[2008年6月7日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]
共同体と産業宣教(203) - OMCの使命(46) 祈りが通じる人 (ピリピ1:3-4) ☆☆☆要約資料☆☆☆ 1.ペテロと祈りが通じる人々 (1) 使1:1-14 (2) 使2:1-47 (3) 使3:1-4:12 (4) 使6:1-7、7:54-60、8:4-40、9:1-43 (5) 使12:1-25 2.パウロの祈りが通じる人々 (1) 使19:21、23:11、27:24 (2) ローマ1:9-10、ローマ16:1-27 (3) Ⅰコリント1:4、16:14-24 (4) Ⅱコリント1:11、12:1-10 (5) ピリピ1:3 3.祈りの課題が通じる人々 (1) 使2:41-42 (2) 使11:19-30 (3) 使13:1-4 (4) 使16:6-10 (5) 使19:21 (6) エペソ1:3-19 (7) ピリピ3:1-20 (The end) ☆☆☆説明資料☆☆☆ →序論 ▲パウロがピリピ1章3-4節に「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、...」そうなっています。 ▲誰にこういう話をしたのでしょうか。祈りが通じる人にした話です。この話は、パウロが、今、あなたがたを思う時ごとに、この話はこの人を置いてずっと祈っているという言葉でしょう。そして4節には、いつも祈るとなっています。ここに、もうパウロがどんな人かということが分かります。私たちがこういう部分に少し考えなければなりません。祈りは事実は、誰でもしています。そして、必ず答えられるようになっています。 ▲答え (1)考え、体質、生活 ▲私が見るのに、祈りを全くしないのも祈りです。祈りを全くしなければ、私の考えのとおりするようになっています。祈り全らなければ、私の体質のとおりするようになっています。そして、どうしても生活はしているから、このように、これも答えになります。ある面では、最もやりやすいことですが、最も危険なことだと見られます。私のレベルに従って行って、これが問題なのは、ある日、限界が来てしまうのです。これも祈りです。私が思うのに、これも祈りだということです。 (2)神秘-混乱 ▲そして、祈りをまたこのようにする人がいます。祈りに深く入って、神秘をする、これも祈りです。これは必ず、また、ある日混乱するようになっています。 (3)無知-世の中 ▲また、私たちの中には無知な人も多いでしょう。私たちがもう勉強しなければならなくて、研究しなければならない理由が、結局、このまま、また答えがくるからです。私が結果的に、このように無知ならば、ここに対してとても何もない状態になってしまいます。それで、どんな結果が来るのかというと、世の中に勝てません。無知だから。それでは、もうこれも答えです。答えは必ずくるようになっているからです。 (4)律法-災い ▲おもに、怖いのは、律法的な人も多いでしょう。律法の祈りするしかありません。正しい言葉でも、間違った言葉であろうと、必ずここにはしきりに問題と災いに会うようになっています。それも目に見えなく完ぺきに。代表的な例がパリサイ人です。 (5)福音 ▲それで、私たちが本当に福音を持っていれば、福音的な答えがくるようになっているのです。それで、祈りは科学で、必ず答えられます。そのまま答えられることもあるのですが、後ほど答えが来ることもあるのです。 ▲このように見る時、私と皆さんが、どんな祈りをしなければならないのでしょうか。これが(祈り)通じなければならないでしょう。 1.ペテロ ▲そのように見る時、ペテロを一度見る必要があります。ペテロというのは、ペテロ個人を言うのではなく、ペテロ中心に祈りが通じた人々を言います。初めにペテロを用いられたためです。 (1)使徒1:1-14 ▲使徒の働き1章1節から8節までが重要ですが、14節まで見れば、これが通じる人々が集まりました。もし、私たちがこのように始まったら、まちがいなく答えられるようになっています。ここは少なくとも結論が出た人々で、結果を知っている人々でした。