[2006年5月6日/産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]
共同体と産業宣教(101) -産業人のレムナントの働き (哀歌4:1-5) @序論:1節を見れば‘ああ、金は曇り、美しい黄金は色を変え、聖なる石は、あらゆる道ばたに投げ出されている。’と言われています。このみことばは、誰でも知っているとおり、金は変わらないことを前提としています。しかし、金が変わったということです。これが何の話なのかというと、聖なる石が崩れたということです。神様の神殿が崩れることができないのに、聖なる石が崩れたということです。その理由を明らかにしました。3節を見ると‘ジャッカルさえも乳房をあらわし、その子に乳を飲ませるのに、私の民の娘は、荒野のだちょうのように無慈悲になった。’と言われています。時間が経ちながら、結局は、レムナントに福音が正しく入らないので、こういう問題がきたということです。私たちはこれを見ながら、産業人がする一番重要な働きがレムナントの働きです。すぐ答えがこなくても、正確にこの働きには答えがくるようになっています。
* 3段階:先に、この部分を見る時、初代教会を詳しく調べる必要があります。必ず段階があるのではないのですが、初代教会を見れば、3段階で進行していきました。 (1)みことば勉強-福音(葛藤、物質、名誉):ぱっと見れば、初代教会は所々でみことば勉強をしていることが見られます。ぱっと見ればそのように見られます。しかし、ここで初代教会はずっと福音中心にしたのです。ここで多くの問題が起きることがあります。ある人は、みことば勉強をしても福音中心でない場合がたくさんあります。しかし、ここで分からなければならないことは、福音中心に行ってこそ持続するのです。そのように見れば、葛藤が生じる人もいます。しかし、仕方ありません。この部分で、私たちの牧会と宣教を失敗する理由になるのです。ある人を見れば、物質中心、名誉中心に行きます。行っても、これは過ぎ行く人々であって、神様が願う人は福音とみことば中心に福音運動が起きることを望むのです。もちろん、人に物質と名誉が必要ないということではないのですが、福音とみことば中心に集まったのです。 (2)弟子-キリスト(120人):そうするうちに時間が流れながら、弟子が出てくるのです。聖書をそのように理解すれば良くて、私たちのタラッパンをそのように理解すれば良いのです。ぱっと見るには産業宣教がずっと集まるようだけど、弟子が集まるのです。他の教団で見る時は、タラッパンが所々集まって聖書勉強をすると見られるのですが、福音中心に集まるのです。ここに多くの答えと問題が来るのですが、福音中心に出て行きながら弟子が出てくるのです。この弟子という言葉は、キリストで答を出す弟子がずっと出てくるということを言います。 (3)エリート:時間が過ぎ去って、この中からエリートも出てくるのです。この3段階の特徴があります。このような形で広まっていくから崩れないのです。ぱっと見ると簡単に見られるのですが、他の団体から迫害がきても崩れません。他の人は人間的であると崩れるのですが、それでも弟子はキリストの答で崩れません。世界を征服した初代教会の姿です。私たちはこういう段階にずっと出て行っています。こういう人々に(物質、名誉中心)関心がないということではないのですが、福音に関心があるということです。聖書を見れば、弟子と群れがいます。群れに関心がないということではないのですが、本当の関心は弟子にあるということです。簡単に話せば、イエス様も3年間、群れに関心を持ったのではなく、弟子に関心を持ったのです。この群れは必要です。イエス様は癒しの働きを弟子にしたのではなく、群れにされたのです。おもに奇跡を起こすのも、弟子でなく、群れにされたのです。しかし、いざ問題がきた時、この人たちは一気に離れて行ったのです。今でもそうです。しかし、葛藤があったのですが、キリストで答えを出した弟子は、そのまま残るようになるのです。こういう人が120人残ったのです。これが小さい数字のように見られるのですが、120ケ国になり、120ケ時代もできるのです。イエス様が3年公生涯の期間、残した人々がこういう人々です。