[ 2005.09.24./ソウル産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(71)-聖書に現れた弟子の祈り
(Iテサロニケ1:3-5)


要約資料
1.真の福音と真の伝道に向かった祈り-命をかける使命
(1)使徒1:12-14  (2)使徒4:1-12  (3)使徒7:54-60
(4)使徒11:19-30  (5)使徒12:1-25  (6)使徒17:6  (7)使徒27:24
2.いのちをかける弟子にくださった答え
(1)神様の真の希望をくださいます。
①マタイ28:16-20   ②使徒27:24   ③エペソ1:3-19
(2)神様の導きと計画を分かるようにします。
①使徒16:6-10   ②使徒18:1-4   ③使徒19:21
(3)成就するみことばをくださいます。
①使徒2:14-21   ②使徒9:15
(4)現場に隠された弟子に会うようにされます。
①使徒14:18-22  ②使徒16:15  ③使徒17:6  
④使徒18:1-4  ⑤使徒19:8-10  ⑥使徒28:30-31
(5)神様の真の力を供給してくださいます。
①使徒1:8  ②ヨハネ1:12
3.弟子に現れた答え
(1)使徒2:1-47  (2)使徒11:19-30  (3)Iテサロニケ1:3-5
(The end)

説明資料

・序論
▲テサロニケ教会がどのように働きを起こしたのでしょうか? Iテサロニケ1:3節を見れば‘絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。’と言われています。特に5節には‘なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています’
▲私たちは今日、ジャーナリストの集いをしています。この前に放送を見たら、学生たちに直接尋ねていました。学生たちが共通に答えたのですが、ほとんど100%が似た返事をしていました。実際に放送から出る青少年プログラムが自分たちとは全く合わないと言っていました。インタビューを何人かしたのですが、学生たちが直接そのように言っていました。私たちは勉強に苦しめられているのに、主人公は勉強と全く関係がない人生を描いているので、夢であって、自分とは関係がないということでした。もちろん作品であるから、そのようなことがあるでしょう。パウロはこういう話をしました。何も心配せずに祈りなさい。それでは、全能な神様があなたの心と考えを守られるだろうと言いました。
▲特にジャーナリストは、目に見えないように人々の考え方に影響をおよぼします。作品を作るのですが、事実は考え方を変えてあげなければなりません。そして、思想を変えてあげなければならないのです。もう少し深く入れば、これが使命です。こういう重要な使命がジャーナリストにはあります。人々の多くの考え方を変えてくれるのがジャーナリズムの使命です。もう少し進んで思想を改造させるのがジャーナリストの使命です。人々に使命を植えるのもジャーナリズムの使命です。他の見方をすれば、教会よりジャーナリズムがこの使命がより大きいのです。こういう概念がより大きいのです。そのような面で見る時、キリスト教ジャーナリストは、祈りながら実力をそろえなければなりません。はっきり調べれば、ジャーナリストだけそんなことでなく、すべての面でそうです。
▲今回、米国に行ってきました。復興する教会は今、すばらしく復興しています。そうではない教会は、いつも問題があります。しかし、教えてあげることができないのが、特徴がいつも問題が考え方から出るためです。考え方で、ほとんど問題がくるのです。私が見る時は、全く問題ではないことを問題にするのです。教会の中でも、しばしば問題が続けば復興できません。友人の間でも、ずっと問題が生ずれば、友人関係がうまくいきません。家庭でもずっと問題が生ずれば、家庭が幸せになれません。私が見る時は、ほとんど考え方から問題がくるのです。これが誤れば、ずっと問題がくるのです。いくらメッセージを受けても、仕方がありません。いくら祈っても、仕方がないのです。ピリピ4:7節がとても重要です。‘そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。’私たちはこの思想の中で、多くの人生が左右されるのです。事実は、祈りの答えも、この使命で受けなければならないのです。このように見る時、私たちは聖書に現れた弟子の祈りを見られるのです。私たちが産業宣教大会、レムナント大会、共同体もしなければならず、重要なことがたくさんあります。そのような答えがまさに、ここから出てくるのです。それでこういう部分を実際に教えてあげなければなりません。

