[産業宣教メッセージ/ 2006.5.20 /ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(103) -世界征服する産業人の色
(Iテサロニケ1:3-5)


@序論:10年ほど前に米国集会に行くようになりました。牧師が必要だから、たくさん集まりました。集会をし終えたら、ノートがたくさんきました。一緒に行った人々が、そのノートを集めてみたら、約50枚くらいでした。自分の教会で復興会をしてくれという内容でした。次に計画を組もうと話して、みな捨てなさいと話しました。またずっと要求がきました。時間がなくて、してあげられないから、一緒に行った方に頼みました。可能ならば、受けないでくださいと言いました。もちろん、行って恵みも与えて、伝道するのも良いのですが、そういう背景ではないためです。今まで、私たちは多くの時間を経ながら、レムナントが起きて、多くの答えを受けました。伝道運動をする人、しない人々も区分できました。話しの骨子が何かというと、良くできなければならないことがあります。
▲聖霊の導き-聖霊の導き受けるということは、ずっと答えを受けるのです。聖霊の導きを受けなければ、いつも葛藤がきたり、葛藤を与えるようになっています。ぱっと見れば、区分が良くできません。初期に要請したことは、教会を復興させようと思う良い思いでした。いつもしてきたので悪いように見えないのですが、私たちはいつも聖霊の導きを確かに受けることができないのです。ヨハネ15章には、木の枝はついているだけで自ずから実が結ぶのです。木の枝が正しくついていなければ、枯れるようになっています。正しくついていなければ、問題がくるのです。例をあげれば、枝が枯れそうな時は、実をよく結ぶことはできません。そこで、枝に装飾でもするようになれば、問題がきます。私たちは度々信仰生活をこのようにするのです。それで難しいという言葉を度々します。聖霊の導きを正しく受ければ、すべての答えがずっとくるのです。復興する教会は立派ですが、導きを確かに受け取っているからなのです。聖霊の導きを受けるのは、未信者はよく理解できないでしょうが、私たちには正解になります。聖霊充満することは、聖霊の導きをずっと受けてくるのです。聖霊の導きを正しく受けないながら、山に行って断食しながら祈れば、受けられるでしょうが、正しく受けたものと言えません。メッセージ、副教役者、教会員にも何度か話しました。度々、現地で和合できない人々が、私たちの教会に地域教会をするという話をします。これは聖霊の導きではありません。その地域で和合できないのは、聖霊の導きではありません。私たちは365日の1分だけ聖霊の導きを受けても働きが起きます。事実、私たちは弱いから、聖霊の導きを少しだけ受けてもその実はものすごいのです。瞬間的な判断も含まれて、色々なものがあるでしょうが、最も貴重な鍵は福音です。‘わたしがあなたがたを選んだことが分かります。’それなら、聖霊が私とともにおられるから、聖霊の導きを受けるのです。
▲エペソ4:30 ‘神の聖霊を悲しませてはいけません’
▲Iテサロニケ5:19 ‘御霊を消してはなりません’聖霊が私とともにおられることが前提になった状態で言われた言葉です。何で未信者に聖霊を消してはならないと言われるでしょうか。救われた者には、聖霊が確かにともにおられるから出てきた言葉です。ほとんど、聖霊が私とともにおられるのに、度々、自分自身がオーバーだから憂えないでと言われるのです。聖霊は正確に私とともにおられるに、不信仰で憂えるから、聖霊を消さないでと言われるのです。どこかへ旅行に行ったり、話をしてみれば、聖霊の導きを受けることも出来ない人はわかります。聖霊の導きを受ければ、ずっと答えが起きます。それで副牧師が、こういう報告をしました。伝道キャンプをしながら働きが起きたことを話しました。あちこちで来て下さいと言われたので、悩みになったのです。それで、こう話しました。‘全体本部の次元で決定して伝道運動するということには行きなさい’と言いました。‘しかし、そうではなく他の考えて呼ぶ人が多いから、区分を良くしなければならない’と言いました。ところで、度々招かれたら、呼ばれた人も導きを受けられなくなります。ある人が度々来て下さいと言うのに、気分が悪い人はあまりいません。呼ぶ人、行く人が、互いに聖霊の導きを受けないから問題がくるのです。それで、これだけできれば、ずっと働きが起きます。