この人たちが、今、いのちをかけて集まったのです。ここに神様は最高の答えをされました。それで、私たちがこのように、こういう祈りが通じなければならないのです。もし堂会もそうで、私たちすべての老会もそうで、こういう祈りが通じたら、すばらしいことが行われます。 (2)使徒2:1-47 (教会) ▲いよいよ神様が備えられた最高の答えの現場がマルコの屋上の間です。聖書にそのようにたくさん約束された聖霊充満の答えが、ここで始まったのです。これを私たちは教会と見るのです。教会に行ってこういう力を得なければならないということです。 ▲このように祈りだけ通じれば、ここにいる皆さんが祈りだけ通じれば、神様は働かれるようになっています。それで二人でも三人でも、わたしの名で集まった、そこに、皆さんが今、二人だけ祈りが通じても働きが起きます。どれだけ重要なのか差がありますが、本当に福音を持って二人だけ祈っても通じます。それでは、マルコの屋上の間に120人が集まって通じる祈りしたので、全世界が生き返ったのです。 (3)使徒3:1-使徒4:12 ▲使徒の働き3章から4章12節まで見て下さい。足のきかない者を立て起こして、今、法廷に立ったのです。多分、イスラエルに最高の問題になる事件が起きました。これも見れば、ヨハネとペテロが一緒にという言葉が出ます。ここも見れば今、法廷に立った時もペテロがその人と共に立ったが聖霊充満したとされています。 (4)使徒6:1-使徒9:43 ▲重職者を立てたのですが、使徒の働き6章1節から7節までです。これが通じる人を立てたのです。それで9章の最後の節まで見れば、ずらっと敷かれるのです。これを重職者運動と言います。 ▲これを(上の(3)番)伝道運動と言います。これを(上の(2)番)教会と言います。これが通じなければなりません。これが(上の(1)番)今、契約つかんだ人々ということです。話したのですが、正しく祈りの課題を握ったということです。そのように聖書に一箇所一箇所見れば、とても重く、みな連結しています。 ▲それで、私たちが今、タラッパン運動はなぜするかというと、これを(上の(1)番)回復しようとすることです。今、どんな教会を作ろうとするか、これを(上の(2)番)回復しようとするのです。今、私たちはどんな伝道をしようとするか、今、死んでいく人々に答えを与えようとするのです(上の(3)番)。重職者時代はなぜ開くか、これ(上の(4)番)回復しようとするのです。私の話ではなくて、聖書に起きる今でも続いている答えをいうのです。 (5)使徒12:1-25 ▲私たちは時には危機が来ます。この契約の中にいる人は簡単に話せば絶対にほろびません。違うところにいれば分かりませんが、この契約の中にいる人はほろびることができないでしょう。ところで、この契約の中にいる人がほろびれば、神様がほろびたということなのに、そのようなことはありません。今、神様が時刻表を正確に動かしておられるのに、この中に入っているということです。 ▲また申し上げますが、これはタラッパンにだけあって、他の所にはなくて、こういう無知な話ではありません。ところで、本当に無知に理解する人々がいたのです。タラッパンにだけこれがあって、他の教団にはなくて、こういう話でしょうか。そんな話ではないでしょう。私たちがこの話をよくすることは事実でしょう。そうでありませんか。それで他の教団を見ても、よくするということです。それをもって、タラッパンにだけ福音で、タラッパンにだけ何と、このような形でひっくり返すなら、それは本当にIQ低いことなのです。そんな話ではなく、それは福音を愛していない人々だということです。私たちが福音を本当に愛して、子どもを本当に愛したら、夫婦が互いにあなたのおかげで私はよくできなくて、このように話さなければなりません。そして本当に物を作り出す人々は、私たちはいつもこれをさらによく作らなければならないのに、今、私たちが誤って作っていると思います。香港に行って、贋物を売っているのですが、そのような人々はそのような考えを絶対にしません。ですから、どんな危機がきても大丈夫です。なぜですしょうか。この中にいるから... ▲皆さんが今、私たちの長老や牧師が、高慢ではなくて、大胆になる必要があります。