[2008年3月15日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(191) - OMCの使命(34)
重職者が見なければならない証拠は何ですか
(ヘブル11:1-3)


☆☆☆要約資料☆☆☆
1.重職者が先に見なければならない証拠
(1) 出3:16、ヨシュア3:1-3
(2) 民14:1-10
(3) 使1:12-14、6:1-7、9:1-43、11:19、13:1
2.目に見えない証拠が見えるようになるべきです
(1) 過去の教訓
① イスラエル ② 中世の教会 ③ 初期の韓国のキリスト教
(2) 今日の隠れているもの
(3) 必ず成り立つべき未来とビジョン
3.まず、証拠を握ってこそ答えられます
(1) ヘブル11章の英雄たち
(2) 7人のRemnant
(3) 初代教会
① マタイ16:13-20
② Ⅰコリント2:1-12
③ エペソ2:1-7
④ 使1:8-15
⑤ 使12:1-25
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
序論
▲ヘブル11章を見れば、信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
▲望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものですと言われています。聖日に皆さんが教会で礼拝をささげにきて、正確な答えをいつも得たら、それよりさらに幸せな時間はないでしょう。もしそれなしで教会を通うとしたら難しいのです。下手すると教役者だから教会に行かなければならないのです。また、重職者だから教会に行かなければなりません。これがもし一、二度でなく、1年ぐらい続けばどうなるのでしょうか。これが目に見えないように、ひどい失敗の原因になります。しかし、反対に礼拝をささげる時ごとに恵みを受けて、答えを得たら、それより大きい祝福はないでしょう。問題は、この証拠をつかまなかったり、誤りつかんだ時です。これをよくつかめなければ、とても困るようになります。
▲かなり以前に、釜山で一度レムナント集会の時、食中毒事件が起きました。食中毒事件が起きて、ニュースにも出て、新聞にも出ました。その時のできごとが起きて、何のためにジャーナリズムを避けるのか理由を分かりました。ずっと訪ねてくるのです。釜山で地方なのに、あちこちから訪ねてくるのです。ところで、子どもたちはずっと倒れるのです。きて、無条件に私に会おうと言うのです。後には私が要請をしました。今、子どもたちがずっと倒れるので、大変だ。病院に連れて行くべきなのに、これでは私たちが仕事ができない。それでも効果がありませんでした。ところで、ニュースや新聞に載れば、名前、住所、数がいつも違うのです。その人がわざわざすることではなく、このようになるのだということを、その時、体験しました。記者がわざわざ違うように書いたということではありません。単に来て、調査して書いたものが間違っているのが多いということです。それを通して過ぎ行く事件であっても、私たちの一生において、とても重要な証拠を誤ってつかんだとすれば、本当に困るのです。初期に私が徹夜祈りを直接導いていた時、祈りの課題を書いて私に出しなさいと言いました。ところが、祈りの課題を間違ってつかんでいる人が本当に多いのです。夫がまだ教会に出てくることもないのに、聖霊充満を与えてくださいと言うのもありました。もちろん、聖霊充満の中には全てがみな含まれているのですが。

1.重職者が先に見なければならない証拠
▲重職者が先に見なければならない証拠があります。まず目に見えることです。これを先に確実な証拠で握らなければなりません。
(1)出エジプト3:16、ヨシュア3:1-3 (みことば)