1.真の福音と真の伝道に向かった祈り-命をかける使命
▲初代教会の使命を見れば、ほとんど命をかけました。それで、初代教会は世界を征服することができたのです。
(1)法-皆さんが分かるように使徒1:12-14節に集まったのは、法的に禁止された状況で集まったのです。そのまま禁止されたのと、法で禁止されたことは差があります。
(2)法廷-使徒4:1-12節を見れば、ペテロが法廷で言った言葉です。イエスの名前で話すなと言われたので、世界中で救われるべき名は、他にくださったことはないと言ったのです。
(3)裁判-使徒7:54-60節はステパノが裁判過程で言った言葉です。ここでした言葉です。初代教会で弟子がどんな使命を持ったのか知ることが出来ます。
(4)迫害の危機-そしてアンテオケ教会ができた背景を見れば、迫害の危機を通してできたことが分かります。すばらしい教会をなくそうとする法的な迫害の危機の中でできたのです。
(5)拘束-死刑
▲使徒11:19-30節を見れば、ペテロが拘束されて、死刑を受ける状況で起きたことです。
(6)騒動-使徒17:6節を見れば、大きい騒動が起きている状況です。
(7)危機-行27:24節を見れば、命が行き来する危機の中で起きた事件です。初代教会がこういう命をかける使命を持ったのです。皆さんの教会、職業、事業に命をかける使命があるならば必ず答えられます。

2.命をかける弟子にくださった答え
▲このような時に来る答えがあります。事業人は祈りの答えを受ける祝福がなければなりません。
(1)真の希望(全能者)-命をかける弟子に、神様は真の希望を与えられました。すべての国の人々を弟子としなさい。世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。使徒27:24節には、パウロ。恐れてはなりません。あなたは、カイザルの前に立たなければならない。エペソ1:3-19でも、パウロがすばらしい希望を言いました。私たちが本当にこの契約をつかめば、まさにこういう答えがくるのです。
(2)導き-計画(祈りの課題)
▲この時、神様の導きと計画を分かるようにされるのです。神様が自分の民にいつ自らの計画を知らせられるかというと、命をかける使命者が出てくる時にくださるのです。このように祈りの答えが簡単になるのです。私たちが考えが正しくて、使命が正しければ、まさにこういう答えがきます。
(3)成就するみことば(定刻)-それでは、神様はこういう人々にまさに成就するみことばをくださるのです。このようになればできるのです。
(4)現場(常時)-そしていよいよ現場に隠された弟子を見るようにされるのです。問題は現場です。
(5)真の力(御座)-そして来る答えは、神様が真の力を与えられるのです。
▲Ⅲヨハネ1:2節を見れば‘愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。’と言われました。使徒1:8節にも、聖霊があなたがたの上に臨まれれば、力を受けて地の果てまで証人になると言われました。
▲答えがこのようにきたのですが、言葉を変えれば、祈りの答えを受ける5つの原理です。私たちが真の希望を持つ時、神様は全能者で働かれます。私たちが本当に命をかける使命を持っていれば、神様は正しい祈りの課題をくださるようになっています。皆さんが今、祈っているか、違うかということは、定刻の祈りができながら幸せな人は祈りを知っている人です。その以前には祈りを知らないのです。私たちが現場を正しく知れば、この時なるのが常時祈りになるのです。私たちが本当に祈りを分かるとすれば、なっていくのです。この時、神様は御座の祝福を通していつも新しい力を与えられるのです。どの場合にも、ジャーナリストが力がなければ、その現場で生きていくのが難しいのです。これはジャーナリストだけでなく、すべての産業人と信者が受けなければならない祝福です。
