20140504 インマヌエル教会聖日1部
復活以降の成就 - 機会を逃してはなりません (使徒2:14-21)
序論 さて、イエス様の公生涯の時代と、今の時代も同じことがあります。ほとんどの人々が難しいと言っています。学生たちも勉強をしていれば、約10%の人たちはよく勉強ができる学生たちです。しかし、90%の学生は勉強が難しいと言います。90%のうち40%は勉強をあきらめています。それが文部省の統計です。医者になったり、または法官になったときに、約10%の人々は成功して行きます。しかし、90%の人々は難しいままであると言われています。驚くことは世界の教会も運営がうまくいっている教会は10%で、他の90%は無自立な状態です。ですから、すごくあがいて努力しています。つまり、難しい、無駄なあがきをしていきます。生きなければならないからです。そこでそのあがきによって発生する病気が霊的に欠けてしまう病気です。つまり、生きていこうとして行く努力が優先になるので霊的な部分が欠けていきます。そこで結果的に災いの時代が来てしまいました。 人々はこういう部分をどうしたらいいのかと悩んでいます。世の中の人々はこれに対しこのように教えます。あなたはこれからその問題を解決するために高い学歴、たくさんのライセンスを取らなければならない。そして、たくさんの背景を作らなければならない。また人脈はもちろん重要だと言います。もちろん必要なことです。世の中はそのような教え方をしています。だから、お金が最高だと教えます。そのように教えます。それでお金儲けのために人脈ですべてが通じていくシステムによって、今回の船の沈没事故も起きてしまいました。数百人の学生たちが沈没で死んでしまったのです。これらは皆世の中で教えられたことどおりにした結果です。人脈があれば生きられる。学歴通しで通じると。私たちは背景があれば、背景がある同市で通じるからと教えます。それらを言葉をとおして教えたり、無言なままでも暗黙の了解の中で教えられたりします。お金が最高だ。お金がすべてだと教えます。しかし、聖書はそのように教えていません。神様の祝福を受けたものがお金があってこそ成功しますが、神の祝福のない人がお金があればお金によって失敗します。よくこういう言葉を言います。健康が最高です。健康でありますようにと言います。しかし、聖書はそのように教えていません。祝福を受けていない人が健康だと、その健康によって問題が発生します。幸いな人こそが健康でなければいけません。多くの人々は次のように教えます。名誉が最高です。しかし、聖書はそのように教えていません。天の祝福があるものが名誉があってこそ人々を生かしますが、そうでない人に名誉があれば多くの人々を困らせてしまいます。このように間違ったことを教えているために、世の中は話材の中に入っていってしまいます。その結果、人々は限界にぶつかります。より大きな問題はクリスチャンです。そこでイエス様が最後に「絶対にこれは逃さないように」ということでメッセージを与えられました。今日、マルコの屋上の間の重要な時刻表、また重要な契約を握る時刻表となりますように。 さて、今日の本文はどんなことを意味しているのでしょうか。このように災いの時代、霊的問題は次から次へと向かってくるが、私たちはどうしたらよいのか。 1. 滅亡、災いを受けるしかない刻印されたことからはやく抜け出す契約を握りなさい では、一つ目です。聖書はなにを教えているのでしょうか。まずマルコの屋上の間でなにを教えているのでしょうか。滅亡を受け、災いを受けるしかない、その刻印された中から早く逃れるようにと言うことです。つまり、その刻印を変えるように。多くの宗教は自分を無にしなさいと言うのですが、自分をなくすと言うことは悪霊にとりつかれてしまいます。そうではなく刻印を変えるのです。その刻印を変えなさいと言うことが今日の本文の意味です。 私は記憶の中に残る3人の人がいます。まず、子どものときなのですが成功した大人でした。しかし、私を無視する大人でした。その瞬間、逆に私は本当に正気になったのです。「私はなぜこの大人に無視されるのだろう。それは私のせいである」。