[2004年10月16日 / ソウル産業宣教メッセージ / ソウル メイフィールドホテル / 柳光洙 牧師]


共同体と産業宣教(26) -「伝道者の愛を受ける者になろう」
(ローマ16:5)

     
@ 序論 : ローマ16:5 ‘私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。’ここに私の愛するエパネトと言いました。私たちは、世の中を生きていく間に、重要な力がなければなりません。これがなければ、牧会、事業も実際に良くすることができません。それで、どんな力を話すのでしょうか? 私達が世の中に勝つことができる超越的な力がなければならないのです。大部分の人が力を得るために勉強もします。宗教を持つこともします。ところが、その力では勝つことができないのです。私達が、福音の中の力がなければなりません。
* 力, 福音 : これで事業もできます。話しは簡単ですが、結論です。初代教会の弟子たちは、これを持っていました。パウロをはじめとして、重要な弟子たち、使徒も、この力を持っていたのです。ローマ16章の働き手もこの力を持っていました。皆様もこの力を得ることができなければなりません。
▲ 私は大邱に行って、パク・ジュヨン選手と食事をするつもりです。朝にもニュースを見たら、ワールドカップ代表チームがあまりにだめだと言われていました。それで、パク・ジュヨン選手のような人をワールドカップに抜てきしなければならないと出てきていました。たぶん、最高に成功できる選手だ見ています。何年か前にブラジルに留学に行くからと、祈ってもらいたいときていました。その時には、小さな選手だったのですが、大きい選手になりました。そのお母さんが話すのには、先生達がたくさん祈ってくださるので、他の力があるらしいのです。それで、その子にこの話をしようと思っています。特別な力がなければ、他の選手に勝つことはできません。大部分が、宗教的な力があります。その力では勝てません。解釈が難しいのですが、福音的な力でなければなりません。他の難しい全部の問題がきます。しかし、福音的な力は想像を超越します。
(1) 個人 ? 生活 : 個人に他の力が現れます。皆様が聖書をよく見れば、福音は時代を超越する力を持っていました。生活を通じて福音を味わわなければなりません。
(2) 時代 - 世の中 : 皆様が聖書をよく見れば、福音は時代を超越する力を持っていました。
(3) 思想 - 考え : 福音は思想、学問にみな勝つ力を持っていました。判断、考えの中で福音を味わわなければなりません。福音を持った皆様には、誰にでもこの力があります。少しだけ悟っても開始します。福音が全てだな、悟るだけでも始まります。福音を判断する時、味わわなければなりません。
 
* 祈り : 福音を味わう中で、祈りに力が出てきます。だから、福音でなければ常時で祈りができません。以前には、あることが生じれば、祈ろうと言いました。これは何を前提にするかというと、それ以前には祈らなかったということです。それが問題です。ある人は、祈りがこの頃、うまくできないと言います。宗教的に悟っているのです。例を上げれば、僧侶が雰囲気が良くないと、木魚をもってたたくようなことと同じです。福音に深く入っていけば、常時祈りが回復して、定刻の祈りは幸福になります。ですから、福音を知らないことではなく、ここで長老たちが失敗するのです。いろいろな事が起これば、福音でなく他に行きます。行政をする時、福音でなくて、他の道に行きます。それが小さなことのように見えるのですが、結論はとても大きいのです。それで、小さい幹から水が出てきているようでも、東西に分かれれば、他の差が出るのです。前の (1)-(3)のことが合わさって出てくることが祈りです。私達が祈りを大したことでないように考えるのですが、祈りはものすごいことなのです。このような時、生まれることがあります。全く同じように見えるのですが、愛が違うように現れます。愛には条件が出てきます。ギリシヤ語を見れば、友人間の愛を‘フィレオ’と言いました。男女間の愛は‘エロス’と言いました。あるいは、家族、血縁の愛は‘ストールゲイ’と表現しました。これは条件が違うのです。福音の力を知る時、出てくるのが‘アガペー’です。ですから、愛さなければならないのですが、こういう(アガペー)の愛を受ける者になりなさいということです。伝道者と親しくなれということではなく、こういう愛を受けてこそ、答えられます。
 
1. 人の未来を左右する根本の出会い : 私達の人生の歩みの中で出会いがたくさん起きます。
(1) 父母 : 父母との出会いは私達が選択出来ないことです。
(2) 恩師(先生) : これも選択できません。
(3) 友人 : これは、少し選択できます。
(4) 配偶者 : 最後に重要なのです。これは、一般の人々が持っていることです。私たちが皆、持っていることです。
 
