20140817 インマヌエル教会聖日1部


二つの悲しみ
(Ⅱコリント7:10-16)

序論
▶ある方が私のところに訪れて、いろいろなお話をしてくださいました。内容はいろいろと難しいことが起きたので助けてほしいということでした。その人は少し悪い人かなと思いました。しかし、私は自分でできる限りのことはしてあげました。そのような姿はやはり秘書たちは理解できないようです。「なぜあんな悪い人を助けてあげるのか分からない」と言っていました。その後、10年くらい経ちましたが、その人が私に福音を伝えていく上でとても助けになりました。その過程を見た人たちが「ああ、そうだったのですね」と納得してくれました。もちろん、いろいろなことを考えたときに、私が損するかもしれない悪い人たちもいましたがすべて許しました。そうして数年経ってみると、その人が悟れず完全に崩れるのを見て、秘書がまた「ああ、そうだったのか」と言いました。そのときは理解できなくても、あとになって分かるようになります。
▶イスラエルの民がエジプトから解放されて、カナンの地に向かうときのことでした。つまり、一つの段落が終わり、また新たに始まるときでした。その時期は一番、イスラエルにとって重要な時刻表といえるでしょう。ところが、その間にアモリの連合軍が力を合わせてヘブルの人たちが入って来られないように戦争を起こしてしまいました。皆さんもご存知のように、そのときの戦争にはヨシュアが出て行きます。しかし、戦争に出ましたが、突然、不思議なことが起きました。天から雹(ひょう)が降りかかったのです。天から雹が降り、ヨシュアの軍隊よりも敵陣の方の軍隊が自ら自滅するようにさせました。そのような現象はある一つのしるしを意味しています。そのしるしとはカナンの地には必ず入国しなければならないというサインです。そして誰も止められない道であるということです。突然の雹が落ちて、ヨシュアの軍隊より非常に多い敵の軍隊を雹によって完全に打ち殺されたということです。しかし、もっと恐ろしかったのは月が沈むようになりました。月が沈むとどんな現象になるのでしょうか。アモリの人たちはそこが自分の近所なので暗くなっても道をよく知っています。しかし、イスラエルの民は初めて来た道ですので道がよく分かりません。負けるかもしれない状況になりました。でも、その戦争に負けたら大変なことになります。でも、絶対に負けてはならない戦争です。なぜなら、神の御心はカナンの地に入ることだからです。その時、ヨシュアの祈りが出てきます。ヨシュアが主に向かって祈りました。日よ。月よ。ギブオンの上に止まれ。ムーディー科学院で証明したことは、太陽の世界の中で一日ずれるという計算が出ました。その時、神様がくださった大きな答えと祈りの課題が出てきます。勝利した後に出てきた言葉です。空前絶後の、これからも後にも出てこないような答えが現れたのです。どういう意味でしょうか。空前絶後の答えを神が与えられたということです。
▶私はその空前絶後の答えを祈りの課題として握りました。私の人生の生きていく方法としてその言葉を握りました。
2014年8月17日は今までもなけれれば、これからもない日です。どのような意味かお分りでしょうか。今日という一日が、皆さんにとって空前絶後の答えを受ける一日なるように願います。それがはたから見ればそんなに立派だとは思えない生き方かもしれませんが、でも、私の生きる方法です。
▶なぜ私が序論で言いました悪い人、苦しい人を助けるのか。なぜなら、今日という一日は今までもなければこれからもない日であるからです。なぜ間違った人まで許すのか。その日は今までもなければ、これからもないはずだからです。私たちの祝福は、今日の祝福は、今までもなければ、これからもありません。神様がくださる新しい恵みは毎日違うからです。皆さんが日曜日に礼拝に参加し座っていらっしゃる姿を見ますと本当に奇跡だなと思うくらいです。私は歩いて講壇に来ますが、歩きながら皆さんの姿を見ます。ある人は聖書を開いてあちらこちら調べている人もいます。ある人は祈っている方もいらっしゃるし、ある方はあまりにも疲れたのでしょうか。寄りかかって寝てらっしゃる方もいます。それでも礼拝をささげに来てらっしゃるということです。だから奇跡だなと思います。私だったら絶対来なかったはずなのに。
