201400420 インマヌエル教会聖日1部
聖書の示すとおりに死なれ、 聖書の示すとおりによみがえられた (Iコリント15:1-5)
序論 さて、今日は「聖書どおりに死なれ、聖書の示すとおりによみがえられた」というタイトルです。今日はイースターです。皆さんに新しい始まりがあるように祈っていきたいと思います。 ある方が道通りにマッチ棒に火をつけてそのまま投げて捨ててしまいました。それが原因で大きな火事になってしまいました。このように世の中は真理でもないものごとが、世の中をひっくり返してしまうような事件、事故があったりします。だれかの一人のミスによって今、韓国の珍島(チンド)の海では数百名の学生が水の中に閉じ込められています。この大きな船の沈没事件が世の中を騒がせています。また、イエス様の公生涯、生きておられるときにも、何人かが真実ではないことを言う人たちによって複雑なことが起きていました。それはイエス様を十字架にかけてしまったという事件です。ピラトは言いました。イエスには罪はない。しかし、多くのユダヤ人は、イエスを十字架にかけなさいと言いました。そして、イエス様と強盗一人のどちらを解放するかと聞いたのですが、結局イエス・キリストが十字架にかけられることになる事件がイスラエルにありました。十字架にかけられるということは、凶悪犯罪者がそこにかけられるようなことだったのですが、地球上、何の罪もないイエス・キリストがそこにかけられてしまいました。このように世の中というものはとても悪い勢力によって動かされているために、真理ではない働きがこうして世の中を揺さぶってしまうときがあります。何の価値もない存在が、非常に価値あるものを揺らしてしまうようなことを私たちは目の当たりにしたりします。ユダヤ人がローマの属国にされていたので、ローマの法によってイエス・キリストは処刑されてしまいました。そして、イエスの墓を守るために、ローマの軍人と重要なユダヤ人たちがいたと思います。結局、イエス・キリストは十字架にかけられましたが、3日目の朝方です。正確な記録によりますと、そのお墓に光がありました。しかし、日は昇っていません。でも、そのお墓から光が出ていたという記録があります。そして、石で大きく塞いであったのですが、その石のドアみたいなものの隙間から光がでてきて、また、その石が動かされイエス・キリストが歩いて出てきました。ローマの軍人がそのようなイエス・キリストの復活を一番最初に見て驚きました。昔も今も同じことは、公務員たち、政治家たち、軍人たちというのは、あることの事実よりもある他の問題が起きるか起きないかと言うことをすごく心配したりします。その軍人が最初に歩いてくる姿を見て「この人がキリストなのだ」ということで見たわけではなく、「大変なことが起きた」とそのことを受け止めました。そして、最初にイエス・キリストの復活を見た軍人はこう報告しました。その人は歩いて出てきた。今も同じです。今も公務員たちがある報告をしたり、ある報告を受けるときに「ああ、大変だ。大変なことが起きた」と事実を事実通りに受け止めることなく、「これは内緒にしよう。ばれたら大変だ。これらが国民に知らされたらすごく大変なことになる。社会に困難なことが起きる。だから、静かにしよう」。それで軍人たちに言いました。「イエス・キリストを見た人は、イエスを見た人は何人いたのか」「数人しかいません」「じゃぁ一人当たり口止め料としてこれぐらいお金を渡しなさい」。絶対に口止めをされました。でも、口止めされたものの、いくらお金を渡されて、どのようにというところまで噂されてしまいました。だんだんと噂は広まっていったのです。十字架にかけられ血を流し体中の水が出ていって死んでしまった人がどうやって生かされるのかということです。それがユダヤだけでなくローマ全体に広まっていきました。十字架にかけられたその彼が生かされたということが噂されました。そして、ローマ人、政治家たちがとまどってしまいました。絶対に真理の前に屈服することなく、ただとまどいました。たとえば、本当によみがえられると言っていたけれども、本当によみがえられたのではなく、この事件をどのように処理すればよいのかということしか考えていませんでした。だから、嘘をついているのです。そこでイエスが生かされたということを嘘だとするために幻想説、つまり、幻だと言うようになりました。どうやって死人が生かされるのか。生きて歩いて来るのか。それはだれかの見間違いだ。幻想でも見たのではないかと言いふらしました。絶対に違う。お墓に見に行ってみなさい。お墓は今、開いているままです。たとえば、死体をグルグル巻きにした包帯も、「包帯しか残っていない。