2. 伝道者の愛を受ける者になろう
▲ そのあとは、伝道者との出会いです。こういう部分がローマ16章だということを理解しなければなりません。そのような意味で、伝道者の愛を受けなければならないのです。すると、間違いなく答えが与えられます。信仰生活が改まるのです。福音の力を得られなければ、祈りができません。祈りが宗教的な祈りしかできないのです。私は幼い時、教会で、おとなが祈りを多くするのを見ました。教会でうわさが立つ程に、祈りのチームが形成されて祈るのです。ところが、その方達がほとんど失敗しました。福音的なことではないということです。この力を得ることが、産業人に重要です。クリスチャンに最も重要です。こういう部分は、説明するのが難しいのです。説明しなくても、序論の(1)-(3) の部分が通じなければなりません。それを弟子と言います。長老と産業人が真の伝道者の愛を受ける者になりましょう。そのような意味で、愛するエパネトと言いました。聖書に愛される者という言葉が出てきます。
(1) Vヨハネ三1:3, ローマ16:23 : ‘愛する者よ’と言いました。エロス、フィレオのような愛を言うのではありません。こういうものも含まれるのですが、アガペーのような愛を言うのです。このようになれば、まちがいなく答えが来て、成功します。ヨハネがガイオを見て、こういう意味で‘愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります’と言いました。ローマ16:23まで答えを受けました。これができれば、こういう答えを受けます。あらゆる教会の家主になりました。伝道者の家主になったのです。
(2) Uテモテ2:1-7, Uテモテ3:1-13, Uテモテ3:14-17, Uテモテ4:1-5 : パウロがテモテをどれくらい愛したかが出てきます。‘わが子よ’と言いました。私たちも、こういう答えを受けなければなりません。Uテモテ3章には、世の中が進歩していることを話しました。Uテモテ4章に、伝道者になりなさいと言いました。
(3) ローマ16章:1-27, ローマ16:5 : ローマ16章の人物が、みなそうです。16:5 エパネトをパウロがどの程度まで愛したのでしょうか? エパネトは、パウロが監獄に行く時も一緒に行きました。この当時には、貴族、奴隷社会であるから、主人が監獄に行けば、召使いがついて行くことができたのです。プリスカ夫婦は、どれくらい愛したのでしょうか? いのちの危険を冒したと言われています。産業人の背後にある、祈りの背景です。
 
3. 産業人の背後になければならない祈りの背景 : こういう意味で、祈りの背景が必ずなければなりません。
(1) 牧師 : 無理にできることではありません。牧師が他の人より、祈りを多くする職業なのです。牧師は常に祝福する者なのです。その人が、福音の中にあれば、ものすごいのです。その産業人は、この福音の中にあれば、相当なみわざが起きます。明け方講壇でひざまずく時、思い出す人があります。私たちも知らないで、祈ると、このようなあのような考えもして、祈れば本当に思い出せて、感謝して祈りが出てくる人がいます。反面に、考えれば気分悪い人もいます。どうすることもできないのです。
▲ 一度は、集会に行く時に、ある人が封筒を渡してくれました。そこには、祈りの課題が書いてありました。紙を見たら、大きい紙に祈りの課題がぎっしり書いてありました。職分は何かと聞いたら、勧士だと言いました。それで、‘勧士様。このようにすれば、祈りの答えを受けることができません。これを担任牧師に持って行ってください。率直に、私は勧士様に会っても、後ほどは忘れてしまうでしょう。私が知っている長老、執事に対する祈りは出てくるのですが、率直に、他の人は祈りが出てきません。勧士様のために祈りを一番多くしている人が、担任牧師です’と話したところ、この勧士が、申し訳なく持って帰りました。牧師の祈りの中になければなりません。
(2) 宣教師 : 多くの宣教師が、皆様のための祈りが出てくるべきです。
(3) レムナント : レムナントが、皆様のために祈りが出てくるべきです。福音を持った祈りの力は、核爆弾より大きい力があるのです。福音運動をする者ならば、よりそうです。
▲ それで、率直な意味で、パク・ジュヨン選手と他の意味で祈ろうと言います。前は普通に考えていました。子ども達が行き来するので、祈っているのかなと思いました。片方では、そのようにうろうろするのだろうと考えることもありました。忙しいのに、何の祈りをしようとするのかと思いました。ところが、この子どもは、福音を持った子どもです。ですから、福音を持ったレムナントとか牧師、宣教師が祈ることは、大きい背景を持っていることなのです。パウロが書いたのは、全部、祈りです。産業人が祈らなければなりません。
(4) 隠れた困難に会っている者 : そして、教会の中には、困難に会っている人がいます。福音で祈れば、相当な献身が出てきます。
(5) 伝道する真の一般信者 : 一般信者が、皆様のために真の祈りが出てくるべきです。ものすごいパワーが出てきます。ここに条件が必ずひとつあります。もし祈る背後の人々が、序論の(1)-(3)のように、福音を持った人で(そうでない人がどんなに祈っても、悪いこともないのですが)、皆様がこういう人ならば、お互いに通じているのです。簡単に話せば、下記のようになるのです。未信者が話す三角形ではありません。
 
神様
 
 
 
 
祈る伝道者    本人
 
神様と祈る伝道者と本人です。それで、ものすごい福音の力で連結すれば、祈る者と皆様が通じるのです。おもにどこで問題がくるのでしょうか? ここに問題があるのではなく、おもに前の序論部分で問題が来ます。それで、こういう力を持てば強大なので、祈りも全く同じく答えの力があるのです。それで、私が知っていることでは、教会に通う人はこれ(序論の部分)一つだけを正しく知っていればよいのです。この中で開始が出来なければ、大変です。このなかで答えがくるので、判断も簡単になります。こういうローマ16章の働き人のように、愛される者になれば、祈りが新しくなります。皆様が、そうすると、小さい実践をしてみることを望みます。あなたがたは、教会に行けば牧師の同労者です。とても簡単です。主のしもべが正しくても、正しくなくても、福音をよく伝えるように助けるならば、最高の祝福を受けます。とても簡単です。主のしもべを呼んだ理由があるので、福音をよく伝えるように助ければよいのです。そうでないことは、それほど価値がありません。他の複雑な話は必要なくて、あなたがたが、このように合せればよいのです。そして、胸の中に本当に伝道する宣教師がいるか、注意深くみる必要があります。そんなに根拠がない話でもあるのですが、大部分の宣教師が伝道に関心がありません。宣教師が伝道に関心があれば、まちがいなく成功します。そして、序論の部分になっているなら、本当に福音を持っている宣教師がいるか見回すだけでも、祈りの内に入っていくのです。そして、レムナントはたくさん起きるので、区分ができません。福音を持った学生達を簡単に区分することができません。しかし、レムナントの中で、希望があるように起きる者達がいるので、この子ども達の中心に福音を植えなければならないのです。このようになれば、まちがいなく答えを受けます。教会の中に、いろいろ困難にあう人がいます。この人々が重要です。この人々を助ける時、どのように助けるのでしょうか? 単純に手助けするのではなく、福音を理解できるように助けなければなりません。これより大きい働きはありません。このようにだけするならば、間違いありません。教会の中には、多くの一般信者がいます。言葉でも行政でも、教会の中に伝道する雰囲気だけ作っても、成功します。事実上、正せば難しい部分ではありません。
▲ 私は困難に会う人を訪ねて、イエスを信じなさいとは言いません。なぜなら、私が手助けしたことで、連結するかを見るのです。純粋に手助けするのです。ある日、心の門をあけます。この時、重要な話をしなければなりません。“成功した人は、皆、困難の中で勝った。そのようい見る時、あなたは重要な人で、重要な時間を迎えた。あなたに必要なのは、神様の祝福が重要だ.”と話します。簡単な話のように見えても、医療奉仕、美容奉仕は、行って無理に福音を伝えようとしてはなりません。私達が医療奉仕をしてみて、ある程度、心が開いた人がいます。この人に正確な福音を伝えなければならないのです。教会に来なさいと言うことまでは要りません。
▲ 一度は、私たちの教会に北脱出者がきました。その人は福音に関心がありませんでした。皆様ならば、どのようにするでしょうか? 逃げてきたのに、キリスト教、仏教で、事実上、正しく聞くことはできません。この人たちに、福音を伝えないのではないのですが、参考にしなければなりません。それで、この北脱出者に助けをあたえる人がいて、お金も与え、服も与えて手助けしたのです。この人に葛藤が生じたのです。なぜ葛藤したのでしょうか? K教会で服も買ってくれて、キャビネットも、箪笥も買ってくれ、机も買ってくれたのでした。その条件で、教会に来なさいと言ったのです。だから、K教会ではこちらの教会をやめて、自らの教会に来なさいと言いました。それで私が聞いたのですが‘それゆえに葛藤が生じるのですか?’と尋ねたら‘葛藤が生じる’と言いました。それなら、その教会に行きなさいと言いました。それで、ゆっくり祈りながら、福音が何か考えてみてくださいと言いました。あなたに机と箪笥が必要なことは間違いないけれど、祈ってみて信仰生活を良くしてくださいと言いました。北朝鮮から越えてきた人ですが、その人の印象を見たら、わかったようでした。このように、こんにちの教会は福音を伝えるのではなく、福音を防止するのです。困難を受けて、救済を受けた人で、信仰生活を良くする人がほとんどいません。皆様がほとんど救済する時も、表に現れないようにしなければなりません。自尊心が傷つくようなことをしてはなりません。そして、賞を与えることは、救済することがよりむずかしいのです。
▲ 私の娘が小学校に通う時でした。私の娘に尋ねたのです。あなたのクラスに困難な子ども達はいないか? いればパパが手助けすると言いました。2年か3年の時、私の娘が、それはだめだと言いました。なぜ、だめなか? というと、自尊心が傷つくと言いました。その時、しまったと思いました。どのようにしなければならないのかとたずねました。全く自尊心が傷つかないようにするために‘支援会’ということを学校で組織して、そこにお金を出せば、先生が少しずつ支援すると言いました。その時、あっと思いました。私たちは、ほとんど失敗しています。それで、救済を受けて育った子どもが、後ほど教会に通いません。ほとんど失敗していて、恥ずかしくて自尊心が傷ついて、みなのがすのです。
▲ そして、教会の中には、教会の一般信者の雰囲気が、どこへ行くかによって全てのものがわかります。恵みを受けて伝道する雰囲気にだけ行けば、大きい答えを受けます。私が知っていることでは、あらゆる答えはこの中にみなあります。あらゆる答えの開始と結論は、序論に話した中にあります。さっと見ることでは、この中でこういう過程がおきるのです。ここに最も祝福を受ける人が、私たち産業人です。当然に、私たちで祝福を味わう方が、私たちの役員です。牧師たちも、こういう意味で産業宣教に集まらなければなりません。産業人もこういう意味で参加しなければなりません。こういう意味で難しくありません。牧師が正しくても、正しくなくても、水準が高くても、高くなくても、福音を伝えるように助けるべきです。福音を伝えることができるように助けなければなりません。教会の中には、困難にあう人もいて、レムナントもいて、宣教師もいます。こういう祈りがなければ‘お金! お金!’と言うので、頭が複雑になります。こういう深い意味がなければ、教会でも‘お金’どこでも‘お金’と言います。だから私達がこういう部分(△)がないならば、私達が滅びるのです。産業人は、必ずこれを悟らなければなりません。牧師は、これを必ず悟らなければならないのです。本当に祈りの答えが来ます。私は皆様に率直に告白することは、伝道しなければならないと努めているので、これをすることは難しくありません。反対に応用することができるのです。牧師に仕えるのに全く福音に関係ない人の場合もあります。この方が伝道と関係ない牧師だ。単なる牧師だ。自分にうまくいけば‘ハレルヤ’で、だめならば‘サタン’だと言う。すると、もっとやりやすいのです。その方が要求する人間的な欲求を満足させてあげながら、福音運動をするように仕えれば良いのです。難しくありません。またある宣教師が、私たちと連結したのに、この方に来なさいと言うのか? 行きなさいと言うのか? この方を心より手助けしながら、福音運動するよう資料を与えたのです。その中で、ある人は10年後に来ました。私は内心、助けてくださいと来たなあ考えたのです。ところが‘先生、10年ぶりに悟った’と言います。ですから、宣教師の中に、福音運動で少しだけ助けても相当な影響があるのです。だから難しくありません。それで、レムナントが重要で、実際に現在の皆様がより重要です。なぜなら、皆様に力がなければ、レムナントが答えがなりません。結論を言うなら、伝道者の愛を受ける者になりなさい。すると、証しするしかない事が起きるのです。
 
- 要約 -
<共同体と産業宣教(26) -「伝道者の愛を受ける者になろう」(ローマ16:5)>
1. 人の未来を左右する根本の出会い
(1) 父母
(2) 恩師(先生)
(3) 友人
(4) 配偶者
 
2. 伝道者の愛を受ける者になろう
(1) ヨハネ三1:2, ローマ16:23
(2) Uテモテ2:1-7, Uテモテ3:1-13
Uテモテ3:14-17, Uテモテ4:1-5
(3) ローマ16:16-27, ローマ16:5
 
3. 産業人の背後になければならない祈りの背景
(1) 牧師
(2) 宣教師
(3) レムナント
(4) 隠れて困難にあっている者
(5) 伝道する真の一般信者