[2007年4月14日/産業宣教メッセージ/メイフィールドホテル/金ドンゴン牧師]
共同体と産業宣教(147) - OMCの祈り(6) -産業人が始めたタラッパン運動 (使徒2:9-11) @序論 * 自分自身(現場):自分自身や私たちの産業人がいる現場は普通のものではありません。 * 人:私たちが復活の主に会って新たに生まれてすべての祝福を受けたのですが、私たちは相変らずサタンに属していないと思っています。サタンのしもべだったので、サタンに所属して、サタンがさせるまましたので、飼い慣らされているのだ。 * 肉体:そして私たちは肉体を持っています。結局、人間は肉体の欲について行くようになっています。肉体を追う者は肉体の事を、霊を追う者は霊の事をすると言われています。私たちが生れた時からこの道に行ったためです。肉体の欲は、ガラテヤ人の手紙を見れば霊の事に逆らうと言われています。あらゆる悪いことをみなするのです。 * 世の中:そして産業人が生きている世の中です。一言で、世の中は世の中の王が思うままにしているのです。この中で私たちの産業人が生きなければならないと思ってみてください。私が神様に会って恵みを受けて知らなかったのが、この時まで生きてきた世の中と恵みの中の世の中は違うということです。昔、既存教会で教会に呼んで、賜物を受けて徹夜して、復興会をしても、彼らが現場に行ってくれば崩れているのです。牧師が羊の群れの霊的な状態をよく分かるのに、この方たちが聖日にくれば、自分自身の現場ですでに試みにあって不信仰になって巻きこまれて来ているのです。すでに私たちは「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」です。すでに天国の民で、神様がともにおられ、神様の導きと働きの中にいても、こういうものに度々だまされるのです。私が柳牧師に会って福音も聞いたのですが、タラッパンで言われる話しに「まさにこれだ」という気がしたのです。結局は、信徒がいる現場の中で何か神様の力と恵みが働くようになるのに、自分の現場に行けばのがすのです。今日もタイトルを見れば、このタラッパンがどこから出発したのでしょうか。産業人を通して出発したのです。事実、産業人の現場を見れば、さらに深刻です。昨日ニュースを見たら、李健煕会長がした話が正しいでしょう。電子が崩れているではないでしょうか。危機がきました。他の会長も同感でした。私が私たちの役員や産業人が、産業現場で仕事をするのを見れば、大変だろうと思います。こういう現場に勝とうとするならどのようにすべきなのでしょうか。 * タラッパン-敵:本当にタラッパンがなれば、ならないことはあるのか。OMCまできたのですが、私は何を思うかというと、産業宣教会を通して一時代と子孫を準備しているのに、ここに本当に基礎と土台が堅く置かれられているのか考えてみなければならないということです。前に柳光洙牧師が他のものはするなと言われました。全世界産業人がタラッパンを開いて正しくタラッパンになるようにするようにしろと何度も強調されました。ここで正しく産業人が自分の現場で正しくタラッパンがなれば、神様の恵みで正しく導きを受けることになれば、働きは自ずから起きるでしょう。未信者と同じなのでしょうか。未信者は、自分の水準や悪霊の助けを受けるのですが、本当に神様の人々は神様の導きと知恵を受ければ、ゲームにならないでしょう。こういう恵みが教会でも重要ですが、まさに現場で力を得るべきではないでしょうか。このタラッパンがそんなに重要なのでしょうか。私が初めにイエスを信じた時も感じたのですが、朝に行って恵みと力を得て、夕方に退勤の時も教会に行って力を得て、一日に2度だけ力を得ても、私の職場生活で力を得て越えられる力が与えられます。ある日、自分の考えが昼休みにこのように浪費する必要なく、昼休みに近い教会に行って祈らなければならないと気がして、弁当を包んで食べて昼休みを利用して近い教会に行って祈ってみました。ところで、昼休みに教会行って祈るのに何を感じたかというと、職場の現場が見られたのです。朝に祈って退勤時間に祈って、昼間に昼休みに少しの間祈るのに、自分自身が現場に勝って、現場に行って伝道に対するマインドが出てくるのです。それは個人タラッパンです。私は産業人が本当にタラッパンが必要でないかと思います。