[2009年1月17日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]


共同体と産業宣教(233)-産業人の全体理解(17)
重職者の教会キャンプ
(使徒2:41-42)




☆☆☆要約資料☆☆☆
1. 重職者時代を祝福された神様
(1) 創14:14-20
(2) 創26:10-24
(3) 創32:2-32
(4) 創45:1-5
(5) Ⅰサム16:1-23, Ⅰ歴代29:10-14
(6) 使2:41-42
(7) 重職者なくして時代は失敗し、 重職者が起きてこそ神様は祝福の時代を開かれた
2. 教会キャンプ
(1) 使2:1-47
(2) 使11:19-30
(3) ローマ16:1-27
3. 重職者実践
月1回 - 教会内 弟子の集い (状況)
月1回 - 地教会の集い (問題)
月1回 - 専門家の集い (情緒,仕事)
12時祈り - 一人で力を得るように
夜9時祈り - 共に力を得るように(哲学)
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
序論
▲使徒2:41を見れば、そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。どのようにして三千人も起きたのでしょうか。事実、マルコの屋上の間で三千人が集まれないのに、どのように三千人が起きたのかということです。ここで皆さんが伝道のヒントを得なければなりません。マルコの屋上の間には、およそ120人程度しか集まることができないのに、外側で弟子が三千名が起きたということは、外の現場に入ったということになります。重職者が起きながら現場を生かしたということになります。
▲今日は私たちの重職者の教会キャンプに対する話を少しします。今、全国世界に重職者時代が起きているのですが、皆さんが多くの理解を全国の教会がみなしなければなりません。皆さんは重要だから、肉的な力も霊的な力もみな得なければなりません。皆さんが力がなければできないから、運動もして、多くの祈りもして、このようにして力を得なければなりません。

1.重職者の祝福
▲聖書を見れば、神様はレムナントも重要ですが、レムナントのためにとても重職者を祝福されました。
(1)創世記14:14-20
▲創世記14:14-20も見れば、アブラハムが祝福を受ける現場が出てきます。しもべが318人程度だから、すごいのです。しもべが318人ならば、ここに妻318人を含めば、数がすごいのです。子どもを1人ずつだけ産んだとしても子どもたちが318人です。このようにしても千人くらいいます。アブラハムの家に千人がご飯を食べていたのです。こうすれば神様が強大にものすごく力を与えられたということになります。それでソドム王に勝った時、アブラハムがした話が出ます。神様は、必ず自分を裕福にさせてくださるので、自分は何も受けないと言いました。ここでメルギセデクに十分の一をささげる内容が出てきます。この少し短い中にもすべて入っています。このように、神様がアブラハムを祝福して重要なことをしていかれたのです。
(2)創世記26:10-24(100年)
▲創世記26:10-24を見ると、神様がイサクには一年に百年の祝福を与えられました。その当時100倍の祝福であるから、100年の祝福を与えられたのです。なぜそうだったのでしょうか。このようにしてこそ、世界福音化ができるからです。
(3)創世記32:23-32(イスラエル)
▲一度ももれなく神様が重職者を祝福して世界福音化されたのです。神様がヤコブに多くの財産をくださって戻るようにする場面です。その時、与えられた名前が皆さんおわかりの通り初めて与えられた名前です。あなたの名前をイスラエルとしなさい。
(4)創世記45:1-5
▲神様がヨセフにはどれだけ祝福されたのかというと、創世記45章を見ると、全世界の経済を動かすように祝福されました。
(5)神殿建築(ダビデ)