そのように思うようになりました。そして、自分の中に刻印されたことが変わっていくような気がしました。「ああ。私はこれから正しく人生を生きていこう。正しく勉強を始めよう」。それで私は大学に行こうと思ったのです。そして、もう一人、私が伝道師になったあと成功された人に会いました。その方は私を認めてくれる人でした。もちろん、私は人から認められたから良いというわけではありません。その瞬間、私はなにか芽生えたのです。私は伝道師のころ、ある人から認められることによって、もっともっと正しい霊的運動、福音運動をしなければと思うようになりました。そして、もう一人が私の刻印をまるきり変えてくれた人がいます。私はその方と10回くらいの出会いしかありませんでした。その方はキム・ジュンゴン牧師です。私は最初、その方に本をとおして会いました。その方の本にはこのように記されていました。一体、イエス・キリストはだれなのか。その内容が私の胸に当たってきました。1冊の書物も記録していないイエス様。その方はいったいだれなのか。しかし、多くの人たちはその方をとおしてたくさんの書物を起こした。いったいその方はだれなのか。 その方は言いました。一度も戦っていないのに世界の将軍、世界の人々より大いなる将軍となる王は、イエスはだれなのか。この世紀のBCからADに至るまで、そして、この時代の主役であるイエス・キリストはいったい誰なのか。その本をとおして示された質問と内容が私の胸に当たってきました。そうです。いったいだれなのでしょうか。 神のみことばとメッセージは少し区別しなければなりません。記録されたみことばが自分にぶつかってくる部分がメッセージです。実際にメッセージと言う単語自体を多くの人が良く使っていますが、教会が一番最初に使った言葉です。神様の聖書の内容が私に当たったとき、当たった部分をメッセージと言います。そして、ロゴスと言うみことばが私に当たって来たとき、それをレマと言います。本を1冊読んでも自分に当たってくる部分と言うのは別にあります。私はなぜ生きるべきか。私の人生、こうであっていいのか。そして、またもう一つの本、トーマス・カーライルと言う人の本を読んで、「私はこのように生きよう」と思いました。その本をとおして、とても大きな答えを出した人がウィリアム・オスラーと言う人です。そのウィリアム・オスラーの本を読んでも私にぶつかって来るものがありました。私はこのように生きよう。そのようにぶつかってくる、胸に当たる部分があってこのように生きていこうと思いそれを継続していたら、本当に大きな霊的問題が解決されると言ったのです。ある日、キム・ジュンゴン牧師から「あなたに会いたい」と約束をいただきました。そのときはもうすでに私は牧師となり、伝道運動をしていたときです。そして、元CCCの会長であるキム・ジュンゴン牧師のところへ訪問しました。その方は私にこう言いました。「あなたのメッセージを本当によく聞きました」。そして、キム・ジュンゴン牧師の質問はこうでした。「そのメッセージはあなたのオリジナルですか。それともだれかから学んだことですか」。私は答えました。「自分のオリジナルでもない。だれかから学んだわけでもない。これは聖書の内容をとおして伝道運動をしていくときに現場で発見したメッセージです」と言いました。すると、キム・ジュンゴン牧師はこう言いました。「あなたのメッセージは南北がこれから統一しなければならないのに、その統一メッセージだ」それ以降、これを機に10回くらいの出会いを持つことができました。もちろん、10回の出会いはすべて私からではなく、相手が大先輩の方ですからその方からお話を受けて会ったということです。その10回の出会いの中で、また記憶に残る言葉がります。そのことばの中に、全世界に、特に後進国の中にたくさんの人材がいる。彼らを生かさなければならないということです。後進国はウォンで1万ウォン、2万ウォンあれば毎月育てることができるけれども、その方たちは今、そのお金がないから人材が滅びているということでした。そして、「あなたは本当に伝道者だ。だから、あなたはコンベンションの戦力をもって彼らを生かしてほしいと食事をしながら言いました。