[2005年10月22日ソウル産業宣教メッセージ/ソウルメイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(75) -産業人の伝道の癒し
(使徒1:1-8)


@序論:使徒1:1に見れば‘テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、’と言われています。この一言で、すべての答えがみな出てこなければなりません。私たち産業人が、仕事をする中で、心の底から深く思うべきことが‘真の伝道理解’です。真の伝道を理解するようになれば、神様が確かに力をくださると言われました。
* 5力-知恵:私はそれで5つの力を言ったのです。神様がくださると約束されて、力を受けると言われたのです。知力、体力、経済力、人材もくださると言われました。それで、これが合わされて真の伝道理解をするようになれば、知恵が生まれます。知恵が生まれるから、私たちの問題80-90%は解決されます。それで、産業人が受けなければならない癒しがあるならば、伝道の癒しです。少し考えなければなりません。

1.伝道がだめな理由:伝道が理解できなければ、伝道がだめになります。私たちは伝道がだめな理由を色々と探すのですが、福音を味わうことができないためです。
(1)福音を味わうことができないため(ヨハネ3:1-16):福音が本当にあるならばやさしいのですが、ないならば難しいのです。
(2)福音を知らないため(ヨハネ3:8-12):そうでなければ、深く入ってみれば福音を知らないためです。
(3)福音を分かっても体質、先入観、自我が全てのものを支配しているため(使徒6:1-7,アナニヤ,サッピラ):確かに三つの中の一つです。こういう(3)の部分が祝福を味わうことができないようにするのです。この中には、先入観、自我も含まれていて、色々なものが含まれています。これがやさしい話のようでも難しいのです。このようになったら、恵みの中の恵みでできるのに、これ(体質)のためにかかるのです。多分、私たちのタラッパンメンバーには、体質が問題でしょう。福音はたくさん分かるから、体質のためにだめなのです。新約聖書に、アナニヤ、サッピラが献金をだまして死んだのですが、福音を受けたのか受けなかったのかは分かりません。3つの理由の中に入っています。アナニヤが救われたのかどうかは、天国行ってみてこそ分かるのですが、福音を知らなかったり、体質のために味わうことができなかったのです。これは小さい理由でなく、大きい結果を作り出すのです。それで、牧師が気を遣うべきことは、福音と伝道が出来なければ、信徒は3年くらい過ぎて崩れるようになります。どんなプログラムをしても福音よりは良くありません。他の教団は行事をよくするのに、実際に試みだけ受けるのですが、これ(伝道)がだめです。プログラムをしないということでなく、こういうプログラムが答えでこなければならないことで、行事側で体質になれば、多くのことをのがすのです。
▲ですから、新聞を見れば、伝道方法もそうで、高慢なことがみな出てくるのです。一時は霧雨伝道というのがありましたが悪い話ではなく、聖書にある単語ですが、それも伝道でしょう。また一度はライター伝道というのがありました。それも何かというと、伝道するのに手にライターの火を当てるということです。人が驚けば、地獄に行くともっと熱いと話すというのです。そして、さつまいも伝道というのもあります。無条件に刺せというのです。ぷすぷすとさつまいもを刺すように刺して、まだ焼けていなければ止めるということです。この頃は、珍島(チンド)犬伝道とある。‘噛みついたら逃すな’こうした話なのですが、みな福音を知らないで話しているのです。その中のどんなのが正しいかというと、それでもさつまいも伝道が正しいようです。なぜなら、さつまいもを刺してみて、あまり焼けていなければ、また置いておけば良いというので、それが正しいようです。福音伝道を知らなければ、あらゆることが出てくるのです。だいたい見れば、3年も続きません。教会の信仰生活も同じです。福音を正しく伝えるならば3年くらい過ぎれば答えがきます。重要なのは、牧師が本当に福音ならば、より大きいみわざが起きます。産業人が年を取って、大部分、伝道の理解がだめです。‘無条件に刺してみなさい’と言います。珍島(チンド)犬というのは‘無条件に語りかければ良い’ということです。純福音でも‘一軒に100回行け’と言います。熱心はすごいのです。その中で、真の福音がなければ問題になります。ちょっと残念だという気がします。私たちが他人の話をすることではなくて、私達自らが真の伝道を理解すれば、真の福音を理解したということで、そして体質も持っているのですが、こういう部分も用いられるようになります。伝道を知らなければこういう(1番)場合が訪ねてくるのです。

