[2004年 11月 27日/ 産業宣教メッセージ / ソウルメイフィールドホテル / キム・ドンゴン牧師]


共同体と産業宣教(32)- 世界の基の置かれる前から備えられた人々
(ローマ16:25-27)

 
聖書みことば(ローマ16:25-27)
25/ 26/私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、
27/ 知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。
 
要約資料
 
1.なぜ世界の基の置かれる前から備えられたのか?
(1)創世記3:1
(2)黙示録12:1-9
(3)人格的存在
@人間
A天使
Bサタン
(4)救いを準備
(5)原始福音
@創世記3:15
A創世記6:14
B創世記12:1-9
 
2.パウロの悟り
(1)キリストの中にあらゆる祝福が備えられている(エペソ1;3)
(2)世界の基の置かれる前から選択(エペソ1:4)
(3) ただみこころのままに(エペソ1:5)
(4) 恵みの栄光が、ほめたたえられるため (エペソ1:6)
(5)賛美と感謝の意味(エペソ1:7-14)
@恵みの豊かさによる、御子の血による贖い(エペソ1:7)
A奥義、みこころによってキリストにあってあらかじめ立てられた神のご計画(エペソ1:9)
Bキリストにあって、天と地にあることが一つとなる(エペソ1;10)
Cその栄光がほめたたえられるように(エペソ1:12)
 
3.ローマ16:25-27
(1) 世々にわたって長い間隠されていたこと (ローマ16:24)
(2)ローマ16章の伝道者 産業人に現されたこと(ローマ16:26)
(3)福音の中にある祝福は、永遠に堅く立つ(ローマ16:26)
(4)永遠に栄光を帰す祝福を受ける伝道者(ローマ16:27)
(The end)
 
説明資料
 
・序論
▲‘私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。’(ローマ16:26-27)
▲私(キム・ドンゴン牧師)が、福音運動をしながら、イエスを信じながら感じたことが現場です。私たち牧会する牧師達がまけないくらい、産業人が霊的部分に立たなければならないという考えです。なぜなら、産業現場が手強いからです。むしろ私たち牧師は、信じる者中心に動くのですが、産業人は産業現場が、話にもなりません。どれくらいサタンが働いているか、不信仰が充満しています。今回、米国へ行って帰るのに、米国LAの牧師がおっしゃるのに、韓国の金がある人が米国に集まって、LAの地価が30-40%上がったということです。それとともに、危険な話をされました。今、変に政治の現象が、企業、産業人が思いきり産業できないように動いているそうです。多くの産業が海外にどんどん移転しています。これは単純な話ではありません。現在、私たち産業現場が深刻な現場に変わっています。牧会にまけないくらい、産業人が現場を変化させなければならないと考えています。
 
