[2008年5月10日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]
共同体と産業宣教(198) - OMCの使命(42) 愛する者 (ローマ16:5,8) ☆☆☆要約資料☆☆☆ 1.愛する者のために重要なことをすることができます (1) ヨハネ3:16 (2) Ⅲヨハネ1:2 (3) Ⅱテモテ2:1 (4) テトス1:4 (5) ピリピ1:3 (6) ローマ1:9-10 (7) ピレモン1:1-25 2.「愛する者」 - 使徒パウロの表現です (1) エパネト ① 「ほめたたえる、褒める」の意味 ② アジアでキリストを信じた最初の人 (ローマ16:5) ③ パウロの友人 (2) アムプリアト ① 「拡張」という意味 ② ローマ16:8 ③ 奴隷によくある名前 3.最高に祝福された者 (1) 当時の伝道者の祝福 (2) 弟子たちの祝福 (3) ローマ信徒の祝福 (The end) ☆☆☆説明資料☆☆☆ →序論 ▲真に幸せで福音を伝えた人々が持っていたものは何でしょうか。私が真に幸せだという福音を持った人々は、どのようにしたのでしょうか。愛する者という単語が出てきました。問題は、パウロがどんな心を持って話したかということです。 (1)夜昼、感謝 ▲パウロは夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こして...という言葉を使いました。常に祈ると言いました。皆さんが夜昼、常に思う人は誰でしょうか。目を開けても思い出せて、閉じても思い出せて、常に思い出せる人が誰かということです。パウロのは、そのような話ではありません。パウロは福音がどれくらい良いのか、これを思う心が世の中を動かしたのです。皆さんは方法を学ぼうとしてはいけません。これは方法ではないのです。福音がとても良いのです。それで、福音の中にあるこの人のために常に祈りが出てくるのです。 ▲これは根源的問題、根源的祝福を言うのです。 (2)肉体(災いの贈り物) ▲牧師が祈っていたら、後ろの家の女性の顔が思い出されたら、それは神様が思われる時、根源的な問題です。ある女の方が常に思い出せるのが、後ろの家のおじさんという時、パウロが話したのがそれなのでしょうか。パウロが話したことは肉的なことではありません。快楽と情欲的なものではないのです。もし、それならば、お互いに災いをプレゼントするのです。パウロが話したことは、それではないということです。初代教会の状況を理解してみるように願います。その当時に教会で会った人と伝道して会った人々は、いのちを与えても惜しくないほど貴重でした。会って泣いたのです。互いに抱きしめて泣きました。私たちが時々野球場でもそうでしょう。女性だと思わずに、抱いて感動して走るのです。そうするうちに申し訳ないと言います。初代教会がそのような状況でした。私のことをすべて上げても大丈夫でした。 (3)福音の愛 ▲パウロが福音の愛に狂ったので、世界征服が可能だったのです。人間の面白味もなくて、人間の愛もないならば、福音を悟って全てのものが終わりですね...と話すこともあるでしょうが、そうではありません。夫がよくしなくても私は福音自体がとても良い...と告白する二人の男女が会って結婚したのが真の愛で、真の幸せです。これからレムナントは、そのような人と結婚をしなければなりません。ただ、あなた、あなたは太陽、特別...と告白する人と会えば、こういう心は数ヶ月も続かずに冷めるようになります。それが福音ではないのです。レムナントは福音をとても愛するから、他のものはなくても大丈夫でなければなりません。そうするうちに、そのような人にまた会ったら、それがキリストの愛になって真の愛です。それでこそ、本当に幸せなのです。パウロがそれを言うのです。パウロが世界を征服したことは方法も戦略でもありません。根源的な祝福を受けたのです。それで、根源的幸せが出てきて、それで根源的感謝が出てくるのです。どれくらい幸せでしょうか。それで、監獄に入っても幸せなのです。 1.愛する者のために重要なことができる。 (1)ヨハネ3:16 ▲滅びの中である人々を神様がすべての愛を動員してすべてを生かされました。滅びないで永遠のいのちを得るようにさせるためでした。ここに対する神様の愛を感じたのです。神様は本当に私を愛されるんだな!ということを悟るようにされました。 (2)Ⅲヨハネ1:2 ▲その当時、ガイオはこの頃でたとえると、国会に出馬するほどの人なのに、タラッパンを手助けしてはいけなかったのです。