[ 2008年2月2日/産業宣教メッセージ/メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(185) - OMCの使命(28)
福音を持った重職者(役員)-氏族となり、強国となる者たち
(イザヤ60:20-22)



☆☆☆要約資料☆☆☆
1.証拠 (イザヤ60:1-2)
(1) 主の栄光の光 - 既に来ている祝福
(2) 暗やみの中にいる民
(3) 起きるとき、働きが起こる
2.確実な青写真
(1) RUTC運動 (イザヤ60:3-5)
(2) 経済の祝福と産業人とOMC
(3) 神殿の祝福 (イザヤ60:13-14)
3.答えの程度
(1) 小さい者が氏族 (地域)
(2) 弱い者が強国 (国)
(3) 主の時 (時刻表)

☆☆☆説明資料☆☆☆
序論
▲産業と同時に重職者(役員)は、受けた答えがたくさんあります。また、すべきことも多いのです。ある面で見れば、とても手にあふれることが多いのではないかと思うほどです。RUTC、OMC、各教会建築がみな難しいのです。
▲神様が準備されたことは確実ですが、私たちは今、どのように出発をすべきでしょうか。私たちはおもに始める時、何をどのようにするべきかと考えます。しかし、私が聖書66巻を読んでみて、今まで共に経験したことの中に、一つだけ良くできれば良いのです。聖書66巻が強調したのがキリストですが、それだけ重要な他の一つが何かというと、信仰です。いつもしなければならないことは、私自身と皆さんにある不信仰を、しきりに抜き取らなければならないのです。それは常にしなければならないのです。小さい不信仰がほとんど永遠に私たちに問題を与えるから、私たちはどんどん信仰に行かなければならないのです。大部分の人々が混乱をするようになります。牧師も開拓を始める人を見れば、ほとんど熱心でない不信仰を持っている人が多いのです。私たちは、ほとんどあるものはしないのに、しないのは不信仰でない信仰です。そうでなければ、世の中の人々と同じようになります。それではどうなるのでしょうか。それでは、人の言葉によって、私たちの考えによって難しく行くのです。
▲韓国でいろいろ話がされたことがあります。歌手1人が潜伏をしたといううわさがたくさん出ました。重病にかかったという話もありました。そうしたところ、ますます大きくなって、公共の放送でもしきりに気を遣わなければならないほどになったのです。ある場合は、暴力団にやられたということも回りました。また、重要な性器の部分が切られたという、いろいろな話がみな回ったのです。昨日、午前に見たら、本人が現れて釈明をしました。その人の話がみな合うとは思えませんが、私が聞く時、そうだと思う部分がたくさんあります。だいぶ重要な話をしました。自分は40年歌手生活をしながら、3つ先にしたい話があるということです。最初がファンが満足するほどの約束を守らなければならないことです。そして、公演を正しくしようとするなら、自ら真実でなければならないと話しました。最後に重要な話をしました。このことを継続するために、一つ悩みがあると言いました。次にこのように上手になり得るかという悩みがいつもあったということです。理解できます。一つを継続しようとするなら、何か重要なことがなければできないのです。それで、その返事を私たちで話せば、神様が与えられる力だということですが、この人は何と答えたかとすれば、夢だと表現しました。夢をいつも見ていなければならないこともあるということです。だいぶ一理ある話です。それで、その人が長い間、しているのは、何かがあるという感じでした。夢を見てこそ、継続できるということです。それで1年前から話を継続したということです。1年は休まなければならないという話です。それで、海外も行って、田舎にも行って休んだのです。ところで、ちょうど一箇所、世宗文化会館で仕事を引き受けた人が取り消しをさせなかったということです。それと共に、記者にとてもお願いをしていました。一度も尋ねないで文を書くということです。自分のスタッフに一回だけ尋ねれば良いのに、尋ねないで記事を書くと、とても興奮をして話をしていました。私はその部分でそうだと考えました。未信者は、文を書いたり、何かをすれば、どんどん無理に何かを作ります。理解できるのが、スポーツ新聞や毎日の新聞を作ろうとすれば、時間がないのです。他人の話が一つ出てくれば、こちらに付けてあちらに付けて、どんどん使うのです。大きい新聞は、少し減らしますが、小さい新聞は変な話も付け加えます。
