[2005年12月17日/ソウル産業宣教メッセージ/メイフィールドホテル/柳光洙牧師]
共同体と産業宣教(83) -産業宣教と現場の働き (使徒8:26-40) @序論:使徒8:26-40節はエチオピアの宦官とピリポの出会いです。どれだけ重要なのかすれば26節に‘ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。’と言われています。29節には‘御霊がピリポに・・・と言われた。’とあります。これくらいなら、最も重要で完ぺきな祝福です。主の使いが手伝って、聖霊が直接働きをされたということです。 目:それで産業人、牧師、多くの人々が一つ重要な目を開かれなければなりません。これは相手方を非難する目より、愛する残念な目がなければならないのです。これ一つだけ分かれば、まさに神様と通じます。 聖霊:どれだけ神様と通じたかというと、神様が直接きて働きをされたということです。 使い:そして、私たちは知らずにいるのですが、主の使いを送られたということです。このように重要なことが何でしょうか? 私たちが本当に重要な目を開いて見れば、ほとんど福音がないということです。それで、今日の題名にある通り、私たちの産業宣教はまさに最も近くにある現場です。これをいつも記憶しなければなりません。全く福音がなくなってしまったのです。これを誤って理解すれば、他の教会と教団を批判するようですが、本当に福音がありません。これを皆さんが歴史を持って見なければなりません。全く同じことが反復されています。少し深く入って聖書を見れば、ユダヤ人が福音を知らなかったのです。結論的に福音がないということです。そして、今まであった教会を見ましょう。これ一つだけ正しく見れば、神様がすぐに働かれます。そして、主の使いをあちこちに送られるので、皆さんの事業と周囲が全く問題になることがないのです。少なくとも、これを味わっていなければなりません。 1.待つ人:反対に福音を待っている人がとても多いのです。問題は私たちが福音を待っていると思っているのではなく、何かを待っているのです。その人々に福音が必要なのです。しかし、序論を分かればやさしいのです。 (1)ローマ10:15:ローマ10:15節にこういう話があります。行く者がないのに、どのように待つのでしょうか?行く者がないから話をしないのに、どのように聞くことができるのか? そして、話をする人がいてこそ聞けるのに、どのように聞くのか? 福音を正確に聞いてこそ信じる、信じないというのに、どのように信じられるのか? それでは信じない者がどのように救われるのか? それなら福音を伝える者の足が美しいのではないか? パウロがこのように表現したのです。福音は難しいことでなく、誰でも主の御名を呼ぶだけで良いのです。聞けないのです。その問題は(2)番目のことです。 (2)違ったこと:聞いても違ったことを聞くのです。だから教会に問題がきて、全体的に見れば牧会に問題がくるのです。神様が嫌われるのです。聞くこともできなくて、聞いても違ったことを聞くのです。だから、神秘、律法と宗教に行くのです。それで、皆さんがこの目を開かれなければならないのです。それで、事実上、全てのものが終わります。 ①神秘:人々が福音を聞くように見られるのですが、神秘に行くのです。 ②律法:福音を聞くように見られるのですが、律法へ行く人がいます。 ③宗教:だから宗教と同じです。 * 福音的:一番に産業人が参考にすべきなのは、説教で一度話そうとしているのですが、私たちが生きてきた中で、福音を全く聞かなかったのに福音的な人がいます。しかし、救われることはできません。 * 律法的:反対に福音を多く聞いたのに、律法的に行く人がいます。例えば発展したり、祝福を受けた国を見れば福音的です。日本がどれくらい福音的でしょうか? やさしい例で、人が病気になって病院に行ったが、この人の生活費以上に病院費がかかれば、国家でみな負担するのです。どれくらい福音的でしょうか? 韓国はだめです。行って死ねばそれはその人の事情です。これが韓国です。米国を見ましょう。ファン・サンベ牧師の息子も米国で無料で治療を受けました。道を行く旅人が病気になったが、どのようにするのでしょうか? ファン牧師の息子が米国に行って盲腸になったのです。米国が全く間違っているのではないのですが、自分たちがするのです。