この中にいるならば、いくら無知で、いくら弱くても、この中にいるならば、絶対に、絶対にほろびることはできません。今日、しきりにまた家庭に問題が来て、混乱を起こすでしょう。私たちが少し何かの事業にだけ困難がきても、混乱を起こすという話です。それを心配するのではなく、私たちがこの線に行っているか、違うか、それを心配しなければなりません。Ⅱコリントを見れば、心配も2種類があるのですが、祝福される心配があります。私が本当にこの線に今、行っているか、こういう心配はいくらしてもかまいません。私がどうすればRUTCのために、どうすれば教会のために私が正しくできるか、こういう悩みは夜を明かすようにしても血圧は上がりません。 2.パウロ ▲パウロを見て下さい。この人のパウロの祈りを一度、見て下さい。 (1)使徒19:21,使徒23:11,使徒27:24 ▲私たちは、ローマも見なければならない。パウロ。勇気を出しなさい。ローマでも証ししなければならない。パウロ、恐れてはならない。カイザルの前に立たなければならない。これが通じる人々が動きました。いくら迫害がきて、いくら脅迫しもだめなのです。パリサイ人とローマの人々がいくら迫害してもだめでした。今、私は確信するのは、皆さんが今、この祝福の隊列に入って、これをしているという事実は、奇跡のような事です。今、牧師が全国世界を回りながら伝道キャンプする、これは奇跡のような事です。そのうちにはよくできる、できないという差もあるでしょうが、とにかく奇跡です。 (2)ローマ1:9-10,ローマ16:1-27 ▲このパウロの祈りを見て下さい。今、神様の計画を置いて祈るのに神様が証人です。私の心で仕える神様が私の証人です。このローマに入って、どれほど多く祈ったのか、そのままではなくてこうしたことがワンネス、OMCになるように祈りました。どれだけ祈れば良いか、世界福音化のOMCが作られるほど祈った、ということでしょう。 ▲今、見て下さい祈りがみな通じる人々は違います。これが私たちが祈りが正しく通じるというこれは、どれくらい感謝でしょうか。二人だけいても働き起きるのです。皆さんが私のために祈りよくしていないですか、また私も皆さんを祈りませんか。この部分がこれよりも貴重なことはないのです。 (3)Iコリント1:4、Iコリント16:14-24 ▲パウロの祈りを見て下さい。Iコリント1章4節を見ると、いつもあなたがたのために祈って感謝する。私たちが今まで普通に話したこと、あなたのために祈る、こうした話でなく、これが何かが今通じたのです。これが通じなければなりません。献金は二番目で、これが通じなければなりません。全国、世界、牧師、長老、一般信徒がRUTCを置いて何かが通じなければなりません。皆さん堂会員がたくさん今、仕えているのですが、この堂会員が、皆さんの教会を置いて、RUTCを置いて、OMCを置いて、何かを通じてこそ、答えが正しく始まるということです。どの程度、行きましたか。Iコリント16章14節から24節を見ると、OMCになるほど。自然にワンネスになるように、通じてしまったのです。聖霊が働かれるのに、なぜ通じないのでしょうか。自然にワンネスになってしまったのです。 (4)Ⅱコリント1:11,Ⅱコリント12:1-10 ▲そして、今、パウロの祈りの中に見て下さい。Ⅱコリント1章11節を見ると、祈りで私を助けてください。皆さんが本当にこの中にいる人ならば、皆さんの祈りがとても重要です。祈りで助けなさい。パリサイ人のような人は、100万人が集まっても、祈りの助けはできません。ここにいる人は、1人でも助けになります。パリサイ人のような、そのような信仰は1千万の弟子が起きても助けになりません。これが通じる人のこの中にいる人の祈りは、牧師を助け、産業人を助け、最も大きい力になります。パウロはどの程度になったでしょうか。とても深い祈りまで行きました。 ▲それと共に、パウロはこういう話をしました。私は自慢することが一つある。何でしょう。弱いこと。ところで、神様が弱い私に力で働かれたと。これも通じなければなりません。パウロがこの言葉を使ったことは、通じる人に使ったということです。