▶私たちが信仰生活をどのようにするのかでとても差が出ます。今日という一日は空前絶後の日です。これから何が起こるかわかりません。神様の空前絶後の恵みを受ける日は今日、今しかありません。理解できないかもしれません。
エレベーターに乗ったときに、中の手すりをおばさんが一生懸命、拭いていました。掃除をする時間帯がおそらく決まっているようでして、一生懸命、時間内に終わらせようと汗だくになっていました。私は全くの他人です。「お疲れ様です。ご苦労様です」と言いました。「暑いですね」と言ったら、「そうですね」と真夏でしたから本当に苦しそうに言いました。誰かが見ると私たちの会話がおかしく見えたかもしれません。私はそのおばさんに5万ウォンをお渡ししました。「どうぞ冷たいものでも飲んでください」と。すると、おばさんはびっくりしました。「本当にありがとうございます。これで休暇でも私は取りたいです」ということでした。こんなもので休暇になるのかと思いましたが、私はお話しました。「神様をよく信じてください」。エレベーターの中で時間もありませんでしたから、ストレートにお話しさせていただきました。私はなぜ全くの他人にそんなことをしたと思いますか。いろいろな理由があります。私にとってその瞬間も空前絶後の日であるからです。皆さんいかがでしょうか。皆さんが生きる方法はどうでしょうか。今日を生きる方法を悟れば、多くの祝福を受けることになります。
▶とても大きな世界レムナント大会が恵みのうちに終わりました。そして、青年修練会も終え、先週の長老修練会も終了しました。また明日からは女子伝道会が始まります。こんな形でたくさんの恵みを私たちはたまわることができました。しかし、実際に私たちが現場に行ったとき、私たちにいろいろな悩みや心配事が起こると思います。その中で一番大きな悩み、悲しみは何でしょうか。おそらく悩みと言えばいくつかあるでしょうが、人間関係によることが多いと思います。その悩みの前で私たちはいろいろ損してしまいます。昔、ある青年が、ノーマン•V.ピール博士を訪ねこう相談したそうです。「先生、私はあまりにも悩みが多いです。どうしたら良いでしょうか」。こんなにたくさんある悩みをどうしたらいいか相談しました。ノーマンV.ピール博士はこう答えました。「あなたは墓地に行ってみなさい」「なぜですか」「そこに行けば悩みもなければいろいろなこともない」。つまり、それはどういうことか裏返して見ますと、生きている間、悩みは当たり前だということです。
▶今日の聖書の本文には、とても重要な答えが隠されています。悲しみには二種類あります。世的な悲しみは必ず滅びに至ります。しかし、神のみこころに沿った悲しみは救いに至るということです。なぜこちらに救いという文字があるのでしょうか。皆さん、とても重要な答えがあります。皆さんが世的な悲しみに捕らわれてしまいますと、すべてはサタンの通路になってしまいます。しかし、神の計画が何であるかを調べるために、それを明かすために悩む悩みには救いに至るということです。その言葉が何なのかと言いますと、私たちがその悲しみの前で、神のみこころに沿っていきますと、重要な福音の力がそこに現れるということです。皆さんが神のみこころが何かを見つけるために悲しむときは、福音の力が体験できるようになるということです。福音の力が体験できますと、どうなりますか。誰も解決できない災いが終わります。聖書はこのように語っておられます。千人が万人が打ち倒されることがあっても災いがあなたがたに降りかかることはないと言われています。その災いがあなたがたを飲み込むこともできないと言われています。皆さん、福音の力がどれだけ大きいでしょうか。福音の力、イエス•キリストが十字架にかかり終わることによって、すべての災いが終わる働きが起きます。ある悲しみの前で、皆さんが福音の力でそれを忍び絶えることは、悲しみではなく、のろい、暗やみの勢力、サタンの権威が打ち砕かれる時間になります。また、神様のみこころに沿って、神様のみこころのために挑戦するすべての事柄は神の御国が臨まれる、地獄の背景が打ち砕かれる瞬間となります。とても大きな祝福ではありませんか。ですから、悲しみは二つあるということです。世の悲しみがあれば、もう一つは神のみこころを叶えていく悲しみがあるということです。
