2010年4月25日 聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 講師:柳光洙牧師 (整理:チャ・ドンホ牧師)
第1部:安息日を聖なる一日とせよ
(出エジプト記31:12-18)
〓要約資料〓 →序論 ▲安息日を聖なる一日としなさい。聖日をよく守れということだ。今日も私たちが礼拝をささげに来た理由は、神様のみことばを聞きに来たのだ。それで信仰生活しながら一つは必ず体験しなければならない。神様のみことばが生きて働かれるんだな!という体験しなければならない。 (1)ヨルダンとカナンの地-契約の箱について行け。みことばについて行け。 (2)メッセージをずっと聞いていやされる働きが起きる。イスラエルの民が行く道に困難がたくさん起きたが、みことばを握る時、みわざが起きた。 (3)旧約時代の働き-みことば握った人を通して起きた。 (4)初代教会の人々-その時代に最も正確な神様のみことばを握った。ですから当然に勝利するのだ。 ▲本当に答えを受けられるのか。みことばを正確に握らなければならない。問題は1万種類もあるが、答えは一つキリストだ。 ▲それでは、どのようにみことばを握るのだろうか 1.3つ(三つの祭り)を先に握れ。 (1)過越祭の契約→ 救い 1)聖書の核心一節4つ-創世記3:15、出3:18、イザヤ7;14、マタイ16:16 2)過越祭の契約-出エジプト事件(エジプトのすべてをみな倒すこと) 3)イザヤ43:1-6、わたしは主、あなたはわたしのもの。 4)イエス様の質問(マタイ16:13-20)-本当に私にキリストがキリストになることを望む。それで終わりだ。 (2)五旬節→ 力(聖霊) ▲50日後に実をおさめた。神様が皆さんとともにおられるという証拠だ。聖霊の満たしを与えるという約束だ(使徒2章、ゼカリヤ4:6、使徒1:8) (3)収穫祭→ 天国(神の国) 2.この三つの祭りを同時に味わうのが-安息日 ▲このみことばをみな合わせたこと、味わうのを見て安息日を聖なる一日としなさい!過越祭、五旬節、収穫祭の祝福を毎週みことばと共に味わいなさい。 (1)この日にはマナも降らなかった。神様の恵みを受けられなくて、みことばを握れない人が世の中ことを得てみてもない。 (2)安息日は霊的な祝福をくださる日だ。 3.この祝福を毎週味わわずに実際に毎日味わいなさい。 ▲イエス様が復活された日が聖日だ(ヨハネ20:1)。イエス様は生きておられて、働かれる。毎日、私たちとともにおられる。これを今日、握りなさい。常に握らなければならないことは過越祭、五旬節、収穫祭。そしてみことばは、日曜に出てくるみことばを握れば良い。 *結論-みことばを握って始めなさい。 (1)家庭問題-神様の子どもは、問題があっても恐れずにみことばを本当に握りなさい。 (2)教会問題と自分の周囲の環境-その難しい環境が私を一度も飲み込むことができなかった。それで、神様の民は恐れるな。 (3)私が本当に神様のみことば握ってしまえば働きが起きる。 ▲Iコリント1:18-31、弱い者を用いて強い者を恥ずかしめる。貧しい者を呼んで、富んだ者を恥ずかしめる。あなたがたを生かす、殺す、本物の力は人になくて神様の御手にある。それで神様のみことばを握りなさい。過越祭(救い)、五旬節(聖霊)、収穫祭(神の国)を常に握りなさい。そしてその週にくださるみことばがある。それを握りなさい。そうすれば、まちがいなく勝利する。今日、このみことばを堅く握る祝福の日になることをイエスの御名で祈ります。 (The end) 〓録音資料〓 →序論 ▲安息日を聖なる一日としなさい。聖日をよく守れという言葉です。なぜ守らなければならないのでしょうか。私が知っているある若い方ですが、とても成功した方です。ある日、自分の奥さんに言いました。人はいつ死ぬか分からない。そうしたところ、自分は銀行にいくらあって、どこにいくら与えて、このように話をしたのでした。奥さんは変だと思いました。ところで、この人がその日の夜に寝ていて、胸が痛いと言ったのです。奥さんが、それでは病院に行かなければならないかと言ったら、病院に行くのが良いだろう、普段は病気がない人で、病院に行こうとしても行かない人なのに、自分が行こうと言ったのです。この方が緊急でタクシーを呼びました。タクシーを呼んで、ご主人を乗せて行くのに、行く時に死にました。その知らせを聞いて衝撃を受けました。若い人なのに。もちろんそんな話をしたのでそうなのではありません。私たちに最も簡単にすることですが、言葉はとても重要です。 ▲今日も礼拝をささげに来た理由は何でしょうか。神様のみことばを聞きに来たのです。それで、皆さんが信仰生活しながら、一つは必ず体験しなければなりません。その時から、続いていくのですが、その一つのことは何でしょうか。神様のみことばが生きて働かれるんだなあと思うことを体験しなければなりません。どのくらい正確にみことばを握るかが重要です。事実は、皆さんが昔をずっと振り返ってみてください。いつが一番祝福を受けたかとすれば、神様のみことばを握って恵みを受ける時です。私が本当に神様のみことば悟った時は、その時は何でもないことのようですが、過ぎてみれば、とても祝福の時刻表になるのです。私たちが今、信仰生活する中で本当に神様のみことばが生きて働かれるか、この体験が一番重要なことではないでしょうか。これが信じられないからアブラハムがずっと疑いを持ったのです。神様がカナンの地に行けと言われたのに行ってみたら何もありません。あなたの子孫が国々を生かすと言われたのですが、自分には息子もいないけれど。息子を与えると約束されたのですが、自分の奥さんはみな老いて赤ん坊を産めません。ですから、アブラハムの胸の中に、神様を信じないのではなくてみことばが握れないのです。皆さんが違ったみことばではなく、正確なみことばだけ握れば、確かに答えが来るのではないでしょうか。これが信仰生活で一番重要な話です。私とソウンと対話をするなら何が重要でしょうか。ソウンに最も必要な話、合う言葉を私がしてあげることではないでしょうか。違った話をすれば、この人が損をします。合わない言葉をすれば聞かないでしょう。 ▲私たちが信仰生活するのに、最も重要なのは神様のみことばを正確に握ることです。正確に握ろうとするなら、どのようにしなければならないのでしょうか。いろいろなものが出てくるのですが、まずアブラハムが神様のみことばが握れなかったのです。信仰生活をしないのではありません。神様は信じていたのですが、みことばが握れません。ところで、おかしな特徴が一つ出てきます。ずっとだめなのです。アブラハムがそのような人ではないのですが、ずっとだめでした。そのようなある日でした。アブラハムが神様みことばを握りました。それが創世記13章14-18節です。その時からアブラハムにみわざが起き始めたのです。幼い時から神様のみことばを正しく握った人がイサクです。なぜか、お父さんに起きることを見たためです。ところで、歳月が過ぎながら、その子孫ヤコブはまたみことばを握れませんでした。神様を確かに信じているのに、神様のみことばがこれだと捕えられないのです。21年間、さまよいました。そうするうちに、みことばを握るようになりました。これがとても重要です。おわかりの通り、また変わって、それを見たヨセフは神様みことばを早く握りました。ずっと反復します。イスラエル民が勝利するようになるのに、モーセがいくらもがいても答えが来ませんでした。80年、モーセが待ったのに、答えが来なかったのです。皆さんがおわかりの通り、ホレブ山で神様みことばを握ったのですが、正確なみことばを握るようになったのです。 ▲この体験が必要です。皆さんに、この体験をどのようにするかが今日の答えです。それでは、なったのです。それではこれができなければ未信者にも劣ります。未信者は占いを訪ねて行きます。私たちは占いを訪ねて行くこともできません。未信者は合おうが、合うまいが、何かつかんで行きます。私たちが一番体験しなければならない部分が何でしょうか。神様のみことばが生きて私に働かれるんだな。これより重要なことはありません。私はどのようにしなければならないのでしょうか。こういう気がします。教役者に相談しにきます。私はどのようにすべきでしょうか。私が難しければ、さらに当惑します。このような時、どのようにしなければならないのでしょうか。神様のみことばついて行く体験をしなければならないのに、それが一番優先です。 (1)神様がイスラエルの民に何と話されたでしょうか。あなたたちが今、ヨルダンを渡ってカナンの地に行くべきなのに、契約の箱をついて行きなさい。その言葉は何でしょうか。みことばについて行きなさい。その話です。