(1)福音- これからは、福音でなければなりません。福音でだけ、産業現場を回復できます。
▲それなら、福音を受けた産業人が備えられています。この時、神様が産業人を備えられました。柳牧師がそれで、メッセージの中で、本当に神様の時代的な要請で、私たちを召されたと言われました。私は牧師夫婦セミナーでメッセージを受けた時、衝撃を受けました。私達が福音を悟ったのではなく、福音がなく崩れる時、神様が私たちを要請して呼ばれたのです。結局、崩れる産業現場に、私たち産業人が一人、一人立てられなければならないのです。私も牧師です。教会の牧会をしながら‘聖徒、一般信徒で事業する人々の信仰を見ながら、本当に難しいのではないか?’と考えました。
▲女の聖徒は、教会の霊的な雰囲気の中で、礼拝も参加して、みことば訓練も良くしていますが、産業人がより難しいのではないでしょうか? より深刻な現場で仕事をしているのに、難しくないでしょうか? 事業する人々をチェックしてみたら、あの程度の信仰で現場に生き残ることができるのか? という気がします。牧師の次元で感じるのです。
それでも、教会で福音を早く悟って、福音の重要性と時代的な重要性を知って呼ばれたので、あなたがたが重要です。私達が今は、福音に会ったから、事業を一度してみようというのではありません。私が柳牧師に会って、正しく福音を知って私自身を考えました。本当に神様と方向を合せて伝道すれば、神様が祝福されるのではないか? と考えています。しかし、それ以前に私の信仰の問題がありました。一時代に用いられたパウロのように、先に事実的な答えを受けた柳牧師を見ながら、私自身を見れば要員だと考えました。違ったことは訓練できても、福音方向には、根があまりにも弱いことを悟ったのです。
▲それで、福音を聞きながら、聞くほど感じたことがあります。私が柳牧師の訓練の中に入っていって、戦略も悟っても、私に急ぐことは福音です。私が神様に会って、恵みの中に入っていって、一番難しくいことが、環境に勝つことができなかったのです。職場生活で、未信者と一緒に生活して、彼らと共に交流することができなかったのです。一言で交流すれば、不信仰に陥って対策がなかったのです。それを越えようと、祈りを多くして、聖書を見て、主を見上げても、自分自身が倒れるのを見たのです。私が柳牧師の福音を聞きながら、私に試みが来るしかなくて倒れるしかない霊的な問題、傷、体質があるのを見ました。既に年齢が硬い時で、硬かったし、年齢50才なので、解決することは福音しかないではないでしょうか? 福音を聞くなかで、驚くべき変化が起きたのです。
▲福音を聞きながら、福音が全部だということです。キリストが全部で、主が全てのものだということです。福音を聞きながら、私の心に悟ったのは、事実だなということを悟りました。福音を聞きながら、自分自身が福音の中に立てられるのを見たのです。それとともに、私の霊的な生活で自分自身が変わることを見ました。そうしたあと、どんどん福音が聞きたくて、福音を聞くことが日課の中の一番の順位になりました。ところが、驚くべき事実は、福音の中に入っていくほど、生活と霊的なことが便利になるのを見たのです。事業する前に、自分の霊的な生活ができなければならないでしょう? 私は飛行機に乗るのが良いという気がしました。今回は、14時間行くのに、5時間テープを聞きました。不思議に飛行機に乗れば、テープを聞きたくなります。それを聞く理由の中のひとつは、福音を聞けば、難しいというより‘幸せだ。感謝する’という気がするのです。特に、産業人を見て、事業する人々を見ながら、たくさん崩れて困難にあう人々が私たちの教会にきています。たぶん、他の見方をすれば‘私はだめだ。事業ができない’となって、極限に陥る人々がいます。これは勇気を出してがんばってではなく、福音で癒されなければなりません。私たちの水準でなく、私達が本当に祈って、神様の恵みの中で、全てのものを越えることができなければならないのです。こういう部分にたくさんだまされました。福音の中の祈りでなく、祈る時、恵みを受ける祈りを多くしたのです。
 
(2)祈り- ところが不思議なことに、恵みを受ければみな越えるのに、また崩れる自分の霊的生活を見たのです。福音をたくさん聞いたら、福音の中で福音の根をおろすので、以前のようにがんばるのではなく、祈りができていく祝福を感じるようになりました。他の見方をすれば、福音の中で祈りになって、不信仰が崩されれば、祈りができるのです。
 
(3)伝道- それでこそ、産業現場、ジャーナリズム現場を越えることができます。私たち自身だけが生き残るのではなく、変えなければなりません。今は私達がいる産業現場、不信仰の現場を変えるべきです。ジャーナリズムの現場を変えるべきなのです。
 
▲柳牧師に会って、この三つのことを悟ったのでした。
▲私がいままで13年間、福音を粘り強く多く聞いてきました。不思議なことは、聞くほどもっと聞かなければなりません。ところが、福音を聞くほど、祈りが楽になって、祈りに対して味わうようになります。この二つのことだけでもできれば、現場が恐ろしくありません。この二つのことができれば、神様が伝道の門をあけてくださいます。現場が見えるのです。幸いに、私たちは訓練の中に入っていっています。それで、私たちは一時代に備えられた者、要請を受けた者であることを信じます。
 