▲皆さんがどれくらい重要なのかというと、紅海を分ける前に、このみことば(出エジプト3:16)から先に見なければなりません。長老に先に話しなさい。この話は何でしょうか。みな含まれているのです。重職者を立て起こして、考えと世論を作りなさいということです。これは重職者も記憶をしなければならず、一般信徒も記憶をしなければならず、牧師も記憶をしなければなりません。普通、ある牧師を見れば、重職者や信徒を無視して自分一人で仕事をする人もいます。それでは必ず支障がきます。また、ある人は、重職者自身も自身の気分のとおり仕事をする人もいます。それでなく、とても重要な、長老に先に行って説得をしろということです。ものすごい紅海を渡る事件以前にそのように言ったのです。
▲やはりヨシュア3:1-3節を見れば、同じ内容です。出エジプト3:16節は紅海を渡る前で、ヨシュア3:1-3節は、ヨルダンを渡る前です。その時も、つかさたちに先に話をしなさいと言われました。重要な話です。ヨシュアが直接せずに、つかさたちに話しなさいということです。これから伝道運動や建築などは、つかさがみな起きて話すようにさせなければなりません。これが鍵です。ここに最も重要なのは、すべての民にみことばが入るようにしろということです。すべての民が、神様のみことばを契約で、証拠で握るべきで、違ってはいけないのです。だから、すべての民がみことばを捕まえたということです。
▲これは教会の原理も同じです。また、どこででも同じです。それで、私たちのタラッパンでみことばを長く繰り返すようにするのは、すべての家族がみことばをつかむようにさせるためです。
(2)民14:1-10 (斥候)
▲民14章は、皆さんも分かるように12人の斥候が行ってきて報告する内容です。どれだけ科学的な方法を使ったかというと、カナン征服する前に斥候を先に送ったのです。
▲私がほとんど見る時、聖書は事業だけでなく、すべての面に完ぺきです。攻撃を先にしたのではなく、斥候を送ったのです。問題は、10人が間違った報告をしたのです。2人が正確な報告をしたのでした。10人は行って来て、とても衝撃を受けて、行くことができないと言ったのです。うわべだけ見たのです。町が大きくて私たちはできない。ところが、この中に含まれた2人の斥候が、ヨシュアとカレブです。彼らが重要な話をしました。彼らの指導者は、みな離れたと言いました。とても正確なことを見たのです。すでに失望して、指導者が離れたら、終わったのです。どの程度に表現したかとすれば、彼らは私たちの餌食だ。行くだけで良いと言ったのです。このように、この意見がすべての民に伝達されたのです。こういうものが重職者がすることです。とても重要です。
(3)使徒1:12-14,6:1-7,9:1-43,11:19,13:1
▲使徒1:12-14節に70人が参加したのですが、重要な時刻表です。皆さんが分かるように、法で行けないように決めておいたのです。
▲ところが、この中で選ばれた働き人が、使徒6:1-7節の働き人です。ここに対しても、たくさん考えなければなりません。こういう重職者訓練を受けた人の中から立てたのです。だから、エルサレム、ユダ全体に重職者が敷かれたのです。
▲さらにすごいのは、完全に教会をなくそうと迫害を受けた時、この時重職者が起きて立てた教会がアンテオケ教会です。さらに驚くべき事実は、使徒13:1節に初めて宣教師が派遣されたのです。それで、パウロが重要なのです。初めて宣教師として派遣されました。それ以前に、ヨセフとモーセは無理に行って神様を宣べ伝えたのですが、正式にパウロが宣教師として派遣されたのです。ここに驚くことが、重職者が追いついたということです。ところで、重職者をすべての所に連れて行こうとすれば限界がくるので、パウロが先に重職者を捜し出したのです。それで、私たちが悟ることは、今している、どんな教団の宣教も正しくなされているのではないということです。
▲皆さんが本当に力を得て、起きて、重職者を先に探さなければなりません。これを本当にすれば、神様が祝福されるでしょう。だから、弟子から探すという言葉が、パウロは重職者から探して立てたのです。16-18章を見れば、伝道するのも重要ですが、重職者から探して伝道しに入ったのでした。これは直ちに私たちの目の前に見られるのです。