柳牧師が前にも話しました。私たちの全体の雰囲気はすごいと見られるのに、なぜ個人の変化と教会復興にならないのでしょうか。そのような部分で私は感じたことがあります。個人変化と教会復興にならないことは、個人が福音の根を味わえないで事実化にならないのです。個人が変化して働き起きてこそ、教会が復興するのではないでしょうか。それで、産業人を通して始まったタラッパンが、タラッパンのモデルが産業人から出なければならないでしょう。本当に私たちの現場、自分の中で本当に私たちの現場でタラッパンをすれば、直ちに敵が砕かれるのです。これが完全に私たちの現場と自分をとらえて、度々混とんさせて、度々崩れるようにさせるのです。 * 力:それで直ちにこれを越えられるように力を与えられます。私たちが本当に福音でなければ、どのように越えて、神様の恵みでなければ、どのように越えることができるでしょうか。他の見方をすれば、私たちは福音を受けたが捕えられていて飼い慣らされているのです。考えが肉体的です。世の中が進歩しているのを見て、私たちもあのように行けば良いと思って巻きこまれるようになるのです。 * 導き:このようになれば、ここで神様の導きと働きをまさに現場で見るようになるのです。 * 働き:本当に創造の主が働かれれば、終わるようになっています。それで、産業宣教大会を控えて、タラッパンに対して主がこのようにおっしゃられるかと思えば、今回の大会の中で何か産業人の基礎が堅く置かれられなければならないということです。今でも教会の中で牧会しながら、教会の中で地域中心を見ながら、だいぶ弱いととても思います。その原因はタラッパンを正しくリ―ドできる働き人が少ないということです。タラッパンの働き人は、完全に福音を味わわなければならなくて、聖霊の導きを味わわなければなりません。それでこそ、持続して手助けができるのです。それでこそ、サタンの攻撃に勝てるのです。働き人が正しく立っていなければ、サタンが触ります。この福音が入れば、地域の弟子が起きて地域が変わるのに、サタンがそのままいるでしょうか。私が教会を見ながら、教会の中に地域、地域に、こういう弟子が正しく根をおろして働きが起きる時、正しくなされるということを感じるようになります。この前はとてもメッセージを長くして申し訳ありませんでした。 1.タラッパン 結局はこのタラッパン運動は産業人が始めたのです。産業人が始めたタラッパンです。もう一度これを思いながら、私たちの産業人が現場で個人タラッパンをして、産業人が起きなければならないのです。それではまず、私たちはタラッパンが何か、これに対して考えなければなりません。 (1)キリストを告白,信じる者:タラッパンは他のものではなく、イエス・キリストを受け入れて本当にキリストを告白して信じる者です。信じる者の集いです。ものすごい場です。正確にキリストを分かっていたのが、マルコのタラッパンです。 (2)福音で始めた人々:ある正統的な律法的な教会でなく、福音で始めた人々の集いです。タラッパンはこういう事実的な人々が集まった所です。 (3)正しい祈りを始めた人々(解放):正しい祈りを始めた人々です。祈りもユダヤ人の祈りや、肉体的な祈りも多いのです。初めて教会を通い始める時、牧師と復興師が肉体的祈りをしろという時、それは違うという気がしました。神様をよく知らない人が、祝福を受ければ世の中に流れるのです。それで、私はこのタラッパンの中にきて、二千年ぶりに回復したタラッパンが福音がさらに深く根をおろして、主が来られる時まで変質しないで根をおろすことを希望しています。彼らは本当に福音に結論を出した人で、契約をつかんだ人です。この祈りを神様は最も喜ばれるのです。復活の主が、あなたたちの力ではだめだ、聖霊ではなくてはいけないと言われたのです。本当に福音の中にある私たちが聖霊の導きを受ければ終わります。聖霊でなければ勝てません。私たちを使って遊ぶのです。このように正しい祈りを始めた人々の集いがタラッパンです。 (4)正しい伝道方法-理解:もう一つは、正しい伝道方法を理解した者です。重要です。これを正しく理解した者が集まったところがタラッパンです。私も自ら伝道するのですが、聖書的な伝道を見ながらこれを知らなかったということを悟りました。正しい伝道はどこから始まるのでしょうか。福音から始まります。