そして、最後に私の頭の中に残っているのは、キム・ジュンゴン牧師が直接、私たちのRUTCに訪問してくださったときのことです。一緒に食事をしたあとに、このようなお話を最後にされました。「本当に久しぶりに伝道する人たちと出会って、食事をして会話をするから心が本当にすっきりしました。このRUTCのあるトッピョンに多くの大学生が訪れて、祈ることのできる祈り施設をたくさん作ってほしい。この大韓民国のためにこんなに立派な山があって、このように空気のよいところで本当に若い世代、若い大学生が祈れる祈りの部屋を作ってほしい」。非常に年老いた方で、あるときは食事をするときにもまともに食べられないほどの状態でしたが、頭の部分、考え方、そのような部分はまだまだ青春で若かったです。そのことばが私の刻印を変えました。 皆さん、カルバリーの現場のそのメッセージが自分の中に刻印されたときに、私たちは変わります。そして、オリーブの山の現場のメッセージが、私の中に刻印されるときに自分の中の刻印が変わります。キリストはいったいだれなのかと質問しただけで、御働きが起きるようになったということです。今日、マルコの屋上の間で述べられた内容が、私の中のメッセージとしてぶつかって来るなら、私たちの刻印は変わります。滅亡するしかなかった自分の昔の刻印が完全に崩れている御働きが起きるでしょう。聖書はそれが一番重要だと教えています。聖書は今私たちに一番それが必要だと教えています。それがオリーブの山であり、それがマルコの屋上の間でのメッセージです。 2. 上からくだってくる力を得なさい 2番目です。聖書はこの滅びの時代に何を話しているのでしょうか。人脈も必要。学歴も必要な時代かもしれませんが、一番必要なのは上から与えられる力が必要だと言うことです。昔、私はたくさんの質問をしました。いったい祈りは何ですか。いったい何が正しい祈りなのでしょうか。その質問を本当に度重ねてしました。では、皆さんはどうでしょうか。私は祈りに対する答えを確認したとき、聖書のみことばは生きているみことばであるということを確認しました。そのあとどんなことが起きたでしょうか。五旬節の日になって、炎のような、激しい風のような御働きが起きました。神は言われました。神は私たちに世の中の人々は到底、無理な上からの力をもって出て行きなさいと言われました。不可能でしょうか。いいえ、人々はこれを求めていないだけです。不可能ではありません。では、五旬節の日になってそのときどんなことが起きたのでしょうか。実際的に15カ国の門が使徒2:6-11で開かれていきます。いったいこの力をだれが止められるのでしょうか。実際に使徒2章のところで、聖霊の満たしが与えられたときに15カ国の門が開かれ、伝道の門、産業の門、すべての門が開かれていきました。特に今日の本文2:14-21のところは、ヨエルの預言者をとおして与えられたみことばが成就されていく現場です。神様が一番、皆さんに祝福しようとしている部分は、生きておられるみことばが皆さんの歩みに成就されることを望んでおられます。災いがこちらに到来している理由はみことばを聞いていないからです。こちらに多くの教役者、特に多くの教師たちも覚えてください。神のみことばを教えていないから、結局は災いの中に陥ってしまうのです。大人たちの過ちによって多くの若い世代が悔しいながら死んでしまっています。これは災いです。そこから勝つ方法、道を神は示されています。 3. これから近づく災いを神様の契約を堅く握って防ぎなさい 3番目です。何でしょうか。これから来る災いを超えて行く、災いを完全に止めていく契約を逃さないようにと言うことです。今日言われました。終わりの時代、男女のしもべたちに本当に聖霊の満たしを与えると言う約束です。終わりの時代は非常に苦しみの時代だが、最後まで待ち望む者は救われるということです。この幸せを24時味わう人に対して、それこそがまことの24時の祈りなのですが、その24時の祈りは癒しを与えてくれます。そして、この神から与えられる力をずっと味わう人、それを25時の契約だと言います。