中の死体がない」と見た人たちが言っても「幻だ」と片づけました。そういう事件、ひとつひとつによって人々は余計にとまどっていきました。 また、二つ目の噂はこうです。私たちがお墓を見張っているとき、少し居眠りをしました。その居眠りをしている最中に、イエスの弟子たちが来て死体を盗んだ。盗んだ後、イエスが復活したと言っているのだと言いました。それが盗難説です。でも、嘘と言うのは長続きしません。どんどん本当に復活したということが、働きが起きていました。よみがえられたイエス様は重要な所々に現れ、重要なメッセージを与えていました。しかも、今日の本文のとおりに、イエス・キリストの復活を見た人が多いのです。数百人もの前に現れたり、大事な弟子達にも現れたりで、人々が行ったり来たりしました。ユダヤ人もローマの軍人も嘘をつくにも限界があります。そして、最後に限界なのでこんなことを作り出しました。私たちが最後まで殺せなかったのだと。確実に死ななかった。確実に殺すべきだったのに、十字架で死ななかったのだ。だから、お墓の中で生き返ったのではなく、目を覚ましたのだ。それが俗にいう気絶説です。こうやってローマの軍人たちが作り出した幻想説、盗難説、そして、気絶説と言うのは、逆に言えばイエス・キリストが生きているということを証明しているのです。このような形で驚くべきことが起きました。これがいつだったのでしょうか。イスラエルが最高の災いに遭ったときです。 多くの教授や知識人、政治家の人たちは知らなくてはなりません。創世記3章の事件以降、時代ごとに災いは続いています。聖書は今も預言しています。終わりの時代になると、戦争や地震、飢餓、災害が地球上のあちこちで起きると預言しています。そして、終わりの時代は苦しみの時代だと預言しています。そこでテモテでも言われました。あなたが確実に信じるみことばにとどまりなさいと言われました。ヨハネの黙示録にも記録されています。終わりの時代は霊界に困難な時代が来ると言われています。この預言のみことばを読むもの、聞くもの、そして、守るものは幸いだと言われました。 なぜこうやって子どもたちが災難に遭ってしまうのでしょうか。なぜ大人一人のミスによって、あの船の沈没事件に巻き込まれた高校生、子どもたちはどうしたらよいのでしょうか。しかも、その船の中には私たちのレムナントも5人いるようです。私は今週、一番テレビをいっぱい見たような気がします。時間があればテレビの前にいました。子どもたちをどうなってくのかということで。話にならないような事件です。船の造り方が最初から間違って改造していました。いつもいつも嘘を言っていました。これは旅客船なのに荷物をいっぱい載せて、荷物をたくさん載せたのであれば固く縛らなければならないのに適当に運びました。そして、事故が起きたとき、救済用具は使わなければならないのに、それはまるでこれから使いませんと言うような感じで処理されてあったということです。いつも嘘ばかりでそこで犠牲になるのは子どもたちです。私は神様はどうして子どもたちにこのような目に遭うようにさせるのかと、1週間ずっと聖書を読みました。聖書をとおして見たのは、時代ごとにイスラエルの娘たちよ。シオンの娘たちよ。そして、ベツレヘムよ。イエス様のあの災いの時代、十字架にかけられる寸前、イエス様はどんな言葉を述べられたのでしょうか。私のために泣くのではなく、あなたがたの子どもたちのために泣きなさい。私のために泣くのではなく、これから起きる時代の働きを見て、子どもたちのために泣きなさいと言いました。エジプトの時代から、イエス様が誕生されるその事件から、実際に歴史は子どもたちをたくさん殺していました。ユダヤ人を無くしていくために、パロの王は当時の子どもたちを皆殺していくということをしました。王が生まれたというベツレヘムでイエス様が生まれたという知らせを聞いたヘロデ王は、その当時、イエス様と同じように生まれた子どもたちを皆殺しました。そして、AD70年以降、たくさんの事件が起き、子どもたちが殺されました。6.25朝鮮戦争のあと、大きく犠牲にあったのはやはり子どもたちです。私が生まれ育った子どもの時代も、自分の家を中心に東西南北4カ所に孤児院がありました。つまり、町全体で4つの孤児院があったということは、全部孤児院だらけだったということです。朝鮮戦争の後ですから、親を亡くしている子どもたちです。それから、60年後の今、韓国は世界宣教をする国へと変わっていきました。神様による重要な計画は今もあると思っています。常に時代はこのような災いの時代でした。なぜなら、創世記3章の事件以降、時代はすべて災いの時代です。そして、災いはこれからも起きます。 1. 