▲それで、私たちが重職者をたくさん立てるのに、立つ方々も、そのように立てる人も、まだ感じをつかめていないようです。重職者をなぜ立てるのでしょうか。理由は、直ちに証拠が必要なためです。このようにしなければ、世界福音化は不可能です。それでは、ある面では、これを作ることより、あるものを味わえば良いのです。例えば、警察を長くしていた人が後輩を集めて集いだけ始めても、伝道の門が開かれます。私が軍隊に長くいるとすれば、軍人の最も近い地域で集いだけでも新しいみことば伝道運動が起きるのです。もちろん、公務員の中にも、軍隊の中にも教会はあるのですが、これは他の話です。弟子だけ集めて軍隊の近くで集まるだけでも、新しい伝道運動が始まるのです。これは何か他の、弟子だけ集めておいた何か、他の集いです。他の見方をすれば、最もやさしいのです。それで、先にモーセがイスラエル民族を訪ね歩きながら説明するのは大変だから、先に長老に話したのです。ヨシュアが契約の箱について行けという言葉をすべての民に説明しようとするなら、放送もなくて難しいのです。それで、つかさを呼んで説明したので、簡単なのです。これは信仰以前に、最も科学的な方法です。それで、皆さんが神様と通じるためには、大きい目を開いて、全世界に重職者と弟子が敷かれているということを分からなければなりません。

2.目に見えない証拠
▲そして、重要なのは、これからは目に見えない証拠があるのです。これ(1番)は直ちに目前に迫ることですが、目に見えない大きい証拠があります。
(1)過去の教訓(歴史性)
▲それがまさに今まであった過去の教訓です。私たちはイスラエル、中世教会、初期の韓国キリスト教を続けて見る時、簡単に話せば歴史性を帯びて見れば、目に見えないようでも、とても重要な道があるのです。
(2)今日-隠されたところ
▲そして直ちに、今日、隠されている畑があります。隠された弟子もいます。
(3)未来-ビジョン
▲そして、私たちは多くのことをしなければならないのですが、必ずならなければならない未来をビジョンとするのです。こういうものはみな目に見えない証拠です。それで、この証拠をどれくらい正確に握るのかによって、答えが変わるのです。

3.この証拠を私のものとして握らなければなりません。
▲そして、この証拠を私のものとして握らなければならないのです。すべての民に与えられた証拠ですが、神様が私にくださった証拠があります。この部分がどれくらい重要かわかりません。
▲私は伝道戦略上で、教役者より重職者がさらに重要だと思います。教役者の場合は、特別な場合と見なければならず、一般信徒、重職者がたくさん起きてこそ、教会が生きるのです。ある面では、教役者が多ければ伝道ができません。教役者は、本当に神様のみことばでお手伝いしようとする使命であって、それ以上も以下も何もありません。それで、私が見る時、ある場合は、教役者をしないのが現場がさらに多いのです。例をあげれば、米国に行っているチ・サンオク牧師も執事だった時、さらに良くしました。スタイルも現場と合って、人々ともよく合ったが牧師先生...と言うので変なのです。むしろみわざが起きません。また、ある方は、職場にいる時、長老の時、とても実がたくさんありました。ある日、突然、祈梼院に行ってきて牧師をするというと、牧会もだめで何もだめなのです。このように、人々が違った証拠を握る人が多いのです。
▲だから、私たちは牧師になるという時は、覚悟を別にして、全てを置かなければなりません。ある場合は、死というのが時代ごとに来ますが、その時は死ぬ覚悟もしなければならないのです。ある場合には、真理の最後の保留と思わなければなりません。もし昔の日帝時代のように神社参拝を強要すれば、その時は牧師が率先して死ぬのです。ある時は、多くのことができるが、しないこともあるのです。その時は、理由があるためです。それで、またいくら立派な牧師でも現場はありません。それで、牧師は伝道するのが難しいのです。毎日、行ってみてこそ、訪問するのに、信じる人の家に行っても、現場がないのです。しかし、すべての一般信徒は現場があります。それで、現場で答えを受ければ、すぐに伝道に変わるのです。それで、重職者を立てて、多くの祝福と訓練を受けるようにさせて、恵みを受ければ、全世界が生きるのです。その中で私のものがなければなりません。