それで、私たちはこの祝福を正しく受けなければならないのです。 (2)私たちがずっと歌を聞けばどうなるのでしょうか。歌をずっと聞いてみてください。それでは歌を上手に歌えます。ところで他の答えはありません。神様が私とともにおられるということを感じられないようになります。もし、言語勉強を継続すれば言語はできるようになります。私はそのような人たくさん見ました。メッセージをずっと聞いていやされる人をたくさん見ました。そのような人を見る時、その人は正確に神様のみことばを聞いたのです。今日、皆さんが神様のみことばを堅く握る祝福の時間になることを希望します。なぜならば、イスラエル民族がイスラエルに行く間に困難がたくさん起きたのですが、みことばを握ることを通じてみな働きが起きたのです。 (3)ところで、旧約聖書は所々でみわざがいつ起きたでしょうか。このみことば握った人です。そして、特にダニエルのような人々、エステルのような人物が何を握ったでしょうか。神様のみことばを握ったのです。調書に印が押されたのを知って、この言葉は何の話でしょうか。死ぬと思いながらも。ところで、これが神様の計画で、みことばが確実だということを握ったのです。ダニエルは死にませんでした。神様の驚くべき働きが起きました。みことばは生きて力があります。それなら、みことばを正確に握るのが最高に重要なことです。 (4)初代教会の人々が無視されました。貧しい人々が集まったのです。初代教会の人々を見れば、あまり力がない人々が集まりました。ですから、ユダヤ人が初代教会を無視したのです。ところで、一つ違うことがあります。初代教会はその時代、最も正確な神様のみことばをしっかりと握りました。ものすごいエルサレム教会が、神様のみことばを握ったのではなく初代教会が握ったのです。ヘロデ神殿は、ものすごいのです。そこにいた人がみことばを握ったのではなく、マルコの屋上の間に集まった人が神様のみことばを正確に握りました。ですから、初代教会は当然、勝利するのです。今日、この祝福があることを希望します。 ▲釜山で、あのヨンドに集まった信徒が何ができるでしょうか。キリスト教徒が何ができるでしょうか。こう思う人がいるかもしれません。今日、皆さんが神様のみことばを正確に握らなければなりません。本当に答えを受けられるのでしょうか。今日、この答えを得なければなりません。今、アメリカでも全世界でもインターネットでみことばを受けています。およそ5千ヶ所でみことばを受けています。また、今、RUTC放送でも何千か所でみことばを受けています。今、この時間に私たちとともに衛星で共に礼拝する教会もたくさんあります。皆さんに困難がそれぞれ違います。アメリカの立場が違って、釜山の立場が違って、ウルサンの立場が違って、みな違います。私が受けている悩み、皆さんが受けている悩み、みな違うこともあります。人ごとに力がみな違うこともあります。しかし、神様のみことばを握れば、答えが出てくるのは同じように働くことができます。問題は万種類もありますが、答えは一つです。問題は万種類ですが、答えはキリストです。このようになる時、それでは、どのようにすれば私が正確なみことばを握って答えを受けられるのでしょうか。みことばを握った人が勝利したということを分かりましたか。みことばを握るということが理解できなければ、その次のことは理解できません。みことばがどのくらい重要なのかというと、講壇がふらふらすれば、数年過ぎれば教会がふらふらします。これくらいみことばが重要なのです。講壇から牧師が律法の説教を継続すれば、皆さんは数年過ぎれば全部、律法に捕えられてみんな死にます。これくらい重要です。講壇であかしせずに、そのまま聖書勉強して伝えれば、皆さんは全部うわべになります。分かるでしょうか。これくらいみことばが重要なのです。この話が理解できないならば、その次のことは必要ありません。講壇でずっと本当に生きている福音が宣べ伝えられれば、皆さんはみな生き返るのです。講壇からずっと罪に定めれば全部罪人になるのです。講壇で説教が揺れれば、教会が揺れます。皆さんが3年間あった週報を集めて一度見てください。1年ことはよく分かりません。およそ3年前の週報を見てください。それを一度総合してみてください。そのまま答えが来ています。神様のみことばは今でも成就しているのです。 ▲それなら、どのようにみことばを握らなければならないのでしょうか。それが重要です。 1.3つのこと(三つの祭り)を先に握りなさい ▲最初です。三つのことを先に握らなければなりません。その三つとは何でしょうか。3つの祭りです。3つの祭りを忘れてはならないと言われました。それを握らなければなりません。 (1)最初は何でしょうか。過越祭です。これを握らなければなりません。神様のみことばを握るのに一番重要な過越祭の契約を握らなければなりません。 1)聖書に一番重要な聖書箇所4つがあります。 ▲この4つだけ分かれば、聖書をすべて知っているのです。創世記3章15節、人間の問題がどこからきて、なぜほろびるのか。それで女の子孫を送る。神様の民がなぜ奴隷になるのでしょうか。出3章18節、血の被契約。王、預言者、祭司が現れても解決しません。いくら祈っても強大国に勝てません。私たちがいくら努力しても世の中に勝てません。その時、現れた単語です。イザヤ7章14節、処女が身ごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと呼ばれる。ところで、またイスラエル民族はさらに危機に陥りました。その時、出てきた単語です。あなたは生ける神の御子キリストです。この4つの箇所です。これが聖書66巻の核です。この核を握らなければなりません。これを過越祭と言います。皆さんが本当にこの核を握って祈る時、働きが起きます。他の考え、疑いを捨てるとき、働きが起きるようになります。 ▲私が手紙を送ります。だれかから手紙が来ます。それでは手紙の中には話そうとする核があるでしょう。手紙を書くには確かに退屈で書いたのではなく、何かがあります。それを捜し出さなければなりません。この人が手紙をなぜ書いたのか。その理由があります。それをみなのがして、字体がどうしたとか、文字がどうしたとか、便せんが変だったとか、こういうものいくらつかんでも仕方がありません。手紙を開けば「尊敬する柳先生」みなそのように書いてきます。来る時「蔑視する柳先生」こういう手紙はありません。尊敬する柳先生、それでは尊敬に色を塗って、尊敬に真っ赤な線を引いていては、手紙をよく読めないのです。何かが話す言葉があるのです。 ▲聖書を読む方法です。すべての事件が起きるようでも、結局は、皆さんに本当に握るメッセージは聖書箇所4つです。それを本当に握ればどうなるのでしょうか。働きが起きます。にせ物で握るからですが、本当に握らなければなりません。ある人は教会を復興させるために握って、ある人はこれするために握って、ある人はあれするために握ります。 2)本当にイエス・キリストを握ってしまえばみわざが始まります。それが過越祭です。それを本当に握ったところ、どんなことが行われたのでしょうか。エジプトのすべてのものをみな倒しました。分かるでしょうか。イスラエルがこれを理解できなくなっているのです。ほろびているから、神様がおっしゃったのではないでしょうか。 3)あのバビロンに捕虜なっていたとき、神様がおっしゃったのではないでしょうか。何と話されたのでしょうか。わたしはあなたをエジプト地、奴隷であった所で救い出した主である。あなたはわたしのもの。なぜそう言われたのでしょうか。親が昔にした話、またして、またして、聞きたくないのです。なぜ言うのでしょうか。忘れてしまうからです。それで、また言われるのです。この話は、これを忘れてしまったということです。皆さんが今日、本当にこの契約を握る日、働きが起きます。時間がたくさんかかりません。牧師先生、それは何のみことばですか。難しいのでしょうか。難しくありません。 ▲私は伝道師だったとき、みわざがいくらしても起きなかったのです。悟りました。私が他のもの持ってイエス様を握ったのです。何を持って握ったかとすれば、伝道師、これがよくできなければならないではないでしょうか。うまくいってこそ、教会が私を喜ぶのではないでしょうか。何ちょっとうまくいってこそ、未来があるのではないでしょうか。それで、このように、あのようにしなければならないのではないでしょうか。そして、人気も少しなければならないでしょう。そして、よく見られなければならないでしょう。何かちょっと出てこなければならないでしょう。それで、ただイエスを握ったのです。みわざが起きません。本当にイエス様はだまされません。死んでもだめです。私が頭そのように回らない者ではないのですが、いくら頭を回してもだめでした。