[ 2006.3.4 /産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]
共同体と産業宣教(92) –役員と根源的祝福 (創世記12:1-9) @序論:私たちの産業人、役員がタラッパンが何なのかを見る目がなければなりません。
▲タラッパンに対する解釈と目があってこそ、色々なことが分かります。現場で30年前から伝道しに通って、たくさんのことを見ました。伝道訓練を受けてみて参考にしてみました。時間が経ちながら持続することができないということを感じたのです。道を通り過ぎて伝道するのも伝道ですが、正しい実だけ出てこないことが分かりました。知識人であるほど、そのような道では福音を受けません。もちろん、飢え渇いた人が、エチオピア宦官のように道で福音を受けることはあります。特殊な場合であって、そのようにしては、伝道がなりたちません。エホバの証人のように、門をたたいて伝道がなるでしょうか。真の伝道は、それで成り立つのではありません。そうするうちに聖書を見たのです。聖書に見たら‘家’の話がずっと出てきます。使徒の働きを見たら、ずらっと‘人’‘家’の話が出てくるのです。特徴が‘地域’の話が出てきます。地域、人、家の話が出てきます。その時、大きいことを発見したのです。‘そうだ、このようにしてこそ持続できる。’‘こうすれば現場が変化できる。’‘こうすればずっと時間が過ぎながら正しい福音を受けられる。’‘福音を受けた後にも、こうすれば正しく養育される。’‘このようにすれば、伝道しに行かなくても、伝道現場があるようになる。’だから、メッセージだけあれば、伝道はやさしいことで、福音だけあれば、答えだけ受ければ、伝道はさらにやさしくなるのです。この目が開いたら、事業も同じだという気がしました。一ヶ所で正しくすれば、そのまま広まるのです。同じ形の現場がずっと広まるのです。それで‘タラッパン’、マルコのタラッパン(屋上の間)で始まった運動でしょう。そうしたら、色々な目が開かれます。ですから、マルコのタラッパンで3千人の弟子が起きたことが可能なのです。そうでなければ、マルコのタラッパンが狭いのに、どのように3千人の弟子が起きるでしょうか。あちこちで、なぜタラッパンに集まるのでしょうか。 ▲持続:なぜタラッパンに集まるのか考えることができなかったのです。これは、金大中前大統領に聞かれたことです。金前大統領が‘タラッパン運動とは何ですか’と尋ねたのです。‘マルコのタラッパンで始まった運動なので、タラッパンと付けた’と答えました。その時、金前大統領がこういう話をしました。‘迫害を受けるから、タラッパンに隠れたのですね’と話したのです。‘私たちのタラッパンメンバーより、よく悟っているんだな’と思いました。そして見たら、イスラエル民族は皆タラッパンがあります。それで、初代教会の信徒が何人か集まる時にも‘タラッパン’に集まったのです。小さいタラッパンの意味でなく、すべての所で、すべての現場で一時に集まれるということです。パッと悟ったのです。 ▲伝道の根源:ここに全てのものがあります。事業が上手な人も根源を探します。一つを正しくするから、他のものが見つけられるのです。日本に行って驚きました。ラーメン屋が多いのです。その程度ではありません。ラーメン屋が一ヶ所だけあるのではなく、すべてフランチャイズです。ラーメンがうまくいくと見たら、本部がありました。代理店を出すのに、合宿訓練を受けなければなりません。ラーメンを作って合格すれば、その時から許可してもらえます。私たちと同じです。聖書を見れば同じです。それしか方法がありません。正しくラーメンをプライドを持って作ったら、成功するしかありません。伝道の根源を捜し出すから、やさしい程度でなく、全てのものが全部見えるのです。その時から見え始めるのですが、タラッパンにずっと人が集まっているので、ある日、新しい信徒が来ます。それでは、それまであったことを知りません。ですから‘チームの働き’の単語が出てくるのです。ある程度分かってこそ、一緒に行けるためです。タラッパンに正しく集まろうとするなら、自分自身がメッセージを受けて恵みを受けなければなりません。これが‘ミッションホーム’です。