福音を正しく知らなければ、正しい伝道はできません。私たちは簡単に話すのです。戦略がどれくらい良いでしょうか。タラッパンと地教会を敷けば良いようですが、福音から出発しなくてはいけないのです。 ①マタイ10:1-40節を見れば伝道方法が分かります。主が教えられた伝道方法です。行って適当な者を探せと言われました。事実は、地域を生かそうとするならその地域に弟子が隠れているのです。結局、働き人が中心です。その地域に働き人が一人住んで、正しく訓練と福音の中に入れば、その一人を通して静かに伝道運動が起きます。同じです。産業人がご飯を食べるために事業するのではなく、神様が福音運動をしなさいとその現場を任せられたのです。確かにその職場の中に、産業人の中に、まちがいなく弟子がいます。こういう人もただ関心は違ったところにありません。 ②マタイ13章では働き人を言います。働き人を探しなさいと言われるのです。こういう働き人がいるのに、ここに関心がないのです。度々たくさん集まること、大会ではありません。私が21世紀宣教会長をしながら、宣教大会をする時ごとに、カン・ソクチュン牧師に話すのは、大会も良くて、宣教師が見るのも良いのですが、それは全部ではないのです。こういう世界宣教大会をする時、宣教師の中で伝道者がいます。こういう伝道者を探して宣教大会で模範を見せなければ、こういう大会を継続しても仕方がありません。もちろん、色々な挑戦を受けて力を得るのは良いでしょうが、本当に私たちは伝道運動、主が願われる働き人を探して立てなければなりません。これが全部です。ペテロが告白するのに、この岩の上にわたしがわたしの教会を立てますと言われたのですが、こういう告白をする働き人がいます。 ③マタイ28章に行って、すべての国の人々を弟子としなさいと言われました。主の伝道方法が全部、働き人中心です。芸能人がイエスを信じても自殺するのに、私はいくら福音を伝えてもその中に入れません。まちがいなく、その現場の中に芸能人の中で弟子がいます。こういう伝道者を探して、正しく立てれば、芸能人福音化となります。私たちが政治の中に入れるでしょうか。必ず政治家の中に伝道者がいます。マタイの福音書全体を見れば、主の関心はただ働き人にあります。 ④それで今日、使徒1:12-14節は、こういう働き人が集まった現場がタラッパンでした。地球をひっくり返して、世の中を変えられるのはタラッパンです。聖徒たちが現場でどれくらい力を得るのでしょうか。私が核心を終えて、合宿で柳牧師に挨拶をしたところ、帰るやいなやタラッパンをしなさいと言われました。その時、信徒が300人になったが、イ・スクチェ牧師と二人で、すべての機関を責任をとり、ずっとタラッパンをしたのです。私はこの福音を受けながら、彼らの人生の現場で、地域現場で彼らが福音に根をおろせるように助けるべきだという気がしました。まず私たちの聖徒たちに福音と伝道を理解させて、彼らがこの中に入れるように作業をするのです。およそ3年持続をしたら、家庭で証拠が起きるのです。ある家庭は夫が、子どもが、奥さんが変わるので、タラッパンが良いという雰囲気が起きるのです。私たちの産業人の現場にこういうタラッパンが立てられることをお祈りします。こういう産業現場で、産業人の中で、こういうタラッパンが起きれば全世界現場に入るでしょう。 2.土台-産業宣教結局 タラッパン運動の土台は誰でしょうか。これが産業宣教です。重要です。 (1)ルカ10:1-20:誰でしょうか。70人です。とても重要です。役員です。一時代を変えたパウロを、だれが発見したのでしょうか。神様が誰に付けたのでしょうか。産業人、役員に付けました。それなら、役員がタラッパンの中で及ぼす影響はものすごいのです。これから皆さんを通して、レムナント、インターンシップをするのですが、皆さんを通してレムナントの中で一時代の人物が起きるのです。 (2)使徒1:12-14:それで事実は使徒1:12-14節が産業人です。すでにここに入ってきた産業人は、福音にいのちをかけた人です。完全福音に結論を出して、福音が全部だと福音を味わう人です。 (3)使徒2:9-11:マルコのタラッパンに来た人々は世界各国15ヶ国から来た産業人でした。重要です。彼らが土台になって、世界へ福音が広がったのです。 3.世界宣教の土台-産業宣教世界宣教の土台がまた誰でしょうか。