他の問題がどんどん出ます。ある日、悟ったのです。私が詐欺師と同じだ。ただイエス様だけ握ろう。本当に福音だけ知って伝えなければならない。ところでまさにその次の月からみわざが起きました。ですから、過越祭、この話は普通の話ではありません。 4)イエス様が尋ねられました。人々はわたしをだれだと言いますか。あなたがたは、わたしをだれと言いますか。あなたは生ける神の御子キリストです。 ▲バルヨナ・シモン、これをあなたに分かるようにさせたのは、血肉ではなく、天におられる父です。ある面では、柳光洙牧師のおかげで私がキリストを分かったんだなあ。この言葉も間違った言葉です。これを分かるようにしのは、血肉ではなく、天におられる父です。その父が、この人を通じて、あの人を通じて分かるようにさせられるのです。福音を違うように悟って握っています。働きが起きません。患者の皆さん、神様の前にそのように祈ってください。神様、私を直して下さい、このように祈らないでください。私を直せば私が必ず主の働きをします。そのようにしてはなりません。直されなければ、しないのでしょうか。違った祈りです。私は直しても良くて、直さなくても良いです。私は神様を信じます。キリストが私の救い主です。その時から働きが起きます。高校生が私に手紙を書いてきました。私は今日から祈りの手帳をしません。そして、タラッパンもしない可能性があります。そんなに祈りの手帳をしたのに、テコンドーの試合に出て行って負けました。それと同じです。答えを送りました。負けるのも訓練だ。いつも出て行って勝てば良いのか。負けたりもして、勝ったりもして、ある日チャンピオンもなるだろう。信仰生活を真っすぐしなければならない。キリストを味わわないのに、しきりにキリストと言うから問題になるのです。それで、祈りの答え受ける一番最初のみことばの中の最初が、本当に過越祭です。あなたはペテロです。岩の上にわたしの教会をたてます。 ▲いろいろな所で話す必要がありません。今日、本当に悟ってしまえば、すぐに働きが始まります。チョン・ウンジュ牧師が証しをしました。その方は、釜山からがんばった方でしょう。ソウルにきて、教会をしてだめだと言いました。それで悟ったのが、あなたは今、教会をするのか商売をするのか。そのように悟ったということです。それが終わりです。ところで、昔に集会した私を思い出したということでした。それで、私を訪ねてきたのでした。それで始まったのですが、今は一番、復興した教会に変わりました。ある面で、私はあれこれくださいと言わないように。本当に私に、キリストがキリストになることを祈ります。それで終わりです。この祭りを忘れてはなりません。ある面では、信仰が良い人は病気になっても大丈夫です。クロスビーを見なさい。目が開かれないでも良い。いやし、いやしと言うのですが、いやされることもありません。それはみな信仰ない人々が言うことばです。パウロを見なさい。直さないでも良い。それが神様の恵みだ。働きはその後に起きるのです。聖霊の働きは目に見られないのですが、その後に起きるのです。 ▲皆さんは神様の子どもです。それで、神様の祝福と方法を分からなければなりません。皆さんは偶像崇拝をする悪魔の子どもではありません。皆さんは捨てられた孤児のような不信仰の子どもではありません。皆さんは神様の子どもです。それなら、神様の祝福を正しく見なければなりません。これが3つの祭りの中の最初です。 (2)その次に何でしょうか。どんな答えを握ってこそ、私が答えを受けるのでしょうか。五旬節。 ▲五旬節とは何でしょうか。50日後に実をおさめたというので、五旬節です。それが問題ではありません。50日後に穀物を取り入れたということは、神様が皆さんとともにおられるという証拠です。聖霊の満たしを与える。その約束です。これがいつ成就したのでしょうか。使徒2章に成就しました。ゼカリヤ4章6節に能力でも権力でもできないが、主の霊によってできるのです。それではどのようにすべきでしょうか。どのように祈りの答えを受けるのでしょうか。あれこれくださいではありません。神様、私に聖霊の力をください。私にキリストがキリストになることを望みます。私に他のものではなく、神様の力が私にあることを求めます。このみことばを握れということです。聖霊に満たされれば、皆さんに力があるから、その時から何かになるのです。人が勇気でも出せば、ある程度の問題はなくなります。聖霊に満たされたら、どうなるでしょうか。皆さんが今、勇気だけ出しても、ある程度の病気は逃げます。私は生きなければならない。私はすべきだ。私は挑戦する。このようにしても、病魔が離れてしまいます。ところで、聖霊に満たされれば、どうなるでしょうか。とても重要なのです。私の話ではなくて、忘れてはならないと言われました。忘れてしまってはならないと言われたのです。これを握るのです。 (3)その次に三番目が何でしょうか。収穫祭です。 ▲収穫祭は、おさめて入れるという刈りいれ感謝のようなことです。ところで、その話ではありません。皆さんのすべての人生、たましいをおさめて、天国まで行くようにする。それでは、何が重要なのでしょうか。神の国。それを祈りなさい。 ▲皆さんが信仰生活する中で一番最初にすべきことは何でしょうか。過越祭、五旬節がわかったら、神の国が臨むのです。その時、動くのです。ヨセフを見てください。ヨセフが奴隷で売られました。奴隷で売られて行くのに、記録を見ればあっちこっち市場に行かなければならないから3ケ月かかったのです。奴隷は、その当時は、動物と同じです。顔を洗うこともできません。手も洗えないで、完全に変です。行っても奴隷でなければなりません。みじめになりました。ですから、とてもおかしくなるではないでしょうか。ところで、この間、話しました。年齢区分ができません。同じように、乞食のようにいるから、どれが老いた人なのか、若い人なのか区分できないのです。奴隷を買っていく人が買っていって殺してもかまいません。完全に物と同じです。買って自由を与えてもかまいません。このような形です。ですから、奴隷を買う時、何を見るかというと、歯を見て買うのです。歯がみな抜けている。これはおじいさんだな。その時は歯科がないから、この人は歯が丈夫だな。若い人だな。このようにして、価格が決定されるのです。言わば、私のような場合は、高価です。歯が一本も虫歯ではないので。これはA級だな。一つも虫歯がないなあ。価格が上がります。見ることがそれしかありません。このようにして売れて行くのです。そして、奴隷に入るから、みじめです。ヨセフは揺れませんでした。過越祭事件は、自分にこういう記録はないが、すでに救いの契約を握ったのです。すでに神様の働きが分かる人です。その時に、さらに重要なのはエジプトに送る神様の計画まで分かったのです。それで、全く恨まないで待ちました。ところでポティファルの家に働きが起きたのです。それを何と言うのでしょうか。神の国。国が臨んだのです。天国に行く前に。後ほど総理になりました。神の国。このみことばを握ったのです。 2.この三つの祭りを同時に味わうのが安息日 ▲それでは、このみことば握ったことをみな合わせたのを、一緒にあることを、安息日を聖なる一日としなさい。安息日を聖なる一日としなさいということは、過越祭、五旬節、収穫祭の祝福を毎週味わいなさい。これが安息日です。それで聖なる一日としなさい。その日を守らなければ殺せと出てきました。殺伐と出てきています。殺しなさい。聖日抜けた。殺しなさい。本来、旧約はそうです。旧約はみな殺すのです。事実上、この事実を知らなければ死にます。一年、神様の恵みを受けられなければ死にます。人々がはやく死ぬから死ぬのかと思いますが、ゆっくり死ぬのは知りません。この日にはマナも降りませんでした。 (1)神様の恵みを受けられないで、礼拝のみことば握れない人が世の中のことを得ても違うということです。重要なのは安息日を守るためにマナを求めて行けば、2倍に祝福を受けました。 (2)安息日は、霊的な祝福をくださる神様の日だとなっています。 ▲ここで違う点一つあります。五旬節、過越祭、収穫祭の祝福を毎週味わうのが安息日です。それでは、そのような中で話を一つ握らなければなりません。今週のみことば。これが安息日です。このように握れば良いのです。ですから、この日がどのくらい幸いな日でしょうか。聖別された日です。当然そうです。皆さんが今日、この祝福を回復する日になることを希望します。 ▲イエス様が使徒1章3節に、40日間神の国について話されました。怖くなることがあるでしょうか。過越祭、五旬節、収穫祭で完ぺきに受ける祝福の神の国なのに、それをイエス様が40日説明されました。それで、皆さんは小さいことに答えが行き来して、滅びて成功するのに、少しだけ詳しく見て待てば働きが起きます。