[2008年3月1日/産業宣教メッセージ/メイフィールドホテル/キム・ドンゴン牧師]
共同体と産業宣教(189) - OMCの使命(32) 重職者は祝福のモデルです (ローマ16:1-27) ☆☆☆要約資料☆☆☆ モデルの後ろには、デザインして演出する人がいます。建築家はモデルハウスにもっとも気を配って 建てます。すべてをデザインされ、演出される神様のモデルがまさに重職者です。 どのようなモデルでしょうか。 1.祝福のモデルです (創12:1-3、ローマ16:1-27) (1) 根源的な祝福 (2) 代表的な祝福 (3) 時代的な祝福 (4) 記念碑的な祝福 (5) 不可抗力的な祝福 2.真の福音を持つ者はどのようになるかを説明する祝福のモデルです (1) マタイ16:13-20 (2) マタイ28:16-20 (3) 使1:1-8 (4) 使2:1-47 (5) 使11:19-30 3.真の伝道者が受けた祝福が何かを説明する祝福のモデルです (1) ローマ16:1-27 (2) コロサイ4:1-18 (3) Ⅰコリント16:14-24 (The end) ☆☆☆説明資料☆☆☆ 序論 モデルの後ろにはデザインして演出する人がいます。建築家はモデルハウスを最も気を配って建てます。すべてをデザインして、演出される神様のモデルがまさに重職者です。何のモデルでしょうか。 ▲序論-私が訓練の中で感じたことです。 (過去の人) - (福音) - (新しい人) 私たちはアダムの子孫で生まれた古い人です。生まれる時から神様がない人生で、創世記3章の人生の出身でした。しかし、福音に会うことによって新しい人になりました。救われた人です。神様の人です。神様のかたちです。子どもで、祝福の根源です。 (1)人生(呪い)⇔恵み ▲それで古人は人生自体が呪いです。人生自体が呪いです。いくらしても呪いの生活です。原罪によって、その人生自体が呪いです。する仕事自体が呪いです。アダムが契約を失った時、アダムのためにその土地が呪われました。しかし、私たちの新しい人は生きること自体が恵みで生きるのです。 ▲私は私たちの韓国教会の指導者が聖徒たちに明らかな契約を与えなかったと思います。がんばりなさい。献金しなさい。よく仕えなさい行為を強調して、救われた者の祝福がどれくらいすごいかは話しませんでした。それで、今、韓国教会がこのように行かなければなりません。私は柳先生に会って福音が全てだ。この中で私たちは結論がみな出ると、福音を聞きながら感じたのです。今でも他の道はありません。私が以前にも恵みを受けて、恵みがなしでは生きられない人だったのですが、それではだめでした。神様が良くて、いつも聖書を見て恵みで生きていたのですが、それでは生活できませんでした。私が柳先生のメッセージを聞いて、あれが結論なのですが、完全福音の中に入らないではいけないと初めからそのような気がしました。これまで、どれほど多く進行されたでしょうか。それは、事実、私たちが受ける答えです。そのような、ものすごい答えがくる前に、私自身が準備しなくてはいけないという福音を知るようになりました。それで、私は今でも一日に2-3時間は原色的な福音をずっと聞きます。以前の私のことが多く入っているためです。多くの家系の霊的問題を持っているためです。多くの傷を持っていて、体質は霊的ではない体質に行くためです。福音の衝撃をいいかげんに持っていてはだめだと思いました。私は人生をほとんど70才近くになっています。他の人ではなく、自分自身を見ながら、完全福音が入らなくてはだめだと思いました。 (2)苦闘-偶像-災難⇔なるようになる-onlyイエス-祝福 ▲過去の人々の人生は苦闘です。それで結局、偶像崇拝をします。サタンにだまされるけれども結局は人の限界がくれば偶像に行きます。ノア時代の人は生きるだけしました。ネフィリムに陥ったのでそうなったのです。結局、この人たちは、ほろびるしかありません。押し寄せる災いを防げません。いくらがんばっても、来る呪いを防げませんでした。 ▲ところで新しい人はなるようになる人々です。なるしかありません。子どもであるためです。祝福の根源で、神様のかたちであるためです。そのまま置いておいたのではなく、神様の聖霊がその中にともにおられるためです。その人生を神様が責任を負われて、主人だから、なるしかありません。その人の力や能力ではありません。本来、神様が造られた人間は、被造物で神様のかたちです。創造主なる神様の恵みと祝福と力で生きるようになったのが人間です。創世記3章に陥った人間がもがくのであって、本当に福音の中に恵みの中に入れば良くなるしかありません。それでonlyイエスなのです。全部であるためです。