私たちはこの力によってまことの人生が始まるでしょう。それは永遠なことを見たから始まることです。 結論 今日、まことに神様のみことばを握って出て行く祝福のときであるように願います。この祝福がわからないために、人々は限界にぶつかっていくのです。神学校はたくさんあります。しかし、この限界にぶつかっているままです。今日、この限界を倒して行かなければなりません。私たちは聖書をよく読み、聖書の内容もよく知っています。しかし、その限界に泊まっています。これがイエス様が今日与えられた最後の現場メッセージです。多くの現場の、多くの神学者、牧師先生方が勉強されていますが、その限界にぶつかっています。レムナントたちが集会に参加し、たくさんのこともやっていますが、その限界にぶつかっています。その限界から超えて行かなければなりません。神は全能な方ですから、私たちは超えて行かなければなりません。神は創造の神ですから、これを超えて行かなければなりません。 この限界を超えて行った人がヨセフです。ヨセフの行く所々に、神の御国が臨まれたためにだれも彼の限界止める人はいませんでした。王はヨセフに対して言います。こんなに主の霊に満たされた者は見たことがない。未信者たちも、私たちとレムナントを見てこのようなお話をしなければなりません。私は今までの学生の中で、こんなに賢くて、こんなに霊に満たされた者は見たことがないという言葉を。皆さんが外でビジネスをしていろいろな働きをするときに、今まで出会った人の中でこんなに私のことを祈り、こうやって神の霊に満たされた人は見たことがないという答えを受けて、これから現場に出て行かなければなりません。ダビデはどのようにまことの王の王になったのでしょうか。これから、このような王が、大統領が出て来なければなりません。ダビデはこの日以来、主の霊がダビデに激しく下ったという答えを持っていました。ダビデは少年のときから、賛美をしたときに王宮の中にあった悪霊が離れていく答えを受けていました。そして、ダビデは王になったあと、自分の願い事を言います。私たちはこのように楽に寝ているけれども、主の契約の箱はあのまま放置されているから神殿を建築して契約の箱を治めよう。そして、大きな聖歌隊と指揮者を2人も備え、神をほめたたえる賛美も備えました。さて、そんな王がこれから出てくるべきです。そして、聖書をご覧ください。7人のレムナントを見て、また確認してみてください。このような答えを受けていたのです。これから皆さんが行く所々の、特に家系、家庭の現場の災いが崩れていく祝福を受けていただきたいと思います。今日の本文は、終わりのときに起こることを話しながら話しています。そこで皆さん、この契約を固く握って行かなければなりません。 特に今週は子どもの週、子どもの日です。大人の私たち、とくに教師の皆さんは子どものために祈ってください。子どもたちが滅びに至らないためには、3つのことをして行かなければなりません。 ① 1つ目。それは正確な福音の根が下されるようにしなければなりません。そうすれば、どの現場に行っても絶対に滅びません。 ② 2つ目です。正確な福音の中で時代を生かすエリートとして育てなければなりません。今から子どもたちを育成している親たちは祈ってください。そして、妊娠されている方たちも皆、祈っていただきたいと思います。 ③ 3つ目は、神様が願われる、神様が望まれるタラントを発見できるように学業を導いていくことです。 1番の福音の契約の根を下ろしていくことができるならば、2番のエリートとして、3番のタラントを発見することができます。契約、福音の根が早く下されない限り、大学に行ってしまいますともう遅いです。「私の子どもはいったいどんなことができるのだろうか」と確実なビジョンがないと言うことは祈っていない証拠です。だから、今から初めていただきたいと思います。子どもの部分に対しては親の責任ですが、特に母親の皆さんは直接育成していますから、育てていますから責任が大きいです。これらのレムナント運動は、リュウ・ガンス牧師の運動だ。タラッパンの運動だと思っているのであれば、それは錯覚です。大きな錯覚です。神はなぜこのような働きをされるように言われたのでしょうか。