ある人は開始も違うのですが、みわざが起きる時になれば他のことをします。本当に残念なことです。答えが来る時ぐらいになれば行くのです。開始のときも見れば、答えでもないことを始めます。このみことばを握れなかったのです。皆さんがそうだとしても、このみことばを握れば働きが始まります。それで安息日を守りなさい。収穫祭は神の国を言います。五旬節は力を言います。神様の働き。みな力ですが、過越祭は何でしょうか。聖書で最も重要な皆さんのすべての運命、呪いをひっくり返すのです。これを毎週味わうのが安息日です。みことばと共に、その週とその時必要なみことばとともに、これを毎週味わいましょう。これが安息日です。今日、皆さんがこの恵みを受けるようになることを希望します。 3.この祝福を毎週味わわずに実際に毎日味わいなさい ▲四番目です。この祝福を毎週味わうのではなく、実際に毎日味わいましょう。それが何でしょうか。それが聖日です。SDA(セブンスデー・アドベンチスト)は、まだ知らずに、なぜ教会は安息日を守るのに日曜日に守るのかと言います。知らないのです。ヨハネ20章1節、安息日を守るのに間違いありません。土曜日。安息後の初日。イエス様が復活されました。その時、自動的に集まったのです。その時からずっと集まっています。毎日、集まったのですが、毎週礼拝をささげました。その時は今のようにコンピュータもなく、皆さん持っている携帯電話もなくて、みなありませんでした。その時は時計もありません。あらまし一日行ってみなくる、これだけ分かったのです。ところでイエス様が復活された日がいつでしょうか。聖日です。イエス様はみことばの中で生きておられて働かれます。それは何の話なのでしょうか。毎日、私たちとともにおられます。これを今日握るように願います。皆さんが今日のみことばだけ正しく握ってもかまわないのです。 ▲それでは尋ねます。牧師先生、どんなみことばを握らなければなりませんか。どんなみことばを握るべきでしょうか。これをまた尋ねます。牧師先生、どんなみことば握らなければなりませんか。何でも握りなさい。なぜそうでしょうか。本当に握れば、神様が直されます。小さい子どもが本当にスープを食べようと持てば、どうしますか。母親が安全につかんでくれます。本当に歩みもやっと歩く子どもが熱いスープのうつわを持ってくれば、母親がはやく行ってつかんでくれます。さらに賢い母親は奪い取りません。持って行くように手助けします。簡単です。常に握らなければならないことは、過越祭、五旬節、収穫祭、これは常に握って、皆さんがみことばは聖日出てくるみことばを握れば良いのです。牧師先生が説教を違うようにすれば、どうするのでしょうか。それは牧師先生の誤りで、神様は皆さんにみことばくださるようになっています。ひょっとして牧師先生が律法を伝えても、皆さんは律法の中で福音が聞こえます。これを握って一週間考えてみるのです。それだけでも奇跡が起きます。それでは毎日働きが起きます。これを安息日を聖なる一日としなさい。本来、この言葉を変えなければなりません。聖日に正しく祝福を受けなさい。皆さんは常に受けなければならない祝福、過越祭、五旬節、収穫祭、これは救い、聖霊の力、神の国。これは皆さんに当然来る祝福です。この祝福を味わう道があるのですが、それが聖日のみことばを握りなさい。そして、このみことばを握って現場に行きなさい。これが毎日味わうことです。こうすれば良いのです。それで皆さんがこの祝福を今日、受けるように願います。やさしいでしょうか。難しいのでしょうか。やさしいのです。本当に神様のみことばを握れば。 (1)家庭問題で心配していますか。落胆しないように望みます。私は幼い時、我が家で今まで来る中に良い条件が一つもありませんでした。良い条件が一つもなかったのです。ところで、驚くべきことに私たちの家族は神様のみことばを握ったのです。そして、だたの一個も我が家を失敗させませんでした。驚くことです。心配しないでください。神様の子どもは問題がきても恐れずに本当に握りなさい。 (2)私は幼い時から教会の副教役者で今まで生きてきた中に、自分の周囲に環境が全部私を難しくさせました。ところで、その難しい環境が私を一度も飲み込むことはできませんでした。神様の民は恐れてはなりません。 ▲今、私が世の中に出て行って、とても難しいが、どうするのでしょうか。今日、メッセージを握りなさい。ヨセフのように神様の計画があること解かってみれば、神の国が臨むようになっています。ある日、モーセがこの契約を握って行ったところエジプトの王宮に働きが起きました。幼いサムエルに契約を握ったら、神様のみことばが地に落ちませんでした。皆さんがこの祝福を皆さんが受けた方です。祝福を幼い時から知っていたのがダビデです。それで緊急にすることもなくて、怠ける必要もありません。基準が何でしょうか。神の国が臨めば走るのです。みことばを握るのです。間違いありません。私はこういう経験をしたために、事実は恐れることがありません。むしろ、祝福が見えます。大きい問題がきます。それでは、大きい祝福を捜し出すのです。またおかしな問題きた。それでは、神様の契約を正しく握って行くのです。間違いありません。神様のみことばは今でも生きていて力があります。 ▲教会問題で心配するのか、心配する必要はありません。 (3)今日、本当に神様みことばを握れば、私のあかしではなく、本当に神様のみことばを握れば、私が人の前ではなく、本当に神様のみことばを握れば働きが起きます。私は30年伝道しながら見たのです。間違いありません。今日、神様のみことばを握って皆さんが詳しく契約を握らなければなりません。 ▲私が初めにソウルに行きました。ソウルを行ったのですが、ものすごかったのです。青年の時、伝道師のときに行きました。ソウルに行ったのですが、簡単に話せば釜山の田舎者でしょう。釜山の田舎者が列車に乗ってソウルに行ったのですが、ひとまずソウル駅におりるところから気が動転しました。その時は、今は小さいのですが、その時はソウルがどれくらい大きく見えたか分かりません。それで、夜明けにソウル駅そばを行くのに、クッパの店が一つありました。人が多かったのです。本当に今まで食べてみたクッパの中で一番まずいのに、人は多かったのです。これがソウルだな。くる時はターミナルに行ってみました。ターミナルがどれくらい大きいのか、釜山ターミナルだけ見て、ソウルターミナルを見たら、私が目がうろうろしました。どれくらい専門化されているのか、チケットを買うところがあって交換するところがありました。ソウルはすごいな。ヨンラク教会に行って静かに座っていました。これがヨンラク教会だな。ヨイド純福音教会に行って座ってみました。これがヨイドだな。チュンヒョン教会に訪ねて行きました。これが注んヒョン教会だな。ところで詳しく見なければなりません。私が初めには衝撃を受けたのですが、幾日か詳しく見ながら、違うと答えを得たのです。何の答えを得たでしょうか。ソウルは韓国のお金80%が集まっているからこのようになるように見せることもできます。福音はそれとは違います。福音は正確でなければなりません。福音は神様のみことばのとおりでなければなりません。これを握っていれば、私たちが生を始めて終える時まで、働きは神様がなさるでしょう。それで、私が釜山に帰ってきて何を始めたでしょうか。伝道訓練を始めました。立派なことがあって訓練させたのではなく、私が行って福音を伝えた時にあった事を見せなければなりません。救われる人が多いという事実を。そして、できるという事実を。そのように始めたのです。勘違いしてはいけません。私が今、ソウルの悪口を言っているのではありません。ですから、多くの人々がうわべの中で錯覚をせずに、内容をよく見なければならないのです。また一度、錯覚をしました。世の中に開拓を始めようときたのですが、ヨンドに来たら、どれくらい貧しく見えたでしょう。皆さんがとても貧しく見えて、この人たちで何をするか、こういう錯覚をするようになりました。これでスヨンロ教会で集会しに行ったがのですが、そこはとても金持ちのように見える人々が集まるのか、みんな同じ海沿いなのに、なぜこうなのかと思いました。それで集会するのに人々が恵みを受けて大騒ぎをしました。食事の接待をしようとして列をつくるのです。さらに驚いたことは、チョン・ピルド牧師と食事しにチームが行ったのですが、女性一人の執事が、そのまま計画されることではなかったが自分が食事代を出すと言いました。その時見たら、食事代を計算しようと百万ウォンの小切手を出すのに小切手が何枚もありました。私たちの教会では、1万ウォンで戦っています。女伝道会の会費が一万ウォンで高い、安い、このような形です。錯覚しました。ひとまず、何と錯覚したでしょうか。場所は良いところをとるべきだ。