▶それでは、今日の本文に入るのですが、すべての現場に戻られる神の民、およびレムナントの皆さんに与えられるメッセージがいくつかあります。

1. 神様はレムナントとみなさんに行う計画を持っておられる
▶その一つ目のメッセージは、まず、世の悲しみは捨てることです。福音の中で、世の悲しみはすべて捨ててください。世の悲しみとは何でしょうか。
1)まず、すべての傷を捨てることです。傷は癌になります。すべての傷を捨てることです。
▶皆さんが福音の中ですべての悲しみを駒幕見ますと、それはすべてチャンスです。一体どうして私たちにこんなことが起きるのだろうか。このように物事を捕えてしまいますと、ヨセフは傷だらけで生きることができなかったはずです。しかし、ヨセフはすべてに目を覚ましました。これは私がエジプトに行く道だ。どうせ私は独り立ちしなければならない。一人で立つための神の計画だ。このように、とても素晴らしいことを発見したのです。同じ悲しみの前でとらえ方が違うことによってこんなに差が出ます。とらえ方によってこんなに素晴らしい道が開かれて行きます。
私の親はどこにいるのか。注いて、なぜ私はこのように養子入りさせられたのか。そんなことでさまよう人も多いかと思います。しかし、モーセをご覧ください。モーセはどうしましたか。神様は私を文化征服のためにエジプトに送られたのだ。それを悟った瞬間、老人であったモーセに奇跡が起来ました。これは必ず必要です。
アメリカ、ヨーロッパ、世界中のレムナントの皆さん。世の中の悲しみは捨ててください。傷を捨ててください。傷を持っていれば大変なことになります。
教会はなぜいつもこうなのか。このようなことを言う人が多いです。私はたくさん耳にしました。子どものときからよき聞いた言葉です。私はそのせいで教会に行かなくなりました。教会はなぜこうなのか。こういう人が多いです。でも、サムエルはそのようなことを思いませんでした。神様は私を教会を生かす主役として祈るために、この神殿に送られたと悟ったのです。そうです。その後、どんな祝福が来たか皆さん分かりますか。サムエルの言葉はひとつも地に落とされなかったという答えを受けました。皆さんもこの答えを早くキャッチしてください。サムエルが生きている間は戦争がなかったと言われました。すごい答えではありませんか。いったい、この世の中にどうしてこんなことがあり得るのでしょうか。なぜ世の中にはこんな人しかいないのでしょうかという疑問があるでしょうか。
ダビデをご覧ください。ダビデが受けたようなことを受ける人はおかしくなってしまうかもしれません。しかし、ダビデは違うことを悟ったのです。ダビデは自分にあったすべての悲しみを社会を生かす重要な答えにしていきました。時代と社会を生かす主役として自分を呼んだのが分かったのです。
どのようにして国家がこんなことをしていいのだろうか。そういう人たちがよくいます。正しい言葉です。しかし、そのようにしか思えない人は損をしてしまいます。サタンの通路となるからです。神は私にエリコでもなく、ギルガルでもなく、ベテルでもない霊の二つの分け前を私にくださいと答えをもらいました。エリシャをご覧ください。
皆さん、死を目の前にしたときどうしますか。最も重要なメッセージを残して殉教したのはイザヤです。世の中の悲しみを捨てる方法さえ知るなら目が開かれると思います。
初代教会はどれほど迫害されたのでしょうか。しかし、それは生きる道だったのです。初代教会が迫害されなければ、彼らがローマに進む道が分からなかったと思います。ローマへ進む道を知らなければ、世界の災いを止められなかったと思います。
▶皆さんがまことの福音を悟るなら、すべての災いはストップします。しかし、私たちはその道のりがわかないからだまされてしまうのです。世の悲しみ、すべて捨てることです。
2)捨てるということは放って置くということではありません。チャンスを見つけることです。みこころを見つけることです。例えば、葛藤が見えるなら更新するチャンスだと思ってください。葛藤が生じるというのは、早く更新しなさいという神様のサインです。私の家はどうしてこうなのかといくら思っても意味がありません。更新するべきです。