これが産業人で産業宣教です。私たちも宣教師を少し派遣しているけれど、宣教師だけではだめなのです。ここにアブラハム、ヤコブ、イサクのような産業人がつかなければならないのです。産業人がつけば、世界現場が変わるようになっています。 (1)ルデヤ:使徒16:13-15はルデヤです。マケドニヤ初めての町でルデヤが産業人でした。パウロが巡回キャンプをしながら、初めてマケドニアの町で正しく弟子に会ったのです。結局、この産業人タラッパンを、地教会、地教会堂をするのに、ここに教会が立てられたのです。それで、役員教育を通して今は、役員が産業人がこういう役割をして、この中心に教会を立てなければならないのです。 (2)ヤソン:使徒17:1-9にヤソンです。このひとりがどれくらい重要なのでしょうか。それで、テサロニケ教会がすごいのです。誰を通して働かれたのでしょうか。産業人を通して働かれたのです。それなら、この席にある皆さんは重要な人です。指導する牧師も重要ですが、皆さんが現場があるから、現場が皆さんを通してみわざが起きるのです。 (3)プリスカ:プリスカです。すごいのです。伝道者パウロのために、首もかけたのです。首をかけた人がお金が重要でしょうか。これを見ながら、本当に世界福音化に巡回しながら発見した、こういう働き人がワンネスになってローマと世界を福音化するのです。私が太陽が変わるほど感じるのが、他のものはだめで全信徒がタラッパンの中に入らなければならないことです。全信徒が生き返れる唯一の道はタラッパンです。ところで、タラッパンがどれくらい重要なのでしょうか。言うまでもありません。私も同じです。たくさん動きますが、私がもし個人タラッパンをできなければ、やり通すことはできません。それで、私たちは主にあって産業人が始めたタラッパンがモデルとして出てきて、皆さんの現場で働くことをお祈りします。そのような次元で見れば、タラッパンは皆さんが責任を負わなければなりません。産業人が集まる時、こういう部分を通して、底をどんどん敷いて、基礎を堅くしてこそ、ここにこれから高層ビルディングが立つのです。それと共に、産業宣教大会の集いがとても重要です。今、グローバル時代です。今は専門でなければ組み込めません。FTAを言うのですが、これから専門がなければ生き残れないのです。三星が先んじるようだけど、今、中国が上がってきています。日本が気をつけています。専門を持って食い込むのに、どのようにするのでしょうか。私はこれを見ながら、教会でお知らせをしながら言いました。産業宣教大会に参加するのが産業人が海外に行くことよりはるかに良い。国内の全産業人の福音の中にある者の出会いなので、目を開けばものすごい挑戦と力を受けるはずです。外国に行くなら、お金が多くかかります。しかし、この現場はそのような現場と比較できない現場です。それと共に、OMCの元年です。私は静かに祈っています。誰でもOMCの門になれるでしょうか。本当に福音が結論が出ている人、置いてくる世代に変質しない人で立てられるOMCにならなければなりません。本当に今回の大会を通して心を集めて、産業人と主のしもべのために祈りをしなければならないでしょう。柳牧師が立ったとすれば、もっと原色的な福音で感動を与えたでしょうが、ここで終わります。 -要約- <共同体と産業宣教(147)-OMCの祈り(6)-産業人が始めたタラッパン運動(使徒2:9-11)> 1.タラッパンとは何か (1) 地球の歴史上、一度だけ成し遂げられたメシア(キリスト)を受け入れた人々が集まったところ (使1:1-11) (2) 正統的、律法的な教会(ヘロデの神殿)ではなく、福音によって新しく始まった人々が集まったところ (使1:11-14) (3) 正しい祈りが始まった人々が集まったところ ① ユダヤ人の肉体的な祈り ② マルコの屋上の間 - 聖霊の充満 (4) 正しい伝道方法を理解した者たちが集まったところ ① マタイ10:1-42 ② マタイ13:1-58 ③ マタイ16:13-20 ④ マタイ28:16-20 ⑤ 使1:12-14 2.タラッパン運動の土台である産業宣教 (1) ルカ 10:1-20 (2) 使 1:12-14 (3) 使 2:9-11 3.世界宣教の土台と産業宣教 (1) 使 16:13-15 (2) 使 17:1-9 (3) 使 18:1-4 |