2.伝道を知らなければ:実際の生き方で問題がきます。
皆さんが教会に行けば教会員で、役員ですが、職場では社長で職員でしょう。それで真の伝道が理解できなければ、人間関係がとても難しいのです。本当に伝道が分かれば、人間関係がとても恵みとなります。‘私が牧師に仕えるのだな、長老に仕えるのだな’と言いながら、この部分が恵みになります。献金する時‘このようにして福音が宣べ伝えられるのだな’と悟るようになります。ある時は、教会に困難がくると、このような部分を理解して‘福音が宣べ伝えられるよ’と言いながら、多くの部分が分かるのです。伝道が理解できないならば、前の部分(1番)も問題ですが、生き方でも実際に問題です。私たちの生活は、単純な生活ではなく、信仰生活です。簡単に話せば、一人ですることは上手にします。私たちが共同体という言葉を使うのですが、‘共に’ということができません。伝道が分かれば‘共に’ということが最も恵みになるのに、伝道が理解できなければ‘共に’が理解できません。こういう部分を祈らなければなりません。タラッパンメンバーを見ながら2つのことを思うようになりました。どれくらい福音に対して切実かわかりません。すごいのです。神様の恵みです。これから起きる実はとても大きいでしょう。一つだけ少し理解すれば、本当に良いのです。‘共に’という部分ができません。それで、私たちが一緒にする部分がとても恵みにならなければならないのです。皆さんが教会に行って、役員に仕えることに対して変だと思ってはいけません。伝道を本当に理解できないことです。教会を代表して役員があるということは貴重なのです。牧師を力をつくして仕えるのは、それほど重要なことはありません。仕事をするのを見れば、協力がとうていできません。それは真の伝道を知らないのではなく、味わうことができないのです。こういう部分は、本当に重要な部分なのに、信仰生活で全部崩れるのです。どうして教会が信仰生活するのに問題があるのでしょうか? 教会で人間関係のために信仰生活をできないほど問題がくるのです。ほとんど真の伝道を知らないためです。
(1)私の霊的問題解決が不可能(使徒3:6):さらに重要なのは、ここにあります。真の伝道を味わうことができなければ、自分の霊的な問題をみな解決されてもだめなのです。
(2)家庭の霊的問題に勝つことができないこと:家庭の霊的問題が解決しません。真の伝道を理解したということは、夫婦間でも、家族間でも、すぐ理解できます。本当に伝道が分かったら、長老が今日、祈りをするとします。そうしたら、長老夫人が‘長老が祈る’と言いながら、すぐ理解するのです。それで、それがどれくらい祝福なのか分かるようになります。そこでいろいろなことが分からなければなりません。真の伝道を味わうことができないから、家庭も自分も霊的問題に勝つことができないのです。
(3)現場の暗闇に勝つことができない:もっと現場に勝つことができません。現場の暗闇にうち勝つことができないのです。
(4)職場、職業、事業の力を得ることができない:結局これができません。職業というものは何でしょうか? 職業がよく解けません。私はよく信じると思うのに、事業も解けません。理由を知らないから、ずっとだめなのです。学業も格別意味がなくて、仕事もできません。それは自分が本当に神様の祝福を味わうことができていないと理解すれば良いのに、他のものを探すのです。それで問題がずっと積もるのです。神様が祝福を備えておられるのに、私たちがそろえられなかったのです。ある時は教会で信仰生活すればどれくらい大変かわかりません。韓国の有名な復興師のL牧師が私にこういう話をしました。“柳牧師のテープを30ケ聞いた。私も柳牧師のファンだ。