場所とりをよくすべきだ。飴売りをしても、場所を良いところを選ばなければなりません。チョン・ピルド牧師は良い場所をとったのだなあ。この海と、あの海がどうしてそんなに違っているのでしょうか。こう考えていました。それが錯覚です。少し後に錯覚だということが分かりました。皆さんと私が何もないように見えるのですが、本当に福音を握ったら、何の問題でもありません。そして十年が流れたのですが、皆さんが福音をはるかによく伝えています。怖いのです。私たちの教会信徒が行く所ごとに受け入れ運動が起きるので、ひっくり返しています。それが私の錯覚です。 ▲神様は3万人軍人より3百人だけ残しなさい。なぜそうでしょうか。聖書でギデオンを読んでみなさい。士師記7章に記録されています。あなたたたちの数がとても多ければ、あなたたちお力だと思うのではないのか。減らしなさい。軍人が戦おうとするなら、数が多くいるべきなのに、神様は数を減らしなさい。その理由は、勝てばあなたがたが戦ったと言うのではないか。その説明です。それで水を飲ませて、勇敢に飲む人がいて、卑屈に恐れをなして飲む人がいます。1万人の中で勇敢に水を飲む人9700人を家に帰しなさい。話になるでしょうか。恐れをなしてぶるぶる震える300人を戦いに送れと言われたのです。聖書を詳しく読んでみなさい。そうなっています。士師記を詳しく読んでみなさい。それが何の話なのでしょうか。この3百人、普通に説教すれば3百人勇士と言うのですが、勇士ではありません。ギデオン3百の勇士というのですが、聖書を詳しく読めばギデオン300の下っ端の兵隊です。これを送り出しなさい。なぜでしょうか。だれが戦っているのでしょうか。この霊的戦いの本当にいのちはだれの御手にあるのでしょうか。家に帰って静かに聖書を読んでみなさい。私の話が合うのか合わないのか、聖書全体を読んでみなさい。ギデオン勇士全体を読んでみなさい。勇士ではなくて、下っ端の兵隊です。 ▲Iコリント1章18-32節に何となっているでしょうか。弱い者を用いて強い者を恥ずかしめる。貧しい者を呼んで、富んだ者を恥ずかしめる。それは、エリートは教会に来ずに、強い者は家に行けという言葉ではありません。勉強をたくさんした人は、教会に来ずに家に帰りなさい、そのことでしょうか。力がある者はイエスを信じるなということでしょうか。乞食の群れだけ集まりなさい。そのことでしょうか。聖書をよく理解しなければなりません。その話ではありません。あなたがたを生かす、殺す、本物の能力は人になくて、神様の御手にある。その話です。皆さんがこれから私たちがどれだけよく生きることができるでしょうか。どんな方式で死ぬのか神様の御手にあります。そのために心配する必要はありません。 ▲みことばを握らなければなりません。違ったみことばを握ってはいけないから、過越祭という言葉は、救い、聖霊、神の国です。このみことばを常に握っていなければなりません。その週、その週に起きるみことばを連結して握らなければなりません。このみことばが皆さんの産業に、職場現場に成就することを信じて祈らなければなりません。まちがいなく勝利します。今日、皆さん、全国、世界にいる信仰の家族、このみことばを堅く握る祝福の日になることを主の御名で祈ります。 (祈り) 神様に感謝します。今日、みことばを握る日になるようにしてください。今日、それこそ力のみことば握るいやされる日になるようにしてください。正確な答えを握る、新しく始める日になるようにしてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン (The end) 第2部:フレゴンによろしく
(ローマ16:14)
〓要約資料〓 →序論 ▲フレゴン-大伝道者パウロがフレゴンによろしくと言った。皆さんの宣教と伝道と献身が小さいようでも、後ほどどのようになるのかご存じだろうか。皆さんがみことばを握るべきなのに、どのようにみことばを握るべきなのか。 (1)救い(過越祭)、聖霊の働き(五旬節)、神の国(収穫祭)を握れば勝つ。 (2)これを聖日礼拝の時、みことばの中で共に握れば良い。 (3)これを毎日するだけでも答えを受ける。 ▲なぜ答えを受けることができないのか。答えを受ける重要な道をのがすためだ。救われた神様の民ならば、制せられた者、貧しい者、難しい者を遠ざけないで、近づく(マタイ25:31-46、羊とヤギのたとえ) 1.福音を持った者は霊的問題が何かを知って解決策が何かを知っている。 (1)あわれみ-そのため、困難を受けた人を見ればあわれみが見られる。 1)イエス様の公生涯-難しい者を先に訪ねて行かれた。難しい者に起きる霊的な深刻なことを分かるから、先に訪ねて行った。 2)初代教会-使徒3:1-12、ペテロが足のなえた人からいやした。 3)パウロ-使徒13、16、19章、占い、偶像、シャーマニズムに陥った者をいやした。 (2)福祉をするべきなのに、どのようにするべきなのか -本当に困難を受けている人たちの霊的状態を見られる人がこの働きをするのが福祉だ。 (3)文化をするべきなのにどのようにするべきか -多くの才能と使命を持った人々がすることが文化でなく、芸能、文化をする人が最も霊的問題が多いから、いやされなければならない。それをすることが文化の働きだ。 ▲多くの霊的問題を持った人、低い人々を見る目にしたがって変わる。こういう目が開かれないでは、伝道、宣教、本当に祈りの答えは難しい。人の霊的な部分を本当に分かったら人を無視しない。 2.福音を持った者を、無能な者を立て起こして、力ある者にする (1)イエス様が12弟子を呼ばれたが、全部、無能な人を呼んで、有能な人にされた。 (2)パウロの働きを見れば、オネシモのような罪人を呼んで、大きい伝道者にした。後ほどオネシモはコロサイ教会の監督になった。 (3)何の名もないフレゴンのような人をパウロは念頭に置いて手紙の中に入れた。 3.福音を持った者は教会の内の信徒から、すばらしい祝福を見るようになる。 (1)葛藤、試み、紛争の中に陥らない。 (2)ローマ16:17-20、サタンはこれを攻撃して入ってくる。 (3)答えを受ける最高の道になる。 *結論-福音だけ握っていれば (1)唯一性-唯一の答えがくるようになる。 (2)ローマ16章の人のように答えを受けるようになる。 (3)パウロの3つ市民権-キリキヤ・タルソ、ローマ、天国の市民権 ▲福音だけ味わうということは、試みがきたら見つめずに福音(みことば)だけ握りなさい。だまされずに、この祝福を味わうように願う。全国、世界の家族に、神様の祝福があふれ出ることをイエス様の御名で祝福します。アーメン (The end) 〓録音資料〓 →序論 ▲今日、献身礼拝をささげる時、皆さんは全世界を思いながら少しの間でも祈らなければなりません。私たちのレムナント1人が外国に行ったのですが、周囲に教会がなかったということです。それで、遠くへ行けば教会があるのですが、行くのが大変だということです。それでも、大変な中で、教会を一つ捜し出したそうです。しかし、行ってみたら教会があまりに苦しく戦って紛争する教会だったみたいでした。私たちのレムナントが大変だったのです。ところで、ある公園を過ぎ去って、ある人に会ったのです。着ている服を見たら、レムナントと書いている服を着ていたそうでした。レムナントという単語はだれもが使わないでしょう。それで、とにかく追いかけて行って尋ねたということです。レムナントですか。尋ねたら、レムナントだと言ったそうです。他の人は聞き取れない言葉です。私もレムナントだと言ったそうです。それで、やっと聖書の学びをするところに導かれたそうです。 ▲皆さんはとても祝福を受けて、知らずに座って、うとうとしたりもしているのに…。医者たちの話を聞いてみたら、健康の秘訣は寝るのが最高だということです。うとうとするのも健康管理だから、たくさんおやすみになることを望みます。沖縄地域に私たちのレムナントが軍人に行きました。軍人で行けば配置されるでしょう。私は聞いただけですが、各部屋で配置されるということです。それで行ったら、机があったそうです。そこに入ったら、祈りの手帳があったのです。祈りの手帳はどこででも使うのではないでしょう。それで、見たら、私たちの祈りの手帳だったということです。どれくらいうれしかったでしょうか。前の先輩が除隊して他に行ったのですが、自分が見たことを置いておいて行ったのです。このように、あちこちに私たちのレムナントがみな隠れて通じています。レムナントは、全世界で孤独で難しく生きていったりもします。 ▲それで皆さんがそのまま献身礼拝をささげるのではなく、心に本当に感謝して、切実な心でしなければなりません。そして、韓国に来ている外国の勤労者が多いのです。