[2005年4月30日/ソウル産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(51) -産業宣教と世界宣教
(使徒2:10,使徒18:1-4,使徒18:24-28,ローマ16:3-5)


@序論:使徒2:10は世界宣教の開始でした。使徒18章は、そこで実を得た人々が現れる結果です。また、18:24-28は、その人々の働きの内容です。ローマ6:3-5は、世界宣教の結論だと話せます。ところで、注意すべきことが一つあります。
* 神様のみこころ-答え:神様のみこころに合えば、目に見えない答えがたくさん来ます。これが、私たちが受ける答え、目に見えなく受ける答えが、事実は、さらに重要です。
* 神様のみこころに合わなければ-失敗:神様のみこころを知らなければ、目に見えない失敗が続きます。大部分の人々は、目に見えなければわからないのです。目に見えることだけを計算します。私たちが正しく働きをしようとするなら、目に見えないことを、さらに見るべきです。
* 宣教-支出:宣教は、目に見えることを基準ですれば、支出するように見えます。ここで、普通の人々が大きい損をするのです。宣教は収入です。目に見えない、すばらしい収入です。目に見えないことを見ることができなければなりません。私たちが、肉体的に考えてみましょう。民主主義の代表は米国でした。共産主義の代表はソ連でした。米国は支出をよくしたのです。各国に軍人を派遣して、文化を派遣しました。ソ連は、そのようにしないで、自分の国中心に集中させたのです。米国は、韓国にも、一年に何千億ウォンずつお金を投資して、軍人を派遣しました。自然に、目に見えないことが行われるのですが、米国の武器が各世界で売れています。実際に、支出より収入がはるかに大きいのです。もし米国が武器を打ち切れば、韓国は直ちに大変なことになります。人を派遣するように見えますが、各国の文化を全部、キャッチしているのです。そこに情報を全部キャッチしているのです。朴正煕大統領が死んだのを米国が最も早く知ったということです。また金大中(キム・デジュン)氏が拉致されたのを、一番最初に知って連絡したということです。後進国のようなところは、その国の書記をみな取りまとめるのです。愚かなことにソ連は、自国に集中させようとしたがやられてしまったのです。それは肉体的に見てもそうだということです。私たちは宣教する時、神様の大きい答えが来ます。
* 答え:真の宣教をすれば、答えがくるようになっています。ここで私たちが考えるのは、宣教師ひとりが、大使より役割が大きいということです。このように見る時、初期の頃から産業宣教は、世界宣教と関連していました。

1.使徒2:10 (世界宣教で開始):世界宣教の開始と言えます。
(1)多民族宣教
(2)聖霊充満
(3)ローマ
▲ここで重要なのが何かというと、福音の真の味を知った人が広がったことです。
diaspora福音の真の味を知った人達でした。分かってみれば普通の事件ではありません。親しい人が集まったり、散ったり、利益を見るために集まって散ったのと、真の福音を知って集まって散ったのは違うのです。

2.使徒18:1-4(世界宣教の方向):そうするうちに使徒18章プリスカとパウロの出会いは、世界宣教の方向でした。
(1)ローマからコリントに:恵みを受けてローマに行った人がコリントにきたのです。コリントに到着したパウロと会うことがなされたのです。
(2)出会いの祝福
(3)産業の祝福
▲ここで産業宣教もより大きくなりました。パウロがローマ市民権者で、プリスカ夫婦もローマをよく知っていました。アクラの事業が、ローマでお金を最もよく儲けられる事業でした。ローマ全世界に基地をたてて、建築資金を集めたのです。建築というのは天幕でしたが、すばらしいことをしたのです。ここで重要なのは、その事件が重要なのではなく、福音の真の味を知った人が重要なのです。

3.使徒18:24-28(世界宣教の内容):プリスカ夫婦が宣教の働きをした内容が出てきます。
(1)一般信者のモデル:人々を教えたことでなく、証ししたのです。その日、アポロに使徒2:10を確かに証ししたのです。
(2)証し:使徒2:10を証ししました。
アポロは、マルコのタラッパンに出席していなかった人です。その話を聞いて、アポロがどれくらい熱くなってどれくらい力になったでしょうか….アポロは知識が多くて、それを置いて祈ったので、みわざが起きてユダヤ人に勝ったということです。そして、ローマ16章の働き人を紹介します。
(3)使徒18:27-28

4.ローマ16:3-5(多民族宣教):ここで多民族宣教が始まりました。ローマを福音化するのは、多民族宣教です。