聖書のとおり死んで そこで今日の重要なことば、聖書が示すとおりに死なれた。示すとおりということです。今も聖書66巻の写本が博物館に保管されています。それは未信者の学者たちも見ています。これは旧約時代に、これは新約時代に記録されましたと言うことがすべて残っています。つまり、66巻の聖書の写本が残っています。学者はこれはいつごろの記録だと明確に分かるそうです。イエス様が生まれる前からすでに、このようなメシヤがお生まれになると言う預言が560箇所に記録されています。地球上、そんな人がいるでしょうか。イエス様は生まれる前から、このようなイエス・キリストが生まれるだろうと聖書には560箇所記録されています。しかし、その中で、一番キーポイントは何でしょうか。この世に来てすべての罪をあがなう、十字架にかけられると預言されています。 聖書が示すとおり死なれた。どういう意味でしょうか。人間は絶対にサタンから勝つことができません。だから、そのサタンの勢力を打ち砕く女の子孫がこの世に生まれ蛇の頭を打ち砕くと言われています。人間はノアの時代を防ぐことはできません。だから、神が言われました。箱舟の中に入るなら生かされる。バベル塔を人間の力で止めることはできません。しかし、聖書は預言しています。これらの事実は知識人も、ローマも、エジプトも皆滅びてしまいました。神様のみことばがわからなければ知識人によって、強大国によって国々は滅びてしまいます。歴史がすべてを証明しています。一度だけではなく、本当にすべての働きを否定できません。聖書が示すとおりに死なれたということです。イエス・キリストは聖書が示すとおりにこの世に生まれ、人間がサタンによって完全に滅びしてしまったすべての罪をあがなうために十字架にかけられると預言されました。 そして、聖書が示すとおりに死なれたとはどういうことでしょうか。人間が避けられない災い、それを神が全部、解決してくださいました。その方法がキリストを遣わすということです。それを信じていかなければなりません。でも、私たちは福音を語っていますが、教会は福音を語っていません。大変なことではありませんか。大人によって子どもたちが死んでしまうと言う災いが起きています。専門家たちによって子どもたちが死んでしまう、そんな時代が来ました。教会のせいで子どもたちが死んでしまう、そんな災いの時代が来てしまいました。教会が正しい霊的な戦いをしていないので、暗闇に負けてこのような災いが起きているということを知らずに生きています。一体、どうやってあのような沈没事件が起きるのでしょうか。目が完全に真っ暗に塞がれているのです。例えば、この事件を、ある出来事をどうにも表現できないときに、魔が差したという言葉を言うかもしれませんが、本当にそんな事件かもしれません。イスラエルは国全体がなくなるほど、子どもたちが一人二人ではありません。ほとんどが死んでしまうような災いを6回ほど歴史的に経験しています。そんなイスラエルは福音をもらった国です。しかし、福音を悟れなかった、味わえなかったのです。暗闇の勢力を神様は止められないのでしょうか。止められます。しかし、許されました。事件はある意味、災いを止める方法として許すかもしれません。私たちはロボットではありません。物質のように縛られていません。それであのような問題が起きます。ですから、神が人間をつくられたあと、とても大きく嘆かれたということです。人間には自由の意志が与えられたが、その意志がこうやって堕落の方向に行ってしまったことにすごく嘆かれたということです。 そして、神は人間に恐ろしいサタンの地獄の権威を打ち砕く力がないからメシヤを遣わすと言う約束をされたのです。なぜでしょうか。十字架にかけられるために、聖書が示すとおりに死なれたということ。 昔、既に亡くなられた長老ですがキム・グァンイル長老が一般のある新聞に投稿しました。イスカリオテのユダがイエスを売ったのは救いの成就が示されてあるということを書きました。なぜそのようなことを書いたかと言いますと、私たちが今やっていることと、イスカリオテがあのようにしたことというのはどちらがましだという次元ではないということです。つまり、これは見てわかる人だけがわかる水準のある言葉を書いたのです。すると、それを読んで、キム・グァンイル長老がいる教会と違った教会でいろいろなクレームがかかりました。どのようなクレームかと言いますと、イスカリオテを礼讃しているということでした。でも、このキム・グァンイル長老も裁判官でしたから、そう簡単には負けられないタイプです。キム・グァンイル長老が書いた内容を大学教授にその原稿を送りました。この文書の内容を読んでみて、イスカリオテを実は非難しているのか、それともほめているのか。