その人々が韓国にきて仕事をすれば60万ウォン、70万ウォンをもらうそうです。ところで、それを持って自国に送って、自分たちで生活をしています。そのような人々がお金を集めてミッションホームもするのです。私たちは今、献身礼拝をささげながら、多くのことを考えなければなりません。そして、今、日本のようなところでは、とても霊的問題が多いのですが、レムナントらが起きようともがいています。今回も行ってみたら、レムナントが前よりはるかに多くの発展をしていました。それで、私は日本に私たちのレムナントが起きる日、日本福音化になると見て、祈っています。 ▲こういう中に皆さんが今、献身礼拝をささげる中で、今日、フレゴンという名が知らされています。この人によろしくと言われています。14節に数人が出てくる中の1人で出てきました。この人はだれでしょうか。よく分からない人物です。皆さんがよく知らなくてもかまいません。なぜなら、聖書にただ一度出てくるだけだからです。説明もありません。そのままフレゴンによろしくとなっています。それも、フレゴンだけあるのでもなくて、数人を話しながらフレゴンによろしく。それで私が一度この人について探してみました。色々な資料を探してみたら、資料が一つもありませんでした。それで資料が一つもないので、私も説明を一つもしません。ないのに何ができるでしょう…。ところで、大伝道者パウロがフレゴンによろしくと言いました。ここで悟れることがあるでしょう。皆さんの宣教と伝道と献身が小さいようでも、後ほどどうなるのか、ご存知でしょう。何の名もない人のように見えるのですが、そうではありません。 ▲イエス様がマタイ25:31-46で直接説明されました。何の説明をされたでしょうか。教会には最後の時に羊とヤギがいると言われました。教会の中には救われた者もいて、救われなかった者もいます。それをどのように分かりますか。ところで、ヤギは最後の時にこのように話しました。イエス様がヤギを見て、あなたたちはもう外側の暗いところに追い出される。羊には永遠な恵みを受けると言われました。理由が何でしょうか。その理由を説明されました。なぜ私たちを外側の暗いところに追い出しますか。そうしたら、イエス様が何と説明されたかというと、羊には、あなたたちは私がボロを着ていた時、私手助けして、私が一緒にいる時、手助けしたと言われました。ですから、羊が何と言ったでしょうか。私たちがいつそうしたのですか。こう言うから、イエス様が言われるのが、貧しい者、閉じ込められた者、ボロを着た者を手助けしたのが私を手助けしたのだと言われました。するとヤギがそばにいて、私たちもしたと言いました。あなたたちは貧しい者、押さえられた者、閉じ込められた者にしなかったのが、私にもしなかったのです。よく一度、聞いてみなさい。それで、あなたたちは外側の暗いところに出て行きなさい。地獄に行けということです。それでは、救われても、奉仕をしなければ地獄に行くのでしょうか。それでは、難しい人々、押さえられた人々を手助けすれば天国に行くのでしょうか。そうでしょうか。もっとも皆さんに尋ねる私が誤りです。ところで、教会に通う人々はほとんど福音をよく知りません。このように尋ねれば、善良ならば天国に行くと言います。それでは、できなければ地獄に行くのでしょうか。そうではありません。それでは、これは何の話なのでしょうか。これからはやく答えを出さなければなりません。私が見るにはとても重要です。 ▲今日1部礼拝の時のメッセージをのがしてはなりません。皆さんは今、みことばを握るべきなのに、どのように握るべきでしょうか。 (1)救い、聖霊、国 ▲皆さんが救われた過越祭の奥義、本当にキリストを握らなければなりません。五旬節という聖霊の働きを本当に握らなければならないのです。収穫祭という神の国だけ握れば、みなさんは勝利します。 (2)聖日 ▲これを聖日礼拝の時、みことばの中で共に握れば良いのです。 (3)毎日 ▲皆さんが今日、このみことば持って一週間考えるだけでも答えがきます。今日聞くと同時に即忘れてしまい、明日から世の中に出て行くでしょう。ところで、朝、目を開けばメッセージを考えてみてください。体験してみなさい。明日、目を開くではないでしょうか。目が開かなければ、葬式をしなければならないから、目を開けば、すぐに死にそうだと言わずに、昨日のメッセージが何だったのか。一度してみなさい。どんなことが行われるでしょうか。その次に寝る時、一度、考えてみなさい。それを考えてみなさい。これを一週間、してみなさい。それを一週間したのに、直ちに答え来ないと止めずにしてみなさい。皆さんがその人生をずっと送ってみなさい。すばらしいことが行われます。 ▲道-ところで、牧師先生、私はなぜそのように祈るのに答えが来ませんか。とても答えを受ける重要な道をのがしたためです。それでは、貧しい人、押さえられた人を手助けすれば答えを受けて天国に行くのでしょうか。違います。それでは、ここでどんな答えを得るべきでしょうか。救われた神様の民ならば、押さえられた者、貧しい者、難しい者を遠ざけないで近く見るようになります。これがとてもとても重要な言葉です。皆さん、ここには大学も出てきて、たくさん学んだ方々がいます。あの人が哀れだから手助けしなければならないと思う、それではなく、本当に目が開けば、すばらしい答えの門が開かれます。 1.霊的問題-解決 ▲福音を持った者は霊的問題が何か知って、解決策が何かを知っています。そのために、困難を受ける人を見つめれば、最もなにが見えるでしょうか。 (1)あわれみ ▲あわれみが見えます。この程度になってこそ信徒です。私は本当に残念です。説教でこういう話をしてはいけないのですが、事実だから、私はとても心配したのですが、今、キム・ヨナ選手がとても崩れていると言われています。崩れるでしょう。私はそれを分かります。人が霊的な力がなくて頂上に上がれば、ひどい問題がきます。やや下手すると大変なことになります。こういうものを人々は知らないのです。何の話なのか分かるでしょうか。これを知っている人は、困難をうける人を見る目が、そのまま単純な救済ではなくて、とても重要な霊的問題を見るのです。それで皆さん教会で重職者や教役者が困難をうける人をけいべつして、無知な人をけいべつするのは、とても重要な答えをのがすしかないのです。オリンピックをするのに、どれくらい力を使ったでしょうか。どれくらい良くやったのか、全世界の審判する人々が拍手しました。ですから、今まで最高の点数が出てきて完ぺきでした。その時、私は見ながらその子を殺すんだなと思いました。どれくらいがんばって上手にしたかとすれば、記者がどうしてそんなにしたかと尋ねたら、自分も知らないと言いました。それがどれくらい練習をして、どれくらい努めたのか自分も知らないと言うでしょうか。そうである時、ものすごい問題がくるのです。それで本人が今、基本もだめで、それでも年が若いので指導者になるのではなくて、かと言って勉強をすることでもないから問題がくるのです。とても重要です。そして、皆さんが本当に貧しい者、押さえられた者、閉じ込められた者、難しい者、こういう人々にとても重要なことがあるから、皆さんがこの目を開かなければならないのです。 1)イエス様の公生涯-それでイエス様も公生涯のとき、だれを先に訪ねて行かれたのでしょうか。難しい者を先に訪ねて行かれました。それはイエス様が奉仕活動するということではありません。難しい者に起きる霊的な深刻なことを分かるから、イエス様がまず最初に行かれたのです。 2)使徒3:1-12、一つだけ例をあげてみます。初代教会も使徒3章に見ると、ペテロが足のなえた人から先に起こす働きを起こしました。 3)使徒13章、16章、19章-使徒13章、16章、19章を見ると、パウロも全部、魔術師、占い師、偶像、病気になった者を直しました。 (2)福祉 ▲ですから、皆さん今私たちが福祉をすべきなのですが、どのようにするべきでしょうか。 (3)文化 ▲その次に私たちは文化をすべきなのに、どのようにするべきでしょうか。 ▲私たちが福祉というと、福祉勉強をたくさんした人々が福祉をします。そして、福祉に経験が多い人々がします。私は、それは福祉ではないと思います。本当に困難を受けている人たちの霊的状態を見られる人がこの働きをするのが福祉です。皆さんがミュージカルもしてよくするのですが、どんなものが文化なのでしょうか。音楽が上手な人、多くの才能を持った人々が熱心に文化をします。そして、文化の使命を持った人々がよくします。しかし、私はそれを文化とは思いません。芸能する人、文化する人が最も霊的問題が多いから、いやされなければならない。それが文化をすべき理由です。この目を開かれなければなりません。これが救われた人です。