(1)ローマに向かったビジョン
(2)パウロのための同労者:パウロの同労者がローマ書にみな出てきます。彼らが多民族宣教の主役です。
(3)多民族宣教の主役
▲今回、ワシントンで一般集会をして、その地域の現地人だけ集まった集会を別にしたのです。とても良かったです。それで直ちに戻って、イエウォン教会の核心で順次通訳を始めたのです。この多民族宣教というのは、福音の真の味を知った人の結果です。こういう重要なことがなされていくのです。今日おりしもジャーナリズムの人たちが集まっていますが、多民族宣教の核がジャーナリズムでした。パウロの当時には、ジャーナリズムが文書でした。もし、これがなかったとすれば多民族宣教は不可能でした。私たちも、これから多民族宣教では、ジャーナリズムが主導するのです。共同体訓練場を正しく作って、全部、放送、ジャーナリズム側で力を集めなければなりません。私たちは、最も緊急なのは、共同体訓練場を作れば、個教会が祝福されるでしょう。次の聖日は、子どもの聖日ですが、強調するように望みます。私は、説教を準備していますが‘子どもの聖日はレムナントの聖日’と語るつもりです。さらに重要なのは、地球上にレムナントたちに正しく伝道訓練する所がないから、するというなら、神様が祝福されるでしょう。レムナント共同体訓練場は、世界的な挑戦です。3つのことをしようとしています。レムナント達がきて、聞かなければなりません。見せなければならないのです。そしてレムナントを体験させなければなりません。その3つです。見聞きして体験できなければ、勝つことができません。そのような場を作りましょう。私たちが、数百億を使って、演劇、映画も作って、劇場も作って、何か宣教に対して見せなければならないのです。これぐらいジャーナリズムが文化と関係あるのです。その当時には、文章しかなかったのですが、パウロをなぜ呼ばれたのでしょうか? 文章を一番よく書いた人でした。あとの人は、パウロのように書いたのですが、ペテロの手紙からヤコボ、ヨハネ1,2,3の手紙のようなものは律法がついています。ペテロの手紙は、律法だらけです。パウロの書簡14個は、誤解されるほど、福音です。ですから、ペテロ派が、パウロに律法破壊者ではないかと非難しました。パウロは、率直に律法が必要ないとまで話したのです。その証拠を出したのがパウロの書簡です。ヨハネも同じように書いたのですが、個人の文書で、パウロの文書が本当の文書です。それで、今までパウロ神学、パウロ書簡を重く見るのです。その時、もし、パウロがローマへの文章、ヘブライ語を知らなかったとするなら大変です。その時、もしジャーナリズムがなかったとすれば、大きい打撃でした。神様が、この人を適切に用いられたのです。それで、私たちのジャーナリストが恵みを受けるのは、目に見えなく影響を与えるのです。ジャーナリストが、どんな人かということよって、文章の色が変わるのです。
▲パク・ジュヨンがゴールを入れた後、新聞を見ましたか?私が見るには、まちがいなく、その記事を書いた記者はクリスチャンです。ジュヨンがボールを蹴って、セレモニーをして服をあげて、中に着ているものを見せました。そこに幼虫の絵が描いてありました。そして'Jesus is the Christ'と書いてありました。それで、記者自ら見て、幼虫がどこから出てきたのか? と考えたのです。人々の関心が多いのですが、幼虫は何か? 記者がパク・ジュヨン選手が‘主がキリストという字を書いた’と話しながら‘彼自身’が信じるイエス様を説明したと話さないで‘主の中’で育つ幼虫のようだという意味ではないのか? とこのように書いていました。記者たちがパク・ジュヨンに尋ねたら‘格別なことではない。秘密だ’と話したということです。自ら解釈しても良いと言いました。幼虫は、レムナント集会での、絵を描く大会に出てきたのです。それを謙虚に自分を比喩して描いたものです。その下に'Jesus is the Christ'と書いていたのですが、それほどの世界宣教はありません。パク・ジュヨンは、私たちが見てもとても素晴らしいのです。大田(テジョン)チームと戦ったのを見たでしょう。そのようなテクニックがどこから出てくるのでしょうか? 三人が防御するのをすりぬけて、無人の境を作って、ボールを蹴って入れたということです。そして、新聞を見たら、パク・ジュヨンは‘技術力、パワー、スピード’をみなそろえた選手だと言われていました。本当に、パク・ジュヨン選手には、キリストがおられます。パク・ジュヨンに電話してみなさい。歌もキリストの歌です。歌も‘キリストは私の主人で、私はキリストの使徒です’こういうような歌がぱっと出てきます。