▲私たちが万一、信仰生活をそのようにしたらどうなるでしょうか。私たちが信仰生活で、そのような文を読んだらどうなるでしょうか。それで、それを静かに見ながら、神様が私たちに聖書をくださったのは、本当に良かったという気がしました。もし聖書を与えられなかったとすれば、混乱することが多かったでしょう。この聖書で最も強調するのがキリストですが、信仰です。その話は、反対に考えてみる必要があります。私たちがしなければならない作業が信仰ですが、私たちがしなければならない作業が不信仰を完全にうち破ってしまうことです。重職者(役員)はやや下手すると大変で、未来が不安なこともあります。完全信仰に行かなければならないのです。
▲神様の恵みかもしれませんが、私が釜山で始めた時、真の恵みで始めました。私の人格でもないのですが、私がそうなったのです。それが神様の恵みです。一番初めに釜山駅の前で教会を開拓したパク長老に会うようになったのです。その方の最初の一言で、私に言った言葉が、30人ぐらい集まるということでした。ところで、驚くべきことに釜山市内牧師が30人以上履歴書を出したということでした。だから、長老らしく意気揚揚に、牧師先生も説教をしてみて履歴書を出してくださいと言ったのです。もちろん強く話さなかったけれど、私がやんわりと強く話しました。それでは、私はできないと言ったのです。30人が履歴書を出したら、彼らが先にして、彼らがくることができないなら、その時、私を呼んでくださいと言いました。そして、試験を受けるための説教はできないと言ったのです。説教一度で多くのことをすべきなのに、重要なことを決定できなくて、また一般信徒が良い、だめだと評価を下すことはできないと言いました。必ず聞きたければ、長老が来て聞いてくださいと言いました。水曜日にいつも説教をするので、来て聞けば良いと言ったのです。もし時間がなければ、担任牧師が海外に行った時、私が聖日に説教したのがあるので、それを聞いてくださいと言いました。それで、長老が衝撃を受けたようでした。自らこの方が普通の人ではないと考えたようでした。もちろん、私が計画を立ててしたのではないのですが、そのように話が出たのです。その方には新鮮な衝撃だったようでした。それでテープを持って行って聞いたのですが、聞いたすべての信徒が賛成をしたと、これは試験する説教ではないから、一度、来てくださいと言ったのです。それで、私が行ったのですが、87年10月に説教をしに行って、自分の胸にある重要な説教をしました。使徒27章、カイザルの前に立たなければなりません。そのように開始しました。始めるやいなや、はじめにしたことがあります。ひとまず復興会をしようと言いました。講師は私がすると言ったのです。それで2週間、復興会をしました。そちらに行くやいなやした事です。そして、諸職会を集めました。地区会や視察や各地域で助けを受けるのは無条件みなやめなさいと言いました。それまでは良いが、その次に話をしたのです。そして、執事はみな力を集めて宣教費を決めなさいと言いました。すると少し心配になったのか、助けを受けないのは良いが、宣教費は少しあとで力が出たら決めようと言いました。このように開始したのです。ところで、途中で多くのことがあったのですが、立派だったとか、足りなかったということではなく、私たちは信仰を持って始めたのです。本当に幸いに神様がずっと答えてくださって、神様が私たちとともにおられるという証拠を私たちの自らみな見たのです。
▲今、私たちはとても重要な時期を迎えました。OMC、重職者(役員)時代、RUTC時代など、大きくて、とても重要なことを始めたのです。そして、外では未信者のメディアと戦わなければならないので、RUTC放送局など、重要なことを始めたのです。
▲ひょっとして、私たちは難しくても完全信仰で行かなければなりません。そのように約束を与えたのにもかかわらず、アブラハムが出てきてどんどん不信仰をしてさ迷ったのです。もちろん違った不信仰ではありません。どのように食べて生きるのか。まったく今まで来たこともない他の地域にきて、どのように暮らすのだろうか。神様がともにおられると言われたが、それが心配になったのです。それがみな問題になったのです。そして、自分には子どもがいなかったのです。どのように子どももなくて老いているのに、一人で出て行って生きることができるのか。このようにして連れて出て行ったのがおいです。これがまた問題でした。そのような過程の中でも、子どもがいなければならないから、ハガルによって産んだ子どもがいるのです。これが今まで問題になっているのです。不信仰の種がどれくらい怖いのか、今でも中東でイスラムが問題を起こすのですが、これがイシュマエルの子孫です。私たちはいつも考えなければなりません。私が時々、釜山で教会を大きくしなければならないと考える時ごとに、これも不信仰ではないのかと思います。神様がみな育てられるのに、私が動機を持ってするのではないという気がするのです。私がソウルに来る時、非常に悩みました。これも人の話を聞いてする不信仰ではないのか思ったのです。私が神様の恵みで30年伝道したので、こういう問題にとても敏感です。なぜなら、うまくできなくても、私のゆえに福音が支障になってはいけないので、特にメッセージや、こういう部分に多くの祈りをしています。特に、皆さんは産業人であり、家では重要な家長であり、教会では重職者(役員)です。そして見れば、私たちはどんな信仰を持って行くべきでしょうか。多くの神学者が共に話す部分が、イザヤ書が最も旧約聖書の福音書だと言われています。私もそのように考えています。その中で重職者(役員)にあなたは小さいけれど氏族になると言われています。あなたはたとえ弱くても、強国を成し遂げると言われるのです。
