[2006年12月9日/産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]
共同体と産業宣教(131) -改革の主役(20) -産業人の目 (使徒18:1-2) @序論:使徒18:1節に「その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、」と言われています。簡単な出会いのように見られるのですが、ここにはとても重要なことが入っています。私たちの伝道者や産業人は、こういう目がなければなりません。事実上、プリスキラとアクラ夫婦は、後ほど大きい経済人になりました。ICCの注釈を見れば、ローマ相手に多量の金を儲けたとなっています。その当時はみずぼらしかったのですが、パウロは事実上、世界的な福音を伝えた伝道者です。私たちが事実は、働きも牧会も事業もこういう目がなければならないのです。 1.聖書に祝福された産業人の目 私たちがすばやく聖書を見れば、祝福された産業人が目は違っていたのです。 (1)創世記14:14-20:創世記14章だけ見ても、アブラハムに重要なことが多くあります。その家にしもべだけで318人いたということも、とても重要な話となります。その時、ソドム王と戦って勝った時、ソドム王が財産を与えると言いました。しかし、アブラハムが一つも受けないと言ったのです。そして、その時の帰り道に、メルキゼデクという人に十分の一をささげました。この三つだけ見ても、アブラハムはすばらしい目を開いたと言えるでしょう。 (2)ヨシュア2:1-7:ヨシュア2:1-7節を見ましょう。ラハブが単なる救いを受けたことではなく、簡単に話せばスパイを隠したのです。それもお客さんで来たのではなく、国がつかまえに出てきたのです。それでは、この人はすでにイスラエル民族、ヘブル民族について聞いていたということです。さらに重要なのは、これから未来に対することも抱くということです。マタイの福音書を見れば、この人が救いの重要な隊列に入ったのです。単純に商った人でなく、正しく目を開いたのです。こういうものを見られる目があるということは、とても重要です。聖書は重要な部分ごとに、こういう話が出てきます。 (3)I列王18:1-4:I列王18章を見れば、オバデヤという人が出てきます。アハブ王の下で仕事をしている公務員です。この人が、アハブ王が一番嫌う預言者を100人を隠して食べさせたという事実です。普通の目が開いた人ではありません。皆さんならば、簡単にできるでしょうか? アハブ王が一番嫌って殺そうとする預言者を100人隠して保護したということです。これが色々と重要なことを言っています。事実上、エリヤがアハブ王にカルメル山での戦闘を提示した時、誰を通して提示したかというと、オバデヤを通じて提示したのです。このように、私たちがどんなことをするのか、どれくらいよくするかも重要ですが、このように正しく目を開かなければならないのです。 (4)使徒9:1-43:使徒9章を見ましょう。使徒9章を見れば、初代教会は役員が現場弟子として敷かれたのです。これが長老の基準です。これが長老の数字の基準です。このようにならない以上、絶対に事実上、民族福音化することはできません。このようになったので、マルコのタラッパンは小さいけれど弟子が3千名起きたのです。牧師や長老がみなこういう目を開かなければなりません。今、弟子訓練をさせようとするのがこういう部分が一つ入っているのです。役員訓練をさせようとしているのです。事実上、イスラエルの国の構造を見れば、長老中心に数字がとても多いのです。初代教会は間違いなく最も重要な鍵は役員中心に弟子が敷かれたことです。それで、この目が開かなければ、いろいろ複雑な問題がきます。長老を何人立てなければならないのでしょうか? ある人は、30人に一人を立てなければならないというのですが、30人に1人立てて何をしているのでしょうか? 教会の中に集まって、毎日集まって会議をするのも重要ですが、どんな意味をおくのでしょうか? そのようにするほど、現場が死にます。それで、初代教会の聖書で起きたことを見る目がなければなりません。