1.伝道現場で見た人々
もちろん、数値は正確だとは言えません。
(1)教会通ってみたことがある。(35%) - 3分の1程度が教会に通ってみたことがあると言います。過去に通ってみたということです。
(2)教会行って試験受けた。(25%) - 2分の1程度が、教会に行って試みを受けたと言います。
(3)信徒に失望した。(60%)
▲もちろん、このように話した人々の錯覚、霊的問題であるでしょう。福音をよく知らないから誤解したと言うこともできます。ところで、こういう人々が存在しているということも事実です。私たちの教会に韓国で有名な財閥の娘が通っています。お父さんがお願いすると言いました。この頃、教会に行って恵みを受けて、祝福を受けたという話をしたら、お願いされたということです。‘他のところは皆いっても良い。みな良くてあげるから教会だけは行ってはならない。詐欺を働いて、一番難しくする人々が大部分が信徒だ’と話したということです。この人たちが、キリスト教の行事も参加するのですが、心の中では、クリスチャンに対しては違うと思っているのです。もちろん、50%はその人の霊的問題であり、残り50%は教会が悪い影響を及ぼしたと言えるでしょう。ヨーロッパに行ったところ、姉妹1人がとても実力があって、韓国大学で教授で来なさいと言われるということでした。この娘は金持ちの家の娘です。家がとても良い家です。嫁に行く年齢も過ぎたのです。ただ一つ悩みがあるのです。正確に福音を受けたのです。ロシアに留学して、タラッパンメンバーに会って福音を受けたのです。この人が卒業してヨーロッパに行ったのです。ここでも正確に信仰生活をしました。ハン・ドンフン長老のミッションホームで総リーダーをしています。家の背景が良いから、韓国に戻ると、男の人を準備しておいて結婚しなさいと言われるのです。どの親が、子どもに結婚しろと言わないでしょうか。そのようにみな準備するのです。悩みが2つあります。本当に、この福音で祝福を受けたのは間違いなく、私の家庭を福音化しなければなりません。この悩み2つなのに、家に戻れば福音を持った男を紹介するでしょうか。親と人格的にみな通じているのに、福音だけは通じないのです。そのお父さんがソウル大を出たのですが、‘絶対に教会には行くな’と言うということでした。娘が悩んでいます。このように、親が上の理由と同じ理由で反対をするから悩みなのです。恨みが雫になるほど、クリスチャンが詐欺を働くということです。もちろん、そのような方たちが正しいのかという考えになるのですが、そのように詐欺を働いて通う人がいるということです。私が見るのに、クリスチャンがほとんど聖霊の導きを受けることができないから、そのような事故がおきるのです。未信者が見る時には、詐欺です。私たちが緊急に他人のお金を借りるのに、返さずにいれば詐欺になるのです。

2.教会に通う人々
現場で教会に通う信徒を見ました。こういう問題に、法事の問題などが重なるから、教会に行くことができないのです。そのように見る時、路傍伝道するのはある面で狂ったことだと思います。路傍伝道は、最も水レベルが高い人、最もレベルが低い人がするのです。完全に聖霊の導きを受けた人がするのです。エチオピアの宦官とピリポを見てください。伝道キャンプする人々に、私は‘伝道キャンプをどのようにしてこそ良くできるのか’こういう講義もするつもりですが、伝道キャンプをする時ごとに主題を持ってしなければなりません。軍作戦で言えば、鷲作戦などと言うように、伝道キャンプをする時も、作戦がなければならないのです。例えば、私の場合、一番最初にする伝道キャンプが、教会の中で崩れた人から捜し出すのです。‘家族キャンプ’のように、おもしろい名前を作れば良いのです。その次には、システムを利用する伝道キャンプ、子どもたち、留学に行った子どもたち、留学に行った親を集めたり、いくらでも作れます。
(1)伝道が難しい(99%)
福音を正しく知らなくて、聖霊の導きを受けることができないから、伝道が不可能なのです。
(2)祈りができない(80%)
(3)確信がない(40%)
(4)実際に確信がない者(99%)
これが今日の現場で、今日の信徒です。その中で伝道するというのに、エチオピアの宦官のように完全に聖霊の導きを受けなければ、ほとんど失敗です。それでタクシーに乗って行って伝道しません。そうでなくても頭が痛いのに、代わりにタクシー運転手を祝福して、交通費以上であらかじめ豊かにお金を与えるのです。そのような雰囲気の中で、運転手が心を開いて話をすれば、後にいくらでも救われる時刻表が来ます。聖霊の導きを受けることも出来ない人は、伝道も違うようにするのです。全く実を結ばない伝道をするのです。その上、問題まで起こします。倫理を話すのではなく、聖霊の導きをずっと受ければ、答えがくるようになっています。冗談で警護する秘書にしばしば話します。私を傷つける人はいないと思うのですが、時々、精神病患者が問題を起こすのです。それでやむを得ず、警護する人が必要なのです。前に行きながら人々を押してはいけないと、いつも話します。ある時は、人々を押して、そのような場合、私が申し訳ないと挨拶します。こういうものも、聖霊の導きです。警護する人々は、前に行って握手してはいけません。小さいことから聖霊の導きを受けないために答えがこないのです。聖霊の導きを受ければ、色が出てくるようになっています。