ここに皆さんは10ウォンを献金でささげても、それは貴重なことになるのです。 ▲この間にも話しました。私たちのパク長老が私にあかししてくださいました。あの方は北朝鮮からこられました。戦争が起きた時、一人で来られたのです。それで長老が私に証しされました。自分は戦うこともしなかったのに、巻きこまれて捕えられて、コヂェ島の収容所に捕えられたということです。そこがどれくらい危険なところなのか、捕えられればみんな死ぬのに、そこから逃げたということです。皆さん、そこから逃げることが可能でしょうか。ところで、そこから逃げたということです。それで、この方が山を越えて船に乗って釜山に来たのでした。それで、長老が一番最初に逃亡して到着したところが教会だということです。その時から祈りを始めたということです。それで、結婚もして家庭も設けて長老にもなったのです。それでその長老がカレン宣教に行ったのには理由があります。私がそれをメッセージで与えました。長老、カレン宣教は本当にしなければなりません。他の人がしてはいけなくて、長老がするべきです。多分、そのために長老もそうで、私たちが多くの祝福を受けるかもわかりません。皆さんそれが宣教で、それが献身礼拝です。 ▲多くの霊的問題を持った人々、低い人々、こういう人々を見る目が何かにしたがって、本当に答えを受ける、受けられないになります。私はエレベーターに乗って行くときには、ひょっとしてという思いがあって、必ず秘書、もしかしたら、だれかが私を殴るかと思って警護員と一緒に乗ります。その時は、あまりしないのですが、私が一人で乗る時は、だれか清掃する人がいるならば、私はその人たちに挨拶をします。それも本当にご苦労さまですと挨拶をします。理由は2つあります。一つは何でしょうか。とても難しい時代の時、私の母が清掃をして私たちを勉強させてくれました。それで私は清掃する人に会えば挨拶をします。しかも、もう一つ理由があります。その人たちは、今やや下手すると完全に貧しい人々だから、崩れるか生きるかの重要な岐路に置かれているのです。それで、私はそのような気持ちでその人々に挨拶をします。一度は、私がしばしば留まるホテルで、ある方が私が牧師と知って、ていねいに清掃をしてお手伝いをしてくれました。それで、一度は私がその上に簡単な福音に対する文章を書いて、お小遣を少し入れて置いておきました。それで、その人に持って言ってくださいと書いておきました。この方がそれを持ってとても感動を受けたのでした。感動を受けた理由が、そのために受けたのではなく、後ほど知ったところ信徒でした。ところで、とても揺れている瞬間であったのに、自分が心を入れかえたということでした。 ▲今日、皆さんが少し考えてみなければなりません。こういう目が開かれないでは、伝道と宣教は難しいでしょう。ものすごく大きな祝福を受けたのですが、本当に祈りの答えに対しては難しいでしょう。前にも話したのですが、クァンジュに行って夕方に集会しようとホテルに行ったのですが、そこは少し山なので、降りて行かなければなりませんでした。遠くへ行かずに、そのままホテルの近いところに降りて行って食堂に入って食事したのです。お手伝いするおばさんが、食事を持って行ってするのに電話を受けて泣いていました。多分、自分の子どもと電話をしていたようでした。言わば明日、学費を出すべきなのに、学費がないのでした。とても大変で、どうにか準備をしたが足りないという話をしていたのです。それで、私がご飯を食べながら静かに聞いていました。その時、私がまた2つのことを考えました。私が昔のことを考えたのです。そして、この人たちがどれくらい霊的問題で重要な状態にあるということを私が理解しました。それで、私がおばさんを呼んだのです。それで、なぜ泣いているのかと尋ねました。だから、当然、この人は何でもないと言いました。私が話を聞いてみたら、だいたい分かりますが、学費はどれくらい足りないかと尋ねました。たくさん足りないと言いました。どれくらい足りませんか。120万ウォンくらい足りません。それで私が静かにポケットを見たら、本当にぴったり120万ウォン程度がありました。それで、おばさんを呼んで、それを渡しました。これを持って、明日、支払いなさい。このおばさんが生まれて初めて見る人が、お金120万ウォンを与えるから手た震えていました。それで支払いなさいと言いました。そして私は牧師だと話しました。それで、おばさんひょっとしてイエスを信じていないなら、信仰生活を始めなさい。私の母がこのように苦労したが、私は神様を信じる信仰で、失敗しないで成功した。お金は負担を持たなくてよい。だから、このおばさんがどうすればよいか分からないのです。全く知らない人がお金を120万ウォンを与えるから、そうでしょう。主人も変だと思ったようです。幸いなのは、そのおばさんがとてもぶさいくでした。どれくらいぶさいくだったかというと、しばらく見つめるのにも負担になるほどでした。見ているのにも負担になるのです。もしその女が顔だちがよかったら、私が120万ウォンを与えたら他の人が変だと思ったでしょう。ところで、その主人が全く変だと思わないほどでした。幸いです。それで、私がなぜそうしたのでしょうか。私はこれを分かるためです。苦労したといって分かるのではありません。皆さんが本当に伝道と宣教を、人の霊的な部分を本当に分かったら違います。それでは、霊的に弱い人、貧しい人、無知な人を絶対に無視しません。この目が開いて、これを知っている人は、イエス様がなさったこのみことばがなにか知っている人はそうなります。 2.無能者→ 能力者 ▲それで二番目にパウロはどんな祝福を受けたのでしょうか。福音を持った者は無能な者を立て起こして、力ある者にします。そうではないでしょうか。必ず記憶しなければなりません。無能な人々を用いて、力ある者にするのです。 (1)12弟子 ▲イエス様が12弟子を呼ばれたのですが、全部、無能な人を読んで、有能な人にしました。有能な人一人呼んだのですが、それがイスカリオテのユダでした。イスカリオテのユダは頭も良くて、計算もはやくて、数学もよくできました。残り11人は無能な人々でした。 (2)オネシモ ▲パウロを見てください。パウロはオネシモのような罪人を呼んで大きい伝道者にします。皆さんも分かるでしょう。オネシモはピレモンのしもべであったのに、ピレモンの家で盗みをして監獄でパウロに会って、福音を受けた人です。ピレモンはコロサイ教会の長老だったが、後ほどオネシモという人がコロサイ教会の監督になりました。長い歳月が流れた後に…この目を持った人が献身もすることができて、献金もできるのです。 (3)フレゴン ▲他の人はそれほど認められることもないフレゴンのような人をパウロは念頭に置いて手紙の中に入れたという事実。必ず記憶しなければなりません。 ▲日本の地でも、今、多くの人々がメッセージを聞いているのですが、日本の教会に神様のみわざが起きるようになるように願います。日本の人々は韓国の人々と少し違うが、それが合わされればすばらしい福音運動になります。韓国の人々は少しあせります。ところで、日本の人々はちょっと細かいのです。この二つが合わされれば、福音運動に大きい働きが起きます。そして、日本で福音運動が起きれば、全世界に福音運動が起きる可能性がとてもあります。私が全世界に通ってみた中で一番気楽なところがどこだったでしょうか。日本でした。ひとまず食堂でもスーパーでも入れば、最も便利になっている所が日本です。それで、世界宣教できる国だと思いました。その次に全世界に高級食べ物に入っている料理が日本料理です。すごいのです。韓国食べ物であるキムチと味噌は臭いが、私たちが考えてもちょっとにおいます。味噌を食べればおいしいのに、食べた人がそばにくればにおいがします。例えば、秘書が私を連れにきて、車に乗ってみれば、味噌を食べたということを直ちに知ることができます。だから、日本に少しだけ福音が入って、韓国に対して理解して手を握れば、世界福音化の門が開けるのが日本です。全世界を通ってみれば、エスカレーターがおりて下で四つが平らになるのは日本しかありません。この頃はちょっと違って、韓国もそうなっていますが、昔に私が日本に行ってぱっと平らになるのが4つでした。アメリカは3つです。韓国は2つです。気をしっかりしていなければ倒れます。違いが生じます。全世界に行ってみても、お手洗いで手を洗う上に棚を作っておいたところは日本しかありません。それでは上に物をのせておいて手を洗えます。他の国はそれがありません。だから、膝の間に本をはさんで、手を洗って落としたりするのです。世界で福音を伝えられる国は私が見る時は日本です。それで、今日本語通訳をしながらわざわざメッセージをするのです。絶対にだまされてはなりません。 ▲ある日本人が私にこのような話をしました。