3)世の中に出てみますと、争いがあり喧嘩があり、いろいろなことが起きます。
▶私は6つの教会の教役者生活を終えて、7つ目の教会にたどり着いたのが、今のヨンドにあるインマヌエル教会です。私はいつも戦う教会にいました。そして、いつも言葉数が多くうるさかった教会が、私がいた某教会です。でも、その中である素晴らし事を見つけました。それは無駄話をしないということです。一番最初に教役者生活をしたところは、人間主義が絶えなかった教会でした。教会が神様中心ではなく、人間中心な教会でした。私はその姿を見て学びました。私が無知でわからないで受けてしまったことは分からないとしても、人間主義にはならないということを学びました。死ぬ日まで人間主義にならない。それを私は学ばせていただきました。その次の教会は牧師が勝手にコントロールする教会でした。また、学びました。牧師は絶対に教会で自由にふるまってはならないということを学びました。3つ目の教会は、今度は長老たちが勝手に動かす教会でした。本当に知識人が多い教会でした。私はそこでまた学びました。長老があのようにまるで自分が主人のように働く教会は絶対に祝福がないということを学ばせていただきました。どんな場合も、教会の主人は神様でなければならない。それを学ばせていただきました。本当に感謝です。4つ目の教会は釜山のチョンポドンにありましたが、何もしない教会で、無気力な教会でした。私はそこで熱心に伝道すべきだということを学びました。学ばせていただきとても感謝します。最後の教会はソンドンにあるトンソン教会と言うところでした。そこは、本格的に喧嘩する教会でした。ただ普通に戦うのではなく、あまりにも多くの戦いがあり、暴力的に戦う教会でした。だから、警察も導入して止めに来る教会でした。私はそれを見て学びました。私は死ぬまで教会で戦うようなことが生じれば譲るということを学びました。神様の前で戦うようなことが起きたら、私は負けを選択する。私はそのように学ばせていただきました。とても感謝しています。皆さん、世の悲しみがありますか。捨ててください。それは死に至ることだと言われています。
▶ある姉妹二人がいました。同じようによい信仰生活をしながら就職をしました。一人の姉妹は仕事もできれば人間関係もよくできるような姉妹でした。でも、もう一人の姉妹は仕事はできるけれども、人間関係があまりうまくいかない。釣り合うことができません。でも、もう一人の姉妹は世の中の人とよく釣り合ってよく遊ぶ。だから、関係が良かったです。会社の人にもかわいがられました。でも、もう片方の女性はよく釣り合わないから、人々からかわいがられませんでした。でも、結果はなんと全くの違った結果が出ます。未信者の言葉はこうです。「あの子は外見的にはクリスチャンなのに、私たちとよく釣り合うし本当にいい人だ」。しかし、内心はこう思っていました。あれは偽物だ。本当のクリスチャンではない。そして、あまり人と釣り合わない姉妹に対しては、私たちと会話が通じないと言われていましたが、みな内心ではなんとなく本当のクリスチャンではないかなと思っていました。ひとりひとり、やはり世の中ですから、難しいことが起きたりしました。みな自分の悩みを誰に打ち明けたか。本当のクリスチャンだと思える人のところに行って明かしました。いかがでしょうか。皆さんの霊的な状態を、実はノンクリスチャンの方がよく見ているのです。
▶私は信仰生活をしながら、いろいろな良い方にもめぐり会いました。全羅道出身で学歴はありませんでしたが、信仰生活をよくされている方がいました。その方は今は長老ですが、その方と当時、お会いしたときは執事さんでした。でも本当に信仰がすばらしい方でした。すべての教会の難しい仕事を黙々とされていました。その方はこのようにおっしゃっていました。私は学びが少ないから、頭は使えないけれども、ひとつひとつ体で自分ができる仕事は全部やるとおっしゃっていました。自分は小学校しか通えなかった。中学、高校はすべて試験を受けてパスをしたということでした。その方は私にこのようなことをお話ししていたのですが、自分はやはりきちんと学べなかったのでいろいろと後悔する。でも、自分の弟たちは本当に学ぶべきだと、本当に弟たちを助け、彼らをソウル大学にまで行かせました。また、あるときはこんなことをおっしゃっていました。自分は学びが少ないけれども、会社でこういうことをしようと思った。一番腰を低くしてすべての人に仕えていくことだということをおっしゃっていました。自分のポジションでできることはそれしかないと。実際的にそのように会社生活をし、のちにはどうなったか。当時、朴正煕大統領の時期だったのですが、大統領がその方を公務員を研修させるための教授に任命されました。もう一人は皆さんも知っている有名なワナメーカー。何も持っていない人でしたが、神様の計画を成し遂げる立派な人になりました。もう一度言います。
▶全世界に散らされたレムナントの皆さん。世の中の悲しみは捨てることです。

2. 神様は貧困、無能、病気、苦しみを越える祈りの答えをくださろうと待っておられるためだ
▶二つ目です。神様のみこころを見つけるまことの涙が必要である。
最近は口癖のように多くの人々が大変だ、難しいとおっしゃいます。もちろんそうだと思います。しかし、まことの悲しみ、涙は何でしょうか。レムナント大会のときに、私は自分の告白をさせていただきました。私が生きてきた時代というのは戦争があって貧しい時代。だから、家も貧しいし、いろいろな恵みがなかったわけで、いつもそれを悔いに思っていました。しかし、私は福音を悟り分かりました。私は間違った涙を流していたという事実に気づきました。いつも私は自分のみじめな姿が嫌で、いつも嘆きの涙を流していましたが、それは間違っていた涙だと悟りました。福音を悟り涙が変わりました。それは人々は自分の身に降りかかる災いを見ながらもなぜ福音を知らないのか。なぜ教会は福音を伝えないのか。なぜ福音に関心も持たないのか。すべて牧師たちの責任ではないのか。それなのに牧師はなぜこうなのか。そんな涙を持つようになり、今もその涙はあります。人々は不愉快になり、私を異端の汚名を着せましたが、もちろん不愉快だと思います。私のようこう言いますから。もちろん、私もまともなことを言い過ぎたので。牧師先生方は本当に福音を悟れずにこんなことをしていないからと、それを思いきり言ったので、「では、あなただけが牧師で私たちは牧師ではないのか」ということもありました。そういうことを、私はまともに言い過ぎてしまって本当に申し訳ありませんでしたが、でも、私はそれが真実で私の涙です。それが本当にどうかというのは人生において神様が答えてくださると思います。
1)アブラハムも昔は間違った涙を持っていました。つまり、自分の衣食住のために、どうしたら個人が豊かになれるだろうか。神様を信じられず世の中のことばかりを思っていました。アブラハムはそんな涙をいつまでもこぼしていたのです。ある日、彼は決断を下します。本当の涙が始まりました。甥にすべてを譲り、山で祭壇を築き始めます。その後、アブラハムはどうなったでしょうか。本当の大富豪になりました。富豪になったことが問題ではありません。あなたの子孫によって列王の諸国の国々によって祝福を受ける。あなたの子孫によって敵の門を得ることができる。
▶神様はみこころに沿って悔い改めるその涙は正しい涙ですからそうなります。よく笑えば幸せが来るという言葉を使いますが、それはまた別の世界の話です。あまり意味のない笑いばかりしていると、意味のない人になってしまいます。私はよく写真を撮るときにカメラマンに言われます。笑ってくださいと。私は笑う顔ではないので。ソウルにホバホバという写真館があるのですが、そこの社長さんは本当に素晴らしい写真を撮るカメラマンです。私は証明写真で一番よく撮れたのは、その写真館で撮った写真です。私は本当に大変でした。笑う訓練を45分間させられました。だから、内心、絶対に次はこの写真館に来ないと思いました。私は45分間笑う表情に付いて協力させられました。本当に大変でした。なぜでしょうか。私の顔の表情はなぜこうなってしまったのでしょうか。神の御働きをたくさん体験しましたから、そのたびにいつも笑ってしまいますと変な人になります。おかしい人、軽々しく見えるかもしれません。また反対にいろいろとあきれることがありすぎて、その度に私がため息を吐いて悲しい顔をするとどういう人だと思われるでしょうか。世界福音化のため、時代を生かすために、この時代に向けた涙が必要です。ですから、あまり極端にこうなったりああなったりしてはいけない。だからこのような表情になりました。カメラマンが私に「笑ってください」と言っても、笑いの顔は自分の本来の顔ではないです。チョン•ウォンジュ先生の部屋に行くと、思い切り笑う写真が壁に貼ってありました。内心思いました。あの笑顔とあの先生が似合わない。チョン先生はあまり笑わない顔の方がよっぽどその人と合います。人はみな、本当の自分の顔があります。