▲神様はまたIサムエル16章、ダビデを呼ばれた神様は、I歴代29章を見ると、ダビデが神殿建築をする大きい祝福を与えられました。どれだけ祝福されたのでしょうか。神殿建築を普通すれば、いつもお金が足りません。しかし、あまるほど祝福されました。聖書の箇所を今、正確に知らないのですが、聖書のある箇所を見れば、ダビデがもう持って来なくてよいと話します。皆さんの教会で長老や牧師が、講壇でお知らせの時間に献金をちょっと少なくしなさい、このように広告を出すほどになれば、どれくらいみわざが起きたのでしょうか。神様が1人を祝福されると、このようになります。重職者ダビデ1人を神様が祝福されたから、国家も教会の中にも、ものすごいみわざが起き始めたのです。
(6)使徒2:41-42
▲まさに今日の本文に見ると、41節に三千人の弟子、三千人の信徒が起きたのですが、42節を見ると、このように起きるみことば運動が記録されています。
(7)証拠
▲それで歴史的に重職者が起きなかった時は無条件に失敗しました。歴史的に重職者が起きた時は、無条件に成功しました。これが確実な歴史の教えだから、皆さんがこれくらい重要なのです

2.教会キャンプ
▲それでは、私たちの重要な人生キャンプ、自分の現場キャンプをしたのですが、その中で付いてこなければならないとても重要なことが教会キャンプです。皆さんが教会キャンプができなくなれば、外に出て行っていくら伝道しても効果がありまえん。外に出て行って、あちこちキャンプをして、働きをいくら起こしても、教会の中でキャンプにならなくてはいけないのです。反対で、教会の中でキャンプになれば、出て行かないでもかまいません。これが私たちのタラッパンが話す、聖書が話す伝道の最も核です。今、これがなくて、現場伝道キャンプが起きているのですが、最も重要なのは教会キャンプです。
(1)使徒2:1-47
▲それで、皆さんが教会でこの力を得なければなりません。マルコの屋上の間で起きたことです。
(2)使徒11:19-30
▲重職者の皆さんが教会でこの祝福が起きなければならないのです。アンテオケで起きたことです。
(3)ローマ16:1-27
▲ローマ16:1-27を見れば、その人物が記録されているので、このキャンプが教会で起きなければなりません。
▲ある時、私たちの教会の執事が夏に、牧師先生、しばらく食事するのに良いところに行きましょうと言いました。ところで行ってみたら、人がいっぱいでした。ある夏なのに人がいっぱいで、待って入ったのです。入って座ったが、おいしい店のようだと座ったら、入ったらすでに私たちが暑いと思って、氷がこちんこちんかたまったタオル一つずつ持ってきてくれました。ただコムタンスープだけの店でした。本当においしかったのです。それで私がこういう気がしたのです。私が生まれてこのようにおいしいコムタンスープは初めてだ。その執事が気持ちが良くて、そうですかと尋ねました。そうだと言いました。出て行ってキャンプをしなくても、ずっと来ます。これが重要です。また、一度は、チョルラド、クァンジュに行ったところ、牧師先生がある所へ行こうといって連れていってくれました。山の中に入ったのです。山の中に入るのに、私はまた山の中にそのような大きい食堂があるのを初めて見ました。食事しに行って、およそ40分、45分を外に立って待っていました。それで、私が中をのぞいて見たら、人が中にいっぱいでした。わざわざ私がだいたい数えてみたのです。私が数えてみた時でも、中に座っている人が120人でした。そして、食べて出てきたのですが、私たちの後にも人がずっと来ていました。どうして、このように人が来ていたのかというと、その店が有名な店でした。それで食べてみたら違うのです。私がどんな気がするでしょうか。次にまたこなければならない、こういう気がしたのです。その瞬間に、どんな考えが頭の中に出るでしょうか。私がおいしいという気がしながら、頭の中にかすめることがありました。私の周囲によく食べるのが好きな人々、その人々が考えにずっと出てきました。連れてこなければならない。それで、その次に連れて行ったのです。連れて行ったのですが、その時が夕食にしようと6時頃に行ったのでした。人が一人もいませんでした。6時なのに、お客さんがなぜこちらにいないのかと尋ねました。今日は、店をあけないのですかと尋ねたところ、終わったということでした。それが何の話か、今6時なのに。どれくらい商売が上手な店なのか、自分たちはその日入ってきた肉だけ売って、在庫を残さないということです。なくなれば終わりです。早く肉が入ってくれば、それだけ売るのです。普通、残せば、その翌日また売るのに、今日はとてもたくさんきてはやくみな売れたということでした。それで、私たちがそのまま降りてきたのでした。何のために私たちが食堂がいっぱいあるのに、その山にまで上がって、食べられずに無駄足で降りてくるのでしょうか。とても重要です。