私に服をプレゼントしてくれましたが‘ナンバー10 'Jesus is the Christ'と書いてあります。外に出すビラにも'Jesus is the Christ'と書いてあります。キリストの名前でということですから、その子は普通の子どもではありません。サッカーの歴史に残る人物です。それで、世界サッカー史に残る人物になりなさいと言いました。可能です。とても頭が良くて本来、誠実です。小学校3年の時からボールを蹴って、核心を一度も欠かさず出席しました。ここで重要なのが、福音の真の味を知った人の開始です。福音の真の味を知った人の出会いです。福音の真の味を知った人の証しです。結果です。ここで重要な答えを出さなければなりません。
@福音の真の味とは何でしょうか? 絶対的に四つになってこそ、福音の真の味を知っていると言えるのです。
(1)内容:福音を聞いたら、完全に解答が出た。
(2)祈り:福音のなかで祈るから本当に幸せだ。
(3)みことば:福音のなかでみことばを受けるのに、成就する。
(4)仕事:福音のなかで仕事をするのに、私が成功する。
▲この四つが福音の真の味を知ることです。このようにならない以上、いくら教会を移して通っても、いくら良い牧師に会っても、解決しません。
(1)に対する真の味がないので、他のものを探さなければならないのです。それで‘主の働きをしよう’それはみな言い訳です。この味を知らなくては、のどが渇くのです。それでは、その次に第2,3の問題はずっとくるのです。ここで牧師がすることがあります。教会の大部分が真の味を知らなくて育った人々が多いのです。そのような役員などが多いのです。そのような方達は、これを聞く時、間違いないですかといえば‘アーメン’と言います。しかし、これが体質と合わないのです。礼拝の時、役員会の時、また現場に行くと違います。それでは、そこから出てくる葛藤は小さい葛藤ではありません。それでは、正確に役員会になるでしょうか? 弟子になることができるでしょうか? なれません。牧師は、忍耐を持って継続しなければならないのです。牧師の大きい危機がどこにあるかというと、聖徒の‘体質’を満たす牧師は失敗するのです。これはとても鋭敏な言葉です。必ず答が出なかった人は、困難が必ずくるようになります。どのようにするのでしょうか? この方達は体質が合いません。それで、体質に合うように、後から手助けしなければならないのです。気分が悪いことがあっても、耐えて手助けして、ずっと手助けしなければならないのです。私はそれが牧会だと思います。相手が理解できなければ、手助けしなければなりません。ある日、わかるようになります。これが牧会の成功です。
▲米国に行ったら、最後の講義にミン・ビョンワン牧師が司会しに出てきました。ミン牧師が‘柳先生に一言、言いたい’と話しました。最初には‘柳先生は、自分の身長が標準だというのに理解できない’と言いました。二番目‘イエスがキリストとしばしば言い張る’と言いました。そして‘福音を持てばそれで良い’と言い張ると言いました。その3つのことを言い続けるのに、自分はだめだったと話したのです。‘福音ならばそれで良い。イエスがキリストだ’というのに、自分はだめだったということです。それでも、柳先生がずっと言い続けたということです。ところが、時間が過ぎながら、自分も言い続けるようになっていたそうです。自分も‘イエスがキリスト,福音ならば良い’とそして、そのとおりだとなったそうです。そのようなある日、自分にできていくことが始まったということです。柳先生がなぜ言い続けるのかが分かったということです。それでも、一つは理解できないと言いました。柳先生が、身長は標準だということは理解できないということでした。序論を一度、笑わせました。なぜ私が言い続けるのでしょうか? 言い続けなければ、ミン博士が変わるでしょうか? 皆さんの体質が変わるでしょうか? 牧会は言い続けることです。‘イエスがキリスト’と言い続けなければなりません。‘福音ならばできる’と言い続けなければならないのです。‘失敗しても、福音ならば良い’と言い続けなければならないのです。そうだな。私たちは弱いが、神様がなさるということが出てきてこそ‘ただイエス’です。私は不可能ですが、できるというのが‘ただイエス’です。初代教会は、こういう人々の集いでした。分かるでしょうか? タラッパンは、唯一この話をしようと集まった団体です。私たちが、この程度話せば、牧師がきて聞いても理解できないのです。あまりにも体質のとおりするからです。そして、私たちは私たちの体質と私たちの性格が残っています。これは、小さいことではありません。この性格は運命を左右します。こういうくやしいことがどこにあるのでしょうか? キリストの十字架の唯一性を味わうことができなければ、くやしいのです。それで、大部分の人々が体質、性格があるのです。