▲私たちは、どんな信仰を持って出発しなければならないのでしょうか。これが重職者(役員)の第一メッセージです。

1.証拠
▲どんな信仰を持って行くべきでしょうか。確実な証拠を持って行かなければなりません。確かにおっしゃられました。
(1)栄光
▲主の光があなたの上に臨んでいるとおっしゃられました。明らかです。その光の中で最高の光である主の栄光があなたの留まっていると言われたのです。
(2)暗やみ
▲反対に、多くの人々は、よく暮らしているように見られるのですが、暗やみの中にいると言われました。あなたは光の中であって、多くの人々は暗やみの中であると言われたのです。だから起きるだけで。起きよと言われたのです。
(3)起きよ
▲この起きよという言葉は、あなたの力を発揮しなさいということではありません。起きて光を放てという言葉は、あなたが今、新しく頑張れという言葉ではないのです。あなたの上に来ている、ものすごいたましいの光を、起きて他の人が見るようにさせようということです。同じように見えるでしょうが、違う言葉です。私たちは今まで宗教を学んできました。起きよ。してみなさい。すれば良い。このように、しばしば宗教を学んだのです。ところが、聖書はそうなっていないのです。すでに主の栄光があなたの上に来ている。起きて光を放つだけで。これが証拠です。それで、皆さんが難しい、あるいはやさしいという以前に、神様は確かにくださったのです。
▲ここに対する信仰を持たなければなりません。必ず必要なことなのか。神様が願われることに間違いないのか。これだけ見れば良いのです。私たちは弱いので、こういうものは悩む必要があります。本当にRUTCが起きれば、どんなことが起きるのでしょうか。すべての教会、全世界が個教会でいるのに、OMCを作ればどうなるのでしょうか。全部、個人です。もう少し成長したのが個教会です。それは救われなかった人もできることです。自分にまず益になるためです。そのようなOMCは、そんなことでない全体が起きて力を発揮するのです。どんなことが起きるでしょうか。私は神様のみこころの中のみこころだと思います。それで、ここに対する働きをどのようにするのでしょうか。明らかな証拠を握らなければなりません。

2.青写真
▲明らかなことなので、確実な青写真を握らなければならないのです。ぼんやりではなく、確かにつかまなければなりません。昔には写真を撮る時、フィルムを入れてこそ、撮すことができたのです。思考の中で、自分が家を建てようとするなら、徹底した設計ができていなければなりません。そうでなければ、アパートが崩れたように、デパートが崩れたように、橋が崩れたようになるのです。神様は明らかな青写真を与えられました。大きく3つを与えられたのです。
(1)RUTC
▲あなたの光を放ちさえすれば、息子と娘が抱かれてくる。RUTC運動です。レムナント運動というものです。息子と娘が遠方から戻ってくるだろう。散っていたのが、回復してくるという言葉です。
(2)経済- OMC
▲それと共に一番たくさんおっしゃられたのが経済祝福とOMCです。国々が一つになって、物質を持って戻ってくるだろう。その時は飛行機がないから船を話したのですが、船に多くの金銀を積んでくるはずだと言われました。
(3)神殿
▲それと共に13節と14節を見れば神殿の祝福を言われました。これを明らかに話したのです。だから、私たちの重職者(役員)、産業人の中に明らかな青写真がなければなりません。どんな場合も不信仰をしてはいけないのです。して死ぬことがあっても、私は信仰で行くと言わなければなりません。みな途中で死んだのですが、滅びる前にこのように話をすべきでした。神様が私たちをエジプトから救って下さった。ところで今エジプトの軍人がつかまえに来ている。私たちの前には紅海が詰まっている。進退きわまった。行くこともできなくて、どのようにすることもできない状況です。その時、このように話すべきでした。神様が今まで私たちを導かれた。それでは神様は私たちをここで救い出して下さるだろう。もし、私たちがここで死ぬことがあっても、私たちはもうエジプトに帰れない。そのように言わなければなりません。ところで、大部分の人が何と話したのでしょうか。私たちがここで死ねばどうなるのか。私たちがこういう問題が起きるはずだとは言っていなかったではないか。今からでも帰ろう。今からでもモーセの話を聞かずに、新しい指導者を立ててエジプトに帰ろう。その人々がみな荒野で死にました。一気に殺さずに、一名ずつ、時間がかかったのですが、神様が呼んで行かれました。
