[2007年3月3日/産業宣教メッセージ/ソウル・メイフィールドホテル/柳光洙牧師]
共同体と産業宣教(141) -改革の主役(30) - OMCを始める方法 (マタイ16:16) @序論:ペテロが初めてマタイ16:16節を見れば「シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』」と告白しました。OMCを始める方法です。これをどんな方法で始めるのでしょうか。幸いに聖書によく現れています。 1.初代教会-福音:初代教会の開始を見れば、よく分かることができます。ここで一番重要なのは、福音を味わった人です。このように始まらなければなりません。 (1)弟子-群れ:マタイ5:1節を見れば、イエス様が弟子と群れを区分されました。弟子と群れは違います。これ(OMC)を始めるのに、群れを連れて始められたのではなく、弟子を連れて始められました。どんな弟子なのでしょうか。 (2)キリスト:マタイ16:16節にあるように、キリストに対する確実な告白を持った弟子たちです。 (3)復活:イエス様がこの弟子たちに復活して、重要なメッセージを与えられました。特徴が、復活したキリストは誰にでも現れたのではありません。それ以前には、すべての人に現れたのですが、復活以後には、弟子たちにだけ現れました。 (4)聖霊充満:このキリストが使徒1:4-8を見ると、聖霊充満を約束されました。 (5)15ヶ国:この席に集まった人々が、まさに使徒2:9-11節に現れたように15ヶ国から集まったのですが、OMCの開始でした。完全にここで福音に答えが出た人々です。多分、代表的な人物であるプリスカ夫婦もここに参加していないのではないかと思います。ひょっとして、テオピロのような人物もここに来ていたのではないかと言えます。それで、いつか正確なことは分からないのですが、ガイオのような人物もここに参加をしていたのでしょう。それでタラッパン運動は、まさにこの運動をするのです。ここで一番注意することは、皆さんが答えが出れば、無限にのびていくということです。一番の問題が、年齢が上がるほど体験があるので、ここに答えがよく出ないのです。これを必ず参考にすれば、祈りの答えがくるのに、重要なことが起きます。私たちは各種の知識を持っていて多くの体験があります。そうするうちに、私たちは各種の体質を持っているのです。第一アシストなる方が教授ですが、一番説得にできない人も教授です。私たちが何かを尋ねれば最も信憑性あるように答える人が教授なので、私たちが教授に尋ねてみます。ところで、この方たちが、反対に体質があまり変わらないのです。なぜなら、多くのことを他の人より専門性を持ってよく知っているためです。今日、ちょうど教授の集いなので、もし教授がここに本当に答えが出れば、それより大きい働きはありません。これだけなれば、2番目のことになります。 2.パウロ-備えられた弟子:神様がパウロを持って始められたのですが、実際に正確な答えは備えられた弟子にあるのです。1番だけなれば2番は自然になるのです。 (1)使徒9:15:神様がすでに使徒9:15節を見れば、パウロを選ばれたとなっています。正確に話せば、弟子は作るのではなく、神様が備えておかれたのです。 (2)使徒11:25-26:このパウロがバルナバに会って弟子運動を始めたのです。 (3)使徒13:1-3,(4)使徒16:15,(5)使徒17:6,(6)使徒18:3,(7)使徒19:21,予備,地域:その残り13-19章を見れば、全部、予備されていたのです。それで3-7番を見れば、特徴が、全部予備されていたことです。そして、共通点を見れば、地域ごとに神様が代表的なことを植えておかれたのです。今でも同じです。神様が大学ごとに、国ごとに、地域ごとに植えておかれたのです。問題は、どれだけ弟子がつくかということです。答えは1番にあります。それで、私たちがレムナントを育てようとする理由は、年を取るほどうまくできないためです。私が分かることでは、教授が福音に根をおろせば、すばらしいことが起きるということです。教授がコルネリオのようになれば、大学には大きい影響を与えるでしょう。私たちの教授がテオピロとガイオのようになれば、すばらしいみわざが起きるのです。このようにして、使命に目が開かれた人々ができるようになったのです。 3.産業人-使命の目 ここで産業人が始まったのですが、この方たちが全部使命に目を開いたのです。 (1)保護者:ここで代表的な人物がローマ16:1-2節にフィベ、保護者フィベとなっています。 (2)同労者:ここにローマ16:3-4節を見れば、この人たちが命もかけた同労者となっています。 (3)家主:ローマ16:23には家主となっています。産業人は明らかに三つの中の一つにはならなければなりません。皆さんは、伝道者を保護する保護者です。そして、皆さんは方向を共にしている同労者です。皆さんの中で、こういう家主が起きなければなりません。皆さんが知っているように、パウロとすべての教会の伝道者の家主だとなっています。多分、私たちが予想することでは、経済的にとても力があったのではないかと思います。しかし、経済があるから、家主をするのではありません。この人たちの特徴が、全部1番で始めたのです。今まで事実、大統領や政治家の中で、完全に答えが出た人が出てこなかったのです。もし、今、私たちのタラッパンから「ただイエスだけ」に狂ったような人が大統領として出てくれば、すばらしいことが起きるのです。どれくらい狂うかとすれば、フェトスという総督が、パウロに狂ったと言いました。あなたを見たら、完全に狂ったんだなあと話したのです。パウロがそうだと言いました。そして、閣下も私のようになることを望むと言ったのです。その時、フェトスがこのような話をしました。あなたは私を今、説得しようとしていると言いました。重要なのは、この人が感じたことがあったのでしょう。それで、聖書にフェトスがした話があります。次に会おうと言ったのです。こういうパウロのような重要な弟子が出てくるので、全世界に影響を与えるのです。これがOMCの方法です。 * それで皆さんがいくつかのことを参考にしなければなりません。 (1)持続:私たちは今立派な人も探すのですが、それよりは福音に答えが出た人を探します。その理由がどこにあるかというと、どの場合にも持続できるためです。福音に答えが出ない人は、持続ができません。しないことでなく、できないのです。英語ですれば‘do not'でなく‘can not'です。することができないのです。それで、普通、席によって仕事をする途中でやめるのです。福音に確実な答えが出ていれば、自分も知らずに持続するのです。 (2)命:この人たちは、どのように持続をしたかとすれば命をかけたのです。こういう産業人があちこちに起きればOnenessになるしかないのです。それで、私たちのタラッパンでこの部分を試みようとしています。 ①拡散:それで私たちは、どんな方法を使うかというと、初めにはみことばでどんどん拡散させるのです。みことばで全世界に産業宣教をどんどん作るのです。それで、ただ福音だけ強調する理由が、持続できるいのちを持った者を探すためです。今まで私たちのタラッパンと産業宣教で多くのことを広げないのは、こういう人を探すためです。今現在、立派でなくても、福音に答えが出た人々が集まり始めたのです。そして、ここでメッセージが出て行けば、全世界で福音に答えが出た人々がこのメッセージを共に見て祈るのです。だから、これがずっと広がっていくのです。 ②弟子:そして、広がるとなるのではなく、この中で弟子がずっと出てくるのです。 ③一つ:ところで一地域に一人だけ出てきてもかまいません。そして、この弟子たちは、これからは、世界的に一つになるのです。これがOneness Mission Clubです。 ④根:ここでずっと根をおろすのです。この時、すばらしいことが行われ始めるのです。ユダヤ人もできるのに、私たちはいくらでもできます。それで、初期の時、産業宣教を始めた時、この部分をたくさん強調しました。自分の胸の中には他の考えがあったのです。初めには、多くの人々が行事をよくしようとして、私はできるだけ自粛させました。なぜなら、そのようにする団体が多いからです。産業人が集まって、礼拝して祈って食事する団体は、全国と世界に多くあります。しかし、時間が経てば負けるのです。それで、私たちは少し意味なく見られても、こういう人々をずっと作るのです。それでやさしい話のようでも、とても重要で難しい話です。私が確信することでは、私たちの牧師や長老が1番に本当に答えを出すと働きが起きます。ここから開始にならなければならないのです。皆さんが本当に完全福音ならば働きが起きます。私たちは完全でないけれど、福音は完全だから、完全福音で縛られた弟子が起きれば、全世界を簡単に生かせるのです。 * 出会い:全く心配しないで良いのは、この出会いを神様が与えられるのです。失敗する人々が出会いを間違って失敗するのです。これが簡単な話のようですが、とても重要な話です。牧師も静かに出会いを見れば、その人がどうなるのか予想できます。一般信徒も共に通う人を見れば、ほとんど答えが出てきてしまいます。私たちの生涯に歩いていく道に、一般信徒でも教役者でも、本当に備えられた弟子に会えば、ここですべての祝福が備えられているのです。ある面では、この部分は努力するのではありません。 -使徒8:26-27節を見れば、有名なエチオピア宦官とピリポの出会いです。全く予想をしなかったのですが、神様が会うようにされるのです。これは偶然ではありません。必然的です。これが何の話なのかすれば、これから皆さんが受ける祝福です。皆さんが動機なしで本当に福音ならば、この祝福が来るのです。どの牧師もそのまま動機を持たずに、本当に福音ならば、こういう弟子に会うようになるのです。 -使徒9:1-15:パウロとアナニヤの出会いです。これを完全に神様が準備しておかれたのです。それでは、こんなにも変えられるのです。神様が会うようにもされて、会わないようにもされるということです。ここに私たちの未来と人生が全部入っているのです。この部分は心配することではなくて、努力ではありません。重要な人に神様が会うようにさせられて、事をどんどん成し遂げていかれるのです。 -使徒9:25-26:驚く出会いです。バルナバとパウロ、これが一時代を変える出会いでした。 -使徒13:1-12:総督との出会いです。これが時代的な出会いになったのです。 -使徒16:14:パウロが門が開かれなかったので行ったのですが、使徒16:14節を見ると、ルデヤに会ったのです。聖書はこのように記録しています。「主がルデヤの心を開かれた」となっているのです。パウロが開いたのではなく、主がルデヤの心を開かれたのです。だから、こういう驚く出会いが続くのです。それで、私たちの牧師は、本当に福音運動をするのかが重要なことで、残りのことは重要なのではありません。ある大学の中に教授1人が本当に福音を持って弟子を育てることができ、神様が世々に渡って長い間、備えられた弟子を大学で育てることができる方がいる、それでは一般の人々は知らないのですが、神様はここにすべての祝福を備えておかれるのです。これが聖書の歴史で、今まで教会史の働きです。神様がルターのような人物が一人出てきたので、この人を中心に全地域に弟子を育てられたのです。事実上、カトリックでルターを殺そうとしたのですが、殺すこともできなかった理由があります。あちこちで弟子が起きたのです。その特徴がみな産業人でした。マルティン・ルターを助けた人が全部、一般信徒、産業人です。私たちが直接行ってみたりもしたのですが、マルティン・ルターを隠しておいて保護した大きい城があります。私はその現場を見ながら、本当におかしな気がしました。ルターがここに座って聖書を翻訳したんだなあ。このように大きい城があるのに、その城の城主がルターを保護しておいて聖書を翻訳するようにさせたのです。説明する人の話を聞いたら、マルティン・ルターは、昼間には猟師に装っていたのでした。猟師に装って、ハンティングするふりをして、夕方には聖書を翻訳していたのです。聖書を翻訳した部屋に入ったら、簡単な机と椅子が一つありました。そして、説明する方が説明するのに、泥棒がきて盗み出したということでした。それでここにある机と椅子は同じ形であって、本来のものではないということです。どんな泥棒なのか持っていってしまったのです。それで私たちが尋ねました。マルティン・ルターが悪魔が現れてインク瓶を投げた跡があるというのに、どこにあるのですか。すると、泥棒が壁もむしり取ったということです。私はこの現場を見ながら、自然に感じられることがありました。これをどのように人ができるでしょう。人が作ってしたのではありません。ここで聖書を翻訳したのですが、全世界がひっくり返されたのです。ところで、1517年です。マルティン・ルターが聖書を翻訳して出した時期が1517年です。神様がどれくらい正確でしょうか。この時によりによって印刷術が発達したのです。この以前には印刷術が発展しなくて、本を作って配布をはやくすることができなかったのです。印刷術が発達したので、聖書を配布するのが平民が見られるように印刷されて、全世界に広がったのです。このように宗教改革が起きたのです。それで、私たちは正確に見れば一番だけなれば、心配することがありません。それで教会復興も心配することではないのです。私たちだけでも1番に行かなければなりません。今、私が見る時は生意気な言葉ですが、韓国と世界教会が危機です。教会がみな1番をしないからみな滅ぼしたのです。立派な人がみな滅ぼしたのです。だから、だめになるのです。1番だけなれば、教会も事業もなるように、神様がみな準備させられるのです。さらに重要なのは、この人たちは、極限の迫害の中から出てきたのです。ここにどんな意味があるのでしょうか。迫害ですが、単なる迫害ではなく、殺すという中から出たのです。ここにどんな意味があるのでしょうか。人をつかんで殺す、こういう迫害の中で、この人たちが出てきたということは、本当に弟子が出てきたということです。もしここに来たものが損になったら、何度も来るでしょうか。もし皆さんが教会に行くのに、生活に支障があれば、何人でも行くでしょうか。ここに集まった人々は、全部、死を覚悟して集まったということです。この話は、本当に福音を持った弟子が集まったということです。だから、人の目で見る時はだめなように思えたのですが、神様が弟子を備えられたのです。それで、自然にこういう弟子が出てくるしかありません。こういう人々がまさにOneness Mission Clubです。事実上、自分の個人的には2千年ぶりに本当に福音を持った産業人が集まり始めるのです。私はそのように考えています。産業宣教は、たくさん集まる必要はありません。福音でない人は行った方が良いのです。そして、福音でない人は来なかった方が良いのです。それがさらに聖霊のみわざが起きます。聖霊の働きは2人が集まる所に起きるのです。もし1万人が集まっても、聖霊の働きが起きなければ大きい危機がくるのです。それで、もう大きい未来を見て皆さんが始めることがOMCです。OMCはどのように始めるのでしょうか。お金でもありません。OMCをどのように始めるのでしょうか。もちろん必要ですが、組織力でもありません。本当に福音を持った人々が集まり始めれば良いのです。ここには教授がいて、事業家がいて、色々な種類の人々がいるでしょう。仕事はすばらしいことが起き始めたのです。ある日、王が特別に派遣したコルネリオが「ただイエスだけ」と出てきたのです。ある日、その時代にユダヤ人も無視できないテオピロ、ガイオのような人が「ただイエスだけ」と言ったのです。誰も防止できないのです。こうしながら世界征服が起きるのです。私は皆さんが必ず受けなければならない祝福がこれだと思います。もし、牧師が1番をよく知らなければ牧会になりません。無駄なことを継続するのです。この言葉を変えればどうなるのでしょうか。もし長老が1番を分かれば、本当にみわざが起きるのです。もちろん、技術、世の中にある技能がみな必要でしょう。しかし1番と2番を抜けば、社会団体と同じです。しかし、もし2番になれば、皆さんに同じみわざが始まるでしょう。これがタラッパン運動です。聖書にある神様が願われる運動を作り出そうというのです。今日からでも、もし皆さんが最初の契約を捕まえるならば、このような答えは確かにくるでしょう。それでは、皆さんの事業は確かに2番になるでしょう。必ずこのようになります。私たちの長老、執事の事業が保護者になって、同労者になって、家主になるほど、祝福を受けることを望みます。もちろん、ローマ16章を見れば、これでなくとも小さいことをした人々がいます。しかし、長老たちは、このようにならなければなりません。長老、執事は、事業する方が保護者になって、同労者になって、家主にならなければならないのです。この祝福が永遠に皆さんの祝福になることを希望します。 -要約- <共同体と産業宣教(141) -改革の主役(30) - OMCを始める方法(マタイ16:16) > 1.初代教会の始まり (1) マタイ5:1 (2) マタイ16:16 (3) マタイ28:16-20 (4) 使1:4-8 (5) 使2:9-11 2.パウロの始まり (1) 使9:15 (2) 使11:25-26 (3) 使13:1-3 (4) 使16:15 (5) 使17:6 (6) 使18:3 (7) 使19:21 3.産業人たちの始まり (1) ローマ16:1-2 (2) ローマ16:3-4 (3) ローマ16:23 |