完全で豊かで純粋です。私はいつも胸の中に、福音を胸に入れて、再びこの福音をのがしてはいけないと思います。この福音を子孫にそのまま伝えてやらなければなりません。主が来られる時までです。新しい人は、祝福を受けるように受けることがありません。ダビデは天地のことがみな主のものだと話しました。その御手に主権と力があって、人々がそのように好きな富と栄華はどこから来るのでしょうか。神様からです。私たちはずっと私たちが何かを良くできれば恵みを受けるとだまされるのです。違います。良くできることがどこにあるのでしょうか。自分の人生も一つ生きられなくて汲々としているのではないでしょうか。できる恵みと力と祝福は上から来ることだと信じるように願います。重職者が、どの程度、私が祝福の中で一時代の恵みを受けた人なのかとわからなければ、古い人の中でさ迷うようになります。事業が良くできるならば、私も何かしてみようと思うでしょうが、とんでもない話です。考えを捨てることができないのです。残念なことです。 (3)殺す人(肉体-サタン)⇔人を生かす者(霊-導き) ▲古い人は殺す人です。この人は、全部、考えが肉的な考えに捕らわれていて、ただお金と背景、ただポジションだけあれば良いと思っています。はたして、そうでしょうか。だれが万民を動かされるのでしょうか。神様が動かしておられます。サタンがしわざをするから、他の見方をすれば、人のためにするように見えるのですが、結局は、サタンにだまされて他の人を殺す人になります。もちろん、社会維持のために、こういう人も必要です。終局、この人たちを通して現れる結果は他の人を殺すのです。 ▲前に考えてみました。イエス様を信じる人が半分以上だけなっても、信じる人の影響がどれくらい良く及ぶだろうか。一千万人が本当にイエスをよく信じたとすれば、この民族に影響が及ぼされるでしょう。今、教団は大きいのですが、福音を悟った人がいくらもいないから、押されるのです。それさえもOnenessでもなれば、あまりしないことなのに、くみしやすいから踏みにじるのです。 ▲幸いタラッパンが、福音の中でずっと訓練されるから、結局は、やみの勢力、暗やみは消えることを信じます。私たちは誰でしょうか。重職者が誰でしょうか。人は生かす人です。祝福の人です。私たちはなぜ生かすのでしょうか。私たちは考え自体が霊が考えています。主の導きを受けるから、私たちはすでに祝福の中の祝福を味わうから、私のために振り返る必要がないということです。私の人生ではなくて、主が私の人生を責任を負われるから、私に対しては、これ以上振り返る必要がないためです。そのような人を神様は、神の国と栄光のための道具で用いられると信じるように願います。私たちは時々、恵みを受ければ、主のために何かをすると言うのですが、それはすでに時が遅いのです。そのような考え方を持って成功すれば、そのような方式でまた出て行きます。他の方法がありません。私たちはここで結論が出すべきなのですが、onlyイエスになって、事実で味わうべきなのですが、私たちのすべての考えが、主が願われところと主の方向に立つようになるのです。これをいいかげんに悟れば、自分のバベルの塔を作ります。私は牧会をしながら、多いことを見ました。牧師が教会を復興させる理由が何か分かるでしょうか。バベルの塔を作るのです。教会が大きくなければならないことではないでしょうか。それでこそ、待遇されて、お金を思いのままに使えるためです。私はここで結論出さない全ては、バベルの塔だと思います。 (4)訓練の中 ▲幸いに、神様は私たちを訓練の中にずっと導いておられます。20の戦略が、まさにそれです。レムナントを正しく立てようとするからRUTCが必要なことは当然のことです。彼らの土台とインターンシップで彼らを正しく立てようとするからOMCが必要なのです。 ▲私は年齢と関係がありません。モーセがこれを悟るのに80年かかりました。ヨシュアが確実なモーセのそばで40年かかりました。これにならない人がするということは、まだ思わず肉体的な考えが挟まっているのは間違いありません。私は東部教会を率いながら、私たちに与えられたメッセージは、結局、成就するメッセージだから、聖徒たちを訓練の中に深く入れるように助けています。私が今まで残念なのは、聖徒たちの生活です。事実、聖徒ひとりひとりが福音の中で幸せになり、何か答えを得なければならないのです。私がもし教会復興をさせようとするなら東部教会をそのように置いておきません。信徒が2000人を越えるのですが、そのような教育観で礼拝を行っています。お手洗いも小さいのです。2部礼拝の時は、入る所がなくて、ハウスのなかで礼拝をささげています。お金がないのではなく、安養に土地がないのでもありません。