こういう人々が、マルコのタラッパンから始まったのです。もちろん、金がなくてタラッパンを借りて始めたのです。この人を通して神様は重要な計画を持っておられるので、働かれるしかありません。もちろん、聖書に貧しくて無知な人が多くいます。実際に貧しくて無知な人々は文化征服ができません。大学を卒業しても、していなくても、無知な人は文化征服ができません。ひょっとして、駅にいる乞食がデモはできるかもしれませんが、改革はできません。それで、労働をしても習った人と習わなかった人には差があります。ところで、弟子も重要ですが、エリートが福音を受けたのです。だから、どんな場合にも揺れないのです。これが今まで世界福音化をしてきた人々で、初代教会の姿です。もし、この中で今は実業家が出てくる場合、どうなるのでしょうか? 今のように、多くの実業家が宣教するのを見ましたが、そのようにしません。このように福音を受けたら、実業家は弟子になるのです。もちろん、人々にプログラムと救済をするのですが、それは序論に過ぎないのです。福音を知らなければ、実業家がお金はたくさん儲けても序論に投資するのです。これが何でもないようでも、全てを左右します。私は一度こう考えました。あまりにも良いことがあまりにも価値がないことになるのを見て、残念だと思ったのです。私に問題が出る前ですが、済州道で私に講義をしてくださいと言われました。私は知らずに行ったのです。行って雰囲気を見たら、たいまつ宣教会でした。長老が所々たいまつ宣教会を作って、自分のお金を出して集いをするようにするのです。ところで、問題は彼らが弟子を見る目がないことでした。それで、講義をがんばるのに、人々があまりいないのです。言わば、済州道の牧師がみな集まるということです。それだけ知って行ったのですが、10時頃になって20-30人が集まるのです。彼らが集まって食事する全てのものをソウルで長老がみな出すのです。私が講師で行ったのですが、講師の謝礼費もすべて出すのです。どれくらい感謝なことでしょうか? しかし、問題は現場がこれではないのです。牧師が30人がきたのですが、ノートを置いて記録する人がただ1人もいなかったのです。それも一名ずつ一名ずつ来るのです。講義する時、10時頃になって30人が来ました。講義を午前と午後の講義をするのに、ずっと来るのです。私もだいたい感づいて、だいたいして行かなければならないと考えて、講義をしました。幸いなのは、ある牧師がそばの牧師を触って紙をくれと言うと、紙に私のメッセージを書いたのです。それは、そのまま来て帰るのではなく、書くことが少しあると思ったということです。午後ぐらいなったら、ちょっと雰囲気が違うようにたくさん集まりました。私はひとまず講義をしてきました。その後に、その長老と奥さんに会いました。私が何か説明をすべきかも分かりませんでした。どれくらい尊いことをしているでしょう、それなのに全く弟子がいないのです。途方もないお金だけみな支出するようになるのです。ところで、その場にいた牧師も、全くそのような意識がないのです。くれば交通費ももらって、ご飯ももらえるので、そのまま来るのです。それが確かに私たちの韓国と世界教会の姿だと思いませんか?私が鋭敏なのでしょうか? 私はそのように考えません。それが今日の韓国と世界教会の伝統の姿です。弟子に対する残念さが本当にないのです。より大きい問題は、このエリートの中からレムナントが出てくるという事実です。彼らが出てきたのに、福音にならなければ失敗します。どう思うでしょうか? レムナント中にエリートが出てきたのですが、彼が福音の味を知らずに弟子を知らなければ、失敗するのです。私たちは高価な失敗作の図案を作るのです。それが簡単に変わるようですが、生きてきたことはあまり変わりません。このように見る時、集いと教会、皆さんが持つ弟子の集いが重要だという答えが出てきました。もし、この中で大統領が出てきたとすればどうなるのでしょうか? そうでなければ、影響力がある政治家が1人出てきたとしましょう。彼が影響力がある政治家なのに、福音体質になっているとすると。他のものもみな必要なのですが必要なくて、福音が重要だということと、多くの群れが必要ですが、弟子という単語を知っている人がいます。