それでは、私たちは教会組織を見れば、大韓キリスト教長老会でなく、大韓キリスト教執事会です。執事がはるかに多いのです。多くの数字を民主主義に変えて、大韓キリスト教執事会に変えなければならないのです。 (5)使徒10:1-6:今、皆さんが最も難しい時期に使徒10章を見れば、ペテロが皮なめしのシモンの家にとどまったと出てきています。それでは、他のこと、コルネリオが立ち返ったことを抜いても、この皮なめしのシモンとは誰でしょうか? この程度の目は開かれなければなりません。皮なめしのシモンの家が、まさにミッションホーム、伝道現場の役割をしたということです。この人が産業も正しくしたということです。私が今、公式に皆さんと共に15年、全体30年をしたのですが、私たちの教会を静かに見れば、正しくみことば運動を行う人が何人もいません。執事、長老の中にも無理なく福音運動、みことば運動を行える弟子があまりいません。問題は、私たちの関心の問題です。私はいつも感じるのに、彼らの関心が違ったところにあるといつも感じられます。もちろん誤って受け取れるでしょうが、私はいつもそのように感じられるのです。こういうことをいつも感じます。初代教会の役員を見て下さい。初代教会の産業人は良くやったというより、答えを受けるしかありませんでした。バカが見ても、この人たちは祝福を受けるしかなかったのです。こういう目を持っていなければなりません。これは難しいことでなく、神様が願われることなので、恵み深いことなのです。これで終わるのではありません。 (6)使徒13:1-12,使徒16:15,使徒18:1-2,3:パウロが宣教に出るようになります。ここにポイントなることを見ましょう。使徒13章で総督に会って、16章で産業人ルデヤに会って、今日の本文でプリスキラに会いました。これが宣教地まで連結にすべきなのに、今、そうなっているでしょうか? 無条件に、私たちの教団の名前を出さなければならないから宣教師を派遣して、その人がこれをするのかあれをするのか何をするのか分からないのです。残念なこともありません。そのような中に、本当に異端は共同体を作って出ています。このように私たちはバカなことを継続しているのです。 (7)Ⅲヨハネ1:2,ローマ16:23:1人をさらに見てもそうです。ガイオです。このガイオという人を見ましょう。Ⅲヨハネ1:2節は、ヨハネが送った手紙なのですが、その言葉はガイオがヨハネを助けたということです。ローマ16章を見れば、すべての伝道者を助けたという内容です。特にパウロを助けたということです。今、助けたことが問題ではありません。この人が正しく目を開けたのです。 2.目 それで、私たちは牧会、産業をしようが、宣教現場にあろうが、5つの目は必ず開かれなければなりません。 (1)広く開くべき(門):広く開かなければならないのです。現場はたくさんあるのに、私たちが見られないので、広く開かなければなりません。私はまだほとんど抜かさずに全国と世界現場を行ってみたのですが、特に世界現場に行った時、外国人の長老を立てるのを見たことがありません。それでは、なぜ宣教地に出て行っているのでしょうか? いっそ韓国にいれば良いということです。毎日、韓国の人と分捕り合戦をするのでけんかをするのです。目が暗いのも、普通の暗さではありません。それで、牧師に会えば私は話します。黒人も長老を立てて、アフリカ、メキシコ人も立てなさい。何でもないようでも、こういう外国人が出てきて代表祈りをすれば雰囲気がすでに違うのです。すると、このように答えます。まだ足りないので、さらに育てなければならないと言うのです。どうせ足りないことではないでしょうか? どうせあなたも私も足りないのに、立てたらどうなのでしょうか? いくらでも門があるのに、門を防ぐのです。ちょっと広く開かなければなりません。礼拝もみことば運動を正しくしながら、1部、2部、3部を捧げる準備をしながら広く開かなければなりません。これからレムナントと宣教現地の人を立てなければ、1世が死ぬ日、その時から、おかしな問題がくるのです。さらに問題は、私たちの2世の教会のアイデンティティーに深刻な問題がきます。