(1)ヘブル11章の英雄
▲代表的にヘブル11章は、信仰の英雄が記録されています。この人たちが、その時、その時、自分に与えられた重要な証拠を握りました。福音は全く同じですが、時代ごとに自分に与えられる証拠が違うのです。
(2)レムナント7人
▲レムナント7人の特徴は、明らかな自分の証拠を握ったということです。違うように握れば大変ですが、明らかな自分の証拠を持っているのです。
(3)初代教会
▲また、初代教会がそうでした。神様が私に与えられた証拠だな。ある人は高慢になって理解するのですが、本当に謙虚に、神様が私に与えられた証拠だな...と捕まえたのです。これを悟れなければ、この多くの答えが停滞しているのです。世界を動かさなければならないということでなく、そのまま私が見る時、昔に皆さんに会う前に私が見る時、福音を知っている一般信徒があまりいなかったのです。それで、現場に行って、クリスチャンのサークルや他のものを見ると、福音を味わって伝道を正しくしている団体が、私が見る時はなかったのです。それで、私はこの説明は必ずしなければならないと考えました。福音の中にすべて入っているので、なぜ違ったところでしばしば何を探すのか、それで福音の中で探せるように私が助けなければならないと考えるようになったのです。こうして見たら、今、伝道運動は問題ではないのです。ある面では、教会復興も問題ではありません。正しく証拠を握るべきで、違ったものを握っているのに、どのように復興になるでしょうか。このように私のものを握ったのです。私のものと言えば変ですが、神様のものなのに、私にくださったものを握ったのです。そうするうちに、一番最初に悟ったのがこれです。
①マタイ16:13-20
▲人々がわたしを誰だと言いますか。これが私が一番最初に悟りました。それで私が集会に行けば、これを一番最初にしたのです。ところで、この告白をする以前には、イエス様が肉体的なことをされていました。患者を直してあげて、食べ物を与えたのですが、これ以後にイエス様が重要なことをされたのです。
②Iコリント2:1-12
▲そうすれば、二番目のことが見られるのです。キリストの中にものすごい祝福があるということを知るようになりました。それで、悟ったことを信徒の祝福7つに要約をしたのです。
③エペソ2:1-7
▲そして、未信者はいくらお金が多くてもなぜ死ぬかということを分かったのです。先進国であるほど、さらに問題が多いのです。いっそ貧しくて、月給をもらって、お金を分けて使う人より、多くを儲ける人がさらに問題が多いのです。主婦も家で生活して牛乳配達する人がさらに精神が良くて、お金が多くて、通う人がさらに問題です。私がここで未信者状態6つを発見したのです。このように答を出したので、このように答えが来るのです。そうしたら、この三つを参考にしたら、今まで私がしていた伝道はでたらめ伝道でした。このキリストが分かるように正しく余裕を与えなければならないのに、そんなことがないのです。キリストを分かったら、根をおろすようにすべきなのに、その余白がないのです。それで、マルコのタラッパンが目に入ったのです。彼と同時に3千人の弟子が目に入りました。前は知らなかったのですが、そういえば、町の中にみな家の話が出てくるのです。そして、見ると、地域ごとに弟子があるのです。これだ。これが伝道運動で、これが重職者運動で、弟子運動であり、全てです。その時から目が開くのです。
④使徒1:8-15
▲それで、使徒1:8節の契約を捕まえた人々がマルコの屋上の間に集まったのです。ここで答えを捜し出すので、伝道運動が起きるのです。
⑤使徒12:1-25