▶だからといって、笑わないということがよいわけではありませんが、理由があるということです。そして、本当の涙が必要な時代になったということです。この時代に向けて、そして、私たちの次世代、子孫に向けての涙が必要です。
2)サムエルの涙がミツパ運動の働きにつながったということをお分りでしょうか。
3)ダビデの涙がゴリアテに勝利したという事実をご存知でないですか。
4)パウロとテモテが、涙で疎通していました。全世界を変化させたことをご存知でないですか。
▶その涙を持っていくことです。神様のみこころが何か見つけるための悲しみは救いに至るということです。しかし、世の悲しみは私たちを死に至らしてしまいます。私たちに死をもたらすことをなぜ持つべきでしょうか。捨ててください。だから、神のみこころに沿った悲しみを持ってください。

3. 地の権威を持ってあなたがたとともにいる
 ▶もっと重要なメッセージは三番目です。
私たちは、自分の悩みや悲しみが生まれたらどうしますか。自分の行動は誰のせいか。例えば、あの人のせいだとか。このことがあったからこうなったのだとよく言います。理由を見つけようとします。お父さんのせいだ。お母さんのせいだ。ある人は、自分のせいだと思うときには、お酒を飲んだり自殺したりします。こんなに人間は悪いのです。
1)今日の本文は答えを与えています。誰のせいでもない。誰かのせいではない。今日の12節を見てみてください。13節にも再び出てきます。神様に向かう切実さを持たせるためです。病気になったことが本当に大変でしょうか。それは病気のせいではなく、熱心に神様に向かうためです。つまり、もっと言葉を言い換えると、神の福音の力が切実に現されるために、神の御前で聖津実な人になるためにです。皆さんに悩みはあるでしょうか。すべて神を見つめて欲しいという意味です。しかも、神の御前で神様を切実に思ってほしいということです。悩み、悲しみ、問題あるでしょうか。本当に神様に向かってくださいということです。人間があまりにも神様を知らないから、神様は人間に悲しみを与えてまでご自分を見つめて欲しいという理由があるのです。
▶神様に対して本当に切実さがなければなりません。それを指して祈りと言います。そうすると、とても大きな答えを得ることができます。どんなに苦しいことがあっても構いません。ヨセフは、主がヨセフとともにおられたので...ということを味わっていました。その切実さがありました。皆さんは悩まないでください。皆さんが世に生きる限り、そこには必ず神が答えを与えてくださっています。私はできないという方はいらっしゃいますか。年老いているから、言葉も苦手です。背景もありません。モーセの言い訳でした。でも、そんなモーセに神は仰せられます。私は主である。私があなたとともにいる。そう言いました。モーセはこう言いました。神様、私が一体誰だというのでしょうか。私はできません。私は年です。言葉も達者ではありません。神様はこういうべきだったでしょう。あなたはモーセです。私は誰ですかと言ったから。でも、神はこう言いました。モーセの問いに対して、私は主であると答えました。私が力の御手を持ってあなたとともにいる。これが証拠である。そう言いました。神様はそれを望んでおられます。ダビデはこう言いました。たとえ親が私を捨てるとしても、主は私を捨てないと言いました。パウロは何と告白しましたか。福音のために迫害されること、すごく感謝だと言いました。私の力をくださる方のおかげで、どんなことでもできると言ったのです。その祝福を皆さんが味わっていくべきです。