1.なぜ世界の基の置かれる前から備えられたのか?
▲創造する前に神様が福音をまず備えられました。
(1)創世記3:1 他の存在があったということです。アダム以前に霊的な存在があったということです。結局は、この存在がどのようにして落ちたのでしょうか?
(2)黙示録12:1-9 この事件を見ましょう。過去のへび、悪魔、サタンが存在したということです。ところが、神様はご存知でした。
(3)人格的存在- 神様が人間を人格的な存在でお作りになりました。天使を人格的な存在で作られたのです。人間は人格的な存在で、善悪を知る木の実を食べることもできて、食べなくてもよかったのです。本人が選択できました。天使が堕落して怖い存在になったのです。私たちは、ここで神様は、既にご存知であったということです。それで、神様は救いを準備されたのでした。
@人間 A天使 Bサタン
(4)救い準備
(5)原始福音
@創世記3:15 アダムが堕落した時、直ちに福音を下さいました。アダムはサタンにだまされて、食べるなと言われた善悪を知る木の実を食べました。神様がエデンで‘アダムよ。どこにいるのか’と言われました。アダムがどこにいているかご存じではなかったのでしょうか? 神様は霊的な存在なので、どこにいるのかご存じではなかったのでしょうか? 今どこにいるのか? アダムが契約の中で味わわなければならないのに、どこにいるのかと言われたのです。アダムは、すでに善悪を知る木の実を食べて、神様を離れたということを知っておられました。神様が直接、探して福音を言われたのです。女の子孫、回復の契約を下さいました。契約をのがすので、人間ではありません。この土地の人間は、霊的に見れば死者です。それで神様は、創世記3章に契約をのがしたアダムを訪ねて、回復の契約を下さったのです。この契約が全部です。この契約が全てのものなのです。私たち人間が神様を離れて問題が生まれたとするなら、神様に会えば終わります。神様に会って、新しいようにするということでなく、神様に会えば全てのものが回復します。福音を聞くほど感じたのです。神様を離れて問題が生まれたので、女の子孫、福音に会えば、問題が終わるのです。だまされるのです。インマヌエル、神様が共におられるのに、私たちはだまされるのです。まだ経済の問題があって、私たちの病気の問題、家庭問題等、問題がたくさんあります。私が神様に会って恵みを受けたのに、恵みの中に入っていくと、問題になる必要がありません。ところが、私が信仰が落ちて、試みにあうと、全てのものが問題になるのです。女の子孫、キリストが私たちのすべての問題の解決者であることを信じるように願います。
A創世記6:14 ネフィリム時代がきた時、箱舟運動をしなさいと言われました。
B創世記12:1-9 アブラハムがカルデヤのウルから出てくる時、神様がアブラハムを呼び出すやいなや、あなたは祝福の源だと言われました。わたしが示す地、カナンに行けば、別の言い方をすれば、いらっしゃるイエス・キリストを信じれば、祝福の源になるはずだと言われました。私はこれがアブラハムにだけ該当すると思っていました。私がずっと福音を、聞きながらアブラハムだけ話されたのではなく、私たちにも話されているのです。だれがアブラハムの子孫でしょうか? なぜこの子孫を強調するのでしょうか? アブラハムの祝福を受けるためです。私たちもこの契約の中で祝福の源であることを信じます。アブラハムゆえに、世界中の人々が祝福を受けるならば、私たちゆえに祝福を受けるのです。神様の子どもになった身分が重要です。神様の相続人です。神様のものを相続した者なのです。この意味の祝福に対しては、より濃密です。神様が本当にイエスを信じれば、条件なくあなたを祝福するということです。この産業人が祝福に敏感です。なぜなら、目に見えるお金が入ってくるためです。私たちは大部分‘私が神様の前に中心が無くて、正しく十一献金もできなく、私は神様に熱心にできない’と話します。正しいのですが、違います。私たちは、イエスを信じれば、なんの条件もなく、祝福を受けるようになるのです。創世記1:27 神様のかたちに造られて祝福を受けたのです。私達が証人だということは何でしょうか? 神様の祝福を受けた神様のかたち、神様の子どもになった身分に対して、神様が必ず祝福して、証人として行くのです。神様がこの福音を悟った者を備えられたのですが、神様がこの福音を世界の基の置かれる前から備えられていたことを見るのです。
 