▲この4つのことを分かったら、いよいよ出てくる力があるのです。それが祈りです。祈りは全てです。祈りは全てができます。使徒12章を見たら、極限状況に会ってもヘロデを戦わないで勝てる方法が祈りです。神様が信じる者の祈りをお聞きになって、伝道者の歩みを見て、主の天使を先に送って、いつも助けられるのが祈りです。このように答えが出てきたのです。これを持って合宿訓練をしたのです。これが1次合宿訓練の内容です。昔に私が復興会に行けば、この言葉だけ言ったのです。集会がいつもずっと回っていたのですが、いつもこの言葉だけ言ったのです。その次に話をすることができなかったのです。ところで、神様ができないようにして、その次の話をするようにされたのです。それで、RUTC、OMCまで来たのです。本当に驚くことです。私たちがこの答えが来るので、その時から連続して来るのです。
(1)20の戦略- 100年のマスタープランが来るのです。
(2)レムナント、RUTC-これが発見できたので、聖書に完ぺきな答えがあるのに知らなかったということを知るようになったのです。だから、自然にくるようになるのがレムナントとRUTCです。
(3)OMC-それで、皆さんが当然、受けなければならない答えが何でしょうか。OMCです。世界を生かす答えを当然、受けるようになっているのです。
▲これがどこから始まるのでしょうか。序論から始まってくるのです。これが事実はすべての教役者と重職者が握らなければならない内容です。少しの間、ここ(ソウル産業宣教センター)にきてみて本当に良い!という気がしました。施設は、メイフィールドホテルが良くても、私はそちらに行く時ごとに、他人の家に行くようでした。ところで、不思議にここは、はじめて来たのに、我が家に来たようです。真に人とは仕方ありません。ところで、ここで見る時、より良く活用できるでしょう。作戦をすべてのタラッパンメンバーがくれば見物できるように資料を作っておくのも良いと考えました。外国からくれば、RUTCに行く前に、ここを先に立ち寄って、これがRUTCだね! ということが分かるように資料を作っておいた方が良いでしょう。簡単に話せば、全国と世界の施設を集めましょう。ある面で、食事も大変にせずに、昔にクリスマス明け方に歌いいに出て行く時、クッパを食べたように、それも良いでしょう。それも頭を使って、最初の週はイエウォン教会でして、第2週はインマヌエルソウルで、三週目はアニャントンブ教会ですれば、それも大丈夫でしょう。お金もかからないで意見も集めるのです。それで、最初の週にイエウォン教会の勧士が奉仕しなさい、第2週はインマヌエルソウル、アニャントンブ、チャンサラム教会でしなさいすれば、どれくらい良いでしょうか。知らないが、私が見る時、ここにくる方たちは、朝によく食べるべきだとの考えを持ってくる人はあまりいないでしょう。私はまだ思い出すのが、福音を受ける前に思い出すことが一つしかありません。福音を悟る前には、教会が何の面白味もないのに一つだけ思い出します。クリスマスの日の明け方に歌で回るとき、クッパを食べて回ってきて、うとうとしたこと、これしか考えが思い浮かびません。その時はどれくらい寒かったのか、明け方に歌って回ってくれば寒くて、クッパを一皿ずつゆっくりもらうのに、どれくらいおいしいのか分かりませんでした。それをもう一杯もらえないのか、顔色を見て、だれかがくれたらどれくらい有難いかわからなかったのです。それを食べて朝の祈りすると座ったら、子どもたちがみなうとうとするのです。私はそれが一番記憶に残っています。難しくせずに、ここで全世界のメンバーが、OMCを分かるようにさせましょう。そうすれば、多くの巡礼者がきて、この人たちは、このことをするんだな!と分かるようにする必要があるのです。そして、一回ずつわざわざこの教会、あの教会の重職者を招くのも良いでしょう。そうすれば、その教会も力ができて、きてみたりもするのです。
▲そのように、重職者を立て起こさなければ、本人も生きられなくて教会も生きられないのです。もう、また新しい祝福が新しい答えが始まるでしょう。すべての産業人、重職者に、神様の祝福があることを希望します。
(The end)