そして、貧しくて難しい人を手助けしなければならないのですが、実際エリートというものを知っている人ならばどうなるでしょうか? そうでなければ、問題がものすごく大きいのです。それでは果たして私たちの国の政治には、こういう人がいなかったのでしょうか? 単に信仰生活してみるならば、知らずにそうなります。朴正煕大統領の周囲には全部、按手執事と長老でした。ほとんど100%です。大統領の命の責任をとって付いて回っていた警護室長は按手執事でした。大統領のすべての業務を管轄する秘書室長は長老でした。重要なクリスチャンで囲まれていました。もし彼らがこの部分(福音、弟子、エリート)を本当に知っていたとすれば、どうなったのでしょうか? 金泳三、金大中、朴正煕大統領はみな教会に通った人です。彼らは教会をどのように知っていたのでしょうか? こういう意識を持って、この席に座っていなければなりません。こういう意識を持って牧会をしなければならないのです。役員が、こういう意識を持って教会の働きしなければ、多いことが難しくなります。 * 熱心,位置:ところで、福音と弟子より、重要な方々が熱心にだけ焦点を合わせるのです。もし福音にならなければ、がんばるだけ損です。教会はおもにポジションに関心が多いのです。皆さんが知らないからであって、序論の三つは、全くポジションと関係なくなるのです。これを知らないのです。ある人は、正常な執事が牧師するというのに、これを知らないのです。牧師が必要ではあるのですが、誰でも牧師をするといってはいけません。ある人は、友人が牧師になるので対話にならないからと、自分も牧師をすると言います。それは知らないのです。さらに正確に話せば、これは牧師にならなかった方が良いのです。弟子の働きを正しくするのは、牧師より教授がはるかに良いのです。大学で使命を持った者が牧師を嫌うということです。なぜなら、牧師は重要な弟子が出てくれば、キラキラした目で教会に連れて行こうとするので、弟子は嫌いなのです。それでも、少なくとも教授はそうではないのです。これがどれくらい重要なのでしょうか? だから米国や先進国、ヨーロッパには全くこういうものがないのです。福音運動、弟子運動をするのは、ポジションと全く関係がありません。私は幼いころから牧師になれということを多く聞きました。幼かったのですが、牧師を見て、誰もがすることができないということが分かりました。誰もがしてはいけないことも分かったのです。私は今でも選択をするならば、牧師より一般信徒が良いのです。企業より裁判官や公務員が良いのです。そして、執事や長老で教会と牧師に仕えて、現場で弟子訓練をして、収入が良ければ牧師に仕えて、どれくらい良いでしょうか? 神様の特別な計画があるので、なったのですが、ポジションと全く関係がありません。前の三つを良くする人は、神様がご覧になる時、合格です。この三つをしないながら、名称と学位、経歴が多いことは何の効果もありません。全くなくてしても、ただこの三つになられれば、その人は最高の弟子です。これにすべての牧師、宣教師、教授は目を開かなければなりません。神様は全てのものを治めておられるのですが、その核は福音を伝えることです。無尽蔵な福音ですが、正しく知ればみわざが始まるのです。そして、私たちが目を開いてみれば、牧師がどれくらい序論に対する反対のことをがんばるのかわかりません。今日あらまし理解したことと見て、ここで何をのがすようになるのでしょうか? 私たちがこのようにしなければ、教会学校をいくらがんばっても失敗するのです。むしろ、お金をたくさん使ってミッション スクールを作ったのですが、ミッションスクールのために、教会に対する拒否感を感じるのです。何百億を投資して学校を作って、弟子を探すべきなのに、無理に方法でするので、教会に対する拒否感を持つのです。私が知っていることでは、朴正煕大統領は歩く時から高等学校の時まで教会に通っていました。その方が生まれた家に行ってみたのですが、すぐ家の前が教会でした。その周囲を見たら、その他に行く所がありませんでした。高等学校を出ながら外に出てきて教会に行かないのです。当然、今日のエレミヤ哀歌の哀歌からは痛恨な歌ということです。 1.神様が最も喜ばれること:それなら神様が最も喜ばれることが何でしょうか? このように答が出てきます。