2.パウロの悟り
▲この福音の中にきて、パウロをまた考えましょう。本当にこの福音に対して最高の価値を悟ったのです。
(1)キリストの中にすべての祝福が備えられている(エペソ1;3)- すべての祝福が備えられていると言いました。
(2) 世界の基の置かれる前から選択(エペソ1:4)- 私たちは選ばれたことを信じます。若い牧師、産業人が早く福音の根がおろされなければなりません。レムナントを見る時に、彼らに挑戦を与えることができる人々は、産業人です。まず福音を受けた産業人が、実際に行く現場の先輩なので、こういう部分に先立たなければ、レムナントが、これから難しくないでしょうか?
(3) ただみこころのままに(エペソ1:5)- 神様が私たちを定められました。柳牧師が牧師セミナーで‘私はこういう存在だ。私がこういうことをできる人間ではない。ところが、私がこの時代の要請を受けた’と言われました。そのような時に、私も受けたんだなあと考えました。福音がなく崩れる産業現場のために、産業人を世界の基の置かれる前に選ばれて、備えられたのです。みこことのままにです。
(4) 恵みの栄光が、ほめたたえられるため(エペソ1:6)- 恵みと栄光を賛美するためです。
(5)賛美と感謝の意味(エペソ1:7-14)- 柳牧師の中で訓練を受けながら感じることが、この部分です。私も現場でだいぶたくさん揺れました。聖徒が祈って力を得れば良いのにと考えました。教役者が霊的に落ちる時、難しいと考えました。今はそうではありません。神様がこの時代に真の伝道者を備えられたのです。なぜ感謝しているのでしょうか? イエスの血、あがないの血の感謝です。最高の感謝です。これはすごく驚くべきことです。私は群衆を見ながら‘あの人々は、何をしているのか?’と考えます。とても忙しく苦闘しているのです。全く知らずにいます。分かるすべがありません。カルヴィンが話したように、未信者は全的堕落、神様と来世に対して知らないのです。人間がなぜ不幸かも知りません。環境のせいだけにします。生まれ変わらないと天国を見ることも、行くこともできないのです。イエスの血で救われる時、この世でなく天国の背景があります。
@恵みの豊かさによる、御子の血による贖い(エペソ1:7)
A奥義、みこころによってキリストにあってあらかじめ立てられた神のご計画(エペソ1:9)
▲柳牧師を見ながら、レムナント、産業人の聖徒がおきるのを見ながら、こういうことがあるのか? と考えます。これは誰かがブームを起こしたのではなく、彼ら自ら福音の中に入るのを見たのです。
Bキリストにあって、天と地にあることが一つとなる(エペソ1;10)- 一つとなるようにして感謝します。
Cその栄光がほめたたえられるように(エペソ1:12) - 皆様が神様をほめたたえることを信じます。福音の中に入っていきながら、またパウロを見ました。牧師の中の牧師です。私も他のことがちりあくたになることができるのか? できるでしょう? 私がその時、カナダに行って帰る途中で1時間、柳牧師とお茶一杯を共にしました。その時、牧師に笑いながらそのような話をしました。私は、おかしな考えが浮び上がると言いました。私が来年になると64才です。私が柳牧師を14年間追いかけてきました。私の考えで、あと16年は訓練の中に入っていってみたいと言いました。すると80才になったら、本ゲームに入っていくのです。どんなに見ても50才以上は難しいのに、30年は福音と伝道の中に立てられなければならないではないか? すこしできるからと良いのではありません。すこし答えがなるから、教会が復興したから、なったのではありません。私は教会の建物を大きく建てることも惑っていました。まずすべての教役者、聖徒が福音の中に根をおろさないで、人々が集まった時、また崩れます。神様がアブラハムにはっきりとみことばを下さっても、崩れました。他の見方をすれば、モーセは用いられる前に、80年間、福音の中に入っていったのです。カレブとヨシュアは、確実な伝道者モーセのそばで、40年訓練を受けました。これは単純なことではなくて、ここで完全に味わうことができなければ、行く時、また崩れます。神様がパウロに、パウロを通じて世界の基が据えられる前に備えられた福音が、パウロの胸に根をおろしたことが、ここまできたのです。すると、パウロの後に時代的な要請の中で神様が柳牧師と私たちを呼ばれたのならば、私達が主が来られる時まで、この福音がかたくならなければならないのです。人々は急ぎます。私はよく知っています。神様を知らなくて崩れたのですが、神様を知って、一度もうけてやろう、そのようなことをたくさん見ました。16年の訓練は、私の下の教役者のためです。信徒がこれほどになれば良いと考えれば、私たちの教会は停滞します。しかし、私は本当に心がどのように若くなるかというと、16年間訓練された自分自身が仕上げではなく、開始にすぎないことを知る時、心がより若くなるのです。私はできないのですが、福音はできます。問題はこれです。
 
