20140202 インマヌエル教会聖日1部


派遣されたテモテ
(Ⅰテサロニケ3:1-8)

序論
釜山インマヌエル教会に行きますと、太宗台の方に行く道があります。そこには小さな店があります。 20年前のことなのですがヨンドン商というお店でした。夫婦が一緒に営んでいた店でした。とても忙しかったです。ある日のことです。若い奥さんが親戚の家の結婚式に行くことになりました。地方なのですが全羅道という地域でした。そちらにちょうど自分の実家の母親が来ていらっしゃったそうです。すると、この母親はこの娘に対して「ちょっとこちらにいらっしゃい」と言いました。そして、非常に心配事をお話されたそうです。今、大変なことが起きていると。若い奥さんは驚きました。自分の母が心配していたので、この奥さんがなぜそうなのかと尋ねました。特にこの旧正月を迎えまして、年始になりますといつも母親は占いをしているそうです。そして、全羅道で一番、有名な占い師のところに行って占ったところ、「今年あなたは死ぬ」と占い師に言われたということでした。それを聞いた途端、どれほど気分が良くなかったしょうか。そこで、この若い奥さんはこう思ったようです。家に帰ってくる際に、「今年、私は死ぬ?全羅道で一番有名な占い師がそう言ったのか」ともう一度、振り返って考えてみました。そのお話を家に帰って、自分の夫にしました。母がこうこうこういうことで有名な占い師のところで占ったけれども、「私は今年、死ぬそうよ」と話しました。すると、旦那さんはこう言いました。釜山でも有名な占い師がいるのに、わざわざ全羅道で占う必要はないと言われました。それで釜山のヨンドで一番有名だと言われている占い師のところに行ってみました。そうしたら、なんということでしょう。占いの結果が全羅道の宇占い師と同じ結果が出てしまったのです。たとえば、違った結果が出たならば、「ああ、やっぱり占いのことか」と思うかもしれませんが、同じ結果が出てしまったわけです。それで、その週の木曜日にお祓いをすることになりました。ことも大きいわけですから、数百万ウォンに当たる相当大きな儀式を行うことにしました。そして、水曜日のことでした。今はもう亡くなられましたがキム・ピョンジという勧士さんがいらっしゃったのですが、その勧士さんがちょうど先ほど行った若い夫婦のお店にラーメンを買いに行きました。そして、ラーメンを買いながらお支払いの際にこのような話をしたそうです。その若い奥さんに「イエスを信じて救われなさい」と年寄りの勧士さんがお話をしたそうです。その言葉が、この若い奥さんにとって普通の言葉に聞こえませんでした。なぜなら自分の運命によって、今木曜日にお祓いをしなければならない状態だったからです。そして、若い奥さんはこう言いました。「おばあちゃん、イエス様を信じるとどうなりますか」と尋ねました。「イエスを信じれば救われる」と答えました。「では救われたらどうなりますか」。「救われれば、神様の子どもになるのよ」。「じゃあ、神様の子どもになったらどうなりますか」。若い奥さんは心配だからいろいろと質問をしたのです。勧士さんは言いました。「神様の子どもは神様の子どもだ」と言いました。それで若い奥さんは自分の悩みを打ち明けました。「実はこういうことになって、私は木曜日にお祓いをすることになっている」と言いました。すると、勧士さんは答えました。「なにも心配しなくていい。イエス様を信じればそれで終わりだ。なぜなら私も元占い師だった」と言いました。それで、若い奥さんは確信をもちまして、「それでは私も神様を信じると生きるのですね」と。「今日は水曜日だから私と一緒に水曜礼拝に参加しましょう」ということで教会に連れて行きました。若い奥さんが教会にいらっしゃったときに、初対面、見たときに本当にきれいな方で賢そうに見えました。でも、その若い奥さんは最初はこう言ったそうです。あまりにも自分がやはり心配で大変だったので、「とりあえず木曜にお祓いをしたあと、その次の週に教会に行ったらいけませんか」と。「いや、そんなことは言わずにすぐに行きましょう」ということになりました。それで私はその若い人に福音を伝えたところ、彼女はひざまずいて祈りを受け取ってくださいました。本当に全身、体中、汗だくになり体が震えました。それから、イエス・キリストを信じて、イエス・キリストを救い主として受け入れました。そして、神様のこどもになりました。今までは信仰がなかったから忙しかったわけですが、それは言い訳だということで、今はイエス様をよく信じて信仰生活されています。そして、旦那様も神様の子どもになりまして、信仰生活をよくされています。その年に死ぬと言われていたその方は、20年が経った今でも健在されています。