しかし、柳牧師のメッセージを聞けば力が抜ける”と言いました。そして“いや、柳牧師は伝道がやさしいのに、私はなぜ難しいのか? 力が出るべきなのに私は力が抜ける”と言います。冗談なのですが、本当の話です。冗談のように過ぎ去りながらした話ですが、そうでしょう。私たちのタラッパンは伝道を本格的にする団体であるから、これが出来なければ、教会にきても力が抜けるのです。それで、葛藤が積もり始めるのです。それでも契約を正しくつかめば、それ自体も祝福になるでしょう。それで私は、総会の大人たちと相談して、来年からこういうことをすべきだという気がします。私たちの教団で初めてしてみるつもりです。副牧師や講道師が区域を引き受けて地域を引き受けるようになります。およそ50人以上伝道の実が出なければ牧師の按手を与えないと言うつもりです。開拓した彼らが伝道の実が出なかったら、牧師按手を与えません。今、牧師公害時代です。多分、そのようにしてしまえば、他の教団で牧師按手は1人も受けられないでしょう。私たちの教団だけ可能なのです。伝道の実が出た人々は、男女、年齢を区分しないで牧師按手を与えなさい。副教役者であるといって待つのではなく、実を結んでこそ牧師按手を与えなければならないのです。それでも実があるから按手を与えるというのではなく、神様のみこころがあるから実が出るということです。他のものは神様のみこころでなければ変えれば良いのですが、神様のみこころではないのに、牧師按手を受ければ通常の問題ではありません。どの席にあっても、実が出るようになっています。それをみな合わせてみれば、伝道をよく知らずに味わうことができないのです。この伝道を正しく味わえば、周囲の人も祝福を受けます。それくらい重要で全部だと見られます。なぜなら伝道が全部すべてです。ある異端を研究する人が尋ねました。いくつかを尋ねたのです。“先生は、役員会もしませんよね”と尋ねました。何の話なのでしょうか? 役員会があるのにしないという言葉は何の話なのでしょうか? “訪問もしないと言うのでしょう?”それで“私たちの教役者の半分が訪問伝道師なのに、なぜ訪問しないようにと言うのか?”と話しました。“先生は伝道がすべてだと言うのでしょう?”と本気になって尋ねました。その方は教授なのですが、教授ならば何がすべてですか? 教授は何のために教授するのでしょうか? 何のために金を儲けて、何のためにこの世に生きるのでしょうか? これでなければ生きる理由がありません。伝道がすべてではなくて、福音がすべてです。福音だという答が出なければ、信者でもなくて、弟子ではありません。生きる間とても困難が多いでしょう。未信者より難しい生活を送るようになります。これでもなく、あれでもなくなります。私たちが真の伝道が分かれば、教会に行って80-90%は分かります。これが理解できないならば、長老、牧師、聖徒に仕えるのがどれくらい難しいでしょうか。真の伝道の理解ができないほど、他のものがつくのですが、それが問題です。とにかくしなければならないから、それが問題です。私たちは他の教団、世界を率いなければなりません。

3.産業人がそろえる伝道:今日、簡単に三つの箇所で理解できます。
(1)使徒1:1:‘テオピロよ。私は前の書で’と話しています。前の書は、ルカの福音書です。キリスト・メシヤが来られたということで、その方がイエスです。終わったのです。テオピロにイエスがキリストだと言いました。この話が通じたのです。いくら高齢でも、モーセに犠牲のいけにえをささげに行きなさいと言われました。この話をモーセがわかったのです。この話が重要です。一言で通じるのです。大統領になろうが、長官になろうが、イエスがキリストという事実を本当に分かれば終わったのです。
(2)Ⅲヨハネ1:2:‘愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているように’と言われています。その後のことは重要ですが、重要な話ではありません。あなたが、たましいに幸いを得ているように、それならすべてのことにも、それなら健康も必要なことではないでしょうか? あなたが、たましいに幸いを得ているように、救いを理解したように、伝道、救いを理解したように、あなたの肉体も健康ことを祈ります。どれくらい重要でしょうか?