3.ローマ16:25-27
(1) 世々にわたって長い間隠されていたこと(ローマ16:24)- 神様がこのことのために、この時代に産業人とジャーナリストを神様が備えられました。すなわち、別の言い方をすれば、伝道者と産業人を備えられたという話です。世々にわたって長い間隠されていたこの秘密をあらわすためです。純粋な福音の内に入っていく理由があります。それでこそ、私の命、牧会も終わりになります。私たちの教会に世界から訓練を受けにくる人々を見ながら感じたのです。教会に敷かれた霊的な流れを見られなくて、システムを見て、伝道キャンプになるのを見るかと思うと、残念です。
(2)ローマ16章の伝道者と産業人に現されたこと(ローマ16:26)- この産業人に現れた事実です。他の見方をすれば、牧師は牧会の専門家ですが、現場で福音を表す人々が産業人であることを信じます。ジャーナリストは、言うまでもありません。
(3)福音の中にある祝福は永遠に堅く立つ(ローマ16:26)
(4)永遠に栄光を帰す祝福を受ける伝道者(ローマ16:27)
▲柳牧師を横から見ながら、他の見方をすれば急なこともあります。早く異端の声を聞かない牧師、産業人、レムナントが立てられることを願う心があります。しかし、神様が時代的な要請の中で、私たちを備えられたとするなら、私たちはまちがいなく勝利するはずです。他の見方をすれば、私たちは祝福を受ける伝道者で呼ばれました。今回も感じたのですが、世界の多くの人々が福音を聞くけれど、一番福音をたくさん聞く人々が、私たち韓国です。福音を多く聞いた産業人、ジャーナリストがどんどん世界に行ってあげなければなりません。今はまず福音を受けて、立てられた人々が影響を与える時、相当な影響があります。ミン・ビョンワン牧師が米国にチームの働きに行くので聞きました。霊的な部分に事実的な部分を助けてくれと言いました。私が神様に会った時、祈ったと言いました。恵みの中に入っていけば、祈らざるをえません。霊的な生活の全部だということができます。それでお願いをしました。‘祈りが全部でなく、福音が全部です。福音の中で正しく根をおろしてこそ、祈りが正しくできるのです’それで、私たちは、この福音は世界の基が据えられる前に備えられたことを深く知っていなければなりません。本当に一時代、パウロに世界の基が据えられる前に福音が深く悟れたということです。パウロひとりを通じて根をおろしたこの福音が、この時代に私たちに要請なさったことを信じます。私はすこしなにか福音、訓練の中にいながら、柳牧師、パウロが深く悟った福音に、どの程度まで行くことができるかといいながら笑います。そのようになりながら、私たちの教会の教役者に福音が適用されるのです。私たち産業人に福音が適用されることを信じます。大型教会ゆえに世界福音化になるのでなく、教役者ひとりひとりが重要です。最も鋭敏なことは、私自身です。私一人いても、完壁な福音を味わうことができるのでしょうか? どんな環境、境遇がきても、越えることができるのでしょうか? そのような私を通じて、偉大な福音がどこへ行くのでしょうか? 神様を通じて、時代的な要請を受けて、備えられたことを知りました。既に事業のジャーナリストにも備えられた時代的なことがあると信じます。