中の内容の一つ申6:4-9節を見ても、神様が切実に希望されて祈ることを見られます。イスラエル民族を荒野に救い出して、聞きなさい。イスラエル。これをあなたたちの子どもに座ろうが立とうが道を通り過ぎようが、言わば正しく教えなさいということです。だから、神様が最も喜ばれることが何でしょうか? 長老、牧師、産業人が記憶しなければなりません。神様が最も喜ばれることが何でしょうか? 弟子が何の話なのかが分かれば、多くの人を受け入れることができます。弟子という言葉をわかれば、群れという言葉もわかります。弟子という言葉が分かれば、試みにあうこともありません。 2.産業人:それでは産業人がどんなことから働きをすべきでしょうか? 見なくても答えが出てきました。結局、福音運動、エリート運動、後ほどには福祉の次元まで行かなければならないのです。産業人が少しずつ大きくなりながら、このように行けば、神様がとても喜ばれて、皆さんを祝福されるでしょう。なぜそうでしょうか? 3.至急な祈り:私たちには至急な祈りが残っているためです。 韓国と世界にRUTCを作って、レムナントでこれを見せるようにしなければなりません。この祝福を私たちが捜し出すようですが、神様が与えられたものがあるので、これを見るようにしなければなりません。祈りも私たちがよくしてこそ与えられるようなのですが、神様が与えられるものがあるので、これを見るようにしなければならないのです。このようになれば、皆さんの生活において、神様が意味あるようになさるのです。これから私たちがしなければならないことはRUTCです。これから世界産業人が起きて、すべての学校にミッションホームを作らなければなりません。全世界産業人が起きて力を合わせて、全世界の学校ごとにミッションホームを作るのです。どの程度まですべきでしょうか? あなたはレムナントで、福音を持った者なので、特別に私たちが迎えるという意識で育てなければなりません。これがどれくらい重要なことでしょうか。それなのにこれを悟れなければ、どうなるでしょうか? しかし、これを知ってまたサタンは皆さんに文句を言うでしょう。しかし、神様はより大きい祝福をくださることを分からなければなりません。神様はレムナントと産業人を通して各学校ごとにミッションホームを作られるでしょう。それもエリートが自負心を持ってこれるようにするのです。そのようなことが出来ます。それで、全地域にミッションホームを作るのです。それなら、今日、ここに座った人と教授がどれくらい重要なのか答えが出てくるでしょう。最後に結論を結びます。 @結論 経験-気質:もし序論を区分できなければ、私たちは副次的な多くのことをするようになります。ところで、裁判官ならば裁判官、教授ならば教授、事業家ならば事業家の気質があります。もし皆さんの気質が重要なことでなく、副次的なことに用いられて葛藤を感じたら、これが問題ということです。それでは教授は、それだけ習った経験があるので問題になるのです。皆さんが持っている気質が、もし序論を分かれば、すばらしい働きが起きるのです。教会は牧師と長老がとても重要です。もし大部分の長老の気質が、弟子でなく群れならば、問題が起きるのです。私が見るのに、ここに全てがあります。この話だけわかって、生き方になれば、じっとしていても答えになるのです。神様が最も希望されることなので、皆さんが動く所ごとに答えがくるのです。今日、聖霊が皆さんの理解と多くの生活の中に祝福があるようにされるでしょう。この祝福を皆さんが永遠に子孫代々に味わうようになることを希望します。 -要約- <共同体と産業宣教(101) -産業人のレムナントの働き(哀歌4:1-5) > 1.神様が最も喜ばれること (1)申6:4-9 (2)イザヤ60:1-22 (3)イザヤ62:6-12 (4)ヨハネ21:15-18 (5)Ⅱテモテ2:1-7 2.産業人のレムナントの働き (1)福音運動次元 ①申6:4-9 ②Ⅱテモテ2:1-7 (2)Elite訓練次元 ①イザヤ60:1-22 ②イザヤ62:6-12 (3)福祉次元(哀歌4:1-5) ①韓国 ②世界 3.至急な祈り-一生の祈り (1)韓国のRUTC (2)世界のRUTC (3)世界学校のMission Home |