多分、プリスカ、アクラ夫婦に最も多く心を寄せたのでしょう。私がこちらに弱いが、それが神様の恵みだと。サタンのとげだと分かったが、それが神様の恵みだと。こうしたのが通じる人々が、だからどれくらい世界福音化するしかないということです。皆さんが受けなければならない最も大きい祝福、教会に帰ったら、すべての重職者が正しい祈りで通じる、そのような教会なるように願います。 (5)ピリピ1:3 ▲ピリピ1章3節を見て下さい。いつもあなたがたのために祈る。そして感謝する。これが重要な話です。私たちが祈るのに、だれかを置いて祈る時、感謝が出てくる人がいるでしょう。そうでしょう。ある人のために祈れば、気分が悪いでしょう。ある人のために祈れば神様に感謝が出てきます。これがそうです。これが通じなければなりません。長老が、牧師の弱いことも理解できる人だと。牧師が長老の弱さも理解できなければなりません。パウロは自分の弱さも自慢したのです。そして、祈る時、感謝が出てこなければなりません。ある人のために祈って、見て下さい。いらいらするでしょう。ところで、ある人は祈って見て下さい、私はそうでないのですが、ある人は祈るのに、歯ぎしりをしてしまうのです。それはお互いにほろびる祈りです。皆さんが祈る中に、歯ぎしりをする人がいれば、今日、歯をみな抜いてしまって下さい。それはみな同じくほろびます。それは祈りではありません。それは呪いです。呪い。お互いが共に受ける呪い。私がある人を置いて祈る時、感謝が出てくるべきで、歯ぎしりが出るとしたら、それが何の祈りでしょうか。 ▲これが通じなければなりません。それで皆さん全国世界にいる私たちの産業人と家族が、この恵みを受けなければなりません。 3.課題 ▲特に課題が通じました。 (1)使徒2:41-42 ▲たとえ皆さんの教会堂は小さくても、外には人が多いことを感づいたのです。 (2)使徒11:19-30 ▲たとえ迫害や危機がきても、世界は神様の人々が待っているということを分からなければなりません。 (3)使徒13:1-4 ▲いくら状態がよくなくても、使徒の働き13章に、初めての宣教師が派遣されたのですが、こういうものすごい霊的問題を持った人が待っているということを知らなければなりません。 (4)使徒16:6-10 ▲ひょっとして皆さんに祈りの答えが来ないように見えて、困難がきたように見えても、マケドニヤが待っていることを知っていなければなりません。 (5)使徒19:21 ▲皆さんに大きい答えがきても、それで満足せずに、ローマが待っているということを分からなければなりません。この祈りが通じる人々ということです。 (6)エペソ1:3-19 ▲たとえパウロが牢にいても、エペソ1章3節から19節を見たら、ものすごいメッセージを、今、祈りの課題で出しました。こういう話をしました。神様があなたたちの心の目を開いてくださるように望みます。それで神様の偉大なことを見るように望む。あなたがたが召された希望がどんなのか、分かることを祈る。その祝福が、どれくらい大きいことかを分かることを切実に祈る、と言いました。牢で見た祈りの課題です。どれくらいすごいでしょうか。 (7)ピリピ3:1-20 ▲その程度で終わったのではありません。今、皆さんは全てのものをみな受けました。そのためにうらやましいこともありません。ピリピ3章を見ると、キリストをすでに得ました。今は用いられるだけで良いのです。そして、今日から皆さんは多くの世の中の問題を心配する必要がありません。すでに神様がみな準備されたのです。準備されたのと、受けたのと全く同じです。受けたことは現在、持っていることで、これから準備したことは、受けるために全く同じだということです。これから皆さんが教会のために産業現場のために、神様はあらゆる事を完全に準備されたので、パウロはそのように告白をしたのです。 ▲パウロが本当に乞食になって、こうした話ではありません。そうでありませんか。ソウル駅で小銭をもらって座っている乞食が、私はすべての物質が必要ない。こうすれば話になりますか。パウロはそんな話ではありません。すでに全世界を片手につかんだ。それつかみに行くと言いました。それが神様の御手にあるからです。