一つずつ一つずつ出てくるのです。結局、教授、医師などが、自分自らの色を持って恵みを受けるのです。どの場合でも、教授の情緒は教授が分かるのですが、他の人はよく分かりません。私たちがいくら話して勉強しても、医師の情緒は分かりません。人は、結局、情緒が通じなければなりません。友人も情緒が通じてこそ、友人となるのです。夫婦も同じです。情緒が通じてこそ、正しい夫婦です。それで出てきた単語が‘専門の働き’です。‘専門教会’です。出てくるしかありません。根源を見れば、どんどん見えます。まるで泉の根源を発見すれば、水がずっと出てくるようにということです。人に無視できないことが一つあります。地域文化です。地域文化を変えようとして見たら‘地域教会’に集まるしかありません。タラッパン基礎5つが出てきたのです。じっとしていても答えられるから、出てくるのが何でしょうか。短い時間に可能ならば見られるようにしてあげて、時間がないから、この多くのことを圧縮させてみようというのが‘合宿訓練’です。合宿になるしかありません。根源一つを発見するから、ずっと出てくるのです。こうして見たら何がなるのでしょうか。正しくなされた全体が動きは‘システム’が出てきます。今までシステムは基本的なことですが、今はかたまるようになるシステムが出てきます。これが伝道学校、伝道神学院、産業宣教などなどです。こうして見たら、私たちが正しく集約をして、子孫が見られるようにしなければなりません。それが共同体です。例えば、共同体訓練場が10万個に広がったとすれば、どんなことが行われるでしょうか。それで飛び越えることもやめて、緊急にもせずに、少しずつ良くするということです。そうしたら中間に時々、勇気のある果敢な人も現れます。賢いのが嫌いだということではなく、こういうもの知らずに、自分が賢いのでする人が、することが嫌いだということです。経験が悪いということでなく、こういうもの知らずに経験でしてはならないということです。理解しなければなりません。根源から上がってきたのです。一つずつ答えがくるから作るのではなく‘作らなければならない’それで、どんどん更新しなければなりません。この訓練を受け入れた人はよくわかるようになります。このようになるならば、私たちのタラッパンはすばらしいパワーを持って続くのです。事業する人は分かるでしょうが、根源一つ発見するのが、そのように重要なのです。教授も根源一つ発見すれば、ずっと学問ができます。ある注射、病気の名前は、特に人の名前を付けるではないでしょうか。それは、人がある根源を発見したためです。これを基礎でして、学問がずっと発見できて、参考になるのではないでしょうか。牧師、役員は‘タラッパンの根源と流れ’をよく分からなければなりません。人によって違うでしょうが、いくら分かるかは、考えて悩む部分です。そのような意味で、産業宣教中心に役員合宿訓練をしようと言うのです。こういう流れる部分、根源を見ることができれば良いという意味です。休暇も単に取るのではなく、外国キャンプ現場に行ってみる休暇も取ってみるように望みます。私たち自らの技能、学問、すべて持っているのですが、聖書の全体を知っていてこそ価値あるように行くようになるのです。こういう意味で見る時、アブラハムは‘根源的祝福’を受けたのです。‘祝福の根源’になりました。今からすべてのことをする人は、誠実にしながら‘根源的祝福’を捜し出さなければなりません。そうすれば、まちがいなく成功します。事業をうまくやっていても、いつも‘根源’を捜し出さなければなりません。だめな人は、だめなほど落ち着いて‘根源’を捜し出さなければならないのです。大部分の人々が‘根源’を探さないために困難がくるのです。その程度は覚悟しなければなりません。‘根源’を探してすればやさしいのに、そうでないから困難がくるのです。 1.根源が何か分からなければなりません。 私たちは未信者と違います。神様が根源です。 (1)神様の根源-それなら、私たちには限界が来ません。 ①箴言1:7主を恐れることは知識の初め(祝福の根源)である ②詩1:1-6水のほとりに植わった木のように, (2)救われた者にくださった祝福-それは根源を捜し出したからできるのです。 (3)すべてのことの根本-改革:学業、仕事、過ぎ行く事 何でも根源を持って捜し出さなければなりません。こうすればまちがいなく成功します。 2.アブラハムにくださった根源的祝福(創世記12:1-9) (1)カルデヤを離れなさい ①偶像都市 ②滅亡都市 それこそカルデヤは‘根源都市’でなく‘危機都市’でした。 (2)わたしが示す土地に行きなさい。 簡単に話せば‘根源都市’に行けという言葉です。危機都市から抜け出して、根源都市に行けということです。 (3)あなたの子孫によって、国々の民が祝福を受けるはずだ。 簡単に話せば、根源になる民族にせよという意味です。こういうものを悟れなかったので、常に崩れました。 3.信じることができないアブラハム アブラハムが初めには不信仰をしたのです。食べて生きるのが難しいから、根源が何か、こういうように考えました。 (1)創世記12:10-18エジプトに降りて行く、ものすごい失敗をしました。私たちが根源を発見できなければ、このようになります。急に悪化するから、対策をたてるのですが、どんどん間違った対策をたてるのです。理解できます。祝福を与えると言われたのに、行ってみたら飢謹になって、飢えるようになったためです。このような時、うろたえていてはなりません。 (2)創世記13:1-13あなたの子孫によって、祝福の根源になる。ここに対して疑いを持ったのです。おいを連れて通うのは、あやまちでなくここに対する疑いがあったのです。イシュマエル1人を産んだとしても、風習的に大きい誤りではないのですが、祝福の根源になるというみことばに疑いを持ったのです。それで、ハガルをめとってイシュマエルを産んで、ロトを連れて通ったのです。 (3)ハガルとイシュマエル-アブラハムは根源的祝福を知らずに、エジプトに降りて行って、ロトを連れて通いながら何かをしてみようとしたのです。私たちも同じです。祝福の根源を持っていれば問題にならないのに、疑うのです。 4.悟った日に現れた答え (1)創世記13:14-18重大な悟りが与えられました。全てのものをあきらめるほど悟りがきたのです。‘祭壇’を積み始めたのです。漠然とした祭壇ではありません。神様が約束されたのです。見て踏む土地をあなたに与える。 (2)創世記22:13-20もう一度、神様はとてもアブラハムを試みられました。神様がアブラハムを祝福されようと試み(テスト)をされたのです。サタンがする試みと神様がされる試みは別のものです。神様が私たちをテストされました。サタンがすることは、テンプテーション(誘惑)と言います。アブラハムを祝福しようと準備されたのです。アブラハムは、この時‘根源的祝福’を分かったのです。ですから、世界で最も重要な祝福をアブラハムに任せられたのです。役員、産業人が当然、この祝福を受けなければなりません。メッセージを受けて祈ってみるならば、ある日、見えるようになります。理由が何でしょうか。 @結論:みことば-成就‘みことば’をくださった神様は、必ず成就させられます。神様は仕事を成就させること以前に、必ずみことばを与えられました。聖書にも重要なことの以前に,‘わたし、主の話だ’という言葉が出ます。知らずにいたのですが、みことばが現れれば必ず成就します。役員、産業人が根源的祝福を必ず受けることを望みます。正確な時刻表に成就するでしょう。勝利する産業人、役員になったことをお祝い申し上げて、根源的祝福を受けることを望みます。 -要約- <共同体と産業宣教(92) –役員と根源的祝福(創世記12:1-9) > 1.根源が何か分からなければなりません。 (1)神様の根源 ①箴言1:7 ②詩1:1-6 (2)救われた者にくださった祝福 (3)すべてのことの根本-改革 2.アブラハムにくださった根源的祝福(創世記12:1-9) (1)カルデヤを離れなさい ①偶像都市 ②滅亡都市 (2)わたしが示す地に行きなさい (3)あなたの子孫によって国々の民が祝福を得るはずだ 3.信じることができないアブラハム (1)創世記12:10-18 (2)創世記13:1-13 (3)ハガルとイシュマエル 4.悟った日に現れた答え (1)創世記13:14-18 (2)創世記22:13-20 |