しかし、ガイオは福音がとても良くて手助けしないわけにはいかなかったのです。それで、ヨハネが「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」と話したのです。あなたのたましいが幸いを得て、すべての点でも幸いを得て、健康だと話したのです。それを祈ったのです。それでヨハネとガイオが通じたのです。これは肉的に手助けしたのではありません。ガイオが自分がお金を多く出したからといって、すべての教会の家主だと自負したのではありません。そのように献身をしても申し訳ないほど神様に感謝したのです。真に神様の愛がくすしかったのです。私たちがこのように霊的状態を変えなければなりません。 (3)Ⅱテモテ2:1 ▲わが子よ! という言葉は、正常にテモテのお母さんが生きているのに、自分が肉的なお父さんという意味でした話ではありません。本当にあなたの涙と祈りが真の神様に貴重だな...それでわが子達よ...と話して、こういう愛を言うのでした。牧師がレムナントを見る時、こういう心にならなければなりません。 (4)テトス1:4 ▲真の息子と言いました。単なる息子でもなくて真の息子です。この言葉が、まさに肉的な愛でなく、福音的愛を言うのです。 (5)ピリピ1:3 ▲パウロは福音にあって常に祈る、私が福音にあってあなたのために祈る時、常に感謝すると話しました。もし、パウロがピリピ教会でなく、他の人にした話でも、それは正しい言葉です。ピリピ教会の核心が誰でしょうか。ルデヤです。常に感謝して喜ぶのです。これを言う時、ルデヤの肉的なものを言ったのではありません。ルデヤがお金を集めて、献金をよくしたのですが、そのような意味ではありません。ピリピ4章で告白しました。私はあっても良くて、なくても良い。私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるから...と告白しました。 (6)ローマ1:9-10、神様が証人です。私が涙で夜昼、祈っている。本当にあなたたちに会いたいと話しました。ローマのプリスカにした話ではありません。本当に奇跡のような福音を持ってローマを生かしているあなたたちに会うのが願いだ。 (7)ピレモン1:1-25,ピレモンは全財産を出してパウロを助けて伝道した人です。パウロがそれのためにした話ではありません。全財産を持って福音運動してコロサイ教会を立てたのですが、パウロがそれに感動して愛すると言ったのではありません。 2.愛する者-使徒パウロの表現です。 ▲ここにパウロが二人を指摘しました。 (1)エパネト ▲パウロの友人でもあります。友人を越えた愛です。故郷の友人という意味ではありません。同じ慶尚北道(キョンサンブクド)どうし手を握って、それで愛するという言葉ではありません。湖南(ホナム)どうし手を握って、一度してみようという言葉ではないのです。友人を越えたキリストの愛です。 ① 「ほめたたえる、褒める」の意味 ② アジアでキリストを信じた最初の人 (ローマ16:5) ③ パウロの友人 (2)アムプリアト ▲その当時に奴隷に付けた名前です。奴隷の家だったと見る人々も多いのです。身分を越えた愛です。 ① 「拡張」という意味 ② ローマ16:8 ③ 奴隷によくある名前 3.最高の祝福を受けた者 ▲最高の祝福を受けた者とは誰でしょうか。もしガンの治療薬を開発した人が年を取って死んでいくならば、どのようにするでしょうか。それでは、ガンになったすべての人々が、その人のためにどれくらい祈るでしょうか。あの人が長く生きてこそ、薬を作り出すのに、病気になって死ぬようになったとすれば、多くの人々が祈って、その人を助けようとするでしょう。とても重要な人です。 (1) 当時の伝道者の祝福 ▲当時の伝道者を助けて愛するということは、ものすごいことなのです。 (2)弟子の祝福 ▲福音を持ったレムナントと弟子を育てることはものすごいことです。単にOMC献金をするのではありません。私がこれをすることで1人を生かすのが、どれくらい重要なのかを知って、献金をしなければなりません。米国の人が韓国に来たときに、靴磨きの一人の子どもを発見しました。その子がしっかりした子のようで、米国で勉強できるように助けたのですが、この人が韓国に影響力をおよぼしているキム・チァンファン牧師です。福音を持ったレムナント1人がどれくらい重要でしょうか。そのために感激して、愛して、そのために金を儲けて献金をするのです。 (3)ローマ信徒の祝福 ▲そのように見る時、ローマの信徒がどれくらい尊いのでしょうか。イスラム教の青年がイエス様を信じるようになりました。家族が知るようになったのです。その村で追放程度ではなくて、殺すのです。ところで、この青年は自分自身はこの福音を捨てられないと話したということです。本当に家族と両親に申し訳ないが、この福音をイスラム圏に伝えなければならないと話したのです。どれくらい大切なのでしょうか。そのような気持ちで、パウロが手紙を送ったのです。神様が証人です。私が夜昼、涙を流しながら、あなたがたに会うことを願う。どうして、神様がパウロを祝福することができないことがあったでしょうか。 ▲皆さんの心の中に何が入っているのでしょうか。これが問題を左右します。本当に胸の中に何が入っているのでしょうか。神様がご覧になる時、どうでしょうか。これがすべてです。サタンが私たちに付いて回るのにどうでしょうか。これがすべてです。パウロが愛する者を告白したが、普通の話になりません。 4.結論 (1)子ども ▲ここに心が傾くのが神様の子どもです。行くべきだということでなく、行くのです。ソロモンが裁判で子どもをキリ分けても与えろという言葉は、単なる話になりません。「私の子どもではないから、あの女に与えて」と話すその女が本当の母親です。神様の子どもは、すべきだということでなく、そうなるのです。信徒は、この時代に本当に福音を伝えるRUTC、OMC、私たちの教会が建築を始めるんだな。神様、私は、この時どのようにしなければなりませんかと祈ってこそ、答えが来るのです。計算するのではありません。 (2)全てのもの(マタイ6:33) ▲このようになれば、神様は全てのものを与えられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 (3)真の幸せ ▲ここで真の答えも来るのですが、真の幸せがくるのです。真の幸せは、私の中から出てくることなのでしょうか。 ▲仏教は真の幸福は自分の心から出ると教えるのですが、この心は朝晩で状況によって変わるからです。 ▲真の幸せは中から出るのではなく、上から降りてくるのです。これを味わわなければなりません。真の幸せを伝道しながら感じないのでしょうか。時々、私たちは福音がすごいと話します。これは中から出た話でなく、上から降りてきた言葉です。福音は真にすばらしいのです。どのように、こうなるでしょうか。その話の中に深く打ち込まれたのが、私が上手にしたところなるよ...という意味ではありません。私が上手にすることではないが、福音はすごい...ということです。真の幸せは中から出るのではありません。幸せは麻薬を飲んでも出てきます。中から出る幸せはアルコール中毒者などが酒を飲んでも出てきて、中から出てくる幸せはナイトクラブに行っても出てきます。賛美歌で主の平和よ、天からくだりきて...と賛美します。コロサイ3章を見れば、上のことを求めなさい...と言われています。なぜなら、本当の幸せは地から出ないためです。上から来ます。 ▲私たちが行く道に、真の平安と幸せは地からくるのではありません。神様が上から送って下さるのです。神様を信じない人もいのちと運命は神様が治められるのです。そのような気持ちでパウロが話したのが確実です。簡単な話を、なぜそのように説明を長くするかと考えることもあるでしょうが、もっとしなければなりません。パウロがそのような気持ちで教会をたてて、教会がみわざが起きたのです。みわざが起きるようにするためにしたのではなく、このようにするからみわざが起きたのです。私たちが祝福を受けようと献金するのではありません。とても神様の愛に感激して献金をしたところ、神様が祝福されたということです。 ▲今でも皆さんはRUTC、OMC、皆さんの教会を念頭に置いてこそ、神様が働かれるのです。 ▲パウロがした話の中で愛する者よ...と話した、ここに最も大きい意味があったと見なされます。あなたは助ける者(保護者)だな、または同労者、家主という言葉も重要ですが、パウロが愛する者よ...とした言葉が、パウロの心の中にあるのかもしれません。プリスカという女性はパウロのために命をかけました。その時、パウロが愛するという言葉は肉的な話ではありません。あなたは本当に福音の中にあるんだな、神様の子どもだな...という意味です。全てのものをみな出しても神様の愛を握って行ったのです。全世界でメッセージを聞く産業人のたましいの中に、心の中には何が入っているのでしょうか。それが皆さんで、皆さんの未来を左右するでしょう。それが皆さんの教会を生かすでしょう。こういう祝福が必ずあるようにイエス様の御名で祝福します。 (The end) |