大学教授の7人が皆、この内容はイスカリオテの間違いを話している記事だと言いました。こんな形で何十年か前に面白い話もありました 2. 聖書のとおりよみがえられたのだ さて、今日のポイントなのですが、キリストは聖書どおりに死なれ、聖書どおりに生かされたということです。これはどういうことでしょうか。 この2つ目の意味は、聖書が示すとおりに生かされたということで、創世記3章15節の成就を意味しています。私はあるときに飛行機に乗って降りたところ、入り口のところである人が英語で「リュウ・ガンス」と書いて持っていました。それを持っていた方は警察官だったのですが「私がリュウ・ガンス牧師です」と紹介したら「ああ、そうですか」ということで、私の荷物も持ってくれてすべてをその警察官と一緒に通過して行きました。そして、「ここまでお疲れ様です」ということで、私を楽に案内してくれました。それで私も非常によくしてもらって感謝だったのですが、挨拶をしてわかってみたら、その方は警察官だったということです。だれかが警察にお願いしたようです。この間も、ペルーに行ったときに、警察のチームが出てきて助けてくれました。なぜ「リュウ・ガンス」という紙を持っていたのでしょうか。相手は私のことをよくわからないわけです。だから、「リュウ・ガンス牧師」という紙をもって空港で出迎えているのです。キリストはこの世に来られましたが、キリストがだれだかわかりません。聖書は預言しています。しかし、聖書は預言しました。そのキリストは必ず十字架にかけられ3日目によみがえられると。その方がキリストであると言われました。キリストがこの世に来られる前に560回も聖書は預言していますが、そのキリストが聖書どおりに来られ、死なれてまたよみがえられるということです。聖書が示すとおりに生きたわけです。そして、創世記3章15節の成就、次は出えエジプト3:18の成就となります。そして、もう一つの成就は、イザヤ7:14です。処女が身ごもって子を産む。その名をインマヌエルとせよ。そして、マタイ16:16。あなたは生ける神の御子キリストです。この働きの成就です。この4箇所の聖書のみことばの成就、つまり、聖書が示すとおりに生かされたということです 3. 受けたことをしっかりと保ちなさい(2節) では、今日3番目に握って欲しい部分は何か。今日の本文の2節、私たちが受けたものを固く守りなさいと話しています。それは無駄にはならないということを。どういう意味かわかるでしょうか。皆さん、よくそれを考えてください。つまり、この福音の言葉を保つことによって救われるということです。出エジプトをしたとか、出バビロンをしたということは重要ではありません。イエス・キリストが十字架にかけられる前に、この福音を逃しているイスラエルは23箇所の国に散らされて、1千年以上、国を買い戻すこともできずさまよってしまいました。完全にユダヤ人が死んでしまうようなその歴史を皆さんも知っているのではありませんか。騙されずにこの契約を固く握ってほしいということです。 聖書は神様のみことばです。重要なことはこれだけではありません。これから終わりの時代は重要な時刻表、重要な問題が来ます。だから、この聖書の言葉を固く保ちなさいということです。そして、レムナントの皆さんも固くこの契約を保っていかなければなりません。そうすれば勝利すると言うことです。聖書は未信者が読んでもわかる、つまり、信じられる部分があります。たとえば、こういうことをしてはならない、盗んではならない。こういう部分は未信者が読んでもわかる部分です。そして、聖書は信徒だけが読んでわかるような部分があります。例えば、血のいけにえをささげに出ていきなさい。パロの王はそれを聞いて、一体、それは何かとなりました。初代教会の人々が、聖餐式を行っていたときに、ローマの人々はその姿を見て「一体、あなたがたは何をしているのか」と迫害しました。「私たちはイエス・キリストの血によって救われたから、その契約を記念することだ」と言ったら、「皆いかれたのか」とローマは言いました。そんな発言をしたローマは滅びてしまいました。しかし、世界は福音化されました。イエスを信じる者を精神的に病んでいると言ったヒトラーは自殺しました。神はいったいどこにいるのか。神の存在を否定した共産主義は、そのことばを言った70年後、滅びてしまいました。しかも、その共産主義も現実は福音を持った教会の助けをもらいながら回復されていくことになりました。聖書は信徒だけがわかるような部分があるということです。 もう一つは、信徒が読んでも理解が難しい部分があります。ですから、そのような部分を理解しようと思うと大変です。