▲教会キャンプになれば、できるのです。もちろん私たちが現場に行かなければならないのですが、行く以前に、これがさらに重要です。今年は皆さん教会がこのようになることを希望します。神様が願われるのがこれです。神様が願われるのは皆さんが歩き回ることではありません。これです。神様が今でも祝福しておられるのがこれです。ここで皆さんが力を得なければなりません。これがすべてです。特に重職者はそうです。特に重職者の方は、聖日に教会に行く時、大きい力を得る準備を覚悟するのが一番重要なのです。もし皆さんが5年10年、教会に行って恵みを受けられなければ大変なことになります。それで今まで信仰生活を上手な人の特徴を調べれば、共通点がこれで恵みを受ける準備が上手でした。これが特徴です。ところで、私たちは普通、なんとなくしています。聖日に礼拝の時、恵みを受ける準備が上手な人々は、ほとんどみな信仰に成功しました。ですからロックフェラーのような場合は一時間前に行って祈っていました。それだけしたのに、成功したのです。なぜでしょうか。時間がないから。時間がなくて、聖日にもはやく行って神様の前に祈って、自分が恵みを受ける、それが重要だから。そして、信仰生活が上手な人々は、教会で恵みを受けた分、みことばが外側に延長します。これをそのように上手なのです。

3.実践
▲それで私たちの重職者の方は、今からいくつかのことを実践しなければなりません。私が重職者になったが、何をするのか。これから重職者がたくさん起きるのに、何をすべきなのでしょうか。重職者が、これからたくさん起きて、私が今、重職者になったが、私が今、何をしてこそ神様が喜ばれるのでしょうか。またある場合は、按手執事なのに私が按手執事になったが、何をしてこそ神様が喜ばれるのでしょうか。按手執事というものは2つの意味を置いています。これからあなたが真の祝福受けて長老になりなさいという意味を持っています。また、一個の意味があります。あなたはまだだから、もう少し訓練を受けなさい。そうではないでしょうか。それでは何をすべきでしょうか。今、私たちのタラッパンで初めて女性に按手を与えたのですが、私はそれが聖書的だと考えています。何のためにできないのでしょうか。赤ん坊にもして、病人にもして、みなしながら勧士にだけ、あなたはそこに立っていなさいと言います。牧師を立てた理由が、神様が祝福しなさいと立てられたのに、みなしながら、なぜ勧士にだけしないのでしょうか。事実上、勧士がそれを直さなければなりません。臨時職なのか、一生の職なのでしょうか。一生職です。教会で勧士を立てれば、一生の間、勧士と呼びます。それで、私たちの韓国教会で、とても粗雑にした部分を果敢に直しましょう。それで、私たちは勧士に按手を与えます。それでは、こういう勧士が何をしなければならないのでしょうか。昔に多くの話があったのですが、それはみな常識です。
▲しかし、重要なのは、皆さんがいくつかのことを実践しなければならないのです。
(1)教会弟子(状況)
▲特に長老は1ケ月に一回程度は教会内で弟子を集めましょう。時間はたくさんありません。1ケ月に一度も忙しいでしょう。教会内にいる弟子を集めましょう。その理由が何でしょうか。なぜ教会の弟子を集めなければならないのでしょうか。私達が知っているようでも、状況をほとんど知らずにいるのです。そのまま私の信仰内の知識に押し進めるのですが、実際に状況を知らずにいます。それでは事実上、何もだめになっているのです。状況を知らないので。それで、皆さんが今、子どもたちがどんな状況にあるのか、青年たちがどうか分からなければならないのではないでしょうか。この状況を勘でせずに、実際に知らなければならないのです。