さて、今日なぜテサロニケを選択をしたのでしょうか。その当時、ローマとテサロニケの時代といっても過言ではなかったと言えます。つまり、アレキサンダー大王が非常に自分の権力を奮っていた地域がテサロニケです。ローマがすべての地域を制覇したといっても、この時代、テサロニケとはローマが交流をしていたというくらいでした。それぐらい、時代はこのテサロニケ時代であったのですが、非常に大きな霊的問題がありました。しかし、その霊的問題に対して教会に通うクリスチャンも知識人も関心がありませんでした。今韓国だけでも17 %の人々がうつ病を患っていて、自殺しようかやめようかと考えているそうです。 17 %というこのパーセンテージは、医師によって薬を服用している患者さんの数だけが17%だということです。実は精神的な患いよりも、もっと深刻で怖いのがうつ病です。そのうつ病はどんな結果をもたらすか分からないからです。うつ病の状態は深刻になればどんな結果を、どのようにもっとひどい病気になるか分からないのがいつ病です。外見は明るそうに振舞っていても、結果的には自殺をする人が多かったりします。耐えられず、軍隊に行って自殺をしてしまったら、逆にそれは軍隊のせいだと言われてしまったりしています。耐えられず、ある大学生はKAIST大学で自殺をしました。そして、大学に責任を負わせます。ですから、結局、大学が何の間違いをしていないとしてもKAIST大学だけが間違いだと言われてしまいます。また、隠れた霊的問題を抱えてハーバード大学で自殺をしました。そうすると、世の中は霊的問題について分かりませんから、ハーバード大学が問題だと言ったりします。このような雰囲気で日本はうつ病の患者さんがより一層、ふえてしまいました。教会は無関心であり、しかも分かっていない状態です。深刻な状態です。このような患者さんたちがテサロニケ地域にたくさんいたということです。その地域に対し神はこのテサロニケ地域を生かす三人を抜擢しました。そして、まずパウロを選び伝道運動をさせます。そして、ヤソンを起こし、みことば運動をさせます。そして、今日テモテをなんと派遣していく場面です。とても重要な今日のみことばの背景となります。 今日、短い礼拝時間ですが大きな答えに預かることを主の御名でお祈りいたします。答えられるでしょうか。答えがあります。今日、短い時間の中で、皆さんが癒さるように祈っていただきたいと思います。癒されますか。もちろん、可能です。もしかして皆さんは急務で緊急事態でしょうか。その問題、緊急事態の問題が解決されますように。 可能ですか。もちろん、可能です。どのように可能でしょうか。

まず、一つ目です。キリストを知るということは、キリスト、イエスによってまず私の運命が変わるということを覚えておいてください。死から命に移り変わったと言われています。パウロはイエスを信じる者を捕えて殺していた者でした。しかし、そういう者を捕えに行く寸前、イエス様に出会い、運命が変わったのです。テモテはルステラでパウロとの出会いをとおし運命が変わりました。暴力をふるう輩たちの中にいいてヤソンはこの福音に出会った瞬間から運命がひっくり返されたのです。間違いありません。皆さんのその名前が、呪いから地獄のもとに記録されていたのですが、イエス・キリストによって天国へと移り変わったということです。そして、イエス様は語られました。あなたの名前がいのちの書に記録されている。ヨハネ4章24節にあなたは死から命に移り変わったと言われています。ローマ8章2節にいのちの法則があなたを呪いから完全に解放したと言われています。ものすごく偉大な祝福ではありませんか。適当に生きて滅びていく人たちは結局は運命から逃れることはできていません。私は昔、近所にいた人たちが横で喧嘩する姿を見て聞いてみると、私は何もできないし、親に恵まれていないとか、過去に縛られている発言ばかりしていました。皆さんは過去と運命から逃れるようにお願いします。皆さんは神様の子どもです。サタンの子どもではありません。サタンの運命から早く逃れるようにお願いします。今日のこの内容を理解する瞬間から、皆さんには大いなる働きに預かることができるでしょう。皆さん「親からこうされたから傷ついた」ということを、いつまでも持っている限り、その隙を狙って呪いが降りかかってきます。一切、持ってはいけません。ですから、必ず逃れますように。

ヨブ3章25節をご覧ください。ヨブが日頃から思い煩っていた部分を、サタンはそこを隙を狙って攻撃しました。ヨブはいつも来ていない問題について患っていました。だから、ちょうどその部分をサタンが攻撃したのです。第1ヨハネ4章18~19節 のところに、いつも自分が患っていたその部分を実は追撃されるのです。第1ペテロ5章7~8節に、あなたがたの思い煩をすべて主にゆだねなさいと言われました。理由は?あなたがたの敵である悪魔が今吠えたける獅子のように患っている者を探し回っているということです。箴言6章2節にところに、あなたがつぶやいた、あなたが恨んでいたこと、そこにあなたが引っかかるとつまずくと言われています。皆さんの考えが、過去に捕らわれている限り、それ以上の発展も進歩も何もありません。今日、全国、世界の使命者の皆さんは癒しの主日になっていただきたいと思います。「ダビデの子孫イエスよ、わたしをあわれんでください」と言いました。ある盲目の人は通りすがりのイエス様に声を上げて言いました。「ダビデの子孫、イエスよ、わたしをあわれんでください」。どれほど声を上げて叫んだかと言いますと、周りにいた人たちがうるさいと口止めされるくらいでした。本当にうるさいと。弟子たちもうるさいと言いました。でも、その人は叫ぶしかありませんでした。目が見えないので、その声がイエス様に届かなければなりませんから。ダビデの子孫、イエスよ。私をあわれんでください」。その盲目の人はただ私をかわいそうに思ってくださいと言ったのではありません。「ダビデの子孫。イエスよ。私をあわれんでください」と言いました。運命が変わる告白です。周りのみんなは盲目の人の声をうるさいと言いましたが、イエス様は止まったのです。「あなたは今私があなたになにをしてほしいのか」と言われました。盲目の人は言いました。「私は見たいです」。イエス様は一言、伝えました。「あなたの信仰のとおりになるでしょう」と。イエス様はどなたでしょうか。神の御子であり、その神の御子が「あなたの信仰のとおりになる」と言われました。 今日皆さんの告白に、キリストが皆さんにストップされ、そして、「あなたの信仰どおりになる」という祝福に預かるように願います。祈ってみてください。その御働きを体験していただきたいと思います。

今日の2番目です。どのように今日答えを受けて、病気が癒されたり、力に預かり、勝利できるのでしょうか。2番目のキーワードです。今日一日の一瞬でも結構です。霊的な力、霊的な祈りに集中するとき、奇跡が起きます。私の言葉を聞いて、本当にみことばを握って祈るならば、本音で不愉快だと思う人は幾人しかいらっしゃらないと思います。それはどんな人かと言いますと、たとえば医師の方々です。なぜならお医者さんは病人たちが来なければなりませんが、私の言葉をよく聞くと、皆病気をしませんから。そすると医者のやることがなくってしまいますから確実にそうです。私たちの体は霊が体を包んでいるのですが、この霊的状態が良くなりますと体はもちろんのこと健やかになります。ある医学者は、このように研究結果を発表しました。癌を治療するとき、薬や抗がん剤を服用するより喜びをもって、心配事をなくすことによって早く治るということです。それぐらい人間は霊的な存在です。精神的な病は悪霊の働きです。皆さんが喜んで祈りをもって奇跡を体験していただきたいと思います。どのように祈ったらいいのか分からないという方は、主日礼拝の時間だけでも集中して切実に祈ってみてください。そうすると、方法が出てくるはずです。自分なりの方法が。祈り方というのは各々それぞれ違うと思いますから真似する必要もありません。自分なりの方法があるはずです。テサロニケ地域に入って行こうと深い祈りに入っていたパウロは、実はその深い祈りをとおしてマケドニヤへと転換していく祝福を受けるようになるのです。使徒の働き17章をご覧いただきますと、3つの安息日をとおして切実に祈っていく中でマケドニヤへと到着していきます。今日の礼拝中、なによりも力を受けるようにお願いいたします。

こちらにとても貴重なレムナントの皆さんがいらっしゃっていますが、私は皆さんに断言して約束することができます。皆さんは救われた神様の子どもです。ですから、毎日です。1日に5分でも、10分でも集中して深い祈りに入ってください。人々は科学を分かっていません。私たちは脳の中に科学があるのです。私たちの脳がどれだけ可能性があるかと言えば、大きなビルの中にある全コンピュータを合わせても、それ以上の脳の可能性があるということです。私たちが霊的な事実を信じて、集中祈りをすることによって、それ以上の働きが起きるという可能性が私たちの中にあります。実は牧師やある人は山奥に昇って、また気功やなにやら体験しながら気が狂ってしまった。それは悪霊の働きを体験してしまったからです。ある歌手は、歌手になって祈っていく中で精神的に患って自殺しました。それはなぜですかと質問する人に対しては、歌手になったからそうやって死んだのではなく、福音のない人がなにかの霊的な部分に深入りしてしまいますと福音がないのでそうなってしまいます。今お話している部分について、皆さんが納得がいかなかったり、理解できませんと、これからアメリカや全世界に起こる霊的問題を変えることができないはずです。皆さん祈っていく中、必ずこのような答えは出てきます。皆さんの過去から逃れる方法、2番目は切実な祈り。その祈りをするときどんな体験がなされるか見て行ってください。では、切実と言ったときに、どれくらいの切実さであればよいのでしょうか。「私は絶対に今日力を受ける。絶対、今日過去から逃れる」というその思いがあるなら、必ず答えられるはずです。ヤコブ5章13~17節に至りますと、エリヤは切実に祈ったときに、天から雨が降ったり、または雨を止めさせたりもしたそうです。エリヤは私たちと同じ人間でしたと言われています。

そして、今日の3番目のキーワードです。覚えておいてください。3番目はやはり成功するために祈りの方法、祈りに答えられる方法を知らなければなりませんが、もっと詳しく言いますと、それは常識を超える、神から与えられる信仰を持つべきだということです。この単語はとても重要です。常識を超える、神から与えられる信仰がなければならないということです。この信仰を握る者は、驚くべき答えに預かるでしょう。では祈るという祈りプラス、この信仰が加わるということです。一人の人を例に挙げてみます。ヨセフは奴隷として売られました。それは結局、兄たちによって売られてしまったわけです。売られてこの市場に、あの市場へと売られて行きます。神学者たち、またその注釈と解釈によりますと、約3ヶ月間、売り場で売られていました。ということは体を洗うこともできない。そして、死なない程度の食料しか与えられない。泥だらけ、埃だらけの状態です。そして、外見だけは真っ黒な状態になっているので年齢も分からない状態なのですが、歯の状態を見て健康状態を確認するのだそうです。歯を見て歯があまりないとこれはもう老けていると、安い奴隷になるのです。でも、歯を見て歯がいっぱいあってきれいで健康だ。そうすると、健康な奴隷だということで値段が高いのです。私は老けたとしても、歯を見て若いとたぶん値段の高い奴隷になっていたと思います。とにかく、そんな感じです。3か月間、市場に売られている状態ですから、乞食状態です。そんな状態であの尊い息子であったヨセフが売られてしまったのです。自分はその市場からだれの家に雇われて行くのか、売られていくのか分かりません。ところが、ある日のことです。なんということでしょうか。 3カ月後、売られた、そして、到着した国がエジプトでした。ヨセフは、3か月前に、神に切実に祈って受けた夢がありました。その夢は世界福音化でした。その世界福音化がなんと成就されていく過程だったのです。これがそういう意味です。 常識以上、常識以下はいけません。私たちはもちろん、常識がないと話も通じませんが、私たちが言っているのは常識ではなく、常識以上の信仰があれば環境を上回る祝福に預かります。つまり、常識以上はこのような解釈です。奴隷でなく、エジプトに私は世界福音化のために行くのだ。そして、売られたところはさらに驚くべきことにポティファル将軍の家であったのです。ヨセフはその将軍の家で一生懸命、掃除をしました。そして、祈りました。掃除が祈ることです。この部分の理解があってこそ信仰生活ができると思います。ポティファルはこう言いました。主があなたとともにいる。そう言いました。ポティファルは未信者です。未信者であるポティファルがヨセフに対し「主がいつもあなたとともにいる。あなたはどう見ても奴隷は問題ではない。あなたは今日から私の家全体の責任を持つ係、総務になりなさい」と言われました。これが答えです。たとえば運転手さんがいたとしたら、だれかに「あなたは運転手には本当にもったいない人です」と言われてこそ良い運転手ということです。でも、同じ運転手に対して「やっぱりあなたは運転手だ」と言われると、それは運転がうまくないということです。「やっぱりあなたは、だからあなたはそうなるしかないのよ」と言う感じで言われてしまいますと、それはまったく認められていない表現です。あなたは奴隷ではない。