キリスト教網要を書いたジャン・カルヴァンは最後にどんな言葉を言ったのでしょうか。カルヴァンは言いました。私はこの内容を信じられる、けれども、説明はできない。私は聖書はすべて信じられるけれども、表現するのは難しい。表現できない。そんな中で、一番重要な部分が特に今日の本文です。 結論-苦難、呪い、災いは十字架で終わった! 聖書が示すとおりに死なれ、聖書が示すとおりによみがえられました。その契約を保ちなさいと言われました。そして、それは無駄にならない。それは救われると言われています。パウロはどのように福音を伝えたかと言うと、イエス・キリストは十字架にかけられた。そして、よみがえられたということを伝えたわけではありません。パウロは単なるそのような福音を伝えたわけではなく、聖霊の導きも受けたが非常に賢い方だと思います。どのようにお話したのでしょうか。イエス・キリストが復活されたと言ったわけではありません。使徒の働き17章を見ますと、どんな言葉が記録されてあるのでしょうか。このパウロはイエス・キリストが十字架にかけられなければならないことと、復活されなければならない当為性について語られました。つまり、もっとレベルのある話をしたわけです。人間は絶対にキリストが十字架にかけられて死ななければ、この罪の問題は解決されないという、人間の当為性を話しました。人類を救うためには十字架にかけられたそのキリストでなければならない当為性を説明しました。全世界に災いはこれからも降りかかってきます。契約を握って行かなければなりません。日本のためにも祈らなければなりません。そうだと思いませんか。本当に神様のみことばを握って行かなければなりません。世界的な学者は預言しています。日本は無くなるかもしれないと。そして、北朝鮮に対しても預言しました。北朝鮮にある白頭山の火山がいつ爆発するかわからない。韓国も東西南北がこうやって分かれ分かれになり、いつ戦争の時代になるかわからないのです。私たちは契約を握って祈らなければなりません。神様は言われました。義人10人さえいれば、私はソドムとゴモラを滅ぼさないと言われました。ソドムとゴモラは罪人のために滅びたわけではありません。このソドムとゴモラは義人がいなくて滅びたのです。義人10人がいなくて滅びたのです。つまり、韓国と世界の災いは教会のせいです。教会が正しい福音を握って祈るならば、霊的問題は勝つことができるということです。私たちがでたらめなものを、どうでもよいようなものを握っているために、結局、犠牲になるのは子どもたちだけです。時代ごとの災いの結果はそうでした。本当にあきれてしまうことです。 皆さんが今日の契約を固く、固く握ってください。本当に皆さんがまことの答えを受ける新しい始まりであるように願います。そして、霊的な力を受けてください。そして、全世界にどうやって暗闇の勢力が打ち砕かれたのかと言う契約を、私たちは伝えていかなければなりません。私個人としては、このキリストの契約を握ったときに、本当にまともに祈らなくても答えられました。本当です。祈りはそのあと悟りました。実は私は健康な人ではありませんでした。けれども、このキリストと言う契約を悟って握った瞬間、すべての病魔の勢力から私を守ってくれました。私は本当に先祖から、自分がキリストを悟る前まで、食べて生きることでいつも悩んでいた者でした。でも、契約を握った瞬間から、そんなものは心配しなくてもよいようなものになったのです。元々、私は成功を目標に、そして、人に認められたい、そんな者でした。でも、私はこの契約を握った瞬間、答えられたあと、それはいらなくなったのです。本当の愛国とは何だと思いますか。自分の出世のために、自分の努力によって何とかなるという生き方が本当に愛国でしょうか。私は愛国ではないと思います。本当に神を愛し、国民を愛し、そして、世界を愛することができます。それが愛国ではありませんか。自分をよくして行こうとする生き方がどうして愛国でしょうか。私たちは霊的な目を開いていかなければなりません。韓国と世界で起きるすべての災いを、小さな福音運動かもしれませんが、祈りをとおして止めていかなければなりません。今日の祈りをとおして、皆さんの家系と、そして皆さんの家庭全体を生かす1日であるように祈ります。 (祈り) 神様、感謝します。復活の主を賛美します。イエスの御名によって答えられる証拠を体験することができますように。キリストの力によって災いを止めることができるということを体験することができますように。聖霊の働きによって世の中を生かす体験をすることができますように。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン |