[2004年 11月 20日 / ソウル産業宣教メッセージ / ソウルメイフィールドホテル / 柳光洙牧師]
共同体と産業宣教(31) - 主にあって選ばれた者 (ローマ16:13) @ 序論 : 事実は、パウロが7ケ所で共同体を形成しました。それでも世界が福音化されました。どんな人々が集まったからでしょうか? 13節に‘主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。’と言われています。主にあって選んばれた者、こういう人々が集まったゆえに、数字と関係なく、みわざが起きたのです。単なる人ではなく、選ばれた者が集まったのです。神学者が救いに関して、4つのことを話しました。
(1) 予定論 : ヨハン・カルヴィンがこう話しました。神様が私たちを救おうと、救われる者として予定されたと言いました。これが予定論です。参考にする必要があります。
(2) 神と人の合意説 : アルミニウスが、ヨハン・カルヴィンの話しに対して‘そうではない’と、人間と神が共に合意しなければならないと主張しました。
(3) 万人救い説 : 上のことが‘話になるか? 神様が誰を予定するのか? 誰かが救われ、誰かは救われないのか?’とと言って、万人救い説を主張しました。こういう主張もあります。
(4) 社会救い説 : なんの話をするのか? 今は、そのような時代ではない。そのような話ではなくて‘社会を救って、労働を良くしようとする時代だ’と言って、社会救い説を主張しました。
▲ 皆様が知らない間に、4つの神学が戦ったのです。教団の背景を注意深くみれば、予定論を主張する所は、長老教です。みな一理があります。神と人の合意説を主張した所はホーリネスです。すこし神秘主義的なバプテスト系統は万人救い説を主張しました。新神学者は福音と関係ないことを話したのです。労働者が押さえられているのに、彼らを生かすことが救いだと言いました。一時、人気がありました。韓国にものすごく起きていました。その一例が、都市産業宣教です。産業宣教と付けたのですが、実際には社会運動をしたのでした。ある場合は、ある人のものを奪って、ない人に与えなければならないと言いました。社長がみな奪って行くので、持たないようにすべきだと言ったのです。労働運動もしたのです。それで別名、解放神学と言いました。しかし、今はますますそうではないということが証拠されています。
ところが (1), (2), (3) 3種類の主張には、一理があります。ところが (1)に対して ‘神様が予定したならば、伝道する必要がないのではないか?’と言って攻撃をしました。すると、そのまま死んだ人はくやしいではないでしょうか? ある場合は、私の父は地獄に行ったから、私も行くべきだと言います。予定しておかなければくやしいではないか? と主張するのです。話が道理に合います。三団体がこれを攻撃する部分を見れば、一理があります。しかし、私達は、事実通り話さなければなりません。サダム・フセインの下の人が救われたのでしょうか? 止むを得ないのです。事実を事実通り、認めなければなりません。聞けなかったのです。とにかく、救われることができなかったのです。くやしいではないでしょうか? しかし、とにかく救われることができなかったのです。子どもが福音を聞くことができなくて死にました。くやしいではないでしょうか? それでも、救われることはできなかったのです。くやしいけれど、真理をひっくり返すことはできません。聖書を見れば、代々の昔から私たちを選ばれたということが、一、二箇所書いてあるのではありません。私の場合を考えてみました。神様と力を合わせて救われるとすれば、私には力がありません。また (3)のように信じないでも救われるということは話になりません。 (4)番の社会救い説は、一理がある活動であって、救いとは関係ありません。皆様は立派でよく信じるかも知れませんが、私は(1)は該当します。私は牧師もしようとしなかったのです。ところが神様がさせられました。私はこのように人々と出会って伝道運動をすることはありませんでした。私が準備すれば、そのようにしないのに、全的に神様が呼んで、立ててらえたのです。救いの内容を知れば知るほど、私の力ではだめです。聖書を読んで、いろいろな人が多くの解釈をしました。それで、その中でカルヴィンはこう話しました。人間は創世記 3章の事件以後、全部すべて滅亡した。.
@ 全的堕落(Total Depravity): 全く希望がありません。知・情・意の中で一ケ所も希望がありません。完全に悪魔の手中に落ちていったのです。救われることができません。カルヴィンの主張です。同意します。今でも福音を知らない人は、成功しても成功ではありません。単なる堕落でなく、全的な堕落をしました。お金が多ければ良いのでしょうか? 一部分、良いこともあります。名前を明らかにするのは難しいのですが、韓国の経済人の中で最高の場にいるその方の娘が私たちのメンバーです。今現在、私たちの教会に出てきています。内部の話をすることは、難しいけれど、口に出して言えないほどです。最初、父と暮らしたことがないと言います。家庭の問題は、1,2個ではありません。霊的問題という話で表現することができないらしいのです。父が言うのには、他の所はみな行っても、教会は行くなということです。娘が内心考えたのは、他の所はみな行かなくても、教会には行くと言ったということです。それほど通じないということです。完全に滅んでしまっても、そのままそのように暮らしているのです。私はこの話が正しいと思います。全部、完全に崩れました。
A 条件ない選択(Unconditional Selection) : 人間が救われるのは、条件がありません。ある日、救われるのでしょうか? 事実ならば、何をしたら救われるのでしょうか? お金を持って、功労もたくさん立てれば、救われるのでしょうか? いろいろな話にもならない宗教が出てきました。それでも条件がない選択をしたということです。皆様に条件をおくならば、一名も救われることができません。ここでなにが出てくるのでしょうか? それなら、あらゆる人をみな救おうとされたのでしょうか?
B 制限されたあがない(Limited Redemption) : ここに同意します。ここで三団体で反発したのです。私は個人も制限されていて、時代も制限されていて、地域も制限されていると思います。すると、選ばれることができなかったのは、くやしいではないでしょうか? それは間違いない話しです。そこに対してカルヴィンは‘人間は元々から捨てられた状態だった’と言いました。乞食が10人いるのに、1人を救ったのに9人がくやしいと話す必要があるのでしょうか? 刑務所で、死刑囚がいるのに、大統領が何名か特赦で呼んだのです。すると、残りがくやしいと話す必要はありません。奴隷が生きていて奴隷であって、奴隷がとくやしいと言いません。この中で一名を誰かが救いました。救われた人が幸運であって、奴隷は元々奴隷です。くやしいことがありません。職員が全く同じくいて、皆に月給を全く同じく50万円を与えるようになりました。ところが、Aという一名が仕事を良くする。それで個人的に50万円をより多くあげます。すると、社長は気分が良いのです。9人は規則にはずれているのではないから、くやしくありません。元々罪人であって、理由になる必要がありません。ちょっと冷静な話しですが、事実です。それで、単なるあがないではなく、制限されたあがないです。
C 不可抗力的な恵み(Irresistible Grace) : 誰も防止できません。神様が与えられるので、不可抗力的な恵みです。神様がパウロを願うのに、誰が防止できるでしょうか? 自分自身も防止することが出来ないのです。誰が防いで奪うことができるのでしょうか? 不可抗力的な恵みです。
D 聖徒の窮極的な救い(Perseverance of Saints) : 救われた神様の民は、誰も奪うことはありえません。この事件を通じて、誰が敢えて奪うことができるのでしょうか? 終わりまで救われるのです。聖徒の窮極的な救いです。
▲ 私は過去の人生を見て、家系を見る時、絶対的に救われることができません。うちの町内の私より立派な人が福音を悟ることができなかったのに、私は悟ったのです。そして見ると、この救いがものすごく貴重な制限された救いです。どれくらい幸いか、残りは自動です。この福音を下さって、祝福を下さるのに、キリストを送って十字架に釘付けられた神様が、終わりまで救ってくださるのです。結果的に、滅びることができません。選ばれた者、私は同意します。私は個人で見る時、とても正しい話です。金正日党書記の下の人が救われることができるでしょうか? ほとんど受けられません。くやしいけれど事実です。もちろん、他のルートで福音を聞くことができます。そのようなことは、個人的には知りません。金正日党書記の下の直属部下が‘Only イエス’と言うことはできます。しかし、反対に福音を全く聞いてみることができなかったのです。こちらがより正しいと考えます。くやしいことは、間違いありません。話にもなりません。正しいのです。しかし、救われなかったことは確かです。くやしいからと言って、あらゆる事実を後変えることはできません。くやしいからと言って、韓国の法律をみな変えることはできないことと同じです。救いという事実は、ものすごく驚くべき事実で、この部分に奥深い秘密が入っているのです。この中に私と皆様が入っています。この中にローマ16章の産業人が入っています。ものすごいことです。このように見る時、聖書的にどれが正しいのでしょうか? 聖書に見れば証拠があります。
1. 救いは選ばれた者の祝福です
この救いは、単純なことではなく、途方もない祝福です。
(1) 創世記12:1-10 それ以後の答えと産業、子孫の答え : 悟ることもできないアブラハムを神様が呼ばれました。 (2)-(4) 三つの理論は全く合いません。アブラハムがどのように神と合意をしたのでしょうか? 行かないと言うのに、行けと言われました。事件がおきたので、結局行きました。世界を生かす歩みでした。社会を救い説で見れば、笑わせることです。なぜ家を出て行くのでしょうか?
(2) 出エジプト2:1-10とそれ以後 : モーセが生まれ育った過程です。モーセの意志とは全く関係ありません。ものすごいことです。世界を生かす事が含まれていたのです。
(3) 詩78:70-72 : ダビデの告白です。そのダビデが神様を信じたのは、全的な神様の恵みです。どのように、小さい子どもが福音を正確に悟れるのでしょうか?
(4) エペソ1:3-5 : 地の基を据える前に私たちを予定された、その予定を成し遂げられ、キリストを送られたのです。そこに選ばれたのです。賛美します。それが賛美です。それが賛美の定義です。この驚くべき事を賛美しました。それで、ひょっとして北朝鮮にも福音を伝えようと、宣教師がそこへ行くのです。理由があります。神様が選ばれた時刻表は、誰も知らないために行くのです。もし北朝鮮に制限された弟子がいれば探し出さなければなりません。もし万人救い説ならば、宣教師を派遣する必要がありません。社会救い説ならば、教会もある必要がありません。神人合意説が正しいならば永遠に同意できません。その意味が宣教です。その意味が伝道です。ものすごいのです。神様は人にだけ、そのようなのではありません。
2. 一時代は神様が選ばれ、神様が治められること(経綸)にともなう考えです.
時代も神様が選ばれます。一時、共産主義国に福音がたくさん宣べ伝えられました。神様が定められたのです。一時、ロシアが 90% 福音化されていました。ところが、共産主義の手先の役割をしました。徹底的に滅びるのも、理由になる程滅びました。私たちは、何を見つめなければならないのでしょうか?
(1) 福音がなくなる時代 : 時代、時代ごとに、このような時がありました。今がそのような時です。
(2) 教権、腐敗、不信の思想がおきる時代 : 不思議に、教会の権力は強くなるのに福音がなくなります。時代、時代ごとに反復することです。このような時は神様の主権の中で福音時代を開くのです。
(3) 神様の主権の中で起きる福音時代が教会史の核心内容です. : 歴史の流れです。いつでも福音がなくなって、教会権力、腐敗、不信思想があったあとで、福音時代を開かれるのです。
@ 予定(Predestination) : 神様が予定なれました。
A 摂理(Providence) : 神様が選ばれ、なさって、成し遂げて行かれるのです。
B 考え(Decree) : 神様がなされている今日の時刻表が考えです。
ここに座ったことが、すごいことなのです。神様が全てのものを成し遂げて行かれる摂理のなかで、キャンプをするのです。それが考えです。伝道者は、そのような意味で動かなければなりません。皆様が契約を聖書通り考えてみましょう。今、長老教ではタラッパンに賞を与えなければなりません。今、ホーリネス、メソジストドを長老教にしました。秘書室長もホーリネスでした。バプテスト教の牧師も引っ張ってきて、長老教にしました。私は長老教を主張するのではありません。長老教も違うことが多いのです。ヨハン・カルヴィンの理論を正しく継続していません。改革してきて、制度はカトリックの制度をそのまま持ってきたのです。総会で決定すれば従うべきだということが、カトリック理論です。なぜルターが死刑宣告を受けたのでしょうか? 総会で決定をしたので、‘君がなぜ偉そうにするのか?’ということです。その理論が、そのまま伝えられて来つつあります。それで、チュ・キチョル牧師も除名させたではないでしょうか? なぜ除名されたのでしょうか? 総会で神社参拝するようにしたのに‘君がなぜ偉そうにするのか?’です。正しい牧師ではない。それで除名です。チュ・キチョル牧師が除名されました。免職でなく、幸いにも除名されたのです。
総会でタラッパンに行くなと言うのになぜ行くのか? 総会の決議だと言います。私たちの総会決議なのに、なぜ行くのか? なんの間違いもなくても、決議をそのようにしたということです。それがカトリック思想です。牧師千名が決議しても、一名が違えば違うのが、改革教会です。改革教会は総会で決議しても、使い走りの人でも主張すれば違うです。ここに重要な産業人が会いました。
3. 3つのみわざが神様の大きいみこころを成し遂げて行く方法です.: 今と歴史を見ましょう
(1) 福音時代 : いつでも福音時代がくれば
(2) 伝道者出現 : 伝道者が出てきて
(3) 福音を持った産業人 : 重要な産業人が出てくるようになっています。例えば、マルティン・ルターが、福音を主張するので、そこに同意した産業人がいて、一斉に助けました。時代は全く同じく流れます。マルティン・ルターが福音を主張したから、神学者が同調したのです。代表的な人物がカルヴィンです。マルティン・ルターの理論が神学的に正しいと主張しました。そこに一斉に城主が立ち上がったのです。城主がルターの方向に手をあげました。それで、宗教改革が一挙に火がついたのです。強大だったカトリックが、相談しました。この時、イグナティウス・ロヨラが立ち上がったのです。神父です。その人が強く主張をしました。“マルティン・ルターの主張が正しい。悔い改めしなければ、みな死ぬ”と言いました。マルティン・ルターの主張が聖書的に正しいと言いました。 “私たちは聖書的にはずれた。悔い改めなければならない”と主張したのです。カトリック自体、改革がおきなければならないと言ったのです。こういう事が反復されながら起きるのです。集いの意味をおかなければならないか? 私はこういう意味がある。それな、集まる必要がありません。それならなぜ、全世界に産業人がおきなければならないと主張するのでしょうか? いつでも、神様の時代の内に入っていくのを見ればよいのです。教会、事業、政治もそうで、神様が願われる時代の内に入っていかなければなりません。この中で全てのものが回復するのです。あなたがたが、そのような産業人です。牧師たちは、そのような意味の伝道者です。私はこれに確信があって、自信があります。他の人が何かと話すけれど、この主のしもべは、普通に見えません。後ほど歴史が説明するでしょう。後ほど大きい答えがおきた後、再評価されるでしょう。それで、今、教会の世界で起きることが当然だと考えて、これが再評価されなければならないのです。レムナントが起きながら、より正確な運動がおきるのです。レムナントの中に、私たちより実力があるレムナントが起きなければなりません。学者の中に世界的な神学者が起きなければならないのです。それとともに、経済で一時代を動かす人が起きます。その時になって、再評価されるでしょう。タラッパン再評価、柳光洙再評価が出てくるのです。簡単に話せば、宗教改革がなって300年ぶりにカルヴィンを再評価するのです。カルヴィンは、すごいメッセージをしたのです。この話を聞いて、多くの殉教者が死を恐れなかったんのです。神様が選ばれて、責任を負われるので恐れる必要がないのです。評価が殆どされたのですが、のがしたことが多いのです。それなら、どのようになるのでしょうか? あなたがたの集いが普通のことではありません。あらゆる他の教団で、正しく目を覚ましている方達が話しました。統合側の重要な方が、全体の集いでそのような話をしたということです。‘タラッパンは、このように起きるはずだ。全世界に起きる理由がある。防止する前に、私達がまず気を引き締めなければならない。ある団体で調査して、通常なことでない’と言ったのです。よく見たのです。あなたがたが、とても重要な福音運動の中に入った人です。それなら、少しだけ調整すれば、相当な答えがくるはずです。簡単に話せば、それに合うように調整だけすれば、ものすごい答えがくるはずです。永遠な祝福があるのです。
- 要約 -
< 共同体と産業宣教(31) - 主にあって選ばれた者(ローマ16:13) >
1. 救いは選ばれた者の祝福です.
(1) 創世記12:1-10 それ以後の答えと産業、子孫の答え
(2) 出エジプト2:1-10とそれ以後
(3) 詩78:70-72
(4) エペソ1:3-5
2. 一時代は神様が選ばれ、神様が治められること(経綸)にともなう考えです.
(1) 福音がなくなる時代
(2) 教権、腐敗、不信思想がおきる時代
(3) 神様の主権の中で起きる福音時代が教会史の核心内容です.
@ 予定(Predestination)
A 摂理(Providence)
B 考え(Deree)
3. 3つのみわざが神様の大きいみこころを成し遂げて行く方法です.
(1) 福音時代
(2) 伝道者出現
(3) 福音を持った産業人
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