私たちは可能ならば目を広く開ける必要があります。あまり北朝鮮のようにせずに、広く開かなければならないのです。北朝鮮は門を閉めるので死ぬのです。これが好きな人がいるのですが、飢え死ぬのです。主体思想も良いのですが飢え死にします。ところで、大部分がその思想なのです。私たちが霊的に、教会で門をあけなければなりません。むちゃくちゃに開くのではありません。 (2)正確に進行すべき(導き,計画):私たちが進行する時は正確に神様の導きを受けて進行するのです。これがとても必要です。 (3)違うようにすべき(創造的):そして、私たちは何か違わなければなりません。同じでどうするのでしょうか?教会が宗教と同じならば、なぜ教会に行くのでしょうか? 違わなければなりません。私たちの福音は創造的です。新しい被造物として立てて再創造をするのです。私がある日、仏教放送を聞いてみました。本当に水準が高かったのです。率直な話で、未信者が仏教放送とキリスト教放送を聞けば、仏教に行ってキリスト教には来ません。僧侶がひとりが出てきて、信仰生活の方法10個を言うのに、私は衝撃を受けました。話しの要旨は福音ではないのですが、一言でこれです。なぜ心配が多いかということです。いらない欲が多いということでした。なぜ譲歩できなくて戦うのでしょうか? いらない欲が多いからだということです。なぜ未来の心配が多いのでしょうか? いらない欲が多いということです。これが話です。ところで、すぐキリスト教放送を見たら、キリスト教放送は、私が力を与えられれば全てのことができるので、火を受けなさいと言うのでした。それでは、だれが感動を受けて行くでしょうか? 教会が福音を正確に話さなければ、宗教と同じなのですが、それでは何のために人が行って、その中で人を生かすことができるでしょうか? 少しだけ違っても良いのです。米国LAに行けば、韓国食堂でうまくいく所があります。なぜそうなのかと聞いたところ、私たちの秘書が話をしました。その食堂の社長が放送に出て話をしたのですが、どんな場合でも、ご飯をよそっておいたのを与えないということです。簡単な話なのですが、ご飯をよそっておいたのを出せば、まずいということです。他の食堂はそれをしません。だから少しだけ違っても良いのです。 (4)なることからすべきで、なることをすべき(生産性):それと共に、私たちはむちゃくちゃにするのではなく、なることから、なることをしなければならないのです。これは信仰、事業、教会の原理にみな含まれるのです。 (5)適用すべき(個人化):そして、とても重要なのがこれです。皆さんの信徒は何人なのでしょうか? 個人にどれくらい答を与えるかが重要です。初代教会を見ましょう。パウロがローマ16章の人物を言う時、ニックネームをみな付けたのです。その話は、個人的にメッセージがすべて行っているということです。皆さんの信徒がいくら多くても、結局、個人的に恵まれないならばみな崩れるのです。これは個人主義ではありません。これは個人主義、利己主義を言うのではありません。いくら教会がプログラムをよく作って、ずっと進行しても、私個人的が恵み受けられなければ、結局は崩れます。大部分の牧師が、これをのがすのです。事業する人も、それが個人に必要ない事業ならば、結局はほろびます。副教役者が訪問になぜ行くのでしょうか?講壇と教会であった神様の祝福を個人的に適用させるのです。初代教会を見れば、タラッパンの門がなぜずっと開かれたのでしょうか? 結局、神様がくださったものすごい福音を現場化させたということです。個人化させたということです。こういう原理がとても重要です。 3.神様の目 それと共に重要なのは、神様はどこに本当に目をおいておられるのでしょうか?伝道者です。 (1)伝道者に(使徒18:1):使徒18章を見ると、パウロがどこに動くかがとても重要でした。 (2)弟子に(使徒18:2):18:2節を見ると、神様の目は伝道者だけでなく弟子にあるのです。 (3)神様の子供がいる現場と仕事場に(使徒18:2-3):神様の目は神様の子供が属している神様の働きが起きる現場にあるということです。 (4)伝道現場に(使徒18:4):会堂に入ったということは、結局は、神様が伝道に最も多くの関心を持っておられるという話になるのです。 @神様の導き:皆さんが産業人として祝福を受けた人、祝福を受ける人なので、みな記憶しなければなりません。結論的に、どんな目を開かなければならないのでしょうか? このようにする時、簡単に話せば、神様の導きを受ける最も重要なことは何でしょうか? 「一つのからだ」:パウロはこのように話しました。全体が一つのからだで、私とあなたはからだの一部分です。これは単純に一つになるという団結の意味ではありません。陸軍部隊に行けば、団結と書かれているのですが、こうした話ではありません。何か神様のものすごい計画の中にあるOnenessです。この目を開けられなければ、本当に負けます。統一教にも負けるのです。ユダヤ人には話すまでもありません。ニューエイジにためらいなく負けます。完全に文化と何にも、みな負けるのです。やっと私たちの教会、私の教会です。その話の中には、私の個人がよく食べて生きて死ぬという計算がいっぱい入っているのです。 (1)家庭:もし、夫婦が本当に対話ができたら、どうなるでしょうか? なぜ、もしという仮定の言葉をつけたのでしょうか? ほとんどだめなためです。耐えているでしょう。もし本当に霊的に対話ができたら、それはすばらしい家です。本当に福音にあって、神様のなかで夫婦、子供が対話ができたら、これよりさらに重要な祝福はありません。 (2)教会:もし皆さんの教会が本当に聖霊にあって一つになる祝福を味わったら、教会ではすばらしい答えがき始めます。皆さん個人が生きる道になるのですが、私は時々の人々が話すのを聞いていつも感じます。いつも感じるのが、按手執事を見れば、とても役員会に対する反発と派閥があります。私が会う人、ほとんどがそうでした。本当に不思議です。重要な場所、重要な人を見れば、ほとんどが派閥があるのです。そして、長老らを見れば、ほとんど按手執事に対して牽制しています。そうするうちに、訪問に行って一般信徒に会ってみれば、その人が私たちの教会の信徒なのか、どの教会の人なのか分からないほど他のことを考えています。どうなるでしょうか? 神様の恵みで講壇中心に行くのに、みな他の道に行くので生き残ることができないのです。私は幼いころから教会に通った者です。私は個人的に思います。役員会は按手執事も代表的に参加しなければなりません。私が今まで話したのを参考にしてみる時、勧士も代表的に参加しなければならなくて、聖日学校を担当する教育部長も役員会にきて座っていなければなりません。すべての意見が上がってくる教会は、その方たちがどのように祈って苦労しているのか見られるのです。役員会は、そのような程度ではありません。協同なのに出席させなければならないのか、やめなければならないのか? この人が登録長老なのに、出席させなければならないのか、させてはならないのか? こういう水準です。役員会がそのようなグループなのでしょうか? スパイ委員会が集まったのでもないのに、話せないことが何でしょうか? 簡単に話せば、目に見えないようにコミュニケーションが詰まっているのです。一緒にご飯を食べて暮らしていても、夫婦がコミュニケーションが全くだめなのです。それで霊的な問題がくるのです。それで終わるのではありません。 (3)共同体:だから、未信者がむしろ共同体という言葉をさらによく使うのです。文鮮明が共同体が上手で、全世界のお金を引いてきて今、韓国に神殿を作っているのです。今、韓国教会は役員会も一つになりません。皆さんの教会行けば、役員会も一つにならないでしょう。文鮮明は世界を引っ張っているということです。ニューエイジは、世界に入って行っているのに、小さい教会は集まることもなく、コミュニケーションがならないのです。はっきり調べればとても深刻です。聖霊は確かに一つです。それでは、聖霊の導きを受ければ通じることなのに、受けないということです。目に見えないように、ものすごい祝福をみなのがすのです。それで、はやく初代教会に帰りましょう。そのような意味で、初代教会は復興するしかありません。すべての現場で、みことば運動が起きているのです。すべての家が教会でした。