20140907 インマヌエル教会聖日1部


3つの契約の個人化
(使1:1-14)
ファン・サンベ牧師


序論
▶私たちの人生にとって、神様に賛美の歌声をささげられるということは本当にすばらしいことです。
▶ある方が裁判官の前に立ちました。裁判官はその人にこう言いました。「私はあなたに特別な特権を与えます。あなたが何を選択しようと、その選択したことに対し許可を与えます。天国であろうと地獄であろうと、あなたが選択したとおりにしてあげよう」。もちろん、聖書にはそのように記録されていません。皆さんは聖書の話ではないから誤解しないでください。裁判官の前に立っている人はこう言いました。天国だと答えずに、「とりあえず体験ということで地獄を少しだけ体験した後に選択するのはどうですか」と言いました。すると、「それでも結構です。地獄でも天国でもどちらでもいいのですが、では案内しましょう」とまず、地獄に案内されました。数多くの男女が非常にうれしそうに踊っていました。ディスコをしたり、ダンス、ブルースなど、とにかく皆よく踊りました。この人もその中で一緒に踊りました。また、壁の方には数多くの今まで飲んだことのないたくさんのお酒がありました。そして、もっと驚いたのは価格表を見ると、みな無料と書いてありました。それで尋ねてみました。「本当にこれを飲んでいいのですか。無料ですか」「もちろんです。どうぞ飲みたい放題飲んでください」。そして、その横にあったジムも無料で、プールも無料で、ゴルフ場もタダ、なんでも無料となっていました。だから、この人は思いました。地獄はこんなにすばらしかったのかと。その中に自分が楽しめるすべてが無料でした。とても興奮しました。その後、今度は天国に案内されました。天国に入ってみると、白い衣を着ている人たちが集まって賛美を歌っていました。みな楽しそうにゆっくりと踊りながら賛美をしました。賛美が終わった後、何をするのかと思ったら、また他の賛美を歌っていたそうです。こちらへあちらへといろいろなところに行っても、みな賛美を歌っています。案内の人に聞いてみました。「ここはほかのプログラムはありませんか」と。天国は他のものはなく、とにかく続けて賛美だけを歌います。だから、この人がすごく退屈になりました。「これは体験せずにどちらかを選んだら、私は大変な損をするところだった」。それで、裁判官のところに行きました。「よく拝見しましたか。どちらを選択しますか」と問われ、地獄を選択しました。「後悔はありませんか」「はい、後悔はありません」「では、後悔がなければこちらにサインをしてください」。自分は地獄を選択したことに対して、あとになって絶対に後悔しないとサインしました。サインが終わった瞬間、裁判長が案内員に「この方を地獄に連れていってほしい」と言われました。地獄の門が開いて入ってみると、完全に火の海の状態でした。とても熱かったです。その熱い中で「これは違うのではないか」とその人は本当に大声を出しました。私が見てきた地獄はこれではないと。でも、彼を案内していた看守たちは笑いながらこう言いました。「この人は私たちが地獄のコマーシャルで広報用に作成したプロモーションを見てだまされたのだな」と言っていたそうです。
▶皆さん、サタンは今も私たちをこのようにしています。このように3団体を介して、サタンは今でも多くの人を地獄へと導いています。多くの人は自分の心の虚しさを満たすことができず、結局はサタンが作っておいたセット場の華やかな姿を見て、だまされて行きます。今日、このような時代に私たちは3つの契約に対する明確な結論を持っていなければなりません。3つの契約の個人化ということでみことばを皆さんに伝えていこうと思っています。私たちはいつも口で3つの契約と言っていますが、その部分を本当に自分のものにする礼拝になっていただきたいと思います。
▶信仰生活の最も基本となるものは何だと思いますか。信仰生活の始まりは何だと思いますか。すべての人の信仰生活のスタートは、最も重要な契約を個人化することから、信仰生活が始まります。皆さん、まことの答えを得るためには、これから言う3つの契約が個人のものにならない限りは答えられません。今日インマヌエルソウル教会の皆さんは、本当に神様から与えられるこの3つの契約で満たされるように願います。

1.カルバリの山の契約(使徒1:1)-最高の贈り物
