序論
▶外国から韓国に来て働いている方がたくさんいらっしゃいます。その中でバングラデシュから来て働いていらっしゃる方もいます。その中でサラムという方が福音を受けて、私たちの教会に通って訓練を受けていました。神学校に行って勉強もして、どれほど熱心であったかというと韓国語を私たち以上の実力だと思います。まるで韓国人のようでした。今はご自分の国に戻りまして牧会をされています。しかし、そこはイスラム圏の国ですからとても困難にあっているということです。この度、その方にまたお会いしましたが、どんなことがあっても、たとえ死ぬことがあってもこの福音を守り伝えると話されていました。また、その先生を通してロンという方が福音を受けましたが、イスラム教の人に捕らわれてしまいました。殺人の濡れ衣を着せられて今刑務所にいる状態だということです。本当の犯人が見つかったにもかかわらず、その汚名はそのままの状態です。彼らが要求していることがあります。あなたがイエスを信じないと語るならば釈放するということでした。しかし、あなたがこれ以上、また、これからもイエス様を信じるということであるならばそのまま死刑にする。国自体がイスラム国家であるため、誰も助けてくれません。そこで今回サラム牧師先生ともお話しましたが、何の対策案がないと言っていました。政府も警察も裁判官も皆、一つになってイスラム教でありますから仕方がないということでした。このロンという方は伝道師でありますが、その方はこのようなことをおっしゃっていました。私はこの監獄の中で死んでも構わないです。私は福音を知って、この福音のためにこうなっている。だから、このまま死んでも構わないということでした。本当に韓国で訓練を受けている方と比べ物にならないくらい、信仰が強いと思いました。
▶さて、今日の本文は、イスラエルがローマに属国にされているときに記録された背景の聖書です。そして、初代教会は異端の濡れ衣を着せられ、何もできず非常に厳しい状況にありました。そんな中でパウロが投獄された状態でした。刑務所の中で語られた手紙の内容が、このピリピ人への手紙です。やはり、パウロが投獄されたことを知ったときに多くの人々は試みに遭っていたようです。どうして、神様はパウロの祈りに答えてくださらないのだろうかと思っていました。皆さん、教会生活をするときに、人々に試みに遭ってつまずいてしまい、教会に来ることを止めてしまった人が結構、いるのですが、非常に愚かなことです。今日の本文も、パウロの状態を見て試みに遭っている人がいました。しかし、パウロは、今日の本文14節に、今が最高の答えであると告白していました。皆さんはいかがでしょうか。もし今、皆さんの中で私はすごくビジネスが大変ですという方、いらっしゃいますか。そして、私はどうしてやることなすことうまくいかないのかという方はいらっしゃいますか。また、私は今、大きな病気人かかっていて、とても大変ですという方はいらっしゃいますでしょうか。皆さんはどうでしょうか。どうしてパウロは、この投獄されていることが最高の恵みの中に預かっていると言いましたか。どうしてそんな恵みを得ることができたのでしょうか。貧困や、病気、大変さの中で、本当に今が平安だと告白できるのでしょうか。どうしたらそのような告白ができるのでしょうか。そのような答えを今日のピリピを通して皆さんが答えを見つけていただきたいと思います。
▶私は他ではなく、この福音を通して答えを見つけることができました。その時から、神の祝福を受けていますので私自身も変わりました。昔は、自分の利益のために動いているような感じがしましたが、今は違います。福音を本当に知った後からは、利益のために動くということは必要がありません。なぜなら、すべてに答えられる神様は、私が自分の利益のために動くということはとてもおろかなことでした。多くの人々は、お金のため、利益のために喧嘩をしたりしていますが、そうする必要がまったくなくなったということです。神様が答えられるその祝福を知ったときからは、戦いもいっさいしなくてよいとなりました。私自身も完全に変わりました。そして、何の助けももらう必要がありません。さらにこのような答えも出ました。人はとても大事です。しかし、人の助けもいらないということになりました。
▶試みに遭っている人たちがたくさんいた中で、どうしてパウロは監獄の中で、ここは最高の祝福の場であると語ることができたのでしょうか。パウロは一体どのような状態になったから、このような世界福音化の告白ができたのでしょうか。
1. 過去のいやし(福音化)-福音を受けた後に過去がいやされたのだ
▶パウロが刑務所の中でこのような告白ができたのは、実は福音を知ったときから、彼は過去の問題が解決されていたからです。これはとても重要です。皆さんが今いくら豊かに生きているように見えたとしても、福音にあって過去の問題が解決されていなければ、結局、その人の将来は過去の状態に戻ります。なぜなら、人生というものは自分の体質に沿って体質の過去に戻ってしまいます。そして、自分の答えというのは、実は自分の刻印の中から生まれてくるものです。結局、自分のルーツがどこにあるのか、自分の根がどこにあるかによって根を下ろしに行くことになります。恐ろしいです。この3つを完全に取り換えることが福音です。過去のいやし、福音です。では、歴史的に聖書を通してお話しいたします。神様はイスラエルの民を荒野の方に導き出して語られました。エジプトで長い間、奴隷として住んでいました。そして、その後、荒野に出てきてさまよい続けています。それを変えなければなりません。神様は語られました。あなたは心を尽くして、精神を尽くして、力を尽くして、この主を愛し、この種のみことばを伝えなさいと言われたのです。あなたがたの子どもたちに伝えなさい。あなたがたの子孫に伝えなさい。次の世代に。そして、このみことばをただ伝えることなく、座っているときも寝ているときもどこに行っても見えるようにしてください。道端を歩くときにも見えるようにしてください。または額にも付けるように。手首にも結びなさい。門柱に貼りなさい。そして、門にも貼り付けなさい。どういうことなのでしょうか。この言葉の意味は、今まで刻印されたあなたの体質、あなたの刻印はすべて、福音に変えなさいということです。皆さんは福音を受けました。福音を受けたということは、過去を完全にいやしているということです。
▶驚くべき事実は、このパウロはわざと刑務所の中に入ったのです。最初は、ローマのユダヤ人たちから訴えられて刑務所の中に入りましたが、もちろん、ローマに属国にされている時代ですから、ローマで裁判するのは当たり前です。ローマに属国にされたということも幸いなことでしょう。なぜなら、ユダヤ人がもしも彼を裁判するとしたら、死刑にさせたかもしれません。けれども、ローマに属国にされていたので、ローマの審判を受けるようになりました。その当時の、フェストという総督が見るに、どう見てもパウロの過ちが分からない、何の過ちを犯したのかまったく見つからない。だから、人々に聞きました。彼の過ちは何なのか。でも、ユダヤ人は言うことがありませんでした。だから、「異端だ」と言いました。「何が異端なのか。彼には何の間違いもないようだ」とフェストは言いました。そこで総督は彼に無罪を宣告しました。無罪だから釈放されるのが当然ですが、そこからパウロは出ることはなく訴えました。上告してローマ皇帝の前に行って、「私は裁判を受ける」と訴えました。このようにパウロが上告しました。そこで総督フェストはこう言いました。「あなたはとても愚かだ。あなたは上告することなく、ただ私がここで無罪だと言ったからそのまま釈放されれば終わるのではないのか」。でも、その総督の言葉に対して「私はローマ皇帝の前に行かなければならない。ローマ皇帝の前に行って説明しなければならない」と言いました。そうやって自らローマの刑務所に入りました。パウロは、とてつもなく大きな計画を持っていたからです。ローマに属国にされている状態、イスラエル、ユダヤ人の根性をすべて変えなければならない、その理由についてパウロは説明したかったのです。皆さんが今日、この短い時間に少し考えていただきたいと思います。
▶なぜイエス様は40日間、神の国のことを語らなければならなかったのでしょうか。どうしてでしょうか。皆さんの中に刻印されていること、根付いていること、体質を変えなければなりません。もし取り替えたなら、どんなことが起きるでしょうか。奇跡が起きます。モーセに与えられたそのみことばを握った瞬間、どんなことになったでしょうか。イスラエルの民が行く道でヨルダンが分かれました。皆さんにもその御働きが起きると思います。そして、エリコが崩れる答えが。エモリの連合軍を簡単に打ち勝つことができました。カナンの地まで入りました。このような質問を持っている方はあるでしょうか。私の霊的な問題はどうしたらよいのでしょうかという方は、中にある刻印を全部変えてください。これを悟ってマルコの屋上の間に集まったときに、神の最高の答えである聖霊の満たしを与えられたのです。そこでパウロの目的は何でしょうか。わざと訴えて監獄に行きました。自分のイスラエルの国々に犯され根付いてしまった災いを全部引っこ抜かなければならないということだったのです。だから、彼の眼は異なる目でした。
▶今日の本文1:1-2にどんなことが書いてあるでしょうか。ただ読んでしまいますと何だかわかりません。「キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように」。3-4節。「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り」と書いてあります。パウロはひとりひとりの信徒をおいて、いつも祈っていたということが分かります。私たちは落胆してはなりません。なぜなら、6節に「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです」と書いてあるからです。私たちの霊的な体質を取り替えるならば驚くべき奇跡が起きるということを覚えていてください。私は子どもの頃から今までずっと耳にしていることがあります。お金がない、勝たなければならない。私は何もない、大変だ。いつもこういう言葉を耳にしてきました。今も聞こえます。今でも多くの牧師先生がお金がないと語っています。私自身も昔、そのような体質でした。理解できます。そして、それが間違っているとは思いません。私はずっと昔、福音の力を知らない時はそうだったのです。しかし、これを分かるなら、何の問題になることはない。キリストの日が来るまで完成させてくださる。皆さん個人、家庭、すべての運命を取り替える福音の御働きが起きるようになると思います。この祝福を受けなければなりません。献身も伝道も勉強も全部重要ですが、この部分からまず変えなければなりません。私の運命を取り変えない限り、どんなに自分が努力をしてやっていこうとしてもうまくいきません。
▶9-10節にはどう書いてありますか。「私は祈っています。あなたがたの愛と真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように」。真にすぐれたものを見分けることができるようになります。つまり、過去のすべてのことが福音にあって変わる、いやされる、土台になるということです。奴隷になったわけではない。エジプトに行く道を征服するためのベースになったとヨセフは思うようになります。監獄の中に入ったかのように見えますが、それは政治家との出会いが与えられる現場でした。総理になったと思いきや、それは世界福音化するための土台になったということ。過去はすべて土台になるということです。間違ったことは祝福に変わり、様々な経験も全部、福音のための道具になっていきます。ダビデも自分が本当に大変だった苦しみの道のりが全部、土台になりました。真にすぐれたものを見分けることができるようになります。
▶12節、「さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います」。13節、「私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり」と書いてあります。
▶今日、皆さんが受けるべき第1の祝福は過去の癒しです。こうなると奇跡が起きます。まことのいやしも起きます。レムナントたちに大きな知能も生まれます。
2. 現在のいやし(福音化)-世の中を生かすサミットの祝福を準備しておかれた
▶2番目です。パウロは一体なぜわざと、自分自ら刑務所に入ったのか。それはローマの皇帝の前に立つためでした。使徒19章に「ローマも見なければならない」と語りました。この言葉の意味が何だと思いますか。神様が私たちに2つ目の祝福として与えられたことがあります。神様は皆さんに祝福である救いだけを与えられたのではなく、この世を征服すべき最高のサミットの座につかせるという祝福を備えられております。レムナントたちは外に出て仕事をして、少し問題があると揺れてしまうレムナントがいますが揺れてはいけません。祈りがなにで福音は何でしょうか。勉強をしながら大変でも絶対に揺れないでください。なぜなら、神様は皆さんにサミットという最高の座を用意されておられるからです。神様はレムナント、ヨセフを奴隷として送られたと思ったが、そうではなく最高の総理、サミットの座につかせるためだったのです。また、神様はモーセを養子入りさせたと思ったが、養子入りで終ったわけではなく、全世界を征服すべき指導者という祝福を与えられるためでした。神様はこの祝福を与えられました。皆さんもこれを発見し、絶対に逃してはいけません。神様は、皆さんに根本、運命を取り替える祝福を与えられ、その後はそのままではなく、サミットの座につかせます。だから、私たちは祈ります。
▶私たちに、しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けて地の果てにまで証人となると言いました。皆さんがこの祝福を回復してください。体質が変われば病気がよくなります。刻印されたことが変わると、新しいことが見えてきます。皆さんの根が変わると霊的な運命が変わっていきます。そうすると、他の人が見ることのできないことを見るようになります。これが勝利の始まりとなります。そうですよね。他の人はまったく見えていないのに、皆さんは見えるということです。パロは自分が見た夢も分からない。けれども、ヨセフはパロの王の夢を、ヨセフが見たことでもないのに解釈することができたのです。つまり、皆さんは他人ができないことができ、行けないところに行くことができるということです。クリスチャンであるならばこの段階にまで行かなければなりません。でも、完全に逃しているということは本当に残念です。そして、全部与えられているのに何もないと答えます。自分で何もしていないのに、いつも大変だと言います。祝福がすべて備えられているのに、私は何もできないと語ります。どれだけ面白いことでしょうか。モーセがそうでした。全部、祝福が備えられているのに、私はできない。どうしてできないのか。私は口下手ですと言います。よくあなたが語れるように、あなたに祝福する、そして、横にアロンを連れて行きなさいと言いました。神がするということでした。神がするというのに、モーセは自分はできないと言いました。神様が世界福音化をなさるというのに、私たちができないということは話になりません。
▶今日、瞬間で結構です。根を変えて捨てなければなりません。私は、父親が私にどんな教育をしたか覚えていません。なぜなら、私が中学生の時に亡くなりました。しかし、一つの重要な教育をされました。6.25朝鮮戦争が終わった後、韓国は本当に貧しかったです。皆に援助され、特にアメリカからたくさんの援助がありました。アメリカ製の缶詰をたくさんもらいました。たちが非難して生活する現場には、外国からたくさんの服が来て、避難民たちと一緒に分けあっていました。主に教会を通して、それらが配られたりしました。なぜなら、そのような役割を町々にいるアメリカの宣教師が代わりにやってくれたからです。今のレムナントたちには想像もつかない世界かもしれません。アメリカの人々の服ですからサイズが大きいです。それでお互いに洋服の奪い取りをします。私はその光景を自宅の窓から見ていました。すると、父親が突然、後ろから私の頭を叩きました。父親に殴られたのです。そして、言いました。「なぜあんなものを見るのか。見ないように」と言われました。その時は理解できませんでした。なぜ見てはいけないのか。見てもよいことなのに。しかも殴るまでして、なぜ見ないように言うのか。当時はわかりませんでした。父親の思いを。でも、生きていくうちに父親の思いが分かりました。なるほど、私たちの体質が問題だ。私に刻印されていることが問題だ。私たちに根付いている部分が問題だ。キリストでなければ解決さないのに。キリストの契約で、それらを変えることによって、すぐさま奇跡が起きるということが分かったのです。皆さんは人の言葉にあまり耳を傾けないでください。病気の方、失敗している方も、大きな勝利をつかむことができますから、皆さん、今日立ち上がってください。なぜなら、皆さんにはサミットが備えられているからです。
▶これを知った人がヨセフであり、モーセでした。多くの人々はペリシテの前でブルブル震えていました。ペリシテの前にサミットとして挑んだものがサムエルとダビデでした。なぜなら、その祝福は知る者に与えられるからです。そうです。その日以来、サムエルが言う言葉はひとつも地に落ちませんでした。サムエルが生きている間、ペリシテでは一度も戦争が起きなかったとも記録されています。Ⅰサムエル7:10。あの有名なゴリアテは誰が倒したのでしょうか。ダビデが一気に倒しました。皆さんが福音の中で、今日という1日をいやしていかなければなりません。契約はサミットです。サミットの祝福を握って行ってください。心配することはありません。例えば、自分が掃除をするほかはできない人がいるとしても結構です。掃除をしながらサミットの契約をつかんでください。多くの学生たちは勉強をしながらサミットの契約を握ってください。私たちは救われました。それでよいのではないかと思うかも知れませんが、私たちには世界福音化、伝道運動があります。もちろん、サミットにならなくてもよいと思うかもしれませんが、神様は皆さんひとりひとりに、それくらいの祝福は備えられたということです。アッシリヤの国に対しても、誰一人攻撃することなく震えていました。ゴリアテが侵略してきたときにも、誰も一人の兵士も立ち向かうことができませんでした。サウル王もあれだけ欲張りの王も、そのゴリアテの前です何にも云うことができなかったのです。だから、少年ダビデが立ち向かいました。理由は何でしょうか。ダビデは、その前にサムエルの預言者を通して、自分のサミットの答えを確認したからです。あなたはこれから王になる。そして、油を注がれました。その後、ゴリアテに出会ったのです。実際に少年ダビデであったけれども、ゴリアテの前に出たときのダビデの姿は王としての姿で出ていきました。人々は自分に何が与えられたか分からないのです。この目が開かれていないから何もないと言ってしまいます。では、アッシリヤはどうでしょうか。アッシリヤにほとんどみな負けてしまいました。しかし、ヒゼキヤ王一人によってアッシリヤを倒すことができました。また、いつもアラムの国に犯されていました。けれども、エリシャ一人によってアラムの国とは戦わずに勝利できました。シャデラク、メシャク、アベデネゴがいました。彼らの時代、バビロンに捕虜とされていました。でも、彼らはとても賢い者たちで公務員になりました。そして、何かを知っていた人たちでした。偶像を作りみな拝むときに、そこに拝まないものはみな燃える穴の中に入れられて殺されてしまう時代、そして、偶像の前で拝む者は皆、成功して昇進して行きました。けれども、この3人は知っていました。そんな必要はないということを知っていました。彼らはサミットの祝福と契約を握っていた人々です。ダニエルは死ぬことを分かっていても、毎日、定刻祈りをしていました。
▶そして、パウロは自分でわざとローマに投獄されたのもローマ福音化のためでした。これらの内容が今日という1日をいやす答えになります。今日、皆さんはなぜここに座っておられますか。神様が皆さんを祝福され、私はたくさん祝福を貰ってよく生きる、そのために来ているのではありません。救われた皆さんを通し、神は皆さんをローマというこの国を生かしていく植福を備えておられます。
3. 未来のいやし(福音化)-これから起きる霊的災いを防ぎなさい
なぜわざと監獄に入ったのか。それは未来のいやしのためです。今後、まだ起きていないが、これから起きる未来の霊的災いを防ぐためでした。もうまもなく到来するローマの災いの中で生き残る子孫を生み出し、すべての災いを打ちとめるために入っていきました。私たちがこの契約を握らなければなりません。皆さんもご存知のように、歴史的にそうなったではありませんか。
▶AD 70年に起きたことです。パウロが今日の手紙を書いた後、7年後に起きた災いです。どんなことが起きたでしょうか。ある学者は、パウロがこの手紙を書いた後、8年後と書きましたが、7年後、8年後、似ています。パウロがこの獄中書簡として書いたこのピリピへの手紙はAD62年、あるいは63年に記録して送られたと言われています。その後、7、8年後のAD70年にどんな悲惨なことが起きたか歴史的に記録されています。イスラエル民族が20数ヶ所の国に散らされてしまう悲惨なことが起きてしまいます。ヒトラーだけで殺されて人たちも600万人以上になります。具体的に考えてみてください。皆さんのかわいい子どもと孫たちがガス室で死んだり、銃殺で殺されることを想像してみてください。エルサレムの神殿も崩れ、いまだにその神殿は回復できずにいます。神様は絶対に回復されないと語られました。イエス様も言われました。石の上に石一つも残らないだろうと言われました。これぐらい深刻になって滅びるということです。それを知っていたパウロは、この時に生き残る者、切り株、レムナントを育てるために、パウロは監獄にわざわざ入ってローマの皇帝、カイザルの前に立つと言われました。これが未来のいやしです。とても重要です。
▶そして、このローマがイスラエルを完全に散らしてしまいました。それがAD70年です。その9年後にどんなことが起きましたか。9年ぶりに皆さんご存知のように、ポンペイが爆発してしまいます。ローマの南に位置しています。その火山が爆発するときに、その爆発の高さが14キロも上がったということでした。みな灰状態になって死んでしまいました。それも一つのサインです。そして、その後も続けてローマは戦争を起こしました。そして、彼らは自分の道を磨いて、ゼウス神殿を全世界に広めました。生き残るための道は一つしかありません。そこで生き残る道は正しい福音を持った次の世代を残す道しかありません。だから、パウロがローマの監獄に入って皇帝の前に立たなければならないと言ったのです。この福音は広まることによって、相手が直接、信じなくても、その影響力はとどまることなく広まっていきます。アフリカに行って皆さんが福音を伝えた。アフリカ人が信じなかったとしても、アフリカに影響が満たされていくのです。トーマス宣教師が100年前に韓国に来て福音を伝えたとき、誰一人信じませんでした。しかし、その方が亡くなっても、その影響は今日に至っています。
▶そして、結局313年、ローマは崩れます。福音の前に屈服します。偉大なこの福音、この災いの中で生き残れるのは福音史家ありません。神様はこの契約を握った者に与える祝福があります。それは再創造の祝福です。伝道もしない、その思いもない人になぜ再創造の祝福を与えると思いますか。
結論
▶すべてのクリスチャンが、絶対に逃してはならない三つのことです。特にレムナントは逃してはなりません。何をでしょうか。根、刻印、体質を変えるのはただ福音でしかありません。それでこそ世を生かすことができます。皆さんには、神様の世界福音化の契約があるために、掃除をしようと、大統領になろうと、勉強しようと、何をしようと、その分野でサミットになる祝福が備えられています。自分のそれを見つけるとき、今日という現在がいやされます。そして、神様は皆さんに未来を生かすように災いを防ぐことができる再創造の祝福を備えておられます。この祝福を分かるならば皆さんの目は変わるはずです。例えば、私にお金が数兆ウォンあるとします。そうすると、どうなるでしょうか。でも、このソラさんが私のお金1億ウォンくらいをとっていってしまった。貸して返してくれなかった。でも大丈夫です。私には何兆ウォンというお金があるからです。自分がお金がなくて返済できないことに対して、私が待ってあげればよいのです。でも、私にお金が一切ないのに、ソラさんが私のお金1千万ウォンを返さなかったとしたら、もう耐えられないでしょう。早く返してほしいとなります。執拗に催促するでしょう。私がものすごく土地を持っている大富豪だとしましょう。それなら、全く問題になりません。もし誰か貧しい人が、自分の畑の片隅に何か野菜でも植えて食べるのも許してあげます。「どうぞ、どうぞ」と。でも、自分がご飯も食べられないほど貧しければ、自分の家の前で誰かが何かを植えたら耐えられないわけです。じっとしていないのである。
▶ヨセフが総理になった。ヨセフは総理になりました。ポティファルの妻がやったことは、ヨセフにとって全く問題になりません。なぜなら、そのおかげで監獄に入りました。とてもラッキーなことです。もし刑務所に入らなかったら、どうやって彼が総理になったでしょうか。ヨセフはこのような現状に対して、あらかじめ見る目があったということです。創世記37章の契約があったからです。ダビデも自分を苦しめたサウル王、家臣たち、どれだけ苦しめられたでしょうか。しかし、それは何の問題にもなりません。その苦しみが実はダビデ王を王にさせる道でした。ダビデは自分が牧場で羊飼いをしていたときから、それを知っていました。それが契約です。
▶皆さんに力がないのでしょうか。考えを正しくするだけでも神様は働かれます。本当に信じるならば、神様はすぐに答えてくださるはずです。皆さんは何も心配する必要はありません。そして、皆さんに備えられた祝福というものは、本当に数えきれないほどあります。昨日もそんな話をしましたが、私は教会に通いながら試みに遭っている人たちを指して、とてもすごい人達だと思います。なぜなら時間が有り余っているからそんな試みに遭うのです。私は時間がありません。今、神様から与えられた祝福をしっかり味わうだけでも時間が足りないぐらいです。だから、人のせいで試みに遭うということは時間が余っている人だということです。人との戦い、けんか、争い、それも時間が余っているからそんなことをやっているのだと思います。私はただ福音、その福音で自分の根、刻印、体質を取り替える、その作業だけでもすごい祝福が起きます。サミットの方に行く、現在をいやす祈りの祝福、これだけでもすごい祝福です。しかも、それだけではなくレムナントを通して神様が未来をいやしていく再創造の祝福が待っています。何の問題もありません。バビロンでダニエルを殺そうとしたが、神様はダニエルを総理の上の総理として彼を立たせてくださったのです。ダニエルはそれらの祝福を最初から知っていたのです。これは重要です。そして、神様はダニエルに普通の答えではなく、時代を見せる答えを与えてくださりました。
▶今日、皆さんがパウロを通して見ながら、神様がくださったとても貴重な祝福を回復してください。私はもう年ですという方はいらっしゃいますか。いいえ、大丈夫です。聖書には、年をとればとるほど神様の大きな働きに預かられた人たちを見ることができます。私は勉強もできませんという方、いらっしゃいますか。大丈夫です。聖霊の力で、神様は大きな知恵、あの御国の知恵が与えられるのです。しかし、ほとんどの人々が錯覚しています。私はできませんと言います。だから、ほとんどの人々は、実は心の中で自分自身の祝福をあきらめています。そうなってはいけません。今日から新しく始めてください。神の祝福が今日から新しく始まりますようにイエスの御名でお祈りします。
(祈り)
神様に感謝と賛美をささげます。今日、私たちの人生に重要な日となるように。私のビジネスと私の学業とに重要なターニングポイントを迎える日となりますように。まことに神様の民に与えられ祝福が回復する日となりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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