すべての出会いがチームの働きでした。すべての職場が専門教会でした。それでは、たんに広げたということでしょうか? 違います。正確な神様の導きを受けたのです。内容はとても唯一性があるのです。そして唯一の創造的祝福を持っていたのです。それで終わったのではありません。パリサイ人のように集まった集いではありません。初代教会はとても生産的でした。パリサイ教会は崩れるしかないのです。とても非生産的です。そして、パリサイ人が個人の救いを受けられるのでしょうか? 結局、個人は虚しいのです。組織に対するプライドはあるのですが、結局、個人は崩れるのです。これが聖霊の導きを受ければ、聖霊は一つなので、それほど話をしなくても通じることなのにということです。サッカーが上手なチームを見てください。ヨーロッパのサッカーを静かに見てください。取立てて言う言葉はなくても、選手たちが通じるのです。私はジュヨンがイエスを信じる人なので言うのではなく、朴ジュヨンのサッカーをほとんど消化できません。朴ジュヨンにボールがくれば、相手が捕まえることができないように、はやくパスをして入ります。これを受け取る選手がいないのです。この子が蹴り進めて、かかとでボールを上げれば、それを受けることができなくて、震えているのです。そして、走るのを見れば、韓国選手がボールを取ると、この子は守備を避けて空いている側に入るのです。ところが、そこまでボールが行く時間がないのです。相手が明らかに分かる三流のサッカーです。さらに問題は、監督がこれを見られないことです。だから、アジア競技大会で勝てるでしょうか? 運動も良くできない人を見れば、自分たちが大声で叫んでも通じないのです。上手な人を見れば通じます。昔、私たち幼い時、金ホグン、名前が正確でないのですが、釜山高等学校の有名な野球選手2人がいました。全国高校野球で優勝をしたのです。ところで、投手がこういう話をしました。この人と私は小学校の時から同窓である。金選手が球を持って格好をつければ、どのようなボールがくると分かるということでした。そして、ボールが動くのを見れば、ボールがどのように入ってくるかと分かるということでした。だから、相手が勝つことができないのです。だから聖霊の導きを受ければ、通じるしかないのです。それで、イエス様が最後に「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」と言われたのです。ところで、こういう部分がだめなので、韓国教会と世界教会が大騒ぎをしているのです。マニラにだけで韓国宣教師千人が集まっています。あまりにも熱心にけんかをするので、フィリピンの牧師が決議しました。フィリピンにいずに、韓国に帰れと言うのでした。フィリピンは私たちが処理するから、ここにいずに行けということです。なぜそうでしょうか? 簡単な答えなのに探せないでいるのです。私が知っているのには、信仰生活は難しいのではありません。神様がとても荷が重いものを与えて解けと言われるのではありません。最も幸せなのが信仰生活です。私たちに最も良いものがあるならば福音です。この祝福を、皆さんが味わいさえすれば、皆さんが生かされるのです。皆さんの家庭、事業、教会に必ずあふれ出ることを希望します。 -要約- <共同体と産業宣教(131) -改革の主役(20) -産業人の目(使徒18:1-2) > 1.聖書の祝福された産業人の目 (1) 創14:14-20 (2) ヨシュア2:1-7 (3) Ⅰ列18:1-4 (4) 使9:1-43 (5) 使10:1-6 (6) 使13:1-12、使16:15、使18:1-2、3 (7) Ⅲヨハネ1:2、ローマ16:23 2.産業人の目 (1) 広く開くべき (門) (2) 正確に行うべき (導き、計画) (3) 他のものと異なるべき (創造的) (4) できることからするべき、できることをするべき (生産性) (5) 適用できるようにするべき (個人化) 3.神様の目 (1) 伝道弟子に (使18:1) (2) 弟子に (使18:2) (3) 神様の子供の現場と職場に (使18:2-3) (4) 伝道現場に (使18:4) |