今週は子どもの週です。子どもの週に本当に大きなプレゼントを受けていただきたいと思います。 ひとつだけ例えを申し上げます。私の母親は祈りの人でした。祈りの人は未来を知ることができます。そうでしょう。子どもの未来がわかります。私が行く未来がわかります。少なくともこの祝福は親が味わうべきです。母は1日も欠かさず、朝方の祈りをする人でした。朝方の祈りが終わったあと、家に帰るといつも私のところに来て私のために祈ってくれました。どれくらいだったかわかりますか。母親は年老いて病気になり死ぬ間近に入院しましたが、病室から消えてしまいました。そうしたらなんと、朝、隣の教会の早天祈祷会に行っていたのでした。もちろん、教会に行って絶対に祈らなければならないと言うことを言っているわけではないのですが、それくらい祈りの人だったということです。母親は1日も欠かさず早天祈祷会をし、帰ってきてはいつも寝ている私の足などを握って、あるときは手を握っては祈ってくださいました。母親は男に対して尊敬心というものがあったので、自分が女だから男の頭はへたに触るものではないと言うことで足だとか手を握って祈ってくれました。祈りの内容というのが、「牧師になるようにさせてください」と言う祈りでした。なにかを知っていたということです。未来を知っていた。ある時私が目覚めてしまって、母親の祈りを聞いてしまいました。それでいつも心の中で思っていたのは「私が一番嫌なのが牧師です」ということです。あるときは、私がまださまよっていて教会も行かないときだったのですが、「時代的な牧師になるように」と祈っていたのですが、その時の私の耳には全く入って来ませんでした。でも、神様の計画がありました。私は神様の計画を発見する前までは、神様は私にいつもいつも講壇の方に入れてくれたのです。しかし、神様の計画を発見した後、私は想像以上の答えに預かることができました。親の祈りがない子どもは生涯、さまよう子どもになってしまいます。母親に特に福音の奥義、祈りの奥義がないとしたら、子どもは一生さまよってしまいます。実際に、子どもの週だ、母の日、父の日だといってカーネーションを渡し、プレゼントを渡すということに意味があるわけではありません。 今日の本文の初代教会に与えられたメッセージはこれから大きな災いが来るから、早く底から逃れるように自分の刻印を変えなさいと言う意味なのです。そして、滅亡の時代が来ていると言う証拠、サインが、すでに世の中に見えているのではないか。だから、人の声、人脈ではなく、上から与えられる力を受けなさいということです。そして、未来の災いを完全に止めるために、未来ある子どもたち、次の世代に福音伝達に成功にしなさいということです。これらを味わっていく人には想像を絶する答えが与えられるでしょう。使徒の働きの答えを受けたときに、神殿の美しの門の前で足の不自由な男が歩き出す答えを受けることができました。私は最初、使徒3章を見たときに、どうやって足の不自由な男が歩き出したのだろうと思いました。しかし、そこには理由があったのです。だれもその霊的問題を解決できませんでした。大祭司も律法学者も。しかし、ナザレのイエス・キリストの名によって起き上がれとペテロが伝えて起き上がったのです。皆さんもこの信仰を持って出て行ってください。ナザレのイエス・キリストのすべての御名によって完全な災いが打ち砕かれるように信仰を持ってください。サマリヤの方に行っても、ナザレのイエス・キリストの御名によって暗闇の勢力が打ち砕かれました。 この上からの力を、特に重職者、またレムナント、すべての信徒の皆さんにありますように。 (祈り) 神様、今日、霊的な目を開いてください。そして、霊的な現場を見ることができますように。神様のみことばを読むだけではなく、見ることができますように。牧師の説教だとしてメッセージを聞くのではなく、神の御声を聴くことのできる霊的な力を与えてください。そして、正確な私が行く道、自分の道を見つけることができるように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン |