2004年 06月 12日/ 産業宣教 メッセージ
共同体と産業宣教(10)- 福音と現場 (マタイの福音書 28:16-20) 要約資料
1.現場をのがしたキリスト教
(1)現場を掌握した未信者
1)経済
2)政治
3)文化
(2)現場を掌握した宗教団体
1)現場を持った宗教団体の方法
2)現場化できた宗教文化
(3)現場を掌握した悪霊文化
(4)現場がないクリスチャン
2.現場を指示したキリスト
(1)マタイ28:16-20
(2)マルコ16:15-20
(3)使徒1:8
3.現場を発見したマルコのタラッパン
(1)使徒1:12-15, 2:1-13, 2:41, 2:46-47
(2)使徒6:7, 8:4-8, 9:1-15, 10:1-6
(3)使徒13:1-12, 16:16-18, 19:8-20
4.現場を捕まえた21世紀タラッパン運動
(1)20個の戦略
(2)共同体
(3)20個のシステム
(4)産業宣教
(The end)
説明資料
→序論
▲私たち産業人が持った特徴のひとつは‘福音と現場’です。
無条件に律法が出てきたことのではなくて、律法が強くなる時期があります。
なぜそうなのかを理解しなければなりません。さっと見れば、福音がたいしたことがないように見えることがあります。時代、時代ごとに福音が違うように見える時があります。
福音がある人が、なぜそんなに無秩序なのでしょうか。‘ただ福音だけ’を話すのに、多様性もありません。 話はしなかったのですが、人々の頭の中の課題から出てくる問題です。
(1)それで生じたことが、律法がどんどん強くなるのです。ユダヤ人がなぜそのように見えるのでしょうか。律法が強くなって、福音が弱くなったためです。時代、時代に律法が強く出てきて、結局は災いに勝つことができなかったのです。律法は悪いものではありません。韓国のソン・ボンホ教授の講義を聞いてみたら、本当に講義を上手にします。律法が強ければ生きると話します。身分が高い人々が、なぜ法律を守らないのか。ものすごく正しい話です。クリスチャン99%が同意します。ところが、開拓を始めて6ケ月だけでした。私たちの教会の最も重要な長老がテープ 5ケをくださいました。とても良いテープだと言われました。先生、絶対に一度聞いてみてくださいと言ったのです。集会に参加したのに、とても良くてテープを買って持って来たと言いました。見たら、ソン・ボンホ教授のテープでした。いまはありませんが、その時は、そのような講義が私たちの長老の体質とよく合ったのでした。大韓民国のあらゆるクリスチャンの体質、世界教会の体質と合うということです。全く違いはなく、あまりにも実践的であるために、ついて行くだけです。ところが、どこに問題があると見るかというと、福音が弱まるのです。パリサイ人がその代表的な例だと言うことができます。それなら、パリサイ人が成功したのでしょうか。このように話せば、律法を強調する立場に、攻撃する弱点があまりに多いのです。パリサイ人は、はなはだしきは、イエス様まで責めました。イエス様に向けて、おかしな人だと言いました。なぜ安息日を破るのかと言ったのです。聖日になぜそのようなことをするのか、なぜ乞食や取税人と遊ぶのか。異端だ。このように判断したのです。それで、私たちは律法が福音とどれくらい差があるかを理解しなければなりません。私たち人間は、万が一誤ってすれば、福音の相当な秘密を知らないようになります。
(2)ある時は、方法だけよくなっても、福音が弱まるのです。ある牧師が、こう話しました。タラッパンも良いけれど、本当に良いものがあると言われました。資料を見せられたのです。内容は簡単でした。‘ラブタッチ(love touch)’ということを紹介なさいました。これを持って病気の人を見れば、皆分かると言われました。これをしながら福音を伝えれば、とても良いと言いました。正しい話しで、科学的な根拠がある話です。体験もできるでしょう。しかし、私は内心で‘ラブタッチせず、福音タッチしなさい'と思いました。結局、その方はタラッパン、教会、みな放棄しました。人は方法がすこしよくなっても、福音が弱まるのです。人間ぐらい 悪いものはありません。
(3)お金だけすこし生じても、福音が弱まります。福音が何でもないことのように見えるのです。ここで歴史的な失敗をします。今までキリスト教の歴史で、失敗した内容です。さっと見れば、初代教会はでたらめです。それで作られたのが中世教会です。パリサイ人が、また復活したのです。福音を持った人がでたらめだと考えました。福音を理解したことを知らないのです。福音を受けて、徐々に変化していく過程なのですが、これを 理解できないのです。だからパリサイ人が初代教会を無視するしかなかったのです。
▲産業人が世の中を生きていく間に、最もまず根をおろすことが福音です。違ったことをあまり無視して、福音だけ強調してはだめですが、何よりもまず福音に根をおろせば、後ほど相当な結果がもたらされるはずです。
このためにどんな結果が出てきたのでしょうか。
1.現場をのがしたキリスト教
▲現場でクリスチャンが、皆、失敗しました。結局、クリスチャンは、現場をつかめませんでした。
(1)現場を掌握した未信者
1)経済
2)政治
3)文化
▲ところが、少しだけ良く見るように願います。律法、方法、お金を追った人々、未信者が捕まえたことが、全部、うわべです。実際に人々の内側を捕まえることができません。
(2)現場を掌握した宗教団体
▲結局、この人たちも、皆、うわべです。律法に似た宗教でほとんど掌握しました。
1)現場を持った宗教団体の方法
2)現場化された宗教文化
(3)現場を掌握した悪霊文化 - 悪霊文化に捕えられるしかありません。
(4)現場がないクリスチャン - 福音ひとつを正しく理解できなければ、現場でクリスチャンは、なんの価値もありません。これがクリスチャンの問題です。
▲こういう言葉を、あなたがたは十分にわかるでしょうが、難しい内容です。私が見るのには、この部分が一番に重要です。律法、方法、お金の中で一つだけよくなっても、福音が弱まります。それで、福音が弱まらないように、福音を持たなければなりません。滅びようが、滅びるまいが、お金だけ持っても福音が弱まります。時代ごとに福音が弱くなった時には、律法と方法、お金の方向に回帰するのです。ところが、イエス様は弟子を呼ぶやいなや、現場を指示されました。
2.現場を指示したキリスト
▲最後にもおっしゃられました。あらゆる国の人々へ行きなさい。すべての民に行きなさい。また地の果てへ行きなさい。それで、弟子を呼ばれるやいなや、実際の現場のせつない問題を話されました。‘私が律法を廃棄するためにきたのではなく、完成しにきた’. マタイ9:35-38, 弟子たちに教えられました。結局、パウロの悟りがこの悟りです。それでパウロに付けた仇名が‘外では異端’と言って‘中では律法懐疑論者’であった. 今でも全く同じ事が行われています。この話は未信者の伝道問題ではありません。現在のキリスト教は、福音に対する正体と実体性がなくなったのです。ですから、いつも起きた方法がこういうものなのです。それでプログラムをするなという話ではなく、こういう意味で、プログラムに注意しなさいと言うのです。
(1)マタイ28:16-20
(2)マルコ16:15-20
(3)使徒1:8
3.現場を発見したマルコのタラッパン
▲どのようにして、あの弱いマルコのタラッパンから世界を征服できたのでしょうか。
(1)使徒1:12-15, 2:1-3, 2:41, 2:46-47
(2)使徒6:7, 8:4-8, 9:1-15, 10:1-6
(3)使徒13:1-12, 16:16-18, 19:8-20
▲この聖書の内容は、全体の産業人を区分しておきました。 (1)は、マルコのタラッパンで始まった内容です。 (2)は、弟子たちがおきながら、あちこちに働き人がおきました。(3)は、一時代の課題を解決した内容です。マルコのタラッパンは、用いられるしかなかったのです。少なくとも、伝道者になろうとするなら、世の中の 成功した産業人になろうとするなら、これを見るべきです。‘律法が必要ない、方法が必要ない、お金が必要ない’こういう話ではありません。問題は、私たちの心の中に、福音を弱化させることができる多くのものがあるということです。ある時は、成功だけでも福音が弱まります。この部分だけ悟ることができるならば、いくらでも味わって、祝福を受けることができます。代表的な例が初代教会で、パウロです。
ペテロよりパウロが適した理由がここにあります。ペテロは元々なかった人ですが、パウロは律法、方法、お金等、こういうことをみな持って、また知っていた人でした。神様がご覧になるときに、パウロは用いられるのにとても適した人物でした。その多くの人物の中で、パウロほどの人は、出てくることができませんでした。パウロが14巻の書簡を記録した中に、ヘブル人への手紙を見れば、この部分に対する答が出てきます。ヘブル人への手紙1章は、天使の話が出てきます。‘天使が高いか、キリストが高いか’ アブラハムの話が出てきます。‘アブラハムが高いか、キリストが高いか.’ モーセの律法に対する内容も出てきます。‘モーセが したことと、キリストがしたこと’これは何の差でしょうか。これがヘブル人への手紙の話です。ものすごい作品です。たぶん、この部分が理解できれば、それこそ祈りの答え、伝道、全てのものが解決するはずです。
4.現場を捕まえた 21世紀タラッパン運動
▲このことをしようということが 21世紀に向かったタラッパン伝道運動です。
時間になるならば、多くの神学者とこういう話をする時間を持てば良いと考えています。律法、方法、お金 等、これら皆、良いもので違うものはありません。しかし、この部分を強調するならば、果してキリストが必要ないではないでしょうか。パリサイ人の論理通りすれば、キリストが十字架に釘つけられる理由がありません。律法、方法、お金は、世の中の人々と信者、すべてに必要な部分ですが、福音を持った人が区分しなければならないことがあります。これを区分できないから、うわべだけ持った未信者に負けるのです。どんな結果が出てくるのでしょうか。現場を全く生かすことができません。この時、初代教会とパウロを呼ばれたのです。21世紀に皆様を呼ばれたと確信します。そのような中に産業宣教があるのです。
(1)20個の戦略 - この戦略を根本から理解しなければなりません。なぜ20個が出てくるのでしょうか。福音が弱まった全てのものを修正しなければならないためです。福音だけない所にいのちを入れてあげるためです。20個の戦略です。この部分が理解できるならば、完壁な答えが出てくるはずです。
(2)その中で共同体がとても重要です。
(3)こういう現場の中に20個のシステムを作ろうとしています。
(4)その中で最も重要な解答が産業宣教です。
▲もちろん、福音を持っていながらも、多くの失敗をすることがあります。そうかと言って、いいかげんにしろということではありません。私の(柳牧師) 場合ならば、二人の中の一人を選択しなさいと言われたら、こういう選択をするはずです。福音がない完壁な人がよいか、失敗をちょっとするけれど、福音がある人がよいか。人々は 99% 前者を選択するけれど、私は後者を選択します。それで、私は韓国教会にこういう質問をしました。福音がない修道女がよいか、福音がある売春婦がよいか。私は福音がある売春婦が良いと考えます。なにか知らなく、パリサイ人と初代教会は色合いが合いませんでした。時間が経ちながら、初代教会は生かされて、パリサイ人は死にました。初代教会が福音に対して、すこし臭いだけ預かったのに、生かされて、ヨーロッパを中心にした国が生かされたのです。
▲それで、産業人が一番に分かるべきことが、正しい福音と現場です。この目だけ開かれれば、いくつかのことは保障されます。
(1)滅びることは、絶対にありません。滅びは、まさに災いゆえにきます。あらゆる牧会、産業で、これをよく 知っていなければなりません。よく応用しなければなりません。それでなければ、滅びと災いがきます。
(2)このように、福音が中心になれば、行く現場ごとに変化が起きます。福音以前に、この話を未信者はよくわかることができません。神学者とクリスチャンも分からないのに、どのように未信者がわかるでしょうか。それで、私たちキリスト教の一番大きい問題が、福音をよく分からないことです。病院には問題がないけれど、病院にくる人が問題です。多くの人々が福音を弱化させて、律法、方法、お金の方向を重要視するのです。福音と別物、この二つがいつも行ったり来たりすることが、キリスト教の歴史でした。しかし、福音中心で完壁になった時、勝利します。
▲ルターは、中世教会と反対になる話を持って出てきました。律法、方法、お金ではなく、信仰で救われると 話したのです。律法、方法に体質化になった中世教会が、ルターを異端にしました。パウロは、こういうことを幼稚な学問だと言いました。幼稚園を導く保母先生にすぎないと話したのです。それとともに、パウロは福音を話しました。
▲あなたがたは、3つのことが重要です。すぐに @職場、産業で重要なことをするはずです。A教会に行けば指導者です。 B家庭では長です。家庭を動かす人々です。福音が正しく区分出来なければ、どのようになるでしょうか。働きをしたかのように見えるのですが、働きではありません。ものすごい混乱が来るしかありません。結局、家庭、職場、教会に途方もない問題がきます。この目ひとつ開けて、信仰生活をしなければなりません。福音に目を開けて、教会に行けば、違うように見えます。私はむかし、自閉症の子が集まる所に行ってみて、どのようにこの子ども達を直すことができるかと考えました。ところが、福音を理解し始めてこそ、 この子ども達を直すことが問題ではなく‘この子ども達がいつ最も幸福か’こういう考えをし始めたのです。霊的問題を持った人を見たら、ここに来る以外にもっとあるか。違った所は行く所がありません。別の次元で理解できました。教会で学生達が生活するのを見ると、目が違うように見えたのです。悩まされてきた霊的問題がある人を見ると、違うように見えます。したがって、律法、方法のような部分がたくさん積まれて、福音が弱まれば、おかしな問題がくるのです。あなたがたが、大きいのろいを受けて、事故に遭って、罪を犯して 子どもに問題がくるのでしょうか。そのようなことではありません。問題の背景が、ものすごく積まれたためです。
▲なにが ‘改革’でしょうか。改革という言葉も違うように使うようになります。マルチン・ルターが話す改革は、どんな改革でしょうか。律法、方法、お金、こういうことを自慢しては救われることができなくて、福音を正しく理解してだけ救われるということです。これがまさにマルチン・ルターの改革です。今でも多くの牧師、長老が改革を話す時、違ったことを話します。ですから、福音に対する充分な発見もできないで、評価までするのです。この中で三重の霊的問題が来るしかありません。この結果が癒しの働きの現場です。
米国をはじめとして、全世界は手のほどこしようもない問題がきました。倫理的にどうか、というることは話すこともなく深刻です。これでも悟ることができないのです。
日本は1戸に一名ずつ精神病者がいます。米国、ヨーロッパ、オーストラリアは普通、一つ以上ごとに家に 深刻な問題があります。こういう環境まできたのに悟ることができないのです。
敢えて教会で起きた投票、論争を見れば、律法、方法、お金と同じ内容です。
▲それで、私たち指導者と産業人は、福音と現場に明らかな目がなければならないのです。
▲そのようになる時、少なくとも2つのことは保障されます。(1)滅びから解放されるということで, (2)変化するということです。これが初代教会の福音運動で改革です。このようになれば、残りの質問をすることも、たくさんあります。しかし、残りは自ら判断して応用できるものです。
ところが、福音でなく、どんどん違ったことを重要視することが世界教会の問題です。
神様が何ゆえに、私たちを呼ばれたのかを理解しなければなりません。そして、私達が福音を確かに捕まえなければなりません。それで、21世紀を生かす、福音を理解した産業人になるべきです。そのような祝福を受けることを望みます。
(The end)
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