どれくらいおもしろいでしょうか。私は見ながら、私なら直ちに教会の中にエリートを選びます。それで集まろうと言うのです。今、人材がどれほど多いでしょうか。例えば、子どもたちがソウル大学に入った、誰でも入るのでしょうか。この子どもたちが勉強して、司法試験を合格した、誰もがするのでしょうか。こういう子どもたちをそのまま置いているのです。私ならこういう子どもたち握って、本当に力も与えて、手助けして本当に祈りもします。これがものすごい祝福の畑ではないでしょうか。これは、ある面では、働きではなくて、良心です。皆さんがこの部分をしなければなりません。私のような場合は、わざわざ子どもたちだけ集まったところに行って、そばに座って静かに聞いてみます。時々、時間ができれば、秘書に行こうといって、子どもたちたくさん集まる喫茶店に行って聞いてみます。話を一度聞いてみなさい。自分たちどうしすることを。そして、食堂のような所に行けば、おばさんたちが話すことをそのまま聞いてみなさい。ですから、私たちが今メッセージとあることみな無駄なことです。おばさんたちの話を聞いてみれば。普通のおばさんたちが話すこと見れば毎日違ったことを話しています。食べながら、食べることを話します。それがこんにちのおばさんです。それでは、私たちがどのように方向を定めなければならないか答えが出てくるのです。毎日、何の服を着る話、その次におもに見れば家族の話こういうものです。そして、人の話。おもにそうです。ですから、私たちが状況をはやく把握しなければならないのです。これだけしても大きいのです。
(2)地教会(問題)
▲皆さんがしなければならない二番目が一度だけ出て行きなさい。1ケ月に一度だけ地教会に行ってもかまいません。地教会に行ってよくしようとせずに、その人々にある最も問題が何か、これだけ手助けすれば良いのです。実際に現場に起きる問題がやさしいのですが、その現場にいる人々が解決できなくなっていることが多いのです。こういう部分を手助けするのです。
▲やさしい例で、先週に私たちのチョ・キボム長老と話したのですが、病院伝道が実状は難しいのです。本人が医師なのに、病院伝道が実状、難しいのです。それで、どうすることに決心したかと尋ねたら、名節(韓国固有の盆・正月)の時、病院に入ったということです。むしろ、その時が時間あるから、職員や医者たち会えば話すことさらにやさしいのです。それはもう医師でなくては知らない部分です。ですから、どんな部分でも、問題がたくさんあるのです。これを捜し出して、皆さんが少しだけ手助けしても、働きはどんどん起きます。一度はクァンジュで、私が一人で食事をするのに、あるチームがたくさん入って来ました。自分たちどうしで話しています。私が聞きながら、たくさん習いました。自分たちが問題を気兼ねなく自分たちどうしで話すのです。そして、話すのに深刻です。聞いていたら、私が何度か見つめるほど深刻でした。誰でしょうか。野球選手でした。私は野球選手が内部にあのように問題が多いということを、その日、私が食事しながら聞いて分かりました。この監督が通常の問題ではなかったのです。そうしていたら、その人々が食事が中間ぐらいなったが、監督がきたのでした。監督が入ってきたら、全部いっせいに立ち上がって挨拶して、何の事もなかったようにご飯を食べていました。その時、私が感じたのです。あの監督が事実を知っているだろうか。あの監督があの選手たちの苦しみを、あのように切なく話しているあの内容を知っているのだろうかと思いました。私の考えなのですが、もし、それだけ分かればとても助けになるという気がしたのです。ところで、監督が入ってきたら、雰囲気を見ると、全く知らないようでした。ですから、まったく監督が入ってくるから、話を変えて、顔も変えて、みな変えてしまったのです。私たちの働きは難しくありません。皆さんが少しだけよく見れば、すばらしい実を得ることができるのです。
(3)専門担当者(情緒、仕事)