▲神様の子どもは、祈りの答えを受けるようになっています。産業人が米国で集まりました。その時、私がこういう話をしました。私の娘が父親が米国にくると知って相談することがあると言ったので、集会に参加しなさいと言ったのです。そうしたら、宿題が多くて試験が多いから、お父さんが来てと言うので、食事をしながら会ったのです。そして、なぜ来てと言ったのかを尋ねました。内容は簡単でした。コンピュータを買ったので、お金をくださいということでした。それでお金を与えてきました。そこに行き来する道が複雑でした。それで、こう考えてみました。父の人生と父の考えを動かせるのが子どもの権威です。その複雑な道を誰が来てと言われて行くでしょうか? しかし、私の娘が来てと言われたら、直ちに行ったのです。これが子どもの権威です。神様が私たちに神様の子どもになる特権をくださったのです。
▲事実は、私たちは祈らなくても答えを受けます。それだけ大きい祝福を受けました。事実は、教会だけ通っても、答えを受けるようになっています。福音の中に入ってきた人は、すべての答えを受けるようになっているのです。ただ一つの差があるのです。皆さんが祈りにならなくなれば、ただ一つが差があります。いつも時刻表が合わないで、迷うのです。いつも過ぎた後、悟るのです。神様の祝福をその時、その時、悟るべきなのに、いつも過ぎて悟るのです。祈りの奥義がいつもある人は、あらかじめ感謝するのに、この人は、いつも問題が過ぎ去って感謝するのです。病気になる前に、心より感謝すれば良いのに、病院に入院して退院しながら感謝するのです。こういう差しかありません。
▲救われたということは、事実、みな受けたということです。神様は皆さんにくださる答えを、あらかじめみな備えておかれたということです。しかし、本当にこれを持って祈れば2番が合うようになっています。まさにこの差です。皆さんが正しく祈りになる人は、祈りを知っている人です。それで、神様が私たちに真の希望を与えられるのです。これがない人は祈りにならなくなる人です。正確な祈りの課題をくださるようになっているのです。そして、祈りをいつもする人は定刻の祈りと常時祈りになるのです。そして、他の人の助けを全く受けなくても、神様が与えられる力があります。牧師、長老のために揺れるのは、すでに力がない信仰です。皆さんの教会が問題がきても、全く揺れることがありません。なぜなら、神様が責任を負われるためです。これがまさに7つの祝福です。これだけいつもあれば、すべての問題解決です。本当に産業人は祈りの重要な祝福を味わわなければなりません。それで、今日の背景を見れば、信仰、希望、愛と言われたのです。本当に祈る人に出てくるのです。Iテサロニケ1:3節を見ると、信仰、希望、愛の三つが出てきました。そして、5節を見ると、単純に話でするのではない、力と聖霊と大きい確信ですると言われています。

3.弟子に現れた答え
▲このような時、弟子に与えられる大きい教会の答えが現れたのです。堅く捕まえて必ずこのまましなければなりません。
(1)5つの答え
▲使徒2:1-47節を見れば5つの答えが出ています。長老と執事は悟らなければなりません。教会は他のものをする所でなく、神様が与えられる力を得る所です。牧師は記憶しなければなりません。教会は神様がくださる力を供給する所です。聖書に聖霊充満するので、風のような、火のようなみわざが起きたのです。
(2)門-教会で礼拝をささげて、伝道だけなるのではなく、すべての門が開くのです。神様は真の伝道するために、すべての門をあけられるのです。長老、執事は、これの他は捕まえてはなりません。
(3)みことば-必ず礼拝をささげる教会を通して神様はみことばをくださいます。この時、ペテロが自分の話をしたのではなく、神様のみことばを宣べ伝えたのです。それで、ペテロがとても重要なメッセージをしたのです。
(4)弟子-いくら迫害が起きても、真の弟子はこの時に起きます。私たちは時々こういう話をします。異端の話を聞けば、伝道に支障があるというのですが、これは部分的に合う言葉です。しかし、真の弟子はこの中で出てくるのです。法的に完全に禁止させておいたが3千弟子が起きました。マルコのタラッパンに行けば、拘束されて死刑受けるのに3千弟子が起きたのです。本当の弟子はこの時に起きるのです。
(5)現場-神様のみことばを受けて行って、毎日家で、毎日神殿で、みことばを受けるので、いよいよ現場が変化するのです。この時が本当に良いが、迫害の危機が起きたのです。この程度なら完ぺきですが、問題が起きたのです。