▲ものすごい答えを受けても、私たちは青写真を持って信仰の前に立たなければなりません。私たちの重職者(役員)の方が、そして、すべての使命者がしなければならないことがそのことです。信仰と不信仰はものすごい差をもたらします。

3.程度
▲皆さんが答え受けるのですが、どの程度でしょうか。今日、確かに話しました。
(1)地域
▲最も小さい者も氏族となる。皆さん1人がいる所ごとに一地域が生き返るのです。
(2)国
▲弱く見られるが強国となる。これからものすごく起きる重職者(役員)のゆえに国が行かされるでしょう。だから、これは誰かがするのではありません。よく見て下さい。
▲私が見るのに、非難する話しですが、韓国と世界教会にならないことだけ集合をさせてしています。私が見る時です。引退したおじいさん何人かを集めて、毎日、堂会で話だけしているのです。みな老いて、すぐ寒くて、すぐ暑くてと言うおばあさんを集めて勧士をさせて、毎日、教会で誰を待つのか待っているのです。それで、韓国、世界教会の牧師は、話にもならないことを考えています。だから足りない私の目で見る時もだめなことだけみな集合をさせて、巧妙に集めておいたのです。できることがありません。それで、私たちは今、宗教改革なのです。皆さんがすることが、宗教、文化、人生、全部、改革です。
▲それで、今、重職者の手紙をなぜ作ったかというと、重職者(役員)が少しだけ動いても、神様がどのようにされるかを見ようということです。すでに来ているということです。今、重職者の手紙をよく作っているのですが、私の心の中で、長い間、持っているものがあるのですが、それはあまり出て来ていないようです。無条件に初めてのページは未信者が見ても、オ!というほどのメッセージが出てこなければなりません。無条件に、初めてのページには、私に必要なことだなということが出てこなければならないのです。聞いた瞬間、その場に座って一人で読むようにさせなければなりません。言わば、とても福音が出てこなければならないのです。それでは、この人たちが次のページをめくるようになります。重職者(役員)とは何でしょうか。RUTCとは何でしょうか。OMCとは何でしょうか。このように入っていくようにしなければなりません。それで、全世界の人々が福音を聞けなくなっている人が多いので、福音を聞くようにしなければならないのです。全世界の福音を聞けない人は1/3を越えて、聞いた人はでたらめに聞いています。だから、皆さんの手で正確な福音を伝達しなければならないのです。正確な福音をのせて伝達しなければならないのです。それで、すでにみな来ているということです。すでに主の光があなたの上に臨んでいるということです。起きよ。それでは自然に光を放つようになるのです。
▲単に起きるのではなく、確実な青写真を持っていなさいということです。どのようにして私たちがRUTC運動をして、どのようにして私たちが教会を生かすのか。それでは、経済は神様が与えられるのですが、これのために私たちがどのようにOMCをすべきなのか。皆さんのために、教会と団体がOMCになれば、みな生き返るのです。事実は、私がOMCをしなさいと直接、指示をしたり、要請をしたのでもなく、メッセージだけしたのですが、自ら起きたのです。私はいつもそのような考えをたくさんできなかったのですが、昨年と今年に入って、この人たちが、本当に聖霊の導きを受けると考えました。皆さんがOMCになってこそ、教会も生かされて、子孫も生かされるのです。それで、皆さんが教会で何をしようといえば、教会がみなOMCになってこそ生きるということであって、この話をして、あの話をしていて、どのように生きることができるでしょうか。
(3)時刻表
▲その話がまさに、わたし、主が、すみやかにそれをする。その時がいつなのでしょうか。もちろん、神様の時刻表かもしれないのですが、この時という言葉は、私たちがOMCになる時刻表です。すでにみな準備されているということです。すみやかにする。すみやかというのは、緊急だという意味です。はやく悟ってOMCになれば、わたしが成し遂げる。そのようにおっしゃっておられるのです。私は少し申し訳ないのですが、足りないことは多くても、本当に出発する時、私は確信を持って出発したのです。だれが何と話しても、今、牧師と産業人は、今、神様の導きを受けて行っているのです。すべての重職者(役員)にこの祝福がくるでしょう。これは、私の話ではなく、神様の約束です。この約束が皆さんの個人、事業、家庭に永遠なことを願います。
(The end)