▶まず、カルバリの丘で成し遂げられた契約です。使徒1:1、カルバリの丘の契約が個人化されなければなりません。人間の問題がどれほど深刻な問題であったから、イエス様が十字架で死ななければならなかったのでしょうか。人間の問題は深刻でした。神の御子であるイエス•キリストが遣わされて、十字架で亡くなられない限り解決されないほどの深刻な問題であったのです。人間の根本問題、その根本問題は唯一、イエス・キリストでなければ解決されないということを確認していかなければなりません。今日はまず根本の契約について目が開かれるように願います。
1)元々の人間というのは、神様とともにいながら幸せな存在でした。そして、人間というのは神様なしで生きていけるような存在ではなく、神様とともにいて幸せな存在としてつくられたのです。そして、神様と交わってこそ幸せな存在。神からの恵みを施され、そして、神様の愛が施されて、神様の御名を賛美し神様にすべての栄光をささげる霊的祝福が私たちに先に臨まれたということです。そして、「生めよ。増えよ。地を満たせ」という肉的な祝福をも人間に与えられているということです。そこで、私たち人間は、神様とともにいる霊的存在でした。
▶しかし、私たち人間というのは、神様のみことばに不従順し不信仰し罪の中に陥ってしまいました。これを指して原罪と言います。この原罪によりすべての呪い、災いの勢力に犯されてしまうようになりました。それが個人に、家庭に、家系に、国家と民族に、この時代に、呪いと災いの勢力はまたまた近づいてきています。ひとりの個人が、数多くの人が、この呪い、災いの勢力から逃れようと、名前を変えてみたり、お墓の方向も変えて見たり、お祓いもしてみたり、そして、占い師のところに行って占ったりもしています。そして、とても大きなお祓いをしてもらったり、たくさんのお金をかけてお札を作ってもらったり、数多くの宗教に足を運んで解決しようとします。しかし、努力してすればするほど、あがけばあがくほど無駄なことだったという結果を生み出してしまいます。なぜなら、それらは聖書的な答えではないからです。実はこの罪の問題、この呪いの問題は、背後にサタンの存在があったということです。ですから、サタンの奴隷になるしかありません。サタンの奴隷だから、サタンに仕えるしかありません。そして、なんとそのサタンの背景は地獄の背景でした。神を離れ、結局は地獄の背景のもとに置かれていて、地獄のような人生を生きて地獄に行くということになります。神様を離れた者は、人生の主人が失っていることになります。自分の保護者を失ってしまいました。人生の主人を失ってしまったので、迷子になるしかありません。果てしない終わりのないさまよいが始まっていくのです。そうして、結局、その人生は地獄に行くしかありません。それが神様を離れてしまった人生の終着駅です。
2)だから、神様は私たちがそのように生きることを拒んで、キリストを遣わされました。神様から与えられた最高の賜物は、キリストであることを忘れないでください。聖書は創世記3:15をはじめ、来たるイエス・キリストについて語っています。
3)その方はまことの祭司キリストとして来られ、すべての罪と呪い、サタンの勢力を十字架ですべて終わらせました。またまことの王キリストとして来られ、十字架ですべてのサタンの勢力を打ち砕き勝利されました。そして、まことの預言者キリストとして来られ、神様を離れてしまった地獄の背景を完全に打ち砕かれたのです。キリストが十字架で死なれ復活されました。その方がキリストである証拠は、私たちの人生のすべての問題を解決されるキリストだという証拠で十字架で死なれ復活されたということです。
▶キリストが十字架で、皆さんと私たちの根本的な問題をすべて完了したということを確信してください。これがまさに個人化されなければなりません。個人化というのは、その祝福が私のものになることなのですが、その祝福が私の魂の中に溶け込んで、潜在のところに根を下ろしてその中に入って、すべて消化されて行くことを指しています。今日は霊的な事実に確実な答えと完全な答えを得て祝福の中に入る貴重な時間になってほしいと思います。
4)それで、神様がイエス・キリストをキリストとして送られたのだなということを発見して信じれば救われるのです。だから、私たちの口を通して、私たちの救い主イエス•キリストと告白します。そして、そのイエスがキリストであるという証拠を見て、それを私たちが伝道と言います。このキリストが私のキリストになるとき、私の人生は大きく変わっていきます。
▶キリストが私の個人的なキリストになるとき、皆さんの過去、現在、未来のすべての問題は、キリストにあってすべて終わります。今、福音の中に入ってきては、自分の過去を再解釈できるものでなければなりません。振り返って見ますと、自分の過去、大変だったこと、辛かったこと、葛藤、苦しみ、私たちの家系が大変だったとき、すべてが福音の中で再解釈することができなければなりません。それに対して恨んだりため息をつくのではなく、福音が無かったからそうだったなということを悟ることです。福音を知らなかったのだから当然なことだと。サタンに騙されたのだな。それにもかかわらず、そのような苦しみの中でも、それらによって神は私がキリストを発見できるようにしてくださったのだ。それに対して、感謝でなければなりません。
▶すると、その福音を今日、私たちは再度再適用していかなければなりません。今日を生きていく現実問題の中で、福音を再適用していかなければなりません。「私は救われた神様の子どもだ。主の聖霊が私の中にともにおられる。どんな問題に遭うとしても、その問題はもはや問題ではない。私はこれからキリストの御名で祈るとき、そこに聖霊が働く。どんな問題に遭っても、その中に神の大きな計画を発見しなければ」。そのように契約を握って祈りながら、聖霊の導きだけを受けていればよいです。どんな問題にぶつかるとしても、その問題はすべては偽装された、包装された祝福に過ぎません。問題は問題ではありません。すべてが土台であり、チャンスでもあります。更新する時刻表だと思います。今日の現実にどのような問題があっても、皆さんが福音の中にいるならば大丈夫です。福音を再適用してください。
▶その次は、福音の中で、未来を考えられる人でなければなりません。私の未来は神の手にあります。神の御手にあるために、神は私の未来を導いてくださいます。福音の中で再創造の祝福で自分の未来を神様は必ず勝利させてくださいます。ですから、この部分まで確信を持って、信仰で進んでいただきたいと思います。
5)そこでキリストは私の主人です。私の人生の主人です。私の家庭の主人です。私の産業現場の主人です。私は、すべての働きの主人です。だから、今日、私が出会った問題の中でもキリストが私の主人ですと告白してください。それがガラテヤ2:20です。
6)その告白ができる人が、ただ、唯一のキリストが告白できます。これからただキリストだけを見つめます。ただキリストだけに集中します。すると、キリストによって幸せで、キリストで十分だとなります。答えられても答えられてないとしてもキリストは完全だということです。そして、キリストが私の人生のすべてだということになります。
▶私の人生の過去を見たとき、ただキリストが必要です。今日という現実の生活にも、ただキリストが必要です。未来の私の人生でどんな喜怒哀楽があっても、ただキリストが必要です。ヨハネ19:30に、イエスは言われました。「すべて完了した」と。イエス・キリストが宣言されたのです。キリストが
十字架で完了したというのに、「いや私はまだ終わっていません」という方、いらっしゃいますか。もしもまだ自分の問題は終わっていないと思う部分があったとしても、キリストはすべてを完了されました。もしも今日、私の人生はまだ何も成し遂げたことがないと思っている方がいるならば、今日の契約を握って福音の中に深く入っていただきたいと思います。キリストの恵みの中に入ってください。キリストの十字架ですべてを完了したまことの信仰の中に入っていただきたいと思います。そして、この祝福のイエス・キリストを伝える方向に人生を合わせていただきたいと思います。
▶今日の1番目の契約、カルバリの丘の契約を握ってください。本当にこの契約を握りましたか。それでは、今日の2番目の契約です。まだいく人かは契約を握っていないかもしれませんが、その人は2番目の契約に入ることはできません。なぜなら、2番目の契約は1番目の契約を握らない限り、該当しません。カルバリの丘の契約で、イエスがキリストだという部分で完全な答えを得てください。そして、握ってください。それでは2番目の契約です。

2.オリーブ山の契約(使徒1:3)-最高の答え
▶2番目の契約はオリーブの山で主が与えられた契約、使徒1:3、オリーブの山の契約です。
1)復活されたイエス様は40日間、弟子たちに神の国のことについて語られました。神の最高の答えの中の答えは、神の国です。
▶神の国のことについて語る前に、まず神の国が何なのかお話しします。神の国というのは救われた者が行く天国を意味しています。それと同時に、私たちは天国に行くが、今の人生、旅人の人生かもしれませんが、三位一体の神の統治のもとに生きることが神の国です。マタイ12:28、聖霊は語られました。聖霊が働かれて、サタンが縛られて御使いが動員され、すべての神の御心が行われる場所、それが神の国です。この世の王のサタン、空中の勢力たちが働く現場に、神が働かれること、聖霊が働かれること、それが神の国です。そこで答えの中の最高の答えが神の国が臨まれることだということです。
▶皆さんの魂の中に神の国が臨まれています。カルバリの山の契約が自分の契約として握られた者、個人化された者の魂の中に神の国がすでに臨まれています。その方はこの世で行ける限り、神の国が臨まれ、神の国を伝え、今後未来、神の国に行くということです。そして、イエスさま言われました。マタイ6:33に、あなたがたはこう祈りなさいと。 「まず神の国と神の義を第一に求めなさい」と言われました。「そうすれば、あなたがたが求められるすべてを加えてくださる」と言われたのです。皆さん、神の国が臨まれるように祈っていただきたいと思います。
2)そして、イエス様は弟子たちに、神の国のことを言われました。神の国のことは何でしょうか。イエス様は公生涯の働きの初期に、弟子たちに次のように語られました。ルカ4:43-44に語られました。 「神の国の福音を伝えなければならない。私はそのことのためにここに遣わされた」と言われています。主がなぜこの世に来られたかについて説明しましたが、福音を伝えることのために来たと言われました。私はこれらのことのために神に遣わされたと言われました。神の国のこととは何でしょうか。キリストがこの世に来られた目的は福音を伝えるためです。福音を伝え、いのちを生かすことが、神の国のことです。いのちを生かす世界福音化が神の国のことです。私たちが生きる人生の方向があるならば、神の国が成し遂げられる方向に人生の方向を合わせていくということです。イエス様はオリーブの山で弟子たちに神の国のことについて語られた後、またマタイ28:18-20で言われました。「天と地のいっさいの権威が私に授けられている。だから、あなたがたはすべての国に行って彼らに福音を伝え、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさい。それらの働きをするあなたがたの上に、私はいつまでもともにいると言われました。神の国のことは何か。行って、すべての民族を弟子にしていくこと、それが神の国のことです。まことの福音を伝えていく弟子たちを立てていくことが、神の国のことです。
3)では、なぜイエス様は40日間もかけて神の国のことについて語られたのでしょうか。3年間、イエス様は弟子たちとともに一緒に食べて、一緒に生活しましたが、その中で聞いて教えられたすべてのことを彼らは十字架の事件の前で、皆逃げてしまいました。復活の証拠の前で彼らは逃げたのではなく、たぶん、十字架の事件が恐ろしかったわけです。そんな弟子たちに対し、40日間、イエス様は語られました。その理由がここにあります。40日間、オリーブの山で世的なことで染まり刻印されてしまった弟子たちをいやすためでした。この弟子たちの心には、神の国が刻印されていたのではなく、世的なことで刻印されていました。ペテロも、あれだけのことを告白したにもかかわらず、イエス様が十字架にかけられるときには逃げてしまいました。復活されたイエス様は、漁師であったペテロを訪れました。「シモン、ペテロよ。あなたはわたしを愛していますか。あなたはわたしを愛していますか。本当にあなたはわたしを愛していますか」「そうです。あなたは私がどれだけ愛しているのかご存知ではありませんか」とペテロは言いました。「ではあなたは私の子羊を飼いなさい」。これが神の国です。ペテロに神の国のことについて、イエス様は語られました。
▶皆さん、今日から私たちの中にある世的なことや基準が神の国のことで新しく刻印されるように願います。
4)そうすると、神の国のことについて、今日の私のミッションを見つけなければなりません。私のミッションです。自分のミッションを見つけなければなりません。それが生きる目的です。生きる理由です。私は健康である理由であり、お金を儲けるべき理由であり、学生は勉強すべき理由です。なぜ私が成功しなければならないのか。成功の理由です。神の国のことを成し遂げていくうえで、自分のミッションは何かということです。今日はそれを契約として握っていただきたいと思います。もしかして握ることができなかった方は、40日間、何度も集中しながら握ってください。40日という日付が重要なのではありません。どれだけ集中して、自分のミッションが見つけられるかということが鍵となります。神の国のことについてまことの価値を発見したならば、全心に人生をかけて、すべてをかけて神の国のことのために自分のミッションを見つけ、自分をささげることができると思います。貴重な私の人生が本に価値がある神の国のためにオールインするならば、この時代を生きる者のまことの伝道弟子です。
▶皆さんは私のミッションを契約として握ったのでしょうか。本当に握ったのでしょうか。2番目の契約がまだ握られなければ、3番目の契約にはいけません。早く2番目の神の国のことのためのご自分のミッションを見つけていただきたいと思います。

3.マルコの屋上の間の契約(使徒1:8)-最高の祝福
▶3番目の契約はマルコの屋上の間で握った契約、使徒1:8、マルコの屋上の間の契約です。
1)神様の最高の祝福は、上から来る別の力、聖霊の満たしです。使徒1:8の契約は、イエス様がオリーブの山で与えられた言葉です。このみことばを契約として握って、マルコの屋上の間に下りて来て祈りながら聖霊の満たしを受けました。それでマルコの屋上の間の契約だと言われています。
2)神様は私たちに力がないと分かっていて、聖霊の満たしを約束されたのです。世界福音化のために、神の国のことのために、主は聖霊の満たしを約束されました。ヨハネ14:16-17に、主は助け主、その御霊を送ると約束されました。使徒1:4には、エルサレムを離れないで、わたしが約束した父の約束を待ちなさいと言われました。そして、使徒1:8に、しかし、聖霊があなたがたに臨まれるときに力を受け、地の果てにまで証人になると言われました。では、結局は、神の国のことのために私たちが本当に求めるべき祈りの課題は聖霊の満たしです。なぜなら、聖霊が臨まれるとき、力を受け地の果てに至るまで神の国のことのために力強く用いられることができるからです。
3)その力とその答えを得るために、私たちはみことばを黙想し、短くても祈ることを定刻祈りと言います。最も幸せな時間が定刻祈りです。その定刻祈りの祝福を自分の生活の現場に移していくことを24時祈りと言います。自分の現場、自分の仕事、職業、学業、また自分の問題、人間関係、人との出会い、すべてのことに対して定刻祈りの祝福を自分の生活の現場につなげていくことを24時と言います。そして、自分を超えて神様の御働きの中に入ることを指して25時の祝福といます。皆さんは定刻祈りから、24時、25時まで、一日一日、霊的な大きな力を得て、神の国の祝福を味わってください。

結論―福音はいのちで、力で、まことのいやしだ
▶皆さん、福音は重要です。福音は力です。福音の中にまことのいやしと回復があります。この間、私はバングラデシュの現場を訪れました。バングラデシュはイスラム国家です。 90%がイスラム教徒であり、8%はヒンズー教、残りの2%の中に仏教、カトリック、プロテスタント、その他の宗教があります。プロテスタントは本当にごく少数に過ぎません。大学を卒業し、若い青年が労働勤労者とし韓国に仕事をしに来ました。道を通りすがる中、瑞草地教会のある執事さんから福音を受けました。そして、教会に案内されて礼拝をささげるようになりました。 1次合宿、チーム合宿も行ってきました。そして、韓国語も学び、仕事もしながらお金も稼ぎました。そうするうちに再び本国に戻りました。自分の国に戻ったときに、自分一人では何かができません。イスラム圏の人が福音を受けて改宗することは、本当に命かけることです。家庭と家系の人から脅かされたり、ある人は命を奪われてしまうような危険な目に遭います。それほど宗教を変えるということは大変なことです。この若い青年も多くの困難がありました。その青年のために、シンガポールにいる伝道者が4〜5時間かけて飛行機に乗ってバングラデシュまで行き、この若い青年を訓練させました。そして、のちにはバングラデシュに神学校が建てられました。韓国から多くの講師が行ってシステムを立て、弟子たちを育て始めました。この青年とともに、青年を通して受け入れた多くの方たちが弟子として立てられてまた出て行き、複数の都市に教会を立てました。私が行ってみたら、本当に感激しました。ある神学生が神学の勉強をする中、病気になりました。その人が住む村は全部、ヒンズー教でした。実際に私はその村に行ってみましたが、この病気になった青年の願いは、そのヒンズー教の村に教会が建てられたことでした。そして、自分が患っている病気は治らないから、そのヒンドゥー教の村に通いながら伝道を熱心に始めました。福音を伝え始めました。村の人たちは、その青年はどうせ死ぬのだから、かわいそうだから最後に一度、聞いてあげようと始まった福音がどんどん伝えられまして、町の30家庭が福音を受け入れました。そして、その町に小さいながらもこぢんまりとした教会が建築されました。そして、その青年が召される寸前にこのように遺言を残しました。自分が両親から譲り受けた約500坪の土地がある。そこに自分の国と次世代のためにRUTCが建てられて福音運動できるように本部の方にささげるということでした。それで韓国にいらっしゃるある長老がそこに建築できるようにいろいろと助けてくださいました。おそらくその長老も、今日のメッセージをともに聞いていらっしゃるはずです。教会が一つ建てられることに、弟子たちが養育され立てられることに、多くの人々が献身なさいました。バングラデシュに3カ所の教会が建てられましたが、この間はまた新たに建てられる教会の起工式に私は参加してきました。いろいろな町の人たちがそこに来て、礼拝をささげる姿を見ました。皆さん、この3つの契約が個人化になるとき、神様はその人を通して働くしかありません。もう一度言いますが、福音は力でありいのちです。福音はまことのいやしです。なぜなら、その福音の中に神の御働きがあるからです。
▶今日の結論を申し上げたいと思います。
1)この3つの契約の祝福を受けた人が集まった現場がまさに使徒1:14の現場です。本当に思えば思うほど立派な人たちだと思います。インマヌエルソウル教会の皆さんがマルコの屋上に間に集まった信徒たちが契約を握って祈り答えを受けたように、世界福音化に用いられる主役になっていただきたいと思います。ここに集まった人々は死ぬことを恐れませんでした。落胆も、絶望もしていませんでした。この契約を握ったあと、五旬節の日になって彼らは炎のような、風のような聖霊に満たされました。彼らはエルサレムからユダヤに、サマリアへ、マケドニヤに、ローマへ、世界にこの福音はどんどん広がっていきました。
2)今日、私たちはこの手にこの福音が握れるようになりました。これから残った私たちの人生は本当に価値のある働きに献身していただきたいと思います。
3)そのためには、3つの契約が皆さんに個人化されて、その契約を握って毎日祈りをもって、神の国が臨まれるようにして行かなければなりません。この働きに、キリストに一心で全心であってほしいと思います。世界福音化されるその日まで、ただ聖霊の満たしで持続していただきたいと思います。
▶この契約を握っていく皆さんに3つの企業を生かすための3つの弟子の答えがあるように願います。


(祈り)
神様の恵みに感謝します。キリストの契約を私たちに与えられ、それを発見できるようにしてくださって感謝します。唯一の神の国が私たちの人生の方向になるように導いてくださることを感謝します。聖霊による、御霊による力によって、この貴い働きに献身できるようにしてくださり感謝します。この3つの契約の祝福をすべての聖徒たちが味わい、この信仰と生活の中で個人化され、その中で神様の時代的な最高の祝福を味わう伝道弟子にされるようにして下さい。すべてを感謝し、主イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。