(1)四つのことを持って、私たちの体質が崩れる時、成功するようになります。
それでパウロが‘私はキリストの中で死んだ’と言ったのです。その程度でなく、毎日、死ぬと言いました。私の中にキリストが生きておられる。生きているのはキリストのなかで生きるのだ。こうすれば、事業も不思議に成功します。プリスカ・アクラ夫婦は、ローマから追い出されたのですが、それで事業に成功したのです。パウロに会ったので情報が多いのです。ローマの中にいた人々の半分が市民権がないのに、パウロはローマの外でもローマ市民権を持っていました。彼らはビジネスで会ったのですが、プリスカ夫婦がキリスト信じていたのです。それで成功したのです。牧会していれば、役員などが、性格のとおり牧師についてきます。それを一つ一つ解きほぐすようにさせるべきで、受け入れてはいけません。牧師によく仕えるのも、体質のために仕えることもあります。聖書をもって助けなければ、いつかは問題がきます。それで、牧師のすることは、こういう体質でついてくるのを知って、手助けしなければならないのです。(1)を分かるように助けなければならないのです。今日、世界の牧師が、お金一銭与えれば喜びます。ネクタイ何百個も持っていながら、一つをもらえば喜びます。これは、福音を大きくしないで、体質を大きくするのです。そうなれば、失敗します。(1)になってこそ、信徒が生かされるのです。そうでなければ、問題を起こして、止めたりほろびて止めるのです。それで、牧師が霊的な目が開かれなければなりません。もちろん、牧師も完ぺきではありません。しかし、それを分かれば、ある程度、生かせます。ひとまず牧師が(1)に対して、体質になるべきなのに、自らの体質のとおりすれば良いようでだめで、なるようしながらだめになります。それでは、世界産業宣教が、どのようになされていくでしょうか? 牧師の組織を強化しろということは、世界産業宣教が福音の真の味を知った人たちが、一つ一つ出て行かなければならないのです。門が開くのも、無理しないで開かれて、無理しなく閉じることもあります。経済を祝福しているのに、不思議に歴史が変わるのです。皆さんの子どもたちが祝福を受けるのに、背景の雰囲気から変わるのです。神様の働きというものは、目に見えなく、途方もなく働きます。それで、私たちの産業人、そして、ジャーナリズム、牧師が、どれくらい重要でしょうか? それで、本当に分かれば問題が迫ってくれば、安らかになります。‘そうだったね’といいながら、より一層(1)に集中するのです。死が迫ってくれば、すぐ答がきます。‘私がこのことのために殉教するのがみこころだ。うれしい’と言います。それで、初代教会の人々が殉教したのです。もし、それにならなければ、怖くなってくるのです。イスカリオテのユダは、(1)がだめだから、あらかじめ頭を使ったのです。完全に(1)がならないでいて、他の弟子らもぶるぶる震えて逃げたのです。違いは、逃げた弟子達は、頭が悪くて、イスカリオテのユダは頭が良かったのです。大勢を調べてみて、あらかじめ頭を使ったのです。ペテロは、捕えられる日まで知らなかったのです。イエス様について行って、死ぬのを見て逃げました。私は、私たちのタラッパンができた理由を重く見ています。皆さんが存在する理由は、とても重要だと見ています。個人的に、世界教会は福音がないと思います。そのような意味で、キリスト教は難しくなっているのです。この時、神様が私たちの団体を呼ばれたのです。私たちは、なるしかないのです。それで、気がつかない人は、神学院もこちらに行って、あちらに行ったりします。いくらできない講師がしても、かまわないようになっているのです。私たちの団体を許された神様が、そのようにされるのです。契約をとらえて、今からでも始めれば、成功します。産業人、ジャーナリストが、本当に成功することを希望します。

-要約-
<共同体と産業宣教(51) -産業宣教と世界宣教(使徒2:10,使徒18:1-4.使徒18:24-28,ローマ16:3-5)>
1.使徒2:10 (世界宣教で開始)
(1)多民族宣教
(2)聖霊充満
(3)ローマ
2.使徒18:1-4(世界宣教の方向)
(1)ローマからコリントに
(2)出会いの祝福
(3)産業の祝福
3.使徒18:24-28(世界宣教の内容)
(1)一般信者のモデル
(2)証し
(3)使徒18:27-28
4.ローマ16:3-5(多民族宣教)
(1)ローマに向かったビジョン
(2)パウロのゆえの同労者
(3)多民族宣教の主役