この人達の生き方を見れば、とても福音的です。国も福音的な国は祝福を受けます。キム・ジュンテ牧師が説教して倒れたのです。血圧が高くて倒れたのです。緊急だから、病院に移そうとして、救急車を呼びました。私たちはこれに乗ればお金が多くかかります。ところで、とても緊急だからヘリコプターが動員されたのです。緊急だから、ヘリコプターを動員させるということは、正しいことです。ところでヘリコプターに乗って病院で治療を受けるのに、この人が韓国人で永住権もなくて旅行者です。それで、ヘリコプターに乗ったのです。そうしたら、無料です。これを見る時、普通の人ではないのです。とても福音的です。問題は、福音的に生きてきた人が福音を受ければぴったり合うのです。しかし、律法的に生きてきた人が福音を受ければ全く合わないのです。問題はここにあります。全く自分と合わないのです。タラッパンが合わないで大変なのです。生きることを律法的に生きてきたので、福音は正しいのに、自分とは合わないのです。生きてきたことを律法と宗教で生きてきたのに、正しいことは正しいのに、何か足りないのです。これがイスラエルの問題です。これがひょっとして皆さんの問題ではないでしょうか? これが通常の問題ではないのです。福音が何かが合わないのです。だから相手方が仕損じれば、これがさらに私を動かす何かになるのです。教会の中でも福音の働きをするように見られるのですが、律法的な判断と定規が私にさらに強いのです。ある時には、福音を持った人が少し仕損じればあざ笑うことさえするのです。ある時はタラッパンが合わないから‘タラッパンが何’と言うのです。生きることをそのように生きたので、福音を受ければ良いのですが、何か合わないのです。これが福音と私が合わないといえば大きい問題になるので、人が出てきて合わないというのです。福音が合わないというのではなく、教会が合わないと言うのです。福音を理解すれば本当に教会が私と合うのです。この福音を理解したら足りない人を見れば、かわいそうな心になり、だめな人を見ればこの人のために献身するように神様が私を呼ばれという心ができるのです。そして、長老と牧師が仕損じれば、祈りが自ずから出てくるのです。しかし、生きることを律法と宗教で生きてきたので、牧師と長老が仕損じれば原子爆弾が出てくるのです。そして、これが恵みと言うのです。絶対に小さい問題ではありません。少なくとも、皆さんがこの程度の目は開かれてこそ、事業もできるのです。宗教でがんばる人は、何か福音と合わないで、自分が何かをしないように感じられるのです。少し足りない人を見る時は、この人はこのように成長している所だと思わず、足りないと思うのです。生きることを律法と宗教で生きてきたためです。だから誤ったのを見れば、待ってあげようとは思わないのです。深刻な問題です。ここにいるのはVIPと祝福を受けた人です。新聞記者を長くすれば、生きることをそのように生きてきたのです。あらゆることをみな見て生きてきたので、取材する時も火がついたように強くしなければなりません。特に社会部記者は命をかけてするのです。警察も見て下さい。30年、40年、50年間、泥棒をつかまえてきたので、何でも泥棒という前提で見るのです。だから、すべての問題がそのようにつながるのです。この頃、ファン・ウソク教授の問題が多いのですが、何のためなのでしょうか? 簡単な話です。生きて来たのが、はやく研究して、はやく発表して、そのように生きてきたのです。福音を分かれば事実的にしたのでしょうが、はやくしたためです。米国の有名なサイエンスにはやく論文を出したので、失敗があらわれたのです。間違ったというよりは、私たちがそのように生きてきたので問題になるのです。そして、その間に、現場には本当に福音を待つ人がいるのです。方法はないから、神様がイスラエルをいつも殴りながら事をなされるしかないのです。イスラエルは福音を伝えたことがなくて、いつも問題が起きる時、神様が解決されて、その証拠で福音を証明することしかないのです。それで長老、按手執事、牧師が上にいる人々が、一番注意すべきことがこれです。反対に、福音を本当に理解すれば、この部分がむしろ全部、答えになるのです。パウロは一生を律法を持って生きてきた人です。そうするうちに福音を本当に悟ったので、ここに対する答えになって14巻の手紙を書いたのです。これが今日作られた聖書なのですが、すばらしいことが起きるのです。 (3)計画:こうした中で、神様はどんな計画を持っておられるのでしょうか? マタイ28章を見ると、すべての民族に行きなさい、マルコ16章に万民に行きなさい。使徒1章には、地の果てまで行きなさいと言われました。結局、同じ言葉です。その話の中には、多くの人々が待っているということです。正確な福音を聞くことを望んでいるということです。簡単に話せばほとんど(2)番の問題です。自分たちは主の働きをするというのですが、ほとんどこの目を開くことができないのです。それでは牧会する過程にも問題がくるのですが、時間が経つほど多くの問題がくるのです。それで、幸いに老いて止めるというのですが、若くても止めなければなりません。事実は、その程度にならなければ止めなくても良いのです。だから、目を開かれなければならないのです。そうでなければ苦痛がずっとくるのです。釜山(プサン)の人は分かるでしょう。何人かの政治をする牧師たちがいます。何人かが団結して、柳牧師が政界で入ってこないので生意気だ、手をちょっと打たなければならないと言ったのです。政治家は伝道はできなくても、これは上手にします。それで、政界の親分に話したのです。私たちが東三第一教会の柳牧師に手入れしなければならないから助けてくれ、手助けしなければ私たちもあなたを助けられない。手助けしないという言葉は、一般信徒は知らないでしょうが、ものすごいメッセージです。合同側の最高の栄光は、総会総代の名札をつけることなのです。それで、私たちのタラッパンはそんなことせずに無条件にみな参加しろというのです。名札を付けて行くべきなのですが、以前に老会で若い牧師が投票する時、それで答えがみな出てくるのです。言わばキム・ドンゴン牧師やチョ・ウンジュ牧師が老会の年上の人々なのですが、彼らを落とすのです。総会総代に上がるべきなのに、投票して落とされれば自分たち言葉で一杯食わしたと言うのです。だから、その最高の人々が一杯食うかと思って私に文句を言うのです。あいにく私が初めて伝道師していた時に、私が仕えていた方です。だから、この方もどれくらい残念でしょうか? 柳牧師は手助けして、自分は一杯食わされてはならないから大変なのです。初期に起きたことです。だから私の所に来て、自分が言うとおりにしてくれと言うのでした。私に、そのようにしたから間違ったといえば、自分が間違ったと言っているから許そうと、かばってあげるというのでした。そうはできない、間違っていないのを、間違ったと言うことはできないというので、がんこだと言うのでした。がんこなのではなく、嘘をつくことができないと言いました。それではあなたが死ぬというのでした。その話が何かわかりませんでした。死ぬのが何かわからなくても、それでもできないと言いました。全国と世界に広まってタラッパンを異端にすることにつながるとは思いませんでした。今回、合同側で解くか、やめるかという話がありました。言わば、合同側の人々がみな集まったのです。その時に、年上の人々がみんな同じく行ったのです。だから、この話、あの話、話をよくするのです。私を釜山(プサン)で首打った時に先に立った人が釜山(プサン)の代表で来ていたのです。その方がその席から立って、解けば良い、何を話すことが多いのか、解こうと言うのでした。だから、いろいろな話をしていた方が率直な話をしました。私は大邱(テグ)から来た誰々だと言いました。事実は柳牧師と私は同期だと言いました。この方が一番正しい話をしました。‘タラッパンは問題がない。何が問題なのか分かるのか? 牧師が全国と世界へ集会をするのに聖徒たちが集まるので、集まらないように、私たちが壁を作ったのに、これを壊そうとする言葉なのか?この期に及んで、タラッパンが問題ないと壁を壊せば、どのようになるのか?’そのとおりだと言いました。ゆっくりしようと言いました。そして握手して別れたのです。それで、釜山(プサン)で、前に立った牧師が私にきて申し訳ないと言うのでした。この話はその人と私が通じることなのですが、昔のことについてです。それと共にする言葉が、無駄なことをしたということです。そうしたところ、この方が言うのに‘私が罰を受けた’と言うのでした。何の話なのかというと、息子が妻をめとって子どもを産んだが自閉症だったということでした。また、この前に奥さんが病院に行ったら、肺ガンの末期だということです。ガンになったといって問題はありません。