では、もう一つの例を挙げると皆さんがわかりやすくなると思います。バビロンで起きたことです。だれでしょうか。バビロンで偶像、神殿を造り拝みなさいと言われたときにシャデラク、メシャク、アベデネゴはそこで偶像崇拝しませんでした。常識を超えた信仰です。でも、その時代は拝まない限り大変です。拝むということがその時代は常識でした。皆さんならばその時代にどうしたと思いますか。でも、彼らは当然ながら拝みませんでした。当然、問題は起きるでしょう。当然、彼らは法廷に立たされます。法廷上で堂々と当然ながらお話しました。私たちは拝むことはできない。このまま火の中に投げ捨てられるとしても拝むことはできない。もしもこの炎の洞窟の中に入れられたとした、きっと主が助けてくれる。でも、助けてくださらないとしても、と言いました。私は死んでも神社参拝はできない。チュ•ギチョル牧師の告白でした。彼らの信仰の実がいまだに結ばれているのです。

今日のテモテを注目してください。テモテはだれでしょうか。テモテの家系と言いますと、祖母がロイスで母親はユニケでした。そのロイス、ユニケの真実な信仰のもと生まれたのがテモテです。このテモテに対して、パウロの表現によりますと、私はあなたの涙を覚えている。パウロはルステラにて伝道現場で石に打たれて死にそうになりましたが、再びまた同じ現場に入ったときにテモテと会いました。ものすごいことです。そこでパウロはいつもテモテに対して「わが子よ、わが子よ」と言っていました。そして、そのパウロがテモテに対し最後のこう言いました。「あなたは伝道者になりなさい」と。そして、その息子のようなテモテに対し、テサロニケ地域を生かすように派遣しました。へブル13章23節を見ると、このテモテはパウロと一緒に刑務所にも入ったということが記録されています。そして、この時代的な伝道現場をなんと10ヵ所以上もまた同じように一緒になって動かしたということです。偉大なる神です。私たちの想像を超える神です。常識以上の信仰を持つということ。皆さん、その信仰を今日持つようにお願いします。まずは今日、最初のキーワード、運命を変えなさい。そして、2つ目のキーワードは神の力、祈りの力の中に入りなさい。

そして、 三番目のキーワードは何でしょうか。常識以上の信仰を持ちなさいということです。アメリカを生かしたいですか。アメリカの水準に留まっていては生かせません。アメリカ以上の信仰を持つことです。皆さんの家庭を変えたいですか。家庭の水準であってはいけません。家庭を上回る、常識以上の信仰を持ちなさい。初代教会がこの信仰を持っていました。常識を超えていきました。イエス様を信じる者は、無条件に捕えては殺しなさいと言われていました。イエス様に従っていた群衆たちも、捕えては殺せと言われていた時代です。本当に不思議なことではありませんか。時代ごとに真理を求める人は皆殺されていました。サタンが暴れるのです。その時来る答えが何か分かりますか。オリーブの山の答えだったのです。もっともっと罰は深刻になって行きました。これからは教会の名前で集まる人は処罰されると。処刑に当たると言われました。でも、その日ちょうどマルコの屋上の間で五旬節の火が臨まれる祝福を初代教会は受けたのです。皆さんがこの常識以上の信仰を持つ時に、世界を変えること和えが与えられます。今日握ってください。私の過去、運命を捨てるという覚悟を。そして、神の力の中に入るのだということを。今の急務な問題、その現実問題以上を超えていくと。そうすると、自分は常識以上を求めたのに患難が起きたと思いますか。でも大丈夫です。そのとき来る答えがあるから。それはアンテオケ教会の祝福です。アンテオケ教会が建てられることによって、世界宣教の土台が作られていきます。でも、もっと迫害が来ます。でも、そのとき来る答えは何でしょうか。パウロがなんと改心されます。そして、世界宣教のため宣教師として派遣されます。そうすると、世界中の人々はパウロを捕えて殺そうとしました。そのとき起きた答えはまた何でしょうか。マケドニヤの門です。マケドニヤの門が開かれることによって、多くの商売人たちが様々な騒動を起こし、大変な困難に至らせます。でも、そのとき開いた門は何でしょうか。ローマも見なければならないという祝福です。皆さん、常識以上を求めるとき、その信仰に伴う門が開かれます。