韓国の人は少し変です。なぜでそうか。とても緊急で一方的です。とても緊急で一方的だから、一人で行きます。対話がうまくできません。そのように話しました。その時、私がこのように答えました。韓国の人もいろいろいる。私はそうではありません。相手も認めました。牧師先生はそうではないようです。それで、私は韓国の人だと言いました。韓国の人の標準です。あせる人は、ちょっと足りない韓国の人です。本来、私たちの先祖と韓国の人は根気があります。そうではないでしょうか。本来、私たちの韓国の人々は長く待って、多くのことを考える民族です。ですから、日本の人々が韓国の人のために葛藤するのに、葛藤する必要がありません。 ▲神様は全能な神様だから、今朝、契約を握って道だけ見てしまえば、これが道だからこの目が開けば真の働きが起きます。 3.教会内の信徒 ▲三番目です。本当に答えを受ける人、福音を持った人は、どんなことが行われるかというと、教会内の信徒からすばらしい祝福を見るようになります。 (1)葛藤、試み、紛争 ▲本当に福音を持った人は、弱い人、外にある人であっても教会の中にいる弱い人を手助けするようになります。本当に福音の中にあれば葛藤、試み、こういう紛争の中に陥ることはありません。 ▲皆さん新しく信じる方々は注意しなければなりません。そして、今、多くの教会の使命者は理解しなければなりません。私は幼い時から教会でこういうものをたくさん見ました。ところで、これを見て試みにあってはなりません。神様を見上げなさいというサインです。紛争の中に捕われてはなりません。特に私たちのレムナントは、こういうものために試みにあってはなりません。皆さんがよく信じようとすれば必ず記憶しなければなりません。ちょっとよく信じようと私が決心してしようとすると、このようなことらが私にぶつかってきます。それでは、大部分の人々が祝福を受けるべきなのに、これのためにあきらめてしまうのです。ここに引っかかってはなりません。ご存知でしょうか。信仰生活を始めようとする方たちが、ちょっと恵みを受けようとすれば、必ずこれがきます。ところで、こういうものが、全部、外からくるのではなくて、信徒のゆえに来るために、さらに試みにあいます。さらに重要なのは、葛藤、試み、紛争がおもに長老を通してきます。そのようになっても耐えるのですが、この葛藤、試み、紛争がおもに牧師を通してきます。こうすれば、もう耐えられません。それでも長老を通してくる時までは耐えるか、どうしようが、それしきのことと見なければ良くて、また、副教役者を通してくる時でも大丈夫です。なぜでしょうか。相手にしなければよいから。ところで、講壇でメッセージを受けるべきなのに、主任牧師を通してこういう葛藤、試み、紛争がくれば、その時からは私が死ぬのです。ご存知でしょうか。そこにだまされてはなりません。そこに絶対にだまされなければ大きい答えを受けます。 (2)ローマ16:17-20 ▲なぜでしょうか。ローマ16:17-20を見ると、このサタンはこれで攻撃して入ってくるのです。 (3)最高の道 ▲皆さんが祈りの答えを受けられる最高の道があるのに、ここで詰まります。皆さんが信仰生活を始める人も、この部分を理解しなければなりません。牧師の言葉がこのことだな!分かるようになります。 結論 ▲皆さんは今から心配する必要なく、この福音だけ持って味わってみてください。今日から1部メッセージ握って、このようにしてみてください。私は救われた。聖霊が私とともにおられる。私が行く所に神の国が臨む。方法はみことばを握れば良いのです。そうすれば良いのです。一度、体験してみてください。興味が沸きませんか。皆さんがじっとしているのに、お金が一日に百万円ずつできれば気持ち良いでしょう。それより、もっと大きい祝福がこの中からくるのにどれくらい興味が沸くでしょうか。 (1)唯一性 ▲それでこの福音を持っていれば、皆さんにはまちがいなく他の人が受けられない唯一の答えがくるようになります。 (2)ローマ16章 ▲そして、今日、ローマ16章にある人のように答えを受けるようになります。 (3)市民権(国籍) ▲そしてパウロが告白したとおり、パウロは3つの市民権を持っていました。 1)タルソ-キリキヤ・タルソがパウロの故郷です。ここの市民権を持っていました。 2)ローマ-またパウロはローマの市民権を持っていました。 3)天国-そしてパウロは天国市民権(国籍)を持っていました。 ▲これが、同じように皆さんが受ける祝福です。福音だけ握っていれば、この答えがきます。福音だけ握っていれば、皆さんが韓国、家系を生かして、ローマ、天国の福音を味わえる祝福がきます。福音だけ味わうということは何の話でしょうか。皆さんにこういう試みがたくさんくるのに見つめずに福音だけ握りなさい。みことばだけ握れば良いのです。私はこの契約を握って答えが来たものを皆さんに話せるのが、一つや二つでないから、証人として話せます。困難がくる時ごとに何をしたでしょうか。神様のみことばを握りました。それで、来週には皆さんが不思議な体験をするようになるでしょう。今週にこのメッセージを握ったが、みことばを握って皆さんが何日か考えてみてください。そうすれば、私たちが無駄に混乱を起こすのが、これのために起こすのですが、どこで起こすかというと、私たちが人を見ればとてもおかしな人々が多いのです。それで勘違いするのです。人々は、なぜこのように変かと言います。そして教役者がなぜこうするかと言います。こういう気がするのです。そして、重職者もそうで、教会がなぜこうしているかと言います。これで受ける祝福をすべてのがすのです。それで合理化をします。私たちの教会がなぜこうするかと言いながら、私たちの教会は人材がないと合理化をするのです。私たちの教会には人材が集まらないとどんどん合理化します。なぜでしょうか。正しい言葉であるから。それでだまされるのです。だまされずに、皆さんがこの祝福を味わうように願います。朝、話したように、私は私たちの教会の信徒と私が会った人が私に一番大切な人であることを分かった時、その時から答えがきました。 ▲今週にはこの体験をするように願います。それではどうなるでしょうか。私がここに来るのに、警護するチョン00執事が、携帯の写真を開いて見せてくれました。何なのかと見たら、この人が80センチの真鯛を釣ったのです。それを写真で撮って画面に出したのです。それはだれにでも見せません。そうではないでしょうか。チョン00執事がだれにでも見せるのではないということです。私はそれを分かります。それで、私が見た瞬間、2号で釣ったのか。はい、これが今、2号なのに加え5千リールに道糸5号で釣りました。など….今、皆さんはわからないでしょう。それでチョン00は私がわかるものと思って見せたのです。私が見る瞬間、感心しました。80センチならば、上げるのに普通の大変なことでなくすごいのです。その程度、大きい魚です。同じです。皆さんが答えを受けてみなさい。教会にくればうれしいのです。それで、このように写真を見せるように見せるようになります。この答えがくれば、教会に座っていればうれしいのです。そして、みことばを聞けば、今日はどんな答えがくるのか期待します。この答えを受けられなければ、何でそのようにメッセージも多いのかということです。これは神学院に行くべきで、宣教師訓練を行くべきで、行かなければ、またおかしくなるでしょうし、何かの集会はまたそのように多くて、訓練も多いのか、1部、2部だけすれば良かったのに、何でまたタラッパンをするのか…これで人がそのまま教会にくれば、力がみな抜けます。 ▲それで、皆さんさっきも話したのですが、私は今まで見たのですが、礼拝にならないほど力が抜けて疲れて眠たければ、大変なことになります。それで最も重要なのは、これが今、回復にできないということなのに、さらに重要なのは肉体もそうで、はやく回復しなければなりません。私がいつでも見れば、そのような人々が大事故を起こします。大変なことになります。それでしっかりして、皆さんが力を得なければなりません。それでこそ、世界征服ができます。だから高齢な人も、高齢だと思わずに、皆さんが全部、霊的な力を得なければなりません。このように体験すれば、毎日毎日答えがくるようになります。 ▲全国世界の私たちの家族に神様の祝福があふれ出ることをイエスの御名で祈ります。祈ります。 (祈り) 神様に感謝します。今日献身礼拝に参加したすべての家族に新しい恵みをください。新しい力を与えてください。今週に新しいいやしをしてください。新しい献身をさせてください。世界福音化を正しくできる目を開いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン (The end) |