▲そして1ケ月に一回程度だけ一緒にしてもかまわないのですが、必ず長老、重職者は、専門担当者を探しましょう。人は誰でもそうですが、専門担当者であるほど情緒が違います。結局は、専門担当者であるほど仕事に多くの影響をやりとりしています。これを分からないではだめです。これを分からないでは、手助けすることもできなくて、その人の困難を助けられません。直ちに軍人を見ると、私たちとは情緒が完全に違います。話は全くしないのですが、軍人の情緒の最高の情緒が私が見ると、昇進でした。その人たちは、お金でもなくて昇進です。それがその人々の最も大きい情緒です。こういうものを私が分かった時、集まれば確かに変わります。そして用心もするようになります。どの部分で用心しなければならないかも知るようになって、もし私たちの福音運動、弟子の働きがこれを分からないではだめで、これについて行ってもだめです。軍人、警察は微妙なことがあります。そして、専門担当者であるほど、見ると何かあります。私たちは用心しませんが、こういう部分がとても重要なのです。本当に驚くことです。釜山市警察庁長官が、新しくこられました。釜山のすべての保安の責任を負っている方ではないのでしょうか。それで私に連絡がきました。長官がきましたが、牧師先生と食事でも一度しませんかということでした。良い。それで私が行きながら、連絡したのです。長官と食事をするのに、市長も来られますか。来ると言われました。それで食事を刺身料理屋に行って食事をするのに、すぐに連絡がきました。ある仕事が特別にできて出席できません。牧師先生には、次にお目にかかって連絡を差し上げます。そのようなこともあるでしょう。その翌日、市長がきて謝罪をされました。そのようなこともあるでしょうと、私が思ったのです。私は全く知りませんでしたが、後ほど分かったのです。知ったところ、政党が敵どうしだったと。簡単に話せば、1人はハンナラ党で1人は民主党です。それでは、いっしょに食事をできるでしょうか。私はそれを全く知らなかったのです。それを後ほど分かりましたが、そのような部分も参考にすべきだ、そのような気がしました。ところで、必ず党がそうだというのではなく、何かがあるようです。それで、うまくいったかと思って食事もちょっと深くして、福音も話してより良く話をよくしました。ところで、歳月がかなり過ぎました。歳月がかなり過ぎたのですが、釜山警察庁の長官が、今インマヌエルソウル教会に一週も礼拝をかかさず参加しています。奥様と共に、いつでも同じ席に座っているのですが、とてもエリートを一名ずつ一名ずつ伝道してきます。私は驚くべき事実が、単に来ていると思ったのですが、そうではありません。恵みを受けているのです。ですから、どれだけ恵みを受けるのかというと、ある時は話をします。どのように、こういうみことばが出てくるのか。自分が告白をしています。それと共に、エリートを一名ずつ連れて来られます。専門担当者、皆さんがこの部分に心を重職者が投資しなければなりません。
(4)定刻の祈り(12時)
▲そして必ず一人で力を得る時間を持たなければなりません。定刻の祈り。必ずではないのですが、12時に私たちが祈ることにしたでしょう。その時、私が思うのは、最も忙しい時なので、最も一人しやすいのです。なぜ12時でしょうか。この時間が一番良いのです。なぜ良いかというと、朝起きてする、これは朝寝坊の人には難しいのです。夜に決めるとさらに難しいのです。TVを見なければなりません。難しいのです。ところで、この時間が食事の直前、ちょうど仕事を終えようとする、こういう時間です。ですから、どの時間でも一度は皆さんが一人で祈りができなければなりません。
(5)共に(重職者の手紙)
▲そして一度は共に祈りましょう。ひょっとして皆さんが集いがあれば、重職者が共に祈る、こういう時間を持てばとても良いでしょう。この時、重職者の手紙を活用すればとても良いでしょう。このようにしてもかまいません。
▲これから、とても重要なことが多いのですが、これより重要なことはありません。皆さんが受けなければならない大きい祝福がここから出るのです。私たちの重職者、産業人が大きい力を得る一年になることをイエス様の御名で祝福します。祈ります。
(祈り)
イエス・キリストの恵みと私たちの神様の大きい愛と聖霊様の働きが、重要な祝福を受けた集まった産業人の上に、今からのち永遠までいつも共におられますように。アーメン
(The end)