回復しましょう。その人々がローマ16章の人たちです。そうすれば、答えがくるようになっています。 ▲それで、私は私たちのレムナントのためにすることですが、常にすることですが、一日に3回ずつします。必ずします。私はメッセージを準備しながらも運動をします。度々してみるならば、いつもするようになります。私は一度運動すればプッシュアップを500回ほどします。おばあさんがまねをすれば倒れてしまうでしょう。私は運動をすれば肉体的にとても助けになります。皆さん本当に運動してみてください。できるなら、疲れません。今日からしてみてください。わざわざもして、家でもしなければなりません。私はいつもします。他の人より、よくします。スクワット運動のようなもんは、それは時間がない時、外に出て行かないでも良いでしょう。今日、直ちに男の学生たちがスクワットを500回程度してみてください。それが後ほど正常になる時までしてみてください。それだけしても運動になります。私はこれをいつもします。その次に、健康のためにする方法があります。昔からそのまま呼吸法を持って健康になるようにしました。私はこれをいつもします。これをして20年になりました。そして何をするのでしょうか。祈りをします。私がおもにする3つのことです。このようにするのに、本当に神様のみわざが起きて、答えが現れます。今まで私は多くの答えを見ました。むしろ、私を倒そうとする人々がみなほろびました。戦うこともせず、祈りだけしたのですが、私は何の異常もありません。むしろ私を攻撃する人々がみな困難にあいました。本当です。釜山の人々は確認をしてみてください。戦ったこともなくて、答えたこともありません。そのように攻撃するのに尋ねたこともありません。おもしろいのは1人ももれなく時間をおいてみなほろびました。ほろびるのもそのままほろびないで、完ぺきにだれが見ても分かるほどほろびました。私はこれだけ継続したのです。キリストのなかで。 ▲皆さんこの祝福を回復するように願います。タラッパンすべての家族が回復するように願います。ものすごい力がここから出てきます。祈りは霊的な力ですが、科学です。考えをしてみてください。一日に10分だけすれば良いのに、一日に一度だけでも1、2年過ぎればすばらしくなります。皆さんはするというだけでもみわざが起きます。なぜでしょうか。まったくしなかったので神様が感動されるのです。この祝福をなぜしないのでしょうか。ここの基準は私がなくなるのが基準で、聖霊が臨む基準だから、これを集中ある祈りをしなければなりません。これで私の基準はなくなって、神様の基準が私に臨むことを聖霊の満たしと言います。ご存知でしょうか。聖霊に満たされたら何かからだが熱くなるべきでしょうか。なることもあります。ごろごろひっくりかえるべきでしょうか。私という基準がなくなるのです。私という基準がなくなってしまえば、それまでは宗教となります。あらゆる事をみな捨てるのです。福音はそうではありません。その後に神様の基準が私に臨みます。仏教も非真理ではありません。私をなくさなければならない真理の中の真理です。ですから一つがもっとなければならないのです。神様の働きが私にこなければなりません。これを聖霊に満たされると言うのです。 ▲この経験を一日に5分だけしても皆さんは大成功をするようになります。本当に残念です。聖霊の満たしという言葉を聞き取れません。これ出せ、あれ出せという必要がありません。そのようなことは後ほどしてください。ガラテヤ2:20神様の聖霊が私の中に。これが聖霊に満たしです。これを皆さんが毎日のように少しずつ味わえば、皆さんが考えても、驚くほどの人になります。 ▲私は私が思っても理解できません。私が今、今週が過ぎてとても宿題ですることが多いのです。メッセージだけすればよいでしょうが、宿題で書くことが多いのです。メッセージを一度してみたことがありますか。私の話が何のことか理解できない人は一日に3回だけメッセージをしてみてください。するのはできます。後ほどだれもこないからです。ところで、ここに宿題が今週にとても多くて寝る時間がありませんでした。こういうことでは倒れるのではないかという気がしました。私も理解ができません。本当に神様がどのようにして私ができるのかわかりません。そして、事実は私は驚いたのですが、キム・ドンゴン牧師がおっしゃいました。スウォンに行ってみると、小さい教会が多いということです。この人たちが集まってRUTC献金を5、6億円ほどしたということでした。それで私はインマヌエルでよくしたと自慢しようとしたところ、そうではなかったのです。これで皆さんお金の額が問題ではなくて、世界のキリスト教でこうしたことがないのです。その貧しい人が集まって、私たちがRUTC献金をして力を合わせるのを見てください。私たちはここに座っているこの大人たちが私たちが始めた時、何があったのだと思うのでしょうか。何もありませんでした。そんなことが問題ではありません。 ▲皆さん、この祝福は本物です。24時間の中で10分だけ味わってみてください。それでも働きは起きます。今年はこの祝福を必ず体験するようになることを祈ります。どんな問題も解決することができます。祈ります。 (祈り) 神様に心より感謝します。神様の子どもとして呼ばれたことを感謝します。この祝福をキリストの中にあることを見つけて味わうようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン (The end) |