大きい教会を作って多くの人を受容することもできます。しかし、私はそれを選択しませんでした。聖徒たちがきて入る席がなくて大変でも、上で述べた新しい人を味わうようにしました。この味を知れば、ハウスも関係ありません。地下室も関係ありません。本人が幸せなためです。私たちの重職者が、こういう重職者にならなければなりません。 ▲進行されて繰り広げられるプログラムは多いのですが、すべての産業人は、会長のために祈らなければなりません。私は柳先生に会って、とても尊いから、私たちがあの方のために祈らなくてはいけないと思いました。 ▲初めて青少年集会を光州(クァンジュ)の神学校で始まったのです。子どもたちと一緒にTシャツを着ました。年をとった人が恵みを受けると、子どもたちと一緒にひざまずいていました。祈る時、神様が私を叱責されたのです。年齢もあって霊的生活もして福音も多く聞いたのに、その子たちと恵みを受けているのか。前後も分別できないこの子どもたちが来ているのに、この子どもたちをそのまま置いておいて良いのかということでした。初めには雰囲気もだめでした。そして、柳先生をそのまま置いておいて良いのかということでいた。わたしがあなたをここに呼んだのは、祈りなさいと呼んだのだ。その時、私は神様の前に深く悔い改めながら、その時からどの集会に行っても、その集会に来る人のために、柳先生のためにずっと祈りました。 ▲私たちはそのままなるようになる働きではありません。サタンがそのまま置いておきません。それで、私たちの重職者がとても重要なのです。皆さんがモデルになればみな終わるのです。教会で牧師はとても高くて、よく見つめないのですが、その重職者などを見つめてみな習うのです。 ▲それで、私たちの重職者がモデルにならなければなりません。モデルがどれくらい重要でしょうか。私が32才でイエス様を信じて恵みを受けたら、とても良くて、このようにイエス様をよく信じれば良いと思って教会の中でモデルを探したのです。先にイエス様をよく信じた人の助けを受ければ、はるかに信仰生活が良くできるだろうと考えて、教会の中で3人を選びました。いつも教会に祈りに行くから、人々の中で見えたのです。その中で重職者1人、按手執事1人、一般信徒1人に近づきました。とても気楽に話したのです。私がご飯を一緒に食べたいと言ったら、長老の家に招待されました。特別、言葉数は少なかったのですが、雰囲気では、違うという気がしました。それで残りの二人に会いました。初信者の私が恵みを受けて、その恵みの中での少しの間生き方を見たのですが、この人たちは違うという気がしたのです。とても教会で忠誠して、祈りをよくする人々でした。病気になった者に手をあてれば、病気が治る人々でした。ところで、私が会ってみたら、これではないという気がして、その後では会わないことで決めました。さらに会えば失望するかと思ったのでした。それでも、自分の信仰がとても良いのではありません。もう子どもが生まれていたので、人生をまた失敗できないでしょう。神様に会えないで人生が壊れていたが、もう神様に会ったので、もう失敗してはいけないではないでしょうか。 ▲私は重職者のモデルを見る時、本当に重要だと思います。時代の重職者で立てられる働きがあることを信じます。私は牧会をしてみても同じです。私は牧師のモデルになるべきではないだろうかという気がしています。私が働き人を育てているのに、私がカリスマを持って命令して、子どもたちが育つでしょうか。彼らが指導者をいつも見ながら、指導者はあのようにしてあのように信徒の関係、主のしもべとの関係、牧会、特別に重職者の関係をあのように構成していきつつあるんだなということを見るのです。事実、私の牧師の中の牧師で、モデルが柳先生です。私はすべての霊的生活でも、すべての部分にモデルであり、メッセージでモデルとなるように導いていると思います。それで、重職者は祝福のモデルです。 1.祝福のモデルです。(創世記12:1-3,ローマ16:1-27) ▲私が幸せでなければなりません。私に証拠が来なければなりません。証拠がこなければならない人であることを信じます。 (1)根源的祝福 ▲神様が祝福の根源的な祝福をくださると約束されたのです。私は柳先生に会いながら、創世記を通して神様が12章でアブラハムに祝福の根源になると言われました。私が祝福の根源なんだな。私は恵みを受けるしかない存在だな。私の行いのゆえではないな。私のために世界中の人々が恵まれる! と知るようになりました。私が何かを良くしてこそ祝福がくるのだと思っていました。 (2)代表的祝福 ▲そのように受けるから、他の人々の目に見えるのです。代表的な祝福です。 (3)時代的祝福 ▲イサクが栽培する時、100倍の祝福を受けるのが見られたのです。他の人の目に見えるのです。これが時代を生かす祝福です。 (4)記念碑的祝福 ▲あなたによって、世界中の民が祝福される。これが重ね重ね来る記念碑的な祝福です。それでAUCに資料を残して、今、RUTCに記念碑を残すということです。 (5)不可抗力的祝福 ▲不可抗力的で避けられない祝福です。私は柳先生を見ながらこれを見ました。根源的、代表的、時代的、記念碑的、不可抗力的な祝福を受けていると考えました。 ▲柳先生に付いて回る私も、東部教会を見ながら、この祝福をしておられるのを見ました。根源的な祝福、代表的な祝福をしてられるんだな。私たちの教会は時代を生かしているんだな。記念碑的な教会になるだろう。あふれる祝福をくださっているのだな。これが皆さんに同じように来ていて、私たちの重職者に、こういう祝福が臨むようになることを信じます。よく見つめれば、みな来ています。 2.真の福音を持った者はどうなるかを説明する祝福のモデルです。 (1)マタイ16:13-20 ▲完全に終わりました。この契約の中で完全解放です。罪と関係ありません。私たちは恵みの中にいます。サタンと関係ありません。光となられた主が来ておられます。サタンがあえて私たちをどのように触れるのでしょうか。だますからです。世の中の影響を受けません。すでに主の胸の中に来ています。それだけでしょうか。ハデスの力があなたに勝つことができません。岩として、天国の鍵を与えられました。この契約の中にいれば、みな終わったのです。 (2)マタイ28:16-20 ▲こういう祝福を受けた人は、行く所ごとに弟子を立てるようになっています。いつもともにおられる主がその人を通して弟子が立てられることを信じるように願います。 (3)使徒1:1-8 ▲地の果てまで、あなたを通して祝福をくださり、世の中を生かされるのであり、証拠をくださるということです。 (4)使徒2:1-47 ▲福音の中に入っていれば力が臨みます。すべての門をみな開くということです。伝道の門だけ開かれるのでしょうか。事業の門も、厳密に話せば伝道の門です。職場がない人が職場の門が開けば、それが伝道の門です。救われた人のすべての人生自体は伝道のために存在するのです。みことばが結局、成就するのです。弟子が起きます。結局、現場が変化します。 (5)使徒11:19-30 ▲重職者を通して時代的な教会が立てられます。重職者が契約の中で正しく祝福を受けたので、時代的なアンテオケ教会が立てられました。地域だけ生かしたのでしょうか。そうではありません。時代的な働き人を探して立てられました。その働き人を送り出したのです。バルナバ堂会長、パウロ同労者、最も重要なメンバーを全部、世界宣教に送りました。世界現場に働き人がいるためです。その地域だけにいるのではありません。働き人を探して立てる教会です。重職者が中心になってアンテオケ教会は担当しているので、バルナバとパウロ先生を送り出しました。あなた働きの後押しになると言いながら送ったのです。 3.真の伝道者が受けた祝福が何かを説明する祝福のモデルです。 ▲この人たちが、完全福音の中で祝福を味わって生きているために、神様が彼らを通してなさった事を見ましょう。 (1)ローマ16:1-27 ▲彼らの働きのニックネームを与えられました。同労者、保護者、家主、愛する者、労苦する者。どれくらい使徒パウロの目に見たのか、そのようなニックネームをつけました。私は牧会をしながら一番心配が重職者でした。引き受けたことは多いのですが、それを果たすことができないということを知るようになりました。どのようにするか心配をしたのです。一般信徒が起きて子孫が起きるのに、重職者が立ち続けていれば、どのようにすると思って悩んだのです。柳先生が重職者時代を開いて、もう生きたと思いまました。今は集中的に重職者を生かすのです。もうできたという気がします。私たちの重職者が、こういうニックネームの主人公になることを祈ります。 (2)コロサイ4:1-18 ▲テキコを主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべだと言いました。ユストは、私を慰めてくれる者と言いました。エパフラスは主のしもべと伝道者のために祈りに励む者でした。 (3)Iコリント16:14-24 ▲ステパナを聖徒たちのために熱心に奉仕する者と言いました。ポルトナトとアカイコは、足りない分を補ってくれたと言って、心をも安心させてくれましたと言っています。 ▲私は誰でもでない皆さんを、この時代に重職者として呼ばれたと思います。神様がこういう祝福のモデルに皆さんを立てられると信じます。 (The end) |