(6)宣教-その時に悟ったのが宣教です。宣教を正しく悟れば、迫害にやられる理由がないのです。
(7)共同体(文化)-この時、神様が人物を一つ立てられたのです。その人がパウロです。パウロを通して個教会だけしたのではなく、共同体を立てたのです。
▲これが教会がする7つです。長老と執事は、必ず記憶しなければなりません。これの他にはみな捨ててもかまいません。教会に問題がきても、その問題を解決する力を神様は持っておられます。それで問題になる必要がないのです。神様が十分に答えに変えられるのです。それで、牧師が一番注意しなければならないことは、信徒が教会きて力を得ることができなければならないことを分からなければならないのです。どの場合にも復興できません。復興になれば、さらに問題がくるのです。信徒は、神殿で礼拝をささげて力を得なければならないのです。神様が与えられる力を得なければならないのです。それで、私たちが見る時は、伝道するように見られるのですが、すべての門が開くのです。それで、教会でみことばをつかむ必要もありません。神様がくださるみことばであるためです。それで、自然に付いてくるのが弟子と現場です。ところでこのマルコのタラッパン教会がそこまで悟れなかったのです。宣教です。ペテロではできないことが一つあります。共同体です。ペテロではだめです。皆さんでだめならば、使命が終わるのです。神様がパウロを持ってなさるのです。この時、パウロに一番力になった教会が、アンテオケ教会とテサロニケ教会でした。ここまで必ず成されなければなりません。ところで、普通の世界の教団と牧師が、共同体まで目をあけられないのです。この目をあけられなければ文化に勝てません。
▲このように見る時、これを最も上手にするのがジャーナリズムです。ジャーナリズムの使命がどれくらい大きいでしょうか? 聖書の箇所三つを出したのですが、この答えは7つが正確なのです。言わばエルサレム教会とアンテオケ教会とテサロニケ教会です。神様はこの7つを暗示して下さるのです。これだけ捕まえれば良いのです。だから、こういう祝福をおいても序論でだめなのです。だから米国に行くと、教会がいつもついて離されてするのです。話はできないのですが、困難が多いのです。ある日見たら、私たちが教会を一緒にすることにしたということです。それで内心、神様の導きではないと言いました。自分たちが何でカルヴィンとペジャなのでしょうか? カルヴィンとペジャといって一緒になれれば良いのですが、その人々はそうではないのです。今回は、離れなければならないというのです。それで、どうせ壊れるという気がしました。共通の特徴が考え方が良くないのです。KBS朝の広場を見れば夫婦がけんかするのが出てきます。その人々を見れば、共通に考え方がだめなのです。だから全てのものがだめなのです。女も考え方が良くなく、男も考え方が良くないのです。それでは、永遠に戦わなければならないのです。その人々が戦うのを静かに見れば、決定は婚約破棄しかないのです。
▲私たちは最高に答えを受けた使命者、牧師、長老です。それで3番の他はみな捨てましょう。本当に使命を持っていれば2番の答えになります。本当に使命を持てば、神様が真の希望をくださるのです。それで、いよいよ祈りが分かるのです。福音は分かるのに、祈りが理解できない人がいます。それで、重要な祈りの課題がくるようになっています。祈りが分かった人です。そして定刻、常時祈りになります。祈りが分かった人です。無条件に定刻、常時で祈るのではありません。重要なのは、これで幸せにならなければならないのです。神様がくださる力、祝福で幸せにならないのは、祈りができないのです。一人で定刻で祈る時間がとても幸せにならなければなりません。一人でいつでも祈る時間が、とても幸せにならなければならないのです。涙も感謝の涙が出てこなければならないのです。感謝の涙が出てこなければ、ある面では正しい祈りではないのです。ここですばらしい力を得るのです。もし定刻、常時の祈りが幸せでないならば、律法に過ぎないのです。だからこういう教会に答えがくるしかはないのです。産業人が産業宣教する以前に、この祝福を味わわなければなりません。ジャーナリストが働きをする以前に、この祝福を必ず味わわなければなりません。私が分かることで、ジャーナリストと牧師が、この祝福を捕まえれば、まちがいなく勝利します。すべての産業人とジャーナリストにこの祝福があふれることを希望します。
(The end)