3.色は本質から出ること(Iテサロニケ1:3)
言葉に気を付けなさいということは、言葉が考えから出るためです。
(1)信仰  (2)愛  (3)希望

4.本質の力(Iテサロニケ1:5)
(1)力  (2)聖霊  (3)大きい確信
本質が言葉から出るのではなく、力、聖霊、大きい確信から出るのです。これは結果だと言えます。それで、信仰生活はやさしいのです。私たちに問題がきても、答えも見えて、理由も見えます。答えにならないのと待つのは違います。このようにならなければ、教会に行ってもいつも問題が来ます。

5.伝道者から見たこと
私たちは誰であるかという以前に、伝道者です。ヨセフは大統領だと思ったのですが、完全に伝道者です。ダビデは完全に事業家だと思ったのに、伝道者でした。ガイオも同じです。ですから、体質を通して神様がともにおられることも分かります。
(1)体質  
(2)律法,神秘,人間中心主義-私たちの体質の中からみな出てくるものです。聖霊の導きより、原則を度々問い詰めて、聖霊の導きより強調すれば律法が出てきます。聖霊導きより、個人の体験が強調すれば神秘主義です。方法なく生きられないのですが、方法が聖霊の導きより強調されれば人間中心主義となります。それで、完全に違うようになります。
(3)基礎,基本,根本-私たちはこういうものがとても弱いから、聖霊の導きを受けるのが最も良いのです。聖霊の導きを正しく受ける時、基礎、基本、根本がみな生き返るのです。

@結論
聖霊の導き一つだけ悩んでもかまわないのです。聖書には365回も憂えずに心配しないでと言われました。Ⅱコリント7:10私がどのように聖霊の導きを受けるかを悩めと言われました。それでは永遠のいのち、救いに達するようになると言われたのです。確かに言われているのは‘世の悲しみは滅びに至り、聖霊の悲しみは救いに至る’と言われています。信仰生活をがんばらずに、聖霊の導きを受けなければなりません。ここで聖霊の導きだけ確かに受けても、答えは継続されます。産業人、役員が、現場に行ったり、教会に行けば、とても重要な方々だから、特に聖霊の導きを確かに受けなければなりません。聖霊の導きがまさに結論です。みことばを受けて祈るのが、まさに聖霊の導きです。それではオーバーでもなく、遅れもしません。最も正確な時刻表が聖霊の導きです。事業も聖霊の導きを受ければ良いのです。事業、している事に聖霊の導きの祝福あることをお祈りします。
--メッセージ要約--
<共同体と産業宣教(103) -世界征服をする産業人の色(Iテサロニケ1:3-5) >
1.伝道現場で見た人々
(1)教会に通ってみたことがある。(35%)
(2)教会に行って試みを受けた。(25%)
(3)信徒に失望した。(60%)
2.教会通う人々
(1)伝道が難しい。(99%)
(2)祈りできない。(80%)
(3)確信がない。(40%)
(4)実際に確信がない者(99%)
3.色は本質から出ること(Iテサロニケ1:3)
(1)信仰  (2)愛  (3)希望
4.本質の力(Iテサロニケ1:5)
(1)力  (2)聖霊  (3)大きい確信
5.伝道者から見たこと
(1)体質 (2)律法、神秘、人間中心主義  (3)基礎、基本、根本