今日は皆さんが握るべき祝福は何でしょうか。今日3つ握ってください。3つを必ず受け入れてみてください。その一つ目。 過去の傷から逃れよう。過去の運命から逃れるよう。過去の考えから逃れよう。逃れることです。どれくらい逃れるということが逃れることなのでしょうか。傷ついていたレムナントたちは、どうすれば傷から逃れたとなるのでしょうか。過去の自分が本当に笑ってしまうような感じにならないといけません。「あのとき、ああだったのか。なるほど」と、それが今なんでもない、へっちゃらのようにならなければなりません。「昔は私ああだったっけ?」と。それはそこから解放された状態です。でも、まだ逃れていない状態は、泣きながら「昔、私はああでした...ああ神様...」とまだまだそんな泣き虫になっている状態は、逃れていない状態です。なぜなら、いつまでもそれを持っていますと、その部分をサタンが攻撃するのです。「いや、私は昔、なぜあんな花札などしたのだろう。なんであんな面白くないものを。いや恥ずかしい。あんな夜更かししながらあんなことまでやっていたのだろう」となっている自体で、もう逃れている状態です。「やっぱり昔、あの一枚で本当に私は勝てたはずだ」。そんなことを今まで考えながら、それに喜びを感じる程度だと、夢にまでそれが出てきます。夢にまでそんな状態で出てきてしまうと、まだ逃れていない状態です。いまだに人と会話しながら、泣きながら昔のことで傷ついていますか。それはまだ逃れていない状態です。学生たちがよく持っているのは、親からこうされたという思いを、いまだに抱えています。ずっと持っています。それは逃れていないのです。そこから逃れてください。本当に福音なら親が理解できるはずです。「ああ、そうだったのだ」と理解できるはずです。親が離婚してしまっている家庭を見ますと、その離婚によって傷ついている子どもがいたりします。もちろんレムナントの責任ではありませんが、それを傷として持っていますと一生涯のものになってしまいます。そうすると、その傷が結局自分、その本人にまで来ます。自分も離婚してしまったり、ということになってしまうのです。それだけ傷が怖いのです。「ああ、本当になるほど。親が理解できて、私はそのような親になってはならない」ということになりますと逃れている状態になるわけです。もっと重要なのは何か。24時間、世の中のことばかり考えていますと、自分の状態がどうなると思いますか。たった5分、10分でも1日祈って、霊的なことを考えると脳が休むわけですが、それを日曜日だけでも皆さんやってくださいということです。日曜日だけでも霊的に集中すれば、先ほど言った3番目のキーワード、常識以上になるということです。常識を超えられる信仰が出てくるということです。それが今日のキーワードでした。それができている人がパウロ、テモテ、ヤソンだったということです。この3人の人たちによってテサロニケ地域が祝福の地域に変わったということです。皆さんに大変なことがありますか。体が病気になるといろいろ疲れるでしょう。しかし、すぐには答えられないとしても着実にやってみてください。完璧な答えが皆さんに来るはずです。

特に今日のテモテについてじっくりと考える必要があります。重職者の皆さんがもしもレムナントの
奨学金について何の関心もなければ、そんな無関心な人に人材が生まれるでしょうか。昨年も皆さんの奨学金によって多くのレムナントたちが起き上がっています。今年、本当に祈ってください。RUTCを建築し完成させなければなりませんが、今この状態だと未信者にどうやって私たちは勝てるでしょうか。また、教会の副教役者を本当に祈りながらバックアップして育てようと思ってください。そういう思いがなければ、未来も教会もありません。育てることがもったいないと思っている人がいるのですが、自分の今すぐに利益にならないとしても、そのような考えを持ってはいけません。未来がありません。「学校なんて作る必要ありません。今すぐに結果が出ないかぎりは」。そうすると、国家的な災いを受けてしまいます。「お金がもったいないから、私は利益ならないから学校なんか作らないべきだ」。そうすると、どうなると思いますか。結局、それは結果的には同じ災いになってしまいます。私たちはテモテひとりを育てること。学校の、そして人材をレムナントを教役者を育てることがとても重要なことです。今日から1日10分。深い祈りに入ってください。10分祈りのときに必ず3つを覚えてください。私の過去、運命は終わったということを。昔々、ど田舎で起きた自分の傷をいつまでも持っていてはいけません。もう捨ててください。死からいのちへと移り変わったのです。私は新しい被造物だ。新しいものだということを覚えてください。そして、今日の常識以上を見てください。10分間、この切実なる祈りをとおして 25時の神の力を体験していただきたいと思います。
今日、日曜日だけでも切実な祈りによって大きな力に預かることを切にお祈りいたします。

(お祈り)
神様。私たちにテサロニケを生かす契約を与えてくださったことを感謝します。今日が祝福の尊い日であるように願います。過去の傷、子どものときの傷が完全に打ち砕かれるように願います。そして、サタンの勢力を完全に打ちとめてしまう驚くべき祝福に預かることができますように。今日、聖霊にあって真に大きな信仰、大きな未来を見ることができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。