(3)ローマ16:23:すべての伝道者をみな助けました。どれくらい祝福を受けたのでしょうか? 聖書を見れば、神様は伝道をする一人をとても祝福されました。横行するのではなく、影響力があるのです。
▲私が教会の色々な所を通いながら、人々に数人会ってみました。良く暮らす方に会ってみたのです。彼らは違います。良く暮らす人がいます。私が担任牧会する前に会った長老がいました。違いました。絶対に急ぎません。とても余裕があるのです。何をしても、使うことも、儲けることもとても違いました。私が見ながらとても習うことが多かったのです。‘この人がこれで良く暮らすんだな’と考えました。それで教会に献金する時、本当に教会を生かすほどでした。私に会って最後に話をしました。“先生、北朝鮮からやってきて神様の祝福でお金をたくさん儲けた”と言うのでした。いくらなのか自分もわからないということでした。管理人が管理するということです。本当に教会のために残った生涯をみな捧げて行きたいが、教会が戦っているので、本当に葛藤になるということでした。一理ある言葉です。私がその長老でもそうでしょう。その教会には、いんちきな長老が集まって戦って、本当に伝道が理解できなくなっていたのです。本当に福音、伝道を理解すれば良いのに、それができないから、それだけ問題がくるのです。それだから、この長老が韓国を離れて米国で暮らして亡くなりました。産業人が伝道を理解することが、このように重要なのです。

4.伝道に関する癒し:いくつかのことを参考にしなければなりません。
(1)解答(使徒1:1):これはまさに解答です。‘テオピロよ。私は前の書で’と話しています。この一言で答えがみな出なければなりません。答えが出なければ癒しができません。本当に‘主は生ける神の御子キリストです’と答えが出なければなりません。大統領府に入った大統領2人が信者だったのですが、マタイ16:16の答えが出なければならないのです。
(2)国(使徒1:3):神様の国に方向を合わせれば良いのです。神様の国、どれくらい素晴らしい単語でしょうか?私たちは方向を違ったところに合わせるのです。神様の国、これが癒しです。
(3)祈り(使徒1:4-5):主がこの時から祈る理由を悟るようにされるのです。
(4)力(使徒1:8):聖霊の働き、力ができます。いくらしても、力がなくてはいけません。上からくださる力を受ければ、私たちは簡単になります。その話は、何もしなくて生きるということでなく、神様が上からくださる力で生きるのです。結局、何になるのでしょうか?
(5)証人(使徒1:8):証拠を持ったのです。私が本当に証拠を持ったということです。他の人が見ても分かるようになります。今週に詩篇を読むのですが、真に恵みになる単語が出てきます。神様の定め、神様のみことば、神様のおきてが私のものです。詩篇の記者がそのように告白しました。それを持っていれば、他の人々も分かるようになります。どれくらい感謝して、祝福されたのでしょうか? 長老が伝道が分かれば、どこに行っても祝福です。執事が伝道が分かれば、どこに行っても祝福です。牧師が伝道が分かればどこに行っても祝福です。産業宣教が集まるのは、普通の祝福ではありません。そのように癒されます。どれくらい重要でしょうか? 次の時間には宣教の癒しに対して話そうとしています。神様が時間がないから、聞くだけでも祝福です。アーメンと言うだけでも変えてくださるでしょう。緊急だから。皆さんが祝福を受けるのは緊急なためです。

-要約-
<共同体と産業宣教(74) -産業人の伝道の癒し(使徒1:1-8)>
1.伝道がだめな理由
(1)福音を味会うことができないため(ヨハネ3:1-16)
(2)福音を知らないため(ヨハネ3:8-12)
(3)福音を分かっても体質、先入観、自我が全てのものを支配しているため(使徒6:1-7,アナニヤ,サッピラ)
2.伝道を知らなければ
(1)私の霊的問題が解決不可能(使徒3:6)
(2)家庭の霊的問題に勝つことができない
(3)現場の暗闇に勝つことができない
(4)職場,職業,事業の力を得ることができない
3.産業人がそろえる伝道
(1)使徒1:1   (2)Ⅲヨハネ1:2   (3)ローマ16:23
4.伝道に関する癒し
(1)解答(使徒1:1)   (2)国(使徒1:3)   (3)祈り(使徒1:4-5)   (4)力(使徒1:8)   (5)証人(使徒1:8)