先週に葬儀を行いました。葬儀に行って腹が痛くて病院に行ったら、胃ガンの末期だということでした。家庭と教会がみな崩れるのです。一生、目を開けられないのでだめなのです。サウル王がほろびた時、ダビデは40日間泣きました。私は不思議に、その方が内外でほろびたというのに、涙が出てこないのです。それで私は私の人間性が悪いということを分かりました。バスに乗る時、チョ・ウンジュ牧師が頭をぶつけたのですが、変に笑いが出てくるのです。瞬間的に私が人間性が悪いということを感じました。頭をぶつかれば心配になるべきなのに、不思議に喜びが上がってくるのです。変に福音なく政治をする人がみな滅びるのです。神様のみこころではないのですが、私はその人が滅びればうれしいのです。一生、この目を開けられなかったのです。重要です。この目だけ開ければ、すべての事がOK、すべての門がみな開かれるのです。福音を待つ人は多いのですが、福音を伝えてあげる人は何を待っているのかを全く知らないのです。全く福音を伝えてあげないのです。それで努力をしてみるのに、してみても宗教、努力してみても律法、少し良くするならば神秘です。これが問題です。これを知らなければ、人生はますます難しくなります。 2.産業人:初代教会はこの時、神様が福音を持った産業人を呼ばれたのです。なぜ、そうでしょうか? (1)現場:それでこそ現場が生かされるのです。パリサイ人と牧師が千万人がいても足りないのですが、福音を持った産業人1人が現場にいるのが重要なのです。 (2)弟子:だから、その人が動く時、弟子が起きるのです。 (3)福音:この人たちのたましいに、簡単ですが、福音が起きるのです。 3.唯一性:最後にこれを記憶しなければなりません。神様がご覧になる時は、唯一なことを持っているのです。重要なのは、福音を待つ人が見る時は唯一の人です。それなら、ここに座っているのが、私がメッセージを伝えるのが、通訳するのが祝福です。若くして夜明けに寝ないでくるのが大変です。この年は思い切り遅く寝て、夜に遅く遊ぶ年です。内心、自分が家にいた時は、牧師のお父さんのために押さえられて、ここにきてはタラッパンのために押さえられると言うでしょう。ところで、後ほど見れば世界で一番祝福を受けた大学生です。このメッセージが全世界の産業人に伝えられているのです。大学生と英語を良くする人は多いのですが、唯一の祝福を受けたのです。今はよく分からないでしょう。時間が経つほど分かるでしょう。唯一のお手伝いをするのです。 (1)福音:福音自体が唯一の祝福です。 (2)出会い:ここに私たちの出会いが唯一の祝福です。 (3)産業:いよいよ私たちの産業が唯一の祝福の産業になるのです。 (4)伝道:他の人々が見る時は、単に伝道をしに通うように見られるのですが、唯一の祝福を伝達する伝道がなるのです。 (5)宣教:宣教をしない教会がどこにあるのでしょうか? 神様が願われる宣教はそれではありません。宣教団体、宣教しない教団がどこにあるのでしょうか? 問題は、神様が願われる宣教ではないということです。神様はお望みの宣教は、唯一の祝福を伝達する宣教です。この目を開いて3番を見ましょう。これを見ながら、産業人を見ましょう。それで、全てが終わったのです。損害をこうむる必要も、感動を受ける必要もなく、終わったのです。それである人が尋ねたのです。メッセージが良いが、終れば一斉に祈りもして、熱くなって終わらせたら良いということです。それで私が話しました。熱くなる必要はない。みな終わったのです。この契約だけあれば、ずっと答えの門が開きます。それで、私たちの産業人、ひとりひとりが重要です。これから時間が経つほど、皆さんに唯一の答えがくるでしょう。祝福が子どもにまで伝えられることを希望します -要約- <共同体と産業宣教(83) -産業宣教と現場使役(使徒8:26-40) > 1.福音を待っている人々 (1)聞くことができなくて待っていること(ローマ10:10-15) (2)聞いても違ったことを聞いていること(ガラテヤ1:1-8) ①神秘 ②律法 ③宗教 (3)神様の計画 ①マルコ28:16-20 ②マルコ16:15-20 ③使徒1:8 2.神様が準備された産業人 (1)現場 (2)弟子 (3)福音 3.5つの唯一性 (1)福音の唯一性 (2)出会いの唯一性 (3)産業人の唯一性 (4)伝道の唯一性 (5)宣教の唯一性 |