2)祝福はその程度では終わりません。皆さんがされるすべての仕事が、福音の力の中で行われるということです。未信者はなぜお金を儲けた後、滅びるのでしょうか。どうしてでしょうか。なぜ先進国は発展していくが、霊的な問題は増えるのでしょうか。すべての彼らの祝福は祝福ではなく、創世記3章、6章、11章から出ていったものだからです。皆さんは創世記3章ではなく、創世記3:15から現れる祝福を握ってください。創世記6:14、箱舟の中から出てくる祝福で会ってください。あなたはウルを離れ私が示す地に行きなさいと言われました。そこから出てくる祝福を言うのです。私たちに与えられるすべての悲しみは主に対しての熱心が御前に明らかになるためです。ですから、私たちが受けるすべての悲しみは悲しみではなく、神の御前に立つために、それを明らかにするために与えられたものです。
3)全民が熱心に神を見つめるときに奇跡が起きます。どういう意味かお分りでしょうか。全国、世界で難しい目にあっている教会の皆さん、全信徒が一つとなり一心で神に向かうその熱意があるならば、奇跡が起きます。出エジプトをご覧ください。全民が一つとなり神の御前に立ちました。出エジプトの奇跡が起きました。もうひとつだけ話をすると、マルコの屋上の間で全信徒が主の御前に熱心に一つになって神に祈っていました。すると、時代を変える最高の答え、奇跡が起きたのです。
▶ソウルインマヌエル教会はいろいろな大変なことがありましたが、長老の方々は本当に知恵を働かせて、よく仕事をこなしてくださいました。それは長い間の難しいことを後ろで祈りを持って黙々と助けてくださったおかげです。祈りの力でひとつになると、暗やみの勢力は打ち砕かれて行くのです。この教会に5000人におよぶ人数があります。一つになって祈るなら何でも超えられます。神様の大きな働きは、実はその後に起きます。とても感謝です。

 結論
▶「その日、その時、その場所で」。今回、私が作詞した歌のタイトルです。主題歌としては「その日、その時、そのところで」と訳させていただきました。ここにどういう意味が含まれているのか。この主題歌には、こういう契約が含まれています。カルバリの丘での契約、オリーブの山での契約、マルコの屋上の間での契約。その場所にいる人です。そして、その契約が成就される場所に置かれている人を指しているのです。これで十分でありませんか。
▶皆さんの悲しみは何ですか。世の中の悲しみですか。捨てればいいのです。機会をチャンスを見つければよいのです。私を長い間見ていらっしゃる方は、今から言う言葉について理解できると思います。私が本当に大きな悲しみに陥ったときがありました。今、タラッパンに来ていらっしゃる方は分からないかもしれません。私を昔から知っている方は知っていらっしゃると思います。あまりにも大きな悲しみがあったから、その時というのは自分自身でもどうなるか分からないと言う感じでした。例えば、あまりにも悲しみが大きいと、人は本も読めません。文字が目に入って来ません。聖書も読めないのです。あまりにも悲しくて文字が見えてこないわけですから。でも、一つだけはできたのです。あまりにも大変だったから、神様に本当に寄りかかる祈りが出てきました。それまでは自分が本当に熱意を持った切実な祈りというのはなかったのですが、そのとき、切実な祈りを学ばせていただきました。その瞬間、神様は私に最高のプレゼントを与えてくださったのです。私を知っている人はすべて分かると思います。私にとって最高の悲しみは、その祈りによって最高のプレゼントに変わりました。そのプレゼントは世界福音化をするための贈り物だったのです。どれだけ感謝でしょうか。
▶全国、世界にいらっしゃるレムナントの皆さん、今日の契約を握ってください。死をもたらす世の悲しみは捨てることです。神のみこころに沿った悲しみと涙は救いに至らせるものすごい祝福になります。神が私に与えられた問題、悩み、それは問題と悩みではありません。神に対して私たちが熱意を持って神に明らかに立つためのものです。それでは皆さん、本当に空前絶後の一日になるようにイエス様の御名で祝福します。

(祈り)
神様に感謝します。私たちにある悲しみは何でしょうか。それはすべて神の御前に明らかにされるための時間となりますように。今日という一日が空前絶後の日でありますように。全世界に散らばったレムナントとすべての契約の民の上に神の御働きがありますように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。