すでに地のことはみな征服する力と答えをみな受けたので、上から呼ばれたところに行くと言いました。この言葉が普通の話ではないということです。 ▲ソロモンがみな無駄になって、このように話す時は、王になったので通じる言葉であって、何の力もない17才にもならない者がみな無駄になって、こうすれば話になりますか。そうでありませんか。皆さんがすることごとに失敗して、福音も悟れないでいつも失敗する人が、みな無駄になって、それはほろびるということです。それで、ソロモンがみなしてみたのですが、みな空であり、神様だけ本物だ。これがその告白です。今、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが死んでも良くて、このように出てきたのですが、それはあきらめたからではありません。すでにそれ以上の恵みがきたのです。死んでも良い。尋ねなかったのですが、平安が訪ねてきたかもしれません。いよいよ今日、私が神様のために死ぬようになったんだなあ、多分、平安が訪ねてきたかもしれないのです。大胆に話しました。この人たちは、死が何か、状況が何か、それを分析できない人ではないでしょう。その告白です。 ▲パウロの告白はものすごい告白です。 4.結論 ▲すでに皆さんにみな来ています。どのように探して自分のものにしますか。どのようにのがさないで見るのでしょうか。 (1)福音的祈り ▲今から祈りも福音にあって福音的祈りをしましょう。 (2)定刻、常時 ▲問題は私が問題です。私の体質が問題です。私の限界が問題です。そして、私の考えが良いのですが、問題になります。それで私をどのようにすることかが重要です。私は今は死んでいなくて、こうすれば仏教になります。そうでありませんか。私はもう何もなくて解脱して、それでは仏教です。皆さんが解脱すればダメです。解脱すれば悪霊がつきます。ですからマタイの福音書12章を見ると、悪霊が7倍で入ってくると言われました。空き家をみな清掃しておけば、子どもたち、乞食が入ってきて遊ぶでしょう。私たちの福音は解脱ではありません。私たちが解脱すれば、大変なことになります。ですから聖霊が、キリストがともにおられると言われました。それで私をなくす最も重要な祈りが定刻、常時祈りです。なぜでしょうか。この時間だけでもなくなるのです。私の体質を発揮できない唯一の時間が何でしょうか。定刻祈りです。私のこの悪い悪習を唯一捕まえておく時間が定刻祈りです。皆さんのそのみだらな体質をしばってしまう時間が定刻祈りです。これだけしても成功します。何の話なのかわかるでしょう。ところで、私の息子を見れば、定刻祈り一日に3分もしませんでした。朝1分、夕方に1分、夜に1分それもしないからです。 (3)動機 ▲三番目です。どのようにこの答えを本当に味わえるのでしょうか。私たちはしきりに悪くて、違った私のための欲、動機ができます。これだけ変えてしまえば良いのです。動機がないはずがありません。動機がなければ、それは人間ではないのです。私たちの教会がうまくいきたい、私がお金を儲けたい、私が成功したくて、それは動機ではないでしょうか。それがなければ、どのようにしますか。それがなければ、人間ではありません。 ▲これを変えるものです。それが鍵です。変えなければなりません。神様、私は以前はいつも私のために伝道したが、本当に神様のために。私は以前にいつも何か考えをおいて教会を復興させようとしたが、そうでなくて本当に福音のために。どれくらい簡単でしょうか。この一つで、すばらしい答えが起きます。なぜでしょうか。すでに来ているからです。皆さんの祝福はすでにものすごいこの隊列の中にあるから、みな来ているのです。ある面では、すべての信者にみな来ています。知らないだけで、探せないということです。これだけなれば、私たちは正しく祈りの答えを受けられます。 ▲こういう祈りが通じる皆さんですから、皆さんの教会にも、すべての方がこの祝福があることをイエスの御名で祈ります。祈ります。 (祈り) イエス・キリストの恵みと私たちの神様の愛と聖霊